1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
なんか春秋時代って日本の中世(平安末期〜安土桃山)に似ている
気がしますが?
呉越の時代劇、中国で多いけど、
呉越の抗争はやっぱり人気のある歴史分野なのかな。
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 20:16:52 ID:MJgHOuXu0
呉越春秋は三国志演義に匹敵する人気だよ
呉と越って、今の蘇州と紹興だし、かなり近いな。
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/07(水) 21:08:15 ID:rLMEKwiG0
>>4 呉越同舟とは、そこから来ている
両方とも喧嘩して溺死しちゃうけど
実際は隣町どうしの喧嘩レベルなんだろうな。
確か呉楚越あたりの国で
庶民の桑の葉の取り合いから戦争にまでエスカレートしたケースがあった気がする
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/08(木) 22:08:53 ID:cacXiJ4Y0
頭脳のハンレイ
感情のゴシショ
ゴシショは中国でも人気物の一人
>>6 さすがに隣町とまではいかないだろうけど、
日本の戦国大名ぐらいの規模の争いだったかもね。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/09(金) 22:52:09 ID:ALS7pAzLO
夫差は覇者にもなってるからね。戦国時代とは地理的にも兵力的にも違うから比べようがない。スケールが違いすぎる。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/09(金) 23:15:07 ID:ALS7pAzLO
呉楚の戦いは伍子胥の父兄、太子の無念の死に対する費無忌、楚王への復讐でもあったな…
この時代の英雄はみんな悲惨な末路だな
讒言と裏切りばっか
孫武なんかは政争に巻き込まれる前に引退したから伍子胥とかと違い、
穏やかな最後だったとみたいだね。
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/15(木) 20:59:25 ID:E/efF/uc0
孫武は司馬遷から300年前の人物、呉が滅んでしまったので、既に伝説的人物だったと思われる。
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/24(土) 22:10:34 ID:glQsQkDK0
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/01(木) 20:29:39 ID:dZ+sevbf0
越はコウセンの後の詳細がなぞだよね
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/01(木) 22:01:24 ID:vjEtKYnI0
DVD『東周列国=春秋篇』はお勧め、衣装とかちゃちなところがあるが、退屈せずに楽しめる。
戦国篇はつまらん。嫌いな奴にでも薦めてほしい。
養由基最強
一人の力で国ががらっと変わるよなこの時代は
諸侯もぽっと出の人間をいきなり重用するし
なんか後世の時代よりもロマンを感じる
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/06(火) 21:22:53 ID:6a+RMHg20
春秋五覇の時代は、混乱期に入って100年程。
調度日本の天下人の時代に似ている希ガス
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/24(土) 23:54:01 ID:vpw6ixpb0
コピペする前に動画チェックしろやドラマ厨。
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/16(月) 23:46:20 ID:0nlyQ7GH0
足利将軍家に近いんじゃないかな。
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 11:47:06 ID:PUJBkvJ00
周王朝は、財政的にはかなり窮乏していたのかな。
それとも諸侯から寄付がたくさんあった?
慎ましやかな生活なら大した出費はいらんか。
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/23(月) 14:59:24 ID:MgAZPbUWO
東周の首都洛邑は戦国時代には大商業都市だったので春秋時代んときでもそんなに財政が圧迫されることはなかったんじゃないかな
ただ食糧はよく貧窮になって何度か諸侯に援助してもらっている
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/23(月) 16:52:43 ID:rBLol7Eq0
ソフトバンク携帯について
「全然繋がらないから解約しようとしたら、6万請求された」とよく聞く※。
(繋がりにくい理由は、ソフトバンクが使用する周波数が建物に弱いことによる)
そして、各種プランが良くないが、ホワイトプランが特に良くない。
携帯のメーカーの数で考えて「友人の4分の1くらいは持ってる?」と考えがちだが…
ソフトバンク携帯を持つのは 約300人 に 1人。
300人の友人がいても、確率的にはそのうち1人しか無料にならない。(契約数/日本人口で計算)
その1人以外の通信料はすべて、他社の約2倍。1日たった7分でも1万円を超える。
長者番付にのるような在日企業は、ほぼ全部がパチンコ・サラ金・風俗と、法の裏側を行くものばかり。
(本社が韓国にあるものは違う。まあ、本社がハンバーガー屋で支社がサラ金というのも有り得ないが)
日本に本社を置く在日企業としては、まさにソフトバンクは、ただ1つの例外。 なのだが…
思い込みやら、まず読まない契約書の解約金やらを利用した商法も目立つ。気をつけて欲しい。
※…新聞記事は「0円携帯 解約に6万円 県、ソフトバンクに改善要望」で検索
↓ついでに。思い込みを利用されているのは、実は、投資家も同じだったり…
ttp://news21.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1176891847/
>>26-27 形式的ではあったが、周代は周王朝のために諸侯が定期的に集まって
会同をおこなうしきたりは存在した。
困窮してれば援助をしたり人をだしたりはしたんだろうね。
礼記あたりにも書かれてたはず。
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/17(木) 20:49:52 ID:sQfGr5rN0
>>29 もし援助したら、見返りに官位と言うか称号のようなものを与えたりしたのかな?
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 05:56:51 ID:vthmNTbPO
衛の武候が周の東遷をたすけたおりに武公に昇格した
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 09:15:10 ID:0bFo8V91O
呉や越の王は諡号って無いの?
呉王闔閭は「光」が諱だけど「闔閭」は諡号?
王号、というのが解釈として良さそう。
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 05:49:38 ID:bEgFSduDO
晋が楚の牽制のために呉と結び強国になるよう援助し、楚は呉を牽制するために越と結んだのだね
尊王の晋が王を名乗っている呉と結ぶのに晋国内では異論は無かったのだろうか?
>>36 対外的には王号を称さずに子爵で通してたんじゃないの?
後に黄池の会で晋と呉が盟主の座を争ったとき、
晋の言い分は「俺の方が爵位が上」だったし。
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/07(土) 23:25:42 ID:WbfxHZ9m0
呉が今の蘇州あたりで、越が今の紹興あたり?
かなり近いな。
俺は、斎の桓公から楚の荘王までの五覇の時代が好きだな
>>40 何となく日本や欧州の中世に似ている気がするところ
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/31(金) 23:29:02 ID:PRiP/qaE0
自分は春秋の時代は何となく地に足がつかないような、
現実感のないようなイメージだな。
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 20:05:23 ID:EN1sYMULO
>>1 なぜなら天皇家は呉の太伯の子孫。
天皇家の教養は春秋戦国のものが基本。
武田信玄は都に上り呉の栄光時代の軍師
孫武たらんと風林火山の旗印を掲げた。
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 20:09:36 ID:EN1sYMULO
>>24 まさしくその通りなんですよ。
呉は周王室の兄からの流れ、
呉の子孫である天皇家は
まさしく周王室の生き残りなのです。
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 20:23:42 ID:EN1sYMULO
かつて後醍醐天皇が隠岐に
流される時に尊皇の志士
児島備後三郎高徳は
天皇奪回を再三試みるも
ついにかなわず
帝にその志しだけでも伝えるべく
通り道の木に
天こうせんをむなしゅうすることなかれ
時にはんかいなきにしもあらず(原漢詩)
と書いた。
それを見た後醍醐天皇は
児島の真意を悟り涙したというが、
戦国時代の知識がない警護の鎌倉兵達には
なんのことかまるでわからなかったのである。
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 20:28:54 ID:EN1sYMULO
幕末の尊皇の志士、昭和維新の歌、
日本の尊皇派には全て春秋戦国の知識がある。
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 20:30:37 ID:EN1sYMULO
三国干渉の時は日本国民は
先祖の故事を思い出した。
臥薪嘗胆。
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 22:03:42 ID:+s/LhBt80
建国時の呉とか越って、中原と楚だと、どちらの影響が大きかったんだろう?
伍子胥って日本だったら絶対祟り恐れられて神様になってるよな
地元で祭ってたりするんだろうか
5 名前: 呉王フッサール 投稿日: 2001/01/09(火) 13:59
,,,,,,,,,,,,,,,∧,,∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′,,,,,,,,,,ミ,,゚Д゚彡< 高専ぶっ殺すぞゴルァ!
UU"""" U U \_____________
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 10:47:59 ID:hToQX1tX0
春秋時代の傾国の美女というと、
息姫、夏姫、西施の3人かな?
まあ、西周が亡んで春秋が始まるきっかけとなった
褒女似が一番の傾国の美女だと思うが
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/19(月) 22:15:38 ID:NekXYgQY0
息の息嬀とかは、国自体がかなり小さい気がするしな。
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/30(金) 22:07:44 ID:R641wTD80
「殷墟」並み、21世紀最大の発見か?5000年前の「良渚」古代都市、高度な文
明物語る―中国
2007年11月29日、浙江省杭州市良渚文化区で、約5000年前の古代の都市の遺跡
が発見された。その規模は290万平方キロメートルを超えると見られ、「殷墟
」に匹敵する大発見だと見られている。チャイナフォトプレスが伝えた。
良渚文化は5000―4000年前に長江下流域で栄えていたとされる中国の古代文明
。黒陶を主とした陶器をはじめ、玉器・銅器・シルクなどさまざまな文物が発
見されており、高い文化を築いていたと推測される。
今回発見された遺跡は良渚文化の古代都市としては最大のもの。都市は1500か
ら1900mの正方形を象っており、街は南北の軸に平行になるよう建設されてい
る。発見された城壁の下部には幅40mにわたり石が敷き詰められていた。当時
はその上に黄土を突き固め、高さ4m程度の城壁にしていたと見られる。関係者
はこの大規模な遺跡の発見は良渚文明の文明の高さを証明するものになると話
し、20世紀の「殷墟」発見に匹敵する考古学界の一大ニュースだとコメントし
た。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071130-00000005-rcdc-cn こんなニュースが出て来たぞい
良スレ
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 05:03:18 ID:rnjxSnmD0
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 22:50:17 ID:PTFQIIAr0
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 11:59:43 ID:4TKnjOvl0
>>58 力ちゃんが勾践の声当てるのか
見てみたいな
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 23:41:32 ID:Y9Bv0q3uO
日本の戦国時代と、中国の春秋〜戦国初期が似てるのは、
両者とも下剋上の世の中だからだな。
桓公の最後なんて哀れスグル…
俺は、趙襄子と豫譲の絡みが好きだ。
士は己を知る者の為に死ぬ、…カッケーゎ…。
あと笵蠡と西施は実は恋仲で、呉を滅ぼした後、戦を捨てて二人仲睦まじく幸せに暮らした、
というエピローグは、たとえ作り話であっても素敵だなと俺の中にいる乙女がウットリするんだ
豫譲は、実は趙武の身代わりになって死んだ子供の家の子孫だった
だから執拗に趙襄子をつけ狙った
「士は己を知る者の為に死す」とは、真の目的を隠すための詭弁にすぎない
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 13:46:37 ID:++jsb7sPO
そんな説初めて聞いた
ソースプリーズ
>>61オリジナルでしょ。小説のネタとかにはいいかもね。
と言うか、塚本青史の「裂果」まんまじゃないか!
豫譲が死ぬ場面も、塚本の好きな弩弓が大活躍ですよw
アイツは改変しないほうがいいところを改変する
塚本は弩と薬が大好きなんだな
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 03:58:14 ID:VnGa1swf0
豫譲の生きた春秋時代末期だと弩より弓矢の方が自然な気がするな
「趙大卿。そこまで、みどもに注意を向けてくれたのか?」
予譲は、自分に特別な注意を向けてくれる者に、異常な喜びを見出すようだ。
以上、「裂果」より抜粋。
文庫版だと、ここから3ページほどグダグダな会話が続いて予譲自害。
周囲から「妙なマネをすれば、弩弓の矢が貴様を射抜くぞ」と脅される姿は、
とても「侠」・「士」のものとは思えん…。
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/23(日) 12:02:59 ID:M8sKxqVn0
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 18:22:33 ID:sKggQ0lE0
寂しいすれ
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/07(土) 17:14:20 ID:f5VEsYTb0
中国の脅威が日増しに高まる今こそ全日本人にとって重要な映像作品と言える
久松 文雄 の『呉越燃ゆ』は面白かったな
塚本は、才能無さ過ぎ
春秋の五覇
鄭 荘公
斉 桓公
(秦 穆公)
晋 文公
楚 荘王
出典は俺
春秋五覇
斉の桓公(在位紀元前685年 - 紀元前643年)
秦の穆公(在位紀元前659年 - 紀元前621年)
宋の襄公(在位紀元前651年 - 紀元前637年)
晋の文公(在位紀元前636年 - 紀元前628年)
楚の荘王(在位紀元前614年 - 紀元前591年)
出典は孟子
斉桓公、晋文公、楚荘王は一致
性善説の孟子はそこに宋襄公と秦穆公を、性悪説の荀子は呉闔閭と越勾践をくわえて五覇
性格出るな
宋襄公は会盟の主催者ってだけで覇を唱えたと言えない。会盟も成功せず。
秦穆公は勢力を大きく広げたが、楚や晋と比べて優位だったとも言いがたい。
呉闔閭の頃はまだ中原進出しておらず、覇者とは言えない。会盟も?
覇権の推移は
斉桓→晋文(城濮の戦い)→楚荘(?の戦い)→晋氏i?陵の戦い)→和平(弭兵の会)
王覇の別などは後世の考えであって
周本国もまた同盟の盟主たる覇者以上の存在ではなかった
って宮崎市定が書いてたな
>>10 勾践は覇者になったけど夫差はなってないでしょ
会盟を主催したら覇者という見方もあるから
その見方からしたら間違ってはいないぞ?
>>80 会盟を主催した奴なんてたくさんいるけどね
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/25(水) 21:33:09.16 ID:Z2eND4nH0
勾践を覇者とする説は初めて聞いた。
それはあなたが無学なだけ
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/26(木) 18:30:39.85 ID:lbgnMNJO0
勾践は周王朝に滅ぼした呉の財宝を贈ったこともあるからな
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/31(火) 00:07:45.78 ID:GQcYq4KgO
勾践って名君なの?
ハンレイによれば、つらい時代を家臣と励ましあって耐え忍ぶ事は出来るけど、羽振りが良くなると疑り
深くなって功臣も信じない人物。
名君ではないだろw
会稽では范蠡の諫めも聞かずに滅亡寸前、呉滅亡後は范蠡に逃げられ文鍾は粛清
結局政軍の両輪失ってそこで終わってしまった
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/01(水) 05:08:19.10 ID:optPllWq0
夫差もそういうとこあるから似た者同士だよな
夫差は臥薪しますと言ってしてない嘘つきだからなぁ。
91 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/02/01(水) 23:28:01.83 ID:dpKkJt4s0
鮟肝片手に酒でも食らってたのか。
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/02(木) 03:48:50.13 ID:ZU3PKfE00
夫差が臥薪してないなんて説初めて聞いた
俺も自分で書いといて出典は何だろうと思って、よく考えたら横山光輝のような気がする。
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/02(木) 05:06:12.99 ID:g0mGDQve0
横山光輝の史記でもちゃんとしてたぞ
夫差って孫武に逃げられて伍子胥は粛清して
句践は范蠡に逃げられ文鍾は粛清して
似た者同士だよね
>>95 死に際が全然違うとオモ
>>90>>92 部屋を出入りするたび「夫差よ、越王が汝の父を殺したのを忘れたか」…と
言わせ続けたのが史実で、臥薪は後世の人が潤色した話
という事に、宮城谷説ではなっています(春秋の名君)。
>>95 孫武に逃げられてたって根拠はあるの?
あなたが立てた仮説なら否定をする気はないですけど
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/02(木) 22:35:59.94 ID:g0mGDQve0
孫武が春秋左氏伝に登場しないのかが不思議だ
>>96 wikipediaソースだから書かなくても良いかと思ったけど、臥薪のエピソードは十八史略が最初らしい。
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/03(金) 01:25:15.23 ID:9s9wI8dt0
臥薪は史記や左伝には無いエピソードらしいね
>>97『呉越春秋』によると夫差の時代に孫武は讒言によって辞職することになったらしい
『呉越春秋』の信憑性がいかほどかはわからないけど
伍子胥も遠ざけられたし孫武も一緒に煙たがられたかな
というか、ハンレイの離間策とされるんじゃね。
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/03(金) 17:38:40.80 ID:+yhax6Oc0
句践の粛清は劉邦と似たようなものだろ
張良がさっさと引退したのもハンレイに似てる
呉は越に滅ぼされ越は楚に滅ぼされ楚は秦に滅ぼされ
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/04(土) 05:19:19.10 ID:bP0Ya6dS0
范蠡って元から越の人間なのか
なんか他国からの亡命者みたいな雰囲気があるんだよね
やっぱ范とつくから晋出身だろうか
范蠡に習ったっぽいのは范雎と張良かな
さっさと権力手放して悠々自適だもんなぁ
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/05(日) 00:28:15.42 ID:+p5X7EwFO
范蠡や張良みたいな引き際ってかっこいいな
まぁ一番かっこいいのは陳平みたいに最後まで頑張った奴だけどね
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/05(日) 02:46:21.19 ID:c8yH5Ksl0
伯嚭って史記じゃ処刑になるけど左氏伝じゃ生き残って越に仕えてるんだよなあ
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/09(木) 13:01:50.28 ID:2b3hIFrAO
それだと伍子胥を陥れて自分はのうのうと
生き延びたってことになってしまうな
この手のある意味内通者は滅亡後に殺されるパターンが多いような気はする
ただなんで左伝で生き残ってるのに史記で処刑扱いなんだろうね
成立年代からして司馬遷は左伝を見てないわけがないのに
左氏伝の成立には異説が多かった気がする 史記の前に完成してたと断言はできない、とか
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/11(土) 11:31:28.93 ID:gnXfL3ib0
>>107 既出と思うけど、伍子胥とかの先例からしっかり学んで行動したはず
それに加えて権力欲が薄かったんだろう。やるべき仕事が
終わったらそそくさと引退(范雎は復讐済んでるし)
伍子胥は激情家だからあの最後はしょうがない
>>114 張良はともかく、范雎は無欲というよりも引退するしか道はなかったんじゃないかな。
秦の法では完全に処罰されるところを昭襄王の温情で不問にされてるわけで、
それでもそのまま宰相でいる事は自身の後難は勿論の事、国家の為にもならない。
処罰なしで引退することは、昭襄王の気持ちを汲みつつも保身と国事を考慮した苦慮の結果じゃないだろうか。
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/18(土) 00:09:28.12 ID:6RXxrpOT0
張良は引退後も呂后に相談を求められたりしてるし、
完全に引退はできなかったように感じる。
春秋公って ちゅんちゅこう っていうんだね
斉桓公のエピソードがやっぱり一番面白いな
だいぶ脚色されてるだろうけど
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/21(火) 17:39:19.69 ID:FXJegAbe0
斉桓公は劉禅と比較されることが多いな
名臣に補佐されていた間は名君でいられたが
名臣の死後は目も当てられない
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/21(火) 18:41:29.01 ID:WK0Jehw80
さすがに劉禅と比べるのはかわいそうだろ
自分を殺そうとした管仲を宰相にし、自身で軍を率いて戦に明け暮れた君主だぞ
劉禅なんて劉備と諸葛亮が用意してくれた物に頼りきっただけ
桓公は度量が広い
確かに管仲が死んだ途端に国は傾いたけどね
能力のある臣を登用するという部分からしてこの時代の君主には結構ハードルが高いわけでさ
まぁ管仲が生きている内に後継者を準備できなかったという点では不幸だったね
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/21(火) 20:02:47.38 ID:gzSHSzN00
司馬ちゃんはべつに桓公を讃えたかったわけじゃないだろ
NOマンの意見を取り入れる事が肝要、
という教訓のイソップを書いたわけだ
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/22(水) 00:40:04.47 ID:IPQmg5nV0
>>122 管仲が後事を託した隰朋がいるんだが。
まぁ彼も管仲死後にすぐ死んだんだけどね。
隰朋が生きていれば桓公の名声に傷がつく事はなかっただろうな。
125 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/02/22(水) 00:50:49.41 ID:0hPQagDf0
国氏高氏の堪えられない軽さ。
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/27(月) 21:07:45.20 ID:hBNITT3L0
管仲より先に死んでれば桓公も名君でいられたのに
そしたら蛆が湧くまで葬式出してもらえないなんて事も無かったのに。
伍子胥は激情家だったからこそ歴史に名を残した気がする
分別くさい伍子胥だったら、楚への復讐なんてできなかったろうし
長平の戦い、趙の孝成王が流言に引っかかって趙括を起用した風に
書かれてるけど、宮中の主戦派・講和派みたいな構図ってなかったの?
戦うにしても、趙側はどんな着地点を目指していたんだろう
>>128 主戦派は平原君、講和派は藺相如。
ただ、この当時藺相如が病に倒れてて、それで平原君への歯止めがなくなってしまった。
そしてあの始末。
個人的に上党を取って秦と戦った事は悪いとは思わないけどな
天下統一を目指す秦とはいづれ戦わなければならない運命だったわけだし
問題は廉頗を更迭して趙括を総大将にした事
あれがなければ、趙は上党を手にいれて万々歳だった
>>129>>130 なるほど
虞卿列伝の始めの方を読んで、趙は魏や楚との連携を
模索してたのかなーという印象もあったり
范ショと白起が秦の高位にいるかぎり、趙の将兵はかなり危険だと思う。
もちろん秦と国境接してる国はみな叩かれてるが、上党関連で秦の恨みの矛先が趙に向いてる状態だから、いずれ苦しい持久戦になる気がする
たらればっぽい話になるけど、早々に白起を失脚させるのが一番の上策だったんじゃないかな。まあ、長平で絶体絶命に追い込まれたからこそ、
蘇代(だったよね)を送りこむという死に物狂いの策略が生まれたんだろうけど。時すでに遅し>45万人の戦死
>>131 和氏の璧がそれだという見方もあるね>楚と仲良くする
(スレタイ「春秋」だけど、連続してる時代だし、俺は気にせずカキコした)
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/07(水) 19:09:19.18 ID:Y0rFNSFd0
>>128 普通は平王と費無忌が死んだ時点で復讐なんてやめるよな
>>133 うん、以後の伍子胥は行き場のない怒りをぶちまけてる印象。
でもその辺が魅力の一部でもあるというか。
平原君って本当に糞の役にも立たねーなwww
戦国四君でこいつだけしょーもねーエピソードばっかだしwww
伍子胥と范蠡って対照的な軍師だなと思う
不器用な生き方しかできない伍子胥も何をやっても成功できる范蠡も二人とも魅力的
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/09(金) 22:35:51.19 ID:zXtuToC60
伍子胥は費無忌の讒言で父と兄を殺され、自分も伯ヒの讒言で殺されるんだよな。
奸臣に振り回された人生だ。
138 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/03/09(金) 23:00:18.82 ID:dsQVTdEx0
それは伍子胥が主人公だからという物語。
>>137 奇しくもその奸臣達は誅殺されてるのが何とも。
これも伍子胥の呪いか?
伍子胥で思い出したが孫武が辞職したのっていつ頃なんだろうな?
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/13(火) 22:09:08.12 ID:nXwFJwXb0
>>139 単に因果応報だな。
伍奢も伍子胥も不器用な生き方しかできない。
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/18(日) 11:40:43.86 ID:DUEPoo4PO
孔子は子孫含めて過大評価
そうかな?
あの時代に、国家の後ろ盾もなく弟子を連れて諸国行脚しただけでも
並はずれたバイタリティがあると思うんだが。
歴史に残るような名宰相に「孔子は無能」って烙印押されてる訳で
今で言う哲学者みたいなもんで詭弁だったんでしょ
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 04:08:50.94 ID:dR3ubATB0
孔子は政治家としてもそこそこな業績は残している(儒者の捏造の可能性もあるが)
だから全くの無能って事はないと思う
ただ全部任せると王莽みたいになる可能性がありそう
孔子って今で言えばマイケル・サンデルみたいなもんでしょ
熱狂的な支持者もいるけど殆どの人は「ただの言葉遊びで世の中の役に立たない」って見抜いてる
孔子は国をちゃんと治めた業績あるから無能はないと思うぞ。
過大評価させてる原因は後世の儒家だと思われ。
というか儒家を批判するために孔子を使ったかもねw
孔子って他の諸子百家と議論するというより儒家の中で討論してただけ
というイメージが付きまとうんだが
イエスマンに囲まれて社会的地位を失うような激しい討論にさらされてないような
仕方ないじゃないか。諸子百家の大部分は孔子より後の時代だ。孔子の少し後に墨子が出て、
非儒と言って儒家を批判した。他は墨子より更に後から来て孔子も墨子もひとまとめにして批判した。
管子とか孔子より前の人もいるけど、それらの人は孔子が生まれる前に死んでるから議論も出来ないし。
孔子がいなければ戦国時代の諸子百家はなかったかもな
孔子のおかげで身分の低い人間でも学問を学ぶ事ができるようになった
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/25(日) 16:41:31.77 ID:aNAaaGtAO
>>150 権力構造が大夫、士へと下に降りてきているのがこの時代で、
それにともなって学問の敷居も下がっているわけだから、孔子は関係ないだろ。
むしろそれに反して身分による秩序を礼だなんだといって説いたのが孔子。
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/01(日) 20:33:36.73 ID:SOBjFe/x0
周朝の「姫」姓って秦が統一する頃には
ほとんど登場しなくなったな
史記などの文献を信じれば始皇帝(秦王政)に刺客を送った燕が姫姓だった。
あと韓の公族の韓非、張良とか。
魏も姫姓だけど信陵君死んでからは楚漢期までこれといった人物は出てないね。
秦の人材で姫姓と断言出来るのは確かにいないな。
大分遡って商鞅ぐらいか。
さすが法治国家、血胤なんて何も関係ない。
155 :
!ninja:2012/04/06(金) 14:42:28.46 ID:wdLxHT85I
テスト
テスト
157 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/06(金) 16:45:30.02 ID:CI2ub3qz0
呂不韋は荘襄王の何が気に入ったんだろう
金づる
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/17(火) 17:12:57.77 ID:VQnvwVpuO
奇貨のわりにあっさり死んだな
160 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/18(水) 20:57:30.71 ID:T/4quNls0
政は、呂不韋の『実の親疑惑』は知ってたの?
人質時代から戴冠まで散々言われた事だろうよ
162 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/21(土) 23:33:36.16 ID:xO8BflHp0
子楚がその噂をどう思ってたのかも気になる。
自分の子だと疑いもしなかったか、呂不韋に逆らえなかったか。
中国は易姓革命だから別に血筋の正当性にこだわらないよな
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/23(水) 11:05:09.68 ID:DiXqw4dWO
正味の権力と血と比べたら正味の権力を当たり前に受け入れる土壌がある
日本の天皇も初期は王だしな
中国の周朝的な権威だけの神輿になってそのまま生き延びたのは
日本独特の流れだけど
中国も秦が西周潰してなければ違う道もあったかな
東西に分裂した時点で有り難みが無くなったろう。
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/29(火) 00:06:48.13 ID:w+JzP1Qo0
全ての元凶は幽王か
いや、東周時代の末期の、王畿(洛陽周辺)にしか影響力の無くなった頃に東西に分裂したんだよ。
これをそれぞれ東周/西周というんだ。ややこしい話だが。
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/31(木) 07:59:28.49 ID:bUElnK5U0
孔子が当時の王に受け入れられなかったのは当然だと思う。
儒教は帝王学ではない、王以下、下々のあるべき姿を説いたもの。
礼儀正しくてよい人だと言われても、結局何も成すことが出来ない。
王が死ねばすべてが終わる、非道でも勝てば官軍、後から歴史は
塗り替えられる。史家が当時危険な仕事だったのもそのせいだろう。
(現代の史家はマスコミ、しかし大半が長いものに巻かれている・・)
立場によって支持する思想は違うのだろう。
ちなみに一神教を本気で信じこまされている人々は最下層に属する哀れな盲目。
祈る暇があったら隣人や家族に手を差し伸べれば、と思う。
殷の紂王が炮烙の刑とか妊婦の腹裂いたとか
この誰が作ったかわからないテンプレってその後も延々と使い続けられてるよねw
日本でも武烈→継体のクーデターの正当化に使われてるし
171 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/05/31(木) 23:58:29.01 ID:Dv5KcIJ70
中華の継承はやたら男系に拘るね。系図厨として違うのは郭威柴栄くらいしか思いつかない。
そりゃ女系で姻族に権力奪われたくないでしょ
この時代一族の結束が重要だし
女系じゃ外戚じゃねーか
174 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/06/01(金) 23:34:07.70 ID:nU83Q1nw0
外戚は権力握っても、大概は代替わりで失脚するでしょ。
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/05(火) 22:23:27.77 ID:NNyygMoB0
外戚は失脚せずに簒奪することもあるな
176 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/06/06(水) 00:26:05.20 ID:MYhN+fsK0
王莽くらいじゃないの。明確な外戚の簒奪って。
唐とかは違うだろうし。
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/06(水) 23:17:08.08 ID:h3ELJOGS0
隋の楊堅も血縁はないけど外戚
178 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/06/06(水) 23:34:08.03 ID:emLNJeKw0
だから八柱国は外そうよ。継承じゃないし。
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/15(日) 14:24:12.97 ID:5KLwNwfx0
180 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/07/20(金) 00:13:34.39 ID:PZdzWvfQ0
うなぎ大学がどうしたの。
斉の桓公って徳川家康とちょっと被るな
昔冷遇した奴にしっかり仕返しするところとか
桓公本人はクズだからな。管仲の進言には必ず従ったから覇者になれたけど。
アホの子が語るとこういう尖った事を言いたくなるのね
じゃぁ管仲の進言無しで桓公が何をやったか書いてみろよ。
なんか変な奴が涌いてるな
君主は万能でもなきゃ無能とか思っちゃってるんだろうか
お前こそ桓公の事よく知らないで書いてるだろ。
具体的な事は何も書けないのがその証拠だ。
187 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/07/31(火) 23:59:40.62 ID:hg5wYzCc0
管仲敵に回して公位を襲っただけでもクズではないだろうさ。少なくとも公子糾よりは。
その時は管仲が小臼の演技に騙されたんだからしょうがない。糾の責任ではない。
189 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/08/01(水) 00:05:16.96 ID:tbUYyAHs0
そう言ってしまったら桓公が管仲を超えてまうぞ。
なにこの桓公アンチ
私怨で嫌ってるとしか思えないキチガイっぷりに笑える
きっと桓公に親を殺されたんだろう
192 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/08/01(水) 23:31:09.96 ID:tbUYyAHs0
「小臼」に気づくのに1日かかった。ちょっと悔しい。
桓公って死んだあと棺の中に入れられたまま放置されて虫が湧いた・・・
餓死説もあるよ。
死んだあと放置なら本人にとっては大して悲惨じゃないな。
自分の息子を料理したエキガってすげーなw
料理番から側近ってのもスゲーが
伊尹・・・
料理人といえば屠蒯という人もいるな
君主に出す料理を取り仕切るだけあって、料理長には人物が多いのかな
198 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/16(月) 18:41:14.27 ID:k4xTUZXZ0
DVDで出てる「燃ゆる呉越」と「復讐の春秋」は同じような内容ですかね
どっちがお勧めでしょうか?
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/17(火) 20:51:06.02 ID:wAGHXmWR0
>復讐の春秋
こっちは全く知らんなあ
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/17(火) 22:14:25.61 ID:TyvZWZo00
レッドクリフの趙雲が主役みたいだけど
呉越といえば仲の悪いもの同士の代名詞だけど
かつてのアメリカとソ連みたいなものかな
呉越同舟をたとえるならオバマとクリントン(嫁)みたいな感じだろうな
なんか21世紀のアメリカは春秋時代末期の呉と似ている気がするな
呉王夫差は覇者の威厳を見せつけようとして度々出兵して国力を疲弊させ
アメリカも超大国の威厳を保つために世界各地に軍事介入している所とかそっくり