一応、プロ野球にも労働組合やチームごとに選手会はあるし、また選手会とは別にキャプテン制度を設ける場合もある。
労働組合の委員長や選手会長、キャプテンはやはりそれにふさわしい選手を指名するだろう。
高校野球部の主将も同じ。
さて、新年度・クラス替えの時期を迎え、学級委員長以下、生活委員とか学習委員、選挙管理委員、会計…など役員を決める時期が来た。
面倒くさい役員など誰もやりたがらないが、必ず決めなければならない。
プロ野球の名監督の野村克也は「打線は繋がり」「適材適所」「無形の力」などという言葉を用いるが、これは野球だけでなく学校教育の場においても当てはまる。
新入学時を除いて、学級担任が優れている場合、まず「適材適所」で役決めを行うはずだ。担任教師が教室内の生徒の顔を見て、一方的に割り振りをしていく。
例えば「学習委員は、将来教師を目指しているお前がお前が向いている」とか、「図書委員は本を読むのが好きな●●だ」という具合にだ。
このように、適材適所で役決めを行うなら、役決めで難航はしないし、学級組織の結束力(卒業後)も高まり、野村監督がよく言う「無形の力」も生まれやすくなる。
しかし、プロ野球のダメ監督のように学級経営能力が足りないようなダメ担任教師の場合、
生徒に「この役はお前が向いているから、お前がやってくれ」などと一方的に言えない。なぜなら、生徒に嫌われることを恐れるが余り、面倒な役を一方的に打診できないでいるからだ。
こうなると、くじ引きか、ひどくなると学級内の生徒同士による自主的決め方(選挙方式など)になる。
しかし、自主的決め方をしてしまうと学級内で立場の弱いおとなしい生徒、いわゆるイジメられっ子を中心に役を圧力的に押し付けられ、役が当たらないのは学級内のボスや地元有力者・金満家一族の子息、ヤンキーなどになってしまう。
こういうふざけた選出は、学級組織の「適材適所」にはならない。こんな学級は、プロ野球で低迷を続けるチームみたいなもの。
「繋がり」を無視して生徒間の自主的な決め方(選挙形式など)で役員を選んだ学級は、「無形の力」どころか学級組織の雰囲気は年間を通して良くないし、生徒間の不仲など問題が生じやすくなる。
生徒に機嫌ばかり取る、とにかくボス的生徒に好かれようとする担任ほど、こうした傾向にあるはずだ。