【◆O.K.H.I.T.】周の後半春秋戦国2【五覇七雄】
1 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :
次スレ。
2 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/01/20(金) 01:07:59.65 ID:460fuHUi0
すまん、よく読まずに立ててもうた。
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/20(金) 12:03:04.01 ID:OTSYzb6cO
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/20(金) 13:33:43.57 ID:U8o6//h7O
さすがにこのスレタイはどうだろ
もう一度立て直した方がいいレベルだと思う
「春秋戦国」と「五覇七雄」は分かり易くて良いと思いますが
歳のせいでしょうか、正直O.K. HITが何なのか分からないです。
7 :
鶏肋:2012/01/21(土) 12:43:26.02 ID:Dfb79q4u0
>>6 ぷらっとさんのコテハン。掲示板でのペンネームの末尾、という理解でいい
よね(実は俺も歳なんだ。 汗(>_<))
たとえば、「孟子監修 論語の精髄」みたいなタイトルなら許容範囲だが、
「孟子 論語 学而篇」だと、「それ少し違う・・」と思うだろう。そんな状況。
__________________________________
>>2 ぷらっとさん、前スレで「五覇」に意見のある方がいらっしゃるので
一案としては 【覇者の時代】春秋戦国・東周王朝part2【七雄、合従連衡】
みたいなのはどうですか? テキトーなので、さらに加工して構いません。 国名も入れた
方がいいのかな、文字数が増えそうだけど。
8 :
鶏肋:2012/01/21(土) 12:47:11.10 ID:Dfb79q4u0
ごめん読み直してみたら、タイトルと孟子の例がヘンだった
この場合には、「孟子監修ってのは著者の欄を見りゃわかるだろ、
タイトルにまで押し込まなくてもw」ということ。
9 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/01/21(土) 22:19:36.39 ID:TCm+N+x20
>>8 休み前だったんで深酒して調子乗りましたごめんなさい。
ただスレ立て権を消費してしまったのでオレには取り返しができません。
どうあってもダメということだったらどなたか別にスレッド立てて。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/22(日) 11:06:28.06 ID:rUDn7wqZO
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/22(日) 11:07:16.52 ID:rUDn7wqZO
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/22(日) 11:08:07.90 ID:rUDn7wqZO
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/22(日) 11:09:06.63 ID:rUDn7wqZO
14 :
鶏肋:2012/01/22(日) 11:29:44.26 ID:Jx+Uq5iT0
>>9 そうでしたか。「このままで構わない」という人もいるかもしれない
ので、僕はしばらく様子を見ることにしますよ。(我ながら無責任かも 汗)
>>10-13 知らなかった
死人に鞭打つとか呉越同舟臥薪嘗胆
この頃に出来た言葉だな〜
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/23(月) 12:13:07.98 ID:Qe+eaFb60
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/24(火) 19:43:51.70 ID:VutEokCN0
呉越同舟っていうけど結局呉は越に滅ぼされてるよな
楚材晋用っていうけど結局晋は三国に分裂して楚は秦に滅ぼされてるよな
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/24(火) 22:39:49.33 ID:tvZyQk6+0
春秋四大会戦って誰が決めたんだ?
20 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/01/24(火) 23:33:46.79 ID:qTMwv0st0
伯州犂と苗賁皇・・・
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/24(火) 23:55:20.71 ID:C0sUIsx6O
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/25(水) 01:03:37.12 ID:PA9BMwR40
七雄は人気なんいだ
「漁夫の利」など多いけどね
あと策士策に溺れるは戦国策に意味合いはあるのかな
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/25(水) 22:55:28.57 ID:0xFmM6aD0
同じ亡命者でも勝者の苗賁皇よりも敗者の伯州犂の方が亡命先の国では出世してるんだよな
しかし、権力に関わったせいで権力争いに巻き込まれ伯州犂は死んでしまう…
楚の覇権をくじいた後、晋の政治から姿を消した苗賁皇には范蠡、張良のような美学を感じる
24 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/01/25(水) 23:50:41.63 ID:6+/z59Bi0
・晋は公族が弱く卿大夫が小国連邦の体をなしていて、亡命者苗賁皇に割く封地が少なかった。
・楚は土地余りまくりでそれなりの強国だったから、亡命者伯州犂に貴族待遇を与えられた。
こんなところじゃないかなあ。
伯州犂でふと思ったんだけど、呉で伯ヒが大宰になったのは晋との関係を考えての事だったのかな?
対楚戦の時は楚出身の伍子胥を用い、その後中原に進出すると晋にルーツのある伯ヒを用いる。
とまぁ単純な話なんだけど、一族はまだ晋に残っていただろうし、
晋の情報に詳しいとか交渉のテーブルに乗りやすいとかはあったんじゃないだろうか?
あまりにも奸臣という評価が定着してるけど、
伯ヒの尽力のお陰で夫差も五覇の一人に数えられるようになったと思いたい。
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/26(木) 22:10:58.31 ID:6WFWXN5p0
拝謁時や礼儀時に右手を覆うか左手を覆うかの違いは何ですか?
27 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/01/26(木) 23:53:36.82 ID:eQxoomQe0
さあ。
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/27(金) 03:45:08.72 ID:nC7pM4ci0
伯嚭って史記じゃ不忠の臣ということで処刑されたことになってるけど
左伝じゃ生き残って越に仕えることになってるんだよな
もし天寿を全うしたのなら、とんでもなく取り入るのが上手い奴だったんだろうなあ
横山漫画の悪臣顔はだいたい同じ
30 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/01/27(金) 22:44:36.59 ID:QVm//FTa0
ほとんどみんな一緒やん。
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/28(土) 00:03:23.29 ID:v0R1chdL0
宮城谷さんの春秋名臣列伝が面白かった
衛の石サク、魯の臧孫達などマイナーな人物を知れて良かった
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/29(日) 01:18:31.95 ID:is37L8nT0
楚の昭王って孔子が仕えようとしてたぐらいだし人徳のある名君だったんだろうなと思うわ
平王が昭王を後継者にしようとした一連の事件のせいで、楚は滅亡寸前に陥るけど
原因となった昭王が名君だったのがなんとも皮肉なことだな
33 :
殷嘉& ◆RFKGeqtsZ6 :2012/01/29(日) 01:45:32.29 ID:AIrIdAD20
韩 赵 魏 楚 燕 奇 秦,最近刚出了一部电影是讲楚霸王项羽,刘邦
还有虞姬的。不知道这部电影有没有在日本上映,不过挺伤感的..
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/29(日) 19:54:47.59 ID:4t1jFKzE0
項羽と劉邦はさすがに他所で。
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/29(日) 19:57:14.76 ID:iM0JTHqL0
覇王といえば句銭も覇王を名乗ってたんだよな
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/30(月) 03:24:18.70 ID:n9yK7T5V0
歴史上最初に覇王を名乗った男って勾践なのか?
37 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/02/01(水) 23:36:21.57 ID:dpKkJt4s0
覇と伯は同根だったっけ。
方伯=いち地域の覇者 的なものからってことじゃなかったか?
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/03(金) 01:14:43.42 ID:9s9wI8dt0
じゃあ秦の穆公は方伯なのか
40 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/02/03(金) 22:37:32.57 ID:sAAReIpI0
まさに。
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/04(土) 05:15:33.81 ID:bP0Ya6dS0
歴史の教科書ぐらいしか読んでない人だと
秦の穆公が斉桓晋文に次ぐ中原の覇者と勘違いする人もいるだろうな
歴史の教科書って桓公とか文公とかもちゃんと載ってたんだ。
学生時代、歴史なんかこれっぽっちも興味なかったから
全然読んでなくて、諸子百家とか今から300年くらい前の出来事と思ってた。
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/05(日) 02:51:11.17 ID:c8yH5Ksl0
この時代で一番の武勇を持つ者となると楚の養由基だろうか
宋の南宮万も凄まじいエピソードがあって負けてないと思う
養由基、能力高いけど甲を射て見せたりけっこうお調子者だよな。小説
読んでて、開戦前で緊張してる場面なのに、ここでワロタわ
今の歴史の教科書はこの時代のことどのくらい書いてあるんだろう
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/06(月) 02:46:06.34 ID:Kegs3TmM0
>>45 歴史の教科書だと、春秋時代は春秋五覇と孔子ぐらい
戦国時代は諸子百家が中心
諸子百家は習ったこと覚えてるが、春秋とか覚えてないな
この時代に興味持つ人って何がきっかけなん?
俺は横山三国志に出てた重耳⇒横山史記なんだけど。
49 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/02/06(月) 22:46:16.68 ID:UllKIWEW0
ちなみにオレは系図好きでたどり着いた変則型。
横山三国志→吉川三国志→陳舜臣十八史略→宮城谷
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/07(火) 01:47:22.75 ID:m9idBbHE0
横山三国志→横山史記→宮城谷
最初に読んだ宮城谷作品は楽毅だったな
故事成語が好きだったからかなあ。
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/09(木) 03:09:11.39 ID:LLrFK0Xg0
荘公の時の鄭全盛期とその後の落差が酷い
>>49 さかのぼっていくとどうしてもこの時代になりますか。
>>54 立地条件が。。
>>49 系図好きって変則型というほど珍しいとは思えないんだけどなあ
かくいう俺も系図好きでこの時代にたどり着いた
そういう意味では史記はごちそうのオンパレードで困る
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/13(月) 02:59:27.84 ID:jXr8szvT0
春秋時代の鄭も戦国時代の魏も最初はその立地条件を生かして勢力を奮わせるんだけど
後から、それが首を絞めるんだよなあ
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/13(月) 12:40:40.66 ID:LwmwJq+d0
この時代からアニミズムを迷信と考える人間が出てきてるよね
龍が現れて暴れてるのに無視するっていうのは
アニミズムとかいう問題じゃないけどな
春秋時代各国の成り立ちを誰かまとめろ下さい。
殷王朝系統→
周王朝系統→
異民族系統→
その他どこにも属さない単独国→
分かってるだけで百数国をまとめるのは、さすがに泣きたくなる
>>62 61の分かりやすく纏めた本とか知りませんか?
さすがのネット上にもないみたいです
なんだこの糞スレ
てか63もそんぐらい自分で調べろよ
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/15(水) 14:46:58.70 ID:BZcJkdwL0
そもそも周王朝系統の定義があいまいだからな
周王朝に封建された異民族の国もあるし
姞姓である召公の末裔も文献によっては姫姓にさせられてたり
67 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/02/15(水) 23:52:59.24 ID:IABn7ya70
とりあえず殷系の宋とか書いていけばいいのかな。
(殷)宋陳 (周)晋魯衛曹蔡鄭呉 (異民)秦斉楚燕 (単独)越
呉が姫姓ってのは胡散臭いよな
自分たちの経歴に箔をつけるため捏造したんじゃないかと思える
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/17(金) 10:47:55.22 ID:0wHgCSm70
源氏平氏みたいなものだろうな
71 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/02/17(金) 23:52:59.30 ID:2GT6jPUp0
陳って夏の末裔じゃないのか。
陳は帝舜から発しているとされているんじゃないのか?
禹の後裔が杞のようだが胡公嬀満が嬀性で陳か
となると尭も嬀性で舜も嬀性。どちらでもないってことかな?知らんけど
74 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/02/26(日) 19:12:34.56 ID:eACmG4A70
女以
女爲
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/26(日) 21:37:39.82 ID:L+USBF8Y0
MIKAMIのインターネット でググれ
このブログ痛すぎwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
クソワラタwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
76 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/02/26(日) 21:49:25.11 ID:eACmG4A70
ネットの釣り要素すべて詰め込んであるな。
他所でやれ。
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/03(土) 05:09:54.42 ID:bYnnZ3jh0
78 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/03/03(土) 11:24:05.89 ID:3/ky3ShI0
煽る前に板名見ろ。純粋に史学だったら世界史板でやるもんだ。
何故、晋の文公は献公が決めた公子追放を撤回しなかったのか
この決まりのせいで晋の公族は大いに弱体化したのに
驪姫の乱の記憶が強く残っている重臣たちが健在だったので
公子が国内に何人もいる状態=乱の火種だという不安が払拭されていなかった、
なにより文公本人、撤回なんて考えもしていない、というふうに見えるんだけど。
どうだろう……
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/04(日) 05:35:45.75 ID:0e0VtdIa0
献公が公子追放して以後、太子以外の公子は国外で暮らすのが晋の伝統になったようだが
それからずっと撤回されなかったかどうかは謎
悼公の弟が出てくるぐらいしか晋に公子が出てこないんだよな
スレチなんだけど、ぼくおじゃまさせてもらいます m(_ _)m
今、ぼく行方不明中なんです・・・
ぼくのことを心配している人たちも頑張っているのだけど、
もっと、もっと、沢山のひとにしってもらわないと見つからないんだって・・・
ぼくの動画もあるんだよ・・
ttp://youtu.be/IERsFdY104E かわいいチラシもあるんだよ。とっても見やすいの・・見てください。
ttp://sakuraweb.homeip.net/uploader/src/up175653.pdf ぼくのことを検索してほしい・・みつけてほしい・・おねがいします・・・
行方不明中の九州盲導犬協会所属 盲導犬アトムより
★「盲導犬とのよりよい暮らしを考える会のブログ」 で、署名活動をしています。
ご協力の程、宜しくお願い申し上げます。
ttp://ame※blo.jp/mo※udouken※-yori※yoi-ku※rasi/
直接URLを貼るとはじかれてしまいました。
※を省略していただけませんでしょうか。
重ねがさねお手数をおかけしますが宜しくお願い申し上げます
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/09(金) 13:50:11.45 ID:5bZIEWB00
献公って領土拡大して晋が強国になる礎を作った君主だけど
後の禍根になるような事を色々残してるな
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/12(月) 17:11:12.83 ID:zDIawdyF0
献公って英雄的要素のある暴君って感じだね
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/18(日) 04:27:34.00 ID:/0dhZwEJ0
東周が西周の頃のような勢力を取り戻せる可能性はなかったんだろうか
せめて、鎬京を取り戻す事ぐらいはできたと思うんだけど
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/25(日) 03:36:11.01 ID:vPKF56wi0
取り戻すメリットがなかったんじゃね
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/26(月) 07:28:44.47 ID:KACoWKKB0
諸侯も協力してくれるとはかぎらんしな
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/01(日) 18:31:27.00 ID:o28hoHoeO
晋や呉は異民族が周から嫁や婿をもらって姫氏に。
どっちも姫氏の分家じゃなかったっけ?
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/01(日) 21:01:54.49 ID:bz6TcFUB0
91 :
忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/04/02(月) 04:02:24.82 ID:ZRm7wtgP0
呉の伝説はほんと嘘臭い
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/02(月) 10:10:42.37 ID:ZPGO/AIrO
晋は北方民族との婚姻が多いね。
93 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/04/02(月) 23:41:57.95 ID:JmddTnpu0
荘伯鮮が韓の祖だというのは字の座りが悪い例。
94 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/04/02(月) 23:43:56.23 ID:JmddTnpu0
あ、桓叔だった。
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/03(火) 00:51:47.87 ID:ZfF3gAS40
姫氏全部が同盟関係の婚姻で結ばれて成立したようにも思える。
96 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/04/03(火) 01:04:58.03 ID:+CXQOGFl0
まあ姜族も「女以」も「女爲」も女系同族だしね。
97 :
!ninja:2012/04/03(火) 01:58:03.18 ID:3A4lc7bR0
燕も後で姫氏になったんだっけ?
98 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/04/03(火) 02:00:07.15 ID:+CXQOGFl0
それも庶長兄という待遇で。
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/06(金) 15:10:56.85 ID:HOfUq8BHO
斉も西方から来たように書かれているが、実際は?
100 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/04/06(金) 23:40:35.25 ID:HHopiRiZ0
ひつじおんな
姜
西方かもしれんね。
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/07(土) 03:41:04.64 ID:BwmhzhwL0
いや、もしかして莱族と同じような山東半島の原住民が
姜族から嫁を貰っただけかも、ということ。
斉、少なくとも創始者・太公望は、山東半島の族長説が有力らしいね
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/07(土) 22:21:12.18 ID:65GddPAOO
姜族は周の最大の同盟者。
周の代わりに娘を送ったわけか。
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/10(火) 21:45:46.56 ID:vs0fBaUs0
太公望は実在したんだろうか
105 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/04/10(火) 22:17:42.98 ID:nCVdqkXC0
呂尚はいたんじゃないかな。
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/11(水) 05:59:00.31 ID:8h0TluCe0
王姜の存在は金文に確認できるけど
太公望らしき人物は金文では確認できないらしいな
ここで王姜=太公望という新説を唱えてみる
文王は軍師を息子の嫁にしたと
この設定で小説が一本できそうだな
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/11(水) 20:14:13.53 ID:xLDVVwj3O
莱の姓も「姜」らしいが、
斉と混同したか斉と同じように姜族から嫁をもらったか。
斉から嫁をもらったのかも知れない。
108 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/04/11(水) 22:13:13.98 ID:Av+dm8T50
洋 という字もある。蓬莱 という地域もある。
異民族といっても海を隔てているのかも知れない。
109 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/04/12(木) 00:19:09.52 ID:udq4fQdB0
廿廿
逢来
どうかなあ。
姜族と周が連合して殷を倒したってことでいいのかな
姜族と羌族は同じ物か別物かどちらなんだったか
そこらへんあいまいだよな
113 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/04/17(火) 00:11:42.82 ID:95IQ2ERr0
オレ定義は別物ってことで。
114 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/04/17(火) 00:20:48.22 ID:95IQ2ERr0
東夷南蛮西戎北狄
大きい弓の夷。
虫さえ生き延びられない蛮。
いろんな武器を持ってくる戎。
やたら肉を焼いて食う狄。
初期設定イメージはこんなとこ。
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/25(水) 12:39:33.57 ID:kmHl0mgLO
>>95 何の縁も無い土地にいきなり「封建」なんてできるのだろうか?
古代日本でも、地方に平氏や藤原氏が土着するときは
婿入りが多かったらしいし。
116 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/04/25(水) 23:15:16.05 ID:jJ9zr5HY0
だから女篇同族なんだろ。
管仲
武力:56
知力:85
政治力:98
魅力:50
光栄式だとこれぐらいかな
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/20(日) 07:40:04.75 ID:LzQIpR+E0
この時代知力100候補は孫武かな
政治は管仲
季札の知力ってどのくらいなんだろう
120 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/05/24(木) 00:42:33.51 ID:E+t3fAWM0
この時代の100が誰かは知らんが、子産・晏嬰・叔向と同時に80でどうよ。
「礼力」とか、新パラメータが出てきそうだw
ひとくちに知力といっても、知恵と知識は別物だからな
>>122は知恵なら納得
知識なら晏嬰は最下位だろう
124 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/05/24(木) 22:59:39.61 ID:N60DKb220
礼は重要なパラにしたいなあ。
礼は当時の外交において必要不可欠なので
「政治」の方に入れてもいい気がする
あるいは魔力みたいな扱いでも良いんじゃね
やっぱ「会合」の要素は欲しいな。
それに関わるのが「礼」って感じで。
昔シミュレーションゲーム作れないかと夢想した時に考えたのが
礼 高ければ外交に有利
徳 高ければ内政に有利 弑逆・簒奪した後の内政に有利に(低ければ離反される)
席次 内政・戦争における影響度
盛名 名を上げれば席次にも反映 亡命時にも有利
諸子百家 派によってパラ特性が上がる
春秋戦国時代の人物が一つの時代に集結したシミュレーションゲームとかやってみたい
130 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/05/25(金) 23:36:31.52 ID:Kkga+WEZ0
そうしないと登場人物が足らなくなる気がしてくるから不思議。
実際に作ろうとするなら一時代切り取るだけでも表現が大変。
太閤立志伝のシステムが上手くはまりそうな気もする
132 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/05/27(日) 22:08:50.89 ID:WcCuTbM60
ある歳、とりあえず楚の成王が君主だと仮定してみる。
↓
楚は公族の足の引っ張り合いしかないから、とりあえず斉に行くわ
で賓須無の門を叩く
134 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/06/01(金) 00:01:44.41 ID:45E0JG7w0
そこに訪ねてきた鮑叔に
一緒に商売しようぜ、と持ちかける
鮑叔に声をかけられるなんて事あるはずがない
自分以下の人間には歯牙にもかけんだろ
そんなだから商売に失敗するんだ
戦国時代の地図を見てはニヤニヤしてる怪しい奴なんだけど、三晋が保有する城邑の
変遷がほんと目まぐるしくてわかりづらいな
秦にごっそり奪われたり、三晋同士で獲りあったり、特に魏と韓と秦が絡むと
頭がごっちゃになってくる
そんな事をもう10数年も繰り返してる俺もおかしいのかもしれんが
春秋地図から戦国地図に移行すると
国名だけは表示されるけど
国境線の表示が無くなる周と衛は泣ける
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/03(火) 01:07:10.89 ID:eDeiwSVd0
魯も戦国時代で没落したな
141 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/07/05(木) 00:08:04.83 ID:Z2Kvdmvs0
国境という概念が当時そこにあっただろうか。
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/05(木) 02:28:50.70 ID:8yWCK5kR0
やっぱり都市を点とした基準で考えてたのかね
春秋の楚は不気味な大国だけど
戦国の楚はなんかぱっとせんなぁ
>>142 少なくとも范雎が現れるまではそうだったのかも。
戦国時代の楚はまさに慢心、環境の違いだな
項羽の時代にもう一花咲かせるけど
そうかえ
呉越も併合して徐州方面にも領土を広げてるけど
一度滅ぼされかけたからかな
春秋の時代より領土が広がってるはずなのになんというか覇気を感じられないんだよね
強大化した秦の下流であると同時に、分裂した晋の複雑な政治力学に巻き込まれたからだろうか
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/08(日) 02:08:05.50 ID:EhqODHYy0
関所もあるし簡易な住民把握もある徴収制度もある
悼王とか威王とか強かった時期の戦国時代楚はなんか影が薄いしな
楚は荘王の時がやっぱ全盛期かな
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/14(土) 05:50:35.06 ID:cxNDkYmM0
成王の時に子玉の言うとおりに重耳殺してたら天下取れてたよな
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/01(水) 04:22:13.43 ID:lGr0j3J00
それはどうだろうか
項羽は天下人にあてはまるかもしれんが
せっかくの天下を維持できずに自滅しちゃったな
時代が違うのは論外?? スマソ消えるわ。
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/05(日) 06:23:42.59 ID:MgFh993n0
結局、楚で天下に手が届いたのは荘王と項羽の時だけか
いや、霊王もいいとこまでいったよ
霊王がいいとこなんていったか?
成王の方がいいとこまでいったと思うわ
劉邦さんも楚の出身だよね(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
まあそれでも楚出身にはなるでしょ
楚で一番の宰相は誰になるだろ?
呉起?
161 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/08/29(水) 00:18:32.60 ID:s9upoT8f0
子文。
162 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/08/29(水) 00:19:12.43 ID:s9upoT8f0
あ、令尹と宰相は違うね。取り消し。
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/29(水) 00:34:39.21 ID:tnmJe3Fv0
ゴキさんは人材としては最高だろうけど、改革失敗して実際の成果は微妙
後ろ盾の君主が代替わりして全部チャラにされた責任を本人に帰すのはどうなのよ
商鞅変法が「存続」したのは商鞅の功績ではないやん
>>164 秦の恵文王は商鞅当人は粛清したけど、変法の効用は認めて廃止しなかったのが何気に凄かったりする。
>>162令尹と宰相はいっしょでいいと思う
個人的に楚で一番の名宰相って言ったら孫叔敖かな、やっぱり
167 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/08/30(木) 23:04:18.41 ID:nhmb7qVo0
のっと おんりい 「熊」 ばっと おるそう 「敖」
多分どちらも族長の意を含む。
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/01(土) 05:01:35.04 ID:r8HSBMUc0
呉に滅ぼされかけた楚を立て直した子西は、名宰相としてもっと評価されていいと思う
まあ最後が良くなかったのがネックだけど
秦舞陽って、結局処刑されたのかな。
そういえばその後について書かれてないな秦舞陽
秦舞陽の祖父秦開は名将
戦国策の文庫本とか出ないかなあ
講談社学術文庫から出てるよ
ただし抄訳
勝手に省略すんな
全訳しる
呂氏春秋の文庫も抄訳だったな
墨子一度読んでみたい
狐毛はいつから重耳と合流したんだろうか
史記でも左伝でも最初重耳が晋から亡命する時名前が出てこないのにいつの間にか登場する謎
宮城谷さんの小説だと最初っからついてきたけど
過疎
全訳はあったっけ?
ああ
たまに左伝を読み返すと色々発見があって面白い
春秋時代と戦国時代だとどっちが人気あるんだろうか
そりゃあ、戦国時代だろう。
春秋はしょせん、周王朝の諸侯って建前があるからイマイチ本気で戦争してない。
王を名乗り出してからが本当の戦乱だ。
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/16(金) 23:44:09.24 ID:Z6Zh+uKg0
でも春秋時代の方が資料が豊富だから、話題は春秋時代の方が多い気がする
春秋時代は、覇者体制の成立で滅国が少なかったからね
晋覇は特に体制維持に強力に発動したから、
晋楚で同盟国の奪い合いに終始した
晋の覇者体制が弛緩したあとは、滅国が起きるようになって
戦国時代前期の混乱に繋がっていく
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/19(月) 17:25:39.28 ID:yh2Pn/JR0
春秋時代と戦国時代って一まとめにされてるけど、結構違う時代だよね
でも魏の大梁遷都が、覇者体制の最終的挫折(魏にとっても秦にとっても)になるわけだから
戦国前期はわりと春秋時代の継続と見做せるよ
東周初期の滅国→斉覇と晋覇→晋覇の弛緩と滅国→魏覇→覇者体制の挫折
称王の頃になって、ようやく春秋時代的なものが払拭されていく
>>182 許が遷都しまくってたりとか、秦が川に毒を流しただとか、
やけに詳しく氷の貯蔵法が書いてあったりとか、
他人の女を奪って嫁にしたら、旦那に逆襲されておっ死んだバカな奴がいたとか、
さりげなく楚軍が戦争で象を使ってたりとか、
いろいろ書いてあっておもしろいよね
戦国時代の史料がもっと残ってほしかった
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/03(月) 00:04:56.69 ID:QPtfGJqX0
NHKは面白かった
中華に関しての書物は多いけどNHKでやっちゃったよ
ただ秦が強引に中原ってのは腑に落ちないけど
あれはあれで納得いくのか少々疑問が残る
始皇帝の策略ではなく誰だっけ側近の奴
>>191 共産党のプロパガンダ放送だろ
あれを手放しで絶賛するのはさすがに歴史を知らなすぎ
そもそも穆公の存在とか、どんだけガン無視されてんだよ
違う
プロパガンダ?どこが?
穆公を名指ししているけど、よくは知らないだろこのお人
まずは趙から学習すれば
>>193 秦=西戎論の組み立てが、杜撰極まりないんだよ
東周成立時の貢献による諸侯封建、東周期の勢力拡大、晋の撃破(韓原の戦い)という
一連の東方への積極的関与、これと並行して行われる西戎に対する軍事行動
確かに秦は西の端っこの田舎ものかもしれないが、その文明としての帰属は建国当初から
「周」の文明圏だよ
こういう辺境諸侯が異民族とのマージナル的な立地条件により強大化する事例は意外と珍しくない
(アケメネス朝ペルシア、唐高祖李淵、ブランデンブルク辺境伯等々)
楚のように「我は蛮夷なり」と、真っ向からの対決姿勢を示すのもありだし
宋のように商代以来のかび臭い戦場儀礼を意地で押し通して惨敗するのもありだろう
でも、秦が西戎としての行動原理を押し通した場面ってあるの?
西方諸侯としてパワーゲームに絡むその姿は、斉晋と同類の周の封建諸侯と言わずに何と言う
こういう蓄積の末の秦による滅六国なのに、昨晩の内容だと過程が存在してないんだよ
「西戎出身の秦」が、先進文明圏である「中原(中夏)」を征服して、
「自ら中華と称し」て、「中華文明圏の継承者」となりました。
これ以後の簒奪政権も異民族の征服王朝もこの理論で中華文明を継承しました
そして共産党政権もそのロジックで統治上の正統性を担保しています。
結論ありきの番組構成を批判して何が悪い?
中華文明の継承性を論議するなら、文明保存装置としての漢族知識人を語った方が有意義だぞ
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/07(金) 17:34:56.44 ID:x/neaGrR0
はあ?
西戎の意味も知らんのか中原の意味も分かっていない
周の文明圏は西周?東周?
196 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/19(水) 08:14:15.71 ID:ct5918vZ0
春秋時代で一番の名君は晋の文公
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/03(木) 01:32:29.16 ID:Vm0AudUN0
楚の覇権が荘王以後もそのまま続いていたら、周王朝は滅んでいたんだろうか
198 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/24(木) 15:30:40.52 ID:xXSmkJmV0
どうだろうか
周王朝って権威だけで細々続いてたイメージなんだが
歴代中華王朝にとっては夏王朝の扱いだけは別格なんだな
実際にはしょぼい版図の都市国家だったようだが
今の安倍政権の外交は戦国時代の合従政策みたいなかんじ?
中国が秦で日本が魏、日本は特亜以外のアジア諸国と合従して中国に対抗するつもりなのかな。
世界最強のアメリカ合衆国をド忘れですか?
合従に似てるが、今の中国は七雄最強の秦とは違う。
米国は斉と重ねていましたが
たしかに米が斉だと実力が比べもンにならんくらい強すぎますね。
21世紀に中共みたいな帝国主義さながらの膨張主義はさすがに珍しいからなw
ロシアまで中国とは距離取り始めてるし中国は実際には世界で孤立しつつある
204 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/28(月) 04:20:42.44 ID:2K9PIBA20
今の国際情勢は戦国より春秋時代の方が近いんじゃね
中原を侵略する楚が中国で、盟主の晋がアメリカ
日本は宋あたりかな
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/11(月) 02:32:18.82 ID:RSCH4edE0
戦国時代って誰が一番の名将だろうかとか議論されたりしてるのに
春秋時代はあまりそういう議論が無いな
夏 殷 周 秦 漢
夏 神格化
殷 漢字を作ったりかなり重要な王朝なのにディスられすぎ
周 実際は大したことないのになぜか太公望伝説とかで持ち上げられすぎ
中国では政権次第で再評価が頻繁に起こるから殷が持ち上げられる時代も来るかもしれんな
207 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/12(火) 02:48:00.38 ID:aEpf5mmZ0
個人的、春秋時代の名将
鄭の荘公、斉の桓公、晋の先シン、晋の士会、楚の荘王、呉の伍子胥、呉の孫武、越の范レイあたりかな
春秋時代は戦より外交戦略の時代だよね
王朝の権威ってのはやはりおっきいんだろうな
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/18(月) 01:11:49.26 ID:Z194dMJc0
>>199 宗教とか伝統とかってのは理屈を超えてるから
その時代の人間になってみないとわからんのじゃね?
「周ってw都市国家ちっちゃすぎワロタw」とか現代人の価値観でいっても
「二次元の女に散財とかw未来人アホスw」とか言われんのと同じじゃね?
例えが不適切だと思うw
夏王朝も始皇帝以降は重視されてないしやはり皇帝の存在ってのが中華帝国そのものなんだよな
現実主義でもあるがいざ崩壊しだすと権威もなくなるという諸刃の剣
二次元の女に散財は普通に現在でもバカにされるだろ
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/20(水) 00:28:20.26 ID:1ipalU9GO
三晋はどういう理由でああいった領土分配になったんでしょうか。
213 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/25(月) 04:18:32.75 ID:EhedWWpQ0
三晋って最初は趙が一番だったんだよね?
で、その後文侯があらわれて魏が一番となり
で、魏が弱体化して趙がまた一番となるのか
韓のターンはいつですか?
宮城谷小説でしか春秋千石時代の知識知らないおれに言わせると
韓にはスーパースター昭公がおられるやん
>>213 初期は、趙・韓が強力
晋侯を擁立して、魏文侯が台頭
韓がそれに対抗して周王を擁立しようとしたり、魏が称王したり
秦・斉が台頭してから、趙武霊王でもう一度強大化
ぶっちゃけ、趙がもう一回持ち直しているのがすごいだけで
三晋は戦国初期が全盛で、あとは周りからぼこぼこにされている
やっぱデカい晋でも秦楚に勝ったり負けたりしてるのに、
さらに3つに分かれちまった時点で死亡フラグだったんだな。
>>215なるほど春秋初期はそんな事があったんだね
少なくとも山西部分?(魏の西部、韓の北部)をすべて趙が領有できたらなあ・・・
魏と趙が対立せず友好関係を築いて秦に対抗し
韓の上党郡が趙に帰属した長平の戦いの前が似た形だが…
それでも…それでも平原君ならなんとかしてくれるはずだ
上党にしても魏斉の件にしてもなにかこううまい事言ってるけど結果うまくいかないんだよね。
外交判断や将来を予見する力が足りないのか…。でもそこがいい、彼の俗っぽさがたまらん。
愛さずにはいられないその個性(ウイニングポストより)
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/27(水) 22:46:40.72 ID:o2X4nMCG0
廉頗が更迭されずに白起と戦う長平の戦いをぜひ見たかった
廉頗さんの方針はひたすらガン待ちのブリザード戦法だから、あんまり面白い内容にはならないかと。
五丈原みたいにずっと睨み合い。しかし持久戦で先に死ぬのはたぶん老将の廉頗。
死んだ後で趙括起用でやっぱオワタ。
平原君「長平の戦いってだいたい趙括のせいだよね、あと1年踏ん張ったら楚と魏が合従するはずだったし」
224 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/27(水) 23:57:51.17 ID:bBEdNhObO
なんで趙括は今まで実際に戦う機会が無かったんかな?
父も戦場に連れて行かなかったのか。
>>222廉頗は長平で更迭した後も、将軍として活躍してる
すぐ死ぬとはかぎらない
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/28(木) 01:25:00.74 ID:doptGU1D0
>>224 趙括の逸話はそのまま受け取らない方が良いかと
それなりに実績がないと趙括を起用させる工作を秦がしても誰も相手にしない
長平は初期に趙軍が上党と協力して大攻勢をかけて上党郡を確保するか
確保できずとも秦の上党占領をある程度阻止して秦軍の糧道を断てなかった時点で敗色濃厚
相手を上回る大軍で守ってるのに砦を奪われて持久してる廉頗が白起や後続の昭王の大軍と戦うと…
昭王の時代に中原統一してれば秦はもっと長く続いたかな
政というか荘襄王すら即位できない可能性が高かったろうし。
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/28(木) 13:23:02.83 ID:doptGU1D0
後継者がどういう方針をとるのか分からないからなあ…運不運も変わってくる
まあ、白起と趙括の戦いで秦軍も大損害を受けてたから昭王時代に中原統一は不可能に近いので
秦の長期存続なら魏ゼン時代の秦斉二大帝国並立状態が長く続いた方が良かったかな
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/28(木) 23:55:32.55 ID:Cno/MvrgO
昔の気持ちを思い出すため、
晋陽に遷都するとか
趙が?
231 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/01(金) 00:25:32.35 ID:bbsNcRlyO
七国中、四カ国の首都が中原内にある。
しかも趙の都と楚の都はすごい端にある。
こうしてみるとあんがい中華って狭いよね
韓魏趙は中原だけど他の都は中原ではないのでは?
234 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/01(金) 16:24:57.60 ID:bbsNcRlyO
>>233 末期の楚ですか、楚といえば郢(紀南城)が固定観念になってるな
秦に西南方向から攻撃されて北東の寿春や陳に遷都した楚だが
もし斉が強大化して追い詰められたら勢力圏の南越方面に遷都したかな
236 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/01(金) 18:08:23.15 ID:bbsNcRlyO
>>235 楚の中華化は陳遷都で完了したんだそうな。
項羽の時代くらいには異民族要素は無かったんでは。
白起と司馬錯が郢陥落させたのは長平と並ぶ戦国のターニングポイントなのかもなぁ
>>236 先進中原文化を取り込んでたとはいえ紀南城は
中原呉越四川雲南南海の中間点で完全に中原化する事はなかったでしょうね
>>237 南方全土に影響力を持つ帝国から東方の一王国に転落して
秦の中原進出を牽制する事が出来るのが趙だけになったからな
>>238 楚の王族やら貴族、宮廷が中華化したというだけの話で、
華南地方が中華化したのはずっと後でしょう。
ただ、項羽やら漢代には「楚」と言うのはずいぶん北東の名称になっている。
楚ってなんか冬将軍のないロシアみたいだな
七雄って春秋時代はみんな中華の端だったんだな。
242 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/01(金) 23:42:43.02 ID:588kiz/q0
>>239 旧楚の中心地を奪い返せないまま半世紀も経過しては
陳や徐州あたりが楚と認識されるのが自然なんでしょうね
>>240 秦に蜀を制圧さえされてなければ白起に漢水流域を奪われても
ロシアのように逆襲に転じて奪い返す事も可能な国力も国土もあるな
243 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/01(金) 23:43:24.72 ID:bbsNcRlyO
魏や韓は中原の内と外に領土がまたがっているが、
これはラテン地域とゲルマン地域にまたがる領土を持つ、
ベルギーのようなものに近いと思う。
豊かな都市地域と飛び地になりがちな辺境は似てますね>韓とベルギー
魏はもう少しスケールが大きく複雑でしょうか
245 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/02(土) 00:09:47.20 ID:tWew8wOOO
後世の国民国家みたいのでなく、
日本の戦国時代の分国みたいなもんかな。
特に韓魏は。
長年安定して同じ領域を支配していた秦(関中)や斉は国民国家っぽいとは言えるかも
韓は鄭を滅ぼしてから時間がもっとあれば良かったが秦が…
西部の安邑と東部の梁に王が東西に行ったり来たりで公子が留守役、
最盛期には中山にも公子を封じたり複数の国を抱える魏は分国っぽいですね
247 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/02(土) 01:27:19.49 ID:tWew8wOOO
言葉もどうなっていたのやら。
おそらく上流階級は共通語があったんじゃないかと思いますが(各国の政治家も外国人ばっかりだし)。
漢代になると遠方の国と通訳を通しての話も多いのに戦国時代には聞きませんから
周王朝由来の基礎的な教養が共通語(漢語)になっているんではないかと思います。
庶民も戦国から漢代にかけて識字率はかなり高そうなので意外と話せるかも
方言も中原国家の住民同士なら意思疎通には問題ないのではないかと
>>248 ヨーロッパでもイタリア語なりフランス語を共通語とし、
ロシアのような遠くの国まで上流階級は互いに交流してましたね。
そういえば春秋戦国の各国も配偶者をヨーロッパのように外国に求めてましたし。
>>249 紹介、ありがとうございます
そのサイトは知っていましたが言語に関する内容は読んだ事がありませんでした
>>250 姫姓諸国の公女が各国に配偶者として移動すると一緒に大量の人間が
移動しますから共通の文化が各国に浸透するのも当然かもしれませんね。
辺境の中山でさえ戦国時代には姫姓の王族が統治したとか
252 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/02(土) 02:41:34.87 ID:tWew8wOOO
呉、晋、燕は周から
斉は姜族から
現地の首長に嫁が送り込まれた可能性がありますね。
通婚して周文化に染まったのと
滅ぼされてから王族を送り込まれて乗っ取られたパターンがありそうですね。
代のように通婚したと思ったら滅ぼされた国もありますが
254 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/02(土) 09:30:54.52 ID:tWew8wOOO
>>249 周韓鄭と宋衛が分かれているということは、
中原の言葉も東西で分かれていたと。
それが単なる方言程度なのか(日本語も日本アルプスの東西で違う)
何か民族的な違いも多少はあるのか。
>>254 周韓鄭は戦国時代に既に一体化していたので、
黄河下流域の衛や淮水流域に近く伝統を千年守ってきた宋とは多少違うだろうな。
>>255 秦漢以降は統一帝国が意識されて中華の地域国家は安定せず消えるか統一に向かうかで長続きしないな。
257 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/02(土) 22:36:06.22 ID:tWew8wOOO
>>256 東遷組と在来組の違いでしょうか。
位置は大して離れてはいないので。
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/02(土) 23:53:23.71 ID:Auj0EkmM0
大別すると大体こんな感じか?
関東 中原が周韓鄭魏(最盛期の魏辺境部は別)
関東 東部が衛宋齊魯(斉の莱征服後に東斉と黄海沿岸部も同グループか?)
関西 秦
楚(末期の淮水に拠った楚は衛宋齊魯に近い?)
中国東南部(呉越と南越)、中国東北部(燕と朝鮮、その北方など周辺部も)
趙(西部、東部、北方、中山、代)
巴蜀(楚が領有した雲南は?)
259 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/03(日) 00:06:00.74 ID:as6QnObBO
>>258 魏も東遷組だから…
でも趙も邯鄲遷都してるから東遷組に入るかも。
>>259 魏と趙は変動が激しいからどう分類すればよいか迷う…
趙なんて複数地域を支配する帝国化してるし(意外と燕も)
261 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/03(日) 01:03:47.75 ID:as6QnObBO
>>258 日本海あたりには、
日本語朝鮮語アイヌ語古アジア語など
独自の孤立した言語が多いけど、
山東や呉越あたりもそんな感じだろうか?
あと、周鄭韓魏(趙も?)の東遷組は関西の住人を大量に連れて来た可能性も高いかな。
俺もそう思います
山東は斉に、呉越は自らの伸張と楚に征服された事で独自性を失い
漢代には同化していったのではないかと
東遷組は西方人が多い周鄭韓魏+趙と、
東方人が多い斉魯衛宋で分かれている感じでしょうか
しかし考えてみれば
地域ごとに言語などで強く結びつき統合されていた戦国列強を殲滅戦で
ぶっ潰した秦はいろいろ凄い国だな特に洪水で城ごと消してる白起は…
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/03(日) 08:23:45.16 ID:KAZcxcuD0
白起は城も人も壊す、まさに破壊神だな
同じ名将でも占領地で民衆の信頼を集めるため色々やってた楽毅とは対照的だわ
結びついてるといっても、しょせんは周の元諸侯。
教養ある層ほど天下を思って祖国意識がまったくねぇ。
本物のみんじょく国家と比べると脆い。
266 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/03(日) 14:00:18.47 ID:as6QnObBO
>>262 斉魯衛宋のうち、宋は殷の末裔、
残りは君主は西方系だとしても、中原人を統治するために置かれた国ですからね。
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/04(月) 01:29:56.34 ID:NU6Xs2Ax0
秦と戦ったといえば、魏や韓は百数十年サンドバックになりながらもしぶとい、
魏や韓と比較して楚や蜀があっさり占領されるのはなんでだろ?
巨大都市の防御力+都市間の距離が近く連携してくる
野戦で勝っても中原の城攻めは難しい、反撃され奪還される事も多い
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/05(火) 19:55:20.24 ID:cWgGny+8O
270 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/05(火) 22:08:49.93 ID:jC2cshdl0
ミャオが呉越を征服するも本拠地を白起に消されて征服地に亡命したのが末期楚
>>263 いや、
後世の民族国家とは違い、
ベルギーやらオーストリアハンガリーやらアンジュー帝国みたいな
文化圏地域圏関係なしに成立している国家。
戦争でくっつけていった領土の集合体みたいなもんでしょ。
織田の領土を「尾張」って名づけたり、
伊達氏の領土を「伊達」って名づけるようなもんかなと。
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/06(水) 17:06:28.29 ID:M4oxwgJXO
西周と同じ場所で、
民族的にも同じであろうはずの秦が何故野蛮人扱いなのでしょうか?
273 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/06(水) 18:38:51.18 ID:M4oxwgJXO
まさか西周は中原に比べてかなりの野蛮人?
殷の時代は周も異民族扱いだったしな
275 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/07(木) 22:34:18.02 ID:jzIBD2JV0
地方諸侯のひとつでしょ、方伯封じられてるし
先祖が后稷は眉唾だし、歴史も浅く、文化も低い。
西伯にしたのは召を抑える為だろう
277 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/14(木) 02:33:42.69 ID:04fUEv9/0
宮城谷の小説だと周と召が同盟して殷を倒したみたいな事になってたけど(しかも太公望のおかげで)
実際はどうだったんだろう
278 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/16(土) 20:43:26.74 ID:GhaXgiPZO
無理やり日本に例えると
・中原(殷)=畿内
・関中=関東
・周と秦の故郷(甘粛)=東北
みたいなイメージか?
>>277 そのぐらいしたことにしないと文王四友や他さしおいて功績第一位なんていわれないと思うわけで
280 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/19(火) 02:27:48.74 ID:3yxC9YmP0
そもそも文王四友の功績自体ようわからんし
>>246 あんなヘッドフォンみたいな形で
酔う国を維持で来たもんです。
中国語はシナ・"チベット"語族と言うくらいですから、
西方から来た周が持ち込んだと考えることも可能だと思います。
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/22(金) 00:35:11.71 ID:t4ZbItQY0
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/22(金) 01:30:12.15 ID:uBONPq3X0
>>281 韓とは友好関係だった時期が長いのが関係してるかもね
285 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/22(金) 12:30:12.27 ID:cfNSHtWvO
韓も瓢箪みたいな形ですし。
中原の領土を公平に分けた結果なんでしょうが。
>>285 点(邑)と線(道)で領土を形成してた春秋時代の名残かと。
領土を面からとらえるようになったのは范雎以降では。
287 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/22(金) 17:39:08.31 ID:cfNSHtWvO
>>286 「魏」や「韓」という国というよりは、
「魏氏御領地」、「韓氏御領地」みたいな感覚でしょうか。
韓の領土は黄河に南北から流れ込む河川を考えれば纏まってるよ
秦は蜀を領有した経緯をみると面でとらえる考え方もあったんでは?
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/23(土) 19:29:20.98 ID:GDSFmebLO
>>288 中原外の国の方が
そういう考え方しやすい可能性がありますか
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/23(土) 20:10:47.19 ID:GDSFmebLO
たしかカール大帝は兄と領土を分割相続したが、
その分け方が韓と魏に似ていた気がする。
一方が馬蹄形で、もう一方を覆う。
また、両方ともゲルマン・ラテン両地域にまたがっていた。
291 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/05(金) 16:09:37.54 ID:AMTOkwuu0
ちょっと聞きたいんだけど
斉威王に楚荘王と同じ鳴かず飛ばずのエピソードがあるってウィキやらに書いてるが
中国語版なんかで公開されてる史記原文を見てみると田敬仲完世家にはそのエピソードがないような気がする
漢文だいたいでしか読めないんだけど鳴かず飛ばずのやりとりってそこに載ってる?
それとも出典は史記以外の何かか
滑稽列伝だよ
293 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/05(金) 20:30:55.88 ID:AMTOkwuu0
>>292 ほんとだ。凄いな。こんなすぐ的確に答え返ってくるとは思わんかった
ありがとう。
紀伝体ってめんどくせぇな(´・ω・)
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/07(日) 11:49:39.55 ID:kgjj83rg0
春秋戦国は最初は百以上国があって七つに淘汰され最後は秦が統一したとききました。
百以上の国のすべての国の名前を教えてください。
すべては無理です
史記・春秋にそもそも記録されていない国もあるでしょうし、
数だけ挙がっていて名前不詳の国もあります
また、考古学の最新の成果含めてとなるとそこまでカバーできません
ただこの回答ではつまらないので
某所から春秋を参照にリストアップした国を挙げます
燕、無終、南燕、胙、山戎、斉、紀、莱、杞、介、
筥、向、譚、タン(炎+β)、鍾吾、フク(イ+福の旁)、薛、曾、小チュ(朱+β)、滕、
任、チュ(朱+β)、魯、セン臾(山+而+頁)、禹、セイ(成+β)、宿、須句、ショウ(章+β)、遂、
ジ(寺+β)、曹、徐、宋、陳、蕭、巣、彭、極、告(告+β)、
蔡、頓、項、沈、胡、州来、舒、舒蓼、舒鳩、舒庸、
龍舒、宗、唐、随、貳、ウン(員+β)、蒋、英氏、頼、黄、
弦、六、鍾離、呉、越、鮮虞、肥、鼓、ケイ(刑-リ+β)、路、
廠咎如、叟瞞、黍、皐落、留吁、甲氏、鐸辰、翼、晋、魏、
耿、虞、シュン(旬+β)、随、楊、皐落、狐、賈、霍、韓、
荀、衛、州、雍、原、凡、単、檀、蘇、赤狄、
鄭、許、祭、滑、周、カク(爪+寸+虎)、毛、甘、劉、召、
成、尹、鞏、焦、瑕、揚、拒、泉、皐、伊、
洛、陸渾、梁、苒、白狄、義渠、秦、西カク(爪+寸+虎)、姜戎、絞、
驪戎、犬戎、息、江、蓼、道、柏、申、商密、ケ、
軫、蛮氏、キン(鹿+禾)、庸、穀、廬、羅、楚、州、百濮、
キ、巴
以上162ヶ国
これ以上は自力で調べることをオススメします
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/07(日) 22:53:38.30 ID:kgjj83rg0
まじめやなー
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/24(水) 18:51:15.00 ID:uXnGfLjr0
もしも仮に春秋五覇的なノリで戦国五覇を決めるとしたらどんな組み合わせになると思う
300 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2013/04/25(木) 00:21:58.57 ID:9AdBpd5G0
信陵君、白起、楽毅、田単、安陵君
敢えて君王を選ばない縛りで書いてみた。
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/27(土) 03:17:17.59 ID:nJL8A97P0
>>299魏の文侯・斉の威王・楚の威王・燕の昭王・秦の昭襄王
趙の武霊王も考えたけど、彼の場合中原で覇を唱えたわけじゃないから外した
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/27(土) 06:58:56.24 ID:Gz0zuuTN0
確定的に言えるのは斉威王だな。
威王だけは春秋五覇に似た雰囲気を持ってるし。
魏文公も入る。燕昭王にも同意。
でも楚威王はないな。楚威王を外して趙武霊王を入れてもいい。
問題は秦。
とりあえず始皇は除くとして昭襄王は分かるけど元は考公なんだよな。
秦が強くなったのは何故ですか→商鞅がいたからなんかテンプレだし
だから考公を何とか入れたい。すると武霊王を外して
魏文公 斉威王 燕昭王 秦考公 秦昭襄王
考公が覇者じゃないってんなら武霊王を入れればいい。
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/27(土) 21:51:50.80 ID:bR49JMqI0
韓が一人も入らないのはまあ分かるとして、戦国時代の楚は腐敗っぷりがちょっと半端じゃないな
春秋時代はほぼ最強だったのに
>>301楚の威王は越を滅ぼし、斉の威王を破るなど実績は十分
威王の頃が楚の最大領域であり、楚が衰退するのは威王の後から
対して趙の武霊王は中山を滅ぼし、北方民族を破って傘下におさめたが、中原諸国との戦ではほとんど勝ちがない
秦の穆公も同じような立場ではあるけど、穆公の場合、晋を何回か破ってるからな
305 :
304:2013/04/27(土) 23:53:31.58 ID:nJL8A97P0
>>304 確かに越を倒したのは功績と思うけどな。
いわれてみると凄いのかもしれんけどそんなイメージが薄いな
荘王なら絶対確実って思うけど
まあ春秋五覇も5人全部が確定してるわけじゃないんだし
そこらへんは曖昧でもいいんじゃね。
斉桓晋文みたいに斉威燕昭とか
307 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2013/04/28(日) 23:07:09.71 ID:ujmqanet0
覇の意味が戦国では通用せんからねえ。
あえて覇者認定された5人選ぼうとしたら
秦献公、秦孝公、魏武侯、魏文侯、魏恵王、韓昭侯くらいしかいないというね
政治史的には洛陽を中心に東西で分かれるとか、
春秋をベースにしているから、実は魯近辺の有力諸侯が必要以上にクローズアップされているとか
そういう偏りを抜いてしまうとなかなか綺麗に選定できないものだなあ
秦献公って元献公って見たけど、二文字だったけど略されて
忘れられ一文字になった人多いね、一文字だと被るから二文字がいいんだが
310 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/04(土) 06:17:18.40 ID:JuLXF6530
武霊王って戦国時代では珍しく君主自らが軍隊を率いて戦ってたんだよな
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/06(月) 13:40:43.51 ID:HemyPUSRO
何度読んでも刺客列伝が意味不明なんだが、こいつらなんなんだ?
なんって刺客でしょ。暗殺者。ちょっと違うようなのもいるけど
そういや張良も刺客列伝入れそうやな
他の事跡大きすぎるから世家行ってるけど
邯鄲市に観光に行ってみたいなあ
六って結構でかい国だったんだな
色々調べてみると面白い
>>313 邯鄲市には恵文王と恵文后の陵墓があるね
観光地化は不十分だけど全盛期趙の遺産だけに壮大な規模
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/11(土) 01:23:25.05 ID:j75ydZWx0
ところでそもそもの話、周王朝はせっせと封じて諸侯づくり・・・なんていうやり方をやらず、
直轄地を増やすやり方をすれば、こんなにも早く衰えて動乱の時代・・・なんてならなかったんじゃないかと思ったりする。
日本でも江戸幕府は直轄地が多かったから基盤が強かったわけで、直轄地の少なかった室町幕府は「あんな展開」だったし。
わざわざ無数に諸侯をつくって、支配しにくくする意図ってなんだったんだろう。。
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/11(土) 01:24:44.79 ID:j75ydZWx0
>>314 確か、莒っていう国も、凄くマイナーな割には大きかったような・・・
318 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/11(土) 05:58:21.21 ID:uLOk8tqv0
>>316単純に周に直轄地をたくさん作るほどの力がなかっただけじゃない?
直轄地を増やすには緻密な成文法が必要。
法家も成文法もない古代周王朝じゃ広大な大陸で群県制は無理。
法は文化や風習が異なる共同体を束ねるものだからな
成文法ができたのも、孔子や晏子がいたのと同時期だから相当遅い
日本じゃまだ弥生時代の頃よ
江戸と比べちゃいかん
弥生時代は確か紀元前300から紀元300まで600年だろ
周は紀元前1000年までさかのぼるから弥生時代よりずっと古いな
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/11(土) 19:05:49.56 ID:j75ydZWx0
広い直轄地を持ったり、中央集権体制を作ったりするのって大変なのか・・・
周が殷を打倒する時に単独で打倒してれば殷の領土は周が併呑できたんだろうけどね
連合軍ではあくまで神輿だわな
あれもまた、合従軍っちゃあ合従軍なんだろうか
と言うか楽毅、信陵君、春申君以前で合従軍指揮った人っていたっけ
BC316年蜀で内乱が勃発
張儀「韓を討ち、中原に打って出て周を恫喝し、天下に号令をかけるべき」と言う東進論
と
司馬錯「蜀を手に入れて国力を増すべきである」と言う南進論
があったが司馬錯の東進論が採択された。これでよかったのかな?
>>324 殷末期は東方の国と幾度も戦争を繰り返して国力が疲弊している所を周に攻められて負けた。
周単独では倒せなかったね
328 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/19(日) 21:42:46.21 ID:7GJdPDCd0
>>328 最終的には両方やったけど、同時には無理。韓を攻撃して中原まで攻め込むのは
蜀を滅ぼしてから数十年後だし。
ようはどっちを先にやるべきだったかと言う事
恵文王時代に三晋からいくのはキツかろう
331 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/23(木) 17:00:38.42 ID:6u4v6wx20
横山光輝史記ぐらいでしかこの時代のことを知らないから
この春秋戦国時代のことをもっと詳しく知りたいんだけど
他にはどんな書を読んだ方が良いかな?
>>331 普通に基本となる春秋左氏伝と戦国策を読め
それから漫画ではなくれっきとした史記もな
333 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/23(木) 20:18:12.31 ID:6u4v6wx20
>>332 なるほど、ありがとう
春秋左氏伝と戦国策、それに元祖の司馬遷の史記も読んできます
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/24(金) 01:20:07.61 ID:EOxEaoyl0
つうか公孫衍が出てこないなんてどうかしてる
336 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/26(日) 00:30:35.88 ID:hLMqBAjp0
アニメの「キングダム」をBSでやってたの見た。
史実とフィクションとが混ざってると思うんだけど
歴史知識に弱い俺はどこまで史実でどこからフィクションなのかわからないw
名前(一部)
338 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/26(日) 20:06:57.05 ID:1DnWc3Wu0
「楚将公子心」なる人物は誰なんだろうか?
尉繚子の最初の章「天官」に出てくる。
楚軍を率いて斉と戦った人でその時に箒星の逸話で勝ったらしい。
箒星の指す方向から攻めれば大勝して掃く部分を向けられた方が負ける、という迷信が当時あった。
そこで柄の方に布陣していた斉軍と戦えば負ける!と臣下が言ったところ
公子心は「それがどうした。箒で戦うのなら掃く部分を持って柄で殴ってやれ!」と豪語した。
翌日楚軍は大勝利をあげた。
らしいが公子心なる人物はそこ以外に見当たらない。
この人どこか他に出てる?
>>336 ほぼ登場人物が一応実在の人物だけど、三国志演義よりさらに脚色されたものと考えればよい
340 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/19(水) 22:09:52.64 ID:c3BZjlMT0
キングダムは本来なら秦1強の時代のはずなのに、秦があそこまで苦戦してるのがきにくわん
341 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/19(水) 22:38:23.66 ID:Mq3nr0kJ0
漫画だからな、
脚色しないで史実のまま載せて原稿料をそのまま頂くのはアレだし。
あの作者、趙好きだな。俺もだが…。
nhk総合で見てたけどいつまでたっても史実に無い王座争いで飽きた。
全くキングダム知らないのだが、戦国初期あたりの話なの?
もしくは趙てことは無礼王あたり?
始皇帝こと秦王政が既に位に即いているんだけど、弟に位を奪われそうになっているという
史実には無い辺り。
おおう、秦王政か…想像とちょっと違った
政の時代てどうも華やかさに欠ける気がするんだよね
勝手に斉の威王〜ビン王の時代かと思い込んでた
その前にアニメとしての動きに萎えたわ
史実に無いと書いたけどwikipediaを見ると全くのねつ造でもないんだな。小規模な反乱だったものを
王都を占領したような話にしている。政の時代ともなると地力で勝る秦が他の国を浸食して天下を
固めて行くイメージなんだけどそういう話になってないので面白くない。
アニメとしての動きは今時はあんな感じなのかなと思ってみてたけど。他の作品全然見ないから判らんけど。
キャラクタデザインは俺には受け付けなかったな。それも見ていてつらい原因の一つだ。
中国制作のドラマで始皇帝があるが、嫪毐が無駄にイケメンでそこだけ面白いなw
>>349 ふと思ったんだけど去勢されて男性ホルモンが分泌されないとやっぱり筋肉もつきにくいのかな
キングダムは敵の有名将軍や一部の史実人物周りを超人化するより
滅亡に向かってるから史書で過小評価されがちな六国の君主を脚色して
強大な秦に知恵と努力で必死で抵抗してる感をだしてほしいな
あと弩兵の存在感が薄いぜ
俺もその方が面白いと思うがジャンプじゃ無理かなぁ。
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/22(土) 05:04:13.56 ID:vPZnNVw60
ロウアイは映画の始皇帝暗殺でもイケメンだったな
外面だけでなく内面までイケメンという、これまた珍しいロウアイだった
それだと太后も巨根が好きなただの淫乱ではない事になるな。
そりゃロウアイはセックスシンボルやから
有能ではあったろうな
醜聞も後宮って事と秦(始皇)を貶める風潮が重なってるからわからんし
楚の雲南進出と秦の蜀開発、司馬錯と白起の楚都攻略のあたり気になるが史料がないお
流石にロウアイは有能じゃないだろ。
杞の国が夏王朝の末裔の国家なんだよね
孔子が夏礼を学びにいった国だし
二里頭遺跡とも近いし
ここは春秋戦国時代本スレでええの?
そじゃね
楚なのか
荘王
この時代、斉軍が燕に攻め込んだ時や、越呉斉の間で大規模な海戦はあったんだろうか?
技術的には十分可能なはずだが
あったら文献に残っている。海戦の記録自体が無くても大量の文献に何の痕跡も無いのは
海戦自体が無かった可能性が高い。
365 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/22(月) NY:AN:NY.AN ID:agOuKSLC0
白起にも韓信にも言える事は国の為に尽くした功労者なのに
末路が哀れすぎること
白起はそうかもね、だが韓信は違う気が
白起は明らかに冤罪だけど
韓信は権力欲むき出しにしちゃったからな
でも古今東西、王の代替わりや変節で功臣の粛正はよくあるよね
それもあるけど白起は由緒ある国の軍人(軍歴35年以上)。韓信は半ば群雄。
劉邦の処置を責めるのは酷だな、と
韓信に忠義を求めるのも酷だけど
白起って何者なんだろうね
公孫起とも記述されてるが
>>370 宮城谷昌光は、楚の平王の孫の白公勝の末裔との説を出しているとか。
372 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN ID:Kcz+Jv7p0
どうも呉越の戦いって漢楚の戦いと似てる印象がある
373 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/08(木) NY:AN:NY.AN ID:2aOKUnkO0
ところで始皇帝が出てる小説で面白いのある?
伴野・井上・塚本以外の作品で
白起の件なんだが、同じ宮城谷の『戦国名臣列伝』だと出自について「かいもく見当がつかない」って書いてあった。
どうやら白公勝云々は小説独自の設定みたいだな。
まあ白氏で公孫、穣侯一族との関係
楚との関連性をもたせたくなるよね
本籍地の郿県は咸陽に近いが
今どきの犯罪捜査もそうだけど
本人のパーソナリティを解明するために出自に拘る意味はあるんだろうか?
377 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/09(月) 17:35:53.74 ID:kqIWKiRE0
春秋戦国の英雄って功を立ててのし上がってもすぐ失脚あるいは誅殺されるよね
三国時代だとあまりそういうの聞かなかったけど何でだろうか
春秋戦国って人材の流動性が高くない?
A国の公子がB国の宰相になったり
だから当然元々の国人はいい気はしないから代替わりで殺されちゃう
三国時代は基本的に支配した土地の人材を活用するから他国者に対する敵愾心とかとは
ちょっと違うんだろうね
三国時代は乱世、春秋戦国時代は戦争状態であったとはいえ
基本均衡と安定で意外と治世?だったから
春秋戦国時代全般に言えることは、一代で国を新たに立てるのは無理ゲーだった
春秋時代は覇者体制の維持の観点で、戦国時代は有力諸国との外交上の駆け引きで不可能
三晋が諸侯に成り上がれたのは、それ以前数代に渡って晋内部で勢力を培ったのと、
晋の外交政策が、諸国と晋公室という繋がりではなく、諸国と担当する有力大臣一族との結びつきで処理されていたから
人材の流動については、春秋時代はそれほど高くないが戦国時代中期は諸子百家でかなり移動している
というのも、春秋時代はそもそも身分制に基づく国家の安定化がテーマで、覇者体制もそれに付随するものなんだ
晋や斉が同盟国の内政に干渉しまくってるのもそれが原因
覇者体制でも身分制を維持できなくなって戦国時代に突入していく
戦国時代になると初期は周辺の小国を滅ぼすことで既存の体制を残そうとしたけど、
中期以降にはそれもできなくなった
だから、新たな国家体制の構築を目指して、君主が有能な人材を求めるようになった
それが諸子百家を生み出して、人材の流動が起こっていった
戦国時代後期になると、国家体制の構築も頭打ちして、流動も少なくなっていく
三国時代というか後漢末期の騒乱で英雄がのし上がるのは、
黄巾の乱や名士の人物評に見られるように、
後漢の貴族体制を打破したい、という背景があったからですな
新しい貴族体制(政権を運営する層)の構築が底流にあるからこそ、のし上がりが歓迎される
実際、三国時代に突入すると、それぞれの国家で政権運営層が固定化し始めて、
いわゆる叩き上げや新貴族層というのが出て来なくなる
出てくる前に晋に統一されてしまった、というのも理由の一つだろうけどね
春秋戦国は500年あるのに、三国時代は60年くらいしかないし
長文スマソ
秦・漢を経て国家の制度や概念が大きく様変わりしたからね。
超長文になるから詳しくはなんか本読んでくれ。
春秋戦国のは異民族と言っても所詮は中華の範疇に過ぎんからな
ルール無用の遊牧民とは違う
同じ蛮夷であっても北と南で文化伝達に差異があったのは注目したいところ。
楚、呉、越と北の民族で明らかに文化の吸収速度が違う。
385 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/19(木) 08:38:04.45 ID:fcWYxNFb0
呉が楚を破ったのって結構衝撃的な出来事だったんかな?
そりゃ国力差考えたらなぁ
楚は落ち目とは言え
387 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/19(木) 15:14:21.31 ID:7VViLaxd0
その呉を破ってさらに覇者になった越にはもっとびっくりじゃね?
388 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/20(金) 21:08:33.83 ID:33QKuKCP0
范雎は復讐に成功したけど
伍子胥は復讐を完全には果たせなかったというのが哀しい
伍子胥の場合は末路も悲惨だからなぁ
まぁ范雎みたいにさっさと引退して粛清逃れる方が珍しいみたいだけど
商鞅も呉起も代替わりで粛清のある意味定番パターンだし
范雎は復讐する相手が国君じゃなかったのが、運が良かったと言うべきかな
范雎の息子孫って出てこないのだけれど、元々よそ者だし目立たないように程々の地位で過ごしたのかな。
>>389 司馬遷は法家は因果応報ですよーって批判する為に取り上げ方が偏ってるからなぁ
范雎タイプの政治家は意外と多い気がする
393 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/22(日) 12:12:46.19 ID:0fG+x9yh0
394 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/22(日) 19:34:52.65 ID:wTDZ5ln+0
新十八史略(河出文庫)読んでたら屈原が凄い切なかった・・・
ちみたちはどの話が好きと印象深いとかある?
395 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/22(日) 20:16:17.63 ID:kW3YDK5W0
伍子胥とか項羽って何故、名よりも字の方が有名なんだろう?
字で呼ばれるこの二人が珍しいだけかもしれないけど
趙武が生き残る話は本当に切ない
ようやく成人して、晋公から一族復興を許されて
いざ恩に報いようとした育ての親もすぐに亡くなってしまうしね
そうやって生き残った趙武が、春秋時代最大の外交的大事件と言っていい晋楚和平の立役者になるんだから
絶対どこかで話を盛ってるだろと疑いたくなるレベル
(まあ、多分どっかで盛ってるとは思うけど)
>>397趙武は名宰相だと思うけど、あまり有名じゃないよなあ
趙武はさほど長寿でもないのよな
それに晩年は陰りというか耄碌の兆しがみえたりと、
完全無欠でもないところにかえって人間味を感じる
誰か楚を書く人いないのかなあ
荘王が好きなんだよ
西門豹は官僚のあるべき姿だよなあ
セイモンヒョウのエピソードは黄河の神とか言って霊感商法してた三老のクソさがすごいな
405 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/25(水) 20:04:18.58 ID:ZN88E1sw0
>>404 その三老の悪習迷信を打ち破った西門豹のエピソードは痛快だよね
三老と巫女が黄河にぶち込まれるシーンは痛快
どこかで見たんだけど、西門豹の子孫が似たような事例にであって、
張り切ってインチキを暴こうとしたら、逆に騙されて殺されたエピソード知らない?
悪習と地元のごうつくばり退治と命を救うためだとはいえ
ブサイクと言われた花嫁候補はちょっとかわいそうだなw
409 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/29(日) 14:45:24.54 ID:UWLXjDZ30
王翦は秦王政の猜疑心を見抜いて誅殺されずに本当に上手く生き延びたよな
樊於期のような前例があったからこそだけど
ていうかあのしつこく恩賞をねだるやり方は正しいのかな?
俺が秦王なら「いいかげんにしろや」って切れそうだがw
411 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/29(日) 19:17:32.25 ID:NVUhxEtm0
実際生き延びたから正しいんだろ
キれるにしたって謀反疑惑のように一族郎党殺されるようなことにはならんだろ。
韓信みたいに、王になりたいとか言ってたらまっ先に粛清されてたろうな
何故、韓信は王翦から学ぶ事ができなかったのか
秦王は変わってるから、可愛い奴♪と思ったんだろう
王になりたいと言ったら、瞬殺だろうさ
だって、秦王は王を廃して皇帝による中央集権国家を目指してんだから
まあ、名前には王がついてるけど
韓信と王翦じゃ立場が違うだろ。
韓信は劉邦の家来じゃないし
416 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/04(金) 03:53:15.72 ID:fGQZJDtw0
いやいや韓信は劉邦の家来でしょ
まあ主君を凌ぐような力を持ったって点じゃ似てるね
似てるだけで状況は違うけど
逆にあんだけの土地を独力で切り取って、独立しようとは思わなかったのかな?
劉邦なら独立してもテヘペロで許してくれそうだけど秦と秦王政は無慈悲な気がする
>>419 斉王(仮)になりたいといったら思いっきりブチギレてたじゃん
陳平と張良にいさめられて王にしてやったけど
酈食其が斉を降伏させたあとに攻め滅ぼしたことも合わせて、かなり不信感は募っていったんではないかと。
少なくとも韓信には、范雎や王翦のような己の身の処し方を備えてなかった事だけは間違いない。
422 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/06(日) 18:56:03.20 ID:nPjMOWWc0
三国時代の魏延の末路も自業自得みたいなものかね
魏延の場合、韓信と違って主君に反逆したわけじゃないからなあ
諸葛亮死後の権力争いで敗れて死んだってだけかな
魏延に味方する奴がいないぐらい人望が無かったのが不幸だった
名前コウセンだったか忘れたけど越の臥薪の殿様に仕えてた人も去り際が見事だったんだよな。
越王勾踐と范蠡(はんれい)だな。
范蠡は商才に長けてたから機を見るに敏だったんだろうな
それに比べ同僚の何某は范蠡の警告も聞かずに
機というよりも人を見ての判断だった気がするが
428 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/11(金) 16:03:36.14 ID:lR4L5QmT0
商売の話は都市伝説だろ
430 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/11(金) 20:39:30.37 ID:XOK4uWwL0
戦国末期の趙の国って色々ネタ満載なんだね
431 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/11(金) 21:08:04.80 ID:/Z+UN9v80
ハンレイと比べるのは酷だなあ
見事な引き際みせた点ではあれに並べるのは張良くらいになるし
ハンショもそうだけど引き際全うするには老荘的に一歩引いて冷めてる必要があるね。
ハンショの場合、蔡沢という助言者がいたのが良かったな
もちろん聞く耳があってのものだけど
まぁ引き際が肝心とは言うけど
例えば張良なんかはその後呂后の専横で漢王朝が滅亡しかかってるのを
助けもせずに仙人修行してたわけだし
あれはむしろ無責任の範疇だと思うが
張良は祖国韓の復興のためだけに長年老体にムチ打って頑張って来たのに
秦を滅ぼして祖国復興がようやく叶ったと思いきやいきなり項羽に韓王成を粛清されちまったわけで
実は項羽打倒以降の人生はおまけでしかなかったんじゃないかな
項羽を打倒するためには西楚以外の諸国の力を強力に結集する必要がある、
すなわち秦を滅ぼすことで否定したはずの中央集権国家の復活、これだけが唯一の手段だった
そのためには祖国の復興はもはや絶望的になってしまうだろうが、張良はケジメのために
禁じ手に手を出したんだと思う
楚漢戦争期の張良は、本人の望むところではなかったのであろうが、結果として戦国以来
最高の縦横家にならざるを得なかった
張良の立場は複雑だよ
納得のいく説明だ。
436 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/13(日) 11:25:19.86 ID:X0pii0p50
引き際をわきまえないと呉起や商鞅みたいになるけど
伍子胥の場合は呉越の戦いの最中で引くに引けなかったんじゃないだろうか
伍員の場合、呉を準覇権国家まで押し上げたのは自分の功績だと恃みにしている部分が
あったんじゃないかなーとは思う
そもそも夫差の王位継承に貢献したのはほかならぬ伍員だったわけで、伍員にしてみれば
夫差とは比翼連理?(男相手に使うのは変だが)と言ってもいいくらい一蓮托生な関係なはずだった
身を退くという行為は「夫差を見誤っていた、王に相応しくない」と内外に喧伝するようなもんだと思う
夫差は越をフルボッコにしたところからしてまぁ王としては合格点だったんだろうな
あの時点で伍子胥は身を引いてればよかったのにな
>>437 >身を退くという行為は「夫差を見誤っていた、王に相応しくない」と内外に喧伝するようなもんだと思う
それはハンレイ批判か?
>>439 范蠡批判と言うわけではない
でも見限らなかった(しかも越が必ずや侵攻してくると予言じみた諫言して自殺している)伍員は
やっぱ夫差や呉王室に対して独特な忠義を奉っていたんだと思う
しかし感情がウェットだよなあ
楽毅あたりは世話になった王様の倅と言えど身の危険を感じるや「クールに去るぜ」だから
正直楽毅や范蠡のスタンスが正しいと思う
復讐の鬼と化した位の激情の持ち主に、身を退くなんて発想は無いんじゃないかいw
復讐のために闔閭に覇者の夢を焚きつけて北伐に向かわせたは良いが
王位と野望を受け継いだ夫差が制御不能になって粛清されてしまうというのに因果と浪漫を感じる
442 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/15(火) 09:33:37.23 ID:IvwFrB8p0
周分裂滅亡あたりの下りが良く分からん
気付いたら滅亡してたって感じだよな
春秋戦国期に入ったら、日本の武家政権下の朝廷より目立たなくなったもんな
秦孝公の覇者認定が空転しちゃったのが痛かったね
あれから完全に空気あつかいで、諸国がどんどん称王して名ばかりの権威さえ失うという
春秋時代はマシだったんだけどね
戦国時代に入ってから完全に空気
しかも各国が王を名乗るから周王朝の存在意義がほとんど無くなる
まあ戦国でも初期は田氏や三晋に爵位与えて
政権を承認する役をやらされてたりはしたんだが、周王
威烈王は何であんな諡号になったんだろうな
あれだけ見るとどんだけ凄いことしたのかと思うが
特にそれらしいことは何もしてないし
戦国時代は春秋時代に比べて史料少ないことが空気化に拍車をかけてる
450 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/23(水) 13:56:37.86 ID:s6XT02p60
この時代のゲームとかないのかな?
1ターン1年とかになりそうだがw
三国志とか日本の戦国時代末期くらいの50年スパンくらいじゃないと
ゲームにするのは無理じゃね?
>>450 何しろこの時代は五百年もあるからね
これをゲームにするのは三国志と違って相当大変なことになるだろうなあ
呉越の戦いとか長平の合戦のようにその部分だけを切り取れば可能かもしれないけど
切り取ると情報の少なさがやばい
将軍不足でゲームにならんw
信長の野望全国版方式で、王のみの国単位でやるしかないな
春秋戦国の魅力9割減になるけどw
比較的史料がマシな秦以外の国は
領土人口が多いのに同時期に存在するまともな武将10人以下
能力が推定できる奴1〜2人という悲惨きわまる状態に
秦も領土の割に圧倒的な人材不足必至
春秋はまだマシだが
KOEIの三国志や信長の野望のスタイルに囚われすぎてないか
あのスタイルのゲームで春秋戦国のおもろさを料理するのが無理なのは明らかだから発想を変えてみようぜ
太閤立志伝みたいなのがいいんじゃないか
せめて孫子の兵法だけでもゲーム化してくれればなあ
光栄以外に歴史シミュレーションゲームってどんなのがあるの?
トータルウォーみたいな戦争シミュレーションゲームではなく
項羽のみが鬼神の項劉記ってゲームはあるけどな。
まあ、このスレ住人なら知らない人はいないだろうが。
光栄もなんか三国志と信長以外放置プレイだよね
龍馬伝が大河になった時は維新の嵐新作出すかと思ったんだが
戦国無双クロニクルみたいに主人公を不老不死にして、時代毎の戦場を駆け巡る、みたいな感じにすれば面白いかも
合間合間で人物毎のエピソードも絡めつつ
464 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/25(金) 08:02:04.19 ID:kiwM+Rz50
白起無双
466 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/25(金) 19:40:14.47 ID:CMom/t/dO
確かに歴史シミュレーション系では難しいから単純な&とっつきやすいように無双系で
そしつロウアイの無双奥義、車輪回しを使いまくるんだ!
孫子というボードゲームがあった記憶
468 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/26(土) 18:50:02.52 ID:Lp6OYTz20
O.K.H.I.T
今更ながらスレタイのこれってどういう意味なの?
スレの最初の辺りを見ると判るが特に意味は無い。
470 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/26(土) 19:29:48.18 ID:Lp6OYTz20
あ、本当だ
なんか書いてあったw
こりゃ失敬
自国のことだからあたりまえっちゃあたりまえだけど、
今度チャンネル銀河で秦の恵文王を主人公としたドラマやるらしい。
ここ最近中国は春秋戦国時代のドラマガンガン制作してるんだよな
秦の恵文王って本場中国じゃあメジャーなんだろうか
日本じゃマイナーな君主だよな
秦だと穆公、孝公、昭襄王、始皇帝がメジャーか
太子時代からやれば、孝公と商鞅の改革と死、張儀など策謀家達の活躍、巴蜀を押さえ、楚を破る結構なドラマ。
でも日本では張儀がメジャーで前に出てて、樗里疾なんかもいるから目立たない扱いだね。
立場的には孝公の太子で子に武王、昭王がいる拡大路線の流れなのにね。
元献公、孝公、恵文王の名君リレーは素晴らしい
なんで并州って春秋戦国時代には大国晋や趙があって豊かな国だったのに三国時代には過疎地域になったの?
匈奴を中心とした異民族が侵入しまくったから
そんな理由で衰退したのか・・・
かつては中華の中心地だった場所が僻地になるって悲しいな
并州の衰退について書かれてる本とかサイトとかある?
楚漢戦争の時までは趙がそこそこ目立ってたから武帝が匈奴を倒すまでの期間にフルボッコにされたのか
479 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/31(木) 08:38:15.42 ID:EGaj1tOz0
長安だって王莽のあれで荒廃してたし洛陽だって董卓のあれで荒廃してたしなぁ
并州は匈奴侵入のせいというか国家の中心地だった晋趙時代
隆盛を誇り拡大を指向する帝国の拠点だった前漢時代と違って放置
趙とか言うネタ満載国が一番好き
>>478 そんな理由って、中国の歴史は異民族に対応できるかどうかの歴史だぞ。
>>481 趙には藺相如や毛遂といった度胸ある優れた外交官が多いからね
末期には刎頸の交わりに失敗した馬鹿もいたしなw
>>484末期というより楚漢戦争期だから別の時代のような
486 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/03(日) 12:50:47.13 ID:I2rCU8Fr0
武霊王の改革から始まり後継争い
完璧に刎頸、趙奢、ひらはらくん
救世主趙括
最終章主人公の李牧
秦を悪に書いてやっていけば行けるな!
キングダムとかははむしろ李牧主人公にした方が面白そう
主人公サイドが史実に関係ない超人バトル始めちゃってるし
秦側は辛うじてマシな史実キャラを揃えられるけど六国側は無理
李牧カイネを主人公側にしてオリキャラ半オリキャラを充実させる方がいいかもな
中国人がキングダム見たらぶちきれそうだな
中国人に映画作らせたら空飛びまくりだからな。マンガそのままでむしろ面白いのではないかと
キングダムは主人公が李信て時点で詰んでる
話が進むほど王翦無双になってくのにどうするつもりなんだか
ヨウタンワとキョウカイと一緒に王翦の功績を盗むしかない
あとホン様が地味に李信を圧倒するのを誤魔化す必要もある
燕の公子丹の討伐が最後の見せ場じゃないか?
楚で下手撃ったのを挽回する形だよな?
流れ的には燕で丹を捕らえる→楚に蒙恬とともに20万で侵攻
じゃないのか?
>>494 うん
太子丹追撃でいきなり出てきて成果を出したが
翌年に楚を制圧寸前までいくも項燕に逆転されて敗北し
その後は斉の制圧に参加してた事がわかるだけの人物が李信
(しかも本紀には登場せず白起王翦列伝で存在が語られるだけ)
と、いっても史記の文章そのままだとただのダイジェストにしかならんので
物語化する際には行間に挿入する余地だらけなわけだから
戦争への参加者と結果の帳尻さえ合わせておけば
李信の活躍は好きなようにできる
王騎の死の時なんて「王騎死す」の一文だけからえらい派手な
戦争捏造してたわけだし
キングダム読んでないけど
秦のワンサイドゲームの戦国末期でしかも秦が主役側でよく話を続ける事ができるなと感心する
>>496 なぜか趙や魏が互角の戦いしてることになってるw
498 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/05(火) 10:54:49.02 ID:vlfKfp/h0
趙をインフレさせてるからな
作者は李牧びいきだし
王騎が白起並な時点で史実と比較は野暮だ
読んだ事ないけど王騎が強いのは名前が格好良いからだろうね
田平みたいな名前だったら絶対人気出ないし
白起、李信、蒙恬、王翦、章邯と秦には名将猛将が多いね
基本的に史記の記述は信じてるけど秦の統一戦争に関する記述は信用できないなぁ
焚書坑儒の要領で他国の歴史書を燃やし捏造し秦に歴史書も脚色しまくってたと思う
そんな簡単にトントン拍子で事が進むはず無いし
503 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/05(火) 19:55:02.28 ID:fm9c+sun0
しかしまったく話題に出ない韓や魏
あ、素材としてよく出るか
>>502 そんなトントン拍子に進んでるわけでもないと思うけど。
まあ脚色はしたろうけど実際に始皇帝で統一に成功してるわけで
>>502 それこそカンピコ五蠹の多銭善賈じゃないの
治強は謀を為し易く、弱乱は計を為し難し〜
秦に用いらるる者必ず智にして、燕に用いらるる者必ず愚なるに非ざる也
>>501 そこに李信と蒙恬が入るとすごい違和感w
>>503 韓の記述の少なさは異常
一応三晋なのに
>>506 >一応三晋なのに
イメージでは六国最弱。
>>500 斉の田単とか三国志の田豊将軍とかも居るのに。
508 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/05(火) 23:01:52.30 ID:vlfKfp/h0
韓っていつもどっかしらに城奪われてるイメージ
これといって有名な勝ち戦もないし
まだ燕のほうが見せ場はある
>>501他に樗里疾・甘茂・司馬錯・蒙ゴウといった名将もいる
どんだけ秦は名将多いねん
>>507 田単はもとよりあんま人気無いでしょ
楽毅という大器の大将軍がいて、その咬ませ犬みたいなもんだし
田舎の垢抜けない小男って感じ
そういう小人が頑張ったから賞賛されてるだけ
「お前名前ダサい癖に良く頑張ったなぁ〜」って
関平だってなんかイマイチ冴えないじゃん
>>508 まともに戦えてたのって孟嘗君の時代までかね
垂沙で楚を破ったり、函谷関まで秦を押し込んだり
戦国の極初期は単独でもそれなりに勝ったりもしてるけど
田単を異常に過小評価している奴がいるが、燕人か?w
樂毅を尊敬してた孔明が
後に司馬懿の工作で謀反を疑われたのは皮肉としか言いようが無いな
>>513それ演義だけの話な
史実の孔明は君主の劉禅に謀反を疑われた事が無い
孔明が死んで良かったねって言った臣下を殺したぐらい劉禅は孔明を信頼していた
燕の恵王と比べたら劉禅はかなりマシな君主に思える
515 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/06(水) 19:49:02.98 ID:OUZ/sExz0
春秋時代は夢があった
戦国時代になって夢がなくなりました
燕王喜の屑っぷりもたまらない
名君より暗君の方がなんか親近感湧く
でも商臣みたいのは御免ですわ
暗君というか妙に親しみを感じる君主はいるね
商臣て楚穆王?
またマイナーなとこを。
でも俺は好きだよ穆王。実際戦争には強かったみたいだし、ただの無能暴君じゃない。穆の諡号もそれを示してるような。
残酷で冷徹で戦争好き、でも滅法強くて恐怖の的になった父親殺しの暴君。
悪役としてはかっこいいじゃん。
成王穆王荘王共王は何のかんのでみんな優秀。それに比べて平王霊王ときたら
楚穆王は信頼した配下には緩そうだが、よその人と認識された相手にとっては恐怖以外何者でもないからな。
即位の経緯もあるだろうが、最初は地道に楚本国周辺の足場を固め范山の進言から漸く北方へ再進出を始
めるなどかなり堅実だよな。
春秋時代は王道こそ至高という概念があったからか人格的に良い君主が多いよね
惚れるレベルで徳の高い人多いし
楚は康王の空気っぷりが酷いな…
525 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/08(金) 19:47:34.98 ID:zZMtNF5w0
春秋以前は何か逸話ないのかな?
西周の逸話って事?穆王が西王母に会いに行ったとか、幽王と褒姒の話とか?
527 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/09(土) 15:59:17.75 ID:Ily3iXYQ0
楚には幻滅しました
韓のファンになります
528 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/09(土) 19:57:16.59 ID:ZJOYwHFf0
正直楚って微妙なイメージしかない
楚は春秋時代の暴れっぷりは凄いのに
戦国時代はほんと微妙
戦国楚は威王が最盛期
当時の楚は中原と言葉だって違うだろうに
最盛期がいつかは別として
楚に攻め入った秦の李信と蒙恬の精鋭20万を撃破した項燕が
秦に迫った時が楚が一番輝いた時だと思う
楚も秦並に離間策用いて王翦を秦王に殺させるとかしてればな
最盛期はやっぱ荘王の時じゃない?
楚が天下の主となったのは荘王が晋を勝利し共王が晋に敗れるまでの期間でいいのかな?
李信が20万でダメで王翦が60万で勝つ話は高校漢文でやったけどやっぱり有名なエピソードなのか?
どういう状態だったら有名と言えるのか分からないけど、
項羽の祖父が出て来るから、楚漢戦争に興味がある人ならだいたい知ってるんじゃないでしょうか
>>533 荘王威王も捨てがたいが、ここはあえて秦都咸陽の目前まで迫った懐王時代前半を推す
>>534 単に李信と王翦の格の違いと言うか、王翦sugeeeeeeeeする為だけのエピソードだろ
王翦が凄いというか
あのエピソードは粛清されずに全うした王翦の処世術が凄いって話じゃないか?
539 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/12(火) 20:13:35.22 ID:9SV8EkFm0
ここのマニアは○の○公(王)とか言われても何した人、何の親とかどの人とかすぐに出てくるの?
分からん奴はいまだにさっぱりわからん
安心しろ、俺もほとんど判らん。
俺はマニアじゃないけどな。
五覇とか最盛期の王とかの有名所しか分からんよ
知らない君主が出て来たらググったり史書紐解いたりして勉強してるわ
楚の懐王が強大な君主だったのかと驚愕したわ。おもしれー
戦国時代なら七雄各国の歴代の諡号は概ね憶えてるけど、春秋時代は無理
有名な部分と前後もしくは一方くらいなら浮かんでこないこともないけど
543 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/14(木) 18:38:16.60 ID:hhPphFvl0
韓とかはほとんどわからん
544 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/15(金) 19:33:01.68 ID:Kc9mhF9n0
やっぱり夫差が一番!
TGLの「百家争鳴 孫子の兵法」っていうゲームした人いる?
546 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/21(木) 16:56:50.89 ID:2/xiDPAO0
スレチ市ね
呉王夫差って即位して「臥薪」の語源を作った頃までは名君だったんだけど
晩年は伍子胥の諫言に耳を貸さずに呉を衰退・滅亡させたりしてるから
名君なのか暗君なのかよく分からないな
結局父親の復讐を果たす以外のビジョンを持ってなかったんだろうな。
覇者になるには度量も見せないと → 句践を許す
これが全ての間違い
夫差は覇者の夢にあせってただけじゃないの
句践を許したのも、度量(笑)以外に、辺境の越の事なんぞは
出来るだけ早く片付けて中原に進出したいから
まとめ役として生かすって皮算用があったんじゃないかね
553 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/30(土) 04:52:03.32 ID:vkBueEwT0
途中まで名君だったのに、後で暗君・暴君になる君主ってたくさんいるからなあ
斉の桓公、呉の孫権、唐の玄宗とか
夫差の場合は諸侯会議に遠征中に越に首都焼き払われた時点で
一度国を立て直し、本人も考え改めるチャンスはあったんだけどね
その後も遠征続けて国力低下させて越に滅ぼされたんだからやはり暗君だろう
555 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/30(土) 20:10:33.02 ID:D+7+eRYb0
まあ夫差は最後の結末とか考えてアレな評価に落ち着くのは当然って感じだけど
闔閭はどう評価されてんんだろう
闔閭は総合で見れば+じゃねーかな
闔閭は結構汚い策略で王位に就いたのに、名君でいられたのは凄いと思う
558 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/02(月) 01:30:33.76 ID:pxuoDlfV0
あれは季札が悪いだろ
とっとと王位につけばいいのに日和やがって
そのため遼と光の無駄な対立を招いた
季札は清廉潔白で知られ、文化人でもあったから
兄弟相続を蛮族の風習と思い、嫌がったのかもしれない
560 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/02(月) 19:34:53.35 ID:3xo5AbW0O
楚ひと
趙ひと
秦ひと
日本語として「○○じん」じゃなく「○○ひと」と言うのには何か理由有るのかな?
>>554 だが夫差が死に際に言った「あの世で伍子胥に合わせる顔がない、わしの顔は
布で包んでくれ」という言葉は評価したい
達人伝読んでる奴いる?
>>561その台詞を見るに夫差はただの暴君ではない気がするなあ
伯ヒのような狡猾な悪臣がいなければ名君のままでいられたかもしれない
564 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/03(火) 02:54:48.23 ID:+HUVKa1s0
春秋五覇ってバランスとか物語性とか考えると
初期:斉桓公、晋文公
中期:楚荘王
後期:呉王夫差、越王勾践
が調度いいよな
句践って呉を滅ぼすまでは色々話あるけど
その後の話ってあまり有名じゃないよね
>>565 句践は呉を滅ぼして中原に進出して覇者になった後は
文種を粛清してるからあまり誇れる良いエピソードが無いのが原因かもね
>>562 無料公開されてるやつだけ読んだことあるけど、何ともいえんな。
もっとも蒼天好きだったから期待はする。
>>565周に貢物をしたり、呉が周辺諸国から奪った領土を返還したりしてる
この時代を扱った漫画は少ないけど
「墨攻」は名作だと思った
横山史記もかなり面白いね
キングd…ううん何でもない
斉の孫子の漫画もあったよね
まだ読んでないけどあれ面白い?
>>569 墨攻は雑魚キャラにも感情移入できる名作だよね
映画は全然糞だったけど
俺は原作小説の革離があっさり殺されて終わる所が好きだった。
漫画の革離は強すぎてイカン。
>>574 小説よんでない(^_^;)
漫画は日本に来るのは余計な印象
この時代の漫画では、東周英雄伝
これで中国の歴史に興味を持つようになった
というか墨攻は原作小説と漫画では舞台となる時代まで違うよね
漫画の革離は超人的な強さを持った英雄だが小説の革離は戦争のスペシャリストではあるが
墨家では並の人物。けして超人ではなく、歴史に名を残すような英雄でもない。
戦争には強いが他人の心理を読み切れずに意外な所から矢が飛んで来てあっさりと殺されてしまう。
その時も自分の失策に気付いて「俺もマダマダだな」みたいな事を思いながら死んで行って、
その辺が墨家っぽくて良い。
キングダムの白起対、達人伝の白起。
キングダムの白起は主役と時代が違うからやや適当
そして曖昧かつ抑えて描かれてるから比較するもんじゃない
キングダムは戦国時代とはいえ、信の立身出世物語なんで中華戦国時代っぽさはない
秦軍が貴族士族の私兵集団みたくなってたり、鎧武器とか自腹で農民兵丸出しとかなんとかならんのか
>>577 墨家ほど面白そうな存在はそうそうないが
小説等で上手く使ってる例は漫画墨攻しか知らないなあ
キングダムとか一時期流行った戦国トンデモアニメよりマシ程度の内容だろ・・・
9割方創作だが戦国獅子伝も面白いね。
キングダムちょっと読んでみたけど、秦六将とか三大天とかネーミングが痛々しすぎて目眩がしてきた…
そういう括りって諸子百家以降で増えてきてる気がするわ。
まあその程度のネーミングで痛々しいと感じるなら、
別の時代に実在した「宇宙大将軍」に卒倒するんじゃないか?
キングダムは今年売れた漫画14位だからそれなりに影響力というか知名度も上がってきたのかな
入り口は漫画やら映画やらゲームやらでいいじゃん
まあそうだね
作者史記とかはそれなりに読んでるから
時代考証をもうちょっと頑張ってほしいな
旗の種類や長柄の戟とかバリエーションを増やせば様になる
それなりに読んでるなら女武将とか出さないだろ
トンデモでも別に構わんが、それなら史記の記述をそのまま貼るとか止めろと言いたい
史記読んだぐらいじゃ時代考証にならなくね?
キングダムは史記に関しては一応
記述に矛盾した事はあんまりやらないが
記述に書かれてない部分は好き放題にやるってスタンスだが
元ネタが戦国策の登場人物は完全に名前を借りただけって
感じの扱いだね
漫画だからエンタメ性強くしたんでしょ
ヤンジャンだとあれくらいファンタジーはいらないと受けないだろうし。
これがビッグコミックとかだったら違ったろうけど
>>588 無論物語として史記を読むと時代考証にならない矛盾も多いし
だけどそれなりに影響力があって長く続いてる漫画だし贅沢が言いたくなる
あと作者はもうちょっと古代っぽい漢造語&オリキャラの人名を作る努力をした方がいい
孫ピンの漫画もそうだけど、舞台が古代中国じゃなくても良い気がするよねえ
中華風ファンタジーでええやん、みたいな
キングダムのアニメで戦いの説明ナレ見る度に失笑なんだが
>>592 キングダムと孫ピンの奴は中華風ファンタジーとは方向性が違うっしょ
十二国記とか
キングダムは日本の戦国風漫画+蒼天航路+北斗の拳を3で割った感じ
・キングダムの偉大なる功績
千人将をメジャー化した
・キングダムのダメなところ
チンコ部分しか守れない謎の鎧
596 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/07(土) 00:31:01.85 ID:+zGfkY2D0
ああ、とはいえ主人公の部隊以外はちゃんとした鎧兜着てるからさw
まあ、どの部隊の鎧もなぜか首のガードがないけど
蒼天航路とかもだけど史書の原文そのまま引用してくるのがイラッとする
あわよくば歴史オタも釣ってやろうという意図が透けて見えるわ
>>592 グランドジャンプの孫子異伝は最初に孤鳳卒
(作中でソンビンが率いる元孤児集団の組織)
の設定が最初にあって
彼らを活躍させるための舞台を探しているうちに
ソンビンという人物に行き着いたんだそうな
鎧というか防具の変遷に興味あるな
商鞅は悲劇の人だよな
自分が定めた法で自分の首を絞める事になったからなあ
最後の逸話は少し変だ。手形なしで宿には泊まれないのに出国は可能とか
しかも魏から送り返された後、商へ移動して兵を率いて反乱出来たとか
法家はダメです系逸話の典型例だからね
司馬遷とかも商鞅タイプの人間を排撃するの熱心
まあ現在で言う人権擁護自由主義的な側面もあるけど
晏嬰と公孫僑の扱いが違いすぎるもんな
公孫僑って子産だっけ?
その通り
司馬遷は優れた史家だけど人物の好き嫌いは露骨
流石に秦に関わった法家は詳しく紹介してるけど
その他の国の法家は扱い低いよな。
申不害もその一人だと思う。
608 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/11(水) 03:22:22.06 ID:C4dfYD8T0
管仲も法家だけど、流石に別格の扱いだな
戦国よりマシな時代と信じられていた春秋
しかも覇者の臣下にとどまる謙譲の美徳を持ってるからね(単に時代が許さなかっただけだが)
610 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/12(木) 01:30:47.66 ID:fqnSwC970
宮城谷が史記のテーマは「友情」と「許す事」と言ってたと思うが
それに管仲を当てはめると、鮑叔との友情や桓公が殺されそうになっても許して宰相にしてあげたエピソードなんかを見るに管仲は司馬遷が書きたい事が書ける人物だなあ
司馬遷は自分と李陵を管仲と鮑叔にだぶらせ、武帝にも桓公のような許す度量が欲しかったと言いたいんだろう
史記は司馬遷の私情が大いに反映されてるのが魅力だね
612 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/12(木) 15:41:20.28 ID:nmvauW/n0
あ
そのおかげで読みやすいからな
面白い歴史書を記してくれた司馬遷と横山光輝の二人には感謝している
司馬遷が二十歳ぐらいの時に敢行した春秋戦国史跡巡りの旅はすげー楽しそうだよね。
もちろん学術研究としての目的が主体だろうが、旅の時の行動が学者というよりは歴史好きの趣味者のやることという感じだし。
>>615 中公新書に「司馬遷の旅」というのがある
617 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/15(日) 20:05:41.17 ID:U1PLfDTE0
武霊王てよく考えたら変な諡号だな
やっぱ最後が悪いのか
618 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/16(月) 00:53:11.55 ID:IlVO9uL30
武霊王ってかなり変わり者の王だよな
胡服騎射だけでなく、戦国時代では珍しく親征を行う君主だし、自ら王の座を降りて主父と名乗ったりとこの時代では特異な君主であるように思う
619 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/18(水) 19:48:23.34 ID:rOVP1s8r0
武霊王は戦略家としての才能もあるな
他国に外交官を派遣して中山攻略を邪魔されない状況を作り出してる
中原に進出する前に死んでしまったのが惜しい
長きに渡って争い最終的に20万の大軍で5年間攻め続けてやっと併合した中山
超は中山だけを相手にしていたわけじゃないが中山の力も相当なものだよね
王都霊寿城は壮大な規模だったらしいし
戦国時代は宋や中山など中堅国も侮れない
太行山脈の天険に拠りながら城壁の長さが一辺5キロ近い大城だからね
622 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/21(土) 18:50:22.44 ID:hZTd+ViC0
戦国時代、魯は全く話を聞かないな
陽虎が全部引っ掻き回したから。
評価できるのは王を自称せずに長く国を保ったくらい。
数万の戦力を普通に動員できるだけの力はあったみたいだよ
625 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/23(月) 04:06:47.50 ID:QeEoMcGC0
衛も空気だな
趙に攻められたり魏と連合してなんとか凌いだり斉や秦に臣従したり
戦国六雄より長生きした古強者だよ
長生きしたと言っても最早諸候ではない衛君としてだけどな。
628 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/24(火) 00:41:08.43 ID:gtuWZRm/0
初期に滅ぼされてしまった鄭は戦国最弱だな
列強の韓と融合して王都新鄭城となったのさ
現在でも新鄭城の崩れた城壁が残ってるが凄く高い
でも鄭って中小諸国の中じゃ存在感あるよな
小覇を成し遂げ、晋楚の緩衝国で和戦の基軸となり、経済的先進地帯で早期に法が発達した国ですしおすし
ま、戦国初期の滅国であっという間に滅ぼされちゃうけど
そういや鄭といえば祭仲のことあんまり好きじゃなかったけど、よくよく考えると鄭という国自体が祭仲とそっくりだと思ったわ
基本晋よりの国だったし、晋南部を抑えた韓と一体化
主筋の周王室も秦の膨張がなければ韓魏に吸収されてそう
634 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/25(水) 01:09:28.35 ID:SUF6TWyf0
鄭の有名な人物といえば荘公、子産か
子産も有名だけど、同時代なら子皮の方が有名だったり名声高かったかも
鼈の怨みで殺された霊公
自分の子を殺しまくった文公
晋も楚も信義がないから攻められたら降ればいいと開き直った子良
子産の後継者の子大叔
この辺も有名とまではいかないけど左伝とか読んでると印象に残りやすい
そもそも鄭って春秋以前の覇者っしょ。存在感は当然ある。
しかもライバルのカクがリタイアしてるし目立つ。
637 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/26(木) 00:37:29.11 ID:MJWI+j520
鄭の詞が公子時代は父荘公の覇業を支えた名軍師と言っていい働きをしていたのに
君主になったら暗君になるのが解せない
君主に必要な者と戦に必要な者は違うと言う事か
君主としては天に選ばれなかった
政治情勢が悪い
639 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/27(金) 15:06:24.16 ID:qG4WQBW30
荘公の息子といえば、昭公も将軍としては優秀だったのに、君主としてはすぐに死んでしまったな
昭公の評価は分かりにくいわ
魯の昭公に得体の知れない不気味さを感じる
伍子胥と孫武のコンビが最高に好きだったから
夫差の代で孫武が引退してしまったのが残念だったな
案外、調練で殺した夫人のどっちかが夫差の実母で
夫差の代から追放されたんじゃね?
孫武が居ても楚では勝ちきれていない
ドイツがソ連に攻め込んでも勝ち切れないように
国力差は戦術では埋めきれない
ふがいが裏切らなければね
滅亡し切れていないとはいえ勝ち切れていないと言うことはないだろう。
首都は陥落した上に、散々打ち破られて逃げ帰った呉がその後も攻め込んでいる。
647 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/18(土) 18:59:08.57 ID:Yr6m7m440
そう考えると越はなにやってたんだ
結局、楚が南方の勝者だし
そりゃあ、越は楚と敵対していた訳じゃないですしおすし
最終的には滅ぼされちゃったんだけどね
650 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/19(日) 03:41:40.02 ID:zfswSFpp0
越は勾践の後がよくわからん
楚は呉に滅ぼされかけた後、立て直しに頑張ったからな
楚の昭王の名君ぶりと子西の名宰相ぶりが光る
特に昭王は孔子に誉められたぐらい
越は勾践後も強勢を誇ったものの
中華の列国が戦国時代に入るとそれ以上に伸びた事と
南北方向に長い領土が禍し、楚に対する戦略的縦深が足りなかった
とはいえ楚の王都からあれだけ遠方かつ広大な越をあっさり征服した威王
および、それ以前の君臣はもっと評価されるべき……かもしれない
楚の東西への伸長は驚くべきものがある
まあ南海にも勢威は到達していたようだけど
653 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/25(土) 21:18:35.27 ID:UpzakAok0
天下の盟主となったという意味じゃ荘王の時が楚の全盛期だけど、
領土では威王の時が全盛期で良いのかな?
藍田の敗北前のときが領土最大期じゃね?
韓魏を除く六国は秦の猛攻さえなければ順調に強大化していただろう国ばかりなんだよなあ
楚も懐王前期が最大版図かと
その頃の楚は中原にたびたび出てくるよね
あとテン国遠征
657 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/28(火) 01:49:48.50 ID:/3BBDIbr0
斉もビン王の時が最大版図かな
最後に、国を滅ぼしかけてしまうけど
宋、中山、燕、韓、魏、衛、魯、その他小国
周りの国々を併呑(一部)するか従属、影響下に置いてるからね
東帝の名に相応しい国力
659 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/29(水) 20:30:25.17 ID:1YbwvO6a0
歴史名所巡ってみたい
やっぱ趙が好きだし邯鄲とか行ってみたい
でも流石に名所なんてないよなあ・・・
2000年も前だし・・・
660 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/30(木) 02:23:49.47 ID:r24qbBO70
趙は恵文王、恵文后の壮大な陵墓とか遺跡はなんぼか残ってる
…日本に当てはめたらわかるが
春秋戦国の場合は昔過ぎて名所に期待してはいけない
根性と時間とスキルと周到な準備があるなら多少はなんとかなるけど
661 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/01(土) 10:52:49.20 ID:2FciVir80
呉起のような上が居たら必死に付いて行くだろうなあ
って思った
そうだな。旦那には絶対したくないけどなw
663 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/05(水) 20:18:15.88 ID:+xXItjrk0
呉起は確かに名将だけど、いまいち戦績がわかりづらい
呉起は政治家としての力量込で評価されてると思う
665 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/05(水) 21:34:04.33 ID:+xXItjrk0
呉起の72勝12引き分けっていう戦績はどこからでてきた数値なんだろうか
史記にある呉起伝を読むとそこまで戦った回数があったかは疑問を感じる
たとえ史記に書き記されてない戦いがあったのだとしても、この戦歴になるとは思えない
>>665 七十二候っていって古代中国では72が特別な数字なんだよ。
劉邦のホクロとか戦績の話でも72って出てくるでしょ
南京30万と一緒だなw
この板で、三国志名将二十四選というスレが盛り上がってるが
春秋戦国時代でやったらどうなるだろうか
670 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/16(日) 01:31:18.00 ID:ig3gk6qi0
春秋時代だと鄭荘公、斉桓公、楚荘王、先シン、士会、孫武、伍子胥、范レイ
戦国時代だと呉起、孫ピン、武霊王、樗里疾、司馬錯、白起、楽毅、レンパ、趙奢、李牧、田単、信陵君、王センあたりが候補か
三国志ほど議論が荒れる事は無いと予想
同時代に何人もじゃなくて
十数年〜数十年にぽつぽつといる感じだもんなあ
戦国時代になったら後期に集中するけど、それでも同時代人が少ない
はっきり言って議論にならない
誰一人としてまともな史料がない
三国志でさえ少ないが春秋戦国特に戦国は何も無い
そもそも24人もちゃんと出るのかって話だが
そもそも君なのか将なのか
実際は同時代にも優秀な奴はいたんだろうけど
史記とかには有名ドコロしか伝わっていないだけだろうな
ある程度傑出した大人物がいる以上好敵手とかもいそうなもんだが
676 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/17(月) 04:15:02.41 ID:I34pOkIz0
孫武、伍子胥擁する呉軍を秦軍と協力して破った楚の子西と子期は、あまり知られていない名将と言えるかもしれない
なぜ管仲の名が出ないのか?
678 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/17(月) 19:36:08.43 ID:I34pOkIz0
>>677管仲は将軍としての実績がよくわからないからじゃない?
管仲を名将として評価してる史料もあるみたいだけど、その実績は史料に残って無いし
>>675 先軫が城濮で撃破した子玉も、その戦いで破られるまでは南方で暴れまわってた楚の将軍だし
先軫が?で撃破した孟明視も、その後の報復戦で晋に勝利するほど成長するし
これらの事はちゃんと好敵手についての記述がある例かな
春秋戦国時代の場合、名将より名相二十四選の方が盛り上がりそう
>>677 春秋前半の戦争って公族以外将軍になれないんじゃね?
晋の六軍くらいからじゃないだろうか、公族以外の将軍って
682 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/21(金) 10:33:08.90 ID:hUeVTBhXi
晋の場合、公族の意味自体が違うしな
公族になったり外れたり出来るからな
資料が少ないってのは寂しいなあ
685 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/03(月) 01:30:58.05 ID:+aMD4GPD0
ウクライナにロシアが軍事介入している様子を見て
晋か楚の大国が、鄭や陳といった小国の紛争に介入してるのと似てるなと思った
686 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/07(金) 22:13:16.45 ID:XP40/fuK0
中国史に詳しくなると、春秋時代が一番平和な戦乱の時代だと思える
戦乱なのに、平和とか矛盾してるけど
あくまでも内輪の争いだからな
本気で戦争してないし殺しあってない
>>687貴族のスポーツみたいなとこあるよな
春秋時代も後半になると、本格的な戦争になってくるけど
689 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/08(土) 23:42:55.40 ID:aH6yNX2p0
ウエスタンはサンダー、スパーズ、クリッパーズの三つ巴だと思うがナゲッツの大穴にも期待
690 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/11(火) 19:32:19.74 ID:AR5FoVcy0
楚荘王の忌み名が侶、あるいは旅となってるのは
侶が史記楚世家で、旅が左伝と見ていいのかな?
左伝の原文だと楚子旅卒 とかあるけどこれ荘王のことよな?
と思ってたら穀梁伝では呂らしい。公羊伝は旅だった。史記は何故侶をとったのか。
>>688 三舎ひくとかまさにスポーツマンシップだもんな
魯と周公旦好き、三桓きらい
694 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/20(木) 16:14:46.46 ID:dSuKpTiu0
>>691郤至の、共王に戦場で3度まみえながらも、3度とも兵車を降りて礼をしたエピソードなんか、もろにそれだな
695 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/20(木) 20:25:19.27 ID:Ohrgs5ul0
こっちに来たのかね、菅沼君。
697 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/22(土) 13:01:03.60 ID:Z+AOTZrw0
おのれの武に自信満々だった鄭の御者が、
敵を煽るため晋の二武将と出かけビビり上がるところが面白かった。
二武将は優雅に琴なんか弾いて余裕ぶっこいてるのに。
独りで逃げたこの御者がその理由を素直に「びびったんで…」と告白したら
笑って許した武将の度量もどこか春秋時代の雰囲気なんだろうかなぁ。
こりゃ「子産」でのエピソードだったかな、宮城谷さんの。
>>697 俺もその話、好きだなあ
鄭の御者も虚勢はらずに素直だし、晋の二人も蔑まない度量があって
爽やかな風を感じるとはこういうことか
699 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/24(月) 10:10:53.56 ID:krOuZufj0
・鄭の御者〜宛射犬(えんせきけん)
・晋武将1〜張骼(ちょうかく)
・晋武将2〜輔レキ(ほれき/足に樂)
単行本「子産」下巻216〜219頁収録。
フィクションでも何でもイイんで、
是非この三人でスピンオフ短編を(´;ω;`)オナガイ...
700 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 23:25:47.44 ID:QBF7Q0ev0
>>699宮城谷の子産といえば子産の父親子国が好きだったから、史記や左伝を読んだらがっかりしたな
小説だと名将なのに、実際はたいした活躍してない
晏弱の方は割と史実でも名将なのに
小説でも負けが結構あるしね
七穆の当主は好きな人物多いな
あの当時の鄭で連戦連勝なんぞしてたら時代屈指の名将になってしまう
屈指というか稀代の名将になるね
小国でも強兵をもって知られる国はあるが辺境が多い
ひきかえ中原に位置し対戦相手に晋や楚が出て来る鄭
国内が晋楚両派に分かれているから全力で戦うのも難しいし
704 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/05(土) 18:15:32.45 ID:kx7lCNpi0
>>703この時代、小国が単独で大国に勝てる事ってほとんど無いからなあ
没落した鄭が勝てるのは、宋、陳などの同程度の国ぐらい
705 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/06(日) 00:59:38.35 ID:OWB7Jx1m0
中々手が出なかった貝塚茂樹さんの中国の歴史を読んでるが
秦統一期の趙の兵力が意外に多くてびっくりだな
そして韓の少なさったらない。そりゃ滅ぶわ
706 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/06(日) 01:47:52.07 ID:xQtRakaW0
中原だから人多いんじゃない?
長江流域は人が少なすぎだったようだけど
707 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/06(日) 22:10:54.88 ID:KctdsfXs0
>>705負け続けて兵士の数が激減したんだろう
特に趙なんか40万人が生き埋めにされたからな
韓の領土は険しい地形が多くて痩せてるといわれてる
人口の増加も多くは見込めなかったろうし、戦国策なんかをみても
そういう記述があるのよな
709 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 00:11:25.53 ID:ZUa+vb+60
韓は鄭を含めないと少ない
>>704 陳「うちは宋、鄭みたいな中規模以上の国に比べると小国やねん」
衛も忘れてはいけない>中規模国
春秋中期は盟主晋の為に大軍を派遣したり結構元気
…宋って戦国でもある程度戦えたし頑張ったよな
唐と蔡は?
712 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 00:38:08.56 ID:ZUa+vb+60
>>711 時期によるが、まあ陳レベル
宋、衛、魯、鄭には及ばない
714 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 01:51:39.60 ID:QVfhmQlT0
「ちゆ」と「しょうちゆ」が何か可愛い(*^o^*)
わかる
諸侯会議に参加してるとなんか気になる
宋康王のあの異常な強さはどこから来るんだろうなあ
斉・魏・楚の三ヶ国がかりで滅ぼされるって、かなり珍しい事態だと思う
まあ、かなり国力があったんだろう
しかし極盛期の斉相手、相手が悪すぎた
斉が併呑した結果パワーバランスが崩れて逆に斉滅亡に繋がるけど
>>714−715
大国だった魯の国都すぐ近くでよく長続きしたわ
魯の近くで良かった
晋と楚の近くなら春秋中期で消えてる
魯と宋の間の泗水流域はなぜか長期存続した都市国家クラスの小国が多いなぁ…まぁ大抵属国化してはいるけど
儒家墨家の発祥発展した地域でもあるし文化程度も高そう
宣太后に滅ぼされた義渠とか武霊王に滅ばされた中山とか
合従や称王に加わるなど相当の実力を持つものの七雄には及ばず消滅した国家が気になる
721 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/14(月) 03:54:59.65 ID:1GHxIllV0
>>720義渠王と不倫して子供まで作ったのに、その後、義渠王を秦に呼んで殺し義渠を滅ぼすとか凄いな宣太后
不倫して子供まで作ったのも、義渠を滅ぼすために王を油断させるための策かと思えてしまう
722 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/15(火) 06:22:42.93 ID:ol+xx79p0
王室間の婚姻関係(っぽいもの含む)の先にあるのは同盟、共同統治、従属、そして併呑
宣太后の三姉弟に関してはもっと史料残っていて欲しかった。宣太后時代から楚はボコられる一方だが、
秦の上層部に楚の匂いがやたらと漂ってるのが気になる。秦末に扶蘇と項燕の名を騙った反乱あるけど扶蘇の母親は楚人なんだろうか?
>>722 戦国楚も親秦親斉で荒れたし色々あるんでしょうな
対秦融和派がやらかしたように書かれる楚
対秦強硬派がやらかしたように書かれる趙
なにを考えていたのかすら分からない国よりマシ。
司馬遷が荊軻と秦王とかいう小話を採録しただけで投げ、ただの恩讐話に矮小化された燕滅亡。
斉は七雄のどこかに仕掛ける事もなく静かに併合される道が貫いたから除外。
726 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/17(木) 19:35:47.45 ID:4rtwVQbu0
いつもあっさりと一行で描かれる韓の滅亡
727 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/17(木) 22:58:56.55 ID:p0sFanfZ0
斉は秦と2強だったけど楽毅に凹られて弱体化しちゃったからな
728 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/18(金) 01:38:03.66 ID:tcAeGF7g0
>>727ビン王の暴君っぷりを見てると楽毅がいなくても斉は没落してたと思う
没落する前にビン王が死んでくれたらどうなっていたかはわからないけど
秦軍の水攻めで大都会王都:大梁城が崩壊したというのに一行で済まされる魏もなかなか
韓、そして王族韓氏は春秋時代存在感あったのに…
戦国に入ってからの史料の少なさよ、保持していた力自体は遥か上だったろうに
滅亡後、始皇帝在世時に王族貴族の謀反あったり気になるが情報…司馬遷その他に抗議したい
司馬遷さんの史記
特に戦国以前は漢代より随分前だし当時既に失われつつあったし
更に司馬遷の好みで取捨選択した二次史料
情報の濃淡は仕方ない
>>728 宣王時代以降の斉の繁栄と軍事的拡大政策の付けが回ってきた
秦を含む諸国の嫉妬と敵愾心を逸らし撥ね退ける軍事外交が求められる
戦国の史料が極端に少ないのは秦による史書の抹消・改竄が行われたという説
秦は東方諸国の遺風を消すことに努めた(城から史料まで)
漢は秦の後継なんで続行
新時代を切り拓いた統一帝国からすれば当然だね
後の史家はそもそも戦国時代をあまり評価してないからどんどん散逸する
七雄の一角燕を単独で一旦制圧。
続いて豊かな伝統国宋を滅ぼす。
越の残党を保護して南方を窺う。
やばいやばい
秦は滅ぼす対象(巴蜀)が僻地だった運がいい。
734 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/18(金) 19:28:22.04 ID:cphjz/0o0
秦が蜀を取る
蜀の地を治水大開拓する
ところで蜀って国ってあったの?
漢中に勢力を伸ばし秦と対立
楚に近い巴国(現在重慶付近)を交え楚と対立
現在の四川省に君臨した西南の大国
恵文王の侵攻を受けた後は蜀王から蜀侯に降格
秦室のコントロール下に置かれる後に郡県化
戦国期に限ると蜀国が四川盆地の覇者だな、多分
秦の介入がなければ、統一出来たかもしれん(楚とぶつかったら負けるだろうが)
春秋期はおそらく巴国の方が強大、楚と近すぎて衰えたけど
時々中原方面に顔を出す
738 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/19(土) 02:16:16.68 ID:faG2hv/S0
蜀を攻め滅ぼした司馬錯はもっと評価されても良いと思う
少なくとも四代の秦王に重んぜられ
恵文王期や魏ゼン執政期に中原・巴蜀・楚南西部攻略と大活躍してるもんな、春秋戦国を代表する名将だと思う
>>736 巴国・蜀国が宿敵同士であり付け入る隙があったとは言え、司馬錯・張儀の手並みは鮮やかすぎた
じわじわ巴国を追い詰め、四川・貴州・雲南方面に勢力浸透を図っていた楚の努力が水泡に……
>>739 司馬錯は白起に次ぐ、戦国の名将かもしれないね。張儀も外交謀略だけじゃない
厳君、魏章、張若…、恵文王→武王の時代は有能そうな人が結構いる
741 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/20(日) 02:45:15.62 ID:KCFBXvvB0
樗里疾や甘茂といい恵文王・武王の時は名将が多いな
742 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/20(日) 12:56:00.49 ID:7eli9O9O0
それでも天下統一できなかったってことはそのころまだ秦は最強国ってわけでもなかったんだな
恵文王〜武王時代はまだ韓でさえ単独で秦軍を苦戦させる力を残していたしな
合従軍その他の強敵を連破した樗里子は凄い
蜀を経営し最強の敵である楚を半壊させた司馬錯、張若、白起の活躍でやっと名実ともに最強国へ
>>743 韓は武王の時代に宜陽を落とされたのがケチのつき始めかもなあ
それでも名将の甘茂を相手に相当に苦戦させたんだけど
宜陽城の前方にも兵力を配して頑強に抵抗しただけに
精鋭の損失は甚大だったろうね
それでも魏と連合すれば戦力的に秦を上回る程度には力を保持していたが
伊闕戦役で兵力がなくなって単独抗戦不可へ
>>743 楚の勢力が漢水流域から駆逐されたのが痛すぎた
間接的に韓と魏はそれで死んだ
746 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/23(水) 03:23:11.42 ID:5/8PNamv0
恵文王・武王時代の秦の名将達って白起や王センといった名将達と比べると目立たないけど
秦が最強国で無かった事を考えれば、白起や王センに匹敵する名将かもしれないな
特に樗里疾なんて五国連合軍を撃破してるし
その時期は楚軍に咸陽近くまで押し込まれたり、楚斉連合軍に占領地を奪還されたりと楽ではなかったからね
しかも秦本国に引きこもったわけじゃない、中原での会戦
まあ精鋭が出払っていたのか犀首の合従に加わった義渠軍急襲の対応は後手に回ったけど
なんだかんだ秦は名前上がるよなあ〜
楚威王期の討越とか名将っぽいのいそうなんだが如何せん史料がない
749 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/01(木) 00:11:03.84 ID:mLMvz3FX0
楚威王も、もしかして趙武霊王のように自身で軍兵を率いるタイプの王だった可能性もあるんじゃ
威王は分業制を成立させたから威王なんじゃないの?
751 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/01(木) 02:09:34.78 ID:k53D94bP0
>>749 かもしれんけど
威王期の版図拡大規模を考えると諸将の活躍が不可欠かと
対越国だったら景翠が総大将として挙げられてるっぽいね
それでも巴蜀方面は史料がないけど
753 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/01(木) 18:57:15.10 ID:mLMvz3FX0
楚が天下統一していたら、楚の歴史が秦に消される事なく残り
威王の時に活躍した名将たちの名前も残ったかもなあ
代わりに秦が消される。
755 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/02(金) 01:39:04.18 ID:0NAhpap10
名がわからない将軍といえば春申君率いる合従軍を撃破した秦の将軍もわからないんだよなあ
蒙ゴウだろうか、それとも呂不韋だろうか
後世に名が伝わってない名将かもね
わかっている秦の知恵袋さんは流石
757 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/24(土) 19:36:32.03 ID:0ua4gf+p0
伊闕に散った魏の将軍に犀武っているけど
犀首(公孫衍)の親戚かな?
資料が少ないせいで魏斉が悪人ににしか見えないから
信陵君や平原君に庇われるくらい仲の良い友人だとは信じられない
亡命者しかも魏の宰相だしなぁ
逸話や残存史料で悪人であろうがなかろうが
抗秦の雄たる四君や国家は匿うような気がする
>>757 魏だし可能性はあるな
760 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/18(水) 11:22:22.69 ID:4j9Mc2gN0
越の滅亡とかいうオマケ程度の流れ
762 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/05(土) 20:59:41.49 ID:+fUVn/Gp0
各国それぞれの文公(候、王)ってどうだったの?
763 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/06(日) 01:38:34.86 ID:XtqrzhPL0
>>762名君とされてる文公(候、王)は晋・楚・秦・衛・宋・魏の文公(候、王)かな
晋は文候・文公二人いるが両方とも名君
文公で暗君といえば鄭の文公が思い浮ぶ
×:候
○:侯
細かいけど、いちおうな
765 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/07(月) 20:24:59.40 ID:GPBB6aX50
秦の文公って知らんなあ
武王は面白いけど
766 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/08(火) 02:59:42.30 ID:myIZMoW70
>>765 秦の文公は秦の実質的二代目の君主
襄公の後を継ぎ、戎と戦い法を整備して秦の基礎を作った
極々初期の君主だからね
768 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/12(土) 06:29:25.58 ID:IMygKyR/0
秦の襄公とか衛の武公とか晋の文侯とか鄭の武公みたいな、周王朝の東遷に活躍した春秋初期の君主が気になる
最近チャンネル銀河で大秦帝国縦横観てるけど設定がいろいろとぶっ飛んでるな
あれはあれで面白い
役者達も素晴らしい
秦の恵文王が主役なんてすごいドラマだな
あの時期は横光先生が華麗にスルーしてて今まで視覚的なイメージが無かったからあのドラマはありがたかった
確かに。
また興味がでてきたから史記読んでおさらいしてしまった〜