1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
一応の参考になるように、今までの流れを勝手にまとめてみた。
・確定枠?・
後漢
魏:曹操 曹仁 張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙
三国
魏:曹真 満寵 ケ艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜
・議論枠・
後漢
魏:夏侯淵 臧覇 文聘 陳登
蜀:関羽 馬超
呉:孫策
三国
魏:曹休 司馬懿 田豫 郭淮 王淩 毌丘倹 陳泰 王昶 王基 鍾会
蜀:魏延 王平 姜維 羅憲
呉:朱然 朱桓 諸葛恪 丁奉
・定義外?・
群雄割拠以前
呉:孫堅
他:皇甫嵩 徐栄
三国以外所属
他:麴義 黄祖 呂布など
晋呉二国時代
呉:陸抗
晋:羊祜 杜預 王渾 王濬
やっぱり張飛を確定枠に入れるのは疑問だなぁ
ここまでの流れは見てたけど張飛だけは実績が少な過ぎない?
名将である事に異論は無いんだけどね
並んでる名前のなかで一人だけ余りに実績が少な過ぎる気がするんだけど
>>1乙
>>4 確かに腑に落ちない所があるよね。
途中からいきなり軍を率いて功績立て始めた感じ。
ただ単に三国志が劉備の中原流浪時の記述を取り入れてないだけなんだろうけど。
実績だけ直視すれば24選には入らないだろうなぁ。それこそ羅権とか陳登と同格。
あと時代の定義は三国時代に特定する必要あるのか?
三国時代名将24選じゃなくて三国志名将24選でしょ?
三国志という歴史書に記述がある人物はみんな範囲内で良いと思うんだけど
後漢勢は普通に入ってるし、完全に詰み状態の二国時代を重視するのはあまり…
張飛益徳
・劉備に従って転戦
・劉備が平原郡の相となると、関羽と共に別部司馬に任じられる
・曹豹が寝返り呂布に呼応したため、張飛は敗北し下?を奪われる
・劉備が曹操に従って、呂布を破ると、張飛は中郎将に任命された(関羽や他の劉備配下はそういう事が無かったので、張飛は何か功績があったと思われる)
・長坂で二十騎の部下と共に曹操軍の数千の軍兵を防ぐ
・周瑜とともに、江陵攻めに参加
・益州に諸葛亮・趙雲らと共に援軍として侵攻、手分けして郡県を平定した。
・江州では巴郡太守の厳顔を撃破し、生け捕りにした
・張裔の軍を破る
・巴西の住人を奪おうとした張?を撃破し、張?は数十人の部下と共に脱出する羽目になる。
・曹休に策を見破られ逃亡、呉蘭・雷銅を斬られた(張飛自身は戦わずに逃亡したと思われる)
確定とするには微妙かもなあ
蜀将でそんだけ武功があったらトップクラスでしょう。
巴郡に侵入していた張郃を撃退しているのは大きい。
まあこれだけなら陳登や羅権と同格と言われるかもしれないが、張飛には更に入蜀での快進撃があるので。
敵地に攻め込んで武功を挙げているわけだから、守戦の名将である陳登や羅権よりは上かと。
劉備に留守を任せられたのに呂布にあっさり負けたり、曹洪曹休コンビによって馬超ごと封殺されたり、黒歴史も結構あるけど・・・。
あれはむしろ呂布や曹休を褒めるべきところかと。
張飛はどう考えても記録されてない「実績」が相当にあるだろうけど、そこを完全に無視するなら議論枠かもね
三国志だと袁紹陣営なんかもさっぱりわからない…というか、憎悪すら感じるな
後漢書だとぼちぼち好意的なのに
劉備が張飛らを固山へ派遣したのは陽動での呉蘭達の救出だろうが
連絡線遮断の態勢に気づいてもらえないと陽動にならないし
アピールしても相手が冷静だと見破られるからね
ダメ元だったんじゃないだろうか
除州の件は呂布自体よりも丹陽兵を率いる
曹豹、許耽、章誑の目論見に気づくのが少し遅かったと言うべきか
張コウや牽招あたりですら袁紹の元に居た頃の記録はほとんど残ってないからなー
袁紹は10年かそこらで大勢力に成長したのに、麾下にこれといった将が居ない印象になってしまっている
史書のどこにも記録されないような実積は、大したことがないということなので無視して良い範囲なのでは。
劉備軍そのものがあまり勝てていないので、張飛も実積の立てようが無いとも言うけど。
三国志だけでも、袁紹軍の内情はけっこう分かっている。
例えば袁譚。
黄河以西だけというちっぽけな領地からスタートして、田楷を撃破し、孔融を駆逐し、黄巾を懐柔し、青州を平定。
細かい戦闘内容が分からなくても、大きな結果を出していればこうやって記録に残らざるを得ない。
袁譚の実積は、孫策とほぼ変わらないと言えるかも。
曹操と袁尚が争ってる隙に冀州東部も平定していることを含めると、総合的には孫策以上かもしれない。
>>12 董昭や麹義あたりはけっこう事績が伝わっているので、それで勘弁してあげてください。
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 08:52:28.39 ID:Zf6DjxS00
>>13 正史の僅かな記述だけ見るとエンタンが一人で自ら平定したように思えるけど
現実的に考えたら優秀な将軍らにただ担ぎ上げられてただけだろ
>>15 根拠も無いのに、なんでそう判断できるのかは知らないが。「現実的に」って何?
その優秀な将軍の存在が伝わっておらず、かつ袁譚が自ら兵を率いて戦うタイプであることが伝わっている時点で、袁譚が司令官として転戦したと考える方が自然。
マッタリ名将談義とかでよくね、このスレ。
選ぶ気ないでしょ。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 21:17:28.71 ID:UpzakAok0
>>13流石に、袁紹のサポートを受けれる袁譚と、たいして袁術のサポートをもらえなかった孫策を同格以上にするのはどうかなって思ったけど
wiki見たら袁譚、一度、曹操を撃退した事があるんだな
これが本当なら確かに孫策より上かもしれない
三国外の連中はともかく、まず呉と蜀が同数っぽくなってるのが、バランス的におかC
魏:呉:蜀=
平定した後漢の州数、9:3:1
人口=人材等の比率、6:3:1
抱えていた対外戦線、4:2:1
滅ぼされたのも蜀が先だし
呉は蜀の二倍は名将がいてもいいでしょ
蜀はもうその三人だけでいいよ
国ごとに枠の数を決める必要はないと思うの。
素人判断なんて所詮そんなもんだろ。
曹仁って徐庶にボロ負けしたんだっけ
周瑜や関羽にもボロ負けしてたっけ
他にも馬超に手も足も出なかったんだよな
人口比も4:2:1くらいだろ
演義厨のフリして中英板を荒らす
>>22みたいなバカが最近増えましたね
>>22は無駄を省きすぎで的確になってて逆にダメだなw
徐庶ももーちっと史料があればなぁ
寒門の出かつ降将で中央の官を歴任してるとか他の二国なら間違いなく伝が残るレベルなのに仕えた先が曹操だったばっかりに他の有能な人材に埋もれてしまったのが残念すぎる
そりゃ諸葛亮も嘆くわ
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/26(日) 20:35:42.38 ID:DQExb1ON0
お前中央の官吏がどんだけいたと思ってるんだ
徐庶は偶然諸葛亮との接点があったからその名が後世に残る事になったけど、中には名前が残らない低級〜中級官吏は何百といるんだぞ
寒門出身の中央役人なんて十で数えるほどいるだろ
袁譚が孫策より名将かあ
関羽・孫策は降格ボーダーラインとか言ってたけど
袁譚もあの兄弟のなかでは抜けて優秀なんだな
孫策の江東平定はその後の呉建国に直接繋がってるから印象が大きいんだろうな
まあそれでも年齢とか敵の地盤考えれば充分すごいけど
曹操、劉備が余裕の確定枠なのに、孫家が居ないのが寂しいというのもわからないではない
孫策が凄いのは寡兵で短期間で州を統一したからだろ
袁譚は袁紹勢力という強力な地盤から支援を受けて自分より弱小であろう田階を追いやって黄巾兵を掃除しただけ
正直言って大将が袁譚じゃなくても青州は制圧されていただろう
逆に揚州は将軍が孫策でなければあそこまで見事に統一されて無かったはず
>孫策
しかし相手が小物とか小物に一本毛が生えただけのレベルばかりな件
袁譚の相手だって大したことないって
孫策が名将かは置いといて袁譚が名将候補入りみたいな風潮に異論唱えただけ。
袁譚の前にいた田階だって青州全土を抑えていたわけじゃなく、青州には孔融みたいな田階に対して独立した漢王朝の太守から、何に対しても不服従な武装民黄巾とか色々いたわけだし、
それでいておまけに主君である公孫瓚が衰退していたから孤立してた。
氾濫した河の中洲で溺れまいと踏ん張ってた人間に弓を射たに過ぎない。
その後、本国から送られてきた莫大な富と人力を振りかざして圧政を敷いて不服従勢力を無理矢理弾圧しただけ。
それで万事解決したなら良いけど青州の国力は落ち、怨嗟の声も募っていたようだし、とても名将と言える人間では無い。
人間性偏重は要らないや
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/27(月) 00:49:15.05 ID:917QjeaI0
人間性なら張飛は絶対入らなくなるな
人間性も含めたら、民を虐殺してる曹操だって名将とは言えなくなるだろうな。
二君に仕えてもダメとか言い出すと、更にカオスになるなw
>>30 当初は公孫瓚の方が袁紹より大勢力だったわけで、有利不利の程度は不明だけどね・・・
まあ袁譚はギリギリ候補枠に入って、結局24人には絶対選ばれないレベルだろうし、どうでもいいような
麹義すら入ってないのに袁譚なんて入らねーよ
袁譚は田階、孔融をサクッと潰した際はその武勇で人気だったらしいから、まぁそれなりではありそう。
どさくさで冀州のかなりの部分を切り取って、舐めてた部分多々にしてもろくに配下武将が居ない状態で、
特に堅いわけでもない南皮で曹操を大苦戦させて…。
王修の扱いなんかも説が割れてるけど、少なくとも個人間では絆があったようにしか見えないしなぁ。
まあ結局は
>>38の言うとおりだろ
袁紹勢力から入れるとすれば、袁紹自身か麴義のどっちかになるし
議論枠杁候補は出来る限り増やさない
議論枠内で下位である事が有力となれば積極的に削る
という方向で行くのかな?
候補枠の中で最も確定枠に近いのは誰なんかな?
司馬懿か田豫あたりをイメージしてるけど
二国時代も入れるなら司馬懿と並んで杜預と陸抗が最有力になるんじゃないかな
>>2の議論枠の中からなら王基か田豫かな
用兵能力とさらに戦術的判断力にも長けてるし
杜預は分かるけど、陸抗はかなり微妙じゃないかな?
姜維や諸葛恪のように攻め込んで魏(晋)軍を破ったわけでもなく
そもそも前線での活躍期間短かすぎだし
晋が本格的に攻め込んできてたわけでもないし
西陵の戦いって、本質的にはただの内乱処理
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/28(火) 01:46:10.06 ID:/3BBDIbr0
陸抗は一発屋だもんな
西陵の戦い以外だと諸葛誕の時にちょっと功績があったぐらいで、永安攻めも失敗してるし
陸抗は「呉最後の名将」という評価が一人歩きしてるだけ
その評価も呉の人々の願望に近いし
陸抗はなんといっても外戚ですしな
曽祖父が孫堅、祖父が孫策、父が陸遜、子が陸機陸雲
五代に渡って呉人の期待とプレッシャーを一身に背負い続けた物凄い家系だ
まあ陸抗はなんか巷では過大評価されてると思う
二国時代だからとか関係なく、確定枠には入らない気がする
>>45 それじゃ正解を教えてやる
少なくとも江戸以前からって意味だ
だから今では四代か五代は続けて住んでないと江戸っ子とは言わない
おかしいだろ
明治や昭和以降にどっかの半島から移住してきた江戸とも日本とも縁も縁もない奴が江戸っ子とか
劉備が確定入りって無理矢理過ぎない?
正直言って名将だとも思えないけど名将だとしてもどう考えても24選入りは無いだろ・・・
後半の王基や司馬懿が外されて劉備が入る理由が分からない
劉備って小規模な合戦ではそこそこ強いけど、大規模や戦役や強敵相手じゃザコい、
匹夫の勇の典型的な例だと思うんだけど
あと毌丘倹が入れられてるのは高句麗討伐の功績が評価されてるからなの?
そもそも当時の高句麗がどのくらいの国力があったのか分からないし、内乱や専横で支配体制が揺らいでる状況に漬け込ん?%
>>50 キミの名将基準はいつも意味不明だなぁ・・・
なんかテキトーなフィーリングで言ってるんじゃないの?
正史を読まずにネットの情報とかで判断するとそういう価値観になるのかな?
王昶、王基、王凌
杜預、王濬、王渾
鍾会、ケ艾、
三国時代後半〜晋で活躍したこいつらを序列したらどうなるの?
>>52 三国時代後半〜晋って、もう魏晋の国力が圧倒的だから、国境を完璧に守ってたってだけじゃ微妙じゃないかな
王淩王昶王基はいずれも良将だと思うけど、対呉の守将カテゴリでは文聘満寵の下位互換にしかなれないでしょ
鍾会と杜預は侵攻作戦を練って実質的な総司令官として一国を攻め滅ぼしたんだから、王三人組よりは間違いなく上かと
この二人を比較するなら、魏蜀の差と晋呉の差の違いや地理的状況を考えても、鍾会の方が困難な作戦を成功させている
王濬王渾は杜預の付属品として扱わざるを得ないような気が
強いて言うならば王濬の方が上な気がするけど、微妙な感じ
ケ艾の手柄が鍾会に吸収されないのは、ケ艾でしか不可能な攻め方で劉禅を降伏させたから
それに加えて、蜀の滅亡カウントダウンを大幅に早めた段谷の戦いでの大勝があるからかな
>>50 連レスで申し訳ないけど、司馬懿や王基に益州平定や夏侯淵撃破や曹操撃退なんて絶対できねーから、劉備は名将に入って良いと思うよ俺はね
本当に名将か?って思う場面が多々あるのも確かだから、外したくなる気持ちも分かるけど、蜀将ってほぼそういうのしかいないから
毌丘倹に至ってはそもそも確定枠でもないのに、ケチをつける意味があるのか分からんけど・・・
あんな地の果てまでの大遠征を成功させて一国を滅亡寸前まで追い込んだだけでも、充分に名将の資格有りじゃないのか
対呉の守将としても、都督揚州諸軍事として着任早々に諸葛恪を防ぎ、それが諸葛恪を死へと追いやったわけで
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/30(木) 17:43:35.97 ID:M9J6HAH80
>>50負けも多いけど荊州の南半分と益州を手に入れ、于禁・夏侯淵・曹操といった当時の名将に勝利したという実績のある軍人なんて
三国志でもそういないからね
このスレだと軍師や参謀の意見を取り入れるのも将軍の実力のうちという感じだし
>>53 鍾会の蜀攻略の功績はケ艾と折半で考えるべきじゃないか?
ケ艾の成都攻略がなきゃ補給線の問題で撤退に追い込まれた可能性も高いんだから
しかも折角劉備・諸葛亮が構築した防衛線を変更した姜維の失点もあるし
>>56 うん、そう思います
漢中防衛システムを姜維が崩したのも、段谷の敗戦が原因だからね
あれで兵が足りなくなって、その補充の為に漢中から引き抜いたんだから
,イ │
// |:!
//,. -/r‐- 、| !
/,/ ./ | _」 ト、
/) /.\`/ |二...-┘ ヽ
///) i ,.>、;/ー- 、 l
/,.=゙''"/ ! ∠.._;'____\ | こまかいことはいいのだよ!!
/ i f ,.r='"-‐'つ ,!イ く二>,.、 <二>`\.、ヽ.
/ / _,.-‐'~ /'´レ--‐'ノ. `ー---- 、 |\ ヽ、
/ ,i ,二ニ⊃ \ `l (!" Jfヽ! `''-;ゝ
/ ノ il゙フ `‐、jヽ ヾニニゝ ゙イ" }_,,. ‐''´
,イ「ト、 ,!,!| `´\ ー / ,ィ_}
いやいやw
司馬懿は三国志にも記述あるけどな
ただ、三国志内での記述でいくと確定枠なんてほど遠いけど
司馬懿の名将記述の大半は宣帝紀のだしね
田豫は活躍期間長いし、穴、失点がほぼないんだよな
知勇に加えて人格も完璧で、人間性がどうのと喚くいつものヘンな人にも文句つけられない
黄巾の乱から晋の統一までが一般的な三国志として認知されてる時代でしょ。
特に司馬懿なんかは三国時代に活躍してる将なのに、
載ってるのが晋書だからダメとかいうのは屁理屈にしか見えないけどなあ。
それだと三国外で後漢書にしか伝がないような群雄武将もダメだし、随分窮屈になりそうだ。
普通に、後漢末期から呉滅亡までが範囲じゃダメなの?
正直、司馬懿やドヨが三国時代の武将じゃないという斬新すぎる意見には驚愕せざるを得ないんだけど。
各種事情アリアリな司馬懿や、国力差が圧倒的すぎる時期の評価の難しさ、適正枠数はともかくとして、
「三国志外」とするのは流石にないな
諸葛亮が入るなら司馬懿も入ると思うんだけどどうなの?
諸葛亮なんて南部の反乱を鎮圧した後、北伐して勝ったか負けたか分からん戦争を繰り返しただけ。
対して司馬懿は諸葛亮との戦いでは、微妙な部分もあったかも知れないけど、それ以外では、荊州から遼東から揚州までを転々としてその全てで勝利してんじゃん。
司馬懿で時期を問題にしてるのなんて1人だけじゃねーの
>>66 諸葛亮>司馬懿なのに、諸葛亮が入るなら司馬懿が入るっておかしいような?
呉や遼東との戦いぶりは完璧なのは同意だけど
仲達さんの対蜀戦線奮闘記
・張郃の進言を無視して魏延にボロ負けする
・張郃の進言を無視して張郃を無駄死させる
・自力の限界を悟り郭淮と辛毗に判断を委任
・諸葛亮が過労で陣没したから何とか防げた
司馬懿は保身だとか政治的な動きが多過ぎて
戦績をそのまま実力と受け止めるのには少し疑問が残るのよな。
諸葛亮は当時の戦力差と情勢を考えると、
本人が直接軍を率いての局地戦でほぼ負けなしってのは評価できると思う。
味方に足引っ張られたり人選間違えたりで戦略的には負けてるから、割引されがちだけどさ。
>>68 それは、司馬懿が諸葛亮との戦いで経験積んで最終的に名将になったって事で良いのでは?
諸葛亮は序盤では曹真に圧倒されてるしさ
>>70 その発想は無かった
まあ確かに人間なんだから成長はするんだろうね・・・
そういうことを考え出すとまたややこしいことになりそうだけども
まあ司馬懿は議論枠でも上位、確定枠を充分狙えるライン?
それとももう確定枠入りする流れなのか?
最近は田豫推しだったようだけど
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/01(土) 02:52:20.48 ID:eTF69P420
>>70諸葛亮が曹真に圧倒されてるとは言い難いんじゃない?
最初は趙雲を使って、曹真を上手く誘導してるし、
陳倉攻めも武都攻めのための囮の可能性があるし
自分も曹真が諸葛亮を圧倒はないと思う
第一次なんて戦略的には完全に手玉に取られてて
たまたま街亭で勝ったから助かったようなもん
陳倉だって曹真単独では撃退出来てないし
補給が続かないから決定的な敗北にならないだけで諸葛亮に領内を好き勝手横行されてる
どっちかといえば諸葛亮>曹真だと思うぞ
>>72 >>73 諸葛亮>曹真なのは同意だが、褒斜道から侵攻した趙雲に曹真が全力で対応したことは別に間違ってないし、陳倉攻めも読まれてない方が良かったに決まってるんだよなぁ・・・
この辺、どうも俯瞰的な見方をされてない気がするのだけど、なぜだろう?
「手玉に取った」は明らかに過大評価で、一進一退の攻防で諸葛亮が上回っているだけなのだが
陽動に全力対応したのがそもそも諸葛亮の思惑通りなんだがなぁ
どちらにしろ曹真が圧倒したというのは間違いじゃない?
>>75 「陽動」ってのに拘っているみたいですけど、陽動かどうかなんて関係無いんですよ・・・
魏軍は曹真軍だけではないのだから曹真が全てに対応する必要は無く、そもそも最優先で守るべき関中方面への侵攻に対応せずしてどうしろというのか?
あのルートから逆撃して攻め込んだ時点で諸葛亮は反対に対応を迫られたのだから、何も間違ってないかと
馬謖が街亭で敗北しただけなら諸葛亮は張郃に対応出来たかもしれないが、曹真との二面作戦を強いられる形に持ち込まれたから撤退したわけで
その撤退が出来たのは趙雲の後拒が巧みだったから
もしかして私の方が何か根本的な勘違いをしているのだろうか
反論が来ない議論は虚しい・・・
今更だけど
>>陳倉だって曹真単独では撃退出来てないし
これもどういう意味なのか全く理解できないんだけど
78 :
70:2014/02/01(土) 19:56:38.90 ID:+IbAvQ+e0
なんか俺の表現でこんがらがったみたいだけど訂正する
×諸葛亮は序盤では曹真に圧倒されてるしさ
○諸葛亮だって序盤に曹真に苦戦してるしさ
北伐論は熱いな。
いい感じです。
議論スレなんだから他の皆さんも意見を下さいな(´・ω・`)
というかここに来てまさかの曹真sageってことは、今の確定枠って確定枠じゃないのかな
性急に意見を求めすぎだw
このスレはこの板だと現時点でも下と差のある勢いトップだよ
基本過疎板なんだし、数日、1週くらい待つ気で居た方が
間違いなく同格以上という将を確定枠外から3,4人挙げられるなら確定枠外しも有り得るだろうけど、
現実的に考えてまずないなー
とりあえず、せっかく2スレ消費して固まってきた確定枠から誰かが削られる流れになるのは勘弁してほしい
議論枠から誰を削り誰を繰り上げるか、という流れになってほしい・・・
そういや賀斉っていたよね
あいつは名将の資格無いの?
曹操の子の曹彰は入れたらだめか?武将としての能力は秀逸で早死にしなければかなりの実績も上げたと思われる
呉だと上位だろうけど24傑となるとな
100.選なら文句なしじゃね
っていうか、呉の賀斉とか、蜀の馬忠張嶷って、外敵と戦ってないからね?
異民族戦線ってことで勘違いしがちだけど、内を治めてただけだから
山越とか南蛮って、中華内部に住んでる不服住民だし
賀斉とかが入るんだったら、魏だと劉馥梁習張既徐邈とかまで候補に入ってきて、わけがわからんことになってしまう
魏の田豫牽招が戦ってたのは、鮮卑帝国とかであって
中華外部の外敵だから、対外戦線
同じ異民族でも、意味は全然違う
地図を見れば分かると思うけど
曹彰は・・・やはり一発屋だからかな・・・?
その一発で烏丸と鮮卑を平定したんだから、最小の策戦行動で最大の戦果を残したという意味では名将中の名将かもしれんけど
魏は層が厚いから24人に入るには厳しいんじゃないかな
あと、田豫のおかげで勝てたウェイトが大きい気もするし
黄鬚さんは向かうとこ敵無しで大戦果を上げているし、武将としてはポカも無いのだけど、
活躍期間が短過ぎて未知数だからねえ。
魏には他にもっと歴戦の武将がたくさんいるから難しいと思うわ。
田豫は確定枠で良いのでは?
議論枠の中で最も名将なのが田豫とは言わないけれど、誰からも異論が来なさそうな安定感は随一
あと8枠もあるんだから絶対入るでしょ
司馬懿と田豫は確定で良いと思う
確定枠の中に並べると田豫の地味さは圧巻だけど、とにかく減点要素がないからなぁ
実績も普通にボーダー内上位だし、ここから漏れる事が考え難いのは確か
一旦ここらで各々が考える順番で上から並べて書いてみてはどうか
A+とかSとかやり出すのか
荒れそうw
ただでさえ荒れる火種抱えているというのに
更に増やすとか正気の沙汰じゃないw
そもそもここのスレ民って、まともに議論する気があるのは数人でしょw
意見を求められると逃走、中身の無い一行レス、見当違いな難癖、評価くれ厨、荒らし.etc
半分以上こんなんだからな・・・オワコンスレフラグビンビン丸でござる
荒れる火種を放り込みまくった方が盛り上がって面白いと思う
ラスボスの関羽さんが出待ちしてますしおすし
無責任なことを
議論スレになってないしな実際
いつも同じ人が喋ってるだけ
それに同調するか反論するかみたいな流れだし
その数人が消えて超マッタリ進行でやるのが一番なんだろう
しかし、マンガキャラ等の最強スレと違って、将と将の直接比較は妄想ですら困難だからなぁ
率いる兵や下に居る武官や文官の質・数、余所で敵を脅かしてくれる同格の将の数等が全く揃っていないのに、
それが本人の能力と同等以上に各種実績、戦績に響くわけで…
どうしてもやるなら国ごとに枠を決め、ある程度条件が揃っていて比較しやすい国内で格付けする形かね
これはこれで歪みは出るだろうし、そもそも最初の枠数決めで荒れそうだけど
国の差よりも時代の差の方が大きい気がするのですが
領土拡張がメインワークの後漢末と、国境防衛がメインワークの三国時代
少数を率いてでも結果を出すことが求められる後漢末と、大軍の統率力が重視される三国時代
国力差によって時代が経つにつれて有利になる魏と、時代が経つにつれて不利になる呉蜀
同じ国かつ同じ時代なら簡単に比べられるけど、それだと議論するまでもなく序列がわかりきってるから意味無し
国ごとに枠を決めるのはやめたんじゃなかったっけ。
結論が出ないのと、呉蜀後漢晋から無理に枠を作ろうとすると
もっと優秀なはずの魏の武将が多く削られたりで、選出がぐだぐだになるから。
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/07(金) 00:23:15.33 ID:iYE5rS8J0
>>2 魏の議論枠多すぎじゃない?
三国時代の対呉都督としてのイメージは満寵>司馬懿>曹休=王基>夏侯尚=王淩=毌丘倹=王昶>>>>>狗
魏将の層の厚さを鑑みると、北でも功績のある毌丘倹は別としても、王淩や王昶は確定枠にはなれそうにないよ
だったら議論枠からも外していって良いんじゃない?という提案
司馬懿シンパで配下にいた結果
功績がしっかり記録されている
胡遵さまを代わりに議論枠にいれよう(提案)
胡遵が24選に入るわけない
これ以上議論枠を増やしてどうすんのかと
俺は王淩王昶だけじゃなくて姜維とかも切っていいと思うが
郭淮どころか郭淮に勝った魏延すら確定枠じゃないのに、郭淮陳泰に勝てずケ艾に蜀滅ぼされた姜維なんて絶対24選には入らん気が
姜維は失点だけ数えればそうなるけど、
ちゃんと情勢を鑑みて加点も評価すればそうはならないと思うけどなあ。
言いたいことはわかるが、姜維はマイナス面が大きすぎてプラス面なんかじゃ全然カバーしきれてない
せめて王経が武功を重ねた強敵だったとか、郭淮を一度くらい撃破しているとか、そういうのならともかく
まあ反論が出るってことは議論枠に残すべきなんだろうけど
でもマイナスをプラスでカバーできるなら、まず夏侯淵が確定枠に入るべきでは
姜維は劣勢の中で良くやったって事を評価されてるんだと思うが
姜維が外れるとなるとあまりにも蜀の面子が寂しくなるね
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/08(土) 19:06:53.82 ID:9MSkMz/J0
姜維を候補に入れるなら王平を候補に入れた方が良いかもな
陣地や領土を守っただけとはいえ張コウ、郭淮といった名将に勝った経験があるし
王平の頃はまだ費イとかショウエンとか董允とかが居て、状況がかなりマシなんだよな
>>108 王平が張コウや郭淮に勝ったことなんてあったっけ・・・?
張コウの攻撃を防いだことはあるけど、あれで勝ったと言うんだろうか
郭淮にいたっては王平と戦ったことすらない気が
まあ郭淮に勝った魏延に勝った王平は郭淮にも勝ってると言えなくもないかw
王平さんマジ隙のない名将・・・ちょっと小物なのと守備専なのが数少ない欠点なのかな
>>110郭淮は曹爽の蜀侵攻に参加してる
郭淮は形勢不利を悟って早くに味方を退却させたから大敗せずにすんだらしいが
>>111 それは郭淮に勝ったって言わない気が・・・
例えば215年の合肥には呂蒙も参加しているけど、それで呂蒙は張遼に負けてるなんてことにはならないでしょう
まあ、その辺の判断も人によるんだろうけど
蜀は魏延王平姜維でそこまで差が出ないのかな
羅権は陸抗をどう評価するかによる?
王平は小物臭すんだよなぁ
卒の無い良将なのは確かだろうけど、24選としては地味過ぎる
成り上がりなんだから、ケ艾みたいに派手に活躍してくれも良いのにね
あと名前が致命的にダサいのも欠点
>>113名前がダサいとかそんなの名将と何も関係無いじゃないかw
前に司馬懿と田豫を確定枠に上げるって話が出てたけど。結局どうなるのかな。
司馬懿みたいな功績もツッコミどころも多いタイプなら、夏侯淵や孫策もいるわけで。司馬懿がこの二人より明確に上とはならないように思うけど。
そりゃ姜維や諸葛恪よりは間違いなく上だろうけど。
田豫みたいな卒がないタイプも、個人的には臧覇の方が色々と格上な感じが…。これも時代が違うせいなんだろうか。
王平は既に言われてるけどちょっと小物すぎる印象…呉懿が死んでやっと司令官級だし。なんというか防御タイプになった丁奉みたいな印象。
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/09(日) 03:52:01.13 ID:dsf1UrmK0
王平より名前のダサい奴いっぱいいるだろ
田豫とか
その理屈で言ったら武安国か厳白虎が名将筆頭ですかね
厳白虎いいよな
顔良(イケメン)「名称で名将になれるんだったら・・・」
紀霊「」
前にも意見が出てたようだけど、確定枠の中で、張飛だけ浮いてると思う
武功の数とか以前に、徐州失陥という大失態が許されてるのが納得できんし、関羽を差し置いて張飛ってのが違和感
張飛の留守番失敗以後、張飛は別軍司令官として劉備からの信用を失い、常に劉備の管理下におかれることに
以後、別軍司令官を担ったのは一貫して関羽であって、これは最後の最期まではずっと成功していた
張飛が入るなら関羽が入るべきでしょう
劉備からの評価だけではなく、魏側からの評価や陳寿からの評価も、関羽>張飛なのだし
まあ関羽論争を起こしたいだけなんだろうとは思うけど、
張飛は張コウを撃退したり、益州等攻め込んでの功績が多いから、
そこは大きく評価されて然るべきだと思う。
関羽は同時代人の評価こそ高いけど、記録に残されている実績ではね。
張飛より大きな戦果があるなら議論はされるだろうけどさ。
一人の武人としてなら関羽最強でも異論はないけども。
いや関羽じゃなくて張飛論争したかったんだけど
わかりやすい比較例として関羽を出しただけで
関羽の主な功績は于禁と龐徳の撃破、主な失態は荊州失陥
張飛の主な功績は張コウと厳顔の撃破、主な失態は徐州失陥
関羽の功績が失態で帳消しにされるのに、張飛だけ評価が甘いんじゃないかという話
五将でトップの于禁>五将で4番目の張コウだろうし、馬騰軍で最強の龐徳>劉璋軍で巴郡太守の厳顔だろうし
関羽より露骨な例で言ったら、夏侯淵なんてどんだけ撃破数稼いでるかわからんくらい勝ちまくって、馬超と韓遂の勢力すら消滅させてんのに、漢中という一郡を失陥しただけで確定枠になれてない
しかも相手は全盛期の劉備軍だったのに
張飛なんて曹操に負けて近くに駐屯してた群雄モドキ時代の呂布にやられてるんだが・・・
劉備にしても張飛にしてもここでの評価は捨て猫番長理論としか思えんよな
あと何度か話題に出てる「蜀からも誰か出さないといけない」という謎の使命感
ここはそもそも武廟入りしてる面々であっても易々と外そうとする素人雑談の場。
纏まるはずもないと思うけどな。
既成事実から目を背けてる時点で、俺の価値観の押し付けあいに過ぎない低レベルっぷりを
晒してることに気がつきもしない。
張飛は純軍事的な失態で徐州を失ったわけではなく、
袁術の息が掛かった内通者+劉備が招き入れた呂布によって失ったわけで、
張飛の責任はかなり小さい。
むしろ張飛の推定年齢(それに加え、特にハクが付いた官職持ちではなかったであろう事実)を加味すると、
よくぞ思い切った処置(超格上である下?の相である曹ヒョウを斬った)を取れたものだと、むしろ感心するね。
>>126 気持ち悪い歴史観を押し付けてくる関羽信者こそお呼びじゃないよ
相変わらず人を無駄に見下した言い方が好きみたいだが、それも関羽リスペクトか?
そんなに武成王廟を名将の基準として絶対化したかったら、張良やケ禹が岑彭や班超より名将だということを分かりやすく説明してほしいもんだ
議論はいいけどケンカ腰は荒れる元だから控えようぜ。
>>127 丹楊兵が城内西門に待機させて呂布を招き入れる準備してたんだっけ?
計画されたクーデター察知して首謀者斬ったなら頑張ったほうか
曹豹斬っても結果的に部下二名は止まらなかったが
これは以前からの陶謙、劉備、袁術らの複雑な政争の側面のが強いな
>>124関羽の于禁とホウ徳の撃破は洪水によるただのラッキー
対して張飛の張コウと厳顔の撃破は完全に実力
張飛が入って無くて、夏侯淵が入って無いのは自分も不思議だ
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/11(火) 00:18:13.99 ID:fnkkceHL0
>>126 うわあああああああああああkankou_jp_weaponの輩がこのスレにも出たあああああああああぁぁぁぁ
中国最強武将スレが演義信者迷言スレと化した悪夢が戻ってくるぞおおおおおおおおお(^q^)(^q^)(^q^)うううううううううぉぉぉぉぉ
これって戦いの詳細が明確なほど不利だよな
張飛は厳顔相手にどうやって勝ったのかまるで分からないのに実力と言われ、悪天候を味方にして曹軍No.1の于禁を降した関羽がただのラッキーと言われるっていうね
前にも何度か言ったことあるけど、このスレ夏候淵の評価低いよね。
あんだけ侵略して領土拡げてる将もそういないと思うんだけどな。
反対意見も劉備や曹操からの評とか、実績とは関係ないものが多かったりするし。
>>133だって関羽が故意に川を氾濫させたのではなく、運悪く洪水のせいで于禁の陣営が沈んでしまっただけで
関が勝ったのはラッキーあるいは于禁が洪水に対して何の対処もせず舟を用意しない馬鹿だったからというだけだからな
氾濫した川でたくみに水軍を動かして于禁を下し、曹仁を追いつめた関羽。
この事実は揺るがないけどな。
山間に流れる川が氾濫したときの恐ろしさに遭遇したのは関羽だって変わらんだろ。
そんなもん現代の船ですらひとたまりもないレベルだぞ。
どこらへんがラッキーなんだ?少数で何十万の大軍に囲まれるよりよほどの大変なことだ。
于禁にしたって、山に船を運ぶ馬鹿がどこに居るのか。
それこそ尋常じゃない労力を戦の前に行う事になる。
水辺を行くにしたって、上流から下流に流れるのが川なんだから
氾濫した川では下流域にいるような軍の船なんぞ激流に流されて
いざという時に使い物にならんぞ。
堰を作って一気に氾濫させたのは関羽の計略じゃないのか?
>>135が様々なことに対して無知であることが悲しいほどに伝わってしまった
単純に失陥で考えた場合
張飛:徐州名士に祭り上げられた実権の無い劉備の下で、徐州において権勢を持つ勢力に追いやられた。
張飛が何か大きな失敗をしたわけじゃない。
関羽:完全に自領として併合され、防備も領土線も確定していた荊州を戦争によって失陥した。
州を治めていた人間が関羽以外の人間なら失陥しなかった可能性が高い。
これだけの違いがある。
逆に功績を考えても、張飛の方が機知と応変に富んだ活躍をしている。
関羽の顔良戦は所詮匹夫の勇に過ぎず、于禁戦も天佑を得ただけ。
それを自分の実力と勘違いしてしまい、調子に乗って攻め上がった結果、荊州失陥という大失態を犯す。
事実天候の影響を受けない、正攻法でのぶつかり合いでは直後に徐晃に敗れている。
>>136最初舟を用意してなくても、川が氾濫しそうだという事がわかったら舟でも用意するなりできると思うけどなあ
>>137それは演義だけの話
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/11(火) 17:40:18.32 ID:fnkkceHL0
関羽が荊州の都督だったのに対して、張飛はあくまで城の留守番に過ぎない
州の失陥という結果は同じでも、責任の大きさは全く違うのよな
でも似たような状況で、荀ケと程cが内通者を皆殺しにして呂布の攻撃も跳ね除けて、曹操の妻子と城を保ったことを考えると・・・
張飛が内通者を捌けず呂布の攻撃で陥落して、劉備の妻子と城を喪ったのはやはり失態の部類だとは思う
関羽も張飛も、正面から敵対している相手=曹操勢ではなくて、他所の勢力にやられているのが
なんともどんくさい話なんだよね。
べつに関羽ageじゃないけど、
関羽は呂蒙に研究し尽くされて何から何までハメられてるんだから、
関羽じゃければ大丈夫だったなんて安易に言えないと思うけどな。
あれだけの段取りと周到かつ執拗な準備をされ、
魏と呉の両面作戦に出られたら、どんな将だったら防ぎ切れたか聞きたいぐらいだ。
>>144 味方に裏切られないような将
関羽にとって致命傷だったのは、徐晃に大破されたことじゃなくて、江陵に帰れなかったことだから
南郡の諸将が呂蒙に全力で抵抗して関羽に危急を伝えてれば、そもそも徐晃に負ける前に撤退できたかもしれんし
少なくともあっさり荊州失陥なんてことにはならない
方面司令官として劉備の代わりができてなおかつ誰からも裏切られない将って具体的に誰よ
少なくとも張飛にはそれが無理だと判断したから荊州は関羽に任せて漢中も魏延に任せたんだろ
>>146 どういう方向に話を持っていきたいんだよそれは・・・
関羽以外に選択肢は無かったとして、だからどうなんだ?
関羽が荊州を保てなかったことの言い訳になるわけないぞ
もしもの話を言い出したらキリないしな
張飛なら糜芳・士仁と不仲な記述がないから耐え切れたかもとか言えるし
呂布伝の注を採用するなら関羽は曹豹と喧嘩しないかもとかも言える
文武両道なはずの潘濬が空気なのも関羽に嫌われてたことが原因だろうしな
>>147 いや、単純に知りたかっただけなんだが
仮に張飛なら防ぎ得たというなら張飛>関羽であることに全く異論はないし、逆に関羽以外に選択肢が無かったというなら荊州の失陥は関羽と張飛の優劣には何ら寄与しない、もしくは司令官として任命された関羽の方が上ということになる
と、俺は考えただけのことさね
>>144 関羽がなまじ強すぎて勝ち過ぎたのが原因だな。
曹操が遷都を考えて恐れるほどの強さに
孫権までもが危機感がおぼえた。
同盟者としての頼もしい力という範疇を超えて
孫権にも脅威になったんだろう。
三つ巴の均衡状態ならば、最も強い力の脅威に
他の二国が力をあわせて撃破しようと思うのは自然の成り行きかな。
蜀が弱小のままなら、呉だって同盟者のままで居ただろう。
天下統一の意思なく、地方君主として安穏としていたいのなら
関羽以外の人物が適任だろうけども天下に足を掛けたいのなら
関羽のような戦争に強い逸材が荊州に居ない事には劉備は生涯、蜀の天嶮に
篭り続けることになってしまう。
孔明が劉備と合流した後に趙雲を帰らせてたら荊州は落ちてなかった気がする
蜀の降将を吸収して十分過ぎる戦力があったから蜀攻めは問題なかっただろうに
>>150 そういうことか、スマン
それこそ諸葛亮ならと思ってしまうけど、諸葛亮は益州経営にどうしても必要だからねぇ
張飛なら防げたかはなんとも言えんと思う
糜芳・士仁や潘濬や劉封・孟達とはトラブル起こさなかったかもしれんが、部下の兵卒に殺されたのが早まるだけかもしれんし
>>151 曹操に臣従した217年から孫権と呂蒙の荊州奪還作戦は始まってるから、219年に関羽が于禁と龐徳に勝ったことはあんま関係ないんよ・・・
荊州奪うのは孫呉の悲願みたいなもんだし
劉備が益州を確保して大きくなりすぎたことが原因といえば原因かな
魏志ではスルーされている降伏ですが、通婚までしたという事は藩国の礼と見て良さそうです。袁譚の時もそうでした。
魯粛の死と前後するのが象徴的です。以後、猇亭の戦後までこの両者の関係は続きます。
関羽の攻滅は「共闘の原因」ではなく「成果の一つ」に過ぎません。
関羽の外交音痴が露呈し、ひいては劉備・諸葛亮の人事にまで批判が及ぶ一件で、それについては否定のしようがありません。
ですが、当時の孫権と劉備は表立って同盟関係にあった訳ではなく、孫権は表向きは曹操に臣属し、裏で劉備とも結ぶ二股をかけており、関羽の矜持が孫権のそうした態度を許容できなかったものと考えられます。
だからといって関羽の失点が軽減されるものではありませんが。
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/13(木) 01:04:21.21 ID:OYC01UhN0
というか関羽自体が呉の兵糧や武器を略奪してたクズだからなぁ
もし関羽じゃなけりゃ、太守どもに裏切られる事は無かっただろうし、呉の荊州侵攻を躊躇させれたはず
強大な魏軍を攻めている状況で、呉にもその軍事援助を求めること自体は間違っていません。戦争は緊急事態の連続ですから、恐らく事後通告するつもりだったのでしょう。
今まで邪険にしていたことや孫権の狡猾さを考えられなかったのは、政治センスの問題です。
関羽が呉から兵糧などを奪った原因は、于禁の七軍という大量の捕虜。
自軍が兵糧難の状況では、降伏した敵兵は皆殺しが中華の常套手段ですが、関羽は于禁の命すら保証しました。龐徳を助命しようともしていました。
こうした対応には、劉備軍を代表する国士としての風格を感じるところでしょう。
曹操・張遼・于禁・徐晃・龐徳らへの態度を見るに、関羽は敵だろうと優秀な武将には一定の敬意を払える人物。
そんな関羽が、蜀将や呉将へは完全に見下した態度を取っていたのは、相手側にもそれなりに原因があったと見るべきかと。
まあそれが身内に裏切られた責任逃れにはなりませんし、任せられた州を失っていい理由にもなりませんが。
メ欄空で口汚く関羽批判してる書き込みはいつも同じ関羽disりたいだけの人だから無視でいいんじゃないかな
関羽sageの流れの中で、こういうフラットな視点からの意見があると、
関羽厨とかとんちんかんな難癖付けて暴れるのが出てくるのがいつもの流れなんだよなぁ。
こういう冷静な考察とか面白いと思うんだがなあ。
>>155関羽の孫呉に対する態度が孫呉が曹操に臣属した事によるものだというのは目から鱗だわ
孫呉が曹操に臣属する前は関羽は孫呉に対して特に非礼となるような行為をしていなかった事を考えると割と妥当な考察だと思う
名将とかは一旦抜きにして、過大評価と過小評価を凄い勢いで揺れ動く関羽という人物について、議論や考察をしてみるのも面白いね
いずれにしても荊州失陥という、自らの勢力の基盤となる部分を崩壊させたことは、
一地方を任された将としては将帥としての才覚に問題ありじゃない?
敵の応変な策略にも対応し、任された領土を確実に守る、
或いは困難な状況も打開し敵の領土を奪う、こういった並みの才能では不可能なことを成し遂げてこそ名将と称えられるのであり、
そのどちらもを達成し得ず、自勢力に大打撃を与えた関羽は名将とは呼び難い気がするけどなぁ…。
トウガイなんかはこういったことを成し得た名将だと思う。
陸戦は全て失敗(李通・楽進・文聘・曹仁・徐晃
水戦は全て成功(于禁・龐徳
う〜ん、まあ見方を変えてみましょう。
安直ですが、関羽は水戦に長じた名将…と。
蜀軍で最も水戦に強かったことは間違いないことで、荊州都督の選択肢は関羽しかありません。
関羽の水軍歴は赤壁以前からです。
大船団を率いて徐晃・満寵の攻撃から逃れ、劉備軍の戦力を保った功績は非常に大きい。
劉備本軍が曹純・文聘の急襲により壊滅させられた状況では本来、劉備は孫権との提携など望むべくもなく、完全な配下に収まるはずでしたが。
無事に残っていた関羽水軍そして劉g軍の存在が、魯粛・諸葛亮が孫権を説得し得る材料となりました。
ちなみに関羽の船団は、樊城戦のドサクサで文聘に焼かれて壊滅しました。
これの重要性を論じているサイトはいくつかあったと思います。
陸戦がいかにも下手に見えてしまう理由の一つとしては、伝説の顔良斬りに象徴される「匹夫の勇」で敢えて戦っていたか…。推測に過ぎませんが。
突撃癖が祟って楽進らに大敗し兵を喪ったことは、蜀志と魏志の双方で示唆されていますから、それに近い形だったとは思われます。
弱を率いて強を撃たなければならない関羽が、リメンバー顔良斬りに賭けるのは間違ってはいません。厳しい軍規で統率された魏軍相手には、相性が悪かったでしょうけど。
劉備と関羽の目標が益州と荊州を守るだけなら、関羽も他のやり方をとったはずです。魏に勝たなければならないからこそ、リスクを背負った戦い方になる。
結果から見えるほど、関羽は陸戦下手ではないはずです。
しかしまあ……荊州失陥……これがなんとも……。
荊州失陥以前にも、戦績に問題あると思うけどね。
当代を代表する名将ばかりと戦ってきたのはわかる。でもいくらなんでも名将と呼ぶには負け戦が多過ぎる。
まあ多分、蜀が史官を置かなかったことで細かい戦歴が残らなかったからなんだろうけど
>>164 自分も同じ意見をしたことがある。放浪時代の戦績も相当散逸してるだろうしな。
ただまあ大きな戦果があるなら相手側の記録やら、情報としてどこかに載っていそうだとも思う。
でも人物眼の確かな劉備に絶大な信頼をされて、重きをなしてる理由ぐらいは分かるだろうし、
蜀側の記録が少なくなかったらもう少し評価は変わったかも可能性はあるかもな。
しかし関羽が負けた相手ってのは名将ばかりだな。
最期の関羽討伐に繰り出されたメンツもオールスターみたいな顔ぶれだし。
ここはどうにも「同時代人の評価」は負の方向のものは採用するけど正の方向のものは排除する傾向にあるからなぁ
関羽と夏侯淵はモロにその煽りを食ってる
名将という定義そのものを勝手に決めつけすぎ。
同時代で桁違いの武勇を賞賛されただけでも関羽は名将と呼ばれ続けた現実がある。
一個でも金メダルを取れれば、器用貧乏にさまざまなことをこなせる必要もないんだろ
名将と呼ばれるには。
確かに同時代人の評価も大切だけど、その人物がやり遂げた結果から判断する方がよりウエイト占める気もするんだよね。
関羽は経営判断を誤った。
将たる者、領土の大小はあれ、皆守るべき地を与えられた一国一城の主、経営者だ。
他社のシェアを取りに行ったが、あろうことか自らの足下をすくわれ、自社を倒産させ社員を路頭に迷わせた。
これでは悲劇の英雄ではあっても、経営者としては失格だよね。
人間、一人で出来ることなどたかが知れている。
ならば将帥の優劣とは何かというと、こういった大括的な判断の一つ一つこそが、将たる資質を問われる部分だと思うんだけどね、領国経営においても政治的にも戦場においても。
荊州失陥は大失点ですが関羽が名将であることを否定する必要はないし、荊州失陥以外の要素でケチをつける必要は更に無いと思うのですけどね。
関羽は正史に残っている将軍としての記録だけで、充分に名将と呼ばれて良いでしょう?あの于禁に完勝したんですから。
大雨洪水自体は幸運の部類ではありますが、その幸運を掴んで活かせるかどうかは、力量の部類です。関羽は見事に活かしたと言えるでしょう。
記録から漏れる程度の「細かい戦歴」や、名将の定義としては異論が出そうな「桁違いの武勇」
そういうのに頼らないと関羽は名将と呼べない、なんてことはないと思うのですが。
魏軍を過小評価しているからそう感じるのでしょうか?
当時の魏軍は中華最大最強の軍隊であり、その中でも突出した実力で知られていたのが張楽于張徐です。正史三国志で「名将」「良将」と何度も評されたのはこの五将しかいません。
これと戦って勝てないのは普通、勝つことは偉業です。関羽が魏軍に何度か負けていることは、失点ではあってもそれほど大きなものではないでしょう。
そして歴戦の張楽于張徐が大敗を喫した相手は、関羽と張飛のただ二人だけ。その事実だけでも関張は名将とされるべきです。
特に最も名将だとされていた于禁が関羽に降伏した時、曹操は安易な遷都すら考えるほどに動揺しましたから。
徐晃が援軍として派遣されただけでなく、張遼も急行しており、更には兗州刺史裴潜と豫州刺史呂貢、そして揚州都督夏侯惇まで招集され、曹操自身も近くまで出向いています。
これほどの戦力を動員したのは、官渡の戦い以来初めて。いざとなったら揚州刺史温恢や徐州刺史臧覇も動ける体制です。
まあこの膨大なラインナップを見ると、結局関羽に勝ち目は無かったかと思いますが、曹操に「万が一」を意識させたことはもっと評価されて良いでしょう。
強いと噂される○○に勝ったから凄いとか名将、というのは、将帥の務めを戦場に限定し過ぎだし視点がミクロなのでは?
任された領土をしっかり守り切れたのか、攻めるなら領土を切り取り安定統治にまで至れたのか等、もっとマクロな部分での戦績こそが重要視されるべきかと。
局地戦での勝敗は部隊長レベルでの優劣であり、関羽は一州を預かる身。
その身分に応じた名将としての評価基準で考えないとと思うんだけどね。
将帥としては関羽には欠点もあるということだろう。
武勇ならば同時代では並ぶ者が居ないナンバーワンだからな。
より尖った部分を押したんだろう。
何故か、中国史における武人オールナンバーワンの武聖が
たかが三国志二十四将入り(素人判断だけども)から外れるというのは
ある意味面白いけどね。
>>170 その場合、荊州都督という難しく大きな役割を振られたという事実も加点材料として考慮したいところです。そうでなければ、偉い立場になるほどデメリットが大きくなってしまいます。
そして荊州都督としての失敗は関羽の軍事的力量というよりも政治センスや性格、そして劉備・孔明ら首脳陣の責任問題も絡んでくるかと。
ここまで来ると、名将の定義という話になってしまいますが。
>>171 素人判断で三国志議論しているのは皆が承知なのですから、「たかが」や「素人」などの言葉を使って煽るのはやめましょう。前に同じようなレスがあって荒れかけましたよ。
関羽が24選から外れることは有り得ないと私は思いますが、そう思わない人がいるからこそ面白いです。
このスレではプラスはマイナスと相殺されるのにマイナスはプラスで相殺されずに累積していくっていう不思議な基準が出来上がってるからなぁ
>>172 あなたがそのコメントで言っていることはとても重要で、政治センスや経営判断、性格などが評価基準としてはとても重要なことだと思うんだよね。
一国を守り切る、或いは切り取るということはとても至難の業で、べらぼうに戦争に強ければ勝ちというものではなく、敵の謀略を防ぎ、また自らは駆使し、巧みな外交によって勢力を至強たらしめるための経営手腕。
そういった様々な分野での総合的能力を求められるのが将帥であり、そこで確固たる実績を残した人こそ名将だと思うんだよね。
難しく大きな役割を振られたということは、それだけの期待をされたからであり、偉い立場になるほどデメリットが大きくなるが、その分目的を達成した時のメリットも大きくなる。
結果、期待されただけの成果を出し得なかった、目的を達成出来なかったという事実だけなんじゃないかな。
この立場の人を評価する時は。
>>167 んー?
君は名将を"有名な武将"とか"名前の通った武将"みたいに定義してるの?
俺は"最優秀武将"みたいに認識してて、それがこのスレの共通認識だと勝手に考えてたんだけど、違うのかな
やたら同世代の評価を持ち出すのもそれが原因?
上司や国力も結構勝敗の原因なんだし個人の資質にもっと重点を置いて良いと思うな
関羽は間違いなく確定枠
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/13(木) 22:50:55.05 ID:OYC01UhN0
関羽についての議論をまとめるとこうなる。
関羽は弱い論者の言い分:
于禁戦は豪雨によって、偶然撃破できただけ。
実際、豪雨の影響外での戦いでは直後に徐晃に敗れている。
それ以前の活躍も特筆すべき物は無いし、唯一の戦功とも言える顔良撃殺は曹操という名将の下で匹夫の勇を活かしただけ。
領土を拡大した事が無いどころか、荊州を守ることすら出来なかった関羽が名将のわけが無い。
関羽は名将論者の言い分:
豪雨による勝利と言えど、勝利は勝利。
稀代の名将于禁を破った功績は大きい。
放浪期も、記録されていないだけで転戦して活躍していてたはずだ。
同世代の人物からの評価が高い。
荊州を失った原因は、将軍としての資質では無く政治的感覚の欠如に依る。
>豪雨による勝利と言えど、勝利は勝利
…俺もそれは賛成だなぁ。
刻々と変わる戦場の状況に柔軟に対応して、自軍を勝利に導く。
戦場における将帥として非常に重要な資質だ。
>荊州を失った原因は、将軍としての資質では無く政治的感覚の欠如に依る。
…これについては意見が分かれるだろうけど、俺はこの立場の人に政治的感覚の欠如はNGだと思う。(将としての資質の一つに求めてしまう)
軍事行動は政治の最終的手段であり、呂蒙が周到な荊州奪還作戦を練っているなら、対応策を講じることが最良以前にまず察知できなきゃ。
そういった間諜能力や情報収集能力なども含め、軍事行動を起こす前にこの地を任される将として、知っておかなきゃならないことを察知できてなかったのは痛いと思うな。
>>173 ある意味日本的な考えなんだよねそれ。
日本人はミスに対してすごく厳しい民族性があるし、
現在がどうあっても、過去の失点を許さないからね。
関羽は呂蒙に荊州の統治を誉められているから、統治者としての才能もあり劉備に荊州を任されていたのだろう
張飛に統治者としての才能があるような事績は無いし、趙雲も一州を任されるほどの格が足りないし、劉備も諸葛亮も益州に行かないといけないという状況だったから
関羽以外に任せる事のできる人間がいなかったんだろうな
劉備の誤算は関羽があそこまで士大夫と仲悪いとは思って無かった事だと思う
ビ芳は劉備の親族だから、軽んじないだろうと思って関羽の下に配備したんだろうけど、全然そんな事なかった
蜀漢の重鎮である関羽を、当代の名将たちがよってたかって倒すという構図か。
荊州という魏にも呉にも通じるド真ん中の要地、武で威名を轟かせている関羽。
戦略的にも手柄的にも他国の将からは的にされ易いよね。
特に呉は、劉備勢力とこの地を巡っての約定で腹に据えかねているところがあるし、狙う動機は充分。
>>関羽は呂蒙に荊州の統治を誉められているから、統治者としての才能もあり
荊州治中潘濬「は?(威圧)」
南郡太守糜芳「あ?(殺気)」
関羽の武威には常に戦々恐々とし
孫権の権力の前では劉備から受けた厚恩が忘れ去り
毛一本も逆らおうとしない犬っぷりを
存分に発揮した性根ポンコツの糜芳と潘濬の威圧なんて
いきってる幼児より迫力を感じないな・・・。
>>181 超一流ハンター達が赤ラー(関羽)に挑むような心境に似たようなもんだな。
ここでふと思うのは、あそこで関羽を斬るという選択は、後の呉の国益にとってどうだったのか?ということ。
斬らねば関羽にとって降るという選択肢は無いので、元の勢力に戻ることになる。
すると、一州を任される身でありながら任地を奪われたという失態と、武人としての恥辱から、己のプライドと執念に掛けてかの地を取り戻しに来襲し、『夷陵の戦い』以上の大打撃を被ることになったのか。
はたまた、義に厚い関羽のこと、助命された恩義を胸のどこかに持ち、来襲はして来るものの劉備が率いた時ほど深入りはして来ず、
『夷陵』ほどの惨劇は生まず程良い落としどころで決着が付けられ、呉蜀の国交も史実より早く回復され、再び共に魏にあたるタイミングも早まったのではないか。
みんなはどう思う?
今後の三国の勢力図が変わるかもしれない、重要な選択だった気もするんだよね。
>>184 味方を自分の武威で戦々恐々とさせてる関羽ってキチガイじゃね?
特に潘濬みたいな有能な人材をさ
潘濬を性根ポンコツとか言い出す時点で、関羽信者が正史読んでないってよく分かるんだが
昨日もマトモな議論に混じって度々意味の無い関羽ageと煽りをしてたけど、何がしたいの?
>>185 孫権の目が曇り始めてたんじゃないかな。
関羽を暴れさせるだけ暴れさせた方が呉にとっても有益だったはず。
関羽がどうなろうと、呉には一切損害はないからね。
関羽が無理しすぎて救援を求めても、理由をつけて遠まわしに
援軍を送らなくても(意図的に戦場への到着を遅らせて自軍の被害を出さない)
名目上はちゃんと救援に応じて、同盟関係を維持してることを世間にはアピールできる。
>>187 潘濬に限っては俺の言いすぎだったよ、すまん。
一代の好漢でもあったのね。
季漢輔臣賛の記述しか参考にしていなかった点は完全に俺の落ち度だ。
でも、出来れば「キチガイ」とかそういう言葉使いはなんとかならんかな。
なるほど、裏で魏と手を結ぶことなどせず、表面は劉備との同盟関係を維持しながら半ば傍観者の立場をとるってことか。
ズルイけど、国益を第一に考えなきゃならない国主としては真っ当な判断だね。
では何故その選択をすることが出来なかったのか?
そこでは孫権の目が曇り始めてた、とコメントしてくれてるけど、思っている以上に孫権の荊州領有を巡るいざこざは根深く影を落としていたのか、はたまた、関羽の不遜な態度から来る一時的感情の爆発?
>>188 ゴメンナサイ(´;ω;`)
どう考えても俺の方が言い過ぎですよね、はい
>>189 個人的には関羽の「虎の子を犬の子に〜」発言じゃないかな、と。
孫権の皇太子問題は関羽戦後、約20年後ほどになるけども
孫権はこの時代あたりでも領土問題以上に自身の子供に対する愛情が
深かったとか。
この重要な局面においては、孫権は公の人としての立場を全うせねばならず、決して私の感情を優先させるべきではないのだが、
熟練した政治家である孫権をしても我慢ならなかったってことか…。
その点、我が子と寵臣を同時に殺した憎き仇敵・張繍を、国益のために諸手を挙げて迎え入れた曹操の政治家魂は、尊敬すべきなのかは分からないけど凄い人だよね。
私情より、公の人としての立場を優先させたって感じだ。
話はテーマに戻るけど、ある地位以上に就いている名将ってのは、時にはこういう決断を下せる「政治家」じゃなきゃならないと思うんだよね。
勘違いしてるけど正史に置いて言えば、劉備と孫権の同盟という物自体が演義のような目に見える頑強な物じゃなかったんだよなぁ
ちょっかい出したのは、孫権が最初では無く赤壁後のドサクサに紛れて劉備は孫権軍を妨害したりしてるし
なんか孫権が一方的に同盟を破棄したみたいに言われてるけど。
あと、魯粛が死んだ時に、「呉は三国で一番国力が低い」と言ってるとこもポイント。
修辞の可能性もあるけど、魏>>>呉>蜀という力関係が明白になったのは呉が荊州を併呑してからだよ。
関羽を暴れさせた方が有益ってのは後の結末を知っての事であって、当時の人から見れば呉の国力を倍増させた荊州攻撃は快挙であること間違い無いんだよね。
そもそも呉と蜀が同盟して、魏を倒すという戦略自体、蜀のみの国策どころか諸葛亮のみの持論だと言っても過言じゃ無い。
なるほど、言われてみれば。
俺も荊州領有を巡る孫・劉のトラブルは、こういう時代だからどちらが良い悪いは無いんだけど、敢えて言うなら劉備側に非があることも否めないと思う。
その難しい局面でのこの重要な土地に、政治音痴は言い過ぎかもしれないけど優れているとは言い難い関羽に任せなきゃならないってのは、結果論から言うと劉備勢力にとって痛いことだよね。
武のみに頼らず周りの動向に柔軟に対応できる、諸葛亮のような人材がもう一人いれば或いは…。
魏>>>呉>蜀という力関係が明白になったのは、『夷陵』での劉備勢力の大敗戦も大きいよね。
あの戦役で劉備勢力は、主力と言える多くの将兵達を喪失してしまった。
呉の国力増加とともに、劉備勢力の減衰を決定付けた戦役でもあったよね。
孫権の大戦略は最初から「長江王国建設」を経ての中原侵攻による天下統一。
周瑜も魯粛も呂蒙も、これからブレたことはありません。魯粛は異質に見えますが、それは劉備を孫権陣営の一部として扱っているからであり、本質的には周瑜や呂蒙と同じです。
孫権の傭兵隊長に近い立場だった劉備が、完全な独立勢力へと進化したことがハッキリした214年。
孫権は、建設したはずだった長江王国が破綻しているどころか、上流を劉備に抑えられて自国が危機的状況に陥っていることを理解したはずでしょう。
曹操との国境は長江という天険で守られており比較的安心ですが、劉備がその長江上流を抑えていては孫権は夜も眠れませんからね。
劉備や関羽が信用できないことは、身に染みて分かっているのですし。
だから215年、呂蒙に荊州諸郡を奪還させ、それは半分成功しています。この時に関羽は、既に三郡を失陥しているのです。
そして219年、再び孫権が残った三郡の奪還を目論んだのは「当たり前」であり、特に疑問を挟む部分ではありません。
むしろ私は217年、魏への臣従や呂蒙の派遣など、明らかな第二回荊州奪還準備が着々と行われても、何も対処しなかった劉備陣営が疑問なのですよね。
特に孫権劉備同盟を魯粛と共に担っていた諸葛亮。魯粛の死に臨んで泣いてる暇があったら何か手を打つべきでした。
人材不足が祟って益州経営に忙殺されていたのでしょうが、もう少しなんとかならなかったか。
まあ名将議論と関係無い話なのでこの辺で。
>むしろ私は217年、魏への臣従や呂蒙の派遣など、明らかな第二回荊州奪還準備が着々と行われても、何も対処しなかった劉備陣営が疑問なのですよね。
…結論から言うと先述したように、関羽の間諜能力や情報収集能力、他国との調整力等を含めた政治能力の欠如に起因してると思うんだよね。
何故それを想起させたかというと、関羽はやれば決して出来ない人ではないんだけど、プライドが高過ぎた、「私はこういう人間だ」という我の方が前面に立ち、虚を前面に出す政治家にはなり切れなかった。
中でも武に対する絶対的自信
「呂蒙、陸遜何するものぞ!
いざとなれば私が戦場に立てば全て片が付くのだろう?」というような揺るぎない自信こそが、政治を軽んじる結果を導いてしまった気がするんだけど…、みんなはどう思う?
でも、関羽って荊州争乱以前にも呂蒙や甘寧なんかに負けてなかったっけ?
そんな状態で相手を軽んじて絶対的自身なんて持つのか?
俺の記憶違いや勘違いなら申し訳ないが
いや、合ってると思うよ。
関羽瀬でのことだよね。
あの時甘寧は、関羽の浅瀬での渡渉を未然に防いだ事が挙げられてるけど、どうなんだろ?
関羽に本気で甘寧と衝突する気は無かったように思うんだけどな。
まぁそれはともかくとして、関羽に武に対する過信など無いと考えるわけだね。
なるほど、色んな人の関羽という人物の捉え方があって興味深い。
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/15(土) 04:32:50.11 ID:MwIhrDr/0
>>196 幾ら何でもそれは偏向すぎる。好意的に解釈し過ぎ。
そもそも、軍事における間諜能力や情報分析能力を"政治"に含める所から、違和感感じてたけど、
関羽の失敗を性格まで持ち出して擁護するのは無理がある。
性格含めての将才でしょ。
もっとも、関羽は呂蒙に捕縛される前にも、荊州侵略を許し、三郡を奪われるという大失態を侵してるのだから、その後に油断してたなんて言い訳通用しないよ。
逆にもし本当にその後見くびってたとしたら、自分の失敗から逃げるための強がりだと思わざるを得ない。
要するに関羽という男は、誰かの指揮下の下で少数の兵を引っ張る人物として戦場に立ってこそ、の器なんだよ。
そう考えると総司令官としては優秀だとは言えない劉備(これには異論あるだろうけどそれは置いといて)の下では大した武功が無く、
当世随一の名将曹操の下に居着いた瞬間、華々しい活躍を見せたのにも納得がいく。
それでそういう人間だと仮定した場合、それは名将とは呼べないと思う。
もしそういう前線指揮官を名将と呼ぶのならば、呂布や文鴦なども視野に入れなきゃならない。
呂蒙も呂蒙で油断させるための策をあれやこれやと講じ続けてきたけどね。
まあ結局掛かった方が悪いわけだけど、あそこまで周到にやられたらどうしようもないとも思う。
関羽は優れた将ではあったけど問題もあり、徹底的に潰された。
評価はできないけど、魏と呉にここまでやらせた事実を自分は重く受け止めるよ。
>>199関羽が劉備の下では活躍できなかったのは劉備のせいってのは流石にどうだろうか
張飛、趙雲、黄忠達は劉備の下でちゃんと活躍があるのに
>>199 >そもそも、軍事における間諜能力や情報分析能力を"政治"に含める所から、違和感感じてたけど、
…あぁ、ごめん、カテゴライズの仕方がおかしかったかな。
>関羽の失敗を性格まで持ち出して擁護するのは無理がある。
性格含めての将才でしょ。
…これは少し誤解されてるようだが、どこにも擁護ととれるものは無いと思うし、事実そんなつもりも無い。
>>174でも、そういった性格から来るものも将としての資質を量る上で大切と述べているしね。
以下、あなたの主張には俺も概ね同意見だなぁ。
関羽はやはり一州を預かる総司令官としては欠けている資質も多く、もう少し規模も小さく、軍事に特化した前線指揮官としての方がタイプとしては合ってる気がするな。
ただ、だから関羽は名将とは呼べない、とまでは俺は全否定できない。
それは、最終経歴である総司令官としての資質マッチングの話であり、また、俺やあなたの評価方法自体が数ある評価の仕方の内の一つでしか過ぎないから。
>>200 それは確かに言えてるね。
呂蒙は本当によくやったと思うし、敵を誉めるべきって言葉の通り、呂蒙を誉めるべきってのもあるよね。
確かに関羽でなくても凌ぎ切れたかどうか…。
>>201 そのへんの上との相性を量るってのは難しいよね。
ただ今回の場合、劉備と関羽の相性が悪いとは思わないし、関羽の軍略に悪影響を及ぼしてるとも思えないな。
上が劉備だったからってのは関係ない気がするね。
外交音痴で敵の策略にひっかりやすい関羽が何故か敵地への反乱工作が得意なのが不思議だ
>>204 人によって境界線が違うのでしょうが、
「敵地への反乱工作」は軍事に含まれると思うので、関羽が得意としていてもおかしくはなく、
「外交」は政治に含まれると思うので、関羽が苦手としてもおかしくはない、と私は感じますよ。
これは関羽自身の認識も絡んでくるでしょう。どこまでが自分の仕事分野か、という。
俺も軍事や政治と現代の感覚で話してみたものの、よく考えたらあの時代の当人達が果たして明確に区分けしてたかも謎だよね。
全部ひっくるめて俺の仕事、と認識してたかもしれないし、或いは、ある分野は全く視野に入れず切り捨ててたかもしれないし。
無論、後者である場合は将としての資質に問題ありだけど。
これは全てを自分でやれってことではなく、それぞれの専門家に適切な指示を出せてたか、充分相談・検討等がなされていたかってことだけどね。
ここで論じられ、評価を受ける「名将」は、政治的判断も加味されることが多いが
中国の制度として、都督など軍府は基本的に中央政府の管制下にあって、唐代の
節度使の淵源ではあっても、節度使のように独立した気風をもつにはいたらなかったのでは?
節度使も制度上当然ながら中央政府の管理下なのだが、徴税と行政を委ねられたので独立国的であった。
都督や太守でも政治的案件は中央の許諾が必要なのは間違いなく、関羽の独断の外交は物議を醸す逸話だね。
なるほど、興味深い話だね。
でも、急速に膨れ上がった劉備勢力に、当時最もそういった制度が整備されていたであろう魏のような、整然とした命令系統は確立されていたのだろうか?
無論、主命に従うは将たる者の務め。
おいそれと無視したりはしないが劉備も諸葛亮も益州の諸事に忙殺され、荊州の仔細までは分からない。
ここは劉備とも特別な信頼関係で結ばれている関羽のこと、それなりの裁量を与えて現場判断に任せてみようではないか、みたいなことで落着してる可能性とかは無い?
蜀の都督制度は魏のそれと違ってよく分かっていません。呼称すら統一されていないので。
関羽がどこまでを担っていたのか、潘濬らがどこまでを担っていたのか。
少なくとも孫権陣営からは、荊州の代表は軍事政治共に関羽と扱われていたようですが。
関羽が軍事だけの統括ならば良いのですが、もし文武を統べる立場でありながら従事や太守と険悪だったとしたら大問題です。
関羽伝:以羽、爲襄陽太守、盪寇將軍、駐江北。先主西定益州、拜羽「董督荊州事」
潘濬伝:劉備領荊州、以濬爲治中從事。備入蜀、留典州事。
ああ、そういえば219年の「拜羽爲前將軍、假節鉞」を忘れていました。
仮節鉞があれば関羽は麋芳や士仁を独断で殺せますから、彼等が関羽を裏切ってあっさり呂蒙を受け入れた理由はこれでしょう。
「還當治之」は完全に関羽の失言。軍事上のミスですね。
うむ、孫権陣営からの見方は的を射てると思うな。
実際経営を任されたってことは、政治・軍事を統括していたんだと思う。
恐らく節で言うなら使持節・持節レベルで、荊州における君主権の代理くらいの大権を与えられてたと考えてるんだけど、どうだろう?
>>202 >関羽はやはり一州を預かる総司令官としては欠けている資質も多く、もう少し規模も小さく
軍事に特化した前線指揮官としての方がタイプとしては合ってる気がするな
伝説の顔良斬りをこなして、その武勇超絶を歴史から永遠に讃えられることになった時
関羽が居た勢力が曹操側だったというのは皮肉な話だな。
この部分だけなら関羽が欠点のない天下無双の豪傑のみ、として歴史に名を残す事になった。
ホント皮肉な話だよね。
でも顔良も精強を誇る袁紹軍の先鋒で、勢い盛んな河北随一の勇将。
「関羽は顔良の旗印と車蓋を望見すると、馬に鞭打って駆けつけ、大軍のまっただ中で顔良を刺しその首を斬りとって帰って来た。」
うーむ…、この時の顔良の心境が知りたい。
演義等では事前に劉備から関羽の人相等を聞いていた顔良は、これこそ関羽と思い声を掛けようとしたらいきなり斬られた、みたいなもっともらしい事情が付いているが…。
リアルなとこどうなんだろ?
接近して来る関羽を、少なくとも敵とは認識してなかったのは確かそうだよね。
でないと、そう簡単に接近を許す筈がない。
味方の斥候が何かを伝えに来た、とでも思ったのかな?
13日に長々と関羽名将談義していた私が言うのもなんですけど、ID:JrDKEtjkO=vmoO/XCKOの御方はそんなに関羽談義をしたかったら別スレを立ててはどうでしょうか?ここは「関羽のことを教えてもらうスレ」ではありませんよ。
なんだか一部の信者と荒らしのせいで関羽の話を忌避する流れになっていたのが残念だったので、あの日はなるべくフラットな視点で色々と述べてみたのですが、こういう流れになるとは思いませんでした…。
それじゃあ、次は夏侯淵の話をしようぜ
実績はトップクラス
なのに確定入りできないのは最後が悪いのと、名将クラスの敵を倒してないからだろうか
馬超と韓遂は強敵だったと思うけど、曹操が一度撃破した後とどめを刺しただけって感じで過小評価されているのだろうか
劉備と曹操からの評価が低い、ってのを
やけに重要視されて評価下げられてるって指摘があったな。
夏侯淵は、馬超に一度撃退されていますからねぇ。はっきり言って馬超は名将と呼ぶにも豪傑と呼ぶにも足りない人物なので、そんな相手に負けてしまったことが重要視されているのではないでしょうか?
極めつけに馬超は張郃が5000を率いてやってきただけで逃走していますから、その後の劉備や曹操陣営からの「張郃は凄い、夏侯淵はダメ」発言も相まって、張郃>>>夏侯淵という図式が刷り込まれてしまいます。
その張郃も、より上位にいる張楽于の三将と比べると、同時代の働きはかなり地味です。張遼より上と称された曹仁は実際にそれだけの活躍をしていますから、親族故の評価偏向というのは無いでしょう。
となると、やはり夏侯淵は今の確定枠にいる魏将と比べると見劣りする実力ということに。まあそれが確定枠に入らない理由になるのはおかしいですが…。
恐らく魏は既に確定枠が多いので、これ以上安易に増えないように名将のハードルが上がっているのでは?だから夏侯淵ほどの実績があっても議論枠に留まっているのでしょう。
馬超が
>>2で議論枠になぜかエントリーしているのも、夏侯淵という名将を撃破しているというただ一点が原因としか思えません。それ以外の馬超は負けて負けて負けっぱなしなので。
つまり蜀は逆にハードルが下がっているのでしょう。最弱勢力としては当たり前と言えなくもないですが…。
しかしまあ、関羽と馬超が並んでいるのは違和感を感じますね。馬超が議論枠になれるハードルなら関羽は確定枠なんて余裕なはずなんですが…。まあこの話はもういいですけど。
多分曹操の親族で同じような立場だったと思われる曹仁の存在が余りにも大き過ぎたってのもあるんじゃない?
>>217馬超は決して負けっぱなしじゃないぞ
郭援に勝利したり(ホウ徳の活躍が大きいが)、曹操に反旗を翻した時従わなかった劉雄鳴を撃破したり、涼州刺史の韋康を殺したりしてる
曹操も馬超と戦って、何回か死ぬかもしれないピンチに陥った事もあるし、馬超率いる連合軍に勝った曹操軍も戦死者は五桁にのぼるほどの被害を出してる
名将とは言えないかもしれないがかなりの豪傑だと思う
>>219 馬超は曹操陣営で鍾ヨウの部下として働いていた時が全盛期ですね。仰る通り、龐徳の方が目立ってますけど。
それ以外に馬超が「戦争」で「勝利」したことが無いことは分かっておられると思いますよ。「局地的」な「ピンチ」なんて大局的には意味無いですから。
むしろ局地的にピンチにしておきながら結局大敗している辺りが、名将とは真逆な匹夫の素質を感じるところです。局地的にでもせめて名のある将を撃破してれば違うのですが。
豪傑とも言えないと思いますね。一騎打ちで韓遂の部下に半殺しにされたことはまあいいとしても、曹操を殺せる千載一遇のチャンスを許チョに睨まれて萎縮したことで失敗したり…。
豪傑と呼ばれるには、実力だけでなく振る舞いも求められるでしょう。関羽や張飛が本物の豪傑です。
馬超の情けない行蔵を見ると、演義でなんで馬超が関張と同列のように扱われたのか全く納得できませんし、正史で関羽が馬超らを下に見ていたことは大いに納得できます。
まあ、私の馬超に関する意見は私情がかなり入っているのでフラットな視点になってないと思いますけどね。
>>218 親族と言っても曹操と夏侯淵は血の繋がりはあるけど
曹仁とは血の繋がりはないんだよなぁ
>>220だから郭援に勝利した以外にも、曹操に反旗を翻した時従わなかった劉雄鳴を撃破したり、涼州刺史の韋康を殺したりしてるって言ってるじゃないか
それに夏侯淵にも勝利した事もある
それらの事は全て局地的な勝利であり、最終的に負けたのだから、郭援に勝利した事以外戦争で勝利は無しとなるなら
関羽なんて顔良を斬った事以外戦争での勝利無しになるし、諸葛亮も武都・陰平を取った事以外魏に対して戦争での勝利無しになるぞ
>>222 劉雄鳴って、それ関中軍閥内の仲間割れですよ。しかも仕留められずに逃亡を許しています。
夏侯淵撃退=冀城攻防戦は既に私も言及しているじゃないですか。韋康殺害はその冀城攻防戦の一貫です。
馬超は孤立した冀城を落とすのに八ヶ月かかり、その後すぐに楊阜らに奪回されています。
何がそんなに引っかかっているのですか?
>>222 関羽は于禁を捕獲し龐徳を斬り、諸葛亮は張郃を戦死させていますから、馬超とは全く違います。
「せめて名のある将を撃破してれば」というのも既に述べているはずです。
馬超は張郃どころか夏侯淵も仕留められていません。一時的に撃退しただけで、勝ち越したわけではありません。対して関羽と諸葛亮は、魏が誇る五将の息の根を止めたも同然です。
もう少し落ち着いてくださいな。
一時的に撃退したのなら、一度勝利したという事と一緒じゃないのかと自分は思うわけですよ
一時的な撃退が勝利に値しないなら
関羽は樊城を攻め、救援に来た于禁を捕獲しホウ;徳を斬ったが、援軍に来た徐晃に破れ、樊城攻めを失敗したという意味で戦争に勝利してないという事になるし
諸葛亮も魏領に攻め込み司馬懿に局地的に勝利して、退却する際に張コウを戦死させたが、魏の領土を奪う事ができなかったので戦争に敗北したという事になる(事実敗北だけど)
撃退しただけの馬超より、敵将を捕獲し戦死させた関羽や諸葛亮の方が上だというのには同意しますけど
>>225 仰っていることには私も同意です。大局的に見て関羽や諸葛亮が戦争で魏軍に勝利したなんて私も思っていません。まあ諸葛亮は敗北とも言い切れないと思いますが。
私の国語力不足のせいで伝わらず申し訳ないのですが、例えば、関羽は于禁に戦争で勝利した将軍ですよね。これは局地的にも大局的にも同じですし、否定材料は存在しません。
しかし、馬超は夏侯淵に戦争で勝利した将軍でしょうか?
局地的な勝利は得ていますが、結局は夏侯淵により軍勢は壊滅し羌族テイ族も駆逐され、関中からも涼州からも追われて劉備へ落ち延びました。これは大局的には明確な敗北です。
私の捉え方では、夏侯淵が馬超に戦争で勝利した将軍となります。
>>226最終的に負けたけど、局地戦であろうと一度の勝利を認めないというのはどうなのかなって言いたいんだけどなあ
>>227 え、局地戦で勝利していることは認めていますよ?
最初の
>>217で思いっきり言っているじゃないですか。
>>228勝手に認めて無いと勘違いしてました。すいませんでした。
気づいたらかなり連レスしていたようです。
他の方々が夏侯淵や馬超についてどう評価するのか興味ありますし、私のような長文バカが居座っていては議論が停滞しそうなので退室しようと思います。
お目汚し失礼致しました。
>>225 >〜という事になる
反論してるつもりなんだろうが、その通りなんだよなぁ。
馬超も関羽も諸葛亮も局地的に勝ったけど大局的には敗北してるよ。
>>231の言いたいことがわからん
そこ誰も否定してなくね?
関羽が馬超より上であろうと下であろうとどちらにせよ確定入りする事は無いと思うわ
関羽は負けが多すぎるし、実績も少なすぎる
それだったら夏侯淵や孫策の方が可能性がある
関羽は史書の記述だけを拾っていくと負け戦が多過ぎる
しかしそれでは同世代の人物の高評価の説明がつかない
ここから記述がないだけで、放浪時代等に様々な功績を積み上げていたことは想像できる
だが、他人と相対的に評価しなければならないこのスレで補完した想像込みで関羽を語ってはならないだろう
収拾がつかなくなってしまう
実績が多いから名将というわけでもないからな。
実績の少ない関羽は万人敵と魏呉から恐れられ
実績の多い夏侯淵はそれこそ曹操から白地将軍の不名誉をもらってしまっている。
実績の多い、少ないはあまり名将認定には関係のないことだろう。
孫策とかそれこそ実績自体は文句無しのはずなんだけど
5年で揚州の江南部分を平定したという結果だけ見れば
でも戦歴を見ていくとなんか微妙感が漂うという不思議な存在?
劉繇を倒したのは孫策軍というより袁術軍の総力
王朗も自力じゃ倒せず故郷を守ってた孫静をわざわざ召喚
孫策軍だけで倒せたのは有象無象の賊共くらい
最後は寡兵の陳登に大敗した挙句に暗殺される
でも孫策の若さを考えるとやっぱり偉業か
別に蜀に肩入れするわけじゃないけどさ、やっぱ史料少ないと苦しいっすね
三国志の時代の当時は関羽は名将として認識されてたんだろ
曹操等から高評価され、色々と恐れられてて
だからこそ敵国は、よってたかって倒しにかかったんだよな
名将と認識されたんじゃなく、豪傑と認識されてただけ
ここ重要
というか曹操は、チョウシュウ配下のコシャジとかいう奴の武勇を表彰したりしてるし、
関羽も同じように豪傑だったから名が知れてただけだと思う
呂布も当時は豪傑というだけで、出世したけど名将というわけでは無い
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/17(月) 04:06:10.67 ID:I34pOkIz0
>>236陳登が孫策と戦った記述は間違いで、本当は他の武将の可能性があるんじゃなかったっけ?
孫策配下の将である可能性も否定できないとかなんとかかんとか
なんか「魏と呉が関羽を恐れてたからよってたかって倒しにかかった」って言ってるバカがいるけど、今までこのスレの何を読んで来たのかな?
そういう流れじゃないことは何回も説明されてるじゃん
読解力無いの?
不要な暴言は荒れるもと。
そう思っても言わないのが良識のある大人。
読解力というより、おとしどころの目的が違うんだよ。
関羽をよってたかって倒しにかかっているのは事実だけど、「名将として」おそれていたなどない。
しかし万人敵と形容された関羽は、兵を率いても最強としたいんだろう。
最強スレではここから先はフィクションの話へと移行していったがな。
大分前から他スレでも関羽については
フィクションを信じるのが正義と思っている人がいるみたいだからねえ
>>236 業績の評価批准に年齢は関係ないような。
>>241 確かに陳登と直接対戦したのは「孫策軍」だけど、
この「孫策軍」が孫策本人の率いる軍とは限らない所が。
いや、あんなこと言っといて何だけど、関羽は名将なんじゃね? 劉備軍が弱小な上に人材不足だったから、自分の力を発揮しやすい環境に恵まれなかっただけで
将軍としての関羽の実力は後世の目では分かりにくいけど、誰よりも関羽と張飛の実力を知っていたであろう劉備が常に関羽を最も重用していたってことは、実力の証明になっている気がする
後世の目から見ても名将である張飛より上、ってことは関羽も名将・・・というのは無理矢理すぎるかな
>>247名将であったかもしれないけど
二十四選に確定するほどの名将とは思えないな
他の候補者、夏侯淵や孫策の方が上だと思う
>>248 まあ夏侯淵と孫策はむしろなんでまだ確定枠になれてないのか疑問なレベルだから
田豫と司馬懿もだけど
>>249 孫策はねえ…
関羽さんと同じで多い長所を重大な短所でダメダメにしているから。
>>250孫策の短所って政治家や君主としての問題であって、関羽と違ってそれらの短所が軍事的失敗に繋がる事にはなってないし、将軍としての短所は少ないようなあ
孫策の問題は雑魚専疑惑がある事だと思う
張飛のほうがどうみても関羽より上。
長坂での殿軍も見方によっては関羽の顔良斬りよりヤバイし、
益州攻略での功績、巴に深く侵入してきた張コウ撃破と、明確に大手柄が記録されている。
大体たかが漢中太守に抜擢された地方軍(方面軍ではない)魏延と
中央軍のトップ級将軍である張飛を比較して魏延のほうが上というのは無理がある。
>>252 魏延は漢中太守だけじゃなくて督漢中で鎮遠将軍だろ
方面軍ではないってどういう意味なん?
魏には太守なんて腐るほどいるけど、蜀の太守は数えるほどしかいないわけで、その中で最前線を任されたのを、たかがとは言わんだろ
しかも漢中は張魯→曹操→劉備と移り変わって支配の難しいところだろうし
何より一番大事なのは、張飛が任命されると思っていたところを魏延が任命された、ってことなわけで
>>247 > 弱小な上に人材不足だったから、自分の力を発揮しやすい環境に恵まれなかった
この部分がちょっと腑に落ちない
弱小国の将軍は大軍を統率する機会にはあまり恵まれないかもしれないが
不利な条件で勝利すればその分高く評価されるという意味では
条件はあまり変わらないんじゃないかと思う
関羽を擁護するなら、呉と魏と境界を接する荊州を統治とか、誰がやっても難しい、しかも不得意そうな事をやらされて可哀そうだとは思う
まあ、ビホウやら荊州にいた部下に裏切られたのは、擁護不可能だけどね
夏侯淵はともかく、孫策は頓死していなければ…の妄想ナシだと確定枠には遠いわな
257 :
2:2014/02/18(火) 08:17:13.79 ID:QBxGN6QY0
議論が進んだようなので 絞り込む方向で少し修正。
おかしい箇所があったら訂正して下さい。
・確定枠(残り8枠)・
後漢
魏:曹操 曹仁 張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙
三国
魏:曹真 満寵 ケ艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜
・確定枠昇格候補・
後漢
魏:夏侯淵
蜀:関羽
呉:孫策
三国
魏:田豫 司馬懿
・議論枠・
後漢
魏:陳登 臧覇 文聘
三国
魏:曹休 郭淮 毌丘倹 陳泰 王基 鍾会
蜀:魏延 王平 姜維 羅憲
呉:朱然 朱桓 諸葛恪 丁奉
・定義外?・
群雄割拠以前
他:皇甫嵩 徐栄
呉:孫堅
三国以外所属
他:麴義 呂布 黄祖
晋呉二国時代
呉:陸抗
晋:杜預
今までの議論の流れでは関羽は確定候補ではないんじゃないかな
259 :
2:2014/02/18(火) 16:30:16.08 ID:QBxGN6QY0
読み返してみると、関羽と孫策はまだ議論の余地がありそうですね。
纏める方向で再整理。
・確定枠(残り5枠)・
後漢
魏:曹操 夏侯淵 曹仁 張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙
三国
魏:曹真 司馬懿 満寵 田豫 ケ艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜
・議論枠・
後漢
魏:陳登 臧覇 文聘
蜀:関羽
呉:孫堅 孫策
他:皇甫嵩 徐栄 麴義 呂布 黄祖
三国
魏:曹休 郭淮 毌丘倹 陳泰 王基 鍾会
蜀:魏延 王平 姜維 羅憲
呉:朱然 朱桓 諸葛恪 丁奉 陸抗
晋:杜預
いつの間にか夏侯淵が確定枠に入ってる!?
5つも枠が有るなら、いつもの2人を入れてあげてもいいんじゃない?
さすがに議論枠の中では上の部類でしょ。
262 :
2:2014/02/18(火) 21:39:06.01 ID:QBxGN6QY0
夏侯淵はスレの流れ的に確定かと判断したことと、最終的に24選から漏れることは無さそうなので入れましたが、異論が多く出るようなら外して下さい。
夏侯淵は入れるという話題にすら上らない
議論するまでもなく現状では枠外なんだぜ
関羽はともかく、夏侯淵は明確に敵味方問わずに首脳陣からの評価が低く、その実績の大部分がその「寄騎」によるものなので永久に除外していい。
漢中で失敗した夏侯淵が入るなら、揚州を全うした夏侯惇が確定しないと矛盾していておかしい。
郭淮、杜預あたりは確定枠に入れてあげてもいいんじゃ?
鍾会も戦略家としては一流だけど…剣閣抜けなかったり、トウ艾に出し抜かれたりが響いてるのかな。
>>264評価よりもやっぱ実績を重視すべきだろ
当時の評価が間違っている可能性もある
関羽は評価はかなり高くても実績はたいしたことが無い
同じく夏侯惇も敵を撃破した実績が少ない
夏侯淵程の功績を残した人物は議論枠にはいないだろ
他人の評価なんて名将か否かに何も関係しないだろ
他人の評価で功を立てる訳じゃないんだから
夏侯淵の話題は前スレからずっとちょくちょく出てるし、確定枠だった時期もあるんだけど
>>264 その程度で「永久に除外していい」とまで言うのは極端すぎて荒らしとしか思えないんだが
夏侯淵を永久除外してまで誰を入れるのかという気も
実績の大部分が「寄騎」ってのも見方がおかしいでしょ
徐州で張遼于禁の援軍→青州で楽進の援軍→揚州で諸将の領軍→并州で徐晃の護軍→雍涼で張郃徐晃の護軍→益州で張郃徐晃の都督
領軍護軍は寄騎なんかじゃなくて司令官ポジションなわけで、夏侯淵が最も活躍していた時期は張郃徐晃らを率いる立場
だいたい曹操軍で前線の主役はあくまで五将軍、特にその中で上位三人への寄騎なわけで、夏侯淵が主体になりにくいのは仕方ないだろ
五将軍以上に前線で暴れてた曹仁がいるせいで夏侯淵が劣って見えるのかもしれんが、それが夏侯淵が名将でない理由になるのか?
夏侯惇は孫権が臣従したタイミングでの赴任だから攻め込まれてもいないので、方面軍司令官としての比較対象にはならない
>>265 郭淮は諸葛亮や魏延にハッキリ負けているし、鍾会や杜預は完全に一発屋・・・
それに杜預の侵攻作戦も鍾会に劣らず全体的にはけっこうグダグダ
あれだけ大規模な作戦だから仕方ない側面もあるだろうけど
議論なんかどうでもよくて自分の考えが正しいと言いたい人がちらほら
他人の評価云々なんて直前の関羽で散々出た話題なのに
>敵味方問わずに首脳陣からの評価が低く
なんて言ってる人は間違いなくスレを読まずに書き込んでる
中国英雄板の三国志について語るスレが実質的にここだけなんだから、
そこまで選出に拘ったり、定義や意見でいがみ合ったりする必要無いじゃん。
>>270 「選ぶスレ」なんだから、ある程度選出には拘らなあかんやろ
選出が終わったら、語るスレにでも移行すれば良いんだし
言葉が汚くなったり挑発的な物言いになってしまうのは、まあ各自が自重するしかない
俺もよくそうなるけど
定義といえば誰も触れないが、皇甫嵩は議論枠からも除外して良いんじゃないのか?
皇甫嵩が活躍してた時代って三国の影も形もないし
中央の統制が崩壊して群雄割拠が始まるのは、あくまで反董卓連合からなわけで
麴義や呂布や黄祖は、群雄として三国建国者や他の群雄と鎬を削ったから「三国志の名将」に選ばれる資格はあると思うけど
皇甫嵩が戦った群雄候補なんて韓遂くらいしかおらんし、韓遂を滅ぼしたのは皇甫嵩じゃなくて夏侯淵だしで、なんかもう…
と個人的には思うが、皇甫嵩を24選に推したいって人ってけっこう居たりするんかな
このスレは選ぼう、絞ろうという方向に行こうとすると、荒れるか人が去るんだよなw
名将雑談スレくらいの緩さの時が最も伸びる
そうだね、誰かが提案して、それに対し誰かが反対意見を出し、更に誰かが賛成意見を出す時に示される各々の理由、そういうのを論じ合うのが楽しいのかも。
でも結論を出して行くなら、誰か裁定人が必要かも。
でないと議長の居ない会議、田原総一郎の居ない『朝まで生テレビ!』状態が続くかと。
三国志を184年から数えるか、189年からにするかの見解の違いはあるかもだけど、
一般的には黄巾の乱が切っ掛けとなる話なのだし、皇甫嵩も年代的には問題はないと思う。
まあ相手が烏合の衆だから、群雄割拠が成り立ってからの将の方が実績的には上かもだけど、
誰が最初の名将かを挙げるとしたら皇甫嵩になるんじゃないか、ってとこなのだろう。
>>一般的には黄巾の乱が切っ掛けとなる話なのだし
これがわからない・・・
黄巾の乱って何のキッカケになったん?
黄巾がキッカケで群雄割拠したわけでもなければ、黄巾がキッカケで後漢王朝が倒れたわけでもなく、黄巾がキッカケで董卓あるいは袁紹や曹操が台頭したわけでもない
陳勝呉広や赤眉とは全く違うのよ、黄巾は
何のキッカケにもなってない気が
この時の働きが曹操孫堅劉備に与えた影響なんて殆ど無く
覇権争いで最初の主役となる二袁なぞ、ほぼ空気だったり
「184年」に囚われすぎなんでは?
そりゃ赤眉の乱や黄巣の乱と違い、黄巾の乱が王朝を滅ぼした直接的な要因ではないからね。
でも、黄巾の乱以降、残党や流民が跋扈して治安が急速に悪化してて、
統制が取れなくなったことから、地方で実力者達が武装し軍閥化。
叛乱や軍閥の自立も頻発するようになった。これは董卓以前から始まってたことだよ。
そして治安悪化の影響で多くの民や知識人が荊州、揚州、益州などへ避難。
その影響で辺境の人口が増え文化水準が上昇。三国時代、呉や蜀が自立できた下地になってる。
乱自体は簡単に鎮圧されたし、乱そのもので誰かが政権を握ったりなどもなかったけど、
農民反乱ゆえに文化や民の生活などへの影響は強く、これにより後漢が完全に死に体になっている。
後漢の衰退を招き、乱世〜三国時代の幕開けへの切っ掛けとなった事象だし、
王朝瓦解の決定的な契機は董卓だけど、三国志を語る上では無視できないものだと思うよ。
まあ三国志的に黄巾の乱で一番大事なのは、曹操や孫堅や董卓が表舞台に出てきたことなんだろうけど。
なるほど「軍閥化」のキッカケ・・・
そういう意味では大きな境界線なんですな、やっぱり
まあ後漢の衰退を招いたってのはちょっと違う気もするんやけど・・・
幼帝と外戚と宦官のスパイラルに嵌ってとっくの昔から勝手に衰退していってたのが後漢王朝って印象
鮮卑の大英雄こと檀石槐も黄巾より前にずっと暴れまくって尋常じゃない勢力圏を築いていたし
段熲が羌族を殲滅しまくってたり、張奐の下で董卓の名前が出たり、皇甫嵩の伯父が活躍したりしていた時期も、なかなか酷い
境界線となる時期は色々あって、完全に決定的なのが反董卓連合である以上はそれ以後の名将から選ぶべきだと個人的には思うのよな、あくまで個人的にはだけども
なんで色んな時代でも、黄巾だけ成功せず、それどころか一瞬で鎮圧され後漢王朝の重臣が権力握っていったのか
1、蜂起を急ぎすぎた。民の不満が十分に溜まる前に誘発してしまった。
2、後漢王朝の将軍(コウホスウとか)が優秀すぎた。
3、張角が無能すぎた。
4、そもそも後漢王朝の腐敗は、中央政府に汚職や利権が蔓延ってただけで、地方や庶民の暮らしは大して悲惨じゃなかった。
どれだろ?田中氏も言ってたけど一年で鎮圧される民衆反乱ってショボすぎるよね。
んなもん、腐っても「王朝がまだ機能してたから」やろ
噛み砕いていえば「中央と地方の連絡がまだ取れていたから」か?
べつに皇甫嵩がおらんでも、盧植と董卓と朱儁と曹操でいつかは鎮圧したやろうし
中央と地方の繋がりが断ち切られて群雄割拠がスタートするのは、董卓が洛陽を焼き払って長安に引きこもってからやぞ
あれのせいで地方が好き勝手やり始めた
仮に董卓前後からにしたとしてもあまり意味がないのでは?
皇甫嵩がエントリー枠に入るかどうかの違いだけで、このスレ的にはあまり変わらないのだから。
そもそも三国志演義ですら黄巾の乱からなんだし、そこは頑張っててもどうしようもないとこだと思います。
189年から始まるのなんて昔の三国志のゲームぐらいじゃないだろうか。
皇甫嵩が入るなら時代区分だけじゃなくて三国外でもいいってことに広がるわけで、河北最強の麹義も当然確定枠に入るよね?
うむ、時代的には候補に入っていいと思う。
時代は刻一刻と変わり行くものの連続性だから、この瞬間からって線引きは人それぞれだろうけど、
>>280の人の言うように、黄巾の乱あたりからと捉えても全然おかしくないと思う。
宦官と外戚の権力闘争、度重なる飢饉や天災、中央が乱れているからそれらに対応する策すら打てず、民心を失い後漢王朝が末期症状を呈しているのはそれ以前からだけど、
そこにきて乱の鎮圧に掛かる多大なる戦費と兵力。
これは財政的にも支配力的にも後漢王朝に与えたダメージは大きいと思う。
よって、後の三國の時代の幕開けに繋がる後漢王朝の衰退に、董卓の乱とともに黄巾の乱は大きく関与していると思うよ。
まず実力の時点で皇甫嵩って他の連中と比べてどうなのさ
雑魚専と名高い孫策だって、一応は群雄と呼べないこともない相手を撃破しているんだから、皇甫嵩よか上だよね?
うむ、そうだね。
あの広大な江東を一代で制覇したという実績は、充分評価に値すると思うよ。
江東って別に広大でも無いだろ
加えて当時の揚州には有力な勢力が無かったし(強いて言えば袁術)。
平定戦の功ってことで、なんで孫策が有力候補に上がるのかなぁ、ってのは前々から疑問
孫策が平定したのって揚州の江南(江東)部分だけだから、一州を平定したわけでもないし
曹操:兗州 豫州 徐州 司州 冀州 青州 并州 幽州 荊北 揚北(夏侯淵:涼州)
袁紹:冀州 幽州(袁譚:青州)(高幹:并州)
劉備:荊南 益州
劉表:荊州
呂布:徐州
こいつらは全員、開始時点では郡レベル以下だった勢力から成り上がって、自力で一州以上を平定してるじゃん
特に曹操と劉備と袁紹と呂布は、既に州レベルの支配を確立していた相手を撃破して平定している
孫策が戦ったのは、劉繇も含めて郡レベル以下の相手しかいない
孫策が入るんだったら、まず袁紹や呂布が入るんでないの?
>>286 >孫策が戦ったのは、劉繇も含めて郡レベル以下の相手しかいない
>孫策が入るんだったら、まず袁紹や呂布が入るんでないの?
その通りなんだわ。
そして袁紹ですら議論の末、
確定枠はおろか議論枠からも外され…という点でお察し
孫策ってパッと見成績が華々しいから
一見凄いように見えるけど、
実際は大したことなんて碌にやってないんだよね。
孫策の江東を押さえている地域自体が
江東の「面」ではなく、
江東の都市とかの「点」を押さえているだけに過ぎないし。
>>287 袁紹が議論枠から外れてるのは、麹義が代理で入ってるからな気がする…
袁紹勢力代表を袁紹にするか麹義するかは、それはそれで議論の余地があるんじゃないかと
>>288 だから点と点の間に不服住民が大量に巣食って、賀斉たちが延々と平定作業に励む羽目になったわけだしね
諸葛恪の時代になっても山越討伐してるんだから…まあフロンティアってそういうもんなのかもしれんけど
孫策の名前が出るのは
・ハンデありまくりのスタートラインから
・極めて短期間で
・政治的・権威的ににはともかく、武力的に完全制圧した
からだろう。
この時代で孫策のバックグラウンドと比較対象になる存在といえば鍾ヨウか?
事実上単身赴任で複数の武装勢力を服従させて地域に安寧をもたらしたのは
孫策 鍾ヨウ
地域 江南 関西
バック 袁術 曹操
軍閥 劉ヨウなど 馬騰など
目的 制圧 せめて袁紹と繋がった敵にしない
手法 武力 慰撫
結果 制圧 纏めあげて服従させる
孫策は、孫堅軍として転戦してきた程普黄蓋韓当ら歴戦の将兵を授かってるんだよなぁ。孫河呂範も最初から側近としている。
その戦争体制も、孫賁呉景、朱治、そして周瑜ら周氏も含めた、袁術軍との共同作業。バックなんてもんじゃない。
これが単身赴任と言えるのか…。
司隷に単身赴任して関中軍閥を懐柔した司隷校尉の鍾繇。揚州に単身赴任して袁術残党を懐柔した揚州刺史の劉馥。
曹操のバックアップ込みとはいえ、これが本当の単身赴任かと。
最たる例としては、荊州に単身赴任して豪族を懐柔し、反乱勢力を皆殺しにし、孫堅を戦死させて袁術を追い出し、張済を戦死させて張繍を懐柔した、江南最強群雄の劉表。
バックなんて無い、完全な実力。どう考えても孫策より上でしょう。
孫策が呂布、袁術、劉表らより評価されやすいのは
誰に勝ったとかどこを切り取ったとかよりも
三国の一つの基礎となったからじゃないかと思う
呂布らは強くても結局生き残らなかったじゃん?
その点、孫策は早死にしたけど孫権に引き継いで勢力としては生き残ったから凄い、
っていう感覚なんじゃないかな
後のことまで評価に含めると
勢力を維持した孫権の功績を吸い取ることになっちゃうけど
曹操、劉備が余裕の確定枠なのに、孫堅孫権は無理で、ギリギリ可能性のあるのが孫策だけ…というのは大きいな
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/22(土) 19:58:49.20 ID:xPXqKp+50
劉表が最強とか知的障害でも抱えてんのかよ。
劉表は群雄としてじゃなく刺史として、しかもある程度後漢の権力と権威があった時代に赴任しただろ。
豪族を懐柔したってのも懐柔したというよりは迎合して媚びただけだし。
事実後継者に長子を選べないほど、専横されてた。
無駄に暴言を吐くのは何の意味があるんですかね
知的障害というのはブーメラン発言にしか見えないと思いますけど
というか反董卓連合の時に後漢の権力権威がそんなにあったとは驚きですね
劉焉や陶謙と混同してるんじゃないですか?
孫堅を戦死させ袁術を追い払い孫策より大勢力を築いた劉表が、江南最強群雄でないというなら誰が最強になるのか
頭の良い
>>294 に是非教えていただきたい
なんでそんな無駄にケンカ腰なの
荒らしたいのか寂しがり屋なのか
>>294 荒らしなの? 構ってちゃんなの? ただの馬鹿なの?
まあ三国だけから選ぶなら 関羽や孫策も確定枠に入るんでは
後漢とか群雄とか西晋とかからも選ぶなら微妙なラインかもしれんけど
しかし、相変わらず末尾Iが目立つスレだ
PやO、iと比べると相当にレアなはずなのに
そりゃこんな過疎板の住人なんてある程度固定されてるだろ
>>294みたいのがそういうレア末尾だと良かったんだけどなぁ(嘆息
>>300 前スレの時から大半が固定だぞここのスレ民
固定住民は鬱陶しいから去れってことか? 多分、一気に過疎るぞ
史料に拠って語れる人が煙たいので、暴言をもって排除を試みるも、いなくなったらなにもできずにスレを消滅させてしまうか
コーエー三国志程度の内容しかない短行のレスが時折つく過疎スレにしてしまう
>>294みたいな暴言野郎の未来がみえる・・・
>>294に異常に固執してる人は何なんだ?
自演を疑うわけじゃないけど、しつこすぎない?
とりあえず董卓の乱(189)→官渡大戦(200)までの勢力拡大比較整理
ゼロから始まって数州を支配
1位:曹操:領地無し→河南四州を支配
一郡から始まって数州を支配
2位:袁紹:渤海太守→河北四州を支配
ゼロから始まって一州を支配
3位:劉表:領地無し→荊州を支配
4位:呂布:領地無し→徐州を支配→曹操により滅亡
ゼロから始まって数郡を支配
5位:孫策:領地無し→揚州江南を支配→横死して孫権へ
6位:袁術:領地無し→揚州江北を支配→曹操により滅亡
一郡から始まって数郡を支配
7位:公孫瓚:遼東属国長史→幽州西部を支配→袁紹により滅亡
最初から刺史や牧
8位:陶謙:徐州刺史→徐州を支配→病死して劉備へ
9位:劉焉:益州牧→益州を支配→病死して劉璋へ
議論枠の麴義(袁紹) 黄祖(劉表) 呂布 孫策の四人から選ぶなら、まずは麴義?
孫策の強みは、孫策軍の主力はあくまで孫策ってところか
名将周瑜がどれくらいのウェイトを占めていたか不明だし何とも言えないが
呂布における高順もそうだけど
末尾Iだと書き込んじゃいかんのか(困惑)
孫堅
age
当時無敵と思われていた董卓軍を撃破した唯一の将軍
袁術軍として豫州で多少の武功を挙げた
sage
曹操より有利な条件で戦ったが、やはり徐栄には大敗
劉表戦というか黄祖戦で戦死
孫策
age
五年で揚州江南の四郡を平定
黄祖を撃破している
sage
自力で勝てた戦いが意外と少ない
勢力規模の小さい相手としか戦ってない
北上=陳登攻め に失敗
北上=陳登攻めリトライ? の準備中に横死
二人とも死亡時期が早いからage材料が少ないのに、sage材料がけっこうあるんだよなぁ
もし関羽と孫堅が戦ったら、孫堅軍により関羽軍は撃破されるも、単騎で突出していた孫堅が関羽に斬り殺されて戦死、ってことになるイメージ
孫堅を孫策に変えても同じ結果になりそう
>>306 一人が自演で騒いでるだけだから気にしないでいいよ
>>306 正史準拠のスレで「孫堅が関羽に斬り殺されて」ってどういうこと?
本気で言ってるのかオーバーに言ってるのか分からないけど話が飛躍し過ぎでしょ
イメージで言ってるだけなのにそんなに噛み付かんでも。
単騎で突出して死んじゃうような将は名将と呼べるか疑問だってことが言いたいんじゃないの
>>306は
なんか最近
>>308みたいなの増えたねこのスレ
後漢後期 永和5年(西暦140年) 13州の人口ランキング
1位 益州 724万人(152万5千戸)
2位 荊州 626万人(139万9千戸)
3位 豫州 618万人(114万2千戸)
4位 冀州 593万人(90万8千戸)
5位 揚州 434万人(102万1千戸)
6位 エン州 405万人(72万7千戸)
7位 青州 371万人(63万5千戸)
8位 司隸 310万人(61万6千戸)
9位 徐州 279万人(47万6千戸)
10位 幽州 204万人(39万6千戸)
11位 交州 111万人(27万戸)
12位 并州 69万人(11万5千戸)
13位 涼州 42万人(10万2千戸)
数字はおそらくいい加減なので、参考程度に
そして司隸は董卓の遷都に、豫州は袁術の悪政と曹操の略奪に、徐州は曹操の虐殺に、壊滅的被害を出したと考えられる
>>311続き
したがって何州切り取ったと言う数字は、あまり考察に相応しくないと思う
州ごとの格差がかなり大きいからね
>>豫州は袁術の悪政と曹操の略奪に
これは初耳
どこソース?
>>312 人口格差も考慮に入れて考えればいいだけの話じゃね?
てか格差があっても州郡という行政単位で平等に分けられているのにはそれなり以上の意味があるんであって、数字が考察に相応しくないというのはおかしすぎっすよ
例えば涼州は人口少ない割に城の数は異常に多かったりして、それはつまり後漢の支配が行き届いていない危険地帯ということだったり、戸籍に載ってないだけで人口が多かったりする証拠なわけで、
平定する価値や難易度ってのは、他にも色々な要素が絡む
一番分かりやすい基準が、何州を何郡を平定したかっていう数字であることは間違いないことだよ
曹操の豫州の略奪って人口を大きく減らすほど激しい物だったの?
人口下降率が高い順にも並べて欲しいな
個人的にはその後の動乱よりも、黄巾で荒れた青州や冀州が荒廃してたと思ってたんだけど
>>314 俺はそもそも曹操が豫州で略奪したということ自体を知らんかったんだけど、正史のどこに載ってることなのか教えてくれ
影響力が及んでいただけで直轄支配していたわけでもない袁術の悪政ってのもわからん
豫州が荒れた原因ってそれこそ黄巾や李傕じゃないの
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/25(火) 07:33:43.55 ID:FHzZsCXPI
ID:wZoxT8PQOは言ってることが意味不明だからスルー推奨
ID:TDhzSYsk0みたいなホイホイ騙される"教えて厨"はこのスレ来ない方がいいよ
つーか人口下降率が高い順なんて明確な情報があるわけないでしょ
陳寿がサボったせいで後漢書と晋書にしか資料載ってねーのに
蜀はもうちょい資料ほしかったなあ
蜀は何で史官置かなかったんだろうな
何か記録として残したくない何かがあったのではないかと勘繰ってしまう
>>318 そもそも史官を置ける余裕が無かったとか…
流石に史官置けるだけの余力がないほどとは思えないがなあ
議論が停滞すると話が脇道に逸れた挙句に荒れかける・・・。
2スレを費やしてようやく16人まで決めた確定枠が、いかに大変なものだったか。最近の流れ見てて実感しました。
3スレ目に入って新しく決まった(?)のは、司馬懿と田豫だけ?
夏侯淵は微妙に出た反論は叩かれたが、結局有耶無耶に…。
今の議題は要するに、夏侯淵を確定枠にするのかしないのか。
しないとしたら、夏侯淵以上と言える名将は議論枠の中で誰がいるのか。
皇甫嵩や徐栄は? 麴義や呂布は? 孫堅や孫策は? 関羽や魏延は?
っていう流れでカオスになっているわけですよね。
その中だったらやっぱり実績的にも夏候淵だと思うけどなあ。
なんでこんなにネガティブに見られてるんだろ。
夏侯淵以上の名将なら黄忠で良いよ
>>323のような荒らしも最近急に増えましたよね・・・。なんでこんなスレになってしまったのか。
同じ理屈で孫堅以上の名将が黄祖(呂公)とか、関羽以上の名将が潘璋(馬忠)とか言い出すんですね、わかります。
あれは黄忠というより劉備と思うけどな
鍾会はどうなんだろ
野心が大きすぎて最後失敗したが
あの時代を代表する優秀な人物のひとりだったと思うよ。
司馬昭のもとで蜀討伐の大将として出征する以前から、司馬師のもとで淮南の反乱鎮圧のために、優れた策謀を買われて参謀として従軍したり、
政治についても大事な懸案となれば必ず彼も参与した。
蜀に降った夏侯覇も姜維に対して、「鍾会が魏の朝政を執るようになれば、蜀にとって由々しき事態となる」と注意喚起してるしね。
相当な切れ者だったんだと思う。
>>318 仮に後ろ暗い事多々なら、それはそれで逆に優先して置くんじゃねw
余所に好き勝手書かれるよりは先手を取って捏造する方がいいもんな
三国時代の選出は奇跡的なくらいバランス良い
魏西最強:曹真
魏南最強:司馬懿
魏東最強:満寵
魏北最強:田豫
蜀軍最強:諸葛亮
呉軍最強:陸遜
三国最強:ケ艾
対して後漢末期は明らかにバランス悪いよ
後漢末最強:曹操 次いで劉備←わかる
曹操軍最強:曹仁 次いで五将←わかる
孫権軍最強:周瑜 次いで呂蒙←わかる
劉備軍最強:張飛←ファッ!?
関羽がいないのは違和感ヤバい
劉備軍最強:関羽 次いで張飛←こうなるべきじゃないの
個人的には夏侯淵より先に関羽を昇格させたいなぁ
黄忠を挙げてる人がいるけど、選択肢にも入らないと思うよ
赤壁で曹操を撃退した名将は、黄蓋ではなく周瑜
漢中で夏侯淵を撃殺した名将は、黄忠ではなく劉備
劉備軍における黄忠なんて、曹操軍で言えば曹純、孫権軍なら甘寧
この程度のポジションを名将なんて言わないし、言っていたらキリが無い
お髭さんは未知数な部分が多過ぎて、ハッキリしてる戦績だけではさすがに確定枠は厳しい。
放浪時代の記録とかがもっと残ってればと思うけど、期待値込みで評価するわけにもいかないしな。
最強武将とかだったら関羽でもいいかもしれないけど。
残っている事績から劉備の配下の中で最も優れた将が張飛である、というのは間違ってないと思う
ただ、確定枠かというと大きく疑問符を付けざるを得ない
劉備軍という事だと完全に張飛がトップで違和感は全くないな
夏侯淵は確定でいいよ
敗北(戦死)は名将を完全否定する材料にはならない
漢中戦は劉備軍をただただ誉めるべき(あの時の劉備軍は間違いなく全盛期)
彼の功績は張コウとかがいたからという説もあるが、彼等を指揮して大局的な勝利としてきたのだから
涼州の韓遂や宋建、羌はザコではないだろう
蜀において夏侯淵を討ち取った事が大手柄になってるんだから、名将に値する
劉備の張コウ>夏侯淵発言は、軍を引き締める為の劉備の統率術だよ、きっと(ゴメン、これは根拠無いです。でも劉備ならこうするんじゃないかなぁ)
関羽は残っている記録の多くが負けだから評価するのは難しい
劉備軍が大きく領土を刈り取った蜀入りでも関羽は留守番してるし
そうなるかぁ
でも夏侯淵を確定枠に入れても、まだ5枠も残るんだけど(
>>259)
だったら関羽もワンチャンあるんじゃね?
夏侯淵以外に有力候補っていうと、麴義か孫策らへんでしょ?
政治能力というか協調性の無さで半ば自滅したって意味では、関羽と大して変わらんだろこいつら
関羽入れるなら呂布入れたほうがまだいいような気がする
というか孫策とか呂布みたいな猛将タイプは負けも大きいけど勝ちも大きい
それに比べると関羽は勝ちの記録が殆どなく劉備軍が躍進したときも留守番をしてる
そもそも
>>259の議論枠は他にも優秀な将が多いのに関羽を24人にいれる要因が少なすぎる
>>329 >ファッ!?
あっ・・・(察し)
超理論で関羽を無理矢理入れようとする奴が居着いてると思ったら、
なんJから流入してきたガキかよ
>>337 その程度の言葉尻で見当違いなレッテル貼りをできる神経が理解できんが
んで、お前のその何の中身も進展性も無い煽りはいったいどんな意味があるんだね
マトモに議論する気も無い荒らしが突っかかってくんなや
既に何度もこのスレでそういう輩は叩かれてんのに懲りないもんだ
>>336 一人お留守番を任されたことは能力を最も信頼されていた証だと思うんだけどね
まあ結果的に失敗してるからこれはアレだけど
官職も役割も評価も関羽は張飛の一歩上なわけで、陳寿は総合的に判断して関羽が張飛より上だと思ったから関張馬黄趙伝という順番にしたわけだ
それが年齢差などにも起因しているとしても、もし関羽が張飛にハッキリ劣るのだとしたら、劉備も魏の参謀達も含めて皆、人を見る目が無さすぎるということに
関羽を確定枠にするならまずその前に姜維でも入るんじゃなかろうか。
>>338 その辺の推測が成り立つこということは過去にも何度か意見が交わされてるんだけど、このスレでは確定している実績を重視していこうっていう意見のほうが今のところ優勢
俺個人としては貴方の考えに近いんだけどね
>>339 姜維は関羽の劣化版にしか俺には思えないんだけど・・・
魏将には基本的に勝てなかったって意味では同じだが、数少ない勝ち星を比較した時に王経では于禁龐徳の相手にならんでしょ
文官から見捨てられて大失敗したって意味では、荊州失陥した関羽より蜀を滅亡させた姜維の方が明らかに酷い
>>340 まあ関羽は「名将である」と言える材料も多いけど「名将じゃない」と言える材料も多いから、そうなっても仕方ないとは思ってるんだけどね
この時点でどういう反応が返ってくるか興味があったからふっかけてみただけで
関羽はやはり荊州失陥のマイナスが大き過ぎる。
如何なる経緯を経てどんな理由があったにせよ、荊州方面総司令としてこの地を守り切れなかったことは事実。
劉備軍の大局的な勢力図を、大きく失う方向で塗り変えてしまった。
このことは後の蜀漢の北伐戦略にも大きく影響し、諸葛亮の思い描いていた荊・益両方面からの北進を事実上頓挫させ、諸葛亮・姜維による魏討伐をより困難な状況に追い込んでしまった。
単に失地をしたということではなく、一国の戦略方針にも多大なダメージを与えてしまった将を、名将と呼ぶにはかなり疑問に感じるな…。
>>341 確かに関羽は大物を下してはいるけど、
姜維がやってる魏に大勝したり領土を切り取ったりはしてないわけで、
相手云々よりもそういった実績の方が重要だと個人的には思うんだよな。
まあどちらかと言えば自分もそんなに関羽sageはしない方だから、
関羽をフラットな視点から再評価するというのには賛成なんだけどね。
>>338 1人留守番って単純に他に任せられる将がいなかったんじゃ
劉備の股肱の臣といえるのは関張
事実最初に下?の留守を任されたのは関羽じゃなくて張飛だった
しかし張飛は城を乗っ取られてしまうという失態を犯した
その後曹操を裏切ったときは今度は下?は関羽に任せた
関羽がこの後捕らえられたのは劉備が逃げて置いてかれたためで関羽に責任はない
しかも関羽は曹操に厚遇されたにも関わらず忠義かは分からんが劉備の元へと帰ってきた
時は流れて赤壁の後劉備は荊州を奪ったがこの後劉備は益州を攻めなくてはいかず誰かに重要拠点の荊州の守護を任せないといけなかった
新参の連中だと裏切るかどうか分からないし張飛は過去に城を奪われたことがある
そうなると単純に消去法で任せられるのは関羽ぐらいしかいない気がするんだ
>>342 うん、まあ、そこは反論しようがないんですけどね
関羽は名将だと言い張れる材料も結構あるから、どういうポイントを重視するかで評価が変わるんじゃないかってことを言いたかった
>>343 姜維は領土切り取りに成功したことはなかったような・・・? 記憶違いかもしれんけど
住民拉致はよくやってて、小国の悲哀を感じる
>>344 完全に同意だけども、それって要するに張飛よりも(留守番)能力を信頼されてたってことになるんじゃないか?
>>345 まああの時点では張飛よりは留守番役として信頼されていただろうね
ただそれが能力を評価してなのか他にいなかったから選んだのかが分からんからなあ
そして結局その信頼を裏切った結果となったから評価し難い
正直張飛もこの後恨まれていた部下に殺されてるから部下の統率取れていたと言い難い
だから関羽の変わりに荊州任せられていたとしても失敗していた気はする
個人的に名将になるには運も必要だと思うんだ
どんなに力量があっても無能な上司の元についたり活躍の場が与えられなかったら歴史の闇に埋まっていくだろうし
関羽と張飛の大きな違いはそこだと思うんだよねえ
蜀入りという敵を撃破懐柔していくという将の仕事を与えられた張飛
荊州の統治や防衛という味方を統率し民を慰撫し外敵に備えるという統治者としての仕事を任せられた関羽
関羽が蜀入りで活躍できなかったとは思わないし張飛が荊州を防衛できたとも正直思えない
ただ張飛のほうが名将として活躍できるチャンスを与えられた結果張飛は関羽よりも将としての実績を残すことは事実
だから張飛が名将入りされるのは当然とは思うけど関羽が名将入りされるのは違和感がある
張飛に荊州任せてもいずれ暗殺された可能性は高いが
部下の統率という点ではむしろ引き締まってたと思うよ
張飛突然死んでも軍営は混乱しなかったのだし
ムチ振るった相手を側においた浅慮が一番の問題だったわけで
>>348 単純に側にいた人たちが張飛の苛烈な罰を一番受けるポジションだったってことじゃないかなあ
劉備に戒められるほどの厳しさが引き締まりを生んだんだろうけどその結果殺されてるってのは減点されるべきとは思う
結局は加減や部下をしっかり見ることができなかったってことだし
>>347 「関羽が蜀入りで活躍できなかったとは思わないし張飛が荊州を防衛できたとも正直思えない」ってとこまでは完全に同意見でいて、結論は俺と真逆なのだなぁ
その論理展開自体には納得せざるを得ないけども
ただ関羽は、曹操に捉えられた時に「劉将軍の下に帰りたい、だが殺さず厚遇してくれた曹公の恩にも報いたい、だから大功を立ててから去る」と誓って、それを即座にやり遂げた事実がある
即座にってところがポイントで、機会が来るのを悠長に待ってたわけじゃなく自分から掴みに行って、そして世に轟く武功を挙げて速やかに遂行した
あの手腕を見る限り、適した職場(戦場)さえ与えられていればどれだけ活躍しただろうかと思ってしまう
まあ、このスレのように客観的な事実を重視してブレにくい堅実な選出をしていく方式では、関羽は不利だねやっぱり・・・
>>348 張飛の一番の問題点は、部下を日常的にシバき殺すサディスティックな性格とか、その部下を側近に置く無頓着さじゃなくて、「劉備がそれを常々注意していたのにやめなかった」ってことだと思うんだよなぁ
上司の言うことを聞かない部下はダメでしょ・・・
>>350 関羽は名将になれる器は十分あったとは思うよ
ただ名将にはなれなかった
それが関羽だと思う
>>259の議論枠から個人的に除外したい人物。
諸葛恪:ほぼ一発屋。丁奉のおかげで勝利と言えなくもない。再戦での負け方が酷すぎ。
鍾会:将としては一発屋。完全にケ艾のおかげで勝利。戦中も戦後もグダグダ。
羅憲:ほぼ一発屋。しかも攻戦じゃなく守戦。偶然スポットが当たっただけで立場的には小物。
陸抗:ほぼ一発屋。しかもそれが部下の反乱鎮圧。羅憲に勝てなかった人。
杜預:ほぼ一発屋。王濬のおかげで勝利。というかあの状況で負けたらただの愚将。
羅権は確かに外しても良いと思うけど、杜預、鍾会を外すのは無理があるだろ。
特に杜預は確定枠でも良いと思う。
王シュンのお陰というのはあり得ない。王シュンがいなくても絶対に成功してたはず。
というか三国時代の一角である呉蜀を滅ぼした総司令官は確定枠に入れて良くない?
おそらく当時代で最大級の兵力を率いた将軍でもあるわけだし。
例えば楽進なんかは、終盤に少し将軍らしさを見せたからあんま言われないけど、
若い頃の活躍なんて匹夫の勇に頼った兵隊長レベルの活躍なんだよな。
楽進を入れるのに異論は無いけど、序盤に活躍した人間って華々しいけど、終盤の人間に比べて小粒過ぎる気がする。
もっと大軍を指揮してなおかつ国を滅ぼした将軍は評価されても良いはず。
そりゃ序盤のほうが敵の数や奪い取れる領土の数が多いから華々しくなるのは仕方ない
後一発屋は外すべきって意見には反対したいな
杜預やショウカイみたいに部隊長や参謀として活躍していたからこそ将軍を任せられているんだろうし
そしてその信頼を見事に全うしたならば評価されてしかるべき
>>353 漢の全盛期の6000万人の人口はその頃は600万人にまで減少してて兵もそれに比例してる
>>353 意味わからん・・・貴方の理屈だと、三国時代に生まれただけで有利になりますな。
後漢末期は少数しか率れなくても戦果を残さなきゃいけない時代。
三国時代は大軍を統率するのがメインワークの時代。
あと失礼だけど、正史読んだことないでしょう。
楽進が「終盤に少し将軍らしさを見せた」だけなんて思ってる人がこのスレにいることに驚愕しました。
別軍司令官として曹操軍で最も活躍したと言えるのが楽進なんですけどね。河北四州平定戦を何だと思っているんでしょうか。
>>354 確かにそうなんですが、鍾会はケ艾がいなければ失敗していた可能性も高いですよね。
この辺の捉え方は人によって違うのでしょうけど、ケ艾と鍾会がどちらも確定枠に入る必要はないと思ったのですよ私は。
まあ
>>353さんも仰る通り、一国を滅ぼした将軍を外せという私の意見はちょっと無理がありましたね。
羅憲の男前エピソードは好きだけど、記録が残る分にはほぼっつーか完全に一発屋だよなぁ
羅憲の状況で部下が最後まで士気を維持して付いて来るというのは相当なものではある。
ちょっとでも人格・能力に隙があれば首を差し出されてるもんなw
とはいえ流石に実績が少なすぎで、100選でも微妙なレベルか。
羅憲が呉・孫休にあっさり降伏する人物だったなら、勢力を増した呉がもっと粘れてた可能性はあるかね。
>>341姜維はどちらかというと、劣化馬超だな
異民族とのコネといい、騎兵を使った戦い方といい
姜維の能力は馬超より高かったと思うけどな。詰んでる状況でよくあそこまで頑張ったよ。
同時代の将が対等な条件下で戦ったら、ケ艾以外は姜維に勝てないんじゃないかな?
ただ郭淮や陳泰を押しのけて姜維を24選に入れるのも違和感あるので、姜維も脱落候補の一人かな…。
362 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 15:05:00.99 ID:vnZ4LxG50
鶴田浩之 3.11 東北大震災 東日本大震災 震災商法 サイコパス 寄付金ロンダリング 犯罪者
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岡村いずみ 岡村いずみ 岡村いずみ 岡村いずみ
姜維は、諸葛瞻・董厥らとも北伐についての考え方は違うし、黄皓は宮中を乱すしで、援軍を申し立てても成都の対応は鈍く、やきもきしながら孤軍奮闘してるって感じだ。
恐らく蜀漢による中華統一以前に、蜀政権内における自らの発言力を取り戻せない限り、この戦争は大きく制限を受けるものになることも分かっていたのだろう。
だから必死に戦果を追い求め、度重なる出兵をした。
少し後になるが蜀の滅亡時、姜維は魏の鍾会に降った。
そして鍾会と手を結び、魏(司馬昭)との対立を画策する。
姜維は鍾会の反乱を利用し、後に彼を殺して蜀の再興を狙っていたと言われるが、俺はそうじゃないと思う。
姜維と鍾会の親交は日に日に深まって行ったというし、当初はどうであったかはともかく、彼の鍾会に対する信頼は本物になって行ったと思う。
蜀将だった時の、何を言っても響いてるのかもはっきりせず、対応も愚鈍な成都に比べ、
鍾会は頭の回転も早く決断力にも優れ、自分が献策したこともすぐに取り入れ実行に移してくれる。
ここに至って姜維は、将としての喜びを実感したのではないだろうか。
この男は共に天下を論じるに足る男だ、と。
年齢は親と子ほど離れているとはいえ、名将は名将を知る、といったところか…。
>>363劉禅に密書を送ってるから、やっぱ蜀復興を考えてたんじゃない?
365 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 20:33:02.07 ID:zj7qIzxc0
龐統もたかが劉循や張任ごときに
1年かかっておまけに戦死しているからな
よく孔明の批判の槍玉に法正や龐統の
軍師能力を上げるバカがいるが
司馬懿も大軍以てしても
孔明に追撃もできず局地的に負ける有様
淵や張任劉循と司馬懿では格が違うよ
>>364 やっぱそうなっちゃうかなw?
でも姜維は単純に鍾会を利用しただけとは思えないんだよね。
親密とかそういうレベルで仲が良かったようだし。
劉禅達に比べ、打てば響くような利発さを備えている鍾会は、今老境に至り姜維が長年忘れかけていた将としての何かを沸々と甦らせてくれるような存在だったかと思えてね。
>>365法正が蜀の軍師で別格とされているのは劉備が曹操を破った時の参謀だからというのが大きいと思う
まあ曹操と戦ってた時の法正の具体的な功績といえば、不利になった時退却するよう進言した事ぐらいだけど
近年では軍師として評価されてるのは法正だけじゃないかな
鳳凰のほうは最近は呉との外交分野での期待ぐらいしか話されてない気がする
どっちにしてもここは武将スレだから軍師はそもそも場違いだが
なんで突然法正や龐統や司馬懿の話が出てくるんだろ?
脈絡ないように思えるけど、誰かの話と繋がってるの?
三戦板住民が誤爆でもしたんじゃね? なんか頭悪そうだし
陸抗は軍政家としてならトップクラスに優秀だし、将軍としても有能な部類であることは間違いないんだけどな一応
あぁ、陸抗は優秀だね。
西陵の戦いでの見事さを目の当たりにした、かの晋の羊コをして「陸殿は当代の名将、その知略において私の及ぶところではない。
かくなる上は武を用いて攻めるのではなく、徳と慈悲によって対処すべきであろう」と、晋の強大なバックグラウンドをしても決戦を避け、徳治政策に切り替えたくらいだからね。
陸抗は呉にとっての孟珙みたいなもんなのだろうとは思うけど、
二十四選に入れるにはちょっと実績が足りないかなって気がする。
呉の晩年を支えた軍政家だったとは思うし、減点材料もあまりないけど、
羅憲が抜けなかったというのが大きいかねやっぱり。
>>368三国志軍師二十四選をやっても面白そうだな
羅憲かぁ…、こいつも傑物で本来なら巴東の守将などやっているような人材ではなく、魏の蜀侵攻に対して姜維と共に防衛戦を張るべき人材だったのだろうが、黄皓に嫌われてこの地に飛ばされちゃったんだよね。
名将同士のガチンコとなると「攻者3倍の原則」で守備側がやはり有利か?
…と思いきや、羅憲2千に対し陸抗の増援3万以上かぁ、3倍どころの差じゃないね。
これで半年包囲して陥とせないとなると…、諸葛亮 vs カク昭の陳倉攻防戦時より大殊勲だな、羅憲は。
超寡兵な上に母国が既に滅んでいるという状況で、民の人心を安んじ兵の士気を高いまま保ち続ける…
マジカルな次元の話で、人格、政治力も備えた傑物なのは堅いところだわな
「大殊勲」を誇ることも認められる事も目指さず、意地でやってのけたんだろうというのも凄いw
永安を陥落させられないまま孫休がよくわからん死に方をするし、結果的に呉の滅亡を年単位で早めたかも知れない
そうだね、それとこの白帝は、かの劉備が臨終を迎えた地。
先帝臨終の地で、迎え撃つは先帝を死の縁に追いやった陸遜の子・陸抗。
因縁めいたものを感じるねぇー。
因縁の地で因縁の相手との決戦。
元蜀将の意地とプライドにかけても、こいつにだけは絶対にこの地は渡さん!という、羅憲のほとばしるような覇気がこの偉業を支えてそうw
でもぶっちゃけ羅権の奮闘ってあんま意義の無い戦いだったよね。
魏の侵攻から耐えたんなら、蜀の臣として功績を残してるけど。
魏に併呑された後、蜀をハイエナしようとやってきた元同盟国の軍を魏んために戦うって良く分からん。
>>374 軍師系はどこもそうだけど
まず軍師の定義で大荒れしてろくに決まらない
>>375 カク昭の陳倉守備は、曹真によって準備万端で完全にお膳立てされてたからなぁ
準備不足な上に本当に援軍が来てくれるかもわからん孤立無援の永安を守り切った羅憲は、カク昭とは次元が違う凄さ
>>379 参謀、軍師、名知将とかで良いんじゃね?
軍師とか将みたいに明確な功績が残されてるの少ないから間違いなくぐだる
冷静に考えれば、経験のない小役人や農民でも
名将軍になれるんだよな…口八丁の参謀も然り
>>378 確かに意義って意味では無意味に近いかもね。
思うにあれは魏のために戦ったってのは非常に薄いんじゃないかな。
言うなれば元蜀将、いち個人としての意地のため戦った。
母国は滅びたけど、せめて最後に因縁の相手に一矢報いて、先帝の仇を討ってやりたかった、みたいな。
もっとも、その後の自らの身の振り方を考えて、もはや残った呉では蜀をも併呑した魏(晋)を倒すことは不可能。
ならばここで一丁華を咲かせて、魏(晋)に恩を売っておく方が得策か、…なんて考えからなら、結構先見の明があり計算高い人物だけど。
羅憲の状況でその手の計算が透けてしまうと、人が付いて来なくなってすぐ詰みそう。
てか、冷静に計算した上で勝機十分と判断して選んだ道がアレだとすると、それはあまりに凄すぎるw
鐘会と変な友情が芽生えた可能性も否定できんな。
あんなボンクラのために、また蜀の民を兵隊に徴兵して巻き込むこと
を美化するのは難しい。
諸葛恪と姜維は似てるところも多いけど、二十四選に入る可能性があるほどの名将は姜維の方だけだと思う
姜維の敗戦は姜維以外に責任転嫁できる部分も多いけど、諸葛恪の敗戦は完全に諸葛恪自身の失態だし
あの合肥新城攻防戦に際し、呉の諸葛恪は20万と號する大動員を掛けその攻略に向かった。
対外的には蜀の姜維に使者を派遣し、同時に出兵の約束を取り付けている。
合肥新城の守将は魏の張特、駐屯する兵力はわずか数千。
この報を受けた魏の大将軍・司馬師は、弟・司馬昭を雍州に向け郭淮を助けて蜀の姜維の侵入を防がせる一方、胡遵・カン丘倹に呉の諸葛恪の方を当たらせることにした。
…このへん魏の層の厚さと他二国との国力差を感じさせるな。
しかしこの魏の張特、先に名前が挙がってたカク昭・羅憲らと同じく、大兵力を相手に見事城を守り通したのだが、
先の二名とは違い、ここではあまり名前が挙がってない印象があるな…。
>>389 カク昭も最近ちょっと話題になっただけで、名将候補として挙がったことは無い気が
張特の手柄も、都督揚州諸軍事の毌丘倹へ帰趨すると考えている人が多いんじゃないか?
諸葛誕では諸葛恪に勝てなかったら毌丘倹に交代して防がせたって書き方なわけだし
まあ曹真のように将を選出して派遣したり城の強化を指示したりと積極的に関わったわけでもないから、毌丘倹ではなく張特の手柄として良い気もするけど…
確かに最終的に呉の軍勢を撃破したのはカン丘倹だもんな。
しかしあの張特の計略は見事だよね。
弁の立つ者を諸葛恪の陣に遣わして「我が魏国の法律では、敵に城を囲まれて守ること百日にして援軍が来なければ、城から出て降伏しても家族の者が罪に連座することはありません。
今、将軍に囲まれて九十余日になります。 どうか数日のご猶予を頂き、百日してから軍民を率いて投降させて頂きたい」と、数日時間を稼いで、その間城中の家屋をひっぺ返して、それを材料として城の補修を済まし、
「呉の狗どもに降ってたまるか。 さあ、もう一度かかって来い!」ってんだから、中々痛快で切れる男だよ、張特はw
それだけで昔の世界は天才切れ者扱いだもの。
東大理学部行きたかったわ…。昔の世界は良いよなぁ
簡単に賢人になれちゃうからさ
いや、こういった計略を成功させるには単に頭が良いってだけじゃなく、人間心理を上手く利用したり、命懸けで実行するわけだから胆力も備わってなきゃならないし、考えるよりも遥かに大変なことかと…。
合肥新城は満寵が手掛けた堅城ということで、他よりはイージーモードだったとも思う
城を守るのに肝心なのは、兵力よりも物資だろうし
赤壁時に孫権が合肥を攻めた時なんて守将の名前すらわかってなかったはずだけど、劉馥の余徳だけでずっと耐えてたり
>>393 でも個々の人間でもそれくらいの能力有していないか?
昔の英雄とか参謀とかそもそも学を納める機会も広く門戸を開かれてた
訳でもなかったからね。
有しているかもしれない。
そして、それを実戦で開花させた者だけが史書に載るような業績を打ち立て、歴史に名を刻むのだろう。
学を納め勉強が出来れば良いというわけではなく、名将・名参謀たるには、敵を知り、地理を知り、状況を見極め、何よりも人というものをよく理解していなければいけない。
所詮相対するのは人。
目の前に立ちはだかるそいつの心理を読み、出し抜かない限り、劣勢側に勝利などあり得ないからね。
そういったことを勉強は出来て秀才の馬謖と、勉強は出来なくとも人生から多くのことを学び戦いでも生かして来たトウ艾の二人が、我々に多くのことを教えてくれる。
というか記載された事柄以外のことも当然起こってるんだし
簡潔に後世に伝えるために記述されてるだけで
机上オンリー、ボードゲームの巧さ的な意味での能力だけならともかく、実際に自分の命をかけ、人に命を懸けさせて…となるとな
あと、社会情勢もある。
魏晋貴族社会の始まりに位置する三国時代ってのは
どんどん寒門の出世が望めなくなってくる。
士流は士流で、またヒエラルキーが存在して家門のしがらみ
があり、思うままに動けなかったり。
張徳が思い切った(相手をおちょくったような)策が打てたのは
麾下の統制がうまくいっていた証拠なんだろうなぁ。
そこに日頃の努力がうかがえる。
非協力的な味方では、攻囲されている極限状態でよく為せる
ことではないだろう。
三国志最長の籠城戦は公孫瓚の易京かな? 結局陥落してるけど
というか麴義は確定枠に推したい
三国のどれとも関わってない部将なのにあんだけ事績が伝わってるって物凄いと思うんだけど
鞠義は最後、公孫サンに大敗したのが印象に悪いな
キクギは袁紹躍進の立役者と言えるからなあ
残念ながら魏蜀呉にあまり関わってないせいか記録がそこまで残ってないけど残された戦績だけ見るとかなり優秀だ
最後の大敗は易京という袁紹本隊が数年取り囲んでやっとこさどうにかなる場所であったし
麴義だけじゃなく黄祖もなぁ…
孫堅だけじゃなく徐琨や凌操らをも戦死させてるわけで、本来は孫堅や孫策を上回る名将だと思うんだけど
基本的に呉側の記録しか残っておらず敗戦扱いしか伝わってないせいか「負けまくってるのに全く領地を失わず敵の大物を殺し続けた謎のゾンビ野郎」になってしまっているからなぁ
孫呉二大名将の周瑜と呂蒙が前軍となってようやく討ち取られるまで、孫堅戦死以来15年以上
江夏の守護神って意味では文聘に劣るかもしれんけど、その密度自体は文聘以上だよ間違いなく
呂布は…呂布入れるくらいなら臧覇入れようぜって思うから別にいいや
他に三国以外の後漢の群雄で確定する可能性がありそうなのは陳登かな
皇甫嵩は董卓に服従して役立たずの置物に
徐栄は孫堅を撃破したが孫堅は呂布や董卓を撃破
李傕と郭は徐栄を戦死させ呂布を撃破
郭は李傕を寡兵で撃破
董卓周辺人物では郭が一番の名将かもしれんな(笑)
どいつもこいつもイマイチなのは間違いないけど
>>404 陳登の実力は底知れないけど、活躍期間短くね? 実績が足りない
長生きしてれば臧覇や文聘を超えてただろうけど
少数精鋭を率いて軍の先頭に立って無双する呂布のような猛将を、
名将と呼ぶか否かで選出が大分変わると思う。
というかそこを統一してないから議論がこんがらがってる。
呂布を入れるなら、公孫瓚や関羽や甘寧、文鴦、丁奉みたいのも入れてく必要あるし。
逆にそういう匹夫の勇を除外するなら、匹夫の勇に関する功績を度外視して考えてく必要がある。
俺は大軍を独立した指揮系統で元帥として率いて連戦連勝するような人間が名将だと思うから呂布や丁奉みたいのは入らない思う。
逆に大軍を率いて一国を滅ぼした杜預は入れるべきだと思うよ。
そうすると後半の人間に比重が置かれると指摘する人がいるけど、それで良いと思うんだよね。
というか今の選出じゃ前半の武将が有利すぎて偏ってる状態だと思うよ。
陳登を例に挙げれば、孫策を破ったのも
徐州の一部の軍を率いて、揚州の一部の軍を率いた武将(軍の規模は不明)を破っただけでしょ。
407 :
406:2014/03/03(月) 11:53:27.33 ID:UXSSyoNG0
杜預を入れるべきだという意見を補足するけど
例えば、楽進は○○城を占領したとか于禁は○○郡を占領したとか言うけど
杜預は一国を占領してるからね。
当然一国の下には無数の郡や城があり、
杜預の下には複数の城や将を斬った武将がいるだろうし、于禁や楽進の役割を担う武将を更に統括したのが杜預。
兵の衆寡を考慮しても名将に選出されるだけの武功がある。
逆に杜預が前線に出て自ら城に一番乗りとかしてたらそれこそ匹夫の勇の極み。
大将がそういう小さな武功を建てても誉められる事では無い。
>>406 そんな理由で議論が混乱したことなど一度も無いだろw
肝心なのは実績だ実績
べつに陣頭で突撃してようが後方で指揮してようが、同じ結果を出してれば同じ程度の名将だよ
いったい何を言ってるんだ?
公孫瓚と関羽と甘寧と文鴦と丁奉を匹夫の勇で同一視するのも無理がありすぎ
時勢や官職など基本的な情報を把握せず、漠然としたイメージだけで語っているだろう
Wikipediaとかのネットで中途半端に正史齧った程度の知識を持ってる人間にしか見えんぞ、残念ながら
厳しい言い方だけど、前からキミの意見はいつも的外れだから、少し勉強し直してから来たらどうだい
>>407 そりゃそうだろ
そんなわかりきったことを「お前らわかってないんだろ」のノリで説明するのはやめた方がいいって
ここのスレ民でそんな馬鹿なやつはいないよ間違いなく
そんなことはわかった上で今の確定枠と議論枠に落ち着いてんだろ
杜預がまだ議論枠なのは、杜預じゃなくてもやれたと思われてるからじゃないの? 知らんけど
余人では出来ないことをやり遂げるのが名将
まあ時勢に恵まれたことも含めて、私は杜預は名将だと思うけどね
あぁそれと、やたら楽進と于禁を小物だと思ってるみたいだけど、魏の五人からもし誰かを下げるならどう考えても徐晃だよ
役割も地位も功績も、五人の中では圧倒的に小物だから
同類を纏めた巻の列伝順は嘘をつかない
そうと思えないのは、多分キミが演義系のイメージに囚われているからだと思うよ
>>405 郭は呂布と一騎打ちもしてたはずだし、意外と猛将だったのかもしれないな。
董卓系列の武将は戦犯的な扱いで実像より小さくされがちだろうし。
まあそれでも名将とはほど遠いだろうけども。
徐晃は魏の5,6番手を失点なくずーーっと務めてた感じ
曹操や張遼、曹仁、夏侯淵等に吸われない徐晃個人の働き、大手柄と言える派手な実績というと…樊城くらい?
徐晃を外すべきなんて微塵も思わないけど、魏の中だと「大物」とは言い難い地味で堅実な名将だわな
魏で五番手なら十分二十四には入るよ
こんなこと言うとアレだけど…。
領地拡大に貢献せず留守番も失敗した関羽がエントリーしてるのに、三国志最強の留守番役こと夏侯惇がエントリーすらしてないのは???
曹操が徐州に遠征すれば夏侯惇が兗州の本城を守り抜き、曹操が河北を転戦すれば夏侯惇が河南を後詰し、曹操が西に目を向ければ夏侯惇が東を担当。
絶大な権限と広大な範囲を常々任されながら、関羽や張飛のような失敗を一度もしたことが無い。
軍位や爵位の昇進スピードも桁違いだし、二十六軍=約10万人という後漢末期とは思えない大軍の都督を大過無くこなしている能力は半端じゃない気が。
まあ領土拡大には貢献してないし、戦功自体も少ないけど。
軍事上の功績は大きいけど戦争上の功績は少ない?と言うべきか。
いや、夏侯惇が24選に入る名将だとか思ってるわけじゃないですけど。
でもケ禹を名将と呼ぶ界隈もありますからね。そういう意味では夏侯惇も名将になるかもと。
このスレではどういう扱いになるんでしょうか?こういうタイプって。
集めた兵士に反乱起こされたり、呂布に捕われて部下に救出されたり、
顔面に矢を受けて失明したり、劉備のついでに高順に蹴散らされたり、
李典に止められたのに劉備を追撃してぼろくそに負けたり、
悪意を持って書けば酷いことになるけどなw
夏候惇は軍政家であって、君主の絶対の信頼を得て人を束ねる人物としてはこの上ないけど、
それと名将であるかどうかは全くベクトルが違うと思うよ。
武将としての夏候惇は、取り返しのつかない失敗をしなかったに過ぎない凡庸な武将。
関羽は取り返しのつかない大失敗をしたけれど、少なくとも一人の武人としては当代一流だし、
軍を率いても一応大物を下していて、議論ぐらいはできる武将だからね。
曹操陣営屈指の重要人物なのは間違いないけど、兵を率いる武将としてはなぁ
まぁそれでも、名将か否かという事なら「名将」にカテゴライズされても別に文句はない
あぁ…確かに夏侯惇の優秀さって軍政家とかそういう方面であって、将としては微妙ですね…
そういう意味ではやっぱり、将としても戦果を残している関羽や陸抗の方が上なんですな
陸抗は、陸遜と孫策の血を併せ受け継いだ「100パー名将にしかなりませんやん!」という最強の血筋を持つ男。
血統の良さなら陳泰もスゴいだろう
実績も申し分無い
>>417 陸遜並みの防戦の上手さと、孫策並みの城攻めの下手さを兼ね備えた、奇跡のハイブリッド!
間違いなく孫策の血を引いてるw
>>418 陳泰は凄いですよね
何が凄いって、戦術眼で郭淮どころかケ艾をも上回ってるのが凄い
>>405 董卓周辺なら董卓でも良いんじゃね?
個人的能力も結構高かったよな
武勇なんか呂布の次くらい
魏の夏侯尚は中々名将かと。
西城・上庸・房陵など三郡を攻略して魏の版図の拡大に貢献。
官位も征南将軍・荊州刺史・仮節都督南方諸軍事と重きをなす。(まっ皇族ってのもあって出世に拍車を掛けてんだろけど)
荊州の任地では異民族鎮圧や開発を進め、任地の繁栄に貢献。
曹丕が呉を攻めた際には征南大将軍として諸軍を統率し、曹真と共に江陵を包囲して諸葛瑾の水軍を撃破。
大敗らしい大敗もしてないし中々のもの。
…ってかこいつの父親って誰よ?
当時の超有名一族で名前が分からないなんて…。
夏侯尚は前に
>>102で一刀両断されてるな
名将だけど、魏にはこの程度の名将は割といるよな〜みたいな
曹丕のせいっていうか半分は自業自得だけど、あそこで変な死に方せずもっと長生きしてれば更に実績を立てれただろうに惜しいことだ
まあ曹休みたいに勝ちすぎて調子に乗って最後に陸遜によって大敗してたかもしれんけど
後漢末の頃、沛の夏侯氏は曹氏と違って完全に没落してたっぽいから、父親の名前が不明なのはべつにおかしくないんでは?
没落してた割に巨大な一族だったようだし、大勢いる夏侯一族の子供達の中から特に優秀だった尚クンが曹操の目に止まって任用されたんだろう
若死
政治的立場の悪さ
記録漏れor抹消
確定枠になるには強運が必要
まぁ不運な奴なんて議論枠にすら居ないわな
一定以上の強運は大前提
その中でさらに運がいい+実力が合わさって確定枠の高みに登れる
夏侯尚が生きていたら実績を積み重ねそうだけど
曹真曹休司馬懿とポジが被るし実際どうなるかわからんなぁ
李典李通は長生きしてれば、臧覇文聘を超える武功を成していたかもしれない
朱霊は記録が残っていたなら、曹操軍の異姓武将では徐晃に次ぐ第六位の実力者だったのだから議論枠には入っていたはず
でもこいつら、このスレでは全く触れられんからな
司馬氏と対立して三族皆殺しにされた曹真と夏侯尚と王淩と毌丘倹と諸葛誕
間違いなく史家の筆法により功績を省略されているが、そこを考慮していくとキリが無い
それでも曹真は確定枠に入ってるし毌丘倹は議論枠に入ってるけど……こいつらパねぇわ
あくまで実績という分かり易くブレにくい基準を重視するこのスレでは、もしもっと長生きしてたらとか、もしもっと記録が残っていたらとか、妄想込みでの評価が必要になってくる連中は不利
一般的な三国志ファンによる孫堅孫策関羽への評価はこのスレでの評価よりかなり高いだろうが、あれはそういった期待値を含んで評価しているからだろうし
孫堅孫策は三国の1つの祖として活躍と「悲劇」を熱心に描かれるし、関羽は人によっては三国志と言う物語の主役にもなり得るキャラだからなぁ
孫堅孫策の高評価がなかったら
コーエー三国志で呉プレイする人がいなくなってしまう
陸抗への評価も、巷では実績を超えて高いけど、あれも悲劇のヒーロー補正が入ってるんだろうな
陸抗伝読んでると、もうお前は充分頑張ったから親友のいる晋に亡命しちゃいなよ、って言ってあげたくなるし
病弱キャラで謙虚で有能、陸遜の子で孫策の血を引いてて、絶望的な状況で孤軍奮闘して最期まで国を憂いて死んだ
そりゃ妄想炸裂しますわ
>>426 例えばそこに挙がってるような名士武将連中を、間違いを起こさず次々と葬り去った司馬師・司馬昭なんてかなり有能な人物だと思うんだけどな。
ひとつの判断ミスが功績を台無しにしたり生命を左右する中、間違いを起こさず当初の目的を完遂するって結構重要なことだと思うんだよね。
司馬師は、魏帝や李豊が中心となった暗殺計画、淮南でのカン丘倹の乱、どちらも政権を揺るがす大事に見事察知、対処している。
司馬昭は、これまた魏帝を中心とした誅殺計画、淮南での諸葛誕の乱、蜀漢征伐の経営判断と、全て成功に導いている。
思うに、例えば于禁や楽進なら直接兵を率いる将として、関羽なら一州を預かる総司令の立場としてそれぞれ評価するならば、
司馬師・司馬昭のように国家のトップに立つ将も、その立場に応じた評価があってもいいと思うんだよね。
いやむしろ、こういった立場の人物こそ、直接国家や政権に影響を与えかねない案件ばかりなのだから、一介の将とは判断の重味が違ってくる。
それに加え国家運営力と経営判断など。
ってことで俺は司馬師・司馬昭の二人を有能な名将として提案したいんだけど…、政治家色が強いと一蹴されちゃうかな?
>>426孫堅孫策の評価が高い故に、この二人を破った黄祖・陳登の評価が高くなる
>>430 なんじゃそりゃ…
その理屈だったら、孫権や司馬炎だってその二人を上回る名将だわな、功績的に
ついでに姜維と戦ったのは司馬望とか言い出す気かいな
このスレをどういう方向に持っていきたいのだ…
まあ呉志を読んでると、江東四郡を本当に平定したのって孫策じゃなくて孫権(というか程普や賀斉)じゃね?って思えてくる時はある
孫策がイマイチ確定枠になりきれない原因の一つはこれな気がする
>>432 やっぱそうなるか…。
いやそれぞれの戦役の功績を、どこまで上の英断による功績として還元するか、って視点で考えてみたんだけど…、そう言われたら全て国家元首に帰趨しそうだから議論にならなくなるな。
スマン、司馬師・司馬昭のことは無かったことにしてくれ。
>>430 それはもう名将とかそういうのではなく、政治力とかの世界だと思う。
というかそういう視点だったら、司馬兄弟よりもまず曹叡の名前が上るんじゃないか
確かにね。
ただ、上の人も孫権や司馬炎を例として挙げてくれて、あなたも今曹叡を挙げてくれてるんだけど、
俺の当初の思いの中では君主までアップするつもりは無く、あくまでも「臣下の立場=将」という概念のもとに司馬兄弟を挙げさせてもらったんだよね。
でもそれは俺が勝手に想定した概念なので、上の人やあなたが言うように「それなら君主まで還元しなきゃおかしいんじゃないの?」と言われれば、まさにその通りなんだけどね。
俺が国家の上将軍としての司馬師・司馬昭を挙げたのは、色んな英雄・名将と呼ばれる人物があとちょっとのところで、たったひとつの判断ミスのせいで、功績を汚したり生命を落としたりして散って行った。
当時の司馬兄弟とてそれは同じで、中央・地方問わずあらゆる所に政敵がいた。
もし彼らが成し遂げた事績の中で、ひとつでも判断を誤ったものがあれば恐らく失脚=死が、たちまち彼らの頭上に舞い降りたことだろう。
しかし彼らは何ひとつ判断を誤らず、世に功績を打ち立て生涯を全うした。(もっともその功績とは必ずしも国家のためではなく、自らの御家の利益=国家の利益、と利害が一致していたからではあるが)
そこを買っての提案だったんだよね。
そして功績の在り処。
例えば、将の意図しなかった兵独自の見事な活躍と機動によって得た勝利も、功績としては将の名前で記される。
ならば、将の活躍で得た勝利も、その戦略的判断を下した「将の将たる者」にも還元されて然るべきではないかと思ったわけなんだ。
一理はあるけど区切りが難しすぎるしキリがないし、そもそもの正確・詳細な情報自体も少ないからなー
大雑把にざっくりだと全て君主へ…で面白くも何ともなくなる
まぁそっち基準でやり始め仮にある程度の結論が出たとしても、「それはそれとして」でこのスレでは脇に置いて終わりだわ
おっしゃる通り。
俺の提案した内容は「君主まで還元しなきゃおかしいんじゃないの?」という、上の方々の指摘によって既に破綻を迎えている。
幾ら自分なりの君臣の線引きによって選んだとしても、あなたの言う通り「俺独自の」では意味がないし、何より皆をそれに付き合わせるわけにも行かない。
よって、どうか俺の司馬兄弟の提案は忘れて欲しい。
そんな簡単に忘れられるわけないじゃない!
まぁ司馬兄弟の話はもういいだろう
優秀な兄弟である事には変わらないから
議論枠の中から、夏侯淵はそろそろ確定させよう
夏侯淵は確定してると思ってた
今の議論って
>>259を基準に進んでるんじゃないの?
文句言ってた人も一部いたようだけど反論されて沈黙してますし
低評価しかないとかそもそもウソだからな…
宋建瞬殺した時とか曹操から絶賛されてるし、有名な「三日で五百里〜」もある
そんであんだけ実績あるんだから確定でしょう
夏侯淵は確定枠で良いでしょ 魏将はハードル上がりすぎ
というか
>>259からここまでで選出が全く進んでないって…
こういう議論って終盤になると団栗の背比べになって難しいんだな、うん
今のところ誰が有力候補なんだ? 俺は姜維を推したいんだけど…
キクギ、カン丘倹、朱然は入れたい
後の2人は悩むなあ
杜預は入れてもいいかもしれない
姜維は正直入れる理由が分からない
一時的に魏の領土を荒らしまわったけど本腰入れられたら壊滅したってのは馬超と同じで馬超を入れないんだったら姜維を入れる理由も特にない
>>444 あぁ、毌丘倹を忘れてたわ…
遼東平定では司馬懿の副将に推挙され、高句麗遠征では無双し、揚州で諸葛恪を撃退
大功ばっかりやなこいつ
最期に反乱して潰されたという欠点がなかったらとっくに確定枠やろ
朱然は…魏では議論枠にも入ってない胡質と何度か互角に張り合ってるレベルだからなぁ
これを凄いと見るか見ないかは人によるんかな
んで、なんで馬超???
姜維と馬超は条件違いすぎるやろ
馬超は自分のホームグランドで暴れながら追い立てられていっただけ
姜維は敵地に攻め込んで戦ってる
何より後漢末期〜三国時代後半までの時間経過により、魏とそれ以外の国力差の開きが倍増してて、姜維の方が圧倒的に難易度高いんやで
郭淮と陳泰の防衛能力の高さは否定しないが、姜維に対して決定的なダメージを与えるまではいかなかった
段谷の戦いでケ艾に粉砕されなければ、姜維も蜀漢ももう少し長持ちしただろうに
まあ少なくとも、鍾会よりは姜維の方が間違いなく名将
鍾会の大軍運用手腕は三国時代でも屈指だけど、それ以外にあまり褒めどころが無い
ケ艾がいなかったら姜維に防がれて失敗してる
杜預の場合、そもそも敵将に姜維のような強敵がいなかった上、当時の呉は中央も地方もボロボロで離反と謀反が続出する完全末期状態
崖に片手でぶら下がってる自殺志願者の指を、寄ってたかって踏み潰して突き落とした感じ
ケ艾のように、名将でないと不可能なチート技で攻略したなんてことも無いし
ちなみに毌丘倹が攻撃した時の高句麗ってどのくらいの国力だと推量されてるの?
公孫淵を攻めあぐねた毌丘倹が直後に快勝してるよね。
司馬懿から戦い方学んでたっていうのも考えられなくは無いけど、
国力が弱かったり兵法が発達してなかったりしたんじゃないの?
高句麗は周辺諸国とずっと戦乱を繰り返してたから、兵法が発達してないなんてことはない
遼東公孫氏とも一進一退の攻防を繰り広げてたが、公孫康の時代には高句麗が負けてる
国王直下の兵が二万程度ってことを考えても、郡以上州以下の勢力で、要するに遼東と大して変わらんかそれ以下
毌丘倹が凄いのは、中原からすれば完全に未開の地だった高句麗まで大遠征して大勝してることだな
情報の無い土地はマトモに行軍するだけでも大変なのに
杜預は名将か名将じゃないかで言ったら間違いなく名将だろうけどな。
異民族戦でも活躍してるし、張政も撃退してるし、
他に誰も呉を攻めたがらない中、機を見逃さなかった点も大きいと思う。
長期戦になる可能性もあった中で軍議を押し切った判断力と、
呉の士気を挫き破竹の勢いで呉を下したのは杜預の手腕であって、
誰でも良かったなんてことはならないんじゃないかなあ。
呉が態勢を整えたら城を落とせなくなるし、
呉は懐が深いから遷都されたらもう呉を滅ぼせなくなると言われていたわけだし。
どういう情勢であれ一国を滅ぼした功績というのは低く見てはいけないと思う。
戦術よりは統治とか戦略面で優れた武将だとは思うけれど。
>>448 そうだねぇ…郭馬の反乱を鎮圧する為に呉軍が交州へ寄っていた隙を突いた決断力と判断力は褒められていいと俺も思う
邪魔な賈充を黙らせ、失敗を恐れて撤退したがる諸将を無理矢理引っ張って呉討滅を断行するのは、当時の面子では杜預にしか出来なかったかも
しかしまあ杜預本人も言ってるように、羊祜のおかげな部分も大きく、作戦決行が認められたか認められなかったかだけの違いと言えなくもない
何よりあまりにも戦いの規模が大きすぎて各軍が各地で各自に行動しているせいで、杜預が果たした役割が限りなく薄まっているのが微妙さに拍車を掛けている
総司令官として全体をコントロールしていたと言えるのは司馬炎であって、極論すれば杜預は六軍の内の一軍でしかない
首都を落としたのも杜預じゃないしな
蜀討滅で鍾会が果たした役割の方がまだ全然大きいくらいだよ
つーか、呉の滅亡が杜預の功績って風潮は何が原因なんだろう?
あれほど手柄が分散する戦いは無いと思うんだが
首脳部は司馬炎と賈充と楊済
作戦立案は羊祜と張華
益州軍が王濬と唐彬
荊州軍が杜預と胡奮
揚州軍が王渾と周浚
徐州軍が司馬伷
豫州軍が王戎
杜預が名将だとかそういうレベルの戦いか?これ
「杜預が一国を滅ぼした」と繰り返すのは違和感凄いわな
好判断で多少滅亡を早めた、というならわかるけど
しかも最も大軍(七万)を率いていたのは王濬で、呉討滅の主力軍はこいつなんよ
杜預が大軍を統括してたって勘違いしてる人がたまにいるけど、違うからね
杜預と王濬と王渾の活躍は、誰かが突出しているというほどの差は無い
杜預一人で呉を滅ぼしたなんて思ってないし、言ってもいないでしょ。
ただ杜預が率先してなければ機を逃して泥仕合になってた可能性も高いわけで、
国の方針を確定させたオピニオンリーダーなわけでしょ。
その上で総司令官として呉討伐を完遂させたのだから、相応の評価はあっていいのではってだけ。
戦果は各将軍のものだけど、総司令官は自分で潰した敵の数だけが功績となるわけではないのだしさ。
まあ情勢的に呉は黙って待ってれば勝手に自滅してた可能性もあるけど、
杜預sageをしたくて仕方がないならともかく、ある程度の評価はされるべきだと思うだけだよ。
べつに確定枠入りさせろって騒いでるわけじゃないんだけどなあ…。
なんか勘違いさせてしまったみたいだけど、べつに杜預sageがしたいわけじゃない
というより割と好きな人物だしね、左伝ヲタ的に考えて
燻銀な祖父の杜畿の方が好きだけど
ただあんまりこのスレでは呉討滅戦に踏み込んだ議論をしてなかったみたいだから、言いたかったことをゴチャゴチャ書いてみただけ
杜預も名将の一人だとは思ってるよ
まあ今の確定枠19人に比べると見劣りするなとは個人的に思うけど
>>453 ……って、アレ?
だから、杜預は総司令官なんかじゃないよって話だったんだけど
総司令官ってソースは何なのさ
俺も別にsageる意図なんてないわな
議論枠内だと普通に上位だと思うし
正確には都督荊州諸軍事、荊州方面軍の総司令官だったね。
戦そのものの総大将が賈充なのは分かってたけど、
討呉は羊祜が中心になって押し進めていた事業だし、
杜預はその羊祜の後を継いでるから、総司令官だという印象が先行していた。
こういうイメージを持ってる自分のようなにわかが多いのかもな、
征呉と破竹はセットで扱われてるのもあって。
まあ晋書でも羊祜と杜預が同巻に立伝されてるし、それに比べると王濬たちの列伝は下の方だからね
「破竹の勢い」のインパクトも加わって勘違いしがちなのかも
というか俺も昔はそんな風に思ってた気がするし
話を戻して、残り五枠を私的見解で選ぶなら
後漢末期前半
魏:陳登
呉:孫堅 孫策
他:皇甫嵩 徐栄 麹義 呂布 黄祖
この中から一人だけ選ぶなら100%麹義
後漢末期後半
魏:臧覇 文聘
蜀:関羽
関羽を推したい人の言い分には共感するけど、ここは素直に臧覇で
三国時代前半
魏:曹休 郭淮 毌丘倹
蜀:魏延 王平
呉:朱然 朱桓 諸葛恪
粒揃いだけども、毌丘倹のインパクトが頭一つ抜けてるかと
三国時代後半
魏:陳泰 王基 鍾会
蜀:姜維 羅憲
呉:丁奉 陸抗
普通に考えれば陳泰か王基だろうけど、背景を勝手に考慮して姜維を一押し
あと一人は呉から誰か入れたいけど、イマイチ微妙なのしかいない気がするのよなぁ
賀斉も一瞬思い浮かんだけど、その分野だったら上位互換として梁習や張既のような怪物が控えているし
もういっそのこと樹機能が確定枠で良いんじゃないかな…
杜預もビビって更迭されてるし、異民族マスター牽招の子の牽弘もこいつの乱で死んでるよな、たしか
禿髪樹機能は蜀が存在してる内に立ってれば…と思わずにはいられん
細かくはわからんけど、どう考えても知謀もカリスマ性も相当なもんだよなぁ
まぁ晋が根本から揺らぐと大暗黒時代が継続してしまうわけで、誰が喜ぶかと言えば微妙だけども
姜維は背景を考慮してって考えで過大評価されすぎな気がする
・6選・
後漢
魏:曹操
蜀:劉備
呉:周瑜
三国
魏:ケ艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜
・12選・
後漢
魏:曹操 曹仁 張遼 楽進
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙
三国
魏:満寵 ケ艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜
・18選・
後漢
魏:曹操 曹仁 張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙
三国
魏:曹真 司馬懿 満寵 田豫 ケ艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜
・24選・
後漢
魏:曹操 夏侯淵 曹仁 張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃 臧覇
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙
三国
魏:曹真 司馬懿 満寵 田豫 郭淮 毌丘倹 陳泰 王基 ケ艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜
三国内だけで実績重視の選出するならこんな感じかなぁ、というイメージ。
実績重視にすると途中から魏将しか入らなくなるよね、当たり前だけど。
公平なような不公平なような、微妙な感覚だわこれ。
周瑜がなんで6選に入ってるの?
逆に周瑜のどんなとこを評価したの?
>>463 ん? また正史三国志をちゃんと読んだことが無い人か。このレベルのツッコミがこのスレで来ると萎えるわ。
>>50 >>353 >>406 >>446 と同じ人?
解説するのも面倒臭いから、中国名将百選スレでも読んできたらどうかなと。
三国志の確定枠は曹操とケ艾だけ、議論枠は周瑜だけ。6選どころか3選でも入るよ周瑜は。
不要な暴言は荒れる元だったな。申し訳ない。猛省してもう黙っときます。
まあ端的に言っても周瑜は、黄祖を討ち取り曹操を撃退し曹仁を追い払い益州遠征司令にも任命されてたんだから、少なくとも呉から誰か選ぶなら周瑜しか有り得ないかなと。
中国人であるジョン・ウー監督『レッドクリフ』でも、定番の劉備陣営ではなく周瑜を主人公に据えスポットを当ててるとこをみると、本国の人達にとっても特別な英雄なのかねぇ。
まぁ題材が赤壁だからってのも大いにあるけど。
三国志の京劇で髭なしの色男タイプのキャラで主役を張るのは周瑜と趙雲くらいな気がする
趙雲は実績という意味では本当に微妙…というかそれ以下なのに、あっちでも超人気なんだよな
>>461 姜維のことは贔屓目入ってるからあんま気にしないでくれ
客観的に選出したら俺も
>>462の人とほぼ同じになるかなぁ
6選は劉備より曹仁を入れたいし、12選は張飛より于禁を入れたいけど
まあ本当に公平さに拘るなら、三国外からも選ぶべきだとは思うが
特に群雄では最大勢力だった袁紹軍から誰も入らないのは拙いので、やはり麹義を推したくなるねぇ
異民族も…檀石槐はともかくとして、樹機能はギリギリ三国志の範疇に入るんじゃないかなと
軻比能はやられ役になってることが多いが、樹機能が魏晋に与えた被害は諸葛亮や陸遜を大きく上回る
馬隆マジックでよくわからんやられ方してるのが何とも言えない気持ちにさせるけども…
諸葛亮の八陣図はいいとして、いったいどんな磁石使ったら鉄兵の動きを止められるんだよと
>>467 呂布も髭なしだった希ガス
まぁこのスレには全く関係ないけどな
470 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 08:29:15.47 ID:+ejotfwh0
姜維と陸抗には「滅亡寸前の弱小国家を背負って頑張ったで賞」をあげたい
呉はラジー賞の大本命ですね。
結局、一度優勢に立った魏の優位性は、最後まで覆らなかったね。
赤壁や漢中攻防戦、馬超や孫権との戦いを経ても。
また、それを覆させなかった曹操の人材収集、国家体制作りに、一将としての能力を超えた総合賞をあげたい。
>>471 呉将の「名将だと思ってたけど実績はそうでもなかった」感の多さはヤバい
コーエー三国志で贔屓にされてるのは蜀将じゃなくて呉将なんじゃないかな
>>472 劉備と孫権が地方で割拠できたのは、人民が黄巾以来延々と続いた中原の騒乱を避けて地方へ疎開していたからってのが大きい
曹操と曹丕によって中原が安定すると地方に疎開していた人民が帰郷し始め、国力差は時間が経つほどに開いていって最後は蜀も呉も滅亡
特に呉は、領土が広いのに人口が少ないから国力低下が大問題となり、山中や海外へ人狩り活動をし始める始末
魏の都督は州単位、蜀の都督ですら郡単位なのに、呉の都督は県単位ってのが、いかに呉がスカスカな国だったかを現してるかと
まあ魏は蜀に呉に東夷に鮮卑にと全方向を敵に囲まれてるのに、蜀や呉は魏だけを相手に戦っても勝てなかったんだから、その差はお察しデスね
しかしそんな強国・魏も内患には勝てなかった…
「魏武がつき、三司馬こねし天下餅、座りしままに食うは安世」だったね。
>>474 だから三国志後半はつまらんのよな、三国共通で君主も武将も大抵が小粒な上に内乱の時代になるから
司馬氏もよく見ていくと、司馬懿司馬師は優秀だが、司馬昭司馬炎は結構微妙だし
陸機の弁亡論でも「かつての曹操軍や劉備軍は名将揃いだったが、当時の呉軍はそれを撃退した。呉を滅ぼした晋軍には名将なんて一人もいなかったのに、呉は内部から崩壊していたから負けた」みたいなことを言っている
このスレでも杜預が大した名将じゃないことは証明されたみたいだし、統一戦なのにここまで盛り上がりに欠けるって悲しすぎるわ
司馬懿、司馬師は優秀ってのは同意だけど、司馬昭もかなり優秀だよ?
司馬炎は普通の人って感じだが。
司馬昭の凄いところは抜け目ない性格と、先人が通ってきた道をしっかりと学び、自らの人生に活かし切るところ。
当時は司馬家が権力を握ってはいたが、どこまでその力を振るえるのか、どれほどの影響力なのか、兄・司馬師が体現してみせてくれた。
皇族に連なる寵臣を三族皆殺し、皇帝を廃立。
ここまでやっていいのかと、兄・司馬師の手法や振舞いを見て司馬昭は学んだと思う。
そして、晋公・晋王への昇進と簒奪への足場固めの手法は、ご存知曹操のやり方をしっかり学び取り実践に移している。
兄や先人からたくさんのことを学び活かし切る、抜け目なさと合わせてかなり頭の切れる人物だ。
>このスレでも杜預が大した名将じゃないことは証明されたみたいだし
いやいやいや、
確定枠に入らないだけで普通に名将だぞ。
>>先人が通ってきた道をしっかりと学び、自らの人生に活かし切るところ
王儀「は?」
曹髦「あ?」
陳泰「え?」
王経「ん?」
>>曹操のやり方をしっかり学び取り実践に移し
曹操「献帝に殺されかけたことはあっても、献帝を殺したことはねーです」
曹操が献帝を殺してたら、絶対もっと魏は早期滅亡しただろうよ
皇帝殺害という汚点の大きさを舐めちゃあかんぜよ
>>抜け目なさと合わせてかなり頭の切れる人物
賈充や鍾会のような輩を重用しすぎたせいで色々と問題起こしたり、司馬昭は抜け目無さとは程遠い人物だわ
父と兄が優秀だっただけで、本人はせいぜい及第点レベルだろ
皇帝殺害は致し方のないところだよ。
あの時曹髦は凄まじい覇気をもって先陣を切り、司馬昭の首を取らんとしていた。
「皇帝に刃を向ける気か!」と怒声を放つや、迎撃に出た兵は畏れおののき動きを止める。
放っておいたら、その権威を盾にした行軍に手出しできず、司馬昭の府に乗り込んで首を取られてしまうだろう。
止めるには、無茶でも殺す以外無いんだよ。
背に腹はかえられない、というやつだ。
曹操の時も司馬師の時も、皇帝自らが突っ込んで来たわけじゃない。
だから殺さずに済んだんだ。
それと、賈充や鍾会は有能な臣だ。
問題のある人物達だが、それ以上に司馬昭の役に立った。
だから有用した。
その内鍾会は反乱を起こし、もはや害にしかならないと判断したらきっちり始末をつけている。
対して賈充は反意を見せず、これまでの功も、そしてこの先も役に立つと判断したから、皇帝弑逆を陳泰に詰め寄られて世間に対する体裁が悪くなろうとも殺すことはしなかった。
白黒つけるところはしっかりつけている、人使いに長けた男だよ。
父と兄が優秀だっただけで、本人はせいぜい及第点レベルなのではなく、父と兄が優秀だったおかげで多くのことを学び、その二人よりむしろ落としにくい手強い人物になった気がする。
殺す以外無い、とかどんな考え方してんだよ…
貴方とは議論できそうにないから諦めるわ
鍾会がいつか乱を為すことは幾人からも忠告されていたのに、結局反乱を起こさせあわや一大事となり、何より不世出の名将ケ艾をこんなくだらないことで失い
そして賈充がどれだけ呉討伐の足を引っ張り続けたか
まあ司馬昭ファン?がどういう考え方してんのかの参考にはなったよ
歴史上の人物は解釈次第で何とでも言えるのが面白いっすね、はい
横からだが賈充はそもそも呉を飲み込むこと自体に消極的
実際晋としては呉を飲み込まないほうが長生きできていたかもしれない
というかなんでさっきから武将じゃないやつについて語ってるんだ
三国志名君二十四選でも立てればいいのに
司馬炎は圧倒的優位な状況下にありながら死に体の呉と禿髪樹機能に散々苦戦させられ、
どうにか統一しただけの人…という感じだなぁ
その後の平時の働きも酷いし
鐘会の乱なんて起きる前に潰れてるのにあわや一大事ってどういうことさね
議論(というか意見の交換)を途中で放棄するのは自由だけど捨て台詞を吐くのはよろしくないな
しかも
>歴史上の人物は解釈次第で何とでも言えるのが面白いっすね、はい
っていうのはそのままブーメランになるぞ
確かにそれは煽りにもならんわなぁ
>>481 いつの間にかこういう流れになってた
スマソ
>>483 勿論ブーメラン込みで言ったのよ
というか議論放棄した時点で私の敗北宣言
>>鐘会の乱なんて起きる前に潰れてるのに
あの乱が成功してたら蜀にまた国が誕生してた
あわや一大事、って何か間違ってるか?
>>480 どういう考え方してるって、だったら逆に訊くけどどうやって止めるんだい?
揺るぎない決意をもって殺しに来てるんだよ?
しかも賈充の配下以外は畏れおののいて皇帝に手出ししようとしない。
止めるにはもうああするより仕方ないじゃない。
鍾会がいつか乱を為すことは司馬昭も薄々気付いていた。
しかし蜀征伐の具体案を示し、群臣達が無理だと反対する中できると言ったのは彼だけだ。
だから危険を承知で彼に任せた。
トウ艾が死んだのはその巻き添えを食った形だが、司馬昭にとってはそれはそれで悪い状況でもなかった。
蜀討伐の二大功臣がいれば、その後の自らの計画の障壁となる可能性もある。
反司馬の盟主にでも担ぎ上げられれば厄介でもあるしね。
そして賈充がどれだけ呉討伐の足を引っ張り続けたかってのは司馬炎の時代のことでしょ?
そんな先の時代にどんな議題でどんな主張をするかなんて、その時点の司馬昭に分かる筈ないじゃない。
少なくともその時点の司馬昭にとっては有能な臣だと判断したから、節を曲げてまで生かしておいたってことだよ。
>>487 なんでこの流れで司馬昭の話を続けようとするんだよ
5日にも不自然な流れで司馬兄弟マンセーしてたよな
このスレで話題にする連中じゃないと言われてんだろ
私の解釈を貴方に認めてもらうのは諦めたから、貴方の解釈を私に認めさせるのは諦めてくれ
まあもう発言しないから、何とでも言ってくれていいけど
いや、何をぶっきらぼうに半ギレしてるのか知らないけど、見解を述べ合ってるんでしょ?
あなたが、有能ではないと主張したのに対し、俺は有能であると主張した。
ただそれだけのこと。
無駄なけなしを入れるばかりで議論もできないならもう結構。
ただ、自分と考えが違うからといって無闇に攻撃的になるのはどうかと思うよ。
とっくにこっちは議論放棄してんのに、ここまで余計に粘着されるとは…
日本語が読めねーのかこいつ
最初に杜預や鍾会じゃなく司馬昭で突っかかってきた時点でスルーすべきだったかしら
かつての関羽信者なみに鬱陶しいわ
関羽はこのスレで議論してもいいが司馬昭にはその資格すら無ぇって何回周りから言われれば気が済むの
無駄な暴言は自分の品位を貶めるだけだよ。
>>490そんな喧嘩腰だから、余計な反論を受けるんだよ
>>490 周りからっていうか、お前からだけだと思う。
しかし皆さん色々お詳しいですなぁ
陳泰って誰? ってレベルのあっしにゃ皆さん三国志博士っすわ
何かそういう細部?まで記述されてるような読み物とかあるんですかな?
うるさいぞ曼才
関羽、夏侯淵あたりが確定じゃないのに
かなり早く死んだ周瑜が確定してるってのは結構凄いな
やっぱ無敗なのと、でかく重要な勝利を上げてるのが大きいのか
夏侯淵は確定入したんじゃなかった?
議論が煮詰まってきたようだけれど、
議論枠外で名将の取りこぼしが無いかなと三国志を読み返していたら、"曹洪"に目が止まり、
先入観を取っ払って事績をなぞっていくと、想像以上。
全然話題にならないけれど、張飛と張り合えるくらいの名将かも?
失点もほぼ無いし、議論枠どころか確定枠も狙えるんじゃないかなと。
あえて張飛と対比させてみると
主君の危機を救う
張飛:長坂で橋を切り落とし、曹純の追撃を防ぎ、大敗した劉備を生還させる
曹洪:ケイ陽で馬を譲渡し、ベン水で船を調達し、大敗した曹操を生還させる
呂布戦での活躍
張飛:呂布に急襲されて下邳を失陥
曹洪:帰還軍の先鋒となって范を占拠し食糧を調達
県城平定
張飛:巴郡を侵攻し通過した諸県全てを攻め落とす
曹洪:済陰郡と山陽郡と河南尹の諸県10以上を攻め落とす
張郃との決戦
張飛:巴郡の住民を移住させていた張郃を大破する
曹洪:官渡を攻めていた張郃を降伏まで追い込む
張飛vs曹洪
張飛:馬超と組んで作戦失敗
曹洪:曹休と組んで作戦成功
まあ曹仁や張楽于張徐と比べたらやや劣るかもしれないけれど、
全体で見れば間違いなく名将の部類かなと。
曹洪は序盤の活躍が半端ない
少なくとも官渡あたりまでは夏侯淵や曹仁よりも重要な役割を果たしている
ただ残念なことに、品行があまり良くなかったり人の上に立つタイプではなかったせいか人材の層が厚くなってくると次第にフェードアウトしてしまった
魏は名将が多すぎて過小評価されてるのは結構いる
国力の差がって意見もあるけど
三国時代に入ってからなら、国力差って理由で魏将のハードルが上がって、夏侯尚や王昶クラスの名将でも脱落してしまうのは分かりますけど、
曹洪が活躍してた頃に、国力差なんて要素は無いと思うんですよね。
というか、その圧倒的な国力を誇る魏という最強国を創り上げたのが、後漢末期の曹操軍なんですから、名将だらけになるのはむしろ当然な気がします。
>>499張飛と曹洪を比較するのは無理があると思う
張飛の長板での活躍は武勇を示すものであるのに対して、曹洪は曹操に対する忠義を示すもの
張コウとの戦いも張飛の場合は張コウを撃破して大勝、曹洪の場合は防いだだけで(これでも十分凄いが)張コウが降伏したのは讒言によるもので曹洪の功績とするには微妙
まあ、それでも失点が少ないし名将だと思うけどね曹洪
長坂の殿軍は相当評価していいはずだよね
殿の任務を成功させて尚且つ自分も生きているなんて、軍が瓦解寸前の撤退戦では珍しいこと。
>>503 たまたま比較しやすかったから張飛を持ち出してみただけで、深い意図は無いのですw
裴松之も疑問を呈していますが、張郃が降伏した原因は讒言ではないとされています。張郃が勝手に降伏したせいで袁紹が大敗したなんて張郃伝に書けるわけないので、あんなふうに書いてあるのだそうです。(三国志集解)
張郃が降伏を決断するまで曹洪が防ぎ切れなければ、袁紹が中原の覇者になっていたと考えれば、曹洪の功績は非常に大きいかと。
袁氏の本拠地である鄴を攻めた時もそうでしたが、曹操は自身が本陣を離れる時は必ず曹洪に任せていますしね。
なぜか曹洪の功績って曹洪伝に載ってないことが多いので分かりにくいのですが…。
張郃の降伏は必然だと思うがなぁ
曹操の本陣を攻めることに反対していた張郃をその本陣攻めの主将に据えたっていうことは、もし成功すれば献策が間違っていたことになるし失敗すればその責を負わないといけない
完全に詰みでしょ
議論漏れチェックね
とりあえず三国時代は都督の変遷を調べてみたが、まあ未だ議論されてない連中で確定枠狙えるほどの名将は流石にいないかな?
西方面軍司令官(都督雍涼二州諸軍事)
220年:曹仁(都督荊揚益三州諸軍事)
220〜231年:曹真(222〜231年:都督中外諸軍事)
231〜238年:司馬懿
238〜243年:趙儼
243〜249年:夏侯玄
249〜255年:郭淮
255年:陳泰
255〜262年:司馬望・ケ艾
262〜264年:鍾会・ケ艾
南方面軍司令官(都督荊州諸軍事)
220年:曹仁(都督荊揚益三州諸軍事)
220〜225年:夏侯尚
225〜227年:(裴潜・文聘)
227〜231年:司馬懿(都督荊豫二州諸軍事)
231〜24?年:(胡質)
24?〜259年:王昶
259〜261年:王基・州泰
261〜263年:鍾毓・陳騫
東方面軍司令官(都督揚州諸軍事)
220年:曹仁(都督荊揚益三州諸軍事)
220〜228年:曹休
228〜238年:満寵
238〜240年:(王淩)
240〜251年:王淩
251〜253年:諸葛誕
253〜255年:毌丘倹
255〜257年:諸葛誕
257〜259年:王基
259〜268年:石苞
諸葛誕の「狗」って貶し言葉だっけ?褒め言葉だっけ?
>ここでの「狗」は「功狗」、「功ある者」の意味で、つまり彼への賞賛であり、魏・呉での名声は高かったという。 by Wikipedia
だそうだ
へぇ、Wikipediaでそういう有益な情報が載ってる記事もあるんだね
正史を雑に簡略化しただけの粗末な記事が多かったから今まで無視してたけど
めどいんでWikiからコピってきたけど一応出典は世説新語ですん
>此所謂 乃功狗之狗 謂如韓盧宋鵲之類 雖非龍虎之比 亦甚有功於人
まぁつまり後世の創作エピソードの可能性大ですわw
あ、そうなのね・・・でも名声が高かったのは事実みたいよね
死罪を犯した者でも助けるというアレな行動のおかげか部下から慕われ、最期は田横の故事に例えられたと
まあ曹叡からは、名声だけの愚物扱いされてるし、実力が伴っていたかは甚だ疑問だが
諸葛誕は評価的に中々複雑な人物だよね。
良い所もあれば悪い所もあるという、言わば人間らしい人物。
王淩→行政官として有能
毌丘倹→将軍として有能
諸葛誕→?
名声はあるが、将としては「桂馬の高上がり」…かな。
州泰と石苞は中々の名将だな
同時期のケ艾と王基がズバ抜けてるせいで相対的に地味に見えるけど
王基とか杜預世代の三国末期の人間が、于禁とか張飛とか、後漢末期の名将をどう考えてるのか気になってたけど
年代的には今の若者が第二次世界大戦で活躍した将軍を想うのと、同じような境遇なんだな。
于禁や張飛は軍部のほぼ頂点にいた歴戦の将軍なわけで、まさに「建国の大功臣」だからな
まあ于禁は魏建国の功臣を祭るイベントでハブられてた気がするがw
>>517 そう言われるともう読み物の中の人間達って感じだなw
後漢末の動乱から三國時代までひとつの時代として見ていたが、言われてみるとそんなに世代が違ったんだと改めて実感する。
司馬炎が即位したのが曹操生誕110周年記念の年だからなぁ
今から110年前っていうとケ小平が生まれた年だからもう歴史上の出来事と言って差し支えないよなぁ
19人目の確定枠が夏侯淵
20人目は誰?
毌丘倹でもういいんじゃないか?
やっぱりカン丘倹か
俺もそれに一票
今確定枠ってどうなってんの?
>>2に夏侯淵と誰を足して19人?
なんでそんな質問が今更出てくるのだ
スレ読み返せばわかるだろ
半年ROMれ
って、どうやら半年ROMってなきゃいけないのは俺の方だな
今スレ読み返してたら確定枠なのにsageられてるヤツが多すぎて、どこまでが確定枠なのか理解できなくなってきた
最後までひとりよがりの我儘ぶっこいた奴の妄想が確定枠だよ。
後漢と強姦って似てるよな
現代の私立文系でも名将や名軍師になれる能力などたかが知れている
530 :
2:2014/03/15(土) 00:23:24.54 ID:SEpiymYt0
暫定意見に対して、異論が出るかどうか。異論に対して反論が出るかどうか、その反論に対して切り返せるかどうか。
議論スレですから、そうやって決めていくしかないと思いますよ。よって、「ひとりよがりの我儘」などが通ったことは無いかと。
>> 259の時点で確定枠を
後漢
魏:曹操 夏侯淵 曹仁 張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙
三国
魏:曹真 司馬懿 満寵 田豫 (毌丘倹) ケ艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜
と一旦整理させて貰ったのですが、
ここまではこのスレの結論として良いのですよね?(違うのでしょうか?)
夏侯淵や張飛を落選させる動きも一時的にあったようですが、結局は確定枠に落ち着いたと捉えていました。
この時点で19枠(残り5枠)、紆余曲折を経てあまり議論自体は進んでいないようですが…。
今は20人目として毌丘倹を昇格させる流れになっている(?)みたいですね。
>>530 確定枠に異論はありません
昇格に関しては、議論枠中だと臧覇、毌丘倹かなあ、功績から考えると
>>1000近くになると意図的にスレの延命処置的に
暴れだす奴が出てくるよ。
何故か、その時はそういうヤツへの賛同も増えてしまい
「結論は出なかった、次スレへ」という茶番劇のループ。
結論を出すことが目的ではなく、議論を楽しむスレなんで。
24人が決定して目出度くスレ終了、さようなら、というのが嬉しいかといえば微妙ではある
ランキングには影響しないけどあいつも結構名将だったなーとか駄弁るのが良い
もう名将談義スレでいいんじゃね?
ランクを決めて締めにしないんじゃ選出する意味がない・・・。
どうせ誰にも異論がない形での確定なんてできやしないでしょ。
ある程度の枠を決めて議論したり雑談するのが面白いんじゃん。
正直カン丘倹まで確定にしてはいいと思うけど後4人を選ぶのって難しすぎる
>>538 同意だな
たまに混ざってくるニワカは論外としても、
正史三国志(や後漢書や晋書)という同一史料を元に議論してるのにここまで18人目以後が停滞するってことは、
要するに三国志の名将がそのくらいしかいないってことだろ。
>>462がわかりやすいけど、
なんかもう名将を選ぶというより残り物(というか同程度の良将が揃ってる魏)から個人的にマシだと思うのを選ぶみたいなノリになっていきそう。
勝敗、実績重視だと終盤は魏(晋)以外からは選べないしなぁ
でも、陸抗や姜維等と較べて同条件でも上か、能力的に上かといえば何とも言えず、どうにも低調に
蜀は劉備と張飛と諸葛亮、呉は周瑜と呂蒙と陸遜
魏の一線級と比較しても遜色無い名将が、三人ずつもいると言うべきか、三人ずつしかいないと言うべきか
蜀も呉も他の面子がイマイチすぎて、四人目と言い切れる存在がいない気がする
人によっては関羽や孫策、姜維や陸抗なんかがそれに当たるんだろうけど
三人目までと比べて、なんか急激にランク下がった感が否めない
542 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/17(月) 14:13:01.62 ID:MI/M7EVJ0
劉備の軍事能力って過小評価されてるがめちゃくちゃ場数踏んで只者ではない老獪さも持ち合わせてる
同じような条件下なら何人が勝てるかどうかクラス
そりゃ曹操が唯一認めてる英雄だしねえ。
劉備自身、曹操が直接率いている軍以外には基本的に必勝だと思ってた節があるし、それが過信ともいえない実績だわな
まぁ、劉備も曹操も負けるときは負けるけどもw
演義や光栄ゲームどっぷりという人だと意外に思うのかも知れないけど、このスレだと別に過小評価はされてないね
>>542 いつ劉備の軍事能力が過小評価されたのさ…
このスレにそんな演義脳のやつおらんでしょ
>>544 劉備を寡兵で粉砕できるほどの名将は、後漢末では曹操と曹仁の二人だけだろうと思う
高順の時は兵力不明でよくわからん
長阪も含めれば曹純もカウントされるのかもしれんが、あの時の劉備軍って実態は5000未満だろうしノーカン?
夷陵の敗戦は無かったことにされてるの?
名将と言っても、寡兵を率いた兵隊長くらいが見合ってる人だと思う。
戦術的な用兵も苦手なように思えるし、現場指揮官的な印象。
ネットでは劉備を名将と言わなきゃ即にわか認定みたいな、右に習え的な風潮があるけどさ。
夷陵の失点を遥かに上回る加点があると判断されてるからこその名将評価でしょ。
破った敵将の名前を並べてごらんよ。
相手より国力で劣る情勢なことも多いのだし、これで名将じゃなかったら
どれだけの数の三国志の名将が名将と言えなくなるのかって感じだと思うけどなあ。
劉備の軍事能力って関羽の能力込みじゃないのか?
そりゃあ麾下の各将や近い位置に居る同格の将・部隊の存在等は常に影響が在るだろうけど、そんなもん全員が全員そう
1つの要素、状況ではあるけど、明確に排除して考える事なんて無理だから別にいいわ
数千、数万の軍を長期間動かす以上、下級官僚的な連中の能力も大きく影響するけど、それも計れるものでもないしなぁ
劉備は勝つときは勝つけど負けまくってるイメージ
劉備は最期の陸遜戦を除き、自分から仕掛けた戦いには必ず勝ってる
自ら切り取った領土も曹操の次に多いし
特徴としては、やたら長期戦が得意ということと、敵地の奥深くに食い込んでも自分の優位を保てる謎の戦場構築能力
逆に、仕掛けられた戦い、というか騎兵による急襲には弱い
だから中原で曹操軍(曹仁)や呂布軍(高順)と戦うと負けてる
曹操軍との戦いでも漢中での山岳戦では完勝してるのに
>>547 そもそも劉備を寡兵で撃退したからこそ、陸遜は名将と言われてるのに
劉備が名将じゃないとか言い出したら、陸遜の武功が8割くらい消滅してしまう
そうなったら陸遜は、呉で三人目の名将としての地位すら危うい気が
>>549 入蜀の時も夏侯淵討伐の時も曹操撃退の時も関羽はいないんだが?
名将としての地位もなにも勝手にこのスレで決めてることだろ。
元よりこのスレ自体が歴史的事実を無視することを容認してる上で成立してるわけだから
拗れた話は纏まらんよ。
>>元よりこのスレ自体が歴史的事実を無視することを容認してる上で成立してるわけだから
関羽厨ってなんでこんなにキチガイなの?
ヤバくね?
どうした?このスレのルールを述べただけだろ、俺は。
なんだこの人w
>>549関羽が居ない時の方が劉備の勝率高いのに?
>>554夷陵の戦いってだいたい兵力が互角か、あるいは劉備側の方が少ない可能性もあるんじゃなかったっけ?
562 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/18(火) 02:25:11.00 ID:g7yQgT4H0
劉備は名士参謀陣がいた頃は、快調だったのに参謀が消えた瞬間夷陵だからなぁ。
参謀作る前は、寡兵で流浪して匹夫の勇で戦ってただけだし。
大軍を率いた事が無い&率いた瞬間負けたのは事実だし、寡兵を率いれば強いけど大軍は苦手な名将と言ったところか。
甘寧と間違ってるかのよう
夷陵の戦いって当初は劉備が連戦連勝してたのに、大軍率いた瞬間負けたってどういうことだ
>>564 勢いで攻め上がっただけでしょ。
でも大軍の運用方法知らなかったから、陸遜に隙を突かれて撃破された。
夷陵の戦いも、序盤は優勢だったからな
演技と同じく
もしケイ州を分捕れたらまた違う三国になってたかも
諸葛亮の戦略構想が成就した上での北伐が可能というわけか。
大軍ってどのくらいの兵数を言うのよ?
入蜀や漢中で夏侯淵、張郃や曹操と戦った時は大軍とは言わないの?
結論が完全に決まっていて、勝ったら勢い、負けたら実力という人に何を言っても…
夷陵の戦いの兵力は蜀が4万、呉が5万
実は呉軍の方が数が多い
漢中の戦いは兵数がわからないが
諸葛亮が劉備に援軍を送った事から
夷陵より数が多そうな気がする
夷陵の戦いでは、呉は拠点の殆どを蜀軍に陥とされ、絶体絶命のピンチに乾坤一擲の火計で大逆転。
この陸遜にしても赤壁での周瑜にしても、ここ一番での火の使い方が実に上手いね。
そしてピンチから一転しての大逆転の鮮やかさが、日本の「桶狭間」を見ているようだ。
話変わるけど、記録の残りにくい敗者(三国外)と、記録の残ってる勝者(魏蜀呉)を、同一基準で比較するのは無理があるんじゃないの
つーか、三国外勢力に不利すぎ
徐栄や麴義や黄祖なんて、列伝どころか付伝すら無いわけだし
極論すれば、敗者だから名将じゃないと言えなくもないのかもしれないけど
別枠で三国外名将○選とかやった方が逆に公平になると思う
それ言ったら蜀成立以前の劉備軍だって記録があまり残ってないわけだし
むしろここで妙に評価の高い張飛なんて指揮官としての具体的な功績は張郃撃退くらいしかないんじゃね?
おっとミスった、こっちか
>張郃
入蜀と曹操の荊州侵攻の際の殿とかもだな
長坂では実際には戦ってないしなぁ
入蜀も「平定した」ってあるだけで何したか全く分からんし
ID:GJutpD/u0が正史を読んだことないってことだけは分かった
張飛伝の四分の一は入蜀戦の記述なんだが…
厳顔を撃破した張裔を破った通過する場所全てで勝利収めた
法正に「張飛の数万の軍勢が既に巴東を平定し〜」と脅しの材料に名を使われる。
十分だろ?
「具体的な功績」というのは勝った負けたではなくどう勝ったか、どう負けたかという意味で書いたつもりだったので言葉が足りなかったのは申し訳ない
勝った負けたでいいなら徐栄だって麹義だって十分に記述があるしな
張飛と関羽は保留で
張飛道連れにすんなや義兄
張飛は確定でいいでしょ。
張飛贔屓にすんなや義兄
李傕と郭って意外と武功多いんだな
張飛は別に評価高く無いだろ。
というかこのスレの初っ端から批判されてるじゃん。
どっちにしろ、24人の中には入る将軍だと思う。
残りの二十四選の候補に、呉の朱然を推したい
曹真・夏侯尚・張コウの魏の名将達に攻撃を受けながらも江陵を守った手腕は凄いと思う
>>585 郭なんかは結構な猛将だったみたいだしな。
まあ董卓一派は諸悪の根源扱いだから歪められてる部分も多そうだけど。
朱然の江陵防衛戦はたしかに凄い
が、それ以外に大功が無い気がする
朱然伝だけ見てるとわからんけど、意外と敗戦も多いし
それこそ戦の結果だけなら赫々たるもんですよね李カク
呂布・徐栄・朱儁を破るとか
>>590 劉焉馬騰の軍も、李傕郭に壊滅させられてなかったっけ
涼州の将兵の、戦場での強さの由縁とは何だろう
>>592 安直な話だけど、やっぱり騎兵の質じゃないかな。
塞外や西域の遊牧民族と絶えず抗争してるんだから、精鋭も揃ってるだろうし。
騎射なんて西か北の人間じゃないと滅多にやらないしな。
あと関西や塞外の人間は儒教の理の外にいるから、意識の違いってのもあるかもしれない。
中原なんかの人間とは倫理観が違う狂犬のような人物も多いしさ。
でも最強の烏丸と言われた遼西の蹋頓は、曹純の馬術に負けて斬られてるしな…
曹彰や田豫牽招や梁習も、烏丸や鮮卑や匈奴をボッコボコにしてるし
中原の騎兵が、北や西のそれに劣るとも一概には言えないんじゃないか
>>595 べつに反論ってわけではないんだけど、その辺は戦略や戦術もあるんじゃないかな。
以夷制夷って言うんだっけ、互いに争わせて連合させないって戦略も効果を発揮していたし、
田豫なんかは調略もかなりやってたじゃない。
もちろん騎馬でも塞外民族に負けない優れた将軍がいたことも確かだけどさ。
そういえば張既は軍政だけじゃなく軍事にも大活躍してるが、議論枠にも入ってないのな
曹洪や夏侯尚の時も思ったけど、魏将ってハードル上がりすぎじゃないの…?
魏志武将列伝
後漢末期
武帝紀:曹操
二公孫陶四張伝:張繍
諸夏侯曹伝:夏侯惇・夏侯淵・曹仁・曹洪
鍾繇華歆王朗伝:鍾繇
程郭董劉蒋劉伝:程c
劉司馬梁張温賈伝:劉馥・梁習・張既
張楽于張徐伝:張遼・楽進・于禁・張郃・徐晃
二李臧文呂許典二龐閻伝:李典・李通・臧覇・文聘・呂虔・許褚・典韋・龐徳
任城陳蕭王伝:曹彰
三国時代
文帝紀:曹丕
明帝紀:曹叡
諸夏侯曹伝:曹休・曹真・夏侯尚
劉司馬梁張温賈伝:賈逵
満田牽郭伝:満寵・田豫・牽招・郭淮
徐胡二王伝:徐邈・胡質・王昶・王基
王毌丘諸葛ケ鍾伝:王淩・毌丘倹・諸葛誕・ケ艾・鍾会
蜀志武将列伝
後漢末期
先主伝:劉備
関張馬黄趙伝:関羽・張飛・馬超・黄忠・趙雲
劉彭廖李劉魏楊伝:劉封
三国時代
諸葛亮伝:諸葛亮
劉彭廖李劉魏楊伝:魏延
黄李呂馬王張伝:李恢・呂凱・馬忠・王平・張嶷
蒋琬費禕姜維伝:姜維
呉志武将列伝
後漢末期
孫破虜討逆伝:孫堅・孫策
劉繇太史慈士燮伝:太史慈
宗室伝:孫賁・孫輔
周瑜魯粛呂蒙伝:周瑜・魯粛・呂蒙
程黄韓蒋周陳董甘凌徐潘丁伝:程普・黄蓋・韓当・蒋欽・周泰・陳武・董襲・甘寧・凌統
朱治朱然呂範朱桓伝:朱治・呂範
賀全呂周鍾離伝:賀斉
三国時代
呉主伝:孫権
宗室伝:孫韶・孫桓
張顧諸葛歩伝:諸葛瑾・歩騭
程黄韓蒋周陳董甘凌徐潘丁伝:徐盛・潘璋・丁奉
朱治朱然呂範朱桓伝:朱然・朱桓
陸遜伝:陸遜
賀全呂周鍾離伝:全j・呂岱・周魴・鍾離牧
潘濬陸凱伝:潘濬・陸凱
諸葛滕二孫濮陽伝:諸葛恪
未だ議論漏れは結構ありそう
臧覇の評価が低いのが気になる
後漢末に限って言えば、曹軍の異姓武将では張郃徐晃よりも臧覇の方が、重要な働きと武功を重ねてると思われるのだが
昇進スピードや仮節タイミングを見ても、張遼楽進于禁>臧覇>張郃徐晃
張郃は三国時代になっても大活躍しているから確定枠なのはわかるが、徐晃が確定枠なのに臧覇が議論枠なのは何故なのだろう
臧覇は確定枠でもいいんだろうけど、魏将のハードルの高さが影響してんのかね。
剛胆な猛将だし、徐盛に負けたのと晩年の疑われる行動以外に欠点もないのにな。
演義であまり出番がないせいでゲームなんかでも微妙な扱いだし、地味なイメージなのかねえ。
>>600 臧覇が徐盛に負けたことなんてありましたっけ…?
臧覇伝にも徐盛伝にもそんなことは書いてないような
呉主伝には「臧覇が徐陵を襲撃して数千人を斬首捕獲したので、全jと徐盛に追撃させて数百人を斬首捕獲した」とある
これを以て「臧覇が徐盛に負けた」とするのは無理があるのでは
更に細かいことを言うと「全jと徐盛」と書いてある以上は、全jの方が主体かと
徐盛はなぜかコーエーとかでの評価は高いんだよな
張遼戦で味方(賀斉・潘璋)の足を引っ張りまくったことは無かったことにされてるのかしらん
三国外勢力での最強は、
北:麴義
中:呂布
南:黄祖
ってのがスレでの評価だけど、戦績で言えば呂布よりも郭が上だよね
呂布は勝ったり負けたりムラが大きい
単純に「三国」には当てはまってないからじゃね
607 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/26(水) 13:26:33.78 ID:LMmkNtsW0
コウソンサン、タイシジあたりは議論枠にも入らんの?
>>607 むしろどうやったらその二人が議論枠に入れると思ったのか
太史慈なんて三国志名将50選でも入れるか怪しいだろw
武人24選とかなら入ってくるんだろうけど
董卓は議論枠に入っても良いよな?
董卓は敗者側の人間だから悪く書かれてるし、判断が難しいんだよな。
ほとんど一代であそこまで成り上がったこと、人事や立ち回りを見る限り並みの人間ではないと思う。
黄巾戦や、その後の羌族戦での敗戦をどう見るかだな。
まあ黄巾戦では、戦果を挙げて中央に招集されて軍を没収されたくないから、
敢えて負けて地元に割拠し続けたと見る人もいるようだし、
羌族戦でも唯一董卓の軍だけが大きな損害を受けずに勢力を保ち続けたし、
弱くて負けたというよりも政治的な駆け引きっぽいのがな。
議論枠には入ってて良いと個人的には思う。
>>602 コーエーのは演義基準だからな。
細かいことなんて気にしないのよ。
商売は売れてナンボだからね。
董卓は群雄割拠以前における軍事の天才だけど、議論枠は無理じゃね?
董卓が嫉妬した名将皇甫嵩ですら、雑魚専ってことと空気化のおかげで議論枠
董卓が畏怖した名将孫堅にしても、武功の少なさと黄祖戦の敗死により議論枠
董卓がこの二人を超えることは有り得ない以上、わざわざ議論枠に追加する意味は無いんじゃないかと
>>611 >コーエー能力値(笑)
そそ。演義基準。
あと人気どころの武将の能力値は基本過大気味に盛ってるよね。
まぁ日本に限らずごくごく一部のヲタ以外にとっては三国志=演義だからそれが正解なんだよな
元々人気があったりマンガ等のヒットで旬なキャラなんかは、能力を盛って盛り上げるのも業界とってプラスだろうし
呂布を寡兵で撃退した臧覇ですら未だ議論枠なのに、呂布の出る幕なんて無い
呉の四人目を選ぶなら孫策か朱然かな
孫堅よりは孫策だろうし、三国時代では朱然が第一候補でしょ
俺は孫策より孫堅と思うな。黄祖は不運だし
不運じゃなくて自業自得の必然でしょ
大した意味もなく不用意に単騎で突出してたんだから
これを不運で片付けるのは贔屓が過ぎる
まあ孫策も似たようなことやってるけど
許貢残党襲撃時はダメだったけど、太史慈エンカウント時は切り抜けてるし
太史慈の時に孫策が死んでれば孫策の評価は更に下がってただろうし、200年の暗殺も切り抜けれてば評価は上がってただろうし
大将が不用意に突出する以上は、それへの対処も実力の内でしょ
関羽がもし顔良斬りに行って戦死してたらただのバカじゃん
孫堅の単騎徘徊はそれと同じ
水準以上の運なんて名将の前提条件で、本当の意味で不運なら名を残す前にあっさり死んでる
そもそも不運、悲運とされる死に様も、大体は致命的な見落とし、不注意のせい
矢傷等と無関係な病気により夭逝はまぁ「不運」に入ると思うけど、そっちは運云々では語られないんだよな
呂布が李カクや郭シに敗れたのは、王允のせい。
兵卒に分配すらせず、造反のもとを生じさせたズブ文官の王允。
臧覇は寡兵で呂布を追い散らしただけ。
曹操もトウ卓配下の雑魚に苦戦した。
三国時代では朱然とか言ったけど、丁奉も捨てがたいな
小将から叩き上げて大司馬まで昇進って…
武功も数多いし、都督揚州諸軍事の石苞を離間計で排除した大殊勲もあるし、もっと注目されてもいい名将
624 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/28(金) 00:05:36.49 ID:0d/7SpxO0
呉の孫堅→孫策(→)陸遜→陸抗も良いけど、魏の劉馥→劉靖→劉弘も凄まじい家系だよね
直系でここまで名将が続いたのは他に無いんじゃないかな
防衛体制を確立することで事前に侵攻を防ぐのも、実戦以上に名将の仕事だと思うんで
625 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/28(金) 18:54:35.98 ID:NJx4dX610 BE:7472882399-2BP(123)
荀ケ郭嘉賈詡の名前がなんで無い?
将として軍を率い戦った記録が一定以上ないと枠外になるわな
名将の定義ってそれか?
それだけじゃないだろうけど、政治的に優位を築いた人達や的確な提言等で勝利を導いた人達より、直接軍を率いて敵を打ち破った武官タイプの方がこのスレでは評価が高そうではある。
その辺の扱いは将じゃなくて参謀だろう。
司馬懿や諸葛亮のように、自ら軍を率いてガンガン戦ってるなら名将扱いもできるけど、
ほとんど献策しかしとらんやん。
>>628 名将以前にそもそも「将」の方の定義から外れてるんじゃね?と
孫子の謀攻篇に「百戦百勝は善の善なる者に非るなり。 戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」とある。
つまり戦に勝ち続けた将を最高とは見なしていない。
上中下策でいうと、下とは行かないまでもせいぜい中くらいなのである。
ならば上策である「戦わずして〜」で敵を屈服させ続けた奴こそが真の名将ではないか!ということになるが、実際そんな将は三國時代どころか歴史上にもいない。(そんなにコロコロ敵を籠落できるくらいなら、そもそもこの世に戦争など起こり得ない)
ならば次点である戦に勝ち続けたことを名将の定義とするしかないかというところだろうか。
>>628 名将の定義自体がないんじゃないの?
このスレでは外れているが、中国の国家認定で名将の頂点に立っているのは関羽だ。
同じような価値観を持った人間が集まってその区画ごとに「名将の定義」なるものが
設定されているのかもしれないな。
国家認定って名将検定一級とか?
関羽が名将の頂点に国家認定されてるのか!?
しかし用兵の巧みさなら秦の白起や前漢の韓信には及ばないだろうし、個人武勇を評価してなら北魏の楊大眼や唐の尉遅敬徳、西楚の項羽、同時代にも呂布などがいる。
もはや戦績とは無関係な義理堅さや神格化オーラがその地位へ押し上げているとしか…?
張良やケ禹の入っているアレのことを言っているのかな?
商人の手による死後の人気や、神様としての評価は戦績には関係ないしねえ
名将って戦績だけじゃないだろ。
個人戦では呂布に及ばないかもしれないが、呂布に荊州任せたり出来るか?
このスレでは張飛>関羽みたいになってるけどより重要な役割を任されてるから結果的に目立たなかっただけで、例えば張飛が留守をしてたら曹仁于禁らを防げたかと言われたら疑問。
荊州任せられる武将に関羽以上の適任がいたかっつったら確かに疑問だけども
だからといって実際に重要な役割こなした張飛と荊州失陥した関羽だと比べるべくもないかと
実際に荊州を陥落させている以上
荊州を任せられないって点では呂布と同等
そもそも本人同士でトーナメント戦ができない以上
記録にある戦果で比較するしかない。
記録に無いけど○○ならできたはずなんてのは主観的願望にすぎん
ところでこのスレ住人的に、名将No.1を強いて言うなら誰になる?
俺ならやっぱトウ艾かなぁ。
戦略も含めた総合面、壮大な実績なら曹操だろうか。
俺も曹操かトウ艾で悩みどころ
まあでも曹操でしょうね
まぁ曹操だろうな
一人に絞るとどうしたって曹操が外せなくなるからつまらんですわ
No.1よりNo.2,3,4あたりを決めた方がよっぽど楽しそう
ところで臧覇の議論はどうなりましたっけ
まぁ、迷う程度の差なら将を余技でこなすような曹操でいいや、と思ってしまうな
人間性偏重の人だとトウ艾は評価が低くなるのかね
ちょっと前に演義準拠の光栄三国志でも能力値トップになって、微妙に話題になってたなー
誰?とw
人望の無さが仕事の成果に影響するなら考慮に入れる必要があるけど、彼の場合成果は大功をもって充分に出せてたから大丈夫かと。
皮肉なことに成果ではなく、寿命を縮める方に影響しちゃったけどね。
曹操は名将の枠に収まりきらない、三国志一の英雄だからなぁ
個人的には将というくくりには入れたくない傑物なんだけど
でも「名将ではないのか?」って聞かれると名将だとしか言えない。
少なくとも皇帝という上位者が存在する以上、
将の括りも間違いじゃ無いんじゃ無い?
気持ちは分かるけどね。一介の将というには多才すぎるし
>>635 根本的な考え方が違うんだよ。
中国に関わらず、現代にまで強く存在を感じさせてくれる人物は
「今」の感覚で捕らえる。
関羽に関しての昔話は、偉大なる関帝様の人間時代の話。
なので正史、演義のような微差は気にしない。
天下第一の名将であることすらも、現代の関帝パワーの余波程度に過ぎないもの。
世間知らずな史家や史学生のみがこの一般常識の枠から外れているから
彼らだけが妙な嫉妬に駆られて箱庭のような世界を作りそこに引き篭もる。
No.1と2は曹操トウ艾っぽいけど
No.3は誰になるだろうか
普通に張遼、曹仁かな
>>649 いい加減にしろよキチガイ関羽信者
お前の妄言と煽りのせいで中英板で関羽がどんどん忌避されていってるの分かってんの?
そうやって史学を見下すのは勝手だが、じゃあなんで正史準拠のこのスレに粘着してんの?
箱庭から抜け出せてないのはお前の方だよ
みっともないし邪魔なだけだからもう書き込むなよ、な?
マトモな人間は誰もお前の言うことなんて聞かないからさ
俺は楽進かなぁ。
654 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 15:33:29.61 ID:N2qxFox20
孔明は早慶レベル
曹操は東大文1
中国史最強スレで暴れてたアホでしょ。
ここは正史準拠としっかり書いてあるんだから無視しとけばいいのに。
虚構ばかりの正史なんてとか言い始めるんだろうけどな。
やっぱNo.3辺りになると意見割れてくるみたいだな
俺は曹仁かな
でもやっぱ上位は魏将が強いね。
例え曹操が仮に名将じゃなかったとしても、この人材を傘下に集めたってだけでも飯食ってけるw
>>652 中英板そのものが箱庭程度・・・なんて言っても怒る?
現実世界での事実を述べただけとしか言えないんだが
一つだけ言っておくよ。
「キチガイ」なんて言葉を使うのは俺だけにしておけよ・・・。
ネット依存が激しくなると現実との見境がつかなくなるからな。
まぁ、あなたの言わんとしている所も分かるが、多分着目している点が異なるんだよね。
俺達はやっぱ名将を選ぶという主旨から、どうしてもその実績を重視する。
しかしあなたは神格という言わば見えない力によって関羽は昇華されているんだよ、と言う。
話がだから噛み合わないと思う。
このスレでは神格・関帝としての見えない力はどうでもいいんだよね。
人間・関羽がどのような実績を残した武将かが問題であって。
すまん。
>>633の俺は別にこのスレでの選出方に異議を唱えたのではなく
現在の中国や台湾などのごく一般的な考え方を述べただけなのよ。
「名将の定義」そのものがこのスレと現実世界では異なるってことだけをね。
まあいざその神格化されるような関羽も
神格化される前の関羽で実績だけを見てみると
張飛>関羽になり得るってのが醍醐味なわけですよ
まぁ、一般的に大事にされてるような各種イメージ等を取り払ってナンボという評価姿勢だからね
てか、その辺はむしろ敵視に近いレベルw
まずは五虎将と呂布!みたいな歴女雑談スレになっても嫌だしなぁ
>>660 そうだったのか。
ちなみに興味本位で訊くんだけど、本場の中国や台湾では名将談義をする時、神格としての力も考慮に入れちゃうのが一般的なのかい?
それならそりゃ関羽がトップに踊り出てくるのは当然だろうけど…、人間達の偉業を語り合う中で抽象的な神の力を混在して語るってのは非科学的でナンセンスに感じるなぁ。
これも価値観や文化の違いってやつなのかねぇ…。
曹操の成し遂げたことは万人にも無理かといえばそうでもない
あまり構うと居着くからやめとけって。
議論することが目的の人だから、スレが過疎るまでずっと吹っ掛けてくるよ。
諸葛亮は追撃をかわす名将
演技の司馬懿だけではなく正史の司馬懿も諸葛亮
の陣形の後を見て奇才といった
宣帝紀にて司馬懿は諸葛亮を評して
「志は大きくとも機会を逃し、あれこれ頭で考えるが行動に移せない。たびたび出兵はしてくるが一本調子だ」と酷評もしてるね。
諸葛亮は名将には違いないが、勝つというよりも負けないことを重視するあまり、奇略を用いた大胆な用兵術においては他の名将達に一歩譲る感じだね。
中国名将百選スレだと確定枠は曹操トウ艾の二人で
更に議論枠に周瑜のみが控えてたって感じなんだな
あぁ、中国史全体で考えると白起や劉秀やら李靖やら化け物クラスがゴロゴロしてるもんな。
そんな中で三國からは曹操とトウ艾、妥当ではあるし立派なことだよね。
中国史全体で見ると、劉秀みたいなのが居るからなw
なぜあの環境であんな化け物が生まれるのか分からん
中国大陸自体が蠱毒みたいなものかも試練
被ったw
数が違いすぎる。あの少数の軍勢で軽率に司馬懿や曹真の大軍に奇襲ができなかった
のは当然。
せっかち夏候淵とは違うぞ
あと蜀の軍政を一手に握る元帥としての重責から、冒険をしたくてもできない立場だったんだろね。
国力で遥かに劣る自軍では、ひとつの大敗が命取りになり、それを契機に魏の大攻勢を招く危険もあると考えると。
あの少数って言うほど兵力に差があったっけ?
官渡の戦いの方がまだ差が大きくなかった?
まあ数を理由にするなら
少数ながらに頑張っちゃって結果出した人たちも同じ時代にいるわけですしね
その少数とは度合いが違う。敗北すれば蜀の再起は困難。
677 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 23:10:12.46 ID:QBF7Q0ev0
諸葛亮自身が奇襲を得意としていなかったのも理由にあるのじゃないだろうか
奇襲に必要な騎兵や軽装兵の運用は諸葛亮の戦歴を見るかぎり、得意じゃなさそう
中華の大陸での戦争は歩兵が中心だもんね。
この時代軽騎などを効果的に運用したのは公孫サンや曹操、あと異民族混じりの馬超ら関中軍閥くらいじゃなかろうか。
ただ、蜀軍も姜維の時代になり騎兵の比率も増え、効果的に運用した事績があるね。
こと騎兵を用いた機動戦術では、諸葛亮より姜維の方が上手だよね。
>>676 まるで官渡で曹操が負けても再起は容易だったかのように言いますね
それは
>>679の人の言い分の通りだと思う。
曹操も諸葛亮も背負ってるリスクや重責は同じ。
ひとつの大敗が自勢力の壊滅を招く。
そんな中で大胆な戦法をとった曹操と、慎重にことを運んだ諸葛亮、それぞれ個性が出てて面白いね。
その姿勢の違いには、
自分で興した勢力と、託された勢力っていう
背景の違いもあるだろうなあ。
682 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 00:15:02.54 ID:VfpY7NPf0
曹操の場合は博打を打たないと、即滅亡ってほどに追い詰められてたしなあ
あぁ、なるほど。
いい所に着目してる。
さばけた言い方をすると曹操は「作ったのは俺だから潰してしまっても誰に対して後ろめたいものは無い」
対して諸葛亮は、劉備から託されたわけだから、そのように開き直るわけにも行かない。
無論、曹操が潰してしまってもいい、などとは露ほども考えてないだろうけど、何ていうか…最悪のどん詰まりを想像した時の精神的負担みたいなのは両者では違ったかもね。
夷陵による国力低下がある意味トラウマになってるんじゃないの諸葛亮
曹操は赤壁経験する前だったし官渡は
曹操は相手に恵まれたし、幕僚や配下も豊富にいたが、諸葛亮は
たった一人だった
おおおいいいい
関羽が駄目なら曹操も負け戦たくさんあるのになんでだよ
死にかけの目に何度もあってるし、赤壁の大敗とか関羽の荊州とかと同レベルじゃないか?
687 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 00:54:44.52 ID:VfpY7NPf0
>>686曹操は大負けを帳消しにしてもいいぐらいの勝利がたくさんあるから
対して関羽には帳消しにできるほどの勝利がない
>>685 恵まれてるって言えるほど楽な相手じゃ無かったと思うけど>>袁紹
諸葛亮にもそれなりの部下は居たでしょ。魏延とか馬謖とか馬岱とか
>>686 赤壁が本当に大敗だったかは別として、
赤壁の敗戦⇒早期統一頓挫、国力現状維持
荊州の失陥⇒北伐の事実上頓挫、国力激減
同一視はできないかと
そして結果残したものが違う。
関羽は単純に領土を失っただけだが、曹操は死にかけたことはあっても勢力の優位性は保った。
立場やシチュエーションが違うので同じ大敗といえども同列では計れないが、結果残したものがやはり違っている。
ちょっと内容被ったねw
それに赤壁から国力立て直したのは曹操自身だけども
荊州失陥から国力立ち直らせてくれたの関羽じゃなくて諸葛亮ですしってのもありますし
なんか定義が変わってる気もするな
>>685 その幕僚や配下を豊富に囲ったってのも曹操の手腕の内って話
それは完全にそうだよなー
半ば以上に趣味的だけど、間違いなく素晴らしいこと
逆に諸葛亮は自らの意のままに采配を震えるように、半ば独裁に近い丞相府を自ら望んで作ったと考える。
諸葛亮が望むのは、アイデアを出してくれる幕僚というよりも、アイデアは自分が出すからそれを忠実に実行してくれる手足となって動く人材を望んだように思える。
まあ諸葛亮自身が一番できる子だったわけだし、
諸葛亮の戦略が崩れるのって大抵内側からだったから、そこは仕方ないかもね。
清濁合わせ飲み、必要とあらば乾坤一擲の賭けにも出られる曹操と比べてしまうと、
やっぱりちょっとスケールが違う感じはしてしまうよな。
うむ、要は人使いの上手さや方法なんだよね。
曹操は大権を持ち完全独裁かと思いきや、意外とボトムアップの方法をとっている。
むしろ諸葛亮の方が完全トップダウン方式だよね。
だから諸葛亮は一人で戦っている、政治も軍事も一人で受け持って大変だ、と言われるけど、実際それは自由に采配を振るうため自ら望んでそうしてるから仕方ないんだよね。
馬謖のことは諸葛亮も劉備の言うこと聞いてりゃ良かったのになあ
まさか趙括だとは思わなかったんだろね。
同じエリートにしても、鍾会のように使える人材だと考えてたのかも。
鍾会はエリートだけどそれなりに下積みしたりしてるからなあ
>>686 敗戦帳消しになるほど活躍したのって別に曹操だけじゃないよ
劉備も最後はやらかしたけど帳消しできてるし
それに細かい負けなら帳消ししてる名将たちもおるよ、張飛もその一人だし
単にこの場合は関羽が実績より敗戦のがデカすぎただけでしょ
>>700 生来の天才的頭脳に加え、大変な努力家でもあるんだよね、この人。
その上母親は英才教育を叩き込む。
これで性格良くて人望集めてたら、まさに天下を争う傑物になってたよね。
>>687 曹操の敗戦を帳消しに出来るほどの勝利ってどんなのがある?
あなたが今尋ねていることや
>>686の主張ってのは、恐らく戦争をまさにその戦いの場だけでの勝った敗けたに限定して考えているから、関羽の敗戦と曹操の赤壁での敗戦は同レベル、という結論に結び付いているんじゃないかな。
言わば狭義の意味での戦争。
しかし広義の意味では、その戦役後、その将が支配していた勢力はどうなったか、どのような戦後処置をしたか、そもそもその将は生き残ったのか戦死してしまったのか等、様々な点でこの両者の敗戦には違いがあるように思うけどな。
>>686 中国史最強武将スレでも覗いてごらん。
逆にそういうスレでは関羽最強には異論の唱えようもなかった。
まあ、愚痴愚痴言ってるのもいたけど結局は沈黙してしまったよ。
正史だけでも関羽の最強は十分に証明されている部分はある。
ただし、個人的な武勇としてね。
武神として祀られるには十分な強さだし、同僚が孫悟空やナタなんかであるあたりも
共通点として納得できる。
彼らだって、軍隊を率いるなんて器用な芸当は持ち合わせていなかった。
武神として転生するほどに超人的な武勇を誇るがきわめて大雑把。
正史の関羽はこんな感じだろう。
将の中の将、すなわち名将てのは繊細かつ、丁寧な仕事をこなすエリートだと思う。
関羽に天才だの、エリートだの、そんな言葉似合うかね?(褒め言葉)
劉備は劉備で夷陵の敗戦はまあ人材不足に追い打ちかけるっつう余計なことしたけども
関羽の荊州失陥に比べたらマシだしな
曹操の赤壁はそもそも名のある人物に痛手がないからなぁ
関羽に対しては中国でも大失意荊州なんて言葉で
心情への同調か、はたまた正史基準でのダメ出しか
巧妙なニュアンスで述べられることもあるな。
褒め言葉でもあり、スラングでもあるのかもしれない。
>>703 官渡の戦い・袁家追討⇒河北統一(中華最大勢力化)
潼関の戦い ⇒涼州、雍州制圧
赤壁の敗戦で荊州の大部分を失ってもその後も支配地は拡大したから。
荊北に足がかりは残ってたし。
ところで208年9月の劉j降伏から赤壁までの数ヶ月間は
曹操の版図に荊州を加えてもいいのだろうか?
しかし荊州失陥はある意味どうしようもないんじゃねーの
張飛置いときゃいいわけでもない
>>706 というかこのやり取りをしながら、
このスレの名将の定義をはっきりさせよう、
ってことw
今まで散々、このスレ内でも関羽議論は散々なされとるのにまだするんか
上のほうにあるけど関羽と張飛では能力には大きな違いはないのかもしれんが結果を見ると張飛ほどの功績は関羽にはなく関羽ほどの失敗が張飛にはない
だから名将として上げるには張飛は適切でも関羽は無理
今の時代から将を見るには結果を見る以外判断のしようがないもの
当時の論評も編集された結果だしそれは判断材料の一部にはなっても明確な材料とは言えない
>>710 それ言い始めると最終的には龐統が戦死しなければ…ってアレに行き尽くしな。
関羽以外に適任がいなかったと言う他ない。つまりどうしようもなかった。
関羽への同情だが、どっちみち孫呉は荊州を狙うだろうし、魏呉に挟撃食らったら上位名将陣でも失陥はあり得るだろう
だが曹仁&満寵なら凌ぎそうで怖い
政治でどうにかしない限り、ほぼ誰でも必敗の情勢ではあるなぁ
魏呉がオールスターメンツで全力で落としに掛かってるしねえ。
付け入る隙を与えてしまった関羽はお粗末としか言えないけど、
しっかり関羽を研究して油断を誘った呂蒙が見事だったとも言える。
ああいう難しい局面を任されるのは、外交もできる諸葛亮みたいな人物の方が合ってるかもね。
もし戦争になっても手堅そうで、おいそれと本拠地を空けて攻めに行ったりしなさそう。
逆に北伐は関羽みたいな勢いのある攻めってのも見てみたいw
魏延の長安急襲案も採用して、猛将二人で息が合いそうw
徐晃の援軍来る前に樊城落とせなかった時点で詰みだわな
諸葛亮下の蜀ってすげえ民としては住みにくそう
搾取・徴収されまくり そして文句言おうものなら速攻で弾圧撃滅されそう
『魏がわるいー 呉の横暴を正すためー』
とか、いかにもそれっぽい善の立場ぶって民を酷使しまくってそう
と、それとはまた別で
諸葛亮は、関羽の荊州を精査してそこから色々学んで後に活かしたんだろうねぇ
特に支配地管理の術みたいのを
諸葛亮下の蜀なら呉は同盟国だろ
>>720 諸葛亮が宰相かましてた頃の、って言った方が正確でした@@;
劉備が夷陵の戦い起こしたあたりから、もう蜀の民は無理してたように思う
そうでもない
蜀は民衆叛乱の記録もないし世界史的にも珍しく上が苦しい割に下はわりと恵まれてた時代ぽい
>>719 スレチに反論するのもアレだが、信賞必罰の法治国家だったろ諸葛亮時代の蜀は。
多少窮屈かもしれないけど、管仲・蕭何に匹敵するとまで言われてる統治・政策が、
搾取徴収弾圧で押さえつけてただなんて本気で思っているのか?
あんなに少ない人口で戦争を繰り返してるのに国が保ってて、
劉備死後の南方の反乱1回以外内乱もないなんて奇跡のような統治っぷりだぞ。
後世だけでなく同時代人の評価もすごく高いし、政治家としての諸葛亮はこの時代では普通に最高峰だろ。
そうなのかぁ
当時の蜀っていう地勢としては、呉に何十万
そして魏に何十万×2,3回もやらかすのってものすごい搾取だと思うんだけどなぁ
>>723 ああ、スレチでしたね すいません
奇跡のような統治 まさにそうだったと思うんですよね
外征に向けての動員・金銭・食糧が膨大なんですよ、当時の蜀の生産量に比べて
なんであんなのが出来たんだろう? そこなんですよね
よっぽどえげつない民への搾取 、でもしてないと。 つか搾取しても集めきれるかそんな食糧?
そして年単位での動員
カリスマとか忠誠心ってのを超えすぎてる気がするんですよね
726 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/01(火) 03:34:17.69 ID:pYbB4DWh0
蜀は鉄や塩がたくさん取れる土地だったし、絹という名産もあったし、三国の内、一番貨幣経済が上手くいってた国だから
貿易とかで外征における出費を賄う事ができたのかもしれない
後、蜀の民に負担をかけないために、南方の異民族を搾取してた可能性もある
だから、南方では反乱が多い
凄く話遡るんだが
カン丘倹と臧覇はそれぞれ確定枠いれるかどうしますか?
カン丘倹は確定っぽい話になってたけども
冉閔、石一族に散々お世話になっておきながら
石一族皆ごろしってとこがすごいね
当時は資本主義じゃないし経済発展とかあんまり外征と関係無いと思うんだよなぁ。
まず食糧が飽和してるわけじゃないから、金があっても米が買えないって事も多々あったと思う。
戦時中の日本もそういう状況があったらしいし。
魏とは勿論の事、呉ともそんな活発な貿易できてたとは思えない(そもそも貿易なんて概念あったのか?)。
日本の戦国時代は日本にしては食糧難な時期だったし、当然資本主義ではなかったけど
戦でモノを言ったのは金なんだよな
>>723「劉備死後の南方の反乱1回以外内乱もない」
本気で言ってるのか?
黄李呂馬王張伝を読んだことが無いんだろうか
732 :
mage:2014/04/03(木) 20:35:21.86 ID:xKawttwJ0
張コウを物差しで見ると、司馬懿とか諸葛亮って袁紹ぐらいの力量かな、と
思う。袁紹時代に張コウは曹操は難敵だから正面から当たるより後方かく乱
して揺さぶった方が良い、と進言して拒否られてるし、烏巣焼き討ちも現地
に急いで守備すべしってのも拒否られてる。
司馬懿も後方に回り込んで補給路を断つように動いてみたら?と言うの拒否
られてわざわざ正面決戦なんかやられてるし、最後も反対した追撃やらされ
てるからね。どっちも貴族社会のようなものを目指してた感じだし、半端な
プライドが見え隠れしてるように張コウは感じたんじゃないかな。
まあ袁紹は&#40628;義が代わりに、と言うのは納得だわね。
733 :
mage:2014/04/03(木) 20:37:27.05 ID:xKawttwJ0
あら、最後文字化けしてる人もいるかな。キク義ね。
734 :
mage:2014/04/03(木) 20:51:57.97 ID:xKawttwJ0
諸葛亮と司馬懿の比較に関しては攻めた方が負ける、だからね。もし諸葛亮
の方が強い、と言うのなら234年の時は挑発とかしてないで自らが軍を率いて
攻めれば良かった。
待ち構えてる相手を攻めると言うのは余程兵力や将の力量に差がないと無理。
結局、両者にたいした差がなく、自らが別働隊を率いて戦う訳でもないから
カメのように閉じこもる状況になるのは必然なのよね。
私的二十四選
後漢
魏:曹操 夏侯淵 曹仁 張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙
他:麴義
三国
魏:曹真 司馬懿 満寵 田豫 毌丘倹 ケ艾
蜀:諸葛亮 姜維
呉:陸遜 丁奉
他:樹機能
臧覇や陳泰も捨てがたいけど、これ以上魏将を増やすのも…と思ったので
樹機能の出現があと十年早ければ、姜維&丁奉と連携して三方向で暴れられたのになぁ
と思ったけど、鮮卑と蜀と呉って離れすぎてて連携は無理か
軻比能と諸葛亮と陸遜もイマイチ連携できてないし…
移動手段に馬や船しか無い時代に、日本の何倍もあるあの広い大陸の距離だからなぁ。
例えば蜀側で魏の隙を見つけてチャンスとばかりに呉と連携しようにも、連絡しに行って何十日、呉側の討議で何日か要して、また返答持って帰って来るのに何十日…、もう敵も味方も情勢変わって作戦自体オジャンになっちゃってるよなぁ。
それなりの戦力を誇る「敵の敵」が居てくれるだけでも、当時の蜀にとってはデカいんじゃね
緊密な連携が取れればベストだけど、そうじゃなくてもかなり楽になりそう
>>734 諸葛亮=袁紹
というのは中国歴史小説家の宮城谷さんも言ってた
ここはそれなりの評価されてるとこに、自分だけのマイナー武将いれてニヤニヤするとこ?
俺も高校生のときそんなことしてたなあー(核爆)
>>737 >>738 228年が一番チャンスだったと思います
田豫が軻比能に包囲され、曹休が陸遜に敗北し、そのタイミングで諸葛亮が北伐
しかし田豫は牽招に救出され逆撃し勝利、曹休は賈逵に救出され後任は満寵が赴任、北伐自体も失敗
あの時に魏の領土を切り取れなかったらもうダメですな
>>739 氏の書く北伐は面白かったが、涼州勢は游楚だけ注目されて徐邈が出なかったことが不満でした
>>740 何言ってんだこいつ…
自分だけのマイナー武将(笑)なんて正史読者間で存在するのか?
というかここで上がってるのって基本メジャーなやつらだよな
功績がないと上げられないからそれなりに目立つやつが多い
坂口和澄は尊敬する
某ゲーム基準で考えればマイナーなんだろ
(核爆) なんて使うあたり、学もなさそうだし
核爆に釣られんなハゲ
樹機能って誰だよ
>>741 正史読者(笑)
お前読んでないだろwww
後出しかっこいいなあ
>>745 樹機能は正しくは禿髪樹機能。
河西鮮卑・禿髪部の首領だよ。
西晋時代に挙兵し涼州方面で暴れた。
かつて鍾会・トウ艾の蜀漢征伐にも従軍した胡烈・牽弘といった歴戦の将をも打ち破って戦死させたくらい戦上手で、民衆からの徳望もあったこの時代きっての傑物だよ。
ID:ZblUn3550は荒らしなのか真性なのか…
>>748 バカをまともに相手しなくていいよ
ついでに樹機能が戦死させたのは、涼州刺史の蘇愉(蘇則の子)も追加で
秦州刺史の胡烈は胡遵の弟、涼州刺史の牽弘は牽招の子
秦州刺史の杜預さんも樹機能には勝てなかったわけで、ケ艾亡き後の最強武将は間違いなくこいつだなぁ
訂正:胡遵→胡奮
うん、恐らく樹機能はトップクラス。
ちなみに彼に関わった人物ついでに挙げると、胡烈って結構名将だと思うんだよね。
樹機能戦前に陳騫に「胡烈・牽弘は勇敢だが策が無いから樹機能を倒せないだろう」みたいな予言めいたこと言われてるけど、淮南の叛乱鎮圧や鍾会を出し抜いて謀反を未然に防ぐなどを考慮する限り、それまでの時点の彼を見て思慮の浅い人物という結論に行き着くとは思えない。
恐らく陳騫に箔を付けるため後付け設定されたものと思われるし、樹機能相手に敗れたことでそのような設定が付けられたのなら、少々酷なように思われてならない。
>>752 陳騫と胡烈牽弘の違いは、名士かそうじゃないかの違いかねぇ
陳登と陳羣に推挙された陳矯の子であり、晋書の列伝第五に列された建国の大功臣だからなぁ
淮南の叛乱鎮圧といえば、
>>735で姜維よりも、魏の王基を確定枠に入れたいな
末期の対呉戦線が内外共に治まったのは、ひとえに王基の働きによるものじゃないか
だいたい郭淮や陳泰も確定枠に入ってないのに、姜維なんて入れてる場合じゃない
国力差が〜なんて言い訳は通用しないことは、それこそ樹機能の戦果によって証明されている
名馬はそれだけで国力みたいなもん
ただ、樹機能の敵としてトウ艾はいなかったが、姜維の敵として真正面にトウ艾という稀代の名将が立ちはだかっていた、という事実も考慮する必要はあるかもね。
王基も名将には違いないが、姜維もちょっとクセあるけど名将のひとりかなとも思う。
>>756 いやいや、姜維の戦歴においてケ艾と戦い始めるのは後半部だけだから、関係ないよ
姜維が樹機能ばりに郭淮と陳泰を戦死させる、とまでは言わないがせめて撃破できていたら、「ケ艾のせいで勝てなかったけど姜維もかなりの名将だね」とか言えるだろうけど
樹機能は時代的にも民族的にも、
グレーライン×グレーラインだと思うんだけどこいつも三国時代の人間に入るの?
姜維よりは臧覇を入れたいぞー
>>758 統一王朝による時代区分では、漢〜220年〜三国〜280年〜西晋、だから、入るでしょ
でも蜀も魏も滅亡してる時期だし、中華の外の異民族だし、樹機能を三国志の名将とするのは違和感あるかもね
枠がギチギチってこともあるし、樹機能は抜いていいかも
麴義を確定枠に入れれば二十一人
後漢
魏:曹操 夏侯淵 曹仁 張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙
他:麴義
三国
魏:曹真 司馬懿 満寵 田豫 毌丘倹 ケ艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜
残り三枠の候補は、魏の臧覇・郭淮・陳泰・王基、呉の孫策・朱然・丁奉、蜀の姜維らへん?
呉は賀斉を入れていいと思うんだけど、山越という微妙な相手だからか、結局は内乱鎮圧に過ぎないからか、このスレではあまり評価されてないのよな
対外戦線じゃないから実態がよく分からんってのもあるんだろうけど、賀斉伝ではまさに連戦連勝で戦い方も名将っぽい様子が具体的に記されてる
蜀の馬忠・張嶷的な
馬忠と張嶷は功績が二分割されるからな
賀斉はほぼ賀斉だけで転戦してるわけで
何度も負けてる樹機能さんがなんだって?(木亥火暴)
お、アトミックバスーカやな。
誰か巻き込まれるかな?
今の早慶マーチ文系の人間をこの時代の能力値に換算すると
大体どれくらいなんだろ。平均値は70以上は確定か?高卒と駅弁理系は
アスペっぽいから何やらせてもダメだろうけど。
767 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/05(土) 14:57:42.44 ID:q2O+kxM90
名士になれるんじゃないの
そして弾圧されて竹林ニートってお前らと同じやん(笑)
現代は大物ばかりになってしまったのか。まあこの時代は寒門出身は
徐庶もいるといえばいるが。名門と仲間にお見知りおきしてもらうことが大事だね。
石ロクは中卒以下のDQN。駅弁理系は職人だろうか。トウガイは
農学部兼dqn特攻隊。
トウ艾は三国志だけでなくて中国史名将でも生き残れるレベルだから
貶めようとしたところで無駄だよ
竹林の七賢には憧れるだろw
名門だろうが功績残さないと評価されないのは歴史が物語ってるだろ。
東大卒だろうが記録が功績が無けりゃ、
荀ケのお友達(名無し)で終わりだよ。
以前から度々同じような書き込みをしてる荒らしなんだから構うなよ。
曹操や荀ケはむしろ東大理3上位合格確定だろ。
進振りであえて理学部行くような怪物だったに違いないぞ。高校の数学や物理なんかで
ヒーヒー言っている英雄がどこにいるというのか。それは論外すぎるだろ。
最近このスレ来たばっかだから知らなかったけど昔からいるのか
こういうの見てると「逆学歴コンプ」ってあるんだなって思うわ
>>高校の数学や物理なんかで
>>ヒーヒー言っている英雄がどこにいるというのか。
ある時代のある王朝創始者たちをまとめて敵にしているのが笑える。
sousoui
>>776 雑学レベルの学問なんざ元々覚える必要のないものだからな。
学歴というものがいかに社会で役に立たないか、を証明した
農民上がりの皇帝さん達。
というか、くだらない雑談がしたかったら三戦板にいけばいいのに
ここは「正史準拠の三国志名将議論スレ」だということをお忘れなく
へーい
酷い人材不足だったのにさ何で孔明は徐庶を引っ張って来なかったんだろう?
姜維を得た時めっちゃ喜んだんだろ?
徐庶は後継者にはならんがかなり役に立った筈というか徐庶以上の人物って殆どいないし
蜀には智の面で優れてるのなんて孔明とホウトウと姜維と法正位、魏呉には沢山w
もし関羽の補佐に徐庶がいたら三国志はもっと面白くなってた
一度劉備の元を離れて魏に仕官した人間をそう簡単に呼び戻せるわけないっしょ。
てか史書に残るような実績はないのに、なぜ徐庶以上の人物が殆どないと言い切れるのだろうか。
まあ魏でそれなりに出世したってことは優秀なのだろうから、いたら役には立っただろうけど。
関羽の補佐云々なら、龐統が戦死せずに諸葛亮が荊州に残るifのが興味はあるかな。
てかどれもスレチやね。
>>778 >>雑学レベルの学問なんざ元々覚える必要のないものだからな。
そこは俺の考えは少し違ってて、学力はもとより一芸に秀でたものを発掘し
いかに建設的な方向で使えるか、というのが重要なのだと思う。
雑学などを必要がないというのではなく、それをもっている人をどう使うか。
それが肌でわかっているのが天才で、知識としてシステム的に就学しているのが、ここでいう
高学歴なんじゃないかな。
一人でできることなどしれているので、いかに多くの逸材を見出し使うか。
それができれば君も英雄だ!
私立文系でも英雄候補になれるところがいい
なんかここ最近、演義レベルの知識で紛れ込んでくる奴や、荒らしやバカが増えたな…
春だからか?
俺様は三国無双と蒼天航路しか知らん
なるほど春だからか
>>783 でも、史学なんて普通に就職で役に立つ知識じゃないよな。
持っている人をどう使うか、って言われてもな。
めんどくさい雑学バカの面倒を観る部署なんてどこの会社にもないだろ。
逸材ってのは社会に必要とされている人材のことだからな。
中卒の逸材も居れば、有名大卒の戦力外なんて例も数多い。
だから別スレでやれって
日本語が読めねぇのか
まあ数学が駄目奈のは中卒と私立文系に共通しているから
私立文系での業界で中卒の逸材も出るのも道理といえば道理
ウヒヒヒヒヒヒ
とりあえず二十一人は確定?
麹義の確定枠入りは
三国以外所属はどうするかを決めてからのほうがよろしいと思われる
俺は三国以外所属も認めたらいいと思う。
狭義では三國に分かれてからだろうけど、広義では袁紹や董卓といった人物達も立派に三國志の登場人物として含まれるわけだし、ならばその袁紹の飛躍に貢献した麹義も考慮に入れてやるべきかと。
関羽と張飛って逆でも同じような功績と失敗した気がすんのなw
>>791 確定でいいんじゃない?
残り三枠の候補としては
>>761で挙げられた以外にもいると思うんだけどね
>>792 個人的にはむしろ逆
キク義がいなかったら、三国内だけで二十四選してもよかったと思う
キク義がいるからこそ、三国以外は除外という条件を設けたくはない
そんな理由であれほどの名将が選出から漏れるのは…と
>>793 なにしろ袁紹が築いた勢力は、蜀どころか下手すると呉より大きかったわけで
その最大の立役者であるキク義は入って然るべきじゃないかなぁ
とりあえず
>>1の議論枠と定義外枠から
>>761の確定枠人物除いて貼っとく
あと三国以外所属は定義外枠から議論枠に移動した
・議論枠・
後漢
魏:臧覇 文聘 陳登
蜀:関羽 馬超
呉:孫策
他:黄祖 呂布
三国
魏:曹休 郭淮 王淩 陳泰 王昶 王基 鍾会
蜀:魏延 王平 姜維 羅憲
呉:朱然 朱桓 諸葛恪 丁奉
・定義外?・
群雄割拠以前
呉:孫堅
他:皇甫嵩 徐栄
晋呉二国時代
呉:陸抗
晋:羊祜 杜預 王渾 王濬
797 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/07(月) 03:07:28.04 ID:X2deDe6i0
天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。
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天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。
22人目は色んな意見が出てるが、青徐二州を制し揚州でも暴れた臧覇を推したい
魏は多すぎるから他から選べ(?)ってことなら、やっぱ丁奉で
>>796 議論枠は議論の末にもっと絞られてたよ一応
姜維と丁奉を比較するなら、丁奉の方が名将だと思う
排除に成功した相手を見ても、王経より石苞の方が明らかに名将だし
丁奉には東興の戦いでの大功もあり、他に細かい武功も多い
臧覇より丁奉をまず確定枠に推薦したい
>>799 姜維と丁奉の比較は置いといても、ゾウハと丁奉なら流石にゾウハの功績の方が上だろ
天然の要塞があるのと無いの(平地かそれに近い)とでは、
後者を維持し続けてる奴の方が凄いに決まってる
臧覇軍閥の勢力圏って、なにげに物凄くデカいよね
803 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/09(水) 02:09:43.76 ID:XeLH7rMn0
魏から楽進徐晃イラネ
呂布孫策丁奉入れる
まだ2枠残る
確定枠に対して意味わからん文句つけるやつって、荒らしなのかバカなのかどっちなんだろうね?
そもそも、もうマトモに議論したい人達はスレから去ってる気がするな・・・
>>259の時点で19人まで決まってたのに、そっから500レス以上経過して新しく決まったのがカン丘倹とキク義だけってな
>>500前後くらいまでは有意義な議論が進んでいたようだけど、以降は初心者と荒らしとバカと信者が定期的に出現してグダグダじゃん
というか明確な結果だけ見ると後の3人ってわりと好みの問題になっちゃうんだよねえ
楽進って三国鼎立前の魏では筆頭に近い位置にいると思うけどな。
この手の子がすぐ否定するのってゲームだと地味だからなのかねえ。
ゲームやらんけど、テンプレに理由列挙してくれ
新参者にはよくわからん
>>806 毎回思うんだけど、そんなキツく選出に拘る必要あんの?
この板で実質的に人がいる三国志のスレがここだけなんだから、
議論スレ兼みたいな感じで良いじゃん
なんだかんだで21人目まで決まったんだし
ここまできたらあと3人議論して決めたい気もするが
「19人?21人?決まった」と言われても、その感覚が全くないんだよなー
曹操、曹仁、曹真、張遼、楽進、于禁、張コウ、徐晃、ケ艾、満寵
劉備、諸葛亮、張飛
周瑜、呂蒙、陸遜
この先はほぼ進んでないと思う
>>809 テンプレって
>>2のこと?
新参でも正史を嗜んでる人間なら少なくとも
>>2には納得できるやろ
>>2の選出を見て「まぁそうなるわな」じゃなくて「なんでそうなるんだ?」と思う程度の知識ならこのスレ来ない方がいいで
>>810 俺もそう思うけど、最近は議論にすらなってないじゃないですかぁ…
挙げてハイ納得しろ、じゃ、正史読んでるも何も無いってw
プロセスも書かないと
強さ議論スレ系統でも
単に挙げただけのがある・
言いっ放しで新参に厳しいのがいるんだよな〜
>>814 「挙げてハイ納得しろ」じゃねーよ
このスレは3スレ目だ
「プロセスも書かないと」って、それただキミが教えてもらいたいだけなんじゃねーの?
それじゃ
>>813で正史読んでるなら納得して当然とか
知識って言い方する必然性が無いじゃん
嗜んでたって疑問符が付くもんは付くんだし
少人数ならプロセス纏めてテンプレするのもまあアリだったかもしれんけど
21人分のテンプレとか…過去スレ読めってなるな
ぶっちゃけ劉邦でもただの40代の初老の幸運じいさんだっただけで
君主の能力とか胡散臭くないか。孫策はすごかったけど孫権は絶対
兄の真似は出来んだろ。ただのできのいい凡人。
誰も劉邦孫策孫権の話なんかしてないのにいきなりどうした
誤爆?
>>818 面倒臭い人だなぁ
結局、何が言いたいのか
意見を述べる時には具体的にな
今の21人で、そんな納得し難いような奴なんているかね?
その時にはキチンと把握してなくても、名将だと紹介されて興味持って調べてみれば納得できるような連中ばかりじゃね?
張飛や夏侯淵のように異論が出るやつもいるけど、それはこのスレ内でちゃんと議論されてるしさぁ
そんなことより22人目候補について話そうぜ
臧覇か丁奉かが人気のようだけど
>>820 劉邦や孫権をそのような評価を下すことが許されるのなら
「孫策はただの自滅した名士殺戮マニア」
とも評価を下して良い訳で。
普通に考えれば臧覇が上だけど
魏将には謎のハードルがあるからな
曹洪や夏侯尚ですら議論枠から切り捨てられるレベルのやつが
孫策の良さは孫権という異なる才も認める鷹揚さにあるんだがなあ。
間違っても、臨終に自分の功績だけを誇って往く人じゃない。
後継者に対して何もお前には取り柄がないなど言う男はいないだろ
豪族連合なんだからなおさら
魏も豪族、というよりは名士連合なんだけど、曹操は、後継者達を
なじるような事を言ってるけど。例えば、曹沖が死んだ時、曹丕達に
これはお前達の幸運、とか言ってる。太子問題を放置した事からも、
後継者をそこまで慮るというのは、指導者の絶対条件なのか。
まあ、孫策は臨終だったから、現役の曹操とは違うだろうけど。
組織は基本連合だけどな。近代兵器で一部の層が握ってしまった近代でも一部の層の
連合でもある。今や近代兵器だ。核を権力者が握ってしまった。
雑談がしたかったら(ry
最近の流れで薄々理解してたが、もうダメだなこのスレ
議論したい人達が次第に去っていった理由がよぉく分かったよ
1スレ目からいる住民が未だ残ってるのか知らないが、今までありがとうございました ノシ
>>823 調べれば凄い、ってだけなら24人どころじゃないわけで。
何故選ばれたのかと同時に何故選ばれなかったかも重要だから、プロセスが大事であり、
現状は押し付け=納得しろでしかないわけ
面倒臭いどころか、シンプル過ぎるほどシンプル
中英板は過疎板だけど、それでも夕方から22時ぐらいまでは子供率は上がるのだし、
そんな時間帯に流れが思い通りにならないからとムキになってるのもどうかと思いますわ。
話になる人とだけ話せば良いのよ。
>>831 >近代兵器で一部の層が握ってしまった近代でも一部の層の連合
徴兵制時代とは違って、募兵制だから、エリート化が進んではいるかも
知れんね。ただでさえ、繊細な近代兵器は扱いが難しい。誰でも使える
代物ではない。ただ、当時の豪族連合というのは、門閥だから、今ほど
組織間の移動が自由で、制限されていない事は無いと思う。
渡邉義浩さんが「三国政権の構造と名士」なんかで書いていたけど。
>核を権力者が握ってしまった。
核兵器というのは、保有数が圧倒的に少ないから、ロシアのような国でさえ、
核兵器というのはシビリアンコントロールの下に管理されている。だから、
通常兵器よりも遥かに権力に近い兵器だとは言えるでしょうね。
核抑止を説いたリデルハートが、戦争予防を説いた孫子を絶賛したとか聞いた
事があるけど、その延長線上かな。
外交兼ねて偵察して構わない文官はメディアみたいなもんだもんな
文官殺すのはネットワーク切断するくらい悪い事
どうやら俺は違うスレに紛れ込んでしまったようだ
まさか三国時代の中華を語るスレに核とかロシアとかリデルハートいう単語がでてくるはずがないしな
>>833 キモいよお前
ROMるって言葉知ってる?
三国時代を分析する上で、現代と比較して分かりやすく解釈しても良いじゃないか
24選原理主義者氏ねよ
二十四撰をどうでもいいと考えてるのに、このスレを開けた理由を逆に知りたい。
>>837 三国志の時代に中華って単語はあったの?
1スレめから見てないが
ここの二十四って数字は何で二十四になったんだ?
武田か何かか。凌煙閣だったら凄いけど
>>839 いつからここは「三国時代を分析するスレ」になったの?
スレタイも
>>1も読めないとか、日本語の勉強からやり直した方がいいよw
>>843 初代
>>1のフィーリングじゃない?
中国的にキリの良い数字としてよく使われるのは「二十八」なんだけどな
845 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/12(土) 08:40:50.49 ID:kIxKZj9o0
陳寿の呂布の評価と同じで個々の連中の評価などあてになるものか
賈逵とか名将の部類じゃないの?
ちゃんと将軍号も持ってるし
このスレ内で収まる話ならいいんだが、他の板へのドヤ顔自慢とかやめてくれんかね。
こんなスレのチラ裏妄想撒き散らされても困るよ。
もっともな事は言ってるな。度々そういう事があったのなら申し訳ないと思う。
ただ、たまたま一回や二回あったくらいなら、例外なのでそちらで処理しといて欲しい。
黄権は広漢を最後まで劉備群から守り通した
淵は異民族のカス相手だろ
最後はじーさまにやられてアボン
>>844 適当に二十四か
俺としちゃ全部網羅で108将とかのが面白そうだけど
とても決まらんだろうな
851 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/12(土) 23:24:05.04 ID:gU+XtFAr0
108選じゃ名前が残ってるほとんどの武将が選出されんじゃん
108人ランキングならいけるかもしれないけど
このスレ住人にはKOEI三国志プレイヤーはいるのかな?
三国志ゲーで言うと名将24は統率力BEST24って事だよね
まぁだからどうしたという話だが
議論が停滞してそうなので話を戻す意味も兼ねて、俺は鍾会を推薦してみる。
鍾会は大軍運用手腕の他にも謀略、作戦立案能力もピカいちだ。
剣閣で姜維と対峙する羽目になったのは、彊川口にて魏の金城太守・楊欣に敗れた姜維の退路を断つよう、橋頭の押さえを鍾会から命じられた諸葛緒が、
陽動に引っ掛かって任地を離れ、剣閣へ逃げ込まれてしまったためだ。
司馬師、司馬昭の懐刀として淮南の叛乱では謀略を巡らし、蜀征伐でも見事な侵攻作戦を練り上げた。
鍾会は、司馬昭が蜀征伐を企図していることを知ると、陣を置く場所から食糧基地に至るまでの克明な表示と、どこから軍を出しどこへ退却するか、全て理にかなった克明な地図を献上し司馬昭を唸らせている。
司馬昭は心強い献策を得て朝議に臨む。
当然議題は蜀征伐についてだ。
曹操以下、その時代時代を代表する魏将達が幾度も試みて、現在まで誰も達成し得なかった大事業。
当然朝議でも群臣達は皆達成不可能と考え反対に回った。
起案者の司馬昭と鍾会だけが可能という見通しを立て、反対派を退けて蜀征伐を決行した。
司馬昭はこの大事業を、魏国と自らの栄達の決定打として懸けていた。
その神経細かそうな司馬昭を大いに納得させたのだから、余程見通しの立った現実味のある作戦案だったのだろう。
俺的名将序列
後漢:曹操>>>周瑜>曹仁>劉備>>張遼>楽進>呂蒙>于禁>張飛>張郃>徐晃>夏侯淵
三国:ケ艾>>>諸葛亮>陸遜>>満寵>曹真>司馬懿>田豫>毌丘倹
異論は認める。ただし正史未読者、テメーはダメだ。
鍾会はね、当時「子房」と呼ばれたことからも分かるように、参謀としての功績の方が目立つから。
将軍としては一発屋なことと、その一発がケ艾の働きによるウェイトが大きいことが、このスレ的にはネックになってるんだろうね。
それは確かに分かる。
ただ当初の作戦案通りに行けば、鍾会は姜維が立て籠る前の手薄な剣閣をあっさり抜き四川盆地に至る筈だった。
その作戦にブレーキをかけ姜維と対峙する羽目になったのは、前述の通り味方である筈の雍州刺史・諸葛緒の動きだ。
彊川口にて楊欣に敗れた姜維は、帰路を断たれ橋頭をも諸葛緒に押さえられたとの報を聞くと、天命尽きたとうなだれた。
そこに配下の寧随から進言がもたらされる。
「魏は橋頭を遮断したが、そのために却って雍州そのものには兵が少ない筈。
孔函谷から一気に雍州を衝くよう装えば、諸葛緒は陰平の兵を撤収して雍州の救援に向かうだろう。
その時将軍は反転し、剣閣まで走ってそこを拠点とすれば良い」
案の定諸葛緒はこの陽動に引っ掛かった。
気付いて姜維の捕捉に向かったが、1日遅く間に合わなかった。
諸葛緒は白水の鍾会の陣に出頭し罪を乞うた。
鍾会怒る。「私は貴公に橋頭を守って、姜維の退路を断てと命じた筈だ。
何故それをしくじったのだ?
そして今回はまた私の命令を得ずして勝手に軍を動かし、よくも敗れてくれたな。」
諸葛緒弁明する。「姜維は雍州を襲うように動きました。
私は雍州に間違いがあってはと、軍を率いて救援に向かい、姜維はその隙を突いて逃げ出しました。
私は姜維を追って剣閣まで来ましたが、意に反して敗れたのであります。」
鍾会再び激怒。「この馬鹿者が!姜維ひとり雍州へ向かって何ができる?
雍州へ向かおうが所詮、袋のネズミだ。 だが、剣閣は天下の要害で、これを攻め落とすのは容易ではないからこそ、橋頭で姜維の退路を遮断せよと命じたのだ。」
怒る鍾会は諸葛緒を処刑しようとした。
しかし諸将が必死にとりなしたためその場で命を落とすことはなく、濫車に乗せられて洛陽の司馬昭に処分を委ねられることになった。
このことは諸葛亮における馬謖と同様、幾ら優れた総司令官でも離れた地にいる部下の迂闊な行動までは制御し切れないから致し方なしと考える。
>>854 ぶっちゃけ曹操ケ艾二人をトップに置いたら
あとの残りはどうにでも変化しそう
>>854 諸葛亮高すぎないか?
そしてそれに対して司馬懿が低すぎるように思える
あえて並べるなら後漢と三国分けないほうが分かりやすい
諸葛亮の過大評価が過ぎると思う
あんなの24選にやっと入るくらいの人間だよ
一段階「諸葛亮SUGEEEEEEE!!!!」
二段階「諸葛亮はカス」
三段階「いや、正史でも諸葛亮は強いからw」←この段階の奴が大杉
確かに名将ではあるけど、二段階の頃の反動で過大評価しすぎ。
それはそれで過小評価じゃないか?
まあでも比べるなら俺も陸遜>諸葛亮かな
司馬懿ももう少し上かもね。
諸葛亮と対比すると、諸葛亮は自国に侵攻されないための攻勢を行った司令官、司馬懿はどのような結末にすれば自軍の勝利となるかを遠大な戦略眼で見抜いていた司令官。
どちらも甲乙つけ難い。
諸葛亮との戦役と、孟達や公孫淵との戦役、勝ち方にも色々あることを教えてくれる。
老獪さを増した後半生の彼はかなりの名将。
司馬懿が持久戦に徹した、みたいな風潮あるけど守備側なんだから当たり前なんじゃないの?
むしろ
「諸葛亮って奴はなんで攻撃してこないの?」
「え!?もう帰ったの?何しにきたんだよあいつ...」
みたいな感じだったんだと思う。
そうだろうね。
司馬懿としてはこの戦役は引き分け=勝利なのよ。
敗けなければ勝ち。
第一の目的は蜀軍を旧都・長安に至らしめなければ良い。
それが魏の中央からの方針及び司馬懿サイドとしても戦略的勝利と考えていた。
864 :
862:2014/04/13(日) 06:56:01.30 ID:AJW8nuCn0
北伐を他の戦いで考えれば、
袁紹が曹操妥当を掲げて南下するも、黄河を渡ってる最中に敵に叩かれると危ないから、
渡河せずに持久戦に持ち込んで、そのまま兵糧尽きて撤退するのを何度も繰り返してるようなもんだと思うのよね。
曹操からしたら「え?何がしたいの...」って思うでしょ。
もちろん戦力差とかは全然違うけど立場的な話だとそうなる。
確かにねw
ただ、諸葛亮の北伐と官渡戦役の比較はちょっと前にも議論に上ったんだけども、
その時は曹操と諸葛亮、共に劣勢側の司令官としての資質や戦略志向だったんだけどね、諸葛亮はその性格が非常に手堅い、まさに石橋を叩いて渡るような人物なんだよね。
だから思い切った奇策や戦術はとれない、しかし反面、眼を覆いたくなるような大敗もしない。
一長一短なんだよね。
そしてもうひとつは諸葛亮側の戦略構想。
これは一般に言われてるような、先帝の遺志を継いで倒魏興漢を本気で目指してたとは俺には思えないんだよね。
諸葛亮は冷静で利口な人物だ。
彼我の国力や戦力差くらい充分理解してるし、大国・魏を倒せるなんて思ってない。
前述したようにあくまでも蜀を存続させるため、魏につけ入る隙を与えないための攻勢だと思うのよね。
大国・魏を倒せないまでも、せめて先帝が作ったこの国を守り通すことが、先帝の遺志を絶やさずご恩に報いることだと。
だから諸葛亮サイドとしても大敗だけは避けなければならない、それを第一に考えるのと総司令官としての重責が、そのような一見消極的とも見える戦術に表れてるのかもしれないね。
いや皆さん、司馬懿が防衛に徹して自軍の被害を抑えてればそう言えますけど、何回も余計な事をして自軍に多大な被害を与えてるじゃないですか。
晋書宣帝紀だけじゃなく、ちゃんと三国志諸葛亮伝・張郃伝・辛毗伝やその注釈を読んでくださいよ。
其の辺を鑑みると、対北伐での司馬懿はそこまで高く評価できません。
其の後の司馬懿は当代随一の名将になりましたけどね。
>>855 鍾会はなんだかんだで、当初の立案とは異なる現実に適時対応し、全体的な戦略を破綻させずに蜀を滅亡させているからね。
将軍のどの部分を重点的に評価するかで、残り枠の選出はだいぶ左右されると思うな。
>>866 確かに張コウを失ったりと度々痛い目には合っている。
しかし大括的な目的は達成した。
将として大切なのはここなんじゃないかな。
プロセスも確かに大事、しかしもっと大切なのは当初の目的を達成するという結果を出すことなんじゃないかなと。
魏の強大なバックグラウンドがあればそんなこと容易ではないかと言われるかもしれないが、当り前のことを当り前にするというのは意外と難しいこと。
官渡での袁紹も赤壁での曹操でさえ、その当り前のことが如何に難しいかを物語ってくれている。
>>867 まさにその通りだと思う。
その場の状況に適宜対応する頭の回転の早さが彼にはある。
そしてこれはひとつの推測だが、事ここに至っては正道と奇策、双方を用いて蜀征伐を成し遂げるしかないという戦略に切り替えたのではないかと。
つまり、自分が正道として蜀の主力である剣閣に籠る姜維にあたる。
その間に陰平の間道を通って綿竹関に出る奇策をトウ艾と分担したと。
どちらかが成功すれば蜀征伐の目的は達せられる。
結果はトウ艾の方が先に着き、鍾会は蜀の主力をその間引き付けておくという名アシストをしたわけだ。
無論、鍾会は頭も切れるが人一倍上昇志向も強い野心家だ。
自ら進んでアシスト役なんかに回るわけがない。
恐らく彼の目論見では、トウ艾の作戦は十中八九失敗に終わる、しかし自分が時間が掛かろうとも正道で剣閣を抜けば目的は達せられるではないか、くらいの算段はしてたんだろね。
ケ艾の奇襲って鍾会の命令じゃないでしょ?
単に我が強い二人が暗黙の競り合いみたいの始めて、
鍾会が剣閣に手こずってる間に奇策を用いたケ艾に出し抜かれただけじゃ
二人が会って話し合った可能性は高いと思うよ。
無論、鍾会はトウ艾の奇策など鼻で笑ってたと思うけど。
鎮西と征西、仮にも二人の大将軍が、何の連携もとらず一介の将みたいに単独で独自行動するなんてことは軽率だし考えにくいと思うんだよね。
個人的には、名将108選よりは名将24選のままで
武力24選、参謀24選、etc…ってやるほうが面白そう
>>872 武力はともかく参謀って24選したらほぼ全員になる気がw
>>761に特に異論ないな
あと三人選べばいいんじゃないのか
875 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 18:41:03.39 ID:55xCsofD0
>>862諸葛亮と司馬懿は2度戦ったわけだけど
最初の戦いは諸葛亮側も別に司馬懿と戦う必要は無くギ山を攻略する事が蜀軍の目的だった
直接対決で司馬懿に勝利し、華陽国志によると魏側の方が先に食料不足する事態に陥っていたので
大雨により、食料輸送が困難にならなければ諸葛亮が戦略的にも勝利する可能性が高かったと思っている
2度目の戦いに関しては諸葛亮が死んで蜀が退却する事になったのであり、食料が無くなって退却したわけじゃない
まあ諸葛亮が死んで無くても、魏側が万全の準備をしていたから結局蜀軍は退却する事になったと思うけど
まぁ第一次が最初で最後のチャンスだったってのは認めるよ。
それが魏の興亡につながるかは別問題だとしても
>>857 >>859 >>860 反論する時は具体的に言ってほしい。
人材も国力も不足した蜀の軍で、郭淮に勝利し司馬懿を痛撃し張郃を討ち取った諸葛亮が、名将でなくてなんなのか。
劉備を大破し曹休を痛撃した陸遜は凄いけど、諸葛亮の方が明らかにもっと凄いと思うんだがな。
>>862 司馬懿は持久戦に徹することができてないし、諸葛亮の攻撃をモロに喰らってますがな。
司馬懿の真価は対諸葛亮での防衛戦ではなく対公孫淵や呉のような侵攻戦の拙速な行動だと思う
>>877 諸葛亮が名将でないとはいっとらんよ
ただ大きな戦果をもたらした事がなく将を何人か討ち取っただけの諸葛亮を他の将より上にする根拠が弱いってだけ
大軍に攻められたがそれを追い返した防衛戦や相手の重要な領土を奪い取った侵略戦のような戦果がこれといって見当たらんからさ
880 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 19:45:57.24 ID:55xCsofD0
>>877どういう点で陸遜より諸葛亮の方が上なのか言って欲しいな
>>877 諸葛亮の実績って王双と張郃を討ち取ったくらいで
北伐自体が「勝てずとも負けない戦い」の上、結局成果ほとんど出せてないじゃんw
実績有る劉備をほぼど同兵力で撃退した上、蜀の指揮官を多数討ち取った陸遜より上?
882 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 20:15:07.30 ID:55xCsofD0
>>881いちお、武都と陰平の二郡を取ってるぞ
まあ、大した戦果じゃないけど
>>877 自分も他の人と似たような感じだな陸遜>諸葛亮の根拠は
石亭もだがやはり樊城と夷陵かな
樊城:房陵南郷を落とす、関羽敗死、荊州奪還
夷陵:馬良王甫程畿傅トウ張南沙摩柯など蜀将敗死、劉備撃破
俺も諸葛亮が名将じゃないなんて言ってないじゃないかい
それとあなたがいう郭淮張郃を破った諸葛亮陸遜よりスゲーって言ったら
陸遜が破った劉備関羽は大したことないんだなってことに
北伐と違って樊城夷陵ははっきり白星なわけだし
残り三枠を決める流れに全然入らないけど大丈夫か
>>1000までに24選終わらせて次スレは「語るスレ」にした方が良いよな
個人的には正史準拠の能力値決めるスレが好きだったんだけど無くなったよね
この24選決まったらあのスレ復活させてよ
名将に限らず政治家や君主について語りたい人も多いだろう
能力値系のスレって能力値の基準を延々と議論してるから
肝心の人物の議論がよく停止するのが個人的には難点だと思うわ
人物について議論したいなら語るスレがいいんじゃなかろうか
887 :
mage:2014/04/14(月) 21:04:23.81 ID:tmQXecAA0
張コウの出身地、河間郡バクだっけか、あそこの張氏は自称だが張耳の子孫
を謳ってたから、張コウもその席に名を連ねる人物だったとすれば実は結構
な名族、と言うことになる。
こういうのを知ると司馬懿はもしかしたら名族としての張コウを疎ましいと
感じて排除したのかもなあ、とちょっと思ってしまう。
888 :
mage:2014/04/14(月) 21:13:57.54 ID:tmQXecAA0
武都と陰平については漢中攻防で曹操が退却する際、そこの地域が
孤立することを恐れて住民を大量に移住させているんだよね。
異民族とか数万戸が曹操に従って移住したとあるから人数で言うと
20万人以上とかになるのかな。根こそぎ移住させているから、あの
二郡は空白地帯に近い状況。そこまで徹底する曹操がある意味では
すげえと思う。
889 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/14(月) 22:11:03.97 ID:1GHxIllV0
>>887司馬氏も名族だから、例え張コウも名族出身だとしてもそんな理由で排除するとは思えないなあ
それよりも、単純に張コウが成りあがりものだったから疎ましく思っていたって方がありそう
>>888 張既が曹操に数万戸の三輔長安に移住を進言してて、張既自身は武都の五万余人を扶風天水に移住
杜襲は八万余人を洛陽とギョウに移住させたってあるね
酷い大移住っぷり…なんでここまでやったw
劉備が関羽に呼応して北上しなかったのもこの移住が原因にあったんだろうか
>>887 >>889 司馬懿の張コウ謀殺説の根拠付けとしては興味深い切り口だけど、あれはやはり素直に司馬懿の軍事的采配ミスだと思うんだよね。
司馬氏は何かと腹黒さと陰謀説が付きまとうから、色んな憶測が飛び交っても致し方ないのだけど、少なくとも司馬懿と司馬師までは魏の繁栄を考えそのために力も注ぎ取り組んだ忠臣だ。
無論、司馬家の栄達と権力基盤強化も含めてだけど。
それが本格的に簒奪まで視野に入れ出したのは司馬昭のしかも後半生からだ。
この人の行ったことやイメージが後世から見ると非常に悪いため、遡って司馬懿や司馬師の事績にもそれぞれ何か裏があるのでは、と黒い理由付けがされて行くのだろうね。
名族とか成り上がりとかじゃなくて、軍事上のライバルじゃないの、司馬懿と張郃って
張郃は車騎将軍だから、司馬懿の次点なわけで
しかも張郃と司馬懿は全く意見が合わなかった
そりゃ排除されますわ
司馬懿の得意技「保身」の延長上でしょ
張郃の心境としては、官渡の時のトラウマが蘇ってただろうね
あぁ、あの時も自分が反対した作戦をなぜか自分がやらされて敗北したなぁって
袁紹に似てるのは諸葛亮というより司馬懿だな
何とも言い難いなー
可能性はそりゃあ普通にあるし、仮にそうなら面白いけども
>>890 張既も地味に名将だよね
個人的には郭淮より好み
895 :
mage:2014/04/15(火) 01:20:38.19 ID:9XKHNq8k0
張コウは成り上がりだったとも思えないんだよね。例えば名前とかの付け方
を見ると、名と字はそれぞれ古典の中からの言葉を引用しちぇいるし、コウ
は(文と武)の才能を併せ持つ、と言う感じの意味だし、雋と乂は両方とも
非常に優れた(抜きんでた)と言うような意味。
抜きんでた文武の才能を併せ持つ、と言う意味の名前をさらりとつけれると
言うのは相当インテリでないと無理じゃあないかな。少なくとも学者の資質
を持った人間じゃないと難しいと思うし、成り上がり武将ではこういう洒落
た名前はなかなか付けられない。
896 :
mage:2014/04/15(火) 01:26:04.31 ID:9XKHNq8k0
そういう素地があるからこそ同郷の人間を学者として推薦とかできたのだろうし、
張コウはそんな気はなかったかもしれんが、冀州閥が伸びるのはケイ川閥の連中
にしてみたらあまり面白くはないのかな、とも少し思った。
まあ陰謀説を推したくなる人がいるのもわからんでもない、と言うだけで自分も
そういうのは無くて司馬懿の采配ミスと思ってるけどね。
897 :
mage:2014/04/15(火) 01:37:30.12 ID:9XKHNq8k0
ちなみに司馬懿の戦績を見ると勝利の多くは速戦により相手を急襲して、と
言うものなのよね。逆に言うと諸葛亮のようにきっちりと陣を整え待ち構えて
いる相手はあまり得意ではない。本来はそうなる前に打ち破ることが司馬懿の
本分だから。
逆に諸葛亮は陣地の構築は得意だがそこから軍を柔軟に動かすのが苦手。まあ
そんな二人だからこそ、攻めれば相手に蹴散らされ、互いににらみ合うだけの
世紀の凡戦になる訳だけどね。
成り上がりの劉備が備とかいう意味分からん名前なのは親が適当に付けたからなのか?
でも玄徳ってなんかの文章の言葉だし父親は官僚かなんかだよね
と思ったら字って自分で付けるのか
つまり漢字の分からない母親が適当に「備」って名前付けて
慮植に習った劉備が自分で玄徳って字つけたのか
言われてみると、他に名が「備」という奴は思い浮かばないな
誰か居るだろうか
多分…いない?
他にも司馬師の「師」や司馬炎の「炎」、孫権の「権」、曹丕の「丕」などもいないかな?
このへんは皇帝ゆえ避諱の影響もあったりするのかな?
そういや劉備も皇帝か。
>>897 俺もそう思う。
司馬懿と諸葛亮の特徴をよく言い当ててると思う。
黄権
いたーw
そうか黄権かぁ、なるほど。
断言する
あと三人は決まらない
もう語るスレになってるもんw
息子に炎って付けるって相当だよな。
今で言うDQNネームみたいなもんだろう。
にしても晋って確か金徳の王朝だよね。
金徳の王朝なのに火×2の名前の皇帝って...
司馬炎が生まれた時にはまだ魏だったにしろ、魏は土徳だし。
司馬昭の行った魏からの簒奪計画が、漢より不当に皇統を奪い取った横暴なる魏を懲らしめ、再度皇統を正しく導く、という義憤を胸に秘めた大義からであったなら…、
端的に言うと魏にイジメ抜かれて皇位まで奪い取られた漢の仇討ち、のつもりであったなら、漢=火徳の後(上)に再度火(徳)を灯す、それが我が息子に託す願いだ、という意味で「炎」としたのかもw
司馬炎が生まれたのが236年、諸葛亮が五丈原に散った2年後か…、まだまだ曹氏の天下であり司馬氏がそこまで上り詰めるなんてその時点では考えないよなぁ、司馬昭が超能力者でもない限り。
大体司馬家の正統を継ぐのは司馬師だし、この後男子が生まれたら当然家督はそちらに行く。
次男である司馬昭が、その時点で我が子にそんな大それた夢を抱く筈もないか。
我ながら苦し過ぎるこじつけだったw
もうパパッと決めてもいいんじゃねーの
正直、田豫やカン丘倹がいつの間に完全確定したのかさっぱりわからんけど、何やら確定らしいし
決まったと言われれば特に異論があるでもないけど、多分、他の議論枠の連中でもそれは変わらんしなぁ
>>905 完全に語るスレになるより一応でも二十四人決めるって名目が
あったほうが良いんじゃないかなと思うんだ
雑談したり気が向いたら議論したりの繰り返しのほうが
なんかスレのモチベが保てそうというか
べつに「24選」という数字に大した意味があるわけじゃないんだから、キリの良い「20選」とかでもいいじゃん。ここまで来て決まらないってことは、頭一つ以上抜けた名将は24人もいなかったってことなんだろうから。
後漢末期
魏:曹操 夏侯淵 曹仁 張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙
三国時代
魏:曹真 司馬懿 満寵 田豫 毌丘倹 ケ艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜
>>908 田豫と毌丘倹は3スレ目(このスレ)での議論で決まってたよ。ちゃんとスレの流れくらい読み返したらどうかな。
普通に追ってたけど、あれで「決まり」となった瞬間は全くわからなかったな
後になって、「既に決まってる」と言い切る人が現れたからまあいいかという程度
>>910の言う通り10選くらいならまだしも、24選となると下の方の奴はどんぐりの背比べだからな
どうでも良くなる
なんだか急にスレ終焉な空気になってきたなw
次スレどうしようか
18人まではわかるけど、そこからの3人は決まりと言い張る人が決めた印象しかない。
でも、別にそれで良いよ。
どうせ大差は無いから決め手もないしね。
>>911 >>914 言われてみればそうだな…。でも異論がほぼ出なかったってことは、積極的な賛成ではなくとも消極的な賛成は多数得ていたんじゃね?
こういうスレで24なんて数で絞ろうとする場合、別格の5,6人以外はそうそう決まらんもの
なのに、上位半分どころか3/4の18人までは総意に近い文字通りの確定枠になってる
この時点で十分に奇跡的だわなぁ
ここからドングリになるのは当然だけど、せっかくの奇跡だからどうにか最後まで埋めたいという人が出るのもわかるし、
そういう人が多少無理してでも押し切らないと決まらないのは間違いない
「総意」という形はどうしたって崩れるけど、最後まで埋めようとするなら仕方がないわ
917 :
mage:2014/04/16(水) 20:44:45.30 ID:piv76S8Y0
まあ24達してないから、と言う名目で次作ってダラダラ語るのも悪くないべ。
正史準拠の能力値とか懐かしいね、一時アホのように書いてた時代があった。
1000人分全員とは言わないけど、メジャーどころの人物データがあの時
の議論とかで結構精査できました。感謝感謝です。
次スレは武官○選かな
なんか一応目標がないとスレ民の共通の話題がないし
そのうち過疎りそう
もう名将はいいよ。だいたい議論され尽くして20人弱は決まったわけだし、このスレの近況を見る限りすぐ過疎りそう。
次スレでやるなら三国志参謀(軍師)10選とか武人(豪傑)10選とか宰相(公卿)10選とか違うテーマにした方が面白いんじゃないかな。
三国時代の詩人3曹を決めようぜ
宦官列伝やろうぜ
チンコ無いけど有能だった奴とかいるんじゃね?
人物から離れて武器10選とか名馬10選とか政略10選とか・・
一応中英板だし人物からは離れないでいようぜw
軍師や宰相は幅が広すぎる
武人は名将よりアバウトすぎる
まあそういうスレは好きに誰かスレ立てればいいんじゃなかろうか
それでここは雑談しつつ現状維持って感じで
なんか兵法とは別の軍事や制度について語りたいなぁ
兵器や武器や戦陣や兵制とか
ヨーロッパ史ではむしろそっちが主体だよね
民からの人気者10選
劉備はほんとに魅力100の人気者だったのか?
孔明はほんとにイケメンで民忠すでに100キープしてたようなナイス統治者だったのかどうか?
袁術はほんとにおさるさんで民たちから蔑視されてたのかどうか?
意見割れすぎで収束する気配ないなw
ここまでスレ民の語りたい内容割れてるのに
よく名将二十四選として20人前後まで決まったもんだ
上位はさっさと決まって中盤も議論したらわりとあっさり決まって下位は消去法で選ばれたって感じ
いや下位の面子も十分実績あるんだけどさ
>>930 まさにこれ
上位〜中位の16人までは前スレまでの内容を纏めた
>>2で既に納得のいく選出がされてたからな
当スレに入ってからすぐに司馬懿と田豫も追加されたが、なぜかここに来て田豫にあまり納得してない人達が出てきている
残りの夏侯淵とカン丘倹は「議論枠の中では優秀だよね」的なノリで選ばれた感
けど仕方ないこととはいえ当初に比べると呉や蜀の将はあまり入らんかったなあ
残りの3人?を決めるとしてもせいぜいどっちかから1人入るぐらいだろうし
戦績、勝敗を重視するとどうしてもな
「強国にした将」と「強国の将」をきっちり区別しようとするのもちょっと問題が出て来るし…
まぁ、ここら辺の不公平はどうしようもない
>>932 孫策があと数年生きてて、陳登か黄祖をブッ潰すくらいやってたら、確実に入ってたと思うんだけどなぁ
あと丁奉は当時の情勢や国力差を考えるとかなりのもんだよね
>>934 黄祖は倒せていたかもしれないね。
それから程なくして
陳登・曹操・劉表・江南名士&少数民族らの
反孫策連合に倒されて孫氏滅亡となるけど。
>>935 まあそもそも孫策の死は不運の病死とかじゃないから、もっと長生きしてたらなんて仮定に意味が無いのはわかってるけどね
孫堅も孫策も大将としては致命的なんだよなぁ性格が
劉備や曹操も若いころは割りとミスしてるしなあ
これからさらに飛躍するかもしれないってときに死んだのは天運がなかったのかもしれない
劉備も曹操も逃げる時は思い切って逃げるけど、結局は運だねw
用心深く常に安全な退路をキープしていたというわけでもない
張繍の時なんかも、自身は無事でも曹昂とか典韋が死んだりしてたし、ほんと紙一重だよな
あれで曹操が死んでたら、病的な悪癖からの横死だから酷い評価になってたと思うw
孫堅孫策は戦に負けて逃げる際にどうのとか以前の所で致命傷を受けてるわけで、不用心過ぎ果敢すぎだけど、
この手の事は単純に結果として生き延びてれば何とも思わないんだよなぁ
>>937 >>938 天運がなかったんじゃなくて、危機管理能力がなかったんでしょう
>>617では孫堅だけ言及されてるけど、孫策も同類だと思うな
劉備と曹操が死地に追い込まれた数は孫策の比じゃないが、全て切り抜けてるのは運だけじゃなくそういう体制や実力が事前に備わってたから
孫策には劉備のような逃げ足も曹操のような護衛もなかった
そもそも劉備と曹操は無意味に自ら死地を闊歩するような馬鹿な真似はしてないから、孫策とは全く違います
劉備はその辺用心深いよね。
蛮勇や奢りなどの自らの欠点によって死地に陥るようなこともなかったし。
勢力が小さすぎたせいで壊滅的な負け戦は何度か経験してるけど。
孫策は暗殺説が諸説ありまくってそれを検証するのが結構面白い
孫策に死んでもらわないと困る人間が多すぎただけに信憑性が無きにしも非ずって感じで
孫権が黒幕って説すらあるしな
陳登が怪しさMAXだよな
・呂布をブラックな方法で葬った前歴がある
・直前に孫策軍を撃退している
・厳白虎の残党を扇動したりしている
・孫策の北上は陳登討伐の為と言われている
・その北上準備中に死んでる
・孫策死後に孫権がまずやったことは陳登攻撃
ほぼ役満だろこれ
厳白虎だけじゃなく許貢の残党を扇動したのも陳登なんじゃないかと考えるのは自然な気がする
>>941 >孫策に死んでもらわないと困る人間
身内や配下ですらその正逆の人間から数えた方が早い位だしw
>孫権黒幕説
孫策期〜孫権期初期の女性摂政こと呉夫人も忘れちゃいけませんぜ。
追加でこれもあったな
・陳登は江南併呑の志を持っていた
946 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/17(木) 23:24:35.05 ID:bAdhOBUR0
孫堅や孫策・ホウ統などはあそこで死ななければとか長生きしてればって感じで惜しまれるが
逆に周瑜はあそこで死んで幸運だったかもなと思う
周瑜の益州攻めはかなり難易度が高いので、失敗して名声を傷つけてしまったかもしれん
呂範に海西まで攻められ陳ウが逃亡してからというのでは遅すぎたという感じ。
結局下邳陳氏は没落して陳登も左遷されたようなものだし。
ずっとチャンスを待ってた可能性もあるだろうがね。
名将って括りだと、夏侯惇や趙儼が微妙に外れてしまうのが残念
>>946 ホウ統や孫堅は「あそこで死ななければとか長生きしてれば枠」だけど、
孫策は周瑜以上に「あそこで死んで幸運だった枠」だよ。
孫策は短期間で江東を平定した!というのが評価の高い理由だけど、もし長く生きてた場合、
結局は延々と「江東の平定」に励む事になるわけだろうしなぁw
>>950 いやいや、仮に史実より長く生きられたとしても
源さんちの義経さんと同じくらいしか生きられないでしょうよ。
九郎さんも伯符さんも超ド級に空気読めない
(というか空気を読むという観念すら皆無)体質で、
必要以上の数と範囲の敵を作りまくった果てに自滅パターンですし。
孫策は若すぎた。
初期の頃から二張のような人間が付いていたら結果も違ってただろうな。
裏の政治力に長けた側近が付いて暗殺をある程度防いでもなお、暗殺と関係なく頓死しそうな危うさがある
爽快で豪快な性格で、そこが人気に繋がってるわけだけども
>>953 人気っつってもあなた、後世、それも日本限定でしょうに。
(なお現在中国での人気はゲームなどで日本から逆輸入されたもの)
954補記
生きてた時の孫策の人気は江東から見て物好きな余所者でなければ一部庶民限定の物。
江東名士の人気は皆無なばかりか憎悪と怨嗟の対象。
江東以外の名士の人気も物好きな連中以外は江東名士のそれと大同小異。
>>954 昔の京劇とかでも孫策は人気あるよ
よく「中国の三国志は日本から逆輸入されたもんだ」とかいう奴いるけどそれって起源の主張に等しい行為なんだよなぁ
>>956 「斬于吉」ってヒール役ですやんw
…はさておき、ご教示dです。
しかし中国でも後世の人気の方が高いのかも。
もっと長生きしてればって、陳登こそそう言えるんじゃないの
そろそろスレ終わってしまうが次スレどうするよ
とりあえず二十四名将のままグダグダ雑談かそれとも名実ともに雑談スレにするか
それとも全く別の何かを決めるスレにするか
現状維持でいいんじゃねーの
雑談に対して「スレ違い」だと喚きたがる人が多いと面倒くさくなるけど、まぁそれもそれで…
>>960 何言ってんだか
選出スレで名将議論とは関係無い雑談を引き伸ばしてる輩の方が迷惑だっただろ
常時喧嘩腰でやたらと噛み付くあんたも大概だったな
「三国志 考察スレ」
で雑談スレ化すれば良くない?
原理主義者は自分がマイノリティだって気付いた方が良いよ。
今までの雑談って基本的に名将談義からの脱線だったから
脱線源が無くなるとどうやって話題見つけて来るのかって思わなくもない
今夜のおかずがどうとか自民党がどうのとかとかみたいな、本当に全然関係ないものや荒らし反らし傾向の雑談はほぼなかったしな。
潔癖にキーキー騒ぐヤツの方が浮いて見えた。
結局現状維持が最も無難なような。
967 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/19(土) 02:13:37.28 ID:faG2hv/S0
>>958陳登は長生きしてたら、勢力を広げて独立する可能性もあったのかなと思えてくる
劉備が徐州で曹操に反旗を翻した時、陳登は静観してたのがなんか怪しい
名将に関してはある程度の結論は出ちゃったし、漠然と考察スレ立てても過疎るか荒れるだけじゃない?
このスレなんて正史準拠って書いてるのにも関わらず、正史否定論者というか関羽信者が紛れ込んで来てたわけだし
雑談スレにしたら逆に勢い落ちるだろうね
話の軸があるからこそ色々話せたわけだし
次スレも名将スレにするなら、もっと異民族戦線も拾ってほしいな
特に今まで完全に空気だった交州方面
呂岱なんかが確定枠になれるとまでは思わないけど、議論枠に入ってないと議論対象にすらならないし…
ここもずっと人がいたわけじゃないし、寂れる時は寂れるよ。
もっとも前に盛況だった中国史上最強スレは誰が最強かで、色々問題はありつつもたくさん意見が出てたが
最強決定なんて無理→語るスレにすべき ということで紛糾した後変わったら
俄然勢いがなくなったの見ると、無理に選出とか決定を外すとつまらなくなって人が消えるのは流れとしてある。
ですよねー
もうスレ残り少なすぎるからとりあえず次スレは名将二十四のままにして
次スレで名将の次は何を決めるかをちゃんと考えるってことでいいんじゃないか
ド過疎板の中ではぶっちぎりの勢いだけど、まぁ知れてるからな
数日以内にレスがほしい、というような姿勢だと反応の薄さに萎えるかも知れん
勢い11,4は圧倒的だね
2位4,8、3位4,1x2、5位2,3…
2位に2,5倍もの差をつけてる
平均で日に11レスか
8位のスレで既に日に1レスを割り込むこの板にしては、ありえないほどの大人気
他にちゃんとした話し合いをしたい人は各自でスレを立てればいい。
このスレは現状維持で継続するんで問題ないでしょ。
>>971 あそこは荒らしが湧き過ぎたのと、
史実に沿って話してた人が多いのに、1の文章的に史実に沿う必要性が無くて
それじゃあまとまるわけもないってなってみんなやる気なくしただけでは。
だよな
このスレも次スレ立てる時は、ちゃんと正史準拠って
>>1に書かないとああなるよ
既に書いてると思う。
>・正史を基準とする
>>971 無駄に荒れなくなっただけだろう。
最強スレはあれでいいよ。
決めるにせよ、語るにせよ「最強」なんだから
決定打に欠ける正史オンリーでは個人論の押し付け合いで
荒れる流れが加速したんだと思う。
こことはスタンスそのものが違う。
というか、ここのように正史を絶対視するようなスレじゃないからな。
人は人、ウチはウチだからな
最強スレはなんでもアリなんでジョーカーみたいな関羽だされたら
他の人物が霞んでしまったようなもんだ
極論だが正論でもある
なので会話がなくなっちゃんだんだよな
関帝様の完熟論より、正史談義の半熟な方が議論に熱がこもるのも道理だ
ループしやすいも難点ではあるけど
>>979 >>980 まだこのスレを監視してたんですか、ご苦労さまです(^J^)
あっちのスレでは関羽信者はスルーする方向で固まっただけですよ
頭硬すぎて反論しても意味が無いからね
>>761でキク義を三国志枠に入れていいのかどうかって程度じゃないかな
984 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/20(日) 23:29:37.63 ID:IDiNIA9p0
袁紹は三國一の名将である。なんたって名族なのだから。
汝南袁氏の嫡流は袁逢→袁基→袁術だけどね
986 :
2:2014/04/21(月) 00:18:33.70 ID:IzXo28yq0
次スレのテンプレの為に、今までの議論を拾えるだけ拾ってみましたが、こんな感じで宜しいのでしょうか?
議論対象を増やしてスレを枯らさない意味でも、絞る方向ではなく広げる方向にしてみましたが。
・確定枠(17〜21)・
後漢
魏:曹操 (夏侯淵) 曹仁 張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙
他:(麴義)
三国
魏:曹真 司馬懿 満寵 (田豫) (毌丘倹) ケ艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜
・議論枠・
後漢
魏:曹洪 陳登 臧覇 文聘 梁習 張既
蜀:関羽 馬超
呉:孫堅 孫策 賀斉
他:皇甫嵩 徐栄 郭 呂布 黄祖
三国
魏:夏侯尚 曹休 賈逵 王淩 胡質 郭淮 陳泰 王昶 王基 鍾会
蜀:魏延 王平 馬忠 張嶷 姜維 羅憲
呉:朱然 朱桓 呂岱 諸葛恪 丁奉 陸抗
晋:石苞 羊祜 杜預 王渾 王濬 馬隆
他:軻比能 樹機能
990超えたらスレを建てるかね
このスレを立てたけど、スレ立て制限はさすがに切れてるよな