1 :
名無しの歩き方@お腹いっぱい。:
2 :
名無しの歩き方@お腹いっぱい。:2005/04/13(水) 14:33:42 ID:N660H6ic
これからは歩け(ワラ
3 :
名無しの歩き方@お腹いっぱい。:2005/04/13(水) 14:43:31 ID:+OnXwZoq
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ishikawa/kikaku/065/2.htm 野菜の行商40年 ちょっこり売って心安らぐ
早春らしい柔らかな日差しが白丸駅(能登町白丸)を包んでいた。だが、対照的に宮下はつゑさん(84)(同)の表情はさえなかった。
「もう最後になるかも知らんねぇ」。そうつぶやくと、踏ん張るようにして大きなカゴを背負って、午前6時48分発の上り始発列車に乗り込んだ。
農家に嫁いだ宮下さんが野菜の行商を始めたのは1964年、能登線が開通して間もなくだった。5人の子どもが手を離れ、
少しでも家計の支えになればと能登線で1日おきに行商へ出るようになった。
午前5時30分には自宅を出て、野菜を入れたカゴを手押し車に乗せて白丸駅に向かう。行き先は5つ先の宇出津駅(能登町)。
沿線では比較的大きな町で、得意先の飲食店や民家を売り歩く。
七尾線の和倉温泉駅まで足を延ばしたことも以前はあった。メロンやトマトが飛ぶように売れ、売り上げが1日1万円を超えることも少なくなかった。
だが、スーパーの進出やマイカーの普及で買い手はめっきり減った。
4 :
名無しの歩き方@お腹いっぱい。:2005/04/13(水) 14:44:49 ID:+OnXwZoq
カゴは野菜を詰めると約10キロ。年を重ねるごとに急こう配の坂はつらくなった。
冬は寒さと雪。でも、それに勝る楽しみがあった。多い時で20人近い行商仲間が車内で居合わせた。
「きのうはどんだけ売れたの?」「きょうは何を売りに行くん?」。たわいもない会話で心がやすらいだ。
20年前に夫が他界してからは、野菜を作る面積を減らし、宇出津に出るのも2週間に1回になった。
でも行商を続けることが生きる力になってきた。「ちょっこり作って売るだけ。心が落ち着くって言うか。
もうけとかは関係ないの」
宮下さんは廃線を機に行商をやめることにした。4月から宮下さんの自宅近くにも鉄道の代替バスが走るため、歩く手間は省けるが、車内が狭いバスに野菜の入ったカゴを持ち運びするのが煩わしいというのが理由だ。
ここ数年で5人ほどに減った行商仲間も、やはり能登線廃止を機に見切りをつけるという。
5 :
金沢応援団:2005/04/14(木) 04:38:53 ID:BS6wp0zk
キムスレウザイ
6 :
名無しの歩き方@お腹いっぱい。:2005/04/14(木) 15:22:13 ID:SNNnVCOb
>>1 乙がいねぇや!w 乙がいねぇや!w 乙がいねぇや!w
いつもお世話になっておりますがいねぇや♪
1様、激しく乙ですがいねぇや!w
もっともっとお願いしますがいねぇや♪
7 :
名無しの歩き方@お腹いっぱい。:
北朝鮮労働党の大幹部の出身地金沢って凄すぎwww
よっぽど金正日に気にいられたんだね〜ウンウン♪
やっぱり金沢は北朝鮮!!w