「横浜人の自作自演を”神戸人の捏造”に見せかけようとしたが失敗」だね>横浜人(w
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>>754の【判定】
「神戸が世界三大美港」。これが、思い込みまたは創作または妄想なら、もっと早い時期に書かれているはずです。
とってつけたような文句が今頃でてくのはあまりにも不自然ですね。
横浜人による自作自演と推定されます。
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>>707 同意します。
「神戸が世界三大美港」が反横浜側(神戸市民?)の発言なら、何故今までの3年間それを話題にしなかったのでしょう?
それに、世界三大美港は、一回の検索で答えがでます。
おっしゃるとおり、横浜マンセー側による自作自演でしょうね。
>>712の前例もございますし。
795 :
名無しの歩き方@お腹いっぱい。:03/01/23 19:23
>>734 横浜賛美側には残念な結果だが、神戸は大正期〜昭和15年までの世界の4大海運市場という事実があった。
http://www.heri.or.jp/HYOKEI/hyokei69/69tokusyu1.htm 第一次世界大戦中の好況期に、内田信也、勝田銀次郎、山下亀三郎らの大船成金を神戸船主として輩出し、その地位をますます強固にした神戸海運市場の影響の下で、不定期船の有力オペレーターは、ほとんどすべて本社を神戸に構えていた。
大正14年のデータでは、神戸に本社をおく企業は約80社、大阪には45社、東京には35社、小樽・函館には33社というように、
全国の四カ所に散在していたが、この時期以降に限ってみても、神戸には、14の海運企業が設立されており、海運業務がいかに神戸を中心に営まれていたかが分かるであろう。
その中で、昭和15年の秋頃までは、神戸海運市場は、東洋一の海運市場として隆盛を極めた。東洋の海運市場の中心は最初は香港であったのが、
その後上海に移り、第1次大戦の勃発を契機に神戸に移ったものである。
海運市場としての神戸はロンドン・ニューヨーク・ハンブルクと相並ぶ世界四大市場の一つとして第2次大戦の末期頃まで広く認められた存在であった。
796 :
名無しの歩き方@お腹いっぱい。:03/01/23 19:24
>>795-796 うわー!、横浜人が悔しがるような事実炸裂w
>不定期船の有力オペレーターは、ほとんどすべて本社を神戸に構えていた。
>大正14年のデータでは、神戸に本社をおく企業は約80社、大阪には45社、東京には35社、小樽・函館には33社というように、全国の四カ所に散在していたが、
横浜は存在すらしていないのね(大爆笑