1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
まずは魯侯奚涓って何者よ?ってことから
4 :
かおりん祭り ◆SDKaOriNY6 :2008/08/24(日) 19:40:49 ID:4tw3WCBW0
〜oノハヽo〜 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
○( ^▽^ )○< 新スレおめでとうございま−す♪
\ / \_________
しし))ミ ほいっ
>>2 どうにも謎な人
しかも列侯に封ぜられた漢の功臣の序列では、蕭何、曹参、張敖、周勃、樊カイ、
レキ商 に次いで七番目というからますます謎
その下にやっと夏侯嬰や灌嬰、傅ェ、キン歙、王陵らがくるといふ
魯侯奚涓という人物の具体的な事跡ってどれくらい分かってるんでしょうか。
史記にも漢書にも列伝は立てられてないですよね?
>>5 あるとしたら、樅公の本名かもしれない、ってくらいか
訳せる人頼む
劉疵墓
開放分類:旅遊、山東、名勝古蹟、古墓
位於山東省臨沂市城北南坊鎮洪家店村西北隅。 1978年5月臨沂市廣物組對該墓進行發掘。出土一套包括頭、手、足5個部位的金鏤玉衣。
玉衣由1140塊玉片組成,從頭罩到?套長1.8米。是我國迄今發現的唯一的西漢早期金鏤玉衣。
墓主人劉疵身著玉衣,有瑪瑙印章一枚,3把隨葬的鐵劍和兩件銅弩機,?明當系漢宗室成員或有功之臣。
《史記・高祖功臣侯者年表》和《漢書・高惠高後文功臣表》記載:奚涓為漢高祖劉邦舍入,隨劉邦起兵於沛,入咸陽後,官拜郎中。
劉邦封漢王后,他為將軍。漢高帝六年(前201年),以軍功封魯侯,食邑4800?,功比舞陽侯(樊?)。
奚涓死後,因無子,封其母疵為侯。疵在位10年,呂后五年(前183年)薨,封除。
墓主人劉疵,很可能就是奚涓之母“疵”(《漢書》作底)。
奚涓その2
魯侯奚涓以舍人從起沛,至咸陽為郎,入漢,以將軍定諸侯,四千八百?,功比舞陽侯,死軍事。
重平六年,侯涓亡子,封母底為侯,十九年薨。
>>8 山東省臨沂で見つかった墓の主が劉疵
これが奚涓の母で実際に侯位を継いだ疵じゃないか、っていうことだな
もしそうだとすると、その姓から考えて奚涓の母は劉邦の一族である可能性があるわけだ
それならこの厚遇も納得できる
ただ、魯侯が臨沂に葬られているというのはありうるのかどうかだなあ
高祖六年,?侯奚涓薨,封其母疵代??侯。其后?元公主得?沐邑于?。盖因此而?封母疵?重平侯。
>>11 漢書功臣表から、母は魯侯から重平侯に国替えになったことを指摘してるね
でも重平って県は渤海郡になるから、臨沂というのがちょっと微妙になるんだよな
出土品の瑪瑙印章一枚になんて書いてあるのか気になるなあ
>>14 これはどっちかというと魯元公主の称号とかの考証が主のようだね
奚涓関係では、「呂后時代に魯は公主のものになってるから、それまでに奚涓の母は重平に国替えされたんだね」みたいなことが書いてあるくらいか?
項羽は神
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/10(水) 00:33:23 ID:85qlJWQl0
王欣太あたりが漫画化してくれないかな
項羽は侠と芸術家肌の香りがするから困る
北方謙三節がハマると思うぞ【妓女に逢え=ソープに行け】
韓信てヒッキー気質があるけど、その時何やってたんだろ
情勢判断や戦術を練っていたのかな
>>19 韓信はヒッキーじゃないぞ。
亭長の家に居候したり、往来で股をくぐったり、
いろいろアクティブに行動してる。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/14(日) 15:06:06 ID:D6X2r8S90
───アタシの名前は項羽。心に傷を負った武将。コワモテマッスルで好戦体質の愛され覇王♪
アタシがつるんでる友達は楚の軍師をやってる范増、秦王朝にナイショで楚で働いてる鍾離昧。訳あって額にイレズミをいれてる英布。
友達がいてもやっぱり楚はタイクツ。今日も亜父とちょっとしたことで口喧嘩になった。
ジジイ相手だとこんなこともあるからストレスが溜まるよね☆そんな時アタシは一人で漢軍を蹴散らすことにしている。
がんばった自分へのご褒美ってやつ?自分らしさの演出とも言うかな!
「あームカツク」・・。そんなことをつぶやきながらしつこい彭越を軽くあしらう。
「項羽ー、ちょっと和睦してくれない?」どいつもこいつも同じようなセリフしか言わない。
漢の武将はカッコイイけどなんか薄っぺらくてキライだ。もっと等身大のアタシを見て欲しい。
「すいません・・。」・・・またか、と国士無双なアタシは思った。皆殺しするつもりだったけど、
チラっと漢の武将の顔を見た。
「・・!!」
・・・チガウ・・・今までの武将とはなにかが決定的に違う。陰陽太極な感覚がアタシのカラダを
駆け巡った・・。「・・(カッコイイ・・!!・・これって運命・・?)」
男は劉邦だった。連れていかれて和睦した。「キャーやめて!」後背を突かれた。
「ガッシ!ボカッ!」アタシは死んだ。四面楚歌(笑)
太史公曰く、項羽はスイーツ脳であったのだろうか
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 00:14:35 ID:Z80d89ed0
項羽は、いくら何でも殺しすぎ。
秦兵虐殺や関中での暴挙は、秦への憎しみの表れとも言えるが・・・・
その後も、皆殺し路線から離れなかったのは致命的だろう。
項羽に対して意見を言える人間が、范増以外ロクにいなかったのも話にならんな。
>>23 新安の秦兵虐殺や咸陽焼き討ちの時には范増いたのに止めなかっただろ。
むしろ范増がいなくなってからの方が人の意見聞いてるような気がするぞ。
広武山で劉太公を殺そうとした時は項伯に諫められて止めたし、外黄を落とした時には
少年に説得されて皆殺し命令撤回してるしな。
項羽だって話せば分かるw
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 17:28:15 ID:BoNXbVwh0
>>24 関中までの道程で、楚軍の虐殺行為を范増に咎められてた気が。
秦兵虐殺や阿房宮放火、子嬰や民の処刑の時には、もう范増も強くは
止められなかったのだろうか・・・・・
将兵は、項羽に意見など出来なかった様だが。
太公に関しては、人質としての戦略的価値を優先した様な感じだ。
項羽は、確かに理を説けば応じる事も少なくなかっただろうが、一時の
感情や雰囲気で簡単に殺す奴だったと思うよ。
外黄も、相手が子供だったから納得した様なものだろう。
そもそも項羽なんて天才だから見落としがちだけど死んだ時まだ30もいかねえ若造だったんだぜ?
そんな若いのに冷静になって先見を利かせて大局を見渡せなんていうほうがあんまり酷だ
なんで項羽が死ななきゃならなかったの?
項羽は何度も劉邦を助けてあげたのに
項羽の方が実力あったのに
何で?なんで劉邦は項羽を助けなかったの!?
劉邦なら項羽を助けられたのに
二回りも年下の男を不意打ちで殺してまで自分が大切なの?
車から自分の子供を放り出してまで助かろうとするような男ですから、二回り年下の他人なぞ、自分のためなら殺せます。
項羽は自分が劉邦よりはるかにすぐれていると思ったから余裕こいて何度も劉邦を見逃した。
劉邦は項羽にはかなわないと思っていたから一度だけのチャンスでしゃにむに項羽を滅ぼした。
劉あにい「俺は自分のおやぢでもスープにして食っちまえる人間なんだぜ」
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 00:39:20 ID:K7qqrS5s0
劉邦:勝利の為なら、親父もスープにする漢。
自分が助かる為に子供も捨てるが、身代わりになって死地へと赴く
部下の為に泣ける漢でもある。
酒好き、女好きでサプライズ好き。
人の意見をよく聞き、来る者は拒まない。
項羽:容赦しない男。
攻めた城は必ず落とし、倍の敵にも勝利を掴む誇り高き戦の天才。
征服して焼き滅ぼし、降伏させて埋め殺す。
自分の気に入った者を愛し、気に入らない者を疎む。
人の意見よりも己の感情のままに動き、亜父すらも疑う。
しかし斉は滅ぼせぬ項羽
父に対し 平然と煮込みスープ分配をねだる
子に対し 馬車から何度も捨てる
長兄に対し 父から早死にした長兄の子を侯にするように言われると「あの兄嫁の子だから」と拒否
次兄に対し 諸侯があつまる宴席で父に「父上はかつて次兄が働き者で私がろくでなしだと言われましたが、今でもそう言えますか」といい笑いものにする
劉邦は家にいたころは家族からよほど悪い扱いを受けていて、自分の一族が大嫌いだっただろうな。項羽と正反対だ。
当時の絶世の美女は項羽を選びました
最期の最期まで項羽について行きました
それは項羽のうちに秘めた優しさに気付いてたからです
それに比べて劉邦を愛したのは糞ビッチ
そんなに家族が憎いならまず嫁を殺せよ高祖
糟糠の妻は堂より下さずの先駆者ですねわかりま(ry
>それに比べて劉邦を愛したのは糞ビッチ
なに言ってんのこいつ
>>37 呂后のことじゃないか?
あの、人豚やった人。
呂后も結構苦労してるな
ろくでなしの劉邦に嫁いだせいで若い頃は貧乏暮し
戦場をたらい回しにされるわ項羽に人質にされるわ
漸く天下が治まったと思ったら旦那は若い愛人いっぱい囲むわ
さらに自分が腹痛めて生んだ子をけなされ、愛人の子の方が優遇される
人豚はやりすぎだと思うが、ビッチだとは思わん
確かにドス黒い面はあったと思うが、呂后は女性にして結構優秀な
政治手腕だったと思う。
苦労したから処世術に長けたのだろうか・・・
とにかく、項羽はやり方が乱暴過ぎた。
よく天命とか言うけど、これだけ滅茶苦茶やれば滅亡するだろ。
呂后の時代は民衆にとっては穏やかに暮らせたいい時代だったそうだよ。
宮中での権力争いに目が向いてただけで、呂后が何かしたわけではないけど。
>>41 煩雑な法律や手続きを改正して分かりやすくしたんじゃなかったっけ?>呂后
戚夫人もなー、宮中の権力争いで負けたら死は普通にありえることだから仕方がない
もし呂后が何もしてなかったら死んでたのは呂后とその息子だったかもしれないわけだし
>>42 でも人豚はかわいそうすぎる。首刎ねるだけにしとけば良いのに。塩漬けだか干物にされた彭越もかわいそう。
わざわざそれを息子の孝恵帝に見せるのが悪趣味だよな。
それを見た孝恵帝は叫び声を上げて「これは人間のすることではありません」って言ってトラウマになり、以後政治を放棄して早死にしたというし。
>>44 そんな母に自分を文字通り投げ捨てた父。よくまともに育ったなぁ。誰のおかげだろ?
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/23(木) 23:51:56 ID:YzAeAjXv0
家臣たちががんばったんじゃないか。
漢の初期って宦官はすでに沢山採用されてたのかな?
呂后も劉邦に嫁いだ当初は妻は自分一人だし、貧乏にも堪え忍んでいたわけだし、
その頃は普通に良妻賢母やってたんじゃ?
人豚なんて権力もってないとできないことだし、富や権力持つと人は変わるというしな
劉邦も統一後は変わったからな・・・・
韓信や英布、彭越と優秀な将軍がいれば、北方異民族にも負けない強い国に
なっていた気がする。
中央集権の弊害かも知れんし、韓信や彭越は弱味に付け込んで領土得た様な
もんだがね。
彼らに互いを監視させつつ、統治するくらい出来た気もするが。
張良も保身や謀略に長けてる割に、肝心の政治手腕は不得手だったのか?
さっさとトンズラしないで、国作りにも尽力して欲しかった。
やはり劉邦の性格を弁えたうえで范蠡の故事に倣ったのかね
>>48 そんな簡単にはいかないもんだよ。
だから粛清が起こる。
張良は太子問題で呂后に恩も売ったし、政界にいても粛清は免れそうだけどな
案外本気で仙人目指してたりして
しかし呂后の大きなお世話のせいで仙人になりそこなったw
さすがの張良もそこまでは読めなかったか。
実際晩年の劉邦に何が期待できるのかって所も…
トチ狂いの域じゃん
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/27(月) 21:00:19 ID:+hAELMNy0
項羽と劉邦読み始めました
それまで堅い文章ばかり読んでたんで面食らうけど、痛快です
長与善郎とはまた渋い
>>48 高祖と呂后がそいつらを始末したのは正しい判断だろ
>>56 確かに帝国維持の為には、反乱分子を未然に消した事になる。
だが、特に韓信は軍事能力は、後の北方民族の侵略などの際には
大きな損失だったと思い返せる気がする。
英布の反乱も韓信、彭越と続く粛清に怯えたからで、仮に英布が
それ以前に反乱していても、韓信存命なら鎮圧は容易だったはず。
結局、劉邦が出て寿命を縮める羽目になったわけで・・・・。
さらに言えば、韓信も格下げにしたのが反乱の芽に繋がった。
確かに反乱未遂の事実はあったが、それも劉邦の猜疑心によって
結果的に追い詰めた気がする。
たしかに、普通に叛乱おこしたのって藏荼だけなんよね
統一前に自分の主に対して「褒美くれないと兵出さないよ」って公然と駆け引きしちゃってるからな韓信
劉邦の警戒も当然だと思う
結局、呉楚七国の乱が起こってるわけで
王を身内に挿げ替えたのもあんまり効果なし
まあ、身内じゃなかったら呂后死亡後の文帝即位前後の辺りがヤバそうだが
>>60 実際に乱が起こるまで数十年かかったんだから、効果はあったということだよ
もし自分が劉邦だったら韓信は警戒するな。
命が危ないときに中々援軍出してくれなかったってのは、後々までしこりになる。
何かあるたびに「そういやあいつ、中々援軍出してくれなかったな」って思い出す。
反乱を起こすまでは行かなくても、いざという時に助けてくれなさそうな奴が
膨大な兵権持って地方にいるのは正直怖い。
韓信は「反乱起こすかも」よりも「いざという時に見殺しにされるかも」の心配がある
>>62 韓信は若いし、野心あっても不思議じゃないからな・・・・
やはり、斉攻略の時点で韓信は、劉邦旗下で生きるか天下を目指すかを
明確に決断しておくべきだった。
楚討伐後に劉邦を討つにしても、漢楚斉の三国鼎立にするにしても。
中途半端な態度の臣下を、疑うなと言う方が無理だろう。
統一国家の主となれば、尚更に警戒する。
多くの連中は群雄割拠を経験してる荒くれ揃いだし、
劉邦自身が地方の木っ端役人から成り上がってきたからな
第二の劉邦が現れる可能性と危機感は本人が一番感じてたろうね
韓信はともかく、ショウカやハンカイまで疑ったのはやりすぎだと思うけど
韓信は確かに優秀だけど信用の置けるタイプではないからな…
扱いには困るかもな。
でも劉邦の粛清は明らかにやりすぎでしょう。
いや、目の黒いうちに危ない奴は全部消しておくというのは、
権力者としては間違っていない。
問題は自分に非が無いようにどう粛清するかだね。
彭越みたいに呂后の告げ口から粛清された者も少なくないけど、
呂后がいなければ命を永らえた者もいたかな?
天下が安泰になれば(自分に逆らえる奴がいないという意味で)多少の信用失墜なんて
どうということもないだろう。
不安要素の多い部下に兵権持たしたままだと、信用如何に拘らず
攻められる可能性があるから問題だったわけで
>>70 ま、北宋のようにはいかないか。
あの政権は信頼… というか同情に近いもので、不安要素の部下を
封じ込めた、歴史上稀有すぎる例だから。
しかし、どんな理由でも粛清は、武臣を不安にさせるので、混乱と動揺は
長引くことが多い。
本当に危険なのか、単なる猜疑なのか、その辺が問題だと思うな。
権力者側の言い分を書くなら、もう一方、武臣の側の言い分も書いてみて
それで比較してみればおもしろいのではないかな。
まぁ韓信は前歴があるから、言い訳は難しいと思うけどね。
>>71 周勃は身に覚えは無いけど誅殺されるって恐れてたみたいだね。高祖の時代じゃないけど。
功十分でそれなりの権限を有し、軍事手腕も折り紙つき
それでいて疑惑・粛清の網に殆ど縁のなかった潅嬰って何気に凄い気がする
こういう余計な自己主張がほぼなくて有能な存在が一番なのかもしれん
垓下の時項羽追撃を任されたくらいだから漢軍最強部隊だったんだろうな>潅嬰の軍
>>71 韓信は危なかったかも知れんが、ショウカを投獄したあたりは完全に単なる猜疑だろうな
生き延びた蕭何の処世術は、半端じゃなかったんだろうなぁ。
しかし、楚漢戦争で一丸となった漢軍同士の宮廷闘争ってのは、一段と
ドロドロしてて嫌だね。
そりゃ、戦に明け暮れた無骨者じゃ泥沼の権力争いには向かないよ。
>>74 最強というか騎兵の部隊だから追撃を任されたんだよ
有名な項羽を引き裂いた5人もみんな騎兵
なんだかんだ言って、ハイ出身組はほとんど天寿を全うしてるんだよな
ロワンは匈奴まで逃げる羽目になったが
なまじ王になんてなったばかりに・・・
結局陳平が一番だね
粛清の話すると絶対そう言う奴が出てくるよな
陳平に才能があったのは、まぁ確かだろうけどね。
「自分は謀略に生きたからロクな死に方しない」とか言ってた辺り、
性格も悪そうには思えない。
しかし、陳平も韓信も項羽幕下にいたってのに・・・・
人材登用も戦略もダメで、平気で帝すら殺す強いだけの項羽が劉邦と
渡り合ったのは、ある意味すごいな。
「強さ」だけなんだが、そのレベルが違うんだろうなぁ。
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/09(日) 00:28:14 ID:fpclV5XOO
司馬遼太郎の項羽と劉邦を読んでいます。
今、項羽が虞を拾ったところまで読んだのですが本当に面白いですね!
後少しで読み終えてしまうかと思うと勿体ないと思ってしまいます…
みなさんの項羽や劉邦関連のおすすめの本を教えて頂けませんか?
小説なら長城のかげが好き
>>81 率いてた兵もメチャクチャ強かったんだろうねえ
だって確か最後は200人くらいで何万って敵に切り込んだんじゃなかったっけ?
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 20:42:04 ID:y+2gU2ld0
長城のかげを読みたくて
項羽と劉邦を読んだ
>>41 そのとおり。呂后は宮廷抗争を全国に波及させなかっただけ立派。
李氏朝鮮末期の皇后某は食い散らかすだけ食い散らかして後始末は知らん顔だったから
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/29(月) 08:10:47 ID:8NHw3fZY0
ギャオで「漢劉邦」やってる。
欲で人を釣るだけで後は使い捨てるじじぃ皇帝よりも
30代の若く力のある皇帝の方がいいわ
力は凄いがキレやすい若者だけどな。
>>87 項羽の部下、東城で追っ手を蹴散らした時点で残ってたのは26騎。
烏江までの間に更に減ってる可能性あるから最後は20騎くらいか。
追撃してきた漢軍は最初5千騎だったが東城で大損害蒙ってるし
途中で馬がついていけなくて脱落した奴もかなりいるだろうから
烏江で項羽と戦ったのは千〜2千騎くらいじゃないかと。
池◆◆◆田◆◆◆大◆◆◆作の本名はソ◆◆◆ン・テ◆◆チ◆◆◆ャク。
小◆◆泉◆◆純◆◆一◆◆郎、小◆◆沢◆◆◆一◆◆朗は朝◆◆◆◆鮮◆◆◆人。
9◆◆◆11では小◆◆◆型の水◆◆◆爆が使用されている。
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創◆◆◆価の◆◆保◆◆◆険金殺◆◆◆人事◆◆◆件。
オ◆◆◆ウ◆◆◆ム事◆◆◆件は、統◆◆◆◆一・創◆◆◆◆価.北◆◆◆朝◆◆鮮の共◆同犯行である。
C◆◆◆I◆◆Aが監◆◆修している。
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与◆◆◆◆党も野◆◆◆◆党もメ◆デ◆◆◆ィ◆◆アも全◆◆部朝◆◆◆鮮◆◆◆人だった。
http://jb■bs.li■vedo■or.jp/b■◆◆bs/read.c◆gi/ne◆◆◆ws/20■◆◆92/11◆◆57◆94◆■13◆◆06/
2◆◆チ◆◆◆ャ◆ン寝るは「■とう◆◆◆◆一■教■■会■」が 運◆◆◆営して「個◆◆◆人じ◆◆ョ◆う◆ホ◆◆う」を収集してる。
駅◆◆前で「■手◆◆◆◆◆相を見せてください」 と「カ◆ン◆ゆう」してるのが「■と◆う◆◆◆一◆◆■教■■会■」。(カ◆◆◆◆ルト宗■教)
ユ◆ダ◆ヤ権◆力の◆子◆分→2◆ち◆ゃ◆ん運◆◆◆◆営=「とう◆◆◆一◆教◆会」上層部=層◆化◆上◆層◆部=自■民党清■和会=野党の朝■鮮■人ハーフの政治家=
与党の朝◆鮮◆人ハーフの政治家=金◆正■■日(キ◆ム・ジ◆ョン◆◆◆イル )=読◆◆売サ◆ン◆ケ◆イ=小◆◆◆沢◆十◆朗。
毎◆日■■■新聞◆◆◆スレを荒◆◆◆らしてる◆奴◆◆らも「◆とう■■■一■教■■■会◆」。
荒らしは洗◆◆◆脳するために「ネ◆ト◆ウ◆◆◆ヨ」などのレ◆◆ッテ◆ル◆付◆けレ◆スを何◆千◆◆回もする。
現◆◆◆実には「ネ◆ト◆ウ◆◆◆ヨ」などは存◆◆在し◆◆ない。
http://c◆ha◆ng◆◆◆i.2ch.net/te◆◆st/r◆ea◆d.cg◆i/m◆◆s/12◆30◆36◆◆◆33◆8◆5/
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/06(火) 01:52:23 ID:d36PfnUt0
ギャオで密かに項羽と劉邦放送してるんだな
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/06(火) 06:49:28 ID:IV43FiGn0
「勘違いです、勘違いです、確かに私は在日朝鮮人で家族全員創価学会員ですけど
パトロール隊に入ったんだからもう創価学会は関係ありません」が合い言葉のw
創価学会員が通り魔から子供を守るパトロールだといって集団でうろついてるんですが
創価学会員がいつカマを持った通り魔に変身しないかとかえって怖いんですけどwww
なんでも通行人をつかまえての誹謗中傷行為や人権侵害行為も
生活安全課の創価警官の●お願い●でやってあげてるんだとか言ってますけどwwwww
熊本隆談www
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/12(月) 02:52:42 ID:pwtoVNgkO
>>90 それってあれか?
劉邦がピザオヤジで項羽は品性のかけらもない面で字幕が糞のやつ?
効果音が変な
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/12(月) 20:07:24 ID:aA1111qY0
項羽の統治って、どうだったんだろうか。
褒賞の不公平は置いといて、実際に民の生活レベルでの統治の実態も
悪かったのかな。
漢の民は随分と平和だったらしいが。
>>100 「兵の親兄弟に合わせる顔がない」って自害するような奴が民衆を大事にしないわけがない
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/12(月) 22:10:14 ID:pwtoVNgkO
>>99 ありがとう完璧思い出した
やっぱりそれか!
いつ死んでもおかしくない亜父とエンディング曲が印象的だなぁ
>>101 言い換えると、親友との商売で儲けを独り占めしたり
臣下にあるまじき奢侈な暮らしをしていたという
管仲のごとき小人は民衆を大事にするわけがないという事ですね
>>103 実際、管仲は民衆は大事にしとらんのだよ
彼がやった事は戸籍へ編入して税金絞る事だし
商人を誘致したってことは、それまでの商売人達はワリ食ったって事
国で塩を作って売るって事は民間の塩製造業者との競合になりこちらでも損をする人は出てくる
価格の安定は業界団体の保護よりは勝ると思うよ
>>105 安定?
市場原理優先すると価格は不安定になるんだが
あーすまん
穀物の話と混同してしまった
>>101 再起を願う臣下の声を無視して自分勝手に自殺する奴が民衆を大事にするわけがない
>>108 いや、再起して長い戦乱を招くよりも、自分が死んで平和になることを願ったんだよ。
立派な男だ。
しかし凄い男だな項羽は
いい大人の欲深いじじぃどもが、形振り構わずよってたかって倒そうとして
結局、奴らでは直接倒せなかったんだし
いや、倒されると確定したから自分で死んだんだろ
>>109 それ言っちゃうと、なんで最初から関中を劉邦に渡して劉邦に下らなかったのか、って話になっちゃうぞ
>>112 そのときはまだ、自分に天命があると信じて疑わなかったからでしょ。
あなたも、いずれ死ぬからといって、今死のうとは思わないでしょ?
つうかさ、項羽って死んだ時まだ30にも満たない若造だったんだぜ?
冷静に再起を狙おうとかまで考えてられるほど老獪じゃないんだよ
項羽にしてみれば、秦討伐の段取りを整えたのは自分の叔父なわけで、
劉邦は単なる客将。
しかも、自分は秦軍とガチで連戦しながら辿り着いたのに、劉邦は特に
戦らしい戦もせずに関中に着いている。
卑怯とは言わないが、このままだと劉邦が項羽を踏み台にして関中王に
なるような印象しかなかったんだろうな。
劉邦を関中王にしないなら、さっさと殺すべきだった。
その中途半端な対応と先見性のなさが項羽の敗因だろう。
「范増すらも使いこなせなかった」というけど、ホントその通り。
>>114 若造が天下とったのを欲深いおっさんどもは気に食わなかった
だからよってたかって殺した訳か。
でもそのおっさん連中もその頭に殆ど殺されたのは皮肉だな
どんだけ項羽好きなんだ
項羽には華があるからねぇ
>>115 項羽視点ではそうだろうな
でも、項羽は叔父が立てた楚懐王(義帝)の臣下だった
劉邦は客将ではなく項羽と同格の楚懐王の将の一人
更に、項羽は楚懐王が指名した司令である宋義を殺して軍権を奪っているし、
関中に入った者を王にするというこれまた楚懐王の約束も反故にし、
極めつけに義帝を自ら殺してしまっている
これはある意味では楚の復興を目指し懐王を立てた叔父の業績を否定するにも似た行為だ
項羽以外の将や各地の王から見ると、項羽は始皇帝に匹敵する不義と暴虐の人に見えたのかもしれない
項羽がフルボッコになるにもそれなりの理由がある
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/15(木) 07:52:26 ID:CbRsGXzI0
>>118 つーか、日本人は未完の英雄が好きだよね。
義経しかり、坂本龍馬(は、一応完成かな?)しかり。
劉邦が完膚なきまでに大敗した彭城の戦いの時、漢軍には三傑のうち張良と韓信の二人、あと陳平もいたはずだが、
彼らほどの人物がいても項羽の電撃的な作戦行動は、予測も対処のしようもなかったのかな。
あそこで失敗しなければ、もうちょっと早く戦乱は終わってた気がするんだけど。
そもそも三傑、覇王って持ち上げ過ぎな気もするけど
そりゃ項羽はばけもんだし三傑も有能だが俺らと同じ人間だよ
ミスはするさ
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 04:53:15 ID:jDzr8bSo0
>>121 韓信は大元帥を返上して後方待機、張良も彭城には行かなかったと思ったが。
項羽の奇襲が成功したのは、漢軍が烏合の衆で軍も統率されていなかったから。
まぁ、項羽が化け物みたいに強かったのもあるが。
劉邦が大軍に慢心した結果みたいなもんだから、そこは三傑でも仕方ないね。
韓信が元帥てジャイアントロボか
>>123 史記には、張良は漢王に従って東進し、楚を撃って彭城にいたったとあるし、
韓信が職を辞したという記述はないけど…。横山漫画の内容とごっちゃになってない?
二行目以下は全くその通りだと思うが、そういう状況だからこそ
項羽の人となりを知っている彼らには、手を拱いてないで何らかの手を打ってほしかった。
本拠地を落としたとはいえ、楚の本隊は健在なんだから。全体の統率が取れないのは仕方ないとしても、
張良なら楚軍の動向を探るとか、韓信なら漢軍本隊だけでも手綱を引き締めるとか警戒に当たらせるとかできなかったのかな。
まあでも確かに俺は
>>122氏の言うように彼らを買い被り過ぎてる面はあるかもしれない。
彼らにしても単に見通しが甘かっただけなのかもしれないし。
あんな大軍で大負けしたくせに意地汚く逃げて生き残ったのかよ劉邦の奴
兵士が一杯死んでんのによ!
俺はこんな大将なんか項羽より許せんけど!
積極的に虐殺をした項羽よりマシ
>>120 上杉謙信、武田信玄、織田信長、小泉純一郎、・・・
日本の戦国武将って春秋秦漢の武将のこと知ってたのかな
信長「ワシは項羽萌え」
秀吉「さようでございますか。サルめは劉邦のファンにございます」
とか
>>128 秦漢はどうか知らんが、南北朝期や唐とかなら知ってたようだ。
あと三国時代か?
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/22(木) 17:39:11 ID:uMDC25X40
項羽>>英布>王陵>ハンカイ=灌嬰
一騎打ちだとこんな感じ
ゲーム脳ってのは怖いな
>>130は最近流行のコピペ
>>128>>129 姉川の戦いで信長が家康に出した感状に「十高祖、百張良にも勝る武勇」とかいう文句が出てくる
『東照宮御実記』や『武徳大成記』に載ってる
『信長記』でも信長が桶狭間を進軍する様子は「十高祖、百張良が怒を発せし勢も
是にいかで勝るべき」とよく分らんが凄そうな描写がされてる
信長のセリフじゃないが十高祖百張良は当時の常套句だったんだろう
天保年間に書かれた(らしい)文献だが『三河後風土記正説大全』には
清洲同盟のときに家康の従者の植村家存が警備をハネつけて
信長から「鴻門の樊噲の如し」と賞賛された事が書いてある
こういう例をみると戦国期や江戸初期に楚漢の話が一通り知られていて
武将たちも話のネタにしていたとは言えるよね
そもそも『史記』から『晋書』までの歴代正史は奈良時代には日本に来てたし
『平家物語』にも朝敵の例えで趙高だ王莽だ安禄山だとか出てきたり
『将門記』でも平将門が耶律阿保機にならって挙兵したというし
『太平記』にも春秋戦国秦漢の話が流れぶった切って長文で挿入されたりする
伊達政宗の独眼竜も李克用にちなんだらしいし
むかしの日本人はけっこう中国史に造詣が深かったと思うよ
ただ三国ネタは案外少ないようで、『太平記』で五丈原が出てきたり
『豊鑑』で竹中半兵衛の孔明が出てくるぐらい
信長が本多忠勝を張飛の如しとたたえたとか
よく言われる割には戦国無双のデモ画面以外に元ネタがわからんのよ
あ〜「樊噲の如し」ってのはもっと古い文献にさかのぼれるかも知れんわ
>>竹中半兵衛の孔明が出てくるぐらい
>>信長が本多忠勝を張飛の如しとたたえたとか
これだけでも十分な気もするが。
『常山記談』だったかには、上杉謙信を南朝梁の韋叡になぞらえてるのもあった
…という話を聞いた記憶が。
中国の古典ってあまり流通してなくて寺とか武家とかじゃないと読む機会なかったらしいね
136 :
元 ◆0xx883A8LE :2009/01/25(日) 03:11:58 ID:5R31hj3SO
ちょっとかじっただけだけど
韓信でバランスが崩れて
劉邦が勝った感じ。
統一したら恐れられて殺された・・・
韓信の政治力の無さは致命的。
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/25(日) 09:19:04 ID:1SMT/FVL0
ギャオの無料動画の「劉邦と項羽」を先週見終わりました。
皆さんは見てましたか?
呂后役の女優さん、美人だったけど、
人豚事件を想像すると同情できないです。
>>132 高祖が武勇のたとえになるということはキャラ萌えしていたかにはむしろ疑問符をつけるが
少なくとも知識の射程に入ってはいたと ご教示ありがとー by128
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/26(月) 00:01:51 ID:2SF3LouK0
>>137 人豚は確かにむごいけど、戚夫人だって正妻でもないくせに
自分の息子を太子にしようとしたんだから殺されて当然だろう
呂后だって自分の子が廃嫡されれば後ろ盾を失って
逆に殺される可能性だってあったんだし
庶民の頃に結婚して自分はいやな兄嫁とともに家にいて夫ははいの町にいきっぱなし。
そのうち夫は盗賊となりどこへ行ったかもわからない。
夫ははい公となり漢王になるが項羽に大敗北し、呂后は混乱の中項羽に捕らえられてしまう。
数年のあいだ捕らわれの身でいるうちに、夫は違う女をはべらせていた。
戦乱が終わったあと夫にはめったに会うこともままならず、自分は年を取っていき夫は若い女にべったり。
そのうち戚夫人の子を太子にするという噂が聞こえてくる。
呂后は若い頃からずーっと苦労続きで、しかも報われないままで、ノイローゼのようになっていたと思う。
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/26(月) 21:02:36 ID:LFWpTxM10
>呂后は若い頃からずーっと苦労続きで、
しかも報われないままで、ノイローゼのようになっていたと思う。
最近死んだ俺の母親の事かと思った。
人豚なんて創作だろ。そんな状態で生きていられるわけがない
「そこまでされて生きていた」とは史書の中に書いてないんじゃないかな
死んだとも書いてないけど
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/27(火) 10:30:33 ID:6n/bhh0Z0
呂后の妹(犬殺し夫人)が哀れだね。
「姉ちゃんのせいで」と叫びながら、死んでいったと思う。
>>125 彭城の戦いの時韓信がどこにいたかは史記にはまったく記述がないけど
あの時点では章邯はまだ生きて廃丘に篭城中で
彭城戦後に“水攻め”で落城してから自殺したわけだから
韓信が攻城側にいて彭城戦に参加してない可能性は考えられると思うな
大軍を彭城に動員するから関中は手薄になるし
そうなったら章邯ほどの将を韓信以外に任せるのも危険だし
小説や漫画とかだと章邯は彭城戦の前にあっさり死なせるパターンは多いけど
実際は結構粘ってるんだよな
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/01(日) 20:16:39 ID:w1fMylCW0
項羽、韓信、張良ってすげーな。
劉邦は人間のクズだな。
>>121 張良・陳平はあくまで謀臣であって戦術は得意ジャンルとはいえないし
あんな風に直接軍事力を行使される場面では無力だろうな
実際その後も劉邦の傍にいたけど直接戦闘では項羽に負け続けたわけだし
韓信に関しては
>>145でも言ってるように彭城に居合わせたか不明
淮陰侯列伝ではなぜかこの時期(別働隊率いて北伐に乗り出すまで)の韓信の動向を一切伝えてないし
他の人の伝によれば韓信が指揮を取ったはずの京・索間の戦いすら本人の伝には記載なし
学研の歴史群像シリーズに彭城の戦いの時の漢軍の陣容が結構具体的に載っていた
それによると
北路軍 曹参・樊カイ・周勃・酈商 陳余(別働隊)
中路軍 劉邦・張良(軍師)・陳平(参乗)・夏侯嬰・盧綰・司馬欣・董翳・司馬卬・張耳
申陽・魏豹・韓王信 彭越(別働隊)
南路軍 王及・王陵
とこの中には韓信の名前はない(韓王信の方はあるけど)
出典資料は分からんが、これが正しいなら参加してないと考えて良さそうだな
向こうの維基百科(笑)だと韓信を廃丘攻めに残して
その他で彭城攻めを行ったとある
何か史料があるのだろうか
廃丘の水攻めが後の濰水の戦いの戦術の習作となったと考えた方が
話としては面白いかもな
>>147 京・索間の戦いは本人の伝に記述がある
垓下の方は淮陰侯列伝ではほとんどスルーで
何もしてない高祖の本紀に詳細が載ってるけど
>>151 何もしてないといっても劉邦が陣に臨んでたんだから、垓下は劉邦中心に記録されて当然じゃないかな
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/15(水) 23:04:52 ID:1WfAemst0
>>128 >日本の戦国武将って春秋秦漢の武将のこと知ってたのかな
厳密に戦国武将じゃないかも知れないけど徳川秀忠は
黒田如水(官兵衛)のことを「今世の張良なるべし」と言ったらしいね
(名将言行録に載ってるんだったっけか?)
>>148 その本もう絶版なんだよな
5000円ぐらい出してなんとかそろえたぜ
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/16(木) 17:58:26 ID:bpeEcB0Y0
大漢風、観終わったわ、趙高に鬚があるのと、
胡亥が三村にそっくりだったのが気になったわ
つドラマ板
>>155 三村って、さまぁ〜ずの三村?
「次の皇帝俺かよ!」とか言いそうだな。
>>155 三村っていうかあのボンクラ皇帝、アゴないよなwww
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/05(火) 10:54:08 ID:WXcHV8geO
とりあえずなんだまとめてみると
彭城での大敗の時、韓信は廃丘で戦ってたと。
それから北伐でOK?
従軍してたけど大敗、まともにやっちゃ勝てない…手駒の中では一番使える武将を別動隊長として北伐させよう、そこではじめて白羽の矢がたったのが韓信ではないんだな
そこら辺はあくまで可能性もあるという程度で、もちろん同行した可能性もある
件の学研歴史群像シリーズの主要合戦図では彭城の戦いのとき
韓信が廃丘攻めしていたとあるけど根拠となる史料があるかは不明
なにしろ「史記・淮陰侯列伝」では
八月,漢王舉兵東出陳倉,定三秦。漢二年,出關,收魏、河南,韓、殷王皆降。合齊、趙共擊楚。
四月,至彭城,漢兵敗散而還。信復收兵與漢王會滎陽,復擊破楚京、索之閨C以故楚兵卒不能西。
(大意)
漢王は八月に挙兵すると東進を開始し陳倉に出て三秦を平定した。漢の二年に関中を出て魏・河南を手中に収め
韓王・殷王を降伏させた。斉・趙と連合し楚を攻撃した。四月に彭城に進撃した漢軍は大敗し散り散りになり帰ってきた。
韓信はまた兵を集めると漢王と滎陽で合流し滎陽の南の京と索の間で楚軍を撃破した。
このため楚軍は滎陽を越え西に進むことはできなかった。
とこれだけ
廃丘陥落は高祖本紀に載っているが主語が漢王もしくは漢軍で誰が指揮を執っていたとも書いていない
韓信が関中に残っていたなら他にやることもないので、廃丘攻めしてたと考えるのが自然かもしれんが
単に“水攻め”から韓信を連想しただけの憶測かもしれない
かといって三秦平定から彭城戦までは多分ずっと主語が漢王のままで
(斉・趙との連合などの外交分野は明らかに大将軍の権限を越えていて韓信が主語とは思えない)
「“從”東擊楚。至彭城,(張良)」「“從”擊項籍。至彭城(夏侯嬰 )」「遂“從”擊楚於彭城(魏豹)」
「以中尉“從”漢王出臨晉關。至河內,下脩武,渡圍津,東擊龍且、項他定陶,破之。東取碭、蕭、彭城(曹参)」
などのように漢王に“従い”彭城まで行ったという記述があるわけでもなく(曹参はいったん別ルート取ってるみたいだが)
劉邦に同行していたともまた断言できない
ちなみにこの京・索の間の戦いに関してはここでは楚軍としか書いてないが
他の記述も見ると項羽が直接出張ってきて韓信に敗れたっぽい
だから韓信に限れば漢軍がどん底にあった当時の状況にあっても、項羽相手にまともに勝てないと言うわけではなかったが
(実際項羽もこの後しばらくおとなしくなり、滎陽に再び攻勢をかけたのは韓信が北伐に出て趙を攻略した辺り)
彭城の大敗で諸侯がすべて楚につき漢が孤立状態になったため
中央戦線が戦術的に苦しくなるリスクは覚悟の上で、韓信を北伐に出して戦略的苦境の打開を図ったんだと思う。
>他の記述も見るとここで項羽が直接出張ってきて韓信に敗れたっぽい
これについては
楚起於彭城,常乘勝逐北,與漢戰滎陽南京、索閨C漢敗楚,楚以故不能過滎陽而西。
項王之救彭城,追漢王至滎陽,田亦得收齊,立田榮子廣為齊王。(史記・項羽本紀)
(大意)
楚は彭城を起点に常に勝ちに乗じて逃げる敵を追い、再結集した漢軍と滎陽の南の京と索の間で戦った。
今度は漢が楚を破った。このため楚は滎陽を越えて西には進めなかった。
“項王が彭城を救うと漢王を追って滎陽まで進んだため”田横もまた斉を手中に収め、田栄の子の広を斉王に立てた
楚人起彭城,轉鬥逐北,至於滎陽,乘利席卷,威震天下。然兵困於京、索之閨C
迫西山而不能進者,三年於此矣。漢王將數十萬之眾,距鞏、雒,阻山河之險,
一日數戰,無尺寸之功,折北不救,敗滎陽,傷成皋,遂走宛,葉之閨C此所謂智勇俱困者也。
(史記・淮陰侯列伝)
(大意)
“項羽は彭城を起点に転戦して逃げる敵を追って滎陽に迫り、勝ちに乗じて席巻しその勢威は天下を震撼させました
しかし京・索間の戦で苦しめられ、”また西の山に阻まれ進むことができず三年がたちました。
漢王は数十万の兵を率い鞏・雒で防戦に努めましたが、山河の険を頼りに一日に数戦してもわずかの戦果もなく
挫折・敗北を繰り返し救いようがありません。滎陽で敗れ成皋で傷つき、ついには宛・葉に逃走しました。
これぞいわゆる智者(劉邦)・勇者(項羽) ともに苦しむというところです。
下の方は蒯通の台詞
原文では“楚人”だが史記のなかでは項羽個人のことを“楚人”とか表現することもある
(「楚人は沐猴にして冠するのみ」「義帝を殺せし楚の者を撃たん」等)
漢王個人と対比して語ってる文脈や、「智者・勇者」という表現からも
ここでは項羽個人のことを言ってると考えて間違いないと思う
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/11(月) 21:43:56 ID:gUjtlfS50
漢統一後の韓信の生き様を漫画にしてほしい。
165 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/13(水) 19:24:22 ID:Hi8wGi0j0
項羽と劉邦ってなんだYo
っていうか、後漢のはなしかかYo
>>164そんなマイナーな奴らが本ましては、マンガになるわけねぇよ横山光輝も困っているZe
って言うか貴様がかけYo
っていうか韓信ってなにもんYo
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/14(木) 09:01:42 ID:kSDxm3TYO
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/15(金) 07:37:35 ID:y6TdKbkF0
>165
韓信を知らないって、三国志で孔明を知らないと一緒。
この板に参加する前に勉強したら。
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/15(金) 08:10:27 ID:y6TdKbkF0
例えば、韓信が小国の王となっていれば政権を握ることはできたのだろうか?
彼は自分は完璧みたいな自己表現しているみたいだけど、性格に大きな欠点があると思う。
もし彼が優秀であれば、早々に大元帥だった事を捨てて国策に走るか、漢を捨てて匈奴に身売りするべきではなかったのか?
当時、漢国平定後、匈奴に平城で大敗していることを考えると、韓信の政権奪取も考えられた。
大元帥って…
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/15(金) 11:47:50 ID:7c++gseT0
横山ではそのとおり
ところで左丞相となったら
ショウ何は右丞相になんのかな?
漢の大将軍で充分だったと思うんだが、王侯なんて面倒なだけだろ。
後、不思議だったのは処刑された時に、身よりがいないはずの韓信に三族がいたことか。
>>171 妻子とその一族じゃね?
王ともなれば結婚ぐらいするだろ。
>>170 どうも、漢初の諸将は漢の丞相とは別に丞相や相国になってる
地位だけで権力のない仮のものか、あるいはどこかの諸侯の丞相なのだろう
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/17(日) 10:33:55 ID:fcvWem2A0
今の会社でも、有資格者が不在で、片っ端から声かけて来てもらったまではいいけれど、
会社の風向きが変わったら邪魔者扱い。
韓信の気持ちもわかる。
公共工事がなくなったら道路工事等の資格なんて飾りだもんね。
逆に、コンビニで薬の販売が解禁になればその方面の有資格者の株が上がる。
まあ、先見の目が必要だね。
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/17(日) 11:26:10 ID:fcvWem2A0
>>165そんなのって、庶民(韓信)と小沢(孔明)くらいの知名度じゃNe?
孔明は三国志知らなくても知っている人もいるし。
だが、韓信は項羽と劉邦しらねぇとわかんねぇんだRo
だから、そんなマイナーな奴知らなくてもいいんだYo
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/17(日) 13:11:54 ID:2WOGKAomO
楚漢戦争の話を知らなくても軍事本にはまず出てくる>韓信
逆に三国時代はまずほとんど出てこない。
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/17(日) 13:34:06 ID:L93DsRco0
三傑
項羽と劉邦も子孫は置いといて、当人同士で見ると統治に大差ないように見えるけどな。
どっちも反乱起こされて鎮圧に明け暮れてる。
むしろ、王朝初期に反乱頻発しなかった例を聞きたいが
>>178 論功行賞直後に各地で反乱が同時多発して結局収め切れなかったのと、一人ずつしか反乱起こさずに全て鎮圧しているのとでは大きく違うよ
181 :
背水の陣:2009/05/20(水) 23:43:16 ID:Q8G8s+2yO
韓信は背水の陣で1万の自軍で20万の敵軍をやぶった戦術の天才、正攻法と奇攻を組み合わせて少兵力自軍を死地に置き兵に死力をださせ敵の背後に伏兵をおき敵の空陣地の挙を突き、占領し包囲したと思わせ、自壊させた。
井陘のときは数万だったと思う(先陣が一万だから全軍で三万程度?)
両軍とも「号して」と言われてたから水増しだろうけど
>>166 1蕭何 2曹参 3張敖 4周勃 5樊噲 6酈商 7奚涓 8夏侯嬰 9灌嬰 10傅寛
11靳歙 12王陵 13陳武 14王汲 15薛歐 16周昌 17丁復 18蟲達
以上十八侯
将相名臣年表見ると盧綰が漢の二年(つまり楚漢戦争二年目)の段階で大尉になっているけど
大尉と大将軍ってどっちが上だっけ?
>>182 大将軍。当時の大尉にはこれと言った権限がない。
>>182 これ功績順?
周勃高すぎね? 樊噲より上とか
>>184 これはそもそも朝廷での席次らしい
120番目まで決まってる
功績だけでも領地の多さだけでもなく、おそらく功績、高祖の信頼や縁戚、年齢やもともとの地位など、さまざまな要素を加味して決まってるんだと思われる
逆に樊噲の方が本来の功績に比して高すぎるのかもしれないよ
呂后の親族補正がかかってるのではないかと
張敖って趙王を廃された後でも席次3位か。
魯元公主の婿だったおかげだろうな。
謀反の疑いかけられた時、あの呂后が「魯元の夫が謀反を起こすはずがありません」
って弁護してたのが何か笑えた。
9、10、11番目は渋い軍司令官が続いてるわな
誰かいないと思ったら陳平か
漢の要職(相国・丞相・大尉)の人事について劉邦の遺言で指名された
面々は陳平以外みんな上の十八侯の中に入ってるのに
高祖の信頼厚い重鎮ではあってもそれほど席次は高くないということか
件の位次では、陳平は47番、張良は62番
良平の2人は上位に並ぶのを意図的に避けたんだろうな。
既出
194 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/14(日) 02:41:57 ID:eDI/WmZd0
本屋で項羽と劉邦っていうタイトルの文庫本を見かけたんだが誰か詳細知らない?
絵はかなりリアルで李〜何とかって人が書いてるやつ
1990年の西楚覇王の項羽像が好きだ
映画自体はけっこう良い出来だが、評判はイマイチなのが残念
196 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/30(火) 02:56:42 ID:NY8a5GGk0
>>194 李志清の「項羽と劉邦・運命の出会い」だな。
寺島優原作なので、それなりに期待しても良いかと。
「雷火」の原作者ね。
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/30(火) 12:39:15 ID:9GR8mOEn0
おお、ありがとう
金に余裕ができたら買ってみる
198 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/30(火) 23:23:39 ID:AFizaiq80
石ノ森章太郎も楚漢戦争の漫画描いてたね
項羽中心に、虞姫との悲恋を題材にしてる感じだった
横山版の項羽よりもオッサン臭かったな
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/02(木) 00:01:24 ID:hlOLUeCL0
赤龍王の鴻門の会の場面が大好きれす。
樊噲の「いつでも死んでやるわァッ!ガタガタ騒ぐなァッ!!!」
に濡れる。
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/03(金) 03:56:41 ID:l2LSZp+Z0
赤龍王はストーリー滅茶苦茶だったけど、キャラクターは良かったな。
天地を喰らうに比べれば、遥かにまともな展開だったがw
赤竜王のキャラは外見も性格も悪くなかった
張良が若すぎるとか劉邦がいい人っぽいとか色々あるけど、
ほぼイメージどおり
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/05(日) 00:23:01 ID:lQ+HjHAJ0
赤竜王か・・・懐かしいな。
まさか韓信が自分の剣の腕が項羽と互角とかいう戯言をほざくとは思わなかったぜ
「これが項羽かぁぁぁぁ!!!」
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/05(日) 11:59:03 ID:T+3jCcWy0
項羽って、現代で言うと、室伏という感じでしょうか。190弱?
時代は違いますが、呂布が2m位あったって本当?
本当ですといったら即信じるの?
ソース(古文書とか)があれば信じてもいいかもな。
204は頭悪そう。
そりゃどうもw
ソースと言ってもピンからキリまであるわけで、
この件に限らずソースがあれば無条件で信じるというのはどうかと。
書かれた時代、背景、目的、著者など吟味すべき点はいくらでもあるわけで、
史学の世界でも一次資料とか二次資料とかいう言葉があるし、
資料の信頼性の吟味と、複数の資料によるクロスチェックは常識。
例えば、三国志演義だって明代に書かれた二次資料だからソース(古文書)だと言い張れるし、
後世の歴史家にとっては現代の同人作品ですら古文書といえば古文書。
項羽って184じゃなかったっけ
まあ、あれだけ戦って最後の最後まで連戦連勝なのだから
ものすごい怪力かつ運動神経の持ち主であることは間違いないよね?
強いのは判るが怪力ってのはどっから出てくるんだ?
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/06(月) 04:10:35 ID:3Y/VyXGc0
鼎を持ち上げるくらいだから怪力に決まってる
それにしても、持ち上げることはおろか、倒すのも起こすのもできなかった鼎
いったい誰がどうやって、造り置いたんだろうね。
その場で組み立てて溶接したのでは?
>>213 道具使って運ぶとか、数人がかりで運ぶとか、いくらでも方法あるだろ。
個人の仕事なわけないしw
結局、項羽を殺せるのは項羽だけって感じだったな。
でも、あそこで「天が拒んだ」みたいな事言って勝手に死ぬ辺り、所詮は
ワガママ太郎だったんだと思うよ。
この時代、実は項羽よりも韓王信の方が長身
>>217 項羽の八尺余(184cm以上)に対し、韓王信は八尺五寸(195cm以上)
>>220 そらぁ韓信は韓信だが、何が言いたいの?
韓信と韓王信は別人だから書き分ける事になってる訳だが。
お互い分かってるならそれ位どうでもよくね?
司馬遷は韓王の方を韓信列伝って表記してるしどっちも有りでいいじゃん
韓信は、韓の王だったのか
>>224 劉邦が項羽の十八王分封の後に河南に進出した際に、項羽が封じていた
韓王・鄭昌を駆逐して韓王に封じられる
項羽打倒後に、韓王から太原王に遷される
同姓同名ってめんどくさいよね
せめて字が伝わってるならまだ分かりやすいんだけど
韓王信の姓は姫じゃなかったっけ。つまり姫信。
>>227 韓王家の姓はもとは姫だが、
先祖が韓の地に封じられたのを機に
韓氏に改姓してる。。
>>227 違うよ
韓に改姓した韓の王族なんだから韓信でいいんだよ
田斉も陳斉とは呼ばないからな
楚漢のころにはもう既に姓と氏の区別がごっちゃになってるしね
東国原に陳勝の影を見た
ブーム的な人気に調子乗って王になろうとして総バッシング・・・みたいな
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/15(水) 17:00:07 ID:cBRWmo1L0
じゃあ麻生は始皇帝か
235 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/16(木) 00:13:14 ID:paC2RQI20
ピッタリすぎでフイタw
むしろ後漢の霊帝じゃないのか
悪法とか側近が糞とか一般の評価が低いけどやることはきっちりやってるところとか
>>236 霊帝が何氏を皇后にしておいて劉協を後継者にしたいと言い出すちぐはぐな奴だというあたりも、似てるかもしれないな
238 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/22(水) 04:08:19 ID:/NfpNzp40
項羽の強さって、何だったんだろうね。
やっぱり、単騎の強さで軍を引っ張って行く様な感じだったのか。
兵法を知ってたとして、戦闘に特化していたのは事実かな。
孫子の兵法なんかだと、項羽の戦法は最悪だろう。
239 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/22(水) 12:12:25 ID:oU970Jv90
項羽は戦術の天才だけど、戦略は駄目みたいだね
孫子の兵法だと駄目武将だろうなw
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/22(水) 12:47:39 ID:sgs29PYE0
>>239 城攻め繰り返して、敵兵皆殺しだからねw
項羽の時代は、孫子呉子の兵法書はあったと思うが、項羽の学んだ
ものが気になる・・・・
戦国策や春秋左氏伝なんかだと「兵書では云々」なんて記述が出てくるし、
そういう史料の成立時代をつっこんでしまえばしょうがないだけど、
それでも古代でも今は無名の兵書や軍法は存在していたんだろう
項羽は兵法を項梁から学んだが、あらましだけで十分として詳細には学ばなかった。
>>789 ケ小平が述べた改革開放後の中国外交基本方針『二十四文字指示』
「冷静に観察し、足元を固め、落ち着いて対処し、能力を隠し、ぼろを出さず、決して先頭に立ってはならない。」
この指示は、経済成長で自信をつけた党内保守左派の景気のよいかけ声を戒めることとなった。
244 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/23(木) 01:03:29 ID:61dF1QJc0
>>238 そりゃ自分が最戦線で暴れていれば勝つんだから過去の兵法など不要のものだったんだと思うよ
もう少し弱ければ戦略などにも目がいったかもね
245 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/23(木) 02:48:28 ID:qPdLzT7K0
しかし項羽の反逆者は皆殺し的なやりかたは今の中国共産党とも通じるな
天安門に始まり、最近のチベットやウイグルしかり
246 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/23(木) 06:52:14 ID:n2fHK7Lg0
共産党のクソっぷりは、ただの支配の為の虐殺である所だな。
項羽の場合、秦に対する恨みや感情的な根拠が大きかった。
こっちの方がタチ悪いかも知れんが。
項羽とシュートの田中って似てるよね
天性のゴールゲッター
武将を探すんじゃなくて、武将がそこにいる。後は刈るだけ
パス来ない時策や味方がトリプルヒールすかした時謀だって何故か良い位置にいてズドン槍
もしくはファントムドリブル馬で速攻
そりゃ敵も味方になるわ日本代表
あ、バス来たから続き誰か考えてみてくれ
>>246 確かに項羽どころじゃなく狡猾だな共産党は
まあ思うに項羽は自身の勧善懲悪の振り幅が激し過ぎたんだな
項羽も項りょうがもう少し長く生きてれば、
また違ってたんだろうな
250 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/14(金) 16:07:55 ID:M45KpBwb0
251 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/15(土) 18:34:07 ID:CDz4Ebho0
しかし、起源前だというのに規模がすごすぎるんだが。
10万とか20万とかの大軍が一気に捕虜になったりとか・・
10万単位の捕虜ってww2でようやく出てくるような規模なのに。
あまつさえそれを気前よく皆殺しにするとか
スケールでかすぎだろう。
そもそも可能なのか。そんな大勢を一気に殺すことは。
ヒント:中国、捏造
うん十万全部が戦闘員じゃないだろうと言うことを考慮しても多すぎだよね
たしかあっちでは戦果を数倍〜十倍にして報告する慣習があるそうな
非武装の捕虜を皆殺そうと思えばできるかも知れんが、うーん……
254 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/16(日) 19:16:46 ID:L1HE5wGj0
春秋時代以前もそうだが、軍隊の動員規模がすごい。
10万20万は当たり前。
また、死亡率も凄い。
10万20万が一夜に死亡するのも当たり前。
でも数年後には元気にまた数十万規模の
兵を動員。
中国は兵力にあふれているのか。
嘘だとしたら実際はどうなのか。
というか何が本当なのか。
ここらへんの研究はあまり進んでないのかね。
255 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/16(日) 22:28:03 ID:M9l8hKlK0
>>254 今現在の歴史書以上に信頼性の高い書が発見されでもしない限り、
まず兵の数を立証する事は不可能じゃないか?
遺骨を発掘して、数えるってのも現実的じゃない気がするし。
春秋戦国は、捏造史書というよりは神話か伝説。
時代がくだれば、もうちょっと実数に近くなってくるよ。
>>246 秦兵を養えないって問題もなかったっけ?
>>257 そう。食わせるに十分な食料が無いのが一番の理由。
なんかの本で当時の中国の人口が2000万人とかって聞いた。
それからしたら、数十万単位の戦死者はありえんと思うのだが。
>>259 その表記に慣れると、今度数万規模の会戦が、えらい小規模にみえて困る。
まあスレチだし燃料投下する気は毛頭無いんですが、
こうなると南京大虐殺とか、それで何万人殺されたか
って言われてもね…
誇張がお好きな国民性というか民族性らしいし…
>>262 いや、数万ってのは日本側の見解で、しかも公的なものですので。
スレチもあるけど、一般常識も…… いや、いいけど。
…… いや、いいけど。
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/23(日) 17:16:57 ID:xDhxuFpWO
スレ違いだったらゴメンね。
ドラマの大漢風みたんだけど、あれに漢字が出来る前のちょっと変形した文字あるよね? 限りなく漢字に近いあれ。
あの文字のことはなんて言うの?
ずっと始皇帝が漢字作ったと思ってたけど、死語も変形文字使ってたけど、漢字っていつくらいから統一されたのかな?
>>265 篆書のことか?それとも隷書か?いずれも漢字の範疇だ。
統一したのは始皇帝の頃だが、それは篆書だ。楷書が出来るのは王羲之の頃。
あとはググレ!
ちなみに、王羲之の文字は後の科挙試験の手本とされた名筆。
どっかの皇帝が墓に持って行ったりして、実際の書は未発見だっけか?
始皇帝のおかげで、貨幣は統一されたんだったか・・・・・
貨幣はそのあともいろいろ変転しているけどね。
有名なところでは、五代十国のとき。
燕では粘土銭(笑)、後蜀の鉄銭は、後蜀だけの流通で
後、北宋に併呑されたあとでも、その流通量が無視できず
四川だけは通貨が違った。
ちなみに、後周世宗の銅銭は、仏像仏具を鋳潰して作られたので
後日、人々はお守りとして大事にしたとかなんとか……
>>267 >実際の書は未発見だっけか?
そうらしいね。乾隆帝が手に入れて、喜びのあまり保管と鑑賞のために専用の建物(三希堂)を造ったと
いうから真筆かと思ったら古い時代の精巧なコピーだそうだ。
270 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/21(月) 23:36:01 ID:FBhCbJtM0
始皇帝は轍の幅も統一していますよ。
271 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/21(月) 23:38:26 ID:FBhCbJtM0
王羲之の真筆は確認されていません。
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/22(火) 13:30:46 ID:Y9c0pCSpO
今の漢字になる前に使ってた漢字って言えばいいのかな?
実印とかの字に似てるやつ。
てか王〇えとか〇書とか隷書とか無学だから読めないわ。
出直してくる…
>>272 >今の漢字になる前に使ってた漢字って言えばいいのかな?
始皇帝が統一したものは「篆書」(てんしょ)。ハンコによく使われるのも同じ。
漢の時代に使ってたのは「隷書」(れいしょ)。それを崩したのが「行書」と「草書」。
一般的に漢字といって思い描くと思われる「楷書」は一番最後に「隷書」から発展したらしい。
王羲之(おうぎし)は三国志で有名な司馬仲達の孫(司馬炎)が建国した晋の頃の人。
書聖と呼ばれる。王羲之の真筆(肉筆)は唐の太宗(李世民)が墓の中まで持っていっ
たので現存しない。
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/23(水) 07:40:20 ID:IWFEqTmQ0
>>273 じゃあ李世民の墓(昭陵だっけ?)を発掘したら出てくる可能性はあるな。
墓室が密閉状態だったら内部は酸欠状態なんで、有機物でも意外と長期保存
されてたりする。
275 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/25(金) 20:09:24 ID:pdNxPglh0
王羲之は、「書中の龍」って呼ばれてたんだっけな。
そういえば、楚漢戦争の時期に異名で呼ばれた人物って、少ない気がする。
韓信が国士無双と呼ばれた程度か?
西楚の覇王ってのは、異名というより称号だよな・・・・・
三国時代の場合、小覇王だの人中の呂布だの乱世の姦雄だの色々とあるのに。
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/26(土) 08:09:23 ID:gyvB+GBeO
>>274 そりがどっこい、一般には昭陵は未盗掘と言われてるが実は既に盗掘を受けている。
そして紙だと幾ら密閉空間でも長期間の保存には耐えられない。最大の劣化原因の湿気を防げないから。
紙の最良の保存法は適当な湿度(乾燥しすぎだとパリパリになり崩壊)と定期的な曝涼だとされる。
乾燥地域の陝西省と言えども地中の湿気は存在する。例を挙げれば韓愈が非難した事で知られる仏指舎利を収める法門寺を発掘した際
地中に収められていた供物の中には大量の絹の衣服が有ったが悉く劣化していたという。
正倉院はそういう湿度で劣化しやすい物の保存に最適なんだっけ
あの建築技術はどこから伝来したのかな
それとも日本が自力で開発したもの?
278 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/27(火) 12:20:51 ID:H0kVzSca0
来年の3月に宝塚歌劇で「虞美人」というミュージカルをやることが決定。
原作は司馬じゃなく長与善郎の戯曲「項羽と劉邦」。
だいぶ昔に上演して大ヒットした作品だそうだけれど、今回新しく作り直すそうだ。
280 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/18(水) 09:43:25 ID:72f3P44W0
>>278 タイトルは虞美人だけどヅカは男役中心だから
項羽と劉邦のウエイトは変わらないと思う。
この時代の兵書って、まだオカルトな成分が多いの?
>>281 「孫子」を読んで考えてみよう!(ビジネス書はやめとけ。)
「勝てない戦はするな!」「やるなら勝てるだけの算段をつけてから。」って云うんだからオカルトではないと思う。
この時代以前のオカルトな兵書ってーと、なんですかい?
まさか281は三国志演義をイメージしてるのか?
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 19:22:16 ID:tAAPBebP0
「韓信」が斉で独立していたら歴史は一変した?
恋姫キャラでやってくんないかなぁ
>>286 韓信配下の武将には劉邦から預けられた劉邦腹心の武将が多くいて、
そいつらが韓信軍の中核を成していたから、
完全に韓信が劉邦から離れるとなるとそいつらが黙ってないだろうし、
そいつらがいなくなると韓信軍の戦力はガタ落ちする。
だからまあ、完全に独立してたとしても、
歴史が一変するほどの影響は与えられなかっただろう。
せいぜい劉邦が項羽を倒す時期が遅れるぐらいか。
>>288 もともと項羽側の時間稼ぎの策略だからな
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 21:21:36 ID:rBx6McvG0
>>288 誰かが一人勝ちする方が地政学的にはおかしい
始皇帝、劉邦、武帝、光武帝と幻想を積み上げて
病的な理想が生まれたのは一種の奇跡
>>290 いんや、経済活動の劇的発展に起因する華北平原部の統一志向なんだから
遅かれ早かれ、紀元前3〜2世紀の間に統一帝国は成立していたと思う。
別に、項羽という覇者の下における緩慢な同盟でも構わんし。
ただし、項羽の覇権はあまりにも独善的すぎた。
韓信は所詮外様だし、劉邦無しでは生きていけない。
いくら戦上手とは言え、政治的な地盤が何もないわけだから、自立するだけ野暮
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/10(木) 02:45:58 ID:nZ3uVHE+O
劉邦は麻生太郎のように漢字が読めなかったと聞いた事があるけど、本当?
293 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/10(木) 22:04:22 ID:gMUAdgUE0
まあ農民出だし。。
劉邦は農民出だけどいいトコの子だよ
本人はやさぐれてたけど地方官にはなってるから当時でいえば十分な知識はあった
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/12(土) 02:10:30 ID:V9ZFs9EE0
もし項羽が勝ってたら
今の我々は漢字ではなく楚字を使ってるんだろうか?
>>295 文字は同じだったかも知れないが、それを楚字と呼んでいた可能性はある。
中国人は楚民族
じゃあ、俺は漢だっていうかっこいいセリフも俺は楚だってなってたのか
中国語では漢って張飛みたいなやつのことだがな
300 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/28(月) 14:15:35 ID:HgDby8wB0
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/29(火) 11:58:16 ID:OEmgVasx0
痴漢も痴楚になってた。
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/06(水) 11:46:39 ID:5l6ySQ5R0
項羽に統一王朝を作る意思なんてなかっただろ
>>303 じゃぁどんな天下を目指してたって言うんだ?
>>304 楚を中心とした連邦スタイルが秦打倒後に項籍の選んだ天下だったね
>>305 はぁ?何それ。そんな見たことも聞いたこともないものを項羽が考えつく筈がなかろう。
秦のような統一国家じゃなく、
楚を中心とする連邦制で中国をまとめる事を目指した、
というご意見なんじゃない?
概念的に。
だから連邦制なんていうそれまでなかった新しいものを考案するほど項羽は政治の勉強してるんですか?
連邦制は、それまで中国に無かったスタイルでもないんだよ
むしろ始皇帝の秦が起こるまでは
時代ごとの最大の強国の方針にその他大勢の国々が従うスタイルのほうが標準だった
秦による統一以降は秦のスタイルに全県が倣うよう強制されたんだけど、
それに対する不満意見が諸国に多かったので、
項羽は旧来のスタイルに戻したってことなんじゃないかな
項羽が政治の勉強をしてたか、は、僕はいくらか項羽も勉強してたと思うよ?
過去の平和な時代の政治を参考にする、とかは
古代中国でもよく使われた方法だし
周ってそんな感じじゃなかったっけ?
>>308 戦国時代はまさに連邦状態だよ
裏切りを繰り返しながらも盟主決めてその盟主の意向をある程度反映する形で全体が動いてた
戦国の体制のことを言ってるんならなんでそんな不安定な体制を目指すんだ?
西周のことを言ってるんなら封建制であって連邦制とは言わんだろ。
似たようなもんじゃないの?
と言ったら怒られるかな。
>>812 項羽はアンチ秦だから、秦と同じ統一帝国体制は目指さんだろ。
楚を盟主とする戦国時代のような体制を理想としていたのではないか?
しかし、他国の力が強くなり脅威にならないように西楚以外の旧六国は細かく細分化して、
西楚が圧倒的な力を持つ体制を作ろうとしたと。
>>312 そもそも「統一」を対立軸として反乱を起こしてるので
バラけた統一以前の状態をある程度再現しなければ政治的にブレたと見做されて
外交上の信用を失うし、項羽は確かに秦を滅ぼした中では最大勢力の楚だったかもしれないが
最大勢力は過半数でもなんでもなく、いくつもある勢力の一つでしかなかったわけで
むしろ実力的に皇帝と名乗れない状況だろ
西楚の覇王と名乗る事の意義はやはり、会盟による盟主として覇権を握った春秋の覇者たちに習い
諸侯と対等ではない同盟によって盟主として上に立つ形を考えた、ということでもあるだろうしな
項羽との抗争を経て劉邦が名目上は王の上に立つ皇帝となった後も諸王を討伐し、
呉楚七国の乱による再統一事業の完了まで、漢ってのは実質的には統一王朝としての実質は備えてなかったと言えるしな
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/08(金) 21:00:06 ID:ev6b2Jhp0
ようするに理想は春秋時代だったということだな。
覇者が会盟により天下を動かす。斉の恒公と、晋の文公以下10代くらい続いた
晋覇権時代が目指す姿だったと。
うまくいかなそうだな
>>316 項羽も単純に当座の処置としての体制だったかもわからんよ
んで再統一事業にしくじって劉邦に天下を掻っ攫われた、と
まあ何とでも言えるから水掛け論にしかならんけどね
318 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/08(金) 22:49:20 ID:lHfz0fSQ0
横山光輝の項羽と劉邦って
基本的にはほぼ網羅してると思いますが
もちろん劉邦が天下を盗っていく上で全く関係ないエピソードはともかく
それでも劉邦や項羽がのし上がっていくところで関係するところで意図的に抜けてるとか
そういった箇所ってあるのでしょうか?
たとえば三国志だったら官斗の戦いがごっそり抜けおちてるみたいですが
俺も当座の処置だと思うがな
結局義帝を殺してんだし
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/08(金) 23:32:00 ID:ev6b2Jhp0
西楚の「覇王」を名乗ったわけだから、実際に春秋の五覇は頭にあったと思うけど。
彼は恒公や文公になりたかったのかも。
もっとも落合淳思に言わせたら五覇なんて実際にはいなくて、春秋の二伯だったようだけど。
関係ないけど、いや関係あるけど、
>>301 格好良いね。
凱歌の戦いをうまく表現してる?ように聞こえる。中国音楽も侮れないな
斉桓晋文は元から別格扱いだよ
つーか尊王攘夷を掲げた桓文になりたかったのなら何で義帝を殺すんだと
(桓文も方便として尊王を掲げてただけと言われりゃそうだろうが)
要するに項羽はうまくいかなそう、じゃなくて実際思ったようにいかなかったって事さ
>>321 最初から項羽と義帝は子供のためだけに離婚しないでいる破綻寸前の夫婦みたいなものだったからな
>>320 項羽は戦国時代を再現して自ら王になって、
さらに自分の上に誰もいない諸王の王を目指したから、
義帝を殺したんだろ?
春秋の覇者よりは戦国時代の合従連衡の発想に近いと思うが。
>>323 統一できない状況だからやむを得ず割拠して合従連衡するんだろ。始めから目指すものではない。
それと、諸王の王は皇帝だろう。
>>324 項羽は天下の諸侯が皆自分に従い、
天下の土地を好きに分け与える権力を有していたのに、
統一しようとはせず、自分の言いなりになる人間に、
領土を与えて王としていたぞ。
項羽はそもそも統一なんか目指していない。
ただ、秦の統一を否定し、戦国七国を細分化して復活させ、
その上で覇者になろうとしただけ。
あと、ほしいままに天下の土地を分配して王を封じ、
その王を従える権力を握る人間を諸王の王と言わずして何と言えばいいのか?
項羽以前の皇帝は下に王のいない統一帝国の皇帝の称号であり、
皇帝が諸王の王になったのは項羽が滅亡し、劉邦が漢の皇帝になって以後。
>>325 項羽の論功行賞は不平等だったのどうの、というけど
斉には即座に反抗するし、好き勝手と言う程強い権限本当にあったんかな?とい疑問が残る
秦滅亡後、分封する権限は厳密には懐王(義帝)にあるが、項羽とその軍事力がそれを
許さなかったという事だろう
おまけに諸侯が各々有していた軍事力を解体せずに封地へ送ったわけだから、項羽の分封に
不満があれば丸腰ではない以上は武装蜂起するのも容易
結局、項羽ひとりを皇帝とする中央集権というより、春秋の盟主であった晋楚に近い状況じゃ、
どれだけ項羽が軍事力を背景に諸侯を分封したところで叛乱の抑止力が大きなわけない
領土も有名どころはそれぞれの故地に封じられてるからねぇ
根無し草の反乱とはわけが違う
>>325 既に書かれてるけど、諸勢力の軍事力を解体するだけの権力が持ち得なかったから仕方なしに分配しただけ。
だからすぐに反乱も起きるし、最終的には劉邦に全部持っていかれる結果になった。もちろんその状態が不安
定なことは項羽も判ってるからいずれ統一するつもりでいた筈。春秋の覇者なんて時代錯誤。まだ周礼がそれ
なりに残ってる時代だから可能だったこと。
>あと、ほしいままに天下の土地を分配して王を封じ、
>その王を従える権力を握る人間を諸王の王と言わずして何と言えばいいのか?
それが出来て、反乱させないだけの実力があれば皇帝を名乗っていた筈。
>>329 項羽は覇王になってから、一度も統一に向けた行動起こしてないんだがな。
韓王成を殺して、豊かな韓の地が手元に転がり込んでも、
自分の領土に組み入れようとはせず、
韓とは縁もゆかりもなく、独自の勢力を持っているわけでもない鄭昌を傀儡の王に立ててる。
本気で統一を目指してるなら、この時韓を直轄領に組み入れているのでは?
331 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/09(土) 19:16:21 ID:3QmBwqDj0
個人的な憧れとして春秋の五覇に憧れていたという可能性は?
あの時代、春秋とかは必須の教養だろうし、時代的にもかつての覇者の記憶は
まだ風化してなかったのでは?
>>330 それこそ地場の住民や貴族とかを無視したゲーム的な感覚じゃないか?
当時まだ一般的な統治システムとして、直接統治による広大な領土の管理ってかなり難しい時代だったと思うぞ
項羽としては楚で手一杯だったんじゃないかね
その後楚漢抗争勃発するし
そもそも反秦戦争が勃発した要因からして、秦の中央集権体制に対する不満や反抗心が全土の
民心のなかに根差したものである以上、秦打倒後に(ここでは項羽)一人を唯一の皇帝ないし
王として諸侯を封じない体制を敷いていく事が難しいというのもあったはず
陳勝の蜂起に始まった叛乱の過程でも、多くの指導者や有力者、六国の末裔が王を自称している
これはやはり秦の体制を非とし王が各国に存立する七雄時代を是だとする意識が、
当時の各叛乱軍の指導者のなかで大勢を占めていたための様に思える
項羽の十六諸侯分封も、秦の轍を踏む事なく当時の大衆意識との擦り合わせを考慮したうえでの
配慮だったとみるべきに感じる
劉邦は秦と項羽双方のまずい部分を削いでうまく融合させた感じなんかね
>>333 秦の失敗に鑑みて項羽と同じように諸侯を立てた
項羽の失敗に鑑みて関中と三河は自分で抑えると同時に、旧王族には土地を渡さなかった(功臣でもある韓信を除いて)
項羽は関中の王にならなかった(なれなかった)時点で失敗していたんだろう、結局
仮に劉邦は抑えたとしても関中の力無くして反乱続発をすべて抑えられたかは怪しい気がする
春秋五覇もそうだけど、そこまで遠い時代ではなくても
戦国末期の秦も六国のうちの幾つかの王を入朝させるってことはあったよね
秦のような感じで他の全ての諸侯を服属させ、時に入朝させて項羽の楚が天下を運営してく
っていうような天下王朝をやってこうとしてたっぽいイメージがある
范増のイメージはきっとそうだろう
ただそれには関中の力は欠かせないというか
関中を抑えておけば項羽にもいずれは統一の道が拓けてたと思うんだよ
まったく大局観が無いくせに范増の言う事聴かないからもう・・
范増って、とても名参謀とは思えない
懐王・心を立てたのも遠謀あっての事と思えないし、項梁の死を防げない、
項羽の暴走抑えられない、戦も項羽の力押しがほとんど
李左車くらいの能力じゃないかと思うんだが
>>336 項羽に大局観がない、だから関中を制圧しなかった、という論旨は項羽を考える上で勿体無いと思うんだよねぇ
もちろん、散々考えた結果、そこに行き着くならいいんだけど、項羽がどうして関中を地盤にしなかったのか
ということをもう少し考える必要があるのではなかろうか
>>338 関中人20万人殺害主犯にして秦王処刑、宮殿破壊略奪の張本人だもの
仮に本人が関中の王になっても、それはそれで相当苦労するだろう
だから20万殺しの段階で自分が天下人になる芽を自分で摘んだようなもの
歴史的に見ると関中というか秦の富を支えていたのは漢中と蜀だって事を無視して
劉邦を漢王としたことを左遷というのはちょっと項羽に辛過ぎる気がする
蒲生氏郷だって会津に移封されたときに『あんな田舎じゃ100万石貰っても天下は取れない』って泣いたじゃない。
項羽も同じこと考えてたんだよ。
>>341 本来なら関中丸々もらえるはずだったのに、
漢中と蜀しかもらえなかったのはどう見ても劉邦に対する冷遇だと思う。
富はあったとしても外界とほぼ遮断されたど田舎だもんな
345 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/10(日) 15:02:03 ID:aXDrzWN+0
あたしだったらもっとも睨みの効く斉の国の王に封じて
関中盆地の経営を亜父范増爺さんに任せて盗人劉邦の首を
じわじわと真綿で絞めて難癖付けて誅殺するけどね
あと人質の呂雉は絶対に鞭打と犬に強姦させて便所に棄ててやるわね
人質にそんな仕打ちをしようとするあんたじゃ天下はとれんだろうな
>>345 当時の斉は関中に次ぐ豊かな地。
しかも中原と近い。西楚に隣接してて、
よそに出兵してる間背後を突かれる危険も高まる。
そんな要所を劉邦みたいな危険分子に与えられない。
漢中に閉じ込めるよりはるかに危険。
あと、范増はただの参謀に過ぎず、
関中を経営するような政治力は無いと思う。
そういう力があったら、西楚では将ではなく、宰相になってたはず。
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/11(月) 09:42:27 ID:VVUprfXU0
劉邦→女と酒と悪口が大好きな人間のクズ。最低の上司。
張良→キチガイテロリスト。私怨しか頭に無いうちはサスケタイプ。
韓信→糞ニートでヘタレで逃げ癖のある犯罪者のクズ。
蕭何→媚びへつらい保身野郎。スネオタイプ。
彭越→言うまでも無く犯罪者クズ野郎。
何こいつら…
司馬遷が必死に美化してるけど漢ってただのキチガイ集団じゃん
やっぱチンコ切られた障害者にマトモな歴史書はかけないんだよ
神君である始皇帝をあの扱いしてるのを見ても偏りすぎ
サスケ?
みちのくの?
何で項羽とか黥布とかも書かないのか。偏向してるぞ。
項羽とか大量虐殺とか主君殺しとかやってる悪魔であって人間ではないので同じレベルには出来ないよ
ようは范増が無能だったからいけない
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/11(月) 18:29:18 ID:P/lZdDhN0
しかし、何で項羽の方が人気あるのかね?日本でも中国でも。
漢朝樹立のためのボス敵キャラでしかないのに。
劉邦は開祖補正がなかったら、並の人気しかないよな。
>>353 だから劉邦がへぼすぎるからだろ
フリーザとかCCOみたいなカリスマ的キャラはいつの時代も人気有るよ
>>353 司馬遷のせいだろ。明らかに史記における名場面は項羽の方が劉邦より多い。
あと、戦における無敵の強さと、最期の潔さが大衆受けすんだろ?
>>352 つ百里奚
正しい意見を容れられないのは項羽の無能ゆえ
ただもっと早く項羽に見切りつけなかった范増は智者ではないな
項羽のほうが人気あるの?
子房が一番かと思った。
張良は微妙だろ
腐女子には大人気だが
>>356 范増は項羽の捕虜20万穴埋めをはじめとするたびたびの虐殺と、
大義名分を失わせる義帝暗殺について何も言わなかった時点で、
知者として失格だと思う。
事後報告を受けてあとにできることは、
だんまりを決め込んで悪評が広まるのを少しでも防ぐことだけだと思うが。
>>360 亜父と呼ばれるほど信頼されていたブレーンなのに、
これらの大事をやらかす前に、事前の相談を受けていなかったとは思えない。
>>361 いや、項羽はいちいち人に相談するタイプじゃない。やっちまってから自慢するか、青くなって相談するかのどっちか。
>>360 黙って去ることも出来た筈と非難されてる訳だ。(正面から批判すれば首が飛ぶから。)
363 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/11(月) 20:53:47 ID:P/lZdDhN0
>>357 張良や韓信の人気もあるけど、大衆的な人気は項羽が一番だと思う。
漢の時代にすでに項羽で色々物語が作られていたみたいなんだ。だから司馬遷の
史記にまでその影響が反映している。
京劇の覇王別姫は今でも人気だし、捲土重来も項羽のために詠まれた漢詩からきた成語。
日本でも能楽の主題にまでなったし、司馬遼太郎も本宮ひろ志もスポットを
当てているのは項羽。
>>301みたいな音楽まで作られているみたいだし
一方、劉邦はねぇ。大衆的な物語で主役を張ったことはあるんだろうか?
ついでに、垓下の歌>>>>>>大風の歌、だし。
范増はあの段階では完全に項羽の右腕だから
むしろノリノリで計画ねった可能性もなきにしもあらず
彼も楚の遺民であって秦に対する復讐心はあったはずだし
365 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/11(月) 22:52:07 ID:Zb9itQhq0
劉邦が成り上がったのも、項羽というバカの存在あってこそ。
そりゃ、項羽の方が人気あるに決まってる。
范増という人物は、どうもよく分からんが・・・・・・・・・
軍事的には項羽の影に隠れてしまって、軍師としての才覚は不明瞭。
政治的には、そこそこの能力があったのかも知れんが。
劉邦の危険性や韓信の才能に言及している辺り、戦略家として能力は
高かったのかも知れない。
366 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/12(火) 11:40:04 ID:xBwTozHU0
年齢の割にひたすら冷徹な思考は出来る人物だったと思う
何度もゴロツキ劉邦を殺せ殺せっつってたのに殺さなかった
から最後はごろつきが天下盗ったんだもの
鴻門の会ってお互いの軍師同士が顔を合わせながら陰謀戦を繰り広げてるんだな
張良と范増、お互いどういう評価だったんだろう
張良って、とても名参謀とは思えない
名参謀ならもっとスマートに劉邦に天下を取らせたはず
李左車くらいの能力じゃないかと思うんだが
名参謀には違いないと思うぞ
中国三大軍師といわれるほどではないだろうが
張良の助言は常に的を得ていたと思うが。
おおむね、張良の助言通りに事を進めて天下取れてる。
ただ、張良は謀略と戦術が不得手だったので、
謀略では陳平が現れるまで項羽を切り崩せず、
戦では異常な強さを誇る項羽に太刀打ちできず、
戦略面に特化した張良一人の助言だけではスマートに天下取れなかったんだろう。
というか、楚でナンバー2以下でしかなかったのに秦本国を征服し、それから5年ほどで楚の項羽も滅ぼしてるんだから、この上なくスマートに天下取ってると思うんだが
スマートに入秦を果たしているし
降伏させてからもその後の占領の為に相応しい態度を教えて
実際その通りにさせている
もうこの時点で劉邦と項羽の人物の差は出ている
あの劉邦をして項羽相手に天下取らせてるんだから十分名参謀だと思う>張良
スマートな勝利って、奇策を弄して圧倒的な戦力差を一瞬で覆して一発逆転するような
少年漫画みたいな展開のことではないと思うぞ
374 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/12(火) 23:33:18 ID:xBwTozHU0
劉邦なんて何処の馬の骨か判らない小狡いおっさんじゃんか
項燕の孫の方が格が上だろ
375 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/12(火) 23:34:51 ID:xBwTozHU0
項羽の純真で玉の原石のような美しい心は凡人には理解出来ないだろうよ
376 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/13(水) 00:01:00 ID:lb/pyEL70
項王のお人よしが
太公と糞馬鹿マンコ呂雉は絶対殺して漢軍の士気を挫いておくべきだった
377 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/13(水) 00:02:38 ID:lb/pyEL70
二人の生首を漢軍に送り付け
どん引きした処をすかさず奇襲するんだよ馬鹿が
378 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/13(水) 00:03:53 ID:lb/pyEL70
最初の論功行賞で張良は韓王の宰相なんかにするんじゃなくて
義帝と同じ運命を辿らせてやるんだよ
379 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/13(水) 00:06:25 ID:lb/pyEL70
犬殺しの半壊あたりは馬鹿で単純だから離間の計の
最初のターゲットだわな
留侯、かわいいよ、留侯
>>379 だとすれば、それすらしなかった(出来なかった)のが項羽主従の限界だったんだな、結局
>>372 スマートってのはどうかな?
項羽率いる楚軍本隊が秦の主力を引き付けててくれたからこそ、劉邦他が別ルートから行けるわけで
それを劉邦のみの手柄、劉邦は賢く、バカな項羽は猪突猛進というような言い方は不公平だと思う
鴻門の会以前の揉め事は項羽が怒って当然とまではいかないが、項羽には怒るだけの動機と心理的な経緯がある
>>374 馬の骨どころか堯の子孫だが
堯って伝説上の人物でしょ
そいつの子孫自称してる下郎じゃん
項燕って楚王がいるのに昌平君を楚王に立てようとした謀反人だよね
秦に背いたのは事実だから陳勝みたいな民には人気だったけど、楚王や貴族は反感持ってたんじゃないかな
>>382 主力は項羽の方だったし劉邦の方は寄せ集めにすぎないだろ。
そういう連中を率いて武関、嶢関を謀略で開いて効率的に通過してるのを
スマートと言わずになんと言うのか。
>>383 劉邦が堯の子孫を自称したという記録は史記にはなし
初めて劉邦が堯の子孫と史書に出てくるのは漢書から
あと新唐書で様々な一族の先祖を調べたものが宰相世系に載ってるんだけど
そこで劉氏は堯の子孫と書かれてる
多分、漢の時代にある程度粉飾されたものであろうとは思うが
堯の子孫であることを頭ごなしに否定するだけの材料はないんだよね
文献上は劉氏ってのは結構古くて由緒ある家柄と言っていいだろうさ
曲りなりにも秦で亭長という役人やったこともあるし、役人をやれる程度に偉い人ではあったと言える
>>386 否定できないからって信用に足るような情報では全く無いぞw
ちょっとは頭使えw
>>385 主力は項羽で劉邦は搦め手から行く役目だから
むしろそこで劉邦が長々と攻城戦やってたりしたら困るってばさ
スマートでもなんでもなく双方役割に徹してるんだよ
>>387 史料を否定するならそれを否定するだけの証拠が無きゃダメさ
漢書は二次史料だから、否定するなら一次史料か同程度の二次史料、もしくは考古学的な発掘史料が理想的
それも無しでただ自分でそう思うからそれはない、というのはダメさね
>>388 そういう役割分担なら
一番乗りが関中王とかいう約束なんかしない方が
マシってことじゃないのか?
秦軍20万人生き埋めって横山漫画などをみると一部の人間が謀反を
しようと話し合ってたのを聞いただけだよな。それだけで皆殺しって・・・
たぶん何の事情も知らないまま殺された秦兵も大勢いるんじゃないかと思う
>>389 堯の存在が伝説上のものではなく実在の人物であるとまず証明しないと話にならないんだが
それを証明する資料とやらは有るの?
>>390 先に関中を平定した人を王とするっていう恩賞だから、劉邦も項羽が追い付いた段階では条件に該当しないとも言える
劉邦は軍は覇上で止めてたし、関中の咸陽より西側は制圧してなかったもんで手放しに平定したとは言いにくい
史書に残る発言をそのままに受け取れば劉邦は本当に一番乗りするだけで王だと思ってようではある
史記でも最初「先入定関中」だった約束が「先入咸陽」、「先入関中」、酷いのになると「先入関」となっててどんどん省略されてく
劉邦宣伝上手いわ
>>392 先祖が実在かどうかなんてそんなもん証明する必要はないんだよ
系図上劉邦にはそういう先祖がいたとされており、どこの馬の骨かも判らないとかそういう状況ではないという事なのでね
実在しないならしないでも、少なくとも劉邦の氏族はそういう堯神話を持った一族、となって馬の骨とは言いにくいな
馬の骨と主張したいなら、劉邦は馬の骨、劉邦はどこそこの水呑みだったとか述べてある史書でも提示すりゃいいんじゃない?
そうすりゃあとは漢書や新唐書との信用度勝負だ
論理が通じないのか?
その先祖とやらが実在しない人物であれはその子孫であるという主張は歴史的事実ではなく、ただの妄言
歴史書に書いてることは全て正しいと思ってる害児って居るんだな
自然科学の領域には永遠に踏み込めない知能というか
>>394 祖霊信仰って知らない?
実在じゃない人物を先祖としているならそれはそれで一つの氏族を示すもんだよ
実在しないなら、単に堯を先祖とするのが劉邦の氏族だったという事で
これは「そういう信仰を持った氏族」ということになり、馬の骨ではないわけなのさ
堯神話ってのは結構特徴的な要素があるから、断定とは言わないまでもある程度の推測の材料になる
>>395 史書=無謬ではなく、否定には材料がいる、と言ってるだけなんだが
史書にはこうある、では史書が書かれていた当時そう考えられていたのだろう、という事なんだから
否定したいなら否定するだけの材料を持ってきなってこと
ただただ自分でこう思う、だからそれは違う、では話にならないよ
貴族でもなんでもないならそれは馬の骨だろw
項羽との比較で良いんだよな?何と比較してるの?
庶人であり、後世になって千年以上前の伝説上の人物を祖先とすると記されるようになった人間
祖父が有名な大将軍で楚の貴族階級
これを比較して前者を馬の骨と認識するかどうかだな
姓を持ってるだけで馬の骨ではないというなら劉邦は違うんだろうが
平民ですら姓名乗れる時代なんだから、それなら馬の骨なんて奴隷ぐらいしか居ないんじゃね
さらに否定の根拠が不十分だと思ってるなら粉飾だ何ていうべきじゃない
筋通せよ
否定に材料が無いなら黙っとけ
粉飾の根拠は存在しないなら劉邦は堯の子孫で千年も二千年もその血を絶やさない由緒正しき家系なんだろうよw
俺は信じないけどな
しっかし自分が賢いと信じきってる奴ほど煽りが大好きなのな
おちついて論理的に話せないんじゃ幼稚とみなされてもしゃあない
401 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/13(水) 11:24:01 ID:lb/pyEL70
堯舜を持ち出して来た時点でキチガイだろ
>>397 近い先祖が貴族だったけど楚が滅んで平民となってた項羽
遠い先祖が貴族だったけど没落してる劉邦、でも一応支配者階級の末端だった
本人達の階級だけで言うとちゃんと役人やってた劉邦の方が身分は上だったわけさ
>>398 戦国時代後半から秦漢の混乱期に伝統的な姓というものは大分廃れてしまって氏だけで個人認証するようになってったって話だがね
平民が「姓」を使ったってのは誰が実例?
あと新唐書によれば、あちこちにそれなりの貴族みたいな扱いで仕えつつ徐々に没落した家の末裔って扱いだし
やはり馬の骨とは言い難いな
>>399 それが史学ってもんよ?発掘史料で補完できてないし、他の史料と突合も出来てないから
「そうであろうとは思えるけど確実ではない」って状態だから、「可能性」は常にある
俺はその点ちゃんと読み取れるように多分とか思うとかわざわざあいまいに書いてるんだから斟酌してくれ
史料を無根拠で否定するのはよくないぜ?
あと神話に関して少しでも知ってれば1000年2000年なんて話にはならんけどねぇ
堯の神話がきっちりとした形で記録に残り始めるのは戦国中期以降だからさ
ってレス書いてから気付いたけど全部同じIDかよ
>>402 全然流れ関係ないけど張良と陳平ってどっちが上?
あえてか知らんが史記で「取り上げられなかった」という点を矮小化しすぎだな
史学、史学とか言って実際やってる事はだだの口喧嘩じゃねーか
項羽に比べれば、劉邦の血筋なんて馬の骨みたいなもんだろ・・・・
堯は儒教色が強いし、劉邦がその子孫だなんて鵜呑みにする方がどうかしてる。
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/13(水) 15:40:28 ID:waeJKryv0
要するに劉邦は項羽より圧倒的に由緒正しい伝説の家柄といいたいんだろうが
史記にはそんな記述は微塵も無く、それどころか生年すらハッキリしないような下級役人なんて
俺にはどう考えても良い家柄とは思えないっすw
あとで作られた話と考えるのがむしろ当然に思えるが
彼はリアルに信じきってるんだね
>>403 役割が違うからどっちが上とか言いにくい
好きなのは張良
>>404 劉邦は史記では名前が「邦」ということが書かれてないから本当は違うのかな?なんてね
史記に取り上げられなかったと言うだけでは簡単に否定材料にならないよ
>>405 鵜呑みにしてるとは誰も言ってない
疑問の余地はあるが、劉邦は堯や士会の子孫って事になってるので
ただの馬の骨というわけではないって話だ
そういう記録がある事を否定したいなら、否定するだけの根拠を以ってお願いしますよ
疑問の余地って具体的に何が疑問なの?
資料に有るから正しいってんなら新しい資料が出るまでは疑問をさしはさむ余地は無いんじゃね
珍しくスレが伸びてると思ったら……
劉邦が伝説上の人物の子孫か否かなんかで言い合いしてたのか。くだらん。
絶対に堯の子孫じゃないとは言い切れないが
信頼に値する記述とは思えないんだよ
由緒を後付するなんてありふれた話だから
>>408 いや逆だよ?
特に古代の歴史は文献史料と発掘史料を合わせる事でやっと確からしいという事になる
劉邦の名前だって近年まで本当に邦なのかわかってなかった
前世紀に秦代の木簡が発掘されてやっと邦ということで確定してもいいだろう、という状況になった
劉邦の先祖の場合、発掘史料とかはないが一応そうなってる、
ということでまだ確かとは言い切れないが文献上否定する要素はない
そういう意味で疑問があるけども、と書いている
史学は科学じゃないんだからそんなマジになるなよ
身長3mとか300歳生きたとかほんきで信じてる奴らのやることじゃん
413 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/13(水) 19:24:35 ID:6Vx15FU90
>>409 信成が信長の子孫かどうかでひたすら議論してる奴らよりマシだろ。
あっちも胡散臭いだけで否定する資料は無いわな。
劉邦は堯の子孫だって譲らないヤツ
引っ込め屁理屈野郎見苦しいんだよタコ
だから何だ馬鹿しつこいだけなんだよお前の話は
タコは言いすぎ
イカぐらいで勘弁してやれ
??
漢書に書いてるから肯定材料になるのか?
ツッコミどころ満載だなw
一応史記の高祖本紀の内容の知識はあるらしいが
長ったらしいレスいらないから
お前の方がもう少し信頼性のある根拠述べろゾンビ野郎
「史記に書いてます」
か?イカww
害児にマジレスしても仕方ねえよ
リアルに堯の子孫だと考えちゃうんだから救えない
項羽より良いところの生まれで身分も上だってよ
本人も考えてないだろw
実は俺は桃太郎の子孫なんだよ、イカ
全中国人は黄帝の子孫なのか?イカ
まあ頭固い奴ってのはどこにでも居るからねえ
史書に書いてあるから無条件で信じるしかないなんて言われても…w
否定する根拠?んなもん残ってるわけねえだろ頭悪いな
何で存在しない系図をあえて否定するための材料なんて残すんだよ
系図や出自の捏造が良く行われるのはその否定が難しいからじゃん
イカのイカれたレス
秀吉は藤原家の血を引いているらしいぞ、イカちゃん
頭固い奴は伝説と認識しておくレベルの話を割りとマジで肯定しちゃうから困る
両親の名すら知られていないのに百数十代遡れば堯に繋がるって言われてもな
漢書に書いてても史記に書いてないのは何故だ?
劉邦が同時代の人々に堯の子孫だと認識されてないのは何故だ?
なら項羽は舜の子孫か?史記に書いてるよな?
先祖がハッキリしない奴を、どこの馬の骨か分からないって呼んでどこがおかしいんだ?
お前な、エラそうな割に発言内容に説得力が無いから嫌われるんだよ
現在お前の説明で誰ひとり納得出来てないぞ?
単なる独りよがり
プライドは高そうだがお前の発言内容はしつこいだけの屁理屈レベル
とにかく、お前だけが賢いか、お前だけがズレてる
いずれにせよここはお前が来る場所ない
もう来るなよタコ。お願いだからさ
見たくも無いよ
おい、だからタコは言いすぎだろうが…
イカで十分だよ
別に信じても良いじゃない
劉邦の百数十代前は堯だってさ
煽るなよ、もう。
らちの空かない話を繰り返されてもクソの役にも立たないし
迷惑なんだけどさw
司馬遷は項羽オタだから劉邦の偉大な出自を意図的に隠し縁者の身分もあえて伏せたんではないだろうか
偏りすぎなんだよね史記は
項羽の先祖も帝顓頊であり黄帝だよね
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/18(月) 04:23:08 ID:KHAivpJH0
〜の子孫ってのが、手っ取り早い箔付けだったというのは確かだな。
劉邦の場合、大蛇を斬り殺した話なんかもあったか・・・・・
項羽が鼎を持ち上げた話を、すんなりと信じてしまうのは俺だけか。
劉邦以上に謎の人物は、韓信だろうなぁ。
国士無双とまで呼ばれた割りに、どこで誰に兵法を学んだのかも不明。
股夫の逸話が有名だが、生い立ちなんかは全く分からん。
これだけの貧しさだったから、独学で学んだのか・・・・・・・・・
史記も秦末の記述はあてにならん
>>434 「確か」ではないだろ
確率は高いが、確かなんて強い意味の言葉で断定しちゃダメだ
というか普通に堯の子孫ってのは真実でしょ
否定する要素は無いし
結局その話に戻ってくるのか
伝説と言っていい人物の子孫であるかどうかなんて、確かめようもない
千年以上前の人物の子孫だなんて腐るほどいるわ
堯とか舜とか実在したなんて主張するのは、夏王朝が実在したって主張する中国の関係者だけだろう。
『当時そう信じられていた。』ならあり得るけど、そういう記録は漢書以降なんでしょう?後付けだね。
否定する要素の前に
肯定する要素が無きゃ信じるべきではない
発掘調査による裏付けが無ければ単なる伝説
これ常識
項羽の存在って発掘調査によって裏づけられてたかな?
>>437 上で俺も散々堯の子孫云々とは言ったがそれが真実とは一回も言ってないのよね
そういう可能性もある、断定的な否定も肯定もできないと何度言えば理解できるのかなぁ
443 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/18(月) 23:24:58 ID:YXDy5SJkO
どっかに漢劉邦(劉邦と項羽)のスレは無いものか…
どっかに関竜蓬のスレは無いものか・・・
済みません。意味は無いです。
これにて不毛な言い争いは
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しようNA!?
恋姫†楚漢無双はどこかにないものか
Basesonに要望出せば?
劉邦は「馬の骨どころか堯の子孫だが」とか吐かしてたゾンビ野郎が
また偉そうなこと言ってるな
>>448 少なくとも文献上はそういうことになってるからねぇ
堯が実在してなかったとしても劉邦は堯の伝承を持った一族の後裔ということになるし
結局のところ、今の状態では馬の骨にはなりえない
まだやってんのかこのキチガイ
断定的な肯定と言わざるを得ない
おわり
劉邦好きはこれだから始末に終えない。好き過ぎて、理屈が通用しない。
だからこれからは項羽好きのターンだ。
虞美人だって居たかもどうかも分からないし、そもそも歴史は権力者側が編纂したもの。
バイアス掛かってても後世の人間にはナニが真実でナニが虚飾かわかったモンではない。
項羽が義帝を殺した、項羽が不公平な恩賞配分をした、なんてのもどこまで信じていいかわからないし。
項羽の好悪で選んだと言うが、劉邦が蕭何を論功行賞で第一位に推したような事が背後にあったかも知れない。
書かれなければ、なかったことになる。これが記録の恐ろしいところ。
しかし、項羽の武勇と業績は語り継がれた。
帝国始祖の強敵であったにもかかわらず、勝利者の漢の治世下の中、武帝の時代となっても。
悪名を被ったにもかかわらず、輝きを失わず。
項羽の方針は、六国を立て、自らが治世軍として動く治世方針だった。覇、の名乗りからそれは窺える。
楚王を帝に祭り上げるなど、秦を滅ぼしたあと、一番やってはいけない行為であった。
これは項羽以外の誰かの意が働いたのだとも解釈は出来る。――真相ははるか過去の彼方だ。
項羽が滅秦のあと、本拠地に帰ろうとした行為を笑うものがいる。……これは頂けない。
軍法を知らぬ項羽ではない。富貴となった姿を見せよう、と言うのは口実だ。項羽の軍団は江南の兵だ。
目的が達せられたら、軍兵は望郷の念を新たにする。募れば解散・叛乱の危険すらあるのにもかかわらず。
兵家である項羽は権力基盤を「軍」に置いていた。だから江南に帰らざるを得なかったのだ。
後世の我々は、彼等の身に起こる事を知っている。言わば神になれるのだ。
だが、一事を捉えて哂うべきではない。裏の裏を読まなければ、真実は見えてこない。
>堯が実在してなかったとしても劉邦は堯の伝承を持った一族の後裔ということになるし
こうでも示さなければ当時の民衆が従わなかった、と言う恥晒しの歴とした証拠を誇らしげに掲げる感性がわからん。
大陸や半島ならば誇らしいのだろうが、日本人の感性では失笑しか生まれない。「徳」と言う概念は元々大陸産だが。
>>452 >虞美人だって居たかもどうかも分からないし
そうだな。おそらく項羽も実在しないんだろう。
>項羽の好悪で選んだと言うが、劉邦が蕭何を論功行賞で第一位に推したような事が背後にあったかも知れない。
だから劉邦がそうしたように、項羽も推したんだろ?
>楚王を帝に祭り上げるなど、秦を滅ぼしたあと、一番やってはいけない行為であった。
みんなで楚王を神輿に担いじゃったんだから、みんなが王になるためには神輿は帝位に祭り上げる事になるのは
理の当然。春秋時代には名目上、諸候の上に周王がいた。春秋の五覇になるんなら義帝を担いだままの方が
都合がいい筈。それが邪魔になるのは自分が上に立ちたいから。
たぶん劉邦もいずれは邪魔になると考えていたと思うが、あの時点では項羽に対抗するカードとして使えるから
排除する必要は無い。それは他の諸候も同じ。あの時点で義帝が邪魔なのは項羽だけ。
天下を狙うなら江南に帰らずに中原を押さえるべきであった。そのまま天下を統一して長く続く王朝を開いていれば
後世の評価ももっと高かったね。
>>454 短慮だねぇ。項羽は担いでいたほうが楽なのよ。基本、兵家だから。メリットの無いことはしない。
大義名分が欲しいのは云う通りの封じられた非項羽系の諸侯たち。こいつらの誰かが臭いのよ。
義帝を除いてしまえば項羽と名義分は同格なのだから、そのうちの誰かが手を下せばいい。
>>455 メリットデメリットの計算が出来ないから負けたくせに。
>>456 お、短慮が長文書いたらボロが出るから短文で済ませるのか? 恥ずかしいよなぁ、ホント。論戦出来ないなんて。
メリットデメリットの問題ではない。昔に戻して理想的な状態になって、皆がこれで争わなくなると項羽は夢見た。
しかし、欲の深い人間のことに気付かなかった。統一国家と言う強大な国家像を見てしまった人間の欲には勝てなかった。
奔命になって鎮圧に走り、手持ちの兵を徒、疲弊させていく哀しさ。勝てども勝てども終わりの見えぬ戦い……。
理想家には一番キツイ仕打ちさ。それでも戦って、戦って、戦った。いつかは六国の皆が笑って暮らせることを信じて。
愛した楚の国の、威信を知らしめているのだと己に言い聞かせて。だが、四面楚歌で心が折れた……と想像すると哀しい。
こんな人間が、大丈夫がいたのだと、最後は名を残すために闘ったのだろう。……そして彼の晩節は汚されなかった。
それで充分だ。
ただの妄想でよく人を馬鹿にできるよ全くw
お、今度はIDでも変えたか? よしよし、劉邦好きは卑劣漢が多し、と。屑には屑がお似合いだ。
. -――-\ お前に説明することはない / : ――\
rヘ_,r'"> \ 母親に会わせろ /r.,---─ー! ̄)| 懐 |
ヾ, X /ii//ll N/リli\ __ ___ / .i'/ヽ__/\ 〈 | 王 |
/_∧,ゞ__ __|_Y \ ━` i´━' / .|__ ___゙i .| の |
ヽ(^Y ━` i´━'| _ソ \ __ 」__ / |`━`i ´━ Y^)| 嫡 |
.ヽ_, __ 」__ | \ ∧∧∧∧ / ,| __L __ ,_/ | 孫 |
.../'ヽ ┠─┨/ \< 鍾 >/ .ヽ ┠ニニ┨ ./< /
. /\.,,ヽ┃ ̄┃、 < の 離 > ┃ ̄.┃/ ―――
―――――──―――――――< 予. 眛 >―――――──―――――――
( ̄!ー─--、 ) お. こ < 感 > ー--――ー---> ──、_, ',
〉 /\__/ヽ`i ). や れ .< .! ! > ー-- .._ へ/ ━` 〈
/ 〉 || ) じ /< >\ `ー-_ | ^i ________, ノ
|: /__ __|_ ) / ∨∨∨∨ Z. ヽr''ヘ、_ ┃ ,.-=ァ/
(^Y ━` i´━'| ´/ / 〉 |\ / !、 ┃ {__//-‐ ' "´/`゙ ーァ'
ヽ_, __ 」__ | ./ | : /__ __|| \ ┌‐────┐ _
/'ヽ ┠─┨ / (^Y ━` i´━'||_ .\ │ 鍾離昧 .|
/\.,,ヽ┃ ̄/ ヽ_, __ 」__ ..\───‐─┴────
../ | ┠─┨ / \ これ おやじ!
| ヽ┃ ̄┃/ これおやじ ───────
〔~∪ ̄ ̄〕|
>>453 堯舜伝説が古代の聖王のあるべき姿として認知されるのって劉邦の時代じゃなくて百年からもっと先じゃないか?
儒学が国学となって下々にまで認知されていくのは前漢もたけなわになってからだし
全部理解しててそんな与太系譜の記述を信じている莫迦な奴を皮肉で笑い飛ばしてんだろうなw
>>462 歴史と物語が可分なものとなったのはついこの100年の間だよ
それまで歴史ってものは物語とそう変わらないものだった
特に東洋の歴史ってもんはね
>>461 戦国時代に墨家が大流行した頃に、墨家が標榜する禹に対抗する形で堯舜を宣伝したんだろう?
孔子は周公を言いて舜を言わず、だ。秦の二世皇帝胡亥の側近にも儒者がいるくらいだから
漢の初めあたりにはそれなりに知名度あったんじゃね。
百年からもっと先って何時の事?
>>464 武帝の時期よりも後ってこと
官学になってから1世代くらい回ってやっと一般的な認識となるくらいでしょ
劉邦が農民出身だとか身分の低い人間出身だということにしたのは中共のプロパガンダ
劉邦は没落貴族の出身
姓持ってる時点で一般の平民ではない
張三李四はどうなるんだ?
470 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/24(日) 18:45:56 ID:gkxjkAzK0
>>469 劉邦の姓のことだよ
祁姓
知らなかった?
>>469 Yahoo辞書の大辞林/大辞泉ともに「中国では張氏・李氏はありふれた姓である」と書いてる様だが。
四文字熟語データバンクも「張と李は中国で非常に多い姓。」と書いてる。四字熟語net辞典も。
たぶん同じようなネタ元から引いてるからだろうけど。
>>471 氏姓の区別をしてたのは秦くらいまでの話で今はほぼ混同されてる
姓ってのは主に商周辺りの王朝が臣下に配ったものでその臣下の一族を表すもので
氏ってのはその一族の中からさらに狭い範囲の一族を表すものになる
周廃れて秦立ち、秦倒れて漢興る頃には最早王朝側も姓を配って臣下の勢族を区別する必要なかった
劉氏以外王は無いからという簡単な理由以外にも何かあるかもしれない
そういや項伯には劉氏を賜っているね
>>473 項伯だけでなく、漢に降伏して侯に封じられた項氏は皆劉姓を賜っているぞ。
中には、子孫が丞相になった者もいる。
項氏の一族が漢の丞相。ロマンを感じるね。
古代中国の姓は日本でいう源氏、平氏などといったものと考えていいのかな?
項羽と頼朝が戦ったらどっちが強いんだろう
項羽と為朝ならいい勝負する。
いかんせん
項羽は范増すらも使いこなせなかったといわれてるけど
20代で力で帝国ぶっ潰して天下人になり戦場では敵なし
これじゃあ部下の言うことなんか聞く気になれんだろ
>>479 秦帝国倒したのは劉邦だし、そもそも楚の懐王の将の一人でしかなかったんだけどな
若さというやつかもしれんが、この身の程知らずぶりが身を滅ぼしたよな
>>480 項羽が秦の主力を壊滅させていなければ、劉邦は秦を倒すことができなかった。
章邯が降伏した時、既に秦の滅亡は避けられないものになってた。
秦の主力を壊滅させることができたのは項羽だけだが、
その後関中に入って秦を滅亡させることは劉邦じゃなくてもできた。
482 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/01(木) 19:35:26 ID:pHfsdabn0
>>454 やっぱり漢帝国は蕭何と劉邦なんだよなあ…
三傑といっても張良は外回りのスパイマスターだし韓信は使い捨てだし
この二人は恐ろしいねえ…数百年前後した同時代のローマとかで
このタッグくらいやり手なのカエサルとオクタウィアヌス義理親子くらいか?
権力牛耳っておきながら無様な死に方したハゲサルは駄目だろ
オクタヴィアヌスはやり手だが
>>482 張良の言うこと聞かなければ劉邦は勝てなかったし、
韓信が河北や山東を切り取って、大軍を集めて項羽との戦いに参戦しなければ、
劉邦の勝利は無かったわけだが。
ということにはなっているんだが・・・実際はどうなんかな。
実際に見てみたいよね。
タイムマシンで過去と未来どっちに
行くかったら絶対過去だな。
まあ疑い出したらキリがない
蕭何の内政・補給の功だって本当に蕭何の功績なのかどうかわからんし
劉邦や項羽が本当にああいう人となりだったのかどうかも。
488 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/17(月) 16:34:08 ID:mded124p0
始皇帝陵も燃やしたんだったな。
萌えつづけたのは1ヶ月だっけ?半年だったかな。
490 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/23(日) 15:22:10 ID:4xsBC9AU0
項羽と劉邦の主役は韓信大元帥しいないだろう。
491 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/23(日) 20:10:12 ID:bRdwI21U0
項羽のいた間の劉邦はいい奴
和睦の後で奇襲せず、天下二分してた方がマシだったかもな
492 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/26(水) 18:11:21 ID:7UwvaO0I0
ヒップとドラゴン
項羽と劉邦
493 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/27(木) 00:57:53 ID:Of/FeaBv0
韓信も最後は粛清されちゃうんだもんな
項梁が死んだのが悔やまれるな・・・・・
生きていれば、項羽を上手く操縦して阿房宮や始皇帝陵墓も無事だったかも知れん
>>496 楚滅亡を目の当たりにした世代で、項羽よりもさらに秦への復讐心が深そうな項梁が
阿房宮や始皇帝陵をそのままにしておくとは思えんがね。
あんな秦の力のシンボル、秦に征服された六国の人間にとっては憎悪の対象でしか無いだろう。
>>498 宮城谷昌光の本は激エロ過ぎて子供の頃手に取れなかったような覚えがあるんだが、
その方は大丈夫なんでしょうか……?
501 :
498:2010/07/05(月) 22:55:40 ID:4KTJZ+w50
>>499 ですな。電車でも読めるし。
でもガマンできん!
>>500 そういうエロ作品もあるね。
もう歳だから、最近はエッチな描写すくないな。
関係ないけど、今年のGWに西安に行ってきた(数十年来の夢実現)。
兵馬俑見つけたじいさんにサインもらった。
「夏姫春秋」や「指」なんかは性描写が多い方だね
でもこの作者の性描写は下卑た感じがなくて、子供でも
分かりにくさはあっても読めないという事はない気がする
>>501 なんて羨ましい…
503 :
498:2010/07/07(水) 00:53:11 ID:OD0o/Gco0
>>502 そう、思い出した。「指」はエロかったな。
「項羽と劉邦」を飛行機の中で再読し、テンションを高めて西安へむかう。
始皇帝は大の土木狂で国家を疲弊させたけど、そのおかげで我々は世界文化遺産を見れるんだと思いつつ見学した。
西安の街はきれい(ゴミだらけの広東省とかとくらべて)だし、見れなかった回教徒の街とかもあるので、再訪したい街だな。
中国も人件費上がっているし、いつ元が切り上げされるかわからないから、
今のうちに、行きたいところはドンドン行きましょうや!
504 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/18(日) 17:38:55 ID:WpgzMeXD0
項羽とよりとも戦ってほしいっていうか
生意気なよりともをびびらせてほしい
俺は本宮ひろ志の漫画がこの時代に興味を持った最初かな
その後司馬遼の小説を読んだ
秦、張楚の独立した王達 、西楚。
これらが旧王族や有力者を一掃してくれたお陰で
無から湧いた人物ばかりだった漢が、
治めやすい土壌は出来上がってたと思う。
例
後は緩い内容だったとしても、いきなりの
法治国家への改革は、慣れずに悪政と思えただろうし。
タイミングも良かった。
いや、張楚の独立した王達 、西楚は旧王族や有力者が力持ってたんすけど。
>>508 つうか懐王の下ではそういう有力者たちも項羽を支持してなかったんじゃないかな
そもそも項羽は楚王にとっての簒奪者だから
>>502 夏姫が主人公だからどれだけエロいかと思えば、
大したことなくてがっかりしたことを思い出す。
隠れた名将 周蘭
おれの予想数値
武力76 統率84 知謀90 軍学90 政治63 魅力65
512 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/12(木) 22:52:44 ID:4/gqOYokO
この間見た夢の中で、俺が劉邦になって、謎の生命体が俺に取りつきすごい力を手に入れ、
項羽の軍を訪ねていって項羽を腕相撲で負かし、その生命体の事とか風水の事とかを項羽に教わってから別れて、
「すごい力を手に入れたけど自分は項羽にくらべるとまだまだだな・・・」
と思いながら虞美人と一緒に去っていく項羽を眺めた。
俺の外見は横山三国志の劉備だった。
513 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/12(木) 23:51:09 ID:Gdym/M6aP
正夢だと良いな
おやすみなさい
項羽って風水使うのかw
しかし、孔明とホウ統とどちらかいれば天下が取れるではないけど
張良・韓信・蕭何・陳平・彭越の誰か1人でも欠けてたら項羽に勝てなかっただろうってのが恐ろしいな
項羽チートすぎだろ……
いや、たぶん誰か一人でもいれば項羽は勝手に自滅するだろ。
あれだけ出発点に差がありながら、僅か数年でひっくりかえされことを考えれば、せいぜい項羽の格は王莽程度。
王莽って皇帝になる前は相当優秀な人物のような。
ある意味優秀なんだが、理想に凝り固まって現実が見えなかった人。
>>518 そういう人物になったのは皇帝になってからだし。
皇帝になる前は反対されてできなかっただけだろ。
521 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/14(土) 21:30:28 ID:l9lehL8hP
項羽=理想家、懐古主義者
劉邦=現実家、革新主義者
って前提と言うか印象はは、司馬遼太郎史観の賜物なのか
>>521 理想家で解雇主義者なら、数百年続く楚王の末裔で当時の主君の懐王の命に背いたり殺したりするのって変だよな
>>521 懐古主義者なら旧七国をいくつにも分割して新しい国をいっぱい作ったりしないと思うの。
524 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/16(月) 00:58:50 ID:F7FkdWG6O
つーか、そもそも項羽に倒秦後の青写真があったのか
また、その青写真を描く基となる思想信条があったのだろうか
ふと疑問に思った
525 :
月孔雀:2010/08/16(月) 09:05:13 ID:StOXxK/r0
項羽は地方自治を行った。その方が、庶民は幸せだから。
けれど、広い国土を仕切ることはできず、
不満分子の反乱がモグラのように発生・・・
>>524 七国を分割して弱体化させて、いい土地を独占した強大な西楚の相対的な優位を確立し、
諸侯の盟主として振る舞うって青写真だったんじゃないかな?
ビジョンだけなら意外と現実主義的ではあったんじゃないかと。
>>526 例の虐殺で旧秦に恨まれたことと、懐王殺害をやらかしたのが致命傷だったな
結局そのビジョンは楚の懐王が遂行していれば実効力があったかもしれないが、項羽では無理があったんじゃないかと思う
だって項羽は元々諸侯の上に立つべき存在じゃないから
楚の王でもないし、楚王の軍団のトップですらなかった
クーデターで無理やりトップの座を奪い取っただけ
その項羽が諸侯の盟主になるってことは、諸侯たちにも実力主義、下剋上を推奨するようなものだ
どう考えても平穏に済むわけがない
528 :
月孔雀:2010/08/17(火) 01:53:34 ID:PKPHCleM0
勉強になります。
529 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/19(木) 13:44:58 ID:gEp28wpIP
佐竹さんは無茶言い過ぎだとオモ
530 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/20(金) 21:06:53 ID:BWrcd9M5O
始皇帝が皇帝となった時の君主は皇帝以外には衛君だけ?
二世皇帝の時に衛君もいなくなり、反乱軍(二世皇帝曰わく盗賊)が張楚王と仮王を名乗り、王が復活。
六国がまた王を立て、秦滅亡後は十八人の王と義帝。
531 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/24(火) 09:16:15 ID:Vr4kZW4l0
大漢風のDVDをレンタルで観たけど、胡亥のバカ殿ならぬ“バカ帝”ぶりが最高だったな。
(馬と鹿の話の当事者だから、正に“馬鹿帝”w)
上の方でさまぁ〜ず三村に似てると言われてるけど、有吉にも似てると思った。
この役者、今度は香港のコメディ映画あたりで見てみたいな。
(本職はコメディアンに間違いないだろうから)
川本先生…
>>531 「大漢風」サイコーですよね!
私は劉邦役の俳優さんが大好きでした。
張良役、蕭何役の方も素晴らしかった。
でも一番感情移入したのは呂雉様♪
534 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/07(火) 20:38:24 ID:3HXubYtD0
大漢風のDVDをレンタルで観たけど,劉邦って豊臣秀吉に似ていると思いました。
例えば気前のいいところ、口先がうまい所序盤の城攻め等です
535 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/11(土) 07:48:55 ID:PXDIPfgu0
>>534 共に農民からの成り上がりだからね。
でも司馬版によると、劉邦は秀吉ほどの才覚はない。
本人は無能でも、人望と気前の良さで周りから担がれる、
足利尊氏に近いタイプに描かれてるな。
諸葛亮や李靖も、劉邦本人は無能で、天下を取れたのは部下のお陰と断言してるね。
曹植の漢二祖優劣論への諸葛亮の反論の件なら、曹植が、
・劉邦は部下に恵まれた。
・一方で劉秀の部下に三傑に及ぶ才能の者はいない。
・劉秀の方がすごいね。
と主張した文を名士界に発表したのに対し、諸葛亮は反論で、
・劉邦は部下に比べていろいろ乏しいから部下が目立つ。
・劉秀は部下と比べても才能豊かだから部下が目立たないだけ。
・あと劉秀は部下とよく同じ席に座って対等に軍議したから功は劉秀含め全員対等だったよ。
・だから劉秀の部下を悪く言うなや。
という劉秀の部下擁護のややピントの外れた主張をしたんだよね。
でもこれ両方とも三傑や劉秀と比べれば才能に乏しいと言われたってだけで本人が無能とまでは言ってないとおもふ。
まぁでも劉邦は孔明にキレていい。
おまえ漢朝再興したいんと違うんか、なんで踏み台にしてんのよと。
>>538 孔明さん、ひょっとして劉邦にかこつけて誰か別の人についてコボしてない?w
あるかもねw
単なる反論にしちゃ方向性が変だし。
時期わからないけど、夷陵の暴走した劉備を見て「少しは人の話を聞け」って思ったあたりかもw
劉秀は粛清もしてないし、建国までも建国以後も名君よなぁ
>>540 劉備が「馬謖は口だけだから重く用いてはいかん」って言ってたのをスルーしたのは誰だっけ?w
自分の欠点はわからなくても、他人の欠点はわかるんだよ。
「心に棚を作れ!」だな。
素で笑ったw
546 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/15(水) 21:35:03 ID:FeFM/CHVO
劉邦も劉備も人を見抜く才能はあったと思います。
それこそが南面する君主に必要です。
>>546 天才かつ傑物の項羽こと項籍にはそんなものは要らなかった(あれば完璧だが諸事が自分でやったほうが早かった)
褒め殺しか?
項羽は只の戦馬鹿だろ。
551 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/22(水) 16:11:03 ID:EtNtZPwaO
テスト
552 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/22(水) 18:18:25 ID:t2wVyZEMP
途中で飽きて放り出したのに、後世に残る詩作をしたり
モノにならなかったのに、会稽や死に際に数百人を殺戮
大略を知っただけなのに、臨機応変な戦術を駆使した男
史記は突っ込みどころ満載では?
劉邦って本当にそこまで無能だったの?
法よりも徳を持って治めるという儒家の徳治主義が広まったために
自らは君臨すれども統治せず、細々とした実務は部下に任せるという
劉邦像が後世になって形成されたということはないの?
>>553 別に法治でも実務は部下に任せるんだけど?ちゃんと仕事してるか管理するシステムが韓非子の法治だから。
例えば全く無能だったけど全てを部下に任せて名声を残したのが春秋時代の斉の桓公だけど、宰相の管仲は
法家の系列とされる。
劉邦無能論は誰が提唱したんだ?
司馬遼太郎か?
て言うか、中華ドラマや映画でも無能っぽく描かれてるよ
ニュースで総務省って言葉が出るとつい、肛門の会で首切られたあいつを思い出す
オレとんでもないことに気づいてしまった
項羽は秦の三世皇帝を処刑した後に咸陽で皇帝に即位すればよかったんじゃね?
つまり西楚の覇王なんて地方政権の領主じゃなく、
秦の始皇帝みたいに中国全土を統一すればよかったんだよ
なんで咸陽を捨てて、地元に帰っちゃったんだろうな
自殺行為だろ
>>558 マジレスするとそれは楚を含む全諸侯を敵に回すということだ
楚王がいるのに勝手に皇帝を名乗るということだからな、それは
秦の兵を大量に殺してるから秦の人間に恨まれ、故郷の楚をはじめとする諸侯ものきなみ敵に回るのでは、項羽も全く勝ち目はない
まあ楚王(義帝)を立てておきながら結局殺してるんですけどね
項羽バカス
項羽はアスペ
大体、項羽は諸侯が諸侯の上に立つことにも正統性はなかったからな
楚王がちゃんといて、その楚王が派遣した劉邦と項羽たちが秦を滅ぼしたんだから、諸侯の上に立つ権利があるとしたら楚王だけだろう
項羽はその将でしかない
しかも、項羽は楚王が決めた大将の宋義を独断で殺して軍権を奪っている
項羽側にも理由があったとはいえ、楚王から見れば越権行為だ
その奪った兵をそのまま使って関中に攻め込んで、すでに降伏していた秦王を殺し咸陽を破壊までしている
もうこの時点でどこにも中国全土の諸侯の主としても盟主としても君臨できるような正統性は存在しない
これだけやらかしておいて5年は滅びなかったんだから、むしろ健闘した方かもしれない
いや事後承認だが懐王は項羽を上将軍に任じてるぞ
>奪った兵をそのまま使って
以下の文は誤りだ
>>563 そりゃあ兵全部握ってるんだから事後承認はせざるを得ないでしょ
項梁が立てた楚王で、項羽は彼の後継たらんとしたんだったら、なおのことこういう事後承認強制みたいなことやってたら周りが付いてかない
のちに本拠を守る周殷があっさり劉邦に寝返るのも当然といえば当然だな
王の命令を尊重しなくていい、って前例を作ったのはほかならぬ項羽だったわけだから
いやいや周殷が寝返ったのは楚漢の末期じゃん
宋義殺しだけの因果関係で語るのは間違ってる
566 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/28(火) 15:24:50 ID:jAjV3d2rO
項羽は野戦では抜群に強かったけど、攻城戦はそれほどでも無かった希ガス
鉅鹿戦や彭城戦もあるのに何言ってるんだ?
鉅鹿城を攻囲する秦軍と戦ったのであって
項羽が鉅鹿城を攻めたわけじゃないけどね
彭城は油断しきってる漢軍に精鋭2万で夜襲かけて総崩れに追い込んだんだから
防戦体勢固めてた城を落としたわけじゃないな
570 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/02(土) 17:41:37 ID:EkKkffGAO
んじゃ、
>>566は肯定って事で
力攻めだから勢いだけで、オツムを使う攻城戦は不得手であると
戦略的には敵の不意をつくのは上策
__
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L::;;,__ ..:::ゝ
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/j/三三三三三三三三三三ヾ
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r┤ ト::::: \___/ ||
/ \_/ ヽ:::. \/ ,ノ
| _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
| _)_ノヽ\ ハ // / ヽ
ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ
朱元璋「しゅげんしょう」 (1328-1398):明の建国者。明朝初代皇帝、洪武帝(太祖)。
前漢の劉邦・蜀漢の劉備と同様に貧民の子から身を起こして、群雄を平らげ、元王朝を北方に追放する。
有能な家臣をほとんど殺し、十万人以上の処刑者を出したりと苦難続きだが、
持ち前の陰湿さ(残酷さとも言う)と、その恐怖あふれる発言で
混迷する明王朝を暗くしている(間違いない)。
その陰湿なキャラクターから、そのキャラクターが皆から嫌われていることは、
各種AAがあまり開発されていないとからも明らかである。
573 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/09(日) 08:31:39 ID:CZr7Qm+10
項羽は范増一人でも使いこなしてたら天下統一できただろうな
長続きはしないだろうけど
というか項羽は君主としては失格だけど武将としては超一流だった
項梁が生きていたら楚はもっと長続きしただろうな
それとも項羽は項梁すら斬っていただろうか
天下統一したじゃん。不当人事ですぐ瓦解しただけで。
575 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/09(日) 18:39:36 ID:KPMj+SD60
秦の中央集権みたいなそれまで存在してなかった概念よりも
戦国時代みたいな国々に分けて覇者として統治しようとした
それが項羽。
項羽じゃなくても、当時反秦の勢力で
「秦に変わって俺が全中華を統一するぞ!」と
考えてたやつはいない。それくらい突拍子もないのが
天下統一って概念。
>>575 分立状態にして言語も習俗も違う地域は土着勢力などに治めさせて
自分は直轄地からの軍事力を背景に各地の統治者を抑える
封建的な間接統治の方が統治コストは掛からないという単純な理屈なんだけどな
突拍子もない概念とかそういうレベルではなく
当時の統治技術では始皇帝という不世出の行政能力を持った統治者でないと
広大な中国の統治にはコストが掛かり過ぎて運営が立ち行かないだけなんだよ
楚の基盤を考えると国家の維持費はとても捻出できないし分立した連邦として支配するしかない
概念がなかったんじゃなくて単純にそんだけの国力が楚にはなかった
まあ誰が天下を取っても誰かが力をつけてやっぱり乱れちゃうわけで
仮に今でいう「中国」のような固まりとして成立するとしたら西に外敵を求めるしかねえんじゃねえかと
始皇帝に取って変わった劉邦がよく国を治めたかってやっぱりそんな事はなくて
始皇帝は非凡極まりないと思うけど
578 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/24(木) 12:05:28.23 ID:umxkv5tHO
項羽が懐王をアボーンしてくれたから劉邦が主殺しの汚名を避けられた。
580 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 12:27:22.27 ID:sa2U1USCO
項羽がもっと早く劉邦に
敗けていたら懐王を消したのは劉邦になるからな。
何で消すことが前提になってんだ?
582 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 16:04:15.94 ID:sa2U1USCO
天下を取れば用済み
用済みにしても消さないっていう選択肢もあるだろ。
うまくお引き取り願えばいいんだ。
>>583 もちろん、それが出来ればそうする筈。上手く行かなかった時には消えてもらう事になる。
585 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 22:25:05.58 ID:sa2U1USCO
いつまでも神輿の地位に
満足しない懐王がNo.2の
劉邦を排除しようと目論む可能性も有るからな。
ウサギが尽きイヌは煮らる
秦も項羽もいなければ功績の大きい劉邦は主の脅威。
実際に劉邦も韓信や鯨布に同じ事をしたし。
張良のように大きな土地はいりませんと辞退しておけば助かっただろう。
でも、韓信も黥布も野心は王や帝になる所にあるのだから、辞退なんてするはずがないから、天下が治まったら滅ぶしかない。
587 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 16:18:13.22 ID:oo2hU9f+O
カダフィ=秦の章邯将軍
反体制派=陳勝・呉広の乱
劉邦と項羽がいないから
リビアの反乱軍は勝てない
588 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 00:46:35.10 ID:DMpkEVr00
反体制派が赤眉軍なら良かったのに
>>587 これから出てくるかもしれないじゃないか。
590 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 20:02:57.07 ID:dE8H55050
591 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 04:46:28.91 ID:S0vKOWMAO
>>587 代わりに匈奴、山越、抵、羌の異民族を援軍として
要請したぞ!www
593 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/29(火) 00:28:27.80 ID:yKuzHdE9O
人萌
三国志11の異民族並みだなw
30万の兵力を持つ異民族4つが全て参戦してきたような絶望感
595 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/30(水) 09:54:55.21 ID:pRm9jgsxO
フランス=匈奴
>>575 項羽の時代のシナ人は連邦制のほうが
歴史的に普通の感覚だわな
ヨーロッパ統一を仮に成功させたとしても、なんかのきっかけですぐに瓦解するわな。
あのさ、一般人の知名度って劉邦を100、項羽を99とした場合。
陳平ってどれくらい?
5くらいかな
劉邦100
項羽100
韓信30
張良20
ショウカ5
陳平5
こんな感じ?
項羽は四面楚歌の漢文で有名だし劉邦は世界史で出てくるし
簫何5かー
曹参は4くらいかな
歴史小説で取り上げられれば一気に有名になるかもね
歴史小説なら
陳平より周勃がいいな
項羽と劉邦はタイトルになってるけど、他の人物はまったく知名度ないよなー
この前姉と話していたら楚漢戦争の話題になったけど
「リョウなんとかさんだっけ、絶食して死んだ人。あの人が好きだった」
「……もしかして張良のこと?」
とリアルでこういう会話になってポカーンとした
張良の知名度でこれだから、他は推して知るべしだ
蕭何は三傑として韓信・張良と一括りで語られることが多いから
陳平よりは知名度高いような
陳平がいなければケイヨウ辺りで劉邦戦死してただろうね
嫁に聞いた結果
項羽以外知らんかった
そんなものともいえるだろうよ
背水の陣や四面楚歌を知っていようと、
「韓信?誰?項羽?誰?」
って人なんか大勢いる
確かに背水の陣は知ってても韓信は知らない人多いかもね
日本人は三国志演義には異常に詳しいけど楚漢戦争は知らない人多いもんな
世界史でも出てくるのは劉邦だけだし
陳勝・呉広も出てくるぞ
知名度ランクってこんな感じ?
項羽、劉邦
虞
張良、韓信
簫何、雖
英布、曹参
陳平、彭越、范憎、レキイキ
周勃
魁皇
虞美人のほうが知名度は高い気がする
そうかな
さすがにないと思いたい
項籍ならわからんが
ぐるぐる先生の結果
"虞美人" 約 8,150,000 件 (0.22 秒)
"項羽" 約 556,000 件 (0.20 秒)
"劉邦" 約 1,880,000 件 (0.23 秒)
やっぱり四面楚歌の漢文が効いてる感じだね
項籍も知名度ないね?
項籍って最強だよね?って聞いてもはぁ?誰?って人が多いはず
>614
でも虞本人の知名度は?と言ったらかなり微妙な気がする
>>616 項籍が生きてれば項羽もあんな哀れな最期にならなかっただろうし劉邦も諸侯止まりだったろうね
ただ秦を妥当したあかつきに楚王と項籍の関係がどうなったかは悩ましいね
項羽みたいな露骨な手は使わないだろうけど
>>618 確かに項籍の知名度が低いことが良くわかるレスだ
どうも項籍が項羽本人なのをわかってないやつが1名いるようだな。
項梁涙目wwww
何だこの流れwwww久しぶりに吹いたwwwww
そういえば普通の人は項籍が本名で羽は字であることも知らないんだな
項籍羽と書いてあるのは見たことがないな。何故かはしらないが。
張良子房とかは見るのに。
字が二字の場合、名と字の区別がつきやすいからじゃない?
同じ意味で、劉邦季とかもそう多くはないはず
まあ、姓+名+字っていうのも変な表記なんだけどな
本来は姓+字、姓+名でとどめるのが普通
史記の中で、項伯纏という姓+字+名の表記があって
何でこういう表記なのかって注釈という名のツッコミが入ってるし
結局どう呼ぶかってのは、日本語のごろで決まってるだけかな。
語呂でそういうミスをする人は多いだろうなー
中国史好スキーとしては、いつまでもそういう書き方していたらちょっと恥ずかしいけど
629 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/06(水) 09:23:35.82 ID:htqrGBhjO
>>618 項梁?が生きていたとしても劉邦が部下の地位に満足していたとは思えない。
>>629 項羽と二人だけで郡を制圧したほどの男だからな
項梁が生きてたら(生きてるまま秦を制圧)義帝体制がもっと長かったと思う
生きてる間はその楚が牛耳る春秋戦国的な体制が始まって…
項羽がどういう自立を目指したか&その体制での立場が想像できんなあ
項梁が志半ばで死んでるからグランドヴィジョンがわからないし
それこそその体制だと項羽は粛正か?
項梁の死ってのはかなりターニングポイントだと思う>楚漢戦争
項梁の死をきっかけに、項羽を抑える目的で
劉邦、宋義が抜擢されたからなー
項梁が死ななければ、劉邦飛躍の目はなかっただろう
ただそうなると、項氏vs楚王室の戦いになりそうだけどif妄想はこれくらいが限界だな
項梁が生きていたら義帝からの禅譲による帝位簒奪を目論むのかな?
それ以前にそれをやった人はいないから、その発想が出たかどうかってのもある。
義帝の前の秦に滅ぼされる楚王は将軍である項燕が擁立したのよね
何気に項家は力を持ってたりするんだけど項梁は傍流なわけで
嫡流は項籍なので項籍が主 項梁は項籍が居ないと項家を牛耳れなかった
項梁よりも実は項伯こと項纏の方がより主流に近い
>>634 禅譲は、戦国時代の燕がやっているけどものの見事に失敗してるしなー
>>635 項伯って項羽から見て季父じゃなかったっけ?
>>636 燕のは「堯と許由」ゴッコして天下に名声を広めましょう、という家臣の嘘に乗せられた訳で、
武力を持って禅譲を迫っても義弟の側にそれを受け入れるという先例が無いからなぁ。
>>636 そのへんがはっきりしていないんだよな
項伯の伯はあきらかに長兄を指す字だから、普通に解釈すれば伯父って事に
なるんだけど、記述によっては季父だったりとよくわからんのよな
639 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/10(日) 03:02:45.08 ID:lIBi+3bD0
江南地域の楚が天下統一してたらその後の日本と
綿密な関係が良くも悪くもあったかもしれない。
長江文明の末裔同士として
考えられるとしたら
項羽の父 →嫡子たる長兄→項燕とともに処刑
項伯(項纏)→項羽の残された叔父の中での最年長
項梁 →項羽の叔父の中では年少
ではなかろうか
史記では項羽の叔父として項梁がメインなので
項梁よりも歳が上と言うことで項纏を伯としたとか
流れ無視してごめんだけど楚漢戦争や勝利後の劉邦とかの事を解説してる良サイト知らない?
何で項羽が項燕の直系? と思ったけど
項梁が項羽の叔父(父親の弟)と書かれているからか
あと、項伯の伯は、妄想の妄想で
劉邦、張良、項伯の義兄弟関係の”伯”という可能性はあるのかな?
義兄弟で伯を名乗る例を知らないけど、項伯は後に劉姓を賜っているので……
>>641 ネットよりもいろいろな媒体や出来れば文献で調べた方がいいよ
サイトには偏見が入りまくってるし劉邦や韓信しか書いてないから
誰か何か言え
法は三章のみ
「劉邦は最低の人間だった」に100,000ペリカ
647 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/20(金) 00:11:00.09 ID:GTq5MAIo0
劉邦は決して褒められた人間ではないわなー
彭城の略奪は戦略的にも政治的にも最悪の失態
99%勝ちだった目を潰し、西魏・趙の離反を招いた
韓信が挽回してくれなかったらどうなっていたことやら
648 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/20(金) 06:54:11.11 ID:n5dgjpaA0
個人の能力は無いが何故か人を惹きつけ集めて活かす劉邦
個人の能力としては史上最高クラスの覇王だが人の力は活かせない項羽
対照的な二人は当初同じ目的の為に戦うが目的を達成した後は二人で争うことになる
そして仲間を集めた劉邦は前半苦戦するが後半逆転して項羽を滅ぼす
この構図が最高なんだよ
メチャクチャかっこいい
649 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/21(土) 04:45:05.55 ID:dSCqs1Sc0
司馬遼太郎の書く劉邦はかわいいからな
650 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/21(土) 17:55:16.40 ID:wXlboRTd0
誰かの書いた劉邦は粛清までが予定の範囲内で
ものすごく腹黒かったからギャップがあるよな
どっちにしてもゴマをすってれば何とかなりそうな
項羽の方が理想の上司だな俺みたいな一般市民は
子供を馬車から捨てまくった時点で、俺の中で劉邦は最低に成り下がりました。
652 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/23(月) 21:23:05.58 ID:AUSMFdIy0
まあ、無敵の項羽を唯一撃破したのは劉邦なんだけどなあ
ただ人格面で相当なことやらかしている、と史記は描いている
司馬遷が劉邦に辛いのか、司馬遷をしても隠せないほどのことなのか
当時は親が健在なら子供はまた作れるって価値感だからな
中国の2大勢力の決戦はこれが初と言えますか?
殷vs周
656 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/11(土) 13:44:29.44 ID:2Gd79q4Z0
鴻門の会で、項羽が劉邦を切っていたらどうなったか?
657 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/11(土) 13:46:39.83 ID:2Gd79q4Z0
>652
司馬遷は、武帝に宦官にさせられたため、その恨みから
項羽に肩をもち、劉邦を蔑んだと思われる。
項羽には、同僚を切る勇気がない。結構慈悲深い項羽。
>>656 項羽が天下を取るが長くは持たない。大乱となるだろう。
660 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/11(土) 23:39:25.59 ID:6eQEqCXS0
劉邦が子供を投げ出したエピソードは部下からしたら
「おれは劉邦にとって自分の息子以上に大切な存在なのか」
って感動させるエピソードでしょ。
それが劉邦にとって計算であれ天然であれ、やはり劉邦は人身掌握に長けてると思うわ
ある程度は居たであろう護衛の将兵が全滅した後の、夏候嬰と子供しか乗っていない馬車でしょ?
そこで子供捨てても、2行目みたいな事は誰も思わないと思う。
まさか御者を降ろす訳にもいかないし
ですよねー
家族より天下や覇業が大事だってことだな
あの段階で自分がつかまったり死んだりすれば全部終わりだから
現代でも家族を大事にすることはいいことだが、総理大臣なんかが仕事より家族を優先したり、自分の家族だけは助かるようにってやってたら総スカンだろ
それに自分自身が危険を顧みない、いつ死んでもいいっていうのもある意味無責任だ
劉邦が父を見捨てようとしたときには、項伯だかが「天下を治める者は家族を顧みないから無駄ですよ」って項羽に言っている
当時の感覚は孝行、家族愛、子供を見殺しにしてむごい、といっただけでは測れない
孟子「考は徳の第一目!父親が罪を犯したら王の位を捨てて父と逃げろと言っただろうが!!!」
家族捨てても権力欲するなんて現代人にも分かること
最初からそういえばいいのよ
つーかあそこで夏侯嬰が子供を助けてなきゃむしろ
「欲のために家族も捨てるなら臣下だって使い捨てにされる」って疑念が広まったろ
垓下前の韓信・彭越や雍歯の話でも記されてるように漢軍の大多数は恩賞目当てなんだから
少なくとも天下が定まる前にこういう事するのは覇業を危うくしかねない
ほんま夏侯嬰は真の忠臣やで
と言ってあそこで死んでたらすべてが終わり。でも夏侯嬰が拾いに行っても逃げ切れる余裕があったんだから
劉邦の判断ミスではある。
後世の視点から、道義的立場で断罪するのは不毛だと思うんぜ
2000年以上前の中国の価値観と現代の価値観を同列に語るおとこのひとって・・・
そんだけ劉邦がパニクって必死に逃げようとしていたっていうのと
劉邦が身内・血縁者に対して冷たい面があるっていう話なんだろうね
劉邦は身内じゃなくて他人の力によって大きくなった人だから
どんだけ劉氏が王になったと思ってんのよ
劉邦的には自分>>血縁>>他人よ
別に狭量とかではなく普通のことだけどね
劉氏の場合封爵と功積は比例してなくね?
王に封じられた中で、唯一まともな功積が分かるのが劉賈くらい
自民党から小鳩に一言
ロ矣、豎子不足与謀
>>672 いや、劉邦は全然身内に冷たくないよってことをいいたくて
>>674 それは俺が悪かった
>>670の最後の行に対するレスだと思い込んでいた
劉邦は儒徒を嫌ったらしいが
宮中儀礼には儒教を結構用いているから少し面白い
叔孫通がそれだけ遣り手だった、という話かもしれんが
ところで、劉敬ってあいつ何者なんだろうな
漢の功績順がわかる本やらサイトやらってないんですかね
1番は蕭何、2番は曹参、3番は張敖・・・ってな具合に
長江文明=楚だよな。
吸収合併されちゃったな
>>666 でも、それ誰の子どもだ?
劉邦も知ってたんでないか、呂皇后がずっと浮気してたって。
(この頃は、独占の意識ってなかったんでないかな? もっとおおらかだった。
劉邦だって、背中に赤い竜の入れ墨のある男が、母親犯してできた子どもじゃまいか)
683 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/11(日) 10:45:40.45 ID:CNtT6PY70
お前はサンジェルマン伯爵か?
684 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/11(日) 16:10:18.21 ID:YZ4oYBor0
>
>>534 共に農民からの成り上がりだからね。
でも司馬版によると、劉邦は秀吉ほどの才覚はない。
本人は無能でも、人望と気前の良さで周りから担がれる、
足利尊氏に近いタイプに描かれてるな。
下層民衆からのし上がり時流に乗り天下を盗ったが
後年迷走暴走やらかして汚名を残した点は似てるかなと以前から思ってた
秀吉配下の武将たちの末路も似てるかも
劉邦のは暴走じゃないよ。帝国の安定化にはある程度必要な処置。
686 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/11(日) 22:26:55.73 ID:YZ4oYBor0
本宮の赤龍王、横山の項羽と劉邦しか読んで無いけど
嵐の粛正は劉邦もそうだが悪妻呂智?や呂一族の謀略じゃね?
このスレ読んでショウカすら疑われてたと知ってビックリ
687 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/11(日) 22:55:54.89 ID:YZ4oYBor0
>>687 ビビった韓信が自決するように頼んで、鍾離昧もガッカリして恨み言いいながら自刎した。
>>686 蕭何が疑われたのはまだ項羽が健在の頃で疑いを晴らす為に一族の男たちを戦場に
送り込んだりしてる。あ、粛正期にも疑われてるか。
>>687 鍾離昧が自刎して韓信が首を届けた
まあトリガーマンが誰にしろ我が身可愛さが透けて見えるのは確かだろう
同じく項羽配下の季布とそれを匿った朱家の話と比べたら弥が上にもそう感じる
>>684 劉邦無能論はおなかいっぱいです
下層民衆からの成り上がりと言われているけれども
蘇秦にしろ、呂不韋にしろ普通の自由市民から成り上がっている点では
劉邦と同等だよ、特殊ではあるけれども、この時代のひとつの趨勢とも
言うべき存在
秀吉自身もそもそも下層階級出身ってのは最近は否定されてきてるみたいだし
)
( ̄!ー─--、 ) お. こ
〉 /\__/ヽ`i ). や れ
. / 〉 || ) じ
|: /__ __|_ )
(^Y ━` i´━'| ´Y⌒Y⌒Y⌒
ヽ_, __ 」__ |
/'ヽ ┠─┨/
/\.,,ヽ┃ ̄┃、
692 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/14(水) 21:12:39.23 ID:kprTSRv90
劉邦が天下統一出来たのは、項羽という対極的な人物がいたからだろうな
立ち回りが猿並みだったのもあるし、色んな意味で劉邦にとっては有り難い
比較対象だったのが項羽
韓信が三国鼎立する道もあったが、劉邦と決別して勢力を維持出来るだけの
カリスマがあったかどうかは疑わしいな
でも、斉出身の兵などは韓信に流れる可能性もありそうだ
三国のまま硬直状態に突入すれば、一番年長の劉邦が最初に死んで、項羽と
タイマン対決になって勝つイメージは浮かぶ
693 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/15(木) 08:39:35.63 ID:VfXQOR1V0
韓信だって斉攻略で、功を焦ってレキイキを陥れて似殺させたし
横山マンガに因ると張良はレキイキに推薦されたとあるが
Wikipediaでは違うように書かれてる
どっちが正解?
694 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/15(木) 08:41:55.01 ID:VfXQOR1V0
訂正
似殺させた ×
煮殺させた ○
2ちゃんねる的にはヌッコロさせた ◎
695 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/15(木) 11:16:04.11 ID:o4YhiFdU0
>>693 酈食其が推挙したのは、自分の弟。
張良は、反乱軍の挙兵に呼応して劉邦に合流したらしい。
696 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/17(土) 09:49:50.79 ID:5oQ8hz5I0
横山は創作して勝手に描いてたのも少なく無いから裏を取らないと危険だな
限られた枚数で書かなきゃならない都合上、登場人物やイベントを減らしたり改変したりはやむを得ない。
司馬遷の書いた史記も諱を避ける都合上、名前が違ったりする訳だし。
698 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/17(土) 16:23:58.69 ID:JMGbEBLt0
確かに大人の事情は致し方ない
もちろん不可能と言われたマンガで三国志を描き続けた御大の苦労は評価されるべき
しかし読者が子供の場合、マンガがホントで他はウソと曲解してしまう危険もある
現在連載中のキングダムで斉が2城を残して滅亡寸前まで追い込まれた
と描かれていて斉が小国と勘違いしてるようなのもいるから驚きだ
やなりある程度史実を調べて裏も取らないと
しかし
>>698 キングダムは読んでないけど楽器か。斉は確か70幾つ城邑があった上での残り2城だからこそ
滅亡寸前なのにな。っていうか、その直前に東帝を称したとか出てこないの?
700 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/17(土) 19:12:55.82 ID:JMGbEBLt0
キングダム週刊young jump連載中だから読んでみると良いよ
なんちゃってバイアス掛かり過ぎて憤死ものだよw
秦が戦乱の古代中国の覇者となるまでの物語の軸らしいが
ご都合主義的でかなりヤバい
701 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/17(土) 19:15:30.78 ID:JMGbEBLt0
横山史記とか読んでれば有り得ない解釈なんだけどね
呉越同舟の語源のエピソードの後の話だろうねキングダム
702 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/17(土) 21:07:59.89 ID:gBPD+ojq0
キングダムは、歴史をどう解釈して描くかが楽しみでもある
当時の戦術や戦争事情なんかは、スーパージャンプのビンの方が
圧倒的に御都合主義だな
>>701 スマン。キングダム読んでないから何でここで呉越同舟が出てくるのかマジで判らん。教えてくれ。
ちなみに呉も越も春秋時代に滅んでるからとっくの昔なのは間違いない。
>>702 >スーパージャンプのビンの方が
キングダムはまだ名前くらいは知ってるが、こっちは全然判らん??
704 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/17(土) 23:03:18.32 ID:kuzM9ynT0
705 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/17(土) 23:10:22.91 ID:kuzM9ynT0
706 :
田斉より引用:2011/09/17(土) 23:20:23.26 ID:kuzM9ynT0
衰退
更に?王は宋を滅ぼした。しかしその裏では、燕の将軍楽毅主導による諸国連合の策謀があった。紀元前284年、楽毅に率いられた燕・秦・趙・魏・韓の連合軍により斉の軍は大敗した。
楽毅により首都臨?が陥落させられ、?王は亡命先で殺された。楽毅により滅亡寸前にまで追い詰められるも、田単の活躍により襄王が即位し、何とか斉は復興した。とはいえ国力は激減しており、かつてのように秦と天下を争うのは無理になった。
その後、斉は秦によって滅ぼされてゆく他国を傍観する政策を取った。この政策により束の間の平和を手に入れることができたが、最後には孤立無援の状態で秦と向かい合うことになった。
紀元前221年に秦王政によって派遣された将軍王賁により、最後の王・建は捕えられ、斉は滅亡した。結果的に斉は、秦を除いた「戦国七雄」最後の一国となった。
微妙に日本語が不自由な人だな
>>704 それは田氏が斉を乗っ取る前だな。呉王夫差が斉を討ち、会盟を開いた。会盟を開くというのは諸候を呼んで
自分が覇者と認めさせる事。ところが晋が認めないと言って争いになった。そうこうするうちに越が呉に攻め込んで
帰国する事になる。(斉は大国だけど呉に負けたから発言権は無い。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/夫差 孫ピンはもちろん知っているけど、孫武の子孫とはいうけど孫というのは聞いてないな。その連載の事も知らなかった。
wikipediaの記事にリンクがあったから概要は判ったけど。
709 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/18(日) 05:17:09.43 ID:3+gZJeiS0
>>703 キングダムは、呂不韋全盛期の戦国春秋時代
まだ政に権力は無く、連載は現在5国連合による秦総攻撃中
歴史に沿った進行ではあるが、少ない史料から人物描写を拡大解釈した
熱血バトル漫画になっているのが面白い
ビンは、孫ビンが孤児とかを集めて超人部隊を組織していたり、その部隊が
鐙などのオーバーテクノロジーを使いこなすトンデモ歴史漫画
孫ビンは若い優男で、部隊の女や敵の女スパイに惚れられてハーレム状態
現在の連載では、顔が半分壊れた単于率いる騎馬民族との国境戦中
この単于も投石器使ったり相当で、展開は基本的に後出しの策謀インフレ
710 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/18(日) 08:47:49.06 ID:oUXdFcKW0
>>709 春秋時代と戦国時代は区別してくれ。周が殷を滅ぼして天下を支配していた時代を西周、夷狄である
犬戎の侵入をきっかけに周の天下が傾いた時代を東周と呼ぶ。東周時代の前半は諸候が覇を競いつつも
まだ周の権威や古くからの礼が生きていた。この時代を春秋時代と呼ぶ。時代が変わって斉が田氏に乗っ取られ、
大国である晋が趙/韓/魏の3つに分割された。この二つの事件はともに臣下が諸候に取って代わる下克上の
典型とされ、三晋の成立をもって戦国時代のはじまるとする。(異説あり)
孫ピンは歴史書にはほう涓とのいきさつくらいしか書いてないから創作の余地があって良いんだろうな。
712 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/19(月) 16:55:45.06 ID:h4ak2FLl0
3行でまとめろ、まで読んだ。
ゆとりは
読まんで
善い
715 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/23(金) 19:47:25.93 ID:Na376uC60
蒼天航路みたいなものか
>>715 基本創作っていう点では似たようなもんだな
717 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/24(土) 04:04:25.10 ID:wdLLjRqj0
>>714 ゆとりは応用問題に弱いとよく言われるが、実は基礎もダメ。
>>717 基礎も簡略化されたのしか読まんと、さらに考える力が無いからな。
教えられたとおりに項羽を【悪人】としか取れん幼さや歴史書や史家の嘘まで思い至らんし。
719 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/24(土) 12:48:23.85 ID:Vt+El+pO0
項羽=リョフ+ソウソウ=信長
劉邦=秀吉+家康
と釣ってみる
上で漫画の話が出てたけど
ネット漫画のカンニングスタンツってのが項羽と劉邦の話で面白いよ
まだ陳勝と呉広の乱が起きたとこまでしか書かれてないけど
この時代を知っている人ならクスっとしてしまうような描写が多くてオススメ
(例えば雍歯と劉邦が最初からヤクザばりのケンカをしてるとか
何気なく登場した陳勝の兵士が荘賈という名前だったりとか)
ネット漫画だから更新が不定期だけどなかなか本格的な歴史漫画っぽい
721 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/01(土) 19:24:39.88 ID:482xA1fq0
>>720 なかなか面白かったけど
ギャグで行くのか任侠で行くのか的を絞って欲しい
ネット漫画にしては良い出来なので、少し期待してみてる
723 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/11(金) 21:23:33.52 ID:YV1TRQvv0
>>516 三傑のうち一人か二人足りなかったら項羽が自滅する前に
劉邦が終わってる可能性も十分あるような気もするけど・・・
亀レスすまんす
725 :
非決定性名無しさん :2011/12/19(月) 18:30:31.69 ID:1Z0iuf1O0
金正日が死んだ(始皇帝)
北朝鮮に英雄が立ち上がるぞ
金正日を中国史でなぞらえるなら煬帝だと思うが
金正日ぐらい好き勝手やって天寿を全うできた暴君も珍しいな
暴君っつー感じじゃないなあ>金正日
煬帝は似てるかもしれんが超スケール小さい版&無害な感じだな
なんつーかリーダーシップすら感じないし
何気に金日成は劉備とか劉邦っぽいかも
バックがついての開国だからそこまで英雄的じゃないけど
729 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/22(木) 05:18:29.84 ID:nC4nPYxV0
金正日の目立った功績(いい意味でも悪い意味でも)って核開発ぐらいじゃね
ポル・ポトみたいにとにかく殺しまくったわけでもないし
項羽も一応暴君に入るのかな
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/12(木) 08:08:17.56 ID:2w9aHkQHO
宮城谷の楚漢名臣列伝が面白かった
周勃って楚漢戦争時代は何してたんだろって思ってたら
どっちかっつうと楚軍より漢領土内の反乱軍と戦ってたのね
項羽も劉邦も暴君
部屋もYシャツも私
734 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/03(金) 18:57:23.70 ID:IJ+SPDaa0
中国の掲示板にて項羽と劉邦についていろいろと見てたら
劉邦陣営の一人として
「貧士韓良」
という名がでてきたんだけど
これって誰だかわかります?
韓信のことなのか、
それとも韓信と張良のことなのか。
>>734 知識不足の分際でレスするけど
「貧乏暮しの韓信と張良」としか思えなかった・・(張良って貧乏か?^^;)
韓信のアザナ、ぐぐったけど見つけられなかったorz
楚漢時代に韓良って人は聞いた覚えがないのだが。
貴族の張良、貧しい韓良、策士の陳平…
みたいに並べて書かれてないか?読める人教えて
普通に韓信の打ち間違いだと思うが
同郷の士である蕭何、南の韓の貴族の張良、貧しい士であり帰順した韓良と
並ぶから普通に韓信のうち間違いだろうね
文脈的にも劉邦陣営の傑人の説明だし
しかし、中国人が司馬遼太郎の「項羽と劉邦」を話題に上げているのは少し面白いな
738 :
734です。:2012/02/12(日) 17:15:08.07 ID:p7jZO93I0
739 :
734です。:2012/02/12(日) 17:27:38.57 ID:p7jZO93I0
>>737 司馬遼太郎は中国でも一定の人気はあるようですよ。
中国の掲示板サイトでは司馬遼太郎板もあるくらいでしたから。
でも、司馬遼太郎は中国では「右派」ということで、
積極的にはその作品の翻訳版は出ていないみたいです。
正直言って張良陳平より亜父のほうがすごい気がする
と言っても結果出せなかったからな。
>>740 主君の性格を理解した上で操縦できなかったという時点で范増はダメだと思う
>>740-742 あんな主君のわりに范増はよく補佐したと思うよ。上司運がなかったんじゃね?
でも敵陣営に走ったりせずに憤死という辺り、楽毅や范ショにつながる美学を感じるが・・贔屓目すぎるかw
美学で良いと思うよ
張良陳平役を1人でやったと言っていいのかな?
それは無茶だな…よく頑張った
>>744 張良は外交等の担当、陳平は情報戦・謀略戦を担当だからちょっと違う
劉邦・韓信がやっている戦略・作戦レベルでの項羽の補佐役ってところかと
逆に言えば、劉邦・韓信レベルの戦略眼の持ち主と言ってもいいわけだから
相当有能な部類
張良はもう少し上の政治戦略的な部分なんだよなあ
范増はこの分野は特に献策していないのが残念(ほぼ項羽の独断)
陳平も韓信も元々項羽陣営なのがね・・・
>>745 了解d
史記読めばわかるかな?手元に中公版があるんだ
敗者だから仕方がないけれど、項羽以外の楚陣営の記述が少なすぎて困る
司馬遷が意図的に削ったんじゃないかという論が立つくらい少ない
ただ、少ない記述を見る限り、
張良と范増の役割・ポジションが似ていて
陳平は陰謀・謀略の部分が大きいのでやや違うんじゃないか、と思ってる
しかし、楚陣営と漢陣営の人間を比較対象するのは楽しそうだなあ
龍且と韓信、周殷と蕭何とかね
季布と鍾離昧の対比先がちょっと思いつかなかったけど
横光項劉だと范増スーパーマンで張良絶望したりしてかっこいい
項羽というより范増どうしようみたいなふいんき
顔テンプレもいいのあてがわれてるから超優遇
王陵は贔屓しすぎてわけわからんキャラになってしまった
だがしかし最強にわからんのは辛奇
虎殺しという強キャラだがあれ、これ辛奇じゃね?という散りっぷり
三国志末期で言う所の
孔明=范増
っていう感じかな
漢は張良、陳平、韓信、蕭何と人材が揃ってるのが魏に通ずるものがあると思う
項羽が器用だったせいで人材集めに関心が薄かったのが悲劇だね
曹操も器用だったせいで結構手痛い敗北してる気もするがw
752 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/11(水) 11:35:53.27 ID:9PiuGqgf0
実はね四川省では中国の共産党がかなり高度な、
核エネルギー関係の施設を持っていて研究が進んでいた。
恐らく核融合発電とかそういった分野も、
研究していたと思うんです。
でその辺がまるごと潰された、地震で。
だからあれは恐らく我々が遭遇したのと同じような目的で、
行われた人工地震だったという可能性があります。
http://www.youtube.com/watch?v=OPiJMaTa1DM そして当然ながら中国のインテリジェンス、
つまり特務機関と言ったら違うな、
諜報機関の人たちは、そんなの知ってるわ。
で当然ながら四川の地震についても色々調べてると思う。
誰が、本当は何が原因だったのかというのは。
そうなったらさ、もうさアメリカとつるんだ連中は絶対、
権力につけたくないじゃないですか。
自分の国を壊しちゃうじゃないですか、そんなこと許したら。
だからあんだけ習近平のまわりをいじめてるんです。
もう必死なんです胡錦濤派は。
国家を守るためには、中国を守るためには
習近平派閥を排除しなければダメなんです。
本気でやってます。
でシリアでは一生懸命なんか政府側が凄く悪いことをしていて、
虐殺をいっぱいやってると。
で反政府勢力はかわいそうであるというイメージ作りがされているんですが、
実際には反政府勢力というのは傭兵部隊、お金で動いてる連中。
したがってユダ金から金が滞るとすぐやめちゃうわけ。
だから今もう戦争なってない。
結局拠点から撤退して、もうシリアの内線は尻窄み状態。
でシリアを大イスラエルの一部にしようという試みもまた失敗
http://www.youtube.com/watch?v=WkWrMmwGBDY
754 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/27(木) 23:01:34.39 ID:fvJKCloU0
新安大虐殺は漢軍の自作自演だ!
司馬遼項劉は数ある楚漢小説の中でも一等図抜けて素晴らしいと思うんだが
ここで描かれてる人物像が、史記の記述をあまりにも上手く肉付けして生き生きと活写しているものだから
他の媒体での描かれ方がどれもこれも満足できないとゆー困ったことになってしまう。
誰か教えて下さい
大漢風で虞姫役の楊恭如さんっぽいのがAVみたいなのに出てるのですが
これ本人でしょうか?
757 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/16(水) 16:03:27.21 ID:yGRZ869q0
劉邦の晩年てどうだったの?
最近司馬さんの読んで劉邦の人の良さに驚いてたんだけど、劉邦も晩年は中華高齢の老害になったりしたの?
☓高齢→○恒例
古代中国の王って晩年はどれも暴走老人になってた気がするんだよね
まぁ中国に限ったことではないけど…
>>757 晩年は子孫にとって障害になりそうな連中を排除したやり手だった
まあ粛清しないと凡庸な子孫が帝位に即いた時には困るわな
>>757 むかし項羽の追撃から逃げる際に馬車から捨てたりした嫡子(後の恵帝)を廃嫡して側室の子を
世継ぎにしようとして、張良に阻まれたりしてます。張良が救ってくれなかったら恵帝はどうなっていた事か?
その一件で呂后の恨みを買った趙王如意は暗殺されました。
とりあえず陳平を粛清しなかったのは、大正解だったな。
劉邦はハンカイでさえ疑ってるからなぁ
陳平と張良が粛清されてないのはやはり?陽やセイコウの絶体絶命状況でも一緒に行動してたからかね?
陳平が居なければ劉氏は2代で滅んでたな
盧綰ですら粛清されかけたしな
他に疑われなかった人物といえば夏侯嬰や灌嬰か
765 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/23(水) 22:50:31.69 ID:JMWZ/Z4j0
人間のまともさ
劉邦>>∞>>毛沢東
呂后>>∞>>江青
蕭何>>>>周恩来
呂后>>∞>>江青
これは同レベルだろw
毛沢東は中共建国後は権力闘争の内ゲバに明け暮れた挙句大躍進や文化大革命で自国民3000万人殺した英雄
周恩来はそういう毛沢東や江青らの4人組の暴走を命を張って止める訳でもなく処世術で生き延びただけ
周恩来はどうも実像と虚像の差が一番大きな気がするな
767 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 04:56:33.08 ID:nFDNdy2p0
全然同レベルじゃないよ
残虐行為を宮廷内だけで終わらせてた呂后と
虎の威を借りて国内全土を掻きまわした気違い江青じゃ
周恩来は同意だけど周恩来がいなければもっとひどくなってたかも知れない
周恩来って陳平になり損ねたな
毛沢東死後まで生きて四人組排除してりゃね
769 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/01(金) 20:16:01.82 ID:Et8z5y1X0
はっきり言って天安門のケザワの肖像を劉邦に変えてもいいくらいだ
どのみち漢民族主体の国だしな
気違い老害のケザワより末期には老害になったがもともとは人の話をよく聞く劉邦のほうがいい
劉秀か趙匡胤にすべき
中共の圧政は朱元璋レベルだが
>>770 いやだれがなっても圧政
昔はせいぜい火縄銃や大砲が限度だったが
今は戦艦や核、空母、などモノが違う。
昔の人間がこれらの兵器を所有してたら普通に圧政
772 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/02(土) 21:12:29.85 ID:rjaPOPfj0
持ち物が今の時代からして古臭くても始皇帝のは圧政
>>772 始皇帝も圧制と柔軟策を使い分けていた
風習の違う楚などの名士に秦の女性を縁組させるなど色々
今は装甲車の時代だから文句言えば皆殺しだ
人の話を聞く劉邦というが、あくまで項羽と比較して、という話だし
それも項羽とちがって、有力な親族がいなかっただけとも言えるし
そもそも晩年は完全に老害だった訳だし
とは言えその時代の二大巨頭なんだから比較論で考えるしかあるまい
そりゃ項羽や劉邦より人間ができてて軍事力もあるような第三極が出てくればそっちが勝つだろうよ
韓信「ゴクリッ」
韓信は軍事力や知力は項羽と劉邦を上回ってたけど
人間的には若い頃の劉邦には叶わないんじゃね?結構根に持つ性格らしかったし
まぁ二人と同時期に世に出てたら違ったかもな
周文(周章)の評価が
司馬遼太郎版「項羽と劉邦」は、取るに足らないつまらない人間のように書いている。
まあ概略、
項燕将軍のもとで戦の吉凶を占う占い師風情が、
軍事を知らない陳勝呉広を丸めこんで、分不相応な大軍を預かり、
結局負けて戦況を悪くした。
というような書き方をしているのに対して。
宮城谷昌光の「楚漢名臣列伝」では評価高いね。
庶民の寄せ集めの雑兵で、難攻不落の函谷関を落としたこと、
戯水で敗れた後、兵を霧散させることなくまとめ上げて函谷関をふさいだ戦術、
それで3カ月持ちこたえたこと、
この点を評価しているね。
よう知らんのだが宮城谷の136ページ(文春文庫の文庫本)にある「孟嘗君」は「信稜君」の様な気がするがどうなの?
エロい人教えて。
油断してた項羽を形振り構わず倒して表面上統一しただけで実質的にはまだ総一してない状態
自分の能力は並より少し上で高齢いつしぬかわからん 子供は平凡? 親族は色んな意味で頼りにならない
この状態だと人間的に信用出来ないのに劉邦からしたら能力は糞やばい上に土地持ってる韓信英布膨越を
倒す自体は別に老害でも何でもないよな?
蕭何は民の人望が凄く乗っ取ろうと思えば乗っ取れそうな立場だから何ともいえん
盧綰と樊カイに対しては老害認定だが
>>779 >子供は平凡?
呂后の所行にショックを受けて病気になって死んじゃうくらいだから線が細い。
>>779 せっかく王にまでしたのに匈奴と通じるような幼馴染と、皇后の縁者で次の代になったら力を持ちすぎる可能性のある樊カイを処分するのは次以降の代を考えたら有意義だよ
782 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/07(木) 10:32:39.74 ID:VhHxcUDa0
多少の粛清は創業時にはあるからねぇ
中○や朝○や○連やク○ールルー○ュの指導者のように
国民全員を巻き込んだりするのはそうそうないと思うけど
共産主義は粛清国家だって私立文系脳での解釈なんだろうが
この時代の内部紛争も結局は豪族の利益確保のために農民が駆り出されてただけ
いつの時代だって特権階級の利益のために民衆は駆り出されていくもの
私立文系脳じゃそんなこともわからないんdなろう
784 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/07(木) 16:17:54.54 ID:yElgYHY80
アカ乙
785 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/07(木) 23:30:14.66 ID:ldeIoZCr0
>>778司馬遼太郎は春秋戦国時代についてあまり詳しくなかったんだろう
春秋戦国時代に精通していたら、いかに函谷関を攻略する事が難しいかわかっていたはずだ
周文はまさに隠れた名将だな
>>785 正門裏門をそれぞれ突破した周文と劉邦は過小評価
司馬さんは周文を決して過小評価はしてないと思うけど。
「周文はよくやった」とか書いてあったような気がする。手許にないから確認できないけど。
周文と同じく、項羽が退却するまで耐えた田横は楚漢戦争時代の隠れた名将だと思う
田横は名将と言えるほど戦いの記録が残ってないから、その評価は疑問
だいたい田横の名前が出てきてからは、田斉は負け戦続き
漢最初の士大夫とされている周苛は、よほど戦功があったんだろうが、
途中で死んでしまったために、後世にはけい陽を堅く守って死んだ奴という印象しかない。
ちなみに劉邦の配下になるまえは、
泗水の軍吏だったらしい。
周勃って息子の周亜夫ほどじゃないけど結構な名将だよね
792 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/12(火) 03:49:10.67 ID:aEpf5mmZ0
韓信って、レキ食其を見殺しにして、弟のレキ商に恨まれなかったんだろうか
>>791 周勃は、中国史の中で100万の軍を指揮したことがある数少ない武将の一人。
100万って言葉のあやだろ
それぐらい大軍を率いた事があるよってな意味で
当時の人口とか気になる
白起の40万人生き埋めとか
項羽の20万人生き埋めとか
>>795 白起の40万 ・・・ 周辺諸国が秦の脅威を煽って国民を纏めるための宣伝
項羽の20万 ・・・ 劉邦陣営が秦の統治のために項羽の暴虐性を宣伝
こんなのまともに信じるなら南京大虐殺もあったことになる
>>794 まあ40万はどうかわからないが、
長平の戦いのときに埋められたと思われる大量の人骨が、
邯鄲郊外で発見されている。
しかも、史記の記述通り、壁塁のそばの空掘りの中から。
それと楚漢戦争時代は、漢王朝成立までに人口が半減したことが分かっている。
798 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/16(土) 21:49:46.71 ID:tVwyQjwj0
趙は実際男子の大半がいなくなって長平の戦い後、弱体化するしな
それでも燕軍に勝てるレンパや秦軍に勝てる李牧すげえな
樂乗も劣らず有能だよ
廉頗と共に数倍の燕軍を大破してる
廉頗の末路が・・・
趙の王様があんなバカじゃなければ、
長平の戦いは負けなかったし
廉頗も亡命することがなかったもんな・・・
ていうか廉頗って白起と互角にやりあえるくらいの名将だよね
まぁあくまで籠城限定だけど
802 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/17(日) 01:41:17.73 ID:gGi4g2360
廉頗と白起は一度も対戦してないはず
廉頗が趙カツと交代してから秦軍も将軍を白起に交代した
安能務の「中華帝国誌(上)」で黄石公の正体が!
尉繚だたw
>>802 そりわ、秦の将軍らが籠城した廉頗と勝負したら負けるとおもたから勝負しなかった。
廉頗は、序戦で撃って出て、撃退されて篭城に切り替えたんじゃなかったっけ?
長平に侵趙秦軍遇難なんちゃらとか新安に侵秦楚軍遇難なんちゃらとか造らないのかなw
なんて言うか
優秀な家臣が活躍 → 君主が家臣に嫉妬&恐怖 → 讒言 →粛清
このパターン多すぎないか?
人間の性といえばそれまでなんだろうけど
808 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/23(土) 01:33:54.45 ID:kZEtu2l+0
長平で成年男子のほとんどが死んだのに
よく張耳と陳余は戦えたな
810 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/24(日) 00:53:00.35 ID:VQEbpE+x0
劉邦ってば楽毅と信陵君が好きなくせに、
その二人が馬鹿な君主たちにされた事の何倍も酷い事を部下たちにやってんだよな
王齕に連戦連敗してる廉頗が白起と互角にやりあえる名将とは到底思えないな
趙括が大敗北したせいで過大評価されてるような気がする
史書に残る戦績だけならね実際はどうだったかは知らん
812 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/25(月) 03:24:03.66 ID:EhedWWpQ0
王齕は結局、守備を固めた廉頗に攻めあぐねてるし
長平で弱体化した趙に攻めてきた燕軍を破って逆に燕の首都を包囲するなど廉頗の実績は名将として十分だ
まあ、それでも白起と比べたら格が落ちるのは否めないけど
>>810 でも、劉邦が殺したのって韓信、英布、ホウ越と外様だったからましだよ。
中には洪武帝のように功臣をほぼ皆殺しをした奴もいるからね
宮城谷の楚漢名臣列伝に韓信、英布、ホウ越の三人が入っていなかったのは
群雄扱いって事なんだろうか
ハンカイも最後捕まってたよね?
劉邦が死んで命拾いしたけど
史記を参考にするなら劉邦は始皇帝も肯定的に見てるし
秦の国家体制の継承者でもあるから中央集権に邪魔な奴は消すだろうな
李斯と白起は秦の宝(=゚ω゚)ノ
818 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/06(水) 17:26:35.18 ID:QqXgvj3R0
その宝を自ら捨てた秦w
>>816 本来劉邦に縁もゆかりも無いはずの「漢」と言う名前を使い続けたのは、
漢中が秦に近い土地だったからでしょうね。
820 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/07(木) 23:12:24.88 ID:zzey6bqy0
秦に限りなく近いが秦ではない国号は劉邦そのものだよなあ
でも、生まれ故郷の沛にしなかったんだろう
漢中はド田舎だし、出身地のことを考えれば沛でも良かった気がする
最初に封じられた国名を使い続ける方が一般的だと思うが
その通りだ。戦国時代の趙は先祖が趙に封じられたけど、その地を失い晋の臣下になっても
ずっと趙を使い続けた。
沛は宋魏斉楚の領土が交錯する場所で
魏ゼンによる秦の東方進出で早くから秦が確保した陶にも近い
劉邦は秦の官吏出身者だけど秦と劉家の縁は昔からあるのかも
>>822 一般的だな、特に後世は
春秋晋とか戦国魏(梁)とかは、どうなんだろ?
826 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/11(月) 08:41:55.89 ID:gNU7OUb0O
>>821 もし中原に首都を置いていたら
漢にはしなかったかも
>>824 本人は蚩尤信仰も含めて露骨に楚人っぽい習俗だけど、一応系図上は晋→秦→魏→(楚?)のようだね
首都が関中だから秦に関して作り話するのは大変そうだし、
士会の子孫って話は眉唾かも知れんが、秦定着辺りからの流れはガチなのかも
祖先系図作るにしろ、あんまり複雑に作る理由も無さそうだし
漢書に劉邦の祖父の代に豊に来たと書いてあったかな
WOWWOWで4月から項羽と劉邦あるね
threekingdomの監督だから期待出来る
項羽と劉邦見てから三国志three kingdoms見直したが
高希希監督の項羽と劉邦は三国志three kingdoms より劣ってる気がする
三国志three kingdomsのシーンそのまま使ってたしwww
ただ劉邦、蕭何、張良、胡亥、趙高は良かった
女性陣の演技の下手さは異常だけどね
831 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/14(木) 00:26:44.21 ID:iOJ2WPK20
「劉邦の宦官」って小説読んだら、劉邦が楚人としてふるまっていると
書いてあった。これ本当?項羽は楚に思い入れの強いイメージはあるけど、劉邦
の方はあんまりなかった
劉邦は叔孫通が楚服を着たら喜んだというエピソードがあったり
黄帝の敵で楚人の主要人種である苗族の神だったと言われる蚩尤を祀って軍旗として用いたり
楚人っぽいエピソード多いよ
大風歌も楚風の詩だし
劉邦はすごいよな秦と楚の使い分けが上手すぎる
戦争でも機会があれば最前線にとにかく出て存在感を発揮する
834 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/14(木) 21:44:41.60 ID:iOJ2WPK20
>>832 あっ、やっぱりそういう史実が残ってるんだ
程度の違いだけで、劉邦も楚系だったんやね
ありがとう
835 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/16(土) 03:15:33.24 ID:GhaXgiPZO
やっぱり、長安が秦に近いから漢にしたのかね
沛は楚の色合いが濃いからね
>>836 漢中の王だから漢というだけ
あさっての方向に考えすぎ
劉備も漢中王名乗ってたな
>>835 その辺は定かでない。そもそも趙城が何処に有ったのかも定かでない。代々周の王に仕えていたけど
幽王の行いが道に外れていたので周を去って晋に仕えるようになった、と史記には書いてある。
ちなみに趙氏は殷の紂王の忠臣蜚廉の子孫で秦の王家と同族であり、趙氏が周に仕えていた頃は
秦王の先祖もそれにあやかって趙氏を名乗っていた。
840 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/16(土) 18:57:08.54 ID:GhaXgiPZO
>>837 例えばかんこくかんより東に首都を置く場合、
「漢」なんて名前を使い続けるでしょうか?
>>839 なら今の山西省の趙城は偽なんでしょうか。
>>840 問題は首都の場所じゃないから使い続けるよ
後漢も漢の次の王朝の魏も洛陽首都にしたけど最初の名前変えてない
根本的に考え方がズレてる
842 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/16(土) 20:04:29.50 ID:GhaXgiPZO
>>841 後漢は当然でしょう。
前漢の間に「劉」氏と「漢」という名が
分かちがたく結びついている。
>>842 あれって昔の中国人の学者が便宜上の国号を考えていなかったら
きっと「漢第2王朝」とか「漢(舂陵朝)」とか呼ばれていたんだろうなあ、と思わされる
漢王朝はなかったほうが、よかったと思う
戦国時代が長く続いてたら中華思想や儒教に凝り固まらず自由な国になってたと思う
>>842 劉邦と同時代では、
韓王信の「韓」は、項羽滅亡後、代の馬邑に移しているけど
国名は「韓」だった
一方、楚漢戦争中に「斉」王を名乗った韓信は
斉から楚に領土を移されて「楚」王を名乗っている
使い続けたとも言えるし、別の名前を使っただろうとも言えるし
国名改名事例数で勝負するなら別の名前を使ったに軍配が上がっただろうけど
歴史にifはないからなー
韓信の場合は朝廷から楚王として封建されたという事だろう。
>>844 戦国時代が長く続く=秦以外の七雄が力を持ったまま
秦楚趙燕斉は手強い七雄を避けて周辺侵略を加速し植民地建設
それぞれの支配地域で中華思想を振りかざす中華帝国が複数誕生
史記と漢書紐解いたけど
秦に近いから漢にした、というのは明確に誤りだね
というのは、まず漢を国号としたのは漢王元年二月、項羽に封建されたのが契機
以後、劉邦は漢王と呼ばれ、その軍は漢軍と呼ばれる
次に帝位に登ったのは、項羽滅亡後の漢王五年正月、異姓諸王の請願を受けて帝位についている
このときの都が洛陽で、劉邦は洛陽を都にする計画を持っていた
劉邦が考えを翻すのは漢王五年六月。斉人婁敬の建策に従って長安に都を遷す
すなわち、漢は、洛陽を漢王五年正月〜六月の約6ヶ月間都としていた
よって、「長安が秦に近いから漢にした」は誤り
849 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/17(日) 01:30:33.49 ID:lCKy3O+o0
いやそんなことはないだろうが
仮に漢が成立しなくてもどっかが統一には乗り出したろう。
そしたらそこがまた何か思想を重視するだろうし
それが儒とは限らんが。
秦だって末期に綺羅星のような人材が集まれば延命しておかしくない。
戦国長期化の条件は秦が統一できなかったらしかない
秦が各地域の伝統を破壊した後では漢じゃなくても統一しただろうね
851 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/17(日) 02:44:01.61 ID:sNAgmyxBO
852 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/17(日) 02:54:40.64 ID:sNAgmyxBO
>>844 それよりむしろ
秦統一戦争と楚漢戦争で生産力技術力が落ちてないか心配
>>851 問題ないようですね
国号をどうするかの議論があったという記述は
史記や漢書に私の読んだ範囲ではありませんでした
>>844 中華思想ってのは名前が違うだけでどの文化圏も抱えてるからなぁ
ギリシャにおける「バルバロイ」もそうだし、一神教圏の「異教徒」もそう
近代の非欧州圏対する非文明国扱いもそうだし
第二次大戦の時の日本も大東亜共栄圏思想で儒教まんま引き写しの「親の国、子の国」って分類を作ってたし
冷戦初期の「先進国、後進国」もそう
現代思想によるアンチテーゼがうまれるまでは、
文化や技術で先進的である(或いは「かつて」先進的であった)ということに立脚する驕りを回避することは出来ないよ
855 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/17(日) 17:46:09.37 ID:rRkwGzfZ0
項羽と冒頓単于が戦ったらどういう結果になっただろうか
>>855 決戦が生起しない可能性もあるんだよな
項羽自身は、基本的に列国の覇者(調整者)であって中華文明圏の統治者という
性格を持っていたわけではなかったから
当然、異民族の討伐は覇者の重要なお仕事なんだが
辺境の燕・趙あたりが荒されても、項羽にしてみれば痛くもかゆくもないのは事実
ここが劉邦とは大きく違う
項羽自身は後方連絡線が維持できるギリギリの距離で、そこから兵站を切り離して
強襲できる距離で機動力を発揮して敵を撃滅するスタイルだから
冒頓がそこまで出張ってこない限り戦わなさそう
河朔に策源を設定してそこから遠征できる基盤があるんだったら、そもそも田横や彭越討伐で
あそこまで苦戦するわけないしな
冒頓がオルドス以南、上党あたりまで出張ってきた場合
さすがに冒頓の方が兵站に脅威を覚えるだろうから、こっちも本腰では戦わなさそう
つまり、兵站に自信あり(そして実績も十分)だった劉邦だからこそ
冒頓との戦いは生起したとも言える
857 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/18(月) 22:39:26.66 ID:QiXWp7KPO
項羽体制なら、中国の北部は北方民族に浸食されやすいでしょうか?
浸食されやすいんじゃないかな。
>>856氏の指摘するドクトリン上の特徴を除いても開封より南寄りに文明の中心が来てしまうから
対北方の戦争においては弱体にならざるを得ない。
少なくとも燕趙への蚕食が何年か続くうちに徐々に覇としての権威を失墜し
世代交代後に覇の地位が北方の国家に移動するのは間違いないと思う。
当時の楚が項羽の武威なしに覇としての地位を維持出来るとは思えない。
そして周の徳や戦国の覇を懐かしむ人間は多くても
劉邦みたいな「皇帝を継ごう」という発想をした人間が(特に指導者格に)少なかった以上、
多分強力なトップダウン式防衛体制は築けないから、
当時としては未曾有の規模であり、かなりしっかりした組織を持っていた事が分かっている
冒頓以降の匈奴の遊牧帝国には中々対抗できないだろうと思う。
859 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/19(火) 17:09:15.07 ID:htFX04uGO
周王を引っ張り出して、御輿にするわけにはいかないでしょうか。
覇者は誰かがやるとして。
860 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/19(火) 20:30:42.60 ID:htFX04uGO
秦の統一と楚漢戦争で人口が激減、産業も停滞し、
その隙をついて遊牧民が台頭した。
統一はやはり余計だった。
そら秦の圧迫がなけりゃ趙なんかは遥かに楽に北方に進出したやろな
862 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/19(火) 23:55:14.35 ID:htFX04uGO
楚も中原に後退していった
863 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/20(水) 08:47:02.62 ID:3E3Eex3eO
秦の濁流の前に全ての人材は流れ去った
その秦の人材も趙高と項羽に根絶やしにされて・・・
劉邦って運がいいよな
秦王と楚王が項羽に殺されてなければ皇帝になることもなかったんだから
865 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/20(水) 10:17:37.49 ID:3E3Eex3eO
>>864 例えば秦の王が章邯らでなく、秦の王族だったら…
楚は雲南や南シナ海まで影響力を伸ばしてたのに
蜀をとれず秦に奪われたのが惜しい
東方の越併合で忙しかったのはわかるけど
>>866 生産力では蜀もかなりのレベルだったとは思うが
人口密度や交通の便(行政支配の維持の難易度)を考えると、圧倒的に呉越方面に
進出するのが正解だったと思わされるけどなあ
蜀の人とか戦乱と無縁そうだからいきなり軍事に転用するのも面倒くさそうだしさ
楚は中央集権体制がひどく立ち遅れている印象受けるけど
実際はどうだったんでしょうね
特に呉起の改革頓挫以降は
>>867 楚の威王が越を大破してから東方支配を固めた戦略は正しいと思うな
蜀は伝統ある大国で楚も簡単に滅ぼせる相手じゃないだろうから
東方を片付けてから西方を討てばいいし(懐王時代は西方に進出してる)
あっさり蜀を征服する秦が異常過ぎた
>>867 うん、間違ってはいないと思う。
だから惜しい、司馬錯に蜀から長江以南に回り込まれて攻撃されたのが致命傷になったから
呉起の改革以降も漸進的に集権化は進めてたが領土の急速な膨張もあって秦の攻勢に間に合わなかった?
870 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/21(木) 08:18:33.14 ID:qD1ghvdUO
>>864 まさか漢代の方が文明レベル後退したんでは?
文明というか文化レベルかな
秦の時代も焚書坑儒で儒者が死んだのはどうでもいいが焚書で巻き添え食らった文化がありそうだし
始皇帝陵の建造に関わった技術者も生き埋めらしいし
まあ漢代より戦国時代の方が、諸子百家が盛んで文化が栄えてたイメージはあるな
キングダム見てて思ったが、
秦の著名人ってことごとく外国人だな。
秦人の奴っているのか?
官僚が中原から招いたってのはまだ分かるが・・・
古代ギリシアもローマ二征服された時点では
文化レベルが大幅に後退していたらしいからな。
程よく分裂してその中で頻繁に人が移動するのがちょうどいいらしい。
876 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/21(木) 22:17:18.67 ID:qD1ghvdUO
877 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/23(土) 20:15:02.47 ID:GDSFmebLO
>>874 ローマも末期は文化レベル後退で、
建築や彫刻もダメになった。
秦統一戦争や楚漢戦争がそういう影響与えてないはずない。
そもそも古代ギリシャが統一された事は無いがな。
879 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/23(土) 21:28:44.30 ID:GDSFmebLO
>>878 マケドニアはイメージ的に秦に似ている。
880 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/23(土) 23:08:11.48 ID:GDSFmebLO
まず、秦以外では戦争の技術は途絶えたはず(濁流)。
で、秦でも粛正。
881 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/25(月) 22:08:32.38 ID:MpdF+rEK0
誰だっけ、忘れたけど儒を国教にした奴。董仲舒。
あいつが悪いと思うんだ。あれで諸子消えてしまったし
覚えたての奴みたいにとにかく儒教は害悪だーって言う気はないけど
それでもあれはやっぱり弊害が大きすぎる
882 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/26(火) 17:41:32.87 ID:2/gplJwcO
883 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/26(火) 19:37:38.07 ID:63zvka4v0
儒教は宗教じゃないけどね。
神様がいるわけじゃないし
孔子が奇跡を起こすわけでもない。
リーダーは、徳(仁・義・礼・・・・)という価値観で世の中をけん引していきましょう、
・・・な政治哲学なので、社会の末端まで豊かな時代だった「文景の治」の時代には、
社会の安定に大きく貢献したが、
格差が顕著になって身分の上と下で共通の価値観を持てなくなると、
とたんにありがたみがなくなる。
「衣食足りて礼節を知る」は「衣食が足りていないやつに礼節を解いても無駄」の反意である。
だから混乱の時代には、儒家が力をもたず道家の思想が幅を利かす。
社会が安定すると儒家が力を持ち出す。
これの繰り返しだ。
日本は敗戦で国土が焦土になったとかいうものの、
焼けたのは大都市だけだし、
再建するための人材も残っていたし、
外国からの援助もあった。
でも秦統一→楚漢戦争後の状態は・・・
1940年ごろから江戸時代に戻ったくらいか、
現代から昭和20年代に戻ったようなもんだと思う。
885 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/07(日) 12:46:57.61 ID:+rzzup/i0
中国歴史人形劇
『項羽と劉邦〜はるかなる大地』 第1話 2013年4月5日(金)〜
BSジャパン 朝7時55分〜朝8時25分
全100話だそうだ
スレ民は見てないのかな?
>>885 これのスレがないかと思ってココに来てみたが
100話もあるのかw
大陸系のドラマって全50話とか平気であるよな
って書き込んで思ったが大河ドラマも50話か
話題の『おどろきの中国史』を半分くらいまで読んでるが、これはよくまとまってるわ
序盤はかなり平易で、三国志などの話もあるので取っ掛かり易い
皇帝や毛沢東やその取り巻きなどのような存在は、それ自体が悪なのではなく、
中国の伝統に則っての特異点として謂わばシステム的に必然的に生まれてしまう、
という中国のメカニズムを多角的に的確に捉えてるように思える
昨今の安直な中国批判…とりわけネトウヨなど、これを読んだら的確に中国人を哀れむことが出来よう
(つまり、ネトウヨは中国人をむしろ日本人と同じ者・同じ基準で動くものとして見ているがゆえに、
その行いのギャップを「野蛮」と言ってしまう、という大変情けない事になっているのがわかる
…サヨもウヨもリベラルもしっかりしろ!)
中国の歴史の入門書といえば、
鳥山喜一の「黄河の水」だな。
趙高の専横は漢王朝による捏造
鹿を馬のエピソードは創作
項羽が成した倒秦を隠蔽するために用意された悪玉
肛門で幸福して項羽の臣となりながら謀反し、項羽の成した倒秦の成果を横から掠め取った。
道義を無視した劉邦側が、自らの行いを正当化するために、あの辺はグチャグチャに捏造されているという夢から覚めた俺は、時計の針が遅刻を免れぬ時刻を指している事を確認し、お腹が痛いという電話をしたのである
>>890 誤字もすごいがIDもすごいなおい
史記まで漢王朝の手が加わったと考えるのは少し厳しいけど、面白い話ではあるなー
鴻門の会の存在を肯定するなら倒秦の功績はもともと劉邦のものだったことになると思うけどな
秦を降伏させたのも項羽だったというなら鴻門の会で劉邦をわざわざ排除する必要がない
894 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/27(土) 00:23:16.19 ID:oXIxDzo8O
李廝は趙高に屈せず長男を皇帝にしたとしても何れは干されて消えたんだろうか
李斯は理論家としては韓非に及ばないが能吏なので
扶蘇の政策を具現化出来れば干される理由は無いと思う。
司馬遷も、史記において李斯が道を誤らなければ
その功績は周公、召公に比肩したであろうとしている。
>>892 勿論、司馬遷が捏造したわけじゃないんだけど、彼もまた史記をまとめるにあたり、伝聞や伝承の取材や、古文書などの参考文献があったと思われ、そこに漢王朝の捏造がいくらか紛れ込むのは致し方ないのでなかろうかと。
例えば趙高が遺書にイタズラしたとかの舞台裏で秘密裏に行われた事がどこからどうやって漏れたのかとか、それをフィクションと考えるのもまた合理的だなと。
その考えを少し進めて、じゃあ誰がなんの為にそんな嘘を広めたのさって事を思えば漢王朝陰謀論の夢を見られるというね。
そこはフィクションの可能性が高いが誰がそれをやったのかと考えたら
始皇帝亡き後の秦帝国の威信を貶めたい勢力であり、それは誰かと考えると
陳勝ではないのか?
実際に蒙恬は自決させられ皇太子扶蘇も自決させられてるわけで
胡亥が二代皇帝になった事に何らかの謀略があったことは明白だろう
李斯も謀殺されてるし
権力を手中にした趙高の仕業にされるのは仕方ない
扶蘇の評価が高いから噂話を広めたのは秦の遺民かなあと思ったり
扶蘇と項燕が結びつけられてたり怪しいよな秦末は
901 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/02(木) 00:04:51.99 ID:3Kq8whd40
項羽の父が誰だか分からんだけでじゅうぶん。
楚王を殺したのは鯨布ってことになってるけど
なんか濡れ衣のような気もするなw
多分、末期の楚が複雑だったのが影響してる
韓信が名将なのは間違いないが
戦略的な方針を決める能力はどうだったんだろう?
905 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/20(月) 00:55:26.42 ID:ceWLz2m+0
韓信を斉から楚に移したのに意味はあったの?
斉は大国
項羽でさえ鎮圧できなかった
だからそのまま韓信を置いてると危険
楚は楚漢戦争で疲弊してるし親兄弟を官軍に殺されてる人も大勢いる
そこに韓信を移封すれば趙以降韓信が育てた軍とも分離できるし国力は格段に下がる
韓信は楚出身だから故郷に錦を飾る的な措置、
楚の方が領地は狭いので弱体化させる意味もある
>>906 斉は韓信に不意打ちされて征服されてるから、恨みを和らげるには韓信以外の者を王にするしかなかったのかもな
韓信は劉邦を裏切るべきだったよなー
韓信みたいに分派したらああいう風に独立しちゃうのは様式美だよね
彭越なんかは自分で領土拡張して劉邦に協力したんだからちょっと毛色が違うけど
劉秀も趙方面に分派されてそのまま独立しちゃったからね
911 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/06(木) 21:38:52.61 ID:wTi6OBrD0
司馬遼太郎のキシンかっこよすぎ
912 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/07(金) 10:08:37.99 ID:R4ZygUH90
司馬が始皇帝が朕の一人称を作ったって書いてたが
確か朕はそれまで一般的な一人称だったのを始皇帝が自分しか使えないようにした
結果それが皇帝の一人称に定着したんじゃなかったっけ?
陳先生か宮城谷小説か忘れたけど
どっかでそんな風に読んだ記憶がある
913 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/07(金) 18:35:25.74 ID:CGryW1NM0
司馬遼太郎は読んだけどこの時代でほかに読んでみて損はないって言う本って有る?
陳舜臣の十八史略
912だが確認したら司馬の項羽と劉邦も朕の独占て書いてた
勘違いだった。悪い。
916 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/08(土) 21:03:39.72 ID:ACe4f0jQ0
>>914 古本屋であるかな?
色々調べて買ってみる
世界操作 エージェント松本・村上 シークレットガバメント ロックフェラー帝国の陰謀-見えざる世界政府(原著1976年) 工作員 集団ストーカー で検索。
918 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/09(日) 01:57:50.12 ID:pziQjulH0
宮城谷の「長城のかげ」がこの時代の短編集で面白かった
同じくこの時代を書いた長編「香乱記」があるけど、あれはお勧めしない
項羽と劉邦を別の視点から書きたかったんだろうけど、あれはやりすぎ
もう少しバランスよく書いてほしかった
919 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/10(月) 11:08:19.05 ID:2hMxZlwd0
黒澤はゆまの「劉邦の宦官」が意外によかった
項羽を倒した後の出来立ての長安と少したそがれてる劉邦の雰囲気がよく出てた
920 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/11(火) 18:34:53.25 ID:VXkC527g0
項羽が死んだ時って31歳って表記と30歳って表記があったけど
どっちが史実通りなんだろうか
921 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/14(金) 20:33:20.95 ID:qh6zFeRK0
韓信メインの小説とかってあるのかな?
922 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/16(日) 21:59:12.77 ID:cEUc3z370
司馬遼太郎版でレキイキが「私の悲願は陛下の手で儒教を天下に広めることです」
って言ってそれを横で聞いてた劉邦が笑うシーン好き
923 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/11(木) 00:51:38.73 ID:cgw5CW960
>>913だけどようやく長城のかげってやつを見つけた
初めて読む作者だったけど読みやすかったし中身も良かった
「長城のかげ」は普段スポットライトの当たらない盧綰とか劉邦の側室の長男劉肥を主人公とした短編があって面白かったな
>>923作者の宮城谷氏は本来、項羽と劉邦の時代より前の春秋戦国時代を舞台とした小説を書く作家で
中国史に興味があるなら他の作品も読んでみる事をお勧めします
項羽が天下取って皇帝になって欲しかった。
若き最強の男が至高の存在となって頂点に立つのはロマンがある。
そして気に食わないといつでもどこでも穴埋めをするのですね。分かりますw
927 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/15(月) 22:24:59.39 ID:zu6L5L6H0
実際一時期は皇帝同然だったんだから
一応の頂点は極めてる。
仮に劉邦が馬鹿で張良に捨てられショウカは引退し韓信は謀反みたいなことになって
漢が殲滅されて楚帝国の高祖になったとしても長くは持たんだろ。もっとも項羽が生きてる限りたやすく滅ぶとも思わんけど。
まあ俺はあの死に方でよかった、というか男として、いや歴史上の人物としてあれ以上の死に方はないと思うぞ。
928 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/15(月) 22:28:23.92 ID:wTg9wJkG0
項羽の子供ってまったく話聞かないけど居たの?
項羽って項梁あっての存在だよなぁ
項梁戦死後の項羽ってある意味上手く周りに利用されたようにしか思えん
項梁が生きてれば楚王殺すなんてことしなかっただろうし
周りって具体的に誰よ?
931 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/18(木) 20:44:38.02 ID:ANXxuacy0
>>927 項羽の最期は中国史最高の格好良さを誇るよな
項羽は負けたからこそ輝いた男だな
未だに熱を失わない北斗のラオウだって項羽ありきだもんな
wikiにはモデルとして書かれてないけど、まんまじゃん
>>931 単にハリネズミになったり大勢倒して死ぬってのは他にもいるけど
生涯不敗を証明して天が自分を滅ぼしたってのがね
逃げようと思えば逃げられたのを蹴ってかつ自害だかんな。最後まで敵に殺されたわけじゃない。
司馬遷の力もあるんだろうけど奇跡のような死に方
散華という言葉はまさに項羽にふさわしい
あの28騎で包囲突破して最後自刃するくらいなら
そのまま劉邦のクビめがけて行けるところまで突貫して欲しかったな
936 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/24(水) 18:30:41.93 ID:jzcb9iQX0
もう無理な状況だったんでしょ?
敵の手にかかるより、
自分でトドメをさしたんでしょ。
下手に捕まったりしたら、
酷い事になるんだし。
ボブサップでも、何万人も相手したら、最後はやられるでしょ。
最後は五体バラバラだからなぁ。生きたままそうなるくらいなら自決するだろうな。
凌遅刑が割と最近まであった国だものな
(まだそんな風なのが残ってるところは他にもあるから、中国を特にdisってるわけではない)
あの最後まで残った部下と一緒に河を渡って軍勢立て直してれば分からなかったと思うけどな
漢軍のつまらん指揮官連中より手強いだろあの生き残りw
>>939 楚の領土だったのに民に嘘つかれるほど権威失墜してたから、呉に帰還したらだまし討ちされて悲惨な最期だったんじゃね
君主が生き残ってれば何とかなるって、ゲームのやりすぎだろ
民も馬鹿じゃない
項羽が逃げ延びる
↓
追撃するような準備も余力もない漢軍は一度解散
↓
楚の分配で揉める
↓
韓信や彭越が動かない
↓
匈奴が動き出した
\(^o^)/
なんだ、五胡十六国時代が早く来るだけか
944 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/27(土) 06:13:14.77 ID:b8RxaBMu0
斉の田氏、多すぎて誰が誰だかいまだによくわからんw
945 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/19(月) 18:15:46.98 ID:mydaQtR80
新安大虐殺は漢軍の自作自演だ!
946 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/28(水) 19:19:46.55 ID:SGsKqysS0
項羽は最後に自決して後世に名を残した男
季布は楚滅亡後も生き延びて漢に仕えた成功者
どっちも好きだな
947 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/29(木) 22:09:53.99 ID:ZRB23Xzu0
司馬遼太郎の項羽と劉邦読んだんだけど、候公っていう、項羽言いくるめた人の
背景が結構書かれてるんだよねー。
候公にまつわる史料って何かあるの?
948 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/02(月) 11:47:38.46 ID:50OdA3ZV0
西楚の覇王の西ってなんで西なの?東じゃダメなの?
949 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/02(月) 17:37:55.39 ID:UR2weDqD0
>>948 確か横山光輝項羽と劉邦だと
項羽は西楚の生まれだから西楚の覇王と称したと言ってた
あと覇王というのは覇をしのぐ王という意味だとか
>>948 他にも東楚とか南楚とか呼ばれる地域があって、
彭城の辺りは西楚に属するんですよ
それに項羽は楚と呼ばれる全域を領有したわけではないのと
楚は義帝を擁した国号だからってのもあるかもしれないとか思います
范増って本来ならば秦の降兵の生き埋めとか義弟の暗殺とか諌めるべき立場だよなぁ
>>951 そういう話があまりないってことは、一緒になってやってたってことだよ
まぁソウギ暗殺した時も止めてないもんね
項羽を利用して才能を天下に示したい的な欲があったんだろうなぁ
劉邦には利に釣られやすい人間が集まるとか張良が言ってたけど
実際は項羽のほうがその傾向を感じなくもない
>>950 彭城を東楚に含める、という説もある
まあ、楚漢戦争で主に戦場となったのが西楚の領域だから
蔑称として項羽の楚国を西楚とした、という話もあるね
ちなみに大雑把だけど南楚(九江・衡山・臨江)、東楚(彭城から東。東海郡〜呉郡)、西楚(彭城から西。だいたい陳あたり)
という分類
955 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 05:09:13.37 ID:h+/Hrgvv0
へーへーへー
これは知らなかった
956 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/12(木) 17:22:53.46 ID:SV5mwOYW0
楚漢戦争って主君に讒言をしたり媚びへつらったりする佞臣があまりいないな
春秋戦国や三国時代だとそういうのが多かったんだけど何故なんだろうか
正直者が多いよな
まぁ、秦の統一〜楚漢戦争自体やたら短いしなぁ
項羽陣営 ・・・ 范増がいたし滅亡寸前まで季布や鍾離昧もいたから佞臣の入り込む余地がなかった
劉邦陣営 ・・・ 張良、陳平が常に劉邦の側で仕えているので佞臣が入り込む余地なし
あえて言えば韓信に道を誤らせたカイトウは奸臣だと思う
感心した。
奸臣といえば項伯じゃねーの
漢に多大な貢献があるから悪く書かれてないだけで
たしかに、項伯は普通に劉邦陣営に通じてるもんなあ
あと、彭城で大敗した劉邦を逃した丁伯(季布の親戚)は
項羽滅亡後、当の劉邦に奸臣として処刑されてる
劉邦陣営で項羽に通じていた! とイチャモンつけて殺された人間に曹無傷がいるね
962 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/13(金) 16:32:40.77 ID:wL8lIzLQ0
あー横山版で出てきたあのキャラその後の描写ないから気になってたけどやっぱそういう運命だったのか
横山版では丁公だったっけかね
>>961 曹無傷はイチャモンじゃないだろう
相手側が認めた事実だし
965 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/13(金) 20:54:34.70 ID:8kIM3zm40
新安大虐殺は漢軍の自作自演だ!
>>963 すまん、丁公の間違いだったわ
ちなみに、季布の腹違いの弟だった
>>964 いや、イチャモン説があるんだよ
佐竹靖彦が唱えている説
968 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/13(金) 22:38:18.00 ID:PmFs2AgC0
>>958 蒯通は奸臣とは違うと思うんだが
むしろ韓信の末路を考えると蒯通の言っている事は正しいとさえ思える
韓信は「蒯通の言うことを聞いていればこんな事にはならなかった」と処刑される前に言ったくらいだし
カイトウがいなければレキイキも死んでないし斉王にもなってない
燕まで制圧した状況で?陽の劉邦に合流しただろうから大将軍のまま粛清されずに
残党征伐や匈奴と戦ってたかも
>>968 969も言ってるように韓信そそのかして斉をだまし討ちしてレキ食其死なせて結局韓信自身も破滅してるからね
韓信にとっては奸臣だろうな
そりゃ寒心にたえないな
成功したからすりよってくる親戚は気持ち悪いよな、項伯とかすげーむかつく。
曹操の親族なんか、弱小のときからちゃんと力になってるのに
973 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/14(土) 15:17:07.56 ID:mAkXB8Tt0
>>970 范増が項羽を、張良が劉邦を天下人にしたかったように
蒯通も韓信を天下人にしたかったのかな
楚、漢、斉の天下三分の計まで勧めたのは韓信にそこまでするだけの価値があると思っていたのかもしれない
974 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/16(月) 09:47:40.02 ID:3l37V3EH0
陳平が劉邦を匈奴の包囲から救った奇策って何なの?
単于(匈奴のリーダー)の嫁に、「劉邦が和睦の為に美人をプレゼントする」と吹き込んで
嫉妬心にかられた単于の嫁が直ちに包囲を解けと言わせるようにしむけた。
976 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/16(月) 12:39:59.50 ID:dOwHL3l80
その策を絶対に明かさなかったって言うのはお互いの名誉や立場的な意味でなのかな?
まぁ劉邦の名誉の為だろうね。
でなぜ今その内容が伝わってるんだ?
979 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/16(月) 19:25:14.18 ID:FfPFrcQdO
確かに女を使って云々の話はどこから発生した話なんだろ
>>979 前漢末から新にかけての人桓譚がそういう記録を残している
981 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/17(火) 17:40:53.10 ID:tHV6v1Va0
項家は祖父の項燕の代から軍人一族で
孫の項羽も叔父の項梁も有名なのに項羽の父親だけ不明なのは
父親だけ軍人じゃなかったのかな
叔父に育てられてるところ見ると若いうちに戦死か病死したんじゃね?
983 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/17(火) 20:49:04.52 ID:hqepikg80
「文字なんて名前さえ書ければいい!」
「武芸なんて一人を相手するだけじゃないか!俺はもっと大人数を相手にしたい!」
「兵法も基本は学んだ!もういい!」
結局何も習得しなかったって事?
とはいえこの話でいうなれば項羽と武芸の人だよね
984 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/17(火) 20:53:22.78 ID:C2sE0xCi0
>>-
985 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/17(火) 21:35:46.20 ID:thzoJA4s0
>>983 それなのに会稽と烏江で2度の大量虐殺
生涯70余戦無敗の無敵の軍略
挙句後世に語り継がれる哀切極まる名詩を紡ぐ…
たぶん教養レベルは高いと思うぞ