名古屋周辺の建設的話題をまったり語るスレ86

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52名古屋事情8
 老人、子供達は、広い道路をレースのように走る車によって、横断歩道で
次々とはねられ命を失っていった。
やがて橘川道路を渡る者は少なくなった。それは恐怖に満ちた三途の川のよ
うに思えるようになった。
 そうして、老人・子供達、障害者の生活空間は狭められ、その文化は衰退
し、その力を社会に役立てる機会が失われていったのである。
 私は子供心に、名古屋の広い道路は世界に誇れる自慢の種と教えられ、そ
う思っていた。私たちの時代、まだ立身出世主義が幅を利かせ、弱い者、小
さいものを蔑み、強いもの、大きいものに憧れる価値観に洗脳されていた。
 当局者も父も教師も、みんな大きな勘違いをしていた。みんながコンプレ
ックスに苛まれ、強いもの、大きなものに憧れた時代だった。
 人々を幸福にすることが課題なのか?それとも、人々に自慢することが課
題なのか?取り違えていた時代だった。
 生活者が安心して歩ける安全な優しい道路と、猛スピードでぶっ飛ばせる
広い道路、他に自慢できる道路の、どちらがよいのか誰も判断できなかった
のだ。
 今でも、見栄っ張りの若者達は大きなものに憧れる。大きいことが優越感
をもたらしてくれる。だが、日本の道路事情からかけ離れた巨大な車に乗っ
て、駐車場にも入れず、狭い道にも入れず、他の車の迷惑になって肩身の狭
い思いをし、自分の愚かさを思い知らされるまで、見栄の代償を理解できな
い者が多いのは不幸なことだ。