名無しもコテもマタ〜リお茶を啜るスレ109

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144名無しの歩き方@お腹いっぱい。
岩瀬が横浜に打ち込まれて逆転負けしたくらいで
なにをそんなに火病ってるのか全く意味がわからない


10.8決戦
1994年(平成6年)10月6日の129 試合目を消化した時点で巨人と中日はどちらも69勝60敗で並んでいた。
当時、セントラル・リーグでは各チーム130試合の公式戦をおこなうことになっており、
この年の両チームにとっての最後の公式戦は10月8日に行われる直接対決であった。
このためこの試合に勝利した側が、この年のセントラル・リーグの優勝を手にする例の無い状況が生じた。
このように最後の公式戦によって、かつその勝者がその年の優勝チームとなる事態はプロ野球の歴史上初めてのことであり、今日にいたるまで再び生じていない。

巨人の長嶋茂雄監督はこの試合を国民的行事と呼んだ。
この表現が単なる誇張であったか否かは定価1,500円の外野席チケットがダフ屋によって15,000円で取り引きされたことにみるように、
そのチケットが非常に入手困難なものとなったことからも窺い知ることができよう。

試合は巨人の先発投手は槙原寛己、中日が今中慎二であった。巨人は、当時、槙原とならんで巨人の「先発三本柱」と称された桑田真澄、斎藤雅樹を継投させる総力戦でのぞんだ。
試合は「巨人キラー」と呼ばれた今中を巨人打線が打ち込み、6-3で巨人が勝利した。
これにより、巨人はこの年のセントラル・リーグ優勝を果たした。