中国英雄は、誰一人として信長に及ばない

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246名無しさん@お腹いっぱい。
A:懐王 少帝 正親町天皇 ←御輿
B:宋義 袁隗 義昭 ←名目上の権力者
C:項羽 董卓 信長 ←実質的な権力者

項羽が殺したのはその二人が自分の実力を掣肘する存在だから。
先見性やバランス感覚が欠けていても実力さえあれば覇権は取れる。長続きしないだけで。
楚兵が26騎にまで減ったのは懐王を殺したのに義憤を感じたからではなく、
項羽の人事のマズさが戦略の無軌道さにつながり兵站が破綻したから。
また、ライバルの劉邦の講和成立後の背撃がろくに非難されないのは、
成功しきってしまえば、負けた相手をアンチテーゼ化出来る証拠だろう。
本能寺の変同様、やられるやつの自業自得。
信長が項羽のようにならなかったのは、光秀がさらに秀吉に負けたからというだけ。
「信長に勝ったから光秀は覇者」とはまったく思わないが、
長期的な展望にまるで欠けた謀反を起こされる信長の対人的なバランス感覚には疑問。

董卓の場合、当時の朝廷には官爵による上下関係と清流派士大夫内の縁故による親疎関係の二重構造が存在した。
室町幕府に対応するのは朝廷ではなく、袁氏による門生故吏の一党だろう。董卓は両方とも利用しようとはした。
袁氏が室町幕府のように滅ぼされなかったのは単に勢力の多寡の問題。

また、少帝は旧何進系の皇帝で、その廃立にはメリットデメリットが両方とも存在するだろうから、どうとも言えない。
殺されたのも袁紹の反逆後で仕方がないように思うが。
その自称忠臣袁紹にしても早期に天子を押さえて実権を握れば、
党閥と兵力を背景に天子の座を窺ったであろうことは容易に想像出来る。
後付けで「失敗」「不忠」とされることは多いが、そんなの結果論では?