■画像でみる『横浜』の悲哀2■ 

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855名無しの歩き方@お腹いっぱい。
横浜賛美側には残念な結果だが、神戸は大正期〜昭和15年までの世界の4大海運市場という事実があった。

http://www.heri.or.jp/HYOKEI/hyokei69/69tokusyu1.htm
第一次世界大戦中の好況期に、内田信也、勝田銀次郎、山下亀三郎らの大船成金を神戸船主として輩出し、その地位をますます強固にした神戸海運市場の影響の下で、不定期船の有力オペレーターは、ほとんどすべて本社を神戸に構えていた。
大正14年のデータでは、神戸に本社をおく企業は約80社、大阪には45社、東京には35社、小樽・函館には33社というように、
全国の四カ所に散在していたが、この時期以降に限ってみても、神戸には、14の海運企業が設立されており、海運業務がいかに神戸を中心に営まれていたかが分かるであろう。

 その中で、昭和15年の秋頃までは、神戸海運市場は、東洋一の海運市場として隆盛を極めた。東洋の海運市場の中心は最初は香港であったのが、
その後上海に移り、第1次大戦の勃発を契機に神戸に移ったものである。
海運市場としての神戸はロンドン・ニューヨーク・ハンブルクと相並ぶ世界四大市場の一つとして第2次大戦の末期頃まで広く認められた存在であった。
856名無しの歩き方@お腹いっぱい。:03/01/23 22:27
>>855
>不定期船の有力オペレーターは、ほとんどすべて本社を神戸に構えていた。
>大正14年のデータでは、神戸に本社をおく企業は約80社、大阪には45社、東京には35社、小樽・函館には33社というように、全国の四カ所に散在していたが、

神戸と横浜の違いがモロにでている。
二次大戦以前の神戸は世界に知られる海運市場を有する拠点都市だった。
むろん、中世まで遡れば神戸は首都の歴史があり、戦後も高度成長期は”世界三大貿易港”の一つだったわけだが。

それに対して、横浜は開港〜現在まで、常に東京の衛星都市である。東京の企業が横浜港も利用している、というだけのことなのだ。

高度成長期の末期から、横浜港原油の輸入港として貿易額が日本一になっているということくらいで、世界的の10指にも入らない。
世界の覇権を争っていた神戸港とは比較にならない。 まして、現在の貿易額日本一の座は、名古屋港である。

そして、ふと思う───
我々は「横浜が常に日本最大の港で、世界に知られている」と思い込まされていたのではないだろうか、、、
我々は洗脳されているのではないだろうか、と。