1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/09(金) 20:27:56 ID:nDuuuLZt0
淵のスレもほしいなあ
もうちょっと反応見てからにしたほうが良いよ。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/09(金) 20:38:11 ID:nDuuuLZt0
夏侯一族でまとめたスレがほしい
そしたら覇や楙wも語れる
夏侯スレならまだな
惇一人では三国志スレ乱立するなと言われても仕方ないぞ
52 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2007/02/09(金) 20:43:00
>>29 個人スレの場合はもっと考えてから立てるべきだと思う
確か三国志関連は20スレぐらいが妥当ということが前に中英で言われてた訳で
優先度としては総合スレ>個人スレにすべき
夏侯惇とか曹真とかは一スレで使うべきでないだろう
だ、そうだ。
冷たい言い方をすれば、他に相応しい板がまだあるからな。
元スレ住人だが英雄板で曹操とかとはりあうなんてとてもとても。
まぁ、夏侯嬰を語ろうじゃないか。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/09(金) 23:58:03 ID:Ua4bsNC2O
夏侯始昌とか夏侯勝も
夏侯尚とか
曹・夏侯一族を語るスレにしたらどうよ
夏侯楙について語り合いたい
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/19(月) 05:19:39 ID:fMQJ5ueO0
がはぁ!
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E4%BE%AF%E6%83%87 夏侯惇(生年不詳 - 220年_)は中国、後漢末から三国時代の武将。字は元譲。豫州の沛国譙県(現在
の安徽省亳州市)の人。前漢の高祖に仕えた夏侯嬰の末裔という。曹操と夏侯淵の従兄弟に当たる
(演義では夏侯淵の兄)。また、『三国志』(裴松之注引)の『曹阿瞞伝』によると、曹嵩(曹操の
父)は叔父に当たるという。
略歴・人物
生涯
14歳の時、学問の師を侮辱した男を殺し、荒い気性を持つ人として知られるようになる。曹操が拳兵した時
から武将として付き従い、190年に司馬に任じられた。曹操が董卓配下の徐栄に敗れると、夏侯惇は曹操と
共に江東の丹陽郡などへ出向いて、精強な兵士の徴集に当たった。その後、折衝校尉・東郡太守に任じら
れた。
194年、曹操が陶謙を攻撃すると、夏侯惇は濮陽の守備を任せられる。呂布が陳宮らと謀って兗州を急襲し
た時、荀ケに呼び出された夏侯惇は、到着したその日の内に、城内で叛乱を企てていた者たちを速やかに
逮捕して処刑した。その後、曹操の家族を守るために軽装の兵を率いて鄄城に向かうと、呂布の本隊と遭遇
した。呂布は濮陽に入り、部下の将に策をもって夏侯惇を捕らえさせた。夏侯惇の陣営は恐怖に陥ったが、
夏侯惇に属していた韓浩の果敢な対応で、夏侯惇は救出された。曹操が帰還すると呂布討伐に従軍したが、
左眼に流れ矢が当たる怪我を負った。王沈の『魏書』によると、このことから、夏侯淵と区別するために盲夏
侯とあだ名された。だが夏侯惇は嫌がり、鏡で自分の顔を見る度に怒って、鏡を投げ捨てたという。198年、
呂布配下の高順が沛にいた劉備を攻撃すると、その救援に赴いたが、自身も高順に敗れた。
陳留太守・済陰太守を歴任し、また建武将軍を付加され、高安郷侯に封ぜられた。(陳留の)太寿の川をせ
き止める堤防を築き、自らもっこを担いで稲を植えるよう指導した。このように夏侯惇は将軍の任務の他に、
孫権の配下に対して中央の辞令を送ったり、韓浩・衛臻ら忠勇の士を推挙したりするなど、実に幅広く実務を
こなしていた。199年には、洛陽の長官である河南尹に転任した。曹操が河北を征伐するとその後詰めを務
めた。
劉表を後ろ盾にした劉備が曹操の留守を狙って葉へ侵入すると、夏侯惇は于禁・李典を従えてこれを迎撃
した。劉備は屯営を焼き払って博望に撤退した。李典は「伏兵があるので追ってはいけません」と諌めたが、
夏侯惇はこれを聞き入れずに追撃し、伏兵の中に入り込んだ。夏侯惇の軍は不利だったが、守備していた
李典が救援に駆けつけたため、劉備は撤退した。
204年、鄴が平定されると伏破将軍に昇進した。206年、并州の高幹が劉表と結んでいた張晟と共に反乱
を起こし、河東の衛固・范先がこれに呼応すると、曹操は夏侯惇を彼らの討伐に向かわせた。河東太守の
杜畿は、夏侯惇の軍が着く前に衛固らのもとへ行って油断させ、それから張辟に篭って彼らを防いだ。そこ
に到着した夏侯惇が高幹・張晟を撃破し、衛固・范先を捕らえて処刑した。
217年、曹操と孫権が濡須口で戦ったが、互いに被害を出したために和睦が成立した。曹操は許昌に帰還
する際に、夏侯惇を揚州方面全二十六軍の総司令官に任命し、呉との国境付近の居巣湖辺に留め、曹仁・
張遼・臧覇・司馬朗らを率いさせた。その直後、孫権は曹操に対して臣従の意を示した。
220年1月、曹操が亡くなり曹丕が魏王を継ぐと大将軍(三公を凌ぐ軍務・軍政の最高職)に任命されたが、
夏4月には曹操の後を追うかのように病に倒れ、翌夏5月にはこの世を去った。諡は忠侯。
長子の夏侯充が後を継いだ。233年(曹丕の嗣子・曹叡の代)には、曹仁・程c(220年没)と共に曹操の
廟園に祀られた。
『三国志』では夏侯惇の武勲はあまり書かれていないために、一般的には夏侯淵のような派手な戦をせず、
地味であったとされている。しかし、明帝紀など他の人物の伝には、具体的ではないものの、武功が非常
に高かったということが記されている。
人柄
性格は清潔で慎ましやかであり、お金が余れば人に配り、日頃から学問や鍛錬に励んだという。このことは、
許昌に最近まで残されていた夏侯惇の陵墓を発掘した際に、埋葬品がたった一振りの剣しかなかったことか
らほぼ実証されている。また、曹操からの信頼が最も厚かった武将で、車への同乗や、曹操の寝室への自由
な出入りが唯一許されるなど、『不臣の礼(配下として扱わない特別待遇)』をもって遇された。魏王に即位し
た後の曹操の配下では唯一漢の官位に就いており、朝廷での立場は曹操と同列であったという。
官位
裨将→行奮武将軍司馬→折衝校尉・東郡太守→建武将軍・陳留太守→建武将軍・済陰太守
→建武将軍・河南尹→伏波将軍・河南尹→前将軍(上奏して魏の官位として受ける)→大将軍
演義での夏侯惇
『演義』では、軽率なところはあるものの、武勇に優れた猛将として描かれている。董卓配下の徐栄を突き殺
し、呂布配下の高順を一騎打ちで追い払うなどの活躍を見せた。呂布との戦いで曹性に左目を矢で射抜かれ
ると、左目に刺さった矢を引き抜き、自らの眼球を「身体髪膚これ父母にうく」と叫びながら喰らって後、左目を
射抜いた曹性を一振りで殺した。関所破りをし直属の部下を殺した関羽(演義では最強クラスの武勇を誇る)を
追いかけた際の一騎打ちでも、10合ほど打ち合い引き分けに持ち込んでいる。
劉備に仕えることになった諸葛亮を叩くため、10万の兵を率いて新野に攻め込んだ際、敵先鋒の趙雲を追い
払うために博望坡の奥まで深入りしてしまう。副将の李典に「博望坡は火計をしかけるのに優位な土地だ」と
警告された直後、夏侯惇は諸葛亮の火計にかかり、大敗してしまった。大勢の兵を失った夏侯惇は、処刑を
覚悟して自らの体を縛り曹操と対面したが、曹操は夏侯惇を許した。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/07(水) 23:40:44 ID:pmuyLG0K0
夏侯淵 >>> (超えられない壁) >>> 夏侯惇
夏侯惇、夏侯惇 、夏侯、惇惇と惇惇!
元譲!(・∀・)
>>16の埋葬品の剣の話って本当?
とつい疑いたくなる
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/13(火) 15:02:16 ID:PHFMuFMZ0
盗掘されたのでは?
工場建設の為に壊してしまったようだよ。
(工場の敷地内に淵のお墓は残ってる)
それで埋葬品の事も判明してる。
おまいら無双OROCHIはやったかい? 強いぜd兄!
相変わらずモートクバグだけど
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 23:46:54 ID:xGzfb26L0
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 19:36:45 ID:qzGUIFRRO
妙才たんの墓も発掘して、どのような戦死の仕方だったのか明かしてほしいなぁ
ミスターナンバー2
>27禿同
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 16:26:02 ID:ywpX531HO
夏侯ミョーサ
30 :
尾部流朱体院:2007/04/04(水) 16:48:14 ID:9r186y9qO
組織にナンバー2など不要
(´・ω・`)ショボーン
(´・ω●)
(´・ω●)
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/25(水) 07:26:08 ID:KC1L5stJ0
命日age
(・ω▼)
恒例の命日保守
合掌しにきました
明日は夏侯惇が主役機の漫画『雷霆の如く』の単行本が発売するな
惇兄ロボットなんだっけ?
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/28(土) 22:40:28 ID:4f2aHk6EO
うんそう。単行本の帯に「これが夏候惇!?」と銘打たれていたよ
夏侯惇の左目を負傷させたのって高順?
>41
演義では曹性
夏侯惇
強情もいい加減にしろ
まー
保守
…だけではなんなので
ロボ惇読んだが、出番が少なくて物足らん
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 19:56:46 ID:8sO/Yiuq0
義眼は入れて無かったのかな?
でないと顔が歪むだろ
でも義眼って言っても何入れるんだ?あの時代で眼に入れれそうなのは…木とか石とか水晶とかか?
琥珀とかどうよ
木は雑菌が恐いから、やっぱり石かねぇ
中国だけに翡翠とか
琥珀も翡翠もかこいいな!
しかし無難な所で水晶ではないかと思う
妖を映すことができる青水晶の浄眼じゃないのか
うしとらktkr
むしろ敵の術を見ただけでコピーできる車輪g(ry
(´・ω・`)
(´・ω●)
(´;ω●)
(´;ω⊂ グスッ
(´;ω●) ヽ(`Д´)ノ イイトシヲシテ ナクヤツガアルカ!! バカモノ!!
(´;ω●) ヽ(`Д´)ノ
(´;ω●) ヽ(`Д´;)ノ ..........
(´;ω●)ヾ(`Д´)ノ
ほのぼのだなwwww二人とも可愛いww
飯スレ再び?
まあ飯だぞは他にもあるんだし、ここはここで良いんじゃね?
ふと疑問に思ったんだが…惇の息子の夏侯充ってあんまり名前聞かないけど、何かやったの?
むむむ…なんという過疎
何がむむむd……確かに過疎だな
吉川惇、北方惇、横光惇、蒼天惇、スイート惇、人形劇惇、無双惇、ロボ惇等々…
どの惇がすき??
全部!!……と言いたい所だがここは敢えて『一騎当千アホの子惇ちゃん』で
蒼天とドラシス
ロボ惇とスウィートは見た事無いから吉川と北方と蒼天で
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/31(木) 04:44:06 ID:8Gmwm2w80
夏侯惇が囚われの身になった事件だけど
どの作品の惇も捕まえてる側が気の毒になる奴ばっかだな〜
飯とか差し出そうとしたら噛み付いてきそうじゃん?
北方惇はそうでもなさそうなイマゲ
>68 >噛み付いてくる
猛
惇
注
意
これがホントのdデライオン
○○○
○ ・ω●○ 猛dがおー
○○○
.c(,_uuノ 。<うるせー!メシつくれ!
○○○
○´・ω●○ 近づいたら噛みつくよ
○○○ でもご飯は頂戴ね
蒼天惇兄だったら間違いなく噛み付きそうだな
鋼鉄三国志に惇兄って出てないのか?
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 00:06:26 ID:K9KcknNH0
ボクちゃん的にはどうでもいい作品だけどw
曹仁が出て来たから夏侯惇もそのうち出るんじゃないのかな?
そうか…dクス!
でも惇兄のためだけにアレを見る気にはなれないよな…
>>64 ブロン惇を忘れておるぞ!
全身黒尽くめでなかなかかっこいいと思うがどうよ
超邪道だが一騎当千は惇だけがイメージ通りだったりする
>>79 どんなんなのかGoogleで「一騎当千 夏侯惇」のイメージ検索したら夏侯惇妙才っていう
謎の女の子が…。
しっちゃかめっちゃか
果たして惇なのか淵なのか…
そして一騎当千の惇兄は阿呆なのか馬鹿なのか…www
>夏侯惇妙才
誤字じゃなくて実際にそういう名前なん?
無双の夏侯惇と夏侯淵がフュージョンしたようなのを想像したが。
いや、一騎当千で女って事は淵なんだと思うけど
ただ単に名前間違っただけじゃね?
もし無双の惇と淵がフュージョンしたら攻撃モーション&乱舞は淵
弓攻撃力は惇になりますがよろしいか?
>そして一騎当千の惇兄は阿呆なのか馬鹿なのか
一騎当千の夏侯惇は隻眼の好漢で曹操のマブダチで激強
>>86 美少女だらけとかあり得ないって思ってたけど…
それなら、それだけのために読んでもいいなと思い始めてる。
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 04:32:13 ID:0Y2xMtm60
一騎当千は全員が女というわけではなく、曹操や周瑜などもイケメン。
強さや性格が史実通りでもなくて、意外なのが強かったり弱かったり悪かったりする。
特に張遼や甘寧は悲惨な部類に入る
つまり作者は三国志人気にあやかっただけで武将のことをろくに知らないということだな
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 12:57:13 ID:YkdcNGxV0
そういや覇LORDの夏侯惇&淵も久しぶりにまともな台詞を喋っている気がするな。
どうやらこれから青州黄巾残党の吸収を行うようだけど
>89 絵はそれなりに整っているのだから、あれでちゃんとした考証だの
三国志の人物への愛着だのが備われば後の大将軍にもなれるものを、塩崎!
龍狼伝の惇ってどういうのだろ? 曹操は、外見は偉丈夫なんだけど中身がお茶目
っていうか何て言うか・・・ ランペイジの曹操が結構イメージ通りだった。惇は出番少な過ぎたけど
ジャーンジャーンジャーン
あつはなつい
日焼けするとやっぱり、眼帯のとこだけ白いんだろな
砂埃舞う戦場から帰って眼帯外しても同じことがいえるな
眼帯のところだけきれい
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/07(土) 23:47:32 ID:iJ9s0j1r0
そういやビッグコミックONEっていう時代劇誌で曹操が主役の漫画やってんだが
今回は夏侯惇が出て来たよ。
>94
お、読んでみたいなぁ。
どんな感じだったかちょっと聞かせてくれないか。
やっぱ蒼天みたいな兄貴キャラなのかな
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 00:39:19 ID:Jp/TlktW0
>95 ううーん、まず最初に言っておくとあんまり史実に即したようなストーリーじゃないんだな。
惇兄ら四天王は曹操より年下だったってよく言われているけど、
敢えてなのか阿瞞より年がちょっと上ぐらいに見えるし。
「師を侮辱した人物を殺害した」勇猛な人物ではなくて、
むしろ仕方なく暴挙に出てしまった温和な人物像にされている。
そういやコミックフラッパーの怪力乱神クワンに出て来る阿瞞は格好いいな。むしろ美形すぎるw
夏侯家でなかなか子供ができなくて、ぼろぼろできた曹操パパに惇パパから
ひとりくれって言われて、いやだ瞞そう。→パパの口癖から阿瞞といわれるようになった。
つうのをどこかで読んだ気がするんだけど出典なんだったかなあ。
だから、普通に惇兄は年下なんだと思ってた。
元の字から夏侯家の喜びが見える気がしてたよ。
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 19:44:45 ID:a9Zgdv/PO
惇兄って奥さんいた?
ビッグコミック1の漫画地味におもしろい
>96
曹操が15歳で夏侯惇が14歳と描かれているよ
いるよ>奥さん
宴会に引っ張り出して、部下に窘められてるwww
息子もいるよ
借財でぼろぼろなのが
嫁さん自慢した事を咎められたのって惇だっけ?
子は夏侯楙だけ有名だな。そのダメさ加減で。
でも誅殺されたり、敵国に亡命したりしてないだけマシだと思うが
蒼天航路で「夏侯惇の末娘」を是非とも絵にして欲しかったな。えらい別嬪さんだって事なんで
102 :
95:2007/07/13(金) 17:29:48 ID:gxnPLvTm0
>>96 ありがとう、読んでみたけどけっこう面白かった。
惇が意外に影薄かったけど…でも穏やかな惇は結構いいね。
しかし
>敢えてなのか阿瞞より年がちょっと上ぐらいに見えるし
これは阿瞞が小さすぎるのがいかんよなwww
>>96 そういえば蒼天航路も四天王が阿瞞より年上っぽかったね。
軽く10歳くらいは違いそうな風貌だったのにいつのまにか
曹操より四天王の方が見た目若くなってた
>>100 字面だけみるとDQN家族っぽいなw
>>103 あれは同じぐらいの歳だったのに阿瞞がちっちゃすぎたのではないかと思っている。
そして長男を弟たちが結託して潰そうとしたりもしてたな。
家庭不和もいいところ。
お父さんは基本的に地味で温厚な人柄だったっぽいのに何がどうなってこんなことに…
やっぱ仕事人間すぎたとかなんだろうか。
仕事人間で家庭サービス不足だったのにくわえて
給料もらっても必要最低限しか家に入れず残りは寄付してしまうので
身分的には高給取りなのに生活はかつかつ。
子供たちはあれが欲しいこれが欲しいと思うのに買ってもらえない。
とくに長男は「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい!」といわれる。
友達が欲しいものを買ってもらってる姿を見ては夜に枕を濡らす日々。
生活切り詰めてまで寄付するなんて偽善じゃないか!
大人になったら好きなだけ欲しいもの買ってやる!
綺麗ごと言ったって所詮は金!金なんだよ!
こうして長男は立派な拝金主義者になりました。
楙のことなら長男ではない罠
すまんかった。夏侯充ごめんよ。
つかぼーちゃん以外異様に影薄くね?字しかわからないとか字がわからないとか。
親父は爆濃なのに。というかぼーちゃんのキャラ立ちも「ダメ人間すぎる」が理由だし。
なんか曹操と曹洪のダメなところだけハイブリッドって感じすらする。
淵の方の子は優秀でいい子多いのになあ。
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 05:34:41 ID:NPr+depV0
視界内に鏡が入るたびに叩き割っている親父の姿は情操教育には良く無さそうだな
109 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 06:34:14 ID:gsW+zK9uO
当時の鏡って銅鏡でしょ。
それを叩き割るって、ある意味スゲーぜ、惇。
無双5のムービーフォトで惇がもう出てるね
まさか惇のリストラはねえだろと思ってたけど、安心したわ
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 20:56:07 ID:zuRUhD/N0
夏侯淳なにもしてないよ夏侯淳
夏侯楙はいちおう曹丕とは仲良かったんじゃなかったっけ?
奥さんの清河公主は曹操に似たのかすげー気が強いよな
この夫婦のエピソードは殺伐としすぎ
>>112 実はちーちゃんと仲の良い丁儀(目が見えないけど)のところに嫁ぎたかった。
しかし、曹丕に曹操が説得されたので坊ちゃんの所へ嫁ぐ。
丁儀も処刑され、嫁いだ夫は真性のボンクラ。ハズレくじ引かされたことに怒り心頭などと妄想。
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 02:42:45 ID:1txA/yVG0
美人の嫁さんは大抵が不幸な人生だ。
曹丕はなんで丁儀じゃなくて夏侯楙とケコーンさせたがったんだろ
>>115 正史の注によると、丁儀が曹植を後継者にしようとした為、曹丕は恨んでいた。らしい。
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 23:32:13 ID:IieAplVl0
夏侯充は何で無名なの?
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/01(水) 21:49:02 ID:fuijC4YR0
さぁ
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 16:15:53 ID:3CZrx0tgO
無双5の惇兄、髪短くなってた。
無双3が最強にカッコ良かったなぁ
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 19:49:29 ID:P4Mc8yJR0
短髪は初?
無双2もオールバックで短いよ
でも前髪が降りてるのは初めてだね
すごく若く見えるなー
122 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 09:30:03 ID:6sfwktXR0
紅巾の乱の頃を再現してるのかな
大殿がどうしたって?
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 18:17:35 ID:fciUZAM00
夏侯充は早死にしたの?
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 21:05:45 ID:sO0p6xcwO
最初の方にもあったが発展の為とはいえ
墓を壊すのはどうかと思う
蒼天が連載中だった頃モーニングでツアーがあって
張飛廟がダム建設の為壊されるって書いてあった
どっかに移転したのかな?
惇の墓行ってみたかったな…
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/20(月) 09:25:38 ID:ZfRBhV5p0
惇の墓にメダマの親父でも入れてくるか
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 15:49:15 ID:LPYZREeA0
せめて副葬品の剣ひとふりとやらが今どこにあるのか知りたい。
そして見たい。
捨てたり溶かしたりしてないよな?な?
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 18:51:11 ID:4iqi7z/Q0
惇は正史ではヘボ
フォローで勇敢な将と書かれているけど
曹操と懇意の間柄もあってか信用できん
おそらく凡将だったんだろう
夏侯禅譲
>>125 スレチだけど太史慈の墓が地元民の洗濯物干す場所にされてると知ったときもショックだった
墓が残ってるのにそういう扱いなんて…
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/29(水) 21:34:04 ID:o48P4Ett0
さすが太しくん
ヘボというが給料はすげぇな。度々加増されて2500戸もある。
曹丕、叡時代の加増がないことを考慮すると一番じゃないかな。
長期間活躍したら加増回数が増えるから張コウの4500とかなるけどさ。
臧覇がなんで3500もあるのかわからんが・・・
文官は給料安いね。惇兄はこんな給料あっても貧乏だったんだな〜
不思議なのはほかの親族や名将連中は給料良いのに、魏で屈指の戦功
を上げ西域では鬼神のごとき、猛将夏侯淵が800円という給料なんだよね。
他と比較して明らかに安い。 李典300円も安いがこれが超一線クラス下
の相場かもしれない。
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 10:22:29 ID:CrO0JfLd0
300円?800円?
800戸300戸
惇兄の辺譲殺害って演義のうそ?
どこぞに書いてある?
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 09:50:30 ID:/R6I3Qiy0
知名度の割りになにもしてない武将NO1
なにもしてない奴を大将軍にしたりするのか
まず、普通の奴なら見限る状況下でもずっと従って苦楽を共にしてきたっていうのは
何にも勝る功績だろうな。
こいつは絶対に裏切らないっていう安心感のある部将ってのは貴重な存在。
惇兄は存在に価値がある。 実は実績だけ見ると功臣中断トツて
ほどじゃないんでね?という功臣筆頭は王朝設立メンバーには多数存在
する。後漢だとトウ禹とかも俺はそういう感があるな。
ゲームじゃない実際の組織てのはボスにとって必要なものは単なる
戦争能力や謀略能力だけじゃない。曹操にとって惇兄がそれだ。
しかも惇兄は、並以上の能力や私財に走らない性格、名士人脈が広い。
惇兄の価値 PreiceLess☆
priceless打ち間違えた☆
143 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 17:51:44 ID:WWjhABCc0
>134 臧覇は黒山や白波みたいな一勢力を率いたまま曹操に降ったから。
そのまま青州の統治を委託されてるので自然、禄も高くなる。
長生きしてて仕えた期間も長いしね。
そういや惇兄とは征呉戦での同僚だ
princess☆
に見えた
夏候惇って演技と正史とで全然違うね
横山から入って、のちに史実みたらメチャクチャ騙された気分だ・・・
ま、これは夏候惇だけに限らないけど
>>145 惇スレで堂々と夏候惇って書けるお前の勇気に感服w
( ^ω^)( ^ω^)( ^ω^)
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 20:16:04 ID:QFQWsmVl0
まぁしょせんトンだしな
149 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 18:58:14 ID:993lYstSO
人間的には凄い好きだけど、能力は並でしょ。なのにほとんどのゲームじゃあ魏軍のエース級なのが腹立つ。
もう曹操専用召還アイテムでいいじゃない<ゲームでの扱い
ゲームとかで猛将扱いされてるせいで
「実際はへぼいじゃん」みたいなことを言われると
ちょっと凹むんだよな。
正史の惇が好きだからこそ。
最前線で敵を斬ることだけが手柄じゃない。
無理に強くしないでいいのに。
>ゲームとかで猛将扱いされてるせいで
ゲームは基本的に演義ベースだから仕方ない。
だから文句は演義作者や講談師にいうべきだが
なんで夏侯惇が猛将として語られていたのか気にはなる。
忠臣だから講談師たちが花をもたせたのだろうか
14歳で人殺しとか 片目とか
猛将フラグ立ちまくってるからだろう
おまけに曹操の仲良しポジションで、
劉備にとっての関羽・張飛枠にあてはめられるし
今の感覚でいえばただのDQNだな<14歳で人殺し
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/21(金) 09:22:04 ID:m2wM0jLr0
短慮な芋武者フラグだな
エンのほうが優秀
>>152 惇に限らず、淵も、曹仁も、演義じゃ似たような猛将タイプだろ。
要は、悪の曹操軍団の最高幹部の一人として、
蜀軍にやられる役として扱われてるのじゃない?
ある程度手ごわい猛将じゃないと、引き立て役には不十分。
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 21:37:32 ID:tECOda2l0
ギエン>>>トン
なぜ魏延と比べる
鋼鉄三国志は結局惇兄出ませんでした。
まあ、出なくて良かったと言えなくもありませんな
代わりと言ってはなんですが、
comics.yahoo.co.jp/magazine/sangokushi/sanngoku04_0001.html
火鳳燎原でついに惇兄ら四天王が登場しますよ
四天王なぁ
惇より高順のほうが好きな俺には演義では
惇が高順に勝つという全くの逆になっていることに腹が立つ。
あっそ
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 23:48:36 ID:cGkOpW8e0
たしかに、高順のほうが明らかに強いよなぁ
惇兄の墓は、跡形もなく無くなっちゃったの?
いつか行ってみたいと思ってたのに残念
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 19:26:00 ID:SBg7piTg0
高順じゃなくて張遼の軍と戦って片目を失っていたなら
後の関係が面白い事になっただろうに。
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 03:17:08 ID:fHEvG21V0
初めまして。
高順と言えば、なんかの戦いで惇兄と打ち合って引き分けたという話が
あったような気がする。
それはまあ演義だけどな。
高順は当時「陥陣営」とまで呼ばれた局地戦上手だから
それに分けたなら大したものだな
所詮演戯の捜索
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/28(日) 10:53:15 ID:mO09sK7i0
ザ・過大評価
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 14:46:52 ID:DqYS2L8/0
惇に逮捕された衛臻カワイソス
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/04(日) 21:33:39 ID:kn9rjrmdO
あと一週間で無双が出るね!
今度は少しワイルドになったよ孟徳(´・ω●)
なんか無双5の評判が悪いな
惇兄かっこよかったよ!>無双5
ゲームの出来があまりに終わってるらしいので買う気はないんだけど
惇のストーリーだけは気になるんだよな。
ネタばれしてくれると助かる。
無双5買ったけどまだブレストしてるから封印中
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/20(火) 09:23:42 ID:nCl0lh4V0
創価層化
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 11:29:32 ID:h5ooINq90
無双5ってキャラへったのか
トンはいらない子
いるよ 超いるよ
どうでもいいけど トン って響きがかわいいとおもう
音だけ聞いたら小さい動物キャラを連想するな
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/05(水) 14:54:54 ID:j3DWuSPD0
だから御大は「じゅん」と発音させたんだろうか
ソーソーとかトントンとかパンダにいそうだよな
エンエンとかジンジンとかもいそうだな
安くなってきてたから無双5かったよ。
最初から最後前までずっと曹操と絡んでた。
さらに曹操のシナリオでも絡んでた。他に友達いないのかよ。
186 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/11(火) 22:41:34 ID:ssrj6gwG0
(´;ω;`)かわいそうです
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 21:16:30 ID:Ren+O8+B0
三国志武将をパンダ名にするなら、
惇兄が最強
いい線いってるのが リュウリュウ、ケンケンあたりか
ギエンとかシバイはパンダには向かないらしい
亀だが
>>162付近
吉川三国志だと、
高順軍との戦闘中に曹性に目を射られて例の目玉喰いの後、曹性を斬ったものの
劣性覆せずになんとか血路を開いて逃げきる。
勢いに乗った呂布軍に曹操軍は撤退を余儀なくされる……って感じで
高順が夏侯惇に負けたような風にはなってないよ。
原典の演義だとどうなのか知らないけど、ここで夏侯惇が高順に勝っちゃうと
このあとの劉備が逃走して人肉喰うイベントが起こせないから、演義でも夏侯惇は負けてるような気がするんだけど、違うの?
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/17(月) 05:36:42 ID:CRVqegNEO
そういや、蜀や呉の人物のスレは三国志板にも沢山あるのに
魏将のスレは もしかしてここだけか?
>189
今ざっと見ただけでも曹操、司馬懿、荀ケのスレがあるぞ
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 09:46:53 ID:2JsptojE0
後は曹真ですか。
郭嘉も
>>188 吉川版は知らないけど、演義ではその前段で高順と夏侯惇が渡り合い、
高順が敵しえず逃げているところを曹性が目を射るというくだりになる。
曹性はぶっすりやられるが、高順は陣へ戻る夏侯惇を追撃して大勝利。
戦の勝敗自体は歴史と同じ。
しかしさ、演義の夏侯惇も大概だが、高順だって相当の妄想補正が必要な人物だろ。
同じ妄想(演義)に腹立てるようなことじゃないよw
194 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/20(木) 10:27:15 ID:k47E40zj0
高順=陥陣営
夏侯惇=盲夏侯
(´;ω●) …
今年もdタクロースの季節となりました
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/27(木) 09:37:24 ID:FnBUzImJ0
(´;ω;`)かわいそうです
198 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 14:47:39 ID:UIiHTC3n0
カコウトンは何もしてねーなw
(♯^ω^) ビキビキ
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/09(水) 03:15:27 ID:E6Yw7GGzO
悖と惇の字は似ている。
夏侯悸
師を侮辱した男を撲殺したと隻眼になってもなお盛んとか
そういういかにも猛将然としたエピソードにも関わらず
史実においては負けと留守番ばかり
にも関わらず曹操に重用され不臣の礼まで取られたというのが
惇の不可解な魅力ではあるよな
やっぱり後方にあって重きをなすタイプの将だったのか
封建制では、少なくとも馬鹿ではなくて忠誠に疑いのない血族ってのは、
戦の上手い下手なんざ屁のカッパくらいの価値がある。
忠誠が制度として保証されない乱世ならなおのこと。
重臣高官としては、夏侯惇らは他の外様武官とは二周りくらい格が違うだろう。
(于禁と楽進はその中でも頭半分抜けてたようだけど)
結局、惇・淵、曹仁は曹操にとって換えの効かない人材だったってことだね
淵と比べてどうか、というのは少し議論の余地があるのかもしれない。
不臣礼の時にすでに夏侯淵は死亡しているわけだから。
兄弟でそれぞれ別の勢力についてる奴や
親が重臣だったのにほかの勢力に寝返る奴とか普通にいたわけで
血縁というものがどれだけ重要視されてたのか疑問だな
血縁にくわえて何かプラスαの要素がないとああまで重用はされないんじゃない?
夏侯惇はそのプラスαが何なのかわからない。
残ってる資料によれば「人柄」というのが一番可能性としてはありそうだけど
人柄だけで最高級の待遇を受けていたとしたらそれはそれで凄いことだな。
自分が何かの最高権力者になったとき、どんな奴にならその組織の運営まかせるよ?
人柄以外は凡人レベルの能力しかないというのが前提でな。
俺?俺は我が家で最高の権力者で信頼する相手は嫁だよ。
嫁が化粧しなくなったら多分解雇したくなるわ。
血縁というのは、当時の倫理観の最上位に位置するものだよ。
これが現代との最大の違いだ。
忠臣より孝子が貴ばれる。
身内で争った者はいくらでもいるが、それでもなお、
当時の人間は自分の家を隆興し盛んにするために命を賭けたんだ。
だから血縁の人間は他人よりはるかに信用度が高いし、
下の人間にとっても「ここにいれば見捨てられない」という安心感は絶大だったろう。
夏侯惇の場合、戦では于楽張徐張らの足元にも及ばない凡才だったのかもしれないが、
河南尹や対呉戦線二十八軍の総司令官などという職について大過なかったのは
少なくともそこらに転がっている「凡人」とは比較にならないレベルの凡才であろうと言える。
曹夏侯家の人間は他にもいただろうに、史書に残っている数人の筆頭なのであるしね。
ただこれを人柄と言うのはちょっと違う気がするな。
夏侯惇には瑕疵になるエピソードも少々あるし、特段人徳を褒められてもいない。
実はその矢は曹操が放っていた。
そう、彼の片目を奪った矢だ。
「あ、やべぇ、間違ったww」
それ以来、夏侯惇は厚く用いられたのだった。
207 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/13(日) 13:26:06 ID:bCpcDmJZ0
イイハナシダナー
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/13(日) 13:50:37 ID:rgOVuWJb0
書かれていないだけでいろいろ活躍があったに違いない
と思いたい
曹操の部屋に出たゴキブリを退治したとか
動物の世話が得意だったとか
肩たたきが得意だったとか
森 成利(蘭丸)のようなものか?
蘭丸って雑用と男色くらいしか浮かばないんだけど何かやったっけ?
夏侯惇については
>>202の話題が堂々巡りするけど
結論に近づくのにヒントが少なすぎるのがねえ。
タイムマシン欲しいな
たぶん超頼れる兄貴で
曹操が駄目になりそうな時に叱ってくれたんだよ
そもそもどっちが年上かもわからんのだよなー
そのタイムマシンに便乗させてもらいたい
>210 男色って、ソースあんのか?
惇兄と曹操の間で男色説成立させるなら惇兄女性説のほうがまだ…
>>215 ソースはシラネ
でもよく信長の衆道の相手をつとめたとか言われてるじゃん
人柄=完璧な人格者というわけじゃないからね。
欠点があるから愛されるってこともあるし。
張遼もそりの合わない人や中がこじれた人がいたというだけで
傲慢な性格というわけじゃない。
5月からの三国志展に惇の遺品来ないかね
遺品の剣て中国のどこかで展示されているんだよな?
許昌博物館とか?
倚天で検索すると金庸さんのオンパレード
>>216 最近やたらそれ言うヤツいるけど
ソースってなに?
キモイから辞めて欲しい
224 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/18(金) 15:49:03 ID:0HWPFyu00
創価、層化。
曹操も信長も、あれだけ女がいて何故に男色にふける必要が・・・
>226
ネットで検索してみても、惇が女なんじゃね?って言ってるの腐女子以外は一人だけのような
気がするが……。
しかもその根拠が『寝室の出入りを唯一許されていたから』だし。
別に普通に主従で親友な関係だった…でいいと思うんだけどな
ごめ。アンカー間違い
>216
そういうのは説じゃなくてネタと言うと思うんだ
いや唱えてる本人が本気なのかは知らないが
謙信女性説みたいな・・・あっちは本気がいるか
上杉のは、けっこう聞くけどこの人の女説は初めて聞いたな。
ネタか本気かわからないけどそういうこと言っている人もいるんだね。
>>226 同じ惇でもならネタがネタだと分かるくらいの方がマシだと思うんだぜ。
片目だけだと残った方の視力落ちそうだよな
>>232 それは思うな
留守番が多かったのはそれも理由じゃないだろうか
視力がおちたらその分聴力が向上するのかな?
漫画とかだとそういう展開が多いように思うけどどうなの
全盲かよほどの弱視じゃなければそれはないだろう。
それに成人後に盲目になっても聴力の発達は高が知れてると思うな。
236 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/21(月) 11:44:37 ID:F5hTmu6U0
片目になったなら、その分は弓矢とかを鍛えて補いそうな気がする。
片目だと距離感がつかめない&視界が狭いのコンボで弓術は無理だな。
というか武人としては死んだも同然。
>武人としては死んだも同然
>武人としては死んだも同然
>武人としては死んだも同然
武 人 と し て は 死 ん だ も 同 然
(´;ω●)ブワッ
夏侯惇は武辺者じゃなくてエリートの仲間入りだから問題ないよ
>>239 腕に覚えがあった人間ほど、
>>238のようになりやすい。
「そういう仕事をしなくてもいい」というのとは別で、人生観の問題だからなぁ。
>>241 当時の人生観では、「やったー最前線やらなくて済んだ上に要職だー」って喜んだと思う
片目になったのは悲しかっただろうけどな、孝経的に考えて
>>242 曹操が既に位官を昇り詰めていたなら、そうかもしれない。
しかし、エン州刺史でしかなく、そのエン州も呂布に大半を奪われた人生最大のピンチ。
そんな時にドロップアウトして喜べるはずも無かろう。
でもって、その後司空となった後は前線から外れっぱなしで、汚名返上もまま成らなかった訳で。
>>243 で気落ちする夏侯惇に「いやお前はお前でやれることあるから気にするな」って感じで重用・・・
・・・などという気遣いしてるヒマがある時代じゃないよなあ。
政治家あるいは戦略家としての才能が多分にあったんだろうな。
資料が少なくて想像の余地がおおいにある人物なんだから
夏侯惇を主人公にした漫画や小説がもっとあってもいい
曹操という有名な英雄の右腕だから物語を作る材料には事欠かないだろう
某ロボット漫画は設定は面白いのにその設定が無駄になってるから残念
四方を敵に囲まれたエン州で、主力部隊がいない状態の留守を守るからには相当の実力があったのかもしれない。
能力もだろうが、人望があったんじゃないだろうか
目に矢が刺さっても死なないものなんですね
鏃が眼窩底までいってなかったんじゃないかな。
後、運よく感染症を免れられた事も大きいだろう。
本当は刺さったというほどのものじゃないかもね
剣や弓の切っ先がかすって失明したけど武勇伝っぽく語られるうちに
「刺さった」として広まったとかさ
墓の遺骨を見たら負傷の度合いとかわかるかね
墓といえば、更地にするために墓を開けたら剣が出てきたって話があるじゃん?
その剣は博物館に収蔵されてそうだけど遺骨とかはどうなってるんだろう
古すぎて残ってなかったのかな
墓は移転されてそうだけど詳細情報わからないよな
歴史が古い国だから仕方ないのかもしれないけど
三国志(演義)っていう世界的にも名が知られてる話の登場人物で
実際にも大将軍なんていう高い地位にまで上った人物なのに
墓が更地にされるとかその後の詳細不明なんてちょっと考えられないな
経済発展もいいけど外国人向けにそういう歴史的遺産の管理ももっと
しっかりやってほしいところだ
実際のところ今の中国にはそういう面の興味しかわかないし
発展するのはいいけど墓は保全して欲しいよな
魏延とか中国国民に人気ないから移転どころか
潰されたって聞いた気がする
夏侯惇の貴重な遺骨が適当に合葬されたりしたら泣ける・・・・・
捨てた とか 近隣住民が持ち去って露店で売った
という可能性がないとは言いきれない国なだけに
合葬とはいえちゃんと埋葬されてるならまだましと思ってしまったOTZ
>>255 中国側の研究者もそれを自覚してるから、遺跡とかはあまり掘りださないようにしてるらしい
2000年近く埋まってたんだからもうしばらく埋めといた方が安全、という…
259 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/04(月) 20:09:32 ID:TgOO3S0b0
( ^ω^)( ^ω^)
>>258 中国自体がいろいろと落ち着いた環境になってから解明してほしいね。
俺の寿命ギリギリセーフぐらい先でもいいからきちんとした歴史を知りたい。
261 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/05(火) 14:32:58 ID:wjY6Nz6RO
信長の野望烈風伝でやたら武力が高いのはなんで?
は?
良いAAをみつけたので貼っておく
r、〈ュ/_,-ノェ弋__,,,
ィfゝミl|l|l|||!|l|liii|||i,,|li彡i
(/;;;'、ィミr-'、ミ'f'゙''゙゙'''゙'ヘ彡}
/{ヾミf| | | 彡f⌒`ヽ
/ __{ヾミ |`ト、,,,_ .<彡ミ、
/ ィ'゙ィ}ミミ. |ミミミ、,,、\ ,rッ彡ヾ |シヽヽ
゙´ / fヽミ. |弋ェェミ'、 {f ̄ ̄'i.彡|.ヽ / ̄ ̄ ̄\
、、ニ ,|、彡 ‐''´ ,| ト、__ノ .彡. | 兵 |
彡'゙ メ彡 il 、 \ミ) .| 夏 卒 |
ヽ__彡ヽ-‐彡〉i 冫-'゙,゙、 ィf〈 .| 侯 の |
/ ̄\ . .彡i ヽ ィッfェ===-、ミ、´ |r'゙ <. 惇 |
| よ | .fミ|i '゙/f´__,,,ヽ》 lミ' .| で |
| ろ | /;;;;;`\ ``───'゙ /|. | す |
|. し |ェ''''''──ミミ、_ .⌒ , ,リ'゙ |_. \___/
|. く . |─ニニニニ\!;!|i||、i彡' ;; ',.ミ\
\_/ ̄ ______\ミミ‐-、 !ヘ;;ト|
>>261 信長の野望に参戦してたんだな。初めて知ったわ。
思わずDS版買っちまったwww
もしかしてこれ?
>世界中の名将たちが時間を越えて集い、覇を競う架空シナリオ1本を収録
名将w
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/08(金) 09:28:16 ID:CZG7tJES0
268 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/12(火) 09:24:19 ID:ZxzjtA180
何もしてない人
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 11:47:56 ID:oyLvJOyNO
信長の野望ではなんと武力98
これは関羽趙雲キョチョと並び三国武将ではナンバー3
他の能力も軒並み高く、名将中の名将となっている。
ちなみに夏候淵は武力90で他能力も惇の下位互換…
惇はこっちにトレードしてきた方がいいんじゃね?
片目を失った自分の顔を見て鏡をたたきつけたのは
古傷がプライドに障るからじゃなくて、
前線で曹操の覇業を助けることが出来なくなった悔しさからと妄想。
271 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/14(木) 09:28:20 ID:sNI6oV9q0
だが惇の能力が低かったら
それはそれで納得いかないジレンマ
273 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/18(月) 09:23:13 ID:t65Lo9p50
いや、低くていいよw
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/18(月) 13:04:58 ID:BCMO2YSYO
巍陣営の劉備なのかもな。
良将を集められたのは惇のおかげ。
苛烈な曹操の緩衝材的なところもあったかも
こういう人がいてくれると、トップが怖くてもやっていけそうだね
曹操は別に怖くないよ。
風流人でよく笑い、戦場でも退陣中は平素と変わらなかった。
惇兄の人柄は、蒼天みたいな気さくな人のイメージ持ってるけど、
爆笑しすぎてお皿に顔突っ込んじゃう曹操・・・っていうのが本当なら、
逆に惇兄は冷徹だったかもしれないな
>爆笑しすぎてお皿に顔突っ込んじゃう曹操
これは朗らかとか陽気そういうレベルを超越してるだろw
軽く躁病の域だよね
今でも大物は躁病っ気のある人が多いっていうし
まあ、躁に見えるような行動力がなければなかなか英雄にはなれないだろう。
曹操と子供達は「好きなことを好きなようにやる」って一族だよな。
早熟的な頭の良さで、情が深くて激しい。それが詩才にも表れてる。
曹操にはそれをほぼ制御する理性と度量があった。
曹丕はそれに近かったが、我慢しきれないことが曹操より多かった。
曹植は情感に傾きすぎて公事や体裁に気を配る配慮が欠けた。
曹彰は武門に、曹沖は仁に表れた。
曹昂が孝子として早死にしたのは母親の差かなあ。
曹操は躁病
夏侯惇は操病
これで万事解決だな
誰がうまいこといえとw
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 23:37:54 ID:8SioxYn60
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 17:03:08 ID:GyEaGi540
役立たずあげ
周りが敵だらけだったエン州の留守任されてたんだから能力あったと思うなあ
いくらなんでも先王と仲良かっただけじゃ魏の大将軍にはなれんとおもうよ。
信頼度もあるだろうが史実にのってないような功績が実際はかなりあったんじゃない?
同感
>>286 絶対裏切らない+性格が良くて部下の離反を招きにくい+めざましい業績は上げないけど、地味に
いい仕事する
みたいな感じだったんじゃないかってイメージがある。
片腕にするんだったらそういう人だよね
片腕だから失いたくない→激戦地とかには行かせたくない
→めざましい戦果はあげにくい
みたいな
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 21:28:09 ID:xBBEnnS20
何もしてないのに、(´;ω;`)かわいそうです
291 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/11(火) 05:31:27 ID:PiGvT36iO
ここは「葛根湯を語るスレ」で合っていますね?
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/11(火) 12:30:20 ID:PiGvT36iO
師匠を侮辱した糞女を殺す
293 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/13(木) 04:08:40 ID:2q1kFRKDO
惇女説いらね
惇が女なんかなわけがない
女説なんてどこにあるんだよ
エロゲの話?
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/13(木) 06:56:54 ID:X804Gmw2O
北方三国志の惇のふるまいは萌キャラ以外の何者でもない。
北方三国志の惇兄になら抱かれてもいい
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/13(木) 16:08:17 ID:9f2QnVgo0
蒼天航路の惇なんてママだぞ
三国志曹操伝のピンク眼帯のような
ちょっと頭悪い猪武者な惇も好きだ
あれなんでピンクだったんだろう
デザインとしてもダサイしおっさんにあんな色つけさせる意味がわからん
何かのギャグだったのか
惇が曹操に異様に重用されたのはホモダチだったから^^
呂腐子ちゃんでホモにされていた
kwsk
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/20(木) 21:52:40 ID:dH1ZcmAr0
おっと・・・
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/26(水) 20:05:50 ID:V1I8N+Yb0
魏随一の凡将
惇は癒し系。
孟徳も癒される。
兵も癒される。
癒し系のおっさんといえば小日向文世
ああいうタイプだと?
307 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/30(日) 14:04:16 ID:sdhHrIg+O
惇かっこいいよ惇
オロチ再臨でほとんど出番なしってまじ?
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/05(土) 22:41:02 ID:cbAb5LHm0
何もしてない人だからしょうがないよ
310 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/08(火) 14:55:33 ID:Gcw85qGBO
惇の嫁になりたい…
願い下げだ!
312 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/16(水) 16:23:07 ID:ai7cmj8dO
あげ
もうすぐ命日ですな
314 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 23:19:21 ID:bogMfopo0
何もしてないカコウ☆トン
傘が目につきささったというニュースを見て惇兄思い出した。
不謹慎だが…
命日でつね
(* ̄- ̄)人 i~
命日なので見に来ました。
惇ちゃん南無南無
最近北方読み始めた。
自分の中での惇のイメージと全然違って驚いたけど
あれはいい夏侯惇ですね もっと早く読めばよかったよ
覇ロードはどっちが惇でどっちが淵なんだろう。
作中で名乗ってもいなくね?
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 03:55:10 ID:WqO3U3so0
暇つぶしに夏侯惇がでてくる三国物のリスト作ろうか
作品名と媒体(小説とか漫画とか)書いてくれればおk
北方三国志(小説)
蒼天航路(漫画)
三国無双(ゲーム)
一騎当千(漫画、アニメ)
こんなかんじで
322 :
小川和子:2008/06/08(日) 05:01:39 ID:fWaFDZ760
ひろしです。今朝はこんな下層の旅社掃除です。ひろしです。
浄土宗ですが溜まった精液も浄土ひたいです。どこに出すと
ですか。ひろしです。勃起ひてどこに出すか迷うです。ひろ
しです。
三国志(作・横山光輝、漫画)
ブレイド三国志(漫画)
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/14(月) 12:38:58 ID:bx5HFzSsO
赤壁オンライン
留守番が多かったから文官でしょこの人
SDガンダム BB戦士307 夏侯惇ギロス
DRAGON SISTER(漫画)
蒼天航路アニメ化するらしいよ
制作マッドハウス
332 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/14(日) 02:11:34 ID:O3IDHlLR0
横光 |蒼天|?|SWEET| ? |?|一当|BB
ブレイド|恋姫|?|ドラシス |呂布子|
あとはわからん。
333 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/14(日) 17:59:31 ID:0LjzaFXS0
女子になってるのはやはりかわいいな
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/15(月) 00:04:22 ID:3c0bia6W0
横光 |蒼天| ? |SWEET| ? | ? | 一当 | ? |BB
ブレイド|恋姫| ? |ドラシス |呂布子| 艶義 |横光アニメ?| ? |ランペイジ
? | ? | ? | ? | ? | 破龍 | ? | ? | ?
? |恋戦記| ? | ? |志水?| ? | ? | 白井 | ?
JOKERのなくない?
(`ωメ)
338 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 00:08:28 ID:uRk/kyFt0
>335
女禍の事? あれ夏侯惇出てたっけ?
正伝じゃないの?
終盤ほーとうがこーめい救出して曹操に攻撃来たときに
数コマ隻眼の武将が出てたけど名前は出てなかったような
>>330 早く教えてよ〜
気になってずっと寝てないんだよ
ttp://ranobe.com/up/src/up301717.jpg 1段目:横山|蒼天|三国志(李志清&寺島優)|SWEET|三国志(石森章太郎プロ)|龍狼伝|一騎当千|火鳳燎原|BB戦士・三国伝|
2段目:ブレイド|恋姫|萌え武将百花繚乱|ドラゴンシスター|呂布子ちゃん|三国志艶義(清水清)|横山TVスペシャル版|雷霆の如く|ランペイジ|
3段目:さんごくし(やまざき拓味)|覇王の剣|タオテン|ショッキングピンク|園田三国志|破龍|とみ新蔵|曹操孟徳正伝|超三国志(gamecity文庫)挿絵|
4段目:ガチ博士のヤンキーラボラトリー|三国恋戦記|三国志F|中原の覇者・三国将星伝|怪力乱神クワン|諸葛孔明(久松文雄)|関羽、出陣!|白井恵理子|三国志断簡|
ショッキングピンク(エロ漫画)は新連載予告のみ登場で現時点でまだ本編に登場せず未確定
昨夜の熱中夜話みられなかったんだが
惇のエピソードとか出てきた?
色んなエピソードを教えてくれ
猛将扱いしてるのが多いけど、実際はそうでもないような感じ
でも、貧しい人に分け与えたりって話しが好感度大。
>>345 正史のエピソードだけ漁ると忠烈無比、公正無私の「政治家」なんだよね
軍務にも関わるけど本領発揮するのは政治、諜報に関してだし
本当に喰ったかはどうかはおいといて、目玉に矢が刺さったってとこが猛将ポイントなんだろうか?
何かで読んだんだけど、暇があれば師匠を呼んで勉強したり、皆に混ざって治水作業?したって話しとか、14才でカッとなったり、不思議な人物だ。
普段は勤勉家で真面目だけど怒らせると歯止めがきかないタイプ?
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/09(日) 19:00:43 ID:9Zoed2Y80
目玉に矢が刺さったら治療が大変そうだ。
表面を傷付けても同じ事だけど
っていうか隻眼とかがアピールポイントになる時代じゃないんだよね。
だったら眼帯とかしてこれ見よがしにするのはちょっとおかしい気がする。
義眼入れて普通は分からないように装うのでは
夏侯家の人は瞬間湯沸かし器みたいなイメージだな。一気に沸点突破、みたいな
猛将ポイントはやっぱ目玉の件ではないでしょうか?
350 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/09(日) 19:05:06 ID:NvfPi+O8O
目玉は脳までつながってるのによく助かったよなぁ。
失礼、かぶってしまった
本当は曹操の配下として名を残したのがメイン
隻眼=猛将は後からついた勝手なイメージ ってところでは
鏡見て怒ってたみたいだし本人は隻眼を武勇というか、アピールしたいと思ってないと思います
普通なら死んでしまうような怪我して無事ってとこに尾ひれがついたって気もするよ
でも「目食った超おっかねえ猛将」って噂が出来たら、
戦場に夏侯惇がいるだけで相手が「うわぁぁぁ夏侯惇がきたぁぁ」と
浮き足立つという効果があったらしい
と何かの解説書で読んだ
当時はテレビもラジオもない口コミの時代だから、
「***は△△△らしい」という噂が大事で、
孔明の伏龍とか、ホウ統の鳳雛とかもその効果を狙って流布された故意の噂の可能性があると
なるほど、皆さん物知りですね
本人は嫌で気にしてたけど、周りがそういう効果を狙って流布した、のかな
眼帯は伊達政宗の眼帯のように、傷跡を見せるのがイヤだったんじゃない?
猛将エピソードはエン州の三城死守とか、二十六軍の統括とか、そんな感じ?
あと夜襲の時迷子になって敵軍と鉢合わせたけどそのまま撃破したってのは講談なんだろうか?
みんないきなりどこから現れたんだw
>>354 あとやっば十四で人殺ししてるのがきいてんじゃないか
劉曄も十三で人殺してて、それが原因で「剛胆だ」って噂立ってたみたいだし
とくに功績を残したわけじゃないのになぜか大出世
この人、国にとってどんな重役だったのか
資料が少ないせいかいろいろ想像させられるから魅力的だわ
358 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/11(火) 00:36:00 ID:DyU4pjMx0
淵のヨメさんは
『曹操のヨメの妹』だったそうだが、
はたして丁氏の妹なのか劉氏の妹なのか・・・
何となくだが、卞氏の妹ではない気がする。
三国史だけにいえることではないけど
資料も全てが正しく事細かに書かれてるわけではないだろうし
記録にないだけで、功績はかなりあったと思いたい
>>357 >>359 正史の記述だけでも、分かることは多いと思うけどな。自分としては
>>346の「政治家」に同感。
まず、首都圏を統治する長官(河南尹)を長い間勤めていた。
様々な地域の出身者が住んでいるがゆえに犯罪も多く、曹操への
クーデター計画も練られやすい首都圏を預ける相手としては、
凄腕の政治家かつ曹操への忠誠が深い人物でないと駄目な筈。
ボンクラに首都圏なんて任せたら、遠征している間に乗っ取られるw
その上、かなり早い時期から、法に拘束されず自己の判断で処置する
ことが許されていた。政治家としての判断力の確かさや素早さを曹操
にも認められていたのだと思う。
そして政治家としての仕事の場合、日常生活に大きな混乱を起こさせ
ないのが最重要だから、能力を発揮すればするほど記載は少なくなる。
一方、「軍人」としての戦地における能力は、あまり無かった模様。
呂布軍の捕虜になった話、劉備の伏兵にあって苦戦を強いられた話、
間違って張魯軍の陣営に飛び込んだ話など、ファンの自分からみても
ちょっと情けない話だらけw
政治家としても軍人としてもちゃんと功績あったって思いたいんだ、特に軍人の部分で
やらかした話しばかりで、他の人物贔屓な人から馬鹿にされてばかりだし
全てにおいて万能であってほしいわけじゃないけど、馬鹿にされるのは正直悔しい
>>361 個人として勇猛だったり、現場指揮官として優れていたり、戦術に
長けていたりする人間の方が分かりやすいし、目立つだろうね。
でも、軍人としての功績を(上記のような)戦場でのものだけに限定して
しまう人が居るのなら、その人の方がおかしいと思う。
軍事組織をどのように作っていくか?誰をどこに派遣するか?軍法の
整備、補給管理や装備の調達、兵器開発などなど、やることは山の
ようにある。
部下が実力を発揮しやすいように上手に指導・配置するなど「軍政」に
長けた人間だったから、曹操から重用され、個性の強い魏軍の将軍たち
からも信頼されたのでは。
216年の孫権征討で曹操から二十六軍の軍司令官に任命された「功績」
から見ても、劉邦と韓信のエピソードで言うところの「将の将」タイプ
だったのかな、と思ったり。
信頼度から見ても指導力から見ても曹操幕下では数少ない疑い深い曹操が自分よりも多い兵を任せられる存在であったことは確かだね
ただその心境に至るのは曹操の最晩年に近い時期で、もっと若い内からそれが出来てれば曹操による統一も可能だったのではないかと思うと残念でならない
>>363 さすがにそれは買いかぶりすぎだと思うw
どこが買いかぶりかね
曹操は自分に兵を集中させる傾向があって
結局それがネックになって勝ち切れない面があったのだから
欠点が一つ消えたら可能性はでてくるだろ
鏡見て怒って割った話しが人間臭くて好きだな
華々しい功績がある人も凄いと思うけど、超人過ぎるのは少し胡散臭く感じてしまう
本当はどうだったかなんて知る術はないけど、夏侯惇に限らず、自分なりにきっとこういう人物だったんだろう、とか考えることが楽しいな
>>362 確かに大軍の統括者で孫権を抑えたことだけを考えても立派な軍人である事は推測出来るんだがなー
そのころ張遼も惇兄の指揮下にいたし。
それこそ同じような立場で荊州に居た関さんは…
>>365 統一云々の問題になってくると曹操ひとりの才能じゃどーにもならん所があるからなー
中国自体が相当荒れてた時期だし。晋が壊れてから隋に統一するまでものっそい時間かかってるし、そもそも晋が統一するだけで何十年もかかってるからね
>>360 相手の陣に迷い込んじゃったけど手勢でそのまま攻め込んで落としたんだっけ?
>>366 人間臭いのが好き、というのに同感。
余分なお金は周りに分け与え、足りなくなった時に役所に支給して
もらった話とか、人柄を彷彿とさせるエピソードが多いんだよね。
仲の良かった田疇を曹操の臣下にさせようと説得した時も、曹操の
命令だと見抜かれていたり最後は本音を言ってしまったりと、
どこかお人好しな感じw
曹操の片腕とも言える高い地位に居たのに、ずっと後に書かれた
歴史書に人間臭い話がいくつも載ったということは、生きていた頃から
(いい意味で)話題になることが多く、天然っぷりを皆に愛されていた
のかなと思う。
>>367 攻め込んだというより、相手が勘違いした話。
許チョと一緒に味方部隊を連れ戻しに行った時に道に迷ってしまい、
夜になって誤って張魯軍の陣営に飛び込んだら、張魯軍が驚いて
逃げ出した。夜襲と勘違いされたんだろうね。
>>368 >天然っぷりを皆に愛されていた
惇は好きだけどそこまで書くとさすがに気持ち悪い
足りなくなった時に役所に支給してもらったってのは初耳だ
いくらなんでも足りなくなったら駄目だろうw
ご利用は計画的に
>天然っぷりを皆に愛されていた
確かにそう書かれると生ぬるい気持ちになるが
デキる偉い人の、人間くさかったり、ちょっと間の抜けたエピソードを
人々が好意的に語り継いだから
惇の死後ずいぶん絶ってから書かれた正史に
そういうエピソードが載った
と、いうことなんじゃないのかな。
本当にみんなどこからわいて来たんだwww
惇兄の事が語りあえて嬉しいじゃないかこのやろう。
書き方まずかったかな。
>>372が書いてるようなことを言いたかったんだけど。
フォローありがとう。>372
人が増えてるようだから聞いてみたい。
小説・漫画・映像などで、正史の惇に近そうな描写をしている
作品って何だろう?
蒼天航路の惇兄は好きだけど、陣中でお勉強はしそうにないし、
政治家としての面が全く描かれてなかったから違うと思う。
北方も、激情面が足りないような。
正史に近いってのは中々ないのではないか?
メインが政治家として優秀で、努力家で戦も頑張るけどそこはちょっと抜けてて
時には民に混じってもっこも担いで、キレるとやっちゃうぞ みたいな感じか?
なんかいい解釈しているところに申し訳ないけれど
マヌケエピソードは
曹操の「飯食ってる時に笑いすぎてお椀に頭突っ込んだ」と同じ類で
好意的な意味で載ったとは解釈されてないよ
そんなことはみんな解ってると思う
自分の中でいい解釈してここに書いてるだけだろ
>>374 そう、そんな感じ。
メインが政治家という作品が、そもそも無いんだよなあ。
演義のイメージからくる猛将タイプばかりで。
政治家っていうと曹操しか思いつかん。
政治家(曹操)&秘書(夏侯惇)ってイメージだな、俺の中では。
曹操はむしろ優秀な軍人
多方面にマルチな才能を発揮してるけど本質は勝利して全てを得てきたタイプだしな
軍人というか、戦争屋だな
どうしても無双のイメージが抜けん
蒼天航路で、「皇帝の陵を修復して義軍としての風評を得るといい」と
孫堅に進言した場面は、政治家としての才が垣間見えて良かった。
江陵を目指す劉備と民草を守るために立ちはだかる張飛を見て、
この戦は劉備を殺して終わるものではない、と荀攸に言っている
場面も同じ。
孫堅軍の武将や軍師の荀攸より広い視野から物事を見ている様が、
うまく描写されている。
これらをもっと推し進めた描写があれば、政治家としての夏侯惇が
見られたんだけど、ここで終わってしまって残念。
河南尹だったから、帝に上奏したり朝政に直接参加したりしていた
可能性も高いのになあ。
最近の三国志関連の漫画とか見ると、
蒼天(広めたのは無双か)の惇兄タイプがスタンダードっつか氾濫してる様な気が。
曹操を字で呼び捨てたりする馴れ馴れしい感じの。
蒼天の惇兄すげぇ好きなんだけどさ、ちょっと影響されすぎな気がするね。
字で呼ぶのは失礼なことなんだっけ?
日本だったら、〇〇公とかだけど、なんて呼ぶのが正しいの?
ごめん、字で呼ぶ事自体は別に良いんだ。
漫画なんだし細かく正確にしろってんじゃなく、単に敬称もつけずにタメ口な夏侯惇が多いねって感想を言いたかった。
>>385ありがとう
>>386知らなかったから聞いただけで、変な意味じゃないぞ
どんな呼び方でもいいけど、本来はなんて呼ぶもんなのか知りたかっただけ
なぜか夏侯惇は死亡後の魏の時代でも「伏波」って呼ばれたりしてて面白いな
むしろ史実では曹操は夏侯惇に同格として接してるのに惇のほうは絶対に君臣としてのスタンスを崩さなかったからな
真面目だけどKYかもね。
夏将軍、夏侯将軍、夏侯惇将軍
何かの小説で見たんだけど正しい呼び方はどれですか?全部正しいの?
>>389真面目すぎて融通の利かない頑固者だったんだろうなと思う
>>389 それはせっかく私を捨てて君臣を優先してるのに台無しにしてる曹操の方がKYだよ
>>390 その中で言うと、夏侯将軍が一番ありうるだろうね
実際には官職名で特定できるならそれで呼ぶ方が多いので、
「伏波将軍」とだけ言われることが多かったようだよ
>>391小説だから誰のことか分かりやすくしただけなのかもしれませんね
前から気になってたからすっきりした、ありがとう
みんな色々よく知ってるな
>>384 極々親しい友人とかなら字で呼んでもいい
が、公の場でやったらやっぱり非礼
>>389>>391 違うだろ
「これが臣下の在り方だ」というのを夏侯惇が示す
「あれだけ寵愛されてる夏侯惇でさえ君臣の分を弁えるのだから、寵愛されてない者はもっと弁えねば」
というポーズになる
そして曹操は逆に
「これだけ臣下を大事にする君主だ」というポーズを示す
臣下を友のように大事にする君主という事で名声が高まる
どちらも周囲へのメッセージになってるんだよ
いきなり沸いてきたなww
いいぞ、もっとやれ。
呼び方は盲夏侯と呼ばれていたにあえて1票
盲夏侯ってコソコソ言われてたのを聞いた夏侯惇はどんな気持ちで…(;ω;`)
盲夏侯って言った人は本人にぶん殴られたりしなかったのか?
気性の荒いとこもあるみたいだしぶん殴っててもおかしくないよな
14才の時のは若気の至りではないかな?
成長するにつれ我慢することも覚えたのではないでしょうか
三国一の人格者だと思ってたけど、カッとなってやっちゃったあたりがマイナスだね
正史三国史 魏書の購入を迷ってるんだけど読んだ人います?
>>395 正史には鏡を見るたびに腹を立てて地面に叩き付けた、とは書いて
あるけど人を殴ったとは書いて無いので、しなかったんじゃないかな。
もし殴っていたら下の者からの信頼も違ってきた筈。殴らない分、
鏡に八つ当たりしてたのかも。
でも、30代か40代で突然片目を失うなんて、平穏な日々を送っている
現代人でもかなり不便だし、当初は苛々してしまうと思う。
慣れないうちは、日常生活ですら不自由なことが多いだろうし。
それなのに、乱世の時代に武人としては大きなハンディになる怪我を
したにも関わらず、その後も曹操の片腕で居続けたのは並大抵の
努力では無かったと思う。
馬を走らせるのもかなり不自由だろうし、電気のない時代だから夜に
書物を読むだけでも目が相当疲れた筈。苛々する気持ちも分かるよ。
人がいるとこで鏡に八つ当たりしたのか?
誰もいないとこでこっそり八つ当たりしそうに思えるんだが
士気を下げないために刺さった矢を抜いて突進したのが本当なら、八つ当たりを人に見せるとは考えにくい気がするな
人にあたらず物にあたるのは夏候惇のいいところだと思う
ここを見たせいで夏侯惇はいい人だというイメージが植え付けられてしまいました
盲夏侯には二通りの解釈があるかもな
まず体の欠損をバカにされてた件。今だととんでもないが当時はこういう人はある種非人間的扱いを受けていた
もう一つは、体の一部を失っても曹操に誠心誠意尽くした、凄い男だ、と褒められたという見方
まあ後者の可能性は当時の背景と夏侯惇の反応を見るに薄いがな
>>398 人がいないところで八つ当たりしてたのを家族や使用人に見られたってことでは。
>>400 いい人タイプの人間だとは思うけどね。
正史の記述からも、腰が低そうで誠実そうな様子は伝わってくるから。
ただ政治家としての功績も高そうだから、「いい人」というだけの単純な
タイプでは無さそう。
今思ったんだけど
ここでこういう行動取れば良い人にみえるだろう
みたいに計算ずくで腹黒い人だったらどうするよ?
>>404 ある程度その辺計算できる人でしょ
曹操や劉備、諸葛亮などの主導的地位にいる人は大体何らかの
「俺っていい人」ポージングは取ってるのが普通な時代だし
逆に夏侯惇だけ特別そういうのに疎かったと考える方が難しい
>>405 同感。
曹操に忠実だったということは、彼に敵対する人間にとっては
「悪い人」だろうしね。
今更すぎて恥ずかしいんですが
最終的には食邑二千五百戸治めたよね、これは治めている領地の租税で生活って説明を見たんだけど
2500戸っていうのは単純に世帯数なんですか?
(´・ω●)…。
(´・з●)もう誰もいないのかと思った
片目が見えなくなる夢を見た
目がすごく疲れるし、これから片目だけですごすと思ったら不安と絶望感でいっぱいだった
夏候惇は苦労したんだな・・もう二度と盲夏侯なんて言わないよ。
目を失って武器を振り回してたなら超人だね
夏侯惇といえばこれだ!で思い浮かぶ事は何ですか?
俺は「もっこ」
↓次の人もよかったらお願いします
「鏡」
言った相手に対して怒りをこらえるところは立派
鏡にやつあたりするところがダメ
立派な部分だけでないのが良い
しらねえよ
やはり「隻眼」かなぁ。
彼の人生にも、大きな影響を与えたのではないかと思う。
本人の気持ちはともかく、隻眼話や14の時の人殺し話から猛将の
イメージが流布するのは、対戦相手への威嚇や自軍の将軍たちを
統括する上では有益だったろうね。
ただ、正史では流れ矢に当たって左目を負傷した、とあるだけ(目玉
に刺さったとしているのは演義)。
もし刺さったのなら脳にも損傷があるだろうから、矢が目を掠め、結果
として失明したのではないかと。
あと素朴な疑問として、普段はどうしていたのか気になる。
剥き出しのまま、眼帯、布を当てる、義眼などなど。義眼って当時から
あったのかな?
顔の形歪むから翡翠かなんか入れてたんじゃ?と推測してみる
片目を嫌がってたなら伊達政宗のように眼帯等の何かでかくしてたことはありえるな
なんか入れてたかもね。
もうひとつ気になるのが、帝への拝謁とかに支障は無かったのか?
ということ。
河南尹だったから朝政にも参加していた可能性が高いと思うんだけど、
隻眼という儒教的に微妙な状態でも問題にはならなかったんだろうか。
>>417 そういう現状の追認のために曹操が求賢令を出してるという側面もある
「もっこ」とか言っちゃった俺何だか恥ずかしい
顔に欠損有りなんて儒教的には非人間扱い
政の場では非常に不利であった筈
あと視神経が死んでても、
皮膚は光を感知してしまう為
眼帯で覆っていないと目とかが疲れるそうだ
隻眼になる→河南尹になる→伏波将軍になる(河南尹はそのまま)
→朝廷より1800戸加増し2500戸になる
順番としては↑こうなるんだよな。
隻眼になった後に、政治により深く関わるようになっている。
420の言う通りなら、仕事がやりにくいことも多そうだから、
朝廷で「盲夏侯」とか言われて(その場で怒る訳にもいかず)
鏡に八つ当たりしていたのかも。
>>419 もっこの話は自分も好きだよ。
魏書を洗っていくと黄初年間に司馬芝が就く以外に所見できないところをみると、
夏侯惇は河南尹を死ぬまで兼務してたんだろうね
あの頃の家ってどういう造りだったんだろ?
どんな家に住んでいたのかな
曹操の家のイメージは華々しいピカピカな宮殿のような家
夏侯惇は質素ながら機能的な広い宮殿のような家
歴史の色んなことを妄想するのが好きだから真実は知りたくない
自分の中の華々しいイメージよりもショボかったりしたらガッカリする。でもちょっと知りたい気もする
家は蒼天に出てくる家そのまんまなイメージ
自分は今まで歴史は作品のイメージそのままだったけど
夏侯惇のまぬけのように見えて誰よりも出世したギャップのおかげ妄想する楽しみを知ったよ。
>>422 董昭→夏侯惇→司馬芝だとしたら、199年頃から220年にかけて
ずっと河南尹だったのかもね。
曹操と同い年だったと仮定すると、40代後半から60代後半までか。
>>423-424 家の造りは詳しい人に任せるとして、家の内部は夏侯惇は勿論、
曹操も質素なインテリアにしていたと思う。
推測の元になった資料をこの下に載せるけど、知りたく無いなら
読まないように。
<参考>
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/so_so/clothes.html 「(魏書にいわく……(曹操は)いつも倹約をする性質で、華麗なことは
好まず、後宮(の女性)にも錦や刺繍の布を用い(させ)ず、従者も
一色以上の色のくつを履かず、帷帳や屏風も壊れたらすぐに修理して
使い、寝具やしきものは暖かさをもって採用し、ふち飾りはつけなかった)。」
>>426やっぱり知りたかったから読んだ
華美ではないけど上質なものを使用した、に脳内変換したから大丈夫
ありがとう
曹操が倹約するタイプだったから夏侯惇も自然にそうなったのか、
本当に無欲だったのか、どうなんだろうな
いくら欲がなかったとしても他人に財を分けるなんて中々できん
子孫に残そうとか思わなかったのだろうか?
>>428 推測だけど、曹・夏侯の一族は元々質素な生活をしていたような
気がする。お金があったとしても、服とか家には散在しないタイプ。
子ども時代に贅沢な暮らしをしていた人間が、大人になって質素な
暮らしを営むのは難しいと思うんだよね。
生活のレベルって下げにくいものだから。
曹洪の利殖・蓄財のエピソードが伝えられているのは、一族の中でも
異色だったからかも。
>>429 曹氏は曹騰が大官になって以来、親族一同が高官になり、羽振りがよかった。
曹仁の家の件や曹嵩が三公になったことを参照。
曹洪の話は当時の士大夫的な価値観で普通じゃないくらい利殖に励んだから伝えられた。
しかし、夏侯氏が羽振りがよくなったのは早くても曹嵩が養子になって以降だったらしく、それ以前に高官になったとかいうような話が見えない
質素というか、ぶっちゃけ貧乏だったんだろうね。
>>430 曹騰の出世によって、曹一族(ひいては夏侯一族)の羽振りが
良くなったのは知っているよ。
ただ金持ちになっても、その金を何に使うかは人それぞれだから、
「お金があったとしても、服とか家には散在しないタイプ」と書いた。
他の分野に使うとか蓄財するとかだったのでは、ということ。
自分が貧乏を経験してるから、お金がない人に分けたってこと?
現代の政治家は見習うべき
>>432 単純に盛大なバラ撒きで人気取りしてたってこと
現代の政治家も見習ってバラ撒きしてるでしょ
元は民の税だろうけど私財をバラ撒いてたんだろ?
現代の政治家は私財じゃないだろ
>>434 私財じゃない
褒美ってのは少なからず一部を配下に配るもんだ
惇の場合は自分の取り分まで配下に配っておいて足りないからと公庫から要求するわけ
公庫からのバラ撒きと違いはない
>>432 人気取りかはわからんが……
曹操は気に入った部下にホイホイあげちゃうタイプな気がする
>>421 つうか2500戸ってすごい待遇だよね?
漢中入る前の淵で800戸じゃなかった?
>>432 労働者に混じって手伝ってたりとか贅沢はしなかったとか墓からは剣一振り以外の副葬品が見当たらなかったとかそういうエピソードは多い
2500戸って現代の額にしたらどんな金額?
どこかのサイトで
高級官僚給与6.600万円 下級官吏給与240万円ってのは見たんだけど
>>438 アバウトでいいなら……
当時の成人男性一ヶ月の生活費が2〜3石
で計算してみてくれ
惇1人で慎ましく生活してたとして必要なのは年間24石
当時の一般的な人の約100倍?
あれ?戸と石は違うよな
分からん
戸と石は違う
あと漢の時代は米1石が100銭だったと記憶
でもトウタクさんのせいでひどいインフレになったりしてて正確なことはいえない
だから
現代の価格にするのは難しいのでふんわりくらいな感覚で理解した方が良いかと
1石=100銭と考えて年間2400銭
100倍あったと考えて240000銭でどうだ?
1戸で何石?
給料ではなく必要な生活費で考えて
1戸=1〜4人ぐらいか?
1戸=1ヶ月2石〜8石(200銭〜800銭)
1戸=年間24石〜96石(2400銭〜9600銭)
だと思うんだけど自信はない
晋の土地制度をテキストに
1戸の耕地=70畝=3石(?)
2500戸=7500石=750000銭(?)
くらいか?
普通の人の年収約2400銭
惇の年収約750000銭
ってこと?
約312倍?惇凄いな!
だけどそれって大名の収入を石高で示すようなもんじゃない?
部下を養う経営費みたいなもんじゃね?
国のトップクラスであったことは間違いないと思うが
そりゃあ何だかんだ言われても曹操に次いでもっとも軍権あった人だし
二十六軍とか
>>432 あと偉くなってからも先生の講義についたりとか教えを請う時は丁寧だったりとか
誠実そうではあるね
>>449 当時の常識として自分の社会的地位がなんであれ
教えを請う相手には遜って接するのが人徳ある態度だった
その辺の講義を受ける態度もある程度ポーズとして計算してやってるだろ
>>450 教えを請う相手に対する態度にはそういう側面もあったろうけど、
軍中でもいつも先生を招いて講義を受けていた、というエピソード
からは生真面目さが伺えると思う。
典韋をはじめ夏侯惇が推挙した人物は、真面目なタイプが多いし。
韓浩とかも惇の推薦だな
どーやって知り合ったんだろう?
>>450 さっきからポーズポーズ言ってるけど、お前だったら英会話の先生やスポーツのコーチにタメ口聞いたりするか?
普通良識ある人だったら真摯な態度をとるし、そういう人は今も昔も誠実な人だといわれる。これは基本的に人格の問題であって、政治家でもパンピーでも無礼なやつはいるしそうじゃない奴もいる
相手に不快な思いをさせたくない、ひいては相手にイヤなヤツだと思われたくないという心理が働くのは、人間として当然じゃないの?
わざわざ計算だなんだという必要はない、というかそんな所で計算したって人間性ってのは出るよ。だから不実な人、誠実な人に別れる。計算で出来るのなら誰でもいい人だ
その言いようはクラスの優等生に対してあいつはネコ被ってるだけだ、と因縁つけるのにちょっと似ているぜ
>>453典韋も韓浩も反トウタク連合あたりかと(正史参照)
>450上司から求められる仕事に応えるため勉強してただろう
上司自身勤勉だしなによりヽ(`Д´)ノ『唯才!唯才!』だから
×450→〇449
>>454 昔は社会的地位によってその手の礼儀を無視して当然の時代だったんだよ
逆説的に考えてみろ
「師匠に対しては遜るものだ」という美徳は「師匠に対して必ずしも遜る人ばかりではなかった」ということが無ければ生まれない
お前のその感覚は江戸儒学や他諸々によって染み込んだ現代日本人的な発想で古代中華社会の一般的な発想じゃあないのだよ
今の価値観で過去を語るのはよくないな
第一因縁なんて誰が付けた?
「ある程度ポーズ」という事は逆に言えばある程度でない部分は本当に人徳なりなんなりがあったと言う事だ
それに政治家として人が認める振る舞いを行う事は褒められこそすれ貶める事にはならん
夏侯惇は「ある程度計算してポーズをすることによって人心を惹き付ける事が出来た」という事なのだから優れた人と褒め称えているのだよ
ただの誠実な人ではなく深みのある優れた政治家という事だな
脊髄反射の如き書き込みで他人に因縁云々言う前にもう少し考えれば?
2chはお前にとっての銅鏡じゃないだろ
色んな考え方があっていい
もっこの話しが好きなんだけど、これもポーズだったのかって考え方もできるな
俺はあんまり知識ないから、単純にいい人って思ってたけどここ見てたら色んな考え方ができる
余分な財貨があるといつも人々に分け与え、不足の場合には役所に支給してもらい財産作りに励まなかった〜
がポーズでやったとしたらどんだけ〜って思うがな。
まあ資料がすくなく謎が多いからこそポーズだろうが人徳だろうがいろんな考慮ができる惇はおもしろい
自分が死んだら地獄のそこまで会いに行ってその出世術と目玉食ったかのか?飲み込んだの?ぐしゃぐしゃ噛んだの?
どうなのか聞きに行くのが死後の楽しみ
うん、色々な考え方があっていいよね。勉強になるし
でもあまりにも断定するような書き方は
俺サマ三国志の押しつけになっちゃうから気を付けたいね
>>457の解釈はなるほどーと思ったよ
何となく天然のイメージだったけど、計算高い面もあったのかも…
人質事件も韓浩の名を上げさせる為にわざと捕まったと思うことにしようw
>>460人質事件はさすがにちょっと無理じゃないか?w
もっと資料残して欲しかった
好物とか、些細なことを事細かに知りたい
>>459 清貧ってのは儒学では人徳の一つと称えられるから
計算で行動する人なら確実に名声高める為にやってるだろう
この「足りない場合は支給を受けた」の頻度と一度に貰う金額によっては
物凄く優雅とも、物凄く倹約してた可能性のどちらもある
つーか手元に蓄財せず必要ならお小遣い貰う形って、
子供のお小遣いとかなら普通に月いくらでやるよりも確実に無駄遣いするよ
俺の親が「小遣いはやらないから必要になったらいいなさい」って形式だったけど
残額が目に見えないからかなり経済観念が狂う
>>457 いやお前が因縁つけたと言ってるわけじゃないよ、ただの例え話さ。も少しよく読め
>>その言いようはクラスの優等生に対してあいつはネコ被ってるだけだ、と因縁つけるのにちょっと似ているぜ
つまりあまり計算だと深読みするのもそういう考え方に似ている、というわけで
脊髄反射…まくし立てるのならせめてちゃんと読んでからにしてほしい
むしろお前のほうが反射的な書き込みなような気がする、そんな言い方ではこっちだって困惑する。そんな神経逆なでするような事言ったか?
興奮しすぎ
>>463 >その言いようはクラスの優等生に対してあいつはネコ被ってるだけだ、と因縁つけるのにちょっと似ているぜ
因縁付けるのに似ていると言う事は因縁をつけているように見えるという意味じゃないか
それで因縁付けたと言ってるわけじゃないとはどういう了見だ?
脊髄と脊椎はただのtypoだからあまり突っ込まれてもミスとしか言えんな
こうして荒れていったりするんだよな
誰も望んじゃいないってのにさ…
>>461 資料欲しいよね。
個人的には、一番知りたいのは生まれた年。
曹操より少し年上だったのかもと考えている。
年上であり、父親の実家・夏侯家の嫡子であったにも関わらず、有能な
臣下として自分を支え続けてくれたからこそ、曹操も厚遇したのかなと。
>>464 つまりね、批判の仕方がそういう粗さがし的な穿った見方じゃないか、といったわけで
お前の意見がケンカ腰だとかそういうんではない
…まあスレが荒れるのは本意じゃないし、そこまで食い下がるのならどっちでもいいけど
俺はもうこの件に関しては何も言わんから好きに解釈してくれたらいい
惇の好きな食べ物って何だったと思う?
美味しくなくても黙って食べそうだけど、たまには唐揚げ食べたいなとか思ってたかもしれない
>>468 当時の食糧事情、および食文化を考えると揚げ物は滅多に食えない大ご馳走の部類だねぇ
>>466 田疇と友人であったことから田疇と同い年くらいかなって思ったけど
それじゃあ曹仁と同い年くらいになって曹操と10歳くらい年がかけ離れてしまう
けど当時は年齢なんて関係なかったかもしれんしな
ホント資料がほしい・・まあ推測するの楽しいが
>>468-469 現代の感覚で、揚げ物とは庶民的な・・・と一瞬考えてしまったけど、
当時はご馳走だったのか。油が高価だったのかな?
>>470 田疇のことは引っかかるんだけど、彼と同い年くらいとすると、
曹操の下での夏侯惇の出世が早すぎるように思うんだよね。
董卓討伐のために挙兵して司馬・折衝校尉になったのが22歳、
陳留・済陰の太守、建武将軍、高安郷侯が26歳となるし。
田疇とは年齢を超えた友人だった、と考えるのは無理があるかなぁ。
当時の人々にとって、交際と年齢ってどの程度関係したんだろうか。
>>471 まず当時は油自体が結構高価
菜種油の量産化はもっと後の時代だし、その他の油も量産化できる時代じゃない
菜種もゴマもシルクロード経由でやっと中国に根付くかどうかという時代
さらに加えて、当時は高火力を得る燃料がなかったもので、中華料理は冷たいものが多かった
刺身やマリネなんかも食ってたりして、結構日本料理に近い系統なのね
軍人だし現場では案外粗末なもんばっかりだったかもね
呂布と戦ってるとき飢饉だったみたいだし
飢饉か、いつもお腹減らしてたかもしれないな
飢饉の時って何食ってたんだろ
草とか木の根っことか食べてたんだろうか?
>>474 人食ってたんだよ
曹操は別の意味で人を食ったがガチ飢饉になると本当に人を食う
食糧がなければ自分の目玉でも食べればいいじゃない
夏侯惇じゃないけど自分の嫁を料理して客人を振舞ったって話しもあったな
すっかり忘れてた
訂正 客人を=客人に の間違いだ、すまん
>>472 教えてくれてありがとう。そうか、燃料も重要だよね。
自分でも少し調べてみた。
林巳奈夫氏の「漢代の飲食」を元にまとめてるサイトより。
メニューに有る料理
〇魚・肉の膾(刺身) 〇しおから 〇なれずし 〇マリネ
メニューに無い料理
×餃子 ×肉まん △麺類 ×チンジャオロース ×鳥のから揚げ
フライパンや中華なべなど鉄・金属製の調理用品もまだ無く、麻婆豆腐は
おろか野菜炒めすら無理だろうとのこと。
>>479 ちょっと後の時代に酢豚はあるけど古式の酢豚はちょっと今とは作り方の違う煮込み料理に近い代物っぽいんで
炒め物ってジャンルじゃあないんだよなぁ
あと麺類は確実に存在してる
4000年の麺が出土してるからね
>>480 麺類が△になっているのはラーメンは無さそうで、麦粉で作る索餅
(ひも状のうどん)があったからだって。
ちなみに、貧乏人は麦飯と豆のスープだとか。飢饉の時はこれすらも
無理だろうけど。
ん?
麺を小麦粉を平たく延ばしたものって事で考えてたわ
そりゃあ今のラーメンはないわな
多分曹操達みたいなのも独立した当初は先述の飢饉もあいまって相当苦しいから自分らも結構そんな貧乏っちいもの食ってた可能性はある。曹操とか夏侯惇は倹約家みたいだし
まあ酒飲める分パンピーより遥かにマシなんだろうけど
大将軍になってもやっぱり質素なご飯だったのですか?
俺の妄想三国志と実際は全然違ったんだろうな
いや、出世したら結構いいもん食ってたんじゃねえの?
ただ本人たちがそんなに贅沢しなかったらしいから満漢全席みたいなのを日常的に食ってたってのはないだろうけど
まあ当時満漢全席無いけど…なかったよね?
俺の妄想では惇は蒼天とゲームが混ざった猛将なんだぜ
>>485満漢全席は多分ないと思うけど、貴族とかしか食えないようなものをたまには食ってたかもな
餃子のようなものはあったってどこかで見たぞ
>>485 満漢全席って
「満州料理、漢民族料理を全部並べました!」
って意味だから清朝の成立してない三国時代には無いね
当時のごちそうだったは豚だね
牛馬は農耕用に使える労働力だからあまり食わない
ちょっと話は逸れるが、だからこそ董卓が羌族の友人になけなしのそれらを振舞ったので友人達は大感激したわけだな
俺達の為に大事な財産をありがとう!って感じで代わりに羊を山のように貰ったわけだ
そもそも古代は食事を獲得するためのコストが現代に比べて遥かに高く(というか現代が食事コスト安すぎる)
「毎日ちゃんとご飯が食える」ってだけでいい暮らしということになる
太れる程に飯が食えるデブが悪事で私服を肥やしてるということで中国で悪人の代名詞なのもそのせい
まあ偉い人もデブなんだが(この辺は北朝鮮における幹部腹に通じるところがあるな)
曹操が飯食いながら騒ぎ過ぎてスープに頭から突っ込むという逸話が残っているのも
「食い物を粗末にする悪人」という面を強調するためかもしれないという考え方も出来る
曹操と馬車共にするくらいだから飯も一緒に食ってて頭から突っ込んだ場面を惇が目撃してた可能性はある
>>488 惇が何かやらかして曹操が飯に頭から突っ込むくらい笑わせた。のなら見てみたい
目撃した人は黙っててあげればいいのに
>>484 大将軍になってから3ヶ月くらいで惇は亡くなる
直前まで大軍を率いてた人が曹操没後にパタッと亡くなるのを見ると
曹操が死んでからは何食っても不味くて飯もロクに食えなくなったのかもしれないな
というわけで「大将軍になってからの惇の飯は砂を噛んだような飯」という結論が
物語的に美しい、歴史的には知らんがな
以前に調べてさらっとまとめた当時の食事の形態だけど、
・主食の穀物は、黍や粟の他、華北は麦、江南は稲が主
・肉は、羊が最上等、次いで牛、豚、さらに鹿、猪、兎等の獣肉、最下等が狗
魚も江南ではとりわけよく食す
・調理法は、焼く、蒸す、煮るが基本で、古代に人を醢にした様に、塩漬け等も
・野菜は、大根、白菜、ほうれん草、蓮、葱、カブ等
・果物は、棗、杏、桃類、梅、枇杷、蜜柑等
・高級料理として有名な、鼈や熊の掌も、諸侯や貴族の様な富裕層は食した
こんなところだった
ただ現代の様に調味料が豊富でもないんで、味付けは今よりは単調だろうな
伏波将軍になったあたりでもう惇は国のvipだろ、たぶん
こん時にはいいもの食ってたかもね
蕪は軍糧の副菜用に諸葛亮が大プッシュしてたな
>>491 病名が分からないから推測しか出来ないけど、曹操の死で生きる
張り合いを無くしてしまったかのようなタイミングで死んでいるもんな。
曹操の葬儀を見届け、跡継ぎの曹丕が魏王に即位するのを見届けて
からの死――まさに忠侯。
>>492 果物類は梨、葡萄なんかもあった
曹丕がどこのものがいいあそこのものがいいと色々品評してた
それから酒については北には麦酒があった
これはビールと違ってホップがなく麹を使って麦を発酵させただけのもので
度数は低く、味もイマイチ
南には米を使ったどぶろくがあり、程普が周瑜を例えるのに「醇醪(芳醇な醪) 」という事にも見受けられる
魏ではそもそも曹操がお酒大好き
人から醸造法を聞き出したり酒の製法を上奏までしてる
蒼天航路で惇が「魏国の新酒」と淵に渡すシーンはこの辺から来てるのだろうね
曹操の近くにいた惇も恐らくは曹操の春酒を飲んでいたんじゃなかろうか
>>496 酒なら葡萄酒もすでにあったね。今のワインと同じ物か知らないけど。
酒を初めて飲んだ人って勇気あるよな
腐ってる、とか何かおかしいとか思わなかったのだろうか
口噛みの酒が古代に多く見られた事を考えると
最初に食べかけて一回口に入れたけど
戻して翌日食ったとか数日後に食ったとかそういうところからの発見だろうな
「あれ、なんか変な味する、でもキモチイイイイイ」みたいな
惇も酔っ払ったりしたのかな
>500
ほろ酔い程度でしょうね。
中国だと泥酔や酒での失敗にはかなり厳しいですから
曹操はベロンベロンだったけどな…
>>502 曹操は他人に厳しく自分に甘いから仕方ない
>>500-502 当時の酒ってアルコール度低かったらしいから、ベロンベロンに
なるまで酔うには、かなり飲まないと駄目なのでは。
>>505 曹操が上奏したやり方は日本酒の元祖みたいなもんで
作ろうと思えば日本酒に負けないものもできる
当時の中国の酒はアルコール度数一桁に対し曹操が造った酒は20%近くありました
ちなみに中国の酒の歴史は紀元前2500年前後には確認できる(竜山文化)
エジプトの酒はワインの他にビールの原型となる酒(名前忘れた)もあった
>>507 裴李崗文化の賈湖遺跡から出土した陶片から醸造酒の成分と思しきものが発見されている
これが酒と確定されれば中国の酒の歴史は7000年前まで遡る
エジプトのビールの原型はパンを原料にして作ってる
ロシアのクワスの製法と同じようなもんだ
ただしワインもビールもエジプト原産じゃなくてペルシアの方から伝わってる
>>503 てか曹操ンとこは基本的に無礼講
惇も宴会に奥さん同伴とかしてたじゃん
惇は未遂?
連れてこうとして非常識だと怒られてその部下を拘束したんじゃないっけ。
推察:当時の一般常識として嫁同伴はありえないことだったけど
曹操周辺では普通のことだったので惇は非常識と言われてキレた
>>509-510 惇は未遂で、自分の奥さんを宴会に出そうとしたのか、部下に
奥さんを連れてこさせようとしたのか不明。
儀礼に反すると叱った部下を拘束したものの、すぐに釈放したとか。
でも曹丕は既遂だし、曹洪は肌もあらわな女性たちに舞い躍らせた
というから、いつも無礼講なのかは分からないけど似たもの同士w
ちなみに曹洪も、怒った楊阜が宴会場を出て行ってしまったので、
女性たちをさがらせて彼を宴席場に連れ戻したらしい。
その後も楊阜の前では自粛。
おっちょこちょいな一族だったのかもw
あいつがいる時は怒られるからやめておこう
みたい感じだったのか?小学生みたいな可愛い一族だなw
>>513 叱り付けた衛臻と楊阜はその後も順調に出世したようだから、夏侯惇・
曹洪とも、叱られたことを根に持ったりはしなかったみたい。
一応反省はしたようだし、素直と言えば素直かもねw
でも女好きな曹操からも、アイツは女好きだと言われていた曹洪は
ともかく、清潔で慎ましやかな筈の夏侯惇が、女性がらみで非難される
ようなことをしたのは意外。
夏侯惇っておっちょこちょいな感じしますね。
でもただのおっちょこちょいなら、あんなに仕事とか任されたりしないだろうし
関羽とか他の人物みたいに逸話とか無くても気になる不思議な人物ですね。
敵に陣に迷い込んでしかもそれが元で落とすことに成功したとか聞いたことねえw
でも破格の待遇だし「ただボスと仲がいいだけ」じゃどうしても説明がつかないんだよな。一族間でも頭一つ抜けた待遇なんだし
一体どんな人物だったんだろう?
>>514 あけすけな一族なんだと思う。
曹操はじめ陽気でいいヤツなのはうかがい知れるんだが、品はあまり良くないし、キレやすい。
あれで夏侯惇も14でキレて人殺してるんだし
曹操にかぎらず向こうの人は感情の振り幅が大きい気がします(諸事情で詳しく書きませんが…)
それと曹操の部下はたたきあげが多いから品行については緩やかなのでは?
数日前に食べ物の話題になってたじゃん
何故かこのスレ思い出して中国っぽいスープ壺買ってしまった
魏=荒くれ者の集団 蜀=慈善事業 呉=インテリってイメージが拭えない
みんなのイメージはどう?
魏 文化的
蜀 戦闘民族
呉 出来る奴は出来るがクズはクズ
魏は荒っぽいのとインテリが同居してて摩擦が絶えない
蜀はチンピラの集まり
呉は完全ローカル密着型
みんな言い得て妙ですね
魏=ヘッドハント外資系
蜀=イメージ戦略重視中堅起業
呉=ナニワ系中小企業
ちなみに夕飯は中華丼W
夏侯一族で1番有名なのは惇?
曹操だろ
そらそうやw
でも結構盲点だよね
曹操のことすっかり忘れてました
言われてみれば、そうだね。一本とられた感じw
中国の苗字辞典みたいな本の「夏侯」の欄には
歴史上有名な夏侯:夏侯嬰、曹操
って書いてあった
嬰は惇ほど出世したわけじゃなくね
嬰は諡もあるし皇帝を擁立したりもしているから、
かなり高い地位にいたのでは。
王国つっても魏の場合漢が形骸化してたからちょっと特殊だ
儒教の教えで大切なのは「孝」で先祖供養や子孫繁栄にウェイトをおく
↓
親から貰った体を傷つけるのは不孝
↓
故意に体を傷つけ子孫を残せない宦官を軽視
……なので、不慮の事故や生れつきに関しては寛容なのでは?
>>535 生まれつきに対しては「親の不徳か先祖の不徳が出た」っていう判断をされる
皆なんでそんなに色んなこと知ってるのさ?
いつもロムってたけどもう我慢できない
色んな戦場とか特定できたら興奮するよね
>>535 目ん玉を食べた可能性も捨てきれないってことか
てかお主、淵と惇のどっちがチンポ長いか?スレにもいただろw
詳しい人は独学で調べてるの?それとも大学とかで習ってる?
>536
それは一般論。
孔子の兄は生れつきのハンデがあった。
だから孔子自身はそういったことは言わない
ただ宦官は孔子自身が毛嫌いしてましたが
ちなみに生れつきのハンデがあっても後の功績によって評価されてる者もいる
>538
バレマシタカw
ちなみに私は下手の横好きというやつです
他スレの方のほうが詳しいですよ
つうか商人は自分で物を生産しないで銭を流して商売するからダメとか
金の無心を断ったら不徳だっつって叩かれるとか
親は子を生めるけど子は親を生めないから子は親のために死ねとか
儒教って考えれば考えるほどイカれた学問だと思うんだが
あと男尊女卑って儒教だっけ?
>>539 一般論の話をしてるんだが
何で孔子限定に?
>>540 儒教は「動機が不善なら行為が善でもそれは偽善であって無意味」というスタンス
本当に目玉を食べたとしたら、行動は悪でも動機が善だから儒教的にはOKだよね?
目玉を食べることが悪いけとだったのかは分からないけど、親から貰った体を傷つけた→悪! なら悪いことかな
親から貰った体の一部を捨てるわけにはいかない→ぱくり
なら善い動機かと思いました
>>541 「しない善よりする偽善」の真逆のスタンスだな。
目玉を食べたのは演義で、正史にはそんな記述は無いよ。
それに同じ儒教といっても、正史の時代と演義が成立した時代では、
解釈などが違うのではなかろうか。
正史の後の時代には、体の欠損が(不慮の事故だとしても)問題視
されるようになり、それをフォローするための逸話だったりして。
まぁ想像に過ぎないけど。
>>542 動機が善でも結果を出せない奴はやはり不善
儒教が認めるのは「動機が正しくて結果も正しい」という非常に狭い範囲
目玉食べたのが創作なのは知っていました
言葉が足らずすみません
マグロの目玉とか食うやついるし
案外美味しいかもしれんよ
でも生だしなぁ・・・
違う話でごめん。
夏侯惇の父親が曹操の父親の兄で、惇と操は従父兄弟だと
いうのを当たり前のように思っていた。
けど、これは裴松之の注に載っている話で、元ネタは曹瞞伝と
世語なんだな。
信憑性の疑わしい記述も多い曹瞞伝が元ネタでは、どこまで
信用出来るんだろうか。
世語の方は信用出来そうな書物なのかな?
詳しい人がいたら教えて欲しい。
陳寿が書いた部分には、曹嵩(曹操の父親)は曹騰の養子と
した上で、「彼(曹嵩)の出生の一部始終は明らかにできない」と
いう謎めいた一文があるのも、何か気になる。
明らかに出来ない出生って・・・?
>>550 まず仮に曹嵩が夏侯氏の出だとすると、
曹操が娘と惇の子を結婚させていたりするのがアウトになる
元をたどると同姓不婚破りだから
(陳矯はこれで批判を受けている)
とすると、曹嵩が夏侯氏の出ということは、公然の秘密であっても「明らかにしてはいけない事実」というわけだ
明らかにしてしまうと、曹操およびその子孫と夏侯氏との結婚全てがアウトになってしまうから
>>551 陳矯は彼自身が元々劉姓だったのに、同じ姓の劉氏の女性
と結婚したから、同姓不婚の原則に引っかかったのでは。
同姓不婚って、曹嵩の孫が夏侯氏と結婚する場合でも引っか
かるんだろうか? 清河長公主(曹操の娘)は生まれた時から
曹姓だから、大丈夫かと思ってた。
むしろ、曹嵩が夏侯氏から曹氏の養子になったことが異姓
養子でアウトだから、「明らかにできない」なのかと。
>>552 夏侯氏出身というのを根拠に曹嵩の血縁者が夏侯氏に嫁入りしてたのではという事を言っている人がいるな
>>552 朱然はもともと施氏で朱氏に養子になっていたが、施氏にもどりたがっていた
で、子の朱績の時になって初めて戻す事を許され、朱績は施績と名乗っている
この例では子の代になっても姓を戻す、つまり大本の姓を意識しているから、孫でも世間的に十分微妙だったんじゃないかな
ID違うけど550=552。
>>553 異姓養子の件も謎だよね。曹一族にも人材はいただろうに、何故
(夏侯氏出身と思われる)曹嵩を養子にしたのか。
553が書いている元々姻族だった説とか、血縁だったとか、何か他の
要素もないとおかしい気がする。
養子というのは、大長秋にまでなった曹騰の莫大な財産を相続出来る
立場。当然七光りも。他家の人間を養子にしようとしたら、曹一族からも
反対されそうなものだけど。
曹嵩は曹一族から、ちゃんと受け入れてもらえたんだろうか。
>>554 姓への拘りが強い時代だったのは理解しているんだけどねぇ。孫でも
駄目なのかな。
曹操は父親のことをあまり語らない。んで陳琳の檄文に父親のことを乞食呼ばわりされても
「私のことはともかく父祖のことは書かなくてもいいのに」とは言ったものの父を乞食呼ばわりされたことに否定はしていない?
あと惇と淵が父親不明だからこいつら本当に夏侯家かどうかうさんくさい
ていう説をちょい裏覚えだが見たことがあるがどーだろ?
夏侯家って由緒正しい家じゃなかったっけ?
もし夏侯家の人間じゃなく、農民とかの出身なら成り上がりっぷりも凄いね
>>556 単純に父の名前も判らない程夏侯氏が零落してたってことだよ
曹嵩も幼少期には物乞い同然の暮らしをしてた
由緒正しくても没落はする
曹氏も曹嵩が出てくるまでは豚一頭で揉め事になる程度の生活レベルでしかなかったのだしな
曹嵩じゃなくて曹萌だな
間違えた
夏侯家は元々由緒正しい家柄だったけど経済的に苦しい時もあった
ということで合ってますか?
聞いてばかりですみません
>>561 前漢以来の由緒ある家柄だけど経済的には落ちぶれて困窮してたってことだろうね
父親の名前が判らないってことは惇パパ(仮称)は官位にあり付けなかったという可能性が高い
後漢の制度だと末代に行けばいくほど没落していくからな
>>563 前漢末の段階で、落ちぶれていなかった高祖時代の功臣の子孫はいなかったよ
もっとも、夏侯惇らが夏侯嬰の子孫かどうか俺は疑問を持ってるけど
565 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/29(月) 00:37:04 ID:+D2AbQ720
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魏の名将・良将を語るスレ 其の十 [三国志・戦国]
財貨を人に配りすぎて足りなくなった話や出来の悪い息子たちの
話を聞くにつけ、最終的な責任は夏侯惇本人にあるにしても、
家令や正妻にも問題があったんじゃないかと思う。
家財の管理や子どものしつけって、夏侯惇の指示もあったろうけど、
実務レベルでは家令や正妻の仕事だよね。
惇本人は仕事が忙しく、家にいないことも多いだろうし。
正妻については史実には何の記載も無いので、(士大夫層の家の
出身ではなく)庶民の出なのかも、という説を見たことがある。
もしこれが本当なら、士大夫層に必要な教育がよく分かっていな
かったのかも。
あと夏侯楙と子臧・子江は異母兄弟かな。
この時代って男尊女卑が激しくなかった?
何も言えず、何もできなかったのではないかな
子の躾けはともかく、仕事一本で家のことはどうでもいいって気がするな
妻も庶民で惇ももし出身不明なら納得というか、家の事とかよく分からず仕事だけに集中したのかも
とか考えてみた
皆さん良いお年をお過ごし下さい
568 :
【大吉】 :2009/01/01(木) 00:45:32 ID:cmJ3YUYC0
惇の運勢
あけおめ
>568
すげーな惇w
>>567 夏侯淵の息子たちは出来がいい。
淵は惇よりも家にいなかった筈だから、留守を守っていた人間
(正妻や家令?)の違いなのかも。
今年も宜しくお願いします
>>570 夏侯楙だって別に無能だったわけじゃないんだけど…
軍事能力がなくても事務方としては優れているみたいで中央の政務では一切失敗の形跡がないし
後に問題起こすのも本人のせいじゃなくて、奥さんとの夫婦喧嘩から
>>572 皇帝の姉を妻にしているんだから、怒らせるようなことをした時点で
無能よばわりされても仕方無いと思う。
政治的センスのある賢い人間なら、妾を増やしすぎて正室である
公主の立場を蔑ろにしたりはしない筈。
あと「息子たち」と書いたように、楙のことだけじゃなく子臧と子江も
含めての話。3人とも情けない逸話しか残ってないから。
>>570 覇みたいな敵国に亡命するようなのもいたろ
池◆◆◆田◆◆◆大◆◆◆作の本名はソ◆◆◆ン・テ◆◆チ◆◆◆ャク。
小◆◆泉◆◆純◆◆一◆◆郎、小◆◆沢◆◆◆一◆◆朗は朝◆◆◆◆鮮◆◆◆人。
9◆◆◆11では小◆◆◆型の水◆◆◆爆が使用されている。
http://r◆◆◆i■ch◆◆◆ardk◆◆◆osh■im◆◆◆izu.at.we◆br◆y.in◆f◆o/
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オ◆◆◆ウ◆◆◆ム事◆◆◆件は、統◆◆◆◆一・創◆◆◆◆価.北◆◆◆朝◆◆鮮の共◆同犯行である。
C◆◆◆I◆◆Aが監◆◆修している。
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与党の朝◆鮮◆人ハーフの政治家=金◆正■■日(キ◆ム・ジ◆ョン◆◆◆イル )=読◆◆売サ◆ン◆ケ◆イ=小◆◆◆沢◆十◆朗。
毎◆日■■■新聞◆◆◆スレを荒◆◆◆らしてる◆奴◆◆らも「◆とう■■■一■教■■■会◆」。
荒らしは洗◆◆◆脳するために「ネ◆ト◆ウ◆◆◆ヨ」などのレ◆◆ッテ◆ル◆付◆けレ◆スを何◆千◆◆回もする。
現◆◆◆実には「ネ◆ト◆ウ◆◆◆ヨ」などは存◆◆在し◆◆ない。
http://c◆ha◆ng◆◆◆i.2ch.net/te◆◆st/r◆ea◆d.cg◆i/m◆◆s/12◆30◆36◆◆◆33◆8◆5/
>>574 宗室の曹爽や親族の夏侯玄が殺される状況下では、
亡命も仕方なかったと思うけど。
魏に残っていたら、夏侯一族が根絶やしにされる
危険性もあった。
>>576 夏侯恵とか残った連中は平気だったり司馬氏とも姻戚になったりしている不思議
>>577 夏侯恵は生没年が分からなかった筈だけど、夏侯覇が亡命した
後も生きていたという記述があったっけ?
それから姻戚なのは夏侯玄では。同母妹が司馬師の最初の妻で、
夫に毒殺された。
>>578 夏侯恵じゃなく夏侯威だったわ。威については夏侯覇亡命後も健在なことが明らか。
夏侯威の子、夏侯荘の妻は司馬師の妻羊氏と姉妹。
夏侯氏、司馬氏、羊氏、諸葛氏らは互いに通婚してて、諸葛誕の娘は父が反乱して亡命してても許されてたりしてる。
夏侯威は、息子の荘を羊氏と結婚させて司馬師の義兄弟に
しているし、二人の間には湛などの息子もいる。
さらには威の孫娘が司馬覲と結婚して、元帝・司馬睿生母と
なっているから、司馬一族との仲が良好だったのかも。
それにしても、夏侯湛のような子孫がいれば、惇や惇の子孫の
事跡ももっと分かっただろうに。残念。
湛が破ってしまったという魏書も見てみたかったな。淵や惇の
活躍が沢山載っていた筈w
惇は特にその「武功が非常に高かった」とされるゆえんを知りたいな
あの破格の厚遇の理由がいまだに三国志有数の謎だ
本当は活躍しまくりで記録に残しきれないから武功が非常に高かった、でまとめられてるんだよ
なんちゃって
>>581 特に別行動したと特記されてる時以外、常に曹操に従軍してるから
部隊指揮官としては高い手腕を誇ってたんでしょ
惇抜きの時に惇の薫陶を受けた韓浩も抜きになりそうになったとき
曹操は「どうやって中軍指揮しろって言うんだよ、皆のバカ!」と嘆いたわけだし
>>583 そんなにしょっちゅう従軍していたっけ?
留守番役が多かったというイメージがある。
曹操が嘆いたというエピソードも初めて聞いた。どの戦いの時?
>>583じゃないけど、正史で読んだな
誰の伝か忘れた。韓浩かな
従軍は、初期の頃はかなり従軍してるし、
正史の惇の伝が薄いのは、曹操とかぶるから、武帝記にのっけられちゃって
惇のは省略されてるからだって説がある
Wikiにあるこの話?
>張魯を破った後、漢中を守る将として韓浩を推す声が強かったが、
>曹操は「護軍無しにはできない」と難色を示し、夏侯淵が守将となった。
官渡の奇襲とかも曹操と一緒に参加してたのかな?
199年12月に官渡に陣を敷いた時点では後詰だったみたいたけど、
奇襲した翌年10月の記録は無い模様。
河南尹になっていた頃だし、そのまま後詰の可能性が高いかな。
前半だけで送っちゃった。
漫画や小説などの猛将としての描き方から突撃隊長のイメージが
あるけど、実際には後詰や留守居役としての方が能力を発揮して
いた気がする。
前線にいると失敗も多いしw
前線に行くと失敗するのは何でだろう?
周りが見えなくなってしまうのかな
>>589 前線での失敗は数える程でしょ
40年近いキャリアで前線にいた時期が何年かは調べてないけど
戦死してないってことはそれだけ致命的失敗が少なかったってことだし
運もよかった
>>590 戦術力のないタイプだったのかも。戦略眼はあったと思うけど。
>>591 失敗は捕虜にされた件、高順に負けた件、李典の諌めを聞かず
劉備を深追いした件の3件だから、キャリア全体からすれば
確かに少ないと思う。
ただ、正史に載っている従軍記録自体も少ないから、失敗が
目立ってしまうんだよね。華々しい活躍も特に記されてないし。
劉備を深追いって博望坡だろ、この話しは架空のものじゃないの?
この戦いに諸葛亮がいたとされることが架空なんだっけ?
俺の中で色々ごっちゃになってるようですまん。
>>593 後者が演義の虚構だよ
思うに、劉備は曹操のもとに寄寓していた時期に夏侯惇の性情をよく知る機会が
あったのかもしれん
それで曹軍の司令官が夏侯惇と知って期するものがあり、うまく作戦が立てられた
なんて事も想像した
曹操も副将に李典を配したあたり、夏侯惇の性質はよくのみこんだうえでの
編制なのかな…と
>>594ありがd
猪突猛進タイプというか激情型だったんだろうな
惇だけじゃないけど夏侯一族って「カッとなってやった」って感じの人が多いように感じる
普段から激情型では政務や軍務もこなせなかっただろうから、
普段は冷静なんだけど、ある限度を越えると頭に血が昇って
しまうタイプと想像。
夏侯惇「カッとなって飛び出したら目玉無くした。反省してる」
夏侯淵「カッとなって飛び出したら死んだ。反省してる」
夏侯覇「カッとなって亡命した。反省してない」
夏侯楙「カッとなって逃げた。怖かったし」
この時代って学問もしただろうけど武術も学ぶ?
槍とか弓の練習はしたかもしれませんね
馬は?
必須科目
>>598-
>>600 とりあえず儒教で士人の嗜みとされる六芸についてちょっと調べてから来なさい
>>602 ギャグのつもりか煽ってるのかようわからんの貴公は
よく知らないのに槍とか弓とか言ってごめんなさい
この時代、長柄の武器で槍はないはず
>>603 別に煽ってるわけでなく、それらの疑問は六芸を調べたらある程度は解消するものだと思ったのでな
正史では、曹操からすごく寵愛されてるよな。
はっきりした功績が分からない上、寝室出入り自由なんて
書かれては、ウッホな仲だから贔屓したんだと同時代人から
勘違いされてそうで心配だよ。
誰か来るの待ってた
アッーな人だったとしても俺らから見たらキモいけど、あの時代は普通じゃないですか?
小姓とかそういうのはいなかったのかな
儒教の時代はアッーな人に人権はないよ
そうなんですか
アッーな人だったら嫌だけど、寝室出入り自由だと疑われても仕方ないですね
誰でも自由に、だったら何も疑われないのに
>>609 前漢の哀帝みたいに男色相手を大司馬にまで出世させたケースも
あるから、人権なしってことは無いのでは。
公にしたり贔屓したりすることへの批判はあったろうけど。
>>610 誰でも自由にでは、暗殺者まで入ってきてしまうw
>>610 劉備も趙雲達と同じ床で眠った記録があるが、別にアーッな人じゃない、ボディガードのような役
寝室っていうのは一番無防備になる場所で、そこに入れる人間は絶大な信頼を寄せられているということ
つまり臣下の中で唯一断りなしに寝室に入っていい許可を与えたのは「お前は別格」という証のようなもの
当時の人間もそこらへんわかってただろうからいい意味では見るだろうが、妙なカン繰りはせん
それにそういう類の贔屓ならもっとあからさまな不平不満が出る。孔融の毒舌の格好の的じゃないかw
確かに暗殺者とか来たら困りますねw
でも曹操は武芸も出来たって何かで読みました、創作だったかもしれないけど
曹操は超人夏侯惇は普通の人ってイメージがある
何て言うか表と裏、みたいな
儒教において同性愛は別に禁止でなく、子孫を作らない事が大問題らしい。
だから子供さえちゃんとこさえてれば、同性愛も別にかまわんて事。
真性ゲイすぎて子供作れない奴は嫌われただろうけど。
当時は男が男の愛人を持つことがステータスだった時期もあったようだ。
あと時代的に合うかわからんけど女も妻が妻を持つ、っていうよくわからん習慣もあったらしい。
だからといってアッー!だったとは言わんよ。
一緒に寝るのは親好の証しなだけだしね。同郷だったり、仲のいい友人、義兄弟なんかは
その証しにいっしょに寝た。頭と足を交互にして寝る。
だからやはり、寝室出入り自由は単純に信頼の証しだっただろうね。
ずっと自分と同じ漢の臣にしてたみたいだし、
曹操にとって夏侯惇は部下じゃなくて、ずっと従兄弟兼友達だったんじゃないか
個人的には、蒼天みたいに惇が年上の方がしっくりくる(年上の従兄をずっと慕っていたってかんじ)
年下の従兄弟は身代わりに出頭させるのにな
>>613 曹操の武芸に関する記述は確かに多いし前線でずっと指揮取ってたくらいだから実際腕も立つんだろうが、それでも典偉や許緒に命を救われた場面が何度かある
孫策が暗殺者の傷がもとで死んだこと考えても身近の用心を疎かにするわけにはいかないさ
>>616 あれは曹操が身代わりにしたんじゃなくて淵のほうが庇ったんじゃないの?
その後助けてるし
曹操のスレで、ぶっちゃけアンチが主で(でも三国史好きな人が集まってるっぽい)
惇については擁護というか正当というか、いや資料少ない人だから真実はわからんが
好意的なレスがあって「こういうのが人徳というやつかな…」と思った
千数百年後の異国でも親しみやすい感じを持ってる人が多いという不思議な惇現象
蒼天効果だとは思いつつも、敵の多い曹操のNo,2がこういう惇て人だったのが面白いなぁ
夏侯惇って曹操みたく雲の上の存在って感じじゃないし、親近感ある
資料が少ないから自分の好き勝手想像できるのがいい
>>619 いや、曹操は孔明や関羽と一緒で、信者も狂信的なのが多くて
その反動でアンチが過激なだけだと思うけど・・
惇は狂信的信者が意味不明な書き込みしないからアンチも少ないだけでしょ
知名度も上三人に較べたら低いし
>>615 夏侯惇が「魏の官位くれよ」っていったら
曹操が「俺の国ごときがお前を臣下には置けないよ」っていったくらいだしな
一国の主をここまで信頼させた夏侯惇の功績っていったいどれくらいだったんだろう?
>>532 なあすげえいまさら何だけど
夏侯惇が大将軍になったのって魏「帝国」のころじゃないの?
>>623 惇は禅譲前に死んでる。つまり大将軍は魏「王国」の官。
寝室出入り自由や不臣の礼については、記されている時期がポイント
かなと思っている。
出入り自由だったり、魏の官位が欲しいと惇が言ったりしたのはもっと
前からかもしれないけど、公になり史書に記されたのは曹操の最晩年。
つまり体の不調を自覚した(又は老いを自覚した)曹操が、自分が寝た
きりになったり、死んでしまったりした時を考えて行ったことだろうと。
寝たきりになった(又は死んだ)時にありがちなのが、外部の情報が
全く入ってこなくなったり、偏って入ってきたりすること。
それから、自分の意思に反する行為を側近や跡継ぎにされたり、近しい
人間にクーデターを起こされたりすることも(曹植派の巻き返しとか)。
寝室というのは一種の密室で、そこに軟禁状態にされてしまう危険性が
ある。
そういうことへの予防として、一番信頼出来る惇のみ出入り自由と公表
して、他の人間が良かならぬことの出来ぬよう歯止めをかけたのかなと。
不臣の礼の問答により、彼への特別扱いと彼の忠誠心の高さもPRして。
625に追記。
曹丕が惇を大将軍に任命したのは、長年の功績に報いるものとして
だろうけど、625の推論も含めて考えると、自分が無事に跡を継げた
ことへのお礼の気持ちもあったのかも。
>>622 曹操にとっての惇は、
>>615が書いているような、従兄弟兼友達という
のが一番近いだろうと考えている(惇年上説にも賛成)。
想像に過ぎないけど、権力者として孤独になりがちな曹操が本音を
話すことができ、また言ってももらえる貴重な存在だったのかも。
張バクの件もあって曹操は人間不信だろ
夏侯惇に全幅の信頼を寄せられるようになったのは大分後
対孫権に26軍を預けられるようになった前後からだと思うよ
ずっと仲良くしていられたかっていうとそれはないと思う
夏侯惇自身もある程度距離置いていたんだからさ
二十六軍かぁ、そのあたり居巣時代の惇将軍のエピソード知りたい
昔を知らない配下の中で、徐栄に負けて募兵した頃を思い出したりしてた?
この頃、魏内部の権力闘争は激しかったかもと考えてみると。そこから惇を
少し離しておこうと曹操が願ったなら、やっぱ仲良かったんだろうね、この二人
荀令君の一件は結論は闇の中だけど、謀殺や自死の強要だったなら惇にも
十分あり得たことだね。君主に近すぎるのは賢い処世術ではないもんねぇ
でも惇のイメージはそういう距離をはかって老練に立ち回る人ではなくて
夏侯嬰だなー。あの愚直な劉ちゃんに対する仕えかたが惇に重なっちゃう
本当の子孫か証拠があるわけじゃないがDNA繋がってるわ、あくまで想像w
こういうの考えるの楽しいね
>>627 その人間不信で冷酷な顔はあくまで対外的な顔であって、
家族とか友人の前では
世説新語にあるような明るくて飾らなくてお椀に顔突っ込む男だったみたいよ<曹操
一度自分の懐に入ってきた人間を無条件に信じすぎるために
張バクに裏切られたり陳宮に裏切られたりした
でもそのクセは一生治ってない by易中天
>>629 人間不信だよ
だから常に暗殺を恐れて侍女や妾を殺してまで「曹操は常に用心してる」というメッセージを発信してたのだし
>>627 >>630 張バクの謀反の時、荀イクに呼び戻された惇は、戻ったその夜に
反乱者を処刑して混乱を鎮めている。
迅速な処置に、曹操の信頼はむしろ高まったのでは。
それに、曹操は例えば、惇から推挙された典韋(張バクの元部下)に
身辺警護をさせている。
惇への信頼が無ければ、こういうことも無かったと思う。
その後も、官渡の時に後詰をさせたり、法令に拘束されず自分の
判断で処置する許可を早い時期から与えたり、惇への信頼を物語る
エピソードには事欠かない。
それにも関わらず、侍女や妾を殺した=惇に対しても人間不信だったと
見てきたかのように断定的に言われても、説得力が無いのでは。
>>631 誰に対しても人間不信の目は向けられるだろ
それだけ信頼してる筈の惇に対して何故晩年まで大軍を預けなかったのかな?
惇に大軍預けて自分は別働隊率いれば勝てたのでは?と思う戦いは曹操の戦歴漁るといくらでもとはいかないが結構な数あるよ
それと
>>630のエピソードは、世説新語の仮譎篇にある話かな?
もしそうなら、曹操が死んでから200年以上後に編纂された書物
だから、信憑性があまり高くないのでは。
世説新語自体も、曹操姦雄伝説が小説的な勢いを増した、東晋の
貴族社会をベースにしているし。
トロトロ書いているうちにレスがついていた。
>>632 曹操の惇に求めていた役割が違うからでは。それに本人の資質も。
惇は軍を直接率いるより、軍政家や政治家としての能力の方が秀でて
いるタイプ。前線で戦うと失敗も多いしw
それに、大軍を率いさせることだけが信頼の証しではない。
自分が前線に行く間に留守を任せるというのも、深い信頼が無ければ
出来ないこと。
家族、クーデターを狙う帝(とその側近)を残して出征するのだから、
張バクの二の舞を恐れればこそ、留守役の人選には気を遣ったと思う。
曹瞞伝と世説新語の奴ね
>>634 留守居役になるのも大分後になってからだよ
曹操の信頼は袂を分かつ前の荀郁が第一だわ
>>632で
>誰に対しても人間不信の目は向けられるだろ
と書いていたのに、
>>636では
>曹操の信頼は袂を分かつ前の荀郁が第一だわ
としていて、明らかに矛盾している。
曹操が人間不信だったと言い張っていたのに、何時の間に
荀郁(荀イクのことか?)が信頼されていた話に変わったんだ?
俺の専ブラだとイクの字が読めるのに書き込めないから後漢書の表記を採用しただけなんだ
夏侯惇が信頼第一の留守居役になるのは荀郁よりあとだったんだなぁと思っただけ
夏侯惇が曹操の信頼を勝ち得た時期ってどこだろう
一回202年にも信頼され気味になったところで大失敗して信頼を失った事もあるしな
>>638 内政を担い、侍中や尚書令として献帝に仕える立場にあった
荀イクが、留守居役をするのは当たり前なんだが。
もしかして、官僚と軍人の仕事の違いが分かってない??
侍中や尚書令の仕事内容を把握してから語って欲しい。
>>639 当たり前ではないよ
実際荀郁は死ぬ直前には留守番役じゃなくなってるしな
>>640 死ぬ直前の一回をもって全てを語られてもなぁww
で、侍中や尚書令の仕事内容は把握した?
>>637の矛盾への答えは?
このままだと、曹操は人間不信じゃなかったと認めたことに
なるけど、それでいいのかな?
人間不信だろ
実際、寝てる間もオート斬殺機能が付いてるから近寄るなとか言って侍女ぶっ殺してるだろ
また、曹操の戦略見ててもそうなんだが戦力の大多数を自分に集中させて部下に任せない
曹操は人に任せられないというよりも、戦なんて面白いことを
何故自分でやらぬのだー!というタイプでは?部下やりにくいなw
桃李不言下自成蹊
武勇も名もかの人には及ばないが、この評がしっくりくるのが夏侯惇
642は人間不信と言ってみたり、荀ケは信用していたと言ってみたりで、
何が言いたいのかよく分からない。
夏侯惇のスレッドまで来て、「惇は曹操に信用されてなかった」と新説を
述べるなら、信用出来るソースに基づいた具体的な根拠を示さないと。
633で侍女を殺した話は眉唾だと指摘しているのに、信用出来る話だと
いう反論をしていないから、「侍女殺し=人間不信」という前提が破綻
してしまっている。
しかも634で、曹操が惇に求めていた役割の違いや、大軍を率いさせる
ことだけが信頼の証しではないと反論されているのに、再反論出来て
いない。
194年の張バク謀反後、呂布配下だった張遼を198年に、曹昂たちを
殺して曹操自身のことも殺しかけた張繍やカクを199年、袁紹配下の
張コウを200年に受け入れ、敵だった降将を次々に重用している。
こういうことをする人間の、どこが人間不信者だというのだろう。
あまり詳しくないから根拠は示せないけど
曹操は最初うたぐり深いけど、一旦懐に入れば信じちゃって痛い目みるタイプ
…かな?と思います
夏侯惇も他の部下も信頼してたと思う、だけど全部自分が仕切りたかったのではないでしょうか
あれこれ色々考えすぎて頭痛持ちになったんですよ、きっと
>>643 最初の2行に笑った。曹操は戦好きだからね。
しかも、自分はさっさと前線に行きつつ降将や兵を次々に受け入れる
から、軍の編成変えや兵糧などバックアップする側は大変だった筈。
惇も頭が痛かったかもw
後半2行にも同意。自分もそういうイメージだ。
>>645 上にも書いたように、戦好きなんだと思う。最前線にいたいタイプ。
その分、バックアップや内政などは自分で仕切らず、部下に任せて
いたのかと。
話変わるけど、惇のお墓って今は更地になってるんだよね。寂しいな。
遺骨や埋葬品の剣はどこにあるんだろう?
>>646 資料館とかじゃないの?
曹操は戦好きというか、現場は自分で管理しないと気がすまない人なんじゃないか?
どうにも気になって自分の青写真と違う事やられるとイヤだから人に任せてられない
気持ちはわかるな
------夏侯惇の人生------
14歳で殺人→初めての戦は董卓軍に大敗→仕切り直しで徴兵したら
反乱起こされる→寡兵で黄巾軍に突っ込むノリノリの曹操にgkbr→
留守番中に謀反発生→援軍に向かう途中で呂布軍に遭遇→うっかり
人質にされる→流れ矢で左目失明
ドシュ
∧_∧;.; __ _
<====( ゚Д|]========<<
;.;/, / ;.;, ̄  ̄
------終了------
/|
/::::|
‖:::|
‖:::|
‖:::|
‖:::| ∧_∧
. ⊆⊇( ・∀●)<再開ー
‖⊂ ⊂/ )
/_|_|
(__)_)
(中略)
→政争、軍閥抗争、暗殺、君主の身内にありがちな粛清の渦に巻き込まれ…
というような波乱も特に無く、次代の文帝にも厚遇→大往生ktkr
夏侯惇のそんなところがいいんだよ!
って全然ホローになってない・・・
>留守番中に謀反発生→援軍に向かう途中で呂布軍に遭遇→うっかり
>人質にされる→流れ矢で左目失明
↑ここ、ちょっと違う。留守番していたのは荀ケで、惇は東郡にいた。
曹操の留守に謀反発生→留守番の荀ケに呼び戻され、救援に行く途中
で呂布軍に遭遇→うっかり人質にされる→部下の働きにより解放→
荀ケのもとに到着した夜に反乱者を処刑、混乱を鎮める→呂布征伐に
従軍中、流れ矢で左目失明
ちゃんと混乱を鎮めたことも書いてあげてw
>(中略)
↑この略のところで活躍してるのにww
うっかり人質ってどういう状況?
自分らの部隊より大人数に囲まれて捕まるのか?
自分らより少数に囲まれて、だったらちょっと嫌だなw
>>651 降伏する振りをして油断させ、縛り上げた。
うっかり人質事件といい、李典の諌めを聞かずに劉備を深追いして
やられそうになった一件といい、相手の言動の裏を読むことをあまり
しないタイプだったのかも。
良く言えば素直で一途、悪く言えば単純w
でも曹操からしたら、そういうタイプだったからこそ、この上なく信頼
出来たのかもね。接して自分を裏切らない人間として。
曹操の命令だとわからんようにして田疇を臣下になるように説得してくれって
頼まれて曹操の命令だと田疇にばれちゃうんだっけ?嘘が下手だったんだろうな。
見抜かれちゃった上に、帰る間際には曹操の意向だと、自分からも
バラしている。
でも、嘘が下手といより、田疇にだからこそ見抜かれたように思う。
田疇は元々友人だから惇の性格もよく知っていただろうし、この
話の時も「あなたは私(が臣下になるのを辞退する気持ち)を理解
している筈なのに」と言っているから、惇が自分の本心で勧めに
来たのでは無いと見破りやすかったのでは。
人の上に立つ人間としては、必要に迫られて嘘をつかないと
ならない場面もあった筈だから、嘘が下手では仕事に支障が
出てしまう。といっても嘘がうまいとは、到底思えないけどw
>>650 スマン確信犯でやったw
(中略)=迷子で大活躍 でいいかな?
>留守番していたのは荀ケで、惇は東郡にいた
地勢からも留守番っていうより後詰めだね、訂正惇
留守番組には肉の人も忘れないでください、なんか好きなんだよテイイク
>>657 惇は曹操の後を引き継いで東郡太守になっていたので、濮陽を守る
ために東郡にいたみたい。それと、程cもいたね。
>迷子で大活躍
ww
199年以前? 河南尹となり、洛陽の復興に努める
204年 伏波将軍に。法に縛られず自己判断で処置を取れるようになる
206年 并州の高幹の反乱を鎮め、呼応した河東の衛固・范先を処刑
207年 2500戸に加増(武官トップ?)
217年 居巣で曹操より、26軍の総司令官に任命される
219年 曹操より、魏の前将軍に任命される(不臣の礼)
220年 曹操の跡を継いだ曹丕より、大将軍に任命される
格好良さそうなのだけ書き出してみた。
大将軍になったけどぽっくり死んじゃったな
だけどそこがいい
>>654 深追いで、なぜか田んぼ見てくるフラグ思い出した
李典( ´∀`)<夏侯将軍!劉備が陣に火を放って逃げ出しました!
夏侯惇( ´∀●)<ちょっと劉備の様子見てくる
( ´д`)<えっ?それならすぐに斥候が戻りますが
( ´∀●)<敵兵の様子も気になるし…火の様子も見なきゃ…
( ´д`)<ふ、伏兵がいたらどうなさるおつもりです
( ´∀●)<なーに、すぐ帰ってくるさ、帰ってきたら追撃するんだ
( ´д`)<…
不臣の礼の時のやり取りとか、寝室出入り自由とか、正史だと
曹操が夏侯惇のことを気に入っていたのがよく分かる。
ゲームでは惇が「孟徳」「孟徳」うるさくてモーオタっぷりを発揮してる
けど、実際には曹操が「元譲」「元譲」うるさくてトンオタだったのかもw
そもそも夏侯惇の側が曹操を字で呼ぶってのはおかしいわな
まあゲームなんだしありえないことが色々あるw
無双惇や蒼天惇は曹操を字で呼ばないと逆に違和感がある
>>662 不臣の礼の友達認定からすると、曹操が自分を字で呼ばせていた
可能性もありそうだけどな。身内だけの時などは特に。
目下の者は上司を字か号で呼ぶと思ってた。後漢〜三国はどうなんだろ
身内の集まりなら字とか、曹仁あたりは仁仁とか呼ばれてたりしてw
でも、夏侯惇が音頭とって曹操のことは一族の長として敬った呼び名に
させてたんじゃないかな、身内でも君主と臣下の区別つけろよ〜と
惇が孟徳呼びするのは二人だけで酒呑むとかそういう時、ゲームは異次元w
公には、姓+官職名(役職名)かな?
道に迷って大勝利!
>>666 >目下の者は上司を字か号で呼ぶと思ってた。
字では呼ばんはず
こんな感じかな。
「惇」と呼ぶ → 親・伯父や叔父・兄・上司など
「元譲」と呼ぶ → 友人・同僚など
「夏侯将軍」と呼ぶ → 部下など
あと敵方だったら、「惇」や「夏侯惇」と呼ぶのもありそう。
>>668-669トン
原則は字が普通で、名は本人が使うか、身内で目上かつ親しい人だけ限定と
思ってた。なんで名があるんだよーと思ったこともありましたw
日本もそういう時期が長かったけど、今もこの慣習あったら大変だ
そうすると「時夏侯淵与惇惧為将軍、軍中号惇為盲夏侯」のところで
一族中心で夏侯姓、曹姓が多かったはずで、なぜ惇だけこの扱い?軍のエロい人に
この通称が許されていいの?と感じるのは的外れってことですか
そう感じるのは現代日本だからで、当時は「夏侯惇将軍」と呼ぶよりは「綽名+姓」
のほうが礼を失しない通称だった、と
あくまで第三者間の会話で使う通称であって、惇に面と向かって使う勇者は
いなかったと思いたいが、自宅で鏡に八つ当たりした話もあるからもしかすると…
>>670 今も中国文化圏では使ってる人いるよ
台湾プロ野球選手の登録名が字だったりする
夏侯「惇」将軍だとさすがに大失礼だと思うんだ!
フォーマルな場では大抵将軍号とかで「伏波」とかだね
まあ皇帝が臣下を呼ぶときは名で呼ぶから惇惇って呼ばれていただろうけど
もし同じ場所に伏波将軍が何人もいたらどうするの?
夏侯将軍、〇〇将軍って苗字になるのですか?
>>672 雑号将軍だから被るこたぁあんまないと思うが…
>>672 伏波将軍が複数名になることはまずありえないが、仮にあれば「夏侯伏波」などと呼ぶだろうね
三国時代あたりだと字はある程度親しい友人間でさえ非礼に感じるものだったらしいよ
>>673 >>674あんまり知らなくておかしなこと聞いてすみません
各州にそれぞれ偉い人がいるんだと思っていました
10個の州=10人の伏波将軍で、大統領が曹操って考えてました
将軍の中でも最下位とか色々あって、将軍っていっぱいいるんですね
何て読むのか分からない将軍も沢山いて何か恥ずかしい
恥ずかしいついでに、惇は将軍だったんだから偉いんだぞ!
って別のスレで書き込まなくて本当によかった
伏波将軍ってのは後漢では有名な馬援も使ってた雑号
曹操は光武帝の真似を自称しているから、馬援の将軍号を惇にも与えるということは
もう言わなくてもわかるよな
「矍鑠たるかな、この翁」という意味ですね、分かります。
夏侯伏波の響きいいね(日本語読みだけど)。姓+将軍号または官職ならば
非礼の恐れなしで区別もできる。盲夏侯エピソードは偉くなる前のことかな
二人して裨将(曹操の副官ポジション?)だったら区別しにくかったかも…
その頃、隻眼だったっけ?
しかし言われてみて、目上の人=帝を忘れてたのに気がついた orz
存在感薄いけど基本ですよねーw
馬援というと黄忠爺ちゃんが頭に浮かんでしまうが、惇と同じく諡に忠がある
呉漢将軍も候補にひとつよろしく。曹操の(というか当時の人)光武帝への
リスペクトはすごく感じる
いかん、肝心な一行が抜けちゃったぜ
「詳しい人たち説明惇。知るほどにおもろい世界なので本当に助かります」
>>680隻眼になったのは陳留太守・建武将軍の前後じゃない?
伏波の頃にはとっくに隻眼だったと思うけど、官位とか将軍号はあまり詳しくないので偉いのかどうかはわからん
>>681 682が書いてる通り、隻眼、陳留・済陰の太守、建武将軍、高安郷侯は
全て同じ時期で194年頃。
伏波将軍になったのは204年だから、10年位あとの話。
伏波将軍でも五品か
陳留太守の頃でも盲夏侯なんて言ったら罰せられそうなもんじゃね?
同格以上の人に言われたのか、ペーペーに言われたのか知りたい
同格以上→茶化して言われた
ペー→陰でこっそり
じゃないでしょうか
ペーなら面と向かって言えないような気がします
同格以上・・・!?
盲夏侯と言ったのは曹操かっ!!
いやいや、確かに若い頃から曹操と個人的な関係はあったかもしれんけど
夏侯氏つーのは曹操軍閥初期は柱の男の中のサンタナのような立場だよ
|д゜) ( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д`)
|ω;`)
ヽ(`Д´)ノ
柱の男と言われても意味不明
>>687 190年の董卓討伐で曹操が奮武将軍(四品)になった時、惇も折衝校尉
になっている。校尉とは700〜1200人位の軍隊の指揮官のこと。
そして曹操の後を継いで、東郡太守に任じられたりも。
後漢の正式な官位を受けたのだし、兵の数も人材も少なかった曹操軍
の中では、かなり重要な地位にいたと思うが。
当時の服装って既に官服とか存在していたのでしょうか?
頭のスダレみたいな飾りのやつとか本当にあったのかな
普段着、礼服、戦の服
みたいに別れてたんでしょうか
チャイナは騎乗の為の服だったのは本で見ました。
服飾や軍装備の本だと前漢あたりは詳しいが三国はほんの少しなんだよね
出土品の数の差かな?兵馬俑の物量作戦にはかなわん。数年前に河南で
みつかった三国の下級武将?の墓では初期調査で副葬品が百点以上出たと
あった。未調査の墓って結構あるはず、今後に期待
で、夏侯惇の墓の副葬品が剣だけだった話。魏書のどこかに後年、他数人と
同時期に祀られたというような文(日本語訳ね)読んだ覚えがあるようなw
剣しか無かったという許昌の墓は祭祀用で皆が行きやすい場所で、実は故郷に
本当の墓があったらいいなー。まだ誰にも知られてなくてゴミ捨て場とか
物干し場にもなってないの。さすがに大将軍に副葬品剣ひと振りはアリエナスから
想像したが、曹操のところは倹約好きだし、礼節より現実主義、ごちゃごちゃ
墓に詰め込むのは文帝(こだわり派)の趣味でなかったとかも考えるけど…
あー、夢だけどさっ!夏侯惇の陵墓が発見された、なんてニュース聞きたい
夏侯惇墓、据康熙<開封府志>、在祥符(河南開封)境内。
但据称夏侯惇有墓在河南許昌市西7公里河街南賀庄石油庫院。
墓呈圓丘形、高約7米、周長約80米、封土上遍植翠柏、郁郁葱葱。
>>693 許のが本当の墓
後で他の人と合祀されたってのは武帝廟
こっちは別に墓じゃなくてお参りの為の施設
696 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/27(火) 12:22:46 ID:BCL8hzN7O
普通は死んだ土地に墓が作られる
李典は主に活躍して(たぶん)最期も迎えた合肥に墓があり、生まれた地にも
あるらしいと聞いたので夏侯惇もそうだったらいいなぁという、所詮は夢物語に
レスありがとん
王だった曹操からして、遺体は平服で埋葬して金銀宝物は納めるなと
いう遺言を残しているし、惇は正史にも蓄財に無関心と書かれている
ぐらいだから、剣一振りというのは惇らしいなぁと思う。
もっと副葬品があった方が色々なことが分かっていいんだけど、埋葬
されていた剣は曹操からもらったものだろう、と夢想することで楽しめば
いいかなとw
ただファンとしては、お墓を壊されてしまったのは寂しい。
どんな剣だったのかなとか考えると楽しいですよね
飾りは殆どついてなくて、実用タイプではないかという気がする。
博物館かどこかに置いてあるんだろうか。見てみたいなぁ。
>>693 朱然を下級武将呼ばわりたぁいい度胸だ
と、大して朱然ファンでもない俺が言ってみる
>>702 2007年にみつかった家族墓で朱然のものとは違うと思う。初期調査では誰のものか
わからないがおそらく魏の人でないかという話だった。今は不況になってしまったが
中国は景気良くて電力と水利事業が盛んだったから公共工事が増加→古墓発見も増加
前漢〜晋、南北朝くらいまでの小さなものがみつかっているらしい
三国の物品集めた博物館作ってさ、周囲には銅雀台レストランとかあって
乗り物は的廬ライドとか、関羽千里行が体験できて、勿論従業員は武官や
文官の恰好してて、ときどき原付の絶影に乗った曹操が通り過ぎてゆく…
そんな三国志パーク作ればいいと思うんだ、どこかの遊園地の真似する必要なし
5じゃないところが中国人の良心
あーでも三国志テーマパークとかそういうのはいいアイディアかもね
問題は金だが…
追記 URLの記事は、703に書いた古墓とは別のもの
スレが止まってしまったので話題をふってみる。
夏侯惇に聞いてみたいこと。
1何年生まれ?
2ぶっちゃけ曹操ってどう?
3息子たちについて一言
休みの日は何してのか聞いてみたいです
現代のような休みはなかったかな?
普段は政務&留守番、休みは土木作業してたんじゃない?
今更過ぎて聞きづらいんだがちょっと質問
よく見る三城死守って甄・范・東阿のこと、で合ってる?
三国史って日本史より難しい気がする
>>710 「盲夏侯」って呼んだのは誰?
何の病気で死んだの?
>>713 ケン城・范県・東阿の3城だったと思う。ケンの字は西+土+オオザト。
>休みは土木作業
笑った。趣味だったのかw
聞きたいのは年齢と夏侯家家系図、どんな役割でしたか?かな
個人的に惇の貧乏趣味に付き合わされた奥さんを知りたい
>>713 情報の絶対量が少ないから超楽
日本史はどこからともなく膨大な史料が出てくるのでやってらんねー
>>714ありがd
>>716三国史って何かごっちゃになるんだよな〜
もし正確な情報が沢山あったら俺混乱しながら歓喜するかもw
>>715夏侯惇本人が、カリスマ節約奥様☆みたいなことしてたら嫌ですね
河南尹ってどんな仕事をしてたの?
曹操をなんて呼んでたのか?
左目は眼帯していた?
も聞いてみたいな
>>710 河南伊時代の業務内容kwsk
鶏肋事件の真相
劉協(献帝)のこと、どう思ってましたか?本音トークplz
夏侯淵や甥っ子たちとの仲はよかったのかを、聞いてみたいな。
>>721 鶏肋事件に惇が絡んでくるのは演義じゃなかった?
演義だね〜。だからこそ聞いてみたいんでないかな?
むしろ羅貫中に何故、夏侯惇をああいうキャラにしたのか聞いてみたい
河南尹の仕事とは主に
・軽犯罪の予防と治安維持
・農業・養蚕の振興とその技術指導
・治水事業・旱魃対策
・官吏の管理
・社会福祉事業
・犯罪摘発と取り締まり
・裁判(民事・刑事)
全てやってたら大忙しだな
>>725 725の仕事内容が載っているサイトによれば、領域内の洛陽の員吏
だけで796人というし、全体では1000人以上の部下がいた筈。
忙しかったのは確かだろうけど、案件を決済をしたり人事考課をしたり
人事異動を考えたりという、管理職としての忙しさだろうなと思う。
河南尹の領域には、官渡も含まれているんだよね。
惇は199年までには河南尹になっていたようだし、199〜200年の袁紹
戦で曹操が官渡に出兵したり兵糧を運んだりするのに当たり、惇の
地ならしがきいたのだろうと妄想しているw
それから惇が河南尹だった頃の洛陽は、董卓が焼き払った後の廃都
状態がまだ続いていた時期。
イメージとしては、空襲で焼け野原になった東京都の復興を手がける
都知事みたいな感じかも。
曹丕が皇帝になり洛陽を首都に戻すことが出来たのも、惇の地道な
復興作業が功を奏したのだろうと、これまた妄想中w
戻す事ができたのもってのはどうかと
あの時期、襄樊が呉に抑えられてて許が都では都を襲撃されるという醜態をさらす可能性があったわけで
復興していようといまいと遷都せざるを得なかった
>>727 焼き払われた廃都状態のままなら、曹丕だって洛陽に遷都は
しないだろうから、首都に戻せる程度には復興していたのでは。
というか、妄想と書いているのにマジレスされてもなぁ。
首都に戻せるというよりは利便性じゃない?
劉邦が長安を都にしたのは匈奴対策のためだったように
曹丕が洛陽に遷都したのは距離的に微妙に荊州にも雍州に近くて蜀呉への対応がしやすいからだと思う
727と729の言うことはもっともだが・・・
ここでは演義や漫画の話もしながらまたーりやってるんだから、妄想ぐらい自由じゃん
ファンスレッドまで来て、いちいち目くじら立てんでもいいのに
空気読めよ
目くじら立ててるわけでも妄想すんなと言ってるわけでもなく
実際のところはそんな理由なんじゃないかな〜って言ってるだけだよ
妄想はお好きにどうぞ、書き込みもお好きにどうぞ
ただ俺にも思った事書き込ませてよ
732にそのつもりは無くても、何かを書く度にすぐさまマジレスされ
否定されたのでは、妄想を禁止されているようにしか見えないよ。
もっと大らかな気持ちで語り合った方が、お金を人に配りすぎて
足りなくなったこともあるwという、惇のスレらしくていいと思うけどな。
>>731 フォローありがとう。
これだけでは何なので違う話も。
惇の体型や外見も気になるなぁ。正史に特に記述が無いところを
見ると、武将としては平均的な体型(170センチ台?)だったのかな。
隻眼というのが目立ってしまうせいか、これといった外見の描写も
無いけど、厳しい顔つきだったのか柔和だったのか。
>>733 ただ否定だけしてるわけでなくそこからあーだこーだと語り合いたいだけなんだがな
始皇帝兵馬俑を参考にすると精鋭たちの身長が170くらいだから
武将としての平均はもっと下にあるんじゃないかな
面体については気性が激しいってあるから目付きは釣り上がって気の強そうな顔を想定してる
曹丕の遷都の話を語り合いたいなら、他のスレがいいんじゃない?
それはともかく、曹操が161で小柄扱いされているから、武将の平均が170以下
ということは無いのでは。
顔は元々がどうであれ、隻眼という時点できつい顔立ちに見られてしまいそう。
見えづらいために、顔をしかめたり片目で凝視したりすることが多そうだから。
曹操の身長は本当はもっと低かったのではないだろうか?
弥生時代の日本人の平均って160ぐらいって見たんだけど、土地が違うと体格もだいぶ変わるか?
曹操は150前後で平均は163前後が妥当じゃないか?
根拠は全くないけど
>>735 7尺ってのは演義の数字だし信憑性全くないでしょ
それは明代の身長のスケールだから後漢末の例としては微妙では?
>>737 お宝だけど、怒り狂って投げちゃったってところではない?
それ程激しく怒った、と
文帝紀に「生まれて七尺の形あるも…」と書いてあると聞いたけど、
違うのかな?
>>739 七尺(161〜168cm)より上が長身だという描写が多い正史で曹操が七尺も有ったらおかしいと思うがね
あと文帝紀にある七尺云々ってのは曹操の話じゃなくて一般論
立って半畳寝て一畳に近い性質の話で、「このくらいにしかならない」っていう意味だね
生有七尺之形,死唯一棺之土,唯立コ揚名,可以不朽,其次莫如著篇籍.
生まれて七尺、死ねば棺の土、ただ名を揚げる事によって不朽となれるもので、その次に本を書く事で名を残す事が出来る。
文帝紀だと生有七尺之形ありますね。演義も七尺。世説新語には魏氏春秋(←トンデモ本?)
によると姿貌短小らしいよとの注記。肝心の伝には見当たらない…。官職に就くときに
身体検査なかったのかな?でも、詳細に記述がある人は手ェ長っ!耳デカッ!とか
テラ短足wと後世で言われ続ける。惇は隻眼という特徴以外は空白で想像の余地があるね
>>737 洛陽の刑場墓地の発掘がかなり昔(40年くらい前?)にされて、人骨など多数出土
したと読んだ記憶があるような…。漢魏とあったから同時代?発掘したら人骨の計測
するよね?文献や伝承も重要だけどこういう発掘の結果、こんなんでした〜ってのは
どんなとこ探せばいいんだろ。歴史考古というより人類学?
740かぶったスマソ
あー、文帝のは一般論というか例えだっけ?読み直してみる
中国って発掘調査とかあんまり力入れてない気がします
骨とか見つかっても、ふーんって感じで
皆どこ行っちゃったんだよ
(;ω;`)
次の話題を誰か振らないかなぁと思いつつ見守り中。
他力本願も何なので、ふと感じたことを。
忠侯の諡は、惇にとても合っている(というかこれ以外考えられない)と
思いつつも、少し残念なのが曹仁の諡も忠侯なこと。
曹仁の忠誠を疑うつもりは毛頭ないんだけど、彼ほどの歴戦の将なら
他の諡でも合うものがあったろうに、何故惇と同じになったのかな。
忠侯の名は惇に独り占めさせて欲しかったなぁ。
って曹仁ファンの人が、気を悪くしたらごめん。
ここにいるぞーノシ
【忠】危身奉上曰忠
[意味] 君にその身を投げ出し、危険に労を辞さないこと
ここより拝借しました
ttp://www.toride.com/~fengchu/sigou/ 曹仁にも忠がピッタリだと思う。曹操世代は仲の良い一族だったと
想像するのでお揃いでいいじゃまいか、ま、血は繋がってないけど
他にあてはまりそうなのは「剛」あたり。勇敢という意味と善に勤め、
よく過ちを補うことの意を併せ持っていて、若い頃はヤンチャだったが
自らを戒めて良将になった曹仁によさげ。牛金救出のエピソード好きだな
いけね、ここ夏侯氏スレだったね
もうひとりの夏侯の淵ちゃんの「愍」の意味が哀しいっす
まさかあんなふうに命を落とすとは思われてなかったんだろうな
夏侯氏じゃなくて夏侯惇スレやね
惇関連で夏侯一族にも興味あるし四天王も好きだけど
>>744ここにもいます
惇だけだとちょっとネタ切れ感あるし、夏侯氏全般ここでいいんじゃないかなと思います
皆いたヽ(・∀・)ノ
曹仁も好きっていうか魏の将は皆好きだ
仏教の影響が少なかった時期に何故に四天王が出てくるんだ?
745だけど、レスが増えてて嬉しい。
自分も夏侯氏全般の話でいいと思ってる。惇を語る中で、自然に
そういう話題になることも多いから。
>>746-747 そういえば曹仁とは、大将軍になったのもお揃いだったw
惇と曹仁の諡は、やっぱり曹丕が決めたのかな?
剛侯は自分も考えていた。こっちだと張遼とお揃いになるが。
愍って、哀れむとか慈悲って意味だったのか。曹操の命名?
四天王や曹休など親族の中で、戦死したのって淵だけのような。
長年一緒に頑張ってきた惇にとって、淵の死は辛かったろうな。
フィクションだけど、蒼天航路の描き方で少し救われた気がした。
剛侯にしたら黄忠爺ちゃんともお揃いになるな。良い意味の諡が重複するのは
しかたないんじゃないか?盲侯とつけられなくて本当に良かった。曹丕なら
やりかねない…って文帝好きな人スマン
夏侯惇と曹丕と曹植との関係(つまり後継問題)はどうだったのかね
曹操が決めたから異論無く曹丕サイドだったのか、むしろ曹操に曹丕を推したのか、
いやいや中立地帯になっていてどちらについたらいいかわからん軍人達はとりあえず
惇将軍についていこうかみたいな夏侯惇軍閥が本人の意思に関係なく出来てたとかw
留守居役の惇将軍もどんなんだったか。周りには朝廷の有象無象、エリート意識が
強くて血縁あったりする士大夫たち、地盤も金もある豪族の部下とか…。自軍って
いっても一枚岩じゃないし、代々の繋がりって臣下もいないし、盲夏侯という呼び名が
出る雰囲気だったのか…
ええい、なんか資料ないのかヽ(`Д´)ノ
ついでに夏侯氏全般おkに一票
ここんとこ、正史の話題が多いが過去スレのゲーム漫画小説なんでもアリの
感じも好きだった。間口広く誰でも語れるスレってのが惇っぽいではないか
無双5の見た目が結構好きです
ゲームはうんこだけど、腐ホイホイのイケメンにされてなくてよかった
>>754 後継問題に関しては、静観していて「曹操が決めたことに従う」という
スタンスか、又は曹操に問われた時だけ(カクみたいに)遠まわしに
兄を推す、消極的曹丕派だったんじゃないかな。
惇の性格からして、曹操の気持ちが固まってないうちから積極的に
曹丕を推すパターンは、無いような気がする。
そして跡継ぎが決まってからは、曹操が病で寝込んだり死んだりして
群臣が動揺していた時期も含め、曹丕がスムーズに跡を継げるよう
尽力。そんな経緯もあって、曹丕は惇を大将軍にしたのかなと推測。
表面には出てこないけど、留守居役としての苦労も多かったろうね。
朝廷側では、曹操の腹心の惇を取り込む、又は失脚させて曹操の
力を削ごうと考えて、何かと仕掛けてきそう。特に曹操の留守中は。
惇が財貨に拘らなかったのは、元々の性格に加えて、そういう連中に
隙を見せないためもあったかも。
あと、夏侯氏全般はもちろん、曹一族もありでいいと思う。そもそも、
曹操抜きで惇を語るなんて無理だしw
ゲーム漫画小説なんでもアリにも賛成。
>>1の「真面目な談義でも熱い萌えでも良し」の所に、そういうことを
書き加えるといいかもね。
まぁ具体的なことは、もっとスレが進んでから話し合えばいいかと。
>>756 5はそれまでの長髪から短髪になったり、武器がポッキーwに
変わったりで、驚いた人が多かったらしいね。
最初に見たのが5の惇だったから、そんなに違和感無かったん
だけどな。歳相応っぽいというか、爽やかなイメージで。
あの武器の前後に袋ぶら提げたら土木作業にも使えるな
無双2しかやったことない。初めて見た時、なんで罪人バージョンなんだよ!
(髪型が)ってゲームにマジレスしてしまったw無双の夏侯惇はすごく一生懸命
なんだけどちょと空回りな感じが演義と一緒で好きだ。あえて空気を読まない
タイプというか
←―(・∀● )―±±±±±± 改変してみた
| └| |┘|
@ 大 @ ) ) )
ゲームなど二次創作は、髪型や服装に突っ込み出したらキリが
ないからなぁ。
とはいえ、名乗りや呼び名だと気になってしまう。
自分から「夏侯惇元譲だ」と名乗っていたり、部下から「夏侯惇殿」と
呼ばれていたりで、諱が堂々と使われていることがあるから。
>>760-761 武将なのに土木作業のイメージが強いところが、惇らしいよなw
一騎当千では土木科だったし、ネタに使われることも多いよね。
無双5では天秤棒で戦っているわけですね
普段はあの武器で土砂とか野菜を運んで、いざというときは武器にもなる。
一石二鳥だw
もっこフラグ
韓浩(・ー・)<太寿の川に堤防ができれば旱魃の苦しみがなくなりますね
夏侯惇( ´∀●)<ちょっと堤の様子見てくる
(・ー・)<えっ?完成までにはまだかかりますよ
( ´∀●)<民の様子も気になるし…工事の様子も見なきゃ…
(・ー・)<あの、ずいぶん竹簡仕事が溜まってますが
( ´∀●)<なーに、すぐ帰ってくるさ、帰ってきたら仕事するからっ
(・ー・#)<…(ビキビキ)
机でする仕事より現場好きなのは、曹操と同じなんだなw
>>754 夏侯さんちの元譲くん思い出したじゃねーかw
あれ、曹丕視点ってのが秀逸☆
無双5の惇が土木作業員に見えてきた
攻撃もなんか耕してるみたいで変だな
お前たちのせいだぞw
馬與龍という人が(続漢書)郡国志の集解で、伝・紀・水経河注から
歴代の河南伊をピックアップ→Mさんがうp(レス270参照)
ttp://gukko.net/i0ch/test/read.cgi/sangoku/1035723406/ ↑のスレの歴代河南伊に惇ちゃんも董昭と司馬芝の間に挟まってました
河南伊となるとそうそうたる顔ぶれですねぇ
他にも西晋の羊コ(夏侯氏繋がり)を興味深く読んできました
陽と羊は現代語でも同じ発音(Yang2)なんてのを読むと、盲と忙(mang2)で
「いっつも忙しくしてるほうの夏侯将軍=忙夏侯」と呼ばれてたのを
意地悪な人が「盲」だと広めちゃったんだなとか思ったり
しかし日本の三国志FANはマニアックすぎるw
>>768忙しくないほうの夏侯さんの立場を考えると…w
忙しくないほうはやっぱり淵だよね
比べられたりしたのかな
淵さんは、ひとところに落ち着く暇も無いほど転戦していたのだから、
逆に、武人出身の政治家惇さんへの皮肉かもしれん
デスクワークで超多忙だったとしても、
武将サイドから見たら
戦に出なくなった暇人に見えていたかもしれない
惇に政治家路線を歩ませたのは恐らく曹操で、適材適所を考えての
ことだろうけど、隻眼になったことも少しは関係しているのかな。
中途失明者だから慣れるのに時間がかかって、それまでの間は
戦場には出せなかったとか。
でもデスクワークで竹簡読んでるのも、かなり目を酷使するような・・・
>>771 片目失明したばかりの人にデスクワークやらせたらマジで失明するっての
○○をしたら○○になる、は当時の常識と今の常識では違うかもよ
>>772 失明したばかりの時とは言って無いよ。
馬に乗ったり剣を振るったりするのに比べれば、デスクワークの方が
慣れるのに時間がかからないかな、と考えただけ。
中途半端な状態で戦場に出たら、死ぬことだってあり得るから。
だね、どうしても現代の感覚で見てしまいがちだ。タイムマシン欲しい
といいつつ、もっこ担ぎや稲を植えた(指導してただけかもしれん)は
怪我をした時期を考えるとリハビリだったと考えられないか
天秤棒担いで平衡感覚を養い、隻眼でも稲をまっすぐ植えられるようにと
実は惇考案の訓練であった、なんてな。ま、そんな悠長なこと言ってられん
飢饉だったのは承知で書いてみた
忙夏侯書いたの自分だが比べる気なんてなかったお。ただの思いつき
淵将軍スマン。曹操のところで暇してるなんて噂が出たら首が飛ぶよねw
君主自身が戦大好き制度改革大好きで常に過労気味っぽいのに
制度改革はあんまり好きじゃないけどな
>>775 妄想するのは自由だから、惇考案の訓練説も承知の上で考えて
いく分には面白いと思う。
惇は真面目に勉強を続けるような努力家だから、リハビリも真面目に
コツコツとやって、当初の見込みより早く復帰。
自分の体験を元に、リハビリ兼労力提供の一石二鳥のプログラムを
開発し、その功績により河南尹ゲット。(゚д゚)ウマー
それと噂ぐらいでは首までは飛ばないだろうけど、竹簡が100本位
飛んできそうだw
飛ばす人間が曹操だった場合、自分の分まで入れてたりでww
>>776 好きそうな印象があったけど、そうでも無かったのかな? <曹操
こつこつ努力タイプだとは思うんだけど、気性の荒いとこもあるじゃん
これは若さからくるものなの?
本来の性格はどうだったんだろう
>>777 「妄想」はやめてやれwなんか危ねー人みたいじゃん
三国志検定ならぬ夏侯惇検定を作るのはどうだろう?
3級、2級、特級があって、特級にパスすると栄えある
盲夏侯の称号が授与される。試験範囲が狭すぎて合格者続出だなw
盲夏侯は酷いw
>>778 14の時の殺人の件は若さもあったと思う。
その後のことについては、生年が分からないから何歳の時のことかも
ハッキリ分からないけど、若いとは言えないような。
鏡投げ捨て 劉備深追い
曹操より5歳年上と仮定 44歳以後 51歳頃
曹操と同じ歳と仮定 39歳以後. 46歳頃
曹操より8歳年下と仮定. 31歳以後. 38歳頃
>>779 出題をマニアックにすればどうかな。
惇が推挙した人間をフルネームで書き、各人の功績や最終的な
地位を述べよとか。
特級:大将軍 2級:前将軍 3級:伏波将軍 不合格:盲夏侯w
>>781有名な話ししか知らないから断トツで盲夏侯になっちゃう
昨夜TVで眼球の無い子の映像出てたけど片側だけ凹んでてかなり酷い状態だったよ
鏡投げ捨てる気持ちわかる気がする・・・
義眼も手術とか必要で簡単には出来ないんだってさ
素朴に疑問なんだけど、惇って眼球自体が無いのかな?
脳に損傷が無かったみたいだし、流れ矢は目に突き刺さった訳では
ないと思う。
左目は残ってるけど視力はゼロ(又はゼロに近い状態)ってことは
ないのかな?
この場合でも、目の近くには傷がついているだろうから、普段は眼帯
とかで隠しているだろうけど。
>>784 眼球は結構硬いし、眼窩の奥には骨もある
刺さり方にもよるけど眼球に矢がそのまま当たっても脳が即座に損傷しない可能性も結構ある
為流矢所中,傷左目
矢の弾幕の中で左目を怪我した
と、書いてあるので、恐らくは城から攻め手に向けて放たれる矢を目に受けてしまったというところだろう
同じような流矢で、落命しているホウ統のような例もあるし、
城攻めにおいて防御側の強弩による矢幕は攻撃側にとって脅威だったんだろう
>>780-782 考えたら自分も問題作れるほど詳しくない\(^o^)/
問:夏侯惇が軍中で盲夏侯と呼ばれたエピソードを
裴松之は次のどれから引用したか
1.魏武故事 2.魏氏春秋 3.魏書 4.魏名臣奏
しかも正史で問題作成しようとしたのが敗因。演義から漫画ドラマから
小説ゲーム等から出題しないと夏侯惇は資料なさすぎw
>>785 鐙の無い馬に乗って、武器持って、矢が雨のように降ってきて左目失くしても
戦い指揮し続ける・・・ミリおいらにはミリ。夏侯惇リスペクト
>>786答:3の魏書?
ちょっとしか知らないから難しい(´・ω●)
ここの住人でも殆どの人は不合格で、盲夏侯になりそうな予感w
そういう自分も、
>>781の名前は分かるが漢字が思い出せないし、
功績はまだしも最終的な地位が分からん。
カンニングしても↓これぐらいしか。合ってる?
典韋 曹操を守って死去 校尉?
韓浩 屯田制の進言 列侯に封じられた?
衛臻 惇に諫言? 尚書令?
>>786 1の魏武故事
(´・ω●)<自信ないお・・・
786の答書き忘れてた orz
3.魏書
裴松之が参考にした他の文献と同じく散逸してしまったらしい
ちくま呉書の附録あたりに説明あったような気がする…スマン探して
で、このスレの少し前のレスからネタ貰ってもう一つだけ
問:夏侯惇の諡号は「忠侯」。次のうち同じ諡号の人物は?
1.呉漢 2.曹仁 3.陳祗 4.銚期 (答:全員が忠侯w)
諡というと于禁のは降伏したにしても酷いな…。曹操がホウ徳と比べた言葉が
残ってるが、于禁が帰還した時に曹操が生きていたら「勝負は時の運だしw」
とか言って許したかな?
融通利かなくて敵の多そうなタイプではある
夏侯惇も配下の兵のことで于禁に怒られたっけw
つらつら諡法解をながめてみると、于禁の諡号は威くらいの資格は十分に
あると思うわな
あまりに不憫
ごたごたした時期で国内を引き締めるための生贄的な処遇?>于禁
夏侯惇が生きてればもう少しソフトランディングできたかもね
寛大な処分ができるほど文帝政権には余裕が無かったと思ってる
于禁のは何故か曹丕に苛められたことになってるけど
そもそも「廟に絵として飾られている」という時点でそれは「功績扱い」ということに誰も気付かないのが不思議
絵の内容が記述通りなら功績を讃えてるようには見えないな orz ←まさにこんな?
ただ、正史の曹丕の書かれ方には微妙な匙加減を感じる。于禁伝の最後は
実は文帝の行状を詳しく書きたいがためにあるんでないかとすらw
夏侯惇が長生きしたらだが。北方三国志の描写は結構いいとこいってない?
良い時期に亡くなったなとしみじみ思う。先代の功臣は後追ってポックリが幸い
>>794 荀林父、孟明視の例を出して慰めておいてそれはないよ
もし曹丕が本当に于禁を嫌ってるならもっとストレートにやる
他の連中の例見れば判るが曹丕はやる時は文字通り単刀直入にやるよ
>>794 曹丕の代に冷や飯食いになったり失脚したら気の毒過ぎるし、
曹操の後を追うような死に方こそ惇だなぁという気はするから、
あの死に方がベストだったのかもね。
>荀林父、孟明視の例を出して慰めておいてそれはないよ
このふたり、ともに大敗を喫して非難にさらされながら変わらず重用されたけど
このふたりと于禁の扱いはやはり別物って感じはする
>>795 794です。絵の内容から793に対して書いてみた。あの逸話、実際は帰還して刑を受ける
こともなく慰労されていて、それが廟の絵の件で曹丕への印象がかなり変わるでしょ
その構成に匙加減感じるなーと。曹丕は処分するならそんな回りくどい方法取らないね
当時、絵でプロパガンダしてたのかな?割と出回ってる絵のモチーフだったのに
呉でいじめ抜かれた于禁の被害妄想→病死が真相だったりして
于禁は劉備追撃では夏侯惇に従い、二人で仲良く窮地に陥った典型的軍人タイプ
曹丕は夏侯惇に意見した李典のほうとうまが合いそうな気がする
あの絵の件で示されてるのは曹丕の性格の悪さじゃなくて
于禁の責任感の強さだってのに、どうして皆曹丕を悪くしたがるかな
あの話での曹丕の書かれかた、正史の記述のしかたに疑問感じるなぁと
書いたつもりなんだ799よ。性格悪いかどうかまではわからん
于禁が関羽に捕まった時、夏侯惇はどう思ったんだろう?
曹操と一緒にガッカリしたのかな?
>>800 君へのレスじゃないつもりだったんだが、気分悪くしたのなら謝るよ
>>799 いや全然。むしろレス交わせて楽しい。そして于禁の人気に嫉妬
海の向こうのBBSで夏侯惇ファンのAA(?)みつけたので貼っとく
``````*``````*``````*```````夏```````*``````*``````*````
````*```````````````````````侯```````````````````````*``
````*```````````````````````元```````````````````````*``
```````*````````````````````譲````````````````````*`````
```````````*````````````````永````````````````*`````````
```````````````*````````````垂````````````*`````````````
```````````````````*````````不````````*`````````````````
```````````````````````*````朽````*`````````````````````
````````````````````````````*```````````````````````````
>>800 曹彰を毒殺したとはっきり書かれる世説新語よりはよっぽどマシな扱いではあるよ
ただ、曹丕だけに限らず曹操ら魏の君主たちはどうも士人から内心ではかなり嫌がられてたんじゃないかと思うんだよな
そりゃあ曹操は後漢とつながりの強い士大夫たちと権力争いをしてたんだから当たり前じゃねーの?
>魏王に即位した後の曹操の配下では唯一漢の官位に就いており、
>朝廷での立場は曹操と同列であったという。
wikiの記述で素朴に疑問なんだけど、唯一漢の官位に就いているのは
いいとして、「朝廷での立場は曹操と同列」なんてあり得るだろうか?
曹操の方が、惇より高い位に就いているのでは?
>>806 あれ逆でないかなと個人的に思う。魏国での朝廷の臣下としての立場は同列にかなり近い
(曹操の認識はそんな感じだった)と、そういう記述なら納得。この場合、出典は自分w
立場、ってのがなかなか憎い言葉選んでるよ
当時(をどのへんに考えるか難しいな)、こんな感じと思うのだが間違ってたら訂正キボン
曹操
魏王(魏公かも?)
丞相(三公を統一した官位)
夏侯惇
伏波将軍(雑号将軍・五品)
高安公(爵位)
河南尹(洛陽の長官)
二十六軍の総司令官
官位だと同列はちょっとなぁ…でも「立場」だしw
つい魏以降の資料の官品で考えるが、惇が生きてた頃は後漢の秩石制とすると、曹操と惇の
石高が同じだったのかも…って誰か詳しい人来たれ☆
花道「兵卒の夏侯惇です」
早売りのモーニングにも声優が載っていた。
でも夏「候」惇と書いてあって、誰だよ?と思ったw
せきうんちょう と言い出す雑誌なんだからその程度の誤りくらいスルーしる
草尾毅氏どんな声?と調べてみたらドロロ兵長しかわからん\(^o^)/
トラウマスイッチの原因はほぼ曹操で、自軍内での盲夏侯トラウマとか…
駄目だ、兵長の夏侯惇が頭から離れねーw
>>812 ロードス島OVA・パーン
スーパービックリマン・フェニックス
ドラゴンボール・トランクス
スラダン・花道
主役級の出演で有名な作品だとこの辺か
>>814 上のURLに書いてある八分隷の衰退期という話は、意外な気がした。
建安文学の担い手でもあった曹操や曹丕の時代だから、文学の重要な
要素である書道についても発展したのだろう、と思い込んでいたから。
当時の物で残っている立碑が曹操の死後の物ばかりなのは、彼の
生きている間は立碑の禁が守られていたのかなと考えたり。
でも「建安9年(204)に魏国を確立、魏王を名乗りました」は間違いだw
日本でも、木簡が見つかって考古学上の重要な発見に繋がったことも
多いから、三国志時代についても今後に期待したいね。
あと、建安文学で思い出したんだけど、当時の士大夫層にとっては
詩を作るのも重要だったらしいから、惇も詩作をしていたように思う。
曹操ほど達者ではないから後世には残らなかったんだろうけど、
惇の詩も見てみたかったなぁ。性格が表れていただろうし興味ある。
>>815 それは曹丕の時代になってから
曹操の時代は精々が文学サロンの運営程度
曹丕以前と以降では文学に関する重みがまるで違うよ
夏侯惇と詩作…惇の詩…作ったかもしれんが仲達さん作と同傾向な気がする☆
>>819 ありが惇。小学生の夏休みの日記みたいだw
やっぱり蒼天航路の惇兄みたいに、曹操に呆れられるパターンかな。
酒の肴にされそう。
久しぶりに演義読み直してみて、曹仁と許チョのエピソードで(夏侯惇が漢中で迷子になる年のヤツ)
夏侯惇が先に到着した場合も同じ対応だったかなぁ?と思った。寝室出入りスルーなのは数年先なので
許チョなら惇でも止めたかな。だけど、日に夜をついでと召集されたからには夜中でも桶!と曹仁が面会
を求めたのは当然な気がするんだよね(召集かけといて曹操は酒飲んで寝ちゃってるとかアリかよみたいな)
正史の許チョ伝のをアレンジしたエピソードだと思うが曹仁より融通利きそうな夏侯惇なら「は?酒飲んで寝たぁ?
(なんだ緊急じゃないのか)…んじゃ朝にするわ」ってあっさり帰っちゃいそうだ
来週から始まる蒼天航路のアニメで、惇の初登場は原作通りかな。
四天王だけでなくキョチョも出てくるエピソードだから、カットされる
ことは無いように思うけど、2クールで曹操の死まで描くとなると
忙しいから飛ばされそうな気も・・・
アニメのおける惇の出来を、おみくじで占ってみるか
この板はおみくじ無しなのか・・・残念
これだけでは何なので、エイプリルフールネタでも
惇は嘘をつくのが苦手なタイプとして描かれることが多いように
思うけど、本物はどうだったんだろう。
政治家でもあったから、嘘とまでいかなくてもポーカーフェイスは
得意だったとか。
826 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/07(火) 20:50:50 ID:aXgY9UQe0
今夜から蒼天アニメが始まるので、一旦ageてみる
こっちの地区は蒼天見れないんで
見れる人惇兄はどーでしたか???
>血の繋がった義兄弟
いいんだよ水滸伝でも実の兄弟がいても
108人まとめて呼ぶときは
なんか義兄弟あつかいになってるからw
>>825 肉親以外信用できない曹操が信用していたから、よっぽど実直な人柄だったんでは?
もう実直なだけが取り柄の。
政治家が自分も工事に加わったりしないでしょ。
顔だけ出してさも工事に加わっているかのように見せかける。
仁の人だったと思う。
だから夏侯惇の死後も息子も「例え本当に有罪でも見過ごすべきです」と弁護された。
>>830 正史のエピソードからも実直そうな雰囲気は伝わってくるよね。
ただ政治家だからこそ、工事に加わったのではないかな。
今で言うパフォーマンス。お偉いさんが普段やらないことを
やれば、下々の者をやる気にさせやすくなる。
とはいえ、とってつけたような行動では却って嘘臭いだろうから、
そういう行動を取っても嘘臭く見えない人柄だったのかも。
夏侯雋 Xiahou Jun(かこう しゅん)
武将。曹操の信頼が篤く、度々戦の指揮を任される
映画「レッドクリフ」オリジナルキャラクター@日本公式HP
胡暁光(Hu Xiaoguang)が演じた。モデルは夏侯淵
レッドクリフPart1・Part2のどちらにも登場する。夏侯FANならばその活躍に涙すること必至
>>832 Part1しか見てないけど、涙は嬉し涙じゃない・・・よね?
今日命日だよね?
ナムナム
何故か文帝の伝に惇命日の記述あるんだよな
ナムナム
保守を兼ねて。
12日の蒼天アニメでは、惇の混浴シーンが見られるかもw
今までもカットしまくりだったんで、残念ながら期待できん…
混浴シーン無かった・・・
声も何か違う・・・
orz
すっかり過疎ってしまったけど、まだ見ている人は居るのかな。
もし居たら、お勧め惇を教えて欲しい。
小説・漫画・ゲーム・ドラマなど、何の媒体でもおk。
自分は蒼天航路から入ったので、蒼天の母親役割な惇兄を一押し。
呂布子ちゃん惇のマイペースなところが
不思議と惇らしいって思ってしまう
呂布子はちらっと読んだだけだが腐女子嫌いな人にはお勧めしない
上のほうで惇兄が出てる作品リストがあったはず
一騎当千の夏侯惇は他の男キャラに比べればそこそこ優遇されてる
北方さんの三国志の彼もすごくいい。曹操が信頼する穏やかな話し相手という感じ。
北方いいですね。
他の作品の「猛将!」って感じの惇と一味違っていて。
おすすめとはちょっと違うけど、「鄭問の三国誌(←なぜか『志』じゃなくて『誌』)」
という小説の惇が、ちょっと抜けた人の良いおっさんって感じで、
可笑しかった覚えがあります。
>>845 それです!
PS2のゲームの原作?らしいけど、普通に小説として読めました。
曹操が主役です。
すっかり過疎ったな・・・
ゲームの影響なのか、孟徳馬鹿・モーヲタなイメージが強くなって
しまった惇だけど、正史を見ているとむしろ曹操の方が惇馬鹿かも
という気がしてくる。
不臣の礼、寝室への出入り自由、車に同乗などなど、曹操は惇の
ことを物凄く必要としていたんだなぁと。
曹操は惇馬鹿、惇も孟徳馬鹿だったのかもしれないけどw
普通に正史読む限りは、
曹操が夏侯惇を大大大好きで、超贔屓してて、色々プレゼントして、
職権乱用でプライベートも誘いまくり。
一方の夏侯惇は「こ、困ります…」って感じだがw
いつ頃から夏侯惇の方が曹操大好きって設定が主流になったのかね。
>>848 北方惇っぽい言い方だなw
正史の惇は色々もらっても、あまり喜ばないイメージ。
物欲は薄そうだよね。
惇が「孟徳」と呼ぶことを曹操が許しているという意味では、
ゲームなども正史を意識しているんだろうけどね。
不臣の礼とか見ていると、普段は孟徳と呼ばせていたとしても
不思議ではないぐらい、惇への親愛と信頼が窺えるから。
これは臭い…
夏侯惇に「孟徳」と呼ぶことを許す曹操ってのは正史を意識してだろうけど、
慎ましい性格で不臣の礼も断わるような夏侯惇が、許されたからって所構わず孟徳なんて呼ぶか?
特に無双みたいな夏侯惇の性格は正史とかけ離れてるし、異常とも言える曹操への執着が気持ち悪い。
曹操との関係なしで夏侯惇を語れんのは分かっているが、
夏侯惇が「孟徳馬鹿」とか「モーヲタ」なんてイメージをつけたコーエーが憎いwww
正史を意識するなら曹操がゲンジョーオタであるべきだと思ってるw
イメージ繋がりで言うと、関羽に嫉妬する惇というのも違和感。
元ネタは演義? それともゲームのオリジナル設定?
今の夏侯惇像は蒼天航路が発祥だね。
あれは曹操以外の4人(夏侯惇、淵、曹仁、洪)が初登場時に曹操より年上な設定だったし、
特に惇は年長の兄貴キャラが定着して、4人の中で唯一孟徳と呼び捨て続け対等に接してた。
あくまで一作品の設定に過ぎなかったけど、それをコーエーが前述の下地も無くパクり、
無双のヒットで今なお誇張し続けてるのが浸透してしまってる感じかな。
なにこの腐女子の流れ
モーヲタもゲンジョーオタも気持ち悪い
モーヲタはともかく、ここはゲンジョーオタの集まりなんだが…
>>852 あれはコーエーオリジナル設定だね
無双だけじゃなく、三國志戦記でもライバル視して向かっていくムービーがあったような…
コーエーの夏侯惇設定は演義と正史のいいとこ取りで嫌いではないんだが、
何もかもやりすぎなんだよね。無双4はさすがにドン引きだった
5で「さらば孟徳」と曹操から離れてくれて安心したほど
ランペイジや北方の夏侯惇は正史を上手く意識した設定だと思う
無双って夏侯惇→曹操がこれでもかと前面に出てるのに
曹操→夏侯惇の信頼がきちんと描かれてないから
夏侯惇が曹操の腹心と言うより、ただの孟徳馬鹿って印象になるんだよな…
4とオロチは特にひどくて引いたんだけど、無双5は行き過ぎた感じは
しなくなったし、曹操からの信頼も描写されてて結構好きだな。
>>855 ランペイジは知らないが、北方は作者が正史位しか読んでないらしい。
北方の夏侯惇と曹操は良い主従だな、と思った
北方での描き方は自分も好きだ。
主従としてのケジメを持ちつつも、心の底には信頼感がある感じで。
温厚で穏やかな夏侯惇という設定なのに、時には曹操に向かって
辛口の進言をするところもいい。
惇は無双のようなゲームなら曹操を絡めなくても十分にキャラ立ち出来ると思うけどなー
正史のイメージ壊して惇→曹操を全面に出す意味が分かんね
5みたいな描写なら正史のイメージ湧くけど、4やOROCHIは開いた口が塞がらなかった
ところでここの住民は三國志戦記2の曹操裏切りをどう思った?
自分は兵卒の為って理由が('A`)だった
蒼天の影響を間違って受けたとしか思えなかったし…
あれはねーよ
でも魔王に操られてたならあり
所詮はゲーム
多少の過剰演出はありと楽しんでる
モブよりまし
あれは人の良い惇が、司馬懿に乗せられちゃったと思ってる。
アニメの話題が少ないのは、見ている人があまりいないからかな。
>>862 > アニメの話題が少ないのは、見ている人があまりいないからかな。
アニメの評判が悪くてな……
話すと文句ばかりになってしまう。
声が合ってない上、孟徳と呼ばないなんて、原作の惇とは
別人としか思えない。
オープニングの惇の笑顔は良かったから、期待してたのに。
アニメに文句を言うならまず電痛
アニメは原作とかなり違うと聞いて見るのやめた
無双2の夏侯惇はイイ
「お前の首なぞいらん、持っていこうにも髭がじゃまだ」
かっけえ
みつあみにして手提げにすりゃいいのに……>髭
ちまちま三つ編みしてる所を想像して和んだ
いいなぁ・・・そのままずるずる引きずって帰るんだろうな
(((゚д゚;)))
久しぶりに来たらすごい話題だw戦乱の時代的にそういうブツには抵抗感が少なかったかもね、当時の人
伏皇后ご一行様とか祟り神な関羽様とか柳の木の神様とかそういう方面には滅法弱いが
>伏皇后ご一行様
この頃の惇は、もうおじいちゃんだから、
ご一行様を見たのはさぞ心臓に負担がかかっていたのかも。
おじいちゃんか、享年いくつだったんだろう。60歳台?まぁ、じゅうぶん爺だね
捜神記の逸失した巻に記述があったりして>皇后その他
演義の描写は基本、物語物語とは思いつつ今は無い文献の記事をモチーフにしてたりして〜なんて
うっすい可能性を考えてしまう
60代かぁ・・・孫とかもいたんだろうな。
列異伝でこの辺も残ってればなぁ。つーか惇じゃなくて華キン(@演義)に祟れよと思った
惇と華キンは清貧な実像(まぁ異論あろうが)に反し演義ではコテコテの悪役になってるのが面白い
>>876 華キンは史実でも皇后強制連行の張本人だったり権力志向だったりする話しが伝わってるから、演義が実像に反してるとも言えないよ
誇張気味とは言えるが
逆に朝廷との具体的な記述のあまり無い夏侯惇が晩年間際に皇后の怨霊を見てしまうというのが違和感あったなぁ
1.公的資料は残っていないが(伏皇后の時も)深く関与していた
1.後年の後漢朝廷を正統とする意味でとりあえず曹操のとこのNo,2だからバチが当たったことにしとけ
のどちらが可能性高いかな〜?とか…
具体的記述はないものの、朝廷との関係があってもおかしくない、
とは思っていた。
不臣の礼のやり取りからみるに、長い間魏臣ではなく漢臣のまま
だったようだし、河南尹は洛陽も管轄しているから、朝政に直接
関わっていた可能性がある。
伏皇后の時に関与していたかは分からないけどね。
無双での惇の関羽への嫉妬にゲンナリし、蒼天で嫉妬しない
惇を見て気分爽快になったのは、自分だけではあるまい。
それは無双4の話か?
無双1,2,3,5にはそういう傾向はあんましなかった気がするんだが・・・
無双2の多少ドライな夏侯惇(
>>867)には、俺はゲンナリどころか、無茶苦茶かっけえ!って思ったけど
無双は演義ベースだから千里行もやるが、
蒼天は正史ベースなので安心して読めるのは確かにそうだな。
蒼天惇はさっぱりしてて気持ちがいい。
でもやっぱり無双2惇も気持ちがいい。
蒼天惇の名場面は沢山あるが、目を食った後が特に凄かった。
蝋燭で血止めしてるしw
曹操が片目喪失なんてものともせず、惇を連れ回しているのも
凄いと思った。
慰めの言葉をかけるでもなく、手当てをと焦る訳でもないあの
態度に、惇への深い信頼が表れているような気がした。
無双4からの夏侯惇は嫉妬じゃなくて一方的な対抗心じゃない?
関羽が来ると自分の立場を失うって危惧する小物っぷりなので、
嫉妬とか言われると益々小物みたいで嫌なんだが…
>>881 5では一応関羽に対する特殊ゼリフが残っていてライバル心むき出しの台詞吐いてるよ
千里行がなくて関羽との絡みがないから表面に出てないだけで、5でも設定は残ってるようだね
2の千里行がメチャかっけえのは同意だ。3も関羽の鼻っ面折ってやったみたいなのでカッコ良かった
だから4で涙目だった
OROCHIもなんで信長追っかけたんだろうなぁ…
>>882 考えてみると確かに、あそこの曹操すごいな・・・w
ふつうなら心配しないのは薄情に映るはずなのに、そう見せないのは不思議だw
>>883 嫉妬ってのは俺もすごく嫌だ。対抗心の方がまだしっくりくるな。
地位を失う不安・・・なんか本来なら、一番惇らしくない感情のような気がするw
5の特殊台詞か!まだ聞いたことなかったから聞いてみる。惇ばっか使ってると気付かぬこともある・・・。ごめん。
OROCHIは色々とすごかったが・・・
無双の信長と曹操の顔が似てるってのは前から言われてたし、単に対比させたかっただけとかじゃないかな?
自分はむしろ、曹丕に噛み付くことのほうが驚いた。なんでそうなるんだと。無双だけでもいろんな惇がいるね・・・。
夏侯惇への勝手なイメージとして 淡々とした ってのがある。無双の惇(1と2を除く)には時々ついていけないw
このままシリーズが続くなら人質事件(プレイヤー韓浩)とか汴水撤退戦とか目新しいイベントが欲しいですな
>>885 人質事件は見ていたいな。どんな風に描かれるんだろう。
モーヲタとしては、孟徳の覇道の妨げになるぐらいなら、
ここで死ぬ!のパターンか?
>>886 呂布相手にエン州失ってやばい時期だから緊迫感あるね
董卓追撃戦もいいな。1000人斬ろうが絶対に敗北するステージ
田植え無双、もっこ無双、イナゴ1000匹斬りと続く内政千里行(気がつくとそこは蜀だった…)とか
次世代機の容量生かして、ぜひやってほしいな〜人質も内政千里行も!
無双だったら、人質は、自力で脱出的な話になりそうだw
夏侯惇がぶっとい鎖でぐるぐる巻きにされてる姿が浮かんでしまった
無双じゃなくてバサラだなw
しかし、無双で北方謙三的な惇になったら確実に吹く
冷静に、丁寧な口調で戦う夏侯惇w(だが暑さに弱いため対呉戦ではただのお荷物である)
>>891 それはそれで、意外性があって面白いかもw
北方曹操は惇への精神的な依存度が高いから、北方バージョンだと
惇の活躍が増えそうな気がする。
北方惇はまさにマミーだね
マミーといえば、蒼天の曹操が言った、『おそろしくむさい母親』って表現が衝撃的だったw
一体どんなだよ!と思う一方、これほど蒼天惇を的確に言い表した言葉もない気がするw
外見はむさいが、中身は母親ってことだろうな。
あの話のせいで、惇=マーが刷り込まれてしまった。
そう言われてみると北方でも母親っぽいし、無双でも似たイメージ
だから違和感ゼロw
無双(3以降)の惇が異様に美男なところが、斬新だといつも思う。
公式の某本でも、(3の)外見はMAX値に近いという評価だったので、俺の主観ではないようだ。
正史を読んでも演義を見ても、蒼天みたいなむさい惇しか思い浮かばんのだけどw
蒼天みたいな方が、外見的に不思議と”マーっぽい”んだよなぁー
>>896 公式の某本ってなに?
無双惇は格好いいけど美男ではないと思うけどなぁ
ヒゲ無しコラが流行った時に諸葛亮なんかは美男だったけど
惇は普通の男って感じの厳つい顔だったよ
でもスタイルは抜群にいいよね。立ち姿が凄い絵になる
しかも孫市によると本人自覚有りのモテモテ設定なんだよねw
だから5でなぜポッキーになったのか不思議で仕方がない
あれは女にモテる男が持つ武器じゃないだろと
>>896 無双3以降の変化は衝撃的だった。呉の周瑜、蜀の趙雲に対抗させる
ため、魏からは惇が選ばれたのかなと思ったり。
贔屓が入っているのは認めるw
自分は蒼天以外から入ったせいか、正史を読んだ時は北方惇みたいな
控えめでむさくないタイプを連想した。
演義など猛将として描いている場合は、むさいイメージだけどね。
>>897 無双3以降はワイルドな美形という印象だな。顔立ちだけだと違うかも
しれないけど、衣装・髪型・眼帯・立ち姿などを含めた総合力wで。
けど、モテ男自覚有りの設定なのは知らんかった。自分の中で、
無双惇は天然な印象が強いせいか、凄いギャップがある。うーん。
>>898 むしろ天然の印象ってのが驚きなんだがw
よければどの辺でそんな印象を持ったのか教えて欲しい
贔屓目なしに蜀の趙雲・呉の周瑜と並ぶ魏の筆頭キャラとして色々優遇されてるとおも
マルチレイドでは「ヒーロー趙雲」に対し「ダークヒーロー夏侯惇」のイメージでデザインしてるんだって
曹丕の登場で立場ヤバスと思ってたけど、まだまだみたいだねw
>>897 真・三國無双通信っていう公式ファンブックの、無双3発売前だか直後だかの魏将特集に、
勇猛・知性・容姿とかの値を図で表した、パーソナルデータというのが載ってたよ。
今蜀しか手元にないから間違ってるかもしれないけど…それで無双3惇の容姿の評価が、趙雲並だった気が・・・
なんていうか、先入観としてあった惇とのギャップがすごくて驚いたんだよ、無双3の惇を初めて見たときw
蒼天とかsweetとか無双2が念頭にあったからさ・・・。
あと、さっきの特集を見て刷り込まれていたのもあるなw
髭なしコラ気になるw面白そうだな
ポッキーw む、虫除けとか・・・?w もてんのが戦で何の役に立つって言ってたしな
>>898 魏代表が惇てのは無双だと大体そうだよな
これは贔屓目じゃないはずw
一方、蒼天の惇は、おねえちゃんと遊ぶことを考えていたのだった(画伝の広告漫画で)
>>899 天然と感じたのは、モーヲタかつ、それを隠しもしないのが大きいかな。
主君マンセーであったとしても、それを多少なりとも隠すんなら分かるん
だけど、無双での惇はこれでもか!とモーヲタを宣言している印象が
あって、そういう部分に天然さを感じた。
なんというか、曹操以外は目に入ってなく、自分が女にもてるかどうか
なんて無関心なイメージ。
ただゲームそのものをしたことがなく、画像やようつべ等にUPされた
ムービーなどで見ただけだから、バイアスがかかっているのかもw
>>898-899 贔屓目じゃなくて良かったw
>>899 蒼天惇がそんな設定だったのにもビックリ。
本編でおねえちゃん絡みの話が全く描かれてなかったし、曹操の妻たち
と一緒に風呂に入った時も彼女たちに目もくれず曹操と話していたから、
女よりも曹操や天下取りだけに意識が向いているのかと思ってた。
903 :
899:2009/10/31(土) 12:39:29 ID:wqEVE+/A0
>>900 トン。無双通信…、立ち読みしたことあったかも。古本屋行ってみる
容姿は趙雲並ってさすがモテ男惇様w
>>901 レストン
恋愛感情じゃあるめーし、主に対する忠誠心をなぜ隠す必要がある?
って思ったけど、あそこまで酷いと少し隠せやって思うかもね
上の方でも話題になってたけど、モーヲタとか言われるようなコーエーの描写が
一番問題なのかなと思った
でも、無双惇には魏将の親方・棟梁的存在という設定もあるらしく、
雀なんかでは曹操とまわりの調整役をこなす様子も見られる
曹操だけでなく意外とまわりも見てて、しかもモテモテ自覚で己も知ってる
…という設定なのかな?w
とりあえず、違法アップ見て妄想してないでゲームやっとけ。それから語れ
質問しておいてゴメンね
>>899 そのダークヒーローの件て何にあった?すっげえ知りたい!!
ダークヒーロー・夏侯惇…カッコヨス…
>>901 そうだよね、蒼天惇のイメージと違うもん。俺も驚いたわ・・・しかも金髪でピアスだったw
ついでに、惇には呂布がおねえちゃんに人気っぽく見えるらしい
>>904 マルチレイドの公式設定資料集
「正統派ヒーローポジションの趙雲に対して、ダークな格好良さを追求しました」だって
確認したらダークヒーローってはっきり書いてなかったけど、そう解釈して良しってことでw
>>904 >惇には呂布がおねえちゃんに人気っぽく見えるらしい
( ゚д゚)ポカーン
あの呂布のどこが・・・?
北方の呂布なら、まだ分かるんだけどな。
>>905 ありがとう!!設定資料集買うつもりなかったけど、これは読まねば・・・!
ダークなかっこよさとか言われると覚醒惇がかっこよく見えるから困る・・・w
>>906 だよなぁ・・・w 蒼天惇の感覚を疑う
色んな本で惇の説明文を見ると、正史の「軍中でも先生に講義を受けた」ってのが
しょっちゅう引用されてるけど、これって当時は珍しいことなのかな、どうなのかな
蒼天呂布は、好みの分かれるところであろう、としか言えないよw
惇は何を勘違いしたのやら。
董卓から女を奪った=モテるの図式かなぁ。
講義の件は、よくあることなら正史にまでわざわざ記さないような
気がするんだけど、どうなんだろうね。
出征してない時に講義を受ける人はいるけど、出征中まで受ける
のは珍しいとか?
・陣中でも勉強するなんて素敵!
・戦なんだから他にしなきゃいけないことあるだろ
どっちだろうか?
基本的には前者。この時代は文を重んじるから(というか教養のない人間は出世してもまともに相手にされない)
夏侯惇は曹操の縁戚で主に武事によって出世した人間だったけど、
内実は勉強熱心で謹厳な人物だったんよ、という逸話だろう。
話の途中でスイマセン
夏侯惇の資料はあまり無いので三国時代をきちんと読もうと思いまして。中国語できない普通の日本人・夏侯惇ファンです
正史・演義・孫子は読んだので次にこんな感じで読んでいこうと思ってます。(小説は外してます)
・中国の歴史04 三国志の世界 - 金文京
・三国志研究入門 - 渡邉 義浩
・諸子百家―儒家・墨家・道家・法家・兵家 - 湯浅 邦弘
・司馬法・尉繚子・李衛公問対 - 守屋 洋
・中国社会の人類学―親族・家族からの展望 - 瀬川 昌久
夏侯惇が好きなかたは、どんな本を読んでおられますか?もしよかったら教えてください
三国志平話や反三国志とか派生物も、系統づけて読むと面白いかも。
大昔どっかで見たんだが、夏侯惇は、河伯との同一視されていたという話。
河伯は黄河を統べ、洛水の女神を妻とし、左目を弓矢で射られて無くしたという隻眼の神。
夏侯惇は、川を塞ぎ用水路を引き旱魃に苦しむ民を救った。洛陽の長官でもある。
河伯は、各地の河神につけられた称号。各地の物語が黄河の河伯物語に組み込まれたため、道教、仏教において河伯はカオスな存在になっている。夏侯惇も、民の敬意と共に、河伯神話に組み込まれたのではないか。
夏侯惇は正史では、矢によって左目を失明したというだけ。矢がかすっただけかもしれない。が、後の時代では「左の目玉を射たれた」という、河伯と同じ描写になった。
平話では呂布すら追い回す勇将。演技では五関で関羽と渡り合った。これは古き神(河伯)を乗り越え、新しい神(関羽)を生む対決のシーンでもあると。
清代に完成した反三国志では、他の将が凄惨な死を遂げる中で、彼は残された右目を失うことで引退した。あたかも、河伯の座からひき落とされるかのように。盲夏こうのあだ名自体、隻眼と認めたくなかった可能性もある、と。
江南と違い、彼の基盤だった洛陽や河南は、戦乱により度々灰燼に帰している。関羽の山東商人や甘寧の富池鎮のような、歴史を伝説や神話へ繋げる伝承者が居なかったことが、夏侯惇だけでなく、中原を基盤とした偉人達の過小評価に繋がっているという感じ。
「近代三国志における描かれ方は想像の余地があったことが最大の原因でしょ」とか非常に突っ込みどころも多かったが、物語の変遷に目をつけたあたり面白い見方と思ったんで覚えてる。
光栄マルチレイドのダークさも、堕ちた神と見るなら納得できる…か?w
って山東じゃねえ、山西だ。河東とごっちゃになってた
スレも止まっている様だし、もう一つ投げていくか。正史だけだと、夏侯惇は非常に評価に困る。
一見情けない話が多いが、かかわった事件は、いつのまにか、何らかの形で解決している。
呂布に囚われた時は韓将軍の活躍で助かったが、これで呂軍は人質という兵糧確保手段を失った。
陳留じゃ水問題解決。衛臻の件も、衛臻に奥さんを連れてこいと言って拒否られたと話し、衛臻の名声を上げたというなら判るというか春秋戦国の逸話にもあるんだよな。わざと無礼を働くことで相手の名をあげるという話は。
ハクボウハも、いつのまにか劉備が荊州中枢を追われる側になったし。
河東鎮圧も妙に準備が手間取ると思ったら、杜太守のお陰で、いつのまにか殆ど終わってた。
当時の洛陽は荒廃していただけでなく、曹操の方針で移住してきた、異民族、犯罪者、浮浪者が多かった。治安も悪かっただろう。にも関わらず、曹丕の代に魏の都の一つとなった。一日で呂布との密通者を処刑したボクヨウの件といい、治安維持に関しては凄まじい。
合肥に二十六軍の将として駐屯したときは、いつのまにか孫権が従属。
漢中では、いつのまにか敵が逃げ出して解決。
それらを鑑みても、夏侯惇の優遇ぶりは異常すぎる。名将と同じ伏波将軍位、魏国最高クラスの私領、河南伊
漢中じゃ許チョが同伴。他の誰でもなく魏王陛下の親衛隊長が傍についた理由は?まるで魏王そのもの。
義兄弟の夏侯淵、天人の如き曹仁より上位に座する理由は?
曹操は、おべっか使いしか脳の無い小物を信用する人間ではない。郭嘉は「袁紹と違い、曹操は特別扱いをしない」と言った。
曹操の意思を実行する影、影武者そのものだったかもしれん。
孫子曰く、情報は最も信頼できるものに委ねよ。
広大な魏国だ、曹操が何でも決済をしていたら、幾ら天才でも時間がかかる。最上位者の決済が貰えなくても、その人の決済が出れば実行可能という代理、メッセンジャーが必要。
それが荀イクであり、夏侯惇だった……と、やろうと思えばとことん過大評価できるし、過小評価すればどこまでも小物になる。よく判らん
河伯の話は初めて知った。面白い説だね。
曹操の代理だったというのは、その通りじゃないかなと思っている。
特に荀ケ亡き後は、武官・文官を通じて、曹操に次ぐナンバー2だろうし。
決裁権については、記述のあるものだけでも、伏波将軍になった頃の
法令に束縛されない件や、二十六軍の司令官の件があるよね。
それに曹操が晩年、同じ車に乗せたり寝室への出入りを自由にさせ
たりしたのも、代理人なのだということを改めて周知するための、政治的
パフォーマンスだろうなと考えている。
>>912 >後はいろんな本を適当に読んでるうちに
911です。レスどうも。これ本当に感じます。いわゆる異民族と呼ばれる側の記述を読んだりしてる時とか
三国志平話は少しだけ、反三国志はまだ読んでいないので挑戦してみます。 中文はわからないんですが劉永華さんの
古代中国の軍装の歴史本は(すみません、タイトル忘れてしまいました)持ってます。今の三国時代のイメージは実際の
時代より後のものをアレンジしているんだなと(基本は唐とか隋っぽいように思いますが北宋・南宋くらいの感じも?)。
地方で図書館には期待できないので自分が買える範囲でコツコツ読んでいこうかと思います。レスありがとうございました
おーい、誰か規制の城壁に衝車ぶちこんどいてー
>>916 反三国志はグロいんで気をつけて。ちょっとした図書館なら置いてあるだろうし買う必要もないと思われ。
三国志系統は本気で買い揃えると万単位で金が飛んでいくから、ご存知とは思うけど出来れば市立や県立図書館に頼んで取り寄せてもらうが吉。ご近所の図書館が他所と提携していなかったら、南無。
現代の三国志イメージはおっしゃる通り後世に作られたものが多い。
有名なのは青龍偃月刀だな。当該武器が出現したのは宋代以降とされる。さらに日本で読める作品は、誤訳やら創作やらもある。
ttp://www.tulips.tsukuba.ac.jp/exhibition/sandaikisho/ex_page_part4.html で三国時代、関羽が使っていた武器はというと、当時、斬馬剣や大刀という偃月刀の原型があったわけで。
服装も、曹操の代は異民族の服装とかごっちゃになってそうだ。曹丕が漢服統一令だか出していた筈だが、逆にそういう命令を出さないといけない位だったか。
鐙の扱いもそうだが、その辺鑑みると、『当時』を掴むのは難しいやね。
スペリオールで連載中の覇で、どっちが惇かやっと分かったと
思ったら、今週ので目玉食いだった。
呂布とも互角に渡り合っているし、演義以上の猛将設定みたいだ。
それにしても、「夏」の旗は見るたびに笑ってしまう。
「夏侯」なら分かるんだけど。
森繁久彌の「森」だけ書いてあるようなもんだね(変なたとえでスマン)
ああいう旗は実在したのかな?日本人には…というか自分には横山漫画のイメージが色濃く刷り込まれちゃってるがw
中国制作のドラマにも出てくるけど後世のものではないかと思ってしまう。レッドクリフは黒色に魏とある旗だけで
個人名は無かったような記憶が?(あの映画でそこまで時代考証されているかは不明です☆)
魏志倭人伝に出てくる下賜された軍旗は幟旗っていうより吹き流しっぽいようなイメージなんだよねー
旗と太鼓で指揮を執ったのはまず間違いないと思うけど実物ってどんなだったのかなぁ
920 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/03(木) 18:30:10 ID:C3Lb/Sdt0
夏侯玄は夏侯淵の子供だと思ってた
すれ違いだけど
>>913-914があまりにもおもしろすぎる・・・いいなぁ、すっげぇおもしろい
そんな読み方があるんだなぁ・・・!
ってか堕ちた神ってかっこよすぎワロタw
>>919 吉川三国志だと、侯惇とかスゲー半端な書かれ方されたような気がする
923 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/05(土) 15:09:50 ID:N1210LK80
age
>>922 誤植じゃないの? 侯惇では、さすがにおかしいと思う。
925 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 18:16:08 ID:qw7O7Ski0
ん〜・・・
926 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/10(木) 14:03:11 ID:HpkpNMOa0
だいぶ前に読んだ『三国志きらめく群像』って本に、
軍が大きくなりきってからの夏侯惇は、大本営でニコニコしてればよかったのかもしれない・・・
みたいなことが書いてあった気がするんだけど(間違ってたらすまん)、
改めて、夏侯惇ってすごい立ち位置の人だなと思った
夏侯惇も、宮中に参内した時は趨(身をかがめ、小走りで移動する)したんだよなぁ・・・剣を佩びるな!
履物は脱いで!とか印綬はチャラチャラしないように押さえるべし!とか、内心めんどくさ〜・・・って思ってる
夏侯惇しか思い浮かばないwでも、真面目な彼はカサカサカサッと小走りするのだった
というかな、参内した人々がササーッと小走りしてる姿を想像したら腹痛いんだが
なんかかわいいな〜面倒とか思いつつ必死な夏侯惇!
しかし、カサカサカサッって・・・虫みたいだw
すごい勢いで行き交う人々、たまには衝突事故も起きただろうか・・・
曹操が朝廷を抑えた頃、漢風の礼儀がどれ程残っていたかによるが
(董卓以下、長安以西の豪族や異民族が朝廷に入りこんでた、曹魏は宦官制度が後漢に比べ弱い、曹操の恰好など、
漢風を中央集権の確立に利用しても重視したと・・・資料あったらplz)
んなこと言い出すと夏侯惇が何晏から貰ったおしろい塗って、夏侯嬰から代々受け継いできた馬車操術を改造し、流行り始めた牛車を高速かつ豪快に乗り回しては真面目な部下に怒られる愉快な親父さんに、あれ違和感ないぞ。
ところで曹瞞伝をご存知の方は居られますかな?全文残ってるとか聞いた記憶もあるが見つからぬ。曹瞞伝筆者の対夏侯惇スタンス(対曹操ではない)を確認したい。
曹瞞伝は、趙翼の「裴松之が引用した史書まとめ」に入っていますけど、「現在(清代)では書物群のうち
伝承されたものは十分の一にも届かない」とあるので、現存しているのかな…?
河南で曹操の墓キター!なんて話も出てきたので、夏侯惇に関連した資料がみつかるとよいですなぁ。
なんか思ってたより大きくて、副葬品がごっそり出てきそうな感じです。当時にしたらあっさりとした部類の
埋葬なのかもしれませんがwktk
中国CCTVニュースより
http://v.ku6.com/show/UhSPrYSryVrB8vH0.html
>>930 どもども。情報、感謝します。「裴松之が引用した史書」の分析については『廿二史箚記』などに拠るしかなさそうですな。
曹瞞伝や世語の夏侯惇関係について疑問が解決するかと思いましたが、別ルートから当たってみます。
そして上記の疑問で抱えこんでいたものが一瞬で吹き飛ぶ話が来ましたな。
「曹操の陵墓発見、遺骨も出土」、三戦板の該当スレも盛り上がってら。
やはりと言うか偽疑惑もあるようですし、この辺りも含め、曹操の墓については今後も議論の種になりそうで。
夏侯惇は、遺骸と剣一振りが発見されているんですっけか。
曹操の墓が確定事項であれば、埋葬内容に随分と差があるなぁ。曹操より地味なのはともかく、夏侯惇の極端さ……
# PCだけでなく携帯も規制食らった。とりあえず
>>930にお礼だけでもとカキコ依頼した。今回レス代行してくださった方にも多謝
CCTVで曹操の墓を探せ!という番組の放映があって年末に発見ktkr!という流れなので、真贋を問う声もありますが
本物だったらいいなぁwくらいのスタンスで楽しんでますよー。今回、盗掘品を見た人が「やっべ、曹操の墓じゃね?」
→調査に本腰入ったという経緯もあるようなので…夏侯惇の墓がスッキリしてたのは存分に盗掘された後だったのかも。
もしくは、夏侯両名とも曹操の墓のダミーとして死後も貢献してたと思うことにしてますw
ちと笑ったw 墓の主について議論が盛り上がるとは予想したが、夏侯惇の名が出てくるとは。「曹操じゃなかったら」という感じで名前が出るのな。
どんな意図でその説を出したかによるが、見る限り石橋を叩き壊した上に鉄橋を作って渡るような方らしいし、可能性の検討という意味で、あえて提示したのかな。
例の墓が夏侯惇のものとしたら、最低でも以下の問題をクリアする必要がある。
1・魏王印が副葬された理由
2・元々夏侯惇の墓とされていた墓の主について
3・ 既に在処が判っている曹魏の墓と比較してどうか
特に3。曹操の墓について公開されている範囲のデータと、手元にある曹植のものとされる墓を比べてみたが、(盗掘被害によるが)曹操の墓は、曹植の墓より広いし、副葬品が曹植の2倍はある。
結局、社科院が認定したようだが、まぁ、太古のもの(日本じゃ記録もない神話の時代だ)で、しかも調査中のものを即断定するわけにもいかないのが難儀だな。
ちなみに曹操の墓と夏侯惇の墓とも比べてみようと思ったが、許昌夏侯惇墓のデータが判らん。
日本語のネットじゃきちんとしたデータがない(高さ10m、敷地面積3300平方m? 今度はえらく馬鹿でかいな。三戦板ならデータあるかな?)
中国じゃこんなのもあるし↓
ttp://www.snxingping.gov.cn/Item/5099.aspx (中国興平市の公式サイト。咸陽(長安近く、秦の首都)の興平市に伝わる伝説の紹介。
自称夏侯村&夏侯惇墓。夏侯惇の後裔が平陵郷(今の興平市)侯に任ぜられ、夏侯惇をこの地に埋めたという。
かって夏侯村には(夏侯惇がショウで官邸にしていた)東西の門を鋳鉄で作った難攻不落の城や、花園があったとかナントカ)
長安・抹風方面だし、理由が村の名と「侯」の呉音が同じだからという程度だし、「後裔」が夏侯尚(平陵亭侯)のことなら夏侯淵墓と言うべきだろうと。
但し、演技でもボウが西キョウに逃げているし、昔から西域と夏侯氏は結びつけられてきたのか?
あとこういう話が(民間伝承とはいえ)載るってことは、中国でも許昌の惇&淵墓が本物だと確定していない?
だって最終官位が魏王国の大将軍だった夏侯惇が許昌に葬られるのは変だもん
ギョウに葬られるのが普通だろう
やはり許昌の陵墓から出たという惇の剣を探しに出掛ける勇者が必要だな
正史三国志武帝本紀「其公卿大臣列将有功者,宜陪寿陵」があるから、夏侯惇も有功者としてギョウに埋葬されてんじゃね?
という人もいるが、社科院は「曹操の墓である可能性は非常に高いが、最終結論ではない。研究はこれからだ」という姿勢で
まだ結論を出す気が無いらしいのに、「じゃあ夏侯惇の墓もギョウ」とは、今は言えないんでないか。
剣探索クエストについて、保管されている博物館を探しに中国サイトを巡ってみたが
『子不語』(袁枚)の「秦中墓道」か小説屋かコピペばかりhitしてうぜー。危ないのも多いから、あまり踏みたくないし。
「見た」人がどこの博物館で見たのか。証言が無かったら許昌文化局とかあの辺の博物館に軒並み問い合わせるとかか。
あーあと何故か許昌夏侯淵墓の中を見られる人もいるようだから、聞けば墓の詳細も判るか?
ttp://www.lvyou100.com/Scene/jdindex/6481.html
>>880辺りの話なんだけど、無双5の張遼伝では、
惇が張遼に、もう曹魏三軍の筆頭将軍はお前かもとかなんとか言って、
大将軍の座を譲ってた(?)ので、関羽に対するあれは嫉妬ではないと思われる。
>>940 嫉妬かどうか知らんけど、無双惇は関羽に対して明らかに特別な感情を抱いているべ
だから張遼に大将軍譲ったとかは関係ないとおも
関羽が相手だからああなんでしょうさ。信長に対しても然り。
もしくは4の設定と5の設定が違うのかもね
実際、4の夏侯惇は関羽に魏将筆頭の座を奪われるんじゃないかと危惧してた訳だし
歴ゲー板でやってろ
いままでずっとゲームや漫画含めて夏侯惇を語ってきたのに、何を今更…。
上の方でも何でもありのスレでいこうって流れだったと思うが。
そろそろ次スレの季節だけど、次は夏侯一族スレで立てる?
ゲームや漫画関連の話題はどうするかもはっきり決めた方が良さそうだね。
乙女ゲーはどうすんだ、とか、女体化エロゲーは入れるのか、とか熾烈な議論をするわけだね。
夏侯一族の枠にするのは賛成
個人的には、曹・夏侯一族を語る諸夏侯曹スレぐらいでいいんじゃねぇかと
夏侯惇に関わるといっても、魏書武帝伝、曹操高陵(周辺に大臣の陵墓がないのは疑問という記事があったな)や後漢書の内容について延々と書き連ねるのは気が引ける
ゲームや漫画関連をどうするかは任せる
俺は殆どついていけないが、あまりガチな話だけでも気疲れするし、スレも停滞しているので、たまには書き込んでもいいと思われ
だが18禁ネタは、専用板の専用スレでやれ
>>932で教えて頂いた二十二史箚記に挑戦しましたがどうにも
二十二史考異やら十七史商?にも挑戦せにゃ、目標のものにはたどり着けそうにありません。ごふ
日本で所有してそうなのは国会図書館か公文書館か愛媛大あたりか
公文書館は面白い資料が多いし、デジタルデータベース化してくんねぇかなぁ。金無いから無理か…
光栄の妄想設定語ってどうすんだ?演義の設定なら分かるが
gdgdやるより、すっぱり切れっていうのも一理あるが
俺個人は「(節度の範囲内でなら)光栄妄想でも某頑ダムでも大戦でも、裾野から正史やら演技に繋がるなら過疎よりマシ」という
妄想が駄目なら、演技も羅貫中の妄想じゃねぇの?反三國志を語るのも駄目なのか?
少なくともおまえさんなりに「どこまでおkで、どこまで駄目」ってラインを教えて欲しい。テンプレの叩き台にも出来ん
というか過去のスレを全部読んでも良く判らないんだが、
1「台湾中央研究院の三國志魏書夏侯惇伝だと夏侯惇は14歳で人を斬っているが、後漢書が引用した魏志だと24歳で人を斬った。
研究院の旧サイトと新サイトの両方とも同じだから誤字とは思えないし、この魏志はどうして24って書いたんだろう」
2「『子不語』の「秦中墓道」伝説が元で、長安興平市の伝説が出来たのかね?
曹操も5世紀の『真誥』では、武王姫発のもと北斗君大傅として、死者の魂を裁く存在とされていたが(泰山府君のモデルの一つだろう)、
その信仰は魏後期や西晋から既にあったんかしら? 西域を調べていると、ぽつぽつ曹魏信仰が出てくるんだよな」
3「陳グン、桓階が曹操に帝位を薦めたときの、夏侯惇のスタンスについて(ry
日本で出ている三國志関連の作品を漁ってるんだが、孫盛説ばっかりなのが嫌ぁん。ゲームだと夏侯惇はどういうスタンスなのよ?」
4「蒼天航路だと曹操より年上ぽかったね。無双だと7歳年下で、14歳で人を斬ったとき、曹操は21でちょうど洛陽でバリバリ働いていたんだよね。
曹操の活躍を聞いてハッスルしてたら、ちょうど目前で師匠を侮辱されたもんだから、つい勢いで『どりゃー』しちゃった説に一票w」
5「○○惇サイコー」
現在このスレだと、どこまでおkなん?
俺は1はおk、2(夏侯惇が主ではない)・3(本文はともかく、質問が架空ネタ)・4(架空もの)はグレーゾーンというか
他の人が話す分にはいいけど、俺は自制気味
5は勘弁してくれというスタンス
あ、『真誥』は6世紀だっけか。まぁそのころってことで
何でもOKに一票
今までの流れを考えるなら、突然の反対レスに合わせてすっぱり切るんじゃなくて、
>>951の言う通り何でもありにすべきじゃないかな
それにゲームスレや関連スレで長々と語って「惇オタキモイ」と夏侯惇好きの評判を下げられる方が勘弁
でも本音を言えば「○○惇サイコー」はある程度の節度を守って欲しいし、
モーヲタとか変なあだ名つけて語られるのは辛い
腐臭いのがたまに来るからな
惇兄
回答thx。ふむん、思ったよりアバウトなのね。ならテンプレは
>>951で良いかな
曹操スレも落ちてるみたいだし、たまにでも話せるのは嬉しいですのう。
( ゚д゚) 腐? モーヲタって何だ?
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_
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〜検索完了〜
( ゚д゚ )
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_
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 ̄ ̄ ̄
いや、臭豆腐や腐乳とか、豆腐が漢代に作られたという説をとるなら夏侯惇も豆腐を食べた可能性もあるとか、
そっちのほうばかり想定してましたが何か。
あー…規制といい、色々どーにかならんかねぇ
>>957 曹操墓記事
曹操墓の調査については、地元の考古調査と復旦大学のDNA調査の二つが流れになっているもより
投票で“2009年中国考古六大新発見”の3項めにあげられた
4/3、中国の秦漢史研究会と魏晋南北朝の歴史学会が安陽で会議を開き、墓や曹操本人の考察を行った
「白顔の奸臣曹操」のイメージに対し毛沢東が不平を訴え、郭沫若が覆そうと試みたが、文化大革命により叶わなかった
曹操の墓は、古い曹操のイメージを覆す重要な鍵となるだろう
現地政府は現地大学と協力し、調査すると魏晋南北朝史学会会長の責任により月刊誌で発表された
墓は省レベルの文化財保護対象になるの確定、地元政府も道路等、周辺の整備に動いているもより
発掘された3人分の頭蓋骨が綺麗に揃ってないので、遺骨復元に挑戦する
6月12日に発掘、中央TV局で生放送する?etc
こぼれ話「墓の石枕は曹操の偏頭痛治療用で現代人の頭痛にも効くんじゃね?w後世の人のためにも製品化するかwうぇw」「墓周辺の人は墓守の後裔かも、政府ははよこの地区を開発して地元の人に恩恵をもたらすべき云々」
# 枕がもし商品化されたら…売れるのかそれ?
あと今頃、別冊宝島の「三国志“散り様”列伝」を読んだ。ネット上の紹介で既に知っていたけど、確かに夏侯惇の項目、死因をぼかしとるなぁ
曹操は殉死を禁じたけど、夏侯惇はかって「命令を無視していいよ」と言われているだけに、色々と裏を推測されてしまうのかね
そういやそろそろだのう>4月25日
>>959訂正
“2009年中国考古六大新発見”→“2009年全国十大考古新発見” orz
モーヲタ
放置されているので今頃自分で訂正スマン。
○夏侯惇墓
今朝の松江提督の張勇生の時、その父の夢に金甲神が現れ、漢将軍の夏侯氏を名乗った。入門、随即生勇。後で諸侯に封じて葬ったところ、掘った地で古碑を得た。
隷書の"魏将軍夏侯惇墓"、字は碗のようで大きい。2千年を閲して、しかるに骨肉の由緒ある処へ復帰するのは、珍しいことだ。
子不語の秦中墓道じゃなくて夏侯惇墓で、松江提督は上海の松江で提督やってましたってことだw
どこ出身か判らんが、清代に子孫を名乗る人がいた+αぐらいしか判らんwww
ツッコンデ ホシカタ > o.. コロコロ.......... rz
演義のアニメに惇兄は出ているのかい?
どの?
965 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/20(火) 06:31:22 ID:68/TOHNP0
age
最強武将伝はつまらないが惇兄デザインはなかなか良い
おいお前達!
無双の新しい髪型の惇を見たか?
初めは一体何事かと思った髪型だが、
公式サイトを見て惚れ直した所だ。
両目有る画像あるし
ていうかあの惇兄も29歳なのだろうか…
>>969 40歳ぐらいに見えるけど
両目あるのカッコイイね
曹操と絡むだけじゃなくて、他の魏将をまとめてるようなのも見たい
2だか3の長坂ムービーは格好良かったなー
うむかっこいい
2の長坂だな。張遼と許チョ。
5はちょいちょい他の人とも絡んでたから、
6でもっと広がるといいな。
5と言えば、張飛伝で惇兄出てくるけどあれは一体どういうことだろう?
頭悪い自分に誰か教えてくれ
出るの? 台詞は無かった気がするが
5は、病床の曹操が曹丕と司馬懿を前に「好きにせよ」?みたいなことを言うシーンがある。
あの台詞は、曹丕だけでなく司馬懿にも向けられていた、というのが曹丕伝の根幹のひとつ。
で、あの場には、史実で唯一「好きにせよ」って言われた人もいた
巧い設定だから、他の武将伝でも意味を探したくなるのは判る
>>973 張飛見てるだけなんだけど、
シンパシィ抱いてるのか、アホだなと思って見てるのか、こいつらもなかなか骨があるなとか思ってんのか、
色々考えちゃって結局謎
「さらってったうちの娘(妙才の姪)返せ」とか?
[16:51:18] tsumami28aaa: じゃあー 無音のPCのモニター じっと見てるんだ 気持ちわるーーーw
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とうとう荒らしが保守やっていくレベルになったのか・・・
折角無双6出たんだし、無双6の惇の話でもしないか
曹操に対して辛口めな夏侯惇でなんか新鮮だった
>辛口
それは見てみたいなぁ。無双6設定集欲しい
誰にも独自の夏侯惇像があるから、個性的かつ良い設定を見ると「ををを」ってなる
>無双6
ニコ動のプレイ動画を見てきたんだが、相変わらずこまかいところにネタ仕込んでるな
夏侯惇はこのスレ住民にはいわずもがな、曹操の「天をも貫く!」って倚天=天を貫くの意味からだろうし
全部見終わって無いけど、最終章が楽しみだ