横浜賛美側には残念な結果だが、神戸は大正期〜昭和15年までの世界の4大海運市場という事実があった。
http://www.heri.or.jp/HYOKEI/hyokei69/69tokusyu1.htm 第一次世界大戦中の好況期に、内田信也、勝田銀次郎、山下亀三郎らの大船成金を神戸船主として輩出し、その地位をますます強固にした神戸海運市場の影響の下で、不定期船の有力オペレーターは、ほとんどすべて本社を神戸に構えていた。
大正14年のデータでは、神戸に本社をおく企業は約80社、大阪には45社、東京には35社、小樽・函館には33社というように、
全国の四カ所に散在していたが、この時期以降に限ってみても、神戸には、14の海運企業が設立されており、海運業務がいかに神戸を中心に営まれていたかが分かるであろう。
その中で、昭和15年の秋頃までは、神戸海運市場は、東洋一の海運市場として隆盛を極めた。東洋の海運市場の中心は最初は香港であったのが、
その後上海に移り、第1次大戦の勃発を契機に神戸に移ったものである。
海運市場としての神戸はロンドン・ニューヨーク・ハンブルクと相並ぶ世界四大市場の一つとして第2次大戦の末期頃まで広く認められた存在であった。