卍 京皇子「差別」に関する弁明 卍
>>506へのレスポンス
私は部落民・在日朝鮮人を差別する意図は全くない。むしろ彼らへの不当な差別に反対する。
ただ差別されてきた人間の中には、差別撤廃後にも、差別環境に「郷愁」を感じる病的な者も
いる。もちろんすべての被差別者がそうではないが、少数ながら確実に実在する − 差別さ
れることにアイデンティを見出した者。
彼らの屈折した自己実現の経過:
1) 人権尊重社会で差別撤廃されたが、疎外感を抱く。
2) 差別されていた時代を懐かしく思い出し、再び差別されることを望む。
3) 差別してきた人間を逆差別する。
4) そのリアクション(再差別)を受け、精神的に充足する。
この典型が京皇子。トイレで用を足した後、尻を拭かないことを誇りと感じているのだ。
事実、トイレで尻を拭く人間を見下す発言を何度もしている。
排泄→紙使用→排水は、我々の都市文明が築き上げてきた基本パターン。ウォッシュレッ
ト設置も、この基本原則を変えない。
京皇子は私的空間(トイレ)で、日夜欠かさずスカトロジー儀式に興じている。
京皇子のスカトロ儀式は、我々の文明への挑戦行為だ!
a. 京皇子は排便後も、おのれの排泄物に対して離れがたく感じ、「紙で拭く」という行動
様式(文明の衛生学的成果)を拒絶する。
b. 糞尿の「芳香」に包まれて、自分を差別してきた人間への報復感情が高揚する。
c. 尻についた汚物の不潔感・残余感から、尻を拭くすべての人間に対して「自分はコイツ
らとは違う」という特殊なエリート意識を形成する。
同時に、尻に固着した汚物はステータス・シンボルに変容する。
d. 尻を拭くすべての人間(文明の体現者)への逆差別を開始する。