>>619 喫煙に関する社会、というのは沖縄に住んでる人間が北海道の人間の喫煙を気にする社会では、そもそもない
隣の人間、同じ会社の人間、すれ違う通行人という身近なものから派生するもの
同じ思いを抱く人間があちこちにいた、世界にいた、そこに健康への問題を危惧する考えも生まれた
しかしね、その時点においても、自らにとっての「タバコ社会」というのは隣人や近隣の人間における社会
隣にいる人間がタバコを吸っている時にそれに対して自分が迷惑だと訴えるのは
喫煙可能店舗の数ではない、世間の動きでもない、
いかに自分が「それを嫌がっていて」「迷惑だと思っているか」でしか訴えられないんだよ
「世間は禁煙の流れに向かってます。だからタバコを吸うのをやめてください」
この意見がどれほど他者依存かつ自分軽視であるかは読めば分かるでしょ
仮に現実に喫煙可能店舗数の増加があったとしたら、それはただの統計上のデータ
それが「喫煙者」へぶつけられる性質のものではないのは上記の通り、それに対して
同じ視線で「そんな事はない、禁煙をやめ喫煙OKにしている店もある」というのも同等
喫煙社会を捉えたデータだとしても、それが「増えた」要因には触れていない
どこかで「美味しいコーヒーを飲んでもらうために禁煙にしました、という店」の話が出ていたが
そういう店もあれば「禁煙にした方が売上があがる」から、という店もあるだろうし
逆に「禁煙にしたら売上が減ってしまった、だから戻した」という店もあるだろうね
そのデータは「社会の流れ」の表層しか表していないもの
表面をつまんで相手に投げつける、また
その流れを作るにいたった中に自分はいない
それほどの他者依存を暴露しながらそれに気付いていない人間は、完全に隷属しているんだよ
「自分で考える」能力をなくした、或いは、相手を叩く事だけを考え、ほんの一歩でも深く考える事を忘れてしまった
そういう人間は「社会の変化」にはついていけるば「社会を作る」事はできない
勿論「自分の周り半径50m」の社会もね