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名古屋事情6:
どうして名古屋が白い街と呼ばれ、コンクリート・アスファルトが多いのか?
その、もっとも大きな理由は、日本一広い道路である。
戦後、小林橘川という市長の号令で、戦災で見渡す限り焼け野原となった都
心部に、世界にも例のない巨大な道路群が建設された。橘川道路と呼ばれたの
は、名古屋城南側、官庁街に沿った道路で、幅が50m、当初、片側6車線あ
った。これを基準として、伏見通り、桜通なども拡張され、やがて世界有数の
道路優先都市ができた。名古屋の道路面積割合は札幌と並んで全国トップクラ
スだ。
後に、その都市計画は世界的に賞賛されたが、それは道路を利用して利益を
得る者たちだけのハナシであって、実際に、その広大な道路周辺で生活する者
にとっては極めて苛酷な環境をもたらしたことを忘れてはいけない。
市当局に、老人や子供、障害者など弱者の利益を守るという発想は皆無だっ
た。設計上の歩行速度などの基準は、健全な大人のものだけであり、弱者に対
する思いやりは、どこにも見られない。「世界一の道路都市」は権力を謳歌す
る者たちにとっては誇りとなった。見栄心をくすぐるものだった。
だが、便利な道路は産業・商業の要請であり、為政者としての自尊心を追求
したものにすぎない。