【世界】隋唐【帝国】

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1名無しさん@お腹いっぱい。
中国史上輝かしい時代のひとつである
隋唐帝国について皆さんのご意見を。
2名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 14:50:48 ID:wIEmy/Qz0
唐って、一見輝かしい世界帝国のイメージはあるけど、
実際は、強盛な時期より、劣勢な時期の方が多くない?

後半は節度使の割拠でぼろぼろだし、
それでなくとも周辺の吐蕃や突厥とかに押されがち。
3名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 23:54:12 ID:rDfF/AfI0
世界帝国と呼ばれるような状態を長期間維持するのは不可能
4名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 20:24:31 ID:u3CgETbL0
宦官の横暴さは唐と明ではどっちがひどいかな?
自分達を皇帝の教師と言ってうぬぼれている唐の
宦官か「九千歳」と言わさせた明の宦官か。
5名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 23:02:26 ID:Gp9DIfoL0
唐では、宦官が朝廷の廃立権をも握ったけど、
明では、どれだけ権勢を誇った宦官でも、皇帝の後ろ盾あってこその権力だった。

つまり総じての宦官勢力全体の力は、唐の方が強大だった。
ただ、明の場合は、特定の宦官個人に権力が集中したので、
個人単位では明の方が上。
6名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 22:32:55 ID:ketb9J/s0
唐の皇族って最終的に何人ぐらいにまで増えたんだろう?

途中で何度か粛清されたり、虐殺されたりしているけど。
7名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 22:17:28 ID:JG3fIDTo0
唐は上手い具合に隋の遺産を継承できて、長期王朝を築いたね。

漢が秦の遺産を吸収したのによく似ている。
8名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 22:59:51 ID:pYUCVaN40
もともと隋の統治機構は西魏の流れだが
これがなかなかうまい具合だったので
ムリに変える必要がなかったという…
継承政権だわな、唐は。
しかし豪奢を好んだ煬帝に対して、李世民は倹約を旨とした。
同じように高句麗遠征しながら、最終的に破綻しなかった差は
そのへんにあろうかと思う。
9名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 15:38:14 ID:HPhli2pK0
隋が大運河を作ったのって、
やはりこの頃から江南の経済力が大きくなっていたからだろうか?
10名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 19:00:19 ID:xN+TA4J30
江南の経済力がに向上していたのは確かだけど、
隋代だと華北中原を安定させた方が実入りを大きくできた。
だから、江南に依存するためってのなら、ちょっと違うかな、と。
交通・流通の利便性を向上させること、それ自体に意味があったと思う。
後は軍事的に南朝(特定の王朝という意味じゃなくて)の再建を
いつでも押さえ込める侵攻ルートとしてという面も強いと考えてる。
建康自体、小都市(というか江寧県の一部)に転落させられたし。
11名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 19:44:12 ID:lpZz3NfK0
>>10
その運河を軍事に最大利用したのは、実は後周世宗の
南征北伐が最初の例になるのかな?
12名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 21:02:46 ID:Vn0+OaLG0
>>8
>継承政権だわな、唐は

ただし太宗が継承しようとしたのは煬帝じゃなくて文帝だがな。節約趣味という点では文帝の方が上。
13名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 22:57:40 ID:eP3DcHlC0
こんなところで油を売っていないで仕事しろよ。
マスゴミに個人情報を流すなよヤスキちゃん
14名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 23:01:02 ID:DZnp+NUH0
唐代の南方ってどうなってたんだろ?南詔とかあったけど。
15名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 03:22:11 ID:T6rOmw5nO
ヴェトナムは直接支配してた。
16名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 23:47:15 ID:QnLMSenL0
ベトナムには、安南都護府が置かれて、阿倍仲麻呂が長官として赴任したこともある。
ただ、独立運動のようなものが結構あって、治安はそれほど安定していなかったみたい。

雲南に勢力を伸ばした南詔は唐とかなり敵対していて、
四川の成都まで攻め込んだこともある。
17名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 10:18:15 ID:S95eMOZr0
*★* 楊 貴 妃 *★*
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1191805947/
18名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 10:24:11 ID:S95eMOZr0
19名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 10:24:42 ID:S95eMOZr0
【太宗】 李世民 【貞観】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1179643787/

☆★☆ 武 則 天 ☆★☆
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161837838/

【大燕】 安禄山 【節度使】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1178686890/

【大唐西域記】 玄奘三蔵 【西游記】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1169970159/
20名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/09(火) 10:22:13 ID:O4b7cx8H0
>>2
一時的に拡大した勢力範囲は中国史上最大かも知れないけど、
全体的に見れば、漢や明、清、宋にさえ劣るかもね。
21名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/09(火) 11:45:48 ID:0ZiCovGR0
>>20
だからこそ、お杉サマなどは、元を棚に上げてでも
「瞬間世界帝国」と評するんだろうな。
しかし、超巨大帝国が崩壊してボロボロになって
やがて別な形に再生していく過程が、これまたおもしろい。
あくまで今現在の視点として。
その辺、やはり宋という国の出現は意味が深い。
22名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 23:33:12 ID:Y6qBhHMT0
実際の唐の直接支配地なんてたいしたことないもんね。
今の雲南地方は漢代には支配地だったけど、南詔なんて
国が出てきたし。
23名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 06:05:59 ID:vEJgx6cH0
南詔は四川の成都を占領したり、安南都護府を滅ぼしたり、
唐に対してかなり攻勢をかけている。
24名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 18:48:16 ID:GrwkKoMU0
唐なら未だしも隋なんて世界帝国と呼べるものではないと思うな。
同時代のアッバース朝やウマイヤ朝の方が国力的には上なんじゃない
25名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 22:24:05 ID:lzQp1JYI0
アッバース朝やウマイヤ朝は版図は広いけど、
乾燥地帯、砂漠が多いし、国力的にはどうだろう。
26名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 13:24:19 ID:Kh26sWAv0
農業生産力については、イスラム帝国は、メソポタミアからシリアにかけてや、
カフカス、ナイル川流域などが中心と思われる。
これに加えて、商業が発達し、交易も盛ん。

唐の場合は、ずばり江南だろうな。
27名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 17:12:33 ID:nYfTQccd0
河北で起った安史の乱は持ちこたえられたが、江南で起った黄巣の乱は致命傷を受けた。
やはり江南が唐の生命線であったということだな。
28名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 23:22:41 ID:tyyK9ZPf0
隋朝唐朝って、異民族でも結構平気で登用しているけど、
これってやっぱり北朝系の伝統なのかな?
29名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/19(金) 22:19:50 ID:tsOSmbW70
伝統というか自分たちが鮮卑なんだから異民族なんて意識は無かっただろう。
30名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/19(金) 23:44:30 ID:4oBLl8o+0
洛陽に拠った王世充も胡人だったね。
31名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 11:47:21 ID:IxD28WO50
阿倍仲麻呂は日本でもっと注目されてもいいはず
32名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 23:20:25 ID:1iUuGCYn0
何たってあの李白と友達だからな。
33名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 13:30:36 ID:2OlMx4SpO
隋から唐にかけての時期に登場する人物の名前ってさ、あんまり他の時代には見られないようなのが多い気がするんだけど、気のせいですか?異民族系は別として。来護児、麦鉄杖、瀟摩可、羅士信、宇文述、杜如晦、etc。流行りなの?てめーら無学な俺に教えてください。

34名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 13:43:48 ID:EcCeVxGo0
無学とわかっているなら、それを克服するよう努力してみてはどうだ?
35名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 14:17:20 ID:gYLdrqjk0
>>33
異民族出身者が多く、それに由来した変わった名前も多いけど、
でも他の時代と比べて、特別変わった名前が多いとも思えないな。
36名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/25(木) 23:16:55 ID:EuS1yaiC0
>>33
杜とか、羅とかは、他の時代でもそう珍しくはないと思う。
それに宇文は、鮮卑系の姓、
隋唐のルーツとなった北周が、宇文氏の王朝だったから、
多いのは当然とも言える。
37名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/26(金) 22:58:51 ID:FSzDqs5f0
阿倍仲麻呂の漢名も姓がちょっと珍しいかもね。
38名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/28(日) 14:52:34 ID:hC+qYt7+O
魚倶羅
39名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 22:56:55 ID:ODsL07ig0
>>29
唐の後半、玄宗以降ぐらいになると、
果たしてどれぐらい鮮卑系としての意識があったんだろうか?

ほとんど漢化しているように見えるけど。
40名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/04(日) 14:19:38 ID:TAL/CYV60
鮮卑そのものが消滅、漢族に吸収された
41名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/04(日) 22:00:57 ID:cRbybpXe0
そこが中華文明のすごい所だな
これだけ他民族を吸収する文明はない
42名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/04(日) 22:25:09 ID:wKW7Cy9i0
唐の後半での異民族というのは、契丹や奚とかソグド、渤海はては高麗などの人々。
さらに突厥にウイグル、吐蕃などなども。
五胡以来の「異民族」からはガラリと代替わりした感じがあるから、
以前の「異民族」は今の「漢族」となるんじゃないかな(ちょい強引な見方ではあるが)。

ま、それに鮮卑ももとからいた「漢族」と混じってしまって、純粋ではない以上
すでに中華民族として漢族化しているというだけのこと。
43名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/04(日) 22:57:21 ID:z8cUmOUy0
>>41
イランあたりも、遊牧民による王朝が多いけど、
あれも同化されているんじゃないかな。
44名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/04(日) 23:09:15 ID:BQepFtAm0
同化なら世界的に見られるんではないかな。
例えばゲルマン人がヨーロッパに入った後、作った国家はローマ文明的だったし、
イランに入った諸民族やアラブ人のイスラム国家もオリエント・ペルシア文明的だった
というような感じで。
中国の特殊性は、そうやって以前の文明を受容してった
元々は異民族だった人たちが自分たちを「漢族」と位置づけたとこだと思う。

あー、でもイラン人の定義って何だろうという疑問も出てくるな。
それは中国に似てるかも。
45名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/05(月) 02:01:00 ID:PcdA/91r0
西洋世界はキリスト教を受け入れたが
民族としては小国に分裂してる
中国もこうなっても不思議じゃないんだけどね
46名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/05(月) 12:04:14 ID:Wsr0ttZr0
ちょうど遊牧世界を真ん中に挟んで、
イラン一帯が、東洋で中国に相当、
西欧一帯が、東洋で日本に相当する。
47名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/06(火) 23:07:45 ID:nSWdd6y30
西洋ー中東ーインドー中国ー日本か
48名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/30(金) 14:58:34 ID:lS5srTVg0
唐にとって一番重要だったのは、初期の対突厥戦争。
49名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/30(金) 20:06:30 ID:+A8QGAlk0
イギリス―欧州―中東―インド―中国―朝鮮―日本

だろ。ウリの祖国を忘れるな!
50名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 23:52:18 ID:C6N88zGW0
前期の唐は、隙あらば周辺国を呑み込もうという構えだな。
51名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 20:35:08 ID:Dn7U9Fmi0
>>50
そりゃ、全盛期ですからね
52名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/18(金) 20:56:38 ID:B1Uknqvq0
まあ実際、中国を統一したのみならず、
吐谷渾を割ったり、唐を倒したりと、大したものだわ。
53名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/19(土) 23:48:50 ID:3Co8UUFX0
>>52を訂正
× 唐
○ 突厥

唐が唐を倒すって訳分からん
54名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/21(月) 23:55:36 ID:GcOkv38Y0
【韓国】ナポレオンに勝る業績を残した韓民族開拓精神を象徴する人物”高仙芝”[01/21]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1200900393/

1 :壱軸冠蝶φ ★:2008/01/21(月) 16:26:33 ID:??? ?2BP(222)
ソース:東亜日報(依頼スレ162さんの依頼で記者がハングル記事を意訳)
http://www.donga.com/fbin/output?n=200801190048
参考画像:高句麗出身の唐将軍”高仙芝”
http://www.donga.com/photo/news/200801/200801190048.jpg

 8世紀にシルクロードを支配した高句麗出身である唐の将軍、高仙芝が大韓民国の地で世間の注目を引くようになった
のは1978年1月19日のことである。

 台湾を訪問中だったある国会議員が、古宮博物館で高仙芝将軍がエベレストを越えたと いう記録を見つけたと明らか
にしたからだ。 これにより翌日(20日付)で一部新聞は”エベレ ストの初征服者は高句麗人”と報道したのである。

 この記事によれば博物館にあった”唐書列伝”第54章にある党燎宗の時代に高仙芝将軍がインドと中央アジアを征伐
するための遠征途中で、軍人らが標高の高い聖母山のため進軍を忌避したのを見、直接先発隊を率い聖母山を征服し
たと記録されている。

 この聖母山とはエベレストを指していると、これらの新聞は明らかにした。
 
 しかし高仙芝将軍が通過したのは、エベレストではなくパミール高原というのが学界の定説だ。高仙芝将軍は高句麗
の流民出身で中国大陸を横断した”大陸の星”だった。
55名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/21(月) 23:56:11 ID:GcOkv38Y0
 東アジアの覇者だった高句麗は、668年に新羅と唐連合軍によって滅亡し高句麗人20万人が中国に連れて行かれた。
彼らの子孫だった高仙芝が世界帝国だった唐の将軍となり、シルクロードの支配者にまで上り詰めたのだ。

 風貌りりしく、話術と弓術に長けていた彼は20歳で将軍となり、以前に唐が三回も失敗した西域征伐の任務を引き受け
る。彼は西域征伐(740〜750年)に成功して唐と地中海を引き継ぐシルクロードを完全に掌握するようになる。

 この過程で彼は1万人余の軍人を率い、世界の屋根とも言われるパミール高原を越えて70ヶ国以上を征服する。遠征
の道中で一番高い場所では4600mにもなった。ヨーロッパの史家たちが18世紀ナポレオンのアルプス登頂よりさらに
偉大な戦史と評価する業績だ。

 彼は世界の歴史の中心にあった。751年に7万人の唐軍隊を率いてイスラムのアッバス王朝を主軸にしたサラセン連
合軍30万人と戦い、タラス河畔の戦いでは敗れたものの当時 捕虜となった唐軍人たちが製紙法、火薬製造術、羅針
盤などを西域に伝えるようになる。

 高仙芝は755年の安録山反乱時に長安の守備していたが、讒訴により獄中で処刑される。 彼の死を嘆き悲しむ部下
たちの”口惜しく怨めしい”と言う叫びは天地を震動させた。

 「高仙芝は韓民族の開拓精神を象徴する人物だ。」とは”高仙芝評伝”を書いた延世大史学科チ・ペソ教授の言葉である。
56名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/22(火) 11:50:40 ID:4PfBPJbY0
糖の将軍として往来が韓民族の開拓精神にどう繋がるのかちっとも分からん
57名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/22(火) 12:58:15 ID:ZO5L8S6D0
それに、高仙芝って、高句麗人としての意識はどれぐらい持っていたんだろう。

高句麗が滅んでから、かなり経っていただろう、当時は。
58名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/28(月) 21:30:49 ID:DLvhX4/y0
高仙芝をナポレオンに比すとは、さすがは斜めから見てるだけのことはあるw
59名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/28(月) 21:46:56 ID:ZOGxALmH0
でもどう考えても、高仙芝って唐の英雄だよな。
唐のためにやったのであって。
ナポレオンに比すにしても、あくまで唐の人として。
韓国か北か知らんけど、出自だけで誇るのもどうかと。
まぁ、テムジン=義経説よりは、まだマシだけどさ。
60名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/30(水) 14:15:42 ID:hpNtBwZW0
まあパミール高原を越えた辺り、比すなら、ハンニバルがいいんじゃないか、
とか思うな。

>>59
確かに唐の英雄であり、高句麗人というのが本当なら、
高句麗の英雄と言えなくもない。

でも韓国の英雄と言うのは無理ありすぎw
61名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/31(木) 08:22:50 ID:xb4Nf6wU0
高仙芝は中国名将100戦に入ってるの?
62名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/31(木) 11:58:28 ID:aP/otq7Q0
小学校教師がクラスの女児ほぼ全員をレイプ 中国
【NYTIMES】中国にて小学校教師が担当クラスの女子生徒
ほぼ全員にあたる26人の女児をレイプしたとして逮捕されたとのこと。
これまでの調べによれば、逮捕されたリ・グアン容疑者は昨年秋から
凡そ3ヶ月に渡り、担当するクラスの女子生徒ほぼ全員にあたる26人
の女児を日替わりでレイプし続けていたという。
事件が明るみに出たのは被害者のひとり、クラスのある少女(14)が
学校に行くことを拒否し、グアン容疑者の横暴を家族に告白した
ことによる。
彼女はそれまで2度に渡ってグアン容疑者にレイプされていたのである

63名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/07(木) 23:11:19 ID:tkkbL20w0
西秦覇王がもっと長生きで元気だったら、
唐朝は危うくなっただろうか?
64名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 07:50:04 ID:vW5yzC4q0
伝説のヒロイン「花木蘭」映画化、ツィイーやジェイ出演か?

 中国で語り伝えられている伝説のヒロイン「花木蘭」。男装して軍を従え、故郷に錦を飾る勇敢なこの女性の生涯は、米
ディズニーが『ムーラン』というタイトルでアニメーション映画を製作。その劇的な生き様が話題になった。

 過去中国でも映画化された歴史を持つが、「花木蘭」伝説の発祥地と言われる湖北省黄陂区が、現代版の映画製作を
計画。大々的なスポンサー募集を開始した。

 商業大作として製作されるこの作品は、3000万米ドル(約31億円)という予算が投じられ、戦争、愛情、陰謀など様々
な要素を取り入れた内容になるという。キャスティングが進められる中、「花木蘭」には章子怡(チャン・ツィイー)と範氷氷
(ファン・ビンビン)、男性は周杰倫(ジェイ・チョウ)や王力宏(ワン・リーホン)らが出演候補に。近日中に正式な出演交渉
を始めるそうだ。
ttp://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=0304&f=entertainment_0304_008.shtml
65名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/11(火) 13:44:08 ID:sA24lYml0
質問です。隋初代がどうやって天下を統一したのか教えてくださいまし。
というより、隋初代の幼年期若年期がどんなものだったかを知りたいです。
66名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/11(火) 15:21:27 ID:j8vJrzT60
隋初代って文帝楊堅のこと?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%8A%E5%A0%85
↑とりあえずこれを読んで、分からない部分を質問するべし
67名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/11(火) 15:31:58 ID:sA24lYml0
ありがとございます。だいたい知りたいことはわかりました。
68名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/11(火) 17:29:09 ID:h0PDjSLB0
おお、なんか知らんが紳士的だなおい。
ググレカスは今や死語なのか。
69名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/06(土) 23:58:10 ID:JdopGDSr0
>>1
唐はともかく、隋って輝かしいのか?
70名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/26(金) 23:51:36 ID:vfPoeE6g0
隋は西晋以来の統一王朝だろ
71名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/26(金) 23:59:20 ID:Zh+/i0pn0
「隋」が輝かしいのではなく、「隋唐」が輝かしいんだよね。
72名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/16(木) 23:00:41.21 ID:n/OudglF0
しかし日本でいまいち輝けていないのは何故だ?
遣隋使・遣唐使と日本とも関わりがあるのに一般的にはドマイナー
73名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/16(木) 23:32:58.32 ID:Fb6tVHhy0
普通に史記や三国志の方が面白いからじゃね?

そりゃ、後漢初に比べれば、群雄はそれなりに強いし魅力的だが、
唐最強にならざるを得ないし、日本人が好きな群雄割拠にはならないだろ

隋唐演義は地味だし、説唐は派手だが日本人好みでなく翻訳されていないしな

周王や漢皇帝は日本の天皇に擬しやすいが、
隋唐の易姓革命は日本人にはなじみにくいのかもしれない
それに、隋唐に日本が朝貢をしていたのがまずかった可能性もあるな
74名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/16(木) 23:50:32.90 ID:hUYT06uB0
>>69-70
2年後のレスなんだ 何かワロタw
75名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/14(水) 19:12:28.97 ID:ap7EC/IR0
史記適当にパラ見してる程度の俺だと、隋唐って遣隋使・詩人とか、
授業のプリント穴埋めの記憶しかない。三国志とかのネームバリューに比べるとさすがに・・。
76名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/04(金) 01:00:30.13 ID:nRSzgVNuO
俺は群雄割拠の内戦より強固で圧倒的な世界帝国の方がロマンを感じるね 少数派かも知れないけど
77名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/12(土) 04:01:41.50 ID:y1KxG4bF0
煬帝対聖徳太子とか言っているけど日本で勝手に盛り上がっているだけで
全然全くと言っていいほど大陸側認識はないらしい
隋からの勅使が箸を教えました、の人物も勅使本物かというとそれも怪しい
78123.150.183.113 123.150.183.113 ツ菷ヌティ:2012/05/14(月) 22:30:51.39 ID:OSjztZ9w0
イサヨェヒニ。」ヒ衫ニネキハオヌソハ「」ャイサケアセネヒク・イサカルヘウヨホハアニレ。」サーヒオネユアセラヨフォトムネマチヒ」ャヨサトワソエラナココラヨネ・イツエ筌ャヒュサ蘯コモ・フスフホメネユモ・ノ
79名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/18(金) 22:02:31.79 ID:aIQDIjzMO
先生読めません
80名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/01(金) 15:33:51.67 ID:0Jfj2lE50
>>77
煬帝対聖徳太子って、別段日本でも盛り上がっていないと思うが?
セットで話題に上がることはあるけれど、対ではないだろう

「ギャグマンガ日和」または「爆撃聖徳太子」での話?
81名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/06(水) 00:12:37.18 ID:EMK1WvqV0
だいたい基本的なことで聖徳太子という人物が書状を送っても読めないでしょ
なにを書いているのかさっぱりで
なんとなく隋と倭なんじゃねw
82名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/01(土) 08:30:47.90 ID:647EFxxO0
83名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/07(金) 23:31:31.13 ID:OPqTPRLB0
>>81
おい大丈夫か?

その頃の支配層は漢文が出来て当たり前だし、大体にして仮名もなかったんだぞ?
84名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/23(土) 08:18:31.11 ID:GNAKK8fI0
同じ漢文なんだから読めない訳無いだろwww
85名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/15(月) 21:47:54.84 ID:avHMTE5wP
隋の皇帝・煬帝の本物の陵墓を発見か、わずか20平米あまりの小さな遺跡―中国
配信日時:2013年4月15日 21時40分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=71356
86名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/02(月) 00:41:11.68 ID:FZDnw19r0
 2014年5月30日、若い中国人女性が日本旅行の印象についてつづった文章がインターネット上に掲載されている。以下はその概要。

 日本に着いたのは夜だった。成田空港から出ると、空気がとても澄んでいるのを感じた。空港は大きいがとても静かで、男勝りな私は
若干の堅苦しさを感じた。しかし、外国に来たからには中国人のイメージを代表している。行動に気を付け、中国人の顔に泥を塗るような
行動は慎まなければならない。到着ロビーを出て車に乗り、都内のホテルに向かった。ホテルの環境は素晴らしかったが、部屋が
狭すぎるのが難点だ。

 私は10代のころに「恋空」という日本映画を見て、感動のあまり号泣した。そのため、日本を旅行した数日間、私はいつも空を見上げて
「もしもあの日君に出会っていなければ、…」という有名なセリフをつぶやいていた。日本の空は本当に美しい。これは日本人の環境保護
の意識から生まれたものだろう。日本は国土面積が狭いが、森林率は非常に高い。中国経済は近年、舌を巻く勢いで発展しているが、
素養の面ではまだ歩まなければならない道のりは長い。そのため、私たち若者が肩に背負っている責任は軽くない。

 日本にいる間、私は多くの寺や神社を観光し、京都では和服を着た日本女性を見かけた。そのとき初めて、人々がなぜ「唐は日本に
ある」と言うのかがわかった。それと同時に、淡い憂いのようなものが込み上げてきた。中国5000年の輝かしい歴史を持つ炎黄の子孫
(中国人)が大切にしていない歴史の価値を、外国人が見出している。なんという皮肉だろう。

 今回の日本旅行では心残りが多かった。富士山にも北海道にも行けなかったし、歌舞伎も見ることも、日本式の部屋に泊まることも
できなかった。でも、大丈夫。日本は私がまた行くであろう場所だから。

ソース(Yahoo・Record China) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140601-00000004-rcdc-cn
写真=日本の風景
http://amd.c.yimg.jp/amd/20140601-00000004-rcdc-000-0-view.jpg
87名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/18(金) 14:31:57.05 ID:+5WRJHYg0
なかなかに面白い隋唐時代
88名無しさん@お腹いっぱい。
三国志に当てはめると

北周→魏
北斉→蜀
陳→呉
隋→西晋

って感じか