>>204 >項羽、董卓、爾朱栄はアンチテーゼ。信長は歴史の流れを作った男。
項羽がアンチテーゼとされるのは、『たまたま劉邦が勝ったから』に尽きる。
項羽と違って、劉邦に大帝国への構想やスーパーな人望があったからじゃない。
彼の論功行賞が著しくバランス感覚を欠いたもので諸侯も彼の部下からも離反者が続出したからだ。
劉邦にしても覇権を握った後は諸侯の反乱を招いている。
それをまがりなりにも鎮圧出来たかどうかの違いしかない。
第一、司馬遷が項羽を完全なアンチテーゼとするなら本紀には書かないだろう。
董卓の場合、彼は政権発足時は改革者として望んだし、清流派名士に対して非常に協調的な姿勢だった。
強圧的な態度に変わるのは袁紹と曹操が逃亡してから。
そもそも反董卓連合のメンバーの大半は自分で任命した連中。
反逆後も使者を派遣して衝突をさけようと努力してたのも董卓のサイド。
この場合、アンチテーゼとされるのは治まるべきところで訳のわからん理由で決起した袁紹や袁術らだろう。
そのサイドに最終的な勝ち組みである曹操がいたから董卓が断罪されるだけのこと。
爾朱栄の場合、彼がアンチテーゼだというなら高歓もアンチテーゼだね。
孝荘帝は爾朱栄を殺したが、孝武帝はそれが出来なかったので宇文泰の元に逃げ出しただけ。
禅譲ゲームに失敗した敗者が爾朱栄、勝者が高歓というだけのことだ。
これは論じる必要もなかったかも知れないが一応。
曹操や高歓が忠臣だったから朝敵扱いされなかったのではない。
信長とて状況次第で董卓や爾朱栄のように朝敵扱いされうる。朝廷との関係が力と金でどうにかなるなら尚更な。
その状況自体がありえない、としか言わないが、そんなのは単なる結果論だ。
仮に大いなる意思とやらの存在があったとしても、
彼の後継者である秀吉(つーか簒奪者)が「信長的」とされるものをやっただけでその証明になるのは理屈として変だろう。
そんな大そうなものがあるなら何故信長を飛躍させたのに、後一歩で転げ落としたのか。
それが一時的に秀吉を天下人にして、その後に徳川家による長期政権を作る為だったとか?
そんなものは信長の意思を一顧だにしていると言えまい。
>ID:ayUmHnL30
先ず、勝手に勘違いして絡んできたのを謝りもしないふざけた輩は貴方だということをお忘れなく。
そもそも「統一構想や大局観があったから勝った」とか、「それを引き継いだから勝った」なんてのは歴史家たちの後付け。
「本能寺の変〜清洲会議で一番得をしたのが秀吉だったから、信長暗殺の黒幕は秀吉」、そう言ってるのと同レベルの妄言だ。
そんなものを嬉々として語る前に、
何度も質問している「明治天皇以外の天皇はしょぼい」の反証を挙げるべきでしょう。自分が「誠実」であるというならね。
なぜそこだけ明言を避け無視しているのかさっぱり分かりませんな。
それとも戦国以外のことには無知なのですか?
自分の反対意見は全て自演に見えるのは精神科に行ったほうがいいでしょう。
自分の意見しか認めないのは貴方のほうでは?
貴方の方こそ頭を冷やし冷静になってください。