無くても困らない政令市一覧表

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153名無しの歩き方@お腹いっぱい。
横浜のショボイ建物が燃えたことがどうしたっていうのよ?
関東大震災以前から、横浜よりも、神戸や大阪や東京の方が今よりはるかに素晴らしい建物が存在していたはずだよ。
当時の港湾は、神戸>>>大阪≧東京>小樽>>>>>∞>>>>横浜だったんだからさ(大笑

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http://ime.nu/www.heri.or.jp/HYOKEI/hyokei69/69tokusyu1.htm
第一次世界大戦中の好況期に、内田信也、勝田銀次郎、山下亀三郎らの大船成金を神戸船主として輩出し、その地位をますます強固にした神戸海運市場の影響の下で、不定期船の有力オペレーターは、ほとんどすべて本社を神戸に構えていた。
大正14年のデータでは、神戸に本社をおく企業は約80社、大阪には45社、東京には35社、小樽・函館には33社というように、
全国の四カ所に散在していたが、この時期以降に限ってみても、神戸には、14の海運企業が設立されており、海運業務がいかに神戸を中心に営まれていたかが分かるであろう。

 その中で、昭和15年の秋頃までは、神戸海運市場は、東洋一の海運市場として隆盛を極めた。東洋の海運市場の中心は最初は香港であったのが、
その後上海に移り、第1次大戦の勃発を契機に神戸に移ったものである。
海運市場としての神戸はロンドン・ニューヨーク・ハンブルクと相並ぶ世界四大市場の一つとして第2次大戦の末期頃まで広く認められた存在であった。

注)第一次世界大戦=1914-1919年、関東大震災=1923年