284 :
名無しの歩き方@お腹いっぱい。:
黒い雨関連
広島に原爆が投下された直後の「黒い雨」の降雨地域が、これまで国が示していた範囲の約3倍に
及ぶ可能性があることが25日、広島市と広島県の調査で分かった。
市は、黒い雨の「大雨地域」を対象とする被爆者援護法の健康診断特例区域の指定拡大に向け、国への要望に役立てる。
調査は2008年6〜11月、被爆者、黒い雨の体験者を中心とする市内と周辺の3万6614人を対象に実施。
調査用紙に記入、返送してもらった。
有効回答2万7147人のうち、黒い雨の降雨時間や場所を記した1844人のデータを分析してきた。
その結果をみると、黒い雨は原爆投下直後の午前8時台から広島市西部で降り始め、同10時台には最も広範囲に及んだ。
体験者の分布エリアは、最北が旧都谷村(北広島町)▽最西は旧砂谷村(佐伯区湯来町)や旧廿日市町(廿日市市)
▽最東は旧三田村(安佐北区白木町)―となった。
1945年の調査に基づく「大雨地域」に比べて6倍程度、「小雨地域」を含めても約3倍の広さである。
さらに降雨量についても新たな可能性が浮上。
爆心地から北西約20キロにあり、一部が小雨地域とされている旧水内村(湯来町)で、4時間以上降ったとの回答を得た。
健康被害では、黒い雨の体験者で「下痢や脱毛などがあった」と回答した人は大雨地域で16%、同地域外で10%。
被爆や黒い雨を体験していない人の水準(3%)を上回った。
調査結果は、市原子爆弾被爆実態調査研究会(市、県、研究者で構成)が、25日の会合で報告した。
座長を務める広島大原爆放射線医科学研究所の神谷研二所長は「これまでにない大規模な調査であり、実態解明に役立つ」と説明。
3月末までに最終報告書をまとめる。
(2010年1月26日朝刊掲載)
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=20100126144046986_ja#
285 :
名無しの歩き方@お腹いっぱい。:2011/04/13(水) 22:15:30.58 ID:x1rudMfE0
黒い雨・二次被爆
原爆の炸裂の高熱により巨大なキノコ雲(原子雲)が生じた。これは爆発による高熱で発生した
上昇気流によって巻き上げられた地上の粉塵が上空で拡散したため、特徴的なキノコ形になったものとされる。
低高度爆発であったためにキノコ雲は地表に接し、爆心地に強烈な誘導放射能をもたらした。
熱気は上空で冷やされ雨となった。
この雨は大量の粉塵・煙を含んでおり、粘り気のある真っ黒な大粒の雨であった。この雨を黒い雨という。
この雨は放射性降下物を含んでいたため、雨を浴びた者を被曝させ、土壌や建築物及び河川等を放射能で汚染した。
当日、広島市上空には南東の風が吹いていたため、キノコ雲は徐々に北北西へ移動しやがて崩壊、日本海方面へ流れていった。
このため市北西部の南北19キロメートル×東西11キロメートルの楕円形の領域において黒い雨が1時間以上強く降り、
この雨に直接当たる、あるいはこの雨に当たったものに触れた者は被曝した。
戦後の調査研究で、黒い雨の他、広範囲に放射性の黒い灰状の粉塵が6日15時頃まで降り、郊外にまで広範に放射能汚染をもたらし
ていたことが判明している。
なお、放射性核分裂生成物、核爆発時に生じた大量の中性子線による誘導放射能等により被曝した者を「二次被爆者」という。
上述、郊外の黒い雨による放射線被曝者も二次被爆者になる。
原爆投下後、被爆者の救援活動等のため、広島市外より広島市に入市し、誘導放射能等により被曝した者を「入市被ばく者」という。
規定では、原爆投下後2週間以内に爆心より約2キロ以内の区域に立ち入った者が入市被ばく者とされている。
原爆投下当日、爆心地へ入り数時間滞在した者は約0.2シーベルト、翌日に入った者は約0.1シーベルトの被曝をした。
その他、被災地域より避難してきた被爆者の放射能汚染された衣類や頭髪に触れて被曝した者も多くいた。
当時は放射能や放射線の性質、その危険性を知る者が、物理学者やごく一部の軍関係者、医療関係者程度であったことが影響した。
http://www.hiroshima-spirit.jp/ja/hiroshima/shiryoukan/morgue_w17.html http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/10/dl/s1029-10d.pdf
286 :
名無しの歩き方@お腹いっぱい。:2011/04/13(水) 22:17:02.69 ID:x1rudMfE0