902 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 23:25:38 ID:3gWhZThV0
>>897 最近はやや復権の兆しがあるようだし、
将来的には変わることもあるのでは?
文化大革命のときには始皇帝と並んで積極評価の対象になったことは聞いたことがある
その後どうなったかまでは知らないけど
曹操って歌が大流行りしてるしなぁ
これまで諸兄らが様々な論議をしてきて、横やりをいれるようで申し訳ないが、
叩かれる覚悟でいいたい。
なんで、関羽、趙雲、諸葛亮の評価がここまで低いんだ?
どうみても、損得から言えば曹操に仕えた方が得なのに、流浪中の劉備をしたい、
彼の妻子を守り送り届け、死ぬまで忠誠を尽くした関羽。
その劉備を仕えてから、一回も見捨てず、長坂の危険な状況から彼の妻子を救い、
地道な功績を立て、さほども出世しなくても不満を漏らさず、それでいながら、
名分の立たない呉出兵には反対し、死ぬまで闘い続けた趙雲。
一万対一とさえ、言える曹操と劉備の国力差に絶望せず、幸運もあるかも知れぬし、
彼だけの力ではないかもしれないが、それを十対一ぐらいにまで引き上げ、
失敗したとはいえ、広がる国力差を見逃せず、安逸をむさぼらず、戦いを 挑み続けた諸葛亮。
(司馬懿なら『自分が死ぬまでもてばいい』と考え、ただ、守りをかため 独裁政治を行っただけだろう)
なぜ、千年以上も中国人だけでなく、我々日本人の心も感動で打ったこの三人が
英雄じゃないんだ?(張飛も含めたいがこれは後世の創作が多いだろうから置いておく)
あと、関羽をやたらと功績がない、愚将だと貶めたがる人がいるが、
無名で軍人でもなかった関羽が、当代の猛将・名将を何人も倒し、
魏・呉の君主からおそれはばかれる存在にまでなるほどの偉業をなしたのに、なぜ英雄でない?
演義とまでなり、『関公』と敬われる存在になったことにちゃんと根拠があるのになぜ 英雄でない?
司馬懿・司馬炎などが後世の人になにか感動させるものを残したか? ない。
姑息に立ち回って『ずるがしこい奴が結局、得をする』というくだらない教訓を残しただけだ
しかも、自分らの一族の繁栄とひきかえに、一族による無益な殺し合いと異民族襲来を呼び込み
中国を暗黒におとしいれた。結果的に良い部分もあったで済む問題ではない。
なぜ、こいつらが英雄なのだ。
能力や功績、そのような数字で計れるものだけで『英雄』が決められることに断固、反対したい
もちろん、それは無視はできないので曹操は英雄でいいとは思う。偉人も英雄に含めるならば
文化、文学、文明に貢献した人物をいれても異論はない。
また、諸兄らがいままで話し合ってきたことをくつがえすこともしない。
ただ、その点を留意していただければ幸いだ。司馬懿・司馬炎は断じて英雄ではない。
>>905 まあ、まず趙雲から。
長坂で妻子を救ったのは戦略的に何の価値も無い行為。
また、貴方自身言っているとおり趙雲の功績は「地味」。
つまり趙雲は偉業を為したわけじゃない。それは英雄とは呼べないと思う。
次、関羽。
彼が演義で関公と敬われ神として崇拝されるまでになったのは事実だが、
その理由が「当代の猛将・名将を何人も倒して他勢力から恐れられた」ことであるって根拠は無い。
その理屈で言えば、郭シ・李カクを退け呂布や曹操をビビらせた楊奉も英雄になれるね。
(別に関羽が英雄に入ることを否定しているわけではない。むしろ賛成)
最後、諸葛亮。
彼は英雄と呼ぶに相応しい存在だと思う。
ただ、残念ながら彼が行なった政治は独裁政治だよ。
董卓や李カクが行なっていたように諸葛亮は帝を蔑ろにして国を専横していた。
その政治方針が董卓は「恐怖政治」、李カクは「外交政治」、諸葛亮は「内政+外交政治」だっただけ。
おまけで司馬懿。
司馬懿はそんなに姑息に立ち回った印象は受けないんだが。
曹操に冷遇される屈辱、自分を信任してくれた曹丕の早世、諸葛亮のしつこい北伐、曹爽一党による監視。
そういうものを耐えてあの地位を手に入れたんだろう。「忍耐すれば報われる時が来る」……立派な教訓だと思う。
俺は趙雲・関羽・諸葛亮のエピソードには微塵も感動しないが、司馬懿の最後の逆転劇には非常に感動する。
司馬炎が英雄じゃないってのは同意。あれはねーわ。
そりゃ、単なる個人論だな。
中国から見た英雄の概念をまるで無視している。
神聖化すべき英雄というのは
「義を重んじ、財貨を疎んじる」部分より始まっている。
そもそも演義を軽視している時点で中国人の中にある
三国志を否定してしまっているのだがら失笑を買うような
馬鹿馬鹿しい話題をしているようなもの。
>>1のレスでも、演義は省く。とも書かれていないんだし
演義の中での活躍もまた十分な評価対象になりえるはず。
よって趙雲、関羽、諸葛亮は英雄として認定してもらわねば
どこまでの厚顔無恥かと思われ、日本人として恥をかく。
それでも分からないのなら一度でいいから成都にでも足を運んでくれ。
ここは日本だし、多分スレ住人も日本人じゃないの?
だったら日本人から見た三国志24英雄でいいんじゃないの?
この場にいない中国人の感情を考慮する必要は無いだろ。
「中国人の中の三国志」とか言って説得力を他に依存しないで、
自分で「趙雲が英雄である」って根拠を上げて説得力を出した方が良いと思うが。
あと、多分厚顔無恥の使い方間違ってるよ。
厚顔無恥な人間は恥をかきません。
中国人の好みや英雄感なんて考慮する必要ないだろ
趙雲が英雄じゃないなんて許せない、司馬懿が英雄だなんて許せない
なんて言うならむしろ器の小ささに呆れるっての
>>907 演義無視してないから関羽が入ってるんだろ
正史でも関羽の影響力は相当なもんだと思うけど
そういう意味で趙雲と同列には語れないと思う
>>903 中共のやった事を考えれば、虐殺をした始皇帝や曹操を評価したのも
わかる気がするw
>>905 冷静に考えてみると、北伐はする必要がなかった気もするが
北伐しなかったら、ここまで有名になれなかったかもしれないな。
>>906 李カクは「恐怖政治+外交政治」じゃない?
司馬懿は残忍すぎ、曹家に対する忠誠が足りない気がする。
そこがマイナス評価につながってる気がする。
あほの鸚鵡返しみたいに成都の人気投票を出す奴がいるが、
大阪で秀吉が英雄なのを日本人の総意みたいな意見と一緒にしてないか?
あと、関羽は曹操の所に居たとき女をほしがったり、劉備妻子を置き去りに
して、自分の子供は連れ帰っているはずだが。
分かりやすい証拠として関帝廟が存在するのだが?
それだけでも関羽は他の存在とは桁違いの英雄だろ。
三国時代に限定しなければならないということはつまり
三国志の枠を超えるほどのスケールがない存在ということか。
中国史全体から見てたった一時代の小粒な24人を決めるってことね。
それじゃあ、確かに関羽や孔明は対象外になるわな。
英雄とはなんでしょう?
英雄の定義と言われても難しいとは思うけど
やはり人気は欠かすことの出来ない要素なんじゃないか?
後世になって様々なエピソードが追加されたりもするが
それはそれでその人物を敬う行為として作られた話でもあったりするわけだ
いつの世でも尊敬の対象として見られてる証拠とも言えるんじゃないかな
風化することのない人気を誇る存在というのも英雄と言えそうな気がするなあ
>>916 まあ、馬鹿の一つ覚えみたいに連呼してすまないが
やはり個人的には成都武侯祠の存在からそう思ってしまうところがある
ひょっとしたら俺の知識、旅不足で知らないだけなのかもしれないが
魏や呉の将を成都武侯祠のように今でも祭り奉ってるような場所はあるのかな?
そうなれば、趙雲くらいならそれほどの将ではないように見えるかもしれない
それでも演義ではトップレベルの一騎打ち回数を誇り、長い間諸葛亮の懐刀として数え切れないほどの
勲功を立てた猛将というイメージがあり、何よりも知名度が高いというのも英雄に挙げたい候補かな
趙雲の具体的な知名度をあげてくれよ。話はそれからだ。
枠を50人くらいに広げたら周倉も入るとか言いそうだな
人気も演義も「無視できない要素」ではあるが、
>>917は「重視しすぎ」だと思うのは俺だけ?
921 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 01:35:01 ID:1yUzJMVp0
袁紹
曹操、司馬懿、周瑜、公孫サン、盧植
劉備、諸葛亮、関羽、張飛、趙雲、馬超、黄忠
徐庶、ホウ統、馬良、馬謖、法正、姜維
劉封、関平、周倉、王平、ケ芝、夏侯覇
かな
923 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 05:36:47 ID:m3ju9EucO
曹操、荀イク、賈ク、曹仁、張遼、司馬懿、鐘会、トウ艾
劉備、関羽、張飛、超雲、諸葛亮、姜維
孫策、周瑜、魯粛、呂蒙、陸遜、甘寧、陸抗
董卓、呂布、袁紹
どうでもいいんだけど、三国志の登場人物は諸葛公明も曹操含めて、
全員頭が足りないと思う。アジア人だから武将も貧弱。
俺がいたら、農民から、15年で中国全土統一できる。
やはり蜀ファンはろくなのいないなあ。。
三戦板でもこの種のスレで暴れていた
かかかかかか甘寧????
927 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 10:44:50 ID:m3ju9EucO
じゃあ甘寧out張昭inで。これで完璧だ。
>>925 やたら、正史、正史いいたがる魏ファンも似たようなものだよ。いや、もっとひどい。
三国志正史は魏の歴史書がベースなのを忘れないでくれ。
そのまま読んだら魏が強くなり過ぎる。
三国志正史は晋時代の編纂なわけで、魏にとっては不利とは言えんの?
まして陳寿は蜀に思い入れタップリだし、
呉志は呉編纂の呉書が元ネタだし。
正史マンセーな魏ヲタの妄信も確かに酷すぎる。
蜀、呉、後漢連中を見下すなんてレベルじゃないからな。
上の方で何故かマイナーな曹叡は加えて、メジャーな関羽を外すとか
言い放ったアホもいたよな。
正史と演義の両面で活躍した英雄を挙げるべきだろう。
どちらも軽視するわけにはいかないし、どちらに偏りすぎてもいけないと思う。
関羽を外してみろと言ったやつの挙げた24人を見てみたいw
多分24人も挙げられないぞ。
それで結局趙雲は入るの?
考えてみた
曹操、曹丕、夏侯淵、荀イク、司馬懿
劉備、関羽、張飛、諸葛亮
孫策、孫権、周瑜、陸遜
張角、董卓、李カク、楊奉、袁術、袁紹
公孫サン、劉表、劉焉、張魯、馬超
しゅうそうはすいちゅうせんさいきょうなのでふつうにはいるとおもいます
ほうとくもつかまえました
>>929 反論があり、納得されないかも知れないが。一応。
三国志正史は確かに晋時代に編纂されたものであるが、晋は(建前上)魏から正式に禅譲され
天命を正統を受けついだものであり、それほど悪くいう必要はない。
また、司馬一族はかつて魏に仕えており、晋の重臣も同じく魏に仕えていた。
あまり悪くいうと、仕えていた奴らの問題にも発展しかねないし、不愉快に思う
晋の重臣もいるかも知れない。
ただし、禅譲を受けた以上、少なくとも『徳はなかった、もしくは失われていた』的な
表現は必要であり、また、あまり過大な粉飾までは要求されなかった。
(ただし、不名誉な事件は抹消された。赤壁しかり、漢中しかり)
この点を魏信者はおおげさに語り、
『晋は成立上、どうしても魏を悪くいう必要があった。
魏は正史に書かれている以上に優れていた』
と言うわけ。
しかし、基本は魏を優遇しており、陳寿が個人的に蜀の扱いを悪くしなかっただけ。
(そればかりでなく、蜀は漢の後継者で正統はそっちかも知れないと考えるものが
晋にいたと思う。そうでなくてはあの書き方は許されるとは思えない)
だから、三国志正史の扱いは晋>>魏>後漢=蜀>呉となる。
ただ、陳寿は非常の良識のある歴史家であったこともあり、中国史正史にしては
珍しく魏、呉、蜀の扱いに大きな差がない質のいい正史ができた。
また、後に裴松之の注が加わり、さらに扱いに差がなくなった。
(ただし、小説的で信憑性に本文より欠けるのは間違いない。
これを、魏信者は裴松之が蜀ファンでアンチ魏なのもあわせて、
逆手にとって不都合な裴松之の注を無視しようとするわけ)
でも、ベースはやっぱり魏優遇。
陳寿を責めるわけではないが、三国志正史も絶対というわけじゃない。
民間に伝わった三国志伝説を基にした『三国志演義』の方が記述が正しい
部分がある可能性さえも否定はできない。
魏や蜀や呉なんざ扱い良いほうだろ
李カクや袁術とかヒドイぞ。
>李カクや袁術とかヒドイぞ。
そりゃそうだろ
たいした実績ないんだから
劉虞、劉焉、劉協、盧植、
劉備、諸葛亮、関羽、張飛、趙雲、馬超、黄忠
徐庶、ホウ統、馬良、馬謖、法正、張松、姜維
ケ芝、蒋エン、費イ、董允、王平、魏延
かな
940 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 12:43:40 ID:b3zhI3pQ0
中国目線だと恐らくそんな感じだろうなw
中国目線だと魏延は厳しそうだな
942 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 14:51:31 ID:39xed/XKO
綺麗に義経正成蜀漢贔屓するのは専制君主への奴隷精神を受容してた昔のチャンコロとジャップだけ
魏延のかわりに李厳で。
>>942 つ関帝廟の前で1万回土下座+差別用語満載の汚い言葉使いを直してこい
いいから早く埋めようぜ。
947 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 21:14:16 ID:LzQynuY20
>>942 おめーのいう「専制君主」の定義を言ってくれよ。
日本と中国は全く真逆の社会構造なんだぞ。
次スレいらんぞ
こんな無理難題なスレでよく1000近くまで議論したもんだw
英雄の定義決めようぜ
もしくは別の適切な言葉に代えようぜ
本紀級、世家級、列伝級の人間をいっしょくたに語るからおかしくなる。