東晋の英雄桓温について語る

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1名無しさん@お腹いっぱい。
慕容垂にボコボコにされた東晋一の快男児桓温について語ってみよう
2名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/29(金) 18:30:30 ID:yveWOFh60
語ってもいいけど
両晋英雄スレが去年の10月から
80もレス付いてないよ
3名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/29(金) 19:28:32 ID:5ZW5OD7a0
三国志関連の人物のスレですらあんまり伸びないね
4名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/29(金) 23:26:35 ID:1lYcG/oc0
とりあえず桓温の歴史小説って、誰か書いて欲しいなあ。
5名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 13:39:12 ID:B/03r2Lp0
劉裕と桓温じゃ劉裕の方が好きなんだけどね、俺は
6名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 13:59:48 ID:rG/IzWKk0
劉裕は冷酷なところがあるから俺は桓温の方が好きだな
劉裕と比べるとちょっと抜けてるところがあるけどそこがまた魅力
7名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 14:26:41 ID:iInUsppl0
むしろここは謝恩が邪魔しなければ新王朝樹立してた桓玄を語ろうではないか
8名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 16:56:38 ID:KXa2XcKP0
なるほど、それなら桓温と桓玄一緒に語ってもいいんじゃないかな。多少とも幅を広げないと話題が持たないと思う。
9名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 19:49:03 ID:IVFqlG7c0
桓氏は祖先はどの地方の出?
10名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 20:15:53 ID:G1sgxhvF0
長沙臨湘人
11名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 20:27:22 ID:qxfaM29y0
『裏切り者の中国史』という本には、司馬懿に殺された桓範の子孫じゃないかって書いてたな。
12名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 21:03:31 ID:RNd4YqSQ0
長沙の人なら
孫堅の遺体を引き取った桓階に繋がりあるのでは?
13名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 00:10:58 ID:dxPvoS0e0
父親の桓彝の伝(『晋書』巻七十四)によれば譙国龍亢の人でしょう。
14名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 00:53:06 ID:feO3gjDD0
桓温が晩年の時に、突然一人の尼僧が遠方から来て、桓温に旦那となってもらい、屋敷に逗留した。
この尼僧は学才も挙動も常人とは違っていたので、桓温は鄭重にあつかい、屋敷内に住まわせた。
ところが尼僧は、入浴の時にはいつもきまって長い時間をかける。
桓温が不審に思って、覗いてみると、尼僧は裸になって刀を持ち、腹を裂いてはらわたを取り出し、
首を切り落として手足を細かくきざんでいた。桓温はあっと驚いて引き返したが、部屋に帰ったころ、
尼僧は浴室から出て来た。姿はもとのとおりになっていた。
桓温が正直に見たままを話すと、尼僧は答えた。
「お上(晋朝)に取って代わろうなどとする者は、きっとあんな姿になってしまいますよ」。
ちょうどこの時、桓温は帝位を奪おうと企んでいたところだったので、尼僧の言葉を聞いて意気消沈した。
この為に行動を慎み、臣下の本分を最後まで守り通したのであった。
尼僧の教えを信じた桓温は幸いに身を全うしたが、その子の桓玄は謀叛を企てて、彼女の予言通りに亡ぼされた。

この話の出典って晋書?
15名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 01:07:25 ID:gCfC6W720
時有遠方比丘尼名有道術,於別室浴,温竊窺之。尼イ果身先以刀自破腹,次斷兩足。浴竟出,温問吉凶,尼云:「公若作天子,亦當如是。」

晋書だとこれだけ。さらに詳しいのは『幽明録』『捜神後記』『冥祥記』あたり
16名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 01:17:53 ID:/1/wDNnF0
>>14
確か捜神記だか捜神後記だかが初出だったと思う。
でも晋書の本伝にも、省略された形でちゃんと載ってる。

さすが、毒にも薬にもならない畢卓(別に何をしたわけでもない
ただの飲兵衛)の伝は立てても、斉万年の乱で討ち死にした
馬敦には帝紀ですら全く触れない、現行晋書の面目躍如だな。

(馬敦については、潘岳が書いた追悼文が文選に引かれてるぐらいだし、
現行晋書編纂時に底本になった臧栄緒晋書には、ちゃんと記述がある。
なんで房玄齢たちは削ったんだろ? 太宗のワンマン? 単純作業ミス?)
17名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 01:35:04 ID:feO3gjDD0
>>15-16
レスありがとうございます。
こんな実際にあったかどうかかなり疑わしい話も正史である晋書に載ってるんですね。
それにしても尼僧の入浴を覗くとは桓温も相当なスケベだな。
18名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 07:50:31 ID:drNrDmOi0
いつの時代だったか忘れたけど、今のカンボジアのあたりへ、
使いに行った中国人たちが、
現地の女が川辺で水浴びをしているものだから、
連れ立って見に行ったそうなw
19名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 17:13:18 ID:MkWSkuab0
謝安さえいなけりゃ万事オッケーだったのにな
20名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 20:23:26 ID:JedM+qOD0
でも謝安を見出したのは桓温自身でしょ?
21名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 23:28:15 ID:MkWSkuab0
>>20
なんてこった…、将来の敵を見出してたなんて……(呆)
やる事が春申君と一緒じゃねえか…。
22名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/07(土) 00:19:20 ID:PJr4Ndh00
>>17
晋書の評価は史記や魏書呉書蜀書に較べると遥かに低いからな…
23名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 23:47:09 ID:g/mNcp0n0
>>20>>21
そういうところもまた、桓温の魅力の一つ
24名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 15:22:11 ID:4Mjx/CKo0
桓温、意外に人気ないな。
25名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 22:44:16 ID:anjm5CCb0
この時代自体がマイナーなせいなのか
それとも皇帝になりぞこなったからか
26名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 06:36:23 ID:Sf1+MamR0
時代自体の注目度が低いのが大きいと思う。
桓温自体については、これほど個性的な人物もそうはいないし。
27名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 15:28:34 ID:Tue1MnJ00
桓温を紹介するいいコンテンツがあればいいんだけどね。
28名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 02:50:03 ID:gErxw1kQ0
紙が一般に普及し始めたのはこの人のおかげとか聞いたことあるけど、
なんか根拠があるのだろうか?
29名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 16:16:02 ID:nCb8JA/Y0
キャラの割りにぜんぜん人気ねーな〜
なぜだ
30名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 10:13:19 ID:SoICiZ6kO
東晋は派遣会社だよ
31名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 14:55:31 ID:tuOkLu8y0
>>29
一般に広く好かれてはいる人物だとは思うけど、
スレを盛り上げるような熱烈なファンがまだこの板には登場していない。
32名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/05(月) 15:06:48 ID:Wsr0ttZr0
宇宙大将軍なら大人気なのに
33名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/09(金) 23:19:58 ID:f3sAtman0
桓温といえば、断腸の思いの話がなぜでてこない!
34名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/10(土) 03:20:59 ID:ia1SdQHtO
空前の桓玄ブームが訪れようとしている昨今ですが、どれだけ好意的に人物像を妄想、
もとい考査してもアホの子にしかなりません。まだまだ功夫が足りないようです。
どなたか拙い私めの代わりに彼の名誉を守ってあげて下さい。まじおながいします。
35名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/10(土) 14:32:18 ID:ArIaHUGk0
>空前の桓玄ブーム
36名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 20:33:11 ID:1RhzSk7tO
え?来てるだろ?俺の周りじゃ猫も杓子も桓敬道だぜ?
37名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/02(日) 21:19:20 ID:FWmPw9mA0
桓温よりも一つ前時代の王敦のほうが……
38名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/02(日) 23:54:31 ID:JsI12vZE0
>>37
王敦の場合は劉弘以来の江陵軍閥に乗っかった感があるからな〜

王猛、慕容垂らの各国のナンバー2と比べると、単独で軍事行動を
起こせる実力を持っているだけ両名より作戦決定の自由度は高かった
のだろうが
北伐の頓挫は、いったい何がいけなかったんだろうか?
39名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 04:19:30 ID:zSy7JnX/0
ほす
40名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/31(木) 22:31:18 ID:yYnPlZpy0
>>38
足場を固めきる前に焦って北伐やっちゃった感じだからなあ。
劉裕みたいに政敵をしっかり葬っておくべきだった。
41名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/03(日) 17:03:27 ID:lpWN65x50
こいつはそこがいいんだよ。 なんか足りないんだよね
なんか一手抜けてるよね みたいなのが。
42名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 02:07:58 ID:GxCGyCfn0
桓温に関する記事を発見
http://d.hatena.ne.jp/mujin/20080207/p3#seemore
43名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 21:58:52 ID:QYNUEuv70
桓温は清談家としてまず話し合うことが多い。
王猛、謝安、孔明の従僕だった爺、劉琨の家妓だった婆などに、わざわざ面会を持ちかけている。
あんまり殺伐としたイメージがないのが魅力になってそうだな。
そうでなければ凄まじい腐臭を遺していたはず。
44名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 23:28:31 ID:rETq8h710
>>42
桓温って、本当に面白い逸話が多いな。
45名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 20:28:15 ID:e2FGlCdU0
桓沖って、秀長みたいでシブいよな
46名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 20:50:54 ID:e2FGlCdU0
>>32
宇宙将軍のスレってあるの?
無かったら立てようかな
47名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 21:52:05 ID:NoEf4iy/0
中華史上最強の英雄は宇宙大将軍侯景
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1194569088/

立ってたけど落ちてるね
48名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 22:05:27 ID:SXJdIOlE0
通鑑だと、王猛は面会後に桓温の部下として従軍してるんだよね。
最終的には「やっぱ合わん」と江南行きを断ってるけど。
しかしその箇所の胡注、
「ここで王猛を殺しておけば良かったものを」
はいくら何でも無いだろうよw
どうせ殺したら殺したで、
「あたら有為の士を殺すとは。桓温は所詮逆臣の徒、人の情を知らぬ」
みたいな注を入れたんだろうなぁww

ところで司馬光って、苻堅の批判になると凄く筆が冴えてる気がする。
最近は、「実は好きというかアンビバレンツな感情を持っていたのか?」と
疑ってるんだけどね…。
49名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/14(木) 00:21:12 ID:z+E4VxrB0
司馬光の人物評ってよく読んでいくと面白いよねw
訳分かんないとこにケチつけたりするし
50名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/16(土) 02:12:36 ID:9ZvWnQ5XO
しょせん野蛮な異民族風情が小賢しいwww
って感じだよな。
奇妙な美意識で筆が走る、走る、走る。

なんか愉しそうだよね。
51党国精英西門慶:2008/02/29(金) 23:06:56 ID:/3asWitp0
桓溫,祖逖,冉閔,劉琨,謝安,陳慶之,都是大英雄

至于狄夷禽獸之類,如石勒,縱然快意一時,但最終,不僅身死,並且族滅,被掃進歷史的垃圾堆,這是必然的
52名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 05:54:13 ID:yn6yY7xS0
晋書桓温伝の和訳が無いようなので
いっちょ翻訳してみたろうかと思ったが
漢文を離れて幾星霜が経た俺には、荷が重かった……
53名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 23:15:22 ID:/ccpPYfV0
しかし、戦績は凄いんだよな桓温

成漢攻略は言わずもがな
関中侵攻の北伐では、一進一退ながらも敵将苻萇(苻健の子)を討ち取っているし
洛陽快復における北伐においては、羌族姚氏集団を一蹴させている
北府軍も自陣営とは言え、きっちり政治的に弱体化するようにしむけており
大敗らしい大敗って本当に枋頭の退却戦ぐらいのような気がする

王猛や慕容兄弟たちがいなかったら、天下は目の前だったんだろうが
これこそ、実力足らずゆえの三国鼎立ではなく
英雄同士での高いレベルで拮抗した三国の抗争だったと思うんだよな
54名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 20:17:58 ID:On+W6lbz0
枋頭の退却戦にしても、袁眞が故渠開鑿を失敗した結果、船による輸送が
できずに補給が途絶したのが原因だしね。
袁眞について調べてみると、桓温の政敵だった殷浩と親友関係みたいだ。
前燕への北伐では、東晋政府が推薦して、それを桓温が受け入れた形だね。
もしかすると、故意にサボタージュしていたのかもしれない。
戦後に桓温が激怒するのも、当然と言えば当然かも。
結局、袁眞は反逆して前燕に投じるわけだけど、袁眞としては
「東晋政府ふざけんな! 言われた通りやったのに、少しは守ってくれよ!」
という抗議の気持ちがあったのかも…と思う。

と言うか、補給途絶から三ヶ月も敵中に対陣し続けた西府軍が精鋭過ぎる。
もしも万全の状態で戦っていたなら、慕容垂・慕容徳の軍団と壮絶な戦闘を
繰り広げてたんだろうね。
55名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 16:21:18 ID:YG4Kf72b0
桓温も面白い奴だけど、腹心の郗超も中々の曲者で面白い人物だな
56名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 23:23:30 ID:efBf2CPC0
郗超のエピソードでは、門地に関係なく人物を登用した話が好き
登用された人々は、郗超の死後に死者を弔うシノビゴトを書いて、
故人の冥福を祈ったっていう佳話に繋がってる
桓温の西府が、名門寒門関係なく人々を集めてたことの証左となる
エピソードだね
だから郗超が陰険邪佞の人物だとか、謝安にいいように振り回された
小人だとか評されてたりすると、少し違和感がある
謝安って、面会を求める相手が寒門の場合、シッシッと追い払っちゃう
人なんだけどなあ…
現代的な感覚だと、謝安の方がエグいと思える
57名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 00:23:32 ID:Wq1u7VQI0
>>54
後方兵站の途絶・脆弱性は、祖逖、桓温、劉牢之等の
各司令官が北伐を実行するたびに
東晋政府はやらかしているからなあ
最早、確信犯の域だろ

郗超は謝玄抜擢のエピソードがやっぱ良いな
身内・他人の別なく傑物を登用することが出来る謝安と
嫌いなやつでも評価することのできる郗超との対比が面白い
桓温時代の西府軍はクセあるやつらが多いなあ
58名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 14:26:49 ID:mh17C5LN0
>>56
なんかオヤジが溜め込んでたカネを気前よく散財したエピソードとかあったな
あと仙人っぽい連中との付き合いも好んだとか
桓温を皇帝にするために敢えて悪人になろうと無理してたようなところがある

59名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/22(火) 12:08:48 ID:R1zgYGJC0
親父の郗愔は東晋朝廷の信奉者だったのに、
息子の郗超は桓温に加担するどころか東晋簒奪を
煽ってるところすらあるってのがなんか面白い。

あるとき郗愔が桓温にあてて書いた手紙を郗超が見つけると
その手紙を破り捨てて父親の筆跡を真似て偽作したものを桓温に見せた
っていうエピソードがあるけど、郗超は何でこんなことしたんだろ?
60名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 05:32:40 ID:QharpyIW0
合理主義者なんだよ
現代的な視点からは、けっこう共感できる部分がある人物
61名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 22:48:56 ID:a6Msu5DC0
宮崎市定御大は、朱序が肥水の戦いで裏切って第一の勲功を得たことを
酷評していたけど、個人的には桓温の指揮下にいた頃の活躍を考えると、
(襄陽籠城戦は言わずもがなだが)朱序はやっぱ凄えヤツだったと思うんだがなあ。

肥水だってたまたま勝ったから良かったんだけど、あれはどう考えても勝ち目がない
戦だったんだから、やっぱ度胸ある男なんだよ、こいつは。

ケ遐・朱序の猛将二枚看板は、西府軍って感じがして好きだわ。
62名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/21(木) 21:12:36 ID:593O84Q90
>>27
この時代を描いてて、劉裕を準主役っぽく据えている武侠小説がある
黄易著「辺荒伝説」
自分やっと第1巻の終わりまで訳してみたけどまだあと19巻ぐらいあるらしい
面白いけど先長すぎ
慕容垂などいつになったら出てくるのやら
63名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/25(火) 20:55:36 ID:K4NytfhI0
桓温の簒奪が成功したとしても長続きはしなかっただろうな
桓玄と似たような末路を辿る可能性が高いし、後継者の桓玄も幼少だし
64名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/28(金) 18:54:23 ID:oBZ3QMwE0
>>63
桓玄は末子だ、6人兄弟の末っ子(女子も名前は載っていないがいたかもしれん。)

桓沖による、桓温の息子たちの追放劇は結構サラっと流されるんだよな。
陰謀好きな東晋貴族たちのことだから、桓温の息子たちと言えども篭絡されていた
可能性は十分にあったと思う。
桓沖の行動は、人間として結構問題ある行為かもしれないが、「西府軍」という
組織にとっては最善の選択
65名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 17:10:27 ID:gYDFgZ9zO
陶淵明の先祖の陶侃だけど…日本人の中高齢者の下の名前に「侃」を付けた人も案外いますよね?この名を見る度に「やはりこの人の親は陶侃が好きだったからかな?」と思ってしまいます。
66名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/28(土) 10:04:56 ID:cofkZeCW0
この人は名言がいいよね。
野心勃々ながら結局裏切らなかったというところにも
人生の機微のようなものを感じる。
67名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/29(月) 21:38:30 ID:MBoWUZoi0
断腸の思いの語源のエピソードを読むと案外根はいい人にも思える
68名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/01(水) 04:05:08 ID:WYRVJdNn0
昔三国志かなんかの本で桓玄が知り合いに酒を温めてといわれて親の名前出されて泣いてしまったというエピソード見て
いい人なんだなあと思ってしまった
実際は結構えげつないな
69名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/04(土) 16:57:05 ID:5pvO3DAx0
>>67
激情家だが、その分凄え情に篤いイメージがあるな。
冷徹で陰謀家な王猛よりは、ずっと仕え甲斐があるし
慕容恪とは違った意味で頼りになる上司だと思う。

その情の篤さこそが、結局簒奪できなかった一番の理由だと思うんだよなあ。
70名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/08(日) 07:53:24.85 ID:uHJkwcr60
age
71名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/31(火) 00:45:51.66 ID:esNQrWKp0
世説新語読むと桓温桓玄に惚れるとおもう
でも今手頃な全訳て無いのかね
平凡社のは品切れだし
72名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/21(木) 22:48:02.92 ID:K+li+8gn0
>>69
成漢の皇帝も殺さなかったし、意外と寛大だしな
73名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/26(月) 11:18:24.04 ID:32BJ4mrzO
桓温桓玄の失敗を反面教師にして簒奪に成功したのが劉裕
でも劉裕は容赦なさすぎて好きになれない
74名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/25(水) 20:07:44.29 ID:oYJ/s7AwO
あの時代は北もたいがいだしなぁ
75名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/01(水) 00:08:07.52 ID:SsKPydY/O
「竹馬の友」とか「断腸の思い」とか桓温が語源になってる諺が多い
76名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/01(水) 19:17:02.47 ID:SpVx3VszO
おっと断腸は語源じゃないぜ
77名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/02(木) 20:07:32.11 ID:d5UruITKO
あげ
78名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/02(月) 20:38:08.56 ID:ipLE8Vrf0
中国では桓温とと謝安どちらが人気あるの?
79名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/03(火) 23:56:39.11 ID:u8qJUzOF0
桓玄の兄達って何で後継者になれなかったんだ?
80名無しさんの次レスにご期待下さい:2012/07/16(月) 00:08:16.30 ID:Ij74hDlDi
>>79
確実な根拠は無いんだけど、あえて年端もいかない子を
後継者にすることで、
「建康政府に対して桓氏は内戦を起こしませんよ」
という意思表示をしたのかもしれない
桓温が桓玄を後継者に指名したのが、臨終の時だったことを
考えると、自分の死後に兵乱が起こるのを避けようとしたんじゃ
ないか?
王敦みたいに、死体を首チョンパされたくもなかっただろうし

…と、適当なことをふかしてみるw
81名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/16(月) 19:02:19.78 ID:+x+3+BBR0
>>79
母親は不明だが、桓煕は「世子」と記述されていることを考慮すると
南康長公主の産んだ子どもの可能性が高いと思うんだよね
(この人が嫉妬深くて、桓温が李勢の妹を妾にしたときにぶっ殺そうと
襲撃かけるくらいの鬼嫁、なぜかその後、公主も李勢の妹に萌えまくって
仲直りするという変なエピソードになっているが)

そう考えると、桓煕が晋室に靡く可能性は相当高かったのではなかろうか?
因果関係は不明だが、桓煕・桓済兄弟は、桓沖暗殺事件を起こして失脚している
桓温生前から、息子たちが父親の簒奪劇を快く思っていなかったのかもしれない

桓温って本当に甘いよなあ
8281:2012/07/16(月) 19:20:01.48 ID:+x+3+BBR0
南康長公主がもしも庾文君の娘だったならば
桓温ともども、親を蘇峻の乱で失ってしまったことになる
(桓温の場合父親になるが)

この二人、世説新語の賢媛篇から察するに
何だかんだ言いつつ、似た者夫婦というか、仲好さそうなんだよな
案外、公主が存命だったならば桓温も簒奪しなかったのかも
83名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/27(金) 22:30:30.24 ID:5VyAllaQ0
上の息子たちが篭絡されてる上に後継者が幼少じゃ
簒奪なんてどう足掻いても無理だな
桓玄は成功し掛けたけど三ヶ月で政権崩壊したし
84名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/15(水) 18:54:31.83 ID:f1QyG2/J0
あのタイミングで簒奪すると桓温の建てた新王朝は、
前秦に滅ぼされかねないような気がする

晋の残党の跋扈で国内を一統するのも大変なような気が
85名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/09(月) 05:46:53.55 ID:Cf05vX5c0
面白い人物
86名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/17(火) 22:16:27.24 ID:cue/kQVl0
既に後世に芳を流す能わず、復た臭を万載に遺すに足らざるか

男子、芳を百世に流すことあたわずば、また臭を万年に遺すべし

どちらが本当の発言なんですか?
87名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/17(火) 22:29:20.95 ID:eHl3B2Me0
前者が晋書、後者が資治通鑑・十八史略ですね
晋書の成立が唐代、資治通鑑は宋代、十八史略は元代

最も古く成立した晋書の段階で、すでに桓温の時代より250年経過してるので、
桓温が実際にどういう言葉回しをしたのかは
考古学で、桓温の書簡でも見つからない限り分からないでしょうね

そういう訳で、本当の発言かどうかでいえば、
どちらも偽、と捉えておくのが無難ではないでしょうか
88名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/22(日) 17:47:59.58 ID:V43ZLkSw0
>>87
ありがとうございました。
その時代の桓温観が表れているんですかね。
89名無しさん@お腹いっぱい。
府県を裏切るやつがどうも納得いかない