名古屋周辺の建設的話題をまったり語るスレ86

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53名古屋事情9
 当時、名古屋の繁華街は、名古屋駅から栄町に向かう広小路通りだったが、もう一つ、
中村区に大門という赤線地帯があり、広小路が昼間の、表の繁華街なら、大門は夜の、
裏の繁華街だった。
 赤線という名称は、すでになかったが、人々はまだ、そう呼んでいた。当時、遊郭は
トルコ風呂と名前を変えていた。今ではソープランドになっている。確か、トルコから
留学していた男性が、「トルコという名をやめよ」 と抗議したからとか記憶している。
 大門には、夜な夜な、欲望を求めて全国から男達が集まってくる。1960年頃は絶
頂期で、大変な数の人たちが大門を拠り所にして食べていた。
 戦争未亡人は全国に数百万人もいた。みんな食べて行くのが大変だった。苛酷な生活
の前に戦前の封建倫理観は崩壊し、体を売る仕事にでもありつけるだけでも幸福な時代
だった。
 容姿に自信のある若い女性だけが大門で働くことができた。トルコ風呂女子従業員と
いうのは凄いエリートだった。収入も相当なもので、男、数十人分を稼ぐ女性も珍しく
なかった。だから当時の未亡人女性達の憧れだったのだ。
 誰でもが大門遊郭で仕事できるわけではない。容姿に自信がなかったり、歳をとりす
ぎていたりした女性も多かったから、そんな人たちの仕事も現れた。