有名なのは魏の曹奐から司馬炎への禅譲
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 09:24:50 ID:Z1umUKP50
2get!
定式化したのは王莽による西漢の簒奪からかな?
三度辞退するんだよね。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 12:27:42 ID:I0l00Lqd0
曹操だよ
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 12:30:53 ID:A4EuH+9UO
実質的に作ったのは王莽
定制化したのは曹操・丕ってとこだな
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 12:50:32 ID:I0l00Lqd0
王莽は失敗したが、曹操は成功した。
王莽は弱かったが曹操は強かった。
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 12:54:05 ID:A4EuH+9UO
王莽は大成功じゃん
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 12:54:59 ID:I0l00Lqd0
は?劉秀に大敗して殺された馬鹿のに?
曹操が作ったわけで王莽は違う。
時代区分論との関係でいうと
禅譲は中世特有の現象だという説がある(宮崎市定)
宋代以降か、明代以降か、
権臣でも簒奪は難しくなったようだね。
禅譲がなくなった理由は
科挙制度が確立して貴族がいなくなったのと
藩鎮の解体で兵権が皇帝に集中したことかな
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 20:34:15 ID:Mo3M6hjg0
明代の権臣は、長く続いても、その仕える皇帝一代限りだからね。
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 22:10:22 ID:dmFNzotc0
田斉は禅譲?
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/31(木) 09:26:22 ID:eTykPB9i0
φ('A`)ウボアー
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/31(木) 13:38:30 ID:ROMixXGFO
伝説の時代だが堯舜も禅譲だな
もし宋朝が外敵の侵略を受けることがなければ、
そのままずっと続いただろうか?
>>16 莫大な人件費&軍事費の負担に耐え切れずに財政難→重税のコンボで
民衆反乱で滅んだと思う。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 11:17:20 ID:AmrLwxSc0
民衆氾濫が一番怖い
>>18 君罰より神罰恐るべし、神罰より民罰恐るべし(by 黒田如水)ですな
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 15:04:32 ID:+HIjuS7e0
民乱 >>> (超えられない壁) >>> 兵乱
禅譲が得のある者に王位を譲るという本来の意味からいえば劉備→孔明なんか条件そろったのに
でも禅譲受けてたら忠臣とは呼ばれてないだろうな
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 09:57:08 ID:WbetkUgL0
( ^ω^) ぅうむっ。
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 23:49:50 ID:XZd57zT30
>>21 劉備だって、もし諸葛亮が禅譲の申し出を受けていたら、
即座に殺しただろうな・・・・・・
宋の太祖を裏切り者とか不忠義物とは思わないけど忠臣とは呼べないようなものだな
忠義・・・・・難しいな
主君と政道どっちを建てるかで迷うだろうね
暗君だったら簒奪しちゃっても英雄だけど
( ^ω^) おっおっおっ
何で禅譲を受けたのは曹丕であって曹操ではないと
>>4,6,8に言ってやらないんだ?
劉禅は凡君だけど暗君や暴君ってほどじゃないからな
帝位奪うには根拠が弱いよな
>>28 それは献帝に言ってやってくれ
李厳の発言なんかを見る限り、諸葛亮即位待望論があったのは多分事実
この時代だと、禅譲してしまっても、その後に殺される雰囲気ではなかったしな。
もし蜀が天下とったら帝位は献帝かその子孫に返すんだろうか
それとも理由をつけて劉備家が世襲するんだろうか
どう考えても後者だろうから職は滅びたおかげで美しい忠義の国になれた
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 09:20:07 ID:fVxa9HYQ0
後者にしても、検定の子孫は厚遇されるべき
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 09:52:42 ID:+Tlh0AtW0
魏だって、自分の一族よりはよほど厚遇しただろ
34 :
劉邦:2007/06/27(水) 11:47:30 ID:nREH7iav0
献帝は山陽公となっても皇帝だった頃より境遇が良くなってる。順運で晩年運開く人だからね。
劉邦さんの立場からしたら、一応自分の子孫なら、
劉備系が取って代わってもいいわけなんかな?
家系の詳らかでない者で許せるはずはないかと。
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 08:26:53 ID:rCoBw1GG0
>>31 孔明伝だと譲ってたよな
孔明は丞相返さなかったが
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 09:26:48 ID:RqUb1FYU0
劉備が漢室の末裔なのは明らかでしょう。
あの時代に勝手に劉姓を名乗って、堂々としていられる
はずがない
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 09:40:05 ID:yOLPy2lA0
でもそういうの何万人もいるよ
劉邦は、「ああ、面倒だからどうでもいいや」って感じでしょ。
許せないのは、劉秀の方w
劉辟とか劉岱(曹操配下のほう)とかが末裔とは思えん
皇室の劉氏だと税の免除などの特典があるらしい
しかし当然ウソとばれれば一族処刑
それを考えると劉備が漢の一族って名乗ったのもあながち100%捏造とは言い切れない
景帝 ┌ ─┐ ┌─ ┐ ┌─┐
│ │ │ │ │ │ │
│ │ │ │ │ │ 劉備
劉勝 │ 劉建 │ 劉達 │ │
│ │ │ │ │ │ │
│ │ │ │ │ │ 劉禅
劉貞 │劉哀 │劉不疑 │ │
│ │ │ │ │ │ ┌┴┬─┬──┬──┬──┐
│ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │
劉昂 │ 劉憲 │ 劉恵 │ 劉 劉 劉 劉 劉 劉
│ │ │ │ │ │ 王睿 瑤 小宗 王贊 言甚 恂
│ │ │ │ │ │
劉禄 │ 劉舒 │ 劉雄 │
│ │ │ │ │ │
│ │ │ │ │ │
劉恋 │ 劉誼 │ 劉弘 │
│ │ │ │ │ │
│ │ │ │ └─┘
劉英 │ 劉必 │
│ │ │ │
└ ─┘ └─┘
まず世代数が怪しいような。
がんばるねぇ
なんか簡単な漢字が多くて適当につけたっぽいな
景帝─(11代略)─献帝
景帝─(17代略)─劉備
どこが皇叔なんだと。画数の多い字だけピックアップして作り直そうか。
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 09:35:56 ID:iNHmeJLN0
>>46 とりあえず、遠いとはいえ親戚であり、年長者なら叔父さん扱いなのかなw
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/07(土) 09:39:53 ID:neo6rHeLO
儒教の観念では伯叔父も従父も父親と同格に考えるんじゃなかったっけ?
ジュンユウが年下のジュンイクを叔父として敬っていたのがいい例
遠い親戚なら世代とかきっちり照合しないとな。
>>49 自分より世代が上のものを立てるだろうが、父親と伯叔父・従父は同格ではないだろ。
父親>伯叔父・従父は動かないと思う。
景帝─( 9代略)─殤帝=安帝─順帝─沖帝=質帝==桓帝=霊帝─献帝
景帝─( 9代略)─劉舒─劉誼─劉必─劉達─劉不疑─劉恵─劉雄─劉弘─劉備
好意的に解釈してみても献帝が伯父で劉備が甥になってしまう例(上)
景帝─(5代略)─更始帝=光武帝─明帝─章帝─和帝─殤帝=安帝─順帝─沖帝=質帝=桓帝=霊帝─献帝
景帝─(5代略)─劉哀──劉建─劉英─劉憲─劉舒─劉誼─劉必─劉達─劉不疑─劉恵─劉雄─劉弘─劉備
好意的にムリヤリ解釈してみても献帝が昆弟で劉備が昆兄になってしまう例(下)
どっちにしても
>>50のいう通りいろいろ照合してみても、献帝の前の少帝をカウントしない限り
(「少帝」を皇親としてカウントするのがおかしい) 劉備が叔父になることはないね。
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 09:28:18 ID:7yHG2vy80
うーむ・・・・
世代で説明できないとなると、
范増を亜父、管仲・呂不韋を仲父、范雎を叔父といったようなもので
血縁のない奴を皇叔とは言わないように、世代が下の輩に叔父はないだろ
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 21:58:00 ID:j4qJLZvU0
まあ劉備は“皇叔”の称号でいろいろ利益を手にしているな。
献帝の側からは、何かしら得るものはあっただろうか?
そうそうに劉備が都落ちしたから無いんじゃないかな
本当は都において董承みたいな側近にしたかったんだろうけど
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 20:54:10 ID:KXYchWwB0
“皇叔”の称号については劉備側からいろいろ運動がありそう
そらまあ自称するだけで名分があるからねえ。
>>56 曹操に対する牽制としては十分すぎるほど役に立ってる。
ただ遠すぎたけど。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 23:23:25 ID:+QeH3H0x0
皇帝孫権の存在意義が
>>62 何となく、流行で皇帝になりました、的なイメージが……
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 20:52:38 ID:avQuhiw00
あまり孫呉を怒らせないほうが良い
何たって大帝だもんね。
他に大帝っていたっけ?
唐の高宗とカールとジャングル。
ピョートル
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 20:28:32 ID:7Qgw8ThLO
ジャングル大帝レオ
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 22:39:11 ID:dnKycvOR0
( ^ω^)?
70get!
権は袁術以下の糞
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 09:33:39 ID:DnoypBQ/0
禿げ上がるほど同位
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 12:37:23 ID:baelLwuu0
初めの堯舜禹からして中国は禅譲の歴史だからな。
根本的に万世一系は無理か。
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 09:25:24 ID:tMTLzFxh0
万世一系っていうのもそれはそれで異常だけどな
日本の場合は有耶無耶で続いただけ
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 00:06:44 ID:hToQX1tX0
形は禅譲、実は簒奪。
歴史上に禅譲の事例は数多くあれど、実質的にはほとんど簒奪でしょ。
まぁそうでしょw 簒奪して殺害がデフォ。
実際マジで禅譲しますよって君主燕王檜くらいじゃないかな。こいつ
は馬鹿でもあるが、形式的には禅譲の理想型を行った。国は即おかしく
なったが。
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/09(火) 00:06:18 ID:fOWKBhs40
>77
周→宋も禅譲だったから、柴栄が活躍できたんだが。
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/09(火) 23:59:36 ID:diUSvlkd0
本気で禅譲する奴は馬鹿としか思えない。
劉備にあやまれ!
禅譲で劉備・・・脳に蛆でもわいているのか?
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 14:52:14 ID:hIQykCx/0
>>81 劉備の遺言って、あれは絶対に本気じゃないよ。
もし諸葛亮が、皇帝になる意思を示していたら、
その場で多分殺されていた。
傭兵集団の鉄の不文律「実力あるものが後継者に」
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/05(金) 17:46:58 ID:zhiiwxbQ0
>>83 忠誠心を確かめるためのテストみたいなものだったんだろうね。
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/05(金) 22:06:49 ID:oWW+D0fCO
天智と天武にも似たエピソードあるよね
漢の場合は劉協死ななかったんだからまだ良い方だよな
普通皇帝含めそれに近しいのは殺される
嫁と子供は殺されてるけどね。
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 17:31:01 ID:YsqvH2Gl0
>>81 あれ、結構本心だったと解釈したいなあ。
諸葛亮が本当に引き受ける可能性が有ると思ってたかどうかは別として
本心から息子が無能ならお前が取れって言った、と解釈しても良いんじゃないのかと。
あの時代のリーダーの価値観なんて分からんけどさ、
現代人的に考えれば、もう自分は死ぬって状況で、意地でも息子に継がせたいと思うものだろうか。
そういう執着心が薄れるって状況は有るんじゃないかな。
たとえば荊州にいたころ、「荊州を奪え」と言われたのに「忍びない」と言って従わなかったのは
絶対義理云々じゃなくて政治的計算も入ってるだろう、と思うけど
本当に死ぬ直前だったらそういう計算抜きになることも有るんじゃなかろうか。
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 23:02:38 ID:j0insZyY0
周瑜の遺言にもあるしね >人の将に死に之く、其の言は善き也。
確か、後の時代ほどには忠誠の概念も君主制も発達してないしね。
本気で言ってた可能性はあるかも。
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 03:06:40 ID:o0LuwoN50
つか、あの状況で劉備が孔明に言ったのはテストだったとして、
分かりましたって言ったから孔明処刑したら、蜀崩壊だろ。
劉備がいくら氏ぬ直前だったからって、それくらいは分かる気がする
>>89 君が子に取って代われと言うのは別に子孫を誅殺しろとか言う訳でもないだろうしね。
なにより漢復興を考えるなら孔明の力は不可欠で、
(もし子に能がなくそれがために賊臣はびこる状態で)職務を妨害されるなら、
いっそ実質的なトップとして子を退けてでも事に当たって欲しいって事じゃないの。
で、事が成ってから劉氏の中で有能な者を建てるかすればいいわけで。
もしかしたら、民が平穏に暮らせるのならいっそのこと諸葛氏に国を奪われても構わないとさえ思ってたのかも知れない。
復古的ロマンよりもより現実的な選択肢のような気もするけどなあ。
陳寿自身は「劉備は本気だったよ」と評してるし
古代の君主としては失格だろうけど、本気で国取られても良いと考えてた、と思っても良いよね。
まあ推測するしか無いんだけどさ。
劉備も諸葛亮が受けるわけ無いってくらいは判断できた気もするし。
>>85 司馬懿や司馬師・司馬昭兄弟でも臨終の床で野心を見せるとは思えんけどなw
遺孤を託されたのが諸葛亮ではなく李厳だったら……
忠誠心を試すというよりは、
諸葛亮から「お前が国取れ」→「取りません」という言質を取ることによって
後々の禅譲という形での簒奪を防ぐ、って感じじゃないかね。
まあどっちかというと、この発言自体が諸葛亮の禅譲に正当性を与えてしまいそうだから違うかね。
無粋な憶測かもしれんがね。
wikiでも書かれてる内容だけどそれはうがち過ぎのような気もするな。
うん。
どっちかといえば最近話題だった「劉備本気説」のが自然な気がする。
諸葛亮を信じてた場合
・本気で諸葛亮に国を取らせようとした
・自分の死後、諸葛亮に先帝のお墨付きという権威を与えるために敢えて言った
諸葛亮を信じてなかった場合
・忠誠心をテストした
・死後、簒奪できないように言質を取った
まあこれくらいかね、解釈は。
んな二人だけの会話を誰が聴いてたんだよ
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/10(火) 22:50:45 ID:YtSP6OY90
それを言ったら趙高の胡亥擁立の話だって誰が知ったんだよって話になる
・後から誰かに話した
・側仕えの宦官などが聞いていた
たとえ人払いしたと書かれていても、誰も聞いていないとは限らない
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 00:20:56 ID:oK6i+AG10
呉が夷陵後に蜀を併呑出来なかったのは李厳の勢力が残ってたから。
となると、あの時点では李厳がヤバイ。
最終的に孔明の漢中軍閥が李厳が勝ったから白帝にいないような扱いだが、
劉備が意図的に実力のない方(孔明)に
お墨付きを与えてバランスを取らせようとしたのではないだろうか。
明確に孔明>李厳という序列が出来たからいいようなもので、
孔明が讒言で除かれ李厳が簒奪する可能性はかなり高いとみた。
あの時点で丞相録尚書事司隷校尉だった諸葛亮が「実力のない方」は無いわ
>>103 あとよく言われるのは奴婢が聞いていた例だな。
そういや永楽帝のインポがバレたのは朝鮮奴隷女からだったな
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/24(月) 22:52:53 ID:KFZ5TMmP0
簒奪ではない禅譲は尭→舜→禹を除けば柴宗訓→趙匡胤の一例のみ
なーなー
劉備臨終の際、諸葛亮だけでなく李厳もそばにいたんでなかったっけ?
>>93 漢復興を本気で考えてる人ではないだろ、劉備は
劉備遺言本気説を採るなら、それは漢朝復興という目的ではなく
軍閥の首領としての発現だろ
特に劉備政権は政権として発足して間もないから軍閥としての傾向が強いわけで
軍閥として考えるなら後継者が血統より実力が優先されるというのは考え方としてはありえること
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/03(水) 15:50:15.92 ID:igZBP8Or0
蜀の正当性が完全に無くなってしまう
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/09(木) 17:00:07.20 ID:w/ePqIKC0
何で趙匡胤を最後に禅譲が行われなくなったの?
113 :
名無しさん@お腹いっぱい 。:2012/02/09(木) 19:58:43.46 ID:5wGi7U4O0
>>112 漢民族(南宋、明)と異民族(金。元、清)が興亡を繰り広げたから。
ただし清そのものは北元の大ハン位を伝国璽と共に譲られている。
とはいえ既に中原の政権でなくなって久しい北元の帝位だし、どちらかと言えばモンゴル諸民族への権威を獲得したと解すべきだけど。
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
漢哀帝劉欣から董賢への禅譲は周囲に阻止されて達成しなかった