郷土史に見る都道府県の繋がり

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1札幌そふと ◆e0w.ZONE
日本史の教科書に表れない郷土の歴史を語ってみるのもよいのでは。
で、お国自慢板なんだから他都道府県との繋がりにも触れてみましょう。
2札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/06/12 22:56
3湘南厨房 ◆ZzUOmzG6 :02/06/12 22:58
むむ、郷土史だと他都市では入りこめないんでは?とマジで考えてみたよ。
4湘南厨房 ◆ZzUOmzG6 :02/06/12 22:59
白石市は白石区の親分だと言ってみるテスト
5札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/06/12 23:01
>>3
単に郷土史だとまちBBSのほうがいいだろうね。
で、できるだけ他との交流を軸にしたかったんだけど、どうかな。。
6札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/06/12 23:10
>>4
んだんだ。片倉小十郎邦憲の一団ね。
岩手や福島も戊辰戦争の敗退がきっかけだしね。
>>2の新潟の話では、札幌のデパート丸井今井の創設者の生涯があったりする。
7みいな ◆Nfok0.1g :02/06/12 23:11
北海道のどこか(確か釧路方面だったと思う)に鳥取方言を話す集落があったそうな。
当然、鳥取から北海道に開拓に向かった人々の集落。
ただ、鳥取弁は3世代後の世代までは受け継がれず、今は消滅した。
北海道の各地を調べるとこういう事例はもっとあるのでは?
北海道に何故か多い北陸銀行(本店:富山市)の支店。
9札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/06/12 23:20
>>7
釧路市って昔は鳥取村って言ってたと思う。
多分、士族授産による開拓でしょう。

>>8
確かに多い多い。
10山野野衾:02/06/13 11:51
>7
北広島市もその内の一つでしょうか。北海道の民俗芸能の中で一番多い「獅子神楽」
を伝えて来たのは主に富山県出身の浄土真宗の門徒の子孫だそうですが、他の神楽
は北海道に昔からあったものと広島・奈良・宮城などから伝来したものだそうです。
私の曾祖父母は秋田・宮城・石川・島根から安来節などと共に移住したのに定着し
なかった・・・・・。(母が北海道出身です。)
11名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/13 12:46
「北海道に残る内地の地名」スレのヨカーン
12ΩΩ柔毛ΩΩ:02/06/13 20:35
>>8
北前船の伝統を受けて北陸人にとって北海道は心理的に近かった。
北海道は明治前期には内国植民地的役割を果たしていて、北海道貿易の主要ルートは日本海。
開拓期〜昭和前期に新潟も含めた北陸4県からの北海道への移住者は全国の約3割。
東北地方のほうが地理的には近いが、土地とのつながりが強固で北陸ほどは移動がなかったらしい。
13名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/13 20:46
釧路には今でも鳥取って地名があるよ。
14名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/13 21:09
十津川と新十津川は有名だな。
伊達市は戊辰戦争で敗れた仙台藩の武士が入植したんだろ。
15札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/06/13 23:41
>>10
社内に北広島の人がいるんですがやはり広島弁は全くないです。
八雲町(尾張)や仁木町(長州)もそうですが、もとの土地の方言は消えてしまうみたいですね。
ただし、道南はその後も東北と身近に繋がっていたので東北弁の影響は強いみたいですね。
前に北海道スレで「こんぼほる」という方言がでたのですが、あとで青森だということがわかりました。

あと、神楽についてはまだ勉強不足です。

>>11
出だしが北海道だったからかな。。

>>12
北海道にも故郷の県人会があるらしいけど、なんでも北陸方面は盛況らしい。
故郷を忘れない北陸の人達が北陸銀行を呼び寄せたのかもしれない。

>>13
調べてみたら三県時代に鳥取から一〇六戸入地したみたいです。

>>14
伊達市については市のHPに長々とあるよ。
http://www.city.date.hokkaido.jp/rekisi/index32.html
http://www.city.date.hokkaido.jp/rekisi/index7.html
16山野野衾:02/06/14 18:18
>15
北広島の話ですが、何しろ四半世紀前に広島のラジオ局の取材を受けた一世のお婆
さんが当時90歳以上でしたからね、方言が残らないのも無理は無い。二、三歳歳
が違うだけでも広島で育っていない人はほとんど訛りが無かったそうです。
それとはんかくさいなどの方言も東北と共通しているそうです。意味は半可通臭い
から来た模様。
17名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/14 18:39
北海道の日高地方は和歌山県の日高の人達か開拓したらしい。
遠いところまでご苦労さん。
18名無しの歩き方@お腹いっぱい:02/06/14 19:33
北海道以外で有名なのは山梨から青森に移住した南部武士団かな?
19札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/06/15 00:08
>>16
「はんかくさい」は年配の人が主につかってますね。
やはり移民の総数で方言の方向も決まっていくんじゃないですかね。
そういう意味では少数派の広島方言が消えていくのもわかります。

>>17
探せばまだありますね。
http://www.onitoge.org/nyumon/gyosei3.htm

>>18
ほお。詳細きぼーん
20湘南厨房 ◆ZzUOmzG6 :02/06/15 00:30
大磯町高麗は百済人入植地だったらしいが?
21名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/15 00:32
一宮市大和町
22名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/15 00:39
佐渡と伊豆諸島
江戸時代の「三川分離工事」に関連して
岐阜県と鹿児島県。
24名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/15 00:41
紀伊半島と房総半島には白浜と勝浦という地名が
両半島のほぼ同じ位置に存在していて風景もよく似ている。
25名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/15 00:42
>>23
岐阜ではなく尾張(愛知県)
26名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/15 00:45
岐阜側の堤防のが低い
愛知ではなく岐阜(大垣)
28名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/15 00:57
>24
千葉の白浜、勝浦は和歌山の漁師が移り住んだのであの名前が
付いたとのこと。
29みいな ◆Nfok0.1g :02/06/16 00:33
ありがちだけど、信州深志と小笠原諸島。
小笠原貞時とか言う人が発見し、この名前がついた。
30湘南厨房 ◆ZzUOmzG6 :02/06/16 00:36

源頼朝が真鶴からたどり着いたのは千葉のどこでしたっけ?
31柿 ◆M95/JzVo :02/06/16 00:42
木曽三川分離工事は岐阜県(美濃)と鹿児島県との繋がりです。
当時、尾張側の堤防は御三家の領地ということもあって御囲堤という
美濃側より一段高い堤防になっており、洪水の影響はほとんどありませんでした。

ということで、洪水に悩む美濃の人達を、幕府の命令とは言いながらも
助けてくれたのが薩摩藩の行った治水工事でした。
今でもそれが縁で、岐阜県と鹿児島県は姉妹県になっています。
県職員とか、学校の先生が双方に赴任しての交流などがあります。
32山野野衾:02/06/16 00:43
>30
安房です。阿波の人々が移住してこの名がついた。
33名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/16 00:47
大昔の話
摂津の国西成群佃村(西淀川区佃)→移民→佃(東京)
34湘南厨房 ◆ZzUOmzG6 :02/06/16 01:01
>>32
サンクス!
安房の国=阿波の国?
35名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/16 01:28
宇和島藩は仙台の伊達家の分家で仙台から大量の移民が行ったが、
宇和島では東北訛りあるの?
36山野野衾:02/06/16 16:21
>35
訛りはありませんが、東日本のしし踊りという民俗芸能があります。元々獅子舞の
シシはイノシシやカノシシ(鹿)の事と大陸から伝来した獅子の事で、この場合は
前者のもの。専ら一人舞いが前者に、二人舞いが後者に由来するものです。
江戸前期までは角をつけたものが多かったが、次第に西から後者の獅子舞が伝わっ
ていった模様。(長レス失礼)
地域に場違いな祭がある場合、大名家の転封によるものであったりします。
37名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/16 17:28
高松も水戸の分家だからなあ。
高松にも水戸っぽい祭りがあるのだろうか?
霊亀2年(716年)、朝廷は甲斐・駿河・相模・上総・下総・常陸・下野など
七カ国の 高句麗人 (高句麗からの渡来人)、1799人を武蔵国に移し、 高麗
郡 (こまぐん)を置きました。
高麗神社 (こまじんじゃ)は、これら高句麗人の統率者 若光 (じゃくこう)を
祀る歴史ある神社です。
聖天院 (しょうでんいん)は、若光とともに渡来した僧 勝楽 (しょうらく)の
冥福を祈って創建された寺で、若光の墓があります。
http://member.nifty.ne.jp/vega-hoshino/Koma/
39札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/06/16 22:08
博多どんたくは平安時代に京都の宮中参賀が伝わったものらしい。
今じゃ、博多オリジナルなんだけどね。
40山野野衾:02/06/16 22:09
>39
どの本に書いてあった事でしょうか?地元ソースはあてになりませんよ。
41ΩΩ柔毛ΩΩ:02/06/16 22:16
熊本のハイヤ節→浜田節→出雲節→白峰ハイヤ→佐渡おけさ→庄内はえや→津軽アイヤ
って本当?
42札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/06/16 22:18
>>40
HPがソースなんだけど。。違いますかね。

「博多どんたく」は、わが国の古い民俗行事で凡そ820年余の伝統行事である。
平安時代、京都御所の正月、宮中参賀の行事が地方に伝わり、この博多では
源平時代のち冶承3年(1179)、正月15日、松囃子を取行う...とある。以来祝いあ
う行事をシャレッ気の多い博多町人が発展させたものである。
http://www.media-line.or.jp/dontaku/knowledge.html
43山野野衾:02/06/16 22:25
>42
これは怪しい。京都の祇園祭にしたところで、今の形式(山鉾含む)になっ
たのは室町後期になってからです。起源となるものは以前からありましたが。
貝原益軒も江戸中期の学者ですからね、伝承は伝承ですから、確証とはなり
えません。
大抵の祭は室町や鎌倉に起源を求めながらも、多くは江戸中期以降に始まっ
たものです。
広島県の神楽も、演劇風になったのはせいぜい近世初期になってから。
44札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/06/16 22:39
>>43
その辺に造詣の深い山野さんにそう言われると、そんな気がする。
でも、発祥が不明だったり、古かったりすると確証を持つのは難しいかもしれません。

よさこいソーランなら簡単なんですけどね。(w
45山野野衾:02/06/16 22:47
>44
古けりゃいいという訳でもありませんけどね。博多どんたくが素晴らしいの
は確かな事です。広島の神楽(鎌倉・室町に起源を求めているものがある)
も同様です。
46名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/18 00:51
>>19
源頼朝が、奥州藤原氏を滅ぼした後
従軍した,甲斐源氏の一族南部光行に
今の青森県の太平洋側を与えられたというものです。

そのときに館を置いたのが青森県の南部町です。
今でも山梨県には、南部町というところがあり
そこが発祥の地です。

福士氏・小笠原氏・三上氏・桜庭氏などは
山梨からお供してきた人たちです。
また松前氏も南部氏を頼って福井からやってきたと言われています。

戦国時代には青森・岩手北部・鹿角地方まで拡げる
一大勢力になります(のち盛岡・八戸・七戸藩)
この辺りを南部地方と呼ぶのはこうした事からです。
民謡「なにゃどやら」は甲州弁で謡われているものだといいます。

また南部氏は日蓮を身延山に迎えた日蓮信者でもあります。
47名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/18 07:39
福岡の地名はもともと岡山県のもの。パクリが得意な福岡塵らしいわw。
48湘南厨房 ◆ZzUOmzG6 :02/06/18 19:36
小田原は、鎌倉時代に秦野市の田原にあった“波多野城”の支城であった故、
“小”田原で、小田原になったらしい。
田原は地元では、源実朝が鶴岡八幡宮の大銀杏の木のところで公暁に殺された後で
使いが首を取られぬようこの地まで運び、埋葬したことでも有名です。
あくまで、地元では・・・ね。
49下野厨房:02/06/18 19:39
大田原は、鎌倉時代に矢板市の田原にあった“弥伊田城”の支城であった故、
“大”田原で、大田原になったらしい。
田原は地元では、足利尊氏が日光東照宮のとちの木のところで定家に殺された後で
使いが首を取られぬようこの地まで運び、埋葬したことでも有名です。
あくまで、地元では・・・ね。
50湘南厨房 ◆ZzUOmzG6 :02/06/18 19:46
>>49
ほんまかいな?俺はウソ書いてないぞ。w
51札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/06/19 00:15
>>46
確かに南部って戦国大名でもいましたね。彼らはその子孫なんすね。
ちなみに青森県は方言や気質の上で津軽と南部に分けられるらしいですね。
津軽のじょっぱりは津軽為信のイメージからきてるのかな。。

>>47
パクリも時がたてば、地名の由来や文化の波及を知る上の手がかりになるっす。
っていうか、この日本に完全オリジナルな都市や地域はないです。

>>48-49
田原そのものがどっちにあったかはわからないけど、秦野は「波多野」、矢板は
「弥伊田」と読みが引き継がれているのが面白いです。
52湘南厨房 ◆ZzUOmzG6 :02/06/19 00:21
>>51
>>49は明らかにコピペじゃん。
53名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/19 21:04
東京の青山は青山氏の屋敷が有ったからだが、その青山氏の姓は
群馬県の青山
http://www.mapion.co.jp/c/f?el=138/52/21.166&scl=70000&pnf=1&uc=1&grp=all&nl=36/34/48.762&size=500,500
から来ている。
54山野野衾:02/06/19 22:21
地名ではありませんが、徳川家康の徳川姓は彼が先祖(という事にした)新田義貞
が上野国新田郡徳川に居た事に因むそうです。
毛利元就の毛利姓も毛利庄に由来するもの。大河ドラマ「北条時宗」に出ていた毛
利季光はその先祖で、実は戦国期の毛利家に絡んだ家はほとんどが相模かその周辺
の流れをくんでいた。
55名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/19 22:28
黒田如水が九州に移封したさいに、住んでいた備前福岡を懐かしがって付けたんで
福岡人のパクリとは言えないですね。
56札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/06/20 23:11
>>52
でも>>49も本当っぽく見えるけど。。

>>54-55
でも、その地の豪族や戦国大名など人名が地名の由来になってるケースも多いですよね。
ヤン・ヨーステン→「八重洲」も面白いっす。
57山野野襖:02/06/20 23:21
>56
ごもっとも。松前の地名は蛎崎氏が豊臣家に臣従して後前田と松平から一文字ずつ
もらって松前姓を名乗り、城下町(といっても松前城築城はずっと後)にもつけた
もの。アイヌ語地名にも神名や人名由来がありそうですね。
58名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/20 23:23
>>54
日向の伊東、薩摩の島津、肥後の相良などは元駿河&伊豆の豪族だよ。
後、意外にも甲斐の武田は常陸の武田庄の出身。
59湘南厨房 ◆ZzUOmzG6 :02/06/20 23:25
秦野市=波多野氏からきてるらしい。
60札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/06/20 23:35
>>57
アイヌ語地名をネットで探してみた。まあこれも諸説あるみたいだけどね。
北海道だけじゃなく東北にもアイヌ語地名はあるみたいですね。
http://www2p.biglobe.ne.jp/~nobuo/index.html

>>59
確信を得ましたか。
そう言えば、人名→地名では新発田市もそうですよね。
61名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/22 20:30
 
62鹿児島はクズだ:02/06/22 20:40
沖縄です!大昔「わした島」(←我が島orウリナラ)を野蛮な武力で侵略、そして略奪凌辱
の限を尽くした挙げ句、いまだに謝罪の一言もいわない憎き『鹿児島』を許せないぞ!

鹿児島の野蛮人ども!沖縄人民に謝罪しる!
63名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/23 18:49
そう言えば、人名→地名では新発田市もそうですよね。
64札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/06/23 22:57
>>62
それを言うと関東以北も「征夷」された土地になる。
この辺の扱いって微妙ですよね。
恐らく世界中でも円満に成り立った国もほとんどないでしょうし。。
65山野野襖:02/06/23 23:07
>64
日本はまだましな方でしょう。ヨーロッパには英国におけるスコットランド等独立
を望む地域が結構ありますし、インドネシア・アフリカは論外。インドネシアは更
に分裂が続くでしょうね。(スレ違いですが)
それと地名の伝播についてですが、愛宕等信仰に因んだものもかなり多いですね。
但し似た地名でも語源が異なったり同じ環境下での命名であったりするので必ずし
も関係が認められる訳でもありませんが。
66名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/23 23:45
>>62
鹿児島の存在は、現代日本の負の縮図(w
67名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/23 23:47
優良スレ(・∀・)イイ!
68札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/06/23 23:50
>>65
ところで、広島県の地名で由来の面白いものありますか?
山野さん詳しそうだし。。
69山野野襖:02/06/23 23:59
>68
そうですね・・・いちいち挙げて行くとキリがありませんが厳島大明神様が
鎮座なさる場所をお決めになられるまでの話に因む地名がいくつかあります。
来い、来いと神が招き寄せられたのが水軍で知られる「来島」。蚊が多いの
で神が行ってしまわれたのが「カナシ谷」(蚊無し・悲しい)。
他にも雉を嫌われて去って行かれた土地などがあります。
北海道では平取町に文化神オキクルミ降臨の伝説がありますね。
70山野野襖:02/06/24 00:01
あれ、さげてなかった筈なのに上がって無かった。安芸(あげ)。
71山野野襖:02/06/24 00:04
ローカル中のローカル地名で何処にでもあるのが宮浦・宮沖。○崎というの
も多いですね。広島は「広い島」説と毛利家の先祖大江広元に因んだという
説があります。命名されたのは広島城築城時。
72札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/06/24 00:09
>>69
知識とか全然ないんですけど、ぱっと見「カナシ谷」は「神無し谷」とも読めそうですね。

平取町については簡単にはレスできないんで後日まとめてレスします。
73名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/24 00:11
>>札幌そふと ◆e0w.ZONEさん・山野野襖さん
お詳しいですね〜!スバラシイ(・∀・)

優良スレにつき、応援age!!
74山野野襖:02/06/24 00:12
>72
仰せの通り。たまに民俗用語を適当に変換してみると面白いです。そういえ
ば、昔平取で未確認飛行物体着陸騒動がありましたがあれもオキクルミ様?
75山野野襖:02/06/24 00:15
>73
地元の地名をご紹介下さい。面白いですよ。意外と複雑だったり単純だった
りして。地名は千年間に5%しか変わらないと言われる位の歴史の生き証人。
衣田島(江田島)、山県郡、御調郡等の広島県の地名は平安時代からあった
模様。城下町のそれは新しいものが多いです。
76山野野襖:02/06/24 11:23
69絡みで、「来島」は呼べば応えてくれたのに来なかった情けの無い「情島」と
いうものがあったのを忘れていました。
それと信仰絡みでは「祇園」という地名も多いですね。雨乞いから来た「竜王」も。
広島市内の地名の語源は以下の通り。(微妙にスレ違いですが)
己斐町→神功皇后に鯉を捧げたところ。神功皇后伝説は県内各地に残る。
えんこう橋町→昔橋の上に「えんこう(河童)」が出て人をたぶらかした。
千田町→明治の政治家千田氏の出身地。猫屋町→豪商猫屋の屋号に因む。
紙屋町・鉄砲町(旧鉄砲屋町)・袋町・旧研屋町→いずれも職業に因む。
舟入町→埋め立て前によく舟が行き来した。横川町→横に川・・・・・。
八丁堀→広島城の外堀跡。天満町→雨乞いか。三篠・三滝→御篠・御滝か。
77名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/24 11:28
千葉には、勝浦、白浜があると思うけど。
太平洋岸は、松浦とか、勝浦が多いですよ。元は九州からだそうです。
78山野野襖:02/06/24 11:35
>77
海で思い出しましたが、海士(アマ)系の地名も多いですね。北九州から日
本海側は能登、瀬戸内側は岡山の方まで「家船」(やぶね)と呼ばれた船に
乗った水上生活者達が活躍していたそうです。
1950年代に学校教育などの面から船離れが進んで消滅しましたが。本拠
は広島県三原市幸崎町にありました。
79名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/24 11:37
海人族は、天羽(あもう)姓だと思うのですが・・・・
ケッコウ多いですよ。西日本。
80名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/24 11:43
>>78
そういえば、京都にも、船家みたいなのが
ありましたね???伊根町といって、ちょっと関西弁では無い言葉でした
よね〜?
81山野野襖:02/06/24 11:45
>79
ううむ、今のところ聞き覚えがありませんね。それと古代の海人族と近代ま
で続いた家船利用者達が直結するかどうか不明だという点を付け加えるのを
忘れていました。
一応「太平記」に出て来る大型船で勝利した瀬戸内海賊の船が家船では無い
かという意見もありますが根拠が薄いですし・・・実は私もそんなに詳しい
訳では無かったりします。ただ隠岐の地名を思い出しただけで。
82山野野襖:02/06/24 11:47
>80
そうでしたか、初耳です。でもローカル色の強い話題は京都まで行って調べ
ないとまだつらいですね。郷土史に何か載っていれば良いのですが。
83名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/24 11:54
ハネッジかよ。
84名無しの歩き方@お腹いっぱい:02/06/24 21:48
>>46
昨日南部にヘリ墜落したろ
85柿 ◆M95/JzVo :02/06/24 22:02
>>80,82
ありましたよ〜!「伊根の舟屋」
日曜日に行ってきたばかりです。
丹後半島、宮津の少し北に位置します。

家の裏、というか1階部分がもう海なんですよね。
そこに舟付き場があって、何とも言えぬ情感でした。
それがずらっ、と並んでいます。海とともに住む人達の生活の
息吹を感じて素敵でした。
86ΩΩ柔毛ΩΩ:02/06/24 22:03
>>77
千葉の勝浦も阿波→安房同様、徳島の勝浦からです。
で、その勝浦の語源は海人の信仰する聖樹の「桂」からきているのではという説があります。
和名抄の訓注に桂とあります。
神話に絡めたこじつけっぽい説もありますけどね。
87山野野襖:02/06/24 22:38
>85
あ、あそこなら知っておりました。てっきり「京都市」の話だと思っておりました
ので連想出来ませんでしたが。有り難う御座います。
88札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/06/26 00:46
流れは海なのかな。
北海道は平安時代末期、源頼朝に敗れた東北の武士が糠部郡、津軽郡から
蝦夷島に渡ったのが歴史に出てくる最初の和人の移住みたいです。
ただ、それ以前から漁師などが豊富な水産資源を求めて島を訪れたり、定住したり
といったことは、あったでしょう。
まあ、和人・アイヌ人を問わないのなら北海道と東北は縄文の頃から交易・交流が
あったんですけどね。

ちなみに例の義経伝説なんですが、やっぱりあやしいですよね。(笑
平取町にある義経神社の義経像は、寄進したとされる近藤重蔵自身ではないかとか、
弁慶岬も武蔵坊弁慶を指すのではなく、アイヌ語の「ペニケウ=熊の頸椎」、「ペルケイ
=裂けた所」、「ベンケ=上、上の」などが由来ではないかと諸説あるみたいです。
89湘南厨房 ◆ZzUOmzG6 :02/06/26 02:05
フビライ説は?
90千葉Q半額処分  ◆Q2ni6Vi. :02/06/26 22:23
>>49
日光東照宮は、徳川家康を祭った寺じゃなかったっけ。
歴史は疎いもんで、かいつばんでしかしらないけど。

そう考えると、あんたおもしろい。
91ΩΩ柔毛ΩΩ:02/06/26 22:28
寺て、君
92千葉Q半額処分  ◆Q2ni6Vi. :02/06/26 22:55
神社だ。

クソっ>俺
93山野野襖:02/06/26 23:18
>88
対岸ですからね。交流が多くあっても不思議は無い。奥州藤原氏はアザラシの毛皮
を交易で入手していたような。
94名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/26 23:19
新宿と新潟は密接な関係があるらしい。
95札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/06/27 22:18
>>89
フビライは更に無理があるかと。。
義経の生年が1159年、フビライが没年1294年だからねえ。

>>93
奥州藤原氏はアイヌの人達との物々交換で随分潤ったらしいですね。
というか奥州藤原氏は東北の鉄器や馬産などこの頃かなり財力があったんですけどね。

>>94
ほお、それはまたどういった繋がりで?
96名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/30 01:03
新の字繋がり
97札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/06/30 21:55
>>96
何か歴史的なものとかは?

。。新潟人が新宿を作った、、、っていうこともないしなあ
98名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/30 22:55
>>97
無理にあげれば
三越の越の字は越後の越「三井越後屋」
99名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/06/30 23:04
愛知県の額田郡は、奈良の額田郷出身の人が郡司か何かについたからだと
聞いたな。
100名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/01 05:51
.
101名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/03 00:41
age
102湘南厨房 ◆ZzUOmzG6 :02/07/03 00:43
>>97
新宿は“内藤新宿”が旧称だったかと。新潟とは関係ないですね。
103山野野衾:02/07/03 17:14
ありがちですが、伊賀越えの際家康に弁当を差し出し道案内をしたのが佃村の住民。
彼らは後に江戸に呼ばれ、佃島が出来た。佃煮もね。
104名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/03 17:52
江戸には他の地域と結びついた街が腐るほどあるよ。
駿河台、淡路町、三河町…
幕府と関係なく他の地名が江戸の地名になったのでは渋谷かな?
渋谷は相模国高座郡渋谷の住民が移り住んで地名になった。
105名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/03 17:55
新宿は新潟人による宿場町があったところから命名されました。
江戸の町に新潟人は大きな足跡を残しています。
馬鹿は消えろ
107日本@名無史さん:02/07/03 18:54
こりゃ歴史板向きだね
108名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/03 20:33
新宿ってのは普通名詞だからあちらこちらに有る。
「にいじゅく」という読み方も多い。
高井戸まで宿場が無かった甲州街道に、それでは不便だからと
内藤家に屋敷地を返納させて作った新しい宿場だから内藤新宿という。
109山野野衾:02/07/03 20:35
そういえば青山氏が一定時間内に馬で周囲を駆けて与えられた土地が青山だ
という話が(うろ覚え)。
110札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/07/03 23:53
>>109
関東総奉行青山忠成の屋敷に由来します。年貢を厳しく取り立てたそうな。。
東京の人名→地名は、織田有楽斎→千代田区有楽町もありますね。

あと屋敷絡みで面白いのは千代田区紀尾井町かな。
紀州藩+尾張藩+井伊藩の屋敷の頭文字を合わせて「紀尾井町」。
111名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/03 23:56
新潟の新をとって新宿が正しい。
112名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/04 00:18
>>108
新宿(にいじゅく)は葛飾の水戸街道沿いにあった。
いまでも町名として残っているよ。

>>109
青山忠成のことだな。後に丹波篠山の大名家。
青山の地名になったというのは単なる伝説だよ。


113名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/04 00:25
青山の地名の元になったのは正しいが馬を駆けめぐらせてってのが伝説。
石高に比べて屋敷地が広いので出来たお話。
114名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/04 00:43
>>111
浮いてるぞ
115名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/04 11:11
それって内藤宿とかぶってない?
馬走って領地をもらいそこに三代将軍以降に新しく宿ができたから新宿と...
116名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/04 11:32
でも東京の地名って
見たまんまの風景かよ、ってのが結構あるよね。
六本木、五反田、三田、狸穴、田端、五本木、
三軒茶屋……

117名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/04 11:52
渋谷・新宿という地名は江戸時代から有ったけど、
池袋という地名は明治からだっけ?
118名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/04 12:03
博多→京→神戸・大坂・名護屋→江戸→仙台→蝦夷
119名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/04 12:35
池袋は町名としては新しいけれども地名としては古くからあったよ
120名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/04 14:37
>>119
沼袋は?
121名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/04 15:22
三井の越後屋は越後とどんな関係があるの?
三井の初代高利は伊勢松坂の出身だろ。だったら伊勢屋じゃん。
122名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/04 17:06
高利の爺さんだか何だかが越後守だったから
123119:02/07/04 19:38
>>120
シラン。検索してみたら古戦場の名前になっているようだから
古いんじゃないの?
124名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/05 01:22
越前町とか、他の国の名前が付く町名って多いよね
125名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/05 21:46
>>122
そそ、高利の祖父高安が越後守だったから。この人は近江の六角氏に
仕えていたが、信長に攻められて逃げ延びたのが伊勢松阪
126名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/07 01:34
yuuryouage


127札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/07/07 02:15
>>121
三井が京都越後屋呉服店の仕入れから始めたのが店名の理由かと。。
128名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/07 20:10
122と127 どっちがホント?
129札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/07/07 23:43
>>128
ネットで調べてみた。

高利の祖父である高安の没後、その子高俊は松坂に出て、
妻・殊法と酒・味噌・質商売を営み始めました。
高安が越後守であったことから、この店は「越後殿の酒屋」
と呼ばれました。その後、三井越後屋、越後屋呉服店へと
続くわけですが、三越の名もここに由来しています。
http://www.mki.co.jp/mitsuiPR/history/history1.htm

よって俺の間違い(まあ繋がってるんだけど)です。
あんまり知識なかった。スマソ
130札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/07/09 22:46
見渡すと四国の話題がないかな。

誰か知ってれば。。
131名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/09 22:57
男鹿女鹿、新津古津、松戸杉戸、池袋沼袋。
などのように対になった地名があるけど何か繋がりがあるのかな?

132札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/07/09 23:35
>>131
繋がりがあったら面白そうですね。

わかりやすいのは広島市・北広島市とか越前・越中・越後とかかな。
そのかわり、方角・位置的なものは突っ込みようがないですね。
133名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/09 23:41
江戸は川の都(江都)に対して水戸は水の都(水都)
となったって聞いたことあるけど。眉唾くさいな。
134名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/09 23:49
近江(琵琶湖)に対して遠江(浜名湖)
当時の人の地理的限界がわかるな。
もっと時代が下がっていれば会津(猪苗代湖)あたりが遠江になったかも。
135札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/07/10 00:07
>>133
「戸」で思い出した。

東北の二戸市や八戸市は、その昔南部氏が三戸を中心に領地(糠部)内を数字をつけて
統治したことが由来らしい。
何でも「戸」はアイヌ語の「ペツ(川)」だとか、、これらの地名は川沿いにあるらしい。
136名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/10 00:21
>>135
そう言われてみれば、江戸、水戸、松戸、杉戸は川沿いにあるな。
坂戸はどうーなんだろ?

関東ばっかりでスマソ。他の地方の「戸」がつく地名が思い浮かばなくて。
137札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/07/11 21:32
>>136
俺もにわか知識ですが、「戸」の読みによるかも知れない。
「戸」を「へ」と呼べば、>>135の可能性もあるかもしれないけど、
「戸」自体が、その辺の意味合いを持っていそうなのでなんとも言えないですね。
「戸」は組織単位としての郷戸や房戸とか、瀬戸みたいに水際とか海峡の意味もあるです。
138ΩΩ柔毛ΩΩ:02/07/11 21:35
>>135の戸は馬を飼育した牧によるものだとか蝦夷の備えの木戸とかいう説もあります。
139名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/11 21:42
>62
>66

いいかげんしつこいねェ・・・
いったい何年前のことだと思ってんの?
沖縄人ってある意味韓国人よりねっちこいなぁ
そんなに悔しいんだったら、賠償請求でもすれば?(w
140名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/11 23:39
>>136
坂戸には高麗川が流れている
141札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/07/11 23:47
>>138
東北は特に馬の産地でもあったらしいですからね。

>>140
まあ、埼玉県自体が水郷ですからね。
ほかにも川や溜池があるでしょうし。。
142名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/13 17:50












143札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/07/14 02:26
ムム。。ネタがない。


どうしようか。。
144名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/14 23:16
とりあえず、良スレ上げ
145山野野衾:02/07/14 23:17
松坂の地名は大坂から取られたとか。
146ΩΩ柔毛ΩΩ:02/07/14 23:20
林業の盛んな日田から屋久島に杉を求めて移住した人たちがいるらしい。
そのせいで屋久島の方言には日田訛りの影響が見られるとか。
147札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/07/15 00:49
>>146
日田という地域を知らなかったのですが、大分県なんですね。
時代にもよると思うけど、大分から移るのに四国とか経由してないですかね。
大分って本州・四国をつなぐものが結構多そう。。
有名なものですが、京都の先斗町の「先斗」は、ポルトガル語の「ポント」
(先端)を音写したものですね。
149名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/16 18:32
先斗あげ
150名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/17 08:30
.
151札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/07/17 21:46
>>148
埋立地の先端(?)に家屋が集まったからポント(英語で言う point )町らしいですね。

今さらながら、地名の由来スレになってるみたい。。
152名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/17 22:28
何を埋め立てたの?池?
153名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/18 00:00
ポルトガル語の「ポント」は橋っていう意味じゃないの?
154名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/18 08:11
落ちるの早すぎ
155名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/18 08:11
色が青くなってしまった方へ

あなたのPCに何者かが侵入しようとしているようです。危険です!!
犯人を突き止めるには名前欄に「fusianasan」と入力し、本文にguestと入力してください。
これをすることによって侵入を阻止し、犯人を突き止めることが出来ます。

ゲストゲスト
京都の伏見には、羽柴長吉町とかいったぐあいに、桃山時代に屋敷を構えてい
た武士の名がつく町名が多いですし、「銀座」もあります。江戸の銀座よりも早
くできました。
158名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/18 18:15
銀座といえば全国でどれくらい有るんだろうね○○銀座
159ふしあなさん:02/07/18 18:18
げすとげすと
>>158
伏見の銀座は東京の銀座と同じで本来の意味、つまり貨幣鋳造所のこと
です(金座もあるんですね)。
東京にも、五反田の近くに戸越銀座てありますね。東京の銀座が繁華街
になってから、全国の田舎都市の繁華街を○○銀座と名づけたんですね。
東京の戸越銀座に当たる所は京都にもありますが、京都では銀座ではなく
「京極」といいます。四条通から四つ下の松原通には松原京極という商店
街があるのですが、これなんかがその例です。
>>158 検索したら、420ヶ所もあるんだって。
162名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/18 20:06
420もですか・・・
各県に10カ所近くある計算ですね
163山野野衾:02/07/18 20:09
広島市には金座街があります。
164名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/18 20:20
中野にはブロードウェーがあります。
165名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/19 08:35
浦安の舞浜はマイアミビーチから取ったんだってね
166名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/19 12:42
>>152
鴨川の洲を埋め立てたらしい。
http://www.miyako.net/ponto/ponto.html

>>153
先斗町と名づけた由来の地名や人名があるわけでもないので、
はっきりしないと思う。

>>160
銀座は多いね。ちなみに北海道には京極町というところもあるです。
167高松すげーよ:02/07/19 12:43
 
  ◆商業販売額
28 山口県 43,021
※ 高松市 42,336  ←注目
29 青森県 41,027
30 岩手県 40,455
31 富山県 38,725
32 長崎県 37,889
33 秋田県 35,325
34 山形県 32,899
35 大分県 30,555
36 宮崎県 30,229
37 滋賀県 29,394
38 福井県 27,799
39 沖縄県 26,751
40 奈良県 23,602
41 和歌山県 22,415
42 山梨県 21,648
43 佐賀県 21,240
44 徳島県 21,157
45 高知県 19,506
46 島根県 18,691
47 鳥取県 16,861
168渡辺:02/07/19 12:45
枚方にはスタコ坂があります
あれ?交野だったかな
169名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/19 14:34
>>168
元は酢蛸?
170名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/19 23:39
>>168
交野
171札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/07/19 23:44
>>166は実は俺だったりします。(会社から書き込めた)

そう言えば、京極町の由来ってわからなかったりする。
京都とは関係なくて東北のような気がするんだけど、どうなんでしょう。
172名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/20 23:28
>>171
http://www.asahi-net.or.jp/~ue3t-cb/spa/kyogoku/kyogoku.htm
に、載っていた。

人名由来で丸亀藩主の京極高徳が、由来だそうだ。
四国でした
173札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/07/21 01:02
>>172
四国かあ。ありがとう。

京極町は地理的には札幌のすぐそばなんだけど、遠い存在。
札幌の西は山で覆われていて、それもあって札幌の影響も
ほとんど受けてなくて、最近やっとフレッツISDNが通ったところみたいです。
174名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/21 01:17
その京極氏は、京都の京極に屋敷を構えたので、京極という名になった
らしいから、結局間接的に繋がりはあるみたいだね。
175名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/21 01:24
板橋区に加賀という町があるけど、やっぱり石川県と関係あるんでしょうか。
ちなみに金沢小学校まである。
176名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/21 09:10
>>175
家政大のあたりに下屋敷が有ったからだと思う。
177札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/07/22 21:10
東京の地名の由来のHPを見つけた。

http://www3.justnet.ne.jp/~tamio-enomoto/index1/name.html
http://world-reader.ne.jp/time-srip/enomoto-010818.htm

やっぱり、江戸時代が中心ですね。
新宿とかこのスレでもあげられてることも載っている。。
178名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/23 20:26
流石に新潟の潟の字も出て来ないな
179名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/23 22:06
.
180札幌そふと ◆e0w.ZONE :02/07/23 22:10
>>179
なんか誘導されてるような。。

>>176
http://www.ne.jp/asahi/sun/star/gjyosi/16.html
ですね。
181名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/24 00:29
その金沢と横浜の金沢は関係あるのかな?
182名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/24 00:34
>>181
地名の由来が違うので無関係。
183名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/24 00:37
>>175
板橋は中山道の最初の宿場なので、加賀藩にとって便利な場所だったのでしょう。
本邸は本郷にありました。あの東大の敷地がそうです。
184名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/24 01:11
>>181
そういえば横浜に加賀町があるな。
山下公園の近辺。町名は消えたようだけど警察署の名前に残っている。
>>168
枚方といえば、私市はなんで「きさいち」と読むの?
186名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/24 07:33
>>184
その由来は板橋と同じで、加賀藩の屋敷があったからです
187播磨灘 ◆KinKIqWU :02/07/24 12:59
神戸には、「播磨町」「なにわ町?」が、あったような気がする・・・・・。
188名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/24 22:52
播磨と摂津の境はどの辺りになるの?
189札幌そふと ◆SOFT.1Cc :02/07/24 23:03
>>188
ちょっと探してみたんですが。。

↓摂津。なんて書いてあるのか見づらくてわからないです。
http://www.kashiwashobo.co.jp/pages/kochizu/kochizu4-1.htm
190名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/24 23:12
福山市と岡崎市の縁 姉妹都市です
福山藩初代藩主 水野勝成が現在でいう岡崎市の出身で福山藩主を命じられて
家臣・御用商人・寺社などを中心に東海地方からの移民も多く、水野家はわずか
5代で絶えますが”にゃー”とか”みゃー”という東海地方独特の方言も
福山地方では今も一般的に使います 例 うまい=うまやぁ〜
191播磨灘 ◆KinKIqWU :02/07/24 23:17
>>188
現在の区域だと、おおよそ垂水区以西は、播磨だと思う。
つまり、須磨から東が、摂津で畿内。垂水以西が、播磨で旧山陽。

神戸市西区も旧明石郡や旧美嚢郡 旧美嚢郡は、北区にも少しかかっているかも。
192札幌そふと ◆SOFT.1Cc :02/07/24 23:21
>>190
それでいくと福岡も黒田つながりで播磨の方言があったりして。。。

いや、どちらの方言も詳しくはありませんが。。
193名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/24 23:29
戦国時代を最終的に終わらせた家康にしろ、その前の秀吉や信長も今の愛知県の
出身だったから、その家来たちが大名として全国に散らばって行ったから、似た
ような関係は多いかもしれないね。
194名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/25 01:48
苗字を見ると他の地域との関係がわかる。
例えば「谷」の字は姓では「たに」と「や」と読むことが多いけど、
「や」と読むのは関東の方言で関東地方に多い。
備中松山に最初に藩を立てたのは水谷家だけど、
これは「みずたに」と読まずに「みずのや」と読む。
水谷家は常陸国の出だけど西国に転封された。
宇和島も伊達が仙台から移ってきたから東北系の苗字が多いね。
195山野野衾:02/07/25 14:10
>190
その辺の出身ですが、てっきり柳田國男が「蝸牛考」で説いていた周圏論によるも
のだと。
さげ
197名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/25 21:04
あげ
198名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/25 21:13
島根県亀嵩。なぜか東北訛り。
清張の「砂の器」に書いてあったけど本当なの?
199札幌そふと ◆SOFT.1Cc :02/07/25 22:35
>>198
http://www4.justnet.ne.jp/~takeuchi_toshinori/oka_04.htm

のHPで何やら熱っぽく語られています。
そもそも出雲にいた縄文人が東北地方へ行ったから訛りが似ているのではないかと。

この辺は山野さんの解説も聞いてみたいところです。
200名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/26 11:04
200
しかし、こんなスレが良くここまで続いたもんだ
201柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/07/26 11:11
千葉県は、やはり東京都・茨城県・神奈川県とつながりが深いです。
現東京都の両国橋より東側が「旧下総国」というのは有名な話ですし、
茨城県の古河市・取手市なども「旧下総国」です。
また、神奈川県とは、源頼朝が一時房総へ渡ったという話があって関係があります。
当時の千葉県を支配していた千葉氏が頼朝の手助けをしたとのこと。
埼玉県とも隣接しているのですが、郷土史のうえではあまり関連を聞きません。
流山市や野田市あたりには何かあるのかも知れませんが・・・

>>28
実は、ヤマサやヒゲタで知られる醤油の生産地・銚子で
2番目に醤油を作り始めた人も紀州出身らしいです。
202名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/27 08:37
北葛飾と東葛飾で、交流は有ったかもしれないね。
昔は、水運も盛んだったろうから
203つくば市民:02/07/27 09:50
常陸と下総では、語彙がほとんど共通するのに、アクセントは違うね。
茨城県内の下総+関宿〜野田〜柏〜我孫子は常陸寄りのアクセントだけどね。
アクセントって、伝わるの難しいんだろうね。
>198 島根半島が北前船の重要な寄港地のひとつであり、東北とつながりがあった
という指摘も以前からなされていますね。出雲地方は山に囲まれた閉鎖された空間
なので外来文化が流れることなく蓄積されていくわけです。
 現在、北前船と一部同じ航路をとる「九越フェリー」というのがあり、島根人と
フェリーの交流を描いた映画が都内で公開中。関東版「ぴあ」の映画満足度調査
で堂々の一位を獲得しました。
 それから海上交通という点では出雲と紀伊の関係も昔から深いものがあるようで
神話・伝説の中にあらわれています。
205名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/27 14:29
津市・・・三重県
中津市・・大分県
大津市・・滋賀県

歴史的なつばがりは全くなさそうだな、こりゃw

人口順に並べると 大津市>津市>中津市 になる。

そして一番人口の多い大津市は海ではなくて琵琶湖に面した都市という罠
206山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/07/27 17:36
>199
北海道出身の母も方言の類似に驚いていました(まくれ落ちる、等)が、現在の地
域文化は祭をはじめとしてそのほとんどが近世に成立したものです。(公称は別)
どうも文化の起源を古代にまで遡らせる説は浪漫はあっても現実味がありません。
では何故なのかと言われるとこれもまた返答に窮するのですが。
207名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/27 19:13
>>205
津は本来港の意味の普通名詞だから、海でなく湖でも港が有れば津の字は
使われる。同じ滋賀県には今津という町も有るけれども、これも琵琶湖の
港町で、金沢の前田家や、仙台の伊達家が、領地の飛び地を持っていて
大阪へ送る米の積出港として使っていた。
神奈川県には、国府津という地名があるが、これは相模の国の国府の為の
港という意味でつけられた地名。
208名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/27 19:16
>>207
前田家はなんとなく想像がつくが、
伊達家が今津まで米を運んだルートはどうなってんの?
209207:02/07/27 20:03
>>208
私もよくわからないけれど
津軽海峡を回って敦賀辺りから陸路だと思う。
最終目的地は大阪なわけで、太平洋回りも有ったろうけれども
当時の船では、リスクが高かったのではないかと思う。
210名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/28 00:01
>>203
訛りは大河を渡れないという鉄則がある。
利根川を挟むと語彙は同じでもアクセントは違ってしまうんだろうね。
211名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/28 20:54
確かに、愛知から三重に入るとアクセントが完全に変わってしまうな
212札幌そふと ◆SOFT.1Cc :02/07/28 21:38
>>208
というか、今津って伊達家の飛び地だったっけ。
俺の不勉強かもしれないけど。
213 ◆qwAkIGoM :02/07/28 21:47
関八州

・古河公方家、遠山氏、吉良氏、里見氏
・結城氏、酒井氏、三田氏
・成田氏、正木氏
はそれぞれ家紋が同じ。出が同じってことか?
http://www2.harimaya.com/sengoku/map/bk_kan8.html
214207:02/07/28 21:52
>>212
あらためて確かめたら伊達は今津には飛び地を持っていませんでした。
陳謝いたします。内容的には前田のみでお考え下さい。
215名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/28 22:10
>>213
丸に二つ引き両の四家の内遠山を除く3家は同族。(清和源氏)で
足利将軍家もこの紋。遠山は家来筋
真ん中の三つ巴三家はバラバラ。単なる偶然。
下の二家は、実は別紋 成田は竪三つ引両、正木は三つ引両
216名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/28 22:15
>190
それ以外にも尾張と吉備って古くから深いつながりがあったらしい。
神社とか見ると共通の神を祭ってたりするそうな。
217 ◆qwAkIGoM :02/07/28 23:08
>>215
すごい。
218柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/07/29 09:07
>>202
そうですね。
「交流」というより、同じ「葛飾」だったことで史実に残っていないだけかも。
219名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/29 20:33
わざわざ書くまでもなかったという可能性は有りますね。
現在の北・東葛飾郡と葛飾区が単なる葛飾郡だったのは、
いつ頃の時代だったでしょうかね?
220名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/30 02:06
江戸時代の初めのころは既に利根川の左岸(茨城県側)は
葛飾郡ではなく豊田郡になっていた。
夏の定番の怪談「累ヶ淵」は下総国豊田郡羽生村(現 水海道市)と記述されている。
また今の東葛飾郡でも柏より以北の利根川の両岸は相馬郡だな。
茨城側には今も郡名として北相馬郡が残っている。
千葉側は南相馬郡だったけど東葛飾郡に吸収された。

本来の葛飾郡は浦安から結城まで、ちょっとした国ぐらいの大きさがあったようだ。
221柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/07/30 09:01
>>220
千葉側にも(南)相馬郡があったとは知りませんでした。
相馬といえば、もともと千葉家の分家である相馬家が治めていた地域でしたっけ。
その後、相馬家は現在の福島県相馬市に移ったんですよね。
千葉家の分家としては、馬加(まくわり)家も地名になって(幕張)残っていますね。
222 :02/07/30 09:48
さっきもあったけど、伊達家繋がりで、仙台と愛媛・宇和島は縁がある。
宇和島の方言にも仙台弁「〜してけさい」とかが残っているとか。
223札幌そふと ◆SOFT.1Cc :02/07/30 22:15
>>221
すごい。勉強になります。
相馬郡と相馬市に言葉的なつながりとかありますかね。

ちなみに北海道は前述した通り、北陸・東北以外はほとんど消えちゃってるんですよ。
224名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/31 00:37
>>221
千葉家は本家宗家ともに名前に「胤」の字を継承しているからわかりやすい。
これほど律儀に継承しているのは天皇家の「仁」に匹敵するくらい。
ところで相馬市の陸奥中村藩の藩祖相馬義胤は下総相馬郡から移住したわけではなく、
元から中村(現相馬市)に住んでいた土豪だった。
関が原のあと本領を安堵されたから、宇和島藩の事情とは異なり、
下総の影響は少ないと思うぞ。
『郡山』『高田』など地名が複数ある理由には触れないのかい?
226柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/07/31 10:52
>>224
ごめん。説明不足&不正確だった。
もともと相馬氏は、かの有名な平将門が相馬将門を名乗ったのが最初。
で、将門−(信田)将国−文国−兼頼−重国−胤国−師国と続いたのだけど、
師国に跡継ぎがいなかったため、同じ平家一門の千葉常胤の子である師常が
養子に入ったんです。
その後は、師常−義胤−胤綱−胤村……(11代)……義胤(2人目)となり、
千葉氏から養子をとった相馬氏は、以後「胤」の字を使うことになる。
この2人目の戦国時代に活躍した義胤が有名なので、>>224さんのおっしゃる
義胤は彼のことではないかと。

なお、茨城県北相馬郡周辺(とくに岩井市)は将門の本拠地ですから、その意味では下総
とも繋がりがあるのではないかなあ。確かに大した影響はなさそうですが。
言葉の繋がりは、多分あまりないと思いますよ。
227柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/07/31 10:59
なお、相馬氏が相馬(中村)に土着したのがいつ頃なのかは、
私の手持ちの資料ではわかりません。
少なくとも、南北朝の争乱期には北朝側についた中村の支配者・相馬親胤の
名前が確認できます。親胤は相馬(千葉)師常から数えると6代目になります。
どなたかお詳しい方のフォローをお願いします。
228名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/31 11:44
>>227
http://www.tohkatsu.or.jp/~ngrym/souma/na-so.html
下総と同時に領有しているみたいだよ
229山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/07/31 11:49
>219
奈良時代に葛飾郡嶋又(しままた)里にトラとサクラメという兄妹が居た、と何処かで読みました。
230柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/07/31 12:06
>>228
知りませんでした!ありがとうございます。
231名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/31 19:10
あげ
232札幌そふと ◆SOFT.1Cc :02/07/31 23:03
>>229
それ、本当ですか。
有名な葛飾柴又の兄妹のモデルということでしょうか。
233名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/01 03:42
>>229
何年か前に話題になっていたな。
平城京の跡地の発掘調査のときに出土した木簡に記されていたんじゃなかったけ?
寅さんの映画が公開されたずっと後に出土したからモデルとう訳じゃないだろ。
偶然なんだろうけど新聞じゃ面白がっていた。
神奈川は茅ヶ崎の近くに香川という所があるんですが、そこを治めていた香川
氏の子孫が四国の天霧城主となったことが香川県の名の由来みたいです。
235名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/02 22:12
保全
有名な難読地名の一つに京都府久御山町の「一口」がある。
「いもあらい」と読むのだが、東京の九段には「一口坂」が
あり、昔は「いもあらいざか」と呼ばれていた。また、神田
駿河台の淡路坂も昔は「一口坂」という名であった。これ
は、この二つの坂に京都の一口から勧請された一口稲荷が
あったことによる。
237ΩΩ柔毛ΩΩ:02/08/02 23:09
香川氏の発祥は確かに茅ヶ崎ですが、地名自体はその前からあったのでは?
238名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/02 23:11
ありました。
また神奈川人の歴史捏造です。
239札幌そふと ◆SOFT.1Cc :02/08/02 23:14
事実かどうかわかりませんが、県名の由来のHPです。
http://www.people.or.jp/~dekoboko/hobby/Namae/kenmei/

香川県は「カバの古木の下から流れ出る水で国中が樹香に満ちたとの伝説より。」らしい。
240ΩΩ柔毛ΩΩ:02/08/02 23:21
江戸時代の書「南海通記」には、こうあります。
「この川の上流樺川に香木あり、水清く、西風に匂い来てこの河水に薫ずる故、香川という」
まあ、伝説由来の説はあまり信用できませんが。
地形発祥説もありますね。
241名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/03 09:14
角川の地名辞典はどちらを採用しているかな?>香川
242名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/03 17:50
up
243札幌そふと ◆SOFT.1Cc :02/08/04 22:07
>>239のHPだと広島県の由来が面白げですね。

広島城築城のとき、毛利氏の祖大江広元の「広」と、
地方豪族の福島元長の「島」を合成して命名した。

組み合わせによっては、「大元県」とか「福江県」になってたかも。
244鹿児島人必死だよw:02/08/04 22:20
なんで鹿児島と大阪には同じ地名があるの?
天保山とさくらじまとか。
どっちが由来?
245ΩΩ柔毛ΩΩ:02/08/04 22:31
天保年間ってのがあったのはご存知でしょうか?
幕末の志士たちが生まれたころです。
天保時代に出来た山だから天保山。以上です。
246名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/05 22:09
大阪の桜島については鹿児島の桜島に因んだという説も有ったらしいけれども
現在では否定的らしい。
247札幌そふと ◆SOFT.1Cc :02/08/06 00:31
>>246
その鹿児島の桜島は京都から大隈守として赴任してきた桜島忠信の名からという説がある。
とすれば大阪の桜島は名前の逆輸入になるね。
248名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/06 19:52
up
249柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/08/07 13:46
律令(さらにそれを補完する延喜式)体制の下では、
西は伊勢から東は常陸までが東海道でした。
なぜ常陸までだったかというと、当時の常陸は人口が非常に多い大国だったから。
その国の人口に比例する国々の正税束数を見てみると、常陸は50万束と
突出して多いのです。
関東地方は元々官営の牧場が多く後進地域だったのですが、
古代より人口は非常に多かった地域のようです。
古墳の分布も畿内・吉備・九州北部などとならんで非常に多い
(実は群馬埼玉に多い)ことが、それを示していると思います。
250名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/08 00:54
>>249
人口の話でいうと東葛の小金原は江戸時代の末期のころまで人口希薄地帯だった。
水戸街道を行く旅人は街道を外れると生きて帰れないと恐れたそうだ。
落語の「江島屋騒動」では道に迷った旅人が藤ヶ谷新田(今の沼南町)に
たどり着き、そこで宿を求めた老婆の家が云々という展開になってゆく。

それにしてもマツキヨ本社の近辺が小金清志町とか小金きよしヶ丘なんて
ふざけた地名になっているのは、松本清志が人口希薄で二束三文だった土地を
無料で寄付をして、記念に地名になったという話を聞いたことがあるけど、
本当なのか?

251名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/08 11:04
小金牧を開拓した土地に初富や豊四季、十余二、十余三といった、数字に因んだ
地名が付いているけれども、分布がかなり広範囲に広がっているね。
252柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/08/08 11:13
>>250
確かに小金原は人口稀薄地帯だったと思います。
開拓の困難な台地であったうえに、
現在の松戸市小金原は、元々江戸時代には将軍専用の鷹狩り場だったので。
地名についての松本清志の関与の話は存じませんでした。

>>251
そうですね。西は柏市から東は大栄町に至るまで、
かなり広範囲にわたっています。
未だに「五香、六実・・・」と地図上で数えてしまいます(w
253つくば市民:02/08/08 13:04
うちはつくば市の谷田部ってとこなんだけど、
柏の布施弁天と関係があるみたい。
うちで、布施弁天に何かを寄贈したことがあるらしい。
最近地図を見て、うちの前の道が布施街道って書いてあって、びっくり!
柏市のホームページにも、谷田部が云々書いてある。
どんな関係があるのかすごい気になる!
254柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/08/08 13:34
>>253
つくば市民さん、こんにちは。
面白そうなので調べてみました。

そもそも、布施街道とは、
土浦-谷田部-守谷-布施(柏市)-小金(松戸市)と結ぶ
水戸街道のバイパスだったそうです。
http://homepage1.nifty.com/KEEN-KAWASHIMA/moriyamiti1.htm

また、布施弁天と谷田部の関係はこれだけにとどまらず、
鐘楼を建てたのが谷田部の名主さんだったそうです。
http://www.edu.pref.ibaraki.jp/hs/tsukubak/iga/fuse2.html#4
255姫路の人:02/08/08 18:18
>>192
姫路に残る「食べりぃ」「寝りぃ」を福岡の一部でも使うという話をきいた。
播州弁の基本では「食べぇ」「寝ぇ」になるところ。
しかしながら、姫路の一部では「食べりぃ」「寝りぃ」を使う。
それがちょうど黒田家発祥の姫路市御着(姫路城下から東へ数キロ行ったところ)付近。
そこは姫路城以前の城下町で、後に街道の宿場となり、今でも城跡とか古い建物がポツリポツリと残っている。
256東京出身@つくば福岡横浜 :02/08/08 19:55
茨城県の竜ヶ崎市は伊達藩の飛び地で士族が多かったという話を
聞いたことがある。
彼らは電車が通るとうるさくなるので龍ヶ崎市内を鉄道が通るのに
反対して佐貫駅ができたそうだ。
現在でもニュータウンの人を嫌っていると言う話。
257札幌そふと ◆SOFT.1Cc :02/08/09 00:14
たまには北海道ネタを。。

福島県伊達郡梁川町は松前藩の飛び地だったりする。
元はと言えば江戸幕府の蝦夷地直轄による移封から来たんだけど、
今では姉妹都市を結んでいたりする。
258柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/08/09 01:47
>>256
龍ヶ崎は城下町だったんですか、知りませんでした。
実は龍ヶ崎市については、前から不思議だったんです。
なぜ常磐線の通っていないところなのに、人口がある程度いるのか。

実は千葉県にも似たような話がありまして、
常磐線は当初は流山を通る予定だったそうです。
流山は舟運で発達した町で、現在の柏よりも町の規模が大きかったそうなのですが、
舟運の衰退を恐れた流山の人々が、鉄道敷設に反対したらしいです。
もう少しすると、つくばエクスプレスが流山市を通るようになりますが、
何か時代の流れを感じます。
259名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/09 19:42
実は千葉県にも似たような話がありまして、
常磐線は当初は流山を通る予定だったそうです。
流山は舟運で発達した町で、現在の柏よりも町の規模が大きかったそうなのですが、
舟運の衰退を恐れた流山の人々が、鉄道敷設に反対したらしいです。
もう少しすると、つくばエクスプレスが流山市を通るようになりますが、
何か時代の流れを感じます。


260札幌そふと ◆SOFT.1Cc :02/08/10 01:31
>>255
住民の移動に伴って方言が輸出されたときに、輸出先では方言が保存されても
輸出元では変化しているケースですね。
南米移民の方の日本語が今の日常会話よりちょっと古く感じるのと同じかな。

>>258
龍ヶ崎というか利根川は特に東北経由の物資の輸送に需要があったから、
伊達藩の飛び地だったのもなんとなくわかる気がします。
あの辺の用水路とか、流通とかはいくらでも話がでてきそうですね。
261柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/08/10 05:14
>>260
札幌そふとさん、おはようございます。
利根川の物資輸送が関係しているとは、とても面白いですね。
合点がいきました。
それにしても、伊達氏は宇和島藩も持っているなど、色々な所領がありますね。
さすがです。

それから、松前藩といえば、蠣崎氏ですよね。
青森県の下北半島にある川内町というところに「蠣崎」という地名があるようですよ。
262名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/10 07:53
>>190,195
福山の方言は「周圏論」によるものではないか。同様に、兵庫の但馬の
方言は名古屋弁に似たところがあるというし。
だいいち「にゃー」とか「みゃー」とかいうのは三河方面ではあまり話
されない。
263名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/10 08:35
後北条氏に一国に値すると云わしめた要衝、現千葉県の関宿は
江戸期〜維新まで現大阪府堺市周辺を飛地領としておりました。

今でも堺には久世地区や久世小学校といった関宿藩主久世氏に
由来した地名が残っております。尚、初代藩主は松平康元(家康
の弟)です。

先日、徳川以前の領主簗田氏の末裔の自宅から、秀吉が家康に
宛てた朱印状が見付かりニュースとなりました。

264柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/08/10 11:48
>>263
関宿藩ですね。
関宿城は、代々城主になった大名が出世して出ていくので
出世城と呼ばれていたようです。

久世氏は、徳川家忠の小姓だった久世広之が5000石の旗本となり、
ついには老中となって関宿城5万石の大名になったんですよね。
その後の久世氏は老中を3名出すなど幕閣の中心を担っていきます。
(関宿城の歴史については
http://www.fsinet.or.jp/~utchie/bt/siseki/chiba/sekiyado.htm
がコンパクトにまとまっていました)

久世氏の知行地としては小机(横浜市)などが知られていますが、
堺にも領地があったのですね。知りませんでした。
265名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/11 02:26
良スレage
266名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/12 02:12
関宿って昔はすごかったんですね。
今では想像つかないけど。
267柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/08/12 02:19
>>266
こんばんは。
関宿は舟運が主流の交通・流通手段だった時代には、
交通の要所だったようです。
また室町時代には古河公方のいた古河市にも近かったため、
戦略上の価値も高かったようです。
(おそらく>>263さんが紹介されている後北条氏のエピソードも、
当時古河公方を撃ち破り関東の支配権を握ろうとしたために、
生まれたものだと思われます)

江戸時代に至ってからも、
外様大名の多い東北地方に対する睨みを利かせるために、
重要視されていたようです。
268札幌そふと ◆SOFT.1Cc :02/08/12 23:43
柏の葉さん、たくさんの情報を提供してくださってありがとうございます。
>>264のリンクも勉強になります。

>>263の川内町大字蛎崎の由来ですが、そのまま蛎崎城・蛎崎氏が由来かと思われます。
http://www.net.pref.aomori.jp/temmabayashi/muragaiyou.files/rekisi.files/rekisi-5.htm
これによると、1456年に蛎崎蔵人の乱で蛎崎蔵人信純が敗れた後、渡道したとあります。

では、この人が北海道の蛎崎-松前氏あたるか、、、というとこれは微妙です。
というのも北海道の歴史だと蛎崎氏は蛎崎季繁が15世紀に渡道したのが最初で、
客将の武田信広とともにコマシャインの乱を平定したのが1457年です。
蛎崎蔵人の乱がこの年まで続いているので、難しいところかも。。というところですね。
まあ、あんまり詳しくは知らないですけど。。
269柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/08/13 03:05
>>268
札幌そふとさん、こんばんは。
何だか沢山書き込んでしまい申し訳ないです。。。
14日〜18日は実家の家族と旅行へ行くので、しばらく書き込めません。ご安心を(w

冗談はさておき、いやぁ、今までは松前氏=蠣崎氏だとばかり思っていました。
なるほど、これは検証を要しますね。また色々と教えていただければ嬉しいです。
270名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/13 03:12
東北弁には古代の大和の言葉がかなり多く残ってるようです。
271柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/08/13 03:26
>>270
興味があるので是非教えてください。お願いします。
272名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/13 06:15
age
273山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/13 19:29
>270
多くが古代とまでは行かないでしょう。せいぜいが室町時代です。
ただ皆無という訳では無く東北や南九州には古代の語彙が残されている事について
は本居宣長や菅江真澄らが指摘していました。
これが「周圏論」につながるのは近代以降ですが。
274名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/14 17:55
bml

275名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/15 01:31
辺境に古代の言葉が残るというのは「周圏論」の第一章だな。
言葉というものは石を水に落とした時の波紋のように周辺に広がるってことだよ。
波紋の中心部から次々に新しい波ができる。
するとその前にできた波はどんどん外周に広がっていく。
例えば、京都である新しい単語ができたとする。
だが、その単語が古臭くなってすたれて、同じ意味を表す新しい単語ができる。
すると、それまで使われていた単語は京都の周囲に広がっていく。
同じように次の単語も古くなって、また新しい単語ができる。
するとそれまで使われていた言葉は周辺部に広がり、最初にできた言葉は
押し出されるように更にその外周に広がる。
これが次々に繰り返され、最初の単語が辺境にたどり着いた時は
京都ではまったく違う単語になっているって訳だ。
詳しくは柳田の「蝸牛考」に出ているよ。
まあ、言葉というものは京都発祥のものだけでなく各地で同時多発的に
できているから全く綺麗な波紋と言うわけではないけどね。
「周圏論」を逆に応用して単語の発祥地を調べるなんて技もありだけど、
毎年、言語学科の卒論に一編や二編は見られるな。
276名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/15 01:53
>>276
以前ナイトスクープという番組で、日本中の市町村役場に
アホ、バカどちらを使うかってアンケートをだして調査し
た番組があった。その結果みごとに柳田先生の理論が裏付
されていた。
277札幌そふと ◆SOFT.1Cc :02/08/15 23:56
>>269
いや、松前氏=蠣崎氏はいいんだけど、川内町の蠣崎城の蠣崎氏かは、
俺の知識じゃわからないってことで、、念のため。

18日までご実家ですか。。俺はいつ帰ろうか。。
278札幌そふと ◆SOFT.1Cc :02/08/16 23:18
>>276
アホとバカについては随分前にこの板でスレがあったんだけど。。
ちょっと過去ログを探せてないです。
279名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/17 01:14
>>277
蠣崎が松平と前田にちなんで松前と名乗ったことは有名だけど、
地名としての松前はアイヌ語のマトマイ(女がいる場所)から
来たってことは周知のことなのか?
280名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/18 10:52
この板にはそぐわないかも勉強にナリマス
281名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/19 03:32
あげとく
282柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/08/19 12:08
>>277
札幌そふとさん、ご無沙汰しておりました。
松前氏=蠣崎氏はよかったんですね。なるほど。

実は連休中に、福島県・岩手県・青森県に車で旅行に行っていたのですが、
下北半島にも寄ってみました。
残念ながら、時間の都合があって川内町へは寄れなかったのですが、
尻屋崎というところからは、かすかに北海道を望むことができましたよ。
283札幌そふと ◆SOFT.1Cc :02/08/20 00:39
>>279
マトマイは周知じゃなかったです。。ありがとうございます。

>>282
お帰りなさい。
尻屋崎ですか。。そこから見えた北海道は地図的に恵山岬でしょうかね。
尻屋崎もまた歴史がありそう。。
284柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/08/20 02:22
>>283
こんばんは。
アイヌ関係の歴史がありそうですね。
恐山にも寄ったのですが、そこにあった宇曽利湖という湖の名前は
アイヌ語の「ウショロ」という言葉から由来しているそうです。
他にも車で経由したところでは、
老部(おいっぺ=東通村)淋代(三沢市)などの地名があったのですが、
これらもアイヌ語的な語感がするなぁと思っていました。
青森県あたりには、探せばいくらでも
アイヌ語に由来すると思われる地名がありそうですね。
285名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/20 23:40
アイヌ由来の地名は関東あたりにも有るんじゃなかったっけ?
286名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/21 00:04
>>285
軽井沢がアイヌ語に由来するって聞いたことあるけど、
記憶違いかな?
287札幌そふと ◆SOFT.1Cc :02/08/21 00:05
>>284
既出かもしれないですが、東北のアイヌ語地名かもしれないというHPです。
http://www2p.biglobe.ne.jp/~nobuo/tohoku.html

長内とか浦子内とか、川に縁があって「内(ナイと読む)」がつく地名はかなり濃厚でしょう。

>>285
東北以南になるともっと不正確な情報になるんじゃないですかね。
拡大解釈をすれば、富士山は「フチ(火)」とか四万十川は「シマルト(大変美しい)」
とかいろいろあるみたいですよ。
288名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/21 00:10
日本語は同音の言葉が出来やすいから、こじつけしやすいんだろうな。
今さら遅いが

釧路の鳥取って鳥取県のことだったのか
鳥取大通りという道もある
290柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/08/21 02:35
>>287
こんばんは。紹介してくださったページ、興味深く拝見しました。
老部や淋代は無かったですね。語感だけで判断するのはちょっと早計だったかも。
川に縁があって「〜ナイ」といえば、
東北新幹線延伸で駅が出来るという「いわて沼宮内」の
「沼宮内」も可能性ありかな。。。
291柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/08/22 10:44
あぁ、スレストッパーになってた。。。
dat落ち防止でageときます。
292札幌そふと ◆SOFT.1Cc :02/08/22 23:43
>>290
あ、すみません。。このスレってじっくりやりたいところなんですけど、
dat落ちが早くていけませんね。

>>289
釧路の方ですか。
鳥取幼稚園、鳥取ドーム、鳥取温水プール、、、
やっぱり鳥取の名前が多いみたいですね。
繋がりについては↓のような感じらしいです。

1884年から翌年(明治17年〜18年)にかけて、釧路開拓移住のため鳥取士族(105戸513人)
が賀露港を出帆。苦労の末、鳥取村を形成。1949年(昭和24年)に鳥取村は釧路市に
合併しましたが、現在でも鳥取地区は釧路市の人口の約半分、面積は3/4を占めています。
http://www.city.tottori.tottori.jp/kokusai/simai.htm
293名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/23 00:38
牛久市には何故か鎌倉街道と言われる道があります。
ちょっとローカルすぎて牛久市民以外にはわからないと思いますが、
牛久市のほぼ中央の岡見(豪族岡見氏の本拠)から小坂団地の裏を抜けて
江戸崎に通じています。
本当に鎌倉まで続いているのでしょうか?
294柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/08/23 15:04
>>293
まさに「いざ鎌倉」ですね。

武士の時代である鎌倉時代になると、各地の御家人がいつでも鎌倉に集結できるよう
に、東日本の各地に街道が敷かれたのです。これらすべてが「鎌倉街道」と呼ばれ、
現在でもその名前が残っている道もあって、牛久市を通る「鎌倉街道」もその一つだ
と思われます。

鎌倉街道の跡を調べてみると、堀のように窪められたり両側に土手を築いてありして、
軍用道として整備した道であったことが分かるそうですよ。


295名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/23 16:44
鎌倉街道は、あちらこちらに有るね。
去年、偶然名古屋で道標を見つけてルートを想像したけれど
結局殆ど東海道なんだろうな
296名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/23 17:15
>293
茨城だったら下ツ道じゃないでしょうか。
上ツ道は上州・信州方面、中ツ道は奥州方面へ向かうルートです。
297札幌そふと ◆SOFT.1Cc :02/08/25 00:42
やば、、もうdat落ちが。。。

このスレ、まとめたら結構面白いかもです。
298湘南厨房 ◆ZzUOmzG6 :02/08/25 00:46
>>296
町田市内を横断する「鎌倉街道」もその流れなんでしょうか?
町田警察付近から鶴川方面に向かう道なんだが・・・
299名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/25 09:19
西宮の山の中にある鎌倉峡って言うのは
鎌倉と関係あるんかな??
場所はR176の北六甲台の入口と、
JR道場駅の間に位置しています。

といっても誰も知らんやろうけど・・・・
JTBとかの大きな時刻表なら宝塚〜有馬温泉のバスに
鎌倉峡バス停が出ていたと思う。
300山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/25 11:11
>299
鎌倉=金倉とする説があります。鎌倉という地名の土地には鉄を産する所が多い。
301柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/08/28 14:50
>>298
あそこは「鎌倉街道」と名前の付く道の中では、
最も知られていますよね。
残念なのは、府中市で都県道としては途切れてしまっていること。
その先はどんなルートなのか、調べてみたら面白そう。
鎌倉街道ってどの辺りまで残ってるのかな?
303柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/08/29 09:45
鎌倉街道については、>>296さんがお詳しそうですね。
私も検索してみたのですが、
http://www.asahi-net.or.jp/~ab9t-ymh/annai/pa1.html
こんな面白いページが出てきました。(直リン失礼。。)
304296:02/08/29 10:23
私は埼玉県内しかよく知らないのですが、
上ツ道は昔ながらの道が比較的残っているので、
愛好家や研究者も多く、鎌倉街道の中では
最もよく知られているのではないでしょうか。

実際に歩いたことは無いのですが、
地図を見ているだけでも地名を辿っていくと
当時のルートが大体想像できるので中々楽しいです。
305柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/08/29 12:14
>>304
楽しそうですね。私もそういうのが大好きなんですよ。
旧街道を辿ってみたり、鉄道の廃線跡を辿ってみたり…
最近はなかなか機会がなくて、できませんが。。。

街道といえば、
東海道が三重県(亀山など)を経由しているのは、面白いですよね。
名古屋から京都の区間を三重回りで行くのも岐阜回りで行くのも距離的には
大差はないでしょう。三重回りの場合七里の渡しで木曽長良揖斐の3つの
川を一気に越えてしまえるというメリットがあります。中山道の場合、この
3つの川を一つ一つ越えますので、手間は東海道の方が楽でしょう。
307柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/08/29 13:29
>>306
なるほど、大変参考になりました。
なぜ東海道の一部だけ海路になっていたのか不思議だったんですよ。

では、三重県と滋賀県で東海道に関係する「繋がり」はあるのでしょうか。
私はよく知らないもので。。。
終 了
309名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/29 13:44
最近、渋谷センター街でもめていた関西人の言葉
おい、おまえーおまえーじゃー何わしにがんたれとんじゃー
あほな顔しやがってコラー」
↑まるで吉本新喜劇の世界!
310名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/29 20:11
東海道が鈴鹿峠越えのルートになったのは、
関ヶ原を幕府の聖地として遠慮したからって話を聞いたことがある。
ルートとしては関ヶ原回りの方が楽なんだけどね。
311名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/29 20:22
鈴鹿峠越えは西国の大名に対するいやがらせと思われ。
箱根越えも同様。御殿場回りなら距離はあれども少しは楽でしょう。
ま、姫街道も足柄峠を越えますが。
312名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/29 20:33
箱根越えは江戸時代以前の東海道のルートを踏襲したものでしょう。
「坂東」の「坂」は箱根、碓井の峠の坂のことだよ。
313札幌そふと ◆SOFT.1Cc :02/08/29 23:06
東海道が鈴鹿峠を通るのは田村神社があるからじゃなかったっけ。
坂上田村麻呂にあやかる意味と道中の鬼から守ってくれるとかなんとかが
あったと思った。
実際は山賊とかも多かったらしいけどね。
314名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/29 23:15
>>310
中仙道はバッチリ関が原を通っているのですが……
315柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/08/30 09:37
東海道・鈴鹿ルートの理由については、諸説あるようですね。
参考になりました。

>>311
そういえば、当初の東海道本線は、
丹那トンネル開通まで現在の御殿場線を使っていたんですよね。。。

>>313
鬼退治にあやかろうというわけですね。
滋賀・三重あたりだと、山賊のほかに、
伊賀・甲賀の忍者も現れたりして^^;)
316名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/30 10:14
>>311
いやがらせというよりは、関所の通行を制限して
取締りをしやすくするためでしょう。

>>312
東山道の碓井峠は現在の入山峠だと言われています。
現在の碓井峠は中山道になってから(江戸時代以後)のもので、
入山峠に比べたらかなり厳しくなっています。
317名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/08/30 11:43
箱根にも碓氷の関の跡地があるんですよ。時代は忘れたが、いわゆる箱根の関よりだいぶ古いはず。
今で言う宮城野と仙石原の間だったと思う
318柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/09/01 11:02
>>316
「入山峠」って碓井バイパスのあるほうですね。
私の祖先は15世紀に信濃国内の戦乱で敗走し、
現在の群馬県富岡市に移り住んだのだそうです。
(曾祖父の代に富岡から東京へ移り住みました)
もしかして、ご先祖様は「入山峠」を越えたかな…
319名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/02 12:09
ふむふむ
ふむふむ。。

>>316
それが理由でしたか。ためになる〜。
321柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/09/04 02:14
野田市というところは、キッコーマンで知られる醤油の産地ですが、
もともと関西のうすくち醤油が伝わってきたのを改良し、
こいくち醤油をつくったらしい。
今では千葉県を代表する地場産業です。

千葉県は、歴史的には結構関西と繋がりがあると思います。
熊野って今なら何県?
323柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/09/04 02:23
>>322
三重県じゃありませんでしたっけ?
>>323
三重県ですか。ありがとう。
325札幌そふと ◆SOFT.1Cc :02/09/05 22:53
熊野と言えば、熊野神社。イザナミとイザナギ。
。。この辺で繋がりを言うには、俺にはキツイかな。
紀伊半島が南方の島であったことを示すものとかも面白いのがありそうですね。
326名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/06 09:28
>>323
熊野市は三重県だけど、熊野の本宮があるのは和歌山県。
南紀のあの辺りは熊野地方で一括りにできるのだが、
何故か熊野川を挟んで三重と和歌山に分割統治されてしまった。
全国唯一、他県の中に孤立した飛び地の村(北山村)があるよね。
熊野との地名つながりは全国に多いけど、もう一つ鈴木つながりがある。
鈴木という姓はもともと熊野大社を守護する豪族の姓だったが、
熊野のお札売りが鈴木の姓を名乗って全国に散らばって、
熊野信仰とあいまって鈴木の姓を名乗る家が全国各地に出てきたそうだ。
327渡辺 ◆..A/K... :02/09/06 09:42
御嶽山とか御嶽神社って、
うちの近く(大田区)以外にもいくつかあるみたいなのですが、
それぞれなにか関係あるのかな。
それとも○○八幡みたいにあちこちにあるものなのかな?
328柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/09/06 13:52
>>327
渡辺さん、こんにちは。
御岳信仰は山岳信仰の一つだと思います。
長野県と岐阜県にまたがる御岳山発祥だと思いますよ。
東京都にも奥多摩町・青梅市にまたがる御岳山がありますが、
そこにも武蔵御岳神社があり、信仰を集めているようです。
(青梅線に乗ると、御岳に登ると思われる人たちを結構見ることが出来ます)
329渡辺 ◆..A/K... :02/09/06 20:36
>>328 ありがとう。なるほど、山岳信仰なんですか。
○○富士っていっぱいあるけど富士山神社ってのもあるのかな。
330なめらかプリン ◆XRL9Hvts :02/09/06 20:40
浅間神社とかかな?
331柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/09/06 20:41
富士信仰は、浅間神社なのかな?
私もあまり詳しくないのですが。。。
静岡県側(富士宮市)に浅間大社、
山梨県側(富士吉田市)に富士浅間神社がありますね。
332柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/09/06 20:42
>>330
かぶりましたね^^)
333名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/06 20:43
333
>>332
どうもw
信仰ってどういうことなんでしょうね
木曽の御嶽山にも青梅の御岳山にも山頂までいったことありますが
特別な思いはないです・・・
335なめらかプリン ◆XRL9Hvts :02/09/06 20:55
〜信仰って言っても元々は目的地に行くまでの
旅行が楽しみだったのかな?
例えば遊郭目的だったり宿場の飯盛り女目当てだったり・・・
いわゆる日常「ケ」ではなくて非日常「ハレ」が目的なのかな
人気の理由は・・・
336柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/09/06 20:58
>>335
その可能性もあるかもしれませんが
(私の場合はそうです^^;)
山岳信仰に関しては、やはり八百万の神様のうちの一つとして
「山の神様」を信仰していたのではないかと。
このあたりは山野先生がお詳しそう。。。
337山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/09/06 21:13
>336
記紀の大山祇神というよりは、在地の山の神でしょうね。大江匡房の「本朝神仙伝
」に山岳修行者らの伝記が載っています。
しかし奇遇ですね。ちょうど北海道の伯母に山の神様の話を聞いたところでした。
12月12日には山を見回りされるそうで、山が荒れて怪我をするから山仕事をし
なかったそうです。(因みに女)毎月12日も休んだそうです。
338名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/06 21:18
ま、富士山登ると大山にも登らなきゃいけないとか、ジンクス的なものもあるんでしょうけど。
落語の「大山参り」では、そういう言い伝えにかこつけて金沢八景で遊んでいたのを「大山にも登ってきた」と嘘を付くってな噺でしたね。
339山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/09/06 21:19
ああ、それと浅間社の神様はコノハナノサクヤヒメです。大山祇神様の娘。
最後に富士山で戦った「さくや妖怪伝」のヒロインの名前の元ネタ。
詳しくは「神道集」を御覧下さい。東洋文庫本が入手し易い。
340柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/09/06 21:21
>>339
いやいや、早速のレス有難うございます。
やはり詳しかったですね^^)
341柏の葉 ◆7sgmagO6 :02/09/06 21:24
>>338
ごめんなさい。違っていたら申し訳ないのですが、焼酎さん?
342名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/07 08:40
>>341 イエース
343名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/07 08:41
焼酎ハッケソ!
344名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/07 10:14
神奈川県伊勢原市と秦野市の間に横たわる「善波峠」をご存じですか?
登っていくと左手にラブホテルの照明も眩しい、今でこそケバケバしい地区なんですが、その昔は追剥ぎで有名なところだったとのこと。

しかしその実態は・・・
昔は煙草の産地であった秦野の農家の人たちが収穫を終え、厚木の河岸で売りさばいて帰る途中、箕輪の宿(今の鶴巻温泉)で遊んで帰りお金を使い込んでしまった。
そのイイワケとして「峠の山賊に追剥ぎされた」と言っていたとのこと。
その噂が広がり、ついには追剥ぎの名所になってしまったと言う。
いつの時代も男って奴は変わらないね。
345名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/07 10:18
言い伝えスレに書けばよかった。
346山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/09/07 10:22
>345
面白い話ですね。ただ言い伝えスレの方にも書きましたが伝説は過去の史実
よりも寧ろその時代に教訓と成り得るものを伝えるものですから、事実では
無いかも知れません。
男も女も昔から変わらないというのは確かですが(藁)。
347名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/07 16:19
>>338
「大山参り」の噺は全然違う。
一行はちゃんと大山に登ったし、金沢八景には行っていない。
道中で喧嘩をしないという約束を破った八っあんが丸坊主にされたので
一行より先に戻って、他の連中は金沢八景で船に乗って遭難したと言って、
留守番のおカミさん連中を坊主にしてしまう噺。
オチは「お毛が(お怪我)なくってお目出度い」
落語には「富士参り」という噺もあるね。
「あ〜六根清浄」
348札幌そふと ◆SOFT.1Cc :02/09/09 23:36
>>326
>熊野の本宮があるのは和歌山県。
そう言えば、戦国時代に紀州の雑賀衆、鈴木一族がいましたがそういうことだったんですね。
349名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/10 00:12
良スレage
350名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/11 10:58
再び良スレage
351札幌そふと ◆SOFT.1Cc :02/09/12 07:18
では、他スレで流れ気味の話を。。

福岡の博多と愛媛の伯方町、もしくは「ハカタ」ってどういう意味か、
http://www.mainichi.co.jp/eye/branch/fukuoka/hakata/jamjam/old/hakata1015.html
に研究されている方がいらっしゃるみたいです。
352名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/13 23:22
保守しる
353札幌そふと ◆SOFT.1Cc :02/09/14 00:04
>>352
いつもスマンです。

繋がりになるかわからないですが、北海道のとある稲荷神社について一つ。
芦別市黄金町にある厳関稲荷神社というところなんですが、この辺の山坂は険しく
人を寄せ付けない「狐の森」と呼ばれたそうです。
ま、詳しくは↓をどうぞ。
http://www.ume.sakura.ne.jp/~ezo/street/story/data/003.htm

全国の稲荷神社もそれぞれにまつわる民話がありそうですねぇ。
稲荷神社は商売の神様という事で商人達があちこちで祀ったから期待薄
更に、稲荷神社と狐の関係はそれほど古い物でも深い物でも無いからねぇ。
355名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/16 00:44
age
356名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/17 12:17
>>354
そうなんだ!
357名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/17 12:45
>>354
それは誤り。農作物を荒らすネズミを食べることから、狐は古くから穀
物の守り神と考えられていた。稲荷の本拠地は京都の伏見稲荷大社で、
ここの狐は朝廷より正一位の名誉官位を賜った。こうして、農耕神であ
る稲荷と狐が結びつき、中世には京都の宗教者たち、特に真言密教の修
行者たちによって地方へと広まっていった。徳川時代になってからは江
戸で稲荷信仰が大流行し、武家・商家・農家を問わず、自宅に稲荷の祠
を作る人々が増大した。今でも、老舗の庭や企業ビル・百貨店の屋上に
は祠のある所が多い。
358山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/09/17 16:31
農作物を荒らす鼠を食べるという点が共通した為か、狐と蛇は共に農耕神として絡
む事が多い。稲荷大明神を蛇体で表現する場合も見られる。
狐は記紀の中では余り活躍していないが、平安初期以降説話文学などに多く取り上
げられるようになった。
なお狐が農耕神とされた理由にはその尾が稲穂を連想させた為である、山の神=田
の神であるという信仰から山と田を行き来する狐が注目された、新たに開墾された
土地でよく目についた、などと考えられている。
稲荷は鋳成りとも。鍛冶師や鋳物師や樵の信仰も集め江戸期には商売の他にも火除
けの神として崇拝された。稲成(稲生)を稲荷と書くのは弘法大師が東寺の門前で
稲を背負った老人と会った為だという。実際には絵画中の稲荷大明神は稲を担って
いる方が多いが、事実戦前まで男は稲束や薪を担い女は背負っていた。
359名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/17 16:49
豪族って何?偉い人たち?
360名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/18 07:53
豪雪の豪かな?
361名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/18 08:23
>>359
義務教育受けてんのかよ?
豪族って・・・小学生でも知ってるトオモウ
363名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/18 08:40
小学校4年生の社会科は、地元自治体発行による郷土の風土、政治、歴史などについて習いますね。
その時には欠かさずに「豪族」という表現が出てくるはずです。
364名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/18 09:20
弥生時代の集団の支配者(と言われている)
365名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/18 09:21
古墳=豪族の墓
366名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/18 09:24
大和朝廷と深いつながりがあった強い豪族が
国の支配者となったと言われている。
367名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/19 00:12
お国板らしからぬ良スレだ
368名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/19 00:24
横浜、神戸、熊本

日本三大ファッションタウン
>>367
だから、なかなか伸びない
370名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/19 16:43
でもって、最後まで大和朝廷に従わなかったのが
九州の隼人族と東北地方の一部の人達ね。
371名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/20 02:02
良スレage
372名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/22 03:44
保守
373名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/22 03:53
>>368
あーあ、タウンていっちゃってww
374名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/22 03:57
日本三大ペットタウン

東京・・・インコ(世田谷のショボイ商店街)
横浜・・・アザラシ(市内の川をウロウロしている)
熊本・・・ラドン(巣が阿蘇山にあり、何時でも福岡を攻撃させるようにしてある)
375札幌そふと ◆SOFT.1Cc :02/09/24 00:41
>>358
ちょっとスレ違いついでに質問。
狐が農耕神とされる一方で、人を化かすものと扱われるようになったのは
どうしてでしょうか。
376名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/09/24 00:44
>>375
お前のように裏表のある存在にピッタリだな(p
八丈島と奄美
保守
379名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/10/08 01:25
age
   ルーツ教えれ北海道民   
http://ex.2ch.net/test/read.cgi/news/1033910460/
381名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/10/10 19:14
>>131
ものすごい遅レスだが、新津−古津について。

新潟では近代まで水運が盛んだった。
古津/新津はそれぞれ、古い/新しい港の意。

「市中央部の信濃川右岸に残る古津(ふるつ)に対する新しい船着き場の意とされます。」
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/timei15.htm
382山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/10 19:24
>375
今頃気付いたわい。「日本書紀」に記された怪異の中に陸奥の国で狢
が人に化けて歌を歌ったという記事が見られます。
それに中国の伝承が(書籍混みで)混じったらしい。しかし信仰対象
と恐れる対象は紙一重でしたから、矛盾しません。
「日本霊異記」に出て来る狐は人との間に子を設けている話やその子
孫が雷神の子孫と絡んでいるところからして農耕神ですが、悪さもし
ています。
383牛沼久太郎:02/10/11 02:03
狸は男性神、狐は女性神というイメージがあるね。
狐は執念深く怖いが、ちょっとおバカという
一般的な女性の性格(失礼!)を反映しているところがあるんじゃないかな。
江戸時代の随筆集「耳袋」には狐に関して次のような話が載っている。

土浦藩のある武士が猟に出て神社の守り神の狐を殺して食べてしまった。
数日後、土浦領外の村の女の人にこの狐が憑いた。
村人が事情を聞くと、自分は土浦藩の侍に殺された狐だが、
土浦は恐ろしいのでこの村の女に憑いたと言う。
その話を聞いたくだんの武士は「おのれ狐め。恨みがあれば俺に憑けば
いいものを関係ない者につくとは許せん」と言って、村に赴き、
狐に会った。
この武士は「これ以上村人に迷惑を掛ける様なら、お前の家族を
悉く狩りだし、お前が守っている神社をぶっ壊してやる」と脅したところ、
狐は逃げ出したという。
狐も強気な人間にはかなわないと言う話。
もし、身近に狐憑きの人がいたら、強気に脅せば落ちるかもよ。
384牛沼久太郎:02/10/11 02:11
狐に関してもう一つ。
日本の苗字には熊、猪、鹿、虫、牛、馬、犬、猫、魚、鯨等々、
色々な動物姓があるけど、何故か狸、狐はない。
やはり、狐狸に対する禁忌があるのかな?
山野さん、わかります?
385名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/10/11 02:24
大和朝廷発祥の地、大和桜井市ですが何か?
なにも
387札幌そふと ◆SESOFT.1Cc :02/10/11 23:00
>>380
そのスレdat落ちしてるんですがお国自慢にあって良さそうなスレですね。
スレの中の感覚的に近いと思われるのは、

初期の流刑民 0.3%
明治以降の政治犯 0.7%
アイヌ 2%
屯田兵 20%
移住者 77%
ですね。

出身地で言えば、
東北>北陸>>>四国≧中部・東海>関東>中国≧近畿>>九州・沖縄
です。

>>382-384
サンキュ。
388山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/11 23:07
>383
狸の方は犬神人のように寺院の下級層を指す事もあったのでは無いか
という説がありますね。雌狐で有名なのはおさんや刑部姫ですか。
狐憑きは強者に弱いらしく豊臣秀吉や徳川吉宗に脅されて落ちたとい
う話も。厳島神社は参っただけで狐が落ちるといわれました。
>384
中世に人名に「犬」がついたのは専ら芸能者でしたが、やはり狐狸の
方も尋常では無いというか憑物筋を連想させるものとされたのでは。
389牛沼久太郎:02/10/12 03:56
「犬」がつく姓は中世はともかく近世以降はタブーはないようだね。
ご存知馬琴の「南総里見八犬伝」では犬がつく姓の若者がヒーローになって
いるし、儒教的徳目を守る人格者ということになっている。
芸能者=賎民については映画の寅さんの苗字は江戸の有力な賎民系の
姓で、故に寅さんは全国の祭りなどで土地の香具師の親分の許しを得なくても
営業ができたといった趣旨の論文を書いた偉い先生がいた。
寅さんを真面目に論じても意味ねーなと思ったけど、
それ以上にこんな論文を国立の教授が書いて問題にならなければと心配したよ。
この方面ではあまり研究が進んでいないみたい。
やっぱ、学の独立なんてのはお題目なんだよな。
390名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/10/12 13:18
>>牛久沼太郎
牛久沼って何市にあるの?
391牛沼久太郎:02/10/12 23:39
>>390
牛久沼太郎じゃなくて牛沼久太郎だよ。
牛久沼は茨城県龍ヶ崎市にある。
水利権の関係で牛久市ではなくて龍ヶ崎市に編入されたようだ。
392牛沼久太郎:02/10/14 19:50
>>382
「日本霊異記」に記されている人間と狐の間に生まれた子の
名は「岐都禰(きつね)」だったよな。
この話は美濃大野郡の話だが、美濃は「岐」の字が
キーワードのような気がする。
美濃の国司は土岐氏だし、現在の県名は岐阜。
岐阜の由来は信長が中国の岐山から名付けたものだが、
その他に「岐」にこだわって命名したと考えられないかな?
393つくば市民:02/10/14 20:07
牛久沼が龍ヶ崎市であることは地元の人でも意外と知らない。
ちなみに、うちから一番近い湖沼が牛久沼。チャリで10分くらい。
394山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/14 22:48
>389
メディア論と考えてみると面白いですよ。柳田國男も吉川版「宮本武蔵」に
登場するお通は歩き巫女が原型と書いていました。
>392
近年の説では岐山に拘ったのでは無く従来の地名から良いものを選んだとさ
れています。改名されたのは正しくは城の名では無く井ノ口という城下町の
名前。狐についてですが、あの中では「来つ寝」が語源だとしていましたね。
しかし実際には万葉の時代から歌われているのでもっと別の起源だろうと言
われています。
395牛沼久太郎:02/10/14 23:11
>>393
つくば市民さんは谷田部在住だっけ?
谷田部から牛久沼まで10分とは相当な健脚だな。
おれの家からもチャリだと10分くらいだ。
但し、帰りが辛い。登り坂だから。
結局、あの坂が牛久沼を龍ヶ崎に属する決め手となったようだ。
牛久沼は北側を除くと低地で新田の開発に向いていた。
北側の牛久側だけが台地上にあって牛久沼の水が使えなかった。
牛久沼の水を使っていたのは主に龍ヶ崎の農民だったんだね。
それで龍ヶ崎の所属となった。
その代わり牛久は台地の上にあるから住宅街として発展したんだけどね。
おれの家は移住組だが、親父が牛久に家を買った理由の一つは
洪水がなさそうだから。

396牛沼久太郎:02/10/14 23:41
>>394
ご教授ありがとうございます。相変わらずお詳しいですね。
私が住む茨城県牛久にも女化神社(おんなばけ)と言う稲荷神社があります。
「女化」の由来になった伝説も霊異紀と同様の異類女房譚のようです。
一方では人を化かす狐も一方では人間と夫婦になって子供まで作る。
妖艶な女と薄倖な女という二つのイメージが狐にはあるようです。

397山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/14 23:44
>396
「異類婚姻譚」の要は婚姻もさることながら禁忌を犯した事による別れ
にあるという意見があります。面白い伝説を教えて戴き、有難う御座い
ました。
398牛沼久太郎:02/10/14 23:50
>>396
おんなばけ→×
おなばけ→○
でした。
ヒソーリサイタマ
400名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/10/16 03:08
ぐわっはっはっは!>>400は埼玉県が頂いたぜ!
神だ!偉人だ!英雄だ!ひれ伏せこの田舎者どもが!!

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                 / ̄\   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< さいたまさいたま!
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                    ∩ ∧ ∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\∩ ∧ ∧ \( ゚∀゚)< さいたまさいたまさいたま!
さいたま〜〜〜!   >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
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              / /\_」 / /\」
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>>401 群馬県民? 過疎化大丈夫か田舎もん?(プ
>>402 神奈川県民? そろそろ県警なんとかしろよ。(プ
>>403 大阪府民? いい加減朝鮮半島にカエレやチョン供(プ
>>404 東京都民? 池袋は埼玉がもらってやるよ(プ
>>405 青森県民? ねぶたやってリンゴでも食ってろや(プ
>>406 広島県民? 珍走団必死だな(藁)今夜も珍走か?(プ
>>407 鹿児島県民? 今年の芋の収穫はどうだったよ?(プ
401名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/10/16 04:01
兵庫県

但馬:日本海沿岸なので神戸との繋がりはゼロ。
丹波:山の向こうの神戸との繋がりはゼロ。
阪神:大阪の方がずっと便利だから神戸との繋がりはゼロ。
淡路:地名の由来である阿波路の通り、神戸との繋がりはゼロ。
播磨:城下町姫路と港町神戸に繋がりはゼロ。


神戸:自称・550万県民兵庫県の中心。人口150万人。
その内、旧播磨国に住む何ちゃって神戸市民は70万人。
402つくば市民:02/10/16 04:15
>395
うちから牛久沼までは、坂が一つも無いよ。谷田川沿いをひたすら行くだけ。
どこからが牛久沼かと言うのは難しいけど、房内橋辺りから沼らしくなる。
あと、森の里団地付近の牛久沼周辺には、蛍がいっぱいいる。この夏、初めて見てびっくり!
こんな地元に蛍がいるとは思わなかった。あと、クワガタ・カブトムシがうじゃうじゃ。
森の里団地のちょっと谷田部側にあずまやがあるの分かるかな?そこんとこ。
403牛沼久太郎:02/10/16 18:08
>>402
茎崎にはほたるが出る親水公園があるな。
牛久沼の国民宿舎の急坂を下ったあたり。
でも、あの辺りは将来牛久土浦パイパスの建設予定地になっているんだよね。
牛久の市街を避け、牛久沼沿いに森の里から直進して稲岡あたりに出るらしい。
ほたるが見られるのも今のうちかも。
森の里と言えば寅さんだろ。
大原麗子が牛久から都内に通うサラリーマンの奥さん役で出ていた。
何で森の里?って思ったけど
牛久周辺で沼のほとりにある住宅街って森の里くらいだからな。    
それと数年前までビートたけしのお兄ちゃんの北野センセが住んでいたそうだ。
有名になってからどっかへ引っ越したらしい。
404牛沼久太郎
なんだかスレ違いになってきたので
地域つながりのネタを一つ。
筑波山と伊吹山のつながり。
実は筑波山の名物の一つ「ガマの油売り」の元祖は伊吹山だった。
伊吹山にも四六のガマが生息していて伊吹山のガマの油売りの口上が
江戸に伝わって筑波山のガマの油売りの口上になった。
口上の内容はほぼ同じだが、伊吹山の方はマータリしていて、
工夫があまりない。
筑波山の方は伊吹山の改良型だから色々工夫が見られ、
その上江戸弁だから歯切れがよい。
関東のガマの油は有名だけど、関西では伊吹山のガマの油は有名なのか?