誰だろう?
項羽で終了
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 20:42:55 ID:+ZmGbnHXO
俺の予想だと、毛沢東
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 21:02:28 ID:DqLiM4pWO
呂布奉先しかいない
おれの愛すべき李存孝にも一票をー
項羽が凄まじかったらしいが
俺の脳内では索超と董平は外せない
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 21:49:59 ID:ywyWQrutO
項羽って具体的にどこがすごいの?
中国の歴史なら三国志しか知らないから、最強とイメージするなら呂布しか思い当たらない。
本宮ピロチの漫画ではイタリアンな呂布より項羽の方が断然凄まじかったわけだが
関羽
呂布の豪傑と呼べるような事跡は張燕の軍に突撃した時ぐらいだろ。
後漢末期の弱兵の上に、史書で言う一万の軍勢だからせいぜい5、6千人相手
しかも呂布の軍は単独でなく、袁紹と連携とっていたはず。
項羽の事跡は、そんな呂布なんか足元にも及ばないほど派手だぞ。
三国志しか知らないくせに気軽に呂布なんぞと覇王項羽を比べようとするな。
豪傑かあ。
庶民の人気度も勘案した方がいい?
石宝^^
説岳で活躍する岳飛の義兄弟の牛皐なんかはどう?
中国じゃかなり人気あるらしいけど。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 13:40:50 ID:CB0H9gpD0
>>15 あの手の物語ってそういう豪傑キャラは欠かせないという考えがあるんだろうか。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 14:53:20 ID:8es+7buzO
ジャッキーチェン
>>16 トウヘイヘーイも結局ネタにされちゃったじゃないかw
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 16:55:24 ID:+SVT+49aO
>>11 頂羽と字で呼ぶならなぜ呂奉先と呼ばない?
うっちきょう
なら項籍。これでよし。
宇宙大将軍がいる限りこのポジションは不可侵
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 01:45:34 ID:5YZjLQHH0
豪傑の条件として、まず体躯の大きさ、巨漢であることを挙げたい。
いくら中身が豪傑だろうと、見た目がチビではいかん。
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 05:26:02 ID:lvrbeTU50
水滸伝の豪傑はありなのか?
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 00:16:24 ID:NbKzCOdM0
28人で3000人に勝利した項羽と呂布では話にならん
それに呂布厨の頼みの綱の3兄弟を同時に相手にした話も
項羽が8人の武将と同時に戦った話と比べたら相手にならない
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 19:17:57 ID:SNUAo6r0O
>>27 項羽すげぇな!!w
28人で3000人相手にするってことは一人頭百人あいてにするってことだよな
カッコエエなぁ
別に全員殺しつくしたわけじゃないぞ
28人で3000人とも数万人ともいわれる軍勢の包囲を2名の死者だけで突破しただけ
それも死ぬ直前に
まあそれでもすごいが
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 20:27:41 ID:NbKzCOdM0
>>29 3回突っ込んで600人近くぶっ殺したのは凄いと思うぞ
少なくても麦城から脱出できない関羽よりは・・・・・・・
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 01:38:50 ID:4lzWYdjMO
李逵
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 01:53:36 ID:tz7ISWvhO
遼来来
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 02:08:35 ID:XWB11QQA0
三国志厨として一応弁護しておくと
カンヌは罠にかかっちゃったからねぇ
でも項羽がやはり一番だね
28人のメンツ考えよう
項羽 閑羽 張飛 呂布
続きよろしく
キョチョとテンイとカンネイは外せない
物語的な要素の多い三国志が多くなるのは仕方ないな
逆に三国志以外だと誰だろう
うっちけいとくは入るよな
大将でありながら太史慈とつかみ合いやったり、
敵将を小脇に抱えて自陣に戻ってきたら強くつかみすぎて敵将が死んでたという孫策!
途中で戦死したような武将は論外じゃないか?
若い頃から戦働きして幾多の戦場を生き延び、老衰した武将なら分かるけど。
ここであがってる項羽、呂布、関羽とかはみんな敗北して殺されてるが
そういえばキョチョは結構長生きしたっけかな
戦場で殺された奴を「最強」の豪傑とは言わないよな。
しっかり寿命まで生き残って「実績も残せた奴」にした方が良い。
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 23:06:41 ID:glw3wjKZ0
呂布:処刑
張飛:暗殺
馬超:病死
関羽:処刑
趙雲:病死
徐晃:戦死
黄忠:戦死
張コウ:戦死
魏延:暗殺
甘寧:戦死
顔良:戦死
文醜:戦死
孫策:病死
太史慈:戦死
夏侯淵:戦死
姜維:処刑
王双:戦死
三国ではこんなもんか
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 23:14:13 ID:WXoF1Mkv0
呂布が処刑されたから弱いだって?
オイオイ、源為朝と源義経、木曽義仲だって滅法強かったけど最期は殺されたぜ?
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 23:22:13 ID:Oo2SAbllO
実績残して天寿をまっとうした奴…
誰だ?
うっちー
尉遅恭だな… 仙人になったし。
呂布は騎馬での弓がものすごく上手く、かっこよかったので女にもてた。
菫卓は左右両方の腕で同じように弓を射ることができた(両手効き?)。
関羽は単騎駆けで顔良を切った(不意打ち?)。
許楮は抵抗する牛を引きずって歩くことができた。
どう考えても許楮だろwこんなん人間じゃねえよ。
弓の腕前なら黄忠だろ
関羽が最強
中英板なのにほとんど三国志武将しか挙げられてないのはなんなんだ
でも項羽か尉遅恭くらいしか武勇伝残ってる将もいないな
李克用も弓の腕なら呂布クラスの神業をもっていた。
武勇伝になるかは知らんが、あだ名が「飛虎子」「独眼龍」。
軍略が項羽なみの時期があったことはあった。
驍将二人とガチの一騎討ち(敵は二騎だが)して引き分けた夏魯奇は、包囲されたとき
ひとりで100人以上は殴り殺して血路を開いた。
さらに、王鉄槍で知られる猛将の王彦章を生け捕りにした。
李広は?
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 00:16:24 ID:LRkBvHTn0
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 04:01:55 ID:MX8KfY3RO
戦略的に勝てる戦をして豪傑として名を残す人はいないんじゃないか?
どうしても戦略的不利の中で善戦した人が豪傑みたいになってしまう。
本多忠勝は戦国末期のまだ小さな徳川家で奮戦して名を挙げたわけだし、
平将門も支配地域と勢力の矮小さに較べるとずいぶん反乱を長引かせたから名を残した、
連邦よりジオンに名パイロットが多いのと一緒。
豪傑の数は、その主君が劣勢に追い込まれて生き延びた数に比例する。
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 04:16:46 ID:Y6vXArP/O
おいおい、軽いガンオタまで湧きだしたぞwww
お願いですからシャア専板に帰ってくださいorz
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 04:34:51 ID:MX8KfY3RO
小覇王(小項羽)と讃えられた孫策は項羽と同じ劣勢で敵と互角以上に戦い、
周瑜が数百の援軍を連れてくると勝ってしまったことがある。
ならば孫策は戦えば必ず勝ったのかというと遥かに優勢な大軍を率いてても、
黄祖という三國志ファンが名将を挙げてベスト50にも名前が入らないような奴に撃退されてる。
項羽も28騎であんなに頑張ったし、背水の陣とか、スイ水の合戦とかで異常な勝利をしているのに、
二十万の兵を五千に蹴散らされたり、十万で囲んだ数百の籠もる城を攻めあぐねたりと訳が分からない。
つか、黄祖って普通に名将じゃね
何で楊大眼の名前が出てこないんだろ
項羽は数え32で自決。それも再起できたのに敢えてしなかった高潔な人柄も持ち合わせる。
「決起した時は江南の子弟とともに長江を渡ったが、今はもう自分ひとりになってしまった。
どの面下げて郷里におめおめ恥知らずに帰れるのか?自分にはその資格は無いのだ」
なんて逃がそうとしてくれた河の渡し舟の人間に言ってるんだよ。なんて高潔な漢だろう。
そしてかつての自分の部下を見つけて「褒美が出るのだろう? この首を呉れてやるよ」
部下をこんなに大事にしてたのに。悪い逸話を全部その後の漢政権に押し付けられた人。
だから覇王の死は三国時代の戦死とは格が違うのよ格が。一回は確実に天下取ってるしね。
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 15:27:51 ID:K2JAVXF70
項羽は最高の豪傑という件では賛成だな
王としては戦で先陣切ったことくらいしか褒めるところがないけど
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 18:17:47 ID:hcGi6omJ0
チューヤンかな
豪傑と言えばやはり傑出してるのは項羽しかいないな。
三国時代のトップクラス(呂布、関羽、張飛など)系も
中国史に名を残す豪傑ではあるが
やはり覇王項羽がぶっちぎりだろう。
>>59 実際はどうだったんだろうな。
悪者にされてるイメージはあるけど、ほんとに自己中だったかもしれないし、そうでなかったのかも知れない。
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 21:04:48 ID:vvmZJ70O0
関羽で。
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 22:33:44 ID:1xHlrlJgO
>>63 高潔な人って、基本的にプライドが高いんだよね。
史記の淮陰侯列伝にある
「怒声を発すれば、千人すべてが平伏すほど勇猛ですが、賢将にまかせるということができません。これでは、“匹夫の勇”にすぎない。」
という韓信の発言は、そのマイナス面を的確に指摘している。
まぁ、それでも司馬遷は項羽が好きだったみたいで、帝王扱いで項羽「本紀」にしている。
諱の籍より字の羽の方が定着してるのも、史記が「項羽」と記してるせいかもね。
同様に、劉邦の廟号と諡号は、太祖高皇帝なのに「高祖」が定着したのも史記のせいかも。
水滸伝はあり?
最低限異民族に勝っていた時代の人間じゃないと
豪傑とは認められないと思うがどうか。
西域都督を置いてから王朝の統治力が高まったんだっけ?項羽と劉邦なんかだと国内の反乱軍が主力で異民族が出てこないけど、不思議だよね。
不思議なのは、なにも調べてないからだろ
そこまで精通してないが、新王朝立てた劉邦もキョウド征伐で包囲されて大苦戦。王朝の代替えしても災禍を招くのが異民族かと。
関羽
圧倒的な知名度+豪傑としての評価も圧倒的
呂布が汗ダラダラ流しながら「とんでもない奴に会ってしまった」と言わしめた関羽最強
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 19:45:33 ID:t6g+i/JIO
異民族の話しが出て来たので、異民族に関する項羽の武勇伝を一つ。
広武にて項羽と劉邦が対峙していた時のこと、
項王、壮士をして出て挑戦せしむ。漢に善く騎射する者楼煩あり。
楚、挑戦すること三合。楼煩すなわちこれを射殺す。
項王大いに怒り、すなわち自ら甲を被り戟を持して挑戦す。楼煩これを射んと欲す。項王、目を瞋(いか)らしてこれを叱す。
楼煩、目をあえ視ず、手あえて発せず、ついに走り還りて壁に入り、あえてまた出ず。
(項羽本紀)
楼煩とはオルドス辺りにいた匈奴の支族で、名も無き楼煩族の勇士に項羽の配下が次々射殺されたので、項羽は怒って出撃しメンチビームでこの楼煩族の勇士を追い払ったっていう武勇伝。
多分、項羽なら匈奴と戦わせても恥ずかしくない戦果をあげれたんじゃないかと妄想しちゃうなぁ〜
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 20:18:09 ID:L2PHwojs0
劉邦殺したらあの男のことだからローマまで遠征するかもしれん
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 20:53:54 ID:E30m/pF50
策無しのガチンコ勝負なら項羽に勝てる将はいないだろうね
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 21:35:56 ID:kHgRE3Tv0
間違いなく関羽だろうな
趙雲
介推か士会だと思います。
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 23:45:12 ID:L2PHwojs0
1日に数十人の将と戦ったのは項羽くらいだろうな
そもそも項羽と20合近く打ち合える武将は当時いなかったな
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 23:57:19 ID:ufIpPh+Z0
項羽と呂布のどっちかだな。
いずれも創作上においては美女に懐かれており、武勇もあいまって「愛と武の狭間に生きる漢」に思えてしまう。
ところで、項羽の活躍は同じ人間とは思えない非常識なものだが、
いったいこの信憑性はどのぐらいのものだろうか?
司馬遷は軍談なんか元ネタにしていたやらしていないやら
司馬遷は隠れ項羽オタだからちょっと誇張して書いちゃったんだろうな
流れからするにやはり関羽に決定だな
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 01:07:43 ID:vQTEAqZQ0
三国志平話なら張飛最強。
とりあえず、気にいらねえぶっ殺してやる!
が、基本スタイルw
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 01:26:31 ID:Br94EEslO
項羽に一票。
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 02:03:05 ID:OSW6TbVa0
項羽が中国史上レベルなら関羽は世界史上クラスかな
それくらい圧倒的
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 02:34:44 ID:y3k0Dpwk0
武術家の名前を挙げては駄目かな?
もし許されるなら陳王廷と「龍宝姫(姫際可の事か?)」を
あげてみたいのだが。
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 02:37:59 ID:CvT1TDKb0
ブルース・リー
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 02:57:23 ID:3syN6z2B0
圧倒的なカリスマと武技と戦術を有していても、敗者となったのが項羽の
面白い所だな。
この人が元ネタの敵キャラがRPGで居たけど、そいつも冗談みたいな強さとカリスマだったな。
何で花雲の名前が挙がらんのだ?
朱元璋配下の中でも規格外の化けもんだぜ。
ある戦いでは数騎で三千の敵を圧倒。
たった一人で百を超える賊を相手に三日三晩戦い抜いて尽く捕らえる。
またある戦いでは千もの首級を挙げるも、その間一本の矢もその身に受けることがなかった。
など、数々の武勇伝を持つ。
その最後もまた凄い、陳友諒との戦いで数十倍の兵力差の前に破れ捕えられるも、
自力で縄を引き裂いて、敵兵から剣を奪い、五・六人を斬り殺し、
更に陳友諒に切りかかろうとするが、敵陣の真っ只中と言うこともあり再び捕えられる。
しかし、捕えられても敵を謗り続けたことから、陳友諒の怒りを買い、
舟の帆柱に縛り付けられ、無数の兵士たちの射撃の的にされた。
しかし、体中に何本矢が突き刺さろうと、花雲は息絶えるまで陳友諒を罵り続けたという。
やはり関羽が抜きん出てるな
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 08:13:06 ID:gbOUmsmEO
>>92 三国自体のレベルが低いから相対的に強くみえるだけ
異民族を基準に考えると三国時代は中国史上最強クラスですぞ
異民族の.状況を考慮に入れず、全ての時代の異民族を一括りに考えればな
関羽を推したい奴がいるようだが関羽は張飛と劉備と3人がかりでやっと呂布をなんとか追い返した程度の強さだぞ
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 10:33:16 ID:TAk93AjK0
関羽はそこまで凄いとは思えない
結局、三国志のみの話にもどるのか…
三国志オタはそれに関する知識しかない。
だからスレの流れをぶった切って無理に三国時代に話を持っていこうとするのは仕方ないかもしれないが少しは自重してくれ
>>91 三国演義って、どうも元朝末期の戦乱をモデルに描かれたような感があるから、
朱元璋の周辺の豪傑が、三国演義の豪傑のモデルになっている可能性もあるね。
>>73 項羽ってのは、単なるいくさ上手だけでなく、ものすごい威風を兼ね備えていたようですね。
いくさの強さだけなら、戦術の天才と言われる李存勗も負けてはいないが
敵を滅ぼした後の虚脱ぶりがあるせいか、項羽のような威風が感じられない。
個人の戦闘力でいえば黄飛鴻とか
黄飛鴻は武術家だしな・・・・・・
三国志ヲタはその時代の事しか知らないというが
関張の武はのちの時代でも語り草になるほどだがなあ。
「万人敵」という正史評もあるくらいだからな。
欠点を指摘されてるのは、将にあるまじき傲慢な性格であり
豪傑としての評価は中国史上でもトップレベルのもの。
そもそも関羽、張飛の強さは正史でも演義のそれとさほど遜色がない。
演義ではその武を基点にしたフィクションが随所に含まれているだけ。
物語として好まれてるから関張はよく語られるが、
それは史上最強の豪傑と言う意味にはならない。
そもそも、他の時代の豪傑の話を知らずに史上最強を語ることが問題だろ。
近所でケンカ強い○○くんは誰も相手にならないから史上最強だ!
って主張してるのと同じだってこと理解してる?
>>105 それを言いたかった
まあなんだ、関羽張飛は俺も好きだし彼らが最強だと主張するのも大いに結構なんだが、他の時代の武将達と比較した上で論じたほうが説得力あるぞってことだな
それをせずにやれ関羽が強いだの呂布が最強だの言ったところでオナニーにしか見えない
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 19:32:16 ID:nXTJDaqm0
同時代でガチにやりあわんとどっちが上なんて決められるわけないだろ
あとは好みの問題だ
関羽で。
最大の豪傑は項羽こと項籍で。西楚の覇王。(関羽様は関帝聖君で神になったから除外)
劉邦陣営は張良・陳平・韓信・蕭何の才能を以って項羽一人になんと71回負け続け。
最後の戦の、「奇跡の一勝」は和平で兵を引いた項羽の背後を騙し討ちした奇襲の結果。
逆に言えば残った項羽の部下は項羽の事を本当に敬愛していたと言える。
戦を71回も実施出来るほどに陣容を整えられる実力を持っているのだから。
残った有名な項羽の部下は季布に周殷に鍾離眛…みんな武人肌なんだよな…。
ショウリバツは途中で逃げたじゃん
71回負けたっつっても劉邦の目的はあくまで項羽を引き付けて韓信を自由に働かせることだったんだから関羽が最強
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 21:11:07 ID:8WLdb0w0O
坂上田村麻呂で
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 21:48:28 ID:HsBR14srO
勾安は?ショカツリョウに百たたきされたけど平気(^-^)
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 22:12:12 ID:XrjGpy5B0
史上最強のドMなら称号を与えてもいい
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 22:30:26 ID:TAk93AjK0
>>108 鍾離眛は韓信のところに下ったよ
項羽は戦術は神だったが遷都したりと政治とかはからっきしだったな
計略に関しても范増の暗殺進言しても暗殺せずに逆に離間の計にかかって范増を追放同然の引退に追い込んだり
将としては最高だったが王としての器はまるでなかったな
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 22:58:19 ID:1QHcHzFv0
それも今や全部漢王朝の捏造らしいけどな
最期の大逆転で劉邦のイメージを大きく膨らませている
項羽だって政治力がなかったわけじゃない
しかし結局は関羽なんだよ
項羽にしたって、各地の叛乱勢力の封建+覇者(項羽)による軍事的優勢を利用した会盟を
もとに、秦とは異なったやり方で戦国乱世に終止符を打とうとしていたのは確かなんだしさ。
誤算だったのは劉邦ではなくて(警戒していなかったら三秦に章邯らを配置する必要はない)、
田斉の独立意識の高さだよ、後にも斉は方言、宗教において他国とは一線を画していたわけだし。
趙ほど秦にボコボコに叩かれていなかったから、国力的に立ち直りが早かったのも項羽にとっては
災いした。
魏晋南北朝は割かし、豪傑が多い時代だよね。
一騎討ちとか、北朝では盛んだし、猛将好きには堪らん時代。
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 23:27:28 ID:+5/GZITu0
五胡と南北朝キチガイばっか
>>105 他の時代の豪傑と比べても飛び抜けてるだろ>関羽、張飛
さすがに項羽に及ばないとは思うが
次席に置いてもいいくらいだ。
それに「万人敵」ってのは「一人で一万人の敵を相手にできる」という
褒め言葉だぞ。
話半分で見ても稀代の豪傑であることは間違いない。
それにそういう反論があるのならお前さんが
推薦したい豪傑の名でも挙げてくれ。
項羽なんて関羽の足元にも及ばない
なんと言っても関羽は神だからな
一応候補を列挙してみる
薛安都
蕭摩訶
賈復
銚期
王弥
冉閔
斛律光
韓擒虎
秦叔宝
尉遅敬徳
今思いつくのはこんだけだけど、まだまだ探せば
関羽、張飛クラスはいっぱいいると思うけどね。
関張以上のインパクトはないな。
せいぜい関張の一個下あたりにいる連中だろう。
>>119 明確に関・張より上と断言できるのは、斛律光と尉遅恭ぐらいかな?
斛律光の場合、武勇もそうだが(当時最盛期の突厥を個人武勇でビビらせている)
将軍として非の打ち所のないくらい最強だからねえ(唯一の欠点が君主の無能)。
まあ、この人の最期に関しては韋孝寛が凶悪すぎたと言うべきか。
と言うか、上の面子も含めて大抵の豪傑と呼ばれる連中は韋孝寛の餌食になりそうだな。
>>120 尉遅敬徳は敵陣に単騎で突撃し、相手の矛を奪って奮戦してもなお身に一つの傷も負わなかったと言われる豪傑であり、しかも終わりも全うしている。何を持って関張より一個下と言ってるのか教えてもらいたい
関羽町費は演技基準にするなら呂布の問題がある
正史基準なら明確な武功は少なくないか?
少なくとも二人は武人じゃなく将軍だぞ
まだ朝雲のほうが説得力ある
町費よりは上だけど関羽よりは下だろうな
>>122 単騎突撃なら関羽だってやってるよ。
しかも、相手の大将(顔良)の首まで取ってきた上
あまりの武威に敵軍が震え上がって動けなかったそうな。
それでいて白馬の戦いにおける優劣もまた完全に逆転。
つまり関羽の単騎突撃は大局さえも変えてしまったわけで。
その上、この人の単騎突撃は演義での創作でなく「正史」における
記述によるもの。
>>125のように具体的エピソードを挙げて三国時代の将を持ち上げる分には誰も何もいわないよ
〜のこういう部分が凄い、などということも言わないでただ関張マンセーしてる輩がスレ汚しになってるから評判悪いんだ
あと敵陣突入系のエピソードなら秦叔宝にもあるな。戦場で敵方に名高い勇将がいると、陣中に踊りこんで刺し殺し、一度も失敗したことがないのを自慢にしていたそうだ。
あと尉遅恭のエピソードは一回こっきりのもんじゃなくてしばしば行われていたことだということも付け加えておく
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 03:35:44 ID:Uvo0257Q0
>>125 つ周徳威。
一騎討ちで一合交えることなく、相手を生け捕りにすること数度に及ぶ。
ついでに騎兵戦にも長けており、8万の敵兵を相手に300騎で後退しながら戦い
平地に誘引して撃破するという鮮やかな武勲の保持者。
ところで「万人敵」の意味だけど、額面どおり「一万人の敵を相手にできる」というより
「大勢の相手と伍する」というほどで、一万と名言するニュアンスではないように思える。
類似後に「万人辟易」というのがある。
これは「多くが敢えて避ける」、まともに戦わず逃げる、という意味。
それは張遼に比せられた李存孝の伝にあるわけだが。
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 07:09:56 ID:oosL+0JfO
>>125 知ったか乙
顔良は劉備が自軍にいるので味方だと思って関羽に近づいたところ斬られたという不意打ち説がある。
しかも優劣を逆転させたというが、顔良を討ち取っても三都督のソジュと淳ウ瓊の采配と奮戦見事に打ち破られている。
もう関羽禁止で
しかし関羽はすげい!
両晋の豪傑で、陳安
片手に一丈八尺(4m余り)の矛、片手に七尺(160cm)の大刀を引提げて、戦場を縦横無尽に駆け回る猛将
前趙数万に囲まれてなお、100騎余りで脱出、すれ違いざまに5〜6騎を一挙に討ち取りつつも
ついに蛇矛を奪われ、随伴する兵も10数騎まで減ってしまったため遁走(それでも囲みを突破している)
後に隠れていたところを討ち取られてしまうが、その武勇から多くの群雄達にその才を惜しまれている
>>129 お前も空知識を振り回すのはやめた方がいいな。
正史に置いては単騎突撃という行動自体が
無謀極まりない戦術と見なされてきた。
言うまでなく個の武など軍の前には糞の役にも立たないと思われたから。
そもそも正史では演義のように大将は陣頭に立ちながら堂々と行軍するなどと
いうことはなく陣の奥深くで構える事が常だった。
だからこそ単騎突撃などはいかに武力に優れた武将と言えども無謀の極みにすぎなかった。
しかし、そんな定説をひっくり返し敵陣に単身突撃したとんでもない武将が関羽。
敵軍の重包、猛撃をものともせず顔良の首級を上げ悠々と立ち去る関羽を見れば
そんなものを見れば「万人敵」とも称したくなる。
互いに名乗りをあげ堂々と一騎打ちなどという行為は所詮、演義から生まれたメルヘン。
それに結局、白馬の戦いは曹操軍の勝利で終わってるのだから
白馬の戦い最大の障壁である顔良を討ち取った時点で大局を制したといっても過言ではないだろう。
>>133の言う「正史」とは何を指す?三国志だけのこと?
総大将、たとえば何々方面軍司令官、具体的に言えば「四面行営都統」とか
そういった全軍の総帥たる大将は陣頭にはいないが(いる皇帝もいるがな)、
正史《五代史》による李存孝伝には、「挺身陥陣」とある。
大敵に臨んでは、常に少数で一点突破して敵将を擒えるなり殺すなりしている。
関羽も李存孝も全軍の総帥というわけではないので、そういった個人武勇の勢いをもって
敵の士気を圧倒する例は、確認はしてないがいくらかありそうだ。
特に武勇優れた、と賞賛される人物、武将については。
正史(
>>133の言うのが三国志だけでないのなら)において一騎討ちの記述は結構ある
・尉遅恭 → 一騎討ちを得意とし、しばしば敵中に乗り込んでいた(その際傷一つ負わなかった)
・史万歳 → 突厥代表の勇士と一騎討ちし、見事討ち果たした
・李克用 → 1対2で戦って引き分けた(詳しくは
>>51)
とか
ごめん李克用じゃなくて夏魯奇だった
>>133 あ、そうそう。
>>互いに名乗りをあげ堂々と一騎打ち
似た記録がある。《宋史》太祖本紀にある、趙匡胤と皇甫暉の一騎討ち。
まぁ、《宋史》だしなぁ… という声もあろうがw
皇甫暉曰く、「願わくば陣を揃えて勝負を決せん」 太祖(趙匡胤)笑いてこれを許す。
皇甫暉、陣を整えて出る。太祖馬の首に伏せ直ちに討ち入る。手の刃、皇甫暉の頭にあたる。
皇甫暉ならびに姚鳳をこれにより捕らえたり。
2千弱で3万(号して15万と宣伝していた)と正面から対し、敵の司令官二人を、
ただ一回の馳突で両人を捕らえた、という趙匡胤の武勇記録。
楊大眼は挙がらないのかい?
関・張以上と言われ、怪力ながら瞬発力や敏捷性も人間離れしていたという挿話もある。
敵の間でも張遼みたいに泣く子も黙ると恐れられていた。
139 :
133:2007/09/16(日) 18:53:13 ID:Fh6EDvn40
なるほどね〜、皆詳しくて勉強になるわ〜。
1時代に1〜2人は圧倒的な武威を持ってならす豪傑の出現も
世の常らしいね。
>>139 レスの最後に無駄な改行入れるのやめろ
つーか三国志しか知らない人間が
>>133みたいな言い方するのは
まさに空知識って奴だと思うが
>>120なんかは知らないくせに
>>119で挙げられた人物を馬鹿にしてるし、
自分の態度について何か反省することはないのか?
141 :
133:2007/09/16(日) 19:39:28 ID:Fh6EDvn40
それなりに知ってるつもりだったよ。
でも、皆の幅広い知識に大いに教わる部分があったと思ったわけよ。
それに関羽、張飛が類稀な豪傑というのも事実でしょうに。
関羽憎しでの過小評価こそやめた方がいいと思うよ。
>>141 いや今の問題はお前が
関羽好き過ぎで他の時代の人物を過小評価してることだろ
それを理解しろよ
>>141 連レスしてしまうが、お前が関羽を評価されなくて
悔しいのと同じように(というか知りもしないで馬鹿にしてる点でもっと最悪)
>>120のレスは
>>119に挙げられた人物を好きな人たちの気持ちを
踏みにじった上に馬鹿にしてるってことも理解できないのか?
反省する態度も見せないのはどうかしてる
だったら
>>129みたいな人にも注意を促して欲しいもんだ。
個人的には関羽が豪傑たるゆえんを書いて見たつもりなんだけどね。
そういう意見も単なる過小評価でしょ。
三国志正史には一騎打ちの記述はなくとも、他時代の豪傑はそれやっていた
そしてそういうことを知る事が出来てこの板の人達の意見が有難く思えた。
もうこれでいいでしょ?
このままじゃ、互いに朝三暮四の猿みたいなもんだよ。
関羽が過小評価されてるのがいけない。俺は悪くない。か・・・
日本語での会話が成り立たない人間には何を言ってもしょうがないのか
146 :
133:2007/09/16(日) 20:06:42 ID:Fh6EDvn40
そりゃあ、拘りのある人物を過小評価されたらそれに
対する反論も持っていてこそでしょ。
>>120の俺のスレなんぞ聡明な推薦者の擁護で見事に打ち負かしてると
分かってるのにそれでいて俺になにをしろと?
そういうお前さんの中の「分からず屋」はほっとけばいいんじゃないの。
>>140の人も、そこまで言うこともないと思うが…
まぁ、関羽信者とやらの幻想があるとするなら、
それを覚まさせるためには、何人か関羽に伍する武将を
ここで披瀝すれば、他の人らにも有益だと思うぞ。
相手に反省を求めるのもほどほどにね。
>>144 >個人的には関羽が豪傑たるゆえんを書いて見たつもりなんだけどね。
他の時代の豪傑の評価を貶めることが「関羽が豪傑たるゆえん」なのか
そういうことするから、この手のスレで関羽の話題が嫌われるんだろうに
もういいから豪傑たちの名前&エピソードを挙げていこうぜ。明確な理由も述べずに関張(つーか特定の武将)マンセーする輩はスルーの方向で
>>138が挙げている楊大眼は南北朝でも屈指の豪傑だろう。
戦場での話じゃないが9mの布を体に巻きつけて布の先を地面につけることなく走ることができたらしい
誰か戦場でのエピソード知ってる人いる?
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 21:56:34 ID:QsXuWR4v0
岳飛
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 23:45:06 ID:Z+kJuzhF0
関羽
152 :
133:2007/09/16(日) 23:59:16 ID:Fh6EDvn40
>>148 俺は
>>125や
>>133で関羽の豪傑ぶりを語ったつもりだけどね。
>>120での暴言は言いすぎで荒れる元となったかもしれないことは謝ろう。
でも、もう1スレほざかせてくれ。
個人的に関羽が凄いと思う理由は基本的に「文」が重視される中国の歴史に置いて
「武」によってあそこまでメジャーになったこともあるんだよ。
中国の歴史は春秋戦国時代に諸子百家の色鮮やかな思想文学が増え始めた頃から
現代に至るまで常に歴史は文によってリードされてきたと思うんだ。
孔子から生まれた儒教の理想とした世界が帝堯、帝瞬の治世と説くあたりも
三皇五帝の神話時代に至るまで文によって侵食し、その統治の貫徹をも施してしまったように見えるしね。
武をのみ頼みとする存在はあの項羽でさえ、同時代の名将韓信から「匹夫の勇、婦人の情」と
割に合わないことを言われてしまう始末。
それでいても、関羽の場合は持ち味の武と義心によって一躍中華英雄の中でも指折りの存在として数えられるようになり
武神関羽は今やその人気、知名度も絶大なものとなっている。
そういう意味でも「武」によってあれほどの存在となった関羽を凄いと思うんだ。
>>152 満足したか?
あと老婆心ながら言っとくけど
スレ→スレッド(板のこと。Ex:良スレ)
レス→レスポンス(返事のこと。Ex:俺の書き込みに対するレス)
>>152 いや、関羽が今のようにメジャーになっていることが「すごい」ということに
異論を持つ人はいないだろう。
ただし、武力だけでかといえばそうともいえない側面もあると思う。
非業の死というのは基本的に英雄視されやすい。
五代後晋期の呉巒がいい例だ。
人柄は立派なものだろうけど、味方の裏切りによって契丹軍に負けた彼は
その点でもって英雄視されている。関羽ほどではむろんないが。
中国ではむろんのこと岳飛などが英雄としての人気が高い。
日本に関羽人気が偏重している気がしないでもない。これは確認していないことではあるが。
豪傑と言うか怪物に南宮長万を推薦
>>154 関羽は孔子とも同格の存在になったとも言われてるから
ひょっとしたら、文の側面で称えられたとも考えられなくはないね
そうなるとマルチな方面で偉大な存在ともいえる
関羽人気は日本でも凄いと思うよ、大きな関帝廟は函館、横浜、大阪、長崎にもある。
俺は横浜のにしか言った事ないけど威厳に満ち溢れたね
係員の人が「関羽様」と言ってたのも印象に残ったな
清朝が関帝信仰を公認したのには漢民族を懐柔する政策的側面があったらしいし
日本では江戸期に三国志が流行したが、当時の儒学者は
「孔子ですら帝位に据えられなかったのに関羽を帝として祀るのは孔子に申し訳ない」という理由で
日本に関帝信仰を広めるのに消極的だったようで、少なくとも当時は孔子と同列とは思われてなかった
中国での関帝信仰は関羽を単に掛け値なしに神として崇めるものではなかったし
日本での関帝信仰は三国志伝来からずっと続いてきた訳ではない
(いつから信仰が始まったか調べるのも一興)
個人的には、関羽が神格化される事については特に異存は無いことを付言しておく
おかしい話だが、劉延と交戦中の顔良の援軍で関羽が来たわけだから、
当然、顔良一万の軍対関羽一騎ではないし、あくまでも奇襲に近かったのだろう。
あと質問なんだが自分は中国語がわからんのだが
「策馬刺良 於萬?之中,斬其首還」
どこに単騎で討ち取ると書いてあるのだろう?
関羽すげえな
>>152 関羽の民衆の人気は武勇よりも忠誠と任侠だと思う。
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 10:54:02 ID:fHVcANqqO
>>160 任侠っていってもなぁ
呂布攻めてるとき人妻の尻追っかけてるような奴だぞ?
そこが人間臭くていいんじゃん
関羽は勇将で忠臣であるところが講談の人気とあいまって
後の国難の際に神格化されて
「忠義の臣で主のためには死も厭わない所を参考にしなさい」
と利用されただけだからな。
>>157 恐らく中国以外の地域で関羽の人気がこれほどに上がったのは
華僑から始まったんじゃないかな?
「華僑あるところに関帝廟」あり。とはよく言われていることだし
日本ではそれに平行し丁度タイミングよく、三国志演義のブームとも重なったように思える。
それに信仰は現在でも続いてるよ。
清朝が漢民族の心を掴むためには歴代の皇帝や英雄ではなく
関羽でなければならなかったことを見れば関帝の影響力は
国をも揺るがす計り知れないものがあったね。
そして儒家が孔子を優先してみるのは当たり前だよw
165 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 13:24:04 ID:5QdgLxAC0
>>158 自分も漢文はわからんが、「策」ってのはたぶん「策鞭」のことで
馬を奔らせるための鞭だと思う。
だから、「万衆の中馬を走らせて顔良を刺し、その首を持ち帰る」
といったあたりの意味でないかな。
ニュアンス的には、一騎駆けと取れなくもないと思う。
まぁ、かなり無造作にひょいと顔良討ち取ってきたようなイメージだ。
三国演義の華雄を討ち取ったような感じに似ているんじゃないかと思ったり…
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 13:28:04 ID:CDOREE380
関羽は実力、人気共にトップレベルの傑物であることが
このスレを見てよくわかった
俺は三国志系の豪傑なんて所詮は演義人気による捏造かと思ってたが
そうじゃなかったんだな
アンチから口汚く何を言われようが理論的にしっかりと意見していた態度も
見事だったんでつい見入ってた
俺も関帝廟参りでもしてこようかな、長崎なら近い
>>166 とりあえず今日の23:00に3チャンネルをオススメしてみる。
横浜中華街のこともやるらしいね。
ひょっとしたら関帝の事がスルーされてしまう可能性もあるが。
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 18:53:54 ID:993lYstSO
もう項羽でいいでしょ?俺は三国オタだからカン羽のが凄いと思いたいけど、エピソードを比べてみたらまるで歯が立たない。
よって終了
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 18:59:11 ID:BP+F3irtO
>>165 文章の前後を読むに
>>158は、一騎駆けを証明して欲しいんじゃなく、
そんな事実がないことを、正史から読み取って欲しかったのでは?
なんてったって関羽は神だぜ?
項羽なんて糞だろ
人気と実力は=じゃないだろ
せっかくいろんな時代の人物の話を知れて、面白くなってきたところに
しつこいんだよ
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 20:43:59 ID:cVQCSAU+0
関羽だな
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 22:08:55 ID:fHVcANqqO
関羽はウンコティンティンだな
>>169 別に証明などしていない。
そういう見方もあるってこと。むろん、一騎駆けでないともとれる。
歴史記録が事象すべてを事細かに書いているのは、稀なこと。
儒者の服装とか車の天蓋とか、どうでもいいようなことを
事細かに書いているワロス記述もあるにはあるが…
そこで聞くが、
>>169はどのようにソレを解釈しますか?
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 00:10:23 ID:bQzJkKckO
>>165>>158 ちくまの井波律子訳だと、
「袁紹は大将の顔良を派遣して、白馬にいた東郡大守の劉延を攻撃させたが、曹公は張遼と関羽を先鋒にして、これを撃った。
関羽は、顔良の[車につける大将の]旗じるしと車蓋を望見すると、馬に鞭うって[馳せつけ]大軍のまっただ中で顔良を刺し、その首を斬りとって帰ってきた。」
と、ある。
関羽と項羽が同一リング上で殴りあわなきゃ、どっちが上かなんて決められない
177 :
175:2007/09/18(火) 01:01:36 ID:bQzJkKckO
一応書いとくけど、
>>73を書いたように、たとえ関羽が一騎駆けで顔良を討ったとしても、オイラは項羽贔屓だから。
正史の『史記』と『三国志』を読んだ感じだと、司馬遷の筆が乗ってるせいか、項羽の凄さが具体的なのに対して、陳寿の記述は淡々としているからね。
関羽は演義補正がないと項羽には敵わない感じ。
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 02:34:23 ID:/xbap6h30
関羽だな
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 07:44:52 ID:WTfLmXU+O
関羽はうんこてぃんてぃんだな
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 14:23:45 ID:TLOuF2M0O
終〜了〜
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 14:47:13 ID:CJtRNJLAO
バスケのでかいひと。
敵に負傷させられてる時点で関羽はウッチケイトクに及ばない
個人的には項羽が最強だと思うけど
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 16:16:21 ID:WTfLmXU+O
項羽>>>>越えられぬ壁>>>>関羽
184 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 17:06:46 ID:RyN9g6qmO
以前中国の古典小説で読んだけど、
関羽は項羽の生まれ変わりって説がある。
因みに関羽が過五関斬六将の六人は、
項羽が自害の時に囲んでた六人の漢将の生まれ変わりらしい。
>>184 あくまで小説なんだからこじつけ。どういう風にでも創作可能。
実態は
>>183だな。
あと関羽信者はどこにでも首突っ込まないでくれ。
こじつけと言えどもそういう風格もあったんだろう。
真理は
>>176にこそあると思う。
項羽、関羽共にあれだけの存在となれば
もはや思いの丈によって拘ればいい。
別に他人の意見を押しのけてまで「〜が一番」と言い張るスレでもないんだろ。
正史を幾ら並べ立てたところで比べようがない。
信者の意見はそれなりの拘りとして扱ってあげればいい。
関羽の場合は実力、人気共に中国豪傑史上でも1、2を争うといっても過言ではない(世間一般的に見て)
故に熱烈な信者も増えるんだと思う。
>こじつけと言えどもそういう風格もあったんだろう。.
後世の人間が自分の趣味嗜好で作った小説で、
計れるのは偶像としての関羽信仰の深さだけだと思うが
人気に関しては一位でも構わないが、実力と人気は関係ない。
後世の人気でなく、当時の事跡で語るべきだろ。
関羽一人が荊州に居座ってたおかげで三国のどこも手を出せなかった。
その驚異的な武威は推して知るべき。
いや関羽の自責で荊州失陥してるしw
しかも三国のどこも手を出せなかった。って蜀はもともと手ださねぇだろwww
信者が拘るのは当然というか別にいいんですけどね、問題は信者が拘りすぎた
結果、他者の推薦を貶し叩きおとしめる行為が発生すること。
なんかすげえんだな関羽って、もう関羽板でも作って延々と語ってろよ。
若干便乗ネタっぽいのも混ざってるしカオスにもほどがある。
つか項羽と関羽の話題しか出てこないのはどうしてなのさ?
ここ三戦板じゃなくて中英板のはずなのに
>>186 関羽を熱烈に信仰しようが崇め奉ろうが個人の自由だけど、(自分も関羽は好きだ)
しかし、都合のいい部分だけをしかも、なぜそうなのかとか他の事実、要素などを無視して、
一方的に捲し立てるだけの人が中にはいるんだよね。
その行為が純粋に関羽を好きでいる人にまで迷惑かけてる訳だし。
主張するならせめて関羽がなぜ神として祭られてる理由、経緯や
なぜ他の二国が荊州に手を出せなかったのか他の要素もあったことも、
ちゃんと理解した上で発言してほしいのだが。
それと真理は
>>176にこそあるとはいっても功績をもって計るしか、
方法はないんだけどね。
個人の武、戦術、カリスマ性、打ち建てた功績、マイナス要素を考慮しても、
項羽>関羽は間違いないと思うけど。
たとえ三国志しか知らなくても別に悪いことでは無いと思うが、
それならせめて三国志のことぐらいちゃんと知っておいてほしい。
>>190 いや、関羽スレは存在するんだけど一部の熱狂的信者が、
なんの関係のない話題にもやたらと首を突っ込んで来て、
関羽マンセー、関羽マンセーって、はっきり言ってウザイんだよね。
ホント専用スレで勝手にやっとくれって感じだよな。
他の時代の豪傑の話をしていても関羽が一番、関羽以外の話題をするなって言う厨房がいるから。
自分のレスなんて、一瞬で踏み消されたもんな…
明より平安を推薦。
どんな将を送り込んでもボロクソにさられた建文帝陣営で、
唯一、勝ち星挙げたのってこの人だけ。
しかも 朱棣(永楽帝)を討ち取る寸前まで追い詰めたりしてるし。
武道の達人でもあり、空手の型にまで名を残してるw
しかも平安は永楽帝を討ち取る寸前まで追い詰めたにも関わらず、取り立てられてる。
(永楽帝の度量の大きさもあるが)
歴史オタじゃないからつっこみ所はあるかも知らんが、
とりあえず有名所の考察をしてみた
項羽・・・一つ一つ理由をあげるのも馬鹿らしいくらい強い。最強
関羽・・・一騎打ちの実績は大きいが相手等決め手に欠けるので最強とは言いがたいと思う(俺は好きだが)
張飛・・・長坂で十数騎で大軍勢にかかって来いと喧嘩を吹っかけるのは結構なアドバンテージ
張遼と甘寧・・・少人数で特攻してる。実際に「戦った」のが他のこの手の輩とは違うんでね?
趙雲他少人数で系・・・上記二人とは違い何かしら好条件があるので論議から除外。
甘寧(夜襲)張遼(策)とあの2人も好条件だったが一応ガチンコだったと俺は思う
呂布・・・呂布ブランドのせいもあるが、関張よりは強いのでしょう。これにより関張最強レースから脱落。
李キ(漢字忘れた)・・・虎殺しってやばいくらい強いと思う。でも悲しいかな水滸伝(フィクション)。実在したら
中国最強の人間って大学時代講師が授業で言ってた。公孫勝他呪術系は考察の論外。
張良の手下のガチムチ・・・よく考えたら腕力すごくね?室伏真っ青。
李小龍・・・生まれる時代を間違えたかもしれない
何度も言うが歴史オタじゃないので、あくまで素人の一意見として聞いて欲しい
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 22:56:26 ID:WTfLmXU+O
張良に従って始皇帝に鉄球だかなんか投げつけた人
あ、それと関羽信者がウザイって事がこのスレ見て遅まきながら解った。
俺も三国好きだけど、そこまですごいか?関羽ってなんでここまでマンセーされてんの?
信者の方、理由を教えてください。箇条書きがいいです。
馬鹿にしてるんじゃなくて、本当に知りたいだけです。神になったからとか
蒼天航路を読んだからとか、馬鹿馬鹿しい理由じゃないよな?
ケイ州を任された→ほかにもいっぱい要所を守った名将はいる
一騎打ちでの戦果が凄い→ほかにry
みたく、名将だが、他と比べて取り立てどうって事はないような・・
201 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 23:03:29 ID:7gd/HqEh0
関羽
>>198 李逵じゃないでしょ。武松じゃなかったっけ?虎二匹殺したの。
で、当時、虎殺しの代名詞といえば李存孝のことで、
その李存孝ですら殺したのは一匹なのに、二匹も殺すとは!
という話だったように記憶。
さてその李存孝の虎殺しの逸話は、これまたフィクションで
『残唐五代史演義伝』の創作か民間伝承か、というところ。
李克用が皇軍として長安を目指そうかというとき、あるところで暢気に羊を放牧して
眠り込んでいる少年を発見した。
すると山中から虎がでてきて、羊を食い始めた。
やがて目覚めた少年は、すわと跳ね起きて虎を打ち殺したという。
それを見ていた李克用は、その膂力と胆力を買い、名前を与え李存孝とした…
という「お話」。実際には李克用が雲州あたりを攻撃したときに掠めた孤児かなんかで
近侍としておいていたけど、それが勇猛であり、一軍を任せてみるとたちまち驍勇を発揮したわけです。
>>200 問い掛けてもムダだと思われ…
理由は神として祭られてるからだろう…
しかもその理由、経緯を知らないと様に個人的には見える。
神として祭られてるから凄いのか?とレスしたら関羽は神として祭られることしたって返ってきたなorz
(もちろん具体的理由を一切述べず)
で関羽のなにが凄いか挙げてみてよと問い掛けたら、
返答は返ってこなかったw
>張良の手下のガチムチ・・・よく考えたら腕力すごくね?室伏真っ青。
>張良に従って始皇帝に鉄球だかなんか投げつけた人
張良が倉海君という人物より力士を借り受けたとしか記録にないけど、
その力士の名前なんて言うんだろう?
204 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 23:57:03 ID:jy8G8308O
武松も李逵も虎を殺してる
武松は素手で一匹
李逵は斧で4匹
てか、実際に公孫勝とかいたら、このスレに出てきた英雄をみな殺しにできるだろうなW
>>200 >>104 >>125 >>152 >>164 >>165 ここいらはちゃんと豪傑、そして神としての関羽評まで述べてるぞ
正史評には「一人で一万人の敵を相手にできる」「国士の風格あり」
顔良を単騎で討ち取った話、腕を削った際に談笑していた話、于禁を生け捕り鳳徳を処刑した話などもある。
荊州北部攻めで曹操がその武威を恐れて遷都を考えた事もね。
間違いなく一代を代表する豪傑に相応しい話ばかりだと思うがね。
でも何故か、関羽は欠点のみを集中的に叩かれるんだよなw
信者よりアンチの過敏すぎる反応の方が目立つよ。
そこまで目くじらを立てる事もないんでないの?
関羽が認められる事自体を嫌がってるように思えるし。
>>205 関羽が豪傑の一人だってのはほとんどの人が認めてる。
問題は他の時代に関羽以上、あるいは関羽と比肩する豪傑が
いるというのを認めない一部の関羽厨。
要するに、関羽以外の人物を根拠なく貶める厨が叩かれてるんだろ。
>>120みたいなレスとかまじで最悪だろ。
それにもかかわらず
「関羽を貶めてるてるお前らが悪い。自分たちは悪くない」
と自分らが他の時代の人物を貶めてるのを棚に挙げて主張してる様はどれだけ醜いか。
>>205 問題は他の時代に関羽以上、あるいは関羽と比肩する豪傑が
いるというのを認めない一部の関羽厨。
そんなのが居たのか・・・。
そりゃ、失礼。
でも、スレを全部読ませてもらった限りでは
結構まともなこと言ってる人も多かった。
だが、確かに過度な厨房は酷いな。
俺も岳飛や楊業をノミネートさせたいし。
中国人留学生に聞いたらそりゃ関羽だろうと返ってきた
友達の日本人に日本史上最強の豪傑は誰?って聞いたらそりゃ前田慶次だろうと返ってきた
友達のボールペンにオービス史上最凶の写真立ては何?って聞いたらそりゃサービス業だろうと返ってきた
211 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 04:06:35 ID:5Dz/nI2f0
関羽
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 04:15:24 ID:PzTg1vLZO
蘇化子だな
たまに出る単発IDデただ一言だけ関羽って書き捨てる奴はいったい何なんだ?
このスレだけjなく他のスレにも掃いて捨てるほど沸いて来るんだが
214 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 08:30:54 ID:4N/CEO0cO
関羽はうんこてぃんてぃんだな
単純に強さなら関羽と同じ時代でも関羽より張飛と呂布のが強いだろうに
>>204 今、確認した。記憶違いしてましたね。
景陽岡で虎を打ち殺したのが武松で
沂水(?)で四匹の虎を殺したのが李逵でした。
猟師が「あの李存孝と子路でも、一匹ぶちのめしただけだ」
と言った感嘆は、李逵に向けてのものでしたね。
たしかに実在なら、どえらいことになります…
公孫勝を出すなら、説岳の牛皐もだしてやってくれwwwww
とにかく、運でかたづく男。一応、魔法使い。
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 19:25:13 ID:dHri49Lz0
関羽
>>213 >>215 まあ、それも敬愛の証なんだろう。
他になにを言う訳でもないんだし
基本的にスルーでいいんじゃないか?
俺も関羽は好きだけどね。
超勇の称号を与えられた策稜(ツェリン) 、僧格林沁(サンゴリンチン)を挙げとく
ちなみに超勇の称号を与えられたのはこの二人だけ
>>218 子路って孔子の弟子のですか?そんな逸話あったんだ知らなかった。
やはり虎殺しというのは一つのバロメーターになってるんですかね?
それなら一例を挙げると、前漢の飛将軍李広。文帝が狩りに出て虎と遭遇した時に
殺している。その功に対する文帝の言葉がなんとも。
「お前は生まれる時代を間違えた。高祖の時代に生まれてその征戦に従っていれば、
今頃万戸の諸侯になっていただろうに」
今頃万戸の諸侯になっていただろうに
そして粛清されてハムにされただろうに
悪来こと、エイ来も虎や水牛を手で引き裂いたと言われてるな。
龍狼伝だと呂布や張飛よりも関羽の法が津よい
そりゃ良かったね^^
でもあれで最強なのは厨達さんでしょ
っていうか水滸伝は入れてもいいのかw
黒旋風タンは確かに鬼強!
羅真人は・・・反則だよね。
関羽タンだろ
水滸伝入れていいなら西遊記も入れればいいんでない?
小説入れたらつまらんよ。小説みたいな豪傑が実在したかもしれんことにロマンがあるんじゃないか。
というわけで勝手にこれまで挙がったガチムチどもを列挙。時代は間違ってるかもしんない。
【項羽】 西楚の覇王。大軍の包囲を寡兵というか僅か二十八騎で蹂躙して突破。とにかく強い。
【李広】 前漢。元祖飛将軍。石に立つ矢。
【賈復】 後漢。雲台二十八将。光武帝をはらはらさせる命知らず。朝飯前。
【銚期】 後漢。雲台二十八将。控え居ろう!
【呂布】 後漢。万余の黒山賊を寡兵で蹂躙打ち破る。人中の呂布、馬中の赤兎。飛将。
【関羽】 蜀漢。顔良を単騎で討ち取る。万人敵。後世の猛将がなぞらえられること数多。商売繁盛の神様に。
【張飛】 蜀漢。当陽での大見得。万人敵。後世の猛将がなぞらえられること数多。
【陳安】 西晋。数万の包囲を百騎余りで突破。
【王弥】 前趙。飛豹。
【冉閔】 冉魏皇帝。名将慕容恪ですら大苦戦。退場の花道でも大暴れ。
【薛安都】劉宋。叛将魯爽を単騎で討ち取る。
【楊大眼】北魏。逸話が示す脅威の身体能力。関係ないけど嫁も強い。
【斛律光】北斉。落G都督と称される弓の名手。
【蕭摩訶】陳。敵軍の弓の名手を投擲で殺し、十余人の驍将を次々討つ。
【韓擒虎】隋。
【史万歳】隋。突厥との一騎討ちにおいて突厥を後々まで戦慄させる。
【尉遅恭】唐。飛将単雄信を退け主君を救う。戦場で傷を負ったことがなく敵陣だろうと出入り自在の化け物。
【秦叔宝】唐。李世民配下で尉遅敬徳と並び称される猛将。尉遅と対で門神に。
【李存孝】後唐。
【周徳威】後唐。陳章を騙まし討ち?三百騎で八万に快勝する騎兵戦の達人。
【夏魯奇】後唐。二将相手に引き分けるリアル虎牢関の呂布。包囲突破で百余人を殺す。王鉄槍の異名を持つ猛将王彦章を生け捕る。
【趙匡胤】宋太祖。
【花雲】 明。数騎で数千を圧倒。数百の賊と三昼夜戦い尽く捕える。死に際のインパクトは強烈。黒旋風。
【策稜】 清。
【僧格林沁】清。
武勇伝などをよく知らないのが結構あって申し訳ない。
騎射と膂力に優れているのはほぼ全員?驍勇を誇るならむしろ当たり前か。
個人的には関…じゃなくて無難に尉遅敬徳を推したい。当たらなければどうというk
ただ豪傑っていうとやっぱ人となりも含めたい気がするので、賈復あたりがまさにそれって感じ。
>>231 壮観な面子だなw
個人的には
【伍子胥】春秋時代の呉の猛将、孫武の片腕
【沈尹戌】春秋時代において楚の武神の異名をとる豪傑
などもノミネートさせたい。
233 :
チョン斬る!!:2007/09/21(金) 00:35:57 ID:Ygm5nTtX0
日本で有名なのは
李書文かな!
神槍とよばれ、
殆どの対戦相手を牽制の一撃で倒したことから
二の打ち要らずと謳われたぐらいだから!!
政治は別として、中国の拳法は尊敬するからね!!
234 :
チョン斬る!!:2007/09/21(金) 00:37:15 ID:Ygm5nTtX0
一手その流れを組む人と手合わせしたいよ!!
某ブログで紹介されてたけど、劉宋の周盤龍も結構すごいな。
>>232 伍子胥は烈士・名将ではあるだろうけど豪傑のカテゴリーには入らないだろ
沈尹戌も詳しくは知らんのだが、豪傑的なエピソードってなにかあったけ?
>>231 明の平安を忘れないで〜
マジで空手の型にまでその名を残してる豪の者なんだし…
豪傑っていうと戦上手なほかに個人的武勇のイメージやエピソードが左右すると思うから、
名将とはちょっと違うような気がする。
伍子胥や李靖は、自在の用兵を誇る柔の将軍で、
豪傑というのは自らの武勇を恃みとする剛の将軍と思う。
そこに一騎討ちの記述でもあれば箔が付くんだろうが。
>>231 賈復のような人となりってのは、どういったところ?
いけいけ、うおりゃああああ!!! で、死ぬまで前進をやめない、とか
そんな猪突を絵に描いたようなこと?
ところで李存孝の軍功ですけど、とにかく少数精鋭で小回りの効く戦いが多い。
もとは李克用の護衛みたいな感じで、朱全忠がしかけた「上源駅の夜襲」では
李克用を逃がしきった。とはいえ、史敬思の決死の抵抗がなければ
それもどうか? というくらいヤバイ不意打ちだった。
ちなみに、太平橋を渡るとき、追っ手を一人で引き受けた史敬思は
最後まで汴兵と戦い、立ったまま死ぬという物語が語られたほど。
抜擢された李存孝は、赫連鐸、朱全忠発の李克用討伐令に置いて活躍する。
汴将で、驍勇のあった鄧季筠を挑発→誘引、500騎で破り
生け捕る(一騎討ちの結果かどうかはわからない)。
鄧季筠の敗戦をしって汴将の李讜が退却を開始すると
これを猛追して馬牢山で撃破。俘斬、万をもって数える(500騎でか?一応、5千の統帥
を任されてはいたのだが…)
皇軍至れり。
上党へ入城しようとする官軍の将、孫揆の3千があることを偵察で知ると
ただちに300騎をもって山間に伏せ、これを奇襲。孫揆を擒え、500人からの捕虜を得た。
次いで上党に急行すると、朱全忠の腹心である葛従周は城を棄てて逃げたという。
さらに趙城においては、官軍の将、韓建が夜襲をしかけたが、すでにそれを読んでいた
李存孝は逆に兵を伏せて奇襲をかけ、さらに追撃し、晋州城(皇軍の本営)付近で
出撃してきた張濬(皇軍の司令官・宰相)もろとも撃破したので、張濬は城に引き篭もり
やがて長安に逃げ帰り、李克用の朝敵認定は取り下げられた。
李存孝は先輩の李存信とやたらソリがあわず、あるとき拗ねて軍を返したことを
李存信が李克用に「二心があるのでは?」と誣告したことから、謀叛に走った。
李克用自ら討伐に乗り出したけど、李存孝が李存信の陣営めがけて突撃し
その陣営を蹂躙したり、なかなか城に寄り付けなかった。しかし…
李克用が使者を派遣して「攻撃をやめれ」と言ったら、ほんとうにやめたwwwwww
それで完全な包囲が完成し、やがて食尽き、城を出て「みんな李存信が悪いんだ!」
と謝罪するが「わしにあらぬ罪を着せたのも李存信のせいか!」と怒鳴り返され
太原において車裂きされた(レス者曰く。「真性のバカだろw」)。
本当は誰か止めてくれるだろうと期待していた李克用は、誰も止めてくれず
李存孝を失ったことから落胆して10日引き篭もったという。
李克用陣営の兵勢が一時不振となったのは、まさに李存孝を失ってのことだった。
ちなみに講談では朱全忠が李存孝の武力を恐れ、その排除のため
李存信に謀略を仕掛け、まんまとはまった李存信のために車裂きされる
という話にすりかわっている。
関羽の場合、講談成立前はどんな扱いだったんだ?
唐代とかさ
唐代には既に信仰の対象になってたはず>関羽
>>241 >>231にあがってる唐以前の奴らにも関張に比せられたのが幾人かいるよ。
関張の勇と言えば猛将の代名詞であったことは確かだろう。
信仰の対象であることは祟りへの畏怖や忠義への評価の比率が高いと思うので、
そのへんを考慮したほうがいいと思う。
>>241 仏教で既に関帝菩薩として奉られてたりもした。
実は道教より、仏教の方が関羽を尊じたのは早かった。
245 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/21(金) 19:16:59 ID:J90RsMolO
>>243 そうだね、関羽の場合は武勇を評価されて祀られたというより、非業の死をとげたこととか、偶然だろうけど、その死後に呂蒙と曹操が相次いで逝ったことが関羽の霊験と解釈されたんじゃないかな。
更に、『蜀記』が記すように、関羽の子孫が蜀滅亡時に滅ぼされたことが本当なら、関羽は子孫から祭祀を受けられなくなったことになり、これも関羽を慰める為に祀る一因になるかと思う。
北京関岳廟では武神としての側面も出てるね。>関羽
歴代80人の武将も一緒に奉られているそうだけど
誰がいるか気になるね。
うむう… やっぱり関羽の話に戻ってしまうのか…
荒れてはいないと思うぞ。
狂信者とアンチさえ現われなければいいはず。
いや、せっかく話題が変ってたから。
荒れてるとは思ってないし、荒れも結構楽しんでる部分もある>自分。
>>231 とりあえずこのリストから決めちゃうのかな?
他にもいるぞって人いるか?
251 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/21(金) 21:21:58 ID:J90RsMolO
関羽の他に神様になった豪傑といえば、尉遅恭(敬徳)と秦瓊(叔宝)がいるね。
太宗・李世民が病魔に煩わされて気分がすぐれないとき、この二人を寝室の入口に立たせたら、病魔もビビって入って来なくなり、以後二人の絵を入口の脇に貼るようになったとか。
この風習が民間でも行われるようになり、二人は晴れて門神として神様の仲間入りになった。
オイラは項羽贔屓だけど、内心では尉遅恭が最強かもと思っる。
ただ、『隋唐演義』くらいでしか知らないので、自信を持って推せないんだよね。
新旧の『唐書』とか読んだことないし、つか読めんし、『史記』みたいな全文和訳本とか無いだろうしなぁ。
>>251 昔うちの親戚が台湾土産に尉遅恭と秦瓊の絵が描かれた魔除けの札を買ってきてたな。
親戚は誰の絵が描いてあるのか全然分かってなかったけど。
民衆に慕われた豪傑ならば介子推もいるな
この人の高潔さは凄すぎる。
関羽は、日本で言えば菅原道真みたいなもんで
自己顕示欲のかたまり過ぎる感じがする。
いままで挙げられた中で誰かを決めるとしたら、自分はやはり項羽になるかなあ。
ちょっと自分なりの偏見で言うけど、猛将とか豪傑と呼ばれるような将は基本的に
誰かの上の存在の指揮を受けていることが多いように思われる。もちろんそうでない
人もいることは理解しているけど。
ところが項羽ときたらもう。自らの武勇をたのみに統一帝国を崩壊させて天下人に
なった猛将なんてこの人くらいじゃない?(自分が無知なだけかも知れませんが)
その後すぐに統一は崩壊するけど、統治能力はここでは関係ないですしね。
>>250 【龍且と季布】
項楚。小型版項籍といっても問題ないかと。
特に季布は仁義の人でもある。
【薛仁貴】
唐。高麗国を征伐の際、高麗国の援軍を大破し、二十万人の敵兵を撃滅。
この戦闘中において、薛仁貴は先鋒として敵陣を壊滅させ、勇気と知略を発揮
。
突厥族の9部族が、鉄勒族の指揮のもと、十万人以上の兵力で唐国に反抗して独立の際なは、
軍隊を率い天山において突厥族と戦い、
三本の矢を連射し、三人の敵兵を仕留める。
突厥族の9部族は、感服し、次々と唐国に投降。
また七十歳を過ぎてもなお薛仁貴は軍隊を率い突厥族を
雲州(山西大同)で大破させたりもしてる。
【楊師厚】
後梁。五代屈指の名将
潁州斤溝の人。元々は李罕之の部下で、李罕之が李克用に降ると、これに従った。
のちに罪をえて朱全忠のもとに逃れ、宣武軍押衙・曹州刺史となった。
青州の王師範との戦いで偏将八十余人を捕らえる戦功を挙げる。
また襄陽の趙匡凝を破る。
山南東道節度使・同中書門下平章事に任ぜられた。
劉知俊が長安に拠ってそむくと、これを奇兵をもって撃破した。
また晋の周徳威を蒙坑で破り。保義軍節度使に転じた。
朱友珪が立つと、天雄軍節度使に任ぜられ、
末帝が立つと、?王に封ぜられた。(ゴメン表示されないので?とした)
後梁・太祖の遠征時には常に先鋒を務めたともいわれ、
旗下には後梁の精鋭部隊が所属していた。
【狄青】
北宋。兵士の証である顔の入れ墨を隠す為、戦場ではザンバラ髪で奮戦、敵に鬼人と恐れられた。
【秦良玉】
明の女傑。馬千乗の妻で騎射を得意とし、文章に通じ、常に男装していた。
女性で唯一、正史に独立した伝がある。
>>240 一騎討ちじゃないけど、李靖は突厥遠征で王庭を急襲し頡利可汗を捕えてるよ。
>>254 いやぁ、自分も項羽好きかな。
最近、劉邦嫌いにはしっているせいも手伝って、余計そう思う。
まぁ、武人皇帝、君主は得てして項羽型になりやすいと思うよ。
>>255 李靖がやったんかな? たしか副将に程知節がいたでしょ。
ヤツなら一騎討ちもありじゃないかな。確認はしてないけど…
秦瓊が関羽なら、程知節は張飛って感じですな(と、自分でも関羽に戻すヤツ)。
>>257 ちょっと調べてみたんですが、
頡利可汗は張公謹が、程知節は西突厥の阿史那賀魯を討ったとなってますね。
>自分でも関羽に戻すヤツ
現在、関羽については有意義な展開をみせているので、
そんなに気にしなくていいと思いますよ。
259 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 00:16:43 ID:IJW79QCP0
そうだね。関羽だね。
260 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 00:57:35 ID:Xgw81GDf0
皆さん中国史に詳しいすね、敬配!敬配!
261 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 08:39:48 ID:Jfh3rRfkO
なぜ関羽
そんなに関羽
そこまで関羽
262 :
231:2007/09/22(土) 11:12:21 ID:CNqErVOp0
>>237 すいません、見落としてました。
>>240 >賈復のような人となりってのは、どういったところ?
>いけいけ、うおりゃああああ!!! で、死ぬまで前進をやめない、とか
>そんな猪突を絵に描いたようなこと?
そんな感じ。
人並み外れた胆力と矜持っていうのが豪傑たるものの精神には不可欠だというのが俺の勝手なイメージ。
で、賈復はそれを見事に体現しているなぁと。まあ気にせんといて。
あと李存孝の詳細ありがとです。
参考コメント控えてあるのは、纏めづらかったり俺が無知なだけなのでマイナスイメージ持たないでね。
間違ってたり、まだ挙がってない人物も含めて詳しい人がいたら、もっと教えて下さい。
完璧超人曹操すらも「げえっ、関羽!」とおののいた
あーあ戻った
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 16:59:39 ID:eOYTx4990
関羽
取り敢えずこの二人を挙げとく。
【曹参】
前漢。数十箇所の傷を負いながらも常に前線で戦った
魏の52の城を攻め落とし、また数多くの武将を討ち取ったりもしてる。
【樊カイ】 各地にて数々の活躍を見せ、挙げた首級は数知れない。
項籍に「彼は壮士である」と言わしめたほどの人物。
>>262 了解です。
三国時代に限定すると、張遼が最強じゃないか?
個人武勇というより、少数での撃退、しかもハッタリとかじゃなく
実際に突撃かましてるし、名前を聞いて子供が泣きやむってw
病気だろうが何だろうがアイツが出てきたら相手にすんなってw
恐れるとかそういうレベルじゃなくて呉の人間にとってはもはやトラウマ
扱いがなまはげ並w
徐晃なんかも凄いと思うよ。(この人も突撃かましてるw)
正史を見る限り敗戦は赤壁後の江陵戦のみなんだし、曹操もベタ誉めにしてるしw
陶晴賢かな。
西国無双の侍大将と謳われたのは伊達じゃないよ。
>>266 鴻門の会での樊カイはまさに豪傑だよな。
>>262 やはり賈復はそんなイメージw
何を隠そう自分も、前進しかできない戦車のようなイメージ…
>>267 しつこいようだが…
李存孝は張遼、甘寧に比せられている。
そういえば、楊大眼も「泣く子も黙る」だっけ?
あんまぱっとしないようなイメージだけど…
一点突撃なら陳慶之もたいがいだけど、これを豪傑と称すわけにはいかない。
ともかく、三国志なら張遼最強説に一票。
賈復はまだ光武帝に仕える前、塩運んでるときに突然盗賊に襲撃されて他の仲間達
は全員逃げ出しにも関わらず一人だけ最後まで運びきったっていうエピソードがあるね。
徐晃に引き続きもう一人追加。
【張儁艾】
曹魏。槍を巧みに操り、曹魏の中でも屈指の腕前。
技量抜群、知勇兼備。
巴西に駐屯していた張飛と槍を交え、互角に渡り合った。
この人も突撃かましてるw
>>271 >そういえば、楊大眼も「泣く子も黙る」だっけ?
はい合ってます。
実際、泣きじゃくる子供に、「楊大眼至る」と言ったら泣き止んだ、という記録か残ってます。
>あんまぱっとしないようなイメージだけど…
鍾離での敗戦で一兵卒に降格されましたが、
見事、復帰を果たしてますよ。
曹参ってもともと小役人だよな
鍛えてたのかな
【悪来】
商(殷)。虎や水牛を素手で引き裂くことができたと伝えられる。
その剛力を認められて商の帝辛(受王)に仕えた。
三国志演義で、典韋の剛力を見た曹操が「悪来の再来だ」と
うなるなど、その膂力は伝説として語りつがれた。
>>274 曹参は確か獄吏だったはず。
罪人を引っ立てたりするから腕っぷしは強かったとか?
また灌嬰は元は絹商人で、一人で多くの山賊を討ち取ったという話もあり、
洛川の灌嬰と呼ばれたとか。
ちなみに樊カイは屠殺業。
何気に劉曜がいない。コイツも化け物クラスなんだが、最後がいけないのか
>>277 まだ挙げられていない豪傑なんて、5万といるんだから
そういう言い方するよりも自分で普通に推挙すればいいだろ
>>277 挙げるつもりなんだけど後手になってるのさ>劉曜
劉曜の簡単な紹介
身の丈九尺三寸(210cm以上!)、膂力に優れ、その弓射の腕前は厚さ一寸の鉄板を射抜くほど
容貌は白眉にして眼には赤光を宿し(アルビノか?)、常に衆人とは異なることを自覚していたらしい
そのため、罪を得て朝鮮へ亡命した後に帰国した際も、プチ引き籠もりになったりしている
でも、腕っ節よりも政治家、軍司令官として有能な人物だからなあ
長安に太学を復興させたり、官僚の育成を推し進めたり、殖産を大々的に実施したり
あるいは晋軍が頑強な抵抗を見せた洛陽包囲戦では、新司令官に就任するや
徹底的に周囲の衛星都市を攻略して、洛陽を孤立化させた上で陥落させている
長安攻略においても、速やかに論功行賞、信賞必罰を徹底し、住民の支持を獲得
流遇政権と化した前趙を立て直したりと、五胡屈指の名君ぶり
あ、ターミネーター並みにタフだったはず
全身傷だらけ、体を貫通する創傷は三箇所合ったらしいが、普通に生きていたこともあったそうだ
三国志は呂布、関羽、張飛を超える豪傑はいないだろう。
三国志のみを広義的な目線で見ないのがこの板の趣じゃないかな。
>>280 劉淵に劉家の千里駒と言わしめたほどで、尚且つ石勒の好敵手
オマケに無類の酒好き。
戦場では常に酔っ払ってたそうだし。
(どんだけ酒好きなんだよw)
>>281 張遼と悪来を挙げたのは自分じゃないが、
徐晃、張儁艾みたいに凄いのもいるよと言うつもりで紹介したのだが…
関羽、関羽って言うから三国志にはそれに勝るとも劣らない人物もいるとも言いたい。
呂布、関羽、張飛を超える豪傑はいないだろうってそう決め付けるのもどうかと…
人に依って捉え方は違うと思うし。
実際、張遼を最強だと主張してる人もいる訳だし。
張遼には分かりやすい例えで
関羽>顔良>張遼の図式があるのだが。
それに正史を見ても張遼の豪傑としてのイメージはイマイチ薄いなあ。
一時代を代表するほどの豪傑でもないと思う。
他の時代からも超一線級の傑物達が出揃っているので
それ相応の存在でいいのではと思ったのよ。
>>283 了解しました。
自分としては人それぞれでいいんじゃない?と思ってるし、
関羽が一番だと思う人、張遼が最強だと思う人がいても、それはそれでいいと思う。
まあマターリいきましょうよ。
悪来は力自慢ではあるけど寵臣or奸臣で豪傑と言うには程遠いな。
チンコ自慢のロウアイみたいなもんだろ。
関羽は別格で除外ね
>>285 ああっ、そうだよ馬鹿だよwそれがなにか?
典偉は悪来典偉とも呼ばれてるからごっちゃになってたのさ。
ウカンムリは関羽が起源って?
>>289 誤爆か?
ウ冠は家と屋根、または天地四方、無限の空間すなわち宇宙を表している。
張遼は豪傑っていうよりも有能な戦術指揮官ってイメージだな
張遼に限らず、魏の将軍たちは何かそんなイメージだ
魏で豪傑っていうとテンイとかかな。壮絶な死に際とか
関羽になら抱かれてもいい
【典韋】
悪来の再来と言われた。
曹操の傍に常に居てボディーガードとして活躍。
形貌魁梧(姿形が立派)な容姿で怪力の持ち主。
80斤(約18kg)の大戟を両手に持ち、短剣を投げれば百発百中の腕前。
若い頃に友人の仇討ちを行った際には仇の相手を一突きで殺した。
その首を持って表に出るとその仲間数百人が典韋を追っくるも
張バクが反董卓連合軍に参加した時、趙寵の部下として活躍し、
典韋の武芸が部隊中に知れ渡る。
しかし張バクの部下と揉め事を起こし、数十人を殺す。
風で倒れかかった本陣の大将旗を片手でその旗を引きおこし仁王立ちした。
敵が本陣を攻めても典韋がいるため、敵兵は曹操に近づくことは出来ず、
そのため典韋は「帳下の壮士」と呼ばれた。
張繍が曹操の油断を突いて奇襲した際には
愛用の双戟と盾が盗まれて手元に無かっため、素手で奮戦するも、
遠巻きに矢を放たれ、全身に矢を浴び絶命。
典韋は目をかっと見開き敵兵を睨んだまま仁王立ちでいたため、
まだ生きているのではと敵兵は恐れ近寄れなかったという。
>>293 なぜ、後世の創作物語の話を書く?馬鹿だからか?
【楊忠】
主君の宇文泰と虎狩りの際、虎が宇文泰に飛び掛ってきた時、
あまりに急なことで武器を取れなかった楊忠は、左手で虎を抱き抱え、
右手で虎の舌を引っ張って死に至らしめた。
【楊再興】
一人で数百人の金軍を殺した槍の名手。
岳飛の弟を一騎打ちで殺している。
小商河で金軍に射殺されたがそれまでに何百人も金兵殺している。
【劉テイ】
重い百二十斤の大刀の名人。
明の中期では最強の武将。
項羽の話なんか他の時代のものと較べても尾ひれ付きまくりだろ
どこまで本気で取り上げていいんだ
個人の拘りでどうぞw
此処はそういうスレだよ
項羽でも、関羽でも「この人物こそ最強!」と思う
自論を存分に述べ、それに対しての意見を聞いたり
他の人から他時代の豪傑の話をしてもらったりマターリ進行していくような流れ
298 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 00:59:53 ID:2DdSuQP10
>>296 項羽は一応歴史書にあるからねえ
三国志演義のような脚色はされてないよ
まあ残されてる記録では三国志演義の呂布並かそれ以上だがw
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 22:38:34 ID:zYYv6cJK0
しかしみんな知識凄いなw
どういう本を参考にしてるの?
そういう本を紹介するスレってないかな?
24史の元本を直接読んでるわけでもないだろうし
24史だけの史料で語ってるわけもないだろ・・・
アホか?
>>300
中国史は関羽に始まり関羽に終わる
>>300はそれがいいたかったのさ
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 00:20:21 ID:NoQW/JRW0
中国史って始まりは三皇から?夏から?秦から?
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 01:44:19 ID:v3ckPxcvO
>>363 ピカチュー大将軍の弟か従兄弟あたりじゃね
んで、トリスタンとラウニィーの情事を見て
くそーラウニィーとズッコンバッコンズッコンバッコンピュピュッピュピューってしてー
って思ってそれを実行しようとしてトリスタンに見つかってランスロットとカノープスとウォーレンと
ミルダスとギルディンとデネブが呼ばれてヴォラックは捕まってしまって地下の拷問室で
毎日毎日肛門にカボチャ入れられたりミルダスとギルディンとの3Pやったりランスロットのロンバルディアで
キンタマ1個取られたりウォーレンの占星術で不吉な予言を毎日聞かされていたぶられて
ヴォラック・カタタマ、ウィンザルフになってしまってゼノビアとかに居れなくなって
復讐してやると思ってローディスに行ってバールゼフォンに「うほっいい男」って言われて
お尻合いになってしまってそのままテンプルコマンドになったんだと思う
面白いような面白くないような・・・・
307 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 02:25:04 ID:QZCjmwvl0
ここに挙げられた豪傑の中で、いったい誰が冒頓単于に勝てるのか
考えたら、誰であってもよくね?
項羽だって単于と戦ったから惨敗して殺されたかもしれんのに。
韓信だってまともに相手に出来たかどうか。
所詮中国内の狭い範囲の話じゃん、北方民族の前にはみな惰弱。
>>307 戦下手の劉邦に勝ったくらいで偉そうな面するんじゃねえよ北方民族厨w
衛青や霍去病や李靖や永楽帝や康熙帝と同時代だったら冒頓なんか相手にならんわ
騎馬民族に対抗するにはやっぱり騎馬戦法だったのん?
>>307 みたいなこと言う割りに、なぜか匈奴の冒頓単于しか話題に出さない不思議。
312 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 17:51:20 ID:3grZhtPa0
>>311 それが匈奴唯一の大殊勲だと思っているからだよ(VS中華)
劉豹とかもいるんだけどね。
>>211 楚漢時代にも熱烈な厨房が増え始めてきた傾向があるからな。
冒頓単于の事を知りたてで舞い上がってるんだろう。
>>313 きっとそうだろうw恐らく
>>307は匈奴以外に
烏丸、鮮卑、柔然、突厥、ウイグル、キルギス、契丹、モンゴル、ケレイト、ナイマン、オイラトなど
他にも色々いるの知らないんじゃねぇの?
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 20:29:27 ID:QDIH6Rg10
ちゅもん。
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 21:18:19 ID:QZCjmwvl0
>>314 それら含めても北方騎馬民族相手にガチで戦って勝利し
中国最強を誇ることが出来たのって唐の初期、
りせいくらいのものだろ。
清のジュンガル相手じゃ時代が違いすぎるし、やはりここは北方民族の前には
中国は弱かった。項羽関張のごときはやはり同時代の騎馬民族の無名武将より弱かったんじゃね。
彼らが活躍していた時代にまだ彼らが侵入していなかったから、中国の中でのみ
勇名を馳せていたと考えるのが妥当。
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 21:35:15 ID:3grZhtPa0
管仲、李牧、衛星、霍去病、曹操、永楽帝、戚継光。
とりあえずこいつ等はガチ勝利。袁崇煥も入れてもいいかも。
あと探せばもっといるかもシンネ
班超とか蒙恬とか郭子儀とか完顔陳和尚とか。
ちょい記憶があやふやでスマン
318 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 21:42:57 ID:w5NvcOHCO
>>316 >項羽関張のごときはやはり同時代の騎馬民族の無名武将より弱かったんじゃね。
>>73
>>317 班超=匈奴、蒙恬=オズドル、郭子儀=ウイグル&吐蕃、
完顔陳和尚=スブタイ&モンゴル軍に勝利してるよ。
あと徐達=ココテムルに、孟[王共]や岳飛、常遇春、李文忠、戚継光はモンゴルに勝ってる。
隋の楊素も突厥の達頭可汗を討ち破ってる。
韓世忠も金の完顔宗弼を討ち破ってる。
>>316 >清のジュンガル相手じゃ時代が違いすぎるし
つーか時代が違いすぎるとなにか不都合があるのか?
策稜(ツェリン)はジュンガルのツェリン=ガルダンをフルボッコにしてるけど除外か?
>>318 項羽のメンチビームはたしかにかっこいい話だが
杉山氏じゃないけど、そういう記録は眉に唾付けて読む必要がある。
中国側の資料はどうしても、遊牧民=悪として描き、
少々の勝利でも大勝とする場合がある。
疑いの目でみると、それとても「単に相手が引き返しただけ」を
項羽がその威風で追い払ったように誇大に書かれている可能性も
なきにしもあらず。
そう思うのは、氏が著書の中でそれに類したことを書いているからだ。
一理あるが、あくまで可能性としてね。
逆に中国側が大敗したことは、ある程度真実味を持っているんだと…
両極端の中央に立たないとねぇ。
>>320 >両極端の中央に立たないとねぇ。
確かにそうなんだけど、ID:QZCjmwvl0はスレ違な話題に加え、大騒ぎし過ぎだし、
杉サマは遊牧民の味方だしなぁw
李靖のときも、結局は突厥内部の分裂を見極めてのことだから
精強VS精強というわけではない。
北魏の頃から、中国は遊牧民気質が強くなるが、それでも普通に歩兵が主力。
これは地域の差というものと思える。
五代沙陀の騎兵は精強ともっぱらの評判だけど、最精強だった契丹の耶律億の
侵攻を撃破したときは、歩兵がやはり多かった。
それは撃破した李存審が語っていることで、彼は野戦築城によって契丹騎兵を防いでいる。
ただしこれも、その杉サマ節では、「もとより阿保機が指揮していない」「撤退前で兵が少ない」
「もう撤退の準備をしていたので、やられたのは最後尾だけ」みたいな解釈となる。
一面は正しいけど、どうにも釈然としないものが去来するのは仕様ですか?
まぁ、防衛戦で勝つことはよくあっても、外に出て勝つのは稀なこと。
そういう点で漢武帝や唐太宗の遠征は評価できる。
北方楊家将を見て耶律休哥の凄まじさに身震いするほどだったんだけど
この強さは北方版オリジナル?
どっちかっていうと、楊業の巨人っぷりの方がオリジナルと思う。
耶律休哥はマジものと自分は見ているが…
いや、それよりも楊延昭の知略もすごいですぜ。
その点で、北方楊家将は必読に類する。時代背景はアレとして…
北方楊家将を見ると
楊家軍の主だった武将(楊業、楊延平、石幻果、楊延昭、楊延嗣)は
皆、化け物クラスの強さに見えたなw
個人的には楊延平の兄貴がカッコよくて熱かった!
327 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 01:07:03 ID:EGcgdkKy0
関羽
ちょっと前に名前だけ挙がってて気になったお方。
翻訳なさってるブログ読んでみたらイカスので豪傑ぶりをざっと紹介。
【周盤龍】
南朝斉の将軍。線が細く一見柔弱だが戦場での勇猛ぶりは諸将の感嘆を招いた。
騎兵の扱いに長け、馮太后摂政時代の強盛な北魏との戦いで活躍。
斉の建元二年、二十万ともいう北魏軍に決死隊二百人を率いて突貫。
機動力を生かして大軍を翻弄し息子周奉叔と共に奮戦、大勝する。
これにより周父子の武名は北方へ鳴り響いた。
年老いて軍を辞し光禄大夫に上った際、往年の猛将が冠を被る様を武帝にからかわれ、
古い兜では戦場が恋しくなるのでこれでよろしいと切り返したという。
二百人て…、さすがに二十万はないだろうが奇策ではなく真っ向勝負みたいだし。
ダメ王朝の印象しかない南朝斉にこんな武張った方がおられるとは思わなかった。
ちなみに南朝屈指の英主武帝と没年が同じ。
この人が自分が守り抜いた国の惨状を見ずに済んだのがなんだか嬉しい。
だいたい二百でだいたい二十万とやって負けてない実績があるなら
一騎当千クラスじゃなく万夫不当クラスに入れるかもな
>>328-329 項羽の最後の突撃なみの鮮烈さですな。
しかし、その北魏の20万、ふつうに考えたら単なる緊急徴発の寄せ集めとか
そういった烏合の衆と思うんですが、それを匂わせるような記述ないのかな?
だいたい一戦場に20万もの攻撃軍を投入するのは、訓練された正規軍だけでは
ムリと思うんですが…
そういう記述があるとしても、北史か魏書の本紀にあるから、さがすのメンドイっすねw
数百で数十万を突破って個人の武勇云々関係なくね?
徒歩ならともかく馬に乗ってるんだし
だな。
数百で数万を〜より
万人敵の方が豪傑らしい評価だ。
333 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 02:00:12 ID:SZFgIzxh0
スクイズの誠
徒歩の豪傑を決めるスレはここれすか?
なら韓世忠が最強だな。
少数で大軍撃破してるし、万人敵だし。
数百で数万を突破できなかった万人敵とかいるけどな
堅苦しいことばかり言わないで好きな豪傑挙げればいいんじゃないのか?
堅苦しいことなんか誰も言ってないけどな
>>337の知能が低すぎるて理解できてないことを「堅苦しい」と勘違いしている悪寒w
339 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 23:48:14 ID:0HOzbNRJ0
関羽
詳しい人に教えて欲しい。
関羽・張飛以外で「万人敵」(正史評)と称された豪傑ってどれくらい居るの?
豪傑としては最も分かりやすい褒め言葉だと思う。
1人で1万人の敵を相手に出来る。と言われるくらいだから相当な存在だったんだろうな。
正史評って言うか程cの評だったような。
他人の評もいいけど実績よりあてに出来るもんじゃないと思うが…
>>341 こりゃ凄いな!
人間離れというか、まさに豪傑そのものだね。
その時代を象徴する武威の塊のような存在だなあ。
>>342 関羽の場合のみになっちゃうけど
単騎突撃もやってるじゃないか。
顔良討ち取った時。
あくまでも三国志内ではあれほど個人の武威を猛々しく
披露したエピソードは他には見当たらないらしいよ。
>>343 >165を見ると関羽のは単騎突撃というより先頭で戦った風に読めるんだが。
でも、大将首を取って悠々と帰ってきたのは関羽だしなあ。
敵陣を突っ切って大将を倒したという事実は変わらないだろ。
それに三国志では他の面子が同じようなことが出来ていないのも
当時はそれがどれだけ凄いものとかいうのも伝わってくる。
豪傑としての実績ならこれ以上のものはないんじゃないかな。
何百人で万の敵を相手にした、とかはその人
個人の武力を称えたものではないと思うしね。
なんでそれほどの豪傑が荊州失陥で
その前どころか後の記述すらない馬忠なんてのに生け捕られてるんだかw
殺さずに生け捕りにって相当実力差ないと無理だぜ
それと戦で負けて死んだのに怨霊になって仕返しなんて
性根が腐りきりすぎで、豪傑には思えない。
豪傑なら自分を破った敵にたいして「見事」と賞賛して、潔く散ってほしいものだ
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 13:20:38 ID:/X6si6KCO
関羽を持ち上げてる奴は都合のいい箇所だけクローズアップして他を考慮しないのは何故なんだ?
関羽って曹操勢力にも所属してたコトが自分の名声を高めてるよな。
曹操側の武将としては、相手の首が高けりゃ高い程、それを倒した時の自分の名声に繋がるんだから。
実際、友誼もあったんだろうけど、そういう計算込みで評価が水増しされてたんだろう。
>>346 >>347 演義と正史がごちゃ混ぜになってるな。
呂蒙や曹操の死はあくまでも病死。
関羽の霊に呪い殺されたなどというの演義から生まれた迷信。
それに関羽のあの時点での状態はまさに四面楚歌の状況。
項羽の最後と似たようなものだろう。
それは豪傑としての欠点ではなく、人間性の問題。
剛を誇りその武もまた天下に広く鳴り響いていたからこその慢心が産み出した結果。
それをとって、豪傑として取るに足らない人物というのは論点違いもいいところ。
>>348 上でも指摘したが、それは関羽の将帥としての欠点。
剛を誇る豪傑としては中国史において、三国時代の一翼を担うほどの存在といってもいいのでは。
この流れこのスレだけで何度目だ?w
352 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 17:35:55 ID:/X6si6KCO
じゃあ、もう関羽が凄いのはもう十分わかったから以後話題にしないということでどうよ?
関羽以外にも色々な豪傑いるんだからし、やたら関羽、関羽って騒いでる意味がわからんw
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 17:50:32 ID:U6tZRORc0
関羽
>>352 いちいちアンチが噛み付くから長い流れになるんだよw
豪傑評の話なのに何故か荊州陥落の失態を槍玉に挙げたがる奴が必ず現われる。
とりあえずその手のアンチに自重してもらおうや。
>>350 >それは豪傑としての欠点ではなく、人間性の問題
だからその「人間性」が、豪傑とは言えないという主張なんじゃないの?
上で誰かがいっていたが、たしかに豪傑と呼ばれるような人種は武勇は功績
以外に本人の人格も大きなウェイトをもっていると思う。
極端なことをいうと、暗くてジメジメして陰険で執念深くてウザったい奴が
どれほど武勇を示しても豪傑とは言われないでしょう?
まあ完全にイメージの問題だけど。例を挙げると水滸伝の燕青。時には李キ
以上の武勇を示すこともあるけど、でも彼が豪傑と呼ばれるようなことは
ほとんどない。
356 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 20:21:20 ID:c36hpte20
>>350 項羽は四面楚歌の後に漢の1軍だが3000の兵を数十騎で追い返してるし
渡河して脱出できたにも関わらずあえて死を選んだ
必死に逃げようとして無名武将に生け捕られた関羽と一緒にすんな
>>350 項羽と関羽の死に様が似たようなもの?いいかげんにしろ
五代史しか知らんが、ざっと「萬人」で検索してみて
人物評の類でかかったのは、やはり李存孝の「万人辟易」だけだった。
また「飛将」でみると、梁の李思安がそれだった。朱全忠のセリフの中だけだけど。
関羽、張飛の「皆万人敵也」というのは、程昱のセリフだったんだな。
宋では韓世忠は「真万人敵也」と言われているけど、自称しているヤツもいるんだな。
京超とかいうやつ。岳飛が討伐した群盗の誰かかな、コレ。
遼の太祖期にもいるようだけど、名前読めんのじゃ… しかも逆臣伝にあるとはのぉ。
359 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 21:17:50 ID:/6k3zeqoO
>>355 まともに読んだ事無いのに、水滸伝を例に持ち出すな
言ってる事がメチャクチャ
>>355 豪傑の意味は「武勇に優れ、力も強く、肝っ玉もすわっている人物」
となるんだけどちゃんとそういうの調べてるのかい?
>>356 関羽も顔良軍に単騎突撃をかけ、大将の首を取ったという
大功もあるが?
正史曰く「一人で一万人の敵を相手にできる」「国士の風格あり」とも。
っていうか俺は
>>354でアンチに自重して欲しいって言ったのになあ。
関羽連鎖を止めて欲しいんでしょ?
だったらやめてよ。
好きな武将を貶されて嫌な気分にならない人間なんていないよ。
それより、自分の好きな豪傑を挙げて盛り上げていくスレなんじゃないの?此処は。
>>360 だったらまずおまえが自重しろよ髭信者w
流浪のヘタレ傭兵部隊の一部将にすぎない髭と20代半ばで一時はほぼ中国全土を
制圧した項羽を一緒にするんじゃねえよ。
>>360 同意
別に比べあうことを徹底する必要もないしな
しかし、関羽には冷水を浴びせるが如き口汚いアンチが多いな
前世で関羽に殺された人間が転生でもしたんだろうか?
363 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 03:08:30 ID:3xRBJlLE0
項羽より断然関羽だろうな
なんといっても神認定だからな
365 :
折れ:2007/09/30(日) 06:13:54 ID:Tnb/bH6AO
まー、あれだ。関羽、張飛、呂布は強いさ。
それと項羽は最強、これは確定。
二番目は個人的に甘寧だと思うし。曹操10万に100騎で殴り込みは凄いだろ、
歴史の影に消されてるが関羽は甘寧に手も足も出なかったのは事実だし。
政も軍略も優れてた。治安維持に貢献してた事もある。天下二分の計を画策したのも甘寧ってことでさ。
366 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 06:14:03 ID:eUgpUBkP0
甘寧ってなんか水滸伝の黒んぼ(大)みたいだな。
ちょっと目を離すと人殺してそう。
んでそれをたしなめる役どころの黒んぼ(小)が…呂蒙?w
369 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 09:10:03 ID:AT4lOPd60
結局三国志と楚漢の話になるんだな
>>364 >>360は正論でしょ。
別に関羽以外の誰かを卑下してるような文章は見当たらない。
それよりヘタレだの、髭だのと言いたい放題の
>>361はしっかりと謝るべきだな。
>>370 ほっときゃいいじゃん。
自重とかなんたらとか言うから反応してるだけなんだし
むしろ謝れってなんて強要するのも逆効果…
それに
>>363みたいなのマジでウザイだけなんだよ。
だからアンチな反応してるんだし…
まあ、そうかも知れんが関羽アンチは異常すぎない?
稀代の豪傑であることさえ否定したがるし。
俺も関羽は好きだから見ていて気分悪いよ。
全部、アンチのせいにするのもな。
いままで関羽厨がいろんなスレを荒らした過去もあるし
少なからず、嫌関羽厨の存在はあるだろう。
俺は関羽嫌いじゃないけど今の流れはうざい
もっと知らない豪傑のエピソードとか知りたい
三国志や史記しか知らない人は書き込み禁止にすりゃいいんだよ
>>375 三国志や史記には関羽、項籍以外にも豪傑いるんだし、
関羽と項籍についてだけ書き込み禁止にすればいいだけだろ?
でも基地外には規制なんて関係ないから、スルーするのが吉かと。
個人的には甘寧のことは勉強になった。
武芸一辺倒なイメージあったし。
377 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 14:29:58 ID:WeN57m1W0
楚漢:項籍 樊ロ曾 英布
三国:呂布 関羽 張飛
贔屓目で見ても楚漢、三国の面子はこれくらいだな。
これ以上にすると単なる楚漢、三国マンセー厨がいつまでも蔓延る。
他の時代にも凄い豪傑は沢山いるからな。
もう老子最強でいんじゃね?
それじゃひとつ投下するかな
【薛仁貴】
唐初の将軍。高句麗討伐で先鋒として大功を挙げ、頭角を現す。
661年に突厥が叛乱を起こすと鄭仁泰と共にその鎮圧にあたる。天山において突厥と戦った時、3本の矢を連射して3人の敵兵を仕留めたと言う。その後、老齢となってからも異民族討伐で活躍した。
水滸伝の郭盛の渾名、「賽仁貴」の元ネタの人だな
>>380 ごめん長いから全く見てなかった・・・orz
ともかく、今まででわかったことは
自分のレスは大抵、関羽に踏み潰されたという事実だけだ。
アンチ関羽になるぞ、まったく。
>>382 俺も尉遅恭とか秦叔宝とか投下したが関羽より一個下って言われたぜ。まあスルーしようや
>>381 どんまい、どんまい
>>382 わかるよその気持ち。自分も投下したスレ関羽にかき消されたし。
じゃあ自分もひとつ投下。
【蓋延】
後漢。武勇に優れ辺境にその名を轟かせた。
身長八尺の巨漢で、腕力にも優れ、三百斤の強さの弓を使いこなした。
匈奴と接する国境地帯である漁陽郡の人々はみな彼の武勇を尊び、
辺境における名だたる勇士として知られた。
>>382 そう思った時点で損してるぞ。
個人論のぶつけ合いなんだから
気にしなければいい。
今度こそまだ出てないはずだ
【狄青】
北宋の武将。農家出身だが兄の代わりに罰を受け、軍隊に入る(この時逃亡防止のための刺青を顔に入れられる)
入隊後、数十回の戦いに参加した。戦の時には銅のマスクをはめて髪の毛を振り乱し、一騎で先頭を切って突撃したという。
戦いの間に八本の矢に当たったが、それでも臆することはなかった。
>>386 嫌味じゃないけど
>>255に狄青も簡単に紹介してるってw
でも自分のより掘り下げてるから乙
狄青って出陣前に呪いめいたことして部下を士気を高揚させてたりもするんだよね。
(豪傑とはちょっと関係ないけど)
>>383 >>384 >>385 なんと、こんなにも踏み潰されていたのか…
関羽、おそるべし(汗
ここは趣向をかえて、豪傑の討ち取った、あるいは撃ち破った
相手の強さなど検証してみるのはどうだろうか?
>>387 自分の浅慮っぷりに絶望した
1052年の農智高の叛乱の時な。総司令官になったはいいが現地の官軍の士気の低さに驚いた狄青は「この銅銭百枚を地面に投げ、全て表だったら勝利に疑いなし」と言い、本当に表が出て士気を高めたという逸話。
まあ鎮圧後に両面表でしたーってネタばらししたがw
390 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 22:26:24 ID:MAnjzf0E0
俺のじいちゃんに聞いたが2次戦で日本軍を前に銃剣一丁で挑んだ中国人がいたらしい
そいつに銃で2人殺され2人重軽傷で刺突で一人殺され結局そいつは蜂の巣にされて殺されたとか
そのせいで今でもじいちゃんは中国人が嫌いだ
391 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 22:29:50 ID:CtayTfVZ0
TO 390
中国人之所以讨厌日本人是因为日本政府不正视历史的态度。
>>390 戦争なら敵国の勇者は、味方殺しになるから憎まれて当然。
だが、それでも敵将に賛辞をおくる英傑も、たしかに存在する。
敵に学び、自分の悪いところを正す英傑もいる。
そういった精神は、非常に高尚かつ理想とすべきことではないか。
なんつって。
日本は先の大戦では、自己批判というものをしておらず、いつも同じ戦法や
ゴリ押しで戦い、食料や補給すらあとまわしにするという下準備のなさなので
現地の住民に過度すぎる負担を与えていた。
現地調達も程度を超えすぎると虐殺と同義になる。
中国の史書は、ときおり名将の列伝にあって、「民衆が進んで食料を提供した」
などという記事を書いているが、誇張としても、そう書かれることは誇りだろう。
393 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 08:49:36 ID:DemUQ3gt0
中国本国どころかアフリカ大陸まで、てめえの中華思想で覇権をもくろむ胡錦濤大先生ですよ!
やっぱ甘寧だろ、字が興覇って所からみてもさ。覇を興すって意味にも取れる。
今で言う警察の役目を果たしてた訳だし、サイレン代わりに鈴を付けてたらしい。民忠も厚かったって言う伝えだよ。
何より項羽と被る部分が多いのもたしか。当時最強と詠われてたし。
韓世忠の配下にたしか強いやつがいたような気がするんだが
>>202 武松は素手で虎を殺した真の化け物。
李逵は母親を虎に喰われたとき泣きながら巣に乗り込んで虎を皆殺しにしたっていう
フィクションだからできる所業。
こいつらがいたら天下狙えたのに何故宋江は馬鹿なマネを・・・・
劉宋の蒯恩なんかどうだろう?
>>396 フィクションとはいえ、梁山泊以上の勢力は恐らくないよな。
399 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 17:00:49 ID:7vf3MdFT0
投下します。でてないハズ
王彦章(863〜923)
後梁の武将。あだ名は「王鉄槍」
普通の人が持ち上げられないほど重い
純鉄の槍を持って縦横無尽に戦場を駆け巡りました。
弓も上手で十八本の矢で十八人を射殺したそうです。
後唐に捕まりましたが、忠義を守って死にました。
「豹は死して皮を留め、人は死して名を留む」
という名言を言ったようです。
>>383 確かに唐の尉遅恭の神勇ぶりはすごいと思った。
何しろ戦に明け暮れた生涯なのに、ただの一度も傷を負ったことがないというのは凄すぎる。
あと、この人は引き際がスッキリと見事なんで好きだ。
そういや、あともう一人ぐらい生涯一度も傷を負ったことのない豪傑がいたような…誰だったっけな。
時代が新しければ新しいほど
ホラっぽい豪傑の逸話って減ってくるんかね
大抵は時間と共に伝説化されて尾ヒレがくっついてくるんだろうし
>>400 本多忠勝かな?日本人だが。
家督を譲って隠居した後、手慰みに仏像彫ってたら手元が狂って指先に切り傷作ってしまって
「わしもこれまでか」と嘆息したってエピソードが残ってる。
>>399 けっこう好きなので支援。
初め朱全忠に兵卒として仕え、その際イバラの上を素足で歩いてみせ数百の長に抜擢されたという。
常に携える槍は重さ百斤(60kg)を二本、一本は鞍に掛けてたらしい(予備兼お馬さん用の武装?)。
ある戦いで王彦章が救援に駆け付けるが行軍を黄河に遮られた際、
逸る王彦章は引き止められるのも顧みずたった一人で渡河して救援に向かい、
王彦章至るの報告を受け恐れた李存勗に兵を退かせたという。
李存勗は王彦章の妻子を捕らえ離反を促すも使者を斬って拒む。
李存勗は諦めきれないのか彼の妻子を殺すに忍びず、
後に王彦章自身を捕らえた際喜んで厚遇し再び誘っているが、
「梁に朝事しておきながら、晋に暮事できようか」との熱いお答えにようやく未練を断った。
人心を失った後梁の寵臣を君側の奸と見なし、出征の際に帰ってきたらぶっ殺してやると嘯いてみたり、
元来の硬骨と相俟って兵卒から引き立ててくれた国に対する思い入れは相当強かったようだ。
後梁じゃなかったらもっと人気ありそうな人。
>>403 自分も私怨… 支援。
後唐の李嗣源が黄河を南下して鄆州(梁山泊のあるところ)を平定し、開封の間近に迫り
後梁が震撼したとき、宰相の敬翔に抜擢され、大将として派遣された。
李嗣源が鄆州攻略の際、建築していた橋頭堡、徳勝寨を奪取せんと王彦章は出陣する。
そのとき後梁末帝は「いくにちをもって落とせるか?」の質問に、ただ一言「3日」とだけ答えたという。
王彦章は着陣すると、将兵を集めて大宴会を催した。
徳勝寨にある後唐の将、朱守殷は、李嗣源が「王鉄槍は勇士である。心せよ」という言葉を受けていたが
着陣早々の大宴会と、おりからの雨のため、すっかり油断してしまったのだった。
そこを王彦章は襲った。
宴会たけなわのころ、ひとり座を離れ、待機していた精騎数千とともに徳勝南城を陥落させた。
この鄆州での血みどろの戦いは百余戦に及ぶが、手柄は全部、段凝という者の手柄と
され、王彦章は次第に疎まれる。
最後は後唐の夏魯奇によって重傷を負わされ捕縛されるという終り方。
…しかしまぁ、豪傑には違いないが、兵を率いてどうこう、という話だな。
有名なところでは金庸の射鵰英雄伝で、楊康が死んだ祠は、王彦章が祭られていた。
黄蓉には「本当に鉄の槍だったか怪しい」とか言われたが。
【王建】
前蜀の高祖。
勇猛で統率力に優れて折り、僖宗を助けた蜀への逃避行では鬼神の如く活躍した。
【張俊】
南宋。抗金名将の一人。
盗賊から兵士となり、その武勇で北宋時代に頭角をあらわした。
さらに五代から。
王壇あざな衆美。
朱全忠の立ち上げ頃の武将で、勇敢さで鳴らしていた。
蔡賊(秦宗権が帝位僭称した勢力)の張存敢が洛陽を占拠すると
勇士数十人を率いて敵陣に潜入し、輜重を燃やして、張存敢を洛陽から
遁走させる。
鄭州での戦いでは、朱全忠の前で敵将・孫安をただの一射でしとめた。
徐州平定の戦いでは、朱珍に従って、賊将・孫用和、束詡を捕らえる。
蔡賊との戦いでは、味方の将が捕らえられたのを取り戻し、さらに敵将・薛注
を捕らえた。
朱珍に従い、時溥との戦いでも、敵将を捕らえ、兗、鄆平定の戦い
では多くの武勲をたてた。
後梁末帝のとき、蔡州の王彦温の乱を鎮圧し、後唐との魏州の戦いにあっては
劉鄩との掎角の陣をもって進み、澶州で後唐の李厳を捕らえた。
起死回生を計り、太原直撃を実行するが、おしくも成功しなかった。
51歳で死去し、諡を忠毅とされた。
>>404 >…しかしまぁ、豪傑には違いないが、兵を率いてどうこう、という話だな。
いやいや、いいと思うよ。
王彦章の戦いの場面て槍を取って先陣を駆ける姿が目に浮かぶんだよ。
ほんと槍一本(二本?w)で叩き上げたって感じの人だし。
まっ贔屓目かもしれないが。
重さ60キロの鉄の槍を自在に振り回す辺り、何か原哲夫の漫画のキャラを思い起こさせるなw>王鉄槍
>>407 ううむ。やはり豪傑というのは、そういうイメージだわな。
先陣を賜り、部隊の真っ先に立って敵陣に突撃するという。
部隊を抑えて、武将同士が名乗りを上げて用意ドンで一騎討ちなどはあまりないだろう。
武将が敵武将をめがけて突っ込み、他の兵も敵兵めがけて突っ込み
その乱戦の中で武将同士の一騎討ちが繰り広げられるのでしょうよ。本来。
晋の夏魯奇が、そんな中、燕の単廷珪と元行欽を相手取っての一騎討ちをして
周りの兵が戦うのも忘れて見入ってしまったという話は、実に臨場感ある。
410 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 02:33:09 ID:CSNPZdD4O
本多忠勝は日本史上最高の豪傑だろうな。有名な話として、信長が
「張飛の如き豪傑」とまで称されてるからな〜。
信長が忠勝を「張飛の如し」と褒めた逸話のソースは見つかってないらしいよ
関羽厨≒上杉謙信厨
信長が忠勝を「張飛の如し」と讃えた話の出典は
戦国期の史料をけっこう調べたつもりだが無かったなあ
代わりに信長が植村家政を「樊ロ會の如し」とほめた話や
家康が姉川の戦いの後で「劉邦の十倍、張良の百倍の武功」と
信長に称された話が見つかった
戦国時代は三国志はあんまりポピュラーじゃなかったのかもしれん
スレタイにこじつけるなら、当時は楚漢の英雄が中国史上最強の豪傑と思われてたんだろう
太平記は史記の引用が多いから
415 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 18:16:06 ID:CSNPZdD4O
なんだっけな、日本に三國志が伝わったルーツ的な物見てたら、出てきたよ。信長も好きだったみたいよ!三國志。
昔の日本では正史三国志よりかは史記や漢書の方がよく読まれてたらしいよ
確かに史記はよく読まれてたみたいだね。
平安時代辺りに孫子の兵法やなんかと一緒に伝来したみたいだし。
家康は吾妻鏡を座右の書としてたけど。
418 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 19:21:58 ID:71AjYhml0
投下します
楊業
最初は北漢に仕えたが、北漢の滅亡後宋に仕える
遼との戦いで活躍した
「楊家将演義」の序盤の主人公としても有名
元は劉姓だったらしい
狄青(1008〜1057)
農民出身の宋代トップクラスの将
兵士時代の刺青を枢密副使になった後も残していたという
こちらは「万花楼演義」の主人公
武曲星の生まれ変わりという伝説もある
狄青は名将な認識なのですが、腕一本での出世ということで
豪傑でもいいですか? 反応によっては反省します
419 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 19:57:55 ID:5IFejEQG0
うお。今度は日本の戦国時代に踏破されている… 恐るべし。
言うても、日本は中国の情勢にはかなり敏感だったらしいから、
とくに驚くこともないようですよ。
あの平将門も、耶律阿保機に倣う、とか言って兵を挙げたそうだし。
上杉謙信の「韋叡の風あり」も、隣国の名将にあやかろうとしたんじゃないのかな。
>>418 楊業は北漢帝、劉承鈞の、たぶん仮子となっていたのでしょう。
だから劉姓であり、「継」の字をもらっていたのだと思います。
異名の「楊無敵」は、姓を賜る前の勇名ということになりますね。
しかし、なんというか。
豪傑とはちょっと違うような気もするが。
将門記の大赦契王やね。あと三国志は遅くとも奈良時代にはあったらしい
称徳天皇が大宰府に三史・三国志・晋書を下賜したそうだから
「中国英雄にたとえられた日本史上の人物」とかでスレ立ててもいいかも知れん
史実だ講談の創作だゲームの設定だで荒れそうだが
422 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 21:36:13 ID:71AjYhml0
>>419 伊達政宗の独眼竜も元は李克用だったと思います
楊業は微妙ですかね。残念です
>>420 スミマセン、見てませんでした
とりあえず、全部見直してきます
ところで、政宗って生前から独眼竜というあだ名というか異名をつけられていたんですか?
>>422 >スミマセン、見てませんでした
ちょっと、ちょっと、ちょっとw
>>423 さすがにその質問はスレ違いかと…
425 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 05:05:03 ID:F9JPKRPU0
中国史上最高の豪傑はスサノオかな
426 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 14:06:42 ID:JXMLp74IO
>>424 てか、一度挙げた武将は挙げたちゃダメなのか?
>>426 補足したりまとめる程度ならむしろ歓迎じゃない?
でも狄青は何度か挙げられてた気がするし、つーかちょっと前のレスにも出てたしね。
それぐらい目を通せよってことじゃね?
ところでこのスレ所々荒れてるけど漢臭が漂ってきそうで以外にいい感じね。
429 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 19:19:21 ID:ZGKeUgpP0
隋の沈光
個人的に好きなんですが
・ここに書かれている豪傑ほどか
という点と
・主なソースがT・ヨッシである
という点から名前だけということで
>>429 少なくとも朝鮮遠征のあれは史実みたいだよ。
俺も好きだし以前紹介文書いてみたけどやめたんだ。
燕青が駄目って言ってる人もいるから、蘭陵王とか沈光みたいな腐受けしそうなのはここでは敬遠されそうだ。
>>417 もっと早かったんじゃないかい?
日本書紀の壬申の乱・瀬田の戦いの描写が後漢書・光武帝紀の一節丸写しってことから見て
史記や漢書も当時既に入ってきてたと思われる。
>>431 奈良時代に唐より帰国した吉備真備がもたらしたのが真相ですね。
なんせうろ覚えなので平安時代辺りにとカキコしてしまった・・・orz
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 14:30:18 ID:Cf0ImcQD0
楊再興
燕青がダメなら彼もマズイですかね
雪の中の突貫は映えていて好きなんですけども
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/06(土) 13:19:52 ID:bbXLmWDZ0
>>403 100斤って約30キロじゃなかったか?
435 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/06(土) 13:39:33 ID:uygTdjRJ0
>>434 現在中国の100斤は50kgです。昔はしらん。
1斤は基本的には600g。
唐代から宋代にかけては596.82gだったとされている。
437 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 12:15:59 ID:i3s6mg6E0
虎退治と大蛇退治の周処は?
続三国演義では周旨をやぶり斉万年と壮絶に一騎打ちしてる
多分、項羽だと思う
尉遅敬徳>楊大眼=項羽>その他
440 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 22:26:23 ID:WmaNaLhS0
食パンの一斤は600gもないよ
>>440 せっかく上で教えてくれてんのに馬鹿か?
不思議に思うなら自分で調べろ。簡単に分かるはずだぞ。
狄青は統率力と戦術の武人だな。
雑兵から中間指揮官まで出世する間は個人的武芸で身を立てたのだろうけど、図抜けていたという話は耳にしていない。
一部隊の指揮官クラスになってからは偵察を重視、戦況を慎重に分析し、巧緻な作戦を立てて勝ち続けた。
常に陣頭にあって指揮を執ることにこだわり、兵士からの信頼を得たが、こりゃあ豪傑とは言わんわな。
443 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/23(火) 14:13:10 ID:QBrCjegB0
候補をあげとく
項羽
樊カイ
李広
関羽または張飛
楊大眼
檀道済
蕭摩訶
尉遅恭
薛仁貴
王彦章
趙匡胤
444 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/23(火) 18:41:52 ID:8e6p+Ca1O
ロウアイのちんぽに勝るものなし
三国志の豪傑…
あえていうなら典韋と許チョかと。
関張なんかより個人武勇に関するエピソードが多い。
許チョのエピソードは人間離れしたものがあるが、
ここまで誇張された人物は「三国志」内にはいないので、
許チョは少なくとも陳寿の頭の中じゃ「こいつこそ真の豪傑」って感じなんだろう。
記録としてどの戦いで一人で何人倒してるのかが残ってるのは樊カイさんぐらいかな?
一人追加して、事由も挙げてみる
項羽:少数の騎兵で突撃し、大軍を殲滅する破壊力は常軌を逸する。
樊カイ:自ら斬り殺した敵兵の数で立身出世したような猛者。
李広:名将中の名将であることは明らかだが、虎と誤認した石に矢を突き立ててしまうほどの豪腕。
また、狩猟中の文帝を襲った虎を組み伏せ、短刀一本で始末した。
関羽または張飛:当時最強であるかも疑問だが、少し後の時代で、
何かと関羽のようだだの張飛に匹敵するだのと比較対象の基準にされるから挙げておく。
世間的には並外れた豪傑という認識があったことは確かだろう。
楊大眼:運動能力が人間離れしていたという。
檀道済:張飛に並ぶと評された猛将だが、本質的には策を用いるのが巧妙な知将だったりする。
蕭摩訶:関羽に喩えられた、一騎討ちのスペシャリスト。
尉遅恭:あれだけ多くの戦いに身を置きながら、かすり傷一つ負うことがなかった。
その神がかった武勇から、神勇とまで呼ばれた。
薛仁貴:白づくめの甲冑が返り血で真赤になるほどの凄まじい闘い振りで出世していった。
王彦章:王鉄槍の異名で恐れられた剛の者。
周徳威:一騎討ちを多く行い、ことごとく圧勝したという。
趙匡胤:独自に拳法の一流派を立ち上げたこともあるが、酔って雀を捕まえようとしたら
家が壊れてしまったという、人柄的にも豪傑っぽい話があるので挙げておく。
関張は三国時代最強だろう
でなけば、後世で比較の対象の基準にはならんと思う
関張以上の存在がいれば、その武将が関張に代わって
後世でその時代の最強武将を称える時「〜のようだ」と
言われるだろうし
直接対決して決まったわけじゃあるまいし
ただのイメージ先行の評価に過ぎないものを根拠に断言する
>>448は凄いな
450 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 21:42:29 ID:EcCeVxGo0
>>447 五代付近で3人か。
さすが揉み合いへし合いの乱世。
しかし、その揉み合いが高レベルなのか、どんぐりレベルなのか見解が分かれるところだな…
ずば抜けた存在というのがなかなかいない時代だし。
>>445 許典の二人をいつも間近で見てる魏将が
関張を恐れているのだから彼らもそれなりの化け物だったことだろう。
453 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/25(木) 09:09:12 ID:FDyb3+q50
趙翼の《廿二史箚記》か。
それでいくと、関羽および張飛に匹敵するのは…
晋の劉遐
前秦の王飛および鄧羌
南涼の梁崧および趙昌
劉宋の薛彤および高進之
蕭斉の垣歴生
北魏の崔延伯(蕭宝寅に言われているところが、よりすごいと思う…)
陳の蕭摩訶
関羽、張飛でもおよばないのは
劉宋の薛安都
北魏の楊大眼
ということですか。
隋唐以降はあんまり言われなくなったのかな?
一万人相手にできるわけないじゃん
テイイク馬鹿だな
そのくらいもわかんねえのかよ
455 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 07:08:48 ID:QS0tSBCL0
敵国の将を、大仰に表現するのも参謀の役目。
それを基準に戦略を組み立てる。
すると、相手が思ったより小粒だった場合、楽勝ということになる。
相手をいきなり過少に見積もると、えらいことになる。
そんなもん。
>>454 >>455 そういうアンチな見方もいい加減にやめにしない?
関羽に関しては酷すぎる信者も入れば、それに匹敵するアンチもいる。
俺も関羽は好きな武将なんで
>>452みたいな見解がなければ
出来れば触れて欲しくない。
信者:時代を超越した圧倒的な強さ
アンチ:傲慢が過ぎただけの雑魚
の一言二言で関羽の話が荒れるのはもうお腹一杯だよ。
楊大眼が十種競技やったら、すごいスコアを叩き出したんじゃないか?
>>456 いや、おれ別にアンチじゃないし… ふつうに関羽好きだし。
程昱の言葉に限ったことじゃなく、形容詞で飾るのは多いと言いたいだけ。
それをもって言葉そのままに捉えることはやめたほうがいいのでは、というやつ。
でも、自分達はその世代の人間じゃないしね。
そういう記述を残してくれてるから豪傑の実状も
後世に伝わっていくんじゃないかな。
その中で豪傑として三国時代で特に傑出していたのは
関羽・張飛であった。というのが俺には
>>452の張ってくれた
サイトのおかげでよく分かったよ。
つまりそういう証拠だったり、確証があったほうが意見として
荒れることもなく成り立つかなと思ったのよ。
一人で一万人の敵を相手に出来るというのもそれだけの存在に見えたという
当時の見解だったんじゃない?
>>460 だから一応、
>>453で抜き出しをやったわけで。
>>455も、関羽のアンチとして書いたわけじゃない、と言っているんだが…
なんか史書に対するスタンスとかいう話じゃないな、これは。
おれのこと誤解したまま話まとめんで欲しいのだが。
>>459 形容詞によるアピールがなかったら
豪傑自体にあんまり面白味がなくなるな。
言葉の意味をそのままに捉えなかったらなんのための
記述なんだか分からんよ。
話半分だとしてもとんでもない傑物であると言うことを
伝えたいがための言だったんじゃないか?
歴史書は小説じゃないから、おもしろいかどうかは事象であって文章ではないんだよ。
言葉の意味をそのまま捉えていたら、大義名分論に基づいた《五代史記》など
士大夫スゲーの量産になってしまうよ。
それに、記述ひとつに疑念を持つ、即、全否定というわけではないことは理解してほしい。
逆に、その記述のみをもって高評価を与えるのは、初出ならともかく
関羽くらいこの板でも超有名な武将なら、慎重になってもいいのと違うだろうか。
でもなんでか、こういう書き方すると、関羽は豪傑ではない、と言われたと思う人がいるのはなぜ?
正史こそ絶対無二の記述と言っておきながら
何故か関羽評にだけはケチを付けたがる輩もいるからじゃない?
認めるべきは認める。
そういう潔さが欠けてるんだよ。
その割に楊大眼評の「関羽・張飛を超えるほどの豪傑」という評価などは
アバウトすぎる記述なのにあっさりと受け入れてしまうんだよね。
評価ってのは好悪の区別なくやるべきだと思うよ。
現に三国志においては関羽の「顔良斬り」は後世にも豪傑の象徴的なエピソードとして
語られたみたいだしね。
広義的に見れば三国志最強の豪傑は関羽・張飛なんじゃないかなあ。
三国志最強の豪傑は関羽・張飛でいいから黙れよ。
ここは”中国史上”最強の豪傑を語る場所だ。
抽象的な豪傑評や物語としての人気を省いて、史料に書かれてることを
見れば関羽・張飛は他の時代から見劣りするんだよ。
顔良に関しても史実では単騎駆けなんてしておらず、
後世において語られるのは講談としての意味合いの強い単騎駆けの話。
実際どうだったかよりもイメージ先行で肥大化してるのが
世間の関羽像なんだから一歩引いたところから見ろ。
>>465 ま、表面的な事象としてのみ見れば、《三国志》以外で関羽並みのことをやってる武将は
趙翼に指摘されてもいるように、結構いたりする。
残念ながら、隋唐以降で趙翼自身が、これこそ関張に匹敵する、あるいは凌ぐ豪傑
とかいう随想はみられませんが…
時代の流れで一騎討ちが行われなくなり、
戦場での働き振りが関張になぞらえる機会自体が激減していそうだな。
特に火気が投入されるようになった宋代以降は。
火器だorz
やはりそれも時代の必然なんだな。
こういうスレではちょっと物悲しくなる事実だよな。>火器発達
実際一騎討ちなんてやったの?
突出してきた敵将射掛ければ終わっちゃうじゃん
一騎打ちでとか言って周りの人たちまで見守ってくれることなんてまずないだろうな。
戦場のそこらで一騎打ちっぽい状況にはなったろうけど。
(目前の敵だけに集中できる状況かは置いておくとして)
名前が残ってない兵卒のほうが一騎打ち経験は豊富そうだ。
実際乱戦の中で名のある将を討ち取るのもほとんど兵卒なわけだしな。
史万歳の突厥との一騎討ちは両軍見守る中行われた所謂一騎討ちだったようだよ。
謀反に連座して降格された時なので名無しの兵卒と変わらんけども。
兵を交えるのは互いに損ずるところが多いので一騎づつ出して勝敗を決そうという名目。
開戦前のデモンストレーションみたいな感じなんだろうか?
史万歳が有名になったので記録が残ってるだけでよく行われたのかもしれない。
後に将軍として突厥を討伐する際のいい箔づけになってるね。
473 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/05(月) 03:29:32 ID:I/28BbLh0
尉遅子良は、架空の人物?
474 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/12(土) 23:28:08 ID:CLOQRUZF0
. -――-\ お前に説明することはない / : ――\
rヘ_,r'"> \ 母親に会わせろ /r.,---─ー! ̄)| 懐 |
ヾ, X /ii//ll N/リli\ __ ___ / .i'/ヽ__/\ 〈 | 王 |
/_∧,ゞ__ __|_Y \ ━` i´━' / .|__ ___゙i .| の |
ヽ(^Y ━` i´━'| _ソ \ __ 」__ / |`━`i ´━ Y^)| 嫡 |
.ヽ_, __ 」__ | \ ∧∧∧∧ / ,| __L __ ,_/ | 孫 |
.../'ヽ ┠─┨/ \< 鍾 >/ .ヽ ┠ニニ┨ ./< /
. /\.,,ヽ┃ ̄┃、 < の 離 > ┃ ̄.┃/ ―――
―――――──―――――――< 予. 眛 >―――――──―――――――
( ̄!ー─--、 ) お. こ < 感 > ー--――ー---> ──、_, ',
〉 /\__/ヽ`i ). や れ .< .! ! > ー-- .._ へ/ ━` 〈
/ 〉 || ) じ /< >\ `ー-_ | ^i ________, ノ
|: /__ __|_ ) / ∨∨∨∨ Z. ヽr''ヘ、_ ┃ ,.-=ァ/
(^Y ━` i´━'| ´/ / 〉 |\ / !、 ┃ {__//-‐ ' "´/`゙ ーァ'
ヽ_, __ 」__ | ./ | : /__ __|| \ ┌‐────┐ _
/'ヽ ┠─┨ / (^Y ━` i´━'||_ .\ │ 鍾離昧 .|
/\.,,ヽ┃ ̄/ ヽ_, __ 」__ ..\───‐─┴────
../ | ┠─┨ / \ これ おやじ!
| ヽ┃ ̄┃/ これおやじ ───────
〔~∪ ̄ ̄〕|
475 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/18(金) 15:58:32 ID:NIvxq2V3O
項羽将軍だろうね
関羽将軍だろうね
477 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/21(月) 01:01:31 ID:108eX9CPO
『江南の虎』
『西楚の覇王』
と呼ばれた周通さん
周通さんのランクがどんどん上がっとるw
>>400 遅レスで申し訳ないが、無傷なもう一人の武将、清の楊遇春と思われ。
480 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/31(木) 20:50:25 ID:XbV8CsxN0
中国では 項籍、霍去病、楊大眼
日本では 立花宗茂、本多忠勝・・・?
お前の日本は戦国時代だけか
>>480 霍去病って間違いなく名将ではあるが、豪傑タイプか?
李広の息子にブチ切れて殺害してしまうあたり、間違いなく豪傑
484 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/05(火) 15:32:40 ID:hykTws590
傲慢だけどかっこいい貴公子的なイメージがあるけど。
マラソン勝負なら南宮長萬
486 :
_:2008/02/09(土) 12:36:50 ID:yeKiy0jc0
白起じゃないの?いや世界一かもよ。
40万人の殺戮は、今だに破られていない。一人でころした人間の数の
実績で言えば、100万を越えている。間違いなく
人類史上最強の武将は彼だろう。秦/漢・楚の戦いで、出てきたら
劉邦、項羽は天下を取れなかったとも言われている。
大量殺戮を平気で行っている点は、非情さが伺える。武将の強さを測る上で、
非情さは、豪傑として最強といわれてもおかしくはない。
項羽だって同じ状況で20万人始末してるじゃないか。
白起が捕った捕虜が40万人で、項羽が捕った捕虜が20万人だったの違いに過ぎない。
項羽が捕虜を得たとき、もしその人数が60万人だったなら、60万人を処分しただけのこと。
つーか、豪傑の指標とは関係ないベクトルだし、一人でン十万を殺したわけでもないのだから、
こんなの引き合いに出すなよw
488 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/09(土) 14:20:57 ID:oSx+Glj20
毒入り餃子の剛勇も並半端なものじゃない
>>488 そうだな。2chの嫌韓・嫌中勇士(笑)は間違っても口にはしないだろ。
で、あの毒入り餃子は、そんなヤツラが唾棄してやまない親中および
ネットで真実に目覚めていない、憂国の志を持たない人らを虐殺しているのだから
おおいに溜飲がさがっているんじゃいのかねぇ。
アフォブロガーどもを見ていると、そんな皮肉も言いたくなったぜ。あ、君のことじゃないよ?
490 :
_:2008/02/09(土) 14:46:34 ID:yeKiy0jc0
でもさ、
豪傑、豪傑っていってるけど、中国人は誇張表現が多い。
どこまで真実かは分からん。史書も正史に歴史書として
認められているが、単に他の候補になる歴史的文献が
ないだけ。
まだ、ジャッキーやブルースリーが中国史最強だといっている
やつの方が、余程説得力あるね。
>>490 それを言っちゃあおしまいだ。人間なんだから、アニメのようにはいかんわ。
史書にだって、そんな常識外れのことが書かれているわけではない。
そういうのが書かれているのは、通俗小説とか演義が主だから…
寒気だろ。
これは誰も勝てん。
493 :
_:2008/02/09(土) 19:42:40 ID:3Yn1IxwO0
黄忠が歴史上最強。中国で、元気な爺さんを「老黄忠」と言っているから。
老人であの強さだから、若ければ呂布越えは当然だった。
確かに、中国人は嘘っぱちが多い。
しかし、強さが何らかの形で言葉として、今でも残っているやつは強いと思うぞ。
>>490 最後の剣客と呼ばれほとんど天然記念物扱いな榊原鍵吉などは、
2m近い10kgの振り棒を二千回振り腕周りが55cmもあったと言う。
ましてや腕力がものを言う時代でしかも戦争を生業とし、
その剛勇ぶりで歴史に名をとどめちゃうような連中ですよ。
全て真に受けるのも馬鹿らしいが、
現代人の尺度で真偽を問うほうがさらに馬鹿らしい。
496 :
_:2008/02/10(日) 09:30:12 ID:RFc9vbXd0
悪来も候補にはいってるよな?3000年前のことだから、資料が
ないけど、
殷の紂王の酒池肉林は、彼の存在があればこそできたことだから、
用心棒としては相当の腕があったはずだ。
497 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 23:06:32 ID:VqqP+8ZyO
国士無双の韓信の右に出るヤツは居ない
498 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 23:09:58 ID:+lTN6OgfO
たぶん、徹里吉だろ?最強は
韓信は豪傑じゃないでしょ
ロウアイ
501 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 14:45:21 ID:8NA7HSuZO
女子柔道重量級のあのデカい人。
502 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 02:48:17 ID:JR+klyBlO
ロウアイは多分デカイだけじゃなくて
テクもあったんだろうな
対女戦なら最強かも
504 :
黨國精英西門慶:2008/02/28(木) 17:08:17 ID:mk5i5YEM0
祖逖,許世友
ジャッキーだろう
506 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 06:05:43 ID:908UUR+YO
オレは三国厨で呂布と言おうとしたが、過去レス見ると項羽だなこりゃ。
やっぱ関羽でしょ。華雄、顔良、文醜を一騎打ちで討ち取り五関突破のエピソードなど個人的武勇は圧倒的。
呂布すら恐れさせているし、曹操は遷都を考えたほど。というかその武威で神にまで祀られてるし。
項羽は弱兵の漢相手じゃ評価できんよ・・・
華雄(実際は葉雄らしい)・・・孫堅の部隊と交戦して討ち取られる。
顔良・・・自陣営(袁紹軍閥)の客将となっている劉備から関羽の話を聞いており、
関羽が出奔しに来たと思って出迎えたところを、いきなり斬られた。
文醜・・・曹操軍の作戦によって戦死。関羽と一騎討ちしていない。
神として祀られている・・・関羽の横死後、関係者に奇妙な変死があったことを
迷信深い連中が「関羽の崇り」と恐れ、慰霊のために祀ったもの。
それが後の時代に商売の神として縁起物に転じただけ。
武威を敬って祀られたわけではない。
もう烈海王でいい
烈は再起不能・・・・
>>508 いちいちうるせーな。作り話でもネタにされるくらい無茶苦茶強かったって事じゃん。
白けるからもう発言すんな。第一中国なんて正史も小説も誇張だらけなんだから後世まで
称えられる関・張、呂布、項羽だけで十分だろ。
誇張も入れて数えたら
とんでもない数になりそうだけどなぁ
と言うことでラーメンマン
>>後世まで称えられる
悪いが、あんたが知らんだけ。
>>508 関羽はその武威から武神としても有名。
武廟(武人を祭った廟)である関岳廟では
岳飛と並んでその筆頭に座し二大武聖として称えられている。
文武偉人の頂点として文聖孔子と並び武聖関羽の尊称もこれまた有名。
道教神としては今や天帝の1人にも数えられるほどの神格になっている。
中華の偉人英雄きら星の如くと言えど、道教の神に昇格し天帝にまで
上り詰めているのは関帝のみ。(太上老君=老子は別格)
現在でも道士、民間問わず人気も高くご利益も多岐に渡る(様々な神格を持つため)
ので大人気の神様。
シンプルな意見だが
>>511の言ってる事が最もな正論。
約束を守る真義の人だから商売の神様として超有名
になったって話は聞くが武威から武神としてまつられたって話もあるんだなぁ
正直初めて知ったわ
…武勇絶倫だったから神になったわけではないのだが…
最初、生前の武名にあやかって武神だったけど、いつのまにか商売の神として崇められ
山西商人にご利益を与えるようになって、有名になったのだろ。
関羽は山西(河東)の産で、塩賊だったから。
有名なのと、一番の豪傑だったというのでは違うと思うがな。
なんか関羽の事になると過剰反応が凄いな。
まあ、怒り狂わずに少し頭を冷やして話し合おうぜ
誇張を含めたとしても異国にまで名が轟いている豪傑には違いないんだから
尉遅恭に一票。
最前線に立ちまくり敵陣突入しまくりで生涯戦場において傷一つ負わないってアンタ……。
秦叔宝と並んで門神にもなってるし、神勇とすら評される。
結構長寿のわりに終わりも全うしてるし隙がない。
秦叔宝は逆に怪我しまくりだったんだよな、確か。
>>515 関帝はオールマイティな神様だからね
武の神、財産守護の神、商売の神、学問の神など
様々な神格を併せ持ってるのよ
521 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 23:58:41 ID:E00xlAci0
自分も尉遅敬徳に一票。
尉遅敬徳と秦叔宝って日本の本多忠勝と井伊直政みたいだよね。
中国人が神としてあがめるほどの武将なんて関羽か岳飛くらいだしな。
ただ強けりゃいいってもんじゃなく生き方の問題もあるんだろ。
523 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 09:16:35 ID:1OOtGjfp0
神として1000年以上崇められてる武将なんて関羽くらいだしな。
強さだけでなく生き方含めて最強の豪傑なんだろ。
524 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 09:17:24 ID:1OOtGjfp0
おっと2回も書き込んじまった
関羽厨は岳飛とセットで語りたがるけど鍾馗は絶対に無視するんだなww
754 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 01:58:57 ID:ZoQyTXi70
・中英板の基本的構造(ループ進行)
関羽凄ぇ→何がどう凄いのか→神になるぐらい強かったから凄ぇ
↑ ↓
│ 関羽信仰は各王朝の政策に基づく祭り上げもある
それを無批判に信じるのか ↓
↑ 祭り上げられるぐらい強かったから凄ぇ
│ ↓
演義での活躍に真実が反映されてる←趙翼も「関羽最強」とまでは言わない
まさに今がそれだ。
言いだしっぺは毎回同じ人なのだろうか?
>>523 それだな。
文武両道の上に忠義双全を兼ね備えてるから
恒久的に最強の豪傑として崇められてるんだよ。
>>525 鍾馗は元は科挙落第生だぞ?
それに失望して自殺。
それを哀れんだ唐太宗がねんごろに弔ったので
恩返しに唐玄宗の頃、宮廷にイタズラをして逃亡した小鬼をとっつかまえて
退治。
それに感謝した唐玄宗がその経緯を聞き関心。
それは夢だったのだが、早速絵師を呼びその頼もしい姿を書かせた。
それが鍾馗が妖怪退治の神となったルーツ。
元々、豪傑だったというわけじゃないよ。
史実も「真実」じゃないんだがなあ・・・。
信用に足るだとか、最も信用できるだとか、そんなもんは
史実派の見解でしかないのに。
関羽は後世に置いてはまさに完全な英雄神として
語られてゆくためアンチは(何故居るのか不明だが)
史実に逃避するというのも分からんでもない。
しかし、ここが2chと言えどもう少し現実を反映した目線で見てもいいんじゃないかな〜。
古代のことなんて結局は史実だの、演義だのいっても
想像で語るしかない。
ならば、今どう思われているか、語られているかということも
大切なことだと思うけどね。
529 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 19:25:45 ID:lil7speT0
楊大眼でいいじゃないか?
実はアンチなのに褒め殺ししてる奴が居そう
>>529 そうだな、関羽張飛を上回る武勇の持ち主と言われた楊大眼が最強ってことでいいかも
>>528 >>525は、元は豪傑じゃないのに、神にされたことから豪傑扱いされている鍾馗を引き合いに出して、
「神にされたから絶世の豪傑に違いない」という短絡的な思考回路をもって関羽を挙げている連中を
揶揄してるんじゃないかと思う。
三国志ファンでも特に民度が低い奴らが他の時代貶すから
アンチが生まれる
>>507みたいな奴のことね
それだけ関羽が信仰されてるってことだろ。これだけ多くの人々に讃えられる豪傑なんて関羽しかいない。
彼以上に著名な豪傑なんて存在するか?そこらの女子供でも関羽は知られてることが多い?
楊大眼や尉遅恭やらなんて中国史好きでもなきゃ全く知られてないだろ。
豪傑の知名度を論じたければ他でやってくれ
>>534 関羽は豪傑の中では一番有名。これでおk?
清代の文献で、本朝の関帝信仰公認は満蒙を劉関に見立てた兄弟結盟が背景にあって
モンゴルを懐柔する政策目的で行われたというのがある。しかも「桃園結義」と明言してる
乾隆帝は詔して「関帝凄ぇ!関帝廟をしっかり祭れ!陳寿の奴はいらん事書きやがる」と言ったし
ジュンガルを制圧した後でイリに関帝廟を建てたが、どっちも政策のにおいがする
そもそもドルゴンが満州語版『演義』の巻頭で「この本を鑑にしろ」と言って以来
清朝オフィシャルの三国志イメージは『演義』準拠で、乾隆帝の詔にもそれが見える
漢民族の側でも、弁髪を強制されるような状態で「関帝を拝んでいいよ、むしろ拝めよ」と言われりゃ
もう拝むしかない。もともと関羽人気が下地にあるから別に悪い気もしなかっただろうけど
演義イメージの関羽が崇められるのにはそういう事情もある
司馬遼太郎の小説が座右の書って経営者みたいなもんだな。
それじゃあ
誇張あり、フィクション含んでOKで
その人が何をしたかを書いて推薦しないか?
名前のみとか後世の評価とかじゃなくてさ
西門慶
野郎の妄想を具現化した豪傑
>>537 逆に言えば、異民族王朝の清が漢民族からの支持を受けるために
必要な英雄は中国の歴史広しといえど関羽しかいなかったということだな。
これは恐らく豪傑としての武威ではなく極貧かつ、弱小な勢力でありながらも
劉備という主に生涯、忠誠を誓い続けた鋼の紐帯を称えたものかもしれないが。
王朝にとっては、まさに理想の忠臣。
民にとっては義を重んじ、財を軽んじる頼もしい武将。
こんな人物が人気者にならないわけがない。
豪傑の武威はまあスレタイを覆すようでなんだが
比べられんだろう。
三国志の関羽、張飛、呂布に限らず
その時代を代表するような豪傑は必ず何人かはいる。
それを三国時代の三者のみを特別視扱いするのは俺も気が引けるな。
正直、俺は中国史の人物で関羽は1〜2を争うほど大好きな英雄だが
豪傑としての武威よりも、その忠義双全な人柄に惹かれている。
関帝が武財神(武によって財産を守る神)としても有名なのはその清廉な
人柄からもきてるものだろう。
>>忠義双全な人柄に惹かれている
酷な言い方すると、その辺が尉遅恭や秦瓊などとの差かな。
岳飛は民族問題でえらい冷めた方向にいってるから、今は評価も価値も低いようになってるが
また再燃するときもあるかもしれない。
たしかに、知名度において関羽は、三国志という物語の媒体のおかげもあってダントツではある。
あるが、それが豪傑ということとは関係ない。
関羽も一時代を代表するレベルの豪傑だよ。
そこはしっかりと認めましょうやw
ただ、他時代の豪傑同士の比べあいをしても
どこに優劣の差があるのかさっぱり分からない。
って言いたかったんだけどね。
徐行やちょううんすら歯が立たなかった人を瞬殺して呂布に「とんでもないやつに出会ってしまった」と汗だらだら流しながら言ってた
>>543 豪傑であることを認めていない人がいるとも思えない。
つまりは、それを認めさせるのに知名度を持ってすることが笑止なだけでしょ。
豪傑の知名度で言うなら、厄払いにされている門神二人のほうが、まだしも説得力があるが
どういうわけか、その手合いはこの話題を出したがらない。
>>他時代の豪傑同士の比べあいをしても
ただ一騎討ちや陣頭での猛威ぶりなら比較はできると思う。
だれそれと一騎討ちして何人倒した、とか、少数で吶喊して大軍を撃破し、何人殺した、とか。
そこで、それは相手が弱かった、とかいう話になるとは思うけどねw
とは言っても、後世の俺達がそれらを知りえるのは
知名度あってこそだからなあ。
尉遅恭や秦瓊は関羽以上の豪傑!
という証拠も逆にどこにもないんだしね。
個人の感覚で推し量るしかないでしょ。
お前さんの尉遅恭や秦瓊への熱い拘りがそのまま
関羽がお気に入りの大勢の人間にもあると思ってくださいな。
熱い思い入れがあるなら必要以上に他を見下す奴をすこしは窘めてはどうか
とは思うが
目糞鼻糞みたいなもんだろ
今度は尉遅恭=秦瓊>関羽
みたいのが現われた
549 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 00:24:36 ID:EKx+9NZn0
何だかんだいって知名度は重要なんだよ
過去にどんな凄い武勇を誇っていようが
後世に伝えられていなければ全く評価できないわけだから
そういう意味で史上最強の候補に関羽があげられるのは当然
個人的には項羽の方が上だと思うけどw
どうも勘違いしているような。
関羽信仰って商売としての知名度が強く、猛将としての知名度はそれより一段さがり、
忠義の人だから人気があって猛将だからというのは、その次の項目。逆ではないと思うぞ。
しかし門神は武勇を恃まれて厄除けにされている、といっている。
>>尉遅恭=秦瓊>関羽
などとは言ってもいない。
中国では、忠義のために死んだ人を古典演義などに登場させ、活躍させる流れが色濃い。
キーワードは忠義や不遇の死などであって、豪傑さはその次になる例が多いのじゃないか?
演義の中ではありえんくらい猛将になって活躍するのもいるが、活躍する=神がかった個人武勇
というのも、演義のパターンとも思えるし。
つまりだ、関羽の豪傑ぶりを示したいなら、後世の知名度は脇に置いておいて、なるだけ実物に
近い考察をしてほしい、ということだ。
三国演義を持ち出すなら、他の時代の英雄も、演義小説で語らなければならない。
でも上でも言ったように、かなりかけ離れた活躍させるのが、演義という読み物だということを念頭に。
つか尉遅恭なんて知らんし。もっとメジャーな奴いないのかよ。
どうせ一騎討ちもなくなった時代で雑魚ばっか相手にしてたんだろ?
だいたいの尉遅すらしらないやつが
「史上」最強の豪傑スレに何のようですか?
尉遅敬徳を知らなくても関雲長なら知っているヘンテコなモグリもいるのか?
な、だから言ったろ。
ただ単に知らんだけなんだって。
556 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 10:35:45 ID:4r12eFUn0
>>549 その掲示板の177番にある関羽のところ、武勇はともかく
信仰や知名度のところは、魅力に組み込んでいるね。
だから、違う人じゃないか?
関羽の武勇が、一時代に冠たりえているのは、史書の示すところだから間違いではない。
また知らん本出しやがってと言われそうだが趙翼の『陔余叢考』に
歴朝の一騎打ちの事例を集めた話があって
広武山の項羽vs劉邦とか尉遅敬徳vs単雄信が入ってる
三国からは呂布vs郭・・・
>>558 今ちょうど上から読み直してみたが、ここまでループしていたとは…
関羽・張飛に匹敵するとされるのは
>>453でも抜き出されているね。
一騎討ちではなく、万人敵とか関張に匹敵するとか、関張以上とかいうやつ。
どうも万人敵が関張だけの称号と思っている手合いもいるようだが、それは完璧誤りですよと。
560 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 14:33:13 ID:wHjkl+T6O
最強はラーメンマンだろ
知名度といい
強さといい完璧
561 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 15:30:38 ID:bQZA1jFU0
実在の人間挙げろよ馬鹿が
562 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 16:26:38 ID:qpgCE79wO
悪来じゃね?
典偉じゃなくて。
別に既出でも何でも好きに書き殴ればいいんだよ。
投下投下ってエロ小説じゃあるまいし。
>>551 関羽は武財神(武によって人々の財産を守る神)としても有名だよ。
そもそも、武廟の筆頭格に名が上がってるのだから間違いなく
武神としての神格も色濃いものを有している。
明清の興亡をかけた戦いでは、明と清の両軍が勝利を関帝に祈るという光景が
当時、中国にキリスト教を伝播させにやってきた宣教師によって目撃されていたそうな。
商売の神というのは、関帝の神格の一部の側面に過ぎない。
史実に置いても、関羽は万人敵だの、国士の風格があるだのと
魏や呉の列伝でも称えられている。
演義では活躍の場が増えただけで、基本的な豪傑としての
ポテンシャルにそこまでの違いが生まれてるとは思えないな。
いい加減死後の神格化とかはウザイ
死後の信仰云々なら、漢族だけでなく日本や半島などでも信仰を集め
関羽など比較にならないくらい身近な存在である
少林拳の祖、達磨大師が最強でも問題ないだろ
(出身はインドだけど尉遅敬徳がありだしね)
566 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 22:00:19 ID:MUfB7xcK0
徐達が出てないのであげとく。
普通は豪傑は粛清されるのに、されなかったのはそれだけの
魅力があったからでしょう。娘は皇后になってるし。
徐達は豪傑じゃなくて名将じゃね?
しかも毒殺されてなかったっけ。
>>565 だるまさんて戦場でなにか功績挙げたのかい?あるなら挙げとくれ。
項羽や関羽みたいな武勇伝あるなら話しは別だが
戦場での武功≠豪傑だと思う
生前の武勇伝ではなく、死後の神格化を拠り所に関羽が一番と言い張る輩に対して、
そんな拠り所なら達磨大師は関羽以上に祀られてるぜ!?という突っ込みが
>>565。
そんな
>>565の文意に対して達磨大師の武勇伝を求める
>>568は、一体どんな頭の構造をしているのでしょう?
単細胞なんだろう
豪傑っぽくていいじゃないか。
あと酒乱なら100点満点だな
関羽の武勇ってのは、結局のところ顔良の一刺しに尽きるのか?
他には?
あと、どういうわけか、一騎討ちがなくなった、とか言ってる手合いもいるようだけど
どのへんの根拠なのか教えて欲しいもんだ。
豪傑スレなんだから
張飛>関羽だと思うんだけどなぁ
個人的には秦明と武松を強く推す
実在しねーけどww
黄飛鴻は?
>>570 待て待てw
>>565が支離滅裂な妄言を抜かしてるじゃないか。
死後の神格化とかウザイ→神格化なら達磨の方が凄くね?
神格化自体にケチつけてるに、結局は達磨大師の神格化を
褒め称えるんだからそりゃあ、生前の豪傑を思わせる武功ってなんなのってなるだろう。
しかし、達磨大師の偉人っぷりを知っておきながら
なんという知識の偏りなんだかなあ・・・。
関羽も日本においてはかなり身近だぞ。
中国では戦時の絶えなかった時代には武神としての神格の方が重要視されたが
今では商売の神という時代を反映した平時の神格として日本の中華料理店でも
よく掛け軸などで見かける。
なによりも三国志でトップクラスの知名度を誇り、関羽を祭った関帝廟も今では
かなり有名。
576が570の言ってることをこれっぽっちも分かってなさそうな気がするのは
俺だけなんだろうな
つまり、関帝以上に達磨大師が祀られてるっていいたいんだな。
・・・さすがにそれはないな。
おれだってそう思うが、この手合いはもう他人から教えられることがいやでしょうがないんだろう。
580 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 20:19:27 ID:vzFqy2Jj0
スレ違いですが・・・
毒ギョーザも大問題だが、古賀誠の推進する
人権擁護法案が、通過したら、中国人犯罪や、北朝鮮の拉致問題を批判した
だけで、捜査令状なしで、逮捕されるぞ。
581 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 20:23:42 ID:lyjcqWFdO
このままネタスレにするか
厳密なルールを決めて改めてやり直すか、どっちにする?
なるほどね。
それなら、普通に関羽を三国時代を代表する豪傑の1人として
認めればいいんじゃないのか?
中国史上で最強の豪傑にノミネートされるほどの存在として十分な存在でしょ。
演義で必要過度に武勇がボリュームアップされたようには思えないぞ。
そもそも、演義を軽視すること自体も異様なことなんだけどね。
656だけど
本気で達磨さんを豪傑最強と推薦したと解釈する人がいて、非常に驚いている。
間違えた565だったw
あと、敢えて言っておきますが、自分は人間関羽を豪傑と思ってる。
顔良討ったり、曹操から劉備の元に帰還したり、矢を頭に食らって無事だったり、
武勇があって常識はずれな行動が豪傑と呼ぶに相応しいとね。
>>582 そうか。なら、他の時代ものきなみ演義から出すとしますか。
っつても、あんまり知らんけどw
日本語で読めるのは、封神演義、水滸伝、岳飛伝(厳密には違うけどいいでしょう)、隋唐演義
あとなんかある?楊家将演義もサイトから読める。唐末五代史演義伝もあるにはある。
東漢開国演義、飛龍伝あたりもあればいいけど、わからんな。
>>583 伝説、講談含むなら少林拳法の開祖だから一気に躍り出るぞ
588 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 20:45:35 ID:lyjcqWFdO
関羽は豪傑だが
その評価に死後の神格化や知名度を含めて語るのか?
て事で出たのが達磨なんだが何かとてつもない誤解をされてる人がいるよな。
>>583 俺は意表を突かれて、大笑いさせてもらったけどね。
嫌味ではない皮肉としては傑作だと思った。
皮肉だと解ってない人もいるが。
だから演義、伝説を含めて話すればいいんでしょ。
魔法使う豪傑もいるが、この際対象内でしょ。
関羽で一番豪傑らしいエピといえば、
肘あたりに負った矢傷の治療で、痛み止め無しで平然と切開させたことじゃないかなーとオモ。
やせ我慢だとしても、半端じゃない。
唐末に李嗣昭って人がいて、城が重囲に陥って士気が低下してたんだけど
それを敵に悟らせないために、城壁上でわざと宴楽を張ってみせた。
そこに敵から矢を射掛けられ、大した被害はなかったけど、一本が李嗣昭の足に
あたっていた。李嗣昭は顔に出さず密かに抜いたので、まわりの人らは全然気づかなかった。
その後も城壁で宴会を続けたもんだから、味方の士気は上がったそうな。
こういうのも、豪傑になるんじゃないの?
また、この人はあるいくさで戦死あうることになるんだけど、敵兵の矢を頭に受けて
その矢を引き抜いて敵に射返したという怪物。
その日の夜には、さすがに出血多量で死んだんだけど。
593 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 22:02:43 ID:vzFqy2Jj0
>>590 いいな、ソレw
規定の枠組みを外したぶっとんだスレにしてしまうのも
面白いかもしれない!
史実だけに拘ったガチガチの殺伐した雰囲気とか
もうお腹一杯だしな。
しかし、そうなると究極的には三清まで行き着くな。
果たして「豪傑」と呼ぶかどうかにもよるがw
>>329 俺もレンコンが苦手。ザクザクって歯ごたえが何か気持ち悪いんだよね。
>>594 >>規定の枠組みを外したぶっとんだスレにしてしまうのも
じゃあ、関羽の死後の神格化や、演義偏重が「ぶっとんだ」ものだって認識はあったんだ?
はっきりって、演義なんてぶっとんでいるって読めば理解できるのに、それを重視するってのは
マンガやアニメ、はては映画の話をもってくるのと同じと、なぜ気づかないのか。
いや、そもそも「中国史」カテゴリーのマンガやアニメや映画の話もしたい、というなら乗るけどさ。
じゃあ二郎真君
598 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 08:57:26 ID:Wf7Zm+UpO
じゃあ烈海王
スタンド呼び出した時点で角より強いはず
関羽か項羽以外ありえんな。ダルマなんて戦場で何ができるのよ
>>596 まあ、そう必死なるなよ。
史実しか認めないってのは見識が狭まるよ。
史実も所詮は作り物。
まずはそこを理解しないとな。
しかし武神もありなら真武玄天上帝、中壇元帥、斉天大聖も
ノミネート可能だな!
601 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 10:46:51 ID:TS7up8J0O
でも実は周通さんだよ。
ついに小覇王がきたか。
それは俺も出そうかと思ってたんだよ。
でも、周通さんは存在が大きすぎて
少し敬遠してたんだ、やはり出さないといけない人だよな。
豪傑の定義って何だ?
戦場での武功=名将猛将
エピソード重視=豪傑ていうイメージがあるんだが
>>600 誰が史実しか認めないなんか言ったよ?ちゃんと読めてますか?
演義の話は好きだが、それを正史とごちゃ混ぜにしちゃいけんと言っている。
そもそも演義読めばわかることじゃないか、やれ北からは赤の軍装に身を包み…南からは白の(ry
陣鼓をひとつ打ち鳴らせば、わっと出てきますは〜の好漢(ry
こんなんばっか。
のりは好きだから、演義とかの話はするよ。
>>603 英雄とごっちゃになりそうだけど、酒豪、豪胆ってのもその定義にかなうかと。
令孤冲みたいに酒ばっか飲んでるのもおkでしょ。
605 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 13:11:46 ID:xnPuVAKT0
606 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 19:58:53 ID:wV72u/QD0
『皆さんの力を貸してください』
皆さんの知らない間に、『人権擁護法案』という危険な法案が国会を通過しそうになっています。
この法案が成立すると
・政治や宗教や社会問題への何気ない疑問
・外国人参政権への反対意見
・コミックマーケットに出す同人誌
・2ちゃんやmixi、ニコニコ動画等への書き込み
が人権侵害だと訴えられる可能性が大きく、日本人の自由な言論・表現が抑圧・弾圧されます。
もし人権委員会に差別と判断されたら令状なしで出頭や罰金を命じられたり、家宅捜索及び
物品押収されます。最悪の場合「氏名等を含む個人名の公表」される場合まであります。
この危険な法案が3月15日に再審議され結果次第では近日成立してしまう可能性があります!!
4分で見る人権擁護法案の危険性〜廃案への戦火〜
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2518752 この動画を見て法案に反対される方は、人権擁護法案反対要請書の送付をお願いします。
期限は『3/10(月)』までです。メールで要請書を送付すれば今からでも十分間に合います。
どうか皆さんの力を貸してください、協力よろしくお願いします。
要請書の書き方はこちら(テンプレに署名してメールで送信するだけです3分でかけます)
http://money6.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1204917341
607 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 22:21:56 ID:2C15jS9T0
曹豹じゃまいか?
>>604 じゃあ、演義メインでいいじゃん
もう史実ではどうのこうのとか堅苦しい事がいいっこなしと
いうことで
講談伝説OKなら達磨だな
長江を葉っぱ一枚に乗って渡ってくるなんてスケールがでけえ
李世民と十三棍僧
611 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 08:32:09 ID:TEqGpH9r0
7000万人殺した毛沢東に1票
>>609 得道した神仙と同じような感覚だなw
鐘離権や呂洞賓、張道陵などと戦いあったらDBみたいな超人バトルを
繰り広げてくれそう。
神話までオーケーになったら、太陽を射落としたゲイとか黄帝と争ったシユウになっちまわないか
李通を挙げとく
615 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 15:17:11 ID:n9066+Ki0
やっぱ尉遅敬徳が最強
>>613 玄天上帝、関帝、中壇元帥、斉天大聖は
その更に上をいくので問題は無いw
617 :
非常事態宣言:2008/03/09(日) 19:40:22 ID:hn8coFsr0
618 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 20:29:12 ID:EYP4hGRo0
天洋食品の社長
>>616 斉天大聖をあっさり鎮めたお釈迦様・・
斉天大聖が何度も助けを求めた観世音菩薩・・
斉天大聖も頭の上がらない太上老君・・
>>619 そこらへんは頂点クラス
となると、やはり究極的には三清に行き付くのか。
621 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 12:33:57 ID:71EN2LLP0
豪傑で三皇とかその辺の神を上げるなら違うスレ立てたほうが良くないか?
622 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 12:35:51 ID:r9v/zzzs0
俺かも…
625 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/17(月) 23:25:59 ID:j2AjMZP40
宇宙大将軍の侯景様が最強に決まってるだろ
626 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/18(火) 10:31:31 ID:YsYjHtvU0
とりあえず周通さんは除外な。
格が違いすぎるから。
627 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/18(火) 21:03:41 ID:lTWVAVeV0
刘邦
大体、”小覇王”という通り名からして、
”覇王”項羽に劣るというわけだ。
最強ではありえない。
629 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/19(水) 18:56:23 ID:dskAG7fH0
分かってない奴だな
周通さんほどの大物が「小覇王」なんだぞ?
項羽如きが「覇王」を名乗るなんぞ滑稽にもほどがあるじゃないか。
そういう皮肉もこめて小覇王なのさ、周通さんは。
630 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/19(水) 20:00:38 ID:RAnwcliBO
>>629 気持ちはわかるけど、周通さんは照れ屋だから持ち上げられるの好かないよ。
631 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/19(水) 20:49:33 ID:VFSQR1lQO
>625 韋叡や陳慶之は?
チンケ石は宇宙大将軍にレイプされてるじゃん
いや、覇王として大小じゃなくて、覇王が項羽のことだから
項羽のような人って意味で、小覇王なんだよ。
病関索も別に病気した関索レベルとかいう意味じゃないし。
634 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/20(木) 01:02:20 ID:H3m8Sbsr0
3万の軍勢で56万をコテンパンにするのは項羽ぐらいだろうよ。
話変わるけど幻想水滸伝2のルカ・ブライトって項羽がモデルなのかな?
キャラが似てる気がする。
劉秀…
劉秀に豪傑ってイメージは無かったんだが
いや、寡兵で大軍をryの
>>634に対して。
劉秀は豪傑ではなく、剣豪。
>>634のはwikipediaで見たが、劉秀とは真逆な感じだなw
項羽や桀紂の類か
639 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/20(木) 02:56:09 ID:+cxLdkTi0
DQN男の家族消えろ DQN男の親消えろ DQN男の友達消えろ DQN男の親戚消えろ
DQN男の家族消えろ DQN男の親消えろ DQN男の友達消えろ DQN男の親戚消えろ
DQN男の家族消えろ DQN男の親消えろ DQN男の友達消えろ DQN男の親戚消えろ
DQN男の家族消えろ DQN男の親消えろ DQN男の友達消えろ DQN男の親戚消えろ
何故周通がネタになっているのか?
名前負けキャラなら、梁山泊には他にいくらでもいるだろうに。
関羽
どうせ昔の豪傑なんて
現代の格闘家くずれにさえ勝てやしないよ
秦の時代は成年男子の平均身長が180を優に超えてた時代だし今の軟弱な書く投下など相手にならん
マジで?それって尺の基準が違うんじゃないの?
>>644 いや、たぶん643は兵馬俑の身長を指してるんじゃないか
そうだとしたら始皇帝の衛兵は優秀な者を抜擢してるから成年男子の平均身長とは言えないが
646 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 19:11:47 ID:Lus6ZP5J0
宇宙大将軍
648 :
張嶷:2008/10/17(金) 11:59:26 ID:Vg6/XfZr0
関羽では兀突骨様には勝てないだろ。演義?
バッキャロー!!実際にこの目で見たんだよ、奴はパねぇ…
俺はうっちーが最強だと思うんだ
だって最強だぜ?運もあって処世術も長けてなきゃダメだろ?
649 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/09(日) 18:27:20 ID:d8gDWHaA0
ジャッキーだろ
651 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/11(火) 08:28:10 ID:FTxHYPNBO
こうう
>>642 まあ体格差があってもただの喧嘩屋がきっちりトレーニングしたヤツに一対一で勝つのはなかなか難しいからな…
653 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 15:47:46 ID:XW4wlZ/s0
>>643 兵馬俑の身長って本当に信頼していいの?
後、尺の基準は確かに良く分からない
三国志の尺だって漢代なのか、あるいは魏、呉、蜀の尺なのか
未だに分かってないんでしょ?
確かなのは項羽の身長184センチだけか
>>653 兵馬俑の身長は信頼できても、それは皇帝直属の選抜エリート兵士(おそらく郎官)の平均身長だということを忘れてはならない
秦の成年男子全体の平均身長とは限らない
655 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 20:39:21 ID:cAF5G0Zm0
>>654 しかも殆どは中国人でなくて東アジアの人なんだよな
だから大きくて当然か。
でも誇張の意味も含めて実際より大きな身長で兵馬俑
作ったとは考えられない?
当時の人骨とかで兵馬俑が等身大って証明できたのかな?
>>655 >中国人でなくて東アジアの人
日本語でおk
関羽推してるヤツって自分の無知をさらけだしてることに気が付かないのかね。
楊大眼に一票。
南宮長万に一票
戦も強かったらしいが捕虜になってりしてる
が、その後がすげえ
捕虜になった事を馬鹿にした君主を双六の盤で撲殺
この南宮万の暴走を知った仇牧は兵を動員して駆けつけたが、南宮万に殴られ、歯が門にめりこみ殺害される
その後なんやかんやで亡命するはめになるが魯から陳におかん乗せた車を自分でひいて1日でつく(間に一国あり)
最期は婦人を使って南宮万を酔わせられ、革に包んで宋へ送り返された。
宋に送られてくると、その怪力で革の袋から手足が出ていたという。
そして塩漬けにされて美味しく頂かれました
ていうか、
項籍=豪傑
豪傑=項籍
だと思うんだが
>>659 完全同意。
気持ちの良い男だし。
匹夫の勇・婦人の仁は突き詰めれば士大夫スタイルではなく任侠スタイルのことだし。
故郷に錦を飾りに行くのも江南出身の部下のためだし。
悪口をこれでもかこれでもかと天下を盗った劉邦陣営に書かれてもその輝きを失わぬ強さよ!
>>660 天下を盗ったのは主君との約束破って秦を下した男を関中に封じず、あまつさえ主君を殺した若者の方なんじゃないのかなあ
662 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/09(月) 21:50:05 ID:hmDDKY/J0
sage
663 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/12(木) 23:31:36 ID:RsUI6wuT0
演義呂布のモデルにもなったと言われる常遇春に一票
実績だけで判断するなら間違いなく項籍
東方不敗に一票
666 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/15(月) 00:52:44 ID:+ZBFKwXk0
項籍
呂布
楊大眼
尉遅恭
のどれかだろ
667 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/15(月) 21:16:47 ID:uQfEBbfjO
項籍が最強だろ
次は楊大眼
こいつらこそ軍神
668 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/16(火) 20:23:50 ID:Uyq1IoqFO
関羽が白馬の戦いで顔良を討ち取ったから曹操が勝てたと思ってない?
勘違いも甚だしいよ。
曹操が勝利することが出来たのは烏倉の兵糧庫を焼き払ったから。
楊大眼ってウィキで確認したが、誰々に勝ったとかそういう系のエピソードってないの?
670 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/17(水) 10:46:16 ID:yXZn1NbhO
伝にはあったと思う
671 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/18(木) 05:05:29 ID:cpzApfkU0
常遇春は流れ矢にあったったまま戦い続けて大勝したり
単騎で元軍に突っ込んで勝利のきっかけをつかんだり
武勇伝が事欠かない
672 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/18(木) 23:40:31 ID:R1bb1pMZO
ゴツ凸骨
673 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/20(土) 17:41:29 ID:64sjpKXRO
やっぱり ラーメンマン
674 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/23(火) 22:06:42 ID:9KrFUSK40
項羽は背水の陣とホウ城のと最期ので理不尽なほど強いなあ
でもメジャーでの松井を見たあと王の日本記録を見るとホームラン世界記録の本性が見えてくるから、
粉飾補正がものすごいのかも試練
昔なら昔なほど
大袈裟に記述してあるような印象
神格化して誰も汚せなくなってる
白起だろ
677 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/08(土) 23:29:25 ID:DySP+SHr0
武勇伝だけで単純に判断するなら項籍最強だなと思う
・一日計60人以上の武将と戦い、圧倒的な強さで撃退
・8人の武将と同時に戦って互角
・28騎で数万の敵に3回突撃、死者二名
・一騎討ちで互角に戦えた武将が一人もいなかった
コーエーのSLG的数値にすれば呂布を100としても120くらいはありそう
678 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/09(日) 02:14:45 ID:HMRlDDpn0
ジェットリー
679 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/11(火) 01:45:31 ID:YO7sVPym0
珍 藩爺
680 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/19(土) 21:38:19 ID:RhFS1YJd0
そもそも将軍が戦争上で戦ってたの?中国って。戦乱初期や敗残時ならわかるけど。
孫子の兵法書とか普通に書いてる集団戦上等の場所で戦ったのか微妙なんだが。
殺した数なら白起じゃね?
いまいち意味がわからん。
英布とかも候補になるのか
秦叔宝
と言いたい所だが、尉遅敬徳には一歩譲るか…
項羽
良いところも悪いところも含めて「豪傑」に相応しい
当代一の美人を侍らして、自称が「覇王」
人生に華がありすぎるよ この人は
志半ばで死んだことも、この人の豪傑らしさを際立たせるしね(逃げ延びる可能性があったのに潔く自刎だし)
中華の神様に豪傑として生きることを命ぜられ、豪傑として天に帰った男
685 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/07(土) 18:44:15 ID:opMeM8Ti0
ghilhuio;pio
>>684 玉帝「彼には天界でのポストなんか与えてないよ?」
呂尚 楽毅 孫武 孫ビン 白起 項羽 韓信 馮異 孔明 呂布 関羽
とりあえず比較的有名なチート級をまとめてみた。
こん中の誰かじゃないだろうか?
チートでもなんでもないけどね。
項羽と呂布、関羽以外は「豪傑」という感じじゃないな
ただの名将じゃん
項羽と呂布、関羽以外って誰?
?
結論:項羽
豪傑無双をコーエーが作ればいいんだよ。
三国時代から呂布、関羽、張飛くらいしかノミネートされない
くらいの公平な目線で全時代からの豪傑を集めた無双
なに?売れない?
そうか、そうか。
とりあえずファンが多いのは項羽と関羽であることはよく分かったよ。
楚漢時代の横綱=項羽
三国時代の横綱=関羽
これでいいじゃない、もう。
そうだな
まずそれは決定事項ということで、以降は話題に出すの禁止な
他の時代の代表を決めるまではとりあえずそういうことにしておこう
それじゃあまずは
春秋戦国、秦、前漢、六朝時代あたりからで盛り上がってみますかい?
現代はヒョードル
南北朝 蘭陵王
隋 張須陀
唐 李靖 秦淑宝 尉遅敬徳
宋 岳飛 韓世忠
明 鄭成功
李靖は指揮官としては超一流だと思うけど
豪傑ってイメージはないな
五胡十六国から、冉閔と慕容恪
項羽に匹敵できるとしたらこいつらくらいしか思いつかん。
南北朝なら劉裕一択
生き様がロック過ぎる。
大昔の話は大抵異常な脚色入ってる
703 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/14(木) 04:15:49 ID:PRzfMJoX0
項羽がヤバイのは負け犬の癖に武勇の伝説が半端じゃないところだな
勝ち組建国者の元で活躍したとかいう誇張されまくってそうな話より凄みを感じる
でも、項羽って後世史書からの触れ込みってからっきしじゃなかったっけ?
シバセンはコウウ大好き
706 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/24(日) 10:49:16 ID:ppnQ24NH0
司馬遷ってチンコ切断された糞害児だからな
そんな奴の言うことなんて信用できないよw
ウッチ系徳が最強に決まってる
春秋時代 南宮長万、専諸、慶忌、要離、予譲
戦国時代 聶政、任鄙、烏獲
漢代 李広
魏晋南北朝時代 楊大眼
708 :
113.107.72.154 113.107.72.154 :2010/01/25(月) 11:44:52 ID:HzZ+Mlvr0
个人觉得是曹操
光栄のせいで呂布が有名になりすぎてるから項籍も出せ
710 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/26(火) 17:49:39 ID:B9bJITIV0
>>709 光栄的には項籍が中国史上最強武将らしいが
>>707 楊大眼は猛将としてよく名前が挙がるが、実績とかって微妙じゃねえか?
武勇はとりあえず凄いけど、戦果に直結してねえし。
魏晋南北朝だと、冉閔大先生の一月に三回暗殺未遂に遭った上に
これを全部退けた強運+武勇がトップクラスだろう。
1,000騎で70,000の大軍に突っ込んで撃破するのは、やりすぎだわ。
まあ、大先生の場合は勝つには勝ったけど、最後に負けて全部水泡に帰したけどさ。
そういう意味では、項羽タイプか。
項羽は単なる豪傑というか統率力も神って感じ
兵法にも無知ではないだろうし
714 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/28(木) 10:56:22 ID:Sf/n8jI00
>>382 あるあるww
中途半端に詳しくなると三国時代とか楚漢戦争の人物を否定したくなるよなw
中二病ってヤツだけど
三国時代の横綱は関羽、張飛
しかしそれ以上でもそれ以下でもない
こんな形で終結してたと思うけど?
公孫勝
素人、初心者でも知ってるくらいの知名度と伝説が重要
項羽、関羽、張飛圧倒的有利w
項羽換羽町費リョフ合体させれば最強じゃね?
>>719 邪教オヤジ「残念だが、このスレのレベルでは手に負えぬようだ・・・」
>>719 五十歩行かないうちにマグネタイトが尽きそうだ・・・
>>716 それがありならチート猿の孫悟空もエントリー可能になっちまうw
foolって種族的に大当たりじゃねえか
725 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/26(金) 05:50:12 ID:t8ou/0qn0
項羽単体のが強いから合体させる意味なし
726 :
月孔雀:2010/02/26(金) 06:59:03 ID:eY7XBbPy0
項羽=誰だったかな、三国志の強い奴。
名前、変えられてるし・・・
>>725 更に凄い孫悟空を作るための素材として価値アリ
お前ら合体ってバカかw
男は総じてバカなんだよ。
いつも「超級合体!」とかそんな感じのことを考えてる。
もしくは一言、二言目には「最強」の連呼に拘る
それが単純な男の思考
何言ってんだ?
732 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/08(月) 12:10:17 ID:0lRS7k3oO
チンギスハンだろ常識的に考えて・・・
733 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/08(月) 12:22:21 ID:4eWyGRTX0
チンギスは豪傑というより軍政家って感じだな
734 :
月孔雀:2010/03/08(月) 17:48:52 ID:ujUR+OhA0
モンゴル帝国は、中国では、ありません。
遊牧民の帝国です。
735 :
月孔雀:2010/03/10(水) 18:07:40 ID:YbKyA/YP0
カンウは、所詮、子分が二人必要なのね。
ホウセンは、一人で戦ってましたが?
子分いないと戦えないカンウ。
737 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/13(土) 08:19:20 ID:yKAGMZje0
関羽マンセー
738 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/24(水) 22:55:54 ID:D6V2g/Bj0
項羽と呂布?三国無双 MR2 www~
739 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/25(木) 22:57:44 ID:SfMJRZjk0
項羽最強 韓信軍30万vs項羽軍10万 戦の天才、韓信の勝利!はしょうがないとして、、、、
劉邦軍56万vs項羽軍3万で項羽は「敵は大軍だから油断してるに違いない。だから夜襲をかけてみよう」
と言い、本当に夜襲が成功して56万の軍勢をけちらしたから凄い!さらに、、、
秦軍20万vs項羽軍3万 この戦いで項羽は兵士らに「3日で決着を付けよ」と言う事で
兵糧を船に沈めさせ、命がけで戦わせるように仕向けたのである。このおかげにより項羽軍は泰軍20万程度
を生け捕り、生き埋めにしたとされる。項羽ならではの戦術の豪快さが伺える。
こうしてみると戦に関しては項羽を越えるものはいないと言う位の実績を残しているから、最強の悪大豪傑だと思いマッスル。
740 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/25(木) 23:08:09 ID:SfMJRZjk0
項羽=呂布 劉邦=劉備 張良=じゅんいく 韓信=諸葛亮
こんな漢字だろうw
てか他の時代の英雄は李広ぐらいしか知らないが、何をしたのか、どのような人物かを
分かりやすく教えてクレープ
741 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/25(木) 23:29:40 ID:SfMJRZjk0
周の文王 あぁあの人こっち振り向いてくれないかな?あっいやいやこの天下の3分の2
を治めているこのわしがそのような器量ではいけない。あっいやいやここはじっくり待って
相手の誠意を待つといたそう。
たいきみぼう ん、ここに来たと言うのは幕下に迎えようとしに着たに違いない。ここは様子
を見てどれだけの誠意を持ってきたかを試すといたそう。
そして8時間後ーーーーーーーーーーー
たいきみぼう なに、まだあのお方がおられるとは、、、、よほどの忠義があっての事と見た。
ここはわたしも忠義の心を示さねば、、、、。
周の文王 これだけ待っても何も起きぬとは、、、。よし今日はこのまま帰るとするか。と言った瞬間!
たいきみぼう あの、、、朝から長い間顔も見ず、失礼いたしました。
周の文王 私のほうこそ、長い間後ろに立っていてすみませんでした。
、
たいきみぼう で、お名前は?
周の文王 周の文王です。
たいきみぼう え?あの天下の3分の2を得たあの周の文王ですか!
周の文王 はい
たいきみぼう これは失礼いたしました。
周の文王 今日ここに来たのは、あなたを幕下に迎えようと思いましてな?
たいきみぼう えっ?それがしを!
周の文王 はい
たいきみぼう 王の力には及ばぬかもしれませぬが、仕える事ができれば幸いです。
周の文王 いやこれで天下統一の夢も一段と高くなったぞ
周の文王とたいきみぼうの物語 でした!
742 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/27(土) 00:24:08 ID:o5ldb1MT0
武聖人の関羽
>>740 呂布 = 鷹とエキノコックスの混ざった名馬好きで北国産の項羽
劉備 = 体に黒子が無く人の忠告を無視する親族に縁の薄い劉邦
じゅんいく = 俗世間に流される始皇帝暗殺できない子沢山の張良
諸葛亮 = 見かけは立派だが糞勤勉家で股潜れない博打下手の韓信
といったところ。どれも楚漢時代からみると小物感が漂うような。
744 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/27(土) 02:22:13 ID:3iz6aFCX0
>始皇帝暗殺できない
いや張良も暗殺失敗してるんだが
>>743 諸葛亮は後の魏晋南北朝時代のメインストリームたる「武闘派宰相」を形成した
功績があるからな。
こいつがいなかったら、王猛のような人物が政権内で重きを置かれるようなことは
なかったかもしれないんだよ。
諸葛亮も関羽や張飛と同じで
古代の誰かに例えられた、ではなく
自身の名が後世の傑物に例えられるタイプの人物だな
747 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/03(土) 19:20:23 ID:qw8tf7GRP
呂布
749 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/06(木) 16:26:52 ID:xcPQFvF60
呂布って日本じゃ三国志の創作物が多数あるから過大評価されているっぽい。
他の三国志メンバーも同様で。
南宋の李顕忠みたいな化け物に比べられないだろう。
りょふもばけもの
>>749 関羽は中国では武人のトップの武聖だぜ?
日本の評価などまだまだ甘い。
それは信仰
関帝はそりゃ凄いけど
関羽自体は三国時代のトップ〜トップクラス程度だろう
754 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/07(金) 11:45:04 ID:02nzsEP70
中国でトップは岳飛でしょ。
韓世忠とか、南宋時代は化け物揃い。
一桁、二桁少ない兵数で、当時最盛期だった金軍相手に何度も勝利している。
755 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/07(金) 15:39:42 ID:3s8R2LM30
そういう記述を見ると中国の兵隊は
雑魚ばっかというのは過小評価に思えるよね
指揮官がまともならまとも
中国に限らず、普遍的に人間の集団はトップ次第じゃないかね。
一頭のライオンに率いられた羊千匹は、一頭の羊に率いられたライオン千匹に勝つ、だったかな?
>>752 スレタイ自体が何を基準にしてるのかも分からないんだし
信仰に至るまでの伝説的武勇の持ち主ってのも十分に評価に値すると思うよ。
現実に中国では関羽は武人のトップで
中国の武人の代表格的存在にまでなったんだから。
それに此処は史実での功績オンリーってわけでもないんでしょ?
関羽は中国では武人のトップの武聖だぜ?
日本の信仰などまだまだ甘い。
といえば問題ない。
>>757 じゃあそれで
歴史枠:
宗教史枠:関帝
歴史枠は難航しそうだな。
武人というより、約束を守った逸話から転じて商売の神様の面のほうが大きいんだけどね。
歴史的にも、軍人より商人に信仰されたわけで。>関羽
関羽がそれだけの人間だった可能性は否定する気にはならないけど
蜀書では実態がぼんやりとしか分からないよ
歴史枠は項羽で決まりでは
他にあれほどの武勇伝を持ってる人いるの?
門神になった尉遅敬徳とか
>>761 商売の神としての役割は比較的新しく付加されたものだよ。
華僑人の海外移住に伴って本格的に信頼に厚くおける英雄として
関羽のそれまであった神格の一部に加えられたもの。
元々は武神として広く信仰されていて、それこそ上で出ていた
武聖なんて称号もまた武人としての関羽を称えたもの。
歴史的には明清の戦いのおり、両国共に関羽の加護を願って戦い
勝利した清軍は関羽の加護によって明に勝利した信じていた。
現在でも香港警察は旧正月や新人が入ってきたときには強い男になれるようにと
自分や新米にもその精神をも叩き込んでいる。
案外、関羽の神としての出発点は武神であった事って知られていないのかな?
仏教サイドからも見れば、仏教の伽藍菩薩としての始まりの方が早いけどね。
宗教や民間伝承方面では間違いなく関羽が最強の豪傑だろうな。
例え死しても神として高座に居座り、かつては敗れた孫悟空をも上回る位置に
現在では登りつめている。
関羽が宗教や各種民間方面から今後も末永く尊崇されていくであろうことも踏まえると
関羽はその方面からの評価基準だとぶっちぎりすら思える。
ただ、この手の事は一切、史実における関羽像とは無縁のものだけどね。
きっかけであった当代の史実でも後世でも語り草となるほどの
そりゃあ物凄い豪傑ではあったけども、それが自身の功績に直結しなかったのも事実。
個人の能力によって立てた功績の比重を重く見る(はずだよね?歴史枠の場合は)歴史からの
評価となると関羽は中国歴代で恐らく80〜100番代くらいに付けてるくらいでしかないかも。
あ、豪傑の話だったね、すまない。
だとすれば関羽は歴史枠で8〜15番代くらいだと思う。
三国志の範囲だけでも関羽一番は微妙
歴史枠では30位くらいに入ればいいとこだろう
ただ史記の範囲には項羽以外大した豪傑はいなかった記憶がある
怪力:烏獲、任鄙、孟説
豪胆:慶忌、孟賁、夏育
絶倫:申包胥、劉勝
巨根:嫪アイ
俊足:楊大眼
肉弾戦:李書文、郭雲深
白兵戦:楊大眼、尉遅敬徳
射撃:后羿、養由基、李広
馬車:王良、造父
>>769 このスレは「豪傑」評価だから、優れた武勇、忠義、君主との個人的な信頼の厚さ、
剛毅(傲慢)さ、性格的欠点から来る敗死まで備えている関羽は、三国志中屈指かトップの「豪傑」と言っていいと思うよ。
だからこそ後代まで語り継がれて様々な民間伝承が作られた。
「名将」ランクなら大分下がるけど。
逆に呂布なんかは、武勇は申し分ないが、優柔不断だったり冷静な戦略眼を持つ面があって「豪傑」というにはちょっと欠ける。
まぁ信仰される武人ってことならものすごく曖昧だけどねあっちも。
劉猛将軍なんていう元になった人物がだれかさえはっきりしない武神も信仰されたし。ついでに蝗避けの神様としても。
史実・史書に明らかな実績でみるべきじゃないのかね。
んな宗教要素加えたらどれだけ優秀でも神様扱いされてなければ……となっちゃう。
敗北して死亡した武人崇めるのってげんが悪い気がするんだが>関羽
>>772 信仰の度合が桁違いなのよね。
関羽は「武聖」すなわち中国歴代武人のトップとして祀られてるんだよ。
確かに素性の分からない人物が神様になってるのも道教の特徴だけども
関羽は上から数えた方が早い位の位置に居る。
それにこの点は関羽以外、中国歴史上どの人物も該当しない関羽のみの特徴。
岳飛も関岳廟においては関羽と同位の筆頭武神の座にあるけども
関羽には、関羽を主神として祭った有名な廟も多い。
ただ単に神になった程度でしかないのなら、見るべき特徴とも呼べないだろうけどね。
オンリーワンな特徴なら認めるべき部分もあるかと思う。
個人的には上のほうで書かれてた歴史枠、宗教枠(民間も入るかな?)に
区分けしてみるのもいいんじゃないかと。
アバウトに最強の豪傑としか書かれていないと
中国文化のありとあらゆる部分を含むはずなので
史実限定で語るだけでもないと思う。
>>773 悲劇的な最期だからこそ注目されて人気が出るし、神にもなれるし
説話や神話で話を膨らませる余地もある。東西問わずどこでもそうじゃない。
李牧、白起、項羽、韓信、周亜父、関羽、楊業、岳飛
張飛も悲劇といえば悲劇だな
どう見ても自業自得にしか見えないものって悲劇って言うの?
悲劇として大勢の人の心をうつ人物として語れるか
自業自得と詰られて笑い者にされるか
多くの民意が決める事だろうね、それは。
個人的見解のみでは大局的見方において
悲劇か、自業自得かは決められないと思う。
自分の性格的欠点から死を招くというのがまた
民間伝承受けしやすい「豪傑」の特徴だったりする。
だから張飛に酒乱癖の設定がついて、
演義以前の三国講談では主役級の無双乱舞してたりするわけだ。
実像がたいしたこと無いから、いろいろ付け加える余地があったんだろうな関羽は。
唐の郭子儀みたいに、軍政で成果を上げて富豪になり、皇帝にも徹底的に信頼されて円満に一生終えました、じゃ付け加えようがないw
まぁ史実とは無関係な部分でもありだ、とするとそれこそ妄想だけでできた超人がトップとかなっちゃわないか。
架空の奇書の英雄とか。
>>780 関羽の実像が大したことないとか、本当に史実読んでるのかと。
六朝時代〜隋代あたりにかけては三国時代で最も評価された豪傑だぞ?
性格的欠点が慕われる、って言ってもなあ
子供を癇癪起こして衝動的に殺害するするような李逵が豪傑として慕われてるわけだから、
正直我々の感覚では理解し難いと思う
あっちは“赤ちゃんスープ”が珍味として有難がられてるような国なんだぜ?
史書や史料からの実績吟味なら、そういう思想的な解釈の相違で混乱する事は無いと思うんだ
>>780 孫悟空がまさにそうだろ。
>>781 それなら別に解釈によって大きく左右される偶像や神性観念に頼らんでも、
普通に史書の内容から吟味したって差し支えないんじゃないか?
関張に比された六朝時代の豪傑ってちょっとアレな性格だったり、末路だったりするから
そういう認識なのかもw
・顔良斬り
・悠々と敵陣突破
・矢が中っても不死身
・治療焼肉
が関羽のエピソードかな
そもそも豪傑ってそういうものなんだろう。
剛毅、傲慢の類は当たり前。
自身が自他ともに認めるツワモノなんですぐに舞い上がる。
当代一とも噂されれば更に隙が生まれるほどにのぼせ上がる。
しかし、一人の男としては常に崇敬の的となる
シンプルでわかり易い強さの象徴になっている。
その手の性格的欠点は寧ろ、豪傑の証とも思える気がする。
ツハモノがキレモノとは限らないってことだな
個人的にはそういうタイプに向ける感情は畏怖、警戒、恐怖とかだけど
まあ、いかついプロレスラーとか道端で見かけたら一般人はそんな感情しか抱かないよな。
そんなもんだろう。
ようするにDQNカッケーって中二思考の延長戦だよね
ざっくばらんに言っちゃうと
もしくはヤクザの任侠
好漢文学が隆盛するのは、太平の、腐敗しがちな官僚社会を覆すカウンターとして造形されるからだろ。
直情的な乱暴者で酒癖が悪いが義に厚い民衆の味方というのが典型。
督郵を鞭打つ役割を劉備から奪ってしまった張飛とか明白じゃないか。
791 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/11(火) 11:15:40 ID:FRG8SLAF0
一番フィクションで膨らまされた豪傑っていうと、南宋の牛コウだろうなぁ。岳飛への同情点受け皿だろうけど。
史書で確認できる実績でいえば、それこそ関羽なんぞ相手にもならん当時の名将らが総がかりで五分に持ち込むのがせいぜいだった金軍に勝っちゃったことにされたw
お決まりの愛すべき酒乱豪傑属性付与までされて。
>>791 意地でも関羽を小さく見ようとするその性癖はなんとかならんのか?
春秋:
戦国:
楚:項羽
前漢:李広
後漢:
三国:
五胡:
南北朝:楊大眼
隋:
唐:尉遅敬徳
五代:
宋:岳飛
元:
明:
清:
で各時代一人ずつ候補を挙げて比較
春秋:
戦国:
楚:項羽
前漢:李広
後漢:呂布
三国:関羽
五胡:冉閔
南北朝:楊大眼
隋:楊玄感
唐:尉遅敬徳
五代:
宋:岳飛
元:
明:常遇春
清:李書文
色々、言いたいこともあるだろうし、ガンガンたたき台にしておくれ。
後漢と三国分けるなら
関羽は後漢じゃないのか
蜀志に載ってるから三国
判断は仕えた国が基本
三国は丁奉もありかな
案の定、三国で難航w
後漢代表が呂布なのがちょっと哀しいというか
天下統一した劉秀軍団に豪傑は居ないのかって気分になるなぁ
陳俊とかどうだろう。わざわざ馬から下りて短剣で賊切りまくって
8qも走って頭目切るとか中々怖いと思うんだけどw
あと銚期も巨人で一括で人を散らすとかいかにも豪傑だし
戦場でも斬りまくってるからいいと思う
エピソード的には「食事の後に戦うより戦ってから食事にしましょう」
っていって旗を掲げて敵に突っ込んで総崩れにした剛侯・賈復なんかもいるしな
でもトップの人柄が出るというか、なんというか
劉秀軍団って揃いも揃って人間が綺麗なんだよなw
上で言われている高慢さとか粗暴さ、そういう部分が無いっていうか
「盗賊にはなるなよ(笑)」と劉秀に言われた馬武ですら、基本は謙虚だし
ブチギレキャラなら祭遵もいるけど品性高潔な方に突っ走ってるし
>>792 意地も何も、正史等まともな史料から確認できる関羽の実績はたいしたことないから。
そっちこそ後世のフィクションまで持ち出して関羽万歳する理由は何なのかな? 関帝信仰?w
後漢代表なら、呉漢だろ。
味方の領土で略奪して反乱引き起こしたりいろいろやばいが、武勲も群を抜く。
単純な名将、というのなら他にもいるが。
三国時代を分ける意味がわかんないなぁ。
一方で統一王朝時代の晋はスルーしているし、北宋南宋もいっしょくただし……。
三国いらなくね? 後漢に含めたほうが。
春秋時代:専諸
戦国時代:聶政
秦〜楚漢:項羽
前漢:李広
後漢:班超
魏晋南北朝:楊大眼
隋:沈光
唐:尉遅敬徳
五代:李存勗
宋:岳飛
元:ココテムル
明:戚継光
清:李書文
五代で豪傑というなら、王彦章か夏魯奇かな。
王彦章はまぁ名将としてもいえるけど、腕力が並外れていたことと
その生き様が、後世の人を感動させている。
「豹は死して皮を留め、人は死して名を留める」
また、非協力的な朝廷のもと、当時昇天の勢いだった李存勗との一進一退を
繰り返し、とうとう讒言で果てるという、非業さもある。
酒豪だったかどうかは知らんw
夏魯奇はまさに個人武勇の塊みたいなやつ。
燕の驍将、単廷珪と元行欽を同時に相手取り、一騎討ちした人。
他には、共回りだけで偵察に赴いた李存勗が、敵軍に包囲されたとき
一人で百人殴り倒して血路を開いた。
そして、王彦章を生捕った。
酒豪かどうかは(ry
>>800 人の話はしっかり見ようよ。
宗教枠の関帝の話はとっくに終わってる。
今度の関羽は、史実関羽の話になってるのよね。
史実の関羽の豪傑気質を語って、後世の作り話云々とか言われてると
さすがにどんな話になってるかちゃんと見て欲しいと願いたいところ。
史実関羽は万衆と著される敵軍の中に突っ込んで行き、
そのまんま敵大将の首を自分の槍で上げてくるほどの猛者。
史実関羽も間違いなく一時代を代表する豪傑でしょ。
そんなとんでもないことやっちゃったから、後世史実では三国時代の豪傑の代表格みたいな事を
書かれたんだし。
実績云々は豪傑としての比べあいにはあまり関係ないんじゃないかな。
人並みはずれた怪力や並外れたタフネス、ハンパない度胸を持ち
その自尊心から唯我独尊に振る舞い、それに見合う個人の膂力を活かしたような
化け物エピソードも保有。
豪傑ってこういう類の人種だと思う。
>>791が比べたのは南宋の「名将」たちだからなあ
豪傑スレでしょ?此処。
戦果や戦術能力では関羽とは比べ物にならない名将達や金軍を、
豪腕で捻じ伏せる存在にされてしまった牛コウさんぱねえっす。
って話だろ? 関羽自身の豪傑度については初めから語られてない。
豪傑関羽を論点に置くなら反応するのがおかしい。
>>804 つ
>>784 既に語られてるじゃないの
しっかり見ておくれ。
それを見て、南宋の人物の方が凄い!ってのも
まあ、それはそれで個人の意見だから別に異論は挟まないけども
関羽の豪傑エピソード自体は既に出てたよ。
呂布は一騎打ちの記述もあるし、自ら黒山に突っ込んでいって首を毎日獲ってきたり、個人の腕力としては申し分ないが
矛を射るとかも史書に載ってるエピソードだしね
ただ彼は豪傑じゃなくてあくまで群雄の一人って感じがするんよ、事績的に
豪傑的な人物と言うと、劉備に従った関羽的な人物の方がしっくりくる
>>806 厨的な過度な賛美は痛いだけ
俺も三国時代の豪傑最右翼は関羽でいいとおもうが、実績でいえば関羽より上の人間はいっぱいいる
同時代でも天上人の曹仁、飛将軍の呂布、遼来の逸話になった張遼、別に関羽だけがずば抜けた讃辞を受けていたわけでもない
それ相応の活躍もしている
豪傑で言うなら典韋とかどうだろう
彼も侠気に溢れ、酒や食事は人の倍
呂布と戦った時は曹操を矢の雨から守り切り、宛では身を盾にして主を守り切り、最期まで背後の門を敵に潜らせる事は無かった
立ち往生って死に様も含めて、かなり豪傑的な人物だと思うね。
こういう定義論争は終わらないから個人個人で勝手にやった方がいいぞ
決まらなかったら未定
途中だった
決まらなかったら未定が結論
814 :
809:2010/05/12(水) 23:21:02 ID:XUOKHgVS0
>>814 とりあえずお前はもう来ないでくれると助かる
自分勝手な思い込みが激しすぎて単なる迷惑
>>812の言うようにどこか他のところで存分にやってきてくれ
わざとに火種を投下してるようにしか思えない
名将スレの頃から、おれのレスは関羽に踏み潰される運命にあるようだ
一々コケにしながらマンセーするやり方では荒れるのは必然
ここから出て行かなくてもいいが、そういうやり方は自粛願いたい。
関羽をコケ下ろす奴がいたらマンセーする奴が現われての繰り返しだな
コケおろすというか、史実の関羽で判断すればいーじゃん、というと架空・フィクション関羽を持ち出す奴がいるってだけだからスルーすればいいじゃん。
それはそれでスレタイ嫁って話なんだけな。
史実限定の話なら、そういってもらわんと。
しかも、何故か実績の多可で豪傑の強さを決めようとする妙なやつも出てくるし。
中国史上と付くなら普通史実限定だろ。
理不尽な関羽叩きと同じくらいその拡大解釈はないわ。
実績以外にも性格や気質とかも選考理由に加味して良いと思うが、
そりゃあくまで史料から察せられる性情限定。
青龍刀に赤兎だの、神になっただのはナンセンス。
そうじゃなけりゃ孫悟空が筆頭に来る事になるぞ。
>>821 「中国史史上最強」ではなく
中国史上最強ってことだろ?
言葉の使いようだわな。
初めの方で水滸伝の人物とかも挙げられてるじゃないの。
史実、宗教、民間なんかで区分けして住み分けすればいいと思うよ。
それぞれに最強の豪傑に思う形も、評価の仕方も違うだろうし。
史実限定の形なんて誰が決めたわけでもない。
そうなると宗教、民間では孫悟空とも言いたいが
実は関帝の現在の地位は孫悟空より遥かに上。
玉帝の側近、次期玉帝候補とまでその地位が上がってる。
いわば、民間道教における最高神とまで登りつめている。
>青龍刀に赤兎だの、神になっただのはナンセンス。
こんなこというようだから、宗教、民間目線なんて屁みたいなもんだと
思ってるようだけども自分の思いたい形だけを押し通されてもね。
それぞれの分野から選出する、でいいじゃないの。
>>823 結局ただの関羽マンセーだな
>自分の思いたい形だけを押し通す
まさに関羽賛美に興じたいだけの、お前自身のレスを表してるよ
何が何でも自分本位に解釈して、どうにかして関羽を褒めちぎりたいって言う
>>823 史は歴史。史上は歴史に記録されている範囲内。歴史上。
中国史上も中国史史上も意味に大した差は出来っこない。
どっちもin the histry of China
歴史と小説、宗教の区別をちゃんとつけなきゃマンセーしても何倍ものアンチを生むだけだ
もちろんそれの原因は関羽、関帝にはなく
信者、宣教師にある。
>>824 >>825 言い方が悪かったか、すまん。
文化史というべきだったな。
それなら史に入ってるだろ?
確かに個人的に関羽への好意は存分にあるが
文化史上で語られる場合ならば範疇を超えている賞賛とは思ってないよ。
さすがに道教神学上における絶対の存在である三清よりも関帝は高座に
居るとか根拠のないでまかせ言い出せば酷い限り、となるけども。
認められてる部分を語る部分には悪い事じゃないでしょ?
誤解させてしまって申し訳なかったのが宗教と民間小説の中では
宗教では関羽>孫悟空、だけども民間小説では孫悟空>関羽だった。
関羽は小説世界においては孫悟空に負けてたんだよね。
その後も小説世界においては孫悟空超えを果たしたようなエピソードは
確認できなかった。
ここは本当に俺の知識不足が招いたミスだったよ、すまなかった。
しかし、小説世界では天下無敵とも思える孫悟空だけども、北遊記の主役であり
武神でもある真武大将軍の方が孫悟空より格上かも。
西遊記においては孫悟空がこの神様に援助を求めてるのよね。
ただ、この神様は北遊記では負けて死ぬ事もあり、その度に妙楽天尊という
天尊の助けを借りている。
ちなみにこの小説もに出てくる関帝は真武大将軍の副将となっている。
なので小説世界最強の豪傑は真武大将軍を押したい。
関帝は文化史における宗教面のみでのトップを占める豪傑。
一応、こういう形でも認めてはくれないだろうか?
個人的な意見ばかり通してるとは思うが、広義的な意味合いでこのスレを楽しんでいただけると
俺みたいな変わり者も幸いだ。
上を見たらわかると思うけど、宗教世界での豪傑最筆頭は関羽だろう、って認識はかなり初期からあったんだよ。
でも信仰の世界ではそうだけど史実でみたらもっと候補はたくさんあるよなって、って話で、
その話が出るたびに「史実だけがすべてじゃない、関羽の信仰はこんなにすごい、関羽ばんざい」って関羽マンセーのしやすい話題に戻そうとする奴が居て、その度にいがみ合いになる、といった問題が起こった経緯がある
>>819も言ってるが、史実メインでという発想は話の流れ故に出た基準なんだよ
史実の話は史実の話で、他の豪傑の話はシカトして
>>806みたいな厨二的なマンセーをする奴もいるがな。
とにかく関羽マンセーに執心してる香具師が居て、そのせいで引っ掻き回されていた経緯がこのスレにはあるんだよな
>>565からの流れのマンセーなんかはまさに支離滅裂
そういう意味では
>>827のようにハッキリ「文化史のうち、宗教面限定で」とした上で関羽を持ちあげるケースは比較的健全な関羽ファンと言えるだろう。
まあその辺の流れを鑑みずに自らで
>史実のみなんてだれも決めて無い、自分の思いたい形だけを押し通されてもね。
と発言しておきながら、
後になって自分独自の新解釈で文化史と言う言葉を滑り込ませてくるスケベ根性はどうなのかと思うがな
それ結局、全体の流れを無視しながら詭弁を弄して自分の思いたい形だけを押し通す、最たる例だと思うがな
まあきちんと住み分けしようぜと言ってるID:PymCpMfq0なら、
「死後の神格化最強、史実なんて糞食らえ、達磨や悟空、その他の偶像武神も知ったこっちゃねーよ、とにかく関羽最強マンセー」
とは言わないだろうから、まあこれ以上クダ巻く気は無いけれど。
なんか関羽を嫌いな奴が頑張ってるみたいだね
>>759みたいに
それぞれの分野の枠を決めるんじゃ駄目なの?
楊大眼
・三丈の縄を兜につけて地面に触れないほどの速度で走れた
・楊大眼が来るぞと言えば泣く子も黙った
・六軍に冠すると賞賛された
・関羽、張飛が蘇っても敵わない、と恐れられた
・荊州で虎を殺して蛮族に恐れられた
・重瞳
>>832 すぐに噛み付かないw
人の意見はそれぞれ。でしょ?
>>833 誰も噛みついてなくね?
人の意見はそれぞれって言うが、此処の関羽儲は人の意見ガン無視しまくってるから周りから批判されてるんだけどな。
別に関羽アンチじゃないから、一回流れを見て来てねって話でしょ。
不評を買ってるのはその時々の関羽儲なんだから、本人でも無ければそんな風には思わないはずだけど。
異常すぎ。
指摘されたら、即その人を関羽マンセーと疑うのもどうかと。
なんかアンタ一人で空回りしてるよ?
その人の空回りとか何を言い出すんだ。
関羽儲がただの中国史上での関羽のマンセーをすればいいだけのことだろ。
関羽アンチだって煽って叩いてるのは史上の関羽だ。
もちろん煽り叩きは基本的にやるなとは言ってるが。
中国歴史小説上、中国宗教上、中国神話上での関羽をネタで出すなら兎も角、
マジでそればっかになって議論が複雑化しているのはどう見てもおかしい。
なら、一方通行にしとけばいいんじゃないの?
相手が居なかったら、関羽信者の関羽賛美になるだけで終わるじゃないの。
反応して相手するから関羽塗れな話になるわけで。
>>837 だからそれで荒れてきたのがこのスレだっつの
俺論理のマンセーに賛同を得られなかったら、他の人物を貶すのはおろか、住人まで攻撃するのがここに住み着いてる関羽儲なんだから
いいから、ひとまず上の方見てこい。
それとも、よっぽど相手が悪い事にしたいようだが、空回りだの噛み付いてるだの強引な認定をしてまで上の流れには触れられたくないのか?
なにそのシャドーボクシング
凄いブーメランだ・・・
「関羽」で上から検索したら笑ったw
完全に関羽信者の一方通行にしておけば避けられた流ればかりだなw
関羽信者にやたらちょっかい出してるやつは自分の思う「最強の豪傑」候補は
居ないんだろか?
>>839 もうその辺にしとけよ
あんたは
>>829が言うような関羽アンチでも何でもないだろ?
ならそれでいいじゃん
>なら、一方通行にしとけばいいんじゃないの?
>完全に関羽信者の一方通行にしておけば避けられた流ればかりだなw
それって、「荒らしはスルーで」と同義だと思うんだが、
今後の対応はそれで決定でいいのかね?
>>845 多分、お前が居なくなればここは平和になると思う
>>846 荒らしの温床にしようとしてる奴が何言ってんだよ。
関羽信者=荒らしと認識してしまうならそれはそれでいいけど、荒らしには出ていって欲しいと言うのが本音である。
それが本音かよwww
そうか、相手にするから俺まで被害を蒙るのか。
もうスルーしよう。
火を挟んで油をぶっ掛けあうようなものだな
>なら、一方通行にしとけばいいんじゃないの?
>完全に関羽信者の一方通行にしておけば避けられた流ればかりだなw
>>117とか
>>792とかほかにもたくさんあるが
こういう信者側からの噛み付きはスルーかよ
結局おまえもただの信者だろw
項羽はどう?よく凄い凄い言われてるけど
関羽を挙げている人から、他の候補の名前が聞ければいいのか?
それなら信者ではないと
>>851 あんた一人の責任ではないと少なくとも俺は保証するから
その辺で矛を収めてもらいたい。
>>855 スルー宣言して引っ張るなよ
終わらねーだろ?
スマン、半日立ってもまだ流れが変わってない事が悲しくて。
>>857 散々煽ってた奴が何を今さら言ってるんだか。白々しい。
言っておくけど俺一人ではないからな。ID:TL8MOach0は俺だがそれ以外は別人だ。
不満をそれくらい内包しているという事は理解しておいた方が良い。
ID:yi/udYd40に免じて俺はこれ以上は引っ張らないが、それは言って置きたかった。
>>858 お前も常に一人を相手にしていたと散々に勘違いしてないか?
常時上から目線の傲慢な物言いは見ていて相当腹が立つよ
少なくとも俺はな
信者VSアンチの片割れの分際で、自分は被害者みたいな装いも何様のつもりだと
お前も
>>827みたいに謝罪くらいできんのか?勝手に流れを占有していた癖に今までの事は
悪かったとも少しも思わないのか?
お前も同罪なんだよ
>>859 相手の主張が孤立しているような煽りをしているのはどう見てもその人ではないな。
第一これ以上引っ張らないと言ってる人間に、
追い討ちをかけるようなやり方で謝罪と反省を要求してはならない。
もう信者もアンチも他所も矛を収めろ
いい加減にこの流れは飽きた
間違い
もう信者もアンチも矛を収めろ
いい加減にこの流れは飽きた
>>859 つーか、ID:V4blk7cQ0なんて確認できる範囲でも事実、何度も煽ってるし、信者を批判する方が悪いと意識誘導しようとしておきながら、
比較的冷静なID:yi/udYd40に突っ込まれたら掌返して第三者気取るようなやつだから、文句言われたってしかたねーだろ
まあ文面の品の無さや、当て逃げみてーに撤退宣言出したやつに攻撃加える態度を見るに、あんたも推して知るべきだが。
>>862 豪傑の定義として、
武勇が戦果に直結したかは評価するか、否か、どう思う?
おれは評価するべきだと思うが。
>>863 俺は信者の味方でもアンチの味方でもねえさ
酷いグダグダな煽り合いの中で素直に謝る事が出来た
>>827を評価したかっただけだよ
冷静ってのはその手のヤツの事を言うんだろ?
身勝手で自分の主張を曲げない傲慢なカス同士の煽りあいで謝る事が出来る奴なんて見たこともなかったしな
豪傑における戦果の意味合いは戦果の多可よりも
残した戦果がどれだけ自身の武勇を見せ付けたものであったかを
重視するべきだと思う
単に戦果多大な功績ならば、豪傑でなくても立てる事も出来るからな
豪傑にしか出来ない戦い方を評価しか方が豪傑としての評価に繋がると思う
勿論、その両方を達成しているような人物が上に来ることは確実かもしれない
史実の場合は、多分そうなると項羽かなとも思えてしまうが、そこは俺の単なる
私見に過ぎないので議論を重ねるという事で
楚漢ばかりが豪傑じゃないというのも当然な意見だろうから
文化史においての場合は、神魔小説と歴史小説部門を分けて欲しい
同じ括りにしてしまうと、X−MENですら裸足で逃げかねない神魔小説の武神達に
上位を独占されてしまう
三国演義で初めて光る武将だったり、水滸伝だったり豪傑の名を冠した魅力あるキャラクターも
歴史小説には多いので存分な議論対象として盛り上がれるはず
>>863 評価するか、否かと問われれば評価すべきとは
思うけど其れが絶対とも思わない。
項羽みたいに負け戦でも武勇を誇った奴もいるしね
史実:
宗教:関帝
神魔小説:真武大将軍
歴史小説:
今のところ、ジャンルわけもこのくらいしかないのか。
史実は古代、中世、近世などにも分けるか?
史実には1人だけを選んでしまうには惜しい人物が多すぎる。
まあ、さすがに同時代に何人もとかは勘弁だけども。
>>ID:CN9I+NwV0
中国文化史史上だとか言い出したのはそいつだけ。
後付けの拡大解釈で自己正当化しただけで誠実なやり方とは全然思わない。
>>863に当てつけみたいなことを言い続けるのは不当だからやめてもらいたいな。
保証すると言った手前、君がおかしなことを言うたびに弁護しなければならないではないか。
868 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/20(木) 20:27:02 ID:1NVQSJsp0
戦闘の有効性、項羽、呂布、元覇、蘭ミン。これは、最強の4です
>>867 俺は此処に居るぞ。
引っ張らないと言った手前、不本意ではあるが、誰も指摘しないようなので一つ。ID:CN9I+NwV0 は思い違いをしているね。
彼は民間小説の関羽に関しての知識の思い違いに関して謝罪したのであって、「煽り合いしてすいません」なんて謝罪の仕方はしていない
自分の主張を取り下げたわけでもない、むしろどうにか正当化しようとしているし、彼の主張が全体の流れに反していたのは明らかだよ。
反対意見の多さが物語っている。物議を醸すのは当たり前だし、それを口汚く罵って「煽り合い」で一纏めにするのは全く筋違いだと思うね。
正当な論議だ。
>>866 支持率的にはまず項羽。
あと尉遅恭。
個人的にはただ強いだけじゃなくて、主君を守って身を盾にして死んだとか、そういう気質や死に様的なものも加味したい。
上に出てた例で言うと典韋か。
項羽、楊大眼、尉遅敬徳、夏魯奇あたりが最終候補に残るだろうな
あと李書文
>>867 つーか、実際宗教や小説の、所謂フィクション世界の最強なんてやっぱり決められないよね
例えば日本だけど、吉川三国志の中で最強は呂布なわけだが、それだって一応「文化史」の一部だろ?
作品や教義によって上位関係が変わるんだから、誰が最強かなんて決められるわけがない、基準があいまいすぎる。
>>870 ウォン・フェイフォンとか。
873 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/20(木) 23:23:22 ID:1NVQSJsp0
不知道怎么评
項羽は司馬遷の菅への私怨で不当に持ち上げられてるし、関羽の方に凄みを感じる
ID:DfK2LDKd0
ID:Q8VByFwg0
お前らも同類だけどな。
決まったタイミングに二人だけ意見が合う?
おかしな事だな。
ID複数もってんじゃねえの。
ついに認定に走る関羽信者
ID:Xv1H74g30の存在を忘れているあたり、かなり頭が湯だっているとみられ
あるいはわかりやすいスルー力検定なのだろうか
>>866 張飛や鉄牛なんかは性格悪いけど豪傑は豪傑だよね
猪八戒も問題児的豪傑
そりゃあ、湯立ちもするわなあ・・・。
そちら側は全く妥協もせず、宗教や小説は所詮フィクション扱いと
強烈な侮蔑まで喰らわせてくる。
>>877 住み分け論は受け入れられたからよかったじゃないか
あと、侮蔑って言うのは
>身勝手で自分の主張を曲げない傲慢なカス
>お前が居なくなれば平和になる
>〜の分際で
等のあからさまな罵倒や暴言
お前の言うそれは見解の相違という奴だ
論理や整合性が伴わなければ当然受け入れられないし反発も食らう
>>877 あと他人事みたいに言ってるが、こんだけスカン食らってるのに複数IDがどうのと言ってみたりするのは冷静と言えるのか?
そしてこの話いつまで引っ張るつもり?
1)事績枠
史書に残される活躍、人格などの具体的な事績から評価する。
補助として同時代人からの評価を含む。
2)小説家枠
「街談・巷語、道聴・途説する者が造る所なり」。
後代の人間によって、手本、礼賛の対象として脚色されたり、
民間伝承として語り継がれるところから評価する。
3)フィクション
現代的意味の小説を含む、著作者が明確に判明しているフィクションでの描写を評価する。
こんなとこでいいんじゃね。
関羽は小説家枠暫定トップとして、一旦話題打ち切り。他の話をすることにすれば
とりあえず丸く収まるしスレも進むだろ。
>>875 俺は公正、中立を心がけているよ。
ID:DfK2LDKd0も約束しておきながら自ら口出ししている時点で不愉快だが
君が黙れば彼も黙る。それでその話は終わりだ。
>>877 フィクションをそう扱うのがなぜそう取られる?
俺もやたら態度のでかい中英の自治厨は大嫌いだが、
この程度でそんなことを言われるのは心外だな。
せっかく当事者の一人の
>>827が沈黙を守ってスレの安定化に貢献してくれてるんだ。
それを無駄にしてはいけない。
俺も彼も君も同類にして同好。
「自己正当化の為に詭弁を使う」「第三者になりすましての自己弁護」などのズルは絶対に許さない。
これが我々の妥協ということで
なるほどなあ、俺ってホントに頭に血が登りやすいダメダメな奴と実感。
これからは和を崩さないように心がけるよ、すまない。
切々と説き続けてくれた事にも感謝したい、中英っていい所だな。
>>882 そう畏まられても恐縮だな。
まあ、このスレの結論に納得するのはここで議論してた人間だけだし
その結論にしても、大した価値や影響力なんてないんだから
気楽にいこうや。
以後関羽の話題を出す奴は荒らし、かまう奴も荒らし
関羽以外で最強の豪傑を決めようか
>>884 史実世界のBIG4だな。
これから絞るのは面白くも難儀だw
>>885 関羽に関しては棲み分けきっちりすればOKでしょ。
誰も関羽の話自体をNGにしたわけじゃないよ。
話がそれたら修正すればいいだけ。
小説世界の関羽ならば天下無敵の豪傑と評しても違和感はないよ。
ただ、その概念を史実での話にまで持ちこまれたら
今までの話を何も見てなかった、聞いてなかった荒らしとなるわけで。
関羽の信者もアンチもお腹いっぱいで、暫く関羽の話題は無しの方向で良いとは思うけど
関羽以外で最強の豪傑を決めるのもおかしくないか?
はいそこまで。
とりあえず
>>866や
>>880でいいだろ。
具体的に話題が出たときに考えればいいんだから
そうやって誘発するな
>>889 中国の「小説家類」というのは、
そのまま「街談・巷語、道聴・途説する者が造る所なり」で、いわゆる説話や伝承の類。
後の時代の人間が教訓を伝えるために歴史上の人間に仮託したものと考えられるが、
史書の記述にもこのような「小説」が混入している可能性は大いにあり、
厳密にそれが史実だったかどうかを区別するのは難しい。
なので、この場合は「事績」と「小説」は確認できる出典が史書か否かで区別しておけばいいと思う。
面倒くさいし。
演義本や講談、京劇などは娯楽のために書かれ、明確な脚本家が存在するものなので
「フィクション」とし、一応別とした。
史実枠:項羽、楊大眼、尉遅敬徳、夏魯奇、李書文
伝承枠:関帝
小説枠:独孤求敗、東方不敗
100メートル以内に近づきたくないような連中ばっかだな
これ以上絞るのもまた荒れそうだな。
個人的には項羽か。
ただし、これも個人的感想だけど、項羽って豪傑というイメージよりは
英雄なんだよな……
残り四人と比べると、やや色彩が違うというか。
後は個人の趣味次第だろうな
項羽とか石虎は総大将もやっただけど
適任は切り込み隊長だろう
切り込み隊長で収まれるカリスマ性のある猛将といえば趙匡胤だろう。
わんやんちんわしょう。
898 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/27(木) 16:28:08 ID:tpACbFbm0
絶対に項羽
関羽が好きや
ああそうかい
901 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/29(土) 05:44:27 ID:OGQAl/PZ0
age
902 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/29(土) 12:11:43 ID:r+zGwWc40
最崇拜岳飞!
最崇拜関羽!
>>887 関羽は後付フィクションの影響がでかすぎて、史実だけで判断しようっていってもゴネる信者がいるから。
関羽ファンスレに篭っていればいいのに……。
余計な一言だな。
そういうこと言わなければ荒れないと思うよ。
でも言動を見てると実際そう思うわ
項羽も似たようなもんや
関羽の話題は本当にいらない
最強の豪傑は関羽(隔離)ってことで次点を決めるのはどうか
次点:項羽、楊大眼、尉遅敬徳、夏魯奇、李書文
隔離:関羽
基本的に妥協できる範囲なら誰でもいい
またアンチが頑張ってるのかよ
飽きもせずによくやるわ
関羽をトップに据えているのにアンチとはこれいかに。
関羽のアンチではなく、関羽の話題しか出さない人のアンチだから
関羽をトップに据えて、次点の話ができるのではなかろうか?
棲み分けが確立された事はもう忘れられてしまったのか。
史実と宗教、民間方面は別の方向で考えるのは皆一致で納得した
事だと思ったが?
項羽じゃないかやっぱり
個の勇で”中国史”上なら
関張が蘇っても叶わない、泣く子も黙ると評された楊大眼
神勇と謳われた尉遅敬徳
が双璧だな
項羽は、将として凄まじい実績が記されているが、
個の勇の面では、将としての実績ほど評価されていないように思う
個人的には、蘭陵王、蕭摩訶、王鉄槍あたりも候補に挙げたいところなんだけど
上の二人と比べると若干落ちるかな
915 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/13(日) 18:07:05 ID:nBHXoAE30
蘭陵王。
>>914 関羽は蘇るより、神としてのステップを進んでいったからなw
完顔陳和尚
後唐の李なんとかの父親
バトゥ
全部、非漢民族だけど、そもそも楚の項羽だってミャオ族系じゃないの?
よくしらんけど。
んな事言い出したらキリがねー
極論言えば殷以降は全部異民族、なんて事も言える訳で
>>917 名前くらい覚えとけー
って独眼の龍とか飛虎とかいろいろ渾名あるその人から文句言われます
920 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/14(月) 13:56:05 ID:sQbqKqbuO
楊大眼 夫婦揃って
>>917 古代から現代に至るまで、かの国では人種が問題にはならないよ。
漢人・漢民族というのは同質の文化を持つ集合体だ。これを民族という。
922 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/14(月) 20:02:50 ID:oMHn1Bgf0
秦と楚
923 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/15(火) 15:33:08 ID:XJWgdtoG0
項羽
924 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/15(火) 15:34:06 ID:XJWgdtoG0
関羽
925 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/15(火) 15:35:07 ID:XJWgdtoG0
張飛
926 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/15(火) 15:35:53 ID:XJWgdtoG0
岳飛
927 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/15(火) 15:36:49 ID:XJWgdtoG0
「羽」とか「飛」がついてるとそれっぽい感じになる
5resも使って言うほどのことじゃないだろ・・・
う
ん
そ
う
だ
ろうか?
いいや違う
項籍一択
936 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/26(土) 13:17:50 ID:oEqKOdZ8O
斉の車輪がきしんだだけで自殺した人
937 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/26(土) 14:27:49 ID:Eie6FQ0F0
項羽しか考えられない
誰一人として動かせなかった鼎を2回も倒し、起こすという怪力
しかもそれを余興で持ち上げてしまうという強力
28人の軍勢で劉邦軍相手に計600人近くも殺しているというのが素晴らしい
しかも最期は自害だからな
>>鼎
李克用もそれに似た逸話ある。
ついでに小さな的に当てる呂布っぽいのもある。
もうひとつ言えば、三矢の遺言もある……って武勇関係ないが
>>937 孫悟空「俺は1人で10万の敵余裕でしたけどなにか?」
フィクションだけどキングダムの王騎
どうしても項羽が抜けてるイメージ
項羽の武勇は司馬遷によるフィクション
項羽以外を項羽と同等に精査しての最終意見なのだろうか……
項羽信者もなんか痛いな
945 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/27(日) 13:06:18 ID:n0Uo3sa90
関羽は、中華の神様。関羽好きは、中華好きなんだろうか??
>>944 もうスレも終盤だし項羽マンセーで流してるだけだろ
ここでいくら主張しようが真実は分からないし決まりもしない
947 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/01(木) 15:37:01 ID:9Mg3GiOiO
んじゃ郭連勃勃に一票
948 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/04(日) 15:03:44 ID:4anGX2LL0
>関羽
神様といっても「ソロバンを発明した」とかいわれる商売の神様だからねえ
現在でも中国では警察やマフィアのような武闘派からも尊崇されてますが何か?>関羽
950 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/05(月) 21:26:11 ID:o8PQ7v6xO
関帝廟に並ぶようなのは孔子廟くらいのものか
まあ単に武勇伝だけじゃなく人格的なものがあるんだろうけど
>まあ単に武勇伝だけじゃなく人格的なものがあるんだろうけど
人格的にはかなり難がある人物じゃね?
民間には、菅原道真公と同じで同情と恐怖から
支配者層には、忠の逸話に目をつけられて
持ち上げられたって感がでかいな
どの道、項羽や関羽しか名を上げない人、上げれない人は、
史記と三国志演義しか中国史を知らん輩が大半なんだろうな
952 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/05(月) 23:37:43 ID:o8PQ7v6xO
中国的価値観では高く評価される人格なんじゃないの
953 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/06(火) 15:38:06 ID:3xMYWukmO
サモハン
>>951 民間は寧ろ、関羽の義心かと。
横の繋がりを物凄く大切にするもの、中国人は。
大手商社から幹部の椅子まで用意されたのに、それを蹴って
田舎町のオンボロ工場の社長との情誼を優先した、なんて美談は
たまらなく惹かれるんだろうな。
強いだけでは偉い人物にはなれないお国柄なんだろうね。
中国は。
人格とか現在の評価とかどうでもいいよ
このスレ的には
もう後、45しか残ってないけどなw
項羽はラオウのモデルだからな
まぁ、漫画版ではラオウよりトキの方が強いんだが
霍去病に一票
今までの話まとめると、
史実
春秋:専諸
戦国:聶政
漢楚:項羽
前漢:李広
後漢:班超
三国:関羽
五胡:冉閔
魏晋:楊大眼
隋唐:尉遅敬徳
五代:李存勗
宋:岳飛
元:ココテムル
明:常遇春
清:李書文
宗教:関帝
神魔小説:真武大将軍
もうそろそろこのスレも終わりそうだし、こんなんでいいだろ。
全部のレス見るの大変だったし。
>>959 関羽は三国時代に一秒たりとも存在してません
広義的に見ればってことじゃね。
まあ、三国演義の話だと思えば三国時代の人物といえないこともないかと。
戦国:王騎
三国:呂布
だろ創作的に考えて
220〜280の中で決めるなら誰がいいのか
>>963 >>959のメンツと比べるとかなり落ちるだろうが
三国時代の猛将と言うと、文鴦くらいしか思いつかない
やっぱそんなもんか
知名度的には三国:関羽に不満はないのだが
あと楊大眼は南北朝
3年もあったのか、このスレw
>>965 すまん。訂正する。
厳密にするために、正史認定されている二十四史に載ってる人で書いてみる。
史記:項羽
漢書:李広
後漢書:班超
三国志:関羽
晋書:冉閔
宋書
南斉書
梁書
陳書
魏書:楊大眼
北斉書
周書
隋書
南史
北史
旧新唐書:尉遅敬徳
旧新五代史:李存勗
宋史:岳飛
遼史
金史:完顔陳和尚
元史:ココテムル
明史:常遇春
清:李書文
開いてるところ誰か埋めてくれ。
宋書:劉裕
南斉書:蕭道成
陳書:陳覇先
北斉書:斛律光
周書:楊忠
隋書:賀若弼
南史:劉裕
北史:楊大眼
遼史:耶律阿保機
史記:項羽
漢書:李広
後漢書:班超
三国志:関羽
晋書:冉閔
宋書:劉裕
南斉書:蕭道成
梁書:曹景宗
陳書:陳覇先
魏書:楊大眼
北斉書:斛律光
周書:楊忠
隋書:賀若弼
南史:劉裕
北史:楊大眼
旧新唐書:尉遅敬徳
旧新五代史:李存勗
宋史:岳飛
遼史:耶律阿保機
金史:完顔陳和尚
元史:ココテムル
明史:常遇春
清:李書文
好みの問題もあるけど
陳書:蕭摩訶
北斉書:高長恭(蘭陵王)
隋書:韓擒虎
を押したいな
トップ候補の夏魯奇さんはどこ行った
先即制人、後則為人所制
背水之陣
楚人沐猴而冠、西楚覇王
四面楚歌、力抜山兮気蓋世、辟易、捲土重来、我何面目復見
重瞳子、長八尺余、力能扛鼎、才气過人、騅、虞美人
項羽はいかにもな要素が満載だな
司馬遷が項羽厨なんだろうが
自分の金玉奪った漢帝国へのあてつけじゃね?
漢高祖を常にフルボッコにしていた相手だったし。
講談師がノリノリだったんだろ
項羽は刺客としても戦士としても総大将としても一流の化け物
為政者としては三流以下だろうけど