>>1 乙
名将の定義提案
・司令官級としての戦績に優れる
敵司令官や異民族を撃破・撃退した実績
一郡以上の領地を陥落・平定した実績
・部下の扱いに優れる
兵卒を良く統率した実績
領地を良く統治した実績
時代の定義候補
・始まり
184年、後漢の腐敗が露呈する黄巾の乱からか、
190年、群雄割拠勃発の嚆矢となる反董卓連合から
・終わり
249年、司馬氏クーデターにより曹夏侯が虐殺され魏が実質滅亡するまでか、
263年、蜀漢滅亡で三国鼎立が破綻するまでか、
265年、司馬炎の簒奪で西晋という三国鼎立に関係無い国が勃発するまでか、
280年、呉滅亡で三国鼎立に関わった全てが滅亡するまで
・私選24名将
最も狭い期間から
実戦指揮官である中央軍司令官や方面軍司令官の範囲で選出
曹操、曹仁、曹真、張遼、楽進、徐晃、臧覇、文聘、満寵
夏侯淵、于禁、張郃
諸葛亮、王平
劉備、関羽、張飛、魏延
周瑜、呂蒙、陸遜
孫策、朱然、朱桓
>>3 190から60年間の三国なら俺はその面子でいいと思うが、264前後まで含めるならケ艾、更に280まで含めるなら陸抗が入ってくるのは確実で、そして陸抗を入れるなら羊祜がいないとおかしく、羊祜を入れるなら晋を含めるのだから王濬と杜預が入ってくるだろう。
つまり時代の幅の定義によって確定枠が幾つかあるな。
時代を広げるということは、要するにそいつらを入れたいということだろうし。
184からにするなら皇甫嵩が確定枠だが、それをするなら190からの三国以外の群雄も入れないといけないわけで、更に幅が狭くなる。
郭淮や孫堅も個人的には入れたいけど、郭淮はけっこう負けてるし孫堅は殆ど一発屋で最期戦死だからなぁ
263年くらいまで含めるなら、ケ艾だけじゃなくて陳泰も候補かな?
というか蜀と魏がほぼ同時期に滅亡するわけだから、その辺までってのが一番良いんじゃないかな、と私は思う
晋の奴らなんて「三国志」に載ってないわけだし
もう三国志に立伝されてる人だけにすれば?
そしたら司馬懿がOUTになるじゃん
無茶苦茶すぎる
部下殺し・上司殺し・諸葛亮に翻弄された、の三拍子揃ってる司馬懿はべつにそんな言うほど名将じゃないだろう
上司殺し?
初めて聞いた
上司っていうか曹夏侯だよね
あと、諸葛亮だけじゃなくて魏延にも負けてなかったっけ?
陳登は魏配下扱いで名将入りさせてもいいと思う
徐州南部に居座って袁術・呂布・孫策を邪魔しまくった人
孫策を殺したのは多分こいつ
いきなり
>>3みたいな外連味の無い選出をされると異論を出しにくいんだが…
甘寧はダメかな(^q^)
司令官っていうか部隊長どまりだけど
呉にはある意味、珍しいタイプ
>>11 「陳登は徐州を侵略者である袁術・呂布・孫策から守り抜いた」
というのが正しい。
満寵や郭淮は名前が挙がってるのに、田豫と牽招は挙がってないのか
かなりの名将だと思うんだけど
三国の正史縛りで各年代毎に特に活躍した名将
190年代
曹操、曹仁、楽進、于禁、徐晃
孫堅、孫策、周瑜
劉備
200年代
曹操、曹仁、張遼、楽進、張郃、徐晃、李典、臧覇
周瑜、呂蒙、甘寧
劉備、関羽、張飛
210年代
曹操、夏侯淵、曹仁、張遼、楽進、張郃、徐晃、臧覇、文聘、許褚
呂蒙、甘寧
劉備、関羽、張飛、黄忠
220年代
曹真、張郃、徐晃、文聘、満寵
陸遜、朱然、朱桓
諸葛亮、魏延、王平
230年代を調べてる途中で力尽きた
集解の読みにくさは異常
そして三国志は230年代から途端につまらなくなる(確信)
満寵、陸遜、王平だけは頑張ってるけど
あとの見所は郭淮→陳泰→ケ艾のバトンリレーで蜀漢滅ぼしたくらいか
張飛って名将かなぁ
いい加減に演義の張飛像・・・というか先入観から離脱しろ
実績を吟味しろ
張飛でさえ名将に入らない基準なら蜀に名将などいない
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/16(土) 02:07:15.63 ID:G9jQv/ej0
張飛の軍事功績
・劉備とともに各地を転戦
・下?で留守を守っていた時に曹豹が寝返り呂布に呼応したため、敗北する
・曹操と劉備が共同して呂布を倒した後、張飛は曹操から中郎将に任命された(関羽は特に何もないので何か功績があったかと思われる)
・長坂で数十騎を率い数千の曹操軍を防ぐ
・曹仁包囲に参加
・諸葛亮・趙雲ともに益州へ侵攻し郡県を平定し次々と敵を破る
・巴郡太守の厳顔を生け捕りにする
・張裔を破る
・巴西で張コウを破る(張コウは数十人の部下と共に脱出するほどの大敗)
・曹休に策を見破られ、部下の呉蘭・雷銅を斬られ逃亡(張飛自身は戦わずに退却したと思われる)
張飛の功績はだいたいこんな感じ
個人的に劉備陣営で最強の武将だと思う
張飛を名将じゃないって言う人は、部下に関する問題を言ってるんじゃないかな?
強さなら文句無しだもん
・官渡前後に曹操領内に侵入して成果をあげていると思われる
(夏侯淵の一族を略奪していることから)
・長坂坡の殿軍を完璧に遂行
・益州増援任務を完璧に遂行
・巴西に侵攻してきた張コウに完勝
>>15 満チョウは210年代から度々重要な活躍をしていると思うよ
張コウに勝ったのはすごいよな。
劉備は夏侯淵より張コウのが上に見てた節もあったようだし。
まあ取り逃がしたのを悔しがってたけど。
まあ張郃>夏侯淵なのは明らかだよね
張郃も五将軍の中では一番パッとしないけど‥
陳寿が徐晃より上に列伝したのが不思議
そんだけ馬謖撃破が大きかったのかな
張コウは演技・小説だとパッとしないが
正史を読むと、すこぶる有能に思える
馬謖撃破で諸葛亮の北伐は事実上詰んだわけだしな。
伊達に吉川三国志で3回殺されてないな。
>>24 むしろ正史読み込んだら他の四人が凄すぎて相対的にアレ?ってなったんだ俺はw
張コウは明らかにそのキャリアの前半が省略されているからな
楽進もそうだけど、前線部隊を率いて白刃を掻い潜ったであろう部分が
スッパリ抜けているのは意図的だろうな・・・
多分劉備は直に相対したことがあるから張コウはヤバいという認識を持ってたんだろう
>>20張飛の少女誘拐は『魏略』だけにしかない話で信憑性はどうなんだろうか
張郃の袁紹配下時代の活躍とかが知りたい
張遼・徐晃・張コウは人生のハイライトを重要な勝利で飾ってるもんな
インパクトでいえば張遼の人外の戦闘マシーン化だが
かなり不利な条件と制約がありながら関羽に勝った徐晃も凄い
徐晃最大の功績はその活躍期間の長さw
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/19(火) 01:28:53.68 ID:3yxC9YmP0
張コウは張遼・徐晃に比べると若干格下感があるな
張飛に大敗したり、劉備に劣勢に立たされたり、王平に防がれたり、最後戦死したりと(これは司馬イのせいだけど)
ほぼ無敗の張遼・徐晃たちに比べると落ちる
久しぶりに来たら2スレ目が立っててビックリしたのに、やっぱりけっこう過疎ってるのねここ…w
曹操
陳登
夏侯淵、曹仁、曹真
張遼、楽進、于禁、張郃、徐晃
李典、臧覇、文聘、許褚
満寵、田豫、牽招、郭淮
劉備
諸葛亮
関羽、張飛、黄忠
魏延
王平
孫堅、孫策
周瑜、呂蒙
甘寧
朱然、朱桓
陸遜
今までに出た名前はこんなところか
許褚や黄忠は24人には入らないんじゃないかな
許褚よりは李通、黄忠よりは馬超って気がするし
>>33 俺の中での魏五将軍の総合評価は
楽進>張遼>徐晃>>于禁≧張郃
だな
上三人は活躍めちゃくちゃ多い&失態がほぼ無い
下二人は上三人に比べると功績が少ない(于禁は官渡までは凄いが官渡以後はあまり前線に出ない)&失態が多い(于禁は劉備と関羽に負け、張郃は張飛と王平に負けただけじゃなく劉備に押されて夏侯淵戦死の要因の一つに)
結局、蜀枠はこの5人+1でいいとおもう。
この5人でなくとも「枠」は6でいい。
劉備 関羽 張飛 諸葛亮 姜維
個人的には最後の1枠には羅憲を推す。
馬超・魏延・王平もありだが、際立っているのは羅憲だろう。
王平は構築されたシステム上の駒という印象。
6枠というと24枠の内の25%だからちょっと多いかもしれん・・・別に5枠でもいいか
姜維や羅憲ってけっこう異論が出ると思うよ…
二人とも前スレの時から名前出てたけど、あまり人気なかったし
俺なら羅憲よりは姜維かな
名将の定義次第で、入ったり外れたりする部類かね
それと、その辺の時代を入れるならケ艾や陸抗が入ってくるから尚更枠がギチギチになるので、蜀漢は4枠か5枠になると思う
魏10+1〜4
呉6+1〜2
蜀4+1
枠はこんなもんか
偏りすぎるのも主旨に反する気がするし、曹魏は12ぐらいでいいんじゃない?
魏晋ってするなら、14くらいになるだろうけど
むしろ先に枠ありきで決めることで本来入るべき人が漏れることこそ主旨に反すると思うがどうなんだろう
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/20(水) 04:31:20.89 ID:Acrdc3sp0
自分は姜維や羅憲よりは王平を推す
街亭で張コウの追撃をかわし、4次北伐で張コウの攻撃を防ぎ、魏延の反乱を鎮圧するきっかけをつくり、漢中で2倍以上の魏軍の侵攻を防いだ(しかも魏将の中には郭淮も参戦)
姜維は確かに名将だと思うけど、ほぼ失敗無しでしかも魏の名将たち相手に負けなかった王平には劣る
羅憲も確かに名将だけど一発屋に近いと思う
>>38 当然だよ。日本人が造った人工言語なんだから。
福沢諭吉もはじめはカナ漢字交じりの表記を普及させようとしたんだけれど五十音は彼らには難しすぎて教えられなかった。
そこで諭吉の弟子である井上角五郎が母子音あわせて半分以下の二十四種類で済む(そう。アルファベット26文字より少ない)ハングルを、
紀元前の日本人が使っていた神代文字を基に考案したんだ。
これによって世界一知能の低い朝鮮人と(むろん朝鮮人同士の間でも)言語による意思の疎通が可能になった。
もっともそれで話が通じるかどうかになるともう一段高いハードルがあるようだけど。
個人的には
・後漢末期確定枠
曹操、曹仁、張遼、楽進、徐晃、文聘
劉備、関羽、張飛
孫策、周瑜、呂蒙
・後漢末期候補枠
夏侯淵、于禁、李典、臧覇
馬超、黄忠
孫堅、甘寧
・三国時代確定枠
曹真、張郃、満寵、郭淮、陳泰、ケ艾、(司馬懿、羊祜、王濬、杜預)
諸葛亮、王平
朱然、朱桓、陸遜、陸抗
・三国時代候補枠
魏延、姜維
同時代人は比較しやすいので分けてみたが
晋を入れなければ12人ずつの24人で決められた
まあ蜀は、やっぱり後半が人材不足かな、最終的には姜維の孤軍奮闘状態だし
でもやっぱり姜維よりは、王平を推す
上の人が言うように、漢中で二倍以上(三倍以上?)の魏軍を防いでいたりと、副官としての活躍だけではない
>>43 個人的には孫策よりは陳登を入れたい所
孫策は公孫サンと同格・同類な気がする
孫策の条件で江東平定できるやつは居ないと思うぞ
孫策は殆ど軍事経験無いようなあの若さで、江東平定したのが凄すぎだからな
劉備どころか曹操だって最初の頃は負けてるし
まあ、陳登の方が俺は好きだけど
なんか三国のメンツはだいたい似たり寄ったりで決まりつつあるみたいだから、皆さんに聞きたいんだけど、
董卓・袁紹・袁術・公孫瓚・劉表・陶謙・呂布の配下で、名将と言えそうなのはどの辺がいます?
三国の家臣になった連中は除くとして。
個人的には麹義を推したいかな。
局地戦では滅法強いし。
処世術はダメだったけどw
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/21(木) 02:18:32.53 ID:LcCBpHBz0
徐栄を推したいけど、活躍期間が短すぎかな
高順・麹義・徐栄・沮授・黄祖あたりか
黄忠って名将?
あの少ない記述に夏侯淵討った手柄があるのは大きいが
途中送信失礼
夏侯淵討ったのも
細かい記述は忘れたが丸腰じゃなかったっけ?
逆茂木の修復に当たってる最中だよな
戦術に優れたって感じじゃない気がする
まぁ魏の大将軍討った手柄は小さくないが
24人に入るかというと微妙
>>52 24人に入れてる人はあまりいないと思います
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/21(木) 19:56:47.66 ID:LcCBpHBz0
黄忠は夏侯淵を討ちとっただけの一発屋でなく蜀攻めの時も活躍してるから、
もっと長生きしてれば名将となったかもしれない
三軍に冠たりといわれたくらいだか、蜀侵攻の劉備本隊の中で一番凄かったのだろう
ぶっちゃけ抜擢のされかたからして、誰にでもわかるくらい抜きん出ててないと無理
蜀のメジャー部将の従軍記録すら残ってないって酷いよな・・・
正統王朝には絶対必要な史官が無かったって、まじで何かを疑うべきだろ
陳寿に非があるわけじゃないけど、バランスを取るために呉と魏のも省略あるいは簡略されてしまってる
沮授の具体的な功績って何?
若死にした人物なら分かるが
黄忠にもっと長生きしてれば〜って言う奴は珍しいな
黄忠、魏延、楽進あたりは叩き上げ代表みたいなイメージがあるな。
黄忠は劉表時代から将軍号を与ってた人物だから、知名度や位階は
ローカルレベルではあっても叩き上げと言い切れないはず
少なくとも魏延と同一線で語れるという事はないだろう
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/23(土) 00:53:54.12 ID:LlaTbTCi0
黄忠の劉表時代の活躍が書かれてないのはまたしても蜀に史官がないせいなんだろうな
今までにこのスレで挙がった24選が
>>3の人と
>>43の人しか無いってどうなのよ思ったので、群雄と晋込みで24選してみた
皇甫嵩
徐栄
袁紹、麴義
黄祖
陳登
曹操
曹仁、曹真
張遼、楽進、徐晃
ケ艾
劉備
諸葛亮
関羽、張飛
孫策
周瑜、呂蒙
陸遜、陸抗
羊祜、杜預
スッカスカな時期があるのは意図したわけではないんだが
というか枠狭すぎ
削ってはいけない人たちを削りすぎた
三国志全体で24人て無理があるよね?
孫堅を忘れないでやってくだされ
孫堅は24人には入らないって前スレで散々
黄祖が入って孫堅が入らないのはモヤっとする。
孫堅は入れるか迷ったんだけど、徐栄に負けてるし、黄祖に(局地戦では勝ってるけど互いの戦略命題的に)負けてるし、なにより司令官なのに最後戦死なのはどうかな、と思って入れなかった
活躍期間もあまり長くないし
まあ最後戦死な司令官は黄祖とか関羽とかもだけど
同じ理由で夏侯淵も外した感じ
てか、できれば他の人の24選も知りたいんだが
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/23(土) 23:36:44.05 ID:u7q6KcEw0
お知らせ
市原警察署の生活安全課の帰化人創価警官の指導の元、
入学式から2週間ほど、在日の創価学会員を主体とした自称防犯パトロールが、
2週間ほど行われることになりました
生活安全課の指導であることと、パトロールであることは、
絶対に公言してはいけないとの指導も、帰化人創価警官より出ています
期間中は2人組の在日の創価学会員が、頻繁に創価批判者の自宅周辺を、
うろつき回ると思われます
日本人の方は、充分に注意してください
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/24(日) 21:19:04.14 ID:43JCq6a20
関羽はさすがに負けすぎで24人に入れるには無理がある
それなら孫堅を入れた方が良い
呉滅亡までの時代区分で、更に三国外の連中まで入れるとなると、関羽はギリギリかもなぁ
でも関羽が三国志の名将として選出されてないと違和感っていうか寂しい感じがするから、入れておきたいな
そういえば袁譚とか候補にならないの?
バトルロワイヤルな青州を制したことと、袁紹死後に曹操に攻められながらも度々勢力を盛り返してる辺り、けっこうやり手だと思う
袁譚が青州を出てからも、楽進が平定するまで青州勢力はずっと曹操に反抗してたわけだし、けっこう部下に慕われてもいたんじゃないかな…
袁譚はないな。
審配は検討に値する。
反論と推薦にはそれなりの理由が必要だと思います(^q^)
魏呉蜀で10:8:6か12:7:5くらいとして、関羽が蜀の5,6番手に入るかどうかか
戦果、実績で順番を付ければ敗者より勝者側に偏るのは当然とはいえ、
蜀から4人以下というのも歪だしな
まあ蜀は土台が出来たのも一番遅く、滅びたのも一番早く、そして人材不足な一番の小国だから、選出人数が少なくなるのは仕方ない
異論はないし、等分の1/3で8人ずつというのも不自然だけど、かといって全体の1/6の4人以下というのもないな
5、6人は割り当てたい所
あんまり枠ってのを考えなくてもいいんだけどね
ちゃんと突き詰めて考えていけば自然とそれくらいになるっていう目安以外のものではない
だいたいどの意見でも蜀漢は4〜6、呉は5〜7、魏は10〜12、魏晋だと12〜14くらいだけど、理由を述べた上でならそこから大きく外れたっていいと思う
枠なんて決める必要はないでしょ。
論拠があるなら蜀将が過半数だって構わないよ。
ただし周囲を納得させられるだけの材料が欲しいけどな。
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/26(火) 10:11:19.12 ID:fjSiURlo0
180年代
一位:皇甫嵩
二位:朱儁
三位:慮植
190年代
一位:曹操
二位:袁紹
三位:孫策
200年代
一位:周瑜
二位:曹操
三位:曹仁
210年代
一位:劉備
二位:呂蒙
三位:張遼
220年代
一位:陸遜
二位:曹真
三位:諸葛亮
230年代
一位:諸葛亮
二位:司馬懿
三位:満寵
240年代
一位:王平
二位:郭淮
三位:毌丘倹
250年代
一位:陳泰
二位:ケ艾
三位:郭淮
260年代
一位:ケ艾
二位:鍾会
三位:羅憲
270年代
一位:杜預
二位:陸抗
三位:羊祜
度々出てくるけど羅憲は無いだろ
同じ人間が騒いでるようにしか見えない
羅憲でいいならカクショウでもいいだろ
>>78 俺は
>>36の人じゃないんだけど、260年代に活躍した武将が他に思い浮かばなかったんだよね
羅憲を抜かすとしたら誰になるかな?
というか240年代の毌丘倹も苦し紛れですしおすし
190〜210年代は四位以下も名将揃いなのに
楽進とか徐晃とか関羽とか張飛とか抜けちゃってるからね
そもそも年代に分ける必要がないのではないか
>>1に特定の時期に偏るなって書いてあったから一応って感じかな
年代で分ける必要があるかどうかはともかく、1つの視点としてあってもいいんじゃね
しかし後半がスッカスカなのは分かり切ってたことだけど、やっぱこんな感じになるか
やっぱり戦乱期に比べると、三国鼎立してしまってからは密度が薄いから、名将も少ないよね
曹操と劉備が死んだ後は、諸葛亮の北伐関係くらいか
あとは蜀と呉の滅亡に関する戦いくらいしか、名将の輝きというのが無い
孫呉で主に後漢末期に活躍した五人の将軍を選ぶとしたら、どんな面子になるだろう。
周瑜と呂蒙は確定として、あとは朱治、呂範、程普、黄蓋、甘寧、凌統あたりのどれかかな。
せんせー、魯粛は将軍に入りますかー
魯粛が将軍なら程cだって将軍だよねってくらいのポジションじゃない?
なんとなく
漢昌太守・偏将軍となった。214年の戦いでも孫権に従って功績を挙げた。
やがて横江将軍に転じた。
wikiの抜粋
将軍号もらったら将軍でしょう
程イク(携帯でイクの字が出ない)って演義とかの影響で謀臣のイメージが強いけど魏書とかの記述見てると「策謀に優れた将軍」なんだよね
引き際なんかを見るに人品にも優れていたみたいだし個人的には名将の候補に入れたいくらいの人だわ
兵糧補給の邪魔した敵将を李典と一緒に独断でボコりに行ったりしてるからなw
呂布・陳宮からの三城防衛も、ケン城以外の二城を守れたのは程cの戦術眼あってこそだし
24人じゃ少ないんだから
定義は極力狭くした方がいいと思うが
まあ程cや魯粛はベスト24に入るのは無理でしょうな
魯粛は周瑜と呂蒙を繋ぐ大都督だし、程cは夏侯惇と曹仁と共に曹操の三大功臣に認定されてるから、存在感はあるんだけど
曹魏の鉄板名将10人
曹操
曹仁・張遼・楽進・于禁・張郃・徐晃
曹真・満寵・郭淮
蜀漢の鉄板名将5人
劉備
関羽・張飛
諸葛亮・王平
孫呉の鉄板名将5人
孫策
周瑜・呂蒙
陸遜・陸抗
司馬政権の鉄板名将5人
司馬懿
陳泰・ケ艾
羊祜・杜預
これで25人!
外連味の無い人選をしてみたんだが、どうかなぁ
あと一人削るとして、どこ削っても歪になってしまう気がする
>>94 活躍の殆どが司馬懿クーデターの後だからね
おまけに司馬兄弟の親友だし
孫策は凄いけどあまりに活躍期間が短いんだよなぁ
アレであっさり死んだ運の無さが痛すぎる
運の無さっていうか、自業自得、因果応報だと思うけどね孫策の死亡は
あんだけ急速に勢力拡張して、周辺豪族や異民族から不評を買ってた
まあこれは、スタートの時点で袁紹や曹操から出遅れてた孫策が呑気に構えていては生き残れなかったのも確かなので、仕方なかったわけだが、そのわりには無鉄砲・無防備すぎる
あの若さと少ない元手で揚州の大半を抑えた実績は素晴らしいと思ったから入れたけどね
っていうか曹操の本拠地襲撃(或いは陳登襲撃)なんてしようとしたから、曹操から徐州南部任されてた陳登の扇動で暗殺されたんじゃないのかねアレは
>>93 その「鉄板」てのはお前の中の、な
まるでスレの総意みたいに勘違いするぞ初めて見た人は
>>98 許貢を殺した事が引き金という事になってるが
その食客を陳登が煽動したっていう事かな?
説としては面白いけどね
そうなるとそれは郭嘉も知ってたのかなとか…
「この許までたどり着く事はないでしょう、やがて一人のならず者に殺されます」
という言葉が意味深になってくる。
むしろ郭嘉がやらせたのか…?
>>99 ゴメンね
鉄板ってのは勿論「俺の中で」だよ
勘違いさせてしまった方々には申し訳ない
陳登は揚州方面での扇動をよくやってるし、その父親なんて袁術軍に離間計仕掛けて成功させた人だから、それくらいやるかなって
その方が、郭嘉の未来予知も超常のものではなく、ちゃんとした情報収集・解析能力の産物ってことになるしね
勿論、これも俺の勝手な妄想です
なんかそろそろ24人が決まりそうだよね
だいたいどれも似通った意見しか出てないし
>>98 >自業自得、因果応報だと思うけどね孫策の死亡は
それが全てだと思う。
>急速に勢力拡張して周辺豪族や異民族から不評を買ってた
加えて名士の迫害もバンバン行って総スカン食らっている。
その点に加えて自業自得、因果応報な末路も公孫サンと全く同じ。
名士迫害ってなんぞ
周瑜も魯粛も二張も名士だろうに
>>103 >名士迫害
地元(江南)の名士一族ほぼ全て。
特に陸康・高岱の件は孫策の個人的憎悪が第一の要因という辺りが
政治姿勢対立の要素も大きく絡む公孫サンの劉愚殺害以上に悪質。
なお、周瑜・魯粛・二張は江南地方の出身ではない。
>>104 そういえば江北や徐州の面子だねw
個人的憎悪が〜ってどの辺りがソースなんです?
袁術の命令で攻めた後のこと?
>>105 正史+正史訳注がソース。
陸康は袁術の配下になる前の孫策が訪れたにもかかわらず、
素っ気ない対応をした件を孫策が根に持っていた。
袁術の配下になったのち、
袁術から陸康追討の命令を受けたのを遺恨晴らしの好機でもあると
苛烈な陸氏追討を行い、陸康含む陸氏の人間の半数が死ぬ羽目になった。
高岱は彼の名声を妬むか彼と孫策が近づくことを嫌う者の讒言により、
孫策の猜疑心と嫉妬を買った末に刑死。
今更気付いた104訂正
○劉虞
×劉愚
なんか異様に孫策を嫌ってる人が一人いるみたいねこのスレ
またお前か
孫策はもうちょっと地位、立場が弱いか、せめてあと3年5年色々学んでから継いでればなー
才能、能力は圧倒的なのに孫堅横死のせいで生き急ぎ死に急いでしまった
孫策が献帝(っていうか曹操)に接近したのは反袁術を表明する為の一時的な措置だろうし、官渡で袁紹と曹操が対峙してた時が最大のチャンスだったには違いないけど、それにしたって掌返しが早過ぎだよね。
いかな孫策といえど荀ケの守る城を早々落とせるわけがない(逆に撃退されそう…)し、そんなことをしようものならそれこそ陳登から挟撃されて終わりだろう。
そう考えると無謀すぎる許昌襲撃はウソで、陳登を討伐しようとしてたっていう江表伝の説が意外にも正しいと思えるが、孫策は陳登に負けてる経歴があるんでそれも無謀すぎる。孫策がいかに刹那的な生き方をしていた野心家だったかって話。
でも、武門の若者なんてあんなもんだと思うけどね。黄巾乱から活躍する他の群雄達のように百戦錬磨ってわけでもない、急遽父親の後を継ぐことになった経験不足の青年なんだぜ。
まあ色々言ってみたけど、それを差し引いても孫策の名将としての威光を貶めるほどのものではないはず。
12選とかなら欠点の無い名将で埋められるかもしれんが、24選ならそうはならない。まず間違いなく孫策は入ってくるだろうと思うんだけど。
政治的・大局的な判断ミスは将軍としての能力ではなく主君としての問題に近いってのもある。将軍としての功績は、あの若さと短期間で、あれだけの領地を得たということ。
曹操と袁紹は一郡からスタートして十年弱で四州を刈り取ったが、孫策は一郡すら持てない不安定な状態から五年で一州の大半を刈り取った。
孫策の功績は曹操と袁紹に次ぐだろうし、他に比類し得るとしたら、河北四州平定時に別働隊を率いて各地を陥落させた張遼と楽進くらいだろう。
曹操と袁紹は「メインストリーム」だが
孫策と劉備は異端だよなあ
劉備は不動の名声を得るために20年放浪を繰り返した
劉備はインテリ層が好きな人士論評の会話に加わることができる教養があったし
正規の立派な官爵を持っていた
孫策は生き急いだな・・・
孫策は誰かの配下の一武将としての方が評価が高くなりそうだよな
君主だと運、カリスマが微妙なプチ項羽というか…
孫堅も黄巾、対董卓と最高峰レベルの勝ち方を重ねて最後はアレだし、
才気微妙で地味な孫権が長く頑張る事になるのは面白いな
>>113 お忘れかもしれないが孫策は袁術の臣下(´;ω;`)
袁術陛下に孫策を使いこなせるだけの器量があればねぇ。好いてはいたはずなのに扱いが雑すぎる。
若くて土台も経歴も無い孫策を重用するのも他の群臣とのバランスを考えれば難しかったかもしれんが、それをやるべきだったのよな。
>>113-114 袁術陛下の部将としての孫策は優秀だけど、
首領としての孫策は(お察し下さい)だものねえ。
孫策は50選なら後半枠で入れるけれど、
24選だと惜しくも落選枠、
良くて当落ラインぎりぎりの所じゃないかな。
あと孫策の人気自体が基本的に
正史や正史準拠の書籍や知識が膾炙して以降の日本で
醸成されたものという件も忘れてはいけない。
ヤマトタケル・源義経・沖田総司等々が
超人気英雄になる日本という国ですぜ。
いや、べつに人気は選考基準に誰も入れてないと思うんだけど…。
今までの24選リスト全部に名前入ってるのは曹操、曹仁、曹真、張遼、楽進、徐晃、劉備、諸葛亮、関羽、張飛、孫策、周瑜、呂蒙、陸遜。
この14人は時代幅とか三国外とか関係なく入ってるから決まりで良いと私は思うけど。
まあ関羽と孫策については度々ケチが付いてるから一旦除外するとしても、それ以外の12人は確定にして、残り12人を決める感じで議論を進展させたいような。
この12人に異論がある人はいるのかな?
私としてはこの12人+ケ艾は確定で良い気がする。
ケ艾は曹魏の臣下って感じじゃないのは分かるけど晋の臣下ってわけじゃないし、どんな条件でも入ってくるでしょ。
>>116 説明不足ですみません。
この場合の「人気」というのは
当時(後漢末〜東晋辺り)の中国における評価を歪めてしまう
「後世に発生した過大評価を招く要因」として述べています。
>>116 >私としてはこの12人+ケ艾は確定で良い気がする。
当方も全く異議はありません。
主に問題なのはこいつら↓
皇甫嵩:後漢書に載ってるし三国外
袁紹:三国志に載ってるけど三国外
陳登:三国志に載ってるけど三国外なのか魏なのか不明瞭
陸抗:三国志に載ってるし三国内だけど晋の時代
司馬懿:晋書に載ってるけど三国内
晋の連中:晋書に載ってるし三国外
まあ条件で入れたからってこいつらが二十四選に確実に入るわけでもないが・・・
俺もその十三人の確定枠は揺るがないと思うが、残り十一枠の面子に関してはこいつらをどこまで入れるかどうかでかなり様変わりするはず
>>1によると
>三国志に登場する数多くの人物たちの中から
ということなので三国志に名前の出ている人物であれば立伝されてない、あるいは他史に立伝されている人物でも問題無いと俺は思う
184〜270年の間に活躍した将軍でいいんじゃないの。
細かいカテゴライズして難しく考える必要もないと思う。
184〜280年だった、すまそ
うぬぬ、俺的に265年以後は三国志って気がしないんだが・・・
まあただでさえギチギチの枠にこいつらを入れると殆ど埋まっちゃうってのもあるけど
もし入れるとなると確定枠入りするだけの名将はいるかな?
陸抗と羊祜は睨み合ってただけって気もするが、まあ状況的に圧倒的不利な陸抗の方が上だろう
あとは滅亡して当然の呉を実際に滅亡させた杜預と王濬をどう評価するのか
>>124 晋呉〜統一は消化試合みたいなもんだしな。
けど三国時代に終止符を打った時期だから、入れない訳にもいかないと思う。
まあでも蜀滅亡以降はその4人に集約されると思うし、
枠が足りないなら陸抗と杜預だけでいいかもと自分は考えてる。
陸抗とか杜預は名前見ただけで祭りの後な感じがして切ないw
220年代くらいまでが楽しくて、そこから徐々にテンションは下がっていく
曹操と劉備が消えるとなー
200年までは戦上手のどうのこうのより、まずは自分の立ち位置とその根拠(権威)が大切だったからな。
根拠がないと士大夫が集まらなくて土地を持てないし兵を持てない
>>128 そういう意味で配下の士大夫を厚遇しない呂布、
地元士大夫を弾圧しまくる公孫サン・孫策は名将の資格無し、
同僚士大夫を見下だす関羽も名将と呼ぶには疑問を持つ所。
当時は士大夫層がキーパーソンのご時世。
孫氏だって本格的に力をつけてきたのは孫策の死後、
地元士大夫層との対立関係が緩和されてからのこと。
その辺の意識、配慮が欠けてるが無双の武勇で…という将軍もまた魅力的なんだよなー
220年以後はクソつまらない時代になるはずだったのを、五年ちょっととはいえ見所のある戦いを提供してくれた諸葛亮と曹真には感謝してもしきれない、マジでw
>>130 「その辺の意識、配慮」が欠けていると「名将」とは言えなくなる訳で。
しかし無双の武勇というのもカッコいいと感じるのもまた事実。
だから「名将」とは言えなくても強いよカッコいいよな将軍様のために
「勇将」「猛将」なんて言う言葉もある訳でw
まあ、
>>125さんの言うように、俺も蜀滅亡後の枠は陸抗と杜預だけで良いかなって気がしてる
人間的に欠けた部分のある勇将、猛将は名将の枠から外す、とか言い出すと荒れると思うw
その手の将軍は大体残念な死に方になって必然的に減点食らうけど、挙げた実績が十分なら別に問題ないと思うわ
俺も人格面をそこまで重視するのはどうかと思う
でもまあ、
公孫瓚:河北で暴れまわるが袁紹に負けまくって滅亡
呂布:河南で暴れまわるが曹操と内部の陳登に負けまくって滅亡
孫策:揚州で暴れまわるが陳登に阻まれて北上できず横死
こいつらの違いは後継者に恵まれたかどうかと、中原にいたか中原ギリギリのとこにいたかの違いであって、凄さもタイプも同類というのは同意かもしれない
戦った相手は間違いなく孫策より呂布が上だしな
結局三国志で最も過酷であろう190年代の中原騒乱は、袁紹と曹操に集約される
それ以前の180年代は皇甫嵩として、三国外の確定枠は皇甫嵩と袁紹だけで良い気がする
>>135 士大夫厚遇−袁紹、曹操
自身が士大夫−袁紹、陳登
自身がインテリ−曹操
容姿優れる−袁紹、公孫サン、孫策
非士大夫−曹操、公孫サン、孫策、呂布
士大夫冷遇−呂布
士大夫弾圧−公孫サン、孫策
非インテリ−孫策、呂布
容姿が…−曹操
乱暴だけど上記は前者4カテゴリが士大夫に受ける要素、後者5カテゴリが士大夫に嫌われる要素。
私も以前から思っていることだけど、
公孫サン、孫策、呂布は部将としての凄さも群雄としてのタイプも同種と言う件は全く同意。
公孫サン、呂布は後継者とそれを支える人材諸共滅んだのに対して、
孫策は後継者ととそれを支える人材が健在かつ優秀だったことが幸いしたと言えるかもしれない。
136訂正
士大夫冷遇−呂布、(衰退期の)袁紹
まあそれに関しては曹操にかなり初期から荀ケとかいう人材ダイソンがいたのが最も大きな要素だけどね
袁紹は名士冷遇したわけではない。衰退期でも殆どはずっとついていってるから。
袁紹はいち早く董卓に巻き込まれてそうになった挙句にいち早く対立して、そのせいで本拠地汝南から切り離されて豫州は袁術に取られる。
飛ばされたとこでは公孫瓚が圧倒的に強いという半ば詰んでる状態だったのを、名士に頭下げまくって招いたことと曹操というチート同盟者を得たことで大逆転勝利。
ただし腰を低くしすぎたせいで君主権低下して名士の制御が効かなくなって、統制の為の内部抗争が勃発してそれが原因で最終的に曹操に負けただけ。
理不尽な冷遇はべつにしていないし、曹操に負けてからも袁紹は自ら駆け回って河北四州をそのまま維持した。
140 :
136訂正:2013/04/02(火) 02:36:26.32 ID:AxR67aXO0
士大夫に受ける要素
士大夫厚遇−袁紹、曹操
自身が士大夫−袁紹、陳登
自身がインテリ−曹操
容姿優れる−袁紹、公孫サン、孫策
士大夫に嫌われる要素
非士大夫−曹操、公孫サン、孫策、呂布
士大夫冷遇−呂布
非インテリ−孫策、呂布
容姿が…−曹操
論外(問答無用で士大夫の敵決定)
士大夫弾圧−公孫サン、孫策
呂布は偉丈夫とか美丈夫とかって記述なかったっけ?
そういう解釈をしてる学者がいるってだけかな。
士大夫に好まれる要素に「勤皇」もある
袁術は化けの皮が剥がれるまでこのハッタリ一つで支持を集めた
呂布も董卓を誅したことでその方面の評判はよかった
袁紹と曹操と劉氏(劉備以外)が献帝否定。それと対抗する為には袁術と公孫瓚と孫氏は勤王表明しなきゃね。
陶謙は勤王どころか明確に逆賊と組んでるから、袁術派閥に近いけど少し異色かも。
曹操は途中から献帝擁立し始めて袁紹と対立する。
劉備と呂布はよく分からん。
時代が最も大きく動いたのは曹操の献帝擁立だ。鍾繇と董昭のファインプレーだな。
なんかやたらと士大夫の話が出てるが
名将の議論にそこまで関係するかね…?
>>144 >士大夫層
当時の裏のキーパーソンにして
キャスティングボードを牛耳っている集団様ですぜ。
>>141 正史方面では美丈夫という記述は無かったような。
>>142-143 >「勤皇」
これも大事な要素ですね。
袁術派群雄の瓦解・破滅も袁術の化けの皮が剥げた後ですし。
陶謙は一見袁術派閥に見えるけど反袁術、
勤皇でも無いし士大夫受けも悪いという
自転車操業的というか何と言うか……。
劉備に徐州を投げたくなるのも解る気がする。
劉備は生き残るためにどこにつくかを模索しつつ、
献帝否定-献帝肯定の二つの「勤皇」の間を揺れ動き、
呂布はそれらの動きから外れてしまった感じかな。
政治、工作、もしくは自己演出の分野だから、あんまり重視したくないなー
でも、無駄に敵を増やしちまうことに無頓着な戦争バカはしょーもない最後を遂げるんだよな…
挟まれたり囲まれたり闇討ちされたりする事態を招くこと自体が欠陥でもあるし
>>147 >無駄に敵を増やしちまうことに無頓着な戦争バカはしょーもない最後を遂げるんだよな…
>挟まれたり囲まれたり闇討ちされたりする事態を招くこと自体が欠陥でもあるし
そういう意味で「士大夫(名士)層の人気・士大夫(名士)層と対立するか協同するか」
という面も評価において重要な要素だと思う。
士大夫云々でふと思ったんだが、
騎都尉〜執金吾の主簿なんて本来は士大夫層の役職だろうし、
主簿に抜擢されてたぐらいだから当然水準以上の教養はあっただろうし、
それを考えると呂布って何者だったんだろうって思う。
案外五原の豪族とかだったんかねえ。
>>149 >五原の豪族
可能性は否定できない。
仮に豪族まで行かなくても水準以上の教養を受けられる
バックボーン(家の財産・人脈など)はあったと思う。
当時は豪族以上のクラスの男子は水準以上の教養を持つのが常識、
貧乏で無い限り庶民や女性でも最低限の教養を持つべしな
ご時世でもあることは一応前提に入れておいた方が良い。
>>141 京劇で美丈夫の設定になってるから
民間でそう信じられているだけだと思う
>>150 可能性はありそうだよね。
わりと個人で知略を使ってる場面もあるし、
同僚をハメてたり、故事を引き合いに出したり、理に適った行動もあったりで、
猛将の類いとは思えない言動が多い。
実際教養人で頭も良かったのかもな、長期的展望がなかっただけで。
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/04(木) 16:30:29.41 ID:ZRRLS8WW0
率いる部隊の大きさ、職位も考慮に居れてほしい。
部隊長クラスは除外してほしい。
お前、ずっとそればっか言ってるな
先祖が部隊長に殺されたんだろ
張遼や甘寧がランクインしてると困る人なのかねえ。
むしろ職権が低く個の記録が残りにくい部隊長クラスで候補に上がるのはそれだけ優秀だっていうことの証明だと思うんだがな
ひそかに高幹って名将の類にはいるのではないかと思う
高幹討伐に動員された戦力がデカすぎるから相当警戒されていたのではないか
>>156 張遼は夏侯淵の征西、曹仁の征南に並ぶ征東将軍だから、
魏の東部方面軍司令官と考えて良いと思う
魏の方面軍司令官
西部(都督雍涼州諸軍事):夏侯淵→ 曹真→ 司馬懿
南部(都督荊州諸軍事):曹仁→ 夏侯尚→ 司馬懿 → 夏侯儒 → 王昶
東部(都督揚州諸軍事):張遼→ 曹休 → 満寵 → 王リョウ・カン丘倹・諸葛誕の反乱トリオ
220年の終わりまでに魏で四征将軍以上に叙任されたのは5人しか居ない
征南将軍の曹仁(214年)、征西将軍の夏侯淵(217年)、衛将軍の曹洪(220年)、大将軍の夏侯惇(220年)、
征東将軍の張遼(215年)
親族以外じゃ張遼のみ、部隊長なんてとんでもない
張遼って対烏丸や遼来来のイメージからなのか、
あまり大部隊を率いないイメージが強いんだよな。
>>160 あの時代、総指揮官が陣頭指揮取るのが普通とは言え、
魏の将帥は割りとホイホイ危険なところに少人数で出ることがあるんだよね
牛金助けに小部隊で突出した曹仁は無事に牛金助けて生還したけど、
張コウ助けるために部隊の半分送って、兵400率いて逆茂木の修復行った夏侯淵は黄忠に討たれた
一方で陸遜は孫桓が夷道で包囲された時でも、「あの人は大丈夫」とか言って援軍すら送らず放置したw
良くも悪くも豪傑が多かったんだろうな。
戦死は武家には付いてまわるものだと思うから、
よっぽど無様な戦死でもなければ自分はそれほど評価を下げないけど、
まあ自覚に欠けると曹操に怒られるのも無理もないとは思うw
そういや張遼も曹操に嗜められたことなかったっけ。
うろ覚えだから勘違いかもだけど。
張遼のどこが部隊長なんだ?
部隊長以上の将軍位を早々に貰っている
まあ曹操時代の四征は前後左右よりは下なんだけど
張遼は赤壁以後は楽進の副官だから総司令官というわけではないが、楽進は揚州荊州統括司令官なんで、張遼は揚州方面の実働司令官のようなものだろう
曹操時代というか、要するに後漢時代ね
後漢では大>車騎・驃騎・衛>四方>四征の順
三国時代だと四征鎮が四方より上
実質的な司令官権限を有することが多いからね
張遼が征東から前将軍になったのは降格じゃなくて官位の種類が変わっただけだぞ
「曹操軍」のトップは前将軍夏侯惇
前線トップは右将軍楽進と左将軍于禁
仕えた時期と実績から考えて当たり前なんだけど
議論が停滞してるようなので別視点から、
>>1に書いてあるけど皆があまり言及してない地域別に考えてみる
三国志は数年前に勉強したっきり研究とかしてないんで間違い多いかも
・河南四州(人口目安1500万)
司隷は鍾繇が馬騰と韓遂を利用して片付けたが、それ以外の三州は曹操が自ら袁術・陶謙・劉備・呂布・張繍・黒山賊などを撃ち破って平定。
楽進と于禁が尋常じゃない活躍をしているが、常に騎兵別働隊を任されていた曹仁、中途参入ながら数々の武功を成した徐晃もかなりのもの。
平定後は夏侯淵を筆頭に李通・臧覇・満寵などが内乱鎮圧などで活躍。
敵対勢力から一人を挙げるなら、やはり呂布だろう。
・河北四州(人口目安1200万)
青州は袁譚が田楷や孔融を撃ち破って平定したが、それ以外の三州は袁紹が自ら公孫瓚・烏丸・黒山賊などを撃ち破って平定。配下の武功は麴義が突出。
官渡の戦いでは河南平定時と同じく、曹仁・楽進・于禁・徐晃が突出した戦果を挙げている。
袁紹死後、曹操軍の各将が別働隊を率いて各地で袁氏勢力を撃ち破り河北四州平定。最大功者は行〜将軍となった楽進と張遼であり、殆どをこの二人で平定している。
于禁は夏侯氏と共に後方担当になっており、入れ替わるようにして李典が前線に出てきている。
曹操軍以外では言うまでもなく袁紹が抜群だが、袁譚や高幹なんかもなかなか。
ここからは辺境なので政治的にも文化的にも重要度は落ちる。
・揚州(人口目安400万)
曹操によって中原から追い出された袁術が、一応配下である孫策の無双で劉繇などを撃ち破って平定し、やがて孫権が継承。
袁術の代からずっと北上は陳親子に阻まれ続けた。
曹操の南下を経て楽進が張遼と李典を率いて合肥城に駐屯し、それからは孫権が毎年のように合肥を攻めまくるが毎回撃退されている。
孫権配下はやはり呂蒙と甘寧が最も目立っており、論功行賞でも呂蒙が第一で甘寧が第二。
曹操自身が出張ってくる時は必ず先鋒となる張遼と臧覇のタッグに対し、呂蒙と甘寧のタッグは互角以上の戦いをしている。
・荊州(人口目安600万)
劉表が黄祖と文聘を南北の都督とし、袁術や孫親子を退けて平定。
やがて中原を平定した曹操が南下して制圧するが、赤壁で周瑜と劉備に撃退されて大部分を失陥し、楽進と曹仁に徐晃・文聘・満寵を付けて二城を任せ撤退。
曹仁が連合軍に包囲され李通により救出された後は三つ巴状態となり、関羽が楽進らに何度も撃退されたり、関羽の渡河が甘寧に阻まれて失敗したり、呂蒙に三郡侵略された関羽が魯粛の単刀会で一郡返上されて鉾を収めたり。
まあ蜀の史料不足が祟ってか不名誉な記録ばかり残っている。
関羽は楽進死後に本格的な北上を目論むが曹仁を攻略できず、援軍の于禁を捕虜とするが徐晃に撃退され呂蒙により討伐、魏呉による分割へ。
・涼州(人口目安50万(^q^))
曹操が曹仁・夏侯淵・張郃・徐晃らを率いて馬超と韓遂を討伐し、その後は夏侯淵が張郃と徐晃を率いて各地で馬超韓遂勢力を壊滅させて平定。
・益州(人口目安700万)
曹操が張郃と徐晃を率いて張魯討伐。劉備が黄忠や魏延を率いて劉璋討伐を目論むが上手くいかず、荊州を守らせていた主力も合流させて漸く討伐。
曹操は張魯討伐後に合流した夏侯淵に任せて自身は撤退するが、やがて劉備が漢中まで侵攻すると張郃は劣勢に追い込まれ、張郃に援軍を出して手薄になった夏侯淵を黄忠が討ち取ったことで、劉備により益州平定。
漢中には魏延が防衛網を敷いて成功させた。
後漢時代、前線で大きな武功を成した範囲という観点からの評価
交州以外の十二州:曹操と徐晃
中原と荊州と涼州:曹仁
中原と荊州と揚州:楽進
河北と涼州と益州:張郃
河北と揚州:張遼
河北:袁紹
河南:于禁と呂布
荊州と益州:劉備と張飛
荊州と揚州:周瑜と呂蒙と甘寧
曹操・曹仁・五将軍は凄いが、于禁は官渡までが全盛期でちょっと微妙か
後方での働きなども含めれば夏侯淵・臧覇・満寵もかなりのもの
李典は活動範囲は広いが楽進や張遼の影に隠れがち
徐州の陳登、揚州の孫策、荊州の文聘は、存在感は抜群だがあくまで一州規模
劉備は中原でも活躍したと言っていいはずだがなんとも
関羽も顔良斬りなども含めれば荊州だけの活躍じゃないだろうし
ああ、蜀の史料不足にイライラする
時代を少し遡るが皇甫嵩も実質的な平定範囲はかなり広い
ただ張遼は于禁楽進にも譲らなくて
特命を受けた趙ゲンの調整が必要だったとあるから、殆ど差は無かったとおもわれる
楽進于禁が陣営内での格は上だが、
本人も周囲も新参の張遼のほうが実力が上だと認識していたと思う
殆ど差はないというのは同意だが、215年の合肥で張遼が突き抜けるまでは武功も楽進が上でしょう
集解とまでは言わないが、正史くらいは読んで言ってるのかな
俺は演義やゲームは詳しくないから、そういう要素も考慮に入れろってことならお手上げだが
>>166 異民族対策の功労者はノーカウント?
歴史的な意味から言ったら異民族対策の意義は大きいと思うんだが
>>168 趙儼伝を読もうね
荊州侵攻時に既に張遼は楽進于禁と張り合って協力しなかったと書いてある
降将としては異例なんだよ
呂布の并州騎兵を受け継いだ張遼が、曹操から非常に重宝されたことは確か。
169さんが言うように、中華的に異民族討伐での功績が重要視されるのも確か。
張遼はやはり正史の序列の如く五将軍筆頭の存在だろう。
が、実力も功績も次席の楽進とそこまで差はなく、人によっては楽進の方を推すこともあるだろう。
曹操は実力のある者に権限を与える方針は一貫していて、臧覇なんか破格の待遇。
170さんの言う、降将とは思えぬ振る舞いなど、彼我の実力差の根拠としては弱すぎる。
まあ好きな将を推したいのは分かるが、正史を読んでいれば張遼と楽進に明確な実力差があるなんて結論は出ないはずだろう。
上の方で張遼も楽進も既に何度も名前があげられて確定枠扱いされてるんだから、凄くどうでもいい議論だな…
比較する意味も無いし…
せっかく視点を変える為に地域別で〜って切り出しなんだから、せめてもっとマクロな視点で他の将も含めて議論をだな…
50人とか100人くらい選んで
そっから削る方が早くないかな
既に30人以下くらいにはなってるし、今からそうしたところで面子が変わるとも思えないなー
戦績重視で魏を重く見るかどうか、孫策、関羽を削るかどうか、皇甫嵩、袁紹を入れるかどうか…
議論になるのは毎度このあたりかね
>>174 大体それらの辺が議論となっている所
魏は国力が圧倒的という点を差し引いてもある程度重く見るべき
皇甫嵩は後漢のカテゴリと言う点をどうクリアするか次第
袁紹・関羽・孫策は50将ならリスト入り確実だけど
24将となると当落ライン上になる
呉蜀(と北方異民族)を相手にしていた魏が呉蜀の合計を上回るくらいにして、統一期に関してはだいたい魏晋で埋めれば、時代でも勢力でもバランス取れると思うんだけど
・創立期で10人
(袁紹)
曹操、曹仁、張遼、楽進、徐晃
周瑜、呂蒙
劉備、張飛
・鼎立期で8人
曹真、(張郃)、(司馬懿)、(満寵)、(郭淮)
陸遜
諸葛亮、(王平)
・統一期で6人
ケ艾、(陳泰)、(羊祜)、(王濬)、(杜預)
(陸抗)
まあ私見だとこんな感じで
相手が黄巾と韓遂である皇甫嵩と、相手が公孫瓚と黒山賊と黄巾残党であり烏丸恭順の功績もある袁紹じゃ、袁紹の方が上って気がしたので
曹操に負けたのが汚点だが、そんなやついっぱいいるし、ましてや袁紹は存命中は河北四州を維持したわけで
まあ、あくまで私見です
もっと言うなら、創立期で魏将が各地を転戦して圧倒的な勢力(人口=国力の差は魏:呉:蜀で7:2:1)を築き上げたのが、やがて晋が天下統一するそもそもの始まりなんだから、創立期の魏将はもっと増やしていいかなって気もする
まあ張郃が鼎立期だけでなく創立期にも入るから、それでちょうど良いかもしれないが
ついでに、私なら14人目の確定枠に陸抗を推す
これまでの人たちのリストを見ても、稀に外されているのは「三国時代の人間じゃない」というその一点に限るだろうし、三国志に名前が載っているのだから入れて良いはず、と思う
陸抗は凄いけど羊コはイマイチだと思う
興味深いスレを見つけたと思ったのだが、関羽の評価の低さ、ちょっと違和感があるな。
関羽と張飛では関羽が上だろう。
陳寿による列伝順がそうだからと言うだけでなく、敵対勢力からの評判も関羽が上、劉備からの扱いも関羽が上。
赤壁以前から、別働隊を任されたのは常に関羽だ。
劉備の人物眼は伊達ではない。
中原において劉備配下で具体的武功があるのも、関羽の顔良斬りだけだ。
荊州失陥が良く言われるが、最激戦区の荊州を、ほぼ単独で任されたことにも目を向けてほしい。
外交センスが致命的なことや、同僚からの人望がゼロなことは言い訳できないが。
しかし張飛なんて、同僚どころか直属の部下に殺されている。
張飛に、関羽の代わりは務まらないと思われる。
が、張飛の代わりに関羽が劉備に付いて行っていれば、関羽は間違いなく益州制圧で活躍しただろう。
関羽と張飛を豪傑から名将へ昇華たらしめた根拠は、当時を代表する最強の五将軍たる張楽于張徐に勝利したということだが。
于禁に勝利した関羽と、張郃に勝利した張飛は、似ているようで違う。
于禁の命題が関羽討伐であったのに対して、張郃の命題は住民移住であったこと、そして于禁の方が圧倒的に大軍であったことを忘れないでほしい。
張飛との比較でどうしても不利になるのが、負け戦の多さだが。
それは同時に、激戦区で敵将と戦い続けたということでもある。
曹仁・楽進・徐晃・李通・文聘・満寵・魯粛・呂蒙・甘寧。
此れ程の面子を相手に戦い続けた存在がいるだろうか。
それこそ、他には曹操・曹仁・劉備くらいだろう。
そして何より、関羽自身が直接的武力衝突にて明確に負けた相手は、楽進と徐晃だけであり、其の外に関しては敗戦とも言い切れない。
楽進と徐晃は生涯不敗の名将であり、彼らに敗北したことで関羽の名声が地に塗れるわけではない。
やはり関羽は、当時を代表する一線級の将軍だろう。
>>177 陸抗には明確に劣るにしろ、呉を滅ぼす準備を整えたのは羊さんだ。
破竹さんとの比較で優劣はあまりなさそう。
まあ関羽にしろ羊コにしろ、武廟入りしていることを軽視はできないはず。
あれを絶対視するのは危険だが、重要参考資料であることは間違いないのだから。
言いたいことは良く分かるし、概ね支持するけども、
自分の中では于禁は関羽に負けたというより洪水に負けたイメージが強い。
温恢が于禁の参謀だったら水を回避できたのかなぁ
>>178の言い分は凄く分かるんだが、それでも関羽は入らないだろう
・漢津で徐晃満寵に撃破される
・撤退する曹操軍を蘇非らと共に追撃するが、襄陽城を守る楽進に撃破される
・曹仁を周瑜呂蒙甘寧劉備張飛らと共に包囲しても攻略に一年以上かかり、しかも曹仁包囲網を関羽の陣営から李通に食い破られ曹仁を救出される
・劉備の蜀侵攻に呼応して北上するが、尋口で楽進文聘に撃破される
・呂蒙に長沙桂陽零陵の三郡をあっさり攻略され、逆襲を目論むも甘寧に阻まれて攻略できず
・劉備の漢中侵攻に呼応して北上するが、洪水で沈みかけの樊城を守る曹仁満寵すら攻略できず
・洪水で于禁が降伏したことで兵糧問題が悪化し、文聘に兵糧と船を焼かれ、徐晃に撃破される
・同僚全員に裏切られ、呂蒙陸遜に荊州を攻略され、孤立無援となって死亡
関羽が勝てなかった曹仁楽進徐晃文聘満寵呂蒙甘寧は、関羽戦での武功なんかなくても充分に名将である
曹仁楽進徐晃は中原平定の三大功将、楽進文聘満寵は対呉戦線における名将でもあり、呂蒙甘寧は曹操張遼を撃退している
それに対して関羽の将軍としての武功は、彼らと戦って勝てなかったという戦歴だけ
顔良斬りの半分は、声東撃西で顔良を混乱させ孤立させた荀攸の武功
于禁を降伏させたのも半分は水だ
だいたい武廟なんて、露骨な魏アンチ・蜀マンセーの産物だからな
露骨すぎて変な笑いが込み上げてくる
・武功の少ない関羽張飛がいるのに、魏は蜀と戦ってない張遼だけが入って、蜀を苦しめた歴戦の名将である曹仁楽進張郃徐晃は誰もいない
・諸葛亮はなんと十傑にいるのに、曹真張郃郭淮は七十二武にすら選ばれていない
・呉滅三傑である晋の羊祜王濬杜預は全員いるのに、それより遥かに難易度の高く実績も豊富な蜀滅三傑である魏の郭淮陳泰ケ艾はケ艾しかいない
コピペに使えそうだな
普通に淡々と書けばいいのに、煽り意図が露骨すぎて変な笑いがこみ上げてくるなw
曹操劉備時代の名将(190〜223)
河南戦線:曹操・曹仁・楽進・于禁・徐晃
河北戦線:曹操・張遼・楽進・徐晃・袁紹
涼州戦線:曹操・曹仁・夏侯淵・張郃・徐晃
荊州戦線:曹仁・楽進・周瑜・呂蒙・陸遜
揚州戦線:張遼・臧覇・孫策・呂蒙・甘寧
益州戦線:張郃・劉備・張飛・黄忠・魏延
曹叡諸葛時代の名将(223〜239)
雍涼戦線:曹真・張郃・諸葛亮・魏延・王平
荊揚戦線:満寵・文聘・陸遜・朱然・朱桓
司馬政権時代の名将(239〜263)
雍涼戦線:郭淮・陳泰・ケ艾・王平・姜維
荊揚戦線:王昶・王基・陸遜・朱然・丁奉
消化試合時代の名将(263〜280)
羊祜・王濬・杜預・陸抗・丁奉
三国志にはあまり詳しくないが、中国史的に欠かせない北方異民族関係の名将が全く出てこないのは何故?
三国志ファンは三国という観念に囚われすぎだ
魏は呉蜀とだけ戦ってたわけじゃないんだぞ
三国志で選出したら魏将が半分以上を占めるのは当たり前
閻柔、鮮于輔、梁習、曹彰、田豫、牽招
一人か二人くらい入っても良さそうだが
烏丸のボス蹋頓を斬殺した曹純や、鮮卑のボス軻比能を暗殺した王雄も、将と言えるかは分からんが超重要人物
24ってのが絶妙に微妙な数字なんだよな
12なら
曹操・曹仁・張遼・楽進・劉備・張飛・周瑜・呂蒙
曹真・諸葛亮・陸遜
ケ艾
で多分確定なんだが
重要人物を捜すスレじゃないから
重要人物だったら陳寿入れろ
今の24-30人の中からとりあえず議論免除の上位12人を選ぶならすくなり行くだろうけど、
12枠で12人を選ぶならやはり揉めると思うw
陸抗も確定で良いじゃろ?
蜀漢滅亡期の名将代表がケ艾で確定なら、孫呉滅亡期の名将代表は陸抗で確定だ
それともまだ要議論枠か?
魏:曹操、曹仁、張遼、楽進、徐晃、曹真、ケ艾
蜀:劉備、張飛、諸葛亮
呉:周瑜、呂蒙、陸遜、(陸抗)
蜀漢が三人ってことは無いだろうけど、四人目は関羽か魏延か王平か姜維か…
オレは魏延が一番妥当だと思うがね
姜維が勝手に弄くるまで、魏延が構築した漢中防衛網は鉄壁だったのだから
おまけに司馬懿を撃破させてるしな
魏で次に入るのは張郃か司馬懿か満寵か郭淮か陳泰か…
この中じゃ満寵がズバ抜けてんじゃないかな
司馬懿よりは張郃って気がする
郭淮と陳泰はどっちがより名将か、難しい
>>189 >魏:曹操、曹仁、張遼、楽進、徐晃、曹真、ケ艾
>蜀:劉備、張飛、諸葛亮
>呉:周瑜、呂蒙、陸遜、陸抗
この辺は確定枠でいいかも。
ケチが付かない名将って言ったら、もうその14人くらいだろうな
満寵も完璧に近い名将だと個人的には思うが、対呉がメインだから影が薄いのか?
悲しい・・・
朱桓はどうかな
>>192 呉で五人目を選ぶなら、流石に孫策が入ってくるんじゃないかな・・・
朱桓より朱然の方が安定した名将って気が個人的にはするけど、まあ人に寄るよね
二人とも、子もなかなか活躍してるし
>>193 >呉五人目
むしろそこで朱然か朱桓ではなかろうかと。
ただでさえ孫策関羽は賛否両論揉めまくりという意味で
このスレの鬼門だと言うのにw
というか、関羽はともかく孫策はベリーハードモードで揚州制覇してるんだから確実入りだろ
>>194 ああ、うん、孫堅や孫策が名将としてはツッコミ所ある将軍なのはそうなんですけど
彼らを押し抜けて入れるほど朱然や朱桓が名将かって言うと、微妙な気がするのよね
三国限定なら24人には入るかもしれんが、皇甫嵩や群雄や晋将なんかも含まれる可能性ある枠内に入ってくるかっていうと・・・
無くね?と個人的には思います、はい
実際、呉で五人目が入るとしたら誰なんだろうか・・・
候補としては孫堅・孫策・甘寧・朱然・朱桓あたりで良いのかどうか
主に孫権没後の活躍になるけど、丁奉も悪くないよね
時代的には、陸遜と陸抗の間を埋める将軍はこの人だから
諸葛恪はほぼ一発屋な上に、かなりアレだし
過去ログ見て下され。
関羽の問題点
*最後が……
*部下思いなのはいいけど、同僚の士大夫連中と険悪
孫策の問題点
*最後が……
*江南の士大夫連中を弾圧。こいつ、南方版公孫?じゃね?
197
文字化けにつき
公孫?→公孫(王賛)
>>196 丁奉もいいね。
孫堅はバクチ屋要素が強目だし、
孫策はモロにバクチ屋なのみならず一発屋要素も強いからベスト50ならいいけど、
ベスト24または25の枠内に入れるのはどうかと思う。
>>197 >>199 いやいや、関羽は最期とか人望とか外交とかそういう問題点以前に、戦績でしょ、戦績
何戦何勝何敗なんだよあれ、酷すぎる
将軍として最も問われるべきは結局はそこ
張飛だって部下の扱いが正直言って最低レベルなのに、名将候補どころか確定枠入り
それは張飛が益州攻略で大活躍し、張郃を大敗させたという突き抜けた武功が、そういうマイナス点を相殺して余りあるからでしょ
問題点があるからと言って一概に無碍にはできない
少なくとも若くして連戦連勝に近い孫策は一発屋ではないし、関羽よりワンチャンある
名士弾圧なんてのをしつこく問題視するのはおかしいわけで、荊州や徐州への進出が失敗してるのを問題にすべき
それも問題ってほどじゃないと思うが
まあ袁紹ですら確定枠には入れないという地獄のような選出基準で、孫策が入るかというとかなり厳しい気もするが、24選のライン上には一応いるだろう
>>200 名士(士大夫)、特に支配地域の名士間の評判が最悪って、
当時では致命的な欠陥でしょう普通に考えて。
張飛にしても名士への敬意が高い事が欠陥補填要素の1つな訳だし。
でも孫策は名将と言い得ることは否定しない。
ただ二十四〜三十選だと高く評価しても当落ラインギリギリ、
普通に評価して惜しくも落選になるだけの話。
司馬懿は入らないか
この人の戦は処理とか鎮圧って感じの政的なイメージが強いが
分類すれば軍師や政治家ではなくて文句なく将だろうけど、うーん
晋書を重く見ると戦績が上がるから入るかな
司馬懿はむしろ北伐以外では名将らしき活躍を見せてるけど、北伐での活躍が曹真や諸葛亮と比べると微妙すぎるよね。
呉は五人目がなかなか決まらないってことは、呉の確定枠は四人目の陸抗までってことじゃないか。
それより蜀の四人目はよ。
名声の関羽
実力の魏延
武功の王平
奮闘の姜維
どいつもこいつも確定枠には一歩足りない気がするが、蜀も三人目までかいな。
関羽・孫策が当落上のきわどい判定ならば
同じ判断基準からすると夏侯淵は絶対にいれないでほしい
+ 州平定
− 防げたであろうあっけない最期
孫策の江東平定は周瑜や朱治に助けられた部分がけっこうあるが、夏侯淵の涼州平定も張郃と徐晃に大きく助けられてる。
そういう意味では似ているが、夏侯淵は後方での補給や反乱鎮圧の活躍もあるから、まあ孫策よりは上じゃないかな。
少なくとも関羽よりは間違いなく上。
関羽って自身で平定した範囲なんてほぼ無い、それどころか失陥してるからマイナス。
夏侯淵の最期に関しては、張郃が劉備に負けかけたせいもあるしね。
というか、張郃が確定枠に入れない理由の一つがそれでしょ?多分。
あとは張飛に負けたくらいしか張郃の汚点って無いし。
>>204 >呉は五人目がなかなか決まらないってことは、
>呉の確定枠は四人目の陸抗までってことじゃないか。
>蜀も確定枠は三人目までかいな。
奇しくも総合的な国力比にほぼ比例している件
それはさておき、
>>206 夏侯淵(+夏侯惇)は確定枠の当落ラインギリギリかな。
確定枠に入らなくても残り(現10人)の枠で
2人共またはどちらかが入る感じ。
残り(現10人)の枠は
魏2名、呉1名、蜀1名、後漢/晋5名か?
夏侯淵もギリギリ入らんかもよ
魏の名将候補は他にも于禁張郃臧覇文聘満寵郭淮陳泰司馬懿などなど…
多すぎてめんどくさい魏は、ぶっちゃけ後回しにしたい
疲れそう
まず群雄から何人くらい入るのか、が問題じゃないかなと
一人だけ選ぶなら袁紹か麴義か
あとは群雄ですらないが大きな武功のある皇甫嵩の扱いがね
晋からは三人も要らない
というか晋将は入れなくていいとも思うが
消化試合を一発こなしただけで名将とは片腹痛い
それよりも郭淮と陳泰を蜀滅亡バトンリレーの名将として入れてやった方がいい
>>208 確かに魏は名将まみれ過ぎて選ぶのに迷うw
>まず群雄から何人くらい入るのか、が問題じゃないかなと
そうだね。
>晋枠
呉滅亡までと言う前提で1人くらいかな?
>>208 袁紹は確定枠でも良いんじゃないの。
>>207 夏侯惇は代えの効かない稀有な人材だとは思うが、あの戦績で名将ってのは無くね?
呂布から本拠地を守り切ったことや、人望が篤く後方総督としては良くやっていたことなんかは評価できるけど、実際のところ軍事より政治が向いてる。
性格の丸くなった関羽みたいなもんだな。
曹操は自分が歴戦の名将だから、遠征は自分がやる。
激戦区の荊揚方面の防衛は、配下最強の将軍(曹仁・張遼・楽進)に任せる。
留守は配下で最も信頼できる将軍(夏侯惇・于禁・曹丕)に任せる。
劉備も自分が歴戦の名将だから、遠征は自分がやる。
激戦区の荊州方面の留守は、最も信頼できる上に配下最強の将軍(関羽)に任せるから大丈夫かと思ったら、そんなことなかった。
孫権は自分が若輩の凡将だから、留守を自分が守る。
激戦区の荊州方面の遠征は、配下最強の将軍(周瑜・呂蒙・陸遜)に任せる。
夏侯惇は司令官&留守番で際立つ感じだなぁ
夏侯惇が入るくらいなら于禁を入れたいよね。
後半生の立場は夏侯惇と似てるけど、それ以前の于禁は前線でバリバリ戦ってたわけで。
官渡までなら曹仁と並んで別働隊を率いて活躍しまくる、二強の扱い。
河北平定で楽進と張遼に追い抜かれるけど、後方を任されたってのは信頼の証。
というか「曹操軍」の最終的な上層部って、
前将軍:夏侯惇。後方統括司令官。留守番役。
左将軍:于禁。中央統括司令官。赤壁以後いきなり空気に。
右将軍:楽進。前線統括司令官。現場主任。
後将軍:朱霊。曹操に従軍するが于禁に軍を吸収された可哀想な人。
楽進しかマトモに戦ってないというこのグダグダ感。
当時はまだ格下のはずの四征将軍の方がよっぽど働いてる。
呉の五人目は賀斉じゃダメなのか
反乱鎮圧のエキスパート
武功の多さは呉将でも随一
>>208 同意
ってか、三国志って鼎立してからは貴族化が進んで先細りなんだよな
250年代は陳泰だけ、260年代はケ艾だけ、270年代も陸抗だけで良いと思う
まあ個人的には250年代には、対呉の王昶・王基のどっちかを追加したいけど
特に王基は、武功の数なら陳泰より上じゃないかな
240年代も郭淮くらいかなぁ・・・230年代の功績も加味すれば王平も入って良さげかとも思うけど
纏めるとこんなふうになるかな?
・〜210年代までの後漢末で十二人
曹操、曹仁、張遼、楽進、徐晃
劉備、張飛
周瑜、呂蒙
の九人が確定済みで、残り三人
最有力候補は袁紹?
・220年代で三人
曹真と陸遜が確定済みで、残り一人
最有力候補は張郃?
・230年代で三人
諸葛亮が確定済みで、残り二人
最有力候補は満寵?
・240年代で二人
確定枠無し
最有力候補は郭淮?
・250年代で二人
確定枠無し
最有力候補は陳泰?
・260年代で一人
ケ艾で確定
・270年代で一人
陸抗で確定
時代毎に把握した方が分かりやすいな
時代毎に何人にするかは異論が出るかもだけど
姜維ってそんなにダメかな?
とか言いそうになったけど確定枠の話か。
郭淮・陳泰・ケ艾と戦い続けて王経を大破したという視点で見れば凄い将軍だと思うんだけどね、姜維さん
まあそんなこと言ったら、曹仁・楽進・徐晃と戦い続けて于禁を降伏させた関羽も、ってなるかもしれないが
俺は関羽と姜維のどっちかは入れてあげたいんだよね…無理そうだけど
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/01(水) 01:03:37.55 ID:MRxYXCiv0
孫策の問題は名士がどうこうとか、最後がどうこうよりも敵が雑魚ばっかりであった事
名将とされる敵にほとんど勝った事がない(というよりほとんど戦った事がない)
いや孫策は名将と戦ってるよ
陳登とね
結果、負けました
姜維は王平と比べるとどうしてもちょっと弱いんだよなぁ
蜀の枠が7,8くらいあるなら入ると思うけど
ただ、王平の頃と比べると姜維の頃は費イも蒋エンも居ないし、政治も滅茶苦茶で
蜀の国力自体が酷いことになってたわけで、気の毒な面もぼちぼち
戦った相手も王平よりやや上だろうし
24人に入れろ!とは思わないけど、姜維が戦犯、姜維が蜀を潰した、となると擁護したくなるw
個人的には王平よりは姜維かな
いやまあ、あんま差は感じないけど
老将の張郃を極地的に跳ね除け、そして爽やか曹爽を撃破した王平
郭淮〜陳泰〜ケ艾というイジメのようなラインナップを相手に奮闘してた姜維
どっちかといえば姜維の方が凄味がある
細かく姜維の戦術を見ていけば、それこそ諸葛亮以上にも思えるし
諸葛亮に有って姜維に無かったのは、大局的な戦略眼だね、司令官としては
とはいっても24人には入らないと思うけど
それ以前に、まず郭淮と陳泰は確定枠で良いんじゃないかね
あ〜、でも郭淮は諸葛亮や魏延にはいいようにやられてるから微妙かな
そう考えると蜀の三人目としては魏延が妥当かな
>>219-220 どう見ても孫策は陳登等々より格下というか
それ以前に名将と呼ぶ資格があるかということ自体も怪しいです
225 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/01(水) 03:58:11.89 ID:MRxYXCiv0
孫策と陳登と戦ったのは間違いで陳登と戦ったのは他の人間って話を聞いた事があるけど
どうなんだ?
>>224 いや孫策も名将の一人ではあるよ
なんかキミ、孫策を貶める為だけにずっとこのスレに居座ってるみたいだけど、いい加減にしてくれないかな
>>225 陳登が孫家と最低二回は戦ってどっちも勝ってるのは確かで、それが孫策・孫策なのか孫策・孫権なのかが混乱してる感じじゃなかったっけか
だから孫策とは少なくとも一回は戦ってるはず
曹仁を破った朱桓はすごい
郭淮は武功は多いけど諸葛亮や魏延にはいいようにやられてるし、陳泰は武功の質は高いけど数が少ないから、確定枠って断言できるほどでもない気がする
と言っても同時代で最強クラスの将軍なのは認めるけど
やっぱり入るんかなぁ
俺は魏の次の確定枠は満寵しかいないと思うんだけど
攻めては張遼の如く、護っては楽進の如く、まさに曹仁の後継者ってかんじの名将
蜀の四人目も、王平や姜維じゃなくて魏延が適してるんじゃないかなと
魏延≧姜維≧王平と感じる
王平がやったことは、魏延や姜維でもできそう
姜維がやったことも、魏延は似たようなことはできそう
でも魏延のやったこと(漢中防衛網構築・郭淮や司馬懿に勝利)は姜維は王平にはできない
というか魏延を引き継いだ感じだよね、この二人
涼州コネクションは姜維ならではじゃね?
このスレって議論そのものが目的で
24人決定することは、建前だよな…w
>でも魏延のやったこと(漢中防衛網構築・郭淮や司馬懿に勝利)は
>姜維は王平にはできない
根拠もなしに何で魏延だけ断定できるんだか
>>231 少なくとも姜維は魏延の漢中防衛網を改悪した汚点があるからねぇ。そんで郭淮とも実際に戦って負けてるねぇ。そんなことも知らんにわかが、いちいち人に噛み付かない方が良いよ。
でも王平は魏延より下とは断言できんよなぁ。地位に差があったわけだし。
>>226 「それ以前に名将と呼ぶ資格があるかということ自体も怪しい」
ってのは
「それ(=ベスト24)以前に(ベスト30に入れるほどの)名将と呼ぶ〜」
つまり
「名将には違いないけどベスト24とか30に入れるほどではない」
という意味なんだけどな
というかむしろ孫策はちょっと過大評価されやすい傾向があるので
ちょっと釘を刺す奴がいないといかんのではないかと思う
234 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/01(水) 21:10:58.14 ID:MRxYXCiv0
王平は魏延の反乱を鎮圧したり、張コウの攻撃を防いだり、郭淮を防いだり(曹爽が侵攻してきた時に従軍してた)と相手が強敵でも功績を上げてるから
個人的に姜維より上かな
姜維は悪条件でかなり頑張ったと思うが、結局強敵が相手だと一度も勝ちを上げてないのが痛い
陳登対孫策はググってみたけど
色んな説があるみたいね
>>233 あぁ、そういうことね
なんかスマン…
まあ流石にベスト30くらいなら孫策は入ってくるとは思うけど
>>234 そう言われるとそうかもって気もする
個人的には判断基準の一つに、国力差ってのは時間が経てば経つほど広がるもんだから、姜維ってのは思ってる以上に絶望的な条件で戦争に明け暮れてたってこと
まあ良くも悪くもだけど
姜維はその国力を背負ってる立場だったわけで総司令官としてはマイナス評価なんだけど、その国力差で奮闘したわけで将軍としてはプラス評価したい
>>235 そうなんだよね…
集解読んでもようわからんし
晋の将達を余りも軽視し過ぎではなかろうか。
晋将で名将ってと文鴦、馬隆とかかね
武帝時代ってこのスレ的にはアウトだよね
いや実際、三国の名将に比べたら、晋将はショボいでしょ
武功は少ないし、そもそも魏が益州落とした時点で、呉なんて滅んで当然だよ?
国力的にも、地理的にも
しかも、孫権耄碌からの流れで呉の内部はめちゃくちゃ
それでも丁奉や陸抗が生きてた時期までは滅せなかったんだから、晋将のショボさは異常
杜預なんて、むしろ学者としての方が凄いからな
杜甫の祖先でもあるし
晋将であえて名将を言うなら、三国志関係ないけど陶侃だろうね
凄くどうでもいいけど
普は圧倒的優位な状況下で、既にほぼ詰んでる呉相手の消化試合的な戦いばかりなのに、
陸抗が居る内はグダグダ以下だからなー
呉も呉で戦術以上に戦略眼が凄かった陸抗が逝くとガタガタっと崩れちまったけど
陸抗が逝くと崩れたというより、ドン底だった呉を陸抗が命を削って持ち上げてたのが、陸抗が死んだことでまた落下しただけ
孫皓とか有能な人だったはずだけど、孫権の晩年の悪行のせいで、孫皓が皇帝になった時の状況って悪いなんてもんじゃない
当初は名君の面影を見せるも、次第に酒と女に溺れて暴君化
しかも視線恐怖症だったみたいだから、どんだけ当時の呉がストレスまみれな社会だったかっていう
孫皓は晋に下ってからは英明さを取り戻してるあたり、そういうことなんだと思う
まあ何が言いたいかっていうと、そんな状況で晋から呉を守り続けた陸抗ってマジで凄いよねって
陸羊の交わりとか言うけど戦術戦略では羊コの実力なんか陸抗の足下にも及ばんな
陸抗は南宋の孟キョウ[王共]みたいなもんか。
孟キョウの方が相手は遥かに強いけれど、状況も役割も良く似ている。
鼎立後は各年代毎の最強の将軍を考えていけばいいんじゃないかな
魏晋
220:曹真(蜀)、曹休(呉)、牽招(異)
230:司馬懿(蜀)、満寵(呉)、王雄(異)
240:郭淮(蜀)、王昶(呉)、田豫(異)
250:陳泰(蜀)、王基(呉)、?(異)
260:ケ艾(蜀)、石苞(呉)、?(異)
270:杜預(呉)、馬隆(異)
蜀
220:諸葛亮
230:諸葛亮
240:王平
250:姜維
260:姜維
呉
220:陸遜
230:陸遜
240:朱然
250:丁奉
260:丁奉
270:陸抗
三方面作戦してるのに名将の密度を保ってる魏の多士済々っぷりは異常。
しかも呉や蜀は国を上げて戦争に励んでるのに、魏は文学に興じてるっていうね。
曹操とその息子達は中国文学史上の黄金期「建安文学」を打ち立てるし、夏侯玄は「楽毅論」「張良論」を書いた偉人だし。
何より、註釈による研究が進んだ時代でもある。
曹操の「孫子」はもちろん、杜預「春秋左氏伝」、何晏「論語集解」、王弼「易」、趙岐「孟子」、鄭玄「毛詩」「周礼」などなど。
魏と他国のテンションの違いがよく分かって笑ってしまう。
魏は主要都市をほぼ押さえてるわけだから、国力差や人材の差は話にならんわな。
中原なんかは今の日本で言うと関東〜近畿のラインに相応するだろうし、
本州全土と九州を押さえた勢力に、北海道と四国が挑んでるようなもんだろう。
三方面といっても呉・蜀も異民族対策必須の二方面だし、異民族の厄介さだと呉>>魏>蜀な印象だな
魏と蜀は片手間でぼちぼち対処可能だけど、呉は割と本気で当たらないと辛い
魏の圧倒的な国力については今更か
>>247 烏丸・鮮卑・匈奴なんかが片手間扱いで、山越なんかの方が厄介とか、どんな冗談ですか…。
特に軻比能の勢力は洒落じゃないでしょ。
魏は広い国内の反乱分子とはまた別に、中華の天敵たる北方異民族を相手にしてたわけで。
呉や蜀の異民族は殆どが国内の不服住民なわけで、独立勢力として侵攻してきたわけではない。
そんなこと言ったら魏は四方面作戦ってことになりますがな。
異民族相手に活躍した賀斉田豫馬忠辺りと関羽だったらどちらが名将だろう
やっぱり蜀なら馬忠、呉なら賀斉、魏なら田豫か牽招だよね、そういう謀略と武勇を兼ね備え統治に優れた将軍といえば
職務を全うした彼らと、全うできなかった関羽
戦った相手は関羽が上だけど、、、う〜む
関羽は過大評価と過小評価が相まって
実像が捉えにくい
実際本人目の前にしたら
「名将です、本当にありがとうございました」
ってなるんだろうけど
関羽はどっちが上とかはやりにくいよなあ。
生きてるうちにあれだけの威名を持っていたのだし、
ただものでないことだけは確かだとは思う。
劉備放浪時代からの蜀将の記録が、
魏将の資料並みに残されていたらと思わずにはいられない。
関羽は演義補正が物凄いからなー
それを排除して考えようとすると逆に勢い余ったりもする
関羽は細かいところで、ん?ってのが散見されるんだよなぁ…
例えば劉備軍と周瑜軍による曹仁包囲、李通がこれを破って曹仁を救出するわけだが、どこから破ったのかっていうとよりによって関羽のとこなんだよね
え、そこがウィークポイントだったの?っていう
味方から「勇名を恃み作軍に法なく、ただ思い込みで突進するのみ、故に何度も負けて兵を喪った」って言われてるのはおそらく的確な論評で
つまり武人としては尋常じゃなく強くて、顔良を直接斬り殺すほどの武勇を持ってる
代わりに軍としては強さが行き届いてなくて、あんだけ戦ってるのにマトモに勝ったことが無い
劉備の中原放浪時代にあったであろう関羽の武功も、史料が残ってたとしてもそれは武人としてのものじゃないかな
なんていうか、魏だと典韋とかが大軍を任されたら関羽みたいになるイメージ
正史にある典韋の武勇って人間の限界を超えてるレベルだし、あれの強化版みたいなのが流浪傭兵隊の先鋒として突撃してきたら、そりゃ恐れられるでしょ
それに、用兵が下手でも兵からの人望はあったみたいだしね
魏は第二世代に列伝された将軍も軒並み凄い
満寵・田豫・牽招・郭淮
徐邈・胡質・王昶・王基
王淩・毌丘倹・諸葛誕・文欽・唐咨・ケ艾・鍾会
けっこう対異民族の将軍がいる
郭淮やケ艾だって蜀だけ相手してたわけじゃないし
>>254 「リアルチートレベルに強い武人」というのも
トップクラスの名将の定義に入れると
関羽も典韋もトップクラスの名将にランクインできるだろうけれど
「一定水準以上の用兵能力を有する」ことも必須条件となると
トップクラスの名将ランクインは難しくなる
関羽は目下の立場の人間には人当たりは良かったから兵の人望は高かった
ただ目上の立場の人間(劉備除く)や同僚への人当たりが……
>>255 諸葛をその連中と並べるのはイジメじゃないか…
呉や蜀がなかなか次の確定枠が決まらんのは分かったが、魏はどうなの?
満寵か郭淮か陳泰か、どれかは入っていいと思うけど
満寵に一票
261 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/03(金) 15:29:36.80 ID:dK8+GjdJ0
自分も満寵かな
郭淮は諸葛亮・魏延・王平と結構負け数が多い
陳泰は戦の回数自体が少ない
関羽とか太史慈は三国志武人二十四選とかなら余裕で入るだろうな
チャンバラ曹丕とかの扱いは困るが
>>262 曹操の息子達で武人といったら、曹丕より曹彰だろうね
文聘が関羽の輜重を襲ったのって何時の出来事?
太史慈は戦功が微妙
>>265 210年代なのは確かだけど、あとは関羽軍の輜重が漢津にあった時としか言えないんじゃないかな
赤壁後もあっちこっち転戦させられてる曹仁・楽進と違って、文聘は荊州でずっと関羽と睨めっこしてたわけで、輜重を攻撃する機会なんて幾らでもありそう
>>262 一人の武人としてなら関羽は三国時代最強であることが
歴史から容易に証明できるからな。
反面、戦術家、戦略家としては厳しい点がつくのはやむを得ないな。
戦術はまるでダメ。(単騎での突撃を好む性格で兵を失いやすい)
戦略もツメが甘く、最後に失敗。(威震中原)
関羽の話題は常に関羽の強さの質を巡っての論争になってるね。
三国志の話題は感情論のぶつけ合いになってしまっているヤフー
知恵袋においてこの知恵ノートは良かった。
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n137485 関羽=演義イメージの万能将軍
と正史での考察も見てしまうから
マンセーVSアンチの不毛な煽りあいになるのかもね。
後世で伝説となるまで評価されたのはあくまで
関羽個人の超人的武勇であって将軍としての才能ではないはず。
関羽さんは単騎で無双すると千人分くらいの働きをする
一万人くらいの兵を率いても千人分くらいの働きをする
そんな困ったちゃん…
関羽は演義でも特に用兵の巧みさは描かれてないような…
首取りマシーンな印象しかないな
でも、よく考えるとさ
超人的武勇という点でも、張遼の方が上だよね
張遼は800の歩兵で10万の孫権軍(呂蒙や甘寧など多数の優秀な将軍を含む)を二度強襲し、大打撃を与えた
同行した李典や、背後を守った楽進の存在も大きいかもしれないが、まあこの時の張遼はリアル三国無双と言ってもよいだろう
関羽の武勇が張遼と同等以上ならば、少数で突撃して楽進や曹仁を撃破していても良さそうなものだが、全然そんなことは出来ていない
これはいったいどういうことか
魏の兵卒があまりにも強く、蜀の兵卒があまりにも弱かった
とでも言うのだろうか
あり得ない話ではないが…
800の精兵を率いていたのなら、それは張遼の戦術指揮官としての腕前だよ。
関羽の場合とでは、根本的に張遼の武功は性質が違う。
関羽は顔良を倒した時、単騎で万軍の中に突っ込んでいって自分の槍で大将首を上げてしまった。
関羽は兵を率いてるという自覚さえないほど自分の武勇に自信を持ち
尚且つ、無茶苦茶なことをやってしまった。
知恵袋の人じゃないけど、関羽は確かに武神になる素質を持ってたのよ。
個人の強さと、兵を率いた将の強さはその性質が違うということだね。
>>272 顔良が万軍を率いてたってことは無いよ
あの時の都督は沮授・郭図・淳于瓊の三人で、顔良はただの一将軍に過ぎない
袁紹軍の先鋒は郭図・淳于瓊に顔良を付けた形だったが、荀攸の計略に振り回された顔良は白馬で孤立
この時点で顔良が大軍を率いているわけがない
将軍としての器量も郭図以下なわけで、荀ケが「顔良と文醜は匹夫の勇しかないから簡単に捕縛できるぜ」と言った通り
なお、捕縛する価値も無かったのか、二人とも斬り殺された模様
そういうことじゃないんだけどな・・・。
あくまで記録なんだし、人が沢山群れてる=万軍と例えられたんでしょ。
そんな中に一人で飛び込んでいって大将の首を取ってきた。
だから、その人間離れした荒業を評価されたわけであって相手の将がどの程度の身分であったか
なんてこの場合、大した問題じゃないよ。
顔良、文醜がどんな存在であれ、群れた群集の圧力に変わりはないからね。
そういうものを兵学に頼らず、己の膂力だけで攻略してしまった。
原哲夫漫画みたいな力技を関羽は繰り出したんだね。
だから、関羽はその「超人的武勇」を後世にまで広く轟かせることになったわけで。
戦術的には全くのNGだと思うよ、将自身の単騎掛けなんてね。
張遼にはそんな無謀さは無かったはず。
しかし、武神から何で商売やら金運の神様になったんだろう
それも半端ない広まり方で
争乱が頻発していた暗い時代にはやっぱり武神が重要で
今は、商売や金運が最も生活で重要な時代に。
関帝は国家や庶民から非常に愛され、重要視された神さまだったから
時代のニーズに合わせて職能も変わったんだと思う。
それでも持ち前の武力で人々の財貨を守る、武財神とも呼ばれてるんだけどね。
商売の神としての側面が強く出ていても、関羽が武人であったことには変わりないからね。
武神としての顔も健在で、香港や台湾では今でも軍隊、警察、マフィアに至るまで
関羽の武と、義気に敬意を払い尊崇の念を持って讃えているそうな。
なぜ関羽談義に・・・。
どうせ関羽は確定枠には間違いなく入らず、24人どころか30人に入れるかも果てしなく微妙な存在。
どうでも良かろう。
それより、魏の次の確定枠に満チョウがほぼ決まりつつある中、蜀は魏延・王平・姜維のうち誰がが確定入りできるのか。
少なくとも郭淮に勝てなかった姜維は、魏延や王平より下なことがほぼ確実だから除外。
魏延と王平、どっちかは名将入りして良いはず。
蜀が三人じゃ寂しすぎる。
馬忠も悪くはないが、やはり戦った相手がイマイチ・・・。
まあ、関羽は戦術、戦略の人じゃないからね。
お騒がせいたしました。
陳泰は荀ケの孫で陳羣の子
陸抗は孫策の孫で陸遜の子
スーパーサラブレッドというか。
特に陳泰って、名参謀と名政治家の混合で名将が生まれたという面白い例。
>>276 ちげーよ
劉備を絶対に裏切らなかった、曹操の厚誼を袖にして劉備に戻っていった関羽は「信義」の偶像なの
騙したり騙されたり、「契約」の概念が薄くて、「面子」や「人脈」が尊ばれる中国の商売の世界だからこそ(逆説的だが)
関羽の忠節が美しく尊いようにみえるわけ
だから関羽ってのは法治主義ではない曖昧な世界、人間関係の神様なんだよ
劉備が組長で関羽が舎弟頭みたいな?
>>279 陳泰 父・陳羣 外祖父・荀ケ
陸抗 父・陸遜 外祖父・孫策
こう書いたらサラブレットというのもうなずける。
>>282 その法治主義の国家が、関羽の威光にひれ伏してるってのも事実なんだけどね。
民衆の意識を無碍しては国家は成り立たないからな。
関羽という存在は、今やそんなに小さいものじゃない。
民衆意識が中国文化の根幹に居座るようになってから関羽は
時代が下るにつれ、より大きい存在なっていったのよ。
宋〜現代に至るまでの関羽信仰がそれだよね。
だから、現在ではオールマイティな職能をもった神様になってるわけ。
信義は関羽の中枢に位置するものだけども、漢民族から異民族にいたるまで
わけ隔てなく、その信義は愛好され、それを基点として
関羽はあらゆる物事の神様になっていった。
国家としても当然、その巨大な民意の波を逃すことなく
自分たちもその潮流にのり、官民一体の関帝信仰は完成したのよね。
今の中国が法治主義であれ、民主の主導の意識との衝突や摩擦を起こす理由はないよ。
三戦板の関羽のスレでやってくれ
以下関羽禁止
そういえば晋将って結局、名将に入れるの?
晋だからとかじゃなく、実力的に
入るとしたら杜預だけだろうけど
俺は入れてもいいんじゃね?と思ってたり
>>271 張遼が孫権を急襲したのは10万が到着する前と撤退した後。
到着する前は呂蒙も甘寧もいない
先に大軍を率いても最初に来て最後に帰る孫権の不手際があり
タイミングを逃さなかった張遼はすごいが
「10万を破った張遼sugee」って話ではない
>>284 この板にも関帝スレもあるしな。
今度来たら、そっちへ誘導するわ。
ちょっと捻くれた意見を言うと、魏書「劉司馬梁張温賈伝」みたいな連中こそ真の名将じゃないかって思うよね
劉馥・司馬朗・梁習・張既・温恢・賈逵
司馬朗は地味だが、他の面々はそれぞれの地域で圧倒的な存在感がある
賈逵、張既は好きだけど24選どころか50選でもヲタ趣味過ぎになるだろうなー
梁習なんかも公平で常勝で文句なく名将だけど、時代を代表するかと言うと働いた地域が…
戦の強さは絶対の前提として、政治家としても優秀じゃないと務まらんのに、どうにも評価はされ難くなるな
>>289 名将のバックアップ要員と言った方が良いかな
こういう人たちがいたから魏は強かったんだろうけど、名将と言うとやはり張楽于張徐伝に代表される現場の面々だね
魏書の後半の方に列伝されてる趙儼も、初期からの御活躍で、超絶優秀なバックアップ
蜀だと馬忠あたりがそのポジションに入るのだろうか
馬忠は益州系の代表格と言ってもいい将軍で、蜀漢ではかなりの存在だったはず
そういうポジションとなると、魏なら徐胡二王伝 第二十七じゃないかな
徐邈・胡質・王昶・王基
全員、敵国との戦いに出てるけど
統治者として名声高く、重鎮っぽさもある
もしくはその前巻の満田牽郭伝…の田豫・牽招
満寵・郭淮も統治者として優秀だけど、前線司令官イメージが強いかな
んまあ、魏は多士済々だな〜という印象
魏は国土も広いし、相対的にしっかり統治出来てたしなー
呉なんかは実効支配の範囲で考えると、よくある支配地色分けよりグッと狭いし
結局主要都市を抑えてるかどうかだよなぁ
人材、国力の差が時とともに広がっていってしまう
>>294 呉は本来なら味方にしておかないといけない
主要支配地域の名士一族と険悪なのが致命傷だよなあ
蜀は支配地域自体極めて小さいのが何とも…
「三国志 きらめく群像」で高島俊男さんがこんなことを言っている。
銭大マ著「三国志弁疑序」曰く、
「当時中原の人士、魏有るを知りて蜀呉の有るを知らず。承祚(陳寿)の書出でて始めて三国の名を正す」
要するに魏の知識人層ですら、蜀や呉なんて国があることなんて知らなかった。
晋の人士も、晋の前が魏だということは知っていたが、同時に蜀や呉なんて国があったことは知らなかった。
ましてや一般人民は尚更である。
三国という捉え方を定着させたのは陳寿の功績だが、これは後世、逆の誤解を生んだ。
つまり多少の差はあっても、ほぼ対等の国が鼎立して厳しい生存競争をしていたという誤解だ。
実情は全く異なる。
現在の拡大した中国を元にして当時を捉えるから間違えるのであり、三国時代の呉蜀はとんでもない僻地、中国の外であり、国力は隔絶している。
今の中国で言えば、海南島とチベットに中国の支配に従わない連中が巣食って、その頭目が勝手に皇帝を名乗っていると思えば良い。
呉蜀はいつ潰されるかと戦々恐々しているが、魏は別段あぶないこともない。
魏では学者は学問に没頭し、詩人は酒を飲んで詩を作り、絵描きは絵を描き、金持ちの道楽息子は遊び呆け、美女達は歌舞音曲に精を出している。
特に文学は、建安文学といえば中国詩史上最大画期であり、これをリードしたのが曹操と曹丕であった。
つまり魏の中枢は、政治や軍事だけにかまける必要はなく、詩文の創作に力を注ぐゆとりすらあった。
例えて言うなら、戦争末期の頃の日本とアメリカのようなものだ。…とね。
陳寿が魏、普に配慮しながらもギリギリまで頑張って蜀漢を独立王朝扱いしたのが三国志だよな
これはこれで蜀の「人材」かもね
超長期的に考えるともの凄い功績だわ
とりあえず後漢末は曹操・曹仁・張遼・楽進・徐晃・劉備・張飛・周瑜・呂蒙の9人で確定した感じなのかな。
袁紹を入れて10人か。
それとも于禁・張郃・臧覇・文聘・夏侯淵・孫策あたりのどれかが入ってくるのかな?
まあ張郃は北伐戦もあるけど…。
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/06(月) 22:57:45.02 ID:62pp7Fk80
後漢末は袁紹入れて終わりで良いよ
220〜235
魏の対蜀:曹真
魏の対呉:満寵
蜀:諸葛亮
呉:陸遜
235〜255
魏の対蜀:郭淮or陳泰
魏の対呉:?
蜀:王平or姜維
呉:?
255〜280
魏の対蜀:ケ艾
晋の対呉:杜預?
蜀:姜維?
呉:陸抗
満寵以後の対呉の名将
陸遜と陸抗の間の名将
この辺が残りの議題かな
朱然はどうかな?
陸遜死後は朱然が妥当かな〜やっぱり
朱然の死後に丁奉が活躍し始める感じか
まあ陸遜・朱然・朱桓はほぼ同時期って感じだけど
soudana
>>298>>300 >曹操・曹仁・張遼・楽進・徐晃・劉備・張飛・周瑜・呂蒙・袁紹
後漢末枠はこの10人でFAで良いと思う。
敢えて更に追加するなら曹操配下から1、2人で良い。
>>297 >最終兵器陳寿
しかし(このスレの主旨的に)最大の弱点は
彼は武将でも軍事家でもなく文官だったことであったw
張郃や文聘は後漢末だけじゃなくて三国時代にも活躍してるからな
ワンチャンある
関羽・夏侯淵・張郃は最後戦死だから名将の資格無し
于禁・孫策も司令官でありながら敵対勢力によって捕縛・暗殺されてる時点で同類
張郃の戦死は半分以上が司馬懿のせいなので、司馬懿も名将の資格無し
それによる酌量を考えると張郃は名将入りしても良いように思えるが、夏侯淵の戦死は張郃にも原因があるので、プラマイゼロ
では夏侯淵は名将の資格があるかと言えば、最古参のくせに官渡までの武功がゼロ、赤壁までの武功も反乱鎮圧しかない時点で、明らかに曹仁や五将軍より格下扱いだったので無理
後漢末で他に入るやつがいるとしたら、公孫瓚戦や異民族戦で大活躍した麴義
あとは五将軍に次ぐ活躍をして特に汚点も無い文聘・臧覇くらいだろう
皇甫嵩が入るかどうかはまた別の話だな
勝手な「名将の資格」を吠える人が現れた
議論スレなんだから何言おうが勝手だろう
少なくとも人の意見にケチつけて議論を停滞させることしかしないバカよりはな
麹義と徐栄は出身地が意外
>>306 その理屈だと夏侯淵なんて他と比較するべくもなく戦死の時点で資格なしでないの?
戦死は資格なしってのはさすがに強引ではないかな
部下の裏切りで死んだやつだってイメージは悪い
自己管理能力、根本的な生命力、天運に欠ける周喩や李典もダメだなw
しかし、馬鹿はすぐ他人をバカ呼ばわりしたがる
>>306 ちと極端過ぎやしないか?
関羽・孫策みたくさんざケチつきまくってる奴ならいざ知らず
まあなかには極端な考えをする人だっていても不思議ではないさ。
でも最後までケチの付かない人に絞ったら、相当人選苦労しそうだよな。
甘寧はどう死んだんだろう。
重要人物なのに、演義のアレも絶対に有り得ないとは言い切れない気もする不詳さ。
まぁ蜀側の記録にすらないから有り得ないけどw
陳登が孫策を殺したんだとしたら
孫権って自分の兄貴の仇の名前を息子に付けたんだなw
まさしく諱だな
318 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/21(火) 03:41:03.06 ID:sUZmu8EC0
ここ読んで思ったけど
孫策て松平清康みたいだな。
短期間で州(国)統一し優れた将なのは間違いないけど、敵が対照的にショボかったり
期待値込みの多少の過大評価
最後が暗殺なとことか
>>318 日本の武将で言えばまさに松平清康とか
平家が救いようも無くショボかった場合の源義仲・義経ってところだね。
特に若死にして後世から過大評価されたり
空気読めず敵を作りまくって自滅する末路とか。
>>319 松平清康は納得できるが、義仲義経と比せるなら、曹操に大勝か滅ぼしてもらわないと
>>320 >義仲義経と比せるなら、曹操に大勝か滅ぼしてもらわないと
確かにその通りw
松平清康の歴史的な存在意義は
「徳川家康の祖父」の1点に尽きる点で
孫策の歴史的な存在意義も同様にお察し
ま、清康も孫策同様
「若死にイケメソ武将」だから
歴女が釣れる良いエサになるという点は
メリットと言えなくもないがw
松平清康の細かい部分までまできっちりと押さえてるなら「歴女」のレベルではないなw
普通の歴史好き、戦国好きとして酒飲めそう
このスレオワタw
絞り込む決め手がないからなぁ
後漢期は辛うじて絞り込めたけど三国期以降の絞り込みがね…
むしろここまでまとまってきたこと自体奇跡だと思うわ。
関羽と孫策がギリギリ入らないだろうって見解に
特に大反対な意見も出ずにキレイに流れてきてるよね
孫策はともかく関羽は百パー入らんだろう
曲がりなりにも大敵との対峙経験があるだけ関羽は孫策よりマシ
331 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/24(金) 23:52:28.85 ID:UylHJmFF0
大敵に勝ったことないけどな>関羽
周瑜・劉備が曹仁を江陵で包囲した戦いで
肝心要の北道封鎖を李通に突破されてるのは酷い
個人的にこれが関羽の一番のマイナス印象だわ
関羽は各種評価から恐れられてたのも間違いないけど、嘗められてたとしか思えない面もあるんだよなぁ
孫策も陳登に勝ってたら
ギリギリ入ってた?
陳登が大敵かと聞かれたら
困るけど
ただ勝っても別に…
その後10年15年と戦歴を積み重ねれば有力だろうけど
まあ孫策は短期間に揚州を制圧のはすごいけど、大戦の経験がないのがね。
長生きしてたらどうなったか楽しみな存在だったけど、現状それだけ。
陳登をそんなに過小評価する必要はないと思う。
>>337 書き方のせいで誤解を与えてしまってごめん。
339 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/31(金) 16:36:29.04 ID:iAMiLkxT0
最後が戦死で孫策・関羽評価下がるなら
戦死ではないけど敗死近い劉備・袁紹が24選にほぼ確定なのに違和感
病死したり、最前線に出ない性格、能力の方が有利というのもアホくさいw
>>340に同意
確率だけで決めたら10回戦って最後の1回負けた人物よりも
1回戦って1回勝った人の方が上になってしまう
絶対数(勝利回数)重視で確率(勝率)も加えるくらいが良いんじゃないかと思う
勿論勝利回数が多くて失敗がないのが理想
勝利の質の評価が難しいし
若死はあんまり有利にならないけど
劉備は曹操や曹仁や陸遜みたいな最強クラス以外には負けてない
袁紹は寡兵で公孫瓚を大破し、曹操自体にも袁紹は常に優勢だった
戦績としては全く問題ないだろう
今スレ開いたばっかだから多少的外れになるかも知れないけど関羽や張飛を名将にするのはおかしいと思う
指揮官の元で指揮官の命令に従って軍を率いて兵士を鼓舞して突撃するようなのが得意なのが関羽、張飛だと思う
張飛は入蜀や張郃戦でそこそこ自分の采配で活躍した面もあるかも知れないけどそれにしてもその功績だけで"名将"と呼ぶのは無理がある
関羽に至っては誰かの指示の元で動いてた時期は多くの活躍を見せてたのに自力で戦争した瞬間大敗して州失ったような人物じゃん
どちらも総司令官、つまりは"名将"の元で兵士を率いて突撃してなんぼの人物だと思う
蜀で名将を選ぶなら入蜀を指揮した人物、定軍山の戦い諸々で曹操軍を退けた戦いを指揮した人物だよね
そうするとおのずと「龐統」「法正」辺りだよね
次点で「黄権」「諸葛亮」
諸葛亮は入蜀でも定軍山でも働いて無いけど第一次北伐の戦術においては認めざるを得ない
まぁ華々しい名将としての活躍が無い諸葛亮だけど24人も選ぶなら一応入ると思う
345 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/02(日) 01:08:12.64 ID:EjHof0LDI
張飛の入蜀と張郃撃破は充分すぎる武功でしょ…
司令官としての活躍であり、凡将には決して出来ない
名将中の名将と言える
あれでダメとか、どんだけ基準が高いの?
あと、関羽はべつにこのスレでは大して評価されてませんから
荊州失陥は四面楚歌だったからむしろ仕方が無い
単純に、名将と戦って勝ったことが無いのが問題
北上する度に楽進に撃退されるその様は、まるで陳登に撃退されてた孫策…
そんで龐統の名前が出てくるのが分からん
あいつ何もやっとらんがな
龐統が司令官してた時って益州軍にすら苦戦しとったやろ
そんで流矢で横死するようなやつのどこが名将なのか
黄権の功績は見事だが活躍が多いわけでもない
法正はそもそも将軍じゃない
張飛を名将ではないとするその価値観で、そんな軍師組を持ち上げるのが不可解
普通は司令官の劉備を評価するところだそこは
ぐぬぬ...
張飛を名将枠から外すのは無理だなぁ
張飛の蜀平定スピードは想定外だっただろうな。
これで完全に救援も逃げる場所先も断たれた。
死なずにすんだからよかったものの、そんな張飛を阻もうとして一蹴された張裔
>>140 陳宮と張バクに裏切られて本拠地失いかけた頃の曹操って
名士層弾圧枠とまではいかんでもその一歩手前まで行ってないかね
あの事件は領内の名士層にそっぽ向かれた結果の産物だった気がするんだが
ここで死んでたら曹操は孫策、公孫賛以下の選考対象外枠だったろうな
名将の判断基準に名士云々を持ち出す時点でアレに感じるが
曹操が名士弾圧って…演義かなんかの話ですか?
あの頃の曹操がそんなことしたら自然消滅してるぞw
ただでさえ大宦官の孫で嫌われてんのに徐州で虐殺なんてしたもんだから、呂布と張バクの名声を利用した陳宮のクーデターがクリティカルヒットしたってだけの話
ここで死んでたら〜とかいう謎のif話を持ち出す意図は何なんだ
そんなこと言ったら全員選考対象外に出来るぞ
名士云々の話は知らんが死んでたら話についてはあれだろ
ここでの話は功績の大小じゃなくて人間の能力の話なわけだし運や環境によって成功した者は切り離さないといけない
曹操が病気で死んでたらって話じゃなくて自身の失敗により死んでたらって話だろ
運良く乗り切ったから英雄になってたけど運悪く負けてたら雑魚で終わってたって話
実力で逃げ切ったなら別だけど半分運だったし
曹操は良い部下がいたって事で
「運や環境」とか言い出すとキリがなくねー?
曹操や袁紹なんかの生まれ持った環境はそれ自体が滅茶苦茶な幸運だけど、
それを理由に劉備等の評価を爆上げするのも微妙だし
劉備こそ運だ!みたいな話になると、何が運で何が能力かわけわからなくなるしなぁw
結果が全て。
もしなんて言っててもキリがないし、意味もない。
いやそういう意味じゃなくね?
要は宝くじで3億当たった人を商才があるというのかという話
運を活かす活かせないは実力だじぇどそういうのと関係無い運もあるわけじゃん
たまたま遊びで買った宝くじで3億当たったくらいのラッキーだったら
史書にも狙ったものかそうでないものかくらいの書き方はある程度なされてると思うけどな
どっちにしろ記述にないものを空想して議論するわけにはいかないし
宝くじ3億の運って、具体的に誰のどのへんの記述が当てはまるの?
大決戦の時にたまたま天災や病気で相手が半壊したとしても、問題なく評価に値するな
その1回きりで他は全敗ならそりゃあダメダメだけど、何度もそんな感じで勝ってるなら普通に名将だわ
天運の権化なんてある意味理想w
まぁその場合、記録に残ってないだけで何らかの姦計等の存在を疑うけども
なんで宝くじなのかよく分からない
環境や運なんて切り離しようのない要素だろ
決戦当日の天候や風向き1つで大きく変わる部分は多いし、適切に対処利用できてナンボ
その他の各種アクシデントに対する対応も同じ
361 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/07(金) 18:33:19.65 ID:5gOsdo0Z0
戦の勝利に運が関わってるのは分かるけど
宝くじの当選に関わる運と購入数(背景に資金)以外の要素が分からんのだがw
そういうのをどれだけ割り引くか、もしくはそれも実力のうちと考えるか、
偶然ではないと考えるかなんて人それぞれなんだから、
そのことを話し合った所でまとまりっこないと思う。
というか宝くじというたとえがピンとこなさすぎて話し合いが始まってない気がする
宝くじ当選に本人の能力が無関係すぎる
せめて株とかにたとえてくれればまだ分かるのだが
「戦に能力(運を省く)は無関係」と主張したいんじゃないなら
宝くじというたとえは適切ではないと思うんだが
兵卒を率いて突撃する一武将としての最強は結局呂布で良いの?
指揮官みたいな人なら曹操とか周瑜とか出てくるけどあくまで猛将として
対抗馬は関羽、張飛、張遼、黄忠あたり?
呂布・孫堅・孫策・関羽・張飛・張遼・曹仁・高順・麹義
この辺りだろうな
「騎射が出来た」という記述のあるやつは
相当な白刃を犯すような実戦経験があるはず(董卓とか)
関羽は楚の鐘離昧や後趙の麻秋みたいなもんかな
敵に凄く恐れられてるけど負け戦ばかりで実績がイマイチ
でも恐れられてるということは負け戦の中でも関羽と直属の部隊は
強かったんだろうなと思いたい
日本の三国志のコンピュータゲームなんかで描かれる呂布のイメージが関羽の実像に近いのではないかな
横山光輝の呂布でも可
関羽の個人的武勇があまりにも有名だから、矛ふるって兵を鼓舞しながら迫ってくる関羽に対して士気が下がるなんてのはあっても良さそうだ
個の武人としてはまさに化物で、とんでもなく突出してはいたんだろうな
武将としての実績と関羽個人の武勇の評価の落差を考えると
蜀の人材がもっと豊富で、関羽の地位、立場がもう少し低いものだったなら、
甘寧みたいに小規模部隊を率いることで派手な戦功を挙げられたかも
>>365 >「騎射が出来た」という記述のあるやつ
曹丕と魯粛忘れとるがなw
370 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/12(水) 05:48:18.58 ID:SvalWrS+O
麋竺もだな
二十四人決まったの?
まさか二十人ぐらいは決まってるんだよね?
議論を拗らせるのが三国志厨の十八番なので
誰か候補絞っとけ
袁紹は何で名将枠?
奇抜な人選すれば良いと思ってんじゃねぇぞ
袁紹は史実では悪い人ではないと思うけどなーー
まあ名将ではない、と言われたら……うん。
曹操より遙かに急進的だったのは凄いな
能力的には劣ってたけど、曹操に対抗して覇者になれる可能性がある位置まで行ったのは袁紹が最後だわ
ID:FR2zYni6T氏にはご自身の選んだベスト24を挙げて欲しい
ID:FR2zYni6T氏 俺からも是非に
>>377 だね。
俺は無双や恋姫をやってるだけで史実とかに全く興味がなかった時は
袁紹のこと正直史実でも大差ないんだろうって舐めてたし。
その辺誤解したままの人はいると思う。
興味がなかったらどうでも良いのかもしれないけどね。
袁紹が有能だとしてもそれは将軍としてじゃなく君主としてだと思うんだ
名将かどうかと言えば微妙じゃないか?
大辞林 第三版の解説
めいしょう【名将】
すぐれた武将。名高い将軍。
あー
確かに名将ではないな
それなら張嶷はどう?
演技じゃあ張嶷のなしたことの多くが
諸葛亮様のおかげってなってるけど。
384 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/14(金) 13:11:33.80 ID:vEgNPHYAI
>>375 にわか乙
河北最大勢力の公孫瓚を滅亡させ、四州を平定し、官渡でも曹操を劣勢に追い込んでいた袁紹が名将じゃないとはどういうことなのか
まさか袁紹が最初から河北全部領有してたと思ってんのか?
殆どの群雄が滅亡し、孫策が揚州の半分を攻略してる間に、袁紹は河北一帯で数多の勢力を打ち滅ぼしているわけだが
もし袁紹が曹操に敗北せずにいたら、袁紹が打ち滅ぼした有象無象の群雄達の名前もキチンと史書に記録されていただろうに
河南を全滅させた曹操(と曹仁と于禁と楽進)が最も凄いのは当たり前だが、曹操に劣るから名将じゃないというなら二十四選なんて永久に不可能
袁紹を奇抜な人選だと思う時点で、演義の呪縛から抜けてないか、史実の史料批判ができてないか
いずれにせよ黙ってろ
張嶷は無理やろな
対異民族最終兵器の田豫牽招コンビですら入ってないし
せめて蜀なら馬忠さん、呉なら賀斉神を連れてこなきゃ対抗できんよ
386 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/14(金) 13:27:23.42 ID:UUlVHc9LI
>>384 言いたいことは分かるが落ち着け
誰だって最初から深くまで読み取れるわけではない
ただ、袁紹は田豊の扱いや
諫言、讒言の受け止め方などに
器の小ささが見え隠れするのも事実
三国志上最大級の領有と曹操以外には連戦連勝は補って余りある功績だけどね
ちょっと読み足りないのかも知れないけど
官渡以外の河北平定では袁紹が実際に陣頭指揮を採って
何か策を見せてたんだっけ・・・?
河北平定が果たして全て袁紹の功績と言えるかどうかとか知りたい
結果的に「袁紹軍」の勝利、だから袁紹の功績とするならば
君主は名将に入りやすいし、賛否両論の孫策も当然だが
孫権なんかも入って来る可能性がないとも言い切れない
>>384 君こそ演義からの反動が残ってるよ
最小は演義のイメージで過小評価して正史を知ったばかりだとその反動で「実は有能だったんだ!○○は有能だ○○をバカにするな!」ってなる
俺は更にそっから進んでそこそこの君主程度のイメージで落ち着いてる
君主としては有能でも将軍として名将かどうかと言えば無論否である
袁紹勢力の増大は袁紹の君主としての能力はさることながら将軍として評価するなら袁紹の部下をもう少し掘り下げて評価すべきだと思うが
袁紹勢力が一枚岩だという偶像が抜けきれてないのはお前だろ
袁紹配下って冀州系と豫州系で内部分裂してて、冀州系が徹底的に史書でマンセーされて、袁紹含む豫州系が全部悪いことにされてるんだっけ?
そんな状況で曹操を追い詰めた袁紹は凄いと思うよ、うん
>>387 対公孫サン戦では袁紹自身が何度か出張ってるから、基本的にはそうなんじゃね?
麹義が曹操における曹仁ポジションだよね
>>389 冀州豫州云々についてはどう考えても将軍としてじゃなくて君主としての能力じゃん
ただそんな事言ったら劉備だって益州荊州分裂あるし
袁紹は君主だけど将軍名乗ってるし公孫サン戦で自ら奮戦してるし名将でいいと思う
袁紹配下は勝者である曹操の配下達ほど記録が残ってないからな
世界史じゃカール十二世とか東郷平八郎とかソンツェンの軍功を
むしろ部下の功績としている人もいるし本人と部下の功績の線引きは難しいんだよ
>>田豊は自業自得 袁紹は2月には劉延を攻撃して曹操の劉備討伐の隙をついて進言どうり動いてる
この状況でいきなり正反対の持久戦を言い出す田豊がおかしい
将軍を名乗ってるから将軍枠っておかしいだろ
絶大な権力と勢力を持ち合わせ袁紹や曹操までをも従わせた後漢大将軍何進は三国志最強の名将かよ
中国英雄板よ、これが三国志スレだ
君主が除外なら曹操も入らなくなるはず
袁紹は曹操には劣るけど名将だろ
袁紹が名将だと言いたいなら袁紹が指揮して勝ったとされる戦を列挙して
正史に書いてないことを想像するのは無しで
公孫サンに負けそうになったとき自ら叱咤激励してそこから逆転したくらいか・・・
陣頭指揮の逸話といえばね
袁紹って献帝いるのに他の奴を立てようとしたんだろ?
賊将だな
このスレにその評価は関係ない・・・よね?
>>399 献帝を勝手に死んだことにして勝手に皇帝名乗った劉備さんよりマシw
というかそれ何の関係があるの?
アンチ表明?
とりあえず昨日のID:s0/qG+29Tは頭おかしいやつだったね
何進を持ち出して意味わからんこと言い出すとか、ガキの屁理屈かよw
袁紹は公孫サンに逆転した戦いでも公孫サンを滅亡させた戦いでも自ら出陣してるわけだが
そして作戦を立てて決行している
正史も後漢書も何も読んでないやつが偉そうに言うのはやめた方がいいよホントに
無能を曝け出すだけだからね
というか、今まで全く反論が出てなかったのに急に袁紹批判が始まったのは、にわかが紛れ込んで来たからなの?
袁紹は董卓に一族殺されてんだから心情的に董卓の立てた献帝認めるわけにはいかないだろ
だから劉虞を皇帝にしようとしたわけで
どっちにしてもスレ違いの話だ
いちいちID出して煽るとか荒らし行為やめろよ
喧嘩がしたいだけならVIP池
VIPってそういう奴を集めるなら最適な場所だからな、
議論に煽りは普通いらねえだろ
てs
三国志終盤武将入れたら袁紹の入る余地は無いと思う
ヨウコ、陸坑、ケ艾、破竹の勢い、文鴦、など
407 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/01(月) 20:44:16.62 ID:9p0PBJIi0
後漢末期で12人
曹操 曹仁 夏侯淵 張遼 楽進 徐晃
劉備 関羽 張飛
孫策 周瑜 呂蒙
三国時代で12人
曹真 張郃 司馬懿 満寵 郭淮 ケ艾
諸葛亮 魏延 姜維
陸遜 朱然 陸抗
于禁 臧覇 文聘 陳泰 王平 孫堅 朱桓を追加したいが、枠が足りない
夏侯淵、関羽→コウホスウ、于禁
関羽入れるなら呂布の方が華々しい活躍してるし
姜維に勝った郭淮に勝った魏延
姜維要らん気がする
魏延が蜀最後の名将って感じ
不等号厨ってお粗末なおつむしてるな
>>412 反論も無く人を罵倒するだけのお前の方がよっぽど低級だと自覚できんのかね
>>411 この辺からは、どうしても個人の好みになってくる気がするなぁ…
個人的には姜維入れても良いかな、って気もするけれど、于禁とか外れるのを見ると、やっぱり駄目かなー…って。
夏侯淵は反乱鎮圧や涼州平定は大きいけども、評判が良くない。
于禁に変えた方が自然。
<武帝紀『魏書』>
于禁・楽進を軍隊の中から抜擢し、張遼・徐晃を捕虜の内から取り立て、彼等はいずれも建国を助けて功績を立て、名将に列せられた。
<曹仁伝『傅子』>
曹(仁)大司馬の武勇は、孟賁・夏育にも引けを取らない。張遼は彼の次に位置する。
<于禁伝>
于禁は張遼・楽進・張コウ・徐晃と共に名将であり、太祖が征伐する毎に皆代わる代わる起用され、進撃の時は先鋒となり帰還の時は殿軍となった。
<張郃伝『魏略』>
夏侯淵は都督であったが、劉備は張コウを恐れて夏侯淵を軽く見ていた。
夏侯淵を殺してから、劉備は言った。「一番の大物を手に入れなければならぬ。こんな事でどうする」
<張楽于張徐伝『評』>
当時の優れた将軍というと、五人(張遼・楽進・于禁・張コウ・徐晃)が第一といってよい。
というか途中まで于禁は親族や豪族出身者を除いて主将だからなぁ
最後降伏したから序列三位に落ち孫権に奇襲して大功を立てたから張遼が楽進を抜いて一位になった
蜀で言えば関羽が麦城で降伏し馬超当たりが獅子奮迅の功績を立てて
1馬超、2張飛、3関羽、4黄忠、5趙雲
になるようなもんだし
蜀の場合は関羽張飛が劉備贔屓により取り立てられる感あるけど于禁の場合は完全に実力で主将になってたんだから外れる事は無いだろう。
張遼が曹仁に次ぐというのは勇猛さであって将としての器ではない。勇猛さで言えば曹仁は呂布に劣る事になるだろうし文鴦当たりも入れなくちゃいけなくなる。
いや曹仁が凄いのは武人としてだけではないだろ
曹仁伝読めば分かるけど、司令官としても最強クラス
ぶっちゃけ江陵での牛金救出なんて無くても二十四選には余裕で入る
>>張遼が曹仁に次ぐというのは勇猛さであって将としての器ではない
それは無いでしょう。ちゃんと正史を読んでほしい。
>>417に同意。むしろ河南平定時の活躍だけで評価されても良いくらい。
誰も曹仁が雑魚なんていってないだろ
お前らこそちゃんと読め
曹仁が優秀なのは前提な上で曹仁伝にある1曹仁2張遼というのは勇猛さの序列であり将の器では無いという話
両者とも将としても優秀だけど于禁や徐晃の方が優秀だろう
なんで関羽張飛が入って于禁が入らないんじゃぁ・・・
関羽や張飛が選ばれるとしたら魏五将に勝利した功に大部分が依存する事になるんやから
その于禁や張郃がおらんかったらおかC
〜于禁の武功一覧〜
広威城を陥落させる
濮陽城南で呂布の陣営2つを撃破
須昌城の将の高雅を撃破
曹操に従軍して寿張城・定陶城・離孤城・雍丘城を陥落させる
豫州黄巾戦で大将の黄邵による夜襲を撃退して斬り殺し軍勢全てを捕虜に
苦城の袁術戦で橋蕤・李豊・梁綱・楽就の四将を全て斬り殺す
宛城の撤退戦で後拒を成功させる
穣城で張繍を攻撃
下邳城で呂布を生け捕り
曹仁らと共に射犬城で眭固を斬り殺す
延津で袁紹の南下を撃退
楽進と共に転戦し袁紹の陣営30以上を焼却し斬首捕虜4桁で降将20以上
杜氏津の袁紹の陣営を撃破
官渡城の守備戦を指揮して兵を鼓舞
(劉備に敗北)
昌豨の反乱を鎮圧して処刑
臧覇と共に梅成を降伏させる
陳蘭と対峙する張遼と張郃に兵糧を補給
(関羽に敗北)
〜関羽の武功一覧〜
(曹操に敗北)
曹操の下で顔良を斬り殺す
(徐晃と満寵に敗北)
(楽進に敗北)
(李通に敗北)
(楽進と文聘に敗北)
(呂蒙と魯粛と甘寧に敗北)
樊城戦で于禁を降伏させ龐徳を斬り殺す
(曹仁と満寵と徐晃と文聘に敗北)
(呂蒙に敗北)
(朱然と潘璋に敗死)
〜張飛の武功一覧〜
(呂布に敗北)
長坂の撤退戦で後拒を成功させる
巴蜀平定戦の進路全てで勝利し江州城の厳顔を捕虜に
巴西郡に侵入して住民を移住させていた張郃を撃退
(曹洪と曹休に敗北)
朱然と朱桓でどっちが名将なのか
それぞれの列伝を読んでもわからない
人生負けっぱなしの張?だが名将に推す声は根強い
あれ?
>>409でちゃんと表示されてるから普通に書き込んだら文字化けした
と思ったら張郃ってやらないと表示されないのか
張郃は五将軍の中に入るのすら理解できないんだけどどこがそんなに優秀とされてんだ?
初期から従軍し中原平定に助力した于禁楽進、合ピで無双した張遼、諸戦で活躍し無敗の徐晃ときて一段落ちるよね張郃は
正直張遼もかなり一発屋ぽいけど
>>424 赤壁の後はずっと活躍してるだろ張コウ
そんな発言が出るのが理解不能
そんで、張遼のどこが一発屋なんだ…?
絶対正史読んでないだろう、お前
それでよくそんな知ったような口をきけるなぁ
河北平定の時期に活躍したのが楽進だけだと思ってるのか?
426 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/20(日) 11:33:51.30 ID:z2unsYcO0
ぶっちゃけ三国のバランス考えないと魏からの人選が多くなりすぎるからなあ
そこは「三国志」なんだから目をつぶっても良いと思うが
でも張飛はいいとして、関羽は微妙というのには賛成
確か関羽、孫策はボーダーラインっていうのがこのスレで多い意見だったよね
後漢
コウホスウ 孫堅
曹操 曹仁 于禁 楽進 張遼 徐晃
劉備 張飛
孫策 呂蒙
428 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/20(日) 22:16:57.15 ID:fmEibSjT0
張コウは確かに三国志を代表する名将だけど五大将軍の中じゃ、一番下かなと思う
張飛に負けたり夏侯淵が死ぬ原因を作ったり王平に負けたり、最後戦死したり(これは完全に司馬イのせいだけど)と失点が五大の中では多い印象
三国のバランスなんて考えてたら本来入ってしかるべき人が入らない自体が十二分に予想されるから考える必要無いと思うが
人材の質と数から素直に考えれば魏呉蜀=8:1:1くらいになるだろう
430 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/21(月) 01:04:03.66 ID:Rzfb8Rtm0
>>429 国力や人口比は魏:呉:蜀=7:2:1だぞ
でもそれだとアレすぎるから、このスレだとだいたい5:3:2くらいで選んでる感じ
関羽が負けまくりと貶す人がいるけど・・・戦歴をよく見ろよ。
関羽が戦ってるのって、魏と呉を代表する名将ばかりだぞ。しかも複数相手が多い。
関羽だって厳顔など益州の有象無象の太守や将軍相手だったら連戦連勝出来たと思うわ。
張飛が曹仁や楽進に勝てるかというと非常に怪しいだろ。ましてや呂蒙相手に荊州守るとか絶対無理でしょ。
だいたい魏の君臣の意見というのは一致していて「蜀は小国に過ぎません。名将は関羽だけです」(劉曄伝)なんだから、関羽は名将に入れといていいはず・・・。
他に正史でハッキリと"名将"という言葉で評されているのなんて、それこそ魏五将くらいしかいないわけだし。
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/21(月) 11:06:57.50 ID:L7wx4Sp9I
于禁>張コウ>夏侯淵だろ?
武功も評判も
ぶっちゃけ徐晃は樊城戦が無かったら、武功も評判も張コウに劣るけど
関羽と張飛の比較は微妙
武功なら張飛で評判なら関羽
任された役割の大きさでも関羽
・後漢末期12枠
曹操 曹仁 張遼 楽進 于禁 徐晃
劉備 関羽 張飛
孫策 周瑜 呂蒙
or
曹操 曹仁 張遼 楽進 于禁 張コウ 徐晃
劉備 関羽
孫策 周瑜 呂蒙
or
曹操 曹仁 張遼 楽進 于禁 張コウ 徐晃
劉備 張飛
孫策 周瑜 呂蒙
この三つのどれかだろ
皇甫嵩や孫堅とか、黄巾〜董卓の期間で活躍した連中を入れるなら、また変わってくるけど
つーか皇甫嵩みたいな三国外の連中も入れるとキリが無いからやめた方が良い
朱儁 慮植 徐栄 呂布 黄祖 張繍 袁紹 麹義
果ては最強の烏丸と言われた蹋頓や、同じく鮮卑最強の軻比能までいる
異民族戦を考慮に入れるなら曹彰や田豫も候補に挙がる
わけわからんことになるぞ
>>433 張飛は張郃を痛撃し壊滅し死地においやってるじゃん
名将だって記述も鵜呑みにするなよ
その言葉は側近が曹丕に蜀征伐を勧める時に言った言葉だったろ?もしくは蜀はどれくらいの国力か?と言われた時か。
忘れたけどどちらにせよ「蜀は既に雑魚だ」と言いたかっただけで文面の内容に信憑性は無い。
三国志に限らずこういう諫言は良くあるよ。
>>435 それを言うなら、関羽は水没した于禁を降伏させているじゃないか
曹仁や楽進や于禁の方が、張コウより格上だぞ
しかも張コウは敵地深く侵入しての住民移住作業中に張飛から襲撃されてるわけで
于禁は関羽撃破が任務だったが、張コウの任務は張飛撃破などではない
なんでそれを引き合いに出すのかがわからん
関羽みたいに敵地に攻め込んでの戦いだったら、張飛は張コウに勝てたかな?
曹休に作戦を完全に読まれるような張飛では無理じゃないかな
張飛が張コウにマトモに勝てるなら、劉備は夏侯淵戦で自ら張コウに当たったりせず、張飛を別働させて当てていただろう
劉備が常に別軍を任せていたことも、関羽の実力の証明と言える
曹操、曹仁、五将軍
劉備、関羽、張飛
孫策、周瑜、呂蒙
Q:上記13人から、1人削りなさい
A:人それぞれ
討論しても総論は出ない気がする
後漢末期の三国内なら、この13人が頭一つ抜けてるわけで
三国時代の方の枠を減らして、全員入れればいい
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/21(月) 14:41:59.18 ID:sBAN23hN0
>>436 いやお前書いてて気付かなかった?
関羽だって偶然水没してた于禁を捕まえただけだよ
道端に落ちてた100円玉広うようなもん
張飛は僅かでも実力で倒してるけど関羽は完全なる運じゃん
劉備に信任されてたかは置いといて結果的にプラスにしか作用してない張飛と荊州を喪失した関羽
中々いないぜ?一瞬で一州を喪失する奴なんて
トウケンでさえ曹操の襲来を一回は耐えたのに
439 :
436:2013/10/21(月) 14:46:35.04 ID:LPPROpsdI
>>438 関羽も張飛もラッキーパンチ補正があっての勝利だから、張コウより格上の于禁に勝った関羽の方が・・・って言いたかったんだ
けど、張飛の方が実力が介在してると言われたら、確かにその通りだなw
そう考えてみるとたしかに張飛の方が名将かも・・・
>>437 A:関羽と孫策を削っていわゆる後漢群雄枠から1人入れる
蜀は劉備・張飛・諸葛亮だけで良いと思うわ
三国時代の名将12選
「魏書」
曹真
張コウ
陳泰
満寵 郭淮
王昶 王基
ケ艾
「蜀書」
諸葛亮
魏延
王平
姜維
「呉書」
丁奉
朱然 朱桓
陸遜 陸抗
「晋書」
司馬懿
Q:上記18人から6人削りなさい
A:???
A.王昶・王基・諸葛亮・王平・丁奉・朱然・朱桓
どう考えても姜維よりも諸葛亮の方が名将だろう
諸葛亮を削って姜維を名将12選に入れる理由が知りたい
陸抗が活躍したのは「三国時代」じゃなくて「二国時代」なんですがそれは…
普通に司馬懿というのは?
敵将の性質や状況に合わせた戦い方をする柔軟性や、老獪さが兼ね備わってそうだけど。
特に何に対してでもないw
色んな名将達の名前が挙がって凌ぎを削ってるから、ふと原点回帰というか、シンプルに考えた時一番に挙がって来そうな名前というか…、それで挙げてみた。
司馬懿が張コウを大きく下回る実力なのは確実
張コウは曹真が上司だった時はあんなに活躍してんのに、司馬懿が上司になった途端に進言を無視されるどころか死地に送られてるし
司馬懿の諸葛亮との戦いぶりはあまりにもアホすぎる
諸葛亮や魏延が強いという印象より、司馬懿が実戦慣れしてないという印象が残る戦い
ただ、その後の遼東平定や朱然撃破は評価出来る
なるほど…、無難、敗けない戦をする、というイメージがあったが、中々難しいね。
張コウのは政敵抹殺説とかもちらほら聞いたことあるけど、あれはデマ?…だよね普通に考えると。
>>450 有り得なくはないが、その場合は司馬懿は戦争下手ではなく戦争下手を演じていたことになるな
当時の張コウは五将軍最後の生き残りとして、軍部のトップにいた
三つある元帥クラスの将軍位(大将軍、驃騎将軍、車騎将軍)を、曹真と司馬懿と張コウで占めていた
曹真が死んだ今、張コウも死ねば、地位も実力も、司馬懿が軍部の単独トップになる
司馬懿が張コウを邪魔に思っていたのは、張コウを無視し続けたことからも確実だしな
于禁を憤死させた曹丕は軍事を舐めてたよね
楽進は既に死んでる、張遼もすぐ死ぬ、徐晃もしばらくして死ぬ
張コウがたまたまあんなに長生きしてくれたから良かったものを
そうじゃなかったら対蜀戦線は曹真が過労死するくらい転戦しないといけなくなってただろう
>>451 あぁ、有り得るんだ。
あなたの豊富な知識で裏付けされると説得力があるな。
確かに先に挙げてくれた遼東平定や呉征伐、孟達電撃戦などを見る限り、本当は戦上手なんじゃないの?って感じだもんな。
でももしそれが真相なら司馬懿はかなりの策士だよね。
戦下手の汚名を被ってでも名より実を取るというか、かなり現実思考な男で、最も敵に回したくないタイプだ。
>>453 まあ孟達急襲は相手が凡庸&ビギナーズラック
そして諸葛亮戦で経験(と失敗)を重ねながら将として成長
遼東平定からはそのレベルアップした様を存分に発揮した
と素直に捉えることも勿論できるけどね
現実はゲームとかじゃないから、能力値は固定ではなく、誰だって最初は戦争に慣れてないわけで、だんだん強くなっていくのは当然だから
確かにその通りだ。
熟練味を増した後の司馬懿には、そんじょそこらの将では太刀打ち出来ない気がする。
最後は精強を誇る異民族騎馬隊の大軍との会戦、なんかもあれば、如何ほどの将才があるかハッキリしそうだけどね。
>>455 いやいや、異民族が大軍を成してるなんて状況になってる時点で、魏の政治家達がよっぽど無能揃いってことになるから、それは無いよw
第一、烏丸の最大勢力だった蹋頓は、とっくの昔に曹操と張遼と曹純にブッ殺されてるし
鮮卑最大勢力の軻比能は、曹彰と田豫が代郡烏丸を相手に無双してたのを見てビビって、魏に臣従
その後は、田豫と牽招がたまにボコりつつ飼いならしていたから、異民族が大軍を成すなんて不可能
軻比能が暗殺された後は鮮卑も弱体化したしね
樹機能っていう新しい鮮卑の英雄が台頭するのは、晋の時代のこと
馬隆の樹機能討伐は、諸葛亮の八陣図とか、敵の鉄騎兵を磁石で足止めとか、ファンタジーすぎて面白い
そっかw やっぱ実現しないよね。
この時代、魏が相当叩いてて台頭できないか。
冒頓単于の率いる軍とか、最悪劉淵でもいいから熟練司馬懿との時空を越えた夢の対決を見てみたかった。
多分司馬懿ボロ負けしそうだけどw
あれでも不思議だよね。
中華では年がら年中兵法がどうだとか布陣がどうだとか戦理論だけは先行してるけど、異民族が精強な時は理屈抜きでボロックソにやられたりするじゃない?
かと言って異民族が巧妙な兵法を駆使して勝ったとかあんまり聞かないし…結局兵法云々よりも騎馬大軍の圧倒的パワーが勝るってことなの?
>>457 歩兵と騎兵の戦力差は大きいし、中原の騎兵と異民族の騎兵の差も大きいから
三国志の頃までは鐙が(多分)無かったので、馬上で巧みに戦えるのは、よほどの天才(曹彰)か、馬と共に暮らす異民族系の人間(董卓や呂布)くらいしかいなかったのよ
なるほど、同じ騎馬でも質や装備が違うんだね。
だから中華でもそれに馴染みがあったり精通している武将は強かったのか。
…となると、話を主題に戻して行くと、兵法の理屈もスッ飛ばすような圧倒的強さの騎馬技術に卓越した呂布や曹彰が最も優れた将?
でも猛将と名将ではまた趣が違うよね?
結局は集団戦で戦果を残せる者がそれに該当するんだろうけど…中々選ぶの難しいね。
460 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/22(火) 22:57:34.29 ID:JBfMyL9X0
>>457 それは騎馬民族の戦い方を知らないだけ
例としてチンギスハンのホラズム遠征の機動戦とか見るとその戦術能力の高さにびっくりするよ
軽騎兵を活用した戦法に特化した戦い方だと五胡十六国の石勒の戦い方が理解しやすいかも
奇襲的に機動し、欺騙を巧みに織り交ぜ、敵の指揮中枢に一撃加えて短期決戦で終わらせる
負け戦は無様に逃げる、それでも迅速に敗残兵をまとめて再編成し捲土重来を図る
騎兵の衝撃力だけが騎兵運用ではないという良い見本
>>459 呂布は黒山みたいな賊相手のヒット&アウェイなら強かったけど、曹操軍には普通に負けてるし
まあ単純に曹操が桁違いに強かったってだけだろうけど
その曹操の強さも中原平野での強さであって、慣れない辺境での水戦や山戦だと微妙だったし
細かいところでの評価は人それぞれでしょ
でも戦果を辿っていけば誰が名将か誰がそうじゃないかくらいは、誰にでもわかる
司馬懿が才能にあふれ凄みのある人物であったことは確かだと思うんだけど
英雄に必要だという爽やかさを感じられない人物であることも確かなんだよな
その点、才能があって実績も重ねたヒットラーを彷彿とさせる人物でもある
いや、自分は司馬懿を好きなんだけどね
というか軽装騎兵の運用が三国志で一番上手かったのは明らかに曹操本人
>>460 なるほど、彼ら異民族は中華のように兵法を理論付けたり体系化したりして残してないだけで、生来「戦い方」ってのを体で知り得ている、って感じなのかな?
言わば趙括や馬謖とは真逆のタイプみたいな。
「口ではうんちく垂れないが、戦ったら強いぞ」って感じの。
>>461 そうか、曹操は確かに呂布を倒してるんだもんね。
知が武を上回った良い例か。
そこに挙げてくれてるように、苦手な戦もありオール100点ではないにしても、やっぱ総合能力は高いよね。
曹操、司馬懿、蜀を獲ったトウ艾、呉進撃を成功させた杜預、赤壁と夷陵で逆転劇を演じた周瑜・陸遜、魏の主力将軍曹仁・徐晃…ベタだけどこれらだけは挙げとこうか。
>>462 あぁ、分かるなぁそれ。
司馬父子は悉くイメージ悪いよね。
もう徳川家康みたいなタヌキ扱い。
曹操が漢に対してやったことをそのままやってるだけなんだけど、実力で大陸を切り取ったか、その勢力から伸び出て来た存在かって違いが、同じく主を乗っ取るにしてもイメージの別れ目なのかな?
>>463 確かにその通り。
唐の李靖だかも参考か何かにしたくらいだもんね。
>>464 一つ突っ込むと、魏の主力将軍で曹仁は分かるけど、徐晃はおかしいだろう
曹操軍の主力って言ったら于禁と楽進
騎兵隊長って意味では曹仁と張遼
いずれにせよ徐晃は常に二番手
そっかw
司馬懿にしても徐晃にしても、何か手堅く負けない戦をしそうなイメージだったんだけどね。
でも徐晃って結構兵法にも精通した戦上手な名将じゃなかったっけ?
于禁と楽進がそれ以上に凄いから、いずれにしても見劣りしちゃう感じ?
>>467 戦上手な名将だよ
情報戦を重視してるあたりが、曹操の兵法をちゃんと学んでる感じなのも高評価
でも赤壁までの徐晃は「曹操か曹仁に従軍してるだけ」の戦いが多くて、イマイチ名将っぽくない
というか、張遼と楽進と于禁の三人が派手すぎ
特に楽進とか、正史を忠実にアニメか漫画にしたら一番目立つと思う
常に傷だらけの血塗れになってそう
赤壁の後の徐晃は夏侯淵の下で輝くけど、そこでも張郃の方が目立ってるし
なんだかんだで列伝順が五人で一番最後なのは伊達じゃないと思う
まあそれでも新兵率いて関羽を撃破できるくらいには名将なんですけど
徐晃は、于禁や張郃みたいに負け戦が無いのがポイント
常に冷静沈着だったらしいし
>>468 楽進は生粋の武人だねw
聞いてると何かカッコイイわ。
確かにそういう人物ならアニメや漫画映えしそうだ。
それに比べると、やっぱ徐晃は地味になっちゃうのかねぇ。
さすがに大企業の魏は層が厚いね。
>>469 そうだね、曹操の信任も厚かったみたいだし。
大事を任せられる名将って感じなのかな。
曹操が一番信頼してた将は、親族以外だと多分楽進なんじゃね?
官渡の戦いを大逆転勝利に導いた烏巣急襲で、曹操が副将に選んだのは楽進
赤壁の戦いで敗走した曹操が、荊州の政府がある襄陽を守らせたのも楽進
困った時は楽進ってノリw
楽進はチビだった癖に突撃で一番乗り繰り返してるからなぁ
弾丸のような男
チビのくせにってのは、勇気と何の関係もないような。
むしろチビだから一番早く走れたとか身軽だったとか?
曹操と楽進があれだけの戦を潜り抜けて生き残れたのは、チビすぎて流れ矢が当たらなかったから
間違いないですね(笑)
容貌の良さが能力の一つとされる当時の価値観で、わざわざ史書に「チビ」と書かれるくらいだから、よっぽどチビだったんでしょう…
陥陣都尉の時代に先登しまくってるのは、役割果たしてるだけだからいいとして
行遊撃将軍まで出世しても先登してるのは、確実に変態の所業
あの時の楽進は曹操軍内で数人しかいない雑号将軍の一人だから、かなり偉い身分の筈
ベルセルクだな楽進w
でもカッコイイよね、戦のたびに一番槍狙って、得物片手に風のように馬を駆り敵陣に突撃して行く。
宮廷でドロドロ権勢を競ってる奴らより、何と爽やかで絵になる漢だろうか。
…と言いつつ何故か司馬父子も好きな俺w
うん、キモイ趣向だと分かってるorz
赤壁の戦いまでの五将軍武功比較
別働して平定した郡の数
張遼:魯国+江夏=2
楽進:楽安=1
于禁:0
張郃:0
徐晃:0
別働して陥落させた城の数
張遼:陰安=1
楽進:陰安+雍奴=2
于禁:広威=1
張郃:雍奴=1
徐晃:易陽=1
従軍して先登した城の数
張遼:0
楽進:濮陽+雍丘+苦城+南皮=4
于禁:0
張郃:0
徐晃:0
別働して陥落させた陣営の数
張遼:0
楽進:獲嘉=30以上
于禁:濮陽+獲嘉+杜氏=33以上
張郃:0
徐晃:毛城=3
斬り殺した敵将の数
張遼:0
楽進:淳于瓊+厳敬=2
于禁:黄邵+橋蕤・李豊・梁綱・楽就=5
張郃:0
徐晃:0
別働して撃破した敵将や賊軍の数
張遼:趙国・常山+柳毅+蹋頓=4
楽進:袁紹別将+楽安黄巾+管承=22以上
于禁:呂布別将+袁紹別将+昌豨=22以上
張郃:管承=1
徐晃:巻城・原武+呂布別将+祝臂+平原+中廬・臨沮・宜城=9
ついでに五将軍地位比較
雑号将軍昇進
202年:張遼(代行)と楽進(代行)
206年:張遼と楽進と于禁
207年:張郃と徐晃
仮節
209年:張遼
212年:楽進
216年:于禁(仮節鉞)
219年:張郃と徐晃
四方将軍昇進
216年:于禁(左)と楽進(右)
220年:張遼(前)と張郃(左)と徐晃(右)
よく調べたな…、凄いの一言。
見比べてみるに、やはり楽進と于禁の武功が頭ひとつ抜けてて、続いて張遼って感じか。
大した功績だ。
于禁なんてこれだけ曹家のために槍働きで尽くしたんだから、降伏は武人の恥といえど本人がそれを一番痛感しているのに、それに追い討ちを掛けるような曹丕のあの陰湿な仕打ちはないよね。
女のいじめかよっていう。
調べるっていうか、ちくま文庫の正史からそのまま抜粋しただけだけど…。
赤壁前の中原(華北)平定戦では、仰る通り楽進と于禁が突出している。
赤壁後に始まる辺境での戦いでは、張郃と徐晃が夏侯淵に従軍して涼州と益州でかなり武功を上げるから、総合的にはそこまで差はつかないけど。
張遼も揚州で無双するし、楽進は荊州で関羽を撃退するが、于禁は急に空気になる。
曹丕は親族の曹洪すら殺そうとしたくらいだから、于禁殺すくらい余裕だったろう。
魏に戻った時に曹操が死んで曹丕に代替わりしてたことが于禁最大の不幸。
そうだよな、それが不幸。
曹丕のその立場上、于禁殺すくらい余裕だったって状態のくせに、あの回りくどいことをワザワザやらせるところに、彼の狭量な部分というか性悪さが滲み出てるよね。
あんなことされるくらいだったらいっそ「于禁よ、そなたほどの宿将が不遇であったとはいえ、敵将たる関羽に降ったこと、余は甚だ遺憾に思うぞ。
申し開きがあるなら今存分に致せ。」と、正面切って叱責を受けた後、死を賜るなり何なりした方が遥かにせいせいする。
あの時のホウ徳の気合いの入った死に様が、余計主君にとっては対比意識を生んだのかもしれないが。
一軍を率いる一将にすぎないホウ徳と、七軍の七将を統率する総司令官の于禁じゃ、立場が全然違うのにねぇ
于禁だって一将軍としてだったら死ぬまで戦ったかもしれん
しかも戦って負けて降伏したんじゃなくて、洪水という天災が原因で最初から戦闘不能だったんだから、于禁は最善の判断をしたと思うんだけど
あそこで于禁が普通に勝ってたら、関羽が"顔良を斬っただけの武将"になってしまうじゃん…
しかもそれって曹操の部下としての功績だし…
後世で関羽が評価されてるのは武勲ではなく忠義の将という点だからさほど変化があるようには思えないな
むしろ同時代の人間の方が関羽の武を高く評価してるように思える
>>482 そうだね、しかもあの後関羽が敗死し、思わぬ展開で身柄を呉に移され、そこでもまた罵倒を受けて、武人としては恥辱の上に恥辱を重ねた上でも必死に耐えて帰って来たってのに…今度は主君がとどめを刺すように陰湿ないじめかよ、みたいなね。
前半生での槍働きの貯金を全然顧みてもらえない、不遇に満ちた最期と死後だよね。
そりゃ顔良斬りだけで充分に化け物だから、魏の人々がビビるのもわかる
武将ってより武人としてだけど
兵の壁を突破していきなり将を殺しに来るようなやつとは、誰だって戦いたくない
「武神」になった理由も武人としての突出した評価だろうからね。
今や孫悟空と同じような存在になっちゃってるし。
戦術、戦略の天才を「軍神」と称するような考え方とは明らかに違う。
>>484 恥を偲んででも主君と命運を共にしようとして降伏した関羽
恥を偲んででも主君と命運を共にしようとして降伏した于禁
どこで差がついたのか
脚色、君主の器の違い
>>488 狡兎が死んでないのに走狗を烹る曹丕さんサイドが100%悪いw
曹丕の君主としての器は、曹操や劉備の足下にも及ばないね…。
政治家としての能力なら傑出していたのだけど。
>>487 実際、関羽の個人的戦闘力と武名による威圧や牽制力は大きかったはず。勝てずとも攻める姿勢を見せ続けているのもポイント。
もし関羽がいなかったら、襄陽と江夏から楽進と文聘に攻め込まれてもおかしくなかったと思うなぁ。
于禁は柘植氏の本では散々けなされてたな。
昌豨の反乱を鎮圧する際は、張遼が失敗して曹操から怒られ、于禁が成功して曹操から褒められた
陳蘭と梅成の反乱を鎮圧する際には、前回の失敗から学んだ張遼が大将として成長していた様が窺える
ちなみにこの戦いの功績で張遼は仮節された
>>477 このデータ分かりやすいね
テンプレにして欲しい
高順とかどうだったんだろう
記載されてないみたいだけどあんな異名得るくらいだから凄い活躍したんだろうな
>>492 「陥陣営」高順は文字通り陣営を陥落させるのが得意技だったんだろうけど、その活躍はあくまで呂布軍の範囲内になる
于禁や楽進があんだけ武功が多いのは、曹操軍自体が連年戦い続けたからでしょう
呂布軍は曹操軍ほど戦ってないし曹操軍ほど勝ってもいないので、高順の武功も自ずと限界がある
高順の最期も武人らしい潔い死に様だよね。
それに対して張遼はどうだったんだろう?
演義では関羽の口添え云々で取り立てられてるけど、史実では…?
普通に命乞いしただけなのかな?
話を戻す意味で、後漢末の12枠を勝手にまとめ
【確定組】9
曹操・曹仁・張遼・楽進・徐晃
劉備・張飛
周瑜・呂蒙
【議論中】
夏侯淵
涼州平定という絶大な武功を持つが、副将の張郃の方が活躍してるのが微妙なところか。
その前から各地の反乱を鎮圧していて、武功には事欠かない神速の猛将。
しかし劉備からは張郃以下と断言され、その言葉通り劉備に敗北して戦死、漢中を失陥した。
于禁
河南平定で桁違いの武功を挙げ、天下分け目の官渡の戦いではMVP。
楽進と共に曹操軍の双璧だったが、水への対策を怠って関羽に敗れた事をどう評価するか?
同時期に揚州刺史の温恢は気づいていたので、気づけなかった于禁のミスと言えなくもない。
張郃
劉備と諸葛亮が最も恐れた将軍であり、蜀軍最大の敵。
しかし張飛に撃退されたり劉備に翻弄されたりと、五将軍の中では欠点が目立つ。
活躍の半分が三国時代に食い込むので、むしろ三国時代の名将?
臧覇
徐州北部の半独立勢力。高順の予測通り、呂布も臧覇には勝てなかった。
曹操に帰順後も青州平定に活躍したり、孫権と韓当を壊滅させたりと派手な武功が多い。
曹操が仮節した将は曹仁と夏侯淵と五将軍と臧覇くらいなので、名実共に曹操軍の名将の一人だが、五将軍ですら全員確定はしてないので多分12選には入らないか。
関羽
同時代人の評価は高いが、武功はほぼ皆無。ただし敵は常に名将ばかりで、戦歴そのものは蜀将ではダントツ。
将軍としての評価は、于禁に勝利したことにほぼ依存するので、関羽自体の評価も于禁と樊城の戦いに依存する。
孫策
あの若さで揚州では無敵であり、その大半を自力で平定したが、雑魚ばかりを相手に無双しただけ、いつか敗戦を経験する前に死んだだけ、などと評価する人も。
徐州南部の陳登を攻略出来なかったという弱点があり、南船北馬の文字通り江南限定の名将だったかもしれない。
>>496 議論中の人物でまず落ちるのは6名中格段に小物な孫策、
次いで三国時代枠の張(合?)だが、
あと1人を落とすとしたら誰になるだろう。
KOEI三国志がいかに正史を無視してるかよく理解るスレ
光栄三国志はそもそも演義準拠だと公言してる
というか前にも同じやり取りあった気がする
>>496真っ先に落すなら関羽だな
流石に実績が少なすぎる
落とすなら于禁か関羽か孫策かなあ
落とす名前は言うけど理由はろくに言わない
多分このスレは永久に結論出ないw
まとめを書ける人が独断で決めた方が早そう
ならば502の考える落選候補ならびにその理由を述べられたし
于禁はどう考えても外されないだろう
関羽は匹夫の勇、言わば劣化呂布
腕っぷしは強いけど戦争は弱い、腕っぷしが強く体もデカいから数百を率いた戦いなら強いけど将軍としては雑魚
名将24選どころか名将ですら無い
関羽入れるなら呂布や文鴦入れる必要がある
ちなみに502じゃないよ
紛らわしいから一応言っとく
>>504 に同意
関羽は候補からも外して良いレベルだと思う
五将軍は全員入るべきと思うが、張郃は後漢末期枠からは外して三国時代枠に入れるのも有り
夏侯淵・孫策は、いずれも配下を率いて一州の大部分を平定したという共通点があるが、
夏侯淵:涼州平定以外にも各地で武功は多い。ただし劉備に敗死したという一大欠点がある
孫策:揚州平定以外の武功は無い。死因は戦死ではなく横死
という違いが
臧覇は青州平定に貢献したが、自力で大部分を平定したというほどではなく、他に武功も多いが総合的に夏侯淵・孫策には劣る
ただし欠点は無い
というわけで、外すのは
張郃(三国時代行き)
臧覇(微妙。夏侯淵か孫策に変えても良さそう)
関羽(確定。絶対入らない)
というのが私見
というわけで503さんの意見も聞きたいな〜
>>503 知識無いなら偉そうな事を言わなきゃいいのに…w
後漢末期の名将12選
魏:曹操・夏侯淵・曹仁・張遼・楽進・于禁・徐晃
蜀:劉備・張飛
呉:孫策・周瑜・呂蒙
これで良いんじゃない?
黄巾平定までは輝いてたけど董卓台頭以来凋落した皇甫嵩
反董卓までは輝いてたけど二袁争覇開始以来即死した孫堅
この二人は名将だけど、群雄割拠の時代についてこれなかった前時代の遺物という感じだし
劉備があっさり名将として確定してるのを見て時代は変わったなと感じた
正史の劉備といえば戦下手ってのが昔の定説だったのになぁ
>>509 >魏:曹操・夏侯淵・曹仁・張遼・楽進・于禁・徐晃
>蜀:劉備・張飛
>呉:周瑜・呂蒙
には異議なしだが、孫策外して後漢群雄から誰か入れた方が良くね?
孫策はタイプ的にもレベル的にも南方版公孫サンだから名将というには疑問が付く
>>510 それは演義のイメージを引きずってたからじゃないかなぁ
もしくはちゃんと正史読み取れて無かったとか
劉備は負けも多いけど勝ちも多い
というか蜀漢の武将では明らかにダントツで武功多い、桁違いに
劉備が名将に入らなかったら誰も蜀からは入らないレベル
実際、劉備がマトモに戦って負けたのは、相手が曹操本人とかいう無理ゲーだった時くらい
あとは曹仁が超スピードで急襲してきた時と、陸遜と敵地で一年もバトってた時
劉備じゃなくても勝てないよ
それでも最後の最後には、曹操すら漢中で撃退したわけだし
周瑜との共闘の末とはいえ、曹仁も一応撃破してるし
>>511 いや、公孫瓚は袁紹に負けて負けて負けまくって、最期は引きこもって自殺したようなやつだから
江南では敵無しだった孫策は明らかに公孫瓚より上だろう
袁紹と孫策を比較してどうかと言われると困るが、袁紹軍の強さって麹義にかなり依存してるし
無理に三国外から入れるより、普通に孫策で良いと思うわ
まあ孫策だけ早く退場しすぎてて、他の面子と並べて違和感あるのは分かるけど
それって群雄でも同じ、というか余計に違和感ある
>>513 孫策だって陳登一人に大敗してるだろ
孫策が滅びなかったのは曹操に南方に遠征する余裕が無かっただけで袁紹がいなかったら陳登に滅ぼされてただろうな
>>514 陳登に負けたからなんなんだ?
勝ち戦の方が圧倒的に多いわけだが・・・
孫策より武功が多い群雄がいるなら教えてほしいくらいだな
というかキミと論議しようと思った私が馬鹿だったよ
昔からこのスレに住み着いて「孫策外せ」だけを連呼してる基地外さんなんだね
ROMったらどれがキミのレスかすぐ分かったよ
516 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/28(月) 21:32:36.89 ID:6UCX/Qy30
孫策は確かに強いと思う、でも24人に入るかって言うと・・・っていうことが繰り返しやり取りされてるでしょうに
誰も弱いとは言ってないんだよ
>>515 いやそれはお前の勘違いだろ
統合失調症かよ
>>512 劉備の逃げ足の速さは一流だな。
まずいことになった時もまんまと逃げおおせる。運もあるんだろうが。
これは曹操にも言えること。逃げ足の速さも将としての実力の高さの証明か。
孫策アンチ君の分かり易さにはみんな呆れてると思うw
孫策や関羽がどうとか以前に、人によって
加点方式、減点方式、勝率とか、選び方がバラバラなんだよ
>>513 孫策も公孫サンも地元名士や異民族を極端に排斥して
要らない敵を大量に作り過ぎている。
孫策だってあの時に死んでなかったら
数年後には陳登(+曹操)によって
公孫サンと同じ末路を辿っていたこと必至。
>>516 >孫策は確かに強いと思う、でも24人に入るかって言うと疑問
>誰も弱いとは言ってない
こちらも言いたいのはそういうことなんだけどね。
孫策否定派の言い分って分からなくもないけど、なんか将軍ってより君主としての欠点を責められてるみたいで変な感じ
孫策一歩落ちるってのも分からなくもないけど、孫策を外してまで入れるべき人物ってのを誰も挙げれていないですし
誰も挙げれていないというか、そもそも削る作業中だしな
後漢12人
三国12人
っていう枠に囚われる必要は無いと思う
いっそのこと三国時代はケ艾一人ですら良いと思うし
それは行き過ぎかもしれないけど魏の五将軍が全員ノミネートされないというのは不自然すぎる
>>524 同意
12はあくまで目安でしかないし
でも三国時代は三国時代でけっこういるんだよね
まあケ艾が頭一つ抜けてはいるけど、対蜀戦線も曹真→張郃→司馬懿→郭淮→陳泰→ケ艾の流れがあってこそだし
張郃と文聘は活躍した時代が跨ってるせいで、分けると不利だしね
劉備が名将な事が前提になってるようですけど具体的にどの戦いで名将の鱗片を見てるんですか?
曹操なら官渡や兗州平定〜徐州平定と挙げれば切りが無いし于禁や周瑜、曹仁も「この戦いの動きが凄い」「落とした城の数が凄い」と何かしら根拠がありますよね?
正直劉備は名将どころか将としては凡だと思うんですが。数百〜数千を率いた○○隊長としてはそこそこ動けてるとしてもそれは名将とは言わない気がします。
曹操が撤退した後、周瑜が残党と戦ってる間に半空白地を配下を使って占領し、法正や龐統に従って劉ショウを騙し討ちし一年以上かけて攻略する。
具体的な戦功はこれだけですよね?
実利が伴う戦功は全て龐統や法正や黄権と言った名士が伴って初めて勝ってるように思えるのですが違いますかね。
>>527 これだけとか言うけど、荊南と巴蜀の平定だけでも蜀ではダントツトップの功績なんだけど
>>527 曹操だって荀ケ荀攸鍾繇郭嘉ら潁川名士のおかげだな。つまり君主は名将から外せと
でも劉備の場合まともな荊州名士が消えた瞬間大敗してますやん
曹操は赤壁と漢中で負けたけど大敗はしてないし戦略的撤退しただけだし
そもそも
荊南:曹操軍の主兵が周瑜に釘付けにされてる間に都市防衛兵を倒して各個撃破しただけ
益州:騙し討ちして攻略。それなのに攻略に数年かかってる。仮に馬超が帰順していなければ劉璋も降伏せず更に時間かかってたはず。鍾会、ケ艾は戦争状態から初めてすぐに蜀を制圧している。
正直曹操の戦いはいかに部下が優秀でも曹操が大将でなきゃ勝てなかっただろう戦いが多い。
劉備の場合ある程度部下の言う事に従順であれば誰が大将でも勝てたはず。
>>530 いや、だから貴方の言ってる事自体はその通りだけど、それでも劉備以上に功績のある蜀将っていないじゃん
劉備入れなかったら誰を入れるんだよ
張飛も諸葛亮も姜維も劉備より小粒なことしかやってないのに
魏将から○○人、蜀将から○○人〜みたいに決まってるの?
個人的には黄忠とかかなり功績立ててると思うけど蜀の武将から無理に入れる必要は無いと思う
袁紹軍からこいつ、袁術軍からこいつ、みたいなことはしてないんだし三国の内の一つだからと言って雑魚しかいない蜀から枠削ってまで選ぶ必要は無い
黄忠の活躍なんてそれこそ劉備あってこそじゃん
呉で言えば甘寧と同じポジションだろ
別軍を率いての功績が無いやつを名将とは言わんよ
優秀な部隊長に過ぎない
そういうのが入るならまず魏から李典が入る
3等分は有り得んし蜀が国力比例で最低人数になるのは妥当だけど、
1,2人やそれ以下というのも歪過ぎるわな
でも成を建国した初代皇帝袁術の配下からも誰も入ってないじゃん
どこに所属してたとか囚われずに純粋に上から優秀だと思う人間を挙げた時に蜀の人間がいなくてもそれならそれで良いだろって話
ここスレ民が直接参考にするのは領地の広さじゃなく正史の記述だろうから、
領地の広さよりは正史の分量で比率が決まる方がまだ納得しやすいわ
仲なのかよ
色んな書籍も光栄も間違いだらけじゃねぇか
>>536 名将の定義によって選出は変わるだろうけど諸葛亮と黄忠は入れても良いと思う
それ以外には誰?
>>538 何なのその黄忠推しは…
昨日からそうだったけど、劉備や張飛や魏延を差し置いて黄忠ってどんな判断なの?
基準が謎すぎてついていけない
武力>越えられない壁>統率って価値観なのか
それは猛将とは言うかもしれんが名将とは言わない
定義によるけどって書いただろうが
別にその二人以外論外なんて言ってないし張飛入れたいなら張飛入れても良いと思うし
お前も早く選べよ
俺は正直確定なのは諸葛亮だけで後は無で良いと思ってる
「お前も早く選べよ」
上から目線で言われる筋合いも命令される謂れも無いわけだが…
こんな精神年齢低い子供の討論に付き合ってあげた自分が恥ずかしくなってきた
成とか言ってる時点で明らかに正史も持ってないんだろうし時間の無駄だわ
いちいち重箱の隅をつついて言葉使いがどうとか表面的な部分ばかり見て本質を見失う愚者か。
当時からそういう人いたらしいね。
宣帝に「そんなに古風な礼が大事なら手づかみで食べ物食ってろ」って呆れられた儒者とか
現代の「国歌歌わない奴は売国奴だ!俺は国歌うたうから愛国者だ!」と同レベルの論調
形式や儀礼っていうのは目的のためにあるんだよ、形式や儀礼を守る事に価値を見出す奴は形骸化したゴミ。そもそも2chで命令がどうの言ってんなよ。
TPOを守れ、中国風に言うと応変の才を持て。
君見たいのを兵書読みの兵法知らずって言うんだろうね。
スゴいブーメランですね(^^)
ID:/3TDjD/s0は自分はTPOを守ってると思ってるのかな
>>543 思ってるから言ってるんですよー^^
自分がTPOに違反してると思ってる人間が他人にTPO守れって言うと思いますか?^^;
君はもう少し知能つけましょうね
TPOとか以前の話ですよ
アスペルガー症候群の疑いがあります^^
でも恥ずかしがる必要は無いですからね^^
お医者と二人三脚で一歩一歩治療していきましょう!
宮城谷スレの780と同一人物だろこの/3TDjD/s0
自分を客観視できない幼稚さってヤバいですね
ただのキチガイかもしれんけど
どんな奴かスレを覗いてみたら二十日以上前の奴じゃん
兵書読みの兵法知らずという単語に共通性見出したんだろうけど結論から言うと780のレスを読んで知ったから便利だなと思って使用しただけ
正直調子に乗ってふざけすぎたのは謝るしこっからROMるからもうこの話題出さないで欲しい
良スレが自分のせいで荒れるから
黄忠についてマジレスすると、彼は四方将軍で唯一、仮節されていないのです
劉備の指揮下で最も武功をあげる優秀な部隊長、のまま死んでしまった
長生きしていたら別軍司令官としても活躍してかもしれませんが、IF物語です
楽進が官渡の戦い直前に死んでいたら、黄忠みたいな評価になってたでしょうね
忠之名望、素非關馬之倫也。
現場を見ている人間と後世の乏しい資料から事態を推測している人間のどちらの意見がより真実に近いか
同時代だったからといって、物事の真実を常に捉えているとは言い切れない。
乏しい資料から精査して導き出したことが、真実を突いている場合もある。
何がより真実に近いか、という答えを出すためには、乏しい資料の突合せが必要になるんだよ。
当時の人の言葉が常に真実なら、人の歴史はさぞ簡単なものなのでしょうよ
(注:黄忠の評価についてとやかく言っているわけではない)
まぁ黄忠に関して言えば当時の評価は明確に関・馬>黄なわけだし実際資料を見ても漢中の攻防で手柄を立てたこと以外は特筆すべきことも無いからなぁ
それも自分で戦略・戦術を駆使してというよりは劉備・法正・諸葛亮の元で指示を受けてその範囲内で奮闘したという感が強い
無論その「範囲内」で敵の総大将夏侯淵を討ち取るという大金星を挙げたわけだから凡将だと言うつもりは微塵もないけど自分で戦局を動かした戦いが無い分二十四に入れるのは厳しいと俺は思う
馬超の方が将軍としての評価が上ってどういうことだよ
お世辞で武勇がどうのこうの言ってるけど完全にコネクション入社じゃん
バチョーンさんは、負けたとはいえ万単位の軍の司令官として曹操と戦ったという経歴がある
将軍としての力量は黄忠じいさんより上でしょう
冀城の救援に来た夏侯淵を一度撃退したりもしてるしね
まあ夏侯淵の先鋒として張郃が来た時は、戦いもせずに逃げたけど・・・
張郃さんマジ対蜀最終兵器
記録が多くて分かりやすい魏将を比較対象として蜀将を考えてみる。
序列:曹操>曹仁>張遼=楽進=于禁>張郃=徐晃>夏侯淵
「劉備」=曹仁レベル
曹仁が急襲してなんとか勝てるレベル。
楽進と張郃は劉備自身が実力を高評価して警戒していたが、実際には張郃と互角以上に渡り合っている。
夏侯淵は雑魚扱いされて戦死。
曹操本人には負けまくっていたが、漢中の天険を味方につけて最終的には遂に撃退した。
「関羽」=夏侯淵レベル(于禁に勝ったことにするなら張楽于レベル)
于禁が水没して負けたせいで序列が狂う。
それを無視していいならば、曹仁に勝てず、楽進にはフルボッコされ、徐晃にも連戦の末とはいえ大破された。
しかし一地方を劉備から任せられるくらいの力量はある。
「張飛」=張楽于レベル
張郃を大破している。張郃は住民移住作業中に襲われたとはいえ、関羽の于禁捕縛よりは遥かに明確な武功。
劉備の入蜀へ合流した際には連戦連勝して巴郡太守の厳顔を捕縛しており、蜀将では最も武功が多い。
周囲からの評価が常に関羽以下なのが唯一のネック。
漢中攻防戦では劉備は自ら張郃に当たって張飛は使わなかったので、マトモに戦えば張飛が張郃に勝てるかは微妙だと判断されていたかも。
「馬超」=夏侯淵レベル
夏侯淵には勝つこともあるが張郃には勝てないというとても分かりやすい御方。
最終的には夏侯淵によって涼州から駆逐されているが、曹操本陣を急襲したり冀城を攻略した戦術眼はある。
「黄忠」
別軍を率いたことはないので評価不能。
劉備の部将としてなら最強。
「趙雲」
劉備の入蜀へ合流した際に数箇所の県城を下している。以外に武功が無いので評価不能。
古参だが劉備からは他四人より格下扱いされ、関張馬と違って他国では名前も出てこない不憫な人。
張飛より関羽の方が同時代の評価が高いのはやっぱ兄弟としての配慮だろう
兄を差し置いて弟ばかり褒めるわけにもいかないし
そもそも荊州を統治していた時期には将軍で同格になったってだけであーだこーだ文句言ってるんだし
あと劉備が曹仁レベルなら陸遜は曹操以上?それとも曹操と曹仁の間にかなり開きがあるの?
桃園結義は創作だけど劉関張の三人は義兄弟だったという誤解はいまだ根強いな
実際は挙兵した時からの腹心の部下っていうだけでそれ以上でもそれ以下でもない
とはいえ「然、吾受劉將軍厚恩、誓以共死、不可背之。」と言ってるくらいだし、夷陵戦役の件もあるので少なくとも劉備と関羽の間には上下の関係以上の意識はあったろうけど
>>554 だから関羽>張飛という評価にそういった配慮があるとは考えにくいかと
>>554 陸遜が曹操より上なんて結論はいくらなんでも斜め上すぎるよ・・・
曹操の具体的な戦歴を見てみればわかると思うんだけど、陸遜とは文字通り桁が違うよ
攻めるより守るほうが簡単
陸遜は敵地に攻めてきた劉備を撃退しただけっすよ
それでもかなりスゴいけど
曹操は劉備に何度も勝っていて、劉備戦の比較だけでも陸遜より上
それ以上に、曹操は攻め込んでの武功が桁違いで、だから三国志最強は誰しも曹操を選ぶ
中原八州を転戦して悉く平定するなんて陸遜なんかには不可能です
というより曹操以外にそれは誰にもできなかったのが三国志という時代
曹操と曹仁の間には越えられない壁があるね
同時代では周瑜だけがその壁にいる感じがする
陸遜は個人的には曹仁や劉備と同レベル
呂蒙は張遼や楽進と同レベルかなぁ
>>555 張飛伝には、関羽が年長だったから張飛は彼に兄事した、と一応ありますので、
>>554さんの言ってることも正しいです
それが理由の全てではないでしょうけど
私が思うに、張飛は関羽の顔良斬りのような中原で鳴り響く武功が無い為、他国への牽制の看板としてはやはり関羽が第一だったのかと
558 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/02(土) 16:31:23.65 ID:q5EMVxYM0
袁紹死ぬまで打つ手がなかったのはどう評価すんの?
晩年の攻勢は完全に行き詰っているし、どう考えても「壁」は存在なんかしてないだろ
560 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/02(土) 17:00:44.94 ID:HwGgwc0mI
>>袁紹が死ぬまで打つ手無かった
↑!?!?
袁紹が死ぬまで打つ手無かったなら曹操は滅びてるだろ
〜199年:河南平定
200年:官渡の戦い
201年:倉亭の戦い
202年:袁紹の死亡
203年〜:河北平定
最大限にやることやってるよな
これ以上にどうしろと言いたいのか
ただのよくいる曹操アンチなのか
561 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/02(土) 17:09:31.31 ID:q5EMVxYM0
>>559 いや、後知恵で曹操の評価がうなぎ上りになってるけど
戦略環境が好転するまでは、実際は地方の群雄の上位層どまりだったわけじゃん
袁紹死後の北伐は見事だけど、曹操の上げ潮はそこで実質終わりで
その後は(北方の遊牧民対策を除いて)いずれの正面でも膠着状態に突入している
劉備は曹操に負けが込んでいるけど、晩年の攻勢見ていたら、もっと早く戦略環境で
恵まれていたら、確実に勢力を広げれていたことは疑いない
曹仁とどっこいどっこいは過小評価過ぎね?
結論は曹操>劉備≧曹仁ということで、超越できない壁は存在していないという意見ね
(周瑜は評価難しいな、期待値込なのか純粋に実績だけなのか)
>>561 俺も劉備は純粋な戦術指揮能力なら曹操とほぼ同格と思ってるよ
ただ、曹操に何度も負けてることと、支配地の格差は覆せないから・・・
曹操の河や山での戦いを俺は高く評価しないけど、中原で無敵の軍隊を築いた事実は隔絶してる
それと官渡の戦いで曹仁に負けてるのよね劉備
しかも曹仁の方が少数
まあこれは曹仁本人が言ってるように、劉備の環境が整ってなかったこともあるけど
江陵でも周瑜と劉備が協力プレイで曹仁をなんとか追い出したという感じ
曹操と劉備の差より、劉備と曹仁の差が小さい
解釈次第で曹仁が劉備を上回ることは考えられるけど、劉備が曹操を上回ることは考えられない
となるとやっぱり越えられない壁があるかな
あくまで俺の脳内イメージだけど
周瑜は戦域が江南限定すぎて評価難しいんだよね
益州攻めを実行して成功してたら曹操と同等以上になってたけど死んじゃったし
確かに袁紹が早死にしていなかったら、袁紹勢力が分裂してなかったらどうなってただろうね
分裂して漁夫の利を得たのにも関わらず河北平定には異民族だとか残党処理含め約10年かかってるんだから
項羽挙兵〜項羽死亡が七年なのを考えると異常だよ
三国時代って他の時代と違って群雄の争いに順逆が無い完全な私欲による戦争だから時間かかるのも仕方ないけど
564 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/02(土) 17:37:29.67 ID:q5EMVxYM0
>>563 両晋期の英雄達も河北平定にはめっちゃ苦労してるよね
あの辺を見てるとやっぱ曹操はスゴいわ
楚漢争覇は色々と特殊すぎ
結局なんだかんだで、
曹操 曹仁 張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃
劉備 張飛
周瑜 呂蒙
の11人が後漢末では確定。
夏侯淵 関羽
が微妙なライン。
って結論になるのね。
孫策は早死にしすぎて比較対象がいないか…。
甘寧はやっぱ二十四選には入らんか。
あの闇夜のゲリラ戦なんか好きなんだけど。
甘寧はすごいけど将軍って感じじゃないんだよね
部隊長級の二十四選なら確定だろうけど
569 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/02(土) 23:36:42.39 ID:ZsR+dBO/0
三国時代になって将軍号がインフレしてるのは宜しくないよな
漢代だったら「将軍」なんて選ばれし者みたいな感じだったのに
甘寧は黄忠の強化版というイメージ。
確かな戦術眼を持っているし、同戦域内での別働くらいはしている。
ただ司令官になったことはないし、それ以前に率いている兵の数が異常に少ない。
周瑜&魯粛&呂蒙の下で、それぞれ常に目立った活躍をしているから、実力は抜群なのだけど。
おもしろいな。
新たな三国志境地という感じ
裴松之がボロクソに批判してる『献帝春秋』だけど、
官渡直前に謀叛した劉備が、曹操が派遣した劉岱・王忠を撃退した時の台詞はかなりカッコイイ
「お前たちが100人来たところで、私をどうすることも出来ぬ。
曹公自身が来るなら、どうなるか分からんがね」
どこが格好良いんだよw
574 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/03(日) 13:47:28.18 ID:v5IGuPDm0
劉備好きの人間からしたら格好良いと思うよ
なんか後漢末期は議論されつくしたようなので、そろそろ三国時代を…。
三国時代前半の名将候補
魏:曹真、司馬懿、満寵、郭淮
蜀:諸葛亮、魏延、王平
呉:陸遜、朱然、朱桓
三国時代後半の名将候補
魏:王昶、王基、陳泰、ケ艾
蜀:姜維
呉:丁奉
とりあえず叩き台で。
張郃は後漢末期にいるので、一応除外。
陸抗やドヨは?
>>576 そいつらが活躍すんの二国時代じゃないですか。
いやいやその主張はおかしいだろ
確かに形式的にはそうだけどさ
>>578 呉末晋初の議論はめんどくさいし、いつまでを三国志の名将にするかなんて人それぞれだからな。
人のレスに噛み付くんじゃなくて、自分の見解をブチ上げて論じれば良いじゃないか。
というか俺は
>>575に質問したのに何で部外者が答えてるの?
何で
>>575が陸抗らを外したか聞きたかったのにさ
丁奉はかなり出世もしてるけど、司令官ってより部隊長イメージが…
甘寧の遺伝子を継いでる感じ
後半の人物とは思えんくらいの猛将タイプ
>>575は「三国時代」って書いてあるじゃんw
三国時代の陸抗なんて大した戦功無いだろ
なんか俺のせいで荒れた?
陸抗を入れなかった理由は他の人が言ってる通りだが・・・叩き台として書いただけだからべつに
>>575に拘らないでいいんだけど。
あ、ID変わってるけど俺:/d+7TlzEIね。
陸抗を入れる尤もな理由があればeYaPyfLE0さんが言ってくれれば良いと思うよ。
なんか前にも晋将や陸抗を入れるかは意見分かれてた気がするけども。
>>575 後半の魏と呉ってあんまりガチバトルしてないから、王昶&王基と丁奉の三人は要らない気がする。
魏呉戦線はむしろ内乱の舞台ですし。
元々、魏と蜀の戦いに比べると地味なんだよね。
なんせあっちは後半になっても姜維がバカみたいに攻め込んで来てたから、戦線が活発だったし。
そして滅ぼされてるし。
586 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/03(日) 17:55:04.67 ID:dcnut8cs0
姜維って負けは派手だけど、勝ちも半端じゃなくデカいんだよな
最後の剣閣入りするまでの転進もとんでもないし、よく剣閣に入れたなあの状況で
降伏するときの「あんたは遅いと言うけど、俺はいまだに早過ぎると思っている」発言は
あの年齢でどんだけ滾っていたか伺える発言ではある(評価には関係ないけど)
こいつに大軍を思う存分指揮させてやりたいと思わされる数少ない武将だわ
ケ艾がいなきゃどうなってたか楽しみだよね
剣閣以北が取られたところで植民地の盆地を失ったようなもんだしあと10年くらいは耐えられてそう
>>586 姜維は将領としては半端じゃないよな。あの国力差でよくやったもんだよ。
まあ国政を担う地位でもあったんだからその辺は評価できんけど、姜維が軍事に存分に専念できる環境だったら…ってのはいつも思うわ。
郭淮と陳泰では、姜維を防ぐことは出来るけど、大きく痛めつけることは出来なかったろうね。
まあケ艾がいなかったら司馬孚や鍾会なんかも出張ってくるだろうし、根本的な国力差と人材差がデカいから結果は同じだったろうけど。
三国時代後半を眺め見て、確実に姜維以上と断言出来るのはケ艾だけかなぁ、個人的には。
実力の話ね。戦功はまた別の話というか、魏将の面々の方が凄いのは当たり前なんだけど。
ミス。司馬孚じゃなくて司馬望だな。
591 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/04(月) 08:00:33.03 ID:aUXr5j+z0
名前全くないけど、呉の諸葛恪はアカンの?
東興での戦功って結局諸葛恪に帰するものなんじゃないかな
三国志でこいつは糞だなと心底思える数少ない人間だけど
諸葛恪こそ陸遜と陸抗の間を埋める名将になり得るはずだったのにな
対外試合に関してはほぼ一発屋だった(というか東興の後が色々と酷すぎた)せいで誰も名前を出さないんじゃないかな
「いくら才能に恵まれていようが、それを誰か他の人のために役立てようとしなかったのであれば
そんな才能はまったく評価に値しない。」みたいに陳寿に書かれたのが諸葛恪だっけ?
官渡の戦いの時に青州ー徐州の間は戦闘起こってないの?
徐州で青州に対して警戒してた守将とかはいないの?
赤壁の戦いの時は張遼とかが揚州で動いてるし徐州にもいたんじゃないの?
姜維の用兵はギリギリのキワキワ過ぎてどうもなぁ
蜀自体がそういう状態で、王平の頃と比べてもボロボロだから仕方ないけども
費偉が長生きしてればもうちょっとマシな状況だったろうに
甘寧は文句なく名将だと思うけど、1000人前後の部隊で本領発揮というか大軍は率いてないね
常に小勢で死地に放り込まれ、そこで凄まじい働きをし続けてる感じ
疎まれてるのかと思えば孫権や呂蒙との関係は色々あっても悪くなさそうで、どうも不思議だわ
>>594 徐州北部の臧覇が青州の袁譚を牽制
徐州南部の陳登が揚州の孫策を牽制
青徐方面の事を知りたかったらとりあえず臧覇伝と呂虔伝くらいは読もうぜ
>>595 甘寧の扱いはナゾだよな
まあ好意的に解釈すれば、少数の兵を率いるのが最適と見做された人材だったんじゃないか
呂蒙の顔に泥を塗っても許されるくらいの力関係ではあったみたいだし
官渡の後は夏侯淵も臧覇や呂虔と一緒にけっこう東方で働いてる
599 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/08(金) 23:12:52.85 ID:GIpJ2pzk0
周ゆって何がすごいの?おぼっちゃまでしょ。
ぜんぜんわかりません。
魏の5将軍はすき。曹仁もいいかな。カコウエンもすき。息子すごいし。
呉はろしゅくとりょもう。
蜀は チョウヒとカンウと魏延
24にはおぼっちゃま該当なしで議論願いたい。
しゅうゆ、ばちょう、りくそん、そんさく、しばいちぞく
どよ、おうしゅん、ようこ、りくこう あたりもきらい
周瑜より魯粛の方が余程おぼっちゃまなんですがそれは
好き嫌いで決めるとかアホか
602 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/09(土) 03:28:12.77 ID:csaV2fz90
ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。
ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。
ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。
ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。
ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。
ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。
わざわざ触ってやるなんて優しいなお前ら
一気に過疎ったな
これといった目新しい意見も無いしかと言ってこれで確定!っていうような決め手も無いからな
>>406>>407当たりでも過疎って
>>409の書き込みで火がついて一気に伸びたんだな
一度議論し尽くして過疎ってその間に意見とか思いとか募らせてなんかの書き込みがきっかけでROMってた奴らが押し寄せて白熱した議論がはじまって〜の繰り返しか
結局、前スレの最後と同じような面子になる。
↓
それに反発した奴が次スレ立てる
このループだもんな。
どれだけスレが続いても中身は同じようなもんだろうな。
自分は素人で、時代もまったく違うけど
高祖の時代の名将韓信をここに入れたらどのくらいのレベル?
下手すると世に出なかったりしてなw
とりあえず、曹操が韓信の生まれ変わりって物語があるので、そんな感じでいいんじゃね?
韓信→漢朝により粛清させたので恨みがある。
曹操→漢朝を実質滅ぼした
韓信が生まれ変わって恨みを晴らしたって話。じゃあ曹操の人格はどこへ?
という素朴でいたいけな疑問はこの際野暮なんだぜ。
全然答えになってない上になんでそんな話が逸れるんだよw
ダントツで韓信
>>610 こっちはいたって真面目なんだがな・・・w
韓信に比する者として世にはそういう話があるって紹介がそんなにトンチンカンかなぁ
時代の違う人物同士の純軍事的手腕の優劣など、どうやって比べるつもりなんだい?
613 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/12(火) 22:28:11.96 ID:mbAo3Ky80
>>608 曹操 他人に任せられなくて飼い殺し
劉備 丸投げして他正面をごっそり切り取るが、まさかの独立
孫権 途中までうまくいったが期待を裏切らず粛清
地方で無双し続けたまま死ぬか、
>>613みたいな感じじゃね
曹操と韓信は全然被らないな
イメージ的に近い部分なんてあるだろうか
どうして呂布が入らないの?
正史基準ならなおさら真っ先に入らないとダメな武将
>>615 取り合えず過去ログを始めから読み返すことを推称する。
>>616 呂布入ってない時点で歴史も正史も知らないただの人気投票
>>615>>617 まず呂布が入っていないとならない理由を存分に述べろ。
あとは呂布が入る代わりに落とすべき武将を挙げろ。
話はそれからだ。
三国志の話題には韓信の玉ふぐり的なユーモアがないよね。
なんだなんだ呂布君が最強スレから今度はこっちに移住してきたのか?
名将であって名部隊長ではない
名将に匹夫の勇はいらない
一時期この板の「中国史上最強の武将を決めるスレ」というスレで異常なまでに呂布を最強としたい人が居座ってたから興味あるなら見てみるといい
確かに彼の言い分には一理あるんだがどこを探しても残りの九理が無いという感じだった
ただ、彼の相手をする為にスレ住人が呂布に関する資料を精査した結果今までスルーされていた色々なことが見えてきたというちょっといいこともあった
本物はもっと屁理屈が多いし、超独自理論で史書を引用してくるじゃない。
ま、呂布の悪知恵や思わぬ駆け引き上手な面が掘り起こされて、
少しだけ有意義な議論にもなったけど、もうああいうのは勘弁だわw
呂布と違ってガチで無学なのに蜀屈指の武将である王平さんは凄い
字が書けないだけでたくさん勉強してるよ王平さんは。
兵書を読ませて勉強してたってエピソードが残るぐらいには。
王平とかチョウギョクとか呂蒙みたいな成り上がりは本当に実力あったんだろうな
呂蒙は確かに実力もあったけど孫権が子飼いをトップにしたかったという事情もあるかと
628 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/15(金) 23:07:14.93 ID:d1bdT7hTI
条件によって意見が散らばってるようなので、名将候補を纏めてみたよ
【魏】
〜後漢末期〜
曹操
夏侯淵・曹仁
張遼・楽進・于禁・張郃・徐晃
臧覇・文聘
〜三国時代〜
曹真
陳泰
満寵・郭淮
王昶・王基
ケ艾
【蜀】
〜後漢末期〜
劉備
関羽・張飛・馬超
〜三国時代〜
諸葛亮
魏延
王平
姜維
【呉】
〜後漢末期〜
孫堅・孫策
周瑜・呂蒙
〜三国時代〜
朱然・朱桓
陸遜・陸抗
丁奉
【他】
〜部隊長級〜
魏:李典・許褚
蜀:黄忠
呉:甘寧
〜対異民族〜
魏:曹彰・田豫・牽招
蜀:馬忠・張嶷
呉:賀斉
〜三国以外〜
董卓:徐栄
袁紹:麹義
劉表:黄祖・張繍
呂布:高順・陳登
烏丸:蹋頓
鮮卑:軻比能
西晋:司馬懿・石苞・羊祜・杜預・王濬
劉備の軍の指揮能力ってどれくらいなんだろうな
小規模な兵力では曹操以外には負けること少ないけど大規模な兵力だとあの敗戦ぐらいしかないし
というか劉備配下の将って皆そんな印象がある
劉禅配下の将はそうでもないけど
普通に大規模な兵力で夏侯淵と曹操に勝ってないか?
後、夷陵は五万前後で漢中の時より少ないらしいぞ
何故か演義じゃ数十万規模の大軍になってるけど
いい加減関羽を候補に入れるのはやめろ
外す理由がないからだろ。
関羽は威震中原で十分な説得力だよ。
関羽は添えるだけ。
634 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/17(日) 16:17:31.32 ID:qPOJplp3i
候補にいれて、落とすのが妥当。
文聘の本領発揮は後漢末じゃなく三国時代じゃろ?
孫呉イジメに定評のある張遼と満寵の中継ぎが文聘
コーエー三国志12で
>>628の三国メンバーの統率を調べてみたわ
99:曹操
98:諸葛亮・司馬懿
97:関羽(^q^)
96:孫策
95:張遼・周瑜
94:張飛・孫堅・陸遜
93:ケ艾・馬超(^q^)
92:姜維
91:徐晃・呂蒙・陸抗
90:夏侯淵
89:曹仁・張郃(´・ω・`)
87:郭淮(´・ω・`)
85:魏延(´・ω・`)
84:陳泰・満寵・朱桓(´・ω・`)
83:于禁・王平(´・ω・`)
81:曹真・劉備・丁奉(#^ω^)
80:楽進・文聘(#^ω^)
78:臧覇(#^ω^)
74:王昶(#^ω^)
無:王基(#^ω^)
番外編
96:趙雲←ポポポポポ( ゚д゚)゚д゚)゚д゚)゚д゚)゚д゚)ポカーン…
93:甘寧←なぜ呂蒙より高い
92:夏侯惇←統率の意味が違う・・・
コーエーのゲームは基本的に演義基準だからな
正史よりも演義の方が知名度ある事を考えたらゲーム会社としては妥当な判断だと思う
638 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/18(月) 01:58:03.74 ID:7EpFFny20
光栄は演義準拠なんでごく当たり前だわな
あとは無双なんかでの人気も相互に影響するんで、これに出られないような将は当然割を食う
信長の方も大河や売れたマンガ等があると、そのイメージで能力に大幅ボーナスがつくな
演義だ正史だと騒がれだしたのは4くらいからだしな
まあ演義準拠だとしても趙雲は異常だけどね・・・
とはいえ、中国の方でも京劇等で趙雲は屈指の人気だからなー
てか、正史そのものを過大評価しすぎ。
一部の正史オタが上から目線で演義を見下してるだけで
世間一般では演義の方が絶対的な正当性と支持を受けているから
何事も演義中心なのは当たり前だよ。
京劇もそうだけど、ドラマや映画、ゲームなど演義は
多角的に商売としても一流のコンテンツなので現代人も
重宝して有難がる。
商売が現代における絶対的な価値観である以上
三国志は演義であって当たり前というわけよ。
たかが紙の記録に過ぎない物を「真実」と呼び、なんとか権威を
保とうとしている正史オタのことなんざ気にもしない。
現代においては無価値かつ、無意味なものだからな。
644 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/18(月) 21:10:06.70 ID:E0gCLkHx0
正史三国志になった途端、大概の群雄がレベルダウンする印象を受ける
劉備や諸葛亮なんて成漢の李雄とか前蜀の王建と同レベル……演義だと主役なのに
曹操も作中最強の軍人から、良くて高歓、柴栄、李存勗のレベル(残念ながら天下統一できなかった1.5流の軍人皇帝)まで
引きずり降ろされるからな
そして武勲が微妙な夏候惇と関羽は名将と言うよりも古参の宿老みたいな扱いになってしまう
演義のイメージ補正ってやっぱすごいと思うわ
時代は進むものだから、逆戻りはしないんだけどね。
素朴な疑問なんだけど
>>643はなんでこのスレにいるのん?
演義の話したいなら他に適当なスレがいくらでもあると思うんだが
わざわざ正史の話してる人たちの所へ来て「たかが紙の記録に過ぎない!(ドヤァ」ってやる意義はどこにあるん?
正史三国志自体が蜀の人間によって編修され
こっそり蜀贔屓を交えられている件
>>646 邪推してみると643氏はお気に入りまたはお嫌いな人物に対する
当スレの評価が余程お気に召されないらしいw
>>643はただの正史(魏)アンチもしくは演義(蜀)信者だろ?
正史が無価値とか無意味とか意味がわからんからな
中国史を三国志しか知らないからそんなアホなことが言えるんだろう
>>たかが紙の記録に過ぎない物を「真実」と呼び、なんとか権威を
保とうとしている正史オタのことなんざ気にもしない。
現代においては無価値かつ、無意味なものだからな。
こいつは世の研究者や学生全てに喧嘩売ってるんだろうか
史書、とりわけ二十四史をなんだと思ってんの?
>>644 そりゃそうなって当たり前だわ
演義はあくまで物語をもりあげる要素があるエンタメで、正史というのは記録だからな。
正史の話をしたとき、前後の人物たちと平滑化的な印象をうけるのは、ある意味正しい感覚だろう
ただその中で、その社会で、どのように人は生きたかを語るのが歴史なのだから、ぶっちゃけ
誰が一番強いとか、歴史学からすればアホな厨二病話題でしかない。
もちろんおれ自身は、前者も後者もどちらの話題も大好きなんだがな。
ここ数年史料批判というか史料否定の論調を唱える人がずっとこの板にいるけど同じ人なのかそれともそういう考えの人が世の中には常に一定数いるのか…
史料を否定する人には歴史を語る資格は無いし本人も興味を持つ理由がないと俺は思うんだが何故この板でそういう書き込みを見るんだろう
というか演義と正史どちらかが上でどちらかが下という二元論は一体どこから来てるのだろう
つーか
>>643の書き込みを羅貫中が見たら激怒すると思うぞ
自分の作品の根幹を否定されてるんだから
>>644 ただひとつ付け加えさせてもらおうと、演義において曹操は敵役だが、李存勗・柴栄は主人公側なのだよ。
まして李存勗はともかく、柴栄は後の宋代が中国至上もっとも文化熟成期だったことから、また宋の太祖が
心酔していたことから、1.5流的扱いではあっても(1流は当然太祖なのだから)天下統一できなかったことが
マイナスになっている感じではない。
織田信長のポジなのは有名な話。
これは演義でも正史研究でも、三国志ほど乖離はみられないと個人的には感じている。
高歓は知らん。
吉川英治も横山光輝も明らかに曹操が好きで、日本の「演義」は良くも悪くも割とバランスが取れてしまってるんだよな
例の関羽厨だろ?
羅貫中も全研究者も敵に回す言い方が全く同じだ
正史での関羽の評価が気に食わず、
関帝は神なのが真実!って主張してた
別人だとしても何人いるとしても説得力は増さないけどな
大学で東洋史学専攻してた人とかが多そうな中国英雄板で正史の史料価値を否定するとはいい度胸してんよなこの
>>643はw
俺達は「真実」を論じてるんじゃない
「史実」を論じてるんだ
658 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/19(火) 17:29:47.88 ID:eiiVw1pO0
>>644その時代最強レベルの曹操に勝利した経験がある劉備が
二流の相手にしか勝った事のない李雄と一緒ってのは同意しかねる
王建はよくわからん
後、曹操が天下統一できなかった1.5流の軍人皇帝なのは事実だけど
それでも作中つまりその時代最強なのも事実だろ
曹操は自分で何でもやりすぎなんだよなぁ
戦争自体、自らの学説を実践、検証、発表する場という面がデカくて、効率よく統一しようという意志は希薄な感じ
政治家、軍人としてのものと同等に芸術家、学者としても色々遺そうとして、実際にかなりやったのは凄いけど、
純粋に軍人皇帝としてだけ見ると中国史上最高の候補ではないわな
まあ中国史を学ぶ時に曹操の名前が最も出てくるのは文学史だからね…w
道教や民屯なんかの方面でも出てくるけど
軍事面の功績でも中原平定したことよりは孫子を今に残る形に編纂したことの方が特異点だろう
661 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/19(火) 20:49:12.07 ID:pOyktuh4I
匈奴ファンとしては
曹操による異民族分割統治法は中国史に残る偉業と思う
田豫が死んだ後はその手法を継承する者がいなくなって
やがて我らが劉淵が力を蓄え立ち上がるのだが
>>655 全研究者なんて敵に回しても物の数じゃないからな・・・。
てか、自論に引き篭もるような性質を持つ研究者の意見に大衆が
耳を傾けるかが疑問だ。
大衆を説得できる道理は通ってなかったら、研究者の意見なんて
どこにも届かないぞ?
>>662 大衆の意見ってのは史学に何の関係があるんだ?
中国史なんて三国志くらいしか大衆には知られていないが、他の時代は研究する価値が無いと言っているんだろうか
狭い世界にしがみついているのは演義厨の方だな
>>662 >>自論に引き篭もるような性質を持つ研究者の意見
なんだそりゃw例えばどういう研究結果を指してそれを言っているのか?
今ある歴史定説は、当然多くの支持と有力な蓋然性が認められてのことなのだから
そもそも自論に引きこもったような研究などどういうものが不明なうえ、あったとしてもその性質上
歯牙にもかからんし、そんな不明瞭なものを採るようなマニアックなやつはいないだろさすがに。
ともあれ、その自論に引きこもるような研究というのが、どのような説を挙げているのかを見てみないと
>>665 演義厨ってのは「正史=一部の研究者しか史実として信じてない紙屑」と思い込まないと生きていけないんでしょう?多分
もう宗教の域だよ怖すぎるよ
「演義=大衆が信じてるから史実」ってのが演義厨の言い分らしい
そのうち日本では封神演義やキングダムが史実になるなw
大衆だって歴史として正しいのは正史の方だって知ってるさ
>>667 誤解が生じる一文だけど、「大衆が」と括る必要性があるのかね〜
正史はときの王朝が定めた公式記録というだけで、必ずしも正しくも真実であるとも限らない
だからこそ歴史研究という学問が存在して、人の営みを読み解いていっているわけなんだが
大衆が支持するのは別に「演義」でもいいんだよ
だけど、それを支持したからといって歴史研究が否定あるいは軽視されねばならない理由にはならない。
だが、こと歴史カテゴリーの中にあっては、残念ながら「演義」というのは文学史には有力な素材だが
政治史(軍事はその下位カテゴリ)にはとくに影響を及ぼさないのだ。
>>643は自説の論拠が全て本人の思い込みでしかないことに気づいているのだろうか
とりあえず
>現代においては無価値かつ、無意味なものだからな。
本当にそう思っているのなら是非「過去」から隔絶した生活を送ってみてほしい
文字・言葉・道具・etcetc...そういった「過去」の偉大な人類の遺産を使わずに人間がどう生きていくのか非常に興味がある
>>"たかが紙の記録に過ぎない物を「真実」と呼び、なんとか権威を
保とうとしている正史オタ"のことなんざ気にもしない。
"現代においては無価値かつ、無意味なもの"だからな。
>>"全研究者なんて敵に回しても物の数じゃない"からな・・・。
てか、"自論に引き篭もるような性質を持つ研究者"の意見に"大衆が
耳を傾ける"かが疑問だ。
"大衆を説得できる道理"は通ってなかったら、"研究者の意見なんて
どこにも届かない"ぞ?
↑コピペにしていいレベルのキモさ
偏見で凝り固まってるなんてもんじゃねーぞ
大衆って何だよ大衆って
昔の天動説信者みたいなこと言ってんじゃねーよ思考停止野郎がw
そいつがこのスレに現れた動機は
「関羽が正史で評価が低いのが気に食わない」とかだろうから
どんなに正論並べてもそいつは納得しないし
理解もできないからスレの無駄だよ
別に正史での評価も低くはないな
関羽北上の報で大盤石の魏、許都が多少とはいえ危機感を持つ程度には名前が響いてたわけで、
これは相当なもんだわ
ただ、細かく戦績を見ていくと、アレ?意外と…となるだけ
演義厨がキチガイなのとは別問題として、正史でも関羽張飛はかなり評価高いんだよね
当時を代表する智謀の士である程c、郭嘉、董昭、劉曄の四人がメチャクチャ警戒しているし、共闘した周瑜からの評価も高い
でも中原震撼の件は、関羽の名声の高さよりは、于禁の名声の高さに起因してるんだよ
魏で最強の将軍が大軍を率いて行ったのに降伏したからやべーよやべーよってなったわけで
だから蒋済と司馬懿が曹操を諌めた文句が「于禁は水に溺れたのであって戦闘に負けたのではない(関羽が于禁を上回るほどの名将というわけではない)から、遷都する必要は(そんなにビビる必要は)ありません」だったわけで
ああなるほど
確かに歴戦の将である于禁が負けたと考えれば危機感も持つか
それと呼応するように各地で小規模な叛乱も起こっているしで
関張の評価の高さは劉備の戦績に大いに影響があるからと見られていたんじゃないかな
劉備に対する魏や呉の人物の批評には多くが関張に対しても一緒に言及しているし
まーでも個人的な見解というか感想としてはこのスレではちょっと関羽に関しては辛口な人が多いように思う
確かに戦績を見るとイマイチだけどそれだけ難しい局面を任される率が高い(≒劉備からの信任が篤い)とも言えるし
曹操「うちのトップ(左将軍・仮節鉞)の于禁が関羽に勝てないならもう勝てる手駒いねーじゃん…。ナンバー2(右将軍・仮節)の楽進は去年死んでんだけど。え、これ遷都しないとヤバいんじゃないの!?」
蒋済&司馬懿「于禁は関羽に負けたんじゃなくて水に負けただけなんで、そんな心配するほどのことじゃないっす」
こういうことか
>>675 たしかに別軍を任される時は常に関羽が選ばれていたことは評価されるべきだけど、それって夏侯惇とかも一緒だからね・・・
曹操が徐州に行ってる時は夏侯惇は兗州
曹操が河北に行ってる時は夏侯惇は河南
曹操が益州に行ってる時は夏侯惇は揚州
ちゃんと守り切ってるという意味では関羽以上とも言える
放浪時代の劉備軍の戦績が完全な形で残っていたら評価も変わったかもな。
荊州に落ち着くまでの時代は記録が少なすぎるし。
人を見る目がある劉備があれほど新任してたのだから、そこまでうんことは思えない。
ただまあこれは希望的観測に過ぎないから、関羽擁護は自分はしないけどね。
新任→信任ね。
>>678 放浪時代は劉備軍自体の戦績がそこまでじゃない(と言っても勝ち自体はそれなりにあるけど)から、関張の戦績にも限界があるんでは
所詮は記録に残っていない程度のものということであって、記録が残ってないからというフォローは微妙なような
結果から見れば一州どころか一郡も保てずに劉表のとこに逃げ込んだわけだからね、その中で活躍しろといっても
まあ劉備軍が戦う時は関張が突出した成果を出していたことは間違いないだろうけど
>>680 フォローってほどではないんだよ。
輝かしい戦果があれば当然他の記録にも残ってるだろうしね。
ただ、負け戦でも関張がいたからこそという戦いも少なからずあっただろうし、
関羽の武威や劉備からの信頼の源になるのが理解できるような記録が
あまり残ってないのが残念だなってぐらい。
現状だと一発屋扱いされても強くは言い返せない部分もあるしね。
>>681 放浪時代の劉備軍は基本的に数千という少数であり、司令官は常に劉備自身が務めていたのだから、関羽張飛の武名の高さというのは、将軍というより小部隊長あるいは武人としてのものと推察されるのでは
>>666 ケースによるわな。
知名度=大衆の認知度なら、確かに
>>643の言う通りだろう。
訪中する前なら、俺も「この糞ボケ演義厨が!」って言ってたと思う。
しかし中国では思いの他、三国志は知られておらず、逆に関羽に対する信仰は半端ない。
敬意から「関羽」といってたのに連呼してしまったら、「関公」っていえや。と
ちょっと怖そうながっしりした見ず知らずの人に言われた時は正直ビビッてしまった。
>>643の彼は現実主義者なんじゃない?現実での三国志=真実の三国志と思ってるんじゃないかな。
このスレでは不要な奴かもしれんが。
日本人の99,99%は演義ベースのものから入るし、演義が「正史」ではないと知らない人も多々だわな
厨厨とキチガイじみた騒ぎ方をするようなもんでもない
もう
>>628のように候補含めた全員が結論で良いよ。
このスレは終わってる。
関羽を削ろうとすると必ず荒れるのは前スレからの恒例行事だし。
関羽は添えるだけ。
>>628にも入ってないけど名将と言えそうな人たち
後漢末期:西の鍾繇と張既、北の梁習
三国時代:東の賈逵、西の徐邈、南の胡質
その辺りを入れるなら程cは間違いなく入る
程cは重鎮の将軍だけど兗州関係でしか戦わない人だから、兗州が安全圏に入ってからは軍師や政治家の方面に進んだからなぁ
辺境を抑えてた刺史たちより戦歴自体は少ないのでは?
>>686 いずれにしてもナルシストの群れ。
結局、「俺の基準」に反してれば、誰を入れようが入れまいが荒れるよ。
今までの流れの中でも全く団結力がない。
円満に決まったはずの二十四将だったのに次スレが立ってる…。
なんてグダグダはもう目に見えてる。
それこそ、このスレで関羽を外すにいたっても
以後も中身のない俺の基準の押し付け合いをを延々とやってるだろうよ。
>>692 スレ読み返してみたけど関羽以外は大して荒れてないし、わりとまともな議論してるが
演義がどうとか正史否定とか意味不明なことを言い始める荒らしが論外ってだけ
だいたい団結力って何だよ(笑)
演義信者を追い出す時はみんな団結してたじゃないですか
694 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/21(木) 22:17:19.14 ID:GDI5nDDsi
関羽は別枠にしたら?
大衆推薦枠みたいな。
695 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/21(木) 22:18:14.99 ID:GDI5nDDsi
自尊心の高い髭公にはぴったりと思うが。
>>694-695 それはナイスアイディアw
三国+群雄より選抜計5枠
関羽で1枠埋まったから後の4枠を随意決めると良い
関羽「俺が最強じゃなきゃヤダヤダ!馬超なんてヤダヤダ!」
孔明「馬超は張飛に匹敵するけど、髭殿には到底及びません!(あ〜こいつめんどくせ〜)」
五年経過
孔明「黄忠と関羽を同列はヤバいっすよ(おいもう髭の御機嫌取りすんのめんどくせ〜よ)
劉備「あ〜俺が説明するから大丈夫(でもやっぱダルいし費詩に押し付けるか)」
関羽「俺が最強じゃなきゃヤダヤダ!黄忠なんてヤダヤダ!」
費詩「あ、俺はただ伝えに来ただけなんで、拒否すんならそれでいいっすわ」
関羽「」
ただの構ってちゃん
関羽は死後も面倒くさい男だなぁ
マジレスすると、関羽が入るんだったら同じようなポジションの夏侯惇の方が、大きな欠点も無いし入るべきだよね
最強の武人だったら関羽でもいいんだけどねえ…。
関羽のポジションは夏侯惇よりも荀ケに近いんじゃないかと思う時がある
関羽のポジションは劉邦陣営でいったら彭越だと思ってる
ただ彭越と違うところは自身が軍を率いてゲリラを行うのではなく、関羽の場合は調略によって反乱を扇動しゲリラ活動を行う点だ
呂蒙が最初荊州に進軍した時は、呂蒙が占領した地域で反乱を起こさせ荊州が全部奪われる事態を防いだ
劉備が漢中で夏侯淵と戦ってる時は関羽が曹操領内で反乱を起こさせ曹操が漢中に行くのを遅らせた
関羽が于禁を捕え樊城を囲んだ時も中原の各地で反乱を誘発させた
関羽が名将という評判があるのはこれらの事が原因じゃないかなと思ってる
でも関羽自身が軍を率いて戦う力は微妙だから、名将と呼ばれるのに違和感あるなあ
後漢末最強
曹操
曹操がいなかったら最強争いをしたであろう三者
曹仁、劉備、周瑜
名将の皆さん
張遼・楽進・于禁・張郃・徐晃、張飛、呂蒙
州規模の驍名のある良将たち
夏侯淵・臧覇、関羽・馬超、孫策
だいたいこんなイメージを持ってる
李通や文聘も良将だと思うけど郡レベルだから、個人的には一歩落ちる
個人的には夏侯惇や曹洪も、難しい役割を充分に果たし続けているという意味で良将以上と思うけど、同時代中の評価に乏しいからなぁ
関羽が入ってその辺りが抜けるのがどうしても違和感を持ってしまうなあ
孫策も強い相手には負けが込んでるのに入れてもいいのかなというところも
関羽や孫策は呂布みたいな猛将枠じゃ駄目なのかね?
呂布だって当時袁紹でさえ悩まされていた黒山賊をすばやく討伐したり曹操の迎撃に成功したりしてるのに
呂布、孫策は名将枠でもいいけど、関羽はそっちかなー
考えても調べても、武名はぼちぼち響いてるけど実績微妙…でも武名は響いてる…でも、でループしてしまうw
となると、記録に残ってる以上に個の武勇にインパクトがあったんじゃないかね
関羽は中国史上最強の「兵士」とも呼べる今に至るけども
将才の誉れはほとんどない。
国家も史家も民衆も関羽の突き抜けた超人的武勇は誰もが認めてる。
変な話かもしれんけど、ブルース・リーに軍の司令官が務まるかというと
無理だと思う。
関羽はそんなタイプの人物。最強の武術家の肩書きも似合うし、最高の兵士と言われても納得できる。
でも、最高の司令官 だとそれは違うってなる。
それどころか、中国史上トップ200にすら入らないんじゃないかな。
関羽ことを認めてないわけじゃなく、ところ変わればぶっちぎりのナンバーワンってのは
みんな知ってる。
関羽自体がすごく稀な人物なんだよね。
俺は関羽の名誉のためにも、関羽はこのスレでは外してもいいと思う。
ただ、将軍だったので入ってしまうような位置にいるけども将軍職の仕事は
ほとんどこなせなかったよね。
正史の人物でありながら、性質が梁山泊の豪傑肌の好漢に近い。
次スレからは名将ではなく、名指揮官二十四選とかにすれば
方向性が一定の位置に定まるような気がする。
黄忠や甘寧が大軍を任されちゃった例、として捉えればいいのかねぇ関羽は
性格に多大な問題があったとはいえ「大軍を動かす」能力ならあったみたいだし、ただ武人ってだけの器ではない
まあ「大軍を率いて戦う」能力はイマイチだったみたいだけど
もし関羽が少数精鋭を率いる部隊長に甘んじることができる環境、要するに曹操軍に仕えてたら、曹純や許褚を上回るくらい活躍したと思うんだけどねぇ
顔良斬りから考えて
顔良斬りは本気で異常だからなぁ
まだ演義の一騎打ち設定の方が納得しやすいw
呂布は純粋すぎ
微笑ましい人物ではあるが、将としては評価できない
呂布は「悪人」かといえば微妙に迷うが、身勝手が過ぎるわな
完全に気分だけで生きてる天然かといえばそうでもないし、微笑ましくもないや
敵の敵で居てくれればラッキーだけど、味方にもしたくない
スレチかもしれないが龐統は大村益次郎の
イメージとかぶる。最大の功労者だが
あと一歩のところで消えた。
>>710 和訳だと「大軍」とマイルドな訳され方されてるけど
原文だと「万衆」だからね。
関羽個人の尋常じゃない強さを感じると共に、関羽の戦術下手を同時に
感じさせてくれる記述だね。
もう三国志武人スレもしくは部隊長スレを作って関羽その他を隔離すればいいんじゃないの(テキトー)
当落線上からやや落選寄りの将の話題が多くなるのは普通じゃねーの
>>714 寡勢を持って多勢にあたる際に真っ直ぐに将を討つというのは戦術としてはセオリーの1つだからこの件をもって戦術下手とは言い難いと思う
>>717 関羽の場合は寡兵ってレベルじゃない
ほぼ単騎
怪物と言って良いが、戦術ではなく蛮勇
名将の定義が決まってないからだろうな。
守屋洋氏も私選で中国名将ピックアップ本を書いてるけど
そこに紹介されてる関羽だけは
個人的武勇の飛びぬけた物凄さと強大な神になったことをもって
「名将」と捉えて、戦術、戦略面での失敗談をもって締めくくってる。
一流の守屋氏ですら、名将の定義は曖昧なんだから俺達みたいな三流の半端者が
その定義に迷うことも仕方ないことか。
研究者といえど一般書籍で出版するには多少は大衆に媚びねばならないから
神になっただとか本来名将の定義と関係ないはずのことを
盛り込んだ内容になるのだろう
が、2chでは大衆に媚びる必要はないから
人気や知名度のある人物をはずしても問題はない
なんかものゴッツいほどに上から目線だな。大衆って・・・。
ようは皆が見向きしてくれないような本は売れないってことだろ。
そんなもんに拘ってるってのはただのワガママだろ。だったらそんな癖は直して当然だ。
てか、自分の本音を媚呼ばわりされたら研究者もやってられんだろうな。
>>720 ねらーはコミュ障。みたいな言い方はやめてもらえますかね^^
言いたかったのは、本を売ろうと思ったら三国志オタ以外も対象にしなければならないが
このスレ住民には程度の差こそあれど三国志オタしかいないだろってこと
大衆と書いたのは非オタを含む全ての人を差すからで、
一般人と書くと文脈上「非研究者」「非出版業界人」と読まれそうだったためで
他意はない
名将の定義と言ったら、一軍以上の現地司令官として、平定戦・攻城戦・防城戦・迎撃戦などを、複数回成功させた者、と捉えているけど
だいだい皆が似たようなことを思っているのでは?
このスレで名将として挙げられている人物は、関羽(と馬超)以外は明確にそれに当てはまっている
特に中原を悉く平定した曹操軍(特に五将)は、そういった分かりやすい功績には当然事欠かない
ところがこれに名声や評判といった要素も絡めると関羽は分からなくなってくる
顔良斬りに代表される匹夫の勇としか思えない人物でありながら、当時から名将として警戒されている不思議な存在
その匹夫の勇があまりにも飛び抜けていたからなのか、劉備軍のパーツとして欠かせない存在だったのか、劉備が別軍を任せ続けた唯一の存在だからなのか、etc…
素人が関羽の正体探しに必死になっても結論は出なさそうというのは同意
>>723 つまり三国志の研究者は関羽のことを正史、演義、民間伝承と多角的な視野からの
考察論は一切行わないと?
それはないな。視野狭窄の論文は見るに耐えない稚拙さがあるし、なにより現実逃避に満ちている。
自分が見たくないものは紛い物、偽物なんて言い分は通らないよ。
三流の史学生のヘボ論文でよく見かけるパターンではあるけどね。
真理は歪む事もあれば、正史の杓子定規で推し量れない変幻をを遂げることもある。
研究者はそういう現実をきっちり受け入れて論を纏め上げる。だから説得力がある。
三国志の研究者も知識を追求すればするほど絶対の真実の置き所など考えなくなるもの。
関羽という人物が深い歴史を持っていればあらゆる要素を考察対象にしたくなるだろうな。
お前さんは一流の研究者の探究心とそこから練りだされる広域的な考察論を
なめすぎちゃいないかね?
>>725 自分は
>>719の意見に足りない部分があると思ってそれを指摘しただけ
>>719は
守屋洋氏の中国名将ピックアップ本=一流 と 俺達=三流の半端者
とを対比させているようだが、
商業的な出版物 と 非商業 という視点が足りない
実際に守屋氏がどうかは知らないが、著者が一流であっても商用であれば
顧客のニーズや出版社の意向に合わせて内容を変更するというのは一般論としてよくある話
自分は
>>719に対して、「俺達は一流でないかもしれないが
代わりに非商用という強みがあるだろ」と言いたいわけだ
研究者が非商用で中国名将ピックアップをしたなら
その人選がどうであれ自分は
>>720は書いていない
もっとも、研究者が論文で名将○選を書くとは思えないけどな
>>725 >>つまり三国志の研究者は関羽のことを正史、演義、民間伝承と多角的な視野からの
考察論は一切行わないと?
三国志単体の研究所なり概説書でも、関羽の神格化などの「紹介」はあっても、それを人物像の判断に
組み込んでいるものなど読んだことがない。
あれば教えて欲しいもんだ。
人物像と後世の人が持ち上げたりすることはそもそも別なんだよ。
そういうことを言うこと自体、自分が「三国志」というものを、歴史と見ずに演義などに代表される大衆娯楽と
混同し後者の比率が大きくなっていることの証左じゃないのかね?
名将の定義なんて人それぞれだし、
名将を二十四人選ぶより決められないものだと思うけどなあ。
>>727 >>725が言ってるように真理は歪むってことなんじゃないの?
中国人ってそういう適当なところ多いじゃない。
無論、俺は褒め言葉として言わせてもらってるけどね。
正史だけが実像じゃなくて、実像そのものが進化するってことかもね。
正史も否定しないし、演義も民間伝承も否定しない。
後付であってもそれが実像の一部だと伝える。
この感覚を邪道と捉えるか、中国の史観と捉えるかによるね。
>>729 人物像の研究に正史だけってわけではないんだけどね。
たいていは碑文なり歴史物証も比較検討の対象にはなるが、演義や民間伝承といった類にある描写は
そのときの民間や社会を読み解く素材ではあっても、人物像の方向性にはそれほど影響しないのだ。
もちろん、数ある逸話などが生まれる経緯というものに、その人物のひととなりや生き方などが
かかわってはいるから、完全に排するなどありえないとは思うが、そういう場合は「こういう話が生まれた」などという
考察には行き着くだろう。
そこで関羽というものが、後世どのような人物として敬われていたかは、そのときの政治情勢なども考慮しなければ
いけない。
そもそも三国志における蜀漢正統論自体が中原を追われた漢族の政治宣伝という見方が強い以上、作られたもの
といえる。それは三国(後漢末期)時代その当時での人物像そのものではありえない。
>>真理は歪むってことなんじゃないの?
>>中国人ってそういう適当なところ多いじゃない。
>>無論、俺は褒め言葉として言わせてもらってるけどね。
それは歴史学の姿勢ではないな。
それこそ「大衆」のもつイメージの変遷というものだ。
あと「中国人だから」というところには、塵ほども説得力を感じない。
それを褒め言葉としてとれることをもう少し説明してくれるとありがたい。
関羽は、わが敬愛する曹操があれほど欲しがった人材だということで一目置く存在ではあるが
あそこまでして欲しがる人材かと感ずるのもたしか
関公崇拝は山西商人たちが始めたんだっけ?
732 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/24(日) 21:49:00.84 ID:5wxXmMQH0
>>731関羽は曹操の元に残っていた方が幸せになれただろうな
劉備陣営みたいに人材不足で荊州任されるなんて関羽に合わない事させられないだろうし、普通に一角の武将として活躍できたと思う
関羽は曹操陣営にいた方が、身の丈にあった役割を振られて、武功を重ねる事は出来ただろうねぇ
けどそれで幸せになれたかは別だし、そんなことになったら存在感も薄くなってしまっただろうけど
人材不足の劉備陣営で数多の戦局を集中砲火的に担わされ、孤軍奮闘したからこそ、関羽は時代を超える武名を得るほど当時の人々に印象を与えたと言えるのでは
徐庶のような例もあるし必ずしも活躍できるとは言い切れないからね
>>734徐庶は劉備の元に残ってたら演義のような軍師としてではなく、政治家として諸葛亮をサポートする人材になれたと予想
徐庶がいたら諸葛亮の負担を軽減できただろうなあ
人材難でフル回転という意味だと張飛の方が関羽よりキツかっただろうに、あまり配慮してもらえないよなーw
このスレだと普通に蜀では劉備に次ぐ評価だけども
諸葛亮や姜維の負担が滅茶苦茶なのも、結局荊州が…という話になるか
>>736結局関羽のせいという結論になってしまうw
>>736 張飛は軍をフル回転させる為に必死だっただろうね
その為の手段が発展して部下を死ぬほど鞭でしばき倒すという蛮行に繋がったのはアレだけど
このスレで関羽の評価が微妙だから関張について考えてみた
まず張飛
軍規に厳しく部下には嫌われるが、忠実に命令を実行するから上司には重用される
優れた軍隊には、こういった人物が必要なんだと思う
曹操軍の于禁もこういったタイプだったからこそ、降伏した途端に信用が失墜して憤死に追い込まれた
張飛と于禁は同じタイプだけども、張飛が部下に殺されたのに対して于禁は殺されるまではいかなかった
それは兵卒の質の差という以上に、人材の量の差だろう
張飛には同格の名将が関羽しかいなかったから全盛期の日本人以上に過剰労働だったろうが、于禁には同格の名将が四人もいた
劉備には親族武将もいなかったが、曹操の親族武将らは優秀揃いであり絶妙な役割分担ができていた
外様ではトップだった于禁だが、その上には夏侯惇という、誰からも慕われる人格者がいたのでバランスが取れていた
同じく張飛の厳しい引き締めも、兵卒には慕われる関羽が共に在った頃には問題にならなかった
関羽が本軍から離れた上に死んだせいで、劉備軍内のバランスが崩壊したと言える
引き締め役の張飛がいなかった関羽の荊州軍も、糜芳・士仁ら諸将の職務怠慢という形になって露骨に現れている
劉備軍にあって関張というのは正に両輪に等しかったんだろう
程c・郭嘉らが劉備を警戒する時に必ず関張の名前を同時に出し、周瑜が共闘後にあれほど関張を部下に欲しがったのも、この二人が上手く噛み合って機能している軍隊というのがそれほど理想的だったという証拠
関羽が将軍としては楽進らに及ばなかったというのは、評価基準を魏の優等生な名将達と同列に持ってこようとするから起こる判断
関張の価値というのは、そういった優劣とは離れた部分にもあると思うんだよな
そのシステムが関張の素質から出たのではなく、劉備が意図的に組んだのだとすれば、劉備の司令官としての能力は尋常ではない
余談だが、逆に言えばもし趙雲が本当に名将だったら、あんなふうに劉備軍が立て続けに瓦解することにはならなかっただろう
そういう意味で、趙雲なんぞを名将扱いする世間の風潮は、関張への理解を妨げていると感じる
正史だと張飛は短気で厳格、関羽は短気で粗暴というイメージなんだけど、演義ではだいぶ違うんだよな
趙雲は名将より名部隊長ってイメージ。
趙雲は良くも悪くも便利屋
護衛もできるし軍隊も率いれるし主君に諫言もできる
だけどそれ専門のプロと比べたら負けてしまう器用貧乏な人というイメージ
中国海軍の新型軍艦「長沙」の写真を見たけど、長沙と聞いて孫堅や黄忠を思い出した。
052D型というこの新型には「成都」「合肥」など三国志にもゆかりのある地名を付けられた艦がある。
関羽と呂布は少数精鋭の部隊長でこそ力を発揮するタイプじゃないかね
>>739 いい考察だと思う
陳寿も2人を「国士無双」と評価してるし、終わりが終わりだけに2人個人も残念だし蜀という国家も残念だったんだね。
関羽=今年のバレンティン
蜀=今年のヤクルト
みたいなもんか。
劉備、張飛、諸葛亮と比べるとどうしても落ちる活躍だから、その例えはないかな
関羽は細かいツッコミどころも多いけれども、それ以前に
荊 州 失 陥
という超弩級のマイナスがあることが、このスレで名将に選ばれない理由では
蜀というか、劉備陣営のピークが一転…だもんな
関羽自身の死亡も含めて一気にガクンと
引き金を自分で引いてしまった関羽もお粗末ではあったけど、
魏呉が総力を挙げて関羽一人を潰しに来てるって状況を考えると
どうしようもない状況とも言えると思う。
あれで曹操の中国史上での評価がかなり下がったのは確かだしな
自分の代での統一をほぼ諦める選択で、そして結果としてもやはり無理だったわけで
まぁ、それほど中国統一に情熱を燃やしてた感覚はないけど
異次元に多芸多能で気が多いからなぁ
>>750 呉が関羽を潰しに来たのは関羽自身に大きく原因があるので、どうしようもないという表現は不適切
張飛は関羽と離れていても入蜀や漢中戦でわかりやすい手柄をたててるから評価が上にされるんだろうなあ
754 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/26(火) 13:44:42.45 ID:Dt6eZHeO0
>>751曹操が中華統一を諦めたのは漢中を取った時に蜀を攻めろという進言を退けた時だな
もうその時には完全に守りに入ってしまってる
755 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/26(火) 14:18:08.91 ID:7b1qFgF3I
>>754 曹操が全土統一を諦めたのは、211年に益州平定しようと思ったら、おれに過剰反応した馬超ら関中軍閥の反乱のせいでそれが数年ズレ込み、その隙に劉備が入蜀しちゃった時でしょ
その証拠に、212年には荀ケを自殺させて董昭の進言を容れ、213年に魏公国を成立させている
漢中平定後に劉曄と司馬懿が進言した入蜀を曹操が退けたのは、215年のことなので、最初から入蜀なんてする気は無かったかと
なにしろ216年には魏王国成立だし、そんなことしてる場合じゃない
「おれ」ってなんだよ…「それ」な
>>752 けどそれも口実を作るための策略だったりで、呉側は手ぐすね引いていたわけでしょ。
それにハマったことはお粗末だと思うし、べつに関羽を擁護したいわけではないけど、
あの局面は関羽以外の人間でも打開は出来なかったんじゃないかと思うだけだよ。
ミスが殆どなく失敗したならともかくミスを犯して失敗してるからなあ
評価が下がることがあっても上がることは残念ながらないんじゃないかな
このスレでの上げ下げのことか?
正史でも抜群に評価されてる関羽のことを不用意に「評価が下がることがあっても」と
急に言われても違和感があるな。
中国の広いので州が変われば地勢が変わりそれに対応する必要が出てくる
楽毅より王翦の方が名将と言う人もいるように、多くの地域で武功を成せた者こそ真の名将であると強弁することもできる
中原や河北では無敵だった曹操が、江南や巴蜀では微妙だったのも分かりやすい例
まあ視点の一つというわけで、反董卓以後で武功の記録された範囲を調べてみた
楽進:兗州・豫州・徐州・司隷・青州・冀州・并州・幽州・荊州・揚州
徐晃:兗州・豫州・徐州・司隷・青州・冀州・幽州・荊州・雍涼
曹操:兗州・豫州・徐州・司隷・冀州・并州・幽州・雍涼
曹仁:兗州・豫州・徐州・司隷・冀州・并州・荊州・雍涼
張遼:豫州・徐州・青州・冀州・幽州・荊州・揚州
張郃:青州・冀州・幽州・揚州・司隷・雍涼
夏侯淵:徐州・青州・并州・揚州・司隷・雍涼
于禁:兗州・豫州・徐州・司隷
臧覇:徐州・青州・揚州
劉備:青州・徐州・豫州・荊州・益州
関羽:兗州・荊州
張飛:荊州・益州
馬超:司隷・雍涼
孫策:揚州・荊州
周瑜:揚州・荊州
呂蒙:揚州・荊州
761 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/26(火) 23:02:44.71 ID:4HYFkhnO0
>>760 武功の記録された、という視点は良いと思うけど
都督(群雄)レベル
一将軍(泡沫群雄)レベル
部隊長レベル
それぞれで評価が変動しないか?
>>761 その通りなんだけど、そこまで把握するのが面倒だったんだ…ごめんね
ぶっちゃけ三国志はあんまり詳しくないです
763 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/27(水) 00:51:11.64 ID:X2buiZ/mI
後漢末で都督に類する将軍
曹操軍
兗州:夏侯惇→程c
青徐:臧覇
司隷:夏侯惇
荊州:于禁→曹仁→楽進→曹仁
揚州:張遼→楽進→夏侯惇
益州:夏侯淵
劉備軍
荊州:関羽
孫権軍
荊州:周瑜→魯粛→呂蒙
交州:歩騭
これくらいか。夏侯惇が完全に曹操の分身扱いなのが凄い。
将の将に近い感じで機能し続けてたけど、粛清云々みたいな話が全くないのも凄いな
中国の「軍人皇帝」は疑心暗鬼率が高いのに
曹操は死に際まで別格の信頼を示し続けてたし、夏侯惇も驕らず地味に支え続けた
大きな組織を機能させるには、夏侯惇みたいな存在が必要不可欠。
劉備軍にはいなかったんだよなぁ、これが。急速に膨張したからかな。
孫権軍は諸葛瑾や呂蒙のようなバランサーに恵まれたね。
徒手空拳スタートの劉備と違って、孫権も曹操も名門の出だしね
生まれ持った人脈、成長過程で得られる人脈ともに絶望的に差がある
質的な面は勿論、こんな時代に心底信頼できる相手という点でもデカいよなぁ
767 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/27(水) 19:43:29.57 ID:4Kr1QGX10
>>766曹操も孫権も名門の出じゃないと思う
曹操は宦官の孫だし、孫権は孫子の子孫といわれてるけど信憑性の薄い胡散臭い血筋
でも、曹操は祖父の遺産と親族、孫権は父、兄の遺産と親族に恵まれた
劉備は叔父のおかげで盧植の元で勉強できたぐらいか
曹操は宦官の孫だとは言うけれど曹家は曹参、夏侯家は夏侯嬰の末裔というハイブリッドなんだけどな
たかだか四代連続で三公に就いただけのどこぞの家とは名門としての格が違う
あと劉備はなんかやたら貧乏たらしいイメージが強いみたいだけどあの時代に中央の有力な将軍である盧植の門下で学んでいるのは普通に名士層の人間だぞ
結果的にはあまり役には立たなかったけど公孫サンをはじめとした各地の名士の子弟とのパイプは劉備にもちゃんとあったことは想像に難くない
袁紹なんかと比べれば全然か
しかし、曹操の縁者は優秀な上に揃って義理堅いな
>>767 おいおい、曹操が名門じゃないって…。どう判断したらそうなるのだ。
宦官や銅臭のせいで曹操の家は名声が低かっただけであって、沛国曹氏そのものは押しも押されもせぬ名門で権門。
それに曹操の祖父は宦官と言っても特進で費亭侯。侯を継いだ父親は金で三公になる前から司隷校尉や九卿を歴任したスーパーエリート。
これで「名門じゃない」とか他の名門を馬鹿にしてるとしか思えん。
曹仁や曹洪の方でも太守に侍中に尚書令までいるからな。先祖の名前に縋る必要も無いくらい、政界の中枢に食い込んでいた一族だよ。
孫権が孫子の子孫は99%ウソ。正史での書き方も「かもね」くらい。
春秋時代まで遡るなんて、孔子の一族でもない限り有り得んから。
まあ管仲の末裔とか魏にいたけど、あれもかなり疑わしいし。
>父の養子先(曹家)にしても実家(夏侯家)にしても
>前漢草創期からのバリバリの名門な曹操
加えて曹家と夏侯家は曹操の祖父が生まれる前から姻戚関係にあったらしい。
劉備は父親が役職に就く前に若死した上に
地方役人だった祖父も劉備幼少期までには死去したのが家計的に痛かっただけで、
立派に名士層の人間であるのみならず
中山靖王の子孫でこそないが光武帝の兄の子孫という説もあるらしい。
孫氏はねえ…半分ヤクザ半分町内自治会長のお家だから
明らかに曹操・劉備と比べる事自体不憫過ぎるわw
魏の初代中央軍司令官は夏侯惇・于禁・楽進。
魏の初代太祖霊廟合祀は夏侯惇・曹仁・程c。
曹操軍ではこの五人が重鎮として別格の存在感がある。
夏侯淵は昇進の遅さや戸数の低さから考えてもけっこう下っ端。
>>767 単純な高貴な家柄かどうかという話では無くスタートラインの位置の話だろう。
曹操は言わずとしれた権力者の家系だし(祖父は宦官の頂点に君臨し父は三公の一人、今で言えば総理大臣の息子とかそのレベルだよ)
そのコネなのか財力なのかで自然と中央の公務員になれた。
加えて挙兵した時にも親族らが援助してくれたでしょ。
孫権は言わずもがな。名士や豪族に嫌われてたとは言え最初から江東の地に勢力を持ってた。
一方劉備は義勇軍からのスタート。完全に己の実力のみでのし上がった。
親戚に教育費払ってもらってたとは言えそれも親戚だから払ってくれてたんじゃなくて劉備が才覚見せたからでしょ。
また「劉備の家が貧しかったのは父が早逝してたからで親戚に役人もいるし名家」とか言ってる人もいるけどこれもおかしい。
現代で考えても親戚に地方の公務員がいようが親父が公務員だろうがシングルマザーで貧しい暮らししてる時点でそれは庶民でしょ。
それとも明日の食い物さえ見つからない家庭で親類もみんな貧乏で・・・ってなるとそれはもうホームレスじゃん。そんな人間探す方が難しいよ。
義勇軍の中でリーダーになれたのも劉備自身の実力だろうしトウケンに後見を託されたのも曹操に英雄と言われたのも劉備自身に何かあったからでしょ。
どっちにしろ劉備のスタートラインが両者に比べて遥かに後ろにいたのは間違い無いよ。それが劉備>>>>孫権=曹操になるのかっていうと絶対違うけどさ。
貧しい暮らしってあんた、先主伝の時系列を読み解いたら
15歳の時点、学業に就いた時点で既に「貧困」とは無縁の貴族生活であったことがわかる。
「ムシロ売り」をしていたのはそれ以前の話だよ。
読書を好まず、犬に馬に音楽に派手な衣装に熱を上げ、人と交誼を持つことを好んだって、
このくだりだけで相当な生活をしていたことがわかる。
当時、馬一頭が5000銭くらい。まあ高級品だよな。
小金持ちで不良で気前が良いとなればDQNのリーダー化するのも納得。
なんかスレタイから遠ざかってるんで、今迄ずっとスルーされてきた三国時代について少し私見を。
とりあえず、特定戦域に縛られず各地を転戦して活躍したのは、司馬懿とケ艾だけ。この二人は武功の数が桁違いなので外せないかと。
司馬懿の対蜀戦は、たしかに微妙だったが・・・。国として成立していた遼東を平定したのはデカいし。
魏の対蜀最強が曹真、蜀最強が諸葛亮。
魏の対呉最強が満寵、呉最強が陸遜。
この六人は鉄板として。
個人的に、他はせいぜい魏延くらいしか目ぼしい名将がいない。
王平は守戦メインな上に小粒。
姜維は攻め込んでいるが、郭淮にも陳泰にもケ艾にも勝てず。
その郭淮は諸葛亮や魏延に勝てず。
陳泰は実積がちょっと少ない。
魏と呉の戦いは陸遜と満寵の死後はショボい。
というかどちらも内乱の舞台になっててそれどころじゃない。
だから後漢末12三国時代12ではなく、後漢末16三国時代8くらいでも良いんじゃないかと思ってたりする。
後漢末で微妙なラインにいる面々だって、三国時代で微妙なラインにいる面々よりは活躍している気が。
それに皇甫嵩や孫堅のような群雄割拠以前の古い将軍や、袁紹をはじめとする群雄の面々。
彼らにも名将の枠があって良いと思う。
私選だけで鉄板メンバーとか勝手に決められてもねぇ・・・。
>>777 いや私選を突き合わせていくとこでしょ?このスレって。
少なくとも、ただ人のレスにケチつけるだけの荒らしよりはマシだと思うが。
三国鼎立期でその6人というのは文句が出る所でもないと思う
俺は余裕で入ると思うけど、このスレ的には満寵がやや微妙なくらいか
なんか前にもこんな流れあったような
>>777みたいにケチつけるだけで何の意見も出さないのが増えてきて人が去る
数ヶ月後にまた何らかのキッカケで議論再開
どこにでもいるわな。
無視の方向でいいでしょ。気ぃ悪いけど
>>776 軻比能を相手に一歩も引かないどころか度々攻め込んで撃破した田豫と牽招は?
その六人に異論は無いが、この二人の名前が出てこないのが不思議
北方を横行する烏丸や鮮卑を相手にするってのは、有象無象の国内蛮族なんぞを相手にしてた蜀の馬忠や呉の賀斉とは次元が違う
特に田豫はそれ以外にも功績が多いし、確定で良いんじゃないのかね
頑張る人が何度も何度も挙げてるけど、毎回ほぼスルーされてるな
田豫にしろ牽招にしろ、将として常勝鉄壁な上、政治家、軍略家としても相当なのは間違いないけど、
時代の表舞台にほとんど出て来てないからなー
田豫は呉や遼東との戦いにも功績があったりするので、それこそ
>>776の言う司馬懿とケ艾に次ぐ「転戦する名将」と言えなくもないのにな
マジメな話、ずっと騎馬民族を相手に北方を守ってたのに、南方の水戦にも即対応できるってのは尋常な才能ではない
田豫がずっと蜀に居れば…
田豫は完璧すぎて、逆にやったことが「簡単なお仕事」に見えてしまうレベルだよなぁ
戦っても必勝だけどそこに溺れず、それ以前に手を尽くして自分の兵を死なせない方に頑張り、
実際にかなり実現してしまっている
曹操
曹仁 曹真
張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃
満寵 田豫
ケ艾
劉備
諸葛亮
張飛
周瑜 呂蒙
陸遜
司馬懿
とりあえずこの18人は確定って流れなの?
それにしても「満田牽郭伝」の防御性能はヤバい
この巻で田豫と牽招が郭淮より上位に列伝されてることは軽く流していいことではないと思う
流石に満寵は越えられなかったようだけど
陸坑ははいらんのか?
陸抗って活躍した時代が他の面々より少しズレてる上に、ほぼ西陵戦だけの一発屋だし、しかも劣勢のはずの羅憲に勝てなかった黒歴史まであるからな
時代ズレてる組だったら陸抗よりも、その先祖の孫堅の方が、各地で数々の武功があるし入るべきかと
個人的には呉でもう一人くらい入れるんなら、東興戦だけでなく丹陽でも大功のある諸葛恪で良くね?と思うのだが
まあ合肥戦からが酷すぎたから誰も入れないんだろうけど
ここ2,3日のiPhone WiFiの人の戦域偏重の「流れ」だけで「確定」とかやりだすと、近いうちに荒れると思う
>>1・対象となる人物については、特定の時期、地域に偏らないように配慮する。
梁習とか入れよう(提案)
「名将」の定義はともかくとして「三国志」の範囲だけでもある程度決めないとこれ以上の進展は見込めないだろうなぁ
無難に黄巾から呉滅亡でいいんじゃね?
範囲広いけど
ここの名将候補は三国に属していた将軍のみが対象で良いのかな?
黄巾から呉滅亡までなら後漢や群雄割拠時代の将も候補に入るだろう。
まあランクインできるのは多くても2〜3人だろうけども。
せいぜい数郡から一州レベルの勢力だった群雄達はともかく、四州という桁違いの領地に割拠した袁紹からは、名将が出てこないとおかしいんだよなぁ
まあ三国以外の群雄達って結局は曹操軍とかに全滅させられた敗者に過ぎないから、高く評価しすぎるのもアレだけど
そこで麹義を選ぶのか袁紹自身を選ぶのかって問題もあるし
皇甫嵩なんかも時代が違うとか董卓に屈服したとかいう以前に、所詮は賊を相手にしていただけってツッコミができなくもない
あらゆる意味で、群雄割拠の時代にはついていけなかった可能性はある
孫堅はそもそも、戦死する大将を名将と言えるのかって話が
このスレでは妙に評価高いけど部下のことを殺される程憎まれるような扱いをしてしかも実際に殺されてしまうような人物を名将と言うのは個人的には抵抗がある
張飛は粗暴で非情でもあったんだろうけど、それよりも無頓着なんだよな
軍規を司ってたようで、その規定通りに扱う限りは「恨まれてる」とも思ってなかったんじゃね
普通に恨まれてる可能性を自覚してれば身辺に置かないだろうし
それぞれの死に様に関しての好みもぼちぼち話題になるね
なかなか面白い
好みでの一点だけを切り出して「名将たる資格が無い」とかまで言い出すと荒れるけどw
>>797 逆に言えば張飛(と関羽と馬超も)は人格に多大な問題があるにも関わらず劉備軍の頂点に立てるほど実力があったとも言える
まあ劉備軍って最悪の職場だなとは思うが
何事もそうだが、どんなジャンルでも一流の実力者は
上の人間に自分の能力を認めさせている。
認められるまで待っている。というのは二流、三流の考え方。
上を目指すような者なら、他人との衝突を恐れていてはダメだな。
俺が俺が、の精神は自分自身を強くする。
そして粛清される
麹義ですねわかります
孫権が関羽ってか荊州に方針転換したのは合肥の敗戦がトラウマになったからだろうか
そして荊州とって自信つけたがまた満寵に破れると
804 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/11(水) 03:25:21.88 ID:C4dfYD8T0
最初っから既定路線だったんじゃない?
魯粛の戦略が荊州を奪うつもりだったのか、そうでないのかは意見が分かれると思うが
揚・交・荊・益の四州を抑え、しかる後に涼州の馬超と結び襄陽を拠点に北上する
というのが周瑜の提案した孫呉の基本戦略で孫権もこれを了承しているので既定路線と考えて問題ないかと
結果的には周瑜が早死にしたり劉備が想像以上に悪辣だったり孫権が出負けだったりで頓挫したけど
荊州が超要地なのは蜀、呉共通だしなー
感情的にも呉にはしてやられた感が渦巻いてただろうし、機会があればいつでも行っただろう
呂布入らないのは恣意性ありすぎる
呂布に関しては史上の武将最強スレで熟議されてるのでそちらを見たほうがいいかも
まぁここのログを「呂布」で検索するだけでも何故入らないかは十二分に分かると思うが
後は
>>618な
曹操 曹仁
張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃
劉備 諸葛亮 張飛
周瑜 呂蒙 陸遜 朱カン
司馬懿 ケ艾 郭淮 杜預 王基 文鴦
皇甫嵩 徐栄 孫堅 孫策
これでどう?
三国志末期とかかなり曖昧だから批判も多いと思うけど
人によって三国志の時代区分は違うから皇甫嵩や孫堅は外れるかも知れん
文鴦も、三国時代には呂布や張遼のような一騎当千エピソードと、異民族との小競り合いしか戦功無いけど晋統一後に、そこそこの活躍している。
個人的にはマンチョウやデンヨ当たりは名将というより優秀な参軍、つまり名軍師って感じがする。
最終的に兵を率いて活躍したけどそれがなきゃそれこそ荀攸や法正のような人物として残ってたはず。
大将となってからも何となく軍師的なな活躍や判断が多いような気がするんだよねぇ。
ここらへんは完全な私見だから王基(こいつは意外性を持たせるために入れた、正直どうでも良い)を外してマンチョウとか入れても良いかもね。
満寵が軍師ってのは謎すぎる見解なんだが…なにもってそんな判断をしたんだよ
曹操の時代からずっと兵を率いて戦ってるんで「最終的に」ってのもおかしいな
どの辺が荀攸や法正なんだろうか
演義かゲームかなんかのイメージで偏見を持ってるんじゃないか?
一応このスレでは正史準拠で語ってくれないと困るわけで
というかマジレスするのがアホらしくなってきたな…
だいたい満寵ですら参軍タイプというなら、司馬懿や郭淮や王基や杜預や諸葛亮や陸遜の方がよっぽどそうだろ
どんだけテキトーな基準なんだよ
ファイッ
曹真を外してまで孫策、孫権、皇甫嵩あたりを入れるのも違和感キツイな
軍師云々は意味不明
相手がしょぼいと評価が低くなるってのもどうなんだろな
そのしょぼい相手と丁々発止の激戦を繰り広げたってんなら同レベルだろうけど
例えば皇甫嵩なんかはその後の涼州の反乱鎮圧なんかも含め戦えば必ず勝つくらいの勢いだったわけだし相手がただの賊だからそれを平定した皇甫嵩も大したこと無いっていうのはちょっと暴論のような気がする
朱儁の麾下とはいえ孫堅の所属する部隊を苦戦させた波才も一蹴してるし
まぁ比べようがないと言われてしまえばそれまでだけど俺としては皇甫嵩はここで名前の挙がる将達にそう劣ることはないと思ってる
誰にどういう状況で勝ったか、というのが評価基準だからなぁ…
勝つべくして勝つをきっちり通せた以上、間違いなく有能ではあるけども、24人に入れる決め手は全くないや
皇甫嵩は三国の名将にも全く劣らない名将だと思う。
ただ、賊鎮圧しかやってない後漢の将軍で、群雄割拠の時代についていけなかったことも確かで。
その辺を考慮してそれでも二十四人に入れるほど、三国の名将よりズバ抜けているかというとそんなことは無いような。
あまり変わらないのなら、素直に三国から選んだ方が良い気がする。
個人的には、黄巾の分隊に苦戦してた皇甫嵩より、本隊を後一歩まで追い込んでた慮植の方が名将なんじゃないかと思ったり。
戦乱初期は、賊と言っても流民などが元の烏合の衆が多く、
割拠し始めた群雄も兵を集め出してそれほど間がないため、
練度の高い軍隊同士のぶつかり合いは少ない。
みたいに考えがちな人も多いっぽいね。
それに+して、鼎立以降は高度に組織化された軍に整備された兵站、
国力と縦深のある領土ってあたりも考慮せんとならん余地かなあ
勢いで十県やら一郡やらを切り取れるって時代でもないから
特定の時代に偏らないようにってことで、各年代から三国限定で3人ずつ選んで24人を決めようとしてみたけど・・・
なんか調べてるうちに、三国志の先細りっぷりに泣けてきた
三国志の名将は前半に偏りまくってるから、この方式はダメだな
190年代
曹操・孫策
あと一人は曹仁か于禁だろうけど、どっちが上か判断がつかない
200年代
曹操・張遼・楽進・周瑜
曹操は上で出たので、残りの三人で
210年代
劉備・呂蒙
あと一人は・・・曹仁と張遼は上で出たし張郃は下で出るし・・・夏侯淵か徐晃か張飛か
220年代
曹真・張郃・陸遜
田豫や朱桓も悪くないけど、ここはこの三人以外に考えられないので
230年代
満寵・諸葛亮・陸遜
陸遜は上で出たので除外して、あと一人は司馬懿か魏延
240年代
郭淮・王平
ここから急激に小物の時代に突入・・・あと一人は・・・か、毌丘倹・・・?
250年代
陳泰・ケ艾
あと一人は王昶か王基か、姜維か諸葛恪か丁奉・・・いずれにせよ微妙な面子
260年代
ケ艾
ケ艾は上で出た・・・となると鍾会か羅憲か丁奉か・・・名将と言うにはどう考えても足りてないけど
>>816 ある程度絞られた時期や鼎立期と比べると、レベルが違うのは間違いないと思ってるけど
常に闇の中である中国史の中でも屈指の暗黒期だからなー
>>818 カン丘倹さんは王平より上、郭淮に引けをとらん(確信)
822 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/14(土) 14:43:05.71 ID:QD8s5xDTI
毌丘倹は高句麗遠征の超ド派手な戦果を考えると、普通に名将入りして良いと思う
三国時代後半では貴重な「敵地に攻め込んで勝利した将軍」だし
自領の要害を盾に曹爽を追い返した王平より上かも
名将か否かなら問題なく名将だけど、24人に割って入れるべきかどうかとなるとなぁ
胡遵・王昶・諸葛誕・毌丘倹・陳泰
この五人が、250年代頃の魏における優れた都督として並び称されているんだよね
その中の二人が反乱したけど
というか魏はいつまでたっても有能な人材がいなくならないから、年代ごとに均等に選ぶと三国志終盤は魏ばっかりになってしまうのがなんかなぁ
それが国力差ってものだし仕方ない
「特定の時期、地域に偏らないように配慮する」と言っても、ちょっとどうなんだろう
とりあえずもうちょっと大きく、20年25年刻みで出してみるかね
都市群をおさえた人口差が年とともに拡大するんだよな
中核人材は無論、末端兵の質と量まで…
魏書に列伝されてない中では州泰や石苞みたいな良将もいるし、魏将は挙げていけばキリが無い
石苞は丁奉の離間計を喰らってるのが面白い
丁奉って特攻お爺ちゃんなのに賈詡ばりの謀略も出来るっていう
>>826 期待してます
>>818 あくまでも個人的には
なんだけど190年代のもう一人は曹仁のほうだと思う。
于禁はやっぱ関羽を相手にしてのあの敗戦がいただけない。
運が悪かったって意見もあるだろうけど「運の良さ」も名将としての資質のひとつさと思う。
>>829 いや、あくまで190年代の活躍についてだけで評価したからね
于禁の敗戦って219年だから、そこは考慮してない
この決め方は、あくまで視点の一つとして参考というか議論の燃料になるかと思って書いただけだし
例えば、徐晃みたいに地味だけど長期間活躍し続けてるような名将は、この年代方式だと不利だし
831 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/15(日) 00:40:15.51 ID:C5Tjm2Ni0
>>829 于禁のあの敗戦は運ではすまされないような…
洪水が起きるかもしれないほど雨が降ったのなら、対策をする考えはなかったんだろうか
>>831 慎重に確実に救援するなら船を用意するべきだったわけで、判断ミスの部類だよな
船を用意しなかったのは救援スピードを重視したんだろうが、それが裏目に出たと
温恢にような人材が于禁の近くにいれば違ったのだろうけど
>>824 もうやばいぐらい諸葛誕が格下だよなぁ
胡遵・王昶・毌丘倹・陳泰>>>>>>>諸葛誕(功績がない)
胡遵→各地を転戦、戦功多、東興でやらかす
王昶→呉をしばしば破る、戦功多、無難
毌丘倹→北東アジアで無双、諸葛恪の大軍を撃退、反乱するも郭淮・諸葛誕こない自滅
陳泰→名将姜維を撃退、無難
諸葛誕は楽進の子をブッ殺した功績があるから(震え声)
五将軍の子では唯一有能だったっぽいのに惜しいことよ
835 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/15(日) 06:59:10.84 ID:Cinkowhd0
姜維や諸葛恪はやっぱそれなりに英傑だよな
魏は逆にケ艾が凄すぎて、ほかのメンツは小粒感が
諸葛恪は晩年の専横ばかり評価されがちだけど
山岳民族の平定と東興の戦いで大きな功績を挙げてるからな
ただ、于禁が最後が駄目だから入らないって言うなら
諸葛恪も入れるに値しない
>>831 829だけど
于禁の功績などからそう言う人もいるかもしれないと思うだけで
個人的には、将としての基本的な資質の問題だと思っている。
魏のために戦い、魏を支えた武人に対して失礼な物言いになるが。
梁習とかどうなの
北方を抑えた名将って、田豫と牽招が来るまでは梁習しかいなかったわけで「
>>1 特定の時期、地域に偏らないように配慮する」なら梁習は24人に入っても良いと思うんだけども
梁習以上の刺史は存在しない、とまで謳われた英傑
匈奴・烏丸・鮮卑の全てに勝利して曹操軍に組み込み、曹丕の時代には軻比能にも大勝している
他に劉馥も一押し
曹操の支配が全く及んでなかった揚州に単身で乗り込んで、教化と統治により袁術残党を平定
三国志で、戦わずして勝つ、成功させた数少ない例
空城だった合肥を鉄壁の要塞に作り変えたのもこの人
「特定の時期、地域に偏らないように配慮する。」という文言を盾に、表舞台で実績の乏しい将をやたら持ち上げるのはどうも…。
iPhone WiFiの人は油断すると辺境重視まで行く勢いで違和感あるなぁ。
べつに実績乏しくないだろ…
というか面子が固まって議論が停滞しててつまらんから色々言ってみてるだけなんだが
それで反論ですらない「黙ってろ」みたいなレスしかこないとかこのスレ終わってるわ
もう来ないから安心してくれ
諸葛誕よりも王基を入れるべき
絞る段階で停滞してたのに、そこから更に候補を増やしに行くと微妙か。
24人に絞ることを気にせず、名将雑談スレにするなら平和なんだろうけど。
後期なら丁奉って朱然や朱桓より派手な活躍してて猛将って感じがする
844 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/27(金) 15:55:34.28 ID:qG4WQBW30
後期の名将というと
蜀:姜維、王平
呉:陸抗、丁奉
魏:たくさんいる
って感じかなあ
>>843 禿げ上がるほど同意
このスレ、朱然と朱桓が昔からたまに候補に上がってるのがよくわからんな
24選に入るような奴らじゃないと思うが
朱然は曹真を、朱桓は曹仁を、それぞれ防いだことを評価されてるんだろうが、大きな武勲はその一つだけしかない
まあ朱然は地味に長く働いてるが・・・
「曹真と曹仁を一度でも防いだら名将!」って言いたいのかもしれんが、あの侵攻戦は元から呉が有利
敵地に攻め込む魏側が不利で、魏の大将は戦争下手な曹丕
そして呉に有利な水戦で、魏軍には疫病発生
こんだけの条件で尚、途中までは魏軍の戦術に振り回されていた呉軍は、あまり褒められたもんじゃない
やっぱ三国時代になってからの呉は陸遜だけが圧倒的で、次点で丁奉くらいよな名将は
諸葛恪は東興戦直後に死んどけば名将だったのに余計なことした感
陸抗は前線の将軍として登場するのが遅すぎ、しかも孤立した羅憲に歯が立たなかったのはどうなんだ
朱然とか朱桓入れるぐらいなら孫策入れろよとは思う
呉将は防衛戦の活躍は多いけどそれ以外は微妙な奴多すぎ
847 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/28(土) 20:03:58.45 ID:PGwP5ueU0
そこで諸葛恪ですよw
諸葛恪は姜維みたいな者だと思ってる
勝利も大きいが敗北も大きい
・呉の歴史上最大の大
・東興で揚州の魏軍はボロカス
・敵の指揮官は毌丘倹に変わったばっかり
・魏は司馬氏の政変に揺れてるぞ
諸葛恪「いけるいける」
850 :
849:2013/12/28(土) 23:43:05.46 ID:p2m1RkwO0
一行目→・呉の歴史上最大の大軍
250年代の主役は諸葛恪と姜維
老害の孫権はとうとう死に、諸葛恪のブレーキがハズれる
費禕も魏の刺客にブッ殺され、姜維のブレーキもハズれる
諸葛恪&姜維「厄介な司馬懿も死んだし、我等が諸葛丞相の甥と弟子が北伐したるで〜」
毌丘倹&陳泰「(^ω^≡^ω^)Welcome!」
諸葛恪&姜維「」
なんにせよロバ親父より上なのは間違いない
なんで大将軍にまでなれたんだあいつ
荊州攻めの献策が成功したからじゃないかな
>>852 大将軍の夏侯惇「せやな」
驃騎将軍の趙儼「せやせや」
ここで聞いて良いのか知らんけど率いた最大の兵数で序列作ったらどうなるの?
一、鍾会
二、杜預
三、曹操
って感じで続いてくの?名将を語る上である程度大軍を率いた人物を上から十人くらいは知っときたい。
>>855 「大軍を運用する」もしくは「大軍で駐屯して守る」だけで良いなら夏侯惇・曹爽・孫権・諸葛瑾みたいな微妙な面々だってエントリーするんで
「大軍の総司令官として攻め込んで勝つ」と解釈して良いのかな
時代が下るほど大軍運用の技術や制度は発達していくわけで、後漢末期からベスト3にエントリーは難しいかと
袁紹・曹操・劉備のような名将と言われるような人達でも、初めて大軍を率いた時は負けている
この頃にはそれだけ大軍運用が難しかったということだが、まあ曹操と夏侯淵は候補に入るだろうし、皇甫嵩も悪くない
三国志全体なら1位が杜預で2位が鍾会なのは、とりあえず確定かと
国を滅ぼすってのはなんだかんだで尋常ではない
3位候補としては、杜預の時の王濬か、鍾会の時のケ艾か
魏の司馬懿と王昶、蜀の諸葛亮と姜維、呉の諸葛恪も、大軍で攻め込んで勝ってる
最新の研究では、魏の曹真は大月氏国クシャーナ朝を筆頭に西域諸国の平定に成功するという、超絶した大功を立てているとのことで
司馬懿を大きく上回る武勲があるはずだが、曹爽と対立した司馬氏の都合で、正史三国志から曹真の功績は大半が抹消されており不明瞭
>>856 曹真が西域まで遠征したの?
蜀と交戦しつつそんな離れ業やったんだったらすごいけど
実際は外交手腕で成し遂げたんじゃないの?(それはそれで当然凄いが)
>>857 普通に考えれば外交で成し遂げたんだと思うが、なにせ載ってないので実情は分からない
遼東なんて目じゃないの大国を朝貢させることに成功したのだから、軍を向けて威圧するくらいはやったかもしれない
この頃の曹真は中央軍と西方軍の全てを統括しているので、動員力には困らない
ハッキリ結果が出たのは230年かと推測される
唐突に洛陽に帰還して、何の理由も無く大司馬・剣覆不趨という頂点に登り詰めている違和感バリバリのあの時
859 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/30(月) 20:50:30.71 ID:hZe7InsO0
ちなみに大月氏を支配下にってソースあるの?
遥か斜め上の功績すぎて理解が追いつかない
支那の外の文献にでも載ってたのかな。
>>859 魏志倭人伝の研究してて行き着いたが、細かいソースは覚えてない
多分、調べれば簡単に出てくる
最近はけっこう広まってて、一般書店で買えるような研究本にも載っている説らしいし
まあ「烏丸鮮卑東夷伝」って明らかに不自然だからね
なんで西域スルー?って
邪馬台国の情報がブレるのは昔から有名だけど
邪馬台国を朝貢させることに成功したのは、遼東征伐した司馬懿
なんでそんなことしたのかって、ここまで言えばあとの流れは分かりますよね?
三国志って日本史研究にも重要なんだよね
陳寿が司馬氏の為に筆を曲げてるせいで大混乱ですよ
個人的な認識だけど
後漢後期から三国の初期って、西域との交易ルートは中華王朝は確保できていないイメージなんだが
(羌族の反乱、関中に対する支配力の弱化等)
さらに班超のような超人的活躍で西域遠征を実施した人物も不在
西域伝がない理由は普通に合点行くんだけど、曹真の功績を消去ってのは牽強付会過ぎない?
烏丸鮮卑←曹操、曹彰、田豫が絡む
東夷伝←司馬懿が絡む
西域←曹真……武力征伐とかしたの?蜀と縄張り争いしかしてね?
まあその手の本は、学者や書き手の持論であって
それが必ずしも事実とは言えないものだからなあ。
そういう可能性も考えられるかもね、程度に判断しといた方が吉だと思う。
>>862 西域との交通を徐邈が開いた云々は正史にもチラッと載ってますん一応
というかこの件に関してこれ以上突っ込まれても専門外なんで分からない
ちゃんと専門の研究者の皆さんが幾つも学説を出しておられるので大学の図書館かなんかで読んでみてください・・・
うん、今正史確認してみたけどやっぱり徐邈伝くらいしか西域への言及は無いな
しかも「遠方の蛮族」の具体名は出ないわ、入貢は「全て」徐邈の功績だわであかんやつや
スレタイと関係無い流れを作ってスマンかった、退場します
866 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 01:03:43.32 ID:RFMDT7MZ0
>>856劉備が初めて大軍を率いたのは漢中の時で勝ってるんじゃないか?
867 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/01(水) 07:09:28.50 ID:gBxCGGCC0
丁奉が入らなくて朱桓&朱然が入るのは丁奉が匹夫の勇でしかないからだろ
誰かの命令で動いて配置されて匹夫の勇を頼りに突撃するだけ
一方朱コンビは一応大将として寡兵を率いて撃退しただろ
丁奉は属将どころか部隊長レベルの活躍なんだよ
孫綝暗殺が董卓暗殺と重なるし呂布と似てる気がする
最終的に高位将軍になってからも独立して軍を率いてないのもそういう点を考慮してだろ
コーエー風に言えば
統率65 武力95 知力70 政治1
くらいの男だよ
>>867 その三人で比較するなら
圧倒的な戦果を収めた諸葛恪入れた方が良さそうな…
>>867 丁奉は呉国内のドロドロの政変に何度も関わっているんだが
政治1とかありえん、どんな評価だよ
石苞に離間計を食らわせた知略もある
まあこれは司馬炎がアホ君主だったのも大きいが
末期の呉でかなりマズい立場に何度も立ったのに、自分はほぼ無傷で乗り切ってるからなーw
政治力は結構なもんだ
871 :
867:2014/01/02(木) 00:15:15.91 ID:4FeUXuzE0
そういう政争能力みたいのは、知力で換算したつもりだったんだがな。
70で足りないなら80でも90でも良いけど。
政治って個人的に内政能力だと思ってたから。
丁奉って、事務能力は無いけどとっさの時に機転が効くみたいな事言われてたでしょ。
まぁそこらへんは、定義の違いだからどうでも良いけど丁奉が名将というのは違和感だわ。
それなら、呂布や文鴦なんかも候補に挙がってこないとおかしい。
三国志末期の名将として陸抗の名前を挙げる人がたまにいるけれど
陸抗は三国時代の武勲はほぼゼロで、晋呉の二国時代に活躍した人
そんでもって二国時代の名将と言ったら陸抗より杜預になるはず
なのに杜預の名前はあまり出ない
この差はどこから来るんだろう
絶望的国力差での孤軍奮闘と「呉」って事からだろうな
晋は除外されがち
874 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/02(木) 01:17:30.41 ID:2JFzmfmp0
あそこまで差がついてると杜預じゃなくても呉滅ぼせたよね?って思ってしまう人がいるからなじゃない?
三国時代の魏の優位性どころの差じゃないからなぁ
大軍を破綻なく運用出来る程度の能力水準を満たせてれば、可能不可能で言えば可能っぽい
とはいえ、杜預が他の晋将と比べると別格なのもまた事実
曹操的に学者としても凄いな
876 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/03(金) 00:10:51.59 ID:2OLJzCZx0
呉征伐で杜預はよく語られるけど王濬・唐彬はあまり語られないよなあ
三国志後期〜二国状態
にかけては名前の残る将軍は大抵、治績だとか屯田とかの内政能力についての実績や記述があるのが面白いよなぁ。
後期になると将軍に用兵能力のみじゃなく、内政能力も求められてたのかね。
王平や朱然のように無難な戦功を積み重ねられるタイプと、姜維や諸葛恪のように勝ちも負けも大きい博打タイプだったら、どちらを名将とすべき?
日本人の気質に合うのは前者だろうけど、どっちのタイプが上とかはないでしょ。
ぼろくそに負けてもなお燦然と輝く武功があるならそれを正当に評価すればいいのだし、
負け方があまりに酷すぎるのであれば割り引けばいいだけ。
後者だと思うけどなぁ
戦争なんて将のみじゃ対処できない状況の変化によっていわゆる天運によって戦況が幾らでも変化するし
無難に戦うだけなんて経験と兵法書さえ読んでれば誰でもできるからなぁ
前者は良将、後者は準名将ってイメージ。
881 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/04(土) 04:17:32.23 ID:D+NBOefp0
いくらなんでも姜維と諸葛格は負けが大きすぎるような…
そして勝って得た物も少ないし
ま、諸葛恪は相手が諸葛誕だったから大勝できただけかもしれん
交代で着任したばかりの毌丘倹には全く歯が立たなくて、逆に呉兵の方が死にまくった
毌丘倹>>>諸葛恪>>>諸葛誕
むしろ諸葛恪は丹陽の山越を一掃したことの方を評価すべきか
丁奉も正史には載ってないけど屯田の功績あるんだけどな
姜維はそもそも「無難に勝てる」という状況がないからなー
将としての個人能力以前にスタートラインで差が付きすぎてて、単に勝敗で語って良いのか判断付かん
末期蜀は綱渡りに挑み成功し続けてどうにか…という状態で、仮に諸葛亮的な大敗を避ける用兵でも
せいぜいジリ貧状態のまま相手の出方次第で5年10年長持ちできたかも?という程度じゃね
生産力的な話になるが
東晋の時代になると、長江下流からの侵略ですら陥落しちまったからな>>蜀
五胡十六国屈指の善政と言われた成漢だったにもかかわらず
蜀が生き延びる要素は限りなく薄かったとは思う
>>882 司馬昭・胡遵・石苞「精鋭7万で諸葛格の先鋒隊ごときにボロ負けした諸葛誕は無能(震え声)」
>>886 せ、石苞はほら、士会みたいな働きしてるし…
石○「石苞は士会みたいな働きしてるし…他は荀林父だけど」
司馬炎「……」
桓階の子で公主の夫、桓嘉まで死んだ。なんだ元遜やるじゃん!
堤防上の戦いってどんな感じだったんだろ?
自業自得とはいえ、あの戦力差で死ぬとは韓綜も運がない
桓嘉とか韓綜とか忘れてたわ
こんだけネームドキャラを死なせてるとはなぁ
もしかして呉が魏に一番被害を与えたのって、諸葛恪の東興なんじゃね?
周瑜の赤壁や陸遜の石亭ですら、ネームドは死んでないのに
東興は丁奉の活躍も大きかったんかな
七万の大軍が退路断たれて壊滅だしね
魏の野戦史上最大の敗北(のひとつ)で間違いないだろう
下手すりゃ桓嘉と韓綜の代わりに胡遵、石苞、諸葛誕が死んでる
でもそれを上回りかねない失態が合肥攻略なんだよな
晩年の呉では優秀な将であることには違いないけど
あの大失敗は何が要因なんだろうな
満寵の遺徳で合肥新城がそんだけ鉄壁だったのか
諸葛格より大分戦力少な目だった
孫権さんが攻めた時、あの満寵さんも弱気だったし
不落の城ではなさそうだが
カン丘倹と文欽の追撃を受けて負けてるし
魏の揚州軍の動きも気になるけどわからねぇな
魏は名将クラスが沢山いて決まらなさそう
呉蜀を決めてから、残りを魏で埋めた方がいいような印象
呉(4〜6人?)
確定=孫策 周瑜 呂蒙 陸遜
候補=孫堅 朱然 朱桓 諸葛恪 丁奉 陸抗
蜀(3〜5人?)
確定=劉備 張飛 諸葛亮
候補=関羽 魏延 王平 姜維
他に呉蜀の名将候補っていたっけ?
とりあえず、孫策が確定扱いだったことはないな
孫権の間違いだろ
孫権は間違っても候補にもならないw
おい!出負けさんのこと孫権とか曹丕とか言うのやめろよ!
でも孫策くらいしか確定組の呉将と並べないんだよな
領地を守り抜いた公孫サンだから決してそこまで悪くはないと思うが
孫策って揚州を統一して一州を制覇したみたいに言われてるけど江東のそれも北部だけだよね
地図で見るとすごい小さい
それに加え袁術の庇護下にあり後援を受けてたわけだしさ
袁術って凄い人だったんだな
晩年の暴政さえ無ければ一廉の人物だよ
190年から199年の10年間は実質袁紹と袁術の二大勢力の争いだからね
呉の交州平定って誰の手柄なん
名将ってことにはならんのかな
交州平定は陶コウ[王黄]だね
末期の呉ではトップクラスに優秀な人
呉の滅亡後は晋に仕えそのまま交州を治め続けて大層民に慕われたそうな
晋書巻五十七列伝第二十七に羅憲・滕修・馬隆・胡奮?陶コウ・吾彦・張光・趙誘の伝がある
見る人が見れば錚々たる面子だなこれは
朱然は名将に入れてもいいんじゃないかな
夷陵でも手柄立ててるし
上で出てる陶コウなんかは事績を見ると紛うことなき名将なんだけどね
活躍したのが呉末〜晋初なのと場所が交州という辺境なせいでほとんど注目されることがない
このスレで入れるというと、名将か否かじゃなくて24選に入るかどうかだからなぁ
とりあえずボーダーライン上とされてる孫策や姜維、丁奉あたりとなら比較になるね
姜維や諸葛恪でも候補に上がるんだったら、それこそ騙し討ち喰らうまでは10戦10勝の名将だった曹休さんを候補に入れたっていいんじゃないのか・・・
三国で人数のバランスを取ろうっていう考えが議論を停滞させてる大きな原因の1つなんだよな
本来なら曹真や曹休なんかの名前も挙がってしかるべきなのにそのせいで呉蜀の話ばっかりになってしまう
曹真は普通に挙がってたね、何か勘違いをしてたみたいだ(´・ω・`)
強国強兵をバックにすると勝敗面で有利なのは当然だからなー
地方無双で中央にほとんど絡まない場合も同じく
「バランス」って難しいわ
>>912 強国強兵をバックにできない時期から
中原無双で中央に絡みまくってた奴ら
初期曹操軍の人たちですね分かります
914 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/10(金) 02:56:33.94 ID:zjdLG3uT0
>>910 ほんこれ
国だとか考えず素直に24人選べば良いのに枠がどうとか言って停滞しておる
じゃあ枠とか考えずにとりあえず上から24人と思われる人選をしてみればいいんでないかな。
あんまり変わらない気もするけどね。
後漢と三国を同じ評価基準に載せて考えようとするから
纏まらないんじゃないのかと
後漢末期の人物は平定戦に次ぐ平定戦を繰り返していた
敵地に攻め込んでの戦果は有利
大軍を率いたかどうかでは不利
三国時代はその逆
加えて国力差のせいで全体的に魏が有利
単独巻持ちの孔明と陸遜しか確定にならないのは酷い
三国鼎立で国境線が固まって
管理人口も増えて都督制度も整備され
動乱が収まったことで地方に避難してた流民が中原に続々と帰還
国力は魏一強へ
国力差は時間が経つにつれて開き
姜維は孔明より不利な条件で戦い
元遜は陸遜より不利な条件で戦い
すごく頑張った(´;ω;`)
917 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/10(金) 12:04:25.46 ID:zjdLG3uT0
鍾会みたいにただ正攻法で押し込んだならともかく魏でも計略や奇策で敵を撃破してる武将はいるからなぁ
正攻法でも問題なく勝てる余裕のある状況で、選択肢として選べてこその奇策でもある
追い詰められて一発逆転に賭けるしかないような立場だと9割方ダメだw
鍾会って頭脳や手腕はともかく、中身というか性格が酷いし、器が小さいし名将とは呼びたくないな
そもそも効率よく敵を殺し味方を殺すのが名将の第一条件なわけで、俺は細かい人間性はさほど気にならないな
「上司にしたい名将」ではなくても、それはそれ
父や兄はマトモだから鍾会は突然変異の部類
と思ったけども末期の鍾繇は山椒自殺未遂とかやってた
>>920 露悪的に言ってそうには違いないけど、名将という言葉に込められる意味は単なる戦争高効率家だけではなく
他者を率いる、統率し破綻のない、また名望ある立派な武将、などの意味も付随し、むしろ漢字の意味からは
そちらの方が強い。
なので、戦争が強くても人望のない者は、あまり名将だの良将だのとは賞賛されないのと違うだろうか。
実際問題としてクズだと下のものが付いて来ないんで、功績を何度も何度も挙げる事自体が無理だわ
5000、1万単位以上の人間を率い、殺し合いという極限状況の中で見事に機能させられる人間は、まず間違いなく人として「魅力的」
末端兵から下級、上級の武官、主簿、長史等の文官の人心まである程度以上に掌握出来てるのが必須条件だからなぁ
鍾会は嫌いw
924 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/11(土) 08:50:54.47 ID:IN9yG0vl0
最近になって毌丘倹は評価されているようだけど、王淩は未だ注目されず・・・
曹休や夏侯尚なんかも、色眼鏡で過小評価されすぎてる印象
最期が酷かったから印象悪いだけで、それまでの功績を見れば間違いなく名将の部類では?
夏侯尚は最後にさらっと側室が殺されて失意の内に死んだって書いてあるけどなんか興味深いわ
なんか恋愛小説でも書けそう
運命の人と良い関係になってたら曹丕に親戚と政略結婚させられて
それでも合間を塗って運命の人と密会してたら陰湿な皇帝(曹丕)に運命の人を暗殺されて曹丕を恨む気力も無くただ失意の内に死んでいくストーリー
926 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/12(日) 03:58:16.00 ID:5hdzn7Bf0
>>925于禁のエピソードといいほんと曹丕ってクズだなw
そりゃあ司馬光にも批判されるわけですよ
呉質のような仲のいい人間に対しては優しいが気に入らない奴には厳しい
現代にもよくいるありふれた人間ですよ
人の上にさえ立たなければ
酷すぎる暴君とかキチガイとかではないんだけど、普通に嫌な上司だわな
曹操が多方面で天才な上に妙にノリが軽い感じなのと比べると、曹丕はどうにも暗くて重いわ
曹操は時代の最高権力者にして、軍人、政治家、学者、芸術家として超一流という怪物なのに、
相手に能力を認めればすぐ絶賛するんだよなw
自身の才覚に自信のある優秀な奴ほどクラクラと来て即陥落しそうだ
魏が人材の宝庫なのは、単純な人口以上にこの曹操の姿勢もデカいんだろうな
曹操はあまりにも手当たり次第に褒めるせいで軟派野郎と思われてたかもしれんけどな
三国志で互いの才能を認め合った関係となると劉備と陳登が一番だと思うわ
931 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/13(月) 01:04:53.53 ID:1NjvIGy80
後漢末期
三国創業者:曹操と劉備と孫策
魏軍最強格:曹仁と五将軍
蜀軍最強格:関羽と張飛
呉軍最強格:周瑜と呂蒙
三国前半
対蜀の鉄壁:曹真
蜀の単独巻:諸葛亮
対呉の鉄壁:満寵
呉の単独巻:陸遜
遼東を平定:司馬懿
三国後半
高句麗粉砕:毌丘倹
対蜀の鉄壁:郭淮
蜀軍で大勝:姜維
対呉の鉄壁:王基
呉軍で大勝:諸葛恪
蜀を滅ぼす:ケ艾
ちょうど24人で綺麗に纏まった
叩き台にでもしてください
>>930 別れてから褒めてるとこがいいよね。純粋な友情な感じがして。
しかも陳登を貶した奴に対する劉備の罵倒の仕方が
非理論的でw全然インテリじゃないとこがいい
>>924 曹休ちゃんは名将なんだけど
最終戦が万全の状態で大軍を率いて戦ったうえの惨敗なのがな
曹真みたいに最後成功しなかったけど無難に撤退するor損害を抑えていれば
名将選出確定の曹仁・劉備も最後の戦いが大軍を率いての敗北だけど
曹休ほどイメージ悪くなんだよな
曹仁の最後の戦いというと濡須口でのVS朱桓か
これは確か曹丕が親征して…あっ(察し
>>931 三国創業者ならキャリアハイ時代の孫権の政治力>孫策だわな
曹仁のあれって、敗北って言うのだろうか(笑)
曹仁軍の死者千余人って、下手したら朱桓軍の方が死者多いんじゃないのか
しかも曹仁自身は後ろに居座って、計略で朱桓軍を分断させつつ、軍を派遣してただけ
局地戦しかしてないわけで、曹丕の親征がグダグダだったからやる気が無かったとしか思えん
苦手な水戦をやりたくなかったのかもしれんが
曹休は誘い込まれた上に四軍から挟撃されたとはいえ、一万余人の死者を出してしまっている
劉備にいたっては数万人を死なせている上に、こっちは幹部クラスまで死にまくっているので更に酷いけども
曹真が…地味……?
徐庶にボロ負けしたゴミは抜いてくれ
最近他のスレも三国志関連でおかしなのが大量発生してるんだよなぁ
三戦板からそのまんまのノリで流れてきた感じがする
曹真は
>>856>>858がガチなら本当に凄いんだよなー
対蜀での功績云々ではどうにも説明がつきがたいヘンなタイミングでの唐突な大司馬昇進も
これなら大納得だし
226年12月:大将軍に昇進
228年正月:諸葛亮と戦う
同9月:大司馬の曹休が死ぬ
同12月:陳倉を攻めた諸葛亮に対して費曜を派遣
229年12月:大月氏が朝貢してくる
230年2月:大司馬になる
・曹休が死んでから曹真が就くまで約1年半大司馬は空位のまま
・対蜀戦は228年で大司馬昇進まで1年もの間がある
・227年と229年の曹真の行動が不明
・大司馬昇進は大月氏の朝貢後間もなく
想像する余地はある…かもしれない
曹真が西方慰撫してた説ってこのスレで初めて聞いたんだけど三国志学会では有名なの?
その後の話を見る限りはトンデモ本っぽい流れだったようだけどな。
というか今更だけど演義で徐庶に大敗したのも曹真じゃなくて曹仁なんだよなぁ
確かに名前は似てるけど
まぁ、陳寿さんの「正史」自体が相当にアレだからなw
晋絡みでのやむをえない事情アリ、私怨好みを自重どころか隠しもしないところアリ
曹真の件はあり得そうな要素が結構あって普通に面白いね
曹真によるクシャン朝貢はガチでしょう
前に書いた人は、今岡純雄氏の本でも読んだのかなと
>>944でも書かれているけれど、時期的にも合致
岡田英弘氏も唱えている説だから、トンデモ説と思う人がいるのかもしれないけど
三国志学会事務局長の渡邉義浩氏も、この説を史実として本に書いているので
最近の研究者の間では、定説に近い扱いとなっていると思われ
吉川三国志の後書きでもわざわざ書いたりしてるくらいだから、よほどプッシュしたい説なんでしょうし
そろそろ巷にも広まる・・・かも・・・
手元に渡邉氏の著書が無いので適当に書評があるサイトを見た感じだと227年に大月氏との戦があったと考えているのかな?
だとすると1年で現在のウズベキスタン中央部まで軍を率いて赴き勝利して帰還、翌年正月には諸葛亮と戦うという西遊記どころじゃない超ハードスケジュールになる気がするんだが…
「曹真の功績」とするからには部下を派遣しただけとは考えにくいし
個人的には229年に戦ってそのまま使者を引き連れて帰還したんじゃないかと愚考するけど所詮は素人の浅知恵か
951 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/19(日) 03:45:17.81 ID:zfswSFpp0
ちょっとこのスレには合わない話題かもしれないけど曹真の息子曹爽も司馬懿を持ち上げるために、必要以上に悪く書かれているかもしれないな
特に興勢の役の甚大な被害は大げさに書かれていそう
かも知れないというか、その辺は前提として考えて良いレベルだわなぁ
それだけを理由に持ち上げたり落としたりというのも説得力微妙にはなってしまうけども
まあ曹爽さんとそのお仲間は正史三国志でもっともデリケートな存在だからね
もちろん曹叡や曹真あたり……あと反乱した毌丘倹とかもか
つか陳寿って晋史に「歴史書に良く書かせるために賄賂要求したけど断られた」みたいな事書かれてたよね?
曹夏侯や王毌丘諸葛を含む、司馬氏と対立した層が悪く書かれているのは間違いないでしょう
裴松之の注で多少は補われているけれど
陳寿の露骨な蜀漢贔屓が認められたのも司馬氏ageになるから
そんな凄い諸葛亮を陣没させた司馬懿凄いよね、そんな凄い蜀漢を滅ぼした司馬昭凄いよね、って
956 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/19(日) 08:08:09.53 ID:zfswSFpp0
陳寿が丁儀の子孫に「賄賂をよこせばいい伝を立ててやる」といったが断ったので、その伝が立てられなかったという話は信憑性の薄い話だ
丁儀の一族は曹丕が皇帝になった時に粛清にあい、族滅させられてしまったからね
957 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/19(日) 08:11:08.27 ID:zfswSFpp0
>>953一番、デリケートなのはやっぱり司馬懿とその息子達じゃない?
裴松之の注を見ると、彼らの失敗を陳寿は書けなかったんだろうなって思う
それでも他の王朝の正史に比べたらフラットな方だけどな。
司馬氏の問題点なんかは関わる相手の方でこっそり書いてたりするわけだし。
司馬氏に限らず当人にとって不利益な内容は上手に他人の伝に振り分けてるんだよなぁ
まぁおかげで一人の人物を追うのにあっちこっち見なきゃならんわけだがw
>>959 同意だわ
三国志に限った事なのか他の正史でも良くある事なのか分からないけど、
特定の一人の功績や生涯を知りたくてその人の伝を読んで全部知った気でいると、別の伝にそいつの結構重要な逸話や活躍が乗ってて驚く
結局Wikipediaが一番分かりやすくまとめられている事に気付く
司馬氏に関しては、ハッキリとは書けないから書き方を工夫することで匂わせるしかなかった、というようなのが多い気がするけど
曹髦の死なんかは言うまでもないけど、張郃の死が例としては理解しやすい
張郃は変幻自在の天才武将でした
↓
孔明も張郃にビビってました
↓
政治力もありました
↓
帰師を追うバカをやらかして戦死しました
文脈おかしすぎってレベルじゃねーからな
本当のことを書きたいけど書けない、陳寿の精一杯の表現
裴注があるおかげで、あぁ司馬懿のせいで死んだのねって分かる
今岡さんの本読んだけど、曹真が大月氏の入朝を取り付けたって言ってるだけだな。
遠征して征服したなんて言ってない。
事情をよく知らない遠方の大国が中国の外交担当者に言われて挨拶の使者を送ったら、
中国側が勝手に「臣従した」って記録されるのはよくあることだよ。
武力征服説を主張する研究者がいるなら、「読めばわかる」「研究者が言ってる」なんて
曖昧な言い方しないで名前出してほしいな。
論文読むから。
いつの間にか950突破してるんだなと思ったら、とうとう話題が尽きて正史三国志を語るスレになっとるげ…
次スレは要らないノリですよね?もう
なんか話題ループしてる所が多々あったみたいだし
名将候補の名前は出尽くしたようなので、あとは各自で考えてくださいってな感じか
この流れで、My三国志みたいなファンサイトでも名将がちゃんと名将として評価されるといいですな〜
名将と呼ぶなら人格も優れてないとな。まず鍾会は絶対に名将には入らない。
例えると、見た目美しく超美味の料理だが健康を損なう毒物てんこ盛りは絶品料理に入らないみたいな
その手の勝手な名将の資格論は荒れるから、埋めるにはちょうどいいかもね
次スレはあってもいいだろ。
こういうのは結果を出すのではなく、
意見出し合って議論するのが楽しいスレなんだし。
多少ゲテモノ風味でも味自体がとても良ければ問題なく絶品料理には入るわな。
個人的な好みで資格がどうのとか喚く人が出て来るかも知れないけどw
969 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/20(月) 01:53:27.35 ID:WggsctQB0
>>963臣従したかどうかはわからないがやっぱ曹真が遠征した事はなさそうだな
臣従した場合でも外交力によるものであり、タイムスケジュール的に遠征はなさそう
>>970 どっちの著作も読んでるけど、征服したとは書いてないはず。
曹真が大月氏を交渉で朝貢させたって説なら60年代からあるよ。
古代中国史の大家の西嶋定生さんが最初に言い出した。定説ではない。
渡邊さんは三国志ファンの間では評価高いけど、
学界では言ってることが雑って評価だからあまりあてにしない方がいい。
孫策が名将扱いされてるのって、イメージ先行なんじゃないかなぁ
揚州も半分くらいしか平定してないし
自力では王朗にも勝てなかったり、陳登に大敗したり、うっかり暗殺されたり
孫策が勝った相手は小物しかいない気がする
劉繇の揚州刺史ってのも肩書きだけで、実際は太守レベルの勢力だし
まぁ名将なのは間違いない
枠が24ギリギリ入らないくらいではあるけど、あっさり死んだのにこの位置にいるのは
イメージ補正こみでもたいしたもんだわ
実績は基本的に足し算だもんな
「二十四に入るか」って言うと議論になるけど「凡将か」って問えば大半の人はNOと答えると思う
975 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/22(水) 06:40:30.72 ID:KCeySyet0
いや「凡将では無いと思う」と答える人が大半だと思う
いや、大半の人が凡将ではないって言うよ。
>孫策
確かに凡将では無いけど、
「二十四に入るか」って言うと大いに疑問なんだなあ。
孫策ってヤマトタケルとか源義経と被る
日本人好きのする武将の典型例の一つだし。
やっぱイケメンって事で自分と被るんだろうな
薄命イケメソ武将というキャラは
日本人好きという点ではポイント激高で、
しょっちゅう過大評価や美化までされるものなあ。
>>978 ヤマトタケルはイケメソだけど
かなり(悪い意味で)デンジャラスで物騒で破天荒……
義経はイケメソでは無い上に自滅型で
かなり(悪い意味で)デンジャラスで物騒で(ry
公孫瓚はイケメソだけど自滅型で
かなり(悪い意味で)デンジャラスで(ry
日本人もなにも、そのタイプを嫌いな国なんてあるのかねw
鮮烈な活躍をした上で若くして死んだ美貌の持ち主となると、どこでも伝説化するわな
「好き」と「評価」は必ずしも一致しない件
また義経も孫策も「大活躍した」場所における
地元民の本音の評価は芳しくない件
好き嫌いと評価は一致させないのが望ましいけど、どうしたってそこは影響し合う
で、「地元民の本音の評価」じゃなくて、ヲタと一般人で評価に落差がある、じゃね
>>982 >好き嫌いと評価は一致させないのが望ましいけど、どうしたってそこは影響し合う
確かにそんな感じになりがちだね。
好き嫌いを持った人間が評価する訳だから。
個人的には好きな歴史上の人物だからこそ、
敬意と誠意の現れとして可能な限り主観を抑えた評価をしたいと思っている。
>「地元民の本音の評価」じゃなくて、ヲタと一般人で評価に落差がある
それは言える。
私事になるが源平オタでもあるので、
義経ファイナルウィニングステージの地域に伝わる
一般的な源平ファンには思いもよらない勢いの
義経憎悪口調の伝承を聞いたことがあるからw
孫策は確定枠ではないけど議論枠の中では有力候補って感じなのかな
最近急上昇株の毌丘倹は確定枠入りって扱いで良いんです?
それともまだ議論枠?
ぶっちゃけ確定枠はもう増えないんじゃないかな
当然ながらボーダーライン上の連中は皆ツッコミどころがあって、それぞれのツッコミどころを重く見るか軽く見るかは
個々人の好みだけだし
下位の1/3くらいは結論出ないだろうなぁ
上の方は文句なしの実績で埋まって行くけど、下の方はどうしても匙加減次第になってしまう
絶対的な基準にそって数値化等なんて不可能だから仕方ないけど
後は年代もか
ケ艾や陸抗、杜預、皇甫嵩なんかの扱いも完全な結論は出てないな
とりあえず、現時点で
曹操、曹仁、曹真、張遼、楽進、于禁、張コウ、徐晃、満寵、臧覇、文聘
劉備、諸葛亮、張飛
周瑜、呂蒙、陸遜
は確定でいいのかね
臧覇、文聘、満寵は前スレで微妙に異論があった気もするけど、よく覚えてないや
このスレは夏候淵の評価低いよな。
領土拡げたのに、最後でそんなに減点されるもんなのかな。
>>986 臧覇と文聘は欠点の無い良将だけれど、少し小粒じゃないかな?
この二人は議論枠だと思う
そしてケ艾を忘れないであげて・・・
>>987 夏侯淵は、曹操から軽率さを注意されていたり、劉備から張郃の方が強敵だと言われたり
そういう微妙な評判の悪さが響いているのでは
魏は欠点の少ない将軍が多いから、漢中失陥した夏侯淵は悪い意味で目立つってのもあるのかも
文聘って全然大した事ないだろ
それよりオウチョウとか王基辺りの末期の名将の名が出てこないのはなんでだよ
序盤に比べて明らかに大規模な戦役で活躍してるわけだし入れてやっても良いだろ
オウチョウと王基のどっちが上かは議論の余地があると思うけど
>>989 王昶王基>>>文聘って言いたいのか?
どこをどうやったらそんな考えに辿りつくんだ
末期なんて国力差が更に開いてんだから国境守るだけなら文聘より簡単だろ
だいたい王昶王基よりも文聘の方がよっぽど重要な戦いに関わっているんだが・・・
曹操、曹仁、曹真、張遼、楽進、于禁、張コウ、徐晃、満寵
劉備、諸葛亮、張飛
周瑜、呂蒙、陸遜
臧覇、文聘をとりあえず外して、次スレでこの15人を議論の余地のない確定枠としていいかな
三国志の「黄金期」に文句なしの実績を挙げてる将のみだから、そうそう割れないとは思うけども
>>991 その15人に文句は出ないだろうけど、トウガイも加えて16人で良いのではないかと。
彼が活躍した時代で彼より強い将軍はいなかったのだから。
993 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/24(金) 04:30:14.86 ID:jQI0sd3b0
あれ?司馬懿も確定じゃなかったっけ?
晋扱いという事で三国志から除外されてるのかな?
個人的には司馬懿とケ艾は確定枠でいいと思う。
中国史全体で見た時に三国から名前が挙がるのは大体ケ艾と曹操の二人が多いんじゃないか?
あと人によっては周瑜を挙げることもあるかな
996 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/24(金) 05:10:56.24 ID:jQI0sd3b0
周瑜は南朝最初の名将という位置づけや、周瑜が曹操に勝利したおかげで曹操の中華統一が無くなったなど、歴史的に重要な名将だからなあ
>>995 中国人が選んだ百選か何かがあったと思うが三国志からは孔明も入ってたと思う
あれ陸坑って確定枠から外れたのか、なぜに
蜀滅亡以降の枠は多くても2もあればよさそうで、そうすると完全確定でいいか迷う…みたいな流れだっけ
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。