彦根市民が近畿に入りたがってるけどむりぽ

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13名無しの歩き方@お腹いっぱい。
柳田國男っていう、民俗学の創始者の言葉だけど、「この国(近江)は一国にあって一国にあらず」
っていう言葉のとおり、昔から文化の違いでいざこざが絶えない。
大正時代(だっけか?)に大津から彦根に県庁所在地を移転しようという動きがあって、一度可決されたくらい。
まぁ、その時は大津系の暴力団と、彦根系の暴力団が県議会の前で一触即発状態だったらしいけど、結局この件は取りやめに。

で、今でも、県の税金は潤沢な湖南地方から多く取られ、そこで多く使われるわけだが(びわこ栗東駅や第二名神などの無駄遣いがいい例。)
その金を少しでも分けるべきだと主張する彦根は、大津と対立しっぱなし。

ちなみに、昔は大津に継ぐ第二の都市だったのが強みだったが、今は第四(10万)まで落ちぶれてるのでその地位は低下する一方。
(余談:第二は合併ででかくなった東近江市(10万7千)、第三は学生都市の草津市(10万5千))