名古屋周辺の建設的話題をまったり語るスレ86

このエントリーをはてなブックマークに追加
50名古屋事情7
 生活者にとって、それがどのような意味を持っていたのか?広い道路、
これでトクをした人が本当にいるのだろうか?
 はっきりしていることは、日本一広い道路によって名古屋市街はモー
ターレース場と化し、日本一交通死亡事故の多い街となった。そして、
人々の豊かな暮らしが分断された。道路は広くなったが、生活空間は日
本一狭くなったのだ。
 老人・幼児・障害者にとって、市街地を網羅する50m道路とは何だ
ろうか?多くの車が時速70〜90キロものスピードで走り抜ける。そ
れは轟々と流れる大河にも等しい。信号、横断歩道という橋を渡るのは
恐怖、命がけを強いられた。生活も文化も、すべて分断し、隣町を異国
のように遠ざけた大河であった。老人・子供達は親しい友のところへも
行けず、孤立を強いられた。横断歩道が設けられていても、一つの交差
点での信号時間は限られている。概ね1分程度しかない。大人の普通の
歩行速度なら十分渡れる時間であっても、弱者は、その数倍もかかるこ
とがある。
 当局者には、そうした弱者への配慮がほとんど見られない。「危ない
なら渡るな」という姿勢なのだ。後に「横断陸橋」なるものが施設され
るようになった。それは5mの高さにまで階段を上がらねば通れない。
老人達にとって、それがどれほど苦痛なのか想像力を働かせることので
きる者はいなかった。それを計画した者達は、自宅と執務室を運転手付
公用車で往復するだけだ。自分が、それを利用することなどないから分
かるはずがない。為政者にとって大切なことは、自分に関係する者達に
仕事と利益を与えることであって、市民の生活を改善することなど、は
なから眼中にないのである。それは、公金支出の名目に利用されるにす
ぎない。