【◆O.K.H.I.T.】周の後半春秋戦国2【五覇七雄】

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1奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
次スレ。
2奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/01/20(金) 01:07:59.65 ID:460fuHUi0
すまん、よく読まずに立ててもうた。
3名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/20(金) 12:03:04.01 ID:OTSYzb6cO
4名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/20(金) 12:49:58.90 ID:T8hBtw1v0
>>1
乙、と言いたいところだが、スレタイが最悪
5名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/20(金) 13:33:43.57 ID:U8o6//h7O
さすがにこのスレタイはどうだろ
もう一度立て直した方がいいレベルだと思う
6名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/20(金) 18:40:42.14 ID:2QB2ZFyS0
「春秋戦国」と「五覇七雄」は分かり易くて良いと思いますが
歳のせいでしょうか、正直O.K. HITが何なのか分からないです。
7鶏肋:2012/01/21(土) 12:43:26.02 ID:Dfb79q4u0
>>6
ぷらっとさんのコテハン。掲示板でのペンネームの末尾、という理解でいい
よね(実は俺も歳なんだ。 汗(>_<))
たとえば、「孟子監修 論語の精髄」みたいなタイトルなら許容範囲だが、
「孟子 論語 学而篇」だと、「それ少し違う・・」と思うだろう。そんな状況。
__________________________________
>>2 ぷらっとさん、前スレで「五覇」に意見のある方がいらっしゃるので
一案としては  【覇者の時代】春秋戦国・東周王朝part2【七雄、合従連衡】

みたいなのはどうですか? テキトーなので、さらに加工して構いません。 国名も入れた
方がいいのかな、文字数が増えそうだけど。
8鶏肋:2012/01/21(土) 12:47:11.10 ID:Dfb79q4u0
ごめん読み直してみたら、タイトルと孟子の例がヘンだった
この場合には、「孟子監修ってのは著者の欄を見りゃわかるだろ、
タイトルにまで押し込まなくてもw」ということ。
9奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/01/21(土) 22:19:36.39 ID:TCm+N+x20
>>8
休み前だったんで深酒して調子乗りましたごめんなさい。

ただスレ立て権を消費してしまったのでオレには取り返しができません。
どうあってもダメということだったらどなたか別にスレッド立てて。
10名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/22(日) 11:06:28.06 ID:rUDn7wqZO
】【春秋時代】晋の六卿について語ろう
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1170418381/
11名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/22(日) 11:07:16.52 ID:rUDn7wqZO
春秋戦国ファンタジー漫画 キングダム
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1305116242/
12名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/22(日) 11:08:07.90 ID:rUDn7wqZO
【芋?】春秋戦国:楚総合スレ【クマー】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1184771837/
13名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/22(日) 11:09:06.63 ID:rUDn7wqZO
【呉越】     春秋       【五覇】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1170514550/
14鶏肋:2012/01/22(日) 11:29:44.26 ID:Jx+Uq5iT0
>>9
そうでしたか。「このままで構わない」という人もいるかもしれない
ので、僕はしばらく様子を見ることにしますよ。(我ながら無責任かも 汗)
15名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/23(月) 00:45:52.59 ID:k9oHCzGl0
>>10-13
知らなかった
死人に鞭打つとか呉越同舟臥薪嘗胆
この頃に出来た言葉だな〜
16名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/23(月) 12:13:07.98 ID:Qe+eaFb60
【覇者】春秋戦国時代スレ【始皇帝】
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1289109980/
17名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/24(火) 19:43:51.70 ID:VutEokCN0
呉越同舟っていうけど結局呉は越に滅ぼされてるよな
18名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/24(火) 20:01:34.96 ID:yy3s5qM70
楚材晋用っていうけど結局晋は三国に分裂して楚は秦に滅ぼされてるよな
19名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/24(火) 22:39:49.33 ID:tvZyQk6+0
春秋四大会戦って誰が決めたんだ?
20奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/01/24(火) 23:33:46.79 ID:qTMwv0st0
伯州犂と苗賁皇・・・
21名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/24(火) 23:55:20.71 ID:C0sUIsx6O
>>17
呉越同舟って意味知ってる?
22名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/25(水) 01:03:37.12 ID:PA9BMwR40
七雄は人気なんいだ
「漁夫の利」など多いけどね
あと策士策に溺れるは戦国策に意味合いはあるのかな
23名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/25(水) 22:55:28.57 ID:0xFmM6aD0
同じ亡命者でも勝者の苗賁皇よりも敗者の伯州犂の方が亡命先の国では出世してるんだよな
しかし、権力に関わったせいで権力争いに巻き込まれ伯州犂は死んでしまう…
楚の覇権をくじいた後、晋の政治から姿を消した苗賁皇には范蠡、張良のような美学を感じる
24奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/01/25(水) 23:50:41.63 ID:6+/z59Bi0
・晋は公族が弱く卿大夫が小国連邦の体をなしていて、亡命者苗賁皇に割く封地が少なかった。

・楚は土地余りまくりでそれなりの強国だったから、亡命者伯州犂に貴族待遇を与えられた。

こんなところじゃないかなあ。
25名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/26(木) 00:27:36.57 ID:AsE4/JJCO
伯州犂でふと思ったんだけど、呉で伯ヒが大宰になったのは晋との関係を考えての事だったのかな?

対楚戦の時は楚出身の伍子胥を用い、その後中原に進出すると晋にルーツのある伯ヒを用いる。
とまぁ単純な話なんだけど、一族はまだ晋に残っていただろうし、
晋の情報に詳しいとか交渉のテーブルに乗りやすいとかはあったんじゃないだろうか?

あまりにも奸臣という評価が定着してるけど、
伯ヒの尽力のお陰で夫差も五覇の一人に数えられるようになったと思いたい。
26名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/26(木) 22:10:58.31 ID:6WFWXN5p0
拝謁時や礼儀時に右手を覆うか左手を覆うかの違いは何ですか?
27奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/01/26(木) 23:53:36.82 ID:eQxoomQe0
さあ。
28名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/27(金) 03:45:08.72 ID:nC7pM4ci0
伯嚭って史記じゃ不忠の臣ということで処刑されたことになってるけど
左伝じゃ生き残って越に仕えることになってるんだよな
もし天寿を全うしたのなら、とんでもなく取り入るのが上手い奴だったんだろうなあ
29名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/27(金) 10:56:14.73 ID:kFov/2n50
横山漫画の悪臣顔はだいたい同じ
30奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/01/27(金) 22:44:36.59 ID:QVm//FTa0
ほとんどみんな一緒やん。
31名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/28(土) 00:03:23.29 ID:v0R1chdL0
宮城谷さんの春秋名臣列伝が面白かった
衛の石サク、魯の臧孫達などマイナーな人物を知れて良かった
32名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/29(日) 01:18:31.95 ID:is37L8nT0
楚の昭王って孔子が仕えようとしてたぐらいだし人徳のある名君だったんだろうなと思うわ
平王が昭王を後継者にしようとした一連の事件のせいで、楚は滅亡寸前に陥るけど
原因となった昭王が名君だったのがなんとも皮肉なことだな
33殷嘉& ◆RFKGeqtsZ6 :2012/01/29(日) 01:45:32.29 ID:AIrIdAD20
韩 赵 魏 楚 燕 奇 秦,最近刚出了一部电影是讲楚霸王项羽,刘邦
还有虞姬的。不知道这部电影有没有在日本上映,不过挺伤感的..
34名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/29(日) 19:54:47.59 ID:4t1jFKzE0
項羽と劉邦はさすがに他所で。
35名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/29(日) 19:57:14.76 ID:iM0JTHqL0
覇王といえば句銭も覇王を名乗ってたんだよな
36名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/30(月) 03:24:18.70 ID:n9yK7T5V0
歴史上最初に覇王を名乗った男って勾践なのか?
37奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/02/01(水) 23:36:21.57 ID:dpKkJt4s0
覇と伯は同根だったっけ。
38名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/02(木) 12:27:45.86 ID:DWh7aw9m0
方伯=いち地域の覇者 的なものからってことじゃなかったか?
39名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/03(金) 01:14:43.42 ID:9s9wI8dt0
じゃあ秦の穆公は方伯なのか
40奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/02/03(金) 22:37:32.57 ID:sAAReIpI0
まさに。
41名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/04(土) 05:15:33.81 ID:bP0Ya6dS0
歴史の教科書ぐらいしか読んでない人だと
秦の穆公が斉桓晋文に次ぐ中原の覇者と勘違いする人もいるだろうな
42名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/04(土) 05:38:00.09 ID:CorXHDX00
歴史の教科書って桓公とか文公とかもちゃんと載ってたんだ。
学生時代、歴史なんかこれっぽっちも興味なかったから
全然読んでなくて、諸子百家とか今から300年くらい前の出来事と思ってた。
43名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/05(日) 02:51:11.17 ID:c8yH5Ksl0
この時代で一番の武勇を持つ者となると楚の養由基だろうか
宋の南宮万も凄まじいエピソードがあって負けてないと思う
44名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/05(日) 12:41:01.16 ID:6MGvEBF90
養由基、能力高いけど甲を射て見せたりけっこうお調子者だよな。小説
読んでて、開戦前で緊張してる場面なのに、ここでワロタわ
45名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/05(日) 13:59:58.53 ID:R1S38Xuu0
今の歴史の教科書はこの時代のことどのくらい書いてあるんだろう
46名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/05(日) 14:06:36.12 ID:ClTNMPHn0
>>45
漢文の常連さんやないですか、お兄さん
47名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/06(月) 02:46:06.34 ID:Kegs3TmM0
>>45
歴史の教科書だと、春秋時代は春秋五覇と孔子ぐらい
戦国時代は諸子百家が中心
48名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/06(月) 20:28:25.89 ID:tGO3D5f30
諸子百家は習ったこと覚えてるが、春秋とか覚えてないな
この時代に興味持つ人って何がきっかけなん?
俺は横山三国志に出てた重耳⇒横山史記なんだけど。
49奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/02/06(月) 22:46:16.68 ID:UllKIWEW0
ちなみにオレは系図好きでたどり着いた変則型。
50名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/06(月) 23:19:50.96 ID:xOUVNo8h0
横山三国志→吉川三国志→陳舜臣十八史略→宮城谷
51名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/07(火) 01:47:22.75 ID:m9idBbHE0
横山三国志→横山史記→宮城谷
最初に読んだ宮城谷作品は楽毅だったな
52名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/07(火) 03:14:35.60 ID:CeKc+FbI0
東周列国志(PDFファイル)
http://www.geocities.jp/shokichi_nakahashi/
53名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/07(火) 12:43:17.04 ID:pctn/dxJ0
故事成語が好きだったからかなあ。
54名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/09(木) 03:09:11.39 ID:LLrFK0Xg0
荘公の時の鄭全盛期とその後の落差が酷い
55名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/11(土) 11:52:45.70 ID:gnXfL3ib0
>>49  さかのぼっていくとどうしてもこの時代になりますか。

>>54  立地条件が。。
56名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/11(土) 17:23:25.51 ID:T/B1OpTc0
>>49
系図好きって変則型というほど珍しいとは思えないんだけどなあ
かくいう俺も系図好きでこの時代にたどり着いた
そういう意味では史記はごちそうのオンパレードで困る
57名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/13(月) 02:59:27.84 ID:jXr8szvT0
春秋時代の鄭も戦国時代の魏も最初はその立地条件を生かして勢力を奮わせるんだけど
後から、それが首を絞めるんだよなあ
58名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/13(月) 12:40:40.66 ID:LwmwJq+d0
この時代からアニミズムを迷信と考える人間が出てきてるよね
59名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/13(月) 19:50:40.82 ID:kz2a7YVSO
龍が現れて暴れてるのに無視するっていうのは
アニミズムとかいう問題じゃないけどな
60名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/14(火) 01:59:39.86 ID:lhe83MT50
>>59
子産のエピ?
61名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/14(火) 15:55:32.07 ID:YLesHTK20
春秋時代各国の成り立ちを誰かまとめろ下さい。
殷王朝系統→
周王朝系統→
異民族系統→
その他どこにも属さない単独国→
62名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/14(火) 22:09:27.41 ID:wgwYjbZm0
分かってるだけで百数国をまとめるのは、さすがに泣きたくなる
63名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/14(火) 23:24:50.37 ID:RUx8VqT90
>>62
61の分かりやすく纏めた本とか知りませんか?
さすがのネット上にもないみたいです
64名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/15(水) 04:39:48.59 ID:gYfN8WDh0
なんだこの糞スレ
てか63もそんぐらい自分で調べろよ
65名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/15(水) 14:46:58.70 ID:BZcJkdwL0
そもそも周王朝系統の定義があいまいだからな
周王朝に封建された異民族の国もあるし
66名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/15(水) 14:59:58.13 ID:+/FkxRy70
姞姓である召公の末裔も文献によっては姫姓にさせられてたり
67奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/02/15(水) 23:52:59.24 ID:IABn7ya70
とりあえず殷系の宋とか書いていけばいいのかな。
68名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/17(金) 02:42:30.29 ID:ym6qWPSQ0
(殷)宋陳 (周)晋魯衛曹蔡鄭呉 (異民)秦斉楚燕 (単独)越
69名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/17(金) 03:19:21.06 ID:Bb1evKJT0
呉が姫姓ってのは胡散臭いよな
自分たちの経歴に箔をつけるため捏造したんじゃないかと思える
70名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/17(金) 10:47:55.22 ID:0wHgCSm70
源氏平氏みたいなものだろうな
71奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/02/17(金) 23:52:59.30 ID:2GT6jPUp0
陳って夏の末裔じゃないのか。
72名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/18(土) 09:37:45.49 ID:flxc5QH40
陳は帝舜から発しているとされているんじゃないのか?
73名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/18(土) 18:04:28.46 ID:HX295/JU0
禹の後裔が杞のようだが胡公嬀満が嬀性で陳か
となると尭も嬀性で舜も嬀性。どちらでもないってことかな?知らんけど
74奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/02/26(日) 19:12:34.56 ID:eACmG4A70
女以
女爲
75名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/26(日) 21:37:39.82 ID:L+USBF8Y0

MIKAMIのインターネット   でググれ


このブログ痛すぎwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
クソワラタwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
76奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/02/26(日) 21:49:25.11 ID:eACmG4A70
ネットの釣り要素すべて詰め込んであるな。

他所でやれ。
77名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/03(土) 05:09:54.42 ID:bYnnZ3jh0
>>71,>>73
字よめないのか? おまえに中国史はムリだぞ
78奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/03/03(土) 11:24:05.89 ID:3/ky3ShI0
煽る前に板名見ろ。純粋に史学だったら世界史板でやるもんだ。
79名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/04(日) 00:58:07.49 ID:udk74YzH0
何故、晋の文公は献公が決めた公子追放を撤回しなかったのか
この決まりのせいで晋の公族は大いに弱体化したのに
80名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/04(日) 01:34:40.18 ID:paKNFSk20
驪姫の乱の記憶が強く残っている重臣たちが健在だったので
公子が国内に何人もいる状態=乱の火種だという不安が払拭されていなかった、
なにより文公本人、撤回なんて考えもしていない、というふうに見えるんだけど。
どうだろう……
81名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/04(日) 05:35:45.75 ID:0e0VtdIa0
献公が公子追放して以後、太子以外の公子は国外で暮らすのが晋の伝統になったようだが
それからずっと撤回されなかったかどうかは謎
悼公の弟が出てくるぐらいしか晋に公子が出てこないんだよな
82名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/04(日) 09:45:25.65 ID:3/FQ7TgF0
スレチなんだけど、ぼくおじゃまさせてもらいます m(_ _)m

今、ぼく行方不明中なんです・・・
ぼくのことを心配している人たちも頑張っているのだけど、
もっと、もっと、沢山のひとにしってもらわないと見つからないんだって・・・
ぼくの動画もあるんだよ・・ttp://youtu.be/IERsFdY104E


かわいいチラシもあるんだよ。とっても見やすいの・・見てください。
      ttp://sakuraweb.homeip.net/uploader/src/up175653.pdf
ぼくのことを検索してほしい・・みつけてほしい・・おねがいします・・・

                   行方不明中の九州盲導犬協会所属 盲導犬アトムより

 
 ★「盲導犬とのよりよい暮らしを考える会のブログ」 で、署名活動をしています。
   ご協力の程、宜しくお願い申し上げます。
    ttp://ame※blo.jp/mo※udouken※-yori※yoi-ku※rasi/

  直接URLを貼るとはじかれてしまいました。
  ※を省略していただけませんでしょうか。
  重ねがさねお手数をおかけしますが宜しくお願い申し上げます
83名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/09(金) 13:50:11.45 ID:5bZIEWB00
献公って領土拡大して晋が強国になる礎を作った君主だけど
後の禍根になるような事を色々残してるな
84名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/12(月) 17:11:12.83 ID:zDIawdyF0
献公って英雄的要素のある暴君って感じだね
85名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/18(日) 04:27:34.00 ID:/0dhZwEJ0
東周が西周の頃のような勢力を取り戻せる可能性はなかったんだろうか
せめて、鎬京を取り戻す事ぐらいはできたと思うんだけど
86名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/25(日) 03:36:11.01 ID:vPKF56wi0
取り戻すメリットがなかったんじゃね
87名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/26(月) 07:28:44.47 ID:KACoWKKB0
諸侯も協力してくれるとはかぎらんしな
88名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/01(日) 18:31:27.00 ID:o28hoHoeO
晋や呉は異民族が周から嫁や婿をもらって姫氏に。
89名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/01(日) 19:07:16.79 ID:UvbYQoVQ0
どっちも姫氏の分家じゃなかったっけ?
90名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/01(日) 21:01:54.49 ID:bz6TcFUB0
>>89
後世の付会疑惑の件だろう
91 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/04/02(月) 04:02:24.82 ID:ZRm7wtgP0
呉の伝説はほんと嘘臭い
92名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/02(月) 10:10:42.37 ID:ZPGO/AIrO
晋は北方民族との婚姻が多いね。
93奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/04/02(月) 23:41:57.95 ID:JmddTnpu0
荘伯鮮が韓の祖だというのは字の座りが悪い例。
94奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/04/02(月) 23:43:56.23 ID:JmddTnpu0
あ、桓叔だった。
95名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/03(火) 00:51:47.87 ID:ZfF3gAS40
姫氏全部が同盟関係の婚姻で結ばれて成立したようにも思える。
96奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/04/03(火) 01:04:58.03 ID:+CXQOGFl0
まあ姜族も「女以」も「女爲」も女系同族だしね。
97!ninja:2012/04/03(火) 01:58:03.18 ID:3A4lc7bR0
燕も後で姫氏になったんだっけ?
98奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/04/03(火) 02:00:07.15 ID:+CXQOGFl0
それも庶長兄という待遇で。
99名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/06(金) 15:10:56.85 ID:HOfUq8BHO
斉も西方から来たように書かれているが、実際は?
100奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/04/06(金) 23:40:35.25 ID:HHopiRiZ0
ひつじおんな



西方かもしれんね。
101名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/07(土) 03:41:04.64 ID:BwmhzhwL0
いや、もしかして莱族と同じような山東半島の原住民が
姜族から嫁を貰っただけかも、ということ。
102名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/07(土) 16:45:33.90 ID:bYb1cbD/0
斉、少なくとも創始者・太公望は、山東半島の族長説が有力らしいね
103名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/07(土) 22:21:12.18 ID:65GddPAOO
姜族は周の最大の同盟者。
周の代わりに娘を送ったわけか。
104名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/10(火) 21:45:46.56 ID:vs0fBaUs0
太公望は実在したんだろうか
105奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/04/10(火) 22:17:42.98 ID:nCVdqkXC0
呂尚はいたんじゃないかな。
106名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/11(水) 05:59:00.31 ID:8h0TluCe0
王姜の存在は金文に確認できるけど
太公望らしき人物は金文では確認できないらしいな
ここで王姜=太公望という新説を唱えてみる
文王は軍師を息子の嫁にしたと
この設定で小説が一本できそうだな
107名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/11(水) 20:14:13.53 ID:xLDVVwj3O
莱の姓も「姜」らしいが、
斉と混同したか斉と同じように姜族から嫁をもらったか。
斉から嫁をもらったのかも知れない。
108奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/04/11(水) 22:13:13.98 ID:Av+dm8T50
洋 という字もある。蓬莱 という地域もある。

異民族といっても海を隔てているのかも知れない。
109奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/04/12(木) 00:19:09.52 ID:udq4fQdB0
廿廿
逢来

どうかなあ。
110名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/12(木) 00:40:06.53 ID:I7UiNzel0
姜族と周が連合して殷を倒したってことでいいのかな
111名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/12(木) 19:40:16.01 ID:ptZdV+D80
姜族と羌族は同じ物か別物かどちらなんだったか
112名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/17(火) 00:07:56.45 ID:X3jb+f5c0
そこらへんあいまいだよな
113奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/04/17(火) 00:11:42.82 ID:95IQ2ERr0
オレ定義は別物ってことで。
114奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/04/17(火) 00:20:48.22 ID:95IQ2ERr0
東夷南蛮西戎北狄

大きい弓の夷。
虫さえ生き延びられない蛮。
いろんな武器を持ってくる戎。
やたら肉を焼いて食う狄。

初期設定イメージはこんなとこ。
115名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/25(水) 12:39:33.57 ID:kmHl0mgLO
>>95
何の縁も無い土地にいきなり「封建」なんてできるのだろうか?
古代日本でも、地方に平氏や藤原氏が土着するときは
婿入りが多かったらしいし。
116奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/04/25(水) 23:15:16.05 ID:jJ9zr5HY0
だから女篇同族なんだろ。
117 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/05/05(土) 02:56:22.52 ID:Q6gkGx5z0
管仲
武力:56
知力:85
政治力:98
魅力:50
光栄式だとこれぐらいかな
118名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/20(日) 07:40:04.75 ID:LzQIpR+E0
この時代知力100候補は孫武かな
政治は管仲
119名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/23(水) 23:39:05.83 ID:O+Z/N94pi
季札の知力ってどのくらいなんだろう
120奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/05/24(木) 00:42:33.51 ID:E+t3fAWM0
この時代の100が誰かは知らんが、子産・晏嬰・叔向と同時に80でどうよ。
121名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/24(木) 07:50:28.01 ID:Vurc1bNv0
「礼力」とか、新パラメータが出てきそうだw
122名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/24(木) 09:40:44.85 ID:FhRcTSC6i
>>120
たぶん
子産>晏嬰>叔向 だろう
123名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/24(木) 15:10:00.98 ID:Wk7qJD1+0
ひとくちに知力といっても、知恵と知識は別物だからな

>>122は知恵なら納得
知識なら晏嬰は最下位だろう
124奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/05/24(木) 22:59:39.61 ID:N60DKb220
礼は重要なパラにしたいなあ。
125名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/24(木) 23:40:13.84 ID:vkGfr3cBi
礼は当時の外交において必要不可欠なので
「政治」の方に入れてもいい気がする
126名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/25(金) 20:23:04.84 ID:VwmpdSxv0
あるいは魔力みたいな扱いでも良いんじゃね
127名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/25(金) 21:21:33.86 ID:RBaVh+f40
やっぱ「会合」の要素は欲しいな。
それに関わるのが「礼」って感じで。
128名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/25(金) 22:29:20.97 ID:8X3YQEzV0
昔シミュレーションゲーム作れないかと夢想した時に考えたのが

礼   高ければ外交に有利
徳   高ければ内政に有利 弑逆・簒奪した後の内政に有利に(低ければ離反される)
席次  内政・戦争における影響度
盛名  名を上げれば席次にも反映 亡命時にも有利

諸子百家  派によってパラ特性が上がる
129名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/25(金) 23:11:46.79 ID:pigBR6RCi
春秋戦国時代の人物が一つの時代に集結したシミュレーションゲームとかやってみたい
130奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/05/25(金) 23:36:31.52 ID:Kkga+WEZ0
そうしないと登場人物が足らなくなる気がしてくるから不思議。

実際に作ろうとするなら一時代切り取るだけでも表現が大変。
131名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/26(土) 11:53:50.34 ID:vXJnpRqh0
太閤立志伝のシステムが上手くはまりそうな気もする
132奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/05/27(日) 22:08:50.89 ID:WcCuTbM60
ある歳、とりあえず楚の成王が君主だと仮定してみる。
133名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/30(水) 12:04:08.06 ID:3hvfSsrm0
楚は公族の足の引っ張り合いしかないから、とりあえず斉に行くわ
で賓須無の門を叩く
134奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/06/01(金) 00:01:44.41 ID:45E0JG7w0
そこに訪ねてきた鮑叔に
135名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/01(金) 20:40:14.81 ID:1rhr5JG/0
一緒に商売しようぜ、と持ちかける
136名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/01(金) 22:01:48.82 ID:i9V9nUl90
鮑叔に声をかけられるなんて事あるはずがない
自分以下の人間には歯牙にもかけんだろ

137名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/01(金) 22:08:11.23 ID:1rhr5JG/0
そんなだから商売に失敗するんだ
138名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/28(木) 20:08:57.96 ID:u4SMcbK10
戦国時代の地図を見てはニヤニヤしてる怪しい奴なんだけど、三晋が保有する城邑の
変遷がほんと目まぐるしくてわかりづらいな
秦にごっそり奪われたり、三晋同士で獲りあったり、特に魏と韓と秦が絡むと
頭がごっちゃになってくる
そんな事をもう10数年も繰り返してる俺もおかしいのかもしれんが
139名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/01(日) 13:24:51.39 ID:QeQtcMRv0
春秋地図から戦国地図に移行すると
国名だけは表示されるけど
国境線の表示が無くなる周と衛は泣ける
140名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/03(火) 01:07:10.89 ID:eDeiwSVd0
魯も戦国時代で没落したな
141奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/07/05(木) 00:08:04.83 ID:Z2Kvdmvs0
国境という概念が当時そこにあっただろうか。
142名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/05(木) 02:28:50.70 ID:8yWCK5kR0
やっぱり都市を点とした基準で考えてたのかね
143名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/06(金) 07:23:49.18 ID:HnloOhZ30
春秋の楚は不気味な大国だけど
戦国の楚はなんかぱっとせんなぁ
144名無しさん@お腹いっぱい 。:2012/07/06(金) 14:56:22.13 ID:NYp99At40
>>142
少なくとも范雎が現れるまではそうだったのかも。
145名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/08(日) 00:37:58.37 ID:qb4iCxmE0
戦国時代の楚はまさに慢心、環境の違いだな
項羽の時代にもう一花咲かせるけど
146名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/08(日) 01:08:59.42 ID:lJWDD+uw0
そうかえ
呉越も併合して徐州方面にも領土を広げてるけど
147名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/08(日) 01:12:38.51 ID:UTe+Jqt+O
一度滅ぼされかけたからかな
春秋の時代より領土が広がってるはずなのになんというか覇気を感じられないんだよね
強大化した秦の下流であると同時に、分裂した晋の複雑な政治力学に巻き込まれたからだろうか
148名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/08(日) 02:08:05.50 ID:EhqODHYy0
関所もあるし簡易な住民把握もある徴収制度もある
149名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/09(月) 00:43:39.29 ID:kWWlzlTP0
悼王とか威王とか強かった時期の戦国時代楚はなんか影が薄いしな
150名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/13(金) 06:07:39.72 ID:Xb5MeV8H0
楚は荘王の時がやっぱ全盛期かな
151名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/14(土) 05:50:35.06 ID:cxNDkYmM0
成王の時に子玉の言うとおりに重耳殺してたら天下取れてたよな
152名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/01(水) 04:22:13.43 ID:lGr0j3J00
それはどうだろうか
153名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/03(金) 22:36:59.28 ID:Jx8S3eYp0
項羽は天下人にあてはまるかもしれんが
せっかくの天下を維持できずに自滅しちゃったな

時代が違うのは論外?? スマソ消えるわ。
154名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/05(日) 06:23:42.59 ID:MgFh993n0
結局、楚で天下に手が届いたのは荘王と項羽の時だけか
155名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/05(日) 09:56:18.37 ID:31nw9+ohO
いや、霊王もいいとこまでいったよ
156名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/06(月) 08:40:36.20 ID:49rn1GMp0
霊王がいいとこなんていったか?
成王の方がいいとこまでいったと思うわ
157名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/15(水) 16:50:16.53 ID:wrXILpOW0
劉邦さんも楚の出身だよね(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
158名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/16(木) 12:43:02.88 ID:O9ZxPaf20
>>157
楚に吸収されてるが沛は宋じゃね?
159 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/08/20(月) 05:44:39.26 ID:MyhXpXOc0
まあそれでも楚出身にはなるでしょ
160名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/28(火) 20:41:03.52 ID:+wqAxTcK0
楚で一番の宰相は誰になるだろ?
呉起?
161奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/08/29(水) 00:18:32.60 ID:s9upoT8f0
子文。
162奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/08/29(水) 00:19:12.43 ID:s9upoT8f0
あ、令尹と宰相は違うね。取り消し。
163名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/29(水) 00:34:39.21 ID:tnmJe3Fv0
ゴキさんは人材としては最高だろうけど、改革失敗して実際の成果は微妙
164名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/29(水) 00:55:56.01 ID:qsXs7SJE0
後ろ盾の君主が代替わりして全部チャラにされた責任を本人に帰すのはどうなのよ
商鞅変法が「存続」したのは商鞅の功績ではないやん
165名無しさん@お腹いっぱい 。:2012/08/29(水) 07:48:16.70 ID:uUJk36qV0
>>164
秦の恵文王は商鞅当人は粛清したけど、変法の効用は認めて廃止しなかったのが何気に凄かったりする。
166名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/30(木) 02:47:52.74 ID:VAb3DxVl0
>>162令尹と宰相はいっしょでいいと思う
個人的に楚で一番の名宰相って言ったら孫叔敖かな、やっぱり
167奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/08/30(木) 23:04:18.41 ID:nhmb7qVo0
のっと おんりい 「熊」 ばっと おるそう 「敖」

多分どちらも族長の意を含む。
168名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/01(土) 05:01:35.04 ID:r8HSBMUc0
呉に滅ぼされかけた楚を立て直した子西は、名宰相としてもっと評価されていいと思う
まあ最後が良くなかったのがネックだけど
169名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/12(水) 17:59:15.14 ID:TlRDeRGI0
秦舞陽って、結局処刑されたのかな。
170 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2012/09/13(木) 01:03:27.06 ID:5MCoWCVP0
そういえばその後について書かれてないな秦舞陽
171名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/16(日) 03:28:24.32 ID:lGREwtIn0
秦舞陽の祖父秦開は名将
172名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/03(水) 10:42:41.01 ID:wHZuiJ8K0
戦国策の文庫本とか出ないかなあ
173名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/07(日) 05:49:40.55 ID:sw78DG6JO
講談社学術文庫から出てるよ
ただし抄訳
174名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/07(日) 09:41:54.74 ID:7CSnbH8Q0
勝手に省略すんな
全訳しる
175名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/09(火) 06:37:09.11 ID:lb2hzyxg0
呂氏春秋の文庫も抄訳だったな
176名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/10(水) 03:16:33.00 ID:TTH3Reme0
墨子一度読んでみたい
177名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/16(火) 02:47:24.94 ID:kx8kQLq20
狐毛はいつから重耳と合流したんだろうか
史記でも左伝でも最初重耳が晋から亡命する時名前が出てこないのにいつの間にか登場する謎
宮城谷さんの小説だと最初っからついてきたけど
178名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/23(火) 20:00:51.28 ID:b2wP5uBV0
過疎
179名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/30(火) 12:22:56.43 ID:RvWUgQuw0
>>172
つ平凡社東洋”文庫”
180名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/31(水) 00:12:52.88 ID:UmxOfC120
全訳はあったっけ?
181名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/06(火) 13:53:40.69 ID:bDZNAa/t0
ああ
182 忍法帖【Lv=5,xxxP】(3+0:8) :2012/11/07(水) 14:49:01.54 ID:D0eKK51h0
たまに左伝を読み返すと色々発見があって面白い
183 忍法帖【Lv=8,xxxP】(1+0:8) :2012/11/10(土) 22:13:42.02 ID:Ktv5TUGL0
春秋時代と戦国時代だとどっちが人気あるんだろうか
184名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/10(土) 23:53:47.68 ID:NO8cwqQX0
そりゃあ、戦国時代だろう。
春秋はしょせん、周王朝の諸侯って建前があるからイマイチ本気で戦争してない。
王を名乗り出してからが本当の戦乱だ。
185名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/16(金) 23:44:09.24 ID:Z6Zh+uKg0
でも春秋時代の方が資料が豊富だから、話題は春秋時代の方が多い気がする
186名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/17(土) 00:14:31.14 ID:R34+DuWa0
春秋時代は、覇者体制の成立で滅国が少なかったからね
晋覇は特に体制維持に強力に発動したから、
晋楚で同盟国の奪い合いに終始した
晋の覇者体制が弛緩したあとは、滅国が起きるようになって
戦国時代前期の混乱に繋がっていく
187名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/19(月) 17:25:39.28 ID:yh2Pn/JR0
春秋時代と戦国時代って一まとめにされてるけど、結構違う時代だよね
188名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/19(月) 19:45:11.60 ID:xJrfVsjC0
でも魏の大梁遷都が、覇者体制の最終的挫折(魏にとっても秦にとっても)になるわけだから
戦国前期はわりと春秋時代の継続と見做せるよ

東周初期の滅国→斉覇と晋覇→晋覇の弛緩と滅国→魏覇→覇者体制の挫折

称王の頃になって、ようやく春秋時代的なものが払拭されていく
189名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/22(木) 03:08:37.59 ID:VR7fgovQ0
>>182
許が遷都しまくってたりとか、秦が川に毒を流しただとか、
やけに詳しく氷の貯蔵法が書いてあったりとか、
他人の女を奪って嫁にしたら、旦那に逆襲されておっ死んだバカな奴がいたとか、
さりげなく楚軍が戦争で象を使ってたりとか、
いろいろ書いてあっておもしろいよね
190 忍法帖【Lv=2,xxxP】(2+0:8) :2012/11/28(水) 04:12:05.76 ID:rQz5CuqN0
戦国時代の史料がもっと残ってほしかった
191名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/03(月) 00:04:56.69 ID:QPtfGJqX0
NHKは面白かった
中華に関しての書物は多いけどNHKでやっちゃったよ
ただ秦が強引に中原ってのは腑に落ちないけど
あれはあれで納得いくのか少々疑問が残る
始皇帝の策略ではなく誰だっけ側近の奴
192名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/03(月) 06:19:43.72 ID:bXCTrEgf0
>>191
共産党のプロパガンダ放送だろ
あれを手放しで絶賛するのはさすがに歴史を知らなすぎ

そもそも穆公の存在とか、どんだけガン無視されてんだよ
193名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/03(月) 21:45:59.96 ID:mNwsHeWs0
違う
プロパガンダ?どこが?
穆公を名指ししているけど、よくは知らないだろこのお人
まずは趙から学習すれば
194名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/03(月) 22:49:20.57 ID:xjHD0WOX0
>>193
秦=西戎論の組み立てが、杜撰極まりないんだよ
東周成立時の貢献による諸侯封建、東周期の勢力拡大、晋の撃破(韓原の戦い)という
一連の東方への積極的関与、これと並行して行われる西戎に対する軍事行動
確かに秦は西の端っこの田舎ものかもしれないが、その文明としての帰属は建国当初から
「周」の文明圏だよ
こういう辺境諸侯が異民族とのマージナル的な立地条件により強大化する事例は意外と珍しくない
(アケメネス朝ペルシア、唐高祖李淵、ブランデンブルク辺境伯等々)

楚のように「我は蛮夷なり」と、真っ向からの対決姿勢を示すのもありだし
宋のように商代以来のかび臭い戦場儀礼を意地で押し通して惨敗するのもありだろう
でも、秦が西戎としての行動原理を押し通した場面ってあるの?
西方諸侯としてパワーゲームに絡むその姿は、斉晋と同類の周の封建諸侯と言わずに何と言う
こういう蓄積の末の秦による滅六国なのに、昨晩の内容だと過程が存在してないんだよ

  「西戎出身の秦」が、先進文明圏である「中原(中夏)」を征服して、
  「自ら中華と称し」て、「中華文明圏の継承者」となりました。
  これ以後の簒奪政権も異民族の征服王朝もこの理論で中華文明を継承しました
  そして共産党政権もそのロジックで統治上の正統性を担保しています。

結論ありきの番組構成を批判して何が悪い?
中華文明の継承性を論議するなら、文明保存装置としての漢族知識人を語った方が有意義だぞ
195名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/07(金) 17:34:56.44 ID:x/neaGrR0
はあ?
西戎の意味も知らんのか中原の意味も分かっていない
周の文明圏は西周?東周?
196名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/19(水) 08:14:15.71 ID:ct5918vZ0
春秋時代で一番の名君は晋の文公
197名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/03(木) 01:32:29.16 ID:Vm0AudUN0
楚の覇権が荘王以後もそのまま続いていたら、周王朝は滅んでいたんだろうか
198名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/24(木) 15:30:40.52 ID:xXSmkJmV0
どうだろうか
199名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/26(土) 00:54:46.55 ID:9++QMUDH0
周王朝って権威だけで細々続いてたイメージなんだが
歴代中華王朝にとっては夏王朝の扱いだけは別格なんだな
実際にはしょぼい版図の都市国家だったようだが
200名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/26(土) 20:32:13.40 ID:uMJLpBDs0
今の安倍政権の外交は戦国時代の合従政策みたいなかんじ?
中国が秦で日本が魏、日本は特亜以外のアジア諸国と合従して中国に対抗するつもりなのかな。
201名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/26(土) 21:53:22.11 ID:DyAqcdl10
世界最強のアメリカ合衆国をド忘れですか?
合従に似てるが、今の中国は七雄最強の秦とは違う。
202名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/26(土) 22:44:27.14 ID:uMJLpBDs0
米国は斉と重ねていましたが
たしかに米が斉だと実力が比べもンにならんくらい強すぎますね。
203名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/27(日) 02:02:38.17 ID:OJFg1jKy0
21世紀に中共みたいな帝国主義さながらの膨張主義はさすがに珍しいからなw
ロシアまで中国とは距離取り始めてるし中国は実際には世界で孤立しつつある
204名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/28(月) 04:20:42.44 ID:2K9PIBA20
今の国際情勢は戦国より春秋時代の方が近いんじゃね
中原を侵略する楚が中国で、盟主の晋がアメリカ
日本は宋あたりかな
205名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/11(月) 02:32:18.82 ID:RSCH4edE0
戦国時代って誰が一番の名将だろうかとか議論されたりしてるのに
春秋時代はあまりそういう議論が無いな
206名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/11(月) 10:26:28.44 ID:RDb0EUuqP
夏 殷 周 秦 漢

夏 神格化
殷 漢字を作ったりかなり重要な王朝なのにディスられすぎ
周 実際は大したことないのになぜか太公望伝説とかで持ち上げられすぎ

中国では政権次第で再評価が頻繁に起こるから殷が持ち上げられる時代も来るかもしれんな
207名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/12(火) 02:48:00.38 ID:aEpf5mmZ0
個人的、春秋時代の名将
鄭の荘公、斉の桓公、晋の先シン、晋の士会、楚の荘王、呉の伍子胥、呉の孫武、越の范レイあたりかな
208名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/12(火) 17:51:57.83 ID:sPBpInnP0
春秋時代は戦より外交戦略の時代だよね
王朝の権威ってのはやはりおっきいんだろうな
209名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/18(月) 01:11:49.26 ID:Z194dMJc0
>>199
宗教とか伝統とかってのは理屈を超えてるから
その時代の人間になってみないとわからんのじゃね?

「周ってw都市国家ちっちゃすぎワロタw」とか現代人の価値観でいっても
「二次元の女に散財とかw未来人アホスw」とか言われんのと同じじゃね?
210名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/18(月) 07:08:36.58 ID:XoH70HX7P
例えが不適切だと思うw
夏王朝も始皇帝以降は重視されてないしやはり皇帝の存在ってのが中華帝国そのものなんだよな
現実主義でもあるがいざ崩壊しだすと権威もなくなるという諸刃の剣
211名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/18(月) 23:44:43.22 ID:7AG0i45x0
二次元の女に散財は普通に現在でもバカにされるだろ
212名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/20(水) 00:28:20.26 ID:1ipalU9GO
三晋はどういう理由でああいった領土分配になったんでしょうか。
213名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/25(月) 04:18:32.75 ID:EhedWWpQ0
三晋って最初は趙が一番だったんだよね?
で、その後文侯があらわれて魏が一番となり
で、魏が弱体化して趙がまた一番となるのか
韓のターンはいつですか?
214名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/25(月) 18:30:25.29 ID:d/cWEbUb0
宮城谷小説でしか春秋千石時代の知識知らないおれに言わせると
韓にはスーパースター昭公がおられるやん
215名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/25(月) 22:01:45.16 ID:x+tasKs10
>>213
初期は、趙・韓が強力
晋侯を擁立して、魏文侯が台頭
韓がそれに対抗して周王を擁立しようとしたり、魏が称王したり
秦・斉が台頭してから、趙武霊王でもう一度強大化

ぶっちゃけ、趙がもう一回持ち直しているのがすごいだけで
三晋は戦国初期が全盛で、あとは周りからぼこぼこにされている
216名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/25(月) 22:45:16.24 ID:6jepVI5k0
やっぱデカい晋でも秦楚に勝ったり負けたりしてるのに、
さらに3つに分かれちまった時点で死亡フラグだったんだな。
217名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/26(火) 01:18:44.77 ID:MHwLZHWO0
>>215なるほど春秋初期はそんな事があったんだね
218名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/26(火) 20:45:51.06 ID:rw/ufIIX0
少なくとも山西部分?(魏の西部、韓の北部)をすべて趙が領有できたらなあ・・・
219名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/27(水) 03:54:55.01 ID:oVUSVjxL0
魏と趙が対立せず友好関係を築いて秦に対抗し
韓の上党郡が趙に帰属した長平の戦いの前が似た形だが…
220名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/27(水) 22:25:47.84 ID:XEMEPudZ0
それでも…それでも平原君ならなんとかしてくれるはずだ

上党にしても魏斉の件にしてもなにかこううまい事言ってるけど結果うまくいかないんだよね。
外交判断や将来を予見する力が足りないのか…。でもそこがいい、彼の俗っぽさがたまらん。
愛さずにはいられないその個性(ウイニングポストより)
221名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/27(水) 22:46:40.72 ID:o2X4nMCG0
廉頗が更迭されずに白起と戦う長平の戦いをぜひ見たかった
222名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/27(水) 23:22:00.13 ID:8qbYcWaV0
廉頗さんの方針はひたすらガン待ちのブリザード戦法だから、あんまり面白い内容にはならないかと。
五丈原みたいにずっと睨み合い。しかし持久戦で先に死ぬのはたぶん老将の廉頗。
死んだ後で趙括起用でやっぱオワタ。
223名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/27(水) 23:50:45.38 ID:XEMEPudZ0
平原君「長平の戦いってだいたい趙括のせいだよね、あと1年踏ん張ったら楚と魏が合従するはずだったし」
224名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/27(水) 23:57:51.17 ID:bBEdNhObO
なんで趙括は今まで実際に戦う機会が無かったんかな?
父も戦場に連れて行かなかったのか。
225名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/28(木) 00:54:53.77 ID:yChFo8sn0
>>222廉頗は長平で更迭した後も、将軍として活躍してる
すぐ死ぬとはかぎらない
226名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/28(木) 01:25:00.74 ID:doptGU1D0
>>224
趙括の逸話はそのまま受け取らない方が良いかと
それなりに実績がないと趙括を起用させる工作を秦がしても誰も相手にしない

長平は初期に趙軍が上党と協力して大攻勢をかけて上党郡を確保するか
確保できずとも秦の上党占領をある程度阻止して秦軍の糧道を断てなかった時点で敗色濃厚
相手を上回る大軍で守ってるのに砦を奪われて持久してる廉頗が白起や後続の昭王の大軍と戦うと…
227名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/28(木) 09:05:40.13 ID:t3hmawZV0
昭王の時代に中原統一してれば秦はもっと長く続いたかな
政というか荘襄王すら即位できない可能性が高かったろうし。
228名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/28(木) 13:23:02.83 ID:doptGU1D0
後継者がどういう方針をとるのか分からないからなあ…運不運も変わってくる

まあ、白起と趙括の戦いで秦軍も大損害を受けてたから昭王時代に中原統一は不可能に近いので
秦の長期存続なら魏ゼン時代の秦斉二大帝国並立状態が長く続いた方が良かったかな
229名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/28(木) 23:55:32.55 ID:Cno/MvrgO
昔の気持ちを思い出すため、
晋陽に遷都するとか
230名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/01(金) 00:03:00.20 ID:588kiz/q0
趙が?
231名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/01(金) 00:25:32.35 ID:bbsNcRlyO
七国中、四カ国の首都が中原内にある。
しかも趙の都と楚の都はすごい端にある。
232名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/01(金) 04:43:10.31 ID:SSaZBVr70
こうしてみるとあんがい中華って狭いよね
233名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/01(金) 15:47:48.41 ID:588kiz/q0
韓魏趙は中原だけど他の都は中原ではないのでは?
234名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/01(金) 16:24:57.60 ID:bbsNcRlyO
>>233
楚は陳
235名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/01(金) 17:05:32.31 ID:588kiz/q0
>>233
末期の楚ですか、楚といえば郢(紀南城)が固定観念になってるな

秦に西南方向から攻撃されて北東の寿春や陳に遷都した楚だが
もし斉が強大化して追い詰められたら勢力圏の南越方面に遷都したかな
236名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/01(金) 18:08:23.15 ID:bbsNcRlyO
>>235
楚の中華化は陳遷都で完了したんだそうな。
項羽の時代くらいには異民族要素は無かったんでは。
237名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/01(金) 19:18:52.68 ID:HReCfkl+0
白起と司馬錯が郢陥落させたのは長平と並ぶ戦国のターニングポイントなのかもなぁ
238名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/01(金) 20:58:34.29 ID:588kiz/q0
>>236
先進中原文化を取り込んでたとはいえ紀南城は
中原呉越四川雲南南海の中間点で完全に中原化する事はなかったでしょうね
>>237
南方全土に影響力を持つ帝国から東方の一王国に転落して
秦の中原進出を牽制する事が出来るのが趙だけになったからな
239名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/01(金) 22:13:50.54 ID:DXITpBNR0
>>238
楚の王族やら貴族、宮廷が中華化したというだけの話で、
華南地方が中華化したのはずっと後でしょう。
ただ、項羽やら漢代には「楚」と言うのはずいぶん北東の名称になっている。
240名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/01(金) 22:20:38.61 ID:FiaZ7c2x0
楚ってなんか冬将軍のないロシアみたいだな
241名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/01(金) 22:55:56.98 ID:DXITpBNR0
七雄って春秋時代はみんな中華の端だったんだな。
242名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/01(金) 23:42:43.02 ID:588kiz/q0
>>239
旧楚の中心地を奪い返せないまま半世紀も経過しては
陳や徐州あたりが楚と認識されるのが自然なんでしょうね
>>240
秦に蜀を制圧さえされてなければ白起に漢水流域を奪われても
ロシアのように逆襲に転じて奪い返す事も可能な国力も国土もあるな
243名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/01(金) 23:43:24.72 ID:bbsNcRlyO
魏や韓は中原の内と外に領土がまたがっているが、
これはラテン地域とゲルマン地域にまたがる領土を持つ、
ベルギーのようなものに近いと思う。
244名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/02(土) 00:01:02.97 ID:Auj0EkmM0
豊かな都市地域と飛び地になりがちな辺境は似てますね>韓とベルギー
魏はもう少しスケールが大きく複雑でしょうか
245名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/02(土) 00:09:47.20 ID:tWew8wOOO
後世の国民国家みたいのでなく、
日本の戦国時代の分国みたいなもんかな。
特に韓魏は。
246名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/02(土) 00:42:32.76 ID:Auj0EkmM0
長年安定して同じ領域を支配していた秦(関中)や斉は国民国家っぽいとは言えるかも
韓は鄭を滅ぼしてから時間がもっとあれば良かったが秦が…

西部の安邑と東部の梁に王が東西に行ったり来たりで公子が留守役、
最盛期には中山にも公子を封じたり複数の国を抱える魏は分国っぽいですね
247名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/02(土) 01:27:19.49 ID:tWew8wOOO
言葉もどうなっていたのやら。
おそらく上流階級は共通語があったんじゃないかと思いますが(各国の政治家も外国人ばっかりだし)。
248名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/02(土) 02:00:47.58 ID:Auj0EkmM0
漢代になると遠方の国と通訳を通しての話も多いのに戦国時代には聞きませんから
周王朝由来の基礎的な教養が共通語(漢語)になっているんではないかと思います。

庶民も戦国から漢代にかけて識字率はかなり高そうなので意外と話せるかも
方言も中原国家の住民同士なら意思疎通には問題ないのではないかと
249名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/02(土) 02:03:50.27 ID:1FJw3K4I0
250名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/02(土) 02:11:51.43 ID:1FJw3K4I0
>>248
ヨーロッパでもイタリア語なりフランス語を共通語とし、
ロシアのような遠くの国まで上流階級は互いに交流してましたね。
そういえば春秋戦国の各国も配偶者をヨーロッパのように外国に求めてましたし。
251名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/02(土) 02:31:07.42 ID:Auj0EkmM0
>>249
紹介、ありがとうございます
そのサイトは知っていましたが言語に関する内容は読んだ事がありませんでした
>>250
姫姓諸国の公女が各国に配偶者として移動すると一緒に大量の人間が
移動しますから共通の文化が各国に浸透するのも当然かもしれませんね。
辺境の中山でさえ戦国時代には姫姓の王族が統治したとか
252名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/02(土) 02:41:34.87 ID:tWew8wOOO
呉、晋、燕は周から
斉は姜族から
現地の首長に嫁が送り込まれた可能性がありますね。
253名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/02(土) 02:56:42.55 ID:Auj0EkmM0
通婚して周文化に染まったのと
滅ぼされてから王族を送り込まれて乗っ取られたパターンがありそうですね。

代のように通婚したと思ったら滅ぼされた国もありますが
254名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/02(土) 09:30:54.52 ID:tWew8wOOO
>>249
周韓鄭と宋衛が分かれているということは、
中原の言葉も東西で分かれていたと。
それが単なる方言程度なのか(日本語も日本アルプスの東西で違う)
何か民族的な違いも多少はあるのか。
255名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/02(土) 11:03:50.26 ID:KqpxEAiB0
国民国家と言うなら、ここの後梁前期が
各国の面積や首都の分布的に一番ふさわしい。
ただ君主は中原の人間が多いし、
国家の意識を持つ前にすぐ消滅したけど。
http://zh.wikipedia.org/wiki/File:%E4%BA%94%E4%BB%A3%E5%90%8E%E6%A2%81%E5%89%8D%E6%9C%9F%E5%BD%A2%E5%8A%BF%E5%9B%BE%EF%BC%88%E7%B9%81%EF%BC%89.png
256名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/02(土) 17:04:39.38 ID:n3BPXupK0
>>254
周韓鄭は戦国時代に既に一体化していたので、
黄河下流域の衛や淮水流域に近く伝統を千年守ってきた宋とは多少違うだろうな。

>>255
秦漢以降は統一帝国が意識されて中華の地域国家は安定せず消えるか統一に向かうかで長続きしないな。
257名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/02(土) 22:36:06.22 ID:tWew8wOOO
>>256
東遷組と在来組の違いでしょうか。
位置は大して離れてはいないので。
258名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/02(土) 23:53:23.71 ID:Auj0EkmM0
大別すると大体こんな感じか?

関東 中原が周韓鄭魏(最盛期の魏辺境部は別)

関東 東部が衛宋齊魯(斉の莱征服後に東斉と黄海沿岸部も同グループか?)

関西 秦

楚(末期の淮水に拠った楚は衛宋齊魯に近い?)

中国東南部(呉越と南越)、中国東北部(燕と朝鮮、その北方など周辺部も)

趙(西部、東部、北方、中山、代)

巴蜀(楚が領有した雲南は?)
259名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/03(日) 00:06:00.74 ID:as6QnObBO
>>258
魏も東遷組だから…
でも趙も邯鄲遷都してるから東遷組に入るかも。
260名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/03(日) 00:24:43.95 ID:jkGGJVlm0
>>259
魏と趙は変動が激しいからどう分類すればよいか迷う…

趙なんて複数地域を支配する帝国化してるし(意外と燕も)
261名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/03(日) 01:03:47.75 ID:as6QnObBO
>>258
日本海あたりには、
日本語朝鮮語アイヌ語古アジア語など
独自の孤立した言語が多いけど、
山東や呉越あたりもそんな感じだろうか?

あと、周鄭韓魏(趙も?)の東遷組は関西の住人を大量に連れて来た可能性も高いかな。
262名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/03(日) 01:23:13.48 ID:jkGGJVlm0
俺もそう思います
山東は斉に、呉越は自らの伸張と楚に征服された事で独自性を失い
漢代には同化していったのではないかと

東遷組は西方人が多い周鄭韓魏+趙と、
東方人が多い斉魯衛宋で分かれている感じでしょうか
263名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/03(日) 02:08:28.23 ID:jkGGJVlm0
しかし考えてみれば
地域ごとに言語などで強く結びつき統合されていた戦国列強を殲滅戦で
ぶっ潰した秦はいろいろ凄い国だな特に洪水で城ごと消してる白起は…
264名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/03(日) 08:23:45.16 ID:KAZcxcuD0
白起は城も人も壊す、まさに破壊神だな
同じ名将でも占領地で民衆の信頼を集めるため色々やってた楽毅とは対照的だわ
265名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/03(日) 09:31:20.33 ID:JG13ntMY0
結びついてるといっても、しょせんは周の元諸侯。
教養ある層ほど天下を思って祖国意識がまったくねぇ。
本物のみんじょく国家と比べると脆い。
266名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/03(日) 14:00:18.47 ID:as6QnObBO
>>262
斉魯衛宋のうち、宋は殷の末裔、
残りは君主は西方系だとしても、中原人を統治するために置かれた国ですからね。
267名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/04(月) 01:29:56.34 ID:NU6Xs2Ax0
秦と戦ったといえば、魏や韓は百数十年サンドバックになりながらもしぶとい、
魏や韓と比較して楚や蜀があっさり占領されるのはなんでだろ?
268名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/05(火) 17:03:58.20 ID:DY+JdnTk0
巨大都市の防御力+都市間の距離が近く連携してくる

野戦で勝っても中原の城攻めは難しい、反撃され奪還される事も多い
269名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/05(火) 19:55:20.24 ID:cWgGny+8O
>>262
楚はミャオかも。
270名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/05(火) 22:08:49.93 ID:jC2cshdl0
ミャオが呉越を征服するも本拠地を白起に消されて征服地に亡命したのが末期楚
271名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/05(火) 22:17:10.41 ID:T3/Nu7/b0
>>263
いや、
後世の民族国家とは違い、
ベルギーやらオーストリアハンガリーやらアンジュー帝国みたいな
文化圏地域圏関係なしに成立している国家。
戦争でくっつけていった領土の集合体みたいなもんでしょ。
織田の領土を「尾張」って名づけたり、
伊達氏の領土を「伊達」って名づけるようなもんかなと。
272名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/06(水) 17:06:28.29 ID:M4oxwgJXO
西周と同じ場所で、
民族的にも同じであろうはずの秦が何故野蛮人扱いなのでしょうか?
273名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/06(水) 18:38:51.18 ID:M4oxwgJXO
まさか西周は中原に比べてかなりの野蛮人?
274名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/06(水) 19:16:00.96 ID:QqXgvj3R0
殷の時代は周も異民族扱いだったしな
275名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/07(木) 22:34:18.02 ID:jzIBD2JV0
地方諸侯のひとつでしょ、方伯封じられてるし
276名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/08(金) 08:09:03.13 ID:Tpr9e6UO0
先祖が后稷は眉唾だし、歴史も浅く、文化も低い。
西伯にしたのは召を抑える為だろう
277名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/14(木) 02:33:42.69 ID:04fUEv9/0
宮城谷の小説だと周と召が同盟して殷を倒したみたいな事になってたけど(しかも太公望のおかげで)
実際はどうだったんだろう
278名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/16(土) 20:43:26.74 ID:GhaXgiPZO
無理やり日本に例えると

・中原(殷)=畿内
・関中=関東
・周と秦の故郷(甘粛)=東北

みたいなイメージか?
279名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/17(日) 23:40:59.43 ID:zK01tgv90
>>277
そのぐらいしたことにしないと文王四友や他さしおいて功績第一位なんていわれないと思うわけで
280名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/19(火) 02:27:48.74 ID:3yxC9YmP0
そもそも文王四友の功績自体ようわからんし
281名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/21(木) 21:19:26.58 ID:5qsI2zre0
>>246
あんなヘッドフォンみたいな形で
酔う国を維持で来たもんです。
282名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/21(木) 21:23:23.54 ID:5qsI2zre0
中国語はシナ・"チベット"語族と言うくらいですから、
西方から来た周が持ち込んだと考えることも可能だと思います。
283名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/22(金) 00:35:11.71 ID:t4ZbItQY0
晋に関する記述だが、どこにこんな根拠があるんでしょう?
http://weekpedia.myht.org/index.php/%E6%99%8B
284名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/22(金) 01:30:12.15 ID:uBONPq3X0
>>281
韓とは友好関係だった時期が長いのが関係してるかもね
285名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/22(金) 12:30:12.27 ID:cfNSHtWvO
韓も瓢箪みたいな形ですし。
中原の領土を公平に分けた結果なんでしょうが。
286名無しさん@お腹いっぱい 。:2013/03/22(金) 15:04:57.86 ID:yQHQv+6I0
>>285
点(邑)と線(道)で領土を形成してた春秋時代の名残かと。
領土を面からとらえるようになったのは范雎以降では。
287名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/22(金) 17:39:08.31 ID:cfNSHtWvO
>>286
「魏」や「韓」という国というよりは、
「魏氏御領地」、「韓氏御領地」みたいな感覚でしょうか。
288名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/22(金) 19:41:27.62 ID:uBONPq3X0
韓の領土は黄河に南北から流れ込む河川を考えれば纏まってるよ
秦は蜀を領有した経緯をみると面でとらえる考え方もあったんでは?
289名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/23(土) 19:29:20.98 ID:GDSFmebLO
>>288
中原外の国の方が
そういう考え方しやすい可能性がありますか
290名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/23(土) 20:10:47.19 ID:GDSFmebLO
たしかカール大帝は兄と領土を分割相続したが、
その分け方が韓と魏に似ていた気がする。
一方が馬蹄形で、もう一方を覆う。
また、両方ともゲルマン・ラテン両地域にまたがっていた。
291名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/05(金) 16:09:37.54 ID:AMTOkwuu0
ちょっと聞きたいんだけど
斉威王に楚荘王と同じ鳴かず飛ばずのエピソードがあるってウィキやらに書いてるが
中国語版なんかで公開されてる史記原文を見てみると田敬仲完世家にはそのエピソードがないような気がする
漢文だいたいでしか読めないんだけど鳴かず飛ばずのやりとりってそこに載ってる?
それとも出典は史記以外の何かか
292名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/05(金) 17:57:14.13 ID:orey+ysP0
滑稽列伝だよ
293名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/05(金) 20:30:55.88 ID:AMTOkwuu0
>>292
ほんとだ。凄いな。こんなすぐ的確に答え返ってくるとは思わんかった
ありがとう。
294名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/06(土) 09:45:56.79 ID:eMbN3Av20
紀伝体ってめんどくせぇな(´・ω・)
295名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/07(日) 11:49:39.55 ID:kgjj83rg0
春秋戦国は最初は百以上国があって七つに淘汰され最後は秦が統一したとききました。
百以上の国のすべての国の名前を教えてください。
296名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/07(日) 21:33:14.02 ID:9CsbknEG0
すべては無理です
史記・春秋にそもそも記録されていない国もあるでしょうし、
数だけ挙がっていて名前不詳の国もあります
また、考古学の最新の成果含めてとなるとそこまでカバーできません

ただこの回答ではつまらないので
某所から春秋を参照にリストアップした国を挙げます

燕、無終、南燕、胙、山戎、斉、紀、莱、杞、介、
筥、向、譚、タン(炎+β)、鍾吾、フク(イ+福の旁)、薛、曾、小チュ(朱+β)、滕、
任、チュ(朱+β)、魯、セン臾(山+而+頁)、禹、セイ(成+β)、宿、須句、ショウ(章+β)、遂、
ジ(寺+β)、曹、徐、宋、陳、蕭、巣、彭、極、告(告+β)、
蔡、頓、項、沈、胡、州来、舒、舒蓼、舒鳩、舒庸、
龍舒、宗、唐、随、貳、ウン(員+β)、蒋、英氏、頼、黄、
弦、六、鍾離、呉、越、鮮虞、肥、鼓、ケイ(刑-リ+β)、路、
廠咎如、叟瞞、黍、皐落、留吁、甲氏、鐸辰、翼、晋、魏、
耿、虞、シュン(旬+β)、随、楊、皐落、狐、賈、霍、韓、
荀、衛、州、雍、原、凡、単、檀、蘇、赤狄、
鄭、許、祭、滑、周、カク(爪+寸+虎)、毛、甘、劉、召、
成、尹、鞏、焦、瑕、揚、拒、泉、皐、伊、
洛、陸渾、梁、苒、白狄、義渠、秦、西カク(爪+寸+虎)、姜戎、絞、
驪戎、犬戎、息、江、蓼、道、柏、申、商密、ケ、
軫、蛮氏、キン(鹿+禾)、庸、穀、廬、羅、楚、州、百濮、
キ、巴

以上162ヶ国

これ以上は自力で調べることをオススメします
297名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/07(日) 22:53:38.30 ID:kgjj83rg0
>>296
ありがとうございます。
298名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/08(月) 18:42:56.52 ID:kDg1fRXF0
まじめやなー
299名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/24(水) 18:51:15.00 ID:uXnGfLjr0
もしも仮に春秋五覇的なノリで戦国五覇を決めるとしたらどんな組み合わせになると思う
300奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2013/04/25(木) 00:21:58.57 ID:9AdBpd5G0
信陵君、白起、楽毅、田単、安陵君

敢えて君王を選ばない縛りで書いてみた。
301名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/27(土) 03:17:17.59 ID:nJL8A97P0
>>299魏の文侯・斉の威王・楚の威王・燕の昭王・秦の昭襄王
趙の武霊王も考えたけど、彼の場合中原で覇を唱えたわけじゃないから外した
302名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/27(土) 06:58:56.24 ID:Gz0zuuTN0
確定的に言えるのは斉威王だな。
威王だけは春秋五覇に似た雰囲気を持ってるし。

魏文公も入る。燕昭王にも同意。

でも楚威王はないな。楚威王を外して趙武霊王を入れてもいい。

問題は秦。

とりあえず始皇は除くとして昭襄王は分かるけど元は考公なんだよな。
秦が強くなったのは何故ですか→商鞅がいたからなんかテンプレだし
だから考公を何とか入れたい。すると武霊王を外して

魏文公 斉威王 燕昭王 秦考公 秦昭襄王

考公が覇者じゃないってんなら武霊王を入れればいい。
303名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/27(土) 21:51:50.80 ID:bR49JMqI0
韓が一人も入らないのはまあ分かるとして、戦国時代の楚は腐敗っぷりがちょっと半端じゃないな
春秋時代はほぼ最強だったのに
304名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/27(土) 23:52:28.74 ID:nJL8A97P0
>>301楚の威王は越を滅ぼし、斉の威王を破るなど実績は十分
威王の頃が楚の最大領域であり、楚が衰退するのは威王の後から

対して趙の武霊王は中山を滅ぼし、北方民族を破って傘下におさめたが、中原諸国との戦ではほとんど勝ちがない
秦の穆公も同じような立場ではあるけど、穆公の場合、晋を何回か破ってるからな
305304:2013/04/27(土) 23:53:31.58 ID:nJL8A97P0
間違って自分に返信してしまった
>>301>>302の間違いで
306名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/28(日) 21:19:44.11 ID:90doVKUS0
>>304
確かに越を倒したのは功績と思うけどな。
いわれてみると凄いのかもしれんけどそんなイメージが薄いな
荘王なら絶対確実って思うけど

まあ春秋五覇も5人全部が確定してるわけじゃないんだし
そこらへんは曖昧でもいいんじゃね。
斉桓晋文みたいに斉威燕昭とか
307奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2013/04/28(日) 23:07:09.71 ID:ujmqanet0
覇の意味が戦国では通用せんからねえ。
308名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/29(月) 04:54:18.71 ID:hHKjPwQd0
あえて覇者認定された5人選ぼうとしたら
秦献公、秦孝公、魏武侯、魏文侯、魏恵王、韓昭侯くらいしかいないというね

政治史的には洛陽を中心に東西で分かれるとか、
春秋をベースにしているから、実は魯近辺の有力諸侯が必要以上にクローズアップされているとか
そういう偏りを抜いてしまうとなかなか綺麗に選定できないものだなあ
309名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/01(水) 01:20:38.04 ID:lowqpyMJ0
秦献公って元献公って見たけど、二文字だったけど略されて
忘れられ一文字になった人多いね、一文字だと被るから二文字がいいんだが
310名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/04(土) 06:17:18.40 ID:JuLXF6530
武霊王って戦国時代では珍しく君主自らが軍隊を率いて戦ってたんだよな
311名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/06(月) 13:40:43.51 ID:HemyPUSRO
何度読んでも刺客列伝が意味不明なんだが、こいつらなんなんだ?
312名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/06(月) 21:17:30.30 ID:9nnQN6M20
なんって刺客でしょ。暗殺者。ちょっと違うようなのもいるけど

そういや張良も刺客列伝入れそうやな
他の事跡大きすぎるから世家行ってるけど
313名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/06(月) 23:18:04.44 ID:2cftohRcO
邯鄲市に観光に行ってみたいなあ
314名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/07(火) 12:31:16.16 ID:cY6kvg060
六って結構でかい国だったんだな
色々調べてみると面白い
315名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/08(水) 21:56:32.98 ID:Ox5nedWr0
>>313
邯鄲市には恵文王と恵文后の陵墓があるね
観光地化は不十分だけど全盛期趙の遺産だけに壮大な規模
316名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/11(土) 01:23:25.05 ID:j75ydZWx0
ところでそもそもの話、周王朝はせっせと封じて諸侯づくり・・・なんていうやり方をやらず、
直轄地を増やすやり方をすれば、こんなにも早く衰えて動乱の時代・・・なんてならなかったんじゃないかと思ったりする。
日本でも江戸幕府は直轄地が多かったから基盤が強かったわけで、直轄地の少なかった室町幕府は「あんな展開」だったし。
わざわざ無数に諸侯をつくって、支配しにくくする意図ってなんだったんだろう。。
317名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/11(土) 01:24:44.79 ID:j75ydZWx0
>>314
確か、莒っていう国も、凄くマイナーな割には大きかったような・・・
318名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/11(土) 05:58:21.21 ID:uLOk8tqv0
>>316単純に周に直轄地をたくさん作るほどの力がなかっただけじゃない?
319名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/11(土) 06:31:30.50 ID:yGGZ6E49O
直轄地を増やすには緻密な成文法が必要。
法家も成文法もない古代周王朝じゃ広大な大陸で群県制は無理。
320名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/11(土) 10:44:35.40 ID:HyF5rKt3O
法は文化や風習が異なる共同体を束ねるものだからな
成文法ができたのも、孔子や晏子がいたのと同時期だから相当遅い
321名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/11(土) 11:43:20.50 ID:oPu1ZPYS0
日本じゃまだ弥生時代の頃よ
江戸と比べちゃいかん
322名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/11(土) 16:38:31.99 ID:0G4fIimJ0
弥生時代は確か紀元前300から紀元300まで600年だろ
周は紀元前1000年までさかのぼるから弥生時代よりずっと古いな
323名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/11(土) 19:05:49.56 ID:j75ydZWx0
広い直轄地を持ったり、中央集権体制を作ったりするのって大変なのか・・・
324名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/11(土) 19:23:35.64 ID:aGaTYQnMP
周が殷を打倒する時に単独で打倒してれば殷の領土は周が併呑できたんだろうけどね
連合軍ではあくまで神輿だわな
325名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/13(月) 21:15:59.43 ID:9T4hyVSuO
あれもまた、合従軍っちゃあ合従軍なんだろうか
と言うか楽毅、信陵君、春申君以前で合従軍指揮った人っていたっけ
326名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/19(日) 15:04:05.75 ID:D9TB4mY60
BC316年蜀で内乱が勃発

張儀「韓を討ち、中原に打って出て周を恫喝し、天下に号令をかけるべき」と言う東進論

司馬錯「蜀を手に入れて国力を増すべきである」と言う南進論

があったが司馬錯の東進論が採択された。これでよかったのかな?
327名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/19(日) 15:07:53.47 ID:D9TB4mY60
>>324
殷末期は東方の国と幾度も戦争を繰り返して国力が疲弊している所を周に攻められて負けた。
周単独では倒せなかったね
328名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/19(日) 21:42:46.21 ID:7GJdPDCd0
>>326
両方やったんだから悩む必要ないな。
329名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/22(水) 21:59:50.93 ID:PE3j6TQO0
>>328
最終的には両方やったけど、同時には無理。韓を攻撃して中原まで攻め込むのは
蜀を滅ぼしてから数十年後だし。
ようはどっちを先にやるべきだったかと言う事
330名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/22(水) 23:02:35.37 ID:E/cTR3ckO
恵文王時代に三晋からいくのはキツかろう
331名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/23(木) 17:00:38.42 ID:6u4v6wx20
横山光輝史記ぐらいでしかこの時代のことを知らないから
この春秋戦国時代のことをもっと詳しく知りたいんだけど
他にはどんな書を読んだ方が良いかな?
332名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/23(木) 19:09:37.22 ID:L8G71nlD0
>>331
普通に基本となる春秋左氏伝と戦国策を読め
それから漫画ではなくれっきとした史記もな
333名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/23(木) 20:18:12.31 ID:6u4v6wx20
>>332
なるほど、ありがとう
春秋左氏伝と戦国策、それに元祖の司馬遷の史記も読んできます
334名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/24(金) 01:20:07.61 ID:EOxEaoyl0
>>325孟嘗君
韓・魏と連合して秦を破ってる
335名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/24(金) 13:05:16.15 ID:wOAq42CY0
つうか公孫衍が出てこないなんてどうかしてる
336名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/26(日) 00:30:35.88 ID:hLMqBAjp0
アニメの「キングダム」をBSでやってたの見た。
史実とフィクションとが混ざってると思うんだけど
歴史知識に弱い俺はどこまで史実でどこからフィクションなのかわからないw
337名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/26(日) 08:06:47.89 ID:giheT5/d0
名前(一部)
338名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/26(日) 20:06:57.05 ID:1DnWc3Wu0
「楚将公子心」なる人物は誰なんだろうか?
尉繚子の最初の章「天官」に出てくる。

楚軍を率いて斉と戦った人でその時に箒星の逸話で勝ったらしい。
箒星の指す方向から攻めれば大勝して掃く部分を向けられた方が負ける、という迷信が当時あった。
そこで柄の方に布陣していた斉軍と戦えば負ける!と臣下が言ったところ
公子心は「それがどうした。箒で戦うのなら掃く部分を持って柄で殴ってやれ!」と豪語した。

翌日楚軍は大勝利をあげた。


らしいが公子心なる人物はそこ以外に見当たらない。
この人どこか他に出てる?
339名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/28(火) 19:28:25.54 ID:Fk4G+/Sz0
>>336
ほぼ登場人物が一応実在の人物だけど、三国志演義よりさらに脚色されたものと考えればよい
340名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/19(水) 22:09:52.64 ID:c3BZjlMT0
キングダムは本来なら秦1強の時代のはずなのに、秦があそこまで苦戦してるのがきにくわん
341名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/19(水) 22:38:23.66 ID:Mq3nr0kJ0
漫画だからな、
脚色しないで史実のまま載せて原稿料をそのまま頂くのはアレだし。
あの作者、趙好きだな。俺もだが…。
342名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/19(水) 23:03:26.34 ID:AFCaQTGY0
nhk総合で見てたけどいつまでたっても史実に無い王座争いで飽きた。
343名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/20(木) 01:20:40.88 ID:pf+M6oSO0
全くキングダム知らないのだが、戦国初期あたりの話なの?
もしくは趙てことは無礼王あたり?
344名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/20(木) 01:26:53.34 ID:b+bhL0de0
始皇帝こと秦王政が既に位に即いているんだけど、弟に位を奪われそうになっているという
史実には無い辺り。
345名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/20(木) 01:39:09.51 ID:pf+M6oSO0
おおう、秦王政か…想像とちょっと違った
政の時代てどうも華やかさに欠ける気がするんだよね
勝手に斉の威王〜ビン王の時代かと思い込んでた
346名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/20(木) 01:43:58.22 ID:hVtkv69T0
その前にアニメとしての動きに萎えたわ
347名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/20(木) 02:36:51.86 ID:b+bhL0de0
史実に無いと書いたけどwikipediaを見ると全くのねつ造でもないんだな。小規模な反乱だったものを
王都を占領したような話にしている。政の時代ともなると地力で勝る秦が他の国を浸食して天下を
固めて行くイメージなんだけどそういう話になってないので面白くない。

アニメとしての動きは今時はあんな感じなのかなと思ってみてたけど。他の作品全然見ないから判らんけど。
キャラクタデザインは俺には受け付けなかったな。それも見ていてつらい原因の一つだ。
348名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/21(金) 14:18:09.13 ID:l8HddNqQ0
中国制作のドラマで始皇帝があるが、嫪毐が無駄にイケメンでそこだけ面白いなw
349名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/21(金) 14:23:18.14 ID:l8HddNqQ0
嫪毐役の俳優の写真があったw
http://ent.sina.com.cn/v/m/2007-03-06/17301469025.html
350名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/21(金) 19:27:50.03 ID:RihBbj0o0
>>349
ふと思ったんだけど去勢されて男性ホルモンが分泌されないとやっぱり筋肉もつきにくいのかな
351名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/21(金) 23:55:52.65 ID:0WvlmN/n0
キングダムは敵の有名将軍や一部の史実人物周りを超人化するより
滅亡に向かってるから史書で過小評価されがちな六国の君主を脚色して
強大な秦に知恵と努力で必死で抵抗してる感をだしてほしいな

あと弩兵の存在感が薄いぜ
352名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/22(土) 00:06:25.96 ID:+xCemxjT0
俺もその方が面白いと思うがジャンプじゃ無理かなぁ。
353名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/22(土) 05:04:13.56 ID:vPZnNVw60
ロウアイは映画の始皇帝暗殺でもイケメンだったな
外面だけでなく内面までイケメンという、これまた珍しいロウアイだった
354名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/22(土) 17:48:00.04 ID:+xCemxjT0
それだと太后も巨根が好きなただの淫乱ではない事になるな。
355名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/22(土) 18:06:22.99 ID:5P9GfwlP0
そりゃロウアイはセックスシンボルやから
356名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/23(日) 23:14:27.33 ID:fXQpKTPJ0
有能ではあったろうな
醜聞も後宮って事と秦(始皇)を貶める風潮が重なってるからわからんし

楚の雲南進出と秦の蜀開発、司馬錯と白起の楚都攻略のあたり気になるが史料がないお
357名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/24(月) 21:22:17.18 ID:BL3k0bg10
流石にロウアイは有能じゃないだろ。
358名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/26(水) 20:27:43.01 ID:7BsToWoWP
杞の国が夏王朝の末裔の国家なんだよね
孔子が夏礼を学びにいった国だし
二里頭遺跡とも近いし
359名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/12(金) NY:AN:NY.AN ID:9dGEp4bDT
ここは春秋戦国時代本スレでええの?
360名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/13(土) NY:AN:NY.AN ID:DVgK9ugf0
そじゃね
361名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/13(土) NY:AN:NY.AN ID:t4nMwFzTT
楚なのか
362名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/14(日) NY:AN:NY.AN ID:p/dGxE3F0
荘王
363名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/15(月) NY:AN:NY.AN ID:rII4sMVp0
この時代、斉軍が燕に攻め込んだ時や、越呉斉の間で大規模な海戦はあったんだろうか?
技術的には十分可能なはずだが
364名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/15(月) NY:AN:NY.AN ID:CCliiBY60
あったら文献に残っている。海戦の記録自体が無くても大量の文献に何の痕跡も無いのは
海戦自体が無かった可能性が高い。
365名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/22(月) NY:AN:NY.AN ID:agOuKSLC0
白起にも韓信にも言える事は国の為に尽くした功労者なのに
末路が哀れすぎること
366名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/22(月) NY:AN:NY.AN ID:0ZePrdwI0
白起はそうかもね、だが韓信は違う気が
367名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/22(月) NY:AN:NY.AN ID:XI6IYug7P
白起は明らかに冤罪だけど
韓信は権力欲むき出しにしちゃったからな
368名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/22(月) NY:AN:NY.AN ID:G/ZHUgG40
でも古今東西、王の代替わりや変節で功臣の粛正はよくあるよね
369名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/22(月) NY:AN:NY.AN ID:0ZePrdwI0
それもあるけど白起は由緒ある国の軍人(軍歴35年以上)。韓信は半ば群雄。
劉邦の処置を責めるのは酷だな、と
韓信に忠義を求めるのも酷だけど
370名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/23(火) NY:AN:NY.AN ID:GvYEdIzk0
白起って何者なんだろうね
公孫起とも記述されてるが
371名無しさん@お腹いっぱい 。:2013/07/23(火) NY:AN:NY.AN ID:h7gaghNd0
>>370
宮城谷昌光は、楚の平王の孫の白公勝の末裔との説を出しているとか。
372名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN ID:Kcz+Jv7p0
どうも呉越の戦いって漢楚の戦いと似てる印象がある
373名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/08(木) NY:AN:NY.AN ID:2aOKUnkO0
ところで始皇帝が出てる小説で面白いのある?
伴野・井上・塚本以外の作品で
374名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/17(土) NY:AN:NY.AN ID:OF5jRaGj0
白起の件なんだが、同じ宮城谷の『戦国名臣列伝』だと出自について「かいもく見当がつかない」って書いてあった。

どうやら白公勝云々は小説独自の設定みたいだな。
375名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/17(土) NY:AN:NY.AN ID:Bvk92ywK0
まあ白氏で公孫、穣侯一族との関係
楚との関連性をもたせたくなるよね

本籍地の郿県は咸陽に近いが
376名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/18(日) NY:AN:NY.AN ID:5nKtjEx1P
今どきの犯罪捜査もそうだけど
本人のパーソナリティを解明するために出自に拘る意味はあるんだろうか?
377名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/09(月) 17:35:53.74 ID:kqIWKiRE0
春秋戦国の英雄って功を立ててのし上がってもすぐ失脚あるいは誅殺されるよね
三国時代だとあまりそういうの聞かなかったけど何でだろうか
378名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/09(月) 19:43:48.32 ID:DMTQDvxhP
春秋戦国って人材の流動性が高くない?
A国の公子がB国の宰相になったり
だから当然元々の国人はいい気はしないから代替わりで殺されちゃう
三国時代は基本的に支配した土地の人材を活用するから他国者に対する敵愾心とかとは
ちょっと違うんだろうね
379名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/09(月) 21:06:45.10 ID:Sne/1Zan0
三国時代は乱世、春秋戦国時代は戦争状態であったとはいえ
基本均衡と安定で意外と治世?だったから
380名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/09(月) 21:35:38.45 ID:7ODbdXJF0
春秋戦国時代全般に言えることは、一代で国を新たに立てるのは無理ゲーだった
春秋時代は覇者体制の維持の観点で、戦国時代は有力諸国との外交上の駆け引きで不可能
三晋が諸侯に成り上がれたのは、それ以前数代に渡って晋内部で勢力を培ったのと、
晋の外交政策が、諸国と晋公室という繋がりではなく、諸国と担当する有力大臣一族との結びつきで処理されていたから

人材の流動については、春秋時代はそれほど高くないが戦国時代中期は諸子百家でかなり移動している

というのも、春秋時代はそもそも身分制に基づく国家の安定化がテーマで、覇者体制もそれに付随するものなんだ
晋や斉が同盟国の内政に干渉しまくってるのもそれが原因
覇者体制でも身分制を維持できなくなって戦国時代に突入していく

戦国時代になると初期は周辺の小国を滅ぼすことで既存の体制を残そうとしたけど、
中期以降にはそれもできなくなった
だから、新たな国家体制の構築を目指して、君主が有能な人材を求めるようになった
それが諸子百家を生み出して、人材の流動が起こっていった
戦国時代後期になると、国家体制の構築も頭打ちして、流動も少なくなっていく

三国時代というか後漢末期の騒乱で英雄がのし上がるのは、
黄巾の乱や名士の人物評に見られるように、
後漢の貴族体制を打破したい、という背景があったからですな
新しい貴族体制(政権を運営する層)の構築が底流にあるからこそ、のし上がりが歓迎される
実際、三国時代に突入すると、それぞれの国家で政権運営層が固定化し始めて、
いわゆる叩き上げや新貴族層というのが出て来なくなる
出てくる前に晋に統一されてしまった、というのも理由の一つだろうけどね
春秋戦国は500年あるのに、三国時代は60年くらいしかないし
381名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/09(月) 21:36:08.24 ID:7ODbdXJF0
長文スマソ
382名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/09(月) 22:50:04.65 ID:5aTIT2e/0
秦・漢を経て国家の制度や概念が大きく様変わりしたからね。
超長文になるから詳しくはなんか本読んでくれ。
383名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/11(水) 17:43:37.93 ID:fXf+h70F0
春秋戦国のは異民族と言っても所詮は中華の範疇に過ぎんからな
ルール無用の遊牧民とは違う
384名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/11(水) 20:11:07.26 ID:pTClDLFZ0
同じ蛮夷であっても北と南で文化伝達に差異があったのは注目したいところ。
楚、呉、越と北の民族で明らかに文化の吸収速度が違う。
385名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/19(木) 08:38:04.45 ID:fcWYxNFb0
呉が楚を破ったのって結構衝撃的な出来事だったんかな?
386名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/19(木) 09:31:25.40 ID:AbacH3At0
そりゃ国力差考えたらなぁ
楚は落ち目とは言え
387名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/19(木) 15:14:21.31 ID:7VViLaxd0
その呉を破ってさらに覇者になった越にはもっとびっくりじゃね?
388名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/20(金) 21:08:33.83 ID:33QKuKCP0
范雎は復讐に成功したけど
伍子胥は復讐を完全には果たせなかったというのが哀しい
389名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/20(金) 21:39:34.90 ID:7AzXzzdhP
伍子胥の場合は末路も悲惨だからなぁ
まぁ范雎みたいにさっさと引退して粛清逃れる方が珍しいみたいだけど
商鞅も呉起も代替わりで粛清のある意味定番パターンだし
390名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/20(金) 22:08:04.47 ID:DS47N4DF0
范雎は復讐する相手が国君じゃなかったのが、運が良かったと言うべきかな
391名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/20(金) 22:32:41.24 ID:XDxyrHk30
范雎の息子孫って出てこないのだけれど、元々よそ者だし目立たないように程々の地位で過ごしたのかな。
392名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/21(土) 13:08:14.85 ID:TdV2IbrV0
>>389
司馬遷は法家は因果応報ですよーって批判する為に取り上げ方が偏ってるからなぁ
范雎タイプの政治家は意外と多い気がする
393名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/22(日) 12:12:46.19 ID:0fG+x9yh0
来年の大河ドラマは軍師黒田官兵衛。
備中高松城の水攻めを羽柴秀吉に献策したのは黒田官兵衛とのこと。
大河ドラマにちなんで備中高松城の水攻め復元模型を製作した。
http://mirai660.net/castle/
394名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/22(日) 19:34:52.65 ID:wTDZ5ln+0
新十八史略(河出文庫)読んでたら屈原が凄い切なかった・・・

ちみたちはどの話が好きと印象深いとかある?
395名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/22(日) 20:16:17.63 ID:kW3YDK5W0
伍子胥とか項羽って何故、名よりも字の方が有名なんだろう?
字で呼ばれるこの二人が珍しいだけかもしれないけど
396名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/22(日) 20:21:43.57 ID:W1Ai50RV0
>>394
俺は趙氏族滅の話の公孫臼が好きだ。
397名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/22(日) 20:49:46.02 ID:Ayz+cJo/0
趙武が生き残る話は本当に切ない
ようやく成人して、晋公から一族復興を許されて
いざ恩に報いようとした育ての親もすぐに亡くなってしまうしね

そうやって生き残った趙武が、春秋時代最大の外交的大事件と言っていい晋楚和平の立役者になるんだから
絶対どこかで話を盛ってるだろと疑いたくなるレベル
(まあ、多分どっかで盛ってるとは思うけど)
398名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/22(日) 23:56:12.64 ID:Z53P5tGf0
>>395
史記
399名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/23(月) 00:11:13.18 ID:e5WCvhLj0
民医連加盟病院、介護福祉士6人が患者にリンチ・暴行・暴言

北九州市小倉南区の「健和会おさゆきリハビリテーション病院」(菅野慎一院長)
で介護福祉士6人(男性4人、女性2人)が入院患者に暴行したり暴言を吐いたり
していたとして、同市は13日、医療法に基づいて立ち入り検査した。6人はすで
に病院を運営する財団法人「健和会」(同市小倉北区)から処分を受けている。う
ち男性2人は懲戒解雇とされた。同法人によると、6人は06年秋から07年秋ご
ろにかけ、脳血管障害などで意思の疎通が困難な患者3人に対し、腹を立てて
複数回殴ったり、体を動かす際に乱暴に扱ったりした。患者のけがの程度は「確
認できない」という。同法人は4月22日付で、暴行を認めた27歳と28歳の男性
を懲戒解雇、患者を乱暴に扱った男性(29)を出勤停止1カ月、乱暴な言葉を浴
びせた男女3人を譴責(けんせき)処分にした。
http://www.f-welfare.net/fukushi/news/2008/05/3918/
http://www.47news.jp/localnews/hukuoka/2008/05/post_924.html
400名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/23(月) 22:34:00.28 ID:zr8EhmNb0
>>397趙武は名宰相だと思うけど、あまり有名じゃないよなあ
401名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/24(火) 15:10:00.04 ID:0LqFkJVD0
趙武はさほど長寿でもないのよな
それに晩年は陰りというか耄碌の兆しがみえたりと、
完全無欠でもないところにかえって人間味を感じる
402名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/24(火) 17:41:33.01 ID:w4a28ia60
誰か楚を書く人いないのかなあ
荘王が好きなんだよ
403名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/24(火) 22:13:39.46 ID:gCzae+QN0
西門豹は官僚のあるべき姿だよなあ
404名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/25(水) 04:57:10.57 ID:ocvLi5/2P
セイモンヒョウのエピソードは黄河の神とか言って霊感商法してた三老のクソさがすごいな
405名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/25(水) 20:04:18.58 ID:ZN88E1sw0
>>404
その三老の悪習迷信を打ち破った西門豹のエピソードは痛快だよね
406名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/25(水) 20:29:49.32 ID:ocvLi5/2P
三老と巫女が黄河にぶち込まれるシーンは痛快
407名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/26(木) 04:42:14.01 ID:v/PPPBo+0
どこかで見たんだけど、西門豹の子孫が似たような事例にであって、
張り切ってインチキを暴こうとしたら、逆に騙されて殺されたエピソード知らない?
408名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/26(木) 22:47:55.52 ID:5eeaqqGu0
悪習と地元のごうつくばり退治と命を救うためだとはいえ
ブサイクと言われた花嫁候補はちょっとかわいそうだなw
409名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/29(日) 14:45:24.54 ID:UWLXjDZ30
王翦は秦王政の猜疑心を見抜いて誅殺されずに本当に上手く生き延びたよな
樊於期のような前例があったからこそだけど
410名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/29(日) 18:24:19.84 ID:YSQuAFtGP
ていうかあのしつこく恩賞をねだるやり方は正しいのかな?
俺が秦王なら「いいかげんにしろや」って切れそうだがw
411名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/29(日) 19:17:32.25 ID:NVUhxEtm0
実際生き延びたから正しいんだろ
412名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/29(日) 20:13:54.63 ID:mBaGf/Xj0
キれるにしたって謀反疑惑のように一族郎党殺されるようなことにはならんだろ。
413名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/03(木) 18:50:20.55 ID:TDdWAXDg0
韓信みたいに、王になりたいとか言ってたらまっ先に粛清されてたろうな
何故、韓信は王翦から学ぶ事ができなかったのか
414名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/03(木) 19:08:54.41 ID:HIJtk9YC0
秦王は変わってるから、可愛い奴♪と思ったんだろう
王になりたいと言ったら、瞬殺だろうさ
だって、秦王は王を廃して皇帝による中央集権国家を目指してんだから
まあ、名前には王がついてるけど
415名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/03(木) 21:58:15.69 ID:aym0C8bN0
韓信と王翦じゃ立場が違うだろ。
韓信は劉邦の家来じゃないし
416名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/04(金) 03:53:15.72 ID:fGQZJDtw0
いやいや韓信は劉邦の家来でしょ
417名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/04(金) 08:56:18.04 ID:ldi47D+m0
まあ主君を凌ぐような力を持ったって点じゃ似てるね
似てるだけで状況は違うけど
418名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/05(土) 14:53:05.16 ID:P9csJMN2O
逆にあんだけの土地を独力で切り取って、独立しようとは思わなかったのかな?
419名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/05(土) 15:49:11.10 ID:U54PE6vc0
劉邦なら独立してもテヘペロで許してくれそうだけど秦と秦王政は無慈悲な気がする
420名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/05(土) 17:16:08.99 ID:HsV2m4zl0
>>419
斉王(仮)になりたいといったら思いっきりブチギレてたじゃん
陳平と張良にいさめられて王にしてやったけど
酈食其が斉を降伏させたあとに攻め滅ぼしたことも合わせて、かなり不信感は募っていったんではないかと。
421名無しさん@お腹いっぱい 。:2013/10/06(日) 16:21:43.98 ID:IWE341xC0
少なくとも韓信には、范雎や王翦のような己の身の処し方を備えてなかった事だけは間違いない。
422名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/06(日) 18:56:03.20 ID:nPjMOWWc0
三国時代の魏延の末路も自業自得みたいなものかね
423名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/07(月) 02:15:24.03 ID:EVuWadZi0
魏延の場合、韓信と違って主君に反逆したわけじゃないからなあ
諸葛亮死後の権力争いで敗れて死んだってだけかな
魏延に味方する奴がいないぐらい人望が無かったのが不幸だった
424名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/10(木) 22:14:03.90 ID:XtxlatJS0
名前コウセンだったか忘れたけど越の臥薪の殿様に仕えてた人も去り際が見事だったんだよな。
425名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/10(木) 22:25:16.25 ID:arHWBxTh0
越王勾踐と范蠡(はんれい)だな。
426名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/11(金) 07:47:58.73 ID:zlzLkRKZP
范蠡は商才に長けてたから機を見るに敏だったんだろうな
それに比べ同僚の何某は范蠡の警告も聞かずに
427名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/11(金) 11:05:37.70 ID:FUgAmVfS0
機というよりも人を見ての判断だった気がするが
428名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/11(金) 16:03:36.14 ID:lR4L5QmT0
商売の話は都市伝説だろ
429名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/11(金) 20:36:30.62 ID:GtPGh1W/0
>>425
そうだハンレイだった。サンキュー!
430名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/11(金) 20:39:30.37 ID:XOK4uWwL0
戦国末期の趙の国って色々ネタ満載なんだね
431名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/11(金) 21:08:04.80 ID:/Z+UN9v80
ハンレイと比べるのは酷だなあ
見事な引き際みせた点ではあれに並べるのは張良くらいになるし
ハンショもそうだけど引き際全うするには老荘的に一歩引いて冷めてる必要があるね。
432名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/12(土) 03:55:55.75 ID:6h9KpkY70
ハンショの場合、蔡沢という助言者がいたのが良かったな
もちろん聞く耳があってのものだけど
433名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/12(土) 10:54:56.74 ID:HOnB9+ZjP
まぁ引き際が肝心とは言うけど
例えば張良なんかはその後呂后の専横で漢王朝が滅亡しかかってるのを
助けもせずに仙人修行してたわけだし
あれはむしろ無責任の範疇だと思うが
434名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/12(土) 11:15:33.88 ID:1kyIqnHe0
張良は祖国韓の復興のためだけに長年老体にムチ打って頑張って来たのに
秦を滅ぼして祖国復興がようやく叶ったと思いきやいきなり項羽に韓王成を粛清されちまったわけで
実は項羽打倒以降の人生はおまけでしかなかったんじゃないかな

項羽を打倒するためには西楚以外の諸国の力を強力に結集する必要がある、
すなわち秦を滅ぼすことで否定したはずの中央集権国家の復活、これだけが唯一の手段だった
そのためには祖国の復興はもはや絶望的になってしまうだろうが、張良はケジメのために
禁じ手に手を出したんだと思う
楚漢戦争期の張良は、本人の望むところではなかったのであろうが、結果として戦国以来
最高の縦横家にならざるを得なかった

張良の立場は複雑だよ
435名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/13(日) 00:34:06.26 ID:IgjKFDzM0
納得のいく説明だ。
436名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/13(日) 11:25:19.86 ID:X0pii0p50
引き際をわきまえないと呉起や商鞅みたいになるけど
伍子胥の場合は呉越の戦いの最中で引くに引けなかったんじゃないだろうか
437名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/13(日) 12:15:57.91 ID:fMoXPMlr0
伍員の場合、呉を準覇権国家まで押し上げたのは自分の功績だと恃みにしている部分が
あったんじゃないかなーとは思う
そもそも夫差の王位継承に貢献したのはほかならぬ伍員だったわけで、伍員にしてみれば
夫差とは比翼連理?(男相手に使うのは変だが)と言ってもいいくらい一蓮托生な関係なはずだった

身を退くという行為は「夫差を見誤っていた、王に相応しくない」と内外に喧伝するようなもんだと思う
438名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/13(日) 22:31:44.78 ID:LnaiFD1NP
夫差は越をフルボッコにしたところからしてまぁ王としては合格点だったんだろうな
あの時点で伍子胥は身を引いてればよかったのにな
439名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/13(日) 22:47:06.17 ID:IgjKFDzM0
>>437
>身を退くという行為は「夫差を見誤っていた、王に相応しくない」と内外に喧伝するようなもんだと思う
それはハンレイ批判か?
440名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/13(日) 22:54:17.62 ID:fMoXPMlr0
>>439
范蠡批判と言うわけではない
でも見限らなかった(しかも越が必ずや侵攻してくると予言じみた諫言して自殺している)伍員は
やっぱ夫差や呉王室に対して独特な忠義を奉っていたんだと思う
しかし感情がウェットだよなあ

楽毅あたりは世話になった王様の倅と言えど身の危険を感じるや「クールに去るぜ」だから
正直楽毅や范蠡のスタンスが正しいと思う
441名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/13(日) 23:08:57.31 ID:NhR/4/C90
復讐の鬼と化した位の激情の持ち主に、身を退くなんて発想は無いんじゃないかいw
復讐のために闔閭に覇者の夢を焚きつけて北伐に向かわせたは良いが
王位と野望を受け継いだ夫差が制御不能になって粛清されてしまうというのに因果と浪漫を感じる
442名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/15(火) 09:33:37.23 ID:IvwFrB8p0
周分裂滅亡あたりの下りが良く分からん
443名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/17(木) 10:15:12.15 ID:Rsn5JA9i0
気付いたら滅亡してたって感じだよな
444名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/17(木) 13:17:27.49 ID:d5BW7pf70
春秋戦国期に入ったら、日本の武家政権下の朝廷より目立たなくなったもんな
445名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/17(木) 17:49:34.45 ID:Z56sSLvf0
秦孝公の覇者認定が空転しちゃったのが痛かったね
あれから完全に空気あつかいで、諸国がどんどん称王して名ばかりの権威さえ失うという
446名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/18(金) 03:28:26.98 ID:eOQHccN00
春秋時代はマシだったんだけどね
戦国時代に入ってから完全に空気
しかも各国が王を名乗るから周王朝の存在意義がほとんど無くなる
447名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/18(金) 09:12:42.27 ID:UfSMLSvf0
まあ戦国でも初期は田氏や三晋に爵位与えて
政権を承認する役をやらされてたりはしたんだが、周王
448名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/19(土) 01:15:35.05 ID:QbgwM9oR0
威烈王は何であんな諡号になったんだろうな
あれだけ見るとどんだけ凄いことしたのかと思うが
特にそれらしいことは何もしてないし
449名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/21(月) 14:55:04.35 ID:jr1QsKW+0
戦国時代は春秋時代に比べて史料少ないことが空気化に拍車をかけてる
450名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/23(水) 13:56:37.86 ID:s6XT02p60
この時代のゲームとかないのかな?
451名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/23(水) 14:04:50.04 ID:5hVHgXmLP
1ターン1年とかになりそうだがw
三国志とか日本の戦国時代末期くらいの50年スパンくらいじゃないと
ゲームにするのは無理じゃね?
452名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/23(水) 17:33:21.99 ID:su7PJKH70
>>450
何しろこの時代は五百年もあるからね
これをゲームにするのは三国志と違って相当大変なことになるだろうなあ
呉越の戦いとか長平の合戦のようにその部分だけを切り取れば可能かもしれないけど
453名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/23(水) 19:21:29.95 ID:Ptcz+jvR0
切り取ると情報の少なさがやばい
将軍不足でゲームにならんw
454名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/23(水) 22:50:33.66 ID:TiK+sxWc0
信長の野望全国版方式で、王のみの国単位でやるしかないな
春秋戦国の魅力9割減になるけどw
455名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/24(木) 00:18:40.40 ID:b+rf8fAP0
比較的史料がマシな秦以外の国は
領土人口が多いのに同時期に存在するまともな武将10人以下
能力が推定できる奴1〜2人という悲惨きわまる状態に
秦も領土の割に圧倒的な人材不足必至

春秋はまだマシだが
456名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/24(木) 11:42:24.35 ID:/6bHLA620
KOEIの三国志や信長の野望のスタイルに囚われすぎてないか
あのスタイルのゲームで春秋戦国のおもろさを料理するのが無理なのは明らかだから発想を変えてみようぜ
457名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/24(木) 11:46:37.34 ID:/lvKAM1x0
太閤立志伝みたいなのがいいんじゃないか
458名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/24(木) 17:39:03.19 ID:tmMNHWab0
せめて孫子の兵法だけでもゲーム化してくれればなあ
459名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/24(木) 20:24:05.57 ID:jIHirps80
光栄以外に歴史シミュレーションゲームってどんなのがあるの?
トータルウォーみたいな戦争シミュレーションゲームではなく
460名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/24(木) 20:56:25.59 ID:/lvKAM1x0
>>459
シヴィライゼーションとか
461名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/24(木) 21:47:13.58 ID:0tyquOIg0
項羽のみが鬼神の項劉記ってゲームはあるけどな。
まあ、このスレ住人なら知らない人はいないだろうが。
462名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/25(金) 00:31:16.75 ID:5b5bI9XUP
光栄もなんか三国志と信長以外放置プレイだよね
龍馬伝が大河になった時は維新の嵐新作出すかと思ったんだが
463名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/25(金) 01:33:20.85 ID:NDrfQJHA0
戦国無双クロニクルみたいに主人公を不老不死にして、時代毎の戦場を駆け巡る、みたいな感じにすれば面白いかも
合間合間で人物毎のエピソードも絡めつつ
464名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/25(金) 08:02:04.19 ID:kiwM+Rz50
白起無双
465名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/25(金) 12:09:40.40 ID:qybtPATN0
>>462
つ維新の嵐 疾風龍馬伝
466名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/25(金) 19:40:14.47 ID:CMom/t/dO
確かに歴史シミュレーション系では難しいから単純な&とっつきやすいように無双系で
そしつロウアイの無双奥義、車輪回しを使いまくるんだ!
467名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/26(土) 17:49:39.24 ID:YrDJ+cWIO
孫子というボードゲームがあった記憶
468名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/26(土) 18:50:02.52 ID:Lp6OYTz20
O.K.H.I.T

今更ながらスレタイのこれってどういう意味なの?
469名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/26(土) 19:22:08.21 ID:3ztikY7f0
スレの最初の辺りを見ると判るが特に意味は無い。
470名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/26(土) 19:29:48.18 ID:Lp6OYTz20
あ、本当だ
なんか書いてあったw
こりゃ失敬
471名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/26(土) 22:56:46.25 ID:Nw+wg5ZA0
自国のことだからあたりまえっちゃあたりまえだけど、
今度チャンネル銀河で秦の恵文王を主人公としたドラマやるらしい。
ここ最近中国は春秋戦国時代のドラマガンガン制作してるんだよな
472名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/26(土) 23:17:35.28 ID:xgA1kb0x0
秦の恵文王って本場中国じゃあメジャーなんだろうか
日本じゃマイナーな君主だよな
秦だと穆公、孝公、昭襄王、始皇帝がメジャーか
473名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/27(日) 01:09:24.89 ID:B/zdH4yQ0
太子時代からやれば、孝公と商鞅の改革と死、張儀など策謀家達の活躍、巴蜀を押さえ、楚を破る結構なドラマ。
でも日本では張儀がメジャーで前に出てて、樗里疾なんかもいるから目立たない扱いだね。
立場的には孝公の太子で子に武王、昭王がいる拡大路線の流れなのにね。
474名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/27(日) 19:49:09.52 ID:Z54/CLte0
元献公、孝公、恵文王の名君リレーは素晴らしい
475名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/28(月) 08:38:10.84 ID:vhbfW2qZ0
476名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/31(木) 01:44:14.79 ID:LkN/aYrN0
なんで并州って春秋戦国時代には大国晋や趙があって豊かな国だったのに三国時代には過疎地域になったの?
477名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/31(木) 03:37:10.97 ID:pxT86nkY0
匈奴を中心とした異民族が侵入しまくったから
478名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/31(木) 06:34:36.54 ID:LkN/aYrN0
そんな理由で衰退したのか・・・
かつては中華の中心地だった場所が僻地になるって悲しいな
并州の衰退について書かれてる本とかサイトとかある?
楚漢戦争の時までは趙がそこそこ目立ってたから武帝が匈奴を倒すまでの期間にフルボッコにされたのか
479名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/31(木) 08:38:15.42 ID:EGaj1tOz0
長安だって王莽のあれで荒廃してたし洛陽だって董卓のあれで荒廃してたしなぁ
480名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/31(木) 15:53:47.77 ID:eovmeyjC0
并州は匈奴侵入のせいというか国家の中心地だった晋趙時代
隆盛を誇り拡大を指向する帝国の拠点だった前漢時代と違って放置
481名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/31(木) 20:33:46.82 ID:9Wih4j3V0
趙とか言うネタ満載国が一番好き
482名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/31(木) 20:49:28.81 ID:Ps26kU+y0
>>478
そんな理由って、中国の歴史は異民族に対応できるかどうかの歴史だぞ。
483名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/31(木) 20:54:00.30 ID:wlfeq5420
>>481
趙には藺相如や毛遂といった度胸ある優れた外交官が多いからね
484名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/01(金) 12:51:52.73 ID:PB2PXAbcP
末期には刎頸の交わりに失敗した馬鹿もいたしなw
485名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/01(金) 23:42:15.87 ID:ikVZPrUM0
>>484末期というより楚漢戦争期だから別の時代のような
486名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/03(日) 12:50:47.13 ID:I2rCU8Fr0
武霊王の改革から始まり後継争い
完璧に刎頸、趙奢、ひらはらくん
救世主趙括
最終章主人公の李牧

秦を悪に書いてやっていけば行けるな!
487名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/03(日) 14:51:01.45 ID:gH4YZOqv0
キングダムとかははむしろ李牧主人公にした方が面白そう
主人公サイドが史実に関係ない超人バトル始めちゃってるし
488名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/04(月) 14:26:32.09 ID:IiiSaR1/0
秦側は辛うじてマシな史実キャラを揃えられるけど六国側は無理
李牧カイネを主人公側にしてオリキャラ半オリキャラを充実させる方がいいかもな
489名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/04(月) 14:35:30.19 ID:MAhn84yxP
中国人がキングダム見たらぶちきれそうだな
490名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/04(月) 15:01:21.42 ID:/511Zk7r0
中国人に映画作らせたら空飛びまくりだからな。マンガそのままでむしろ面白いのではないかと
491名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/04(月) 15:33:58.70 ID:fVDcvtPM0
キングダムは主人公が李信て時点で詰んでる
話が進むほど王翦無双になってくのにどうするつもりなんだか
492名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/04(月) 15:47:55.62 ID:WDuRPluG0
ヨウタンワとキョウカイと一緒に王翦の功績を盗むしかない
あとホン様が地味に李信を圧倒するのを誤魔化す必要もある
493名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/04(月) 17:54:18.36 ID:In2Z8g9k0
燕の公子丹の討伐が最後の見せ場じゃないか?
楚で下手撃ったのを挽回する形だよな?
494名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/04(月) 19:25:20.27 ID:MAhn84yxP
流れ的には燕で丹を捕らえる→楚に蒙恬とともに20万で侵攻
じゃないのか?
495名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/04(月) 20:12:13.92 ID:HfFo4tke0
>>494
うん
太子丹追撃でいきなり出てきて成果を出したが
翌年に楚を制圧寸前までいくも項燕に逆転されて敗北し
その後は斉の制圧に参加してた事がわかるだけの人物が李信
(しかも本紀には登場せず白起王翦列伝で存在が語られるだけ)

と、いっても史記の文章そのままだとただのダイジェストにしかならんので
物語化する際には行間に挿入する余地だらけなわけだから
戦争への参加者と結果の帳尻さえ合わせておけば
李信の活躍は好きなようにできる
王騎の死の時なんて「王騎死す」の一文だけからえらい派手な
戦争捏造してたわけだし
496名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/05(火) 05:55:13.78 ID:ZXwvFz4B0
キングダム読んでないけど
秦のワンサイドゲームの戦国末期でしかも秦が主役側でよく話を続ける事ができるなと感心する
497名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/05(火) 07:11:04.32 ID:5mObD4w4P
>>496
なぜか趙や魏が互角の戦いしてることになってるw
498名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/05(火) 10:54:49.02 ID:vlfKfp/h0
趙をインフレさせてるからな
作者は李牧びいきだし
499名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/05(火) 12:10:30.78 ID:lWOoi41n0
王騎が白起並な時点で史実と比較は野暮だ
500名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/05(火) 14:07:14.19 ID:5HdzY7RH0
読んだ事ないけど王騎が強いのは名前が格好良いからだろうね
田平みたいな名前だったら絶対人気出ないし
501名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/05(火) 18:45:28.94 ID:s/OzNW+H0
白起、李信、蒙恬、王翦、章邯と秦には名将猛将が多いね
502名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/05(火) 19:47:54.09 ID:5HdzY7RH0
基本的に史記の記述は信じてるけど秦の統一戦争に関する記述は信用できないなぁ
焚書坑儒の要領で他国の歴史書を燃やし捏造し秦に歴史書も脚色しまくってたと思う

そんな簡単にトントン拍子で事が進むはず無いし
503名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/05(火) 19:55:02.28 ID:fm9c+sun0
しかしまったく話題に出ない韓や魏

あ、素材としてよく出るか
504名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/05(火) 20:28:15.44 ID:r905FmoA0
>>502
そんなトントン拍子に進んでるわけでもないと思うけど。
まあ脚色はしたろうけど実際に始皇帝で統一に成功してるわけで
505名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/05(火) 21:01:10.31 ID:A9yVIIMI0
>>502
それこそカンピコ五蠹の多銭善賈じゃないの
治強は謀を為し易く、弱乱は計を為し難し〜
秦に用いらるる者必ず智にして、燕に用いらるる者必ず愚なるに非ざる也
506名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/05(火) 22:07:34.16 ID:fmvWMLPR0
>>501
そこに李信と蒙恬が入るとすごい違和感w

>>503
韓の記述の少なさは異常
一応三晋なのに
507名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/05(火) 22:22:42.63 ID:/2CaVdjb0
>>506
>一応三晋なのに
イメージでは六国最弱。

>>500
斉の田単とか三国志の田豊将軍とかも居るのに。
508名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/05(火) 23:01:52.30 ID:vlfKfp/h0
韓っていつもどっかしらに城奪われてるイメージ
これといって有名な勝ち戦もないし
まだ燕のほうが見せ場はある
509名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/06(水) 00:21:42.15 ID:DZUyZ0ev0
>>501他に樗里疾・甘茂・司馬錯・蒙ゴウといった名将もいる
どんだけ秦は名将多いねん
510名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/06(水) 04:13:18.86 ID://3a0mqw0
>>507
田単はもとよりあんま人気無いでしょ
楽毅という大器の大将軍がいて、その咬ませ犬みたいなもんだし
田舎の垢抜けない小男って感じ
そういう小人が頑張ったから賞賛されてるだけ
「お前名前ダサい癖に良く頑張ったなぁ〜」って

関平だってなんかイマイチ冴えないじゃん
511名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/06(水) 10:59:24.27 ID:Wrfw0A2B0
>>508
まともに戦えてたのって孟嘗君の時代までかね
垂沙で楚を破ったり、函谷関まで秦を押し込んだり
戦国の極初期は単独でもそれなりに勝ったりもしてるけど
512名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/06(水) 12:40:22.28 ID:HG6EXx3R0
田単を異常に過小評価している奴がいるが、燕人か?w
513名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/06(水) 19:20:28.06 ID:4AIVTcIjP
樂毅を尊敬してた孔明が
後に司馬懿の工作で謀反を疑われたのは皮肉としか言いようが無いな
514名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/06(水) 19:44:04.43 ID:DZUyZ0ev0
>>513それ演義だけの話な
史実の孔明は君主の劉禅に謀反を疑われた事が無い
孔明が死んで良かったねって言った臣下を殺したぐらい劉禅は孔明を信頼していた

燕の恵王と比べたら劉禅はかなりマシな君主に思える
515名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/06(水) 19:49:02.98 ID:OUZ/sExz0
春秋時代は夢があった
戦国時代になって夢がなくなりました
516名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/06(水) 19:57:13.97 ID:7/Dem+yC0
燕王喜の屑っぷりもたまらない
517名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/06(水) 20:58:59.73 ID:Pe/LRSTd0
名君より暗君の方がなんか親近感湧く
でも商臣みたいのは御免ですわ
518名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/06(水) 21:02:37.26 ID:zYSJu1Bd0
暗君というか妙に親しみを感じる君主はいるね
519名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/06(水) 23:14:20.98 ID:Fj4nLExN0
商臣て楚穆王?
またマイナーなとこを。
でも俺は好きだよ穆王。実際戦争には強かったみたいだし、ただの無能暴君じゃない。穆の諡号もそれを示してるような。
残酷で冷徹で戦争好き、でも滅法強くて恐怖の的になった父親殺しの暴君。
悪役としてはかっこいいじゃん。
成王穆王荘王共王は何のかんのでみんな優秀。それに比べて平王霊王ときたら
520名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/07(木) 17:36:17.67 ID:PYOHkxWP0
>>515
春秋の奴等は頭の中もお花畑だから
521名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/07(木) 17:41:03.70 ID:x8V8v9sy0
楚穆王は信頼した配下には緩そうだが、よその人と認識された相手にとっては恐怖以外何者でもないからな。
即位の経緯もあるだろうが、最初は地道に楚本国周辺の足場を固め范山の進言から漸く北方へ再進出を始
めるなどかなり堅実だよな。
522名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/07(木) 19:12:00.08 ID:RBe2ZYqN0
春秋時代は王道こそ至高という概念があったからか人格的に良い君主が多いよね
惚れるレベルで徳の高い人多いし
523名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/07(木) 19:28:24.05 ID:ByvpuVPm0
>>519平王は最初の頃は優秀だったんだけどね…
524名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/08(金) 02:49:04.02 ID:tli0pmrV0
楚は康王の空気っぷりが酷いな…
525名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/08(金) 19:47:34.98 ID:zZMtNF5w0
春秋以前は何か逸話ないのかな?
526名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/08(金) 23:45:18.13 ID:alY4jeYG0
西周の逸話って事?穆王が西王母に会いに行ったとか、幽王と褒姒の話とか?
527名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/09(土) 15:59:17.75 ID:Ily3iXYQ0
楚には幻滅しました
韓のファンになります
528名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/09(土) 19:57:16.59 ID:ZJOYwHFf0
正直楚って微妙なイメージしかない
529名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/09(土) 21:25:06.69 ID:Ocv1DPmv0
楚は春秋時代の暴れっぷりは凄いのに
戦国時代はほんと微妙
530名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/10(日) 09:25:44.02 ID:Xw1nYfrB0
戦国楚は威王が最盛期
531名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/10(日) 09:31:31.50 ID:JNN37M5Q0
当時の楚は中原と言葉だって違うだろうに
532名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/10(日) 11:47:44.99 ID:YqjzUWW+P
最盛期がいつかは別として
楚に攻め入った秦の李信と蒙恬の精鋭20万を撃破した項燕が
秦に迫った時が楚が一番輝いた時だと思う
楚も秦並に離間策用いて王翦を秦王に殺させるとかしてればな
533名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/10(日) 19:12:47.10 ID:zvsRqzZ60
最盛期はやっぱ荘王の時じゃない?
楚が天下の主となったのは荘王が晋を勝利し共王が晋に敗れるまでの期間でいいのかな?
534名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/11(月) 02:28:22.90 ID:W1CpGQYs0
李信が20万でダメで王翦が60万で勝つ話は高校漢文でやったけどやっぱり有名なエピソードなのか?
535名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/11(月) 03:24:33.92 ID:7Z8I0ucr0
どういう状態だったら有名と言えるのか分からないけど、
項羽の祖父が出て来るから、楚漢戦争に興味がある人ならだいたい知ってるんじゃないでしょうか
536名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/11(月) 11:35:52.05 ID:lkj8FNTW0
>>533
荘王威王も捨てがたいが、ここはあえて秦都咸陽の目前まで迫った懐王時代前半を推す
537名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/11(月) 12:28:47.92 ID:2MRZlYDK0
>>534
単に李信と王翦の格の違いと言うか、王翦sugeeeeeeeeする為だけのエピソードだろ
538名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/11(月) 14:33:40.23 ID:3ofLxHK4P
王翦が凄いというか
あのエピソードは粛清されずに全うした王翦の処世術が凄いって話じゃないか?
539名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/12(火) 20:13:35.22 ID:9SV8EkFm0
ここのマニアは○の○公(王)とか言われても何した人、何の親とかどの人とかすぐに出てくるの?


分からん奴はいまだにさっぱりわからん
540名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/12(火) 20:23:10.75 ID:9st+7ntW0
安心しろ、俺もほとんど判らん。
俺はマニアじゃないけどな。
541名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/12(火) 21:27:04.61 ID:rzehNcuH0
五覇とか最盛期の王とかの有名所しか分からんよ
知らない君主が出て来たらググったり史書紐解いたりして勉強してるわ
楚の懐王が強大な君主だったのかと驚愕したわ。おもしれー
542名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/13(水) 14:21:34.56 ID:FACVDBq30
戦国時代なら七雄各国の歴代の諡号は概ね憶えてるけど、春秋時代は無理
有名な部分と前後もしくは一方くらいなら浮かんでこないこともないけど
543名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/14(木) 18:38:16.60 ID:hhPphFvl0
韓とかはほとんどわからん
544名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/15(金) 19:33:01.68 ID:Kc9mhF9n0
やっぱり夫差が一番!
545名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/21(木) 02:04:55.98 ID:RChJFA2S0
TGLの「百家争鳴 孫子の兵法」っていうゲームした人いる?
546名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/21(木) 16:56:50.89 ID:2/xiDPAO0
【拡散】
東電ついに「セシウム蓄積土地の汚染がチエルノブイリを超えた」 と発表。
ずっと、放出量は10分の一と言ってたのに、「超えた」と言ったとたん、なんと10倍!
チェルノブイリの経験から、30年の間に5000万人が死亡すると推測される

福島県の子どもの甲状腺がん、他県の7倍(11/14 中央日報)

あなたとコンビニファミリーマート。に入ったら、
「福島産はおいしい!食べて福島の言葉(方言)でおいしいと言ってください!」
https://twitter.com/ORIGEN_KIRAKU/status/402337564847128576

吉野家に去年、米の産地を聞いた時も風評被害を助長すると言って、返答拒否でした。
某コンビにのおにぎりに標記された「国産米」の産地は本部まで質問を回された挙げ句、
結局教えてもらえませんでした。"
https://twitter.com/MN_hito/status/403314284962136064

それ、バレバレじゃないですか。吉野家には絶対に行きません。
https://twitter.com/onodekita/status/403314403153436673

国内法
「放射線を発散させて人の生命等に危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律」
第三条の
「みだりに放射性物質の連鎖反応を引き起こし、
又は放射線を発散させた者は、無期又は二年以上の懲役に処する」
が無視され、核の焼却・拡散の違反行為が野放しになっている。
547名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/21(木) 17:20:02.02 ID:MoGhERpE0
スレチ市ね
548名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/29(金) 21:26:32.21 ID:C2B4Vlr90
呉王夫差って即位して「臥薪」の語源を作った頃までは名君だったんだけど
晩年は伍子胥の諫言に耳を貸さずに呉を衰退・滅亡させたりしてるから
名君なのか暗君なのかよく分からないな
549名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/29(金) 22:13:36.99 ID:3DY+8V6Z0
結局父親の復讐を果たす以外のビジョンを持ってなかったんだろうな。
550名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/29(金) 23:11:02.53 ID:wqJ9Rc3bP
覇者になるには度量も見せないと → 句践を許す

これが全ての間違い
551名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/29(金) 23:28:15.56 ID:7CiaFkgh0
>>550
滅九族とかしとけば良かったとか?
552名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/30(土) 00:35:45.01 ID:JYiAtyNH0
夫差は覇者の夢にあせってただけじゃないの
句践を許したのも、度量(笑)以外に、辺境の越の事なんぞは
出来るだけ早く片付けて中原に進出したいから
まとめ役として生かすって皮算用があったんじゃないかね
553名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/30(土) 04:52:03.32 ID:vkBueEwT0
途中まで名君だったのに、後で暗君・暴君になる君主ってたくさんいるからなあ
斉の桓公、呉の孫権、唐の玄宗とか
554名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/30(土) 11:23:42.08 ID:tZ6W+MMgP
夫差の場合は諸侯会議に遠征中に越に首都焼き払われた時点で
一度国を立て直し、本人も考え改めるチャンスはあったんだけどね
その後も遠征続けて国力低下させて越に滅ぼされたんだからやはり暗君だろう
555名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/30(土) 20:10:33.02 ID:D+7+eRYb0
まあ夫差は最後の結末とか考えてアレな評価に落ち着くのは当然って感じだけど
闔閭はどう評価されてんんだろう
556名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/01(日) 14:18:36.92 ID:AXpsT3lE0
闔閭は総合で見れば+じゃねーかな
557名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/02(月) 01:10:49.63 ID:+vQwOv5X0
闔閭は結構汚い策略で王位に就いたのに、名君でいられたのは凄いと思う
558名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/02(月) 01:30:33.76 ID:pxuoDlfV0
あれは季札が悪いだろ
とっとと王位につけばいいのに日和やがって
そのため遼と光の無駄な対立を招いた
559名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/02(月) 01:57:01.63 ID:+vQwOv5X0
季札は清廉潔白で知られ、文化人でもあったから
兄弟相続を蛮族の風習と思い、嫌がったのかもしれない
560名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/02(月) 19:34:53.35 ID:3xo5AbW0O
楚ひと
趙ひと
秦ひと

日本語として「○○じん」じゃなく「○○ひと」と言うのには何か理由有るのかな?
561名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/02(月) 21:39:55.24 ID:guEqiMsK0
>>554
だが夫差が死に際に言った「あの世で伍子胥に合わせる顔がない、わしの顔は
布で包んでくれ」という言葉は評価したい
562名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/02(月) 23:54:55.12 ID:7Sy2CHvh0
達人伝読んでる奴いる?
563名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/03(火) 01:24:48.96 ID:QOXadIZQ0
>>561その台詞を見るに夫差はただの暴君ではない気がするなあ
伯ヒのような狡猾な悪臣がいなければ名君のままでいられたかもしれない
564名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/03(火) 02:54:48.23 ID:+HUVKa1s0
春秋五覇ってバランスとか物語性とか考えると

初期:斉桓公、晋文公
中期:楚荘王
後期:呉王夫差、越王勾践

が調度いいよな
565名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/03(火) 10:40:59.20 ID:WdmHXSL9P
句践って呉を滅ぼすまでは色々話あるけど
その後の話ってあまり有名じゃないよね
566名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/03(火) 18:22:43.08 ID:tdRegEcR0
>>565
句践は呉を滅ぼして中原に進出して覇者になった後は
文種を粛清してるからあまり誇れる良いエピソードが無いのが原因かもね
567名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/03(火) 22:56:16.85 ID:92deD2av0
>>562
無料公開されてるやつだけ読んだことあるけど、何ともいえんな。
もっとも蒼天好きだったから期待はする。
568名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/04(水) 00:25:11.57 ID:P5Q4oLrK0
>>565周に貢物をしたり、呉が周辺諸国から奪った領土を返還したりしてる
569名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/04(水) 21:21:36.63 ID:wAu/iGWa0
この時代を扱った漫画は少ないけど
「墨攻」は名作だと思った
570名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/04(水) 21:31:08.04 ID:Tw6IpClf0
横山史記もかなり面白いね
571名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/04(水) 21:36:49.35 ID:HnMoImCH0
キングd…ううん何でもない
572名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/04(水) 21:47:39.92 ID:wAu/iGWa0
斉の孫子の漫画もあったよね
まだ読んでないけどあれ面白い?
573名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/04(水) 22:28:49.04 ID:DlN2VVoS0
>>569
墨攻は雑魚キャラにも感情移入できる名作だよね
映画は全然糞だったけど
574名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/04(水) 22:35:53.73 ID:QHe1pPgu0
俺は原作小説の革離があっさり殺されて終わる所が好きだった。
漫画の革離は強すぎてイカン。
575名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/04(水) 22:50:05.86 ID:DlN2VVoS0
>>574
小説よんでない(^_^;)
漫画は日本に来るのは余計な印象

この時代の漫画では、東周英雄伝
これで中国の歴史に興味を持つようになった
576名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/04(水) 23:16:13.61 ID:ad4z0QII0
というか墨攻は原作小説と漫画では舞台となる時代まで違うよね
577名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/04(水) 23:30:46.05 ID:QHe1pPgu0
漫画の革離は超人的な強さを持った英雄だが小説の革離は戦争のスペシャリストではあるが
墨家では並の人物。けして超人ではなく、歴史に名を残すような英雄でもない。
戦争には強いが他人の心理を読み切れずに意外な所から矢が飛んで来てあっさりと殺されてしまう。
その時も自分の失策に気付いて「俺もマダマダだな」みたいな事を思いながら死んで行って、
その辺が墨家っぽくて良い。
578名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/05(木) 00:35:12.74 ID:HTsQn/VQO
キングダムの白起対、達人伝の白起。
579名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/05(木) 00:38:45.75 ID:nPlbsYzR0
キングダムの白起は主役と時代が違うからやや適当
そして曖昧かつ抑えて描かれてるから比較するもんじゃない
580名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/05(木) 00:48:29.99 ID:jnLBFbZc0
キングダムは戦国時代とはいえ、信の立身出世物語なんで中華戦国時代っぽさはない
秦軍が貴族士族の私兵集団みたくなってたり、鎧武器とか自腹で農民兵丸出しとかなんとかならんのか

>>577
墨家ほど面白そうな存在はそうそうないが
小説等で上手く使ってる例は漫画墨攻しか知らないなあ
581名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/05(木) 01:41:49.21 ID:aP3BMjoQP
キングダムとか一時期流行った戦国トンデモアニメよりマシ程度の内容だろ・・・
582名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/05(木) 09:32:47.40 ID:X+R0a/pj0
9割方創作だが戦国獅子伝も面白いね。
583名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/05(木) 19:53:54.70 ID:cdCptW5Y0
キングダムちょっと読んでみたけど、秦六将とか三大天とかネーミングが痛々しすぎて目眩がしてきた…
584名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/05(木) 20:20:27.43 ID:HzYBQGrN0
そういう括りって諸子百家以降で増えてきてる気がするわ。
まあその程度のネーミングで痛々しいと感じるなら、
別の時代に実在した「宇宙大将軍」に卒倒するんじゃないか?
585名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/06(金) 02:01:56.81 ID:c2FNyl+N0
キングダムは今年売れた漫画14位だからそれなりに影響力というか知名度も上がってきたのかな
入り口は漫画やら映画やらゲームやらでいいじゃん
586名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/06(金) 13:25:09.66 ID:6objWbRg0
まあそうだね
作者史記とかはそれなりに読んでるから
時代考証をもうちょっと頑張ってほしいな

旗の種類や長柄の戟とかバリエーションを増やせば様になる
587名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/06(金) 15:36:12.52 ID:4660WMLN0
それなりに読んでるなら女武将とか出さないだろ
トンデモでも別に構わんが、それなら史記の記述をそのまま貼るとか止めろと言いたい
588名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/06(金) 18:53:33.78 ID:QJLAZod50
史記読んだぐらいじゃ時代考証にならなくね?
589名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/06(金) 19:50:21.64 ID:LnHp/dOE0
キングダムは史記に関しては一応
記述に矛盾した事はあんまりやらないが
記述に書かれてない部分は好き放題にやるってスタンスだが
元ネタが戦国策の登場人物は完全に名前を借りただけって
感じの扱いだね
590名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/06(金) 20:44:46.77 ID:W9F6R1Kk0
漫画だからエンタメ性強くしたんでしょ
ヤンジャンだとあれくらいファンタジーはいらないと受けないだろうし。
これがビッグコミックとかだったら違ったろうけど
591名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/06(金) 23:02:23.86 ID:6objWbRg0
>>588
無論物語として史記を読むと時代考証にならない矛盾も多いし
だけどそれなりに影響力があって長く続いてる漫画だし贅沢が言いたくなる

あと作者はもうちょっと古代っぽい漢造語&オリキャラの人名を作る努力をした方がいい
592名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/06(金) 23:28:12.52 ID:DMyGNgzd0
孫ピンの漫画もそうだけど、舞台が古代中国じゃなくても良い気がするよねえ
中華風ファンタジーでええやん、みたいな
593名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/06(金) 23:30:19.55 ID:uPtQVuDOP
キングダムのアニメで戦いの説明ナレ見る度に失笑なんだが
594名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/06(金) 23:59:33.65 ID:6yPfLsIu0
>>592
キングダムと孫ピンの奴は中華風ファンタジーとは方向性が違うっしょ
十二国記とか

キングダムは日本の戦国風漫画+蒼天航路+北斗の拳を3で割った感じ
595名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/07(土) 00:10:02.82 ID:iZ9HI+tf0
・キングダムの偉大なる功績
千人将をメジャー化した

・キングダムのダメなところ
チンコ部分しか守れない謎の鎧
596名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/07(土) 00:31:01.85 ID:+zGfkY2D0
>>595
ちんこは大切だよ
597名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/07(土) 00:35:44.25 ID:iZ9HI+tf0
ああ、とはいえ主人公の部隊以外はちゃんとした鎧兜着てるからさw
まあ、どの部隊の鎧もなぜか首のガードがないけど
598名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/07(土) 01:12:49.38 ID:hEbi9UJt0
蒼天航路とかもだけど史書の原文そのまま引用してくるのがイラッとする
あわよくば歴史オタも釣ってやろうという意図が透けて見えるわ
599名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/07(土) 10:04:24.81 ID:5Sj5Msnv0
>>592
グランドジャンプの孫子異伝は最初に孤鳳卒
(作中でソンビンが率いる元孤児集団の組織)
の設定が最初にあって
彼らを活躍させるための舞台を探しているうちに
ソンビンという人物に行き着いたんだそうな
600名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/07(土) 10:59:58.73 ID:KqSE8jdp0
鎧というか防具の変遷に興味あるな
601名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/07(土) 17:28:31.70 ID:CAKVjqQC0
商鞅は悲劇の人だよな
自分が定めた法で自分の首を絞める事になったからなあ
602名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/07(土) 19:38:34.71 ID:YMzuxvGT0
最後の逸話は少し変だ。手形なしで宿には泊まれないのに出国は可能とか
しかも魏から送り返された後、商へ移動して兵を率いて反乱出来たとか
603名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/08(日) 00:15:18.80 ID:fqDCUIr50
法家はダメです系逸話の典型例だからね

司馬遷とかも商鞅タイプの人間を排撃するの熱心
まあ現在で言う人権擁護自由主義的な側面もあるけど
604名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/08(日) 00:43:12.97 ID:18DRryCq0
晏嬰と公孫僑の扱いが違いすぎるもんな
605名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/08(日) 09:49:01.55 ID:nOAAlbK60
公孫僑って子産だっけ?
606名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/09(月) 15:41:21.22 ID:DHRPZBSp0
その通り

司馬遷は優れた史家だけど人物の好き嫌いは露骨
607名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/10(火) 20:17:36.77 ID:+ReUQ3Vc0
流石に秦に関わった法家は詳しく紹介してるけど
その他の国の法家は扱い低いよな。
申不害もその一人だと思う。
608名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/11(水) 03:22:22.06 ID:C4dfYD8T0
管仲も法家だけど、流石に別格の扱いだな
609名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/11(水) 13:50:24.92 ID:5umPkgqp0
戦国よりマシな時代と信じられていた春秋
しかも覇者の臣下にとどまる謙譲の美徳を持ってるからね(単に時代が許さなかっただけだが)
610名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/12(木) 01:30:47.66 ID:fqnSwC970
宮城谷が史記のテーマは「友情」と「許す事」と言ってたと思うが
それに管仲を当てはめると、鮑叔との友情や桓公が殺されそうになっても許して宰相にしてあげたエピソードなんかを見るに管仲は司馬遷が書きたい事が書ける人物だなあ
司馬遷は自分と李陵を管仲と鮑叔にだぶらせ、武帝にも桓公のような許す度量が欲しかったと言いたいんだろう
611名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/12(木) 14:56:25.92 ID:qwfaWLYL0
史記は司馬遷の私情が大いに反映されてるのが魅力だね
612名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/12(木) 15:41:20.28 ID:nmvauW/n0
613名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/12(木) 16:43:50.93 ID:n70H0YR70
そのおかげで読みやすいからな
614名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/12(木) 18:27:42.17 ID:O+slF79t0
面白い歴史書を記してくれた司馬遷と横山光輝の二人には感謝している
615名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/14(土) 01:58:41.62 ID:Npy0i9uV0
司馬遷が二十歳ぐらいの時に敢行した春秋戦国史跡巡りの旅はすげー楽しそうだよね。
もちろん学術研究としての目的が主体だろうが、旅の時の行動が学者というよりは歴史好きの趣味者のやることという感じだし。
616名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/14(土) 14:42:44.57 ID:1qGpUgPF0
>>615
中公新書に「司馬遷の旅」というのがある
617名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/15(日) 20:05:41.17 ID:U1PLfDTE0
武霊王てよく考えたら変な諡号だな
やっぱ最後が悪いのか
618名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/16(月) 00:53:11.55 ID:IlVO9uL30
武霊王ってかなり変わり者の王だよな
胡服騎射だけでなく、戦国時代では珍しく親征を行う君主だし、自ら王の座を降りて主父と名乗ったりとこの時代では特異な君主であるように思う
619名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/18(水) 19:48:23.34 ID:rOVP1s8r0
武霊王は戦略家としての才能もあるな
他国に外交官を派遣して中山攻略を邪魔されない状況を作り出してる
中原に進出する前に死んでしまったのが惜しい
620名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/19(木) 00:35:20.50 ID:TDK7kHiO0
長きに渡って争い最終的に20万の大軍で5年間攻め続けてやっと併合した中山
超は中山だけを相手にしていたわけじゃないが中山の力も相当なものだよね
王都霊寿城は壮大な規模だったらしいし
戦国時代は宋や中山など中堅国も侮れない
621名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/20(金) 18:34:30.80 ID:uJGtcXNQ0
太行山脈の天険に拠りながら城壁の長さが一辺5キロ近い大城だからね
622名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/21(土) 18:50:22.44 ID:hZTd+ViC0
戦国時代、魯は全く話を聞かないな
623名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/21(土) 19:21:05.35 ID:Fv+zdA1Y0
陽虎が全部引っ掻き回したから。
評価できるのは王を自称せずに長く国を保ったくらい。
624名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/23(月) 01:03:01.70 ID:mZK2tOxg0
数万の戦力を普通に動員できるだけの力はあったみたいだよ
625名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/23(月) 04:06:47.50 ID:QeEoMcGC0
衛も空気だな
626名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/23(月) 20:22:14.90 ID:kCBheoql0
趙に攻められたり魏と連合してなんとか凌いだり斉や秦に臣従したり

戦国六雄より長生きした古強者だよ
627名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/23(月) 21:58:20.93 ID:Md0TE2Hm0
長生きしたと言っても最早諸候ではない衛君としてだけどな。
628名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/24(火) 00:41:08.43 ID:gtuWZRm/0
初期に滅ぼされてしまった鄭は戦国最弱だな
629名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/24(火) 15:38:56.52 ID:fw6Qs3H20
列強の韓と融合して王都新鄭城となったのさ

現在でも新鄭城の崩れた城壁が残ってるが凄く高い
630名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/24(火) 17:05:45.82 ID:sKG5Jqz/0
でも鄭って中小諸国の中じゃ存在感あるよな
631名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/24(火) 17:29:29.75 ID:os42SQMj0
小覇を成し遂げ、晋楚の緩衝国で和戦の基軸となり、経済的先進地帯で早期に法が発達した国ですしおすし
ま、戦国初期の滅国であっという間に滅ぼされちゃうけど
632名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/24(火) 18:15:01.50 ID:sKG5Jqz/0
そういや鄭といえば祭仲のことあんまり好きじゃなかったけど、よくよく考えると鄭という国自体が祭仲とそっくりだと思ったわ
633名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/24(火) 18:55:14.76 ID:WXT84A1q0
基本晋よりの国だったし、晋南部を抑えた韓と一体化
主筋の周王室も秦の膨張がなければ韓魏に吸収されてそう
634名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/25(水) 01:09:28.35 ID:SUF6TWyf0
鄭の有名な人物といえば荘公、子産か
635名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/25(水) 08:20:44.51 ID:yB1LxO2H0
子産も有名だけど、同時代なら子皮の方が有名だったり名声高かったかも

鼈の怨みで殺された霊公
自分の子を殺しまくった文公
晋も楚も信義がないから攻められたら降ればいいと開き直った子良
子産の後継者の子大叔

この辺も有名とまではいかないけど左伝とか読んでると印象に残りやすい
636名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/25(水) 20:22:39.49 ID:Zv3u5vKP0
そもそも鄭って春秋以前の覇者っしょ。存在感は当然ある。
しかもライバルのカクがリタイアしてるし目立つ。
637名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/26(木) 00:37:29.11 ID:MJWI+j520
鄭の詞が公子時代は父荘公の覇業を支えた名軍師と言っていい働きをしていたのに
君主になったら暗君になるのが解せない
君主に必要な者と戦に必要な者は違うと言う事か
638名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/26(木) 00:50:21.99 ID:nVY+V8ql0
君主としては天に選ばれなかった
政治情勢が悪い
639名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/27(金) 15:06:24.16 ID:qG4WQBW30
荘公の息子といえば、昭公も将軍としては優秀だったのに、君主としてはすぐに死んでしまったな
640名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/30(月) 00:42:29.26 ID:TQ10hUIq0
昭公の評価は分かりにくいわ
641名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/05(日) 20:49:17.08 ID:2BVmixIT0
魯の昭公に得体の知れない不気味さを感じる
642名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/10(金) 22:36:47.14 ID:u4SjQkng0
伍子胥と孫武のコンビが最高に好きだったから
夫差の代で孫武が引退してしまったのが残念だったな
643名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/17(金) 08:25:54.65 ID:Qra43vm50
案外、調練で殺した夫人のどっちかが夫差の実母で
夫差の代から追放されたんじゃね?
644名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/17(金) 09:04:24.72 ID:wBeD99vB0
孫武が居ても楚では勝ちきれていない
ドイツがソ連に攻め込んでも勝ち切れないように
国力差は戦術では埋めきれない
645名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/17(金) 12:09:16.96 ID:hcH17Soe0
ふがいが裏切らなければね
646名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/17(金) 18:16:28.31 ID:JBls5VOe0
滅亡し切れていないとはいえ勝ち切れていないと言うことはないだろう。
首都は陥落した上に、散々打ち破られて逃げ帰った呉がその後も攻め込んでいる。
647名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/18(土) 18:59:08.57 ID:Yr6m7m440
そう考えると越はなにやってたんだ
結局、楚が南方の勝者だし
648名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/18(土) 20:23:57.41 ID:BGYy9e2W0
そりゃあ、越は楚と敵対していた訳じゃないですしおすし
649名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/18(土) 20:25:23.63 ID:6pYiAH9S0
最終的には滅ぼされちゃったんだけどね
650名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/19(日) 03:41:40.02 ID:zfswSFpp0
越は勾践の後がよくわからん
楚は呉に滅ぼされかけた後、立て直しに頑張ったからな
楚の昭王の名君ぶりと子西の名宰相ぶりが光る
特に昭王は孔子に誉められたぐらい
651名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/19(日) 03:57:45.31 ID:DOGGfmD00
越は勾践後も強勢を誇ったものの
中華の列国が戦国時代に入るとそれ以上に伸びた事と
南北方向に長い領土が禍し、楚に対する戦略的縦深が足りなかった

とはいえ楚の王都からあれだけ遠方かつ広大な越をあっさり征服した威王
および、それ以前の君臣はもっと評価されるべき……かもしれない
652名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/22(水) 18:28:56.53 ID:QvGkJNVu0
楚の東西への伸長は驚くべきものがある
まあ南海にも勢威は到達していたようだけど
653名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 21:18:35.27 ID:UpzakAok0
天下の盟主となったという意味じゃ荘王の時が楚の全盛期だけど、
領土では威王の時が全盛期で良いのかな?
654名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 21:53:46.43 ID:pgAaGSwu0
藍田の敗北前のときが領土最大期じゃね?
655名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/26(日) 05:24:00.04 ID:0FlxoWp+0
韓魏を除く六国は秦の猛攻さえなければ順調に強大化していただろう国ばかりなんだよなあ
楚も懐王前期が最大版図かと
656名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/27(月) 19:06:51.51 ID:blbkEIC30
その頃の楚は中原にたびたび出てくるよね
あとテン国遠征
657名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/28(火) 01:49:48.50 ID:/3BBDIbr0
斉もビン王の時が最大版図かな
最後に、国を滅ぼしかけてしまうけど
658名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/28(火) 18:27:43.14 ID:Eu4o+Po50
宋、中山、燕、韓、魏、衛、魯、その他小国

周りの国々を併呑(一部)するか従属、影響下に置いてるからね
東帝の名に相応しい国力
659名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/29(水) 20:30:25.17 ID:1YbwvO6a0
歴史名所巡ってみたい
やっぱ趙が好きだし邯鄲とか行ってみたい

でも流石に名所なんてないよなあ・・・
2000年も前だし・・・
660名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/30(木) 02:23:49.47 ID:r24qbBO70
趙は恵文王、恵文后の壮大な陵墓とか遺跡はなんぼか残ってる

…日本に当てはめたらわかるが
春秋戦国の場合は昔過ぎて名所に期待してはいけない
根性と時間とスキルと周到な準備があるなら多少はなんとかなるけど
661名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/01(土) 10:52:49.20 ID:2FciVir80
呉起のような上が居たら必死に付いて行くだろうなあ
って思った
662名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/01(土) 18:39:11.01 ID:W57C8bu20
そうだな。旦那には絶対したくないけどなw
663名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/05(水) 20:18:15.88 ID:+xXItjrk0
呉起は確かに名将だけど、いまいち戦績がわかりづらい
664名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/05(水) 20:32:56.90 ID:6EMl+OlX0
呉起は政治家としての力量込で評価されてると思う
665名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/05(水) 21:34:04.33 ID:+xXItjrk0
呉起の72勝12引き分けっていう戦績はどこからでてきた数値なんだろうか
史記にある呉起伝を読むとそこまで戦った回数があったかは疑問を感じる
たとえ史記に書き記されてない戦いがあったのだとしても、この戦歴になるとは思えない
666名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/05(水) 22:08:53.45 ID:xqvdFijF0
>>665
七十二候っていって古代中国では72が特別な数字なんだよ。
劉邦のホクロとか戦績の話でも72って出てくるでしょ
667名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/05(水) 22:18:51.73 ID:ZujDMSHb0
南京30万と一緒だなw
668名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/05(水) 22:29:10.55 ID:xqvdFijF0
>>667
サバ読みとは意味がちげーよw
669名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/15(土) 20:30:50.47 ID:b+Yktzww0
この板で、三国志名将二十四選というスレが盛り上がってるが
春秋戦国時代でやったらどうなるだろうか
670名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/16(日) 01:31:18.00 ID:ig3gk6qi0
春秋時代だと鄭荘公、斉桓公、楚荘王、先シン、士会、孫武、伍子胥、范レイ
戦国時代だと呉起、孫ピン、武霊王、樗里疾、司馬錯、白起、楽毅、レンパ、趙奢、李牧、田単、信陵君、王センあたりが候補か
三国志ほど議論が荒れる事は無いと予想
671名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/16(日) 02:38:01.80 ID:pwwScSwA0
同時代に何人もじゃなくて
十数年〜数十年にぽつぽつといる感じだもんなあ
戦国時代になったら後期に集中するけど、それでも同時代人が少ない
672名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/16(日) 06:02:00.13 ID:dGTlEPkV0
はっきり言って議論にならない

誰一人としてまともな史料がない
三国志でさえ少ないが春秋戦国特に戦国は何も無い
673名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/16(日) 07:09:32.27 ID:KOhlH2u80
そもそも24人もちゃんと出るのかって話だが
674名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/16(日) 13:24:26.67 ID:xlRppnYb0
そもそも君なのか将なのか
675名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/17(月) 03:58:18.49 ID:v+IC9HPI0
実際は同時代にも優秀な奴はいたんだろうけど
史記とかには有名ドコロしか伝わっていないだけだろうな
ある程度傑出した大人物がいる以上好敵手とかもいそうなもんだが
676名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/17(月) 04:15:02.41 ID:I34pOkIz0
孫武、伍子胥擁する呉軍を秦軍と協力して破った楚の子西と子期は、あまり知られていない名将と言えるかもしれない
677名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/17(月) 12:57:31.01 ID:BqQKRfnV0
なぜ管仲の名が出ないのか?
678名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/17(月) 19:36:08.43 ID:I34pOkIz0
>>677管仲は将軍としての実績がよくわからないからじゃない?
管仲を名将として評価してる史料もあるみたいだけど、その実績は史料に残って無いし
679名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/18(火) 00:50:44.68 ID:Jv8aH0G70
>>675
先軫が城濮で撃破した子玉も、その戦いで破られるまでは南方で暴れまわってた楚の将軍だし
先軫が?で撃破した孟明視も、その後の報復戦で晋に勝利するほど成長するし
これらの事はちゃんと好敵手についての記述がある例かな
680名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/19(水) 01:16:21.94 ID:Ek9RQ65N0
春秋戦国時代の場合、名将より名相二十四選の方が盛り上がりそう
681名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/21(金) 08:57:18.94 ID:zzMujiyL0
>>677
春秋前半の戦争って公族以外将軍になれないんじゃね?
晋の六軍くらいからじゃないだろうか、公族以外の将軍って
682名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/21(金) 10:33:08.90 ID:hUeVTBhXi
晋の場合、公族の意味自体が違うしな
683名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/22(土) 18:23:51.12 ID:2uWq8GTf0
公族になったり外れたり出来るからな
684名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 10:51:36.91 ID:b1CRlk6T0
資料が少ないってのは寂しいなあ
685名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/03(月) 01:30:58.05 ID:+aMD4GPD0
ウクライナにロシアが軍事介入している様子を見て
晋か楚の大国が、鄭や陳といった小国の紛争に介入してるのと似てるなと思った
686名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/07(金) 22:13:16.45 ID:XP40/fuK0
中国史に詳しくなると、春秋時代が一番平和な戦乱の時代だと思える
戦乱なのに、平和とか矛盾してるけど
687名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/07(金) 22:22:17.48 ID:8CsEKhRJ0
あくまでも内輪の争いだからな
本気で戦争してないし殺しあってない
688名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/08(土) 00:35:36.20 ID:50xQg8zR0
>>687貴族のスポーツみたいなとこあるよな
春秋時代も後半になると、本格的な戦争になってくるけど
689名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/08(土) 23:42:55.40 ID:aH6yNX2p0
ウエスタンはサンダー、スパーズ、クリッパーズの三つ巴だと思うがナゲッツの大穴にも期待
690名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/11(火) 19:32:19.74 ID:AR5FoVcy0
楚荘王の忌み名が侶、あるいは旅となってるのは
侶が史記楚世家で、旅が左伝と見ていいのかな?
左伝の原文だと楚子旅卒 とかあるけどこれ荘王のことよな?
と思ってたら穀梁伝では呂らしい。公羊伝は旅だった。史記は何故侶をとったのか。
691名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/11(火) 21:21:47.97 ID:LnqP52Va0
>>688
三舎ひくとかまさにスポーツマンシップだもんな
692名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/14(金) 22:05:12.08 ID:mUOfM6oL0
魯と周公旦好き、三桓きらい
693名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 10:37:10.81 ID:YErhCMZO0
>>692
おまえ…消されるぞ
694名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/20(木) 16:14:46.46 ID:dSuKpTiu0
>>691郤至の、共王に戦場で3度まみえながらも、3度とも兵車を降りて礼をしたエピソードなんか、もろにそれだな
695名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/20(木) 20:25:19.27 ID:Ohrgs5ul0
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696名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/20(木) 20:39:48.44 ID:o3uHsIzJ0
こっちに来たのかね、菅沼君。
697名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/22(土) 13:01:03.60 ID:Z+AOTZrw0
おのれの武に自信満々だった鄭の御者が、
敵を煽るため晋の二武将と出かけビビり上がるところが面白かった。
二武将は優雅に琴なんか弾いて余裕ぶっこいてるのに。

独りで逃げたこの御者がその理由を素直に「びびったんで…」と告白したら
笑って許した武将の度量もどこか春秋時代の雰囲気なんだろうかなぁ。

こりゃ「子産」でのエピソードだったかな、宮城谷さんの。
698名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/23(日) 10:52:18.35 ID:hGKKNdS30
>>697
俺もその話、好きだなあ
鄭の御者も虚勢はらずに素直だし、晋の二人も蔑まない度量があって
爽やかな風を感じるとはこういうことか
699名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/24(月) 10:10:53.56 ID:krOuZufj0
・鄭の御者〜宛射犬(えんせきけん)
・晋武将1〜張骼(ちょうかく)
・晋武将2〜輔レキ(ほれき/足に樂)

単行本「子産」下巻216〜219頁収録。

フィクションでも何でもイイんで、
是非この三人でスピンオフ短編を(´;ω;`)オナガイ...
700名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 23:25:47.44 ID:QBF7Q0ev0
>>699宮城谷の子産といえば子産の父親子国が好きだったから、史記や左伝を読んだらがっかりしたな
小説だと名将なのに、実際はたいした活躍してない
晏弱の方は割と史実でも名将なのに
701名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/03(木) 19:48:03.29 ID:iCB6m03j0
小説でも負けが結構あるしね

七穆の当主は好きな人物多いな
702名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 11:16:06.93 ID:0POStCeL0
あの当時の鄭で連戦連勝なんぞしてたら時代屈指の名将になってしまう
703名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 23:34:22.47 ID:CA3rI3Rz0
屈指というか稀代の名将になるね
小国でも強兵をもって知られる国はあるが辺境が多い
ひきかえ中原に位置し対戦相手に晋や楚が出て来る鄭
国内が晋楚両派に分かれているから全力で戦うのも難しいし
704名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/05(土) 18:15:32.45 ID:kx7lCNpi0
>>703この時代、小国が単独で大国に勝てる事ってほとんど無いからなあ
没落した鄭が勝てるのは、宋、陳などの同程度の国ぐらい
705名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/06(日) 00:59:38.35 ID:OWB7Jx1m0
中々手が出なかった貝塚茂樹さんの中国の歴史を読んでるが
秦統一期の趙の兵力が意外に多くてびっくりだな
そして韓の少なさったらない。そりゃ滅ぶわ
706名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/06(日) 01:47:52.07 ID:xQtRakaW0
中原だから人多いんじゃない?
長江流域は人が少なすぎだったようだけど
707名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/06(日) 22:10:54.88 ID:KctdsfXs0
>>705負け続けて兵士の数が激減したんだろう
特に趙なんか40万人が生き埋めにされたからな
708名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/07(月) 10:05:21.83 ID:asD/RFI40
韓の領土は険しい地形が多くて痩せてるといわれてる
人口の増加も多くは見込めなかったろうし、戦国策なんかをみても
そういう記述があるのよな
709名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 00:11:25.53 ID:ZUa+vb+60
韓は鄭を含めないと少ない

>>704
陳「うちは宋、鄭みたいな中規模以上の国に比べると小国やねん」
710名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 00:29:38.05 ID:Ttw3LsAO0
衛も忘れてはいけない>中規模国
春秋中期は盟主晋の為に大軍を派遣したり結構元気

…宋って戦国でもある程度戦えたし頑張ったよな
711名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 00:32:36.27 ID:+yM08Iw00
唐と蔡は?
712名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 00:38:08.56 ID:ZUa+vb+60
>>711
陳「楚の腰巾着どもが!」
713名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 00:48:58.44 ID:fPkUApZQ0
>>711
時期によるが、まあ陳レベル
宋、衛、魯、鄭には及ばない
714名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 01:51:39.60 ID:QVfhmQlT0
「ちゆ」と「しょうちゆ」が何か可愛い(*^o^*)
715名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 02:23:34.71 ID:ZUa+vb+60
わかる
諸侯会議に参加してるとなんか気になる
716名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 03:52:35.29 ID:BG7F515G0
宋康王のあの異常な強さはどこから来るんだろうなあ
斉・魏・楚の三ヶ国がかりで滅ぼされるって、かなり珍しい事態だと思う
717名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 21:14:15.09 ID:eF/XT0IQ0
まあ、かなり国力があったんだろう
しかし極盛期の斉相手、相手が悪すぎた
斉が併呑した結果パワーバランスが崩れて逆に斉滅亡に繋がるけど

>>714−715
大国だった魯の国都すぐ近くでよく長続きしたわ
718名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/11(金) 04:05:31.92 ID:rr2RPCcI0
魯の近くで良かった
晋と楚の近くなら春秋中期で消えてる
719名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/11(金) 19:23:07.01 ID:IL9mYZcu0
魯と宋の間の泗水流域はなぜか長期存続した都市国家クラスの小国が多いなぁ…まぁ大抵属国化してはいるけど

儒家墨家の発祥発展した地域でもあるし文化程度も高そう
720名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/12(土) 22:34:23.75 ID:JcKmPLJ+0
宣太后に滅ぼされた義渠とか武霊王に滅ばされた中山とか
合従や称王に加わるなど相当の実力を持つものの七雄には及ばず消滅した国家が気になる
721名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/14(月) 03:54:59.65 ID:1GHxIllV0
>>720義渠王と不倫して子供まで作ったのに、その後、義渠王を秦に呼んで殺し義渠を滅ぼすとか凄いな宣太后
不倫して子供まで作ったのも、義渠を滅ぼすために王を油断させるための策かと思えてしまう
722名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/15(火) 06:22:42.93 ID:ol+xx79p0
王室間の婚姻関係(っぽいもの含む)の先にあるのは同盟、共同統治、従属、そして併呑

宣太后の三姉弟に関してはもっと史料残っていて欲しかった。宣太后時代から楚はボコられる一方だが、
秦の上層部に楚の匂いがやたらと漂ってるのが気になる。秦末に扶蘇と項燕の名を騙った反乱あるけど扶蘇の母親は楚人なんだろうか?
723名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/16(水) 17:13:21.42 ID:GrHi2EOe0
>>722
戦国楚も親秦親斉で荒れたし色々あるんでしょうな
724名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/16(水) 22:28:31.01 ID:as8pNZ0V0
対秦融和派がやらかしたように書かれる楚

対秦強硬派がやらかしたように書かれる趙
725名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/17(木) 17:36:40.15 ID:DMwnsA6a0
なにを考えていたのかすら分からない国よりマシ。

司馬遷が荊軻と秦王とかいう小話を採録しただけで投げ、ただの恩讐話に矮小化された燕滅亡。
斉は七雄のどこかに仕掛ける事もなく静かに併合される道が貫いたから除外。
726名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/17(木) 19:35:47.45 ID:4rtwVQbu0
いつもあっさりと一行で描かれる韓の滅亡
727名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/17(木) 22:58:56.55 ID:p0sFanfZ0
斉は秦と2強だったけど楽毅に凹られて弱体化しちゃったからな
728名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/18(金) 01:38:03.66 ID:tcAeGF7g0
>>727ビン王の暴君っぷりを見てると楽毅がいなくても斉は没落してたと思う
没落する前にビン王が死んでくれたらどうなっていたかはわからないけど
729名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/18(金) 01:42:18.39 ID:2r81Kpev0
秦軍の水攻めで大都会王都:大梁城が崩壊したというのに一行で済まされる魏もなかなか

韓、そして王族韓氏は春秋時代存在感あったのに…
戦国に入ってからの史料の少なさよ、保持していた力自体は遥か上だったろうに
滅亡後、始皇帝在世時に王族貴族の謀反あったり気になるが情報…司馬遷その他に抗議したい
730名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/18(金) 01:56:44.36 ID:rnBKI9XK0
司馬遷さんの史記
特に戦国以前は漢代より随分前だし当時既に失われつつあったし
更に司馬遷の好みで取捨選択した二次史料
情報の濃淡は仕方ない

>>728
宣王時代以降の斉の繁栄と軍事的拡大政策の付けが回ってきた
秦を含む諸国の嫉妬と敵愾心を逸らし撥ね退ける軍事外交が求められる
731名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/18(金) 10:22:11.92 ID:CxK8T1vg0
戦国の史料が極端に少ないのは秦による史書の抹消・改竄が行われたという説
732名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/18(金) 17:52:12.39 ID:rnBKI9XK0
秦は東方諸国の遺風を消すことに努めた(城から史料まで)
漢は秦の後継なんで続行
新時代を切り拓いた統一帝国からすれば当然だね

後の史家はそもそも戦国時代をあまり評価してないからどんどん散逸する
733名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/18(金) 18:42:21.62 ID:1h03LnHn0
七雄の一角燕を単独で一旦制圧。
続いて豊かな伝統国宋を滅ぼす。
越の残党を保護して南方を窺う。

やばいやばい

秦は滅ぼす対象(巴蜀)が僻地だった運がいい。
734名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/18(金) 19:28:22.04 ID:cphjz/0o0
秦が蜀を取る
蜀の地を治水大開拓する


ところで蜀って国ってあったの?
735名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/18(金) 19:33:49.96 ID:2DAm62Uf0
>>734
あったよ
736名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/18(金) 19:43:33.46 ID:rnBKI9XK0
漢中に勢力を伸ばし秦と対立
楚に近い巴国(現在重慶付近)を交え楚と対立
現在の四川省に君臨した西南の大国

恵文王の侵攻を受けた後は蜀王から蜀侯に降格
秦室のコントロール下に置かれる後に郡県化
737名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/18(金) 21:26:04.01 ID:oxFbu3qU0
戦国期に限ると蜀国が四川盆地の覇者だな、多分
秦の介入がなければ、統一出来たかもしれん(楚とぶつかったら負けるだろうが)

春秋期はおそらく巴国の方が強大、楚と近すぎて衰えたけど
時々中原方面に顔を出す
738名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/19(土) 02:16:16.68 ID:faG2hv/S0
蜀を攻め滅ぼした司馬錯はもっと評価されても良いと思う
739名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/19(土) 19:36:10.71 ID:85VFAAlo0
少なくとも四代の秦王に重んぜられ
恵文王期や魏ゼン執政期に中原・巴蜀・楚南西部攻略と大活躍してるもんな、春秋戦国を代表する名将だと思う

>>736
巴国・蜀国が宿敵同士であり付け入る隙があったとは言え、司馬錯・張儀の手並みは鮮やかすぎた
じわじわ巴国を追い詰め、四川・貴州・雲南方面に勢力浸透を図っていた楚の努力が水泡に……
740名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/19(土) 23:46:44.71 ID:4JVQ2k5z0
>>739
司馬錯は白起に次ぐ、戦国の名将かもしれないね。張儀も外交謀略だけじゃない

厳君、魏章、張若…、恵文王→武王の時代は有能そうな人が結構いる
741名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/20(日) 02:45:15.62 ID:KCFBXvvB0
樗里疾や甘茂といい恵文王・武王の時は名将が多いな
742名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/20(日) 12:56:00.49 ID:7eli9O9O0
それでも天下統一できなかったってことはそのころまだ秦は最強国ってわけでもなかったんだな
743名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/20(日) 13:34:36.28 ID:Dgm2t1Pm0
恵文王〜武王時代はまだ韓でさえ単独で秦軍を苦戦させる力を残していたしな
合従軍その他の強敵を連破した樗里子は凄い

蜀を経営し最強の敵である楚を半壊させた司馬錯、張若、白起の活躍でやっと名実ともに最強国へ
744名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/20(日) 17:39:33.66 ID:nPecNTYE0
>>743
韓は武王の時代に宜陽を落とされたのがケチのつき始めかもなあ
それでも名将の甘茂を相手に相当に苦戦させたんだけど
745名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/20(日) 18:14:16.05 ID:gH6ddcIG0
宜陽城の前方にも兵力を配して頑強に抵抗しただけに
精鋭の損失は甚大だったろうね
それでも魏と連合すれば戦力的に秦を上回る程度には力を保持していたが
伊闕戦役で兵力がなくなって単独抗戦不可へ

>>743
楚の勢力が漢水流域から駆逐されたのが痛すぎた
間接的に韓と魏はそれで死んだ
746名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/23(水) 03:23:11.42 ID:5/8PNamv0
恵文王・武王時代の秦の名将達って白起や王センといった名将達と比べると目立たないけど
秦が最強国で無かった事を考えれば、白起や王センに匹敵する名将かもしれないな
特に樗里疾なんて五国連合軍を撃破してるし
747名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/23(水) 18:30:41.72 ID:SF/4+bwe0
その時期は楚軍に咸陽近くまで押し込まれたり、楚斉連合軍に占領地を奪還されたりと楽ではなかったからね
しかも秦本国に引きこもったわけじゃない、中原での会戦

まあ精鋭が出払っていたのか犀首の合従に加わった義渠軍急襲の対応は後手に回ったけど
748名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/24(木) 21:06:10.28 ID:GYNWVY3t0
なんだかんだ秦は名前上がるよなあ〜

楚威王期の討越とか名将っぽいのいそうなんだが如何せん史料がない
749名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/01(木) 00:11:03.84 ID:mLMvz3FX0
楚威王も、もしかして趙武霊王のように自身で軍兵を率いるタイプの王だった可能性もあるんじゃ
750こんにちはネトウヨです:2014/05/01(木) 00:35:04.63 ID:sVGHgZtm0
威王は分業制を成立させたから威王なんじゃないの?
751名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/01(木) 02:09:34.78 ID:k53D94bP0
>>749
かもしれんけど
威王期の版図拡大規模を考えると諸将の活躍が不可欠かと
752名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/01(木) 03:14:14.10 ID:1f0RgYoh0
対越国だったら景翠が総大将として挙げられてるっぽいね
それでも巴蜀方面は史料がないけど
753名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/01(木) 18:57:15.10 ID:mLMvz3FX0
楚が天下統一していたら、楚の歴史が秦に消される事なく残り
威王の時に活躍した名将たちの名前も残ったかもなあ
754名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/01(木) 19:41:03.15 ID:bi40mBtr0
代わりに秦が消される。
755名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/02(金) 01:39:04.18 ID:0NAhpap10
名がわからない将軍といえば春申君率いる合従軍を撃破した秦の将軍もわからないんだよなあ
蒙ゴウだろうか、それとも呂不韋だろうか
756名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/03(土) 23:01:39.71 ID:nanmxppS0
後世に名が伝わってない名将かもね

わかっている秦の知恵袋さんは流石
757名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/24(土) 19:36:32.03 ID:0ua4gf+p0
伊闕に散った魏の将軍に犀武っているけど
犀首(公孫衍)の親戚かな?
758名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/26(月) 17:20:19.88 ID:niLN4euH0
資料が少ないせいで魏斉が悪人ににしか見えないから
信陵君や平原君に庇われるくらい仲の良い友人だとは信じられない
759名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/26(月) 22:01:55.08 ID:6y+jSOtC0
亡命者しかも魏の宰相だしなぁ
逸話や残存史料で悪人であろうがなかろうが
抗秦の雄たる四君や国家は匿うような気がする

>>757
魏だし可能性はあるな
760名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/18(水) 11:22:22.69 ID:4j9Mc2gN0
越の滅亡とかいうオマケ程度の流れ
761名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/28(土) 08:42:22.70 ID:m8GTj8Qz0
イラストレーターで収入が少ないからと30代後半で漫画家になろうとする、ひきこもりのバカ発見。
足立区に住んでいるそうだ
http://inumenken.blog.jp/archives/6609090.html
762名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/05(土) 20:59:41.49 ID:+fUVn/Gp0
各国それぞれの文公(候、王)ってどうだったの?
763名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/06(日) 01:38:34.86 ID:XtqrzhPL0
>>762名君とされてる文公(候、王)は晋・楚・秦・衛・宋・魏の文公(候、王)かな
晋は文候・文公二人いるが両方とも名君

文公で暗君といえば鄭の文公が思い浮ぶ
764名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/06(日) 11:32:26.33 ID:nMwr8KWk0
×:候
○:侯

細かいけど、いちおうな
765名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/07(月) 20:24:59.40 ID:GPBB6aX50
秦の文公って知らんなあ
武王は面白いけど
766名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/08(火) 02:59:42.30 ID:myIZMoW70
>>765
秦の文公は秦の実質的二代目の君主
襄公の後を継ぎ、戎と戦い法を整備して秦の基礎を作った
767名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/08(火) 08:45:20.82 ID:bNM5psmz0
極々初期の君主だからね
768名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/12(土) 06:29:25.58 ID:IMygKyR/0
秦の襄公とか衛の武公とか晋の文侯とか鄭の武公みたいな、周王朝の東遷に活躍した春秋初期の君主が気になる
769名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/19(土) 21:38:12.56 ID:d6Xds7+p0
最近チャンネル銀河で大秦帝国縦横観てるけど設定がいろいろとぶっ飛んでるな
770名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/22(火) 23:46:18.09 ID:QwrKLcMuO
あれはあれで面白い
役者達も素晴らしい
771名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/22(火) 23:54:12.27 ID:rhye8U190
秦の恵文王が主役なんてすごいドラマだな
772名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/23(水) 16:41:30.42 ID:N6Nrh/eu0
あの時期は横光先生が華麗にスルーしてて今まで視覚的なイメージが無かったからあのドラマはありがたかった
773名無しさん@お腹いっぱい。
確かに。
また興味がでてきたから史記読んでおさらいしてしまった〜