都市再生の思想と社会資本政策 越澤明 経済再生は東京の未完成道路が左右する
政府が押し進めた東京の都市再生は明治時代から今回までが4回目となる。
過去の3回を振り返ると、
1回目が明治政府による霞ヶ関官庁街や日比谷公園など都心部の形成。
2回目が1923年9月の関東大震災後の後藤新平によって推進され1930年3月に完成した
震災復興(正確には帝都復興事業という)。
そして3回目が敗戦後、1945年12月の閣議決定(戦災地復興計画基本方針)
で開始された戦災復興である。
都市の道路の整備度合いが都市の活力、ひいては国力を左右する。
日本では全国110以上の都市が戦災の復興都市計画により、
安土江戸初期に形成された城下町のインフラを抜本的に改造し高度成長を支える社会資本を生み出した。
広幅員の並木道、河川沿い緑地、都心の公園を新設するなど大きな成果をあげた。
仙台、名古屋、大阪、神戸、岡山、広島、福岡、鹿児島などがその代表例である。
一方東京は関東大震災の復興計画で都心、下町を抜本改造し昭和通り、大正通り(靖国通り)、明治通り
というそのごの東京の都市発展をもたらす重要な道路インフラを新設した。
しかし、東京の復興計画はGHQと世論の無理解、安井知事の不熱心のため
当初計画幅員100メートルの環状2号線、放射5号線(甲州街道)、放射6号線(靖国通りのバイパス)
は全く実現せず、東京の区画整理はJR駅前広場を除けば実現されず、環状2号(外堀通り、蔵前橋通りの拡幅)
環状3号線(外苑東通り)環状4号線(外苑西通り、不忍通り)などの都市計画道路の多くは着工されず、
東京オリンピック関連道路を除けば、50年以上事業化されず建築制限を課したまま長年放置されて来た。
牛歩のような遅々たる道路整備は環状5号線(明治通り)や春日通りでその実例を見る事が出来る。
東京の放射環状の道路網は今なお、未完成区間が多く、東京の発展を阻害し、東京の国際競争力を著しく低下させている。
昭和2年、昭和21年に決定された東京の都市計画道路は正しく必要な場所に計画されており、
その完成を長年放置して来た事は都市政策の無策であった。
東京の既成市街地に対する都市政策の無為無策の結果、広範囲な密集市街地の存続、
山の手(港区、渋谷区、目黒区、新宿区など)における街区の未形成、
環状都市計画道路の未整備と言う「負の遺産」が出現してしまい、21世紀の今日いまだ解消されていない。
このような東京の既成市街地の欠陥こそが指定されている容積率が充足されていない根本的な原因であり、
良好な民間都市開発を阻害しており、市街地の自力更新がなかなか進まない原因となっている。
道路整備の財源である道路特定財源はガソリン税などの利用者が負担する税である為、
納税者が多い地域に配分しても何ら問題が無いはずである。
東京オリンピック時にも東京への道路特定財源を多少手厚くする措置を数年間講じた結果
環状7号線、国道246号線(青山通り、玉川通り)六本木通りがわずか数年で完成した。
都市再生を加速する為にも、東京の未着手都市計画道路を着工する事は沿道のみならず
幅広い再開発を促進する為、道路用地の買収を早期に着手し整備を加速する事をぜひ期待したい。