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名古屋事情2:
人が住み着き、集落を作り、それを結ぶ交易の道ができあがる。それらには共通する
法則性が見いだされる。広い平野なら、単純に集落を最短距離で結ぶ道ができあがるは
ずだが、決してそうではない。古い道は、どこも直線ではない。集落近くでは曲がりく
ねっているのが普通だ。
なぜか?
あるとき、それは古代から繰り返された争いによるものだと気づいた。襲撃から集落
を守るため、最初、環濠という水路、堀割が作られ、その端に道ができた。集落内部で
は、矢や鉄砲から身を守るため、数十メートルごとに角地が設けられた。決して見渡し
の良い直線道路は造られない。これは過疎地や北海道などの開拓地を除く、古い歴史的
集落に共通している。
だから江戸の街並みなど典型的な迷路構造に作られ、東京に至って都市計画に苦労さ
せられている。
ところが、名古屋は京都のように基本的に碁盤の街割ができている。江戸時代から直
線道路なのだ。
なぜか?
これは、家康の実子、義直が藩主となり、清正などの協力によって名古屋の街並みが
成立したとき、すでに天下の形勢は徳川の安泰が保証されていた。戦争への備えよりも、
商業の利便性を考え、さらに、天下都市、京都にも匹敵する栄華を求めて、都市計画が
行われた。