◆札仙広福◆駅前発展度調査12

このエントリーをはてなブックマークに追加
453名無しの歩き方@お腹いっぱい。
こんなこと書かれてる。
http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/My%20Essay%20on%20Seiyu%20Motomachi%20Accident.htm

【モラルが低いことの原因:(2)場所性のなさ】
 モラルの低さは、札幌という人工的な都市計画の産物でもあるだろう。
東区にある西友元町店は、地下鉄元町駅から歩いて約10分。駅前の交差点は、銀行やコンビニや消費者金融の店舗がそれぞれ数種類もひしめいており、大
変便利なのだが魅力がない。駅から元町店までの道のりにも、個人経営の理髪店以外は、大手資本の店(ガスト、バーミヤン、ケンタッキー、ツルハドラッ
グ、海天丸など)が立ち並ぶだけで、街の個性がなく多様性もない。どこにでもありそうな、場所性のない街である。
 また創業24年になる西友元町店は、この街の開発とともに歩んできた郊外型の大店舗であり、2-3万人の住民を顧客としている。営業の当初から、西友は
この街のコミュニティとともに成長してきたはずであり、他の地域では「商店街」が果たしていた機能(例えば住民のニーズに応える「感謝祭」や「ふれあ
い」の場の創出など)を引き受けることで、街づくりの一端を担ってきたはずである。
 これがもし、さらに郊外にあるメガ・ストアになると、コミュニティの外部に位置することから、街づくりの機能を担うことはない。コミュニティの存在
を前提としなければ、「現金の返金」という方法は通用しない。なぜなら、偽りの返金要求を防ぐことができるのは、そこに虚偽報告を抑制するだけの「人
と人との人間的なつながり」がコミュニティ内部で確立している場合のみだからである。しかし西友元町店は、当初からコミュニティ機能の一部を引き受
け、たとえ幻想としてであれ、「街に奉仕する」という姿勢が経営戦略上重要となっていた。しかし今回の事件は、西友元町店がそうしたコミュニティの機
能を引き受けられなかったこと、そもそもコミュニティの感覚が幻想であったことを示した、と言えるのではないか。

454453の続き:2005/11/06(日) 19:10:37 ID:krPrDJfG0
続き
エドワード・レルフは『場所の現象学』(1999)において、個性がなく規格化された景観をもつ街を「没場所性」という言葉で表現した。都市のどの場所に
いっても同じようなものが広がるようなところでは、それぞれの場所にかけがえのない意味を見出して「住まう」という感覚が育たない。結果として人間
は、生活全体に文化的・道徳的な意味を見出すことに無関心となり、道徳感覚が低下して、ライフ・スタイルの模索すらしなくなる。東区元町に代表される
近代的な都市の空間は、なるほど効率的で快適な空間ではあるが、しかしそのことがかえって、新たな発展を拒んでいるところがある。効率性を重視する社
会は、文化的発展のために必要な都市のダイナミズムを生み出せず、結果として、画一的な状態のまま停滞するということになる。