1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
鄭和は、明代永楽帝に仕えた宦官にして武将。明朝が行った南海への七度の大航海の指揮を執った。
鄭和が率いる船団は、東南アジアからインド、アラビア半島、東アフリカにまで達し、人類史上に残る偉業となった。
某作家じゃないが、記録を処分してしまったのは、
本当に惜しいことをしたな。
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 01:21:58 ID:1GT7Q9+20
かなり昔から広州にアラビア人が来たりしていたし、
航路自体は既に確立されたものだったのかな?
規模は空前のものだっただろうけど。
>>2 本当に残念だ。何しろ、コロンブス・マゼラン以前の大航海者だし。
記録さえきちんと残っていたら、世界史に載っていたよ。
カンガン(字ど忘れ)ってほんっと腐ってるな。
(…って鄭和も)
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 13:27:15 ID:k7lmGCEL0
東アフリカからキリンを明まで連れて来たらしいけど、
航海中にちゃんと飼育できたのかな?
「身長180センチ、胴囲150センチ(?)、貴相、眉目秀麗、歩く姿虎の如し」・・・
>>6 あれ?うろ覚えだけど、当時の中国では
キリンは想像上の動物だったんじゃなかったっけ?
(実在するキリンではなくて、例えば龍の様な)
ただの語呂合わせで本物連れてきた、
鄭和さんに詐欺師の疑いが…
つうか東アフリカにいるあのキリンに、
中国の伝説上の動物である麒麟の名をつけたのは、
いつのことだったのだろうか?
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 23:56:13 ID:b2lp7f/30
>>8 永楽帝、喜んだらしいから、いいんじゃないのw
記録が残ってないのは宦官のせいじゃなくて文民官僚のせい
二度とさせないために全部処分したとか
後世大航海時代を知ってるから俺らは色々いえるけど当時の財務官僚からしてみれば金食い虫の計画でしかなかったし
今の感覚でいうと宇宙の果てから資源を探して独占するから国家予算を投入しまくるぞー
いや、別次元を探してぐらいのほうが近い感覚かも
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/14(月) 11:53:02 ID:wtfhAFiF0
本人に悪気はなくても、結果的には大きな損失になったねえ。
ま、明朝が朝貢にこだわって財政破綻し、滅亡を早めたかも知れないけど。
よう考えたら、角の生えた馬より首が異常に長い動物のほうが凄いw
14 :
国重高暁:2007/05/14(月) 15:01:22 ID:op/bpuoT0
七度も大航海をした彼だけど……
とうとう来日しなかったのはなぜだろう?
日本の向こうに大陸があるなんて聞いたことなかったからだろう
目的はイスラム世界への海路の開拓だし
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/17(木) 21:09:59 ID:sQfGr5rN0
>>13 キリンはむしろ龍のイメージに近い気がした。
>>14 日本は、一応朝貢貿易に参加していたし、明の勢力圏内だから、
今さら大々的に行く必要はないって感じなんじゃない?
しつこく倭寇を繰り返したら、鄭和の大艦隊が日本に遠征していたかも。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/01(金) 23:59:35 ID:2DNVrRZz0
鄭和率いる大艦隊遠征軍と、足利義満率いる室町幕府軍の戦いを見てみたい。
ま、渡海作戦は大変だから日本征服は不可能だろうけど。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 16:04:04 ID:l9v7l/8h0
日本だと、10万人ぐらいの兵力を送り込めるかな?
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 23:59:45 ID:klSFM2rT0
元寇が参考になると思われ
でも渡海作戦は難しいだろうね
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 15:11:24 ID:PPFiSrE60
日本へ進むなら、朝鮮半島経由がやっぱり一番いい。
季氏朝鮮は明の属国だし、問題はないはず。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 09:10:49 ID:sCGtUwO60
鄭和が過小評価と言うより、ヨーロッパの大航海時代が大きく扱われすぎなのかもな。
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 23:49:59 ID:miEE0uhy0
イスラム圏の商人なんかは普通に中東から中国まで往来していたしね。
井の中の蛙だった西欧人が、広い海に出て来たってだけとも言える。
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/20(月) 21:33:03 ID:XdiTGLk80
インド〜中国への航路が開通したのっていつ頃になるんだろう?
後漢〜魏晋南北朝辺りと思われ。
その頃の出土品にローマ製と思われるガラス製品がある。
そのころはさすがに陸の交易じゃないか?
多分隋代じゃないかと思うんだが
漢の時代に大秦国王安敦が使者を送ってきたらしいが、
あれは海路で来たのかな。
班超や甘英を考えるとリクルートじゃないかな
通訳はどうしたんだろう
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/09(日) 05:21:35 ID:Ldfpqplu0
古代から東西を往来していた交易商人は存在していたようだから、
そういう人たちに道案内とか通訳をしてもらったんだと思う。
10人ぐらい介して翻訳してたのかな
随分意味が変わりそうだ
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 13:58:03 ID:NPR6YCTPO
伝言ゲームか
さすがにそこまでは……
意外にジェスチャーでも意思疎通できるものだし、どちらかの土地に長く滞在していれば、
それなりに現地の言語も身につく。
実際のところ、そんなに深刻な問題ではなかったんじゃないかと思う。
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 23:03:48 ID:2DheI2J10
昔だったら遠い外国に行ったら何ヶ月かは滞在しただろうし、
言語の問題ってのは意外になかったように思うね。
何ヶ月か滞在して全くわからない言語を習得できるもんかな
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/22(月) 21:54:16 ID:+V4jNfwaO
おぉい!どうやらコロンブスより先に亜米利加大陸を発見したらしいぞ、スカパーで3周に分けて放送。
全く何の手がかりも無い状態からだったら数ヶ月では無理だろうけど。
双方の国の言葉を理解できる人間が間に立ったらそいつらから教えを受ければ、簡単な意思疎通くらいならすぐに出来るだろう。
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/22(月) 22:56:34 ID:wxUACtp40
言語の習得は、必要性に迫られてこそ一挙に進むものだと思う。
現地にいれば、必死になって覚えようとするだろうし。
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 23:25:53 ID:9sIHW2ni0
>>35 最近出て来た世界一周とんでも説は、鄭和もさぞかし迷惑だろうな。
NHKでこないだていわ艦隊の子孫がアフリカにいるっていう番組やってたな
中国政府がただで留学させてくれるらしいぜ
>>29 大陸行路の事実上の公用語として機能してたのはソグド語。
チンギス汗の侵略で、ソグド語文化は壊滅してしまったが。
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/31(水) 11:02:32 ID:O5CHR6GM0
鄭和の艦隊を、征服戦争に使ったらどれぐらいのことができたんだろう。
武将として優秀だったのに、
自ら特産品をリストアップして交易収支と経費計算に携わる鄭和に萌え。
先祖が元における色目人だけに、商人の系譜だった可能性もあるけど、
だとしても子供のときに捕虜になったから関係ないか。
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/09(水) 23:58:10 ID:GW1wvoMs0
>>38 鄭和の世界一周を唱えている英国人の歴史学者なる人、
海軍の将校だった人らしいし、
資料を読んだら星の位置で、新大陸に到達していたことが分かったって、
言っているけど、どんな資料を読んだんだろう?
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/10(木) 09:47:06 ID:RiU72uz70
航海資料って焼かれたんじゃなかったっけ?
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/11(金) 23:04:04 ID:2M5GR5c90
世の中、本が売れれば勝ちだったり
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/13(日) 23:53:23 ID:yc4xHod70
鄭和は、別に新たな航路を発見したわけではなく、
既に確立されていた中国〜東南アジア〜アラビアの航路を行っただけだしな。
特筆するべきは、艦隊の規模や行動の方であって。
>>26 南北朝期の法顕がすでにインドから中国へ海路で帰還しているんだが。
おそらく陸路シルクロードと同じで、国家が掌握する以前から庶民レベルでは
ルートはすでに開かれていたということなんだろう。シルクロードも南海航路も
四川からビルマ・インドルートも、国家が知る以前から開かれていたことは確か。
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 00:51:41 ID:WcsGNsBP0
縄文時代に太平洋を横断した連中がいたっぽいかったり、
バイキングは新大陸にも行っていたっぽかったりするから、
実際は想像以上に古くから航路が開拓されていたんだろうね。
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/01(金) 22:18:13 ID:vTIAVCYs0
中国にも、これはオーストラリアに到達していたんじゃないか?って、
記録があるらしいね。
アメリカに比べたらオーストラリアとか簡単に行けそうだけどな
なんで未開だったんだろか
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 11:23:19 ID:+MrNKUOU0
オーストラリアに行き着いていた人は、東南アジア辺りを中心に結構いたんじゃないかと思う。
ただ、大陸のほとんどが乾燥地帯だし、あまり魅力を感じなかったのかな。
米は作れなかっただろうし。
五輪の開会式で妙に目立ってたな
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 14:29:38 ID:EXcfO1Kj0
鄭和に宦官としての地位しか与えなかったのは、永楽帝の落ち度。
宦官の階級以外に、出自とは無関係な役職を創設しておかなかったから、
鄭和の後任も宦官が就いた。
海外交易=宦官が仕切ってるという図式が刷り込まれたから、
官吏の反感を余計あおった。
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 23:50:25 ID:ZJFwA6B60
>>43 あの元提督さん結構勉強してないぞ。
ジャンクは風上に向かって進むときは、(バークみたいに)ウェアリングしか
できなかったと書いてるけど、香港とか行ったら分かるがジャンクは普通に
タッキングしまくりですから。
平底船でキールが無いからタッキングできないと思い込んだようだが、キールが
無くてもリーボードを使い、また舵を深く入れてキール代わりにする船なんだよな。
ジャンクって。
元提督さんはアジアが自分の想像以上だったことに驚いてるんだろうが、ジャンクの
構造は一切ご存知ないらしい。ああいうのを贔屓の引き倒しと言う。中国が世界一周してて
、あげくに世界地図作ってたなんてどうゆう妄想だか。グラハム・ハンコックだってもっとましな事言うわ。
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/10(月) 18:40:00 ID:XOL68AlC0
鄭和の航海の記録を焼いたバカがいたらしいな
だから記録がほとんど残ってない
>>48 縄文人は怪しいが
古代ローマの商人はベトナム南部のオケオまで交易していたからね
鄭和って、西洋の文化に影響を与えた人ランキングで、アジア人一位になったらしいね。
誰が集計したランキングやねん?
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/09(金) 16:38:45 ID:0dIp91k90
>>58 知らん。永楽帝の伝記の後書きに書いてあった。
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/23(金) 19:06:08 ID:UI5by3Qd0
鄭和航海記読みたい
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/24(土) 17:49:47 ID:0/ZQGjuO0
世界史板にも書いたけど
鄭和の小説で面白いのないかな?
1421
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/01(日) 18:57:38 ID:HQqdQIQo0
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/29(日) 16:17:39 ID:GP+P3cg00
鄭和死後、明は鎖国的になり航海は行われなくなったけど、
続けていら鄭和の航海はヨーロッパの大航海時代に先んじていたから、
もしかしたら、ポルトガル・スペインに変わって世界中に植民地を持っていたのかな?
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/29(日) 16:58:54 ID:ep/8SaApO
>>61 面白い面白くないに関わらず伴野朗以外に記憶にない
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/30(月) 12:19:45 ID:fIvJyg2z0
鄭和死後、明は鎖国的になり航海は行われなくなったけど、
続けていら鄭和の航海はヨーロッパの大航海時代に先んじていたから、
もしかしたら、ポルトガル・スペインに変わって世界中に植民地を持っていたのかな?
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 04:18:56 ID:PfAJZTFn0
鄭和ってチンコないのに結構男らしい人間なんじゃね?
>>64 既に1世紀頃にはローマ商人が南インドから東南アジアに頻繁に交易活動していましたが
突然どうしたん?
>>66 植民地って発想自体しないと思う
後の清帝が言ったように「中国で足りないものなどない」のだから
植民地を持つ必要がない
さてと、卒論のテーマを鄭和にした俺が来ましたよ
素晴らしいね
NHKのドキュメンタリーDVD見たけどいい感じだな
とんでも理論の外人研究家も出てたけど
入門編としてはまぁまぁのできばえ
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/27(金) 21:10:10 ID:UpwywS2Y0
ジョンフー
ジョンウー
明朝にそんな財力があったと思えんなー
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 18:56:22.95 ID:Jdl3ucPX0
>>16 お前、時代背景を考えろ。元寇撃退、僧良懐の反逆、倭寇。
それをうけてやっと勘合貿易なのに、侵略してぶちこわすのは不利益だし
そもそも勝てる雰囲気ではないだろ。出兵するはずない。
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 19:01:16.20 ID:Jdl3ucPX0
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 19:40:57.14 ID:Jdl3ucPX0
>>57 ほとんど影響を与えなかった鄭和ですら一位。他がいかにしょぼいか分かる。
でもアジア人という範囲が中東から東の全部だとするならば、
イエスが一位、ムハンマドが二位、釈迦が三位。
中東を除いても釈迦が一位、ジンギスカンが二位。
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 22:09:17.66 ID:Iit7djRg0
倭寇ってのは前期倭寇と後期倭寇に分けられて
前期倭寇こそ日本人主体だったが後期倭寇はその8割くらいが中国人で構成されていたといわれる
明の海禁政策が逆効果を招いて。
だから倭寇=日本人だけの海賊ってのは広まりまくった間違い。
少なくとも後期倭寇は中国人海賊団といってもおかしくはない。
海賊王といえば、日台混血児の鄭成功だろう
>>14 1404年に来ているよ。
日本の記録に残っていないのは、外国船に恐れ慄き屈服したことが余りにも不名誉だからだろ。
-----
引用:
鶴声 鄭一欽編《鄭和下西洋資料》1146頁。鄭和は足利義満に倭寇取締りを要請し、義満はこれを受諾するとともに朝貢形式の勘合貿易に同意したという。
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/18(月) 20:07:25.86 ID:IraUZSSB0
ケニアで永楽通宝が見つかったそうね
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/09(金) 17:09:05.89 ID:ngsvkBfl0
>>65 その頃の彼の小説は面白かったなー
晩年の作品は…(;ω;)
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/09(金) 20:03:33.98 ID:46MFVzuS0
鄭和は蔡倫と司馬遷と並んでプラス評価の三大宦官やな
ローマは一日にしてならず=継続されない事業は偉業ではなく愚行で評価の対象になりえない
権力者が変わるだけですぐ180度かわるような政策はただの税金の無駄遣い