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名古屋事情5:
こうした集落は、この付近の・森という地名に関係があり、尾張藩時代から
藩内の死牛馬の解体、罪人処刑などに関係していたので・・・の森となったと
考えられる。
なお、こうした資料を探したが、同和政策のなかで一種の焚書が行われ、記
録が廃棄されているのを確認した。廃棄した当局こそ、未解放部落差別の最悪
の張本人であり、自分たちの悪事を隠蔽するために行ったのである。
ただ、市内最大の未解放部落であった千種区・・地区、東海地方最大の部落
であった・・寺などに関しては、まだ生々しい記憶を持つ人が多い。
・・地区に関しては、名古屋市当局が未解放部落の痕跡を消滅させるため、
全部を買収し、跡地を大規模な市営団地に変えてしまった。・・の地名まで消
滅させられた。現在の市営・栄・付近がそれになるが、残された・・・社だけ
が微かな痕跡である。(主神は牛頭で未解放部落に関係がある)
しかし、・・寺町に関しては、まだ江戸時代からの部落産業として毛皮・肥
料などが、相当な規模で続いている。