521 :
名無しの歩き方@お腹いっぱい。:
若い人ほどガンの進行が早いように、細胞分裂が盛んな時期ほど影響を受けやすい。子どもや若い人たちは安全な場所に避難させるべきだ」と話した。
「広島は、いまでも被爆の苦しみが続いている。だが、戦後の日本政府はアメリカの顔色をうかがって被爆の真実を日本全国に伝えてこなかったし、
“原爆投下によって戦争が無事に終わった”と正当化するアメリカの言い成りだ。その一方で“安全神話”で人人をだまして地震大国の日本全国にあれだけの原発をつくった。
戦後の焼け跡の中から、血のにじむような努力をして復興してきた日本をふたたび破滅の道に突き落とそうとしている。絶対に許すことはできない」と語気を強めた。
多くの広島人は、「福島原発の爆発を見たとき、きのこ雲を思い起こした。また第二、第三の被爆者が生まれると直感した。
また若い人たちが私たちの苦しみを味わうのだと思うと悔しくてたまらない。国が主張してきた安全神話は崩れているにもかかわらず、
官房長官もいまだに“安全だ”としかいわず、国民の側に立って政治をする人がいない。アメリカは日本中に米軍基地を置いて、
莫大な思いやり予算をとっていながら、90`圏外に避難して眺めているだけ。なにもかも被爆当時とそっくりだ」と話した。
「被爆後、脱毛、喀血など原因不明の病気でみんな苦しんでいたが、医者も手の施しようもなく、藁にもすがる思いで市民はABCC(米原爆傷害調査委員会)へいった。
だが、アメリカは丸裸にして体の隅隅まで調査してデータをとるが、一切の治療はせず、薬の一つも渡してくれない。広島人は完全なモルモットだった。
原爆投下の翌日も調査のために超低空飛行で避難地の頭上を飛び交い、寝ているある広島人からもニヤリと笑うパイロットの顔が見えたそうだ。
アメリカという国は“まさか…”と思うことを平気でやる国だ。日本の原発はアメリカから日本に押しつけられたものだが、今回の事故は3発目の原爆を落とされたに等しい。
522 :
名無しの歩き方@お腹いっぱい。:2011/04/19(火) 00:33:16.00 ID:0q4vI6wn0
放射能被害にさらされている被災地も大変だが、同情している場合ではない。全国各地に原発はあり、このままでは日本中が同じ目に遭うという
ことが十分ありうるということだ」。また、「安全」をくり返す日本政府の対応は、敗戦が濃厚だったにもかかわらず日本中の都市が廃虚になるまで
「我が方の損害軽微なり」といい続けた大本営発表と重なること、満州で「敗戦」の情報を国民に知らせず、真っ先に軍や警察が逃げて、国民を置き去りにした
ことも「65年前の昔の話ではなく、いま福島で現在起きていることとまったく一緒だ」と強調した。
「この原発災害で、戦後65年間、アメリカが日本になにをしてきたのかがはっきりした。インディアンを皆殺しにしたように、自国の利益のためなら他民族を滅ぼす
まで利用し続ける。原爆を“はるか大昔の話”といって排除し、“原爆は終戦を早めた。いまは平和で民主主義だ”といっている間に、その“平和”が一瞬にして崩れている。
広島、長崎が経験した真実を日本全国で共有し、この日本を立て直す時期に来ている」と語った。
広島の被爆者たちが強調するのは、戦後の日本で被爆の真実を封印し、同時に「原子力の平和利用」という美名のもとに日本中に原発を建設してきた戦後政治の犯罪性だ。
広島でも「原爆投下は日本の中国侵略に対する報いであり、被害をいうまえに日本の加害責任を反省せよ」という米国擁護の宣伝があたかも「進歩」的であるかのよう
にふりまかれ、深刻な経験をもつ被爆者の口を封じ込めてきた。戦争中は、大本営発表のプロパガンダをしていたが、戦後はその責任を丸投げしてGHQのいいなりだ。
原発をつくる上でも、マスコミが果たした役割は大きい。このたびの事故で浮き彫りになったのは、被爆国日本はアメリカの核実験場にされ続けているという事実だ。
国土が狭いばかりか、周りを海に囲まれ津波が起これば逃げ場の無い地震多発国に原発を54基も建て、冷静に誰がどう考えてみても“安全”であるわけがない。
以前も、上空から攻め入る戦闘機からの空襲時にはバケツリレーと竹ヤりで反撃し、もし“核攻撃を受けたら、雨ガッパと濡れタオルで風上に避難せよ”というバカげた内容だったが、
今回の原発事故に対する政府の対応も国民を守る意志を感じない。政府もアメリカも責任のがれ一辺倒だ。
523 :
名無しの歩き方@お腹いっぱい。:2011/04/19(火) 00:36:40.60 ID:0q4vI6wn0
ドイツ・ベルリンから電車で30分弱、ポツダム駅よりちょっと手前。
Griebnitzsee(グリープニッツ湖)畔 ヒロシマ広場
1945年の7月17日から8月2日までのポツダム会談中に、アメリカ大統領トルーマンが滞在していた場所です。
ここに滞在中の1945年7月25日、彼の承認のもと日本への原爆投下命令が
下されたとされています。
http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=201008/01/04/e0149604_19352117.jpg このトルーマンの家の目の前にある広場(ヒロシマ広場と名づけられています)に原爆投下犠牲者の追悼記念碑が設置されている。
ここには、ドイツ語と英語と日本語で
”アメリカの大統領がポツダム会談中ここの目の前の家に滞在していた”こと、
”7月25日にこの大統領の同意のもと、軍の原爆投下命令が下された”こと、
そしてこの記念碑に埋め込まれているふたつの石。これは左が長崎の神社境内にあった石、
そして右が広島の広電路面電車の敷石を持ってきたもので、どちらもあの日に被爆したもの。
ドイツ在住のアメリカ人からは、「ドイツも大変だな。こんな得体の知れないものを国内に持ち込まれて。
気持ちが悪いうえに放射能の危険性が高いものをもってくるな」などと批判の声も多いとのこと。
ドイツ人が、「もう今となれば放射能を含んでいるとの科学的根拠は無い」と反論すれば、逆にドイツ在住のアメリカ人から
「雨水がかかったりすれば、石の内部に染み込んでいた放射線が漏れ出し、人体に影響しかねないという科学的根拠もまた無いではないか」など
と反論されている。ドイツ在住アメ力リ人らの感情としては過去に自分らの国が日本に原爆投下した事実をなんとか、
もみ消したい一心からの発言だそうです。
(”今は石には危険がない”ということも書かれている。)
ここにいる間にも、数組のドイツ人たちが足を止め、この記念碑の前に立っていました。
http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=201008/01/04/e0149604_19352516.jpg
524 :
名無しの歩き方@お腹いっぱい。:2011/04/19(火) 00:37:29.61 ID:0q4vI6wn0