1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/20(金) 12:03:40.14 ID:+6AZgorN0
劉バン!
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/20(金) 21:15:15.35 ID:33QKuKCP0
項羽は泰平な世の中で国政をしてるよりも
戦乱の世の中で戦っている時の方が輝いてるな
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/21(土) 12:49:47.41 ID:nBBBsfRZO
巷間の評価はともかく、劉邦の方が残忍だと思う
確かに戦で殲滅とか大量虐殺はしてないけど、粛清前提で利を喰らわす戦略は悪党でないと
でも劉邦は韓信を謀反の疑いで降格した時に、悪い事をしたと気にしてる。
項羽は気にする以前に充分な分け前を与えない。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/21(土) 21:38:35.93 ID:wdhED8Kp0
>>4 何故か天下取った後の劉邦は始皇帝のように猜疑心の塊になったんだよなあ
項羽と戦ってた時の方が名君らしさはあったかもね
何だかんだで劉邦は頭良くて狡猾だからじゃないのそりゃ
劉邦陣営は知恵者揃いだが、結局は当の劉邦自身が
知恵者は知恵者であると見抜ける人でないと(天下を取るのは)難しい
ま、年も年だし(挙兵時点で当時じゃ老年期)伝わってるだけでも老獪さは感じる生き方ではある
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/22(日) 20:10:08.24 ID:kW3YDK5W0
項羽は一度は天下取って西楚の覇王とまで称したのに
何で楚王朝を興さなかったんだろうか
>>6 蕭丞相世家見てると、楚漢戦争の頃から猜疑心を抱き始めているよ
あれだけ広大な領土を、規範も君臨する歴史もないなら疑心暗鬼になっても仕方がない気がする
でもそれで割を食った盧綰は泣いていい
>>9 あれは楚王朝だったとしても良いと思う
史記を精査すると、項羽の称号は楚王として扱われている
秦の失敗から一国で全土を統べる皇帝制度を廃止して、
覇者体制で君臨しようとしたんだけど失敗したのが項羽
粛清は呂后が噛んでるのがあるからねえ
それに個々として見ていくと韓信も完全無罪とは言いにくいし
英布は追い詰められたとはいえ挙兵してるから
完全無罪とは言えないどころか、味方見殺しにして自分の功のために降伏した斉だまし討ちにする奴を信用はできんわな
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/27(金) 07:07:44.77 ID:6+wLNgj20
事後に手柄全部引っ繰り返されてクビ食らう経営者よりも
吝嗇ながらも一本気で部下に優しい社長の方に就職するだろ
北方に領地を貰うと猜疑されて滅ぼされ、
内地に領地を貰うと奥さんに粛清されるんですねわかります
劉邦が粛清したのは単純に君主権力を増大させたかっただけ
項羽はそれができないから諸王の中で一番有力な王みたいな位置付けで終わった
劉邦は有力な王は全員粛清して皇帝の直轄地を増やした
結果中国を皇帝が太守を使って治めるという支配体制が完成した
その中に申し訳程度に諸侯が領土貰ってるだけで
劉邦は良い意味でも悪い意味でも物凄い野望に溢れたキチガイだったんだよ。ナポレオンとか朱元璋とか本当の偉人ってみんなキチガイじみた逸話が多い。
そもそも劉邦を優しい人だの言ってる奴はまともに楚漢戦争勉強したことないだろ。
項羽はバカで野望も小さいから目先の利益にとらわれて虐殺した。
劉邦は狡猾で野望が大きいから大利のために善人を演じた。それだけ。
項羽は劉邦と比べると余りにも凡人すぎる。というか項羽が凡人というより劉邦が恐ろしいほど狡猾でデカい人間だっただけだけど。
なんで批評家きどりって
〜だけ
〜しただけ
〜だっただけ
って言いたがるのかね
皇帝の直轄地を増やしてないし、
諸侯の力を削って郡県制に移行する政策を取ったのは劉邦じゃないし、
項羽と劉邦を比較して、野望がどうとか狡猾だからどうとか、論が浅いし
なんかもう史記と漢書百回読んで出直して来いってレベル
>>16 断定口調が気持ちいいからじゃね?
使ってみるとわかるけど、なんかやり遂げた気分になれる
劉邦は戦後、各地の王になった者を次々と謀反の疑いを掛けて失脚させて
更に自分の親族を王に立てたのは史実
親族を王にしたから皇帝直轄領にはなってない。
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/30(月) 22:31:11.60 ID:KQSVxxb40
前漢を建国したばかりの初期の頃は統一王朝とはいえ結構荒れてたな
劉邦の粛清意外にも呂后の女の復讐劇や専横は凄まじいものがあるし
その後も劉氏と呂氏の争いがあったし平和が訪れるのは文帝の代かな
直轄領になってないのも事実だし、実質的な直轄化への第一歩だったのも事実
どっちか一方と言う話ではない
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/01(火) 03:06:37.97 ID:VbMKwWgS0
何て言うかそういう施政行いも去る事ながら
残ってるエピ全般に人情・愛情の薄さが漂うような
家族とや郎党達との話も結構酷いもんだし
共に戦った功臣の首を挿げ替えるのも殺すのも
一連のエピソードの一つで駄目押しなだけだから
英布が反乱を起こしたのも彭越をハムにしたのが切っ掛けだし
功臣の扱いにはひどいものがある
そもそも彭越も韓信も楚漢戦争の際に反目しまくってたじゃん
韓信で言えば印を放り出して寝てたり援軍要請無視したり
そのたび劉邦は内心ブチ切れてたんだけど「この戦いに勝てばこんなカスぶち殺せるんだ...!!そのために今は耐えるんだ」って思い決めて耐えてたんだよ
そして粛清を重ねた結果冒頓単于に白頭山の戦いに負けました
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/03(木) 17:31:57.81 ID:2I4gfog50
>>24 そう考えると劉邦の敵でありながら最後は赦免された季布はいかにも
成功者って感じで好きだな
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/03(木) 18:17:03.12 ID:qEjrvnEiO
反目してなくても酷い目あいまくってる訳だが
劉邦陣営は…
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/03(木) 23:55:56.47 ID:AejRV93y0
冒頓は当時世界ランクでも最強クラスだかんなあ
仮に楚漢を戦い抜いた奴が揃ってても勝てたかは微妙なとこ
章邯の活躍ぶりはすごいけど初陣の韓信にあっさり破れるんだよな・・・
韓信が国士無双の名将とはいえやはり老いたのか
韓信て何で強かったの?
兵法に書かれていないような斬新な戦術を魅せたから
ファンタジスタかよ!
章邯に勝ったのは、劉邦の人気にあやかったからじゃね
少なくとも史記ではそうなってる
それでも別働隊率いてからは、魏・代・趙・斉・龍且・項羽と負けなし(しかもこの間わずか3年未満)
これだけ強いと理由を探したくなるんだけど
史記だと韓信の前半生は、淮陰のニートとしか書いてなくて困る
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/06(日) 16:41:44.40 ID:nPjMOWWc0
韓信も蒯通の説いた天下三分の計を用いていれば違ったかもしれない
蒯通も生まれた時代や仕える君主が違えば諸葛孔明みたいになれたかもな
またくぐりが強さの秘密さw
劉邦、韓信、陳平と漢陣営はニート揃いだな
張良も韓滅亡後どこにも仕えなかったからニート?
仕えなかったけど始皇帝暗殺とか活動はしていたろう。
韓信はニートつっても密かに勉強していたのでは?
逆に兵法書を一切読まなかったから柔軟な戦術が可能だったのかも知れんが
あと劉邦はニートどころかバリバリの公務員じゃねぇか
30歳までブラブラ手伝いもせず遊んでたんだから立派なニートだろ
結果的に自立したとはいえニートには違いない
張良:テロリスト
劉邦:公務員
項羽:指名手配犯
韓信:ニート
劉邦はニートというよりは現代で言うDQNとか暴走族に近いだろうよ
韓信はお前ら系ニート
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/07(月) 20:33:00.12 ID:DChostll0
>>33 韓信は兵法書の応用が上手いからなあ
春秋戦国に趙括という大失敗という前例があったからこそだけど
三国時代に徐晃が韓信の背水の陣を真似したら失敗した例もあるし
>>39 >逆に兵法書を一切読まなかったから柔軟な戦術が可能だったのかも知れんが
少なくとも孫子の兵法は読んでいた筈と思った。
>>44 徐晃が真似して失敗してるんだ、それは初めて知ったわ
背水の陣を真似して失敗した、ってよく聞くけど実例はよく知らんのよ
>>45 井ケイの戦い後に孫子を語ってる奴だね
漢の軍制(少なくとも司馬遷の頃まで存続)を制定したり
兵家っぽい李左車に敬意を表していたり、叩き上げの将軍って感じじゃないよね
韓信の背水の陣って項羽の鉅鹿での食料を三日分以外捨てて...って奴を意識してんのかね
徐晃の背水の陣って演義じゃん
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/10(木) 17:31:35.70 ID:PrVKzz3g0
韓信は軍事は天才だが出処進退を誤ったことは司馬遷に手厳しめに評価されてるね
「もし韓信が謙譲の気持ちを身につけ自分の才能と功績を誇らなかったならば
周王朝の太公望のように子々孫々まで繁栄することができたであろうに」
「天下が治まってから謀反を企てたのでは一族絶滅の悲運を招いたのも
止むを得ないではないか」
横山の漫画で青い服の少年(項羽)は赤い服の少年(劉邦)を77回殴って劉少年は一回殴って項少年を殺したってあるけどさ
項羽が劉邦をフルボッコにしてる間、韓信が脇腹を殴りまくってよろめいた所を右ストレートでKOしただけだよね。
劉邦は項羽のサンドバッグにされ続けただけ。
まぁ比喩だから良いけど劉邦の負けっぷりと余りの弱さに笑った。
>>36 ニートと言っても家でゲームしてアニメ見てるヤツと
オンナに貢がせDQNを引き連れて街で遊んでるヤツではタイプが違うよね
劉邦:DQN系ニート。俺らの敵。
陳平:真面目系クズ。若い頃は浪人してた。エリート。
韓信:お前ら系ニート。
なんか劉邦の方が親近感あって項羽は暴虐で怖いってイメージだけど実際会ったら項羽の方が優しくて慕われるような人なんだろうね。
韓信の問いに「自分は項羽より優しくない」みたいな事言ってるしさ。
権力者と才能ある人間と女には優しいけど度胸無い奴とかにはおそらく冷たい劉邦。加えてすぐに人を使い捨てる。
政治は不平等だけど貧民に自分の衣服を分けたりと弱者にも優しい項羽。あと恋愛観は一途。
韓信は今でいえば「そのうちビッグなミュージシャンになるから」
「俺の才能を買って誰かスポンサーになってくれねえかなあ」とか
言って周りからは虚言癖があると思われているフリーターの印象
バイト後のファミレスでもビール片手に大声で自分の
能力を自慢しはじめ店員も客も迷惑顔
ついに痺れを切らした不良少年が外に出ろとシメあげると
土下座して股をくぐり許しを請う始末
これ以降よりどうしようもないヤツという評価に
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/11(金) 22:02:21.19 ID:ft+/U/D40
>>52 よく項羽と劉邦は対照的な人物だと言われているからね
項羽は礼儀正しく思いやりがあり部下が負傷すれば優しい言葉をかけるけど
論功行賞になると手柄のある者にも出し惜しみをする
反対に劉邦は下品で傲慢で礼儀知らずな振る舞いが多いけど
物への執着心があまり無く功ある者には気前良く恩賞を与える
他にも二人が対照的な人物であるという有名なエピソードに始皇帝の巡幸の話があるね
そういや、虞美人の「美人」って後宮の女官の称号だから
確実に項羽には皇后(あるいはそれに準ずる地位の正妻)が居るんだよなあ
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/12(土) 09:09:47.72 ID:uolXLGzE0
始皇帝の巡幸のエピソードって、項羽は殺害予告発言を伯父さんにたしなめられることだよね?
劉邦のほうになんかあったっけ?
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/12(土) 12:35:14.30 ID:LP0VIaqj0
>>57 劉邦の場合は「俺も男として生まれてきたからにはああいう風になりたいものだ」
と言ったというエピソードだよ
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/12(土) 17:26:06.59 ID:8+j29a110
劉邦の気前の良さは打算だと思うよ
生来物惜しみしないタイプでは無さ気
後から結果見てるからかも知れんが
>>53 しかしそんな彼を憐れんだ項羽社長は寛大にも
自分の芸能事務所に所属する事を許す
まずはライブハウスで下積みを命じられるが・・・
韓信「俺は東京ドームクラスだ!」と脱退
夏侯嬰「韓信がうちに所属したいとか・・・」
劉邦社長「韓信wwwwwいらねえよwwwww」
夏侯嬰「でもライバル事務所を辞めたやつを
雇って度量ある社長を演じる方がよいのでは?」
劉邦社長「お前、何が『演じる』だよwよく分かってるじゃねえかw」
夏侯嬰「では採用ですね」
蕭何プロデューサー「ん?売り出せば韓信ブーム作れるかも?
でもあの性格ではブームが去ったらクビですね」
劉邦社長「使い捨てって事か・・・ククク
韓信「社長!東京ドームでやらせてくれ!」
劉邦社長「・・・いいぜ」
無駄に長々と、おバカって自分では面白いと思ってるんだろうねえ…
匈奴征伐の時に韓信が兵を率いてたら勝てたのだろうか
少なくとも劉邦よりはまともな結果にはなってただろうけど
武帝の時代に逆転したけどな。
そもそも劉邦が匈奴に朝貢したのも国力差の問題じゃなく一戦の敗北で命を助けられたからだろ
その後も背こうと思えば背むけたけど義理と威信にかけて匈奴に服従したのでは?
なんで項羽との戦いで連戦連敗して自分の弱さは身に染みてるはずなのに反乱軍鎮圧戦では自ら軍を率いたのか分からん
韓信じゃなくても劉邦以外の将軍なら勝てなくても負けることは無かったろうに
まぁ匈奴が強いというより冒頓が韓信レベルで強いだけだな
劉邦が勝てなかったのは、匈奴に対する情報不足。
武帝も、匈奴攻略を決めてから、西域の調査に乗り出しているし、
数年かけて、調査団が還って来て喜んでいるのを観て分かるように、
匈奴を倒すには、燎原にて会戦をするだけでなく、砂漠地帯を通って
十分な兵站を築いて、後方支援もしないといけないから、莫大な戦費と
兵隊がいるという事になる。遊牧帝国のフットワークの軽さからして、
背けたという事はないんじゃないか?敵はどこからでも攻め込めるという
事だから、辺境の民の安全を鑑みたとは言えるだろう。
騎馬軍は匈奴が圧倒的に強いんじゃなかったっけ?
>>65 項羽との直接対決以外では割と勝ってる
英布の評を聞くまでも無く、韓信の次に有能な将軍って劉邦ってことなんだよ
韓信の慎重さなら情報は予め収集してただろうし
騎兵だけで深追いをするようなかつての馬陵の戦いみたいなマネはしないと思うんだけど
思うのはいいけど、結局戦ってないからなあ
韓信が匈奴と戦っていないのは、後世の呑気な視点だけど惜しいわ
前漢成立時点では韓信でさえ冒頓単于率いる騎馬民族軍に手も足も出なかったのか
それともうまく計略に引っ掛けて殲滅できたのか、妄想でしか語れなくなってしまった
でも冒頓単于の生涯が楚漢戦争みたいに面白い読み物になってたら
多分韓信じゃ絶対勝てないだろうって風潮になってたんじゃないかなあ
史記補正はあるよね絶対
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/14(月) 14:01:56.33 ID:0RO15G8o0
>>70 冒頓単于に対して楚の項羽と戦った時と同じ采配、人材を使っていたなら
どういう戦局になっていたか想像するのもまた面白い
勝利は出来なくても引き分けに持ち込めたかもしれないし
冒頓単于も、その前半生は英雄そのものだよねえ。無頼上がりの韓信とはタイプが全く違うという感じ。
出師の軍に勝った事によって、中国の支配者たる自信を内外から失ってしまったのが、
冒頓単于の戦勝によるものだが、漢の史書をも乗っ取ってしまった、というのは行き過ぎ
じゃないかな。列強が北米の蛮族達を、西洋の言葉で、食人とか、悪魔とか烙印付けしたように、
中国文化における書物の伝聞は、正史によるもので、敢えて、匈奴を強勢にしたのは、
どこかの国のような捏造ではない、情報を重んじる正常な文明があった証左でもある。
つまり、冒頓単于の強いところと脆弱なところを、事細かに論じたのは、中国の民度の高さの証と。
史記を記述してるのが匈奴の件でチンコを切られた司馬遷だということを忘れてはいけない。
匈奴に敗れた事が、それだけ漢全体の失態だったと言う事だろうね。
無職で無頼上がりの韓信が勝てたかどうかは置いといて、三国時代における
魏の司馬一族が、陳寿の正史の執筆を認めたのと比して、当時にすれば
宇宙外来の敵に等しい異民族に敗れたのは、同民族の蜀呉とは次元が違う、
という事になる。中華思想という思い上がりが無い時代であるのは変わらないが、
三国時代はモラトリアムの時代にあったとは言えよう。対する前漢の時代には、
漢との二国間関係であって、権威派の失墜が、分裂の危機にならなかったのは、
漢の国力が精強であったからで、江南の蛮族が天下に届く事が無くて良かった、
とは思う。
>>75 バカが無理して難しい文章書こうとして失敗した例
何が言いたいのかさっぱり分からん
ここまで内容の無い文章も珍しい
>>72 その楽しさは認めるけど、結局いくら議論を重ねても
妄想でしかないよなあ、と個人的に思うんだ
あくまで個人的に思うだけで、あれこれ想像する楽しさは否定しない
楽しいなら良いだろ
ここは学校でも研究所でもじゃないんだぞ
劉邦って白頭山の戦いで歩兵主体の軍で来たのに
騎兵だけでしかも大将である自分が敵陣に深追いして囲まれたんだよね
こんな有様じゃ戦が下手だと思われても仕方ないと思う
やはり韓信が言った通り兵の将としては凡将だったんだね
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/15(火) 13:28:18.81 ID:LTH6m/lo0
りう バン!
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/15(火) 19:13:05.21 ID:V72y3qDP0
戦国時代、秦王朝、楚漢戦争、前漢建国と四つの時代を生きた
張耳ってかなり長生きじゃないだろうか
というか戦国時代→秦→楚
が15年だからな
そっから数年で漢になる
戦国時代→前漢が20年もたってないんだよ
対匈奴戦は、攻める側が不利。
敵は遊牧民だから、どこを落とせば敵が壊滅するといった場所が特定しにくい。
中国の当時の兵の戦力の主軸は歩兵だからね。
戦国〜漢成立までの戦争は、
堅い陣を築いて籠城するか、攻城兵器で城を攻め落とすかで、
春秋時代のように、戦車で戦場に出向いて遭遇戦をやったのとは大きく違う。
草原で大群同士の正面対峙は、歩兵では負けに行くようなもの。
補給を断たれたらそこで死亡だ。
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/17(木) 03:58:04.58 ID:v1loxJ5X0
>>41 正真正銘のニートから大将軍と化した韓信こそ最強だろw
韓信みたいに王になると野心がなくなるのはなんで?
王様にまでなったらあえて死の危険を犯して皇帝を目指す意味が無い
>>86 現代で例えるなら、世界統一皇帝の地位を狙うor日本国王で満足するのどっちがいい?
という質問になるな
統一中国の統治が困難なのは、秦と項羽が証明しているし、
王国で満足するのが現実的だと思ったんじゃない?
結果的に、彭越も韓信も滅ぼされちゃったけど
韓信が傲慢になったのは?通の?食其を見殺しにした斉攻撃の策が原因ではないかと思う
?通が韓信を煽らなければ楽穀を凌ぐ名声を得ることが出来たんじゃないかな
文字化けした・・・
?通はカイ通、?食其は?食其です
>>89 斉攻撃が韓信変貌の最初の記述とはいえ、それが原因とするのは短絡に過ぎね?
それなら、その直前に起こった自軍を劉邦に奪われた事件が原因の方がしっくりくる
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/19(土) 12:42:50.19 ID:7xz29ff10
韓信は末路が哀れだからなあ
范蠡、范雎、張良のように引き際を心得ていなかったと考えられる
斉を攻撃しなければ楽穀に匹敵する聖人なれた
斉で独立すれば曹操や劉備に匹敵する姦雄となれた
中途半端だからこうなったんだよね
確かにあれだけ反目して命令無視しといていざ反乱起こせって言われたら忠臣装って拒むって意味分からないよなぁ
忠臣になるか奸雄になるかハッキリすべきだよね
義経といい韓信といい何故こういう立ち回りが鈍いんだろ
独立して王朝を開いた陳勝・呉広の陣営にいた人たちに比べれば、韓信は漢王朝の忠臣だったと言えるのではないか。
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/20(日) 13:14:51.10 ID:KsjSH8tA0
>>93 韓信は蒯通の説いていることを用いているのか用いていないのかよく分からない
斉を平定して斉王になった所までは蒯通の勧めに従っているけど
その後の天下を三分する勧めには乗らなかったりと中途半端
項羽が秦兵20万を穴埋めにしたときも長平のように秦兵に掘らせたのかな
それとも秦軍に悟られないように楚軍自ら掘ったのかな
>>97 新安で秦軍20万を生き埋めにしたときは長平と違って
楚軍が秦軍の陣に夜襲をかけて崖の下に追い落として皆殺しにしたらしい
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/23(水) 19:15:30.76 ID:wSntgJMn0
>>95 王が罪を着せて功臣を処刑していたんだから自立するしかない。
苦しみを共にできても楽しみを共にできない。
器に見合わぬ才能を持った者の末路。
中国のドラマ見たら韓信が気弱で心優しいニートみたいな感じで描かれてた
日本の韓信像ってもっと堂々としてる感じが多いよね?
少なくとも横山の漫画では飄々とした偉丈夫だったし
>>100 >器に見合わぬ才能
済みません、意味が判らないんです。
器、人間としての器量・度量に対して、才能があり過ぎってどういう事ですか?
才能(韓信だと軍事・経略等?)を含めての器ではないんですか?
それとも韓信って、小心者で猜疑心の塊で人望も無くどうしようもない奴だったけど、軍事面の才能だけあったって事ですか?
高祖に対処するだけの智謀とか野心とかが無かったので
身に余る軍才がかえって身を滅ぼす結果になったという事でしょう。
張良のように隠遁するとか、蕭何のように細心の注意を払って機嫌を取るとか、
韓信にはそれが出来なかった。
韓信は逆に猜疑心がほとんど無かったから粛清されるとは思ってなかった
>>102 道家の思想では、徳(あるいは道:タオ)を備えない人間が素晴らしい才能を持つことを危険視する。
その徳の大きさが器であり、才能はその入れ物の中身ということ。
徳が備わっていないと、自己中心的な動機でその才能を使ったり、
才能を見せびらかすためにやらなくともよいことまでやったり、
結果として自信に災いをもたらすことを危惧する。
日本でも、学業優秀な人がオウム真理教にはまってテロの片棒担いだりすることがあったけど。
結果から言うといっそ才能なんかないほうがよかったと思われる人が、歴史上には沢山いるわけです。
張良が才能が有りながら自分の人生を全うできたのは、
求められたときにだけその才能を発揮して、私的に用いなかったから。
高い才能は同時に、それを制御できる人間が持つべき、
強烈な才能ほど隠さなければいけないという道家の基本的価値観を
張良は持っていた。
張良の引き際って范蠡に倣ったのかもしれない
張良は范雎と同じくしっかり商鞅、呉起、文種、伍子胥の末路から学んでいたんだな
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/26(土) 00:01:26.92 ID:kK9U7BGa0
韓信の見栄っ張りなところは史記からも感じられるよな。
股をくぐらせた男を探し出して出世を見せびらかしたり、
漂母にたくさんの金を与えた後で、昔自分を追いだした亭長には、
小遣い銭程度の金を与えてわざわざ恥をかかせるために呼び出した。
韓信への疑いが本当に濡れ衣なら、ともに戦った灌嬰や曹参が弁護したはずだ。
韓信が捕まった時に、捕まえる側に灌嬰がいたのは・・・・
つまりそういうことだったのだろう。
というか韓信は斉王時代から劉邦の命令に背いたり「王様になりたいな♡」って脅したりしてるし劉邦が恨むのも当然でしょ
日頃の性格とか以前に明白な反目行動起こしてる
高祖は亭長の時と皇帝の時と違和感なく天才的にこずるい。偉くなって気を使う必要なくなったので刃向かう猟犬達を殺しただけ。項羽は高祖に再三だまされた純粋な英雄。敗者は歴史で人格まで否定され残虐だったからしょうがないといわれるはめになる。松平信康 豊臣秀次とか。
韓信は「狡兎死して良狗煮られ、高鳥尽きて良弓蔵われる」の例え通りになってしまったな
韓信に関わらず劉邦に携わった宿将のほとんどはそうなった
韓信の態度が他と比べて良かろうが悪かろうが関係は無いよな
まあどっちにしても勝者の記録だし粛清する側の都合な訳だけど
劉邦は史記でもかなり問題だらけな性格だと思うが
>>111 英布の場合は謀叛を起こして劉邦に討伐された後
最期はどうなったんだっけ
英布は長沙王・呉臣の元へ向かったが、呉臣は匿う振りをして寝首を掻いた
その事から長沙王は、劉氏以外王にしてはならないという誓いの例外になれた
>>111 宿将で粛清されたのって、未遂をカウントしても
樊カイと異性王だけじゃねーか
>>115 なるほど、ありがとう
劉氏以外でも王になれた人がいたのは知らなかった
英布の反乱は失敗したけど劉邦に一矢報いたよね
その傷のせいで寿命が縮まったし
漢王朝誕生後も劉邦に粛清されず、劉邦の片腕として戦ってきた将でありながら
呂后にも誅殺されずに生き延びた灌嬰って凄いな
>>120 列侯どまりの武将はほとんど粛清されてないから特別珍しいことではないよ
呂氏時代は、斉王の反乱の討伐軍率いてること考えるとむしろ呂氏派に近づいていたんだと思う
韓信も候で満足していれば生き永らえただろうしね
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/03(日) 14:23:03.45 ID:n1ZtiRoR0
なんで樊かいなんかと同レベルじゃなくちゃいけねーんだよ!
蕭何が劉邦に対して行った保身術って
王翦が始皇帝に対して行った保身術に倣ったのかな
韓信は蕭何を信じてたが蕭何は劉邦に味方し
彭越は呂稚に頼み込んだが逆に讒言された
英布は呉臣を頼ったが寝首を掻かれた
この3人は信じてた人に裏切られたんだね
韓信と英布は謀反したから仕方ないけど
彭越は、韓信に同情したのがいかんかった。
韓信を接待したときに上座にあげちゃったしね、
韓信は韓信で彭越なんぞと同格になってしまったと陰口叩くわ、
彭越のもてなしも空回りw。
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/04(月) 10:21:24.47 ID:NK2JU0qf0
季布
鍾離昧
龍且
>>126 一瞬何言ってんだコイツ、と思ったが樊カイの間違いか
びっくりさせやがって
>>127 無言で名前だけ挙げて何が言いたいの?怖いんだけど
韓信が斉王になりたいという手紙をよこして張良が「ここで怒れば韓信は独立します」って言って劉邦が我慢したとき、
張良陳平は「これは天下が平定されたら韓信は殺されるな」と思っただろうな
>>130 むしろ記録されてないところで「天下統一後に韓信を殺す手立ては我らにお任せを」くらい言っていても不思議ではない
劉邦個人の人柄の問題でしょ
どいつもこいつもみんな猜疑心強いとかあり得るの?
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/04(月) 15:13:02.41 ID:aUXr5j+z0
劉邦が旧六国の王族・貴族とかだったら粛清はしなかったと思うけどな
劉邦の身分が一般市民だったがゆえに粛清をせざるを得なかったというのは共通認識でしょ
公共の秩序回復の手段として、内乱の芽を摘む方法はそれしかないんだから
ヘタに甘い顔したらつけあがるぞ「お前が皇帝になれたのは全部俺のおかげじゃないか」って
身分が同階層だとそうなるよね
劉邦の粛清よりも秦末期の趙高の専横の方が酷い
趙高は才能ある者に次々罪を着せて誅殺していったのに
秦の名将の章邯だけは何故か殺されなかったな
中国の歴代初代皇帝って成り上がり者が多いからコンプレックスのせいで最終的に猜疑心の塊になるんじゃない?
統一まではそのコンプレックスをバネに頑張ってこれたわけだけど
劉邦にしろ朱元璋にしろそうじゃん
逆に王族出身の光武帝は粛清とか一切しないし
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/04(月) 16:25:20.17 ID:aUXr5j+z0
>>135 劉秀とか、一応王朝に連なる家系だから、身分がそもそも違うじゃん
粛清するとしたら劉氏に向く(事実明らかに邪魔になりそうな劉氏は排除したり
降伏とか受け入れてなかったりする)
身分や社会の秩序回復は平民出身よりずっと楽
存在そのものが身分秩序を体現しているんだから
でも、粛清しなけりゃ偉いという話でもないと思う
非情だけど後世の禍の芽を摘んだ、という評価があってもいいんじゃない?
劉邦は妥協案の郡国制を採用せざるを得なかったんだから
異姓諸侯が力持ってたら内戦は必至、劉氏ですら内戦起きたくらいなんだから
ちゅーか、史記的に劉邦が積極的に粛清に走ったのは、
匈奴に隣接する異姓諸王(臧荼・韓王信・張傲・盧綰)か
反乱起こした奴ら(利畿・陳キ・韓信・英布)+彭越くらいだと何度言ったら
そして、この中で100%同情していいのは、楚王時代の韓信と彭越くらい
彭越の粛清の経過は哀れすぎる
鍾離昧匿ったのが理由だからね
元々親しい間柄だったから気持ちもわかる
だけど匿うにしても中途半端だし
忠誠を示すにも中途半端だったのが悪かった
それはどう考えても直接的な理由でなくて言い掛かりだろ
最初から韓信を殺すつもりだったんだろうし
彭越は項羽を何度も裏切ってるし味方とは言え味方だからこそ信用されないのは当然
斉を口説いて項羽を挟み撃ちしよう→俺は攻撃中止聞いてないから攻めるやで〜
韓信を呼んで項羽と戦おう→兵を出すのに王位を要求してきた・・・
劉邦サイドの戦略に待ったかけてるようなものだからね
すぐ殺害しようとしなかった分慈悲深いくらいだ
>>140 彭越が項羽を裏切る……?
そもそも十八王体制に組み込まれていない彭越がどうやって項羽を裏切るのか疑問符が
>>141 1番目は劉邦も悪い
韓信に攻めさせる裏でレキ食其を派遣してるんだから
まあ、2番目と併せて韓信が野心を表した事件として認識すべきだろうけど
だったらなぜ自立せずに項羽を挟撃して、
項羽死後にあっさり劉邦の奇襲受けて軍を奪われちゃうんだ
中途半端すぎるだろ、韓信
もし完全に劉邦に忠誠を尽くしたなら
疑いが減るし、それでも殺されたなら美名が轟いて評価も上がったろうにな
もし謀反するならするで三国目指すなりしたら皇帝になれたかもしれない
どちらも中途半端にした結果どちらも得られなかった
しかもかくまっていた鍾離昧を殺して鍾離昧にののしられる始末
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/04(月) 23:02:26.45 ID:MN7mWJBo0
>>134 趙高は、故趙の遺臣で、復讐のために故意に悪さをした。
というのが陳舜臣先生の小説『十八史略』中のキャラクター
>>144 忠誠で貫けば、いずれ呂后に屠られていたとしても
蕭何に騙されて処刑なんて最期は遂げなかっただろうから
その後の歴史で何回でも「別働隊の名将」の代名詞として出て来れただろうになあ
ちょっと惜しいわ
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/04(月) 23:05:29.06 ID:MN7mWJBo0
>>135 ルーマニアのドラキュラのモデルになった、
串刺し公ヴラド3世も、
他国の人質→自国の貴族との権力闘争→中央集権化
という流れが似てる。
というか思うんだけど「君主が攻めろって命令出したままだから攻めて良いんやで」なんて言ったの韓信以外にいるの?
別時代じゃあり得ない話じゃないか?
例えばケ艾が別働隊率いて成都に至って劉禅を降した時。ここの鍾会の立場に韓信を当てはめるなら劉禅が降伏した報を聞いても停戦せずそのまま攻め込んで劉禅殺すようなもんだよね。
少し状況は違うのかもしれないけどこの時の韓信の主張が前代未聞すぎて良く分からない。
>>149 大体電話だのなんだのという通信手段の無い時代だから、「命令しない方が悪い、降伏したのはわかってるけど最初の命令どおり攻める」なんてのはおかしいさ
それは現場が判断すべきだ
「使者が来てないだけ」とかかもしれないんだし、それによって味方全体が困ることになるかもしれないんだから
実際に韓信が斉の降伏を攻める前に知っていた以上、そんなのはただの言い訳だよ
韓信に事前通告しておけば確かに暴発しなかったかもしれないが、韓信の側に自分の野心のために主君の計画を台無しにする悪意があったされて当然の事だと思う
斉を討つために兵を練ってただろうところに
突然押し掛けられて兵も印も奪われて、
突撃命令と共に寡兵で放り出された後にこれじゃあ
馬鹿にされてると思ってもしょうが無いと思う
大王相手に怒る方がよりマズイのはわかりきってる事だけど
劉邦は鍾離昧のことは許さなかったのに
季布の場合は何で赦免して用いたんだろうか
匿っていたのが韓信だから、
もともと周氏や朱家のような侠気もなかったので、
自分の保身のために自殺を迫った。
面倒をみるなら最後まで見るべきであるw
そういや韓信って居候してたおっさんには「面倒を見るなら最後まで(ry」とか言ってるのに自分も途中で見放してるんだよね
>>154 『史記』自体がそういう部分から劉邦との関係まで、中途半端にしかできないせいで報いが来た、みたいな構成なんだろうな
韓信が鐘室で処刑されたのって
鐘離昧への含み持たせてるよね、それとも偶然か
だからこそ司馬遷に性格を指摘されてるんだよね
あまりにも普通すぎた
>>149 中国の古典では「陣中に有っては将軍は王命に従わなくても良い」とされている。
将軍が軍事行動をしている時は国の存亡の危機だから、いくら王命でも素人の
判断には従わないという事らしい。
その割には王命に従って負ける例が多すぎるけどな。
こう見ると韓信って技術だけはあるけど中身が無い薄っぺらい人間の典型だなぁ。
淮南で虐められたのもガリ勉みたいな感じだったからんじゃないの?
ガリ勉よりはダメ人間なイメージ。
具体的な行動を起こさず浮浪者してたり、
何を目指しているのかさっぱりわからんという。
その辺の軽薄な人間よりはずっとユーモアやユニークさを感じるけど
人間関係が希薄で付き合いも下手な薄情者だったとは思う。
でも韓信のそういう駄目なとこも含めて愛嬌を感じてしまう。
なんか子供じみた素直なイメージがある。
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/06(水) 20:30:25.22 ID:Cv6DvdcL0
>>162 兵法の勉強の理由は普通に上昇志向の強さの表れだと思う
ただ、斉王になれた時点で、それ以上栄達するというヴィジョンが思い描けなかった
そこで満足してしまったがゆえに、劉邦からの自立という行動にリスクを強く感じ
二の足を踏んでしまったんじゃないかな?
項羽も覇者以上のヴィジョンは抱かなかったわけだし
皇帝になるという野望を実現した劉邦は、ある意味怪物です
最も野心の大きな人間が最後の勝者というのは面白いな
韓信が司馬遷の言うとおり謙虚だったら
漢中で首を刎ねられるか楚で雑兵のまま終わってたかもしれない
自分の才能に自信を持ってたからこそ大将軍まで躍進できたのだろう
だけどその性格を直せなかったからこそ乱世の終わりに付いていけなかった
李左車とか誰か窘められる人いなかったんだろうか
>>167 あいつ李牧の子孫だそうだし趙では偉かったんだろ(適当)
>>169 字幕で最後まで見てしまった
蕭何が格好良かったけどビンタ笑った
韓信本当にのび太っぽいな
ここから傲慢になっていくのかと思うと
日本的な韓信のイメージの時より胸が痛くなるわ
韓信も日本に生まれてればなあ
黒田官兵衛ですら楽隠居できたのに
乱世の将としては間違いなく最高の人材だが
平世の王としては皇帝を脅かせるだけの力を持った存在だからな
韓信が楚王時代に謀反を起こしたら漢は滅びるか大幅に疲弊して匈奴に侵略されるか
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/09(土) 00:10:57.24 ID:iYqFUZRH0
>>172 当時の匈奴に、漢帝国の領域を継続的に制圧し続ける国力や統治機構はなかった
後世の契丹や金と同一視はしない方がいいと思う
(契丹にしても、結局中原の統治は断念している)
人口差ってのはやっぱデカいわ
韓信が劉邦に軍奪われた件、韓信可哀そう的な印象持つけど周亜夫が聞いたら失笑する話やからね
軍のことですらどっか抜けがある
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/09(土) 00:18:54.62 ID:iYqFUZRH0
韓信って戦争以外は残念だよな
なんか中身空っぽっぽい言動も多いし
むしろ楚漢戦争終わった後フェードアウトできて良かったんじゃないの?
生きてたら呂氏の専横で間抜けに死んでそう
章邯も秦の名将で陳勝・呉広の反乱軍を打ち破ったり活躍してるんだけど
後半生は項羽や韓信に敗れ続けているせいで白起や王翦に比べると霞んでしまうのが惜しいな
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/10(日) 13:54:44.27 ID:4d+Q7iz40
章邯ほどかませ犬中ボスキャラってそう居ない
個人的に大好きなんだけどね
秦兵20万を穴埋めにしたのって因果応報だよね
長平での恨みのある趙人も楚軍に居たし死んで当然だと思う
>>178 それはそうだな
そして項羽に恨みを持つ秦の人間が項羽を倒す力となった
因果はめぐるんだな
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/10(日) 21:39:59.54 ID:ftYk+4HR0
因果応報を否定するわけじゃないし因果応報は大抵のものに巡ると思うけどこれに関しては明らかにそれとは別だろ
宗教用語って最初は合理的なのに信者が変に脚色していくから浮世離れしてどんどん胡散臭くなってくんだよ
確かに趙兵が長平を意識した可能性はあるけど当時の秦兵と白起指揮下の秦兵は別だしむしろ秦のキツキツの法によって縛られた被害者だろ
春秋戦国時代で因果応報を見るなら商鞅のそれがまさにそうだと思う
民衆個人のことを考えずひたすら王朝のために法律で縛って監視社会にして結局最後は自分もそれによって囚われる
あとは李斯なんかもあったよね
大量の同胞を殺した民族を恨んでないと言えるのかな?
んなこと言っても、秦兵を虐殺したのは同盟軍である趙軍じゃなくて英布軍ですしおすし
秦統治時代に秦兵は他国から来た労働者とか守備兵を酷使して恨みを買っていたってかいてあるし、
「楚の領地が3戸にまで減っても秦を倒すのは楚であろう」というようなことわざができるくらい楚の恨みは深かったわけだから
秦以外の六国はみんな秦を憎んでいたんじゃないか
184 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/11(月) 20:06:43.19 ID:DhYqjOBm0
呂雉って可哀想だよな・・・
戚夫人って側室の癖に廃嫡を頼み込んでるんだよな
いわば人豚も自業自得
>>176 韓信に負けてたっけ?項羽には完敗したけど。
関中防衛の時に戦ったの韓信だったか。
恨まれて悲惨な最期を遂げたイメージしかない。
何にせよあれは最悪の状況だからかなり割り引いていいと思うね。
呂后って劉邦が沛公になって以降項羽をほろぼす直前に人質から解放されるまで劉邦と一回も会ってない
その間戚夫人とは毎晩会ってたわけだから、そりゃあ呂后との間の子も馬車から蹴り落とすね
188 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/13(水) 16:02:40.81 ID:VOPWgsiR0
張良の墓にあるとされる石を見てみたい
章邯の立て篭もった廃丘をすぐに水攻めにしなかったのは何でだろうね
力攻
↓
堅固で落とせない
↓
兵糧攻め
↓
備蓄が十二分で落ちない
↓
折りよく雨期
↓
水攻め
あたりかなあとも
水攻め=殲滅戦の可能性も高い、仕方なしの非常手段なんじゃね
その年の収穫は絶望的だろうしなぁ。
項羽側の大量虐殺は非難対象で
劉邦側だと擁護対象なのは何故だ?
項羽側も経営的な事情だったのに
ここは漢の官史が集うスレですか?
>>193 擁護も何もそもそも事実として確定してないものと、ばっちり史書に書かれて当時から非難されてたことでは比べ物にならんよ
あと項羽の虐殺って秦兵20万だけじゃないからね
秦軍20万穴埋めはさほど非難されてないと思う
ただ、秦攻略や斉征伐で降伏兵を残らず穴埋めにしたのが非難の対象かと
>>195 劉邦は項羽の罪の一つとして偽って秦兵20万を穴埋めしたことを挙げてるけどな
ただそれだけではなく、それ以前から降伏しなかった城の皆殺しをやるせいで秦攻めの大将になれなかったりしてる
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/20(水) 23:25:20.33 ID:ovHpRfxHO
まるで劉邦はしてないかの如き言いぐさ
198 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/21(木) 20:07:35.35 ID:HQb8RRyk0
文帝に継がせたのってある種の賭けだよね
呂氏の専横で後継者候補が次々と死ぬか
劉氏の血筋では無かったりしたから消去法で決めたんじゃなかったっけ
斉王は呂氏粛清で功績が大きいものの母方の一族が曲者揃いと警戒されたらしい
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/22(金) 02:51:25.32 ID:KkMoIjqG0
魏豹「薄姫はワシが育てた」
陳渉呉広の乱から垓下の戦いまでわずか
7年で劉邦は亭長という下級管理職公務員から中国大陸の皇帝になった。中国漢民族のモデルというべき国家体制をつくり戦いのうち7年後死亡。かなり生臭い男だが
事績で診ると壮大な政治家。
それなりに裕福な生まれで学があるとは言え
強固な地盤も忠実な臣下も精鋭の兵も自ら作らなければならなかった劉邦
助けとなる血筋や正統性もなかった
類まれな政治家軍人なのは間違いない
項羽は若過ぎた。経験少な過ぎ、後10年早く生まれてたら結果は全く違ってたと思う。
項羽は吝嗇癖と虐殺癖さえなければ呉起に劣らない
「項羽の為なら死ねる軍団」を作れたような気がする
勿体無い
>>204 似たような軍隊なら章邯が編成してたな
反乱軍鎮圧のために罪人だけの囚人軍団を考えたのは見事としか言いようがない
敵の首を挙げれば罪を許してくれるとなると兵士達も死に物狂いで戦うだろうし
項梁が長生きしただけでも全然違ってただろうな
項梁は凡将で才能もないから、いずれ死ぬのは必至だが
項梁に才能無いとか冗談でしょう?
着実に名声を高めて動くときを見極めて役所を手際良く制圧して吸収
陳勝が消息を絶ったときに懐王を立てて旧楚の臣を集めた
政治や戦略の才能はかなりの物だと思う
問題は軍事で章邯に遅れを取っていたことだと思う
項梁が討ち死にせずに天下に号令を掛けていれば項羽もまた違った生涯になっていたんだろうな
項羽は叔父の項梁の言うことだけは聞いていたから
>>208 ただ必ずしも確実に後を継ぐとも限らないよな
天下に号令かけるようになって息子も生まれたらその息子に継がせようとするかもしれないし
劉邦を見出して項羽と同格の将にしたことと亜父を見出したこと
陳平が離間の計にかけた4人は多分項梁が見つけてきた
項羽は人を見る目がないから自分の一族だけを重用したけど、項梁が評価していた人物だけは信用したんだろう
項羽の考えは子供
好き嫌いで人を区別する女性的考えだが
20代を考慮するなら仕方ない部分もある
項梁が生きていて経験を重ねていたら
かなり違っていた筈
単純に20代と50近くが対決したら年上が有利
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/08(日) 04:07:46.76 ID:s0IZufK90
曹無傷←つよそう
魏無知←ばかそう
季布は朱家に匿ってもらって後に成功したのに対して
鍾離昧は匿ってもらう相手を間違えたな
214 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/08(日) 21:08:59.42 ID:l8IcUcYJ0
どうせだったら韓信と鍾離昧で謀反起こせばよかったのに
斉制圧した直後もチャンスはあったのにしなかったのは恩義を感じてたからだろう
楚王でも満足してたから恩義を感じてて謀反を起こしたくなったんじゃないかな
>>215 斉制圧したときの配下には劉邦子飼いみたいな将がやまほどいた
こいつらを説得して劉邦に刃向わせるのも、コロして兵を奪い取るのも、どっちもリスクが大きすぎる
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/08(日) 22:33:25.49 ID:m5iC065z0
まあ項梁が生きてたらまるで歴史が変わるな。
劉邦も韓信もどうなったもんか。
それでも多分張良だけは同じように身を全うしてる気がする
生き延びられるとも思えないけどね
乱世において、そこそこの軍事の才しかないのに
それを自覚しないまま軍権握ってるのは致命的じゃないかな
項羽は才気がありすぎて自分以外はみんな馬鹿に見えたんだろう
英雄十指に数えられる曹操なんかも二十代には失敗も多かった
自決せずに楚に帰って再起を図れば歴史は違ってたと思う
>>220 だが項羽はあの最期だったからこそ歴史に名を残した気もするんだよな
白起も項羽も散り際に言った言葉が格好良すぎる
>>220 楚っていっても端っこの端っこだけだからな
「四面楚歌」の名の通り項羽の地盤だったはずのところも大体切り崩されてる
あそこまで逃げておいて自決っていうのは道中で民心を失っているのを感じたからこその自決だろうし
生き延びてももっと悲惨な最期が待っていただけじゃないか?
>>221 自決前までに行った事で既に十分過ぎる以上に名は残る
再起を図って失敗したとしても大丈夫なくらいに凄いレベル
項羽の能力と敗北の経験があれば返り咲きも結構期待出来る
項羽が死んだ場所にも、いろんな学説があるらしいよ
もっとも有名なのは、項羽本紀にある烏江説だけど、
・南陽説(項羽の死体を奪い合った五諸侯の封地の場所が根拠)
・陳説(陳で追い詰められて戦死。高祖功臣年表が根拠)
というのもある
項羽の死も調べてみると割りと面白いよ
国を滅ぼされ生き恥をさらしてまで生き延びるくらいだったら
潔く自決するという項羽の死に様は夫差と似ているね
>>222 項羽・項梁が旗揚げしたのは、呉だよな戦国時代に楚になったけど。
だから烏口の亭長は江東(というか江南というか)に戻れば再起できると踏んだのかな?
>>224 劉邦が盟約を破ってまで攻撃したのに、最後の最後で取り逃がすという
すべてが水の泡になりかねないようなヘマをするかな?とおもっていたけど
やっぱあの最後のくだりは創作入ってるのかな
陸賈原作だっけ?
「楚漢春秋」って?
>>228 漢楚軍談とかは聞いたことあるけど楚漢春秋は初めて聞いたな
一度読んでみたいな
劉邦は韓信が嫌いだったのかな
大将軍に大抜擢するはいいがそれ以降はあまり待遇良くないし
今、宮城谷が劉邦を主人公に書いてるけど
韓信をどう書くかが気になる
今まで通り才能はあるけどクズな書き方になるんだろうか
宮城谷さんはなんだかんだ劉邦と項羽好きっぽいし評価してるからね
韓信はちょっと難しいな
この時代を扱ったゲームとか出してくれないかな
つ項劉記
>>227 南陽説でも臨江王を頼って項羽が逃げたけど南陽で追いつかれて死んでいるから、
三説中ニ説で、劉邦軍は項羽を取り逃したことになるね
うろ覚えなんで、間違っているかもしれないが
最初、劉邦たち前漢政権は南陽説を公式見解として出したけど後に否定して陳説を採用
烏江説は、司馬遷が呉楚を旅した時に、当地で流布していた説話を史記に採用した
と推測している人も居るみたい
>>233 難易度高いけど、フリーゲームの「新史記」オススメ
項羽の最期に関しては烏江で生き残った供の二十六人で漢軍に突っ込んだ後、一人になって
呂馬童に「同郷のよしみでこの首をくれてやろう」と言って自決した最期で良かったと思うよ
陳平はじめ腹心がちゃんと上申諫言意見言える環境つくって
それをちゃんと取り込んだのが劉邦のいいところでしょう
239 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/24(火) 13:59:40.53 ID:HiAvQRrGO
粛清前提ならどんな厚遇も取り立ても思いのままだわな
粛清前提って項羽の方か
楚漢戦争の五年って春秋戦国の五百年や三国時代の百年に比べると凄い短いよな
やっぱり二大勢力だったから短期決戦で終わったんだろうか
242 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/29(日) 10:36:37.27 ID:haAh9uyp0
>>241 よく二大勢力って言われているけど
別に華北の東西二大勢力で争ってた五胡十六国時代、北斉・北周の争いは短期決戦で
終わってないんだよね
普通に劉邦の戦略勝ちでしょ、さすが最短で中原を統一した男
天下の形勢が固まってしまう前に、和議を破って襲いかかったのが効いた。
>>242 項羽って同盟者どころか自分の足元にも離反されてるからね
劉邦の戦略勝ちであると同時に、項羽が出だしから命令違反味方殺しでいきなり頂点に立った裏切り者だったことの限界なんだろうな
>>242 そりゃ、五胡十六国は常に南朝・北狄の脅威を考慮にいれないといけないですしおすし
そして、劉邦の戦略勝ちなのはそうだけど
項羽が短期間で崩壊したのは、韓信という中国史上最大級の化け物が居るせい
学説によっては、劉邦は最後の最後まで項羽に勝てなかった訳だし
>>245 国士無双とまで評された兵法の大天才の韓信だけど随分な最期だったよなあ
軍事の才能はあるけど哀れな末路を辿ったという点は白起と韓信はどうも似ている
247 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/29(日) 19:21:40.72 ID:WhriY8Lr0
斉攻略は悪く言われてるけど裏切りで王になった野心の強い連中だし
そいつらを滅ぼしながらも裏切らなかったから邪魔者はすべていなくなったし
乱世が大幅に短くなったのは韓信の独断行動に寄るものが大きいね
>>248 どうだろうね
斉と戦うことがなければ項羽との全面対決に早く入っていたわけだから、もっと短く済んでいた可能性だってある
項羽を倒してしまえば斉は反抗しても孤立状態になるわけだし
斉攻略が無血開城で終わってたらまず間違いなく叛乱が起きて後々面倒な事になってただろうな
251 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/30(月) 02:15:06.93 ID:FbTi7Pyq0
斉攻略はやり方がかなりゲスかったな
和議が成った国に奇襲して味方見殺しとか、かなり汚い
王になるための催促といい、韓信は他の悲運な名将達と比べて、自業自得と思えてしまう
ただ、項羽ですら手こずった大国斉を一気呵成に滅亡させるには
そういう詐術を使うのが一番効果的だったようにも思える
(降伏→反乱を繰り返す連中ではあったわけだし、徹底的に滅亡させる必要はあった)
韓信のこのえげつなさがなぜ政界において全く発揮されなかったのか
逆に言うと韓信自信の保身としては、そういう危ない勢力は残しとくべきだったんでは?
自分の必要性を維持しておくために。
>>253 天下統一後も粛清されずに済んだ王翦のような例もあるんだけどね
韓信は保身術には疎かったのかな
田斉を攻めずにおく→劉邦に従順という印象、天下統一が早まる可能性、田斉という不安要素があるうちは粛清されないかもしれない
田斉を攻める→劉邦激おこ、天下統一自体は遅くなる、田斉という不安要素が消えて劉邦にとって最大の不安要素は韓信になる
韓信が劉邦の元で生き残りたいなら田斉を攻めた時点で失敗だったと思う
>>246 韓信は大好きなんだけど
大量虐殺を懺悔して死んでいった白起とは並べられないと思う
?イキ死なせておいて仮の斉王を要求しちゃうし
鐘離昧死なせておいて平然と首届けて縛られりゃ文句言うし
小説や漫画なんかだと葛藤を描いてくれてたりもするけど
お前の心はどうなってるんだと思う
韓信はサイコパスだと思う。
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 01:07:24.18 ID:RFMDT7MZ0
韓信は才能は凄いんだけど、人格的に凡人なんだよなあ
清廉潔白な人では決してなく、かといって大きな野望を持った悪党でもない普通に欲望に負けてしまう普通の人って感じ
狡いとか汚いってよりは未熟とか稚拙なにおいがする
でもちょっと孫悟空やナタ太子のような情の薄いKYさも感じる
それにしても人に揉まれて育った元チンピラに対して
嫌われ者元ニートじゃ分が悪すぎて同情するわ
260 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 03:17:53.75 ID:kTjDcvfN0
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不遇期が長くて、やっとこ重用してくれた劉邦とショウカにやっぱり恩義と忠義を深く感じてたんだろう
韓信は忠義の人物だと思うよ
そもそも天下取りの願望はなかっただろう
劉邦に天下を取らせたいっていう気持ちのほうが強かったと思う
262 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 04:02:55.97 ID:RFMDT7MZ0
>>261忠義の人物が王になりたいがために出兵を拒否したり、最後に反乱しようとなんてするかね?
>>262 斉王のままでいたら、或いは楚王のままだったら本人は反乱しようとしなかったでしょうね
てか、「首都住み」でなければ良かったのかもね
淮陰公として、それこそ郷里の淮陰らへんに置かれてれば反乱していなかったかも
ただ韓信を利用してどーたらこーたらしてやろうと企む人間は多かっただろう
>>263 262も言ってるが出兵拒否して王位要求とかその前の斉騙し討ちとかやってたら、仮に反乱はするつもりないとしてもアウトだな
韓信の配下の有能な将は劉邦の借り物だったから、
鍾離昧みたいなのが欲しかったんだろう。
ただ人間が小さいというか、
季布を匿った周氏も朱家も、
引き受けたからには命を懸けて筋を通した。
鍾離昧は韓信と組んで反乱を起こす覚悟をしていたが、
韓信は、鍾離昧の首を差し出せば自分は罪を免れると思っていたというこのギャップw
鍾離昧は人を見る目がなかった。
韓信は子供が父親に反抗するような気分で
まだ許してもらえると甘く見てた部分がかなりあるような気がする。
やり方は稚拙だけど義を通すことへの憧れも見えるような気がするし、
劉邦が追い詰めなきゃ反乱なんて考えなかっただろうな。
鐘離昧は本当に良い奴だと思う。
「あなたには徳がない」なんて誠実に忠告して自決しちゃうし、
韓信を真正面から諭すようなこと言ったの鐘離昧と司馬遷くらいじゃないか。
最期「鐘室で処刑」ってのが運命の悪戯か鐘離昧の名前と掛けたあてつけか、
そのあてつけで満足したのかあの呂后と太子の命まで狙っておいて
特に酷く殺されたり死体を損なわれたりしてないってのも
逆に鐘離昧に守られたような気がしてならない。
あと彭越さんは韓信の分までとばっちり食ったような気がする。
韓信の人格やメンタリティってかなり特異だよな
人格破綻者で片づけられれば楽なのだが、妙に人間臭すぎる部分もある
学問には熱心だし、兵法・用兵術に関しては天稟と言っていいものを備えている
しかし生活力は極めて低く、また、不満があっても相手に対しなかなか口を出さない(出せない)
また、戦場において敵を嵌め込むことに関しては異常なまでの鬼謀を発揮する反面
平時においては味方から嵌められることを露すらも疑わない能天気ぶりである
しかも、ほどほどの見栄や出世欲はあるんだよな
兵学を学んで、純粋にそれを実践することには興味を覚え、またそれで名を成すことには執心するが
それ以外はどうでもいいよー、という一点豪華主義の変態スペックの持ち主とでもいうべきか
あきまんの軍人版
>>265 季布も鍾離昧も垓下で四面楚歌の時に兵士に紛れて一緒に逃げたはずなのに
何故、鍾離昧は季布と同じ周氏や朱家の所に行かなかったんだろうな
盧綰の最後可哀そうなんだけど、こいつなんか悪い事したの?
韓信の言動って簡単に言うと母親に一番だと褒めて欲しい子供みたいに思えるんだがどうだろう?
そう考えると、才能磨いたのも拗ねて逃げたのもレキイキを敵視したのも独立しなかったのも援軍出し渋ったりしたのも色々と無防備だったのも一貫性あるように見える
趙制圧後に劉邦は韓信にひどいことしたよね
しかしよく劉邦もショウカも、無名で実績なしの韓信を大将軍に抜擢したものだ
>>272 兵学の知識や戦略眼を買われたんじゃね?
ぶっちゃけ張良とは離れてた時期なので、劉邦クラスの戦略思考できる人間がほかにいない
状況だったから、諮問してみて「これはイケる」という手ごたえがあったんだと思う
乱世であれば乱世であるほど、兵学の教養を持ってる人間は貴重
274 :
【凶】 :2014/01/01(水) 01:47:43.60 ID:MKqW/Gxk0
>>269 張勝に吹き込まれて一瞬でも劉邦の事を疑い
保身工作に走ったのがまずかったと思う
幼馴染にそんな危惧を抱かせる劉邦が一番悪いんだけども
>>270 子供に同意
正直、ニートする奴なんて本来が甘ったれなんだと
元ニートの自分も思う
>>270 そんな糞ガキに将兵がついていくわけないじゃん
感情的な人間だったら、またくぐりなんかしないで悪童らに斬りつけているわw
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/01(水) 09:40:46.03 ID:sHk5k87X0
>>275 旗下の将兵は、劉邦の兵だし・・・
将軍クラスも最強の曹參と灌嬰だし
まあ一事が万事ではないという事よ
項羽だってガキだが情に厚いところもあるし
>>269 一代で庶民から成り上がった皇帝にとり惨めな自分の昔の姿を知っている者は、例え幼馴染みと言えど煙たい存在なのだからでは。
同じ境遇の明の洪武帝も幼馴染みの徐達を毒殺(証拠はない)したと言われるし、湯和も全ての官職を投げうって故郷に陰遁して難を逃れたと言われるくらい。
夏候嬰は?
ハンカイは?
簫可とか曹参は?
盧綰も不思議な人物なんだよなー
劉氏以外で劉邦麾下(劉邦に見出されて)王になったのは、韓信と韓王信、盧綰だけ
盧綰の臨江王攻略以前の実績は、関中に残っての章邯攻め後始末くらいで
他に恵帝のレキ陽政府(楚漢戦争期の関中統治政府)の補佐をしていたんだろうという推測
封建された時期的に異姓王の裏切りを警戒する時期じゃないから
なんで盧綰が王になったのか微妙によく分からない
>>280 盧綰が恵帝の元で補佐をしていたってどの辺からわかるの?
>>281 手元に資料がないから確実じゃないけど
時期的に、盧綰が関中に留まっていた時期と恵帝が太子に立てられた時期が重複していたと思う
>>279 その連中は盧綰に比べると付き合いはずっと浅いでしょ。劉邦と盧綰は隣家の同年生まれで兄弟同然に育ったのだから。
なるほど。
285 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/02(木) 00:19:56.81 ID:2JFzmfmp0
盧綰といえば宮城谷の「長城のかげ」が印象に残ってる
斉については楚を滅ぼしたあとを考えると韓信のやったことはありがたい
全部韓信が泥被ってるし
燕王は楚漢戦争中はそのまま王になってたが
終わった途端に謀反の疑惑で粛清
それに限らず王になった者は長沙王以外は失脚あるいは誅殺されてる
こうしてみると長沙王は不思議だよな
>>287 臧荼のことなら反乱を実際に起こしたとされているから粛清というよりは反乱者の討伐だよ
史書でもあっさり流されてるけど劉邦が自ら燕に出向く大いくさになっている
これは盧綰なんかの粛清と一緒にすべきではないと思うけどな
劉邦の粛清により匈奴の侵攻を止められなくなった
武帝は衛青・霍去病を使って匈奴を追い払った
武帝って凄くね?
>>287 長沙王家が存続したのは、
南越に対する緩衝国として扱われていたから、かもしれないね
時期的に、前漢政権は北からの匈奴の攻勢に手一杯で
匈奴に接する王国が次々に離反・謀反・逃亡(韓・燕と趙・代)しているし
南まで対処する余裕が無かったのかも
>>287 長沙王以外で劉邦や呂后に粛清・誅殺されずに生き延びた人達といえば
蕭何、曹参、灌嬰、陳平、周勃ぐらいかな
匈奴の侵攻を止められなかったんじゃなくて、劉邦が勝手に匈奴相手に突出して戦って包囲されて脅迫されただけでしょ。
その後解放されて国力差を活かして報復しなかったのは「中華の徳」を見せつけたかった(格好付けたかった)だけなんじゃないの。
管仲を使った斉王が宴席で刃物で脅迫されて領土を壌土する誓約書かかされてそれを本当に実行した逸話に倣ってるんじゃないの?
>>292 漢王朝独力で動員できる兵力で考えると呉楚七国の乱が平定されるまではそこまで国力差があったと思えないな
>>291 蕭何と樊カイは、たしかに劉邦に粛清されかけたとあるけど
他の人達って粛清されそうになった記述あったっけ?
>>292 前漢初期は、匈奴に攻められることが多かったような
韓王信とか匈奴の軍を率いて代を制圧していたりするし
>>292 >管仲を使った斉王が宴席で刃物で脅迫されて領土を壌土する誓約書かかされて
口約束だった筈だ。
>>294 ごめん、言葉足らずだった
蕭何は疑われたけど結果的には粛清されずに済んだという意味で
曹参と灌嬰と陳平と周勃は疑われることも無く生き残ったという意味ね
>>297 そういう意味か
劉邦は異姓王を粛清しているけど、諸侯の粛清者はほとんどいないんだよなあ
この時代を描いた漫画はあまり無いけど横山項羽と劉邦は面白かった
横光項劉、横光史記、赤龍王くらいか
>>300 赤龍王は面白かったな
本宮ひろ志とは思えんぐらい結構歴史に忠実だし
項羽が格好良かった
>>302 項羽と張良はイメージ通り、劉邦は若すぎて今一、最もキャラが立っていたのは趙高で宦官のおぞましさが際立っていた。
項羽が良い奴で虞美人に一途で
劉邦が淫乱で名士に対して女とイチャつきながら謁見するというクソ野郎
として描かれてる作品ってあるの?
司馬遼太郎のはそういう書き方じゃなかったし、横山光輝の漫画は項羽が呂布みたいな顔で劉邦は劉備みたいな優しい気の良い愛嬌のある好青年みたいに描かれてたよね
そもそも史記の項羽の記述がケチでそのくせに婦人の情を見せるくせに暴虐
みたいな感じだからなぁ
それを後世の作家が勝手に性格とか捏造した所で何の意味があるのっていう
この時代に宇宙人が円盤で攻めてきてたら人類やばかったな
項羽と韓信が手を組んでもどうしようもなかったろう
空中攻撃最強
今でも宇宙人が攻め込んできたらどうにもならないよw
恒星間移動できるようなテクノロジー持った地球外生命なんて
核なんて目じゃないような兵器持ってるんだろうし
宇宙人達が免疫を持っていない細菌達がなんとかしてくれるはず
その逆もあるしそもそも宇宙服みたいなの着てるだろw
プレデター対項羽
>>306 楽毅と白起が活躍した戦国時代、項羽と韓信が活躍した楚漢戦争とか
一つの時代に二人も軍事の大天才がいたこの二つの時代に攻めてきたら
流石に宇宙人でも結構手こずると思うんだが
火力の前には無意味じゃないの
この時代に自動小銃装備した1個中隊が出現しただけでも天下取れるだろうね
>>313 攻城戦能力無いからあっという間に詰むぞ
せめて弾薬をある程度保有した砲兵部隊が欲しい
あと、無線
無線が無いと散開しての部隊の機動が全くできないから
無ければ昔みたいな密集戦術にしないと指揮通信だけでなく士気すら保つのが難しくなる
いや当時の弓や弩もかなりの威力だからな
現代でも100m以内でのマンストッピングパワーは弓の方が高いって言われてるし
その分貫通力に劣るけど
銃で遠距離から攻撃していけば勝てるけどスコープとかないとキツい
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/10(金) 19:35:29.05 ID:jZU09slZ0
虞美人「気円斬!」
318 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/11(土) 19:39:12.81 ID:j1lH1Rsu0
三国志級に広まりが有れば色々いじり漫画やアニメを出せそうな感じだなw
>>319 それよりも真ん中のやけにかわいらしい項羽は誰だ?
侍ばろん・・・
覇王って項羽が考えたのかと思ってたけどネタ自体はもっと前からあるのな
>>322 確か王者と春秋五覇の覇者を合わせて覇王という称号を名乗ったんだっけ
諸侯の盟主である覇者に対応する語として、
諸王の盟主という意味で覇王という言葉を作ったという説もあるね
覇王の初出は荀子で、荀子の頃は七国はだいたい称王してたらしいし
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/13(月) 02:24:51.26 ID:gn+bdKBv0
覇王って最初に自称したのは越の勾践じゃなかったっけ?
>>325 正確なことは分からないけど、一般的に覇王と言えば勾践より項羽の方が有名なのは
正式に歴史に記された最初の覇王が項羽だったからなのかもしれないな
327 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/14(火) 02:20:23.92 ID:M6zcRULy0
勾践が覇王と称した事は史記に書いてあるな
ついてくるなといったはずだ、剣に女は不要!
季布は一度お尋ね者にまでなったけど
楚でも活躍して漢でも出世して中国史の中でもかなりの成功者だよなあ
このスレか前のスレかで出てた「虞美人は側室の一人」ってマジなの?
美人って単に綺麗な人って認識してたんだけど官位名だとか
官位名という説もあるがホントの所は不明。
正室だろうが側室の一人だろうが正室、側室に女性は虞姫しかいないだろ
>>332 なんで?書かれてないだけで正妻がいたかもしれないじゃない
項羽は直情的で好き嫌い丸出しだから愛したのは虞だけだろう。項リョウが決めた正室がいたとしても完全放置で会話すらなかっただろうな。
もし、項羽が夢中になる正室がいたとしたら、項羽の性格的にも書かれない分けがないと思われる。
思いつきで書いてすまんけど虞が正室なら
"常" 幸 "從" しちゃうもんなんだろうか
彭城で捕虜になったとかならわかるけど
史書だと虞美人については
「有美人名虞」(史記)「有美人姓虞氏」(漢書)
くらいしか分からんからなー
この「美人」を後宮の官職名とするのは個人的に微妙だと思ってるけど、
西楚覇王という政治的存在が、政治的な正室を持たなかったというのは納得できない
虞美人というのは、一個人の項羽が必要とした女性で、政治的な存在じゃない気がするんだよなあ
項羽は戦場飛び回ってる生活だったから案外とアッーな人だったかもしれないよ
覇王にまでなった人だから、良家の血筋の正妻・側室もいたにはいただろうけど。
虞美人ももしかしたら男性だったりしてね。
詳しくは知らんけど、漢語だと「人」=「男」という意味だから
「美人」=「美男」じゃね説かwwww
たしか美少年は美少人と書くんだっけ?
面白いけど、これを受け入れちゃうと、
始皇帝が全国の美男を後宮に召した大変態になっちゃうwww
339 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/23(木) 11:57:15.07 ID:mN/TwOq40
なんでもかんでもホモネタに結びつけちゃう人って自分が面白い事言ってるとでも思ってるのかな
陳平が項羽の欠点を説明するときに「項羽が信頼するのは自分の親族でなければ妻の兄弟だけです」といってるから妻は複数いたんじゃないかな
あと史記に項羽側の人物で伝が書かれてるのが黥布と季布っていう最終的に漢についた人だけだから楚側の記録は史記のころにはもうなくなってたのかも
黥布が項羽軍最強の猛将みたいな評価も勝者側に付いたからなのかもね
本当は桓楚とかリュウショのが強かったのかも
>>340 項羽が信頼したと思われる妻の兄弟っていうのもよくわからないんだよなあ
項氏は、項伯、項荘、項声、項他、と明確に優遇されているのがわかるのに
他姓の楚軍従軍者で複数出て来るのが少ない
楚軍に周姓が二人出て来るから、周氏が項羽の正室なんじゃないか
って推測している人もいるみたいだけど
虞子期の事じゃないの?
虞美人の弟
一応最後まで裏切らずに従ってるし
>>343 虞子期は、史記・漢書・資治通鑑に出てこないから虚構の人間じゃないの?
虞子期って漢楚軍談に出てくる虚構の人物だったはず
項羽と劉邦は対照的と言われているのは有名だけど
虞美人と呂后を見ると嫁まで対照的だな
虞美人はちと史料不足
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/01(土) 02:54:03.68 ID:eTF69P420
>>348 張良と范増を見ていると春秋時代の伍子胥と范蠡を思い出す
激情家で剛直な性格でずけずけ意見して報われない最期まで似ている伍子胥と范増
冷静に天下の情勢を考え越と漢を天下へとのし上げて引き際も似ている范蠡と張良
虞美人と威夫人だったら歌を作って歌ったとこが似てる
残ってる歌は後世の創作って説が高いらしいな
あぼーん
>>351 陸賈の楚漢春秋は、なんか音楽に合わせて、
浪曲や講談みたいに節つけてかたって聞かせたものらしいというのを、
どこかで読んだ。
あのおっさん引退後も楽師を連れて息子の家めぐりしてたんだから、
そういう風流な人だったのかもしれん。
355 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/09(日) 03:54:01.17 ID:dsf1UrmK0
項羽が本当にあんなに暴虐だったのかは怪しいもんだな
戦略眼のなさから咸陽捨てたことで徐々に追い込まれただけでは?
スケールのでかい小者ってことか
劉邦 源頼朝
呂后 北条政子
項羽 源義経
虞姫 静御前
始皇帝 平清盛
という気がするんだけど、もしかして昔から言われてた?
>>358 韓信 源義経
項羽 木曽義仲
虞姫 巴御前
の方が合ってると思う
劉邦は貴種じゃないからなあ
単純な比定は危険だと思うよ
劉邦というよりも呂后が政子っぽいから
大漢風を観たとき、あのお下品でお馬鹿なノリが本邦のジェームス大河を彷彿とさせて、ジェームス三木が「草燃える」書いてたらこんな感じかな、と思った
楚漢戦争の漫画を読んだのは赤龍王が初めてだったけど
夏侯嬰と盧綰、蕭何と曹参のキャラの違いがよくわからなかった。
あの漫画の登場人物で、年齢が一番史実とかけ離れて描写されてるのって誰?
ホウエツ(山賊)の爺さん? 王凌も本当は若いんだっけ?
>>363 >王凌も本当は若いんだっけ?
王陵の事と思うが、劉邦の15年あとに死んでるから劉邦よりずっと上という事は無いだろう。
しかし劉邦が若い頃兄貴分だったらしいからずっと下という事も無いだろう。
劉邦と同年輩かと思う。
王陵は横山の項羽と劉邦ではなぜか若い美男子になってたなw
史記では太ったおっさんになってたがw
劉邦自体、年齢がよく分からんからな
創作だと40〜50代で描写されることが多いけど、
最近だと、陳勝蜂起時で20代後半〜30代説なんてのも出てるくらいだし
張良も若い優男みたいなイメージあるけど劉邦と同年代くらいだよな
父が死んだ年に生まれたとしても劉邦とはじめてあった時点で41歳
弟が死んでも葬らずに始皇帝暗殺のために金をためたという話があるから弟がいるからもっと上
劉邦が項伯と義兄弟になるときに「あなたより年上なら私よりも年上だ」って言ってるから劉邦より年上の可能性もある
368 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/29(土) 02:18:58.12 ID:pO9tC98V0
彭越すき
何故だかわからないけど
TSUTAYAで借りて見てるけど、やっぱ楚漢は糞面白いわな
女性に関するやや描写が現代風なのが不満だけど、項羽も劉邦も良い感じ
ピーター・ホーかっけぇ
370 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/24(木) 19:43:40.26 ID:9n9qlDx+0
今日BSプレミアムで項羽と劉邦特集みたいのやるね
>>44 徐晃がやったのは項羽の方の背水の陣じゃないか?
項羽の背水の陣は何でマイナーなんだろうな。成功してんのにさ。
項羽は背水の陣なのか?
船壊して食料減らして死兵にしたのであって背水の陣ではなくね?
本来は川などを背に陣を布く事だからな。
逃げ道が無くなるから絶対やるなって話だ。
>>372 敢えて川を背にして陣を敷いて必死に戦わせたんだから「背水の陣」だよ。
韓信は別働隊を使ってガラ空きの敵城を占領して漢の旗をずらりと並べて
敵兵をパニックに陥れるというアレンジを加えてるけど。
韓信の策で重要なのは敵将の陳余が無名の韓信を舐めていたので
わざと兵法で禁じられている背水の陣を布いて油断を誘った点に有る。
つうか現代人が使う背水の陣って項羽の背水の陣の方だよな
韓信の方は初めから勝算あって綿密に計画してて、背水の陣そのものは
達成のための要素のひとつというか
韓信は川を背に陣を敷いただけで逃げ道断ってるわけでもないだろうし
伏兵で敵城かすめとるのが目的での、背水の陣だからねえ
敵をおびき出すために、わざと愚策に見える陣立てする必要があった
まあでも陳余は総大将の韓信が逃げ出して捕りのがさないようにと本拠を空にして全軍ででたわけで、
絶対に逃げられないとわかっていれば本拠を空にしたりしないのだから逃げ道はあったんじゃないの
そもそも統率の取れない逃げ腰の雑兵ばかりで
逃げ道があればまともに戦おうとしないだろうと考えて
逃がさないためにも背水の陣を敷いたんじゃないかな
382 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/10(土) 12:51:36.36 ID:o6JqxQri0
背水の陣により自軍が粘ったから敵も本陣に戻ろうとして落とされてるのに気がついたわけだし
>>380 将の逃げ道と軍の逃げ道とじゃ全然違くないか
極端な話、舟が一隻あれば将は逃げられるでしょ
背水の陣って言っても
韓信の場合は一応陣地構築してるんでしょ?
項羽とかは野戦で背水の陣な訳で
基本的に違うんじゃないか?
あと兵法的にも項羽のは死兵だし韓信のは陣地選択の逆用
蕭何・曹参などの連中はダメもとでやってんだろうな。
結果的に上手くいったからいいけど劉邦も一歩間違えれば陳勝のように殺されてたかもしれん。
項羽の取った作戦は背水の陣でもあるが「破釜沈船の計」だな
蕭何、曹参は格的に自分たちが反秦の軍挙げてもいいはずだが
もし失敗した時のために劉邦を担いだのは明白だなw
蕭何は秦の官吏としての実績が中途半端にあるから微妙よな
曹参はよっぱど本人にやる気がないと…
劉邦は神輿だったというのは確かだが
劉邦はああ見えても軍事力は結構なもんなんだがなー
ついでに、妻の呂一族のバックアップもあるし、それなりの有力者ではある
史記や漢書に
「一緒に反乱して、秦朝に族滅とかされると、怖ろしいし…」
って考えてたって書かれてるしね
一般的には劉邦は農家の生まれではあるけど平均レベルの農家ではなくて沛県でも有数の豪農だったと推測。
兄弟はふたりの兄だけでなく異母弟もいたくらいだからな。恐らく父親は2〜3人の妾は居ただろう。
だからそういう家の三男坊だから自由気ままで若い頃に任侠生活を送ることができた。
呂公が娘を嫁がせたのも劉邦の家が裕福な豪農だったからだろう。普通の農民では無理な話だ。
劉邦は人望があったとされてるが、もちろん彼個人の人柄もあっただろうけど劉家が地方の有力者という
バックボーンもあったと推測。
彼が挙兵したときに集まった連中も劉家の私財を投じて集めた可能性も考えられる。
昔の中国の町や村では満足な職に就くことが出来なくてゴロゴロしている連中が大勢いたからな。
兵隊を雇うというのはそういった連中を吸収することで治安を守るという意味があった。
そこからあぶれた連中が盗賊になった。
県レベルだとどうかな?
中陽里ではトップクラスの農家だったろうけど
ついでに言えば盧綰も
確かに県レベルでトップクラスの名家だと劉邦をはじめ父親や兄弟の名前が不明というのは変だな。
地元ではある程度大きなレベルかな。
あるいは洪秀全や毛沢東の家みたいに父親か祖父の代にいきなり大きくなったとか。
親父は劉大公、母に至っては劉媼と伝わるのみで姓氏も不明だけどな。
長兄だって字が伯で諱は不明だし。次男だけ諱が喜で字が仲だというけれど、
一人だけ例外という感じ。
「伯」や「仲」は劉邦の字とされる「季」と同様兄弟の順番を示すものでしかない。
「伯」が長男で「仲」が次男。末っ子が「季」で「仲」と「季」の間は全員「叔」となる。
異母弟の劉交は字が游で、弟が居るのに劉邦の字が「季」というのは変だし
交だけ儒学を学んでいたりして、例外的な存在だな。
>末っ子が「季」で「仲」と「季」の間は全員「叔」となる。
>弟が居るのに字が「季」というのは変
生半可な知識乙w
取り敢えず、お前は無知過ぎる。もう少し勉強してから出直して来い。
挙兵の流れとしては始皇帝が死んで世の中が騒がしくなってきたから蕭何が劉邦の親父を説いて
軍資金を引き出して、近隣の村々でゴロゴロしている連中を兵隊として使うためにかき集めてきて
劉邦を神輿として担ぎ上げた。
世界中で絶賛されてるアクトオブキリングの主人公、
まるで小劉邦というような奴だった
現代の話ってのが凄い、みんな観て来い
石勒曰く、
「朕若逢高皇、當北面而事之、與韓彭競鞭而爭先耳。
脫遇光武、當並驅于中原、未知鹿死誰手。
大丈夫行事當礌礌落落、
如日月皎然、終不能如曹孟コ、司馬仲達父子、
欺他孤兒寡婦、狐媚以取天下也。朕當在二劉之間耳、軒轅豈所擬乎」
「高皇に会ったら、(その部下となり)韓信や彭越と先陣を競うだろう。
光武に会ったなら、互いに中原の鹿を追い(天下を争い)雌雄を決するだろう。
(しかし)大丈夫(立派な男)たる者、磊磊落落(「磊落」の強調)、
日月が明るく輝くように物事を行うべきであって、曹孟徳や司馬仲達父子のように、
孤児や寡婦を欺き、狐のように媚びて天下を取るような真似は絶対にできない」
まぁ貧農農民出身ってことにした方が庶民ウケいいしな
田中角栄も豊臣秀吉も別に貧農でも無学でもないんだがそういう事にしてるようなもんでしょw
呂后が豪商の娘なのに劉邦の家が貧しかったってのはあり得ん話
劉邦に関しては色んな伝説や物語付けがされまくってるしねえ
でも、そういう虚飾をできるだけはいだ劉邦像の説明を読むとすげー違和感を覚えてしまう
田舎のオヤジがそのまま天下取ったようなイメージが強いんだよなあ
それなりの教養を備え、公務員の端くれだった男の天下取り
劉邦は庶民として平均レベルか、ちょい上くらいの出発点でしょ
結婚してからは平均レベルじゃないけど
昔の三国志ものを読むと劉備のご先祖は酒場の親父とか
亭長って言葉が誤訳されてるのがある
ムハンマドだって金持ちと結婚したから天下獲れたんだ
パトロン大事よ、そこからもう出世街道は始まってる
おれも無職同然のときにお嬢様と付き合って普通の生活を手にいれたから分かる
410 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/10(火) 12:12:20.52 ID:skV5VkQC0
項羽とUFO
411 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/13(金) 03:05:36.67 ID:+dPyUyi70
劉邦がそうだったかはともかく、進退窮まって反乱した奴は大勢いただろうな。
労働力として徴収されても地獄、逃亡しても追われて地獄。
陳勝・呉広はまさしくそれだな。
期日まで遅れたら死刑、人数足りなかったら死刑、
効率悪すぎるだろ
講談集めて作ったから、そこらへんの計算能力は民衆レベルなんだよ
「おれたちがかんがえたさいきょうのあくのていこく」
徴兵した人全員処刑じゃなくて、代表者を処刑じゃないの?
陳勝も呉広も、次(班長程度の代表者)として部下を率いていた
陳勝たちは部下を蜂起させるために尉(秦の官吏)を殺さなくちゃいけなかった
期日遅れでの処刑対象は「次」だけで、部下は関係なかったんだろう
ついでに、尉は期日遅れでの処刑対象じゃなかったかもしれない
>>415 横山史記では
陳勝「このままだとあんたたちも打首だ。反乱しよう」
役人「だからといってそんなことが許されるか」
みたいなセリフがあったが実際はどうなんだろうな
>>415 尉がお頭では陳勝は王に成れないじゃないか。自分が王に成る為に
尉を殺す必要があった。
陳勝・呉広の末路見てると一寸先は闇だなと思う
419 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/14(土) 21:57:38.32 ID:mggkKHTu0
>>415 あの時点で陳勝が王位を狙ってたとは、到底思えないが・・・・・
あわれな末路だが、陳勝は今も中国のヒーローだっけな
421 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/14(土) 22:45:11.55 ID:fILzgZut0
昔の友が来て陳勝うざがる
歴史的にそんなだから!って言うのが定石だけどそう言う気持ちわかる
>>419 陳勝は若い頃から「燕雀いずくんぞ」とか言って、大物に成るとうそぶいていたんだぞ。
陳勝・呉広の配下の俗物っぷりとグダグダっプリはひどい
各地を鎮圧に行かせるために将軍派遣→勝手に独立
のパターン大杉。
陳勝は平民でも王になれることを示した偉大な人物だが
惜しむらくは学の無さから傀儡王を建てるという手法を持たなかった
秦を滅亡させた楚はこれに学んで懐王を建てた
懐王を建てたのは范増の献策で項梁にはそれに従うだけの知恵があったが
項羽には知恵が無かったので義帝を邪魔者扱いして殺してしまい、
結果的に劉邦に大義を与えてしまった。
学が無い割に「燕雀」とか「王侯将相」とか名言残してるよね。
学識と文学的能力は別なんだろう
スポーツ選手が学者よりも名言を生み出すみたいな
史記によれば周も秦もその他の諸侯も全部黄帝の子孫みたいになってて血筋による絶対的な貴賎の差があったと思うし少なくとも自称で誰かの子孫だとは言うと思うんだけど
はじめて「生まれなんか関係ねえ」と言ってほんとに王になった陳勝はえらい
陳勝が傀儡王を立てなかったのは、楚王室の子孫を見いだせなかった説
秦嘉楚国で王となったのも楚王室じゃなくて傍系の景氏だし
義帝の出自がだいぶ怪しい可能性がある
430 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/15(日) 20:17:33.18 ID:ZPQO/ap40
楚が立ち上がって楚の貴族が押し寄せるなか屈氏は居なかったのかな?
431 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/15(日) 20:19:11.59 ID:zvz+6su70
そもそも陳勝と項梁では、発端が全く違うからな
前者は反乱の最前線から、後者は反乱計画からスタートしてるし、
陳勝勢は大義云々よりも生きるか死ぬかから始まってると思う
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/01(火) 16:23:08.12 ID:2kttNh1sO
貴族の時代なんていらん!
懐古厨の楚は嫌いだ!!!
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/01(火) 16:43:19.91 ID:F7IewhXa0
ドリーミングハウスは日曜日以外毎日8時から18時過ぎまで長期間に渡って周囲に騒音をまき散らさないように
配慮して工事する金儲けより公共の利益を重視するすばらしい会社です
435 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/02(水) 01:34:44.45 ID:ZTdWMgxq0
項梁が死なずに秦を滅ぼす事ができたら、項羽と劉邦の戦いも無かったんじゃないかと思える
項梁だったら懐王を殺さなかっただろうなあ
その場合は項梁が中原の覇者になるんだろうけど
結局古い王が乱立する社会になって項梁が死んだらまた戦乱じゃね?
項梁が定陶で死ななかったら、章邯率いる秦軍に引き続き殴り合いの戦いになって
楚が滅亡していたか、中原を制覇する国力がなくなっていた可能性があるような
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/05(土) 14:45:12.46 ID:OzuZFMmm0
そして韓信、カイ通遠慮なく天下取りへ
そう言えば李左車先生は晩年どうなったんだろう
完全に憶測だけど食客のままだったら韓信のマヌケな行動にいくつか釘さしてたように思うから楚に国替えされた辺りで離れたんじゃない?
韓信に連座して死んだっという気はしない
440 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/07(月) 18:42:59.31 ID:st5EMcIt0
項羽と虞姫の間に子供っていたんかな?
虞姫じゃなくても人世代舌が居たなら漢の時代にその後どういう歩みを進めたのか
項羽が愛したのは虞姫だけで子供はいなかった
一応形だけの後宮みたいなものはあったらしい
項羽とやりまくってた頃に虞姫はまだ子供を産める年齢に
達していなかったと言うロリ説もある
死亡時でも13〜15位でギリギリ妊娠中みたいな
根拠も出典も出さなくても「らしい」と言えば許されるんだな
項羽に子どもが居たかどうかは、史記にも漢書にも記述がないから「分からない」としか言えない
居たかもしれないし、居なかったかもしれない
項羽が後宮を持っていた可能性は高いけど
実際に正室が居たかどうか、それが誰なのか、
形だけのものだったかどうかも、記述がないので「分からない」
ただし、虞美人が正室ではない可能性は非常に高い
虞美人の年齢は、史書に記述がないのでまったく「分からない」
年齢を推測できる手がかり(家族・教養・その他)さえないので、これ以上は何も言えない
なにしろ「有美人名虞 常幸從 駿馬名騅 常騎之」しか書いてない。
馬と並べて書かれる存在。
当時の名馬を今で言うなら、
世界に何台かのスーパーカーとかF1のスペックがどうのとかそんな扱いだろうな
あの人を見る目があるとされる劉邦さえ3回も「こいつは使えないけど一応ショウカの顔を立てておくか」
とたぶん思わせた韓信についていく部下や引き立ててくれる上司など劉邦以外にいるはずはない
しかもただの将軍でも厚遇したことにならないというのだから
たとえるなら職場で一番使えないのに偉そうなことをいってサボってるような平社員を突然社長に抜擢するようなものだ
そんなことをするのは劉邦だけで劉邦がいなかったら韓信はただのたれ死ぬしかない
実際そんなもんだろ
全く話が広がらないレスすんな
そんなやつに自分の全兵権を任せた劉邦スゲーっていう話が広がるじゃないですか
そんなのとっくに広がってるわ
そうかなあ割と劉邦はカスだカスだっていう話ばかりだったからスゲー所もあると伝えたかった
なんかあれだな。この人は、
将軍としての劉邦がかなり強い(まともにやりあって劉邦に勝てるのは項羽と韓信、冒頓単于くらい)とか
非陳勝系で一郡以上を独力で平定できた数少ない群雄とか
この辺でも驚きそうな人だな
だいたい劉邦って秦と楚どっちも倒してる怪物だろ
劉備も雑魚と思ってそうだな
瞬間のインパクトは呂布あたりに負けるけど、イチローみたいなバケモンだぞ
今まで劉邦はカスだって言ってたくせに急によってたかっていじめるなんてずるいぞ!
物語的に面白いだけで、ある程度知ってからは全然思った事も書いた事も無い
456 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/09(水) 18:28:52.19 ID:N53Ei1z70
457 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/10(木) 06:19:36.87 ID:w1XEz5t80
★脱会用紙テンプレ(Ver.1.15)★
内容証明は、1枚につき
縦書きの場合、1行20字以内、1枚26行以内
横書きの場合、1行20字以内、1枚26行以内、または、1行13字以内、1枚40行以内、1行26字以内、1枚20行以内
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同内容のものを3枚必要とします。プリントアウト・コピー・カーボンコピーしたものでも大丈夫です。
身分証明書などのコピーを同封する必要はありません。
詳しくは↓参照。出す前に一度目を通しておきましょう。
>>
ttp://www.tantei-sodan.com/proof/ ……………………… 例 文 ………………………………
脱会届
平成××年 ×月 ××日 (※文書を書いた日付)
東京都新宿区信濃町32番地
宗教法人 創価学会 理事長 正木正明 殿
私こと○○○○○は宗教法人創価学会を脱会いたします。
今後、私が了解しないかぎり、入会勧誘、及び、支援政党の票依頼等を目的にした、
創価学会員による自宅来訪を一切拒否いたしますので、地域幹部の方々にも、その旨
よろしくご指導のほどお願い申し上げます。ただちに名簿からの削除等、脱会手続きの
迅速な処理を執行願います。
東京都世田谷区○○町○○丁目○番○号(※ご自分の住所)
×田○策 印(※氏名)
……………………… 例 文 ………………………………
☆★必ず『内容証明郵便』および『配達証明』を使うようにしてください★☆
>>452 実際に秦を倒したのは項羽だろ。
項羽がいたから劉邦は秦を倒せたし、項羽がいたから人材が集まって
天下を獲れた。
楚漢戦争の主役は項羽だし、一番の怪物も項羽。
それで以って劉邦が怪物でないとは言えない
両方怪物
項羽が居たから劉邦に人材が集まったのか。相当な嫌われ方だな。
>>461 楚王に背いた反乱者だからな、そもそも
その上その王を殺してるし
項羽も皇帝の器じゃないし范増も軍師の器じゃない
項羽もハン増も韓信も極端に偏ってるよな〜
蕭何さんが最強に見える
465 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/18(金) 04:05:34.49 ID:gzWxjW3I0
劉秀>劉邦>劉備
>>465 よくそういうのを見るけど、それ、個人としての戦術能力?
皇帝としての影響力や統率力、部下を使っての総合力・政治力なら、
劉邦>>>劉秀>>劉備ってイメージ
楚漢戦争も3年ぐらいで終わっているし、
項羽と同じ若造の劉秀が戦術以外の項羽の上位互換だとしても、
老練な劉邦に切り崩されて、7〜8年ぐらいで終わらせられると思う
劉秀のライバルって結局彼よりも血統の優れた皇族連中だからねえ
劉氏相手には苛烈な対応を辞さない辺り人間味があって宜しいとは思います
ただ戦略的な能力はやっぱ劉邦には劣るわ
劉邦は戦略がすごいというか、韓信が規格外すぎる
肝心の韓信自体には戦略眼イマイチだけどね
470 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/18(金) 21:48:39.36 ID:xoNkjX1S0
韓信いてこそあの戦略取れたと言うべきかな?
韓信て本当に義経だな
472 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/19(土) 15:06:16.04 ID:oLJSFBYx0
>>467劉邦陣営の戦略は張良によるところが大きいと思うわ
っていうか劉秀陣営は戦略担当の人間がいない
そんなんでよく天下を統一できたなと思えるぐらい
劉秀とか史官が馬鹿みたいにマンセーしてるだけで単なるラキ珍だろ
劉秀って、あまり歴史を深く読み込んでいない能力値付きのゲーム大好きな人たちが、
「名将、猛将がいっぱ〜い。無茶苦茶強〜い」って持ち上げただけな感じだよね
各王朝の人材比較でも、劉秀だけは意図的に穴が生まれないような表にして人材豊富に見えるようにしてるし
戦略担当参謀がおらず、外交官がおらず、大将軍も不在で、留守を任せる政治力・信頼が不足した同等の司令官ばかり多いから
指揮を統一させることができないから各方面に兵を散らさざるを得ず、保険のために劉秀が都に待機するという
イミフで非効率な戦い方になったと思うわ
二十八将がそろった劉秀即位後でも、群雄の中に劉邦と三傑がいる勢力が存在したら、
あっという間に群雄包囲網がつくられて、韓信に分散した兵力を率いる司令官を各個撃破された上に、
誰も中枢に入れてもらえなかった赤眉などの民衆叛乱者層が調略で内応して終了だったろうなって思う
>>474 劉秀は戦闘は上手いが戦争は下手な典型だと思う
外交とかでもう少しどうにかなっただろ、特に涼州と荊州の場合は
石勒が「俺とどっちが強いだろうねwww」と言ったのも納得できる
ぶっちゃけ「鈍い」
正直、劉秀が勢力数倍あっても、他の有力な群雄が複数存在している状態なら、
それでも劉邦優位って感じだよね
劉秀が強いと言われるのは、ケ禹・呉漢・賈復・耿弇・寇恂・岑彭・馮異
の七人が存在なんだろうけど、
唯一他の上将を統率できる信頼を受けているケ禹が韓信にしたらまさに獲物、陳余や田横みたいなもん
賈復は龍且と同じ結末だろうし、呉漢は略奪で劉秀の人望を失わせて内応者を増加させてしまう
耿弇・岑彭・馮異は全軍任せて貰えないから、劉邦・韓信の最強の矛盾戦略に対応できない
外交は圧倒的に劉邦が上だから、群雄が劉秀を狙うから、全員まとめて相手する事態は起きないだろう
劉秀自身が来ても、留守の寇恂が全面的に任されていないから、
反間の計や偽情報で本拠地への不安から引き替えざるを得ない
戦術で戦略を破る方法として、劉邦を戦場で討ち取るぐらいしかないけど、
劉邦には紀信みたいな盾となる忠臣もいるし、彭越がいるならなおさら無理
追いつめても、聖人願望が劉秀にはありそうだから、
弁士たちに言いくるめられて、結局、チャンス逃してしまうんじゃねえの
後は韓信を討ち取るしかないけど、股くぐりの韓信がリスクの高い決戦を挑むとは思えんしなあ
劉秀の場合は本人が強いからね
どうしても過大評価になりやすい
劉邦軍団
君主:劉邦
人事:劉邦、蕭何、叔孫通
后:呂雉
腹心:盧綰
内政統括:蕭何
大将軍:韓信
戦略担当参謀:張良
謀略担当参謀:陳平
戦術担当参謀:張良(推測)
補給:蕭何
外交官:酈食其、陸賈、随何
方面司令官:韓信、劉邦、英布
後方攪乱:彭越
司令官補佐:灌嬰、曹参、夏侯嬰、周勃、樊噲、劉賈
後方守備:王陵(推測)
479 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/21(月) 22:38:03.65 ID:y90mVcmm0
劉邦軍団が層が薄いってのは嘘だろw 外交官なんて酈食其が死んでもすぐに補充されているところがすごい
劉邦は一見すると兼任しすぎだが、丸投げ多いから負担は案外少ない
王朝が広大になる隋以降はともかく、それ以前だったら圧倒的に最強だと思う
呂雉だけは人質の期間が長かったから存在がプラスかマイナスかなんともいえんが
張良が戦術担当を兼ねているのは、張良が配下に加わってから劉邦が勝ち続けるんで
戦術面でのアドバイスもしくは兵法指南で劉邦が学んだという説を見たことがあるのでいれた
劉邦に関しては項羽陣営からかなり人材流れこんでるからなぁ
劉備とか見た目の豪華さとは対照的に人材薄すぎでしょw
魏に比べりゃ蜀も呉もゴミみたいなもん
>>479 張良の才覚はあくまで外交方面、最大見積もっても大戦略分野への助言者程度で
戦術や軍事戦略に関しては二流以下(軍を率いての実績が芳しくない)
大戦略〜軍事戦略全般を担っていたのは何だかんだで劉邦以外いないのが実情
韓信ですら軍事以外は無能と言って差し支えないくらいのボンクラだったわけだし
482 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/21(月) 23:32:19.52 ID:1Ov4zoZg0
韓信も陳平も英布も項羽陣営から来た
つまり劉邦陣営の真の人事担当は項羽(確信)
483 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/21(月) 23:39:25.77 ID:1Ov4zoZg0
>>480劉備陣営はあの人材の薄さを見ると天下統一できなくて当たり前
むしろよく曹操に一時だけでも対抗できたなと思える
韓信もいない、張良ポジションの奴は次々と消えていく
敵は項羽と違って、政治も人事もちゃんとできる曹操
こんなんでよく弱小国とはいえ国を作って、まがりなりにも魏と対抗できるようにできたなと劉備と諸葛亮すげえと思う
よっぽど漢中と蜀って所が攻めるに難い土地だったってことなんだろう
俺のロワンはどこですか
魏も呉も蜀も自国領土内〜近辺に異民族をたくさん抱え込んでたからなぁ
実は三国鼎立どころでは無い戦乱の時代なのであった
曹操は「項羽がいなかったときの劉邦」っていうかんじがする
曹操は劉秀から武力マイナスって感じだが
器用貧乏な感じではある
こういう人って案外部下が育たないパターン多いけど
曹操が人材コレクターだったのが幸いしたな
曹丕はこの曹操の集めた人材がなければどうなってたかわからん
488 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/22(火) 21:53:47.37 ID:nqlrxobe0
>>486曹操は劉邦と違って、韓信役の人間がいないのが痛すぎた
韓信役の名将さえいれば赤壁で負けようと天下統一できただろう
夏侯淵を韓信役のポジションに据えたんだろうけど劉備に討ち取られてしまうしな
曹操時代はカバー領域が段違いじゃね
1人や2人韓信いても無理だろ
でも杜預ができたし。
項羽 劉邦 曹操 だったら曹操が断トツだと思うけどな
492 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/22(火) 23:32:32.24 ID:nqlrxobe0
>>491それは無いわあ
徐栄や呂布や劉備といった二流レベルの将軍に負けてしまうぐらいのレベルなのに
>>491 何を持ってダントツかはともかく、時代背景や得意とする戦法が違いすぎて
実際に干戈を交えたことのある項羽と劉邦の間でしか比較できんじゃん
>>492 徐栄は割りと隠れた名将だと思う
これ以上は三国志スレで話すべきだと思うけど
項羽は中途半端に戦術も齧ってたのがね
上杉謙信的な戦術的勝利を積み重ねて戦略的勝利一歩手前までは行くが
結局全て占領地失う的な
范増も使いこなせてないし陳平にも逃げられてるしまぁどう転んでもダメだわな
そもそも韓王殺してなけりゃ張良も韓王脅して劉邦陣営から離脱させれただろうし
>>494 項羽の覇権国家(西楚)を中心とする諸国家の連合という統治体制も悪くは無かったと思うがな
結局劉邦にひっくり返されたから「失敗した大戦略」扱いされてるけど
項羽に戦略的思考が欠けていたと評価するのは早計だと思う
どちらかと言えば劉邦と韓信による連携の方が異常
あれができる相手に勝つには騎兵による機動力と通信網の整備を大々的にやらないと対応できない
項羽軍団
君主:項羽
人事:項羽(項梁の残した人材も活用)
后:虞美人
腹心:項一族か妻の一族の誰か
内政統括:項伯(韓楚軍談より)
大将軍:項羽
戦略担当参謀:范増
謀略担当参謀:なし
補給:なし
外交官:武渉
方面司令官:項羽、章邯、龍且
後方攪乱:なし
司令官補佐:鍾離昧、季布、周殷、項荘、司馬欣、董翳
後方守備:項佗、陳嬰
497 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/23(水) 06:30:16.20 ID:a9rrRT+F0
なにか、急に曹操age項羽sageのレスが増えているな
秦が失敗した以上、覇王を主とする体制にするのは自然な考えだと思うが
項羽が懐王を殺したのは楚の伸張を阻んでいた貴族制度の打破と考えるのは深読みしすぎか
項羽やっぱり兼任しすぎで戦術特化って感じだがそんなに体制は悪くない
相手が悪かっただけで、劉秀や曹操なら決戦に持ち込めば勝利した可能性もあると思う
項一族重用は能力から見れば不当だが、君主の信頼という面からの起用と考えれば、悪くないという気もする
項一族は項燕の子孫だろうから、兵法や武術も学んでいるだろうし
関中と蜀握ってた劉邦陣営を相手に長期戦で項羽に勝ち目ないよ
勝ち負け数多あったけどけっきょくはあれ劉邦の中原進出の一進一退だからなぁ
>>495 あれは人事の失敗というべきか
項羽の欠点はほとんど人事なんだよな
項羽が傲慢さなくて兵站にも気を配れていれば
最初の漢中争奪戦の時点で正当に漢中の王になれてたな
ただこうなると楚王を潰すわけにも行かず古い王国の乱立になるから・・・
マジで劉邦は項羽が懐王殺してくれてラッキーだったな
>>494 >そもそも韓王殺してなけりゃ張良も韓王脅して劉邦陣営から離脱させれただろうし
というか韓王が生きている間はその配下として働いていたので、殺してなければ劉邦の元に
身を寄せる事も無かったな。やっぱり項羽のおかげで劉邦の処に人材が集まってるのか。
>>500 傲慢さがなかったら宋義殺すこともその後そのまま関中に攻め込むこともなかっただろうから漢中の王にはなれない(ならない)よ
>>500 項羽が兵站に無頓着だったわけではなく劉邦が関中の生産力を戦争に総動員して
河南で項羽に消耗戦を強要した事実の方が異常だと認識してもらいたい部分なんだが
大概の為政者は劉邦のような悪行堪えられないと思うがな
意図的にそうやっていたという点(蕭何を勲功第一に挙げた逸話)から劉邦は中国史屈指の悪人
楚漢戦争で割合不思議なのは、韓信が征服した国の兵士たちがまったく叛乱を起こしていないこと
秦は項羽に対する恨みがあったりするのはまだ分かるが、魏とか趙とか斉とかどうなってんだ
魏豹はケイ陽で処刑、趙は張耳がいるとはいえ趙アツが戦死しているのに誰も立ち上がらない(しかも張耳が趙王に即位するのは陳余死後1年経ってから)
斉はまだ田氏残党が各地で頑張るけど、臨シ陥落後1年で20万の軍が垓下に進撃できるくらいだ
陳勝蜂起〜六国並立するまでの経緯を考えればナショナリズムが多少あっただろうに何でなんだろうか
平定が早すぎた&戦争が上手過ぎたのかな
506 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/25(金) 13:49:27.45 ID:bJAXVx+A0
とりあえず周殷って何もんだったんだよ
いきなり楚の大司馬として登場するもんな
曹咎も同じく大司馬なんだけど
項氏も楚の貴族だったんだし項羽は貴族と封建制の復活を考えていたのだろう
しかしそれ以上に自分の好き嫌いを優先した結果が六国全部で反乱という始末
項羽って享年30か31歳だよね
楚漢戦争やってたのって25歳〜あたりか
そんな若僧であんだけの勢力持ってたってんだから
家柄・血筋・叔父に超恵まれまくりのスネオ血統とジャイアンの腕力を持った腐れボンボンだったんだろうなぁ
楚漢戦争ってけっこう僅差の総力戦みたいな描かれ方してるけど、
実際は劉邦のワンサイドゲームじゃないか?
或いはパワー系バカ項羽の直滑降凋落物語
楚漢戦争自体が結構な短期間なんだよね
項羽が成長するだけの余裕を与えなかった
>>509 欧米流の分類だが、項羽は殲滅戦略(会戦で敵戦力を破壊して戦略上の目標の達成を図るスタイル)の名手で
対秦では趙において成功を収めているし、対斉でも一定の成果は残している
劉邦も項羽に対し何度か会戦で敗れていてジリ貧に追い込まれたけど
河南で踏みとどまって以降は容易に会戦に応じることは無くなり
陣地戦と遊撃戦、さらに外交や内応工作も駆使して項羽が音を上げるのをひたすら待ち続けた
劉邦の方は典型的な消耗戦略
劉邦は負けに負けたおかげで逆に自分らの強みである消耗戦略に徹底することができたのが大きい
逆に中途半端に勝ってたりしてたら会戦に打って出て項羽に撃滅されていた可能性だってあった
>逆に中途半端に勝ってたりしてたら会戦に打って出て項羽に撃滅されていた可能性だってあった
俺もそう思う
これが劉邦でなくて曹操や劉秀だったら優位な状況を作った上で会戦での早期終結に拘り、
負けた可能性があると思っている
また、ここも韓信のすごいところで、あれほどの勝利を重ねれば、少しは慢心して
通常は項羽との会戦に臨みたがるところなのに、絶対に勝てる状況まで待ったこと
軍功だけなら韓信は曹操や劉秀、霍去病らと同等かもしれないが、
韓信は名声をうけるだけあって、彼らより一段上だと思っている
普通は不等号であらわせる関係でないはずだが、
劉邦>>>(項羽、劉秀、曹操)←三人は僅差
って感じで、鴻門の会の時のように本拠地に押し込めるか、大量の騎兵を用いるしか
韓信起用後の劉邦には勝てないんじゃないの
なんか肝心な時に、劉邦も項羽も韓信でさえも酒の失敗をしてるんだよなぁ
あの当時に中国で飲まれてた酒ってどんなんだろう?
節制とか「程々」とかそういう概念あったかもわからないし、良い気分で酔えたらとことんまで飲むのが日課になってそう
まぁ酒は高価なものだったんだろうけど
書経(尚書)に「酒誥」という篇があって、周公旦が「殷は酒飲んで酔っぱらってばかりいるから滅ぼされたんで、
お前らは慎めよ」と書き残した物だとされている。
女でマツリゴト疎かにするなよと言いながら巨大後宮を用意される
男はいつも、社会的大物になるにあたって理性を試されてるんだよ
叔孫通が礼を制定するまでは朝廷で諸将が大声で言い争ったり酔って柱に剣で斬りつけるのが日常だったらしいからその有様はもうすごかっただろう
前漢から、礼のある宴会でも酒はつきものになったらしい
漢書の「食貨史」によると、漢代の飲酒の量は相当なものであったよう
酒自体のアルコールの量が少ないから、酸化しやすい上に大量に飲まねば酔わないそうだね
酒の種類はそれなりにあったようだから、
自由に高い酒を飲めるのは、庶民層の憧れみたいなものもあったんじゃないかな
酒盃を掲げてる劉邦像を思い出した
しかし、なぜ范増は項羽に疑われた後、軍を出ていったのだろうな
項羽なり劉邦なり暗殺をはかったり、劉邦にさらわれて無理矢理情報を聞き出されたり
する可能性は考えなかったのだろうか?
それとも、引退したら場所はつかむのはあの時代は困難だったのかな
項羽は暗殺なんてことはしないと范増なりの確信があったのかも
離間の計に引っかかった項羽が案外激情のままに即座に范増切っちゃっていて、
あとになってからこれじゃヤバイと思って「范増は出て行った先で憤死した」ってことにしたのかもね
まぁ今までの例だと范増が劉邦陣営に逃げこむ可能性もあるよね
范増なんて楚軍の配置から兵站まで全て知ってるんだからそのまま引退させるとかありえんわなぁ
腫れ物がデカくなって死んだとかもなんか呂后と一緒でうそ臭い
そこでそういう事をしない=婦人の仁なんじゃねーの?
そもそも范増って項梁配下に加わる前はどういう立場の人だったんだろ?
旧貴族とかその食客だったとかの記述もないようだし
反秦勢力に売り込んだ山師にしては七十歳って当時としてはどうなのか
劉邦陣営に范増が居たら張良は合流せんだろうね
項羽が婦人の仁なんて言われるようなたとえ上辺でも優しさアピールしてるようなエピソードってなんかあったっけ?
鴻門の会で劉邦暗殺を迫るハンゾウを無視してやってしまわなかった。
既に和睦が成っているのに殺すのは仁ではないと。
おかげで後に和睦を破って襲いかかってきた漢軍に滅ぼされる事になった。
あそこでハンゾウに従っていればと悔やんでも後の祭り。
戦場で戦ってる一兵卒とかには優しい声かけたり
傷病兵を労わったりしてたんじゃないのかねぇ
声かけたり酒振舞ったり肩貸してやったりと
金のかからないようなの
528 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/28(月) 00:19:25.61 ID:KywNWNoF0
>>523 縦横家の生き残りかね
縦横家の時代は終わっていたため、雇われ先もなく人生を諦めていたら
また戦乱の世が来て山っ気がむらむらとわいてきたってとこか
>>525 @仲間の死を減らすため、悪あがきをせず、自殺したところ
A無意味と分かっていても28騎のために、奮戦したところ
B劉邦の見捨てた父や呂雉を殺さなかったところ
C紀信のような勇者を部下にしようとして、断られるリスクを省みないところ
D虞美人の心配を最後にするところ
E項伯の失策を追求せずにそのままにするところ
F劉邦に一応、漢中と蜀をくれてやるところ
BとFが特に大きいかな、もはや人質の価値がなくなった以上、
「父と妻を見捨てた男」という悪名を劉邦に負わせ、精神的なダメージを与えられるのに
しなかったのは大きい
だからこそ、項羽が後世から人気があり、惜しまれると思うけど
>>528 >C紀信のような勇者を部下にしようとして、断られるリスクを省みないところ
そこで紀信を助命する太っ腹な処を見せられないのが婦人の仁。
>>528 最後の逃避行って滅茶苦茶悪あがきやろアレ
@とAだけで矛盾するあたりがもう「婦人の仁」なんだろうな
父と妻を人質にして「ほらほら 言うとおりにしないと釜茹でにしちゃうぞー」って脅すのが丸出ダメ太郎な気がするが、
当時はそうでもなかったのだろうか
これがあるから、現代の感覚からするとその後の劉邦の和睦盟約違反が悪いことにあまり思われない
むしろ盟約調印直後に項羽に追撃すればよかったのに、一ヶ月も悩んだ劉邦こそ「婦人の仁」なのかと。
当時は劉邦が逃げる車から子供らを投げ捨てても非難されないような時代だよ。
実際にはその度に夏候嬰が車を停めて拾ってきたんだから全然余裕だった訳だが。
劉備も息子投げ捨ててたしw
534 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/28(月) 20:20:31.06 ID:2wjxYT2G0
>>533劉備は妻子を見捨てて逃げただけで、投げ捨ててはいない
どっちにしても酷い話だけど
>>534 あれじゃない?趙雲が抱いてきたやつをカッコつけて
「こんなガキよりも趙雲の方が大事じゃ」って放り投げたとかいう
536 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/28(月) 20:53:53.94 ID:2wjxYT2G0
>>535それは演義だけの話
余談だけど、蒼天航路じゃ劉邦の真似して劉備に子供を投げ捨てさせてたな
537 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/28(月) 21:39:06.02 ID:+8FFfZ3j0
いや子供投げ捨てたのは当時でも非難に値する行為。
あの話は高祖本紀にはない。夏侯嬰の列伝にある。
本人の恥になるようなことはなるべくその人物の伝では書かず、他で書くという
司馬遷がよくとる手法。逆に言うと後ろめたいわけだ。
>むしろ盟約調印直後に項羽に追撃すればよかったのに、一ヶ月も悩んだ劉邦こそ「婦人の仁」なのかと。
これは仕方がない
次に項羽と戦う時も膠着しても講話を行うという戦国諸侯制度に戻す選択肢をなくし、
劉邦が皇帝を目指さねばならないという決断の瀬戸際だから
ここで盟約を破れば、漢王・楚王としての両立はなくなり、
力で抑えない限り、漢と盟約を結ぶ国はなくなるのだから
結果論だけど、野戦では不意打ちかけても劉邦は項羽に勝てなかったしな
垓下(あるいは陳)で項羽を追い詰められたのは、韓信軍がやって来たおかげ
だまし討ちの不意打ち、しかも後背衝いて
それでも勝てなかったんだから打つ手はねえわ
項羽の戦術に関する手腕は異常
詭計に走る韓信とはまた違った「巧緻」さが光る
劉邦が項羽に不意打ちかました時ってあったっけ?
もたもたしてたせいで不意打ちにならず正面衝突になったとかならあるけど
542 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/29(火) 17:08:18.88 ID:bSAHiAP80
>>541 垓下の戦いの前に和睦して、撤退する楚軍を劉邦が襲った件じゃね?
544 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/03(日) 14:27:45.02 ID:cjtfBBYq0
でも結局項羽が撃退してるんだよな
単純なぶつかり合いでは項羽に勝てるのはいないね
韓信のように策を練ってようやく勝てる
単純なぶつかり合いで強いって、項羽が強いってより楚兵が強いだけじゃないの
信玄が城を建てた、みたいなもん
ナンセンス
そうじゃなくて、項羽が策を弄さずに戦ったとしたら、じゃあその楚軍の強さの源はなんだったんだろうってこと。
結局、軍の強さを左右するのは兵の質って話になっちゃうんじゃないの。
わかってますよ
地域の気質があるんでしょう
あんなところ、地理的に強くないと生きられないし
そのリーダーが強いのも道理、強い者がリーダーに立てられて当然
兵の強さはリーダーの強さと言って良い
549 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/04(月) 11:21:03.59 ID:n2ffZKjZ0
兵の強さって言ったら秦が最強で次が魏や趙じゃねーの?
斉は弱兵って言われてたらしいが
楚はそんなに強い印象ないな可もなく不可もなくって程度
やっぱ大将の鬼神のような強さで兵に勢いが出てたんでしょう
楚は楚人というか南人のころから勇敢、屈強という評価はあるね。
裏を返すと凶暴な蛮族でもあるけど。一度激怒すると止められない。ゴシショが代表。
兵隊の強さなぁ
実際は英雄が出てきて覇者になった国もその英雄が死ねば草刈り場になったりするし
あんま関係ない気がするけどなぁ
それは結果でしょ
過程を見ていけば強いのはわかる
>>549 いつの時期が基準なのかわからんなそれ
少なくとも魏兵はホウケン戦死から楚漢期に至るまで楚兵より強いイメージが無い
斉は滅亡期が酷過ぎただけだろうし
なぜ率いる軍が強かったのかよくわからない将軍
西の横綱がナーディル・シャー
東の横綱が項羽
項家のサラブレッド
項梁も正妻持たず項羽を正統扱いしてたし
項羽本人も同胞や兵には(その場その場では)人情厚かったようだからじゃないかねえ
個人的には若い頃兵法を究めようとはしなかったって話が凄く引っかかる
剣術も途中で止めた割には無茶苦茶強いし
槍術とかは極めてたんじゃね
器用貧乏なんだろうな
あと飽きっぽい
ただ武術だけはその程度でも凄まじく強かったと
ただ英布とかは普通に項羽とやりあったみたいだからな
漢軍の頭かち割られた将軍連中がしょぼいだけで英布や龍ショレベルなら
易々と項羽に討ち取られはしないと
デカい体でバカ力があれば、クソ重い薙刀とかを振り回すだけで無敵よ。
560 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/09(土) 18:27:08.14 ID:dsfNtjek0
最強と言われる武将も2タイプある
個人武勇型:項羽、呂布
作戦指揮型:白起、韓信
白起ってそっちか?
白起が個人の武勇でどうたらって聞いたことがないが
キングダムじゃあるまいし
最強と言われる武将は3タイプあるんじゃね?
個人武勇型:呂布
作戦指揮型:白起、項羽
軍務戦略型:韓信
ついでに政務戦略型:張良
さらに軍政戦略型:諸葛亮
そういう事じゃなくて、ちゃんと勝つけど敵も味方も死にまくりやないか、と
史記を根拠とした項羽猪武者説はいい加減にしろよ
ただの猪武者に史記で描かれているような百戦百勝ができると本気で思ってるのか?
項羽は特に猪武者ってことはないだろ
楚王に刃向う謀反人なだけで
項羽って、たった一騎で万の敵に突っ込み「うぉああああああああ」とか薙刀振り回して、一度に2・30人斬り殺す奴だろ?
どう考えても個人武勇型だろ。
>>567 その世界の始皇帝は「煮殺せィ」とか言ってたりしないか?
項羽って戦闘中に大怪我したことないのかな?
よく言われるような先頭きって戦群に向かってくようなおっさんだったら
怪我しそうなもんだ
特に矢傷。
偉いマッチョさんが割と近くまで寄ってきて
長槍振り回して手がつけられなくなったら、
普通は矢とか投石とか中・遠距離武器で一斉攻撃するよなぁ
それを防ぎきる手立てって当時はないと思う。
>>569 自刃する少し前に負傷してなかったっけ?
571 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/10(日) 18:17:25.75 ID:xb3UalP90
劉邦ってそんな強いイメージはないけどけっこう戦争は自ら行くよな
漢王朝成立後の各地の反乱もほぼ自力で鎮圧してるし
戦争好きなんかね?
>>571 野郎ども集めてわいわいやるのが好きそうなイメージはある
劉邦は前身に十数カ所の刀傷がある
項羽の軍師が孔明なら項羽が勝ってた。
さらば韓信
>>574 「臨機応変の才能は微妙」と陳寿に評された諸葛亮じゃ、臨機応変の才の塊の韓信に勝てる道理なし。
それは気のせい。 レベルの土台が違いまする。
楚漢時代より明らかに三国時代の方が群雄割拠してる。
劉邦と項羽以外は腰抜けの集まり。劉邦ですら逃げ回ってただけだろ。
見栄えがするのが韓信張良蕭何くらい。項羽が相手舐めてかかってパンチ打ち過ぎてただ単に自滅しただけですわ
異論は認めない
そっすか。
孔明って自分よりも賢そうなのがいる職場避けてバカしかいない職場を選んだわけだけど
項羽と劉邦の旗揚げ当時の状況は両方とも自分よりも賢そうなのいるじゃん
俺は特に意見無いけど、異論は認めない
孔明が項羽の軍師になるの嫌がるだろ
そして項羽が孔明の忠告を聞くとも思えない
そういや韓信は割りとあっさり三秦を手に入れたけど
孔明は北伐うまくいかなかったな
防衛メソッドがたまってたんじゃね
戦術・戦略のメソッドも
韓信より遥か後に出てきた孔明の方が持ってて当たり前だしね
「史記」読みなさいよ
>>580 参道焼き払って落ちぶれた元大将軍章邯を打ち取ったやつか。
結局章邯も項羽と一緒で相手を舐めてかかった結果だ。負けるべくして負けてる。
天意ってやつだな
俺が言いたいのは楚漢時代は相手が舐めプで猪みたいな連中が無謀な戦いを繰り広げて自滅したにすぎんって事。
だいたい韓信は人心をまったく把握できず負け戦は主君のピンチだろうが絶対駆けつけないただの負けるのが嫌いな戦術ヲタだ、なんか大事なもんが一つ決定的に欠けてる大将軍ってとこだな。
韓信は後も殺されてるし 孔明は後を託されてる。 えらい違いやないか
劉備は大義よりも小さな義を優先する小物だから
荊州で劉表死んだ時に動かなかったり関羽のために
蜀呉で戦争始めたり
劉邦とは比べ物にならんよ
おいおい、楚漢sageやるなら「所詮、楚国内の主導権争いじゃん」から始めんといかんだろー
それに、章邯は大将軍になったことないし、韓信が負け戦で主君のピンチに駆けつけなかった話もないし
一体何をソースに語ってるんだ?
あと、孔明の真骨頂は軍事的手腕じゃなくて政治的手腕じゃん
益州一国でほぼ毎年の大遠征行って、びくともしない政治力を褒めんといかんだろう
そういう意味では、孔明は蕭何に比較すべきで、韓信と軍事的功績争ったら孔明が不利すぎる
まあ、韓信の政治的功績がそこまでないからこそ、そこを叩くしかないんだけどさ
>>585 夷陵の戦いは、後世の歴史家からもボロボロに叩かれる始末
冗談抜きで、あれなんで戦おうとしたんだろうな
孔明がせっかくお膳立てしまくった、劉備を劉邦に擬す路線が半壊しちゃったし
劉邦は田舎の親父がそのまま天下取ったイメージが強いけど
項羽の義帝殺害非難を筆頭に、大義名分に完璧に則った難癖に成功してるんだよなあ
彭城の大敗北でご破産になっちゃうけど
+TB8zilv0も酷いけどそれに答えてる奴の三国志知識もうーん…だから楚漢オンリーでいこうや
ン? もちろん作り話の有名な何度もドラマや映画でリメイクされてる方の話をしてるんだろ?
まさか文字だけの本の話で語ってるんか?ありえんわ
ああ、夏休み恒例の触っちゃいけない人だったのか
迂闊なことしたわ
それが絶対正しいかも分からんもんで偉そうにすんなよw
恥ずかしい連中やのw そもそもドラマや映画みたいにあることない事いっぱい入れて良く作り上げてないと、こんなもんに興味が沸くかよ。
センス無い人間には意味が分からんか。万民にうけてなんぼやろ
万民がウケたからこんなスレがあるんやろ。 一部のマニアックがそれはあったそれはなかったとかどうでもええんですわ、マジでさっぶい連中だぜまったくw
面倒くせえな
そう言うんな、せめて何の創作物を元にそう思ったのか、作品名くらい出せよ
テメーの母親でもないのに、なんでテメーの思考をエスパーしなくちゃいけねえんだ
>>571 その頃には猜疑心が強くなってて部下に任せられなくなってたんじゃね?
最近、ニコ動で周章と周市を知った。
コメで“函谷関破ったのって
後にも先にも周章だけなんだよな〜”ってあったんだが、
じゃあ劉邦が咸陽攻めた時は
どうやって函谷関抜けたの?
あと周市って魏咎自殺した時
もうすでに死んでるのかな?
それとも章邯から逃げて生死不明?
>>596 劉邦は武関経由で秦に入っているから函谷関は通っていない
>>596 >じゃあ劉邦が咸陽攻めた時は
劉邦は南の武関から攻めた。項羽らの主力が東の函谷関から攻めるのに対して
陽動部隊として南回りのルートだった。遠回りだけど主力が進軍に手間取っている間に
賄賂を使ったりなどして無駄な戦いは避けて項羽より先に関中に入った。
597598
なるほどね
ありがとう!
方角も教えてくれたからすんごい分かりやすかった
楚漢の創作してるからほんと助かります
>>598 劉邦出発時点ではそもそも項羽らの軍は趙で章邯と対峙してたな。
で、項羽では進軍が遅れるということで劉邦が大将になった。
だから劉邦の軍は陽動じゃなくて、秦討伐の本命だよ。
章邯が思うまま動けない間に本国を攻める必要があったから行く先々で皆殺ししそうな項羽が避けられた。
じゃあよくよく考えたら周章ってかなりすごいんだな…
ただの数の暴力なだけだったかもしれんが
周章をあっさり殺っちゃう章邯はもっとすごくて
その章邯を……略
そんな単純なものなのかな
周章と章邯がどれだけ強かったかで
項羽と韓信の評価が大きく変わってきちゃうね
今日am3:30からドラマ楚漢伝記の
宣伝ダイジェストやってたね。関東だけ?
“国士無双”のフレーズ連発で
韓信好きとしては嬉しい限り
>>600 何言ってんの?項羽の軍勢が章邯を破って函谷関を抜けてきたら
既に劉邦の別働隊が関中入りしていたんで怒った訳でしょう。
項羽は主力の大将であり、劉邦は別働隊の大将だった。
別に項羽が避けられたとか無いし。
仮に劉邦が主力だったら先に関中入りしたのに約束の関中王に成れない訳が無かろう。
劉邦が南回りルートって知らないで楚漢の創作出来るのか(困惑)
>>600 それの種本は?
どちらが主力、っていうのは曖昧なもんじゃないのだろうか
項羽の章邯討伐隊は敵の大本を倒すんだからもちろん主力だし
劉邦の咸陽陥落隊も章邯の拠る辺を奪うという点で
すごく肝心だから主力っていってもいいし…
どっちも主力でいいんじゃないかね
項羽とギスギスしてそうな懐王的には
劉邦にがんばってもらいたかったんだろう
>>603 確かに…w
武関の位置さえ知らないで創作とか情けねぇ;
自分で自分にツッコんだわw
てかよくあの当時に、劉邦を大将に据えたもんだ
懐王陣営によっぽど人材がいなかったのか?
>>604 >どちらが主力、っていうのは曖昧なもんじゃないのだろうか
いやいや、劉邦隊に期待されたのはあくまで陽動作戦。距離的にも遠回りだし、
先に関中入りするとは誰も思っていなかった。
ただ懐王が「最初に関中入りした者が関中王」と言い出したので劉邦は
陽動作戦はおいといて無駄な戦闘を避けてどんどん進んで項羽に先んずる事を目指した。
そうね 正式には項羽が正規軍だというのはわかる
ただ心情的な話という意味で
劉邦は関中入り本気で行軍してたし
懐王もどこか期待してたんじゃないかな、という妄想
みんな、楚漢マイナー武将で好きなの誰?
項劉とか三傑、章邯陳平あたりなしで
じゃあ自分は呂馬童で
あと曹参とかはOK?
>>608 それは意外…呂馬童…!
小間切れを手に入れたことしか知らんのだが
魅力ポイントはなんなんだろう?
曹参はすごい
何においても“有能”って言葉がピッタリだよね
韓信以外教祖が見つからないから
魅力がある人いたらもっと教えてほしい
研究者によると、鉅鹿の戦いで秦軍正規軍が壊滅して、ようやく劉邦は西進してるから
主力と呼べるほどの兵力はなかったっぽいぞ
そこから、短期間で南陽制圧して武関突破して咸陽に攻め込めているあたり、劉邦なり張良なりがすごいんだろうけど
>>605 項梁の時代にすでに項羽と劉邦がツートップだったし項梁が死んだときも項羽と劉邦の二人で相談して退却をきめているから劉邦の地位は割と高かったはず
ツートップだったかどうかは史記だと分からんけどな
項羽の別働隊に劉邦が参加していたのは確かだけど、あの当時の楚国陣営の組織図は不明瞭だし
項梁死後に彭城を守備した三軍を見れば、項羽と並び立つのは劉邦じゃなくて呂臣
劉邦は彭城より遠方のトウ郡を守備している程度
楚漢戦争で項羽はよく兵糧調達・兵站で失敗してたけど、
対秦のときもそうだったのかなぁ
逆に劉邦はドンドコ進んでるよね いくら戦闘回避して進んだとはいえ
よく武関のとこまで糧道築けたものだ
劉邦は鉅鹿の戦いで一挙に西進できた(それでも咸陽に行くまでに10ヶ月かかってる)けど
項羽の場合、王離や章邯が健在だったからなあ
章邯たち秦軍が殷墟で降伏して(鉅鹿の戦いから7ヶ月後)ようやく西進できるようになったから、そりゃあ劉邦に負けるよ
>>603 史記高祖本紀に
「當是時,秦兵彊,常乘勝逐北,諸將莫利先入關。獨項羽怨秦破項梁軍,奮,願與沛 公西入關。
懷王諸老將皆曰:「項羽為人?悍猾賊。項羽嘗攻襄城,襄城無遺類,皆?之,諸所過無不殘滅。且楚數進取,前陳王、項梁皆敗。不如更遣長者扶義而西,告諭秦父兄。秦父兄苦其主久矣,今誠得長者往,毋侵暴,宜可下。今項羽?悍,今不 可遣。獨沛公素ェ大長者,可遣。」
卒不許項羽,而遣沛公西略地,收陳王、項梁散卒。」
と書いてるよ
楚の主力なのは項羽がいた軍だけど、秦を最終的に滅ぼすことを直接の目的としていたのは劉邦の方
それは高祖本紀だから劉邦の部隊が陽動目的の別働隊である事実を隠していると考えられる。
話の流れ見てると、項羽好きが多いことが分かるね〜
秦討伐の主力がどちらかでここまで討論が起こるとは…
主力はみんながお好きな方でいい、ってのはダメかね?w
“中国は項羽 日本は劉邦”
という風習があるんかなーて思ってたけど
どっちも項羽派なのかな?
漢軍派としてはちょっと寂しいわ。
史記見ても劉邦自身が軍を指揮して戦ったり策謀を立てたりした描写があんまり書かれてなくて間違いなく強いんだろうけど強さがわかりにくい
豊を雍歯にとられて病気になって帰ったとか彭城に100万で攻めて3万に負けたとか負け戦の描写は詳しいのに勝った戦いは大体部下の献策で勝った事にされて…
マジたまらんですわー
619 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/25(月) 08:49:08.54 ID:dff9VLID0
司馬遷は漢王朝に酷いことされたからね、仕方ないよね
項羽以外との戦績は実は結構良いんだけど、楚漢戦争のハイライトの戦いのほとんどに敗北してるからなー
一応、英布を撃破できる実力者なんだけど、印象が薄い
621 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/26(火) 12:46:30.12 ID:gTUug7tI0
日本人は判官びいきが多いから項羽のほうが人気あんじゃない?
横山版だとジャイアンみたいな絵面だし
短気で粗暴でボンボン育ちな描かれ方だからなぁ
泣いたり笑ったりお調子者で人情味あふれてるように描かれてる劉邦のほうが人気高いんじゃないかね
>>622 >横山版だとジャイアンみたいな絵面だし
横山版だとジャイアントロボみたいな絵面だし
と空目したが、あながち似てないわけでもないなーとか思った
ぎょろ目なとことか
624 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/26(火) 14:42:53.09 ID:0qij7BMr0
顔奇虎カード国会360問題代々木TBCアリナミンSIM豪遊タイauガソリンイラクシリア貧相ケーブル氷水ディレクタージュリアナ大阪テレビ貯蔵決済アリババ大卒業生豚骨光金ガンダムホー銅ドラマックス侍ニューヨーク警備員森林火災愛知鉄工房総ラーメン
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625 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/26(火) 20:26:40.39 ID:qSPekdz10
やっぱり南越がナンバーワン!
626 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/27(水) 21:27:55.16 ID:V8ASYy+p0
>>621宮城谷が「劉邦」の連載始めた理由に
項羽贔屓の作品の方が多いから、劉邦主役の作品を始めたと言ってたぐらいだから
やっぱ項羽の方が人気あるんだろうな
項羽は人気あるのに呂布は人気無いのなw
628 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/27(水) 21:41:07.08 ID:V8ASYy+p0
>>627呂布も十分人気あるけど
三国志だと他に劉備三兄弟や孔明、曹操とかの方が人気あるからなあ
対して項羽は楚漢の中ならトップクラスの人気だろうし
項羽贔屓の作品ってそんなにあるか?
項羽は四面楚歌で漢文で必ず習うってのもあるんじゃね?
631 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/29(金) 00:24:23.96 ID:IM1mLqpe0
天下人ってのは嫌われるんじゃね?
日本じゃ頼朝も家康もあんま人気ないし
覇業半ばとか悲劇のとかのほうが物語的に魅かれるのでは?
632 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/29(金) 00:27:14.00 ID:AnMQVHE00
>>631尊氏もそうだな
頼朝より義経、尊氏より正成、家康より信長、秀吉って感じ
633 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/29(金) 08:44:57.85 ID:Oa1Q6XXO0
秀吉は晩年はともかく天下人でなおかつ人気もあるって稀有な存在だね
秀頼が壮絶な自爆したおかげで、判官贔屓が秀吉にまで遡ってるんだと思う
まあ、最終的勝利者な家康も三傑ということで人気あるけどなあ
635 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/31(日) 22:43:15.76 ID:UCFsoo0/0
宮城谷の「劉邦」はどこまで書くつもりなんだろうか
ちゃんと晩年の疑心暗鬼になった劉邦も書いて欲しいが
>>635 主人公美化に定評のある宮城谷にそんな事期待するな
>>622 横山版の、努力家で天才設定はいらなかったと思う>劉邦
最期まで戦場に出続けた軍人皇帝劉邦
晩年の劉邦って特に美化する必要ないっしょ
それほど長生きでもないしあまり変わらん
639 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/03(水) 10:53:53.67 ID:vb3CFUr60
項羽や韓信や冒頓単于に比べると劣るけど
劉邦もそこそこ強いよね
項羽が率いる主力と対峙したのは常に劉邦だもんな
臣下たちの奮闘があればこそだろなんて意見もあるかもしれんけど、
項羽を相手にし続けてれば根負けして終わった可能性だってあるわけで
641 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/03(水) 11:43:17.19 ID:vb3CFUr60
項羽戦争後の反乱もほとんど自ら鎮圧してるしな
というよりあれだけ反乱が多かったから他人を信用できなかったってのもあるかも知れんけど
劉邦は戦上手だけど
大軍を率いる立場になった後もよせばいいのに先陣まで出張ってるのがやべー
おかげで若い頃から晩年まで戦傷だらけ、突出するから敗戦に繋がりやすいし
まあリスクを背負ったからこそのカリスマ劉邦なんだろうが
643 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/09(火) 08:19:08.97 ID:f/fc4Vtf0
封ぜんの儀式をやった始皇帝も漢武帝も全く戦場に出てないしなぁ・・・
やっぱ王朝の創始者のパワーは凄いね
>>642 晩年の場合は他に大軍率いれるような臣下いなかったとか、
臣下に大軍は率いさせたくなかったとかあると思うけど。
若い頃も結構前線出てるもんな
自分餌に韓信に陽動かけさせたりして結構窮地に身を置いてる
「あたし今生きてる!」って実感を感じてないといられない性格なんじゃないか
646 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/12(金) 08:09:27.94 ID:6MkArTvs0
義弟のハンカイすら晩年は疑ってたしなぁ・・・
煮られる奴多数
>>645 以外にも項羽より武闘派だったりしてなw
皇帝って孤独なんだろうね
近寄ってくる奴は全部金目だし
650 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/13(土) 12:14:58.28 ID:RlRC1jLM0
張良も天下統一後は逃亡(隠居)したし蕭何も投獄されてるしなぁ韓信は言わずもがな
陳平は外様なのに特に疑われずに政権トップ維持したのは凄いね
陳平は即位前から心情的な繋がりみたいなのが薄くあんまり信用してなかったのがある意味で直接的な猜疑心の矛先から免れる事が出来たのかも
あるいは陳平自身の要領の良さもさる事ながら適度に俗っぽいエピソードがあるから信用は出来なくても反逆じみた事はやらないみたいな
652 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/13(土) 17:25:44.02 ID:hGLdab4B0
三国のカクみたいにそういう事をやってきたからこその対処のうまさなのか
陳平は劉邦後の漢を救ったから見事としか言いようがない
案外 陳平とその一派が「蕭何が何か企んでるみたいですぜ!」「樊カイが『皇帝いつか〆たるわ』、つってましたぜ!」って
劉邦にあることないこと吹き込んでたのかもしれんね
654 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/13(土) 18:35:58.55 ID:lo8r7O4g0
漢を救ったのは劉邦の予言どおり周勃の功績が大きいんだけどね。
というか周勃は過小評価なのかもしれんな。
陳平は項羽から逃げてきて劉邦に取り立てられたから
楚漢戦争時は裏切る可能性がゼロだった
陳平が降伏しても100%斬首だからね
そういう境遇の中で結びつきが強まったんじゃないのかな?
あと匈奴の包囲から劉邦を助け出したりしてるし
陳平は他者の心理を読む達人だと思う
それで劉邦呂后の心もゲットしまた楚軍を崩壊させ冒頓単于を退却させた
そういう風に相手に応じて動くのは得意だけど自分から行動を起こすのは苦手みたいな
658 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/14(日) 04:48:16.00 ID:8RuQ/0R60
チンペイみたいなのは本来真っ先に粛清されると思うんだがな それがなかったのも才能か
世の中じゃ張良>>>>陳平だけどさ
これ引き際の良さと仙人思想で持ち上げられてる部分が多分にあるよね
范雎なんかもそうだけどさ
最後まで漢王朝守った陳平の方がどう考えても功績は大きい
個人の処世術としては張良だろうけどね
まさか陳平が漢王朝を救うとはね
劉邦の配下になる行動を見るとそんなことどうでもいいような気質の人物に見えるのに
これだから歴史はわからないし面白い
士は己を知る者のために死す
という感じかな
662 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/14(日) 14:53:24.28 ID:o7Z0QgU90
>>658 才能より功臣としてのレベルが低かった、と陳舜臣氏は書いてるね。
ハイ出身者以外で張蒼、レキイキ、陳平と生き残ったがランクが下で元勲クラスではない。
韓信、ホウエツ、鯨布、ゾウトらは皆消えた。
大功臣のうち残ったのはハイ出身のショウカ、曹参、周勃でロワンですら消えたと。
ショウカもあのザマだから相当警戒したんだろう。
まあある意味当然で、優秀で力ある人物ほど危険だから、上から消していかざるを得ない。
案外ビッグネームほど厳しかったんだろうね。
そこで灌嬰
余計な自己主張がなく任務は及第点以上に卒なくこなす
正直この時代で特に好きな人物
664 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/14(日) 16:44:34.01 ID:0DbBbwr20
レキイキって斉に殺されただろ
降伏勧告中に韓信が斉の城全部落としたから
>>664 ああ、文意的に生き残ったとまとめたが
粛清に合わなかった、ということな。
だから劉邦が粛清したのは未遂の樊カイ除けば、王だけだって何度言えば
>>666 お、おう・・・ いやだから?
王じゃなければその他の奴らは絶対安全な存在、と言うなら
そりゃ違うだろう。ショウカの一件だけでも。陳キも厳密には違う。
三傑以下のトップ功臣勢は戦々恐々で、死ぬかは別として害も受ける訳だから。
レキイキの弟のレキ商も天寿を全うしたと言えるけど流石に劉邦にも負い目があったのかね?
669 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/14(日) 23:43:11.80 ID:0DbBbwr20
レキ商・レキキ親子も呂氏クーデターを失敗させた一員だから残しておいて良かったな
諸侯王、相国、次の代の外戚といった、自分や後継者にとって害になる可能性のある地位にいるから猜疑の目を向けたんだよ
張良は隠棲後はどうしてたんだろうなぁ
旅でもして暮らしたんだろうか?
張良は引退したけど息子はその後も漢朝仕えてたよね
あんま活躍はしてなかったみたいだけども
張ヘキキョウだっけ?名前だけ覚えてる
始皇帝の跡を扶蘇が継いでたら、秦王朝は続いたんだろうか。
続いてたでしょ〜
そっこー焚書坑儒撤廃して
驪山の労役撤収、阿房宮建築中止
おまけに文武両道の蒙恬丞相。
……とまで完璧にはいかなくとも
15年でお陀仏ってことはなかったと思う。
675 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/16(火) 08:05:16.46 ID:57z3sqKV0
悪法は2世皇帝時代にかなり出来たらしいからな
それに加えて蒙毅と趙高は険悪の仲だったらしいから趙高があんなに幅利かせることもまず無かったろうな
趙高も何かと反発する蒙毅が目障りだからさっさと消したんだろうしね
ショウカさんや韓信の子供ってどうなったんだろうねえ
陳平の子孫の話とかもまったく聞かんな
>>677 民族的に滅亡してるんだから子孫がいるわけないだろ?
現在の中国人は蛮族の子孫だから人種が違う。
>>678 まぁ韓信については一族粛清されてるだろうけど
ショウカさんや陳平は粛清されてないから存続してたんじゃないかねえ
>>679 劉邦達の民族を判り易く華夏族と呼ぶ
華夏族の人口推移は漢の最盛期の人口6000万人、三国志末期700万人、
西晋最盛期1600万人、東晋初期100万人だが五胡十六国時代には
他に2つ程は華夏族の国があった。
420年に東晋は滅亡し蛮族の南北朝時代へ。この頃に華夏族も滅亡。
その後時代は流れ、蛮族の南宋、金が滅ぼされモンゴル族の時代へ
再び蛮族の子孫が返り咲き明朝の時代へ
華夏族の文明文化を受け継ぐ者として漢民族を提唱し定着
姓等も漢の頃にあったものへ変更する
中共は文化を捨て去ったので現在は漢民族も消滅し自称漢民族が湧いている
自称劉邦の子孫は五胡の蛮族の一つである匈奴の子孫。まあ蛮族の混血だが。
>>677 蕭何の直系は子供が産まれなかったかすぐ死んだかでいない。種薄?種弱?
何度も家系断絶の危機になったが親族を見つけて暫くは維持していた。
陳平の子孫はやしゃごが罪を犯して死刑になり終了した。
五胡はあんまり詳しくないけど
蕭道成が子孫名乗ってたな。あれはどれくらい信憑性があるんだろうか。
織田無道くらいだろ
前涼、冉魏、西涼、後蜀、北燕が漢族じゃねえの
>>684 いや単に時代としてあの辺をまとめただけだ
六朝のがよかったかもな
>>674 丞相は李斯で良いだろ、精神力は弱いが能力はあるんだから
687 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/17(水) 20:56:51.46 ID:OY+HZRlY0
扶蘇は儒者寄りだから李斯を許さないんじゃないかな?
武の蒙恬、文の蒙毅兄弟が国政を回しただろう
李斯に扶蘇の下で丞相の地位を保てる自信があるなら趙高の誘いに乗らない
李信将軍って楚攻め失敗した後どうしたんだろう?
>>689 そもそも資料が少なすぎるんじゃないかな
ただわかるのは蒙恬や王翦ほどの活躍はしてないんだろうなってくらい
>>689 一応、秦が統一するまで活躍はしたらしい
692 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/18(木) 11:56:13.95 ID:bD2ncIHa0
李信は子孫が武帝時代に登場したから粛清はされてないだろうな
その李陵が匈奴に投降後はどうなったか知らんが
693 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/18(木) 20:52:07.33 ID:co4tPDJc0
694 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/18(木) 21:15:55.42 ID:GCdZnQjd0
>>689王翦が楚を滅ぼした後は燕・代・斉攻略で活躍した
李信の子孫は項羽と劉邦の時代では何をしていたんだろうか
695 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/18(木) 21:42:35.32 ID:MHW4Me3K0
秦統一から項羽龍鵬時代まで20年くらいしか差がないからせいぜい子供の世代だろうな
王家は王賁の子の王離が項羽と戦ってるな
>>694 後付けの系図では子孫が高祖の時に将軍になったことになってたらしいけどな
キングダムの信=李信説があるからなぁ
李信に子孫がいたとなると、奥さんは誰かちょっと興味がわく
>>697 いや説じゃなくて確定じゃなかったっけ?違ったらすまん
>>697 普通に李信だろ
李信なんて個人伝もないし薄っぺらいから描きたい放題だな
いや、全部描きたい放題やってるかw
嫁さんは初期からいる変な女軍師で良いじゃん
>>699 キョウカイちゃんはチャンスないの?
そりゃ史実じゃ男らしいから問題あるかもだが
701 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/19(金) 12:51:13.92 ID:YtXIHFBM0
第一話で李信将軍って言われてるじゃん
702 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/19(金) 12:54:52.53 ID:Ov6GV3mZO
基本的に姓は名乗らないのかな
「キングダムの信」はなんか将来の大器って感じで夢があるが、
李信ってなると、なんかキャプ翼の石崎くんみたいなイメージ
まぁしかし中華統一の総決算の楚攻めの大将に選ばれたくらいだから
史実の李信もけっこうな名将軍ではあったんだろうなぁ
704 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/19(金) 20:49:52.59 ID:vgvW/+dI0
まあ一番有名なエピソードが王煎の引き立て役だからなぁ・・・
まぁでも蒙恬と一緒に楚に攻めこんで蒙恬もボコられてるわけで
項燕が名将だったとしか
706 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/22(月) 23:26:33.85 ID:jvqHZYBS0
李信は、王翦伝でわざわざ「若い」って書かれるぐらいだから、当時で40代以下だろう
30代もありうるので、楚漢戦争の時には死んでいたかぎりぎりだろう
粛清されなかったということはこの段階では死んでいた可能性が高い
李信の子孫は、「新唐書」によると、
子が、李超(または李伉)、漢大将軍・魚陽太守
その長男が、李元曠、侍中。次男が李仲翔、河東太守・征西大将軍
おそらく李仲翔の子が李伯考、隴西。河東二郡太守
その子、李尚、成紀令
その子が李広
李嵩は李陵の子孫ではなくて、李禹の子孫を名乗っているみたいだね
灌嬰の配下の李必・駱甲が秦人なので、李必と李超は縁戚だったかもしれんね
この家系図、李信までは多少は信憑性はあるが、その前はもはや信憑性は完全にないだろうな
とすると、李信が実質には李広や李白、李淵、李嵩の始祖になるんだろう
親が不詳で年も若いのに、蒙恬を抑えて大将となり、各地で功績を立てているから相当な優れた武将だったんだと思う
ダドリー・ニューヨーク連銀総裁「ドルの大幅な上昇、成長に影響へ
連銀総裁がそろそろ釘刺しに来たね
陳勝呉広の乱は始皇帝存命中に起きたけど、始皇帝が生きてたらやっぱり秦は安泰だっただろうか。
大陸全土で反乱が吹き荒れたんだから、帝国分裂→戦国時代 ぐらいにはなったかもな。
蒙テン率いる秦軍vs楚軍か、後顧の憂いの無い秦軍は流石に項羽でも厳しいきがする
710 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/24(水) 19:21:00.70 ID:4LkBNraTO
二世皇帝の時じゃなかったっけ
胡亥の時だよな
そもそも扶蘇が継いでいれば行き過ぎた法治国家も改善されて
普通に治まったんじゃないか?
胡亥というか趙高が政権握るような事態じゃなければ
陳勝・呉広の乱の鎮圧がもっと組織的に行えただろうから、秦が存続していた可能性は十分あるだろうな
少なくとも章邯率いる20万人丸ごと降伏を回避できれば結果が大分変わってくると思う
便所の鼠がもうちょっと頑張ればよかったかも
715 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/27(土) 18:19:23.59 ID:5MqaUoR80
韓信は、よくもわるくも
人間味があると思う。
傑出した軍才はあるけど
根っこはあまちゃん。
すぐ調子のる、
怒られたらすねるって感じで。
秦が瓦礫しないで続いてたらどうなってたかね
隣国に歴史ある大国が存在し続けたらいまの日本も違ったものになってたろうなー
717 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/27(土) 19:09:55.33 ID:5MqaUoR80
三国時代の武将と比較すると
韓信、項羽=該当なし
劉邦、彭越=曹操、周揄、陸遜
英布、章邯=張遼、呂蒙
鍾離昧、龍且=五虎将
灌嬰、曹参、夏侯嬰=魏延、甘寧、徐晃
こんな感じか
718 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/27(土) 19:17:48.77 ID:5MqaUoR80
韓信は、よくもわるくも
人間味があると思う。
傑出した軍才はあるけど
根っこはあまちゃん。
すぐ調子のる、
怒られたらすねるって感じで。
>>718 韓信は日本では人気があるけど、ああいう一芸に秀でた人に対する評価は外国だと辛い
やっぱり処世術もうまくないとね、って感じなんだろうか
そういえばエジソンとかビルゲイツも才能はあるうえに、結構えげつないしなあ
韓信はアスペルガー症候群だと思う(ネットで侮辱として使う意味ではなくて、真面目に)
ああいうのをあの時代にまともに取り上げたのは想像以上に凄いんじゃないかな
わかる超コミュ障だよな
>>717 何を比較したいのかわからん
少なくとも業績とか人物像だったらツッコミ所満載
723 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/27(土) 23:47:41.79 ID:lCknSSR50
戦術、用兵
724 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/28(日) 01:02:21.32 ID:G7WWM5z+0
>>717三国志で比較すると
項羽を超スケールダウンさせたのが呂布
同じく劉邦をスケールダウンさせたのが劉備だな
秦最後の名将章邯と類似するのは後漢最後の名将皇甫嵩かな
ロワン=夏侯惇
726 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/28(日) 01:49:54.25 ID:W++ki0y00
>>724 劉邦は曹操じゃね?
項羽は袁紹か孫家
呂布?呂布は小章邯
曹操が賢い項羽
孫権が小粒な劉邦
周瑜、魯粛、張昭が3傑
730 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/28(日) 20:25:25.27 ID:AJOJZb7C0
>>727 3傑がショボすぎるし、
一時的とはいえ、
20代で天下をとった項羽が
曹操に劣るとも思えん。
>>726 うん。項羽のスケールダウンは
やっぱり小覇王孫策やね
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/28(日) 20:32:41.48 ID:AJOJZb7C0
昔あった楚漢戦争のゲームでは、
用兵力、
韓信>張良>彭越の順だったと思う。
>>729 同感
呂布じゃ項羽に及びもつかんと思うわ
孫策に家柄こだわって身動き取れない成分足すと項羽
英布は呂布よりも不器用だろう
734 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/29(月) 21:21:33.25 ID:hlhg59ED0
英布はなんだかんだで王にも
なってるし、項羽の腹心だったのに
劉邦に鞍替えしたりして、
けっこう狡猾なイメージはあるな
項羽こそ血筋家柄良血でブイブイ育ってやってきた坊ちゃまな気がするなぁ
736 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/30(火) 03:53:16.81 ID:LLwQVpnL0
まあそうだね
英布みたいな独立心旺盛すぎる奴と呂布は違う気がするな
呂布は結構お行儀がいい
項羽は良血お坊ちゃんだけど
呂布の出自なんて不明もいいとこだしねえ
>>737 呂布はモンゴル人との混血で血筋的には身分が低いんだろうな
ところで養子になっても姓が変わらないのは何故なんだぜ?
丁布や董布な時期があっても、最終的に呂布で死んだから史書に反映されなかったんじゃね?
もちろん項羽みたいなサラブレットとは比較にならんが
・出自不明もいいとこ
・混血で身分低い
賤民扱いやめろよw なんか根拠あるっけ?
>>740 それは馬騰の出自で、呂布については演義の設定にだってそんなのなかったと思うけどな
呂布に関しては孤児拾って育てた程度の出自しかなかったはず
呂布字奉先,五原九原人也。以弓馬驍武給并州。(後漢書・三国志魏書)
正史だと呂布の出自はこれくらいしかないね
そこそこ良家の出身じゃないかと
誰であれ、特に書いてなければそこそこと見るのがベターなんじゃないか
いや、そこそこならそこそこであるという根拠がいるって
分からないなら素直に分からないで留めておくべき
まあ、
>>738は、北海道出身だからロシア人との混血できっといじめられてたんだぜ! ていうくらいぶっ飛んだ話だけどね
カン沢とか徐庶、長生から名を変えた関羽みたいなのがハッキリ書いてある正真正銘の庶民出身だろう
そういう若干名以外はそこそこでいいよ
朱元璋以外の貧民出身は大概嘘だからな
>>748 政治家でも二世よりぽっと出の叩き上げの方が親しみもてるもんな
どこかの代で頑張れば、その地位が子供に引き継がれるってシステムって、
その後の代も相応に能力高くキープし続けなければその一族はおろか国全体が死ぬだけだから糞だよな
能力必須の乱世で世襲とか疑問符持てや
まあ、その一族が築いてきた地盤・人脈・金脈・ノウハウってえのが
役に立つこと多いしね。場合によりけりだが世襲の全否定はでけん
とくに国家・国民なんてのが鉄板になってない時代は
だから貴族に蹂躙されるんだよ
そいつらさえ一族相食み結局異民族侵攻を招く、の巻
異民族侵攻と支配の中、従来の農村地域の人間をまとめたんは
世襲で地域の顔役とか名士になってた連中やぞ
世襲にともなうメリットで人間集団まとめるヤツおらなんだら
東晋なんて成立せずに西ローマなみに漢族文明消滅しとったし
南朝の寒門軍閥も出来上がらん(これも世襲でできとる下級貴族や)から
劉宋〜陳も存在せん
当然、北朝の支配下の農耕社会まとめるヤツもおらんから
漢族のブレーンも存在せんし、胡族の連中、部族社会の集合離散を
いつまでもいつまでも華北でやらかして、
再統一できるのも数百年レベルで遅なっとったかもしれん
というあたりもちょっと考慮していただければね
また離散の要因にもなるだろ
それこそ皇帝以上の権力を持った共産党総書記毛沢東が現れるしかない
そしてこの体制こそ更にクズい
中華の歴史を数千年すっ飛ばされても困る
>>また離散の要因にもなるだろ
そんだけしか書かんのなら「ありとあらゆることがな」としか返答できんな
それから突然、けさわひがしとか全然関係ないヤツ持ち出すとか
何が言いたいのかわからんぞ
ついでにけさわひがしは共産党の総書記になったことはないぞ。役職名が違う
ラストはごめんな、低気圧で頭狂うんだ
たださ、ああいう無敵過ぎる体制と権力が出ないと落ち着かないとか駄目過ぎるから
人類の生み出した究極の体制なんだよ、あの各自が地域の偉い奴からライフログみたいなのつけられて縛られてしまうのなんだっけ、
あれの隙の無さは異常
だから長い長い繰り返しに終止符を打ったことと関係はあるし、そして共産党は凄く悪い
関羽雲長って今で言ったら
星影夢(ぽえむ)くんとか炎皇斗(かおす)くんみたいなもんかな
やっぱ自分で名前考えたんだろうな
字って成人してから自称するんじゃなかった?
自分で付けるし、諱にちなむ事が多い。
周瑜公瑾の瑜と瑾は共に玉の事。
諸葛亮の兄の諸葛瑾の字は子瑜。
諸葛亮の亮には明るいの意味があるので孔明につながる。
それはよく言われるが、
親とは字(じ)をかぶらせないし、
同世代には共通性を持たせることが多い(偏を同じにするとか、曹家だと子○が多い)のは滅多に語られない
呂蒙みたいな真逆の字を名乗る事もあるからな
後、季=末っ子ってのも馬良とか司馬懿弟を見るに絶対の法則ではないだろう
>>760 親戚や親が付けることも多い。諱、字の改名もあるし。
馬良兄弟や司馬懿兄弟なんか親戚のおっさんが字は付けただろ。
末っ子と言ってもその次が生まれてしまったらしょうがないでしょう!
伯(孟)仲叔季と順々に付けて行ったら5番目以降どうすんねんという話だわな
司馬懿の兄弟は季達以降顕達恵達雅達幼達と続くけど…
馬謖的に幼は一応法則の一つに入ってそうだけど他はどうなんだろう?
一応長男には元もあるんじゃね?
諸葛瑾の子の諸葛恪は元遜 、諸葛喬は仲慎 、諸葛融は叔長
諸葛亮には子供が出来なかったから兄瑾の次男喬が養子になるが
長男になったので字を仲慎から伯松へ改名している
われらが劉邦さんも劉季だけど使える弟がいるからな
770 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/04(土) 00:55:03.74 ID:kjH0s28f0
曹叡元仲
女性の字事情が気になるね
あるんだが史料上のサンプルが少なすぎィ!
三国志路線への脱線だと、ちょこっとスレ違いといえどやっぱり議論が進むなw
人気度・周知度ってのはもちろんあるけれども、
漢帝国時代を挟んで、現存資料がやっぱり多いからかね 三国志関連の方が。
当時の中華の隣国らへんでの「名前のつけ方」ってどうだったんだろうなぁ?
隣国の名前のつけ方が、中華にも影響与えてたりするのかな?
例えばハーフの人 今でも日本と外国のハーフの人だと
「アラン・桜・ハインリッヒ」「山田・花子・クライフ」みたいな名前の人いるしね
772 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/04(土) 04:16:40.56 ID:CL9l8g0C0
情報濃度
陳寿三国志>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>司馬遷史記
三国志に比べるとスカスカやからな
関羽・アブドゥル・雲長
「関」と「羽」の間にも「・」が必要だよ
>>772 陳寿の本文だけならそうでもない。やっぱり裴松之の注が有ってこその三国志だろう。
裴松之クンの厨二っぷりはエンターテイメントだよな
残念ながら陳寿の本文だけでも三国志の方が断然濃いかと
同時代で立伝されている人物の数が史記とは比べものにならない
参考にする文献の量が違うからしょうがないね
>>777 それは扱う時代の長さが違うんだからしょうがないだろう。
残念ながら清史の方が断然濃いかと
同時代で立伝されている人物の数が三国志とは比べものにならない
781 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/04(土) 23:33:54.42 ID:5yjvVCei0
どうあれ三国志より希薄なのは事実で
そしてそれがいかんわけじゃないから落ち着け
確かに例えば秦代そのもののことについては
自分が門外漢だからかもしれんが
あんまりよくわからんよね
三国志は三国それぞれのファン
それぞれの武将のファンが数多といるけど
楚漢戦争だとほぼ漢の劉邦陣営派のファンに絞られるからねえ
論争がまず起きない
龍ショオタとか鍾離昧オタとか季布オタとかいるかもしれんだろ?
785 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/05(日) 03:10:05.56 ID:AeV5JpJ+0
俺が知りたい楚の大黒柱たち
鍾離昧→鍾離氏という点が興味深い
龍ショ→楚を代表する将軍なのに資料なさすぎ…
周殷→誰?
漢陣営は君主も部下もそれなりにデータ(史記・漢書)あるけどライバル楚が質量とも貧弱なのがなぁ
主しかいないその他群雄よりはマシだけど
鍾離昧→たぶんイケメン
龍ショ→英布討った、大軍率いてるから偉い
周殷→たぶん凄く偉い
字くらいは歴史に刻んでほしかったな
漢の人物にしても楚が滅んでからのエピソードは残ってるけど戦争中の記事は「何々の戦いで何人首を取った」ばっかり
楚の人物で伝があるのは楚滅亡後に漢につかえた人だけ
だから両陣営とも統一前の出来事は司馬遷が取材する前に失われてしまったんじゃないだろうか
788 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/05(日) 04:37:55.66 ID:AeV5JpJ+0
戦功のお蔭で具体的にどこにいて何してたかわかる
楚陣営からしたら羨ましすぎるよw
司馬遷さんは他に資料あっても好みの民間説話・講談ネタを優先採用しそう(偏見)
789 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/05(日) 06:08:06.69 ID:IY1SYwWD0
項羽陣営の人材は三国志で言ったら袁紹陣営の人材みたいな扱いだよなあ
功績を記した史料が少ない
敗者は歴史書の中では圧倒的に不利という事実は悲しいなと思う
紂王、智瑶「項羽よ、お前も大変だな。俺たちキャラ被ってる」
樊噲とかの戦功記録は一次史料のコピペっぽいから有り難い、こいつマジすげーってなる
↑樊カイさんが化けた
792 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/05(日) 18:35:18.65 ID:AeV5JpJ+0
樊カイはタイマン最強だよなぁw
歴史書って純粋に客観性じゃなくて熱さ優先だからな
「そのように2人はひっそりと誰にも聞かれぬよう話したのである」とか言われても、そんなの創作に決まってるわ
(だから全く価値が無いと言ってる訳ではないんだが)
794 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/05(日) 20:40:14.74 ID:6CKBSzp10
>>790 史記はできる限り公平に見てるよ。項羽本紀が立ってるのもまさに。
司馬遷伝読んでも斉の故事を継いでる空気が感じられる。
負けた側の部将以下の情報が少ないのはまあ仕方ない。
796 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/06(月) 22:36:31.81 ID:f1q02q/PO
希布と言えば「ハンカイ斬るべし!」と冷静に対処するとこかっこいい
季布について、駒田信二の史記では曹丘生が「私の弁舌であなたのことを称揚すればあなたの名声はもっと高まるでしょう」という感じに書いてあるのに
wikipediaでは「あなたの今までの名声は私が称揚したからこそ高かったのです」みたいに書いてあって丸っきり逆なんだがどちらが正しいの?
史記原文でググったが、Yahoo!翻訳でまともな日本語文にならん
楚人曹丘生,辯士,數招權顧金錢。事貴人趙同等,與竇長君善。
季布聞之,寄書諫竇長君曰:「吾聞曹丘生非長者,勿與通。」及曹丘生歸,欲得書請季布。竇長君曰:「季將軍不?足下,足下無往。」固請書,遂行。
使人先發書,季布果大怒,待曹丘。
曹丘至,即揖季布曰:「楚人諺曰『得?金百(斤),不如得季布一諾』,足下何以得此聲於梁楚闕ニ?且仆楚人,足下亦楚人也。仆游揚足下之名於天下,顧不重邪?何足下距仆之深也!」
季布乃大?,引入,留數月,為上客,厚送之。
季布名所以益聞者,曹丘揚之也。
wikipediaが微妙に間違い。
文脈的に駒田信二さんの解釈が正しいだろうね
wikipediaの方だと、季布が数ヶ月も上客として歓待した意味が分からなくなると思う
801 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/08(水) 08:29:13.76 ID:VhVO9nWR0
足下何以得此聲於梁楚闕ニ?
これを疑問か反語のどっちと取るかか?
難しいな。
802 :
797:2014/10/08(水) 20:01:20.45 ID:vjm13LEc0
ありがとうございます。どちらとも解釈できたのですね。
ちなみに駒田信二さんの訳だとこうです
楚の出身の曹丘生は弁舌が巧みで、しばしば貴顕に取り入って権勢を身につけ、金銭を得ようと願うような人物で、高位の宦官の趙同らにつかえ、竇長君と親しかった。
季布はこれを聞くと、手紙をおくって竇長君を諌めた。
「聞くところによれば、曹丘生は有徳者ではありません。彼とは交際なさいませんように」
曹丘生は帰郷にあたって、竇長君の紹介状をもらいうけ、季布に会いたいと思った。竇長君は、
「季将軍はあなたをこころよく思っていない。行かない方がいい」
と言ったが、強いて紹介状をもらって、ついに出かけた。そして、まず使いをやって紹介状を届けさせ、訪問を申し込んだ。
季布は果たして大いに怒り、曹丘を待ちうけた。曹丘はやってくると、季布に会釈して言った。
「楚の人々の諺に、『黄金百斤を得るよりは、季布の”ひきうけた”の一語を得たほうがよい』とあります。
あなたは、いかにしてそのような名声を梁・楚の間に得られたのでしょうか。それにわたくしは楚人であり、あなたも楚人です。
わたくしが天下に遊歴してあなたの名を宣揚すれば、あなたの名声は広く天下において重きを加えるのではないでしょうか。
それですのに、あなたはどうして、わたくしを深刻に拒まれるのですか」
季布は喜んで引きとめること数ヶ月、上客として待遇し、その出立にあたっては手厚く送りだした。
季布の名がますます有名になったのは、曹丘がこれを宣揚したからである。
「何を以て得ん」を反語と解するのは難しくないか?
>>803 (疑問)楚人諺に曰く〜足下何を以ってこの声を梁楚の間に得ん?
あなたはどうやって(今楚の)この名声を梁楚の間に得るのですか?
→私が天下にあなたの名を揚げればよい。何故拒む?
(反語)この声を梁楚の間に得ん哉?
あなたはどうやってこの名声を梁楚の間に得たのですか?(同郷の私のおかげでしょ)
→これを天下に広げられるのに何故拒む?
これでどちらも通る違いかと思ったけど、ぐぐると〜ン(ヤ)は反語らしいから
おそらく反語の方が合ってるかと。上の訳もそうなってるし。
>>802 どちらでもというか、今ウィキペディア見た感じ後半省いてるんだと思う。
名声が高いのは私のおかげ、「しかもこれからもっと広めるよ」という部分を。
季布の名声は曹丘生が称揚したからってのは共通で言ってる。
>>601 章邯は周章をあっさり片付けてないよ。
函谷関から出た周章は、出口の函谷間を取り囲むように陣を張り
出てこようとする秦軍をつつきまわして数ヶ月持ちこたえた。
ここで、援軍が来ていたら持ちこたえた可能性が大。
楚側が章邯を函谷間から出したらどうなるかイメージできなかったことが痛い。
806 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/19(日) 05:08:34.22 ID:VrcSTt7l0
周章って初めて函谷関を攻略した武将だっけ?
当時の秦は弱体化していたとはいえ凄いよな
>>609 灌嬰と周苛
攻めの灌嬰と守りの周苛が、
薄い本の中でくんずほぐれつ
アッー!
函谷関をおそらく初めて攻略したのは、魏の公孫衍だあね
武関から誰も行かなかったのかな?張良がはじめて気づいた?
藍田の戦い辺りは、武関経由じゃないかなあと思う
いや、史料読んでもよく分からんけど
楚vs秦は係争地と交通の便から漢水・丹水沿いを移動することになるので、だいたい武関あたりを通る
藍田の戦いは後一歩まで秦を追い詰めたね
衛星写真みりゃわかる(中原より地形の保存状態良好)けど数十万の大軍が秦嶺山脈を突破するなら選択肢は武関くらい
丹水に乗って(輸送船で上流まで行ける)武関→商→藍田、咸陽直撃コース
ただしこの時期の武関は秦の勢力圏とは言えないんじゃないかな?
813 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/21(火) 19:02:16.03 ID:eVANT21E0
にしてもよく秦嶺越えて関中まで行けたなよな流石楚というべきか
周苛は司馬遼太郎の小説では小男と書かれているけど、いとこの周昌が力持ちだったというし項羽が将軍にしようと思うくらいだからかなりのマッチョマンだっただろう
周苛は漢軍最初の御史大夫だよん
816 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/25(土) 06:16:48.91 ID:tGbuuRK20
項羽祖父の項燕爺ちゃんは秦の扶蘇と一緒に挙兵しても違和感がない人なのかな楚人的に
現政権に大きな恨みがあって君主将軍として才能のあるドリームチームっていう感じ
冷静に考えれば違和感ありまくりだろうけど「マジでその二人組んだの?これ勝てるんじゃん!?」ってなりそうな期待を抱かせる!
項燕がかつて昌平君を擁立したことに掛けてるんじゃね?
戦国七雄の秦じゃなく、統一後の秦だし
陳勝は項燕で呉広が扶蘇を名乗ったから扶蘇は部下だし
当時は楚でも扶蘇の人気があったから使ったんだろ
論破された
昌平くんって楚に別に王がいたのに擁立されてね?
項燕って楚にも反抗してたのか?
されてる
扶蘇さまのお母ちゃん、つまり始皇帝正室が楚人(推測)だから期待されたんじゃ、と予想
華陽夫人、昭襄王夫人、宣太后 秦王正室の楚人率高い
うん? 恵文后? そんな人は存在しません
823 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/26(日) 01:53:28.13 ID:6g6mbK4j0
恵文王「八子乙」
魏ゼン「姉上乙」
華陽君「兄上乙」
子楚「(なぜうちの国はこんなに楚人くせーんだよ…)」
華陽后・華陽姉・陽泉君「呼びましたか?」
>>821 項羽が宋義と義帝やっちゃったのにはそういう事情が絡んでるのかもなー
向寿「俺も俺も」
景駒殺してるし項家は旧楚名族と相性が悪かった可能性
827 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/28(火) 23:23:45.26 ID:QlWxjnPV0
項氏も名門だが、名門中の名門、昭景屈の三氏が西楚側の重鎮にいない
血筋と言えば、漢も魏王族の後裔である文帝が帝位に着いたし、劉氏も高貴だな
昭帝や発掘された諸侯王墓の金鏤玉衣から推測するに、劉氏は高身長っぽいけど劉邦はどうだったのかね?
劉備さんのご先祖様、アレでけーよな。
あと劉戊らしき遺骨もそこそこ背高い。
奚涓の母疑惑のある劉疵の玉衣も長い。
孔子「高身長イケメンは当たり前だよね」
>>829 曹操「しかし戦争に負けて敵から逃げるときは低身長のほうがいいぞ」
831 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/31(金) 22:16:42.76 ID:Wlxh7fmH0
劉邦とアウグストゥスってどっちが名君?
劉邦
漢王朝創始者
ライバル:項羽
蛮族:匈奴に敗れる
アウグストゥス
ローマ帝国初代皇帝
ライバル:アントニウス
蛮族:ゲルマン人に敗れる
1cmと1g、どっちが早い?
と同じで、無意味な問いかけですな
833 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/03(月) 01:55:02.70 ID:yAd8DdI80
楚末期から描き出す宮城谷昌光「項羽」
こっちの方が面白そうだったかな
834 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/03(月) 02:36:10.50 ID:36r/FwJh0
>>833宮城谷が項羽みたいな虐殺経験のある人間を主人公にするだろうか…
…孟嘗君と曹操(三国志)があったな
もっとも孟嘗君は理由つけて虐殺無かった事にしたけど
宮城谷さんは元々項羽好き
もうちょい司馬遷がまともな史料をたくさん残していたら
白起なんかは主人公になってたんじゃないかなあ(白起&魏冉のダブル主人公になりそうだが)
ろくな資料の無い伊尹とか太公望だって書いてるんだから資料が無い所為とは言えないんじゃないの。
むしろ資料が無いほど好き勝手にかける・・・?
838 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/03(月) 12:50:46.53 ID:DGdFuHLj0
項羽と書くには項燕を書かねばならない
項燕の活躍と秦楚の攻防を書くにはさらにさかのぼらねばならない
「宮城谷昌光項羽」全5巻
4巻途中まで項羽は登場せず
839 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/03(月) 17:51:53.66 ID:8mN69uVt0
割りとガチでありえそうだから困る
841 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/03(月) 19:56:06.92 ID:36r/FwJh0
1巻、春秋戦国時代の秦と楚の戦い
2巻、項燕の奮闘
3巻、項梁登場、見聞を広めるために旅に出る
4巻、項羽登場、項梁旅をしながら項羽を育てる
5巻、挙兵〜垓下の戦いまで
842 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/03(月) 20:26:20.09 ID:ssg5zsTP0
殷通殺しで残り100ページくらいだな
>>836 信憑性は怪しくとも伊尹と太公望は逸話かなり多いからね
長期王朝の始祖みたいなものだから関連する事象も多い
国是が敵兵の虐殺である秦の人物が戦国名臣列伝で高い評価を得てるし、項羽ぐらい余裕余裕。
道義的にどうかな?っていう説話や評価が資料・史家の評にある人物を主役に据えるor高評価しちゃう宮城谷氏好きだぜ。
司馬遷に反逆することもあるから、誰が小説化されても驚かない。
項羽はむしろもう語り尽くされた感があるけどな
実像は別として石田三成レベルでイメージ固定されてしまってる
まぁ新しい項羽像を打ち出せるかどうか
石田三成さんは人物像が両極端に分裂するイメージ
項羽さんを新たな人物像で描くなら戦国楚と項家を再検討する必要がありそう
楚漢戦争までが春秋戦国時代って言う感じがする
項羽は楚の貴族の一員で春秋戦国の代表で劉邦は王侯将相に種はない派の代表
劉邦が勝ったことで春秋戦国が完全に終わった
楚漢戦争が、旧六国+秦の末裔が政治的に活動した最後の時代ではあるね
その後、前漢の異姓王粛清完了で、完全にトドメというイメージ
849 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/10(月) 23:34:37.71 ID:1SU+bCaa0
最後まで劉邦に抵抗していた旧六国の末裔という事で
田横は春秋戦国時代最後の生き残りのように思える
劉邦は「ろくでなし」「賊の頭領上がり」みたいな感じの描かれ方してるけど
なんだかんだで0からシステム作り上げて、そのトップにしっかり着いてるよね
官僚的というか上下の階層的なシステムというか
ある程度の学がないと適応できなかったと思う
劉邦が学問を身につける機会なんてあったんだろうか?
若い頃から立身出世を臨んでた野心家だったってんならともかく
劉邦は若い頃から出鱈目だけど憎めないあんちくしょう!的な描かれ方が多いからなぁ
街亭というポジション自体となり組の組長くらいの意味しかなくて
実質草野球の監督くらいの能力しか期待されてないよね
宮城谷劉邦読んでる。ロクデナシどころか、普通に頭いいゾw
>>850 郷里にて同年輩の盧綰と共に初等教育を受ける。
官吏になってるし実用的な秦律を学んだはず。
素質はある。
劉邦にしろ秀吉にしろそういう無学な庶民が
一代で天下統一したっていうストーリーを周りが作った結果でしょ?
陳勝も反乱起こした頃は兵士だったし
唯一無二の徒手空拳で這い上がった英雄は朱元璋だけ
それなり以上の家柄だったと見るのが妥当
本当の一般人にはお勉強の機会すら…
しかし、国是である法家≒合理主義によって自ら倒れるとは、
さすが世界最初の近代国家とも解釈されるわけだ
個人の自由がすでにここにある
>>856 劉邦の弟は儒者だったとされているくらいだからな
むしろ中流以上だったのかもしれない
遊んでないで働け!と言われたから最下級とはいえ短時間で役人になるってのは最底辺の身分の人間の話とは思えないなぁ
亭長ってそんなに簡単に誰でもなれたの?
後世の論者にとっては劉邦があらゆる意味で無能な方が都合がいいからなあ
なにしろ論者(史家)の立場は臣下だから臣下の働きを強調する
あの時代の民衆意識とか官吏登用難易度とかを
史記とかから類推するのはいくら何でも難易度が高過ぎる
劉邦の学識の存否は、決定的にどうこう言える資料はないから
いくらでも言いたいように言えるし
出土資料が凄まじい勢いで蓄積されないとわからんな
でも亭長になった劉備が相変わらず出鱈目な態度だった記述見ると
今で言う田舎の役場にコネ就職して戸籍係でマンが読んでるイメージが漂うなw
864 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/12(水) 00:14:37.49 ID:M1G7hzc00
同じ下級公務員の夏侯嬰さんは上に認められ地味に出世しそうだった
865 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/12(水) 00:15:58.60 ID:7p3uCEkK0
866 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/14(金) 01:12:44.35 ID:M2URY2670
劉邦の実家は間違いなく豪農だわな
>>451 あぁそれはあるかもね
採算ライン高いからねシェールは
他にも資源高見越して開発した油田とかは採算割れもありえるな
868 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/14(金) 15:23:30.80 ID:hFJCQPRs0
そういうノリで脳筋野郎どもは行動するからな だいぶ効果的だったんだろう
869 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/14(金) 15:24:27.51 ID:hFJCQPRs0
>>817 そういうノリで脳筋野郎どもは行動するからな だいぶ効果的だったんだろう
>>855 この前旅行で朱元璋陛下の陵墓(明孝陵)を参拝したけど、ありゃすげーわ
六百年の年月、雨風で激しく劣化し、破壊されてなお比類なき荘厳さ、素晴らしい
しかもまだ巨大地下宮殿の全容不明とか…
871 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/15(土) 20:03:49.49 ID:19qUUNCbO
ドウモンの小説はどんな?
項羽は喜怒哀楽が異常に激しかった人みたいだね
秦の20万人虐殺にしても楚を滅ばした秦への憎しみが背景にあるんだろう
韓信いわくただの匹夫の勇で韓信、張良、簫何、陳平がいる劉邦と戦って垓下を除く全ての戦いに勝利してるんだから立派なもんだよ
873 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/22(土) 02:23:13.46 ID:l9L4+IqR0
>>836 当然、完全に紛失した資料もあるだろうからなー。
実はもっとあの人物について詳細に書かれた書があった、とかね。
司馬遷の時代ですら、すでに失われた資料があったはずだからな。
焚書坑儒もあったし。
劉邦さんて亭長だから、数キロ四方の治安維持、民情報告
そして亭には旅館機能もあるから、公務で移動中の高級官吏や平民の接待してたんだよな
劉邦「おいでやす泗水亭」
ドライバー夏侯嬰
876 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/23(日) 02:11:10.50 ID:yvxWZG770
地味に出世しようとしていたくせに夏侯嬰
劉邦って結局夏侯嬰や蕭何にうまく利用されたよね
もしも秦の世が乱れた時用の保険みたいなもんだな秦の官吏勢にとっては
劉邦は特別秦を憎んでないから御しやすい
大宰相だけど韓信の転がし方を見るに蕭何って怖いわ
批判もなんのその大宮殿ドーン!で天下に威信を示すあたり秦の官僚らしい
劉邦は秀吉に似てないか?
女好きで人たらし(すごく人望がある)、究極の成り上がり(一介の亭長から皇帝、農民から天下人)
もちろん共通点じゃなくて相違点もあるけど結構似てるなと思った
人間、それも傑人となれば共通点は多くなるよな
如水より天下取りの可能性があった韓信
家康がもっとも恐れた男 韓信
宮城谷劉邦で劉邦(運転手:夏侯嬰)と丁公が短兵で直接撃ち合ってた
885 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/12/04(木) 23:49:07.37 ID:x5AYpDrnO
>>872 その兵隊や王族を残していたら、
確実に劉邦を閉じ込めることができたのにな
チャンネル銀河で「項羽と劉邦」が始まったね
劉備役だった人が始皇帝でワロタ
項羽が見覚えある顔なんだけど思い出せない
呂布でしょ?。
張飛も出ている
確か魯粛が張良になって出てくるよな
監督が同じ人
three kingdomsと楚漢伝奇の出演者は同じ人が多いね
呂布・・・項羽
劉備・・・始皇帝
張飛・・・樊カイ
静姝・・・虞美人
曹丕・・・胡亥
荀ケ・・・李斯
袁紹・・・趙高
孫堅・・・龍且
魯粛・・・張良
孫権・・・劉如意(子役)
姜維・・・鐘離昧
王允・・・呂太公
許攸・・・項伯
曹仁・・・桓楚
>>891 クドカンファミリーとか三谷幸喜劇団とかそんな感じのとこが
どっちも手掛けてるとかそんなかね
袁紹=趙高はぼんやり見てたら最初気づかなかった
趙高きもくて好き
袁紹役が趙高役やるって何か酷いなぁw
袁紹&趙高を演じた中国の人の演技は上手かった
袁紹の時は威厳のある低い声を出してたけど趙高の時は甲高いねっとりとした気色悪い声を出してた
役によって演技を変えることができてて感心したよ
項羽と劉邦、放送記念プレゼントに応募したら
デパート商品券1万円分が当たった。さて、何を買おうかな?
>>895 あの役者さんは本当に上手いと思う
特に項羽と劉邦は趙高目当てで見てた
ピーター・ホーは個人的に項羽って感じじゃなくて残念
呂布ももっといかついイメージだったしなー
項羽だったら胡軍のほうが良かった
WOWOWプライム
中国歴史ドラマ「項羽と劉邦 King's War」 #1 始皇帝巡幸
2015年1月5日(月) 朝6時00分〜7時00分
※字幕版
>>880 秀吉は人気なぞなかったよ。
秀吉が存命だったころ、農民、宗教、身内、国内外に最も敵を作った為政者といってもいい。
秀吉が人気になったのは、武家社会が閉塞した江戸時代中期から、
元ネタは、講談や戯曲などの創作がベースなのでほとんど現実の裏付けがない。
これは、もっと前の義経や将門や正成も伝説のベースが江戸時代の庶民文学だったりする。
たとえて言うなら、「司馬遼太郎がいなければ現在の坂本竜馬はなかった」的な物。
司馬遷「俺の講談本もよろしく。ああ年表とかはマジ歴史書だよ。」
そりゃ面白いね
誤爆
903 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2015/01/08(木) 23:08:33.28 ID:wARM6fe20
DVD四巻まで観た。項羽も劉邦も魅力有るし、調度韓信でた辺りだけど韓信もいいね
DVD観てていまいち分からないんだけど盧綰や樊カイは劉邦の義兄弟的な扱いみたいだけど実際どうだったの?
905 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2015/01/10(土) 05:50:36.12 ID:3PnJIVhN0
盧綰は同じ村で同じ日に生まれ親同士も友達のまじ幼馴染
樊カイは劉邦の奥さんの妹が奥さん
劉邦の奥さんって呂皇后でしょ
その妹の旦那ってことはショウカイは結構いいとこのボンボンだったりしたんだろうか
荒くれ山賊みたいな劉邦親衛団の中でも特に野放図っぽい描かれ方してるけども
>>907 は、樊カイ……
当時の中国のことはよくわからんから日本基準で考えると肉屋(屠殺業務)だったから育ちはよくないんじゃなかろか…
まぁ肉屋だったからこそ武功立てられたのかもな
切るのはお手のものだろうし
最近やってたドラマのだと最初は呂須は盧綰と結婚させるつもりだったのに樊カイが寝取ったんだよなwww
劉邦と呂后が結婚したのは挙兵前の庶民のときだから多分樊カイも肉屋時代に結婚したんじゃないだろうか
ちなみに読み方はハンカイだよ
昔の肉屋は街の顔役的なポジションだったとも聞いたから
そこそこ実力者だったかも
そういえば水滸伝でも、
悪徳高利貸?兼お肉屋さんのおっさんを懲らしめるような話があった気がする
懲らしめるっていうかいつもの酔っ払いながら暴力ふるうアレだけど
912 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2015/01/12(月) 01:15:36.63 ID:N90JOo6m0
世界史板の欧州成り上がりだったかのスレで、欧州の肉屋はそれなりではあるって言ってたな。
中国歴史でも肉屋は結構人気だし、実は肉屋を穢れみたい考えるのは日本だけなのかな?と思った。
913 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2015/01/12(月) 04:48:09.13 ID:mjFZKHX60
肉屋と言えば何進だよね
三国志の幕開け
914 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2015/01/12(月) 07:25:32.50 ID:RsxM1q190
ドラマでは寝取って結婚したハンカイにワロタw
太公望も元肉屋だよw
日本は四足を長らく食べなかったのと皮革業が部落民の仕事だったから
他国と違って屠殺業のイメージが悪いんだろうね
高島俊男の水滸伝本で読んだけど、日本はヨーロッパに比べたらどう考えても中国の方が近い
デジタルに分かれてるのとアナログでなだらかにつながってるのとくらいの違いがある
ヨーロッパの肉食観→動物は神が人間に与えてくれた餌だから罪悪感はあるべくも無い、喜んで食べよう
中国の肉食観→自分達から遠いものを食べよう、飢えたら人肉を食べる事もあるがそれは最後の最後の手段だ
日本の肉食観→自分達から遠いものを食べよう、人肉食は遭難などのケースでは許されるかもしれない
917 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2015/01/16(金) 14:20:40.30 ID:ERos4S7I0
中国は肉食いまくるよ。大牢とか古代から。
羊頭狗肉みたいに犬も食べる。確かあれ元はアンエイで肉の種類が変遷してるが。
肉食や乳製品への需要が少なかったから牧畜の規模が小さかったのか
牧畜には不適な土地柄だったから肉食や乳製品の文化が発達しなかったのか
仏教とかの潔斎の観念が広まったのがすべての始まりで避肉・乳になったのか
日本の場合はどれなのかよくわからん
>>908 呂后は韓信を始め多くの功臣を粛清したけど盧綰の妻子の命は助けてるんだよね
やっぱりそれだけ盧綰と劉邦は仲良かったということか
たしか項羽と冒頓単于も戦いの後に和睦結んで劉邦と形式的な義兄弟になってたような?
ドラマの話は知らんけど
瀕死の趙にもボコられるレベルの匈奴が強大化したのは
秦末と楚漢戦争で漠南の国力ガタ落ち&北方への統制力低下
と並んで大量の亡命者が匈奴に与力したのが主な原因
特に盧綰みたく政略戦術戦略的に重要な情報を熟知した人間
これが一国の朝廷軍隊そっくりそのまま寝返って匈奴と組み王になる
この不利すぎる流れを改善したいなら当然妻子は助命しないといけない
無論仲良かったのも原因の一つだろうが
ま、当然やね
漢も匈奴も亡命者や降伏者は率先して受け入れたりヘッドハントしたりしてるからな
中行説が有名だが趙信とか色々いるし匈奴からの降伏者も少なくない
一旦流出すると芋づる式で止めようがなくなり破滅的な事態になるからな
どちらの立場にせよ手を打たねばならない
>>920 匈奴強大化の原因になる大量の亡命者なんていたっけ?
亡命というと韓王信が浮かぶが、あれはやむなくだし、そもそもその時点で匈奴は超強力だし。
確かに趙が叩いてた頃の匈奴は東胡月氏に挟まれた弱小勢力だけど
強いリーダーの登場で急速に統合、強化する遊牧民の例通り、冒頓が出て匈奴帝国になったんじゃ?
冒頓の統一を支えた亡命将軍とか膨大な移民とかがいたの?それ匈奴列伝にある?
>>924 「秦人」と呼ばれる集団が匈奴内にいたという記録ならある
>>925 それって冒頓の匈奴強大化の主要因の一つになるほど凄かったの?
そういう解説を一般書籍じゃ見た覚えがない。そこら辺詳しい本ある?
本当ならもっと有名になると思うんだけど。