1 :
義帝:
・神話の時代
黄帝-昌意-帝センギョク-称-巻章-重黎-呉回-陸終-季連(芋姓の祖)
・楚公室()
[季連の末裔鬻熊、周の文王の師となり、商を滅ぼす]
鬻熊-熊麗-熊狂-
[熊繹、成王により楚子に封じられる]
熊繹-熊艾-熊タン-熊勝-熊楊-
[熊渠、一度は王号を称するも周の脂、を恐れ、王号を称するのをやめる]
熊渠--熊摯紅-熊延-熊勇-熊厳-熊霜-熊徇-熊咢-若敖(熊儀)-霄敖(熊坎)-フン冒(熊ジュン)-
[熊通、隋を討ち、隋をつてに爵位をあげてもらおうとするが断られ、腹いせに王号を称する]
-武王(熊通)-文王(熊貲)-荘敖(熊艱)-成王(熊ツ)-穆王(商臣)-
[楚の荘王、晋をヒツの戦いで破り、覇者となるも共王、エン陵の戦いで破れ、覇権を失う]
-荘王(侶)-共王(審)-康王(招)-コウ敖(員)-霊王(囲)-新王(比)-
[平王、伍子胥を追放し、伍子胥の補佐を受けた呉王闔閭に首都を陥落させられる]
-平王(熊居)-昭王(珍)-恵王(章)-簡王(中)-声王(当)-
[悼王、呉起を信任し改革を行い君主権を強めるも悼王没後、旧弊に戻る]
-悼王(熊疑)-肅王(臧)-宣王(熊良夫)-威王(熊商)-
[懐王、秦に騙され秦に赴き秦で没す。負芻、秦の虜となり、楚は秦の郡となる]
-懐王(熊槐)-頃襄王(横)-考烈王(熊元)-幽王(悍)-哀王(猶)-負芻
2 :
索超:2007/07/19(木) 00:20:09 ID:nNghODNh0
急先鋒の名に恥じぬ疾風のごとき2get
>>3 遅せーんだよwコロッケでも食っても、デブw
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 00:26:20 ID:bcWOfkwm0
>コロッケでも食っても
日本語でおk
m9(`・ω・´)<コロッケでも食っても!!!
なんかかわいい。
ミャオ(苗)族の祖先なんだよな。
戦国になってからの没落はひどいな
ほとんどが負け戦の感じがする
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 12:36:21 ID:dYD/+GbpO
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 14:46:32 ID:ECsUHuO20
>>7 春秋時代は他の国が束になって楚に対抗してたもんね。
十分に天下を狙える位置だったな。
スレタイの芋?にはどんな意味があるのかね。
1を見ろと言われる前に自己解決しました。
晋分裂の時にここぞ!ってわけにはいかんかったんかな
ってその前に呉にぼっこにされてましたねごめんなさい
wikipediaだと、クマーが「氏」ということになってるけど、
あれは「氏」なのか?
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 09:56:07 ID:BUd/KAb40
大雑把にいうと、春秋が対楚、戦国が対秦だね
斉などはそこそこの国力をずっと維持したような印象
トップは入れ替わったけどね
>>14 クマーは首長を意味してるんじゃなかろか。
お約束の疑問。
春申君が考烈王に子ができないのを利用した謀略。即位した李園の甥は幽王。
負芻と哀王猶は誰の子なんだと。
こっちのは誤爆。ごめんなさいよっ。
霊王と平王あたりから良いとこないね、同時期の呉の季札や闔閭あたりと
くらべると公子の差が・・・、
共王あたりまで中原の国々に取って変わろうという野心が良い意味で見られ
たのだが、宋の盟によって平和になった事で楚も晋も活力がなくなった気が
する。
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 00:13:11 ID:5zrejG2NO
その後の昭王、恵王は結構名君なんだけどね
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 06:26:46 ID:VGJsCpEwO
重臣が一門である比率が魯並みに高そう
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 08:56:52 ID:d+7+XujJ0
春秋時代のうちに、形になっただけの周を遠慮なしに滅ぼしておけばよかったのかも
23 :
草中の豎子:2007/07/24(火) 17:17:56 ID:gj/ZhRKU0
>>22 周も一応日本の戦国時代の朝廷同様、形だけでも神聖不可侵の存在だったはず。
もし周王朝に矛先を向けるような事があれば他の国から言いがかりをつけられて攻撃される。
子爵ってのも疑わしい。
>>22 荘王は戦争をかなり行ってるはずだが、決して無理な事は
しなかった、国力を消耗させる事がなかったから名君だった
のだろう。
成王も名君の部類だと思うんだがなあ。
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 00:46:53 ID:6sgl5HRH0
桓公、穆公、文公と時期がかぶってるからな
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 03:16:26 ID:B4W/heTSO
正直子玉の言うとおり文公殺しとけば成王の天下だよな
30 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 01:54:08 ID:PKIuvpn+O
群臣のほとんどが王族だったのがまず問題だと思うんだ。
31 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 04:54:09 ID:jEbkEAhNO
晋みたいにほとんど外様なのも困るけどな
そう考えると極端な国家が二強だったんだな
春秋時代は
天子以外に三軍を持てたのは晋と楚だけだしな。
>>33 斉も三軍じゃね
一軍一万人と少なめだけど
後年の魯も三軍を設けているはず。
覇権成立後の三軍は卿の私兵みたいなものだよね
魯でも成立できるならなおさら。
国力の比率なら
晋6:楚6:秦4:斉3:鄭2.5:魯2:宋2:衛1.5:陳1
これくらいかな
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 20:30:57 ID:bkGUM1PJ0
>>36 比率なのに小数点以下がある
斉と鄭の差が無さ杉
【暫定数値】
晋12:楚12:秦8:斉6:鄭5:魯4:宋4:衛3:陳2
ほんまかいな。
>>37 比で表す時は必ず整数じゃなきゃいけないなんて決まりは無いよ
晋10 楚12 秦6 斉7 鄭・宋・魯・衛は3〜4 と見た
斉はやはり人口多いから秦よりは上だろうし
楚は国土の広さや国制からして国力の効率的な運用は下手そう
41 :
奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/08/05(日) 22:03:32 ID:bxravLvH0
地理的に見て、晋秦楚に挟まれている鄭は滅びていないだけでも評価すべき。
楚>晋>斉・秦>鄭>衛・宋・魯>陳・蔡・曹 番外:燕(評価できず)
なのは異論はない、かな?
戦国初期の秦の弱体っぷりを見ると斉>秦でもいい気がするけれど
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 03:11:35 ID:Hp/+XNHiO
周と呉と越は?
>>43 周……日本で言う朝廷みたいなものだから評価外
呉・越は
斉・秦>越>呉>鄭でどうかな?
場合によっては覇者に認定されるくらいだから
鄭の方が上ってことはないと思うけれど
鄭は初期の勢いがありまくる時期と
二面外交ながらうまく渡り歩いた時期があるから評価が難しいww
スレタイとは全く関係なくなってるけど
往事の虢は
>>44の越・呉ぐらいかな斉・秦は及ばない感じで
楚って攻め込まれたことはほとんどゼロだよな。
つまり単純な力関係は楚>晋で中原同盟を組んでようやく互角だったと思われる。
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 23:13:11 ID:KIP3uXw/0
春秋時代の時、燕は中原の争いよりも北方の民族と戦っていたんすかね〜
燕は春秋期に国といえるような規模だったのだろうか。って楚のスレでやらんでも。
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 12:14:40 ID:WiTGDGzJO
燕って沢山あるよね
北燕と南燕?
そういえば武王伐紂王平話には、黄飛虎は南燕王になってるよね
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 19:52:51 ID:xYCMorHA0
戦国期の燕になぞらえて、幽州に割拠した勢力は燕を名乗るなぁ。
安禄山もだし劉守光もそうだ。
地域名でいえば、春秋戦国のころの地区割りみたいなのはずっと残ってる。
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 20:00:09 ID:SGi/bnEK0
しかし燕の歴史がほとんどわからないというのは、あの辺りは
当時秦や楚よりも辺境だったということなのかな
それとも燕が積極的に係わりを持たなかったから歴史に顕れない
のか
三国時代にも公孫氏政権がかなり後まで存在したし
春秋時代末期に趙氏が晋陽・代を手に入れてやっと中原から
つながった感じかな、逆に燕から代へ攻めたという事はあり
そうだけど、代にも勝てない程度の国力ですかね。
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/31(金) 10:09:01 ID:twMf25kZO
子文
燕も背後に遊牧民のような敵がいなければ、中原志向が強まったかな。
史記の世家読むと建国と昭王以外に記事がないから
燕って春秋時代に本当にあったのか? って思えてくる
戦国初期あたりに、中山みたいに建国したんじゃないかって
君主の系譜は南燕と混じってるらしいし
燕が出てくる春秋時代の話って何かある?
燕って何だか本当は異民族系の王朝のような気がするな。
文化面でも中原とかなり違いがあったんじゃないだろうか。
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 23:45:38 ID:1fb7V8jUO
楚のスレなのに燕に乗っ取られましたな
言いだしっぺとしては残念でございます。
楚というとどうしても項羽のイメージが
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 03:04:09 ID:auq5UafjO
俺としては荘王のイメージがあるね
>>56 斉の桓公に助けてもらう話。
あと、春秋事語にちょっとだけあるらしい。
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 08:00:26 ID:eAt0nQ3d0
春秋の国々なんてほとんど異民族なんじゃない?
形だけでも周に帰属している格好の国々と、
それ以外の遊牧民とだったら、
明らかに別の民族だという意識はあったと思う。
項羽は項羽であって、あんまり国家としての楚とは結びつかない
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 08:40:04 ID:j1BfU3DX0
戦国時代以降は、他の中原諸国と同様に、天下の一員って感じだろう。
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 18:55:13 ID:wm7jSjmwO
楚の武王、文王んときはまだ地方で暴れている蛮族程度にしか思われてなかったけど
成王のときに中原に進出し天下の一部だと認識されたんじゃないかな
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 23:27:35 ID:THKwxFsD0
結局、全国政権の楚が登場することはなかったな。
項羽、陳勝、桓玄
どれも短命だったな
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/06(木) 00:14:56 ID:7214XgO/0
張邦昌もね
71 :
名無しさん@お腹いっぱい :2007/12/06(木) 00:30:31 ID:1H6eKlnT0
楚出身の劉邦は見事に天下を取ったんだけどね。
隋末の群雄割拠時にも楚を建てた者はいるし、
五代十国の一つにも楚がある。
意外と楚は多い。
>>71 劉邦の出身地って、元々は楚の領域じゃないよね。
戦国末期に斉が衰えて、楚の領域になったってところか。
沛は項羽と劉邦が抗争してる時は完全に楚の版図だったのに
よく無事に切り抜けられたなぁ。
項羽なら腹いせに住人皆殺しとかやりかねんし。
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 08:35:44 ID:vxKuvAZgO
宮城谷氏が荘王が楚の累代の君主で最高の君主と誉めていたな
だいたいの人がそう評価するだろうね
成王の最期がああじゃなかったら結構意見分かれたんだろうけどな
>>75 単に、そこまで気が回らんかっただけだったり
行ってみたら劉邦がゴロツキでどう迷惑だったかを力説されて
一緒に悪口言いまくって満足して帰ってきてたりしてな
王朝が○王の時代、どこの国が△公で、あそこの国は□公だった
なんていうチャート、どこかにない?
ばらばらの家系図は見かけるんだけど、横に並べたやつがみつからない
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/19(火) 23:56:23 ID:KJgoZMxC0
>>82 感謝 見てみた
これだけ列国カバーしてくれてたら充分です
伍子胥って呉越を滅ぼす為に送られたとしか思えない。
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 21:40:17 ID:iS4dW8xq0
呉と楚の戦争は伍子胥、孫武といった呉の人物にスポットが当たることが多いが
楚にも昭王、沈尹ジュツ、子西、申包胥といったなかなか面白い人物がいる。
なかでも子西は物語になりそうな人物だ。
昭王の兄でありながら、王の座を弟に譲った謙虚な人。呉の反攻に尽力をつくし、
呉から解放された後の楚を立て直した手腕は名宰相と言ってもいい。
最後は多くの人に反対されながらも兄太子建の遺児白公勝を迎え入れ、白公勝に殺されてしまう。
もっと評価されるべき人物。
確かに、呉に叩きのめされた後の「楚の復興話」は
小説としても面白そうだな
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 13:45:51 ID:yVxwHhqn0
戦国時代後半、楚がもっと国家として活性化していたら、
秦と覇権を争って面白くなっただろうにな。
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 15:04:17 ID:8Hr408wOO
呉起の改革が楚に根付くことがあったなら、楚は簡単に首都を奪われることはなかっただろうね
楚は時々滅亡させられそうになってその都度復活してる感が
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 23:28:24 ID:h9+ccPgY0
項羽の楚が別の楚であると考えると、楚が滅亡の危機に陥り、
復活できたのは呉が首都を落としたときと、白起が首都を落としたときか
呉のときは首都を奪還できた(後で、別の場所に遷都したが)が、白起のときはできてないのは興味深い
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 11:00:29 ID:HTxwGQhGO
スレタイのセンスが秀逸だな
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 12:00:03 ID:4TKnjOvl0
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/06(土) 15:28:08 ID:FlAzvetbO
賢なるかな楚の荘王
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 15:58:33 ID:bjwf3Po9O
共王の諡号を遺言に逆らって変更したエピソードがかっこよすぎる
97 :
焼肉ぷらす:2008/09/25(木) 13:38:09 ID:PBbb4EDSO
対して成王はまさに往生際が悪すぎるな
そうか?
どっちも「諡号はその人の人生を正当に評価したモノでなくてはならぬ」
つーいい例だと思うが。諡号の話をするときは必ずこの二人のことを話すよ。
初めてきたけど素晴らしいスレタイだな。
いまさらながら
>>10が「芋」で覚えていないか心配w
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/15(日) 00:40:07 ID:L/696Lq70
韓非子・説疑篇に楚の芋尹申亥(ういんしんがい)ってのが出てきますね。
ただ芋尹は姓じゃなく官名だそうですが。芋がつくのはこの方しか知らない。
芋についてはノリで提案しました。後悔はしていません。
一応最大領域を実現した懐王の先代の威王ってどんな王なんだろ。
項羽の故郷の辺りって前は越のように見えるけど項羽にとっては
越とかどんな存在だったんだろ。越系の国は色々生き残ってるけど。
>>56 春秋つうか西周の瑠璃河遺跡くらいのもん?
103 :
102:2009/04/06(月) 02:19:52 ID:x5f3puIs0
歴史地図よく見ると越とはすこしずれてるようだ。というか
この辺は入り組んでて分かりづらいな。
劉邦と項羽の出身地、わりと近いように見えるけど徐州(彭城)はさんで
150kmぐらいは離れてるねんな。
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/19(日) 03:05:46 ID:gv6Nff1+O
ところでてめ〜らはこの時代の人物で誰が好きなんだ??
俺は伍子胥
呉越モノのドラマみると悲しくなってくるぜ
范蠡だな。
大功立てながら事が成ったらあっさり見切りをつけて越を去り、名前も変えて商売始めて
二度も巨万の富を築いたってカッコよすぎ。
馮驩かな
楚スレだからってわけではないが、孫叔敖
成王の酷薄さとお大尽ぶりの両極端さ。
申包胥の泣き落としと白公勝の健気さ。
何にせよ楚人はアツいよな。
109 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/10(日) 12:30:03 ID:d3Zr2XGD0
やっぱり叔向のツンデレに萌える☆ZE
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/28(月) 07:20:11 ID:Mh6RPte8O
楚でいったら狼に育てられた名宰相子文が結構好きだな
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 02:16:48 ID:4aotzqzF0
「羋」が表示できないから「芋」で代用しているのかと思ってたら、
普通に表示できるんじゃないかw
負芻
李氏から楚の正統を取り戻した英傑
>>108 普段のジャイアンと映画ジャイアンみたいな感じだわな
襄公を辱めまくった成王と重耳を尊重した成王の二面性は面白い
>>100 明治書院の『国語』読んでたら楚語上に出てきたんだが、その語釈がとても興味深かった
>芋尹申亥(ういん・しんがい)は霊王の欲に従いて、以て乾溪に隕(おと)せり。
>語釈
>申亥の父の無宇が芋尹となっており、申亥は、霊王が父の罪を再度許したことに感謝して、
>餓死しそうな王を家に迎え入れ、王が首をつって自殺すると、二女を殉死させて、一緒に葬ったという。
>芋尹は、官名、芋は地名ではない。イモのことであり、陳にも芋尹があるから、植物と関係のある官らしい。
陳の芋尹は、『左伝』哀公十五年に登場する芋尹蓋がいます
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/02(金) 07:14:39.65 ID:Zy22IYafO
戦国時代ではパッとしないよな楚って
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/03(土) 06:57:41.07 ID:OAgyt7L+O
楚で名宰相に値する人物といえば
子文、孫叔ゴウ、子西、呉起、春申君ぐらいかな
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/04(日) 10:43:17.83 ID:dvbJ0QJ30
駅の清掃員。いつも、のぞき見。用が足し終わって出ていく人間を、
必ず見る。そのために、わざわざ、ずーっと待つオバハンもいる。
掃除をせずに、やるふりして、だんだん、そういう人間になっていく。
必ずそうなる。
何処の誤爆コピペなんだよ。
真面目に話せ。
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/25(水) 21:34:32.47 ID:Z2eND4nH0
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/30(月) 03:36:50.87 ID:n9yK7T5V0
呉によって滅亡寸前に陥った楚を立て直した令尹子西はもっと評価されていいと思う
孫叔敖に匹敵するぐらいの名宰相だと思うんだけどなあ
122 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/11(土) 10:18:27.76 ID:jw3xoA/p0
沛在徐州 不是楚地
霊王ってクーデター起こされたけど偉大だよね
次の王が古代中国的な政治観に基づいて無に帰しちゃったけど
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/13(月) 02:55:15.39 ID:jXr8szvT0
霊王のどこが偉大なんだ
ただの暴君にしか見えないけど
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/13(月) 14:34:19.52 ID:XIc4LiIJ0
友好と婚儀のため訪問した使者に向かって 霊王、「1人は宮刑、もう1人は足きりだ」
2人とも、無事帰国できてホントよかったよ
>>125 その二人と言うのが、晋きっての賢人叔向や正卿・中軍の将の韓起だから、
霊王は晋とマジで戦争したいのかと思ったよ。
>>124 勢いを失った晋の隙を突いて陳・蔡といった比較的大きく国を滅ぼし
晋一辺倒だった魯を楚に近づけ
叔向のような人間にさえ「暴虐だが人を用いることを忌まない」と一面肯定的に評価されている
クーデターのときも国王が帰ってきたという噂が流れると、国人は霊王につこうとしたようだ
王が危篤と聞くなり任務放棄して帰ってきて王を絞殺した人が偉大ですかそうですか
>>128 有能が人間が権力を得るのは罪ではない
霊王の後を継いだ平王と比較してみろ
霊王の公子を皆殺しにするのは権力基盤を固めるために仕方ないとしても、
陳蔡どころかそれまで楚が滅ぼしてきた六つの小国まで復興させる
そして連合し、いざ呉に攻め入ったら諸国足並みが揃わぬとバレて敗北
おまけに費無窮なんて姦臣を重用して、その讒言を信じ、伍奢を殺して伍子胥という復讐鬼を生む
そのまま何も為さぬまま死亡
やがて死体に鞭打たれるのは有名な話
この無能王こそが霊と諡されるべきだ
平王が復興した国はそう遠くない未来、どのみち楚が滅ぼす
当事晋は陳蔡復興には及び腰で介入の心配もない
結局この無能は霊王の覇業をクーデターで邪魔するだけに留まらず、
全く無に帰するどころか後世の災いまで招いた救いがたい暗君
楚は王権が強いから、諡号に嗣王の感情や立場がストレートに出るね。
暗君でも父王なわけだから平王や懐王みたいにまともな諡号もらえるたりするし。
六卿が実質支配してる晋は、弑された二人以外は客観的。名君と言われる悼公も悪諡だよね。
>>121 亀だけど、子西と孫叔敖の比較はなんだかなあ。子西は終わりが良くなくてな。。しかも
被害にあってるのが自分だけじゃないし。有能だったのは確かだけど。(これより昔の楚の子西も横死してたっけ)
>>126 暴虐さを隠し切れてないのか、それとも挑発なのか。それが問題だ・・
逸話を真に受けるなら霊王は晋と戦う備えをしてなかった
逆に備えをしてたら魂胆がバレてあんな重要人物は来訪しなかったかもしれないから何とも言えないが
暴君を新たな切り口で評価する俺カッコイイ!
…がしたいだけにもみえる
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/14(火) 15:15:41.01 ID:QJIaEOAH0
同じく暴君的気質があり他国を多数滅ぼした晋の献公に比べると楚の霊王のやってることは弱いものいじめにしか見えない
献公は当時そこまで強くなかった晋を周りの国を滅ぼすことで強国にしたけど
霊王の場合楚は霊王が即位する前から大国だったからなあ
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/17(金) 09:33:50.61 ID:NXaAtKc40
同時代を生きた孔子が昭王を絶賛してるあたり
やっぱ昭王って名君なんだなあ
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/07(水) 21:05:55.58 ID:ZIf3dxIrO
親父の平王は息子の嫁を横取りするような奴なのにな
>>131 懐王がまともな諡号??
悼公は、単に長く生きなかったからそうなったのかと思った。
ところで、「懿」ってなぜか悪諡だね。
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/24(土) 21:19:34.08 ID:9aySY2qM0
懿は美諡だろ
魯の懿公:アホな周王のせいで太子にさせられ挙句に殺される
衛の懿公:鶴狂いで国を滅ぼして殺される
斉の懿公:偽善者にして弑奪者、型どおり最期は臣下に殺される
燕の懿公:不明
韓の懿侯:魏に負けまくり
たしかに美諡なんだけど、諡された君主は揃いも揃ってろくなのがいない
懐も諡号一覧では美諡に入ってるのを見たことがある。
霊は、美諡と平諡を兼ねていたような。
なんとなく、「霊」は「幽」よりはいい、ってイメージがあるなあ。
>>141 懐は美諡ではないけど必ずしも悪諡ではないね
霊は平諡で、平・悪諡のいずれかに相当する幽とはかなり違うよ
獅ノ至っては完全な悪諡なんで、これを諡されたら救いようがないけど
143 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/26(月) 16:17:22.68 ID:VCQ7opn6O
暗君、暴君でも自分の父親に悪諡はなかなかつけられない
つけようとしたら瞼を閉じないしな
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/27(火) 19:52:58.56 ID:DMogPfQx0
成王のことかw
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/27(火) 20:29:46.19 ID:GBIzGih80
共王は自分を霊王にしろと遺言したけど
それは悪すぎるから共王になったんじゃなかったっけ
獅ゥ霊にしろと遺言したけど、そういう恭しさをもって共と諡されてるね
>>143 斉の荘公はひどいな
親父は霊公を付けられるほどではないと思うが
>>147 この時代では、獅ニ霊は同格くらいだった・・・?
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/29(木) 03:03:57.21 ID:it864UxM0
共王の言動を見てると名君的素質を感じるのに何故荘王の覇業を維持できなかったのだろうか
ひとえに家臣の質が良くなかったと思うんだけど
丁度楚材晋用の時期だよな
巫臣や、苗賁皇とか
>>45 往時の虢ってそんなに弱い?携王と平王の争いの時に、西虢は圧倒的なはずの平王派に
対して、12年くらい戦い続けたらしいけど。
斉とか楚がどう動いたかはわからないけど、多くの有力諸侯相手にそこまで戦えれば、
もっと強いんじゃ・・・?(というか、楚よりも強いのかと思ってた。)
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/07(土) 10:38:54.97 ID:G0IDE92w0
>>142 霊諡は「世の中が乱れたが地位を失わずに済んだ」って意味だから悪諡に近い
末期になると武霊王とか二文字のがあるけど、あれは諡的にはどういう事なの?
>>154 楚にも、2文字の人が頃襄王と考烈王が出てくるね。
秦にも、視、公というのがいたような。
武霊王は、活躍もしたけど、駄目にもなったってことで、武と霊の両方を使って、武霊王とか?
二文字が流行りだったか
一文字じゃさすがにネタが尽きてきたかのどっちかだろ
>>36-46あたりの強さ議論て、春秋のいつ頃を基準にしてるんだろう?
年代で領土の変動が激しすぎるから、相当変わりそうな。
>>157 春秋全体を考慮しつつ、晋楚和平までじゃね?
晋楚和平以後は、晋が六卿に専横されて評価不能になってしまうし
晋と楚の軍勢って同規模だったんだろうか
160 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/28(火) 23:57:02.30 ID:XaAwedHz0
結局伍子胥は仇を討てなかったな
161 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/08/29(水) 00:17:05.45 ID:s9upoT8f0
死者に鞭打ってまだ足らんってどこまで恨みがましい人だおい。
他人に暗殺を頼む
死体に鞭打ち
これがなぜ英傑カテゴリーなのか
今で言うダークヒーローに当たる闇の英傑だから。
165 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/05(土) 17:21:21.80 ID:wx7Yo9QI0
呉起 無能 楚 最強
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/05(土) 19:33:29.77 ID:pFjb0YWW0
霊公 と趙盾の屑っぷり
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/05(土) 19:54:51.42 ID:pFjb0YWW0
趙孟は屑
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/05(土) 19:55:41.57 ID:pFjb0YWW0
趙孟は悪の根源
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/25(土) 06:31:10.26 ID:tGbuuRK20
>>169 肯定 呉起 廉頗 不要 楚人最強
宣太后一家 流出痛恨 白起恐怖
全部漢字なのになぜかインディアン口調のように感じられる
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/26(日) 21:59:32.47 ID:npuxle7e0
唐挙「 そ が て ん か を と る で し ょ う 」
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/27(月) 06:56:13.14 ID:l9/j8AhM0
同意!
唐先生 楚人 予言 必中
楚国 天下最強也!
174 :
大楚万歳:2014/10/28(火) 22:32:28.41 ID:U0mywlQK0
白起を楚人カテゴリーに取り込めれば楚人最強説成立
若敖氏って、かっこいいよね
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/29(水) 00:20:14.74 ID:dvnOedwA0
闘氏
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/03(月) 23:04:06.08 ID:fSBLI5Mf0
項羽の祖父の項燕ってなんか有名な逸話って残ってるの?
残念ながら項燕メインの逸話は無いに等しい。。。
昌平君を楚王に擁立し秦と戦うも敗れ死んだと断片的に伝わるのみ
始皇 高皇帝 楚人也
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/22(土) 02:20:32.30 ID:l9L4+IqR0
>>176 楚の最後の名将ってことになってるけど、
最後に戦死しちゃってるし、そのあとの時代に項羽が出てきたおかげで、
項燕が伝説的な人物に格上げされたという可能性も排除できないな。
項燕の近親が秦統一期にのうのうと世間で暮らせていたのが驚き
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2015/01/21(水) 16:48:26.65 ID:pmUCSG7Z0
遠い親戚じゃないからねぇ…
始皇帝も甘いな
182 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
始めまして、僕は中国からの留学生です。今、東京の新宿に住んでいます。去年日本へ来ました、日本語が得意じゃないんです、みんなと友達になりたい。もし、中国語を話せますが、素晴らしいことか。私たちはお互いに勉強しましょう〜よろしくお願いします。( ̄▽ ̄)
私のlineはinvaderufo……ありがとうございます。