タバコ農家の村から

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4田舎の人
作付け面積

親父の時代は面積超過していると「引け(抜け)」といわれた。
はじめはほんとに小さな面積しか作付けさせてもらえず専業では
食べていけなかった。それからだんだんと昭和48年あたりから専業
の形態に入るようになりだしタバコでも食うていけるようになった。
公社が「面積を増やしてくれ」とむこうから言い出してきたのだ。
(タバコ農家の激減により一農家あたりの作付け面積を増やさざる
をえない形となった)
 それでも、許可面積とか云う条項があって組合を通じて公社の
立会人と一緒に全部の圃場に入って、一列の苗本数調べて列ぶん
掛けたりしてたわけです。(ある一定の広さで作付け許容量を超えて
まで植えると葉の質が落ちるから、そうなっていないか?をしらべる
ため、規制するための”許可面積”。昔の規制とはそこが違うのだろう)
 ○○さんとこは一丁二反ですよ、とか決め、こえるのはいわゆる
ヤミ、隠し面積となってしまう。(まるで、江戸時代?)でも、
親父の時代は厳しくてみんな怖がっていたそうで。(ばれたら廃業は
間違いなしだろう、でもやる人もいたようだ)
今では、公社は「増やせ」というので新たに空いてる土地を畑に
していて土地がたらないからヤミ畑作るようなあまった土地はないんです。