■画像でみる『横浜』の悲哀2■ 

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858名無しの歩き方@お腹いっぱい。
>>855-856
神戸と横浜の最大の違いは、「神戸は大阪の高級住宅地であるが、横浜は東京の高級住宅地ではない。」という事だ。
かつて大前研一がマッキンゼー社の大阪支店長になった時、大阪市内に億ションがないことに気付いた。
大阪の経済人のほとんどは芦屋や西宮など兵庫県に住んでいる。大阪は商売をする所で、金持ちが住むところではなくなっているのだ。

これは、昭和初期に、小林一三(阪急電鉄社長)が芦屋などの阪神間を大阪の富裕層の住宅地として開発したためである。
当時の大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれ、大発展していたが、公害などで住むには快適とは言い難くなってきていた。そのため、船場などの金持ちは大阪を離れ、阪神間に移り住むようになった。
芦屋の金持ちは商売は大阪でするが、家族は神戸でお買い物をするというスタイルが出来ていった。(「細雪」の世界だ)
そのため、神戸には大阪の「上澄み」が集まっていったのである。

ところが東京では、金持ちは東京で商売して、暮らすのもまた東京であった。金持ちは本郷や麹町や青山や松濤や田園調布に住んだ。
東京は大阪よりもずっと広く、土地にも余裕があった為、あえて東京を離れる必要がなかったのである。

横浜はというと、東京の外港都市として発展を始めていたが、それ以上の存在にはなれなかった。
あえていえば横浜は東京の「出し殻」が零れ落ちた町として発展したのである。
859名無しの歩き方@お腹いっぱい。:03/01/23 23:00
↑自分のレスにハイパーリンクですか?
860名無しの歩き方@お腹いっぱい。:03/01/23 23:20
神戸になれなかった横浜
http://www.umds.ac.jp/jim/memory/html/sonota/7-12.htm
◎最近のダイエーの果敢な挑戦ぶりが、目立っている。新幹線の新神戸駅の目の前に
出現した都市ホテル、劇場、商用施設を持つ複合施設「新神戸オリエンタルシティ」の
スケールの大きさは、好奇心の強い神戸っ子のド肝を抜いただけではない。大げさに
いえば、今、大阪中の若者まで、神戸に引きつけてしまった。ダイエーの本拠地は、
すでに東京の青山や麻布あたりと並んで、日本のファッションの二大発信地になり
つつある。同じ国際的な港町でありながら、横浜からなかなかファッションが生まれ
ないのは、横浜が、単なる東京のベッドタウンにすぎないからである。たとえば、
横浜にはせいぜいフェリスぐらいしかしゃれた女子大がない。秀抜な流行の観察者
である作家田中康夫がいうように、たくさんの個性的な女子大がないところに、
新しい流行の起こったためしはないのである。ともあれ、今、日本中から著者や女性が
神戸を目指して集まってくる。そして神戸に住みたがる。