趙雲(?- 229年)は中国、東漢末期から、三国期にかけての武将。字は子龍で、常山郡真定県の人。
劉備に従って転戦し、劉備の死後も蜀漢に仕えた。
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/23(火) 16:54:15 ID:Xmuc809Q0
演技ほど軍人として有能ではなかったけど間違いなく良将。
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/23(火) 19:20:37 ID:64hFvaoD0
演義というより別伝のおかげ
羅貫中は、趙雲別伝をそのまま資料に使ったから、
演義で大活躍する趙雲が生まれたみたいだね。
関羽や張飛も正史と比較すると趙雲並に創造の部分が多いと思う。
いいかげん三国志の単発スレはウンザリだ
まあどうせ過疎板なんだし…。
趙雲はなぜか若々しく美形に描かれるな。
実際はかなり年寄りだよね。
別伝に、容姿や顔立ちが際立って立派だったとあるからな。
160年生まれとされることも多いし、没年が数え70歳だと仮定しても、
長坂の時は49なんだよな。
公孫サンのもとにいた時も既に30過ぎだし。
五虎将軍の一番下っ端
五虎将軍は魏に対抗して作ったらしいな。
五虎大将軍とは、中国三国時代の蜀漢の武将のうち特に武勇を知られた関羽、張飛、馬超、黄忠、趙雲、の
5人を指す。正史における序列はこの順番である。
諸葛亮の進言により劉備が古参・新参を問わず信頼と功績のある武将を任命した。重要な軍事の際にはそれ
ぞれ軍を率いて活躍し、軍事における中心的な役割を果たした。 また、五虎大将軍を擁することで、魏の五大将
に対抗したとも考えられる。
五虎大将軍は15世紀にまとめられた小説『三国志演義』ではじめて現れる。起源は3世紀に書かれた歴史書
『三国志』でこの5人の伝が「蜀書」関張馬黄趙伝として1巻にまとめて記述されていることや、関羽、張飛、馬超、
黄忠がそれぞれ前将軍、右将軍、左将軍、後将軍に任じられたときのエピソードを元にしているとされている。ま
た、命じられた際、関羽が「黄忠のような身分の低い老将や仕えて日が浅い馬超などと自分が同格なのは納得
いかない」と愚痴をこぼした、とも記されている。趙雲は、各地を点視するもそれまで大きな功績が少なかったた
め、他の四人より昇進が遅く、待遇が同格になったのは晩年期であるとされる。
趙雲は出世はどうでも良さそうなイメージ。ブラックジャックで言うと椎竹先生
趙雲は武官としてはかなり出世してると思うがなあ。
何だか頼りになるいい人そうなイメージがあるな。
趙雲以外に諡号を貰ったのは武官文官入れて、
法正・龐統・諸葛亮・蔣琬・費禕・陳祗・夏侯覇・関羽・張飛・馬超・黄忠
実は趙雲の功績は大したことないだの言う人は多いが、
武官で有りながら諡号を貰うというのは功績の無いものには有り得ない。
/ ̄ ̄\
/ _ノ \
| ( ●)(●)
. | (__人__) 頼りになる男前に決まってるすだろ・・・・・
| ` ⌒´ノ 常識的に考えて…
. | }
. ヽ }
ヽ ノ \
/ く \ \
| \ \ \
| |ヽ、二⌒)、 \
頼りになる男前に決まって留守だろ・・・?
留守なら頼りにできねーよ
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/30(火) 18:37:17 ID:9K5y3DFJ0
趙雲と並び賞された陳トウには諡号が与えられておらず
趙雲だけ関羽ら四人の追加で特例的に与えられたことを考えると
劉禅を助けてなかったら諡号与えられたかどうかも怪しいんじゃねーの?
他の4人に比べて死に方が印象に残らんからな。関羽はほぼ戦死、張飛は張り切りすぎて暗殺、黄忠も戦死、馬超は若死。地味といえば地味かもね
人気は演義のおかげだろうけど、有能ではあったんだろう
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/30(火) 21:14:15 ID:S5S/81FF0
てううんだいすき。
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/30(火) 21:30:47 ID:S5S/81FF0
陳到、なんていう武将がいたんだね、、。
出典はどこなん?
演義とかにでてこないよね?
23 :
陳到ファン歴24年:2007/01/30(火) 21:33:10 ID:eJ0MknE+O
正史だよ正史。
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/30(火) 21:37:10 ID:S5S/81FF0
どんな記事がでてんの?
おせーて。
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/30(火) 21:42:54 ID:S5S/81FF0
傅丹彡(ふとう)とかは俺的にはすごく好きなんだけど、いきのこってたらもっと活躍したんじゃないかと。
どうよ?
>>22 征南厚重、征西(←これが陳到ね)忠克、統時選士、猛將之烈。 贊趙子龍、陳叔至
叔至名到、汝南人也。自豫州隨先主、名位常亞趙雲、以忠勇稱。建興初、官至永安都督・征西將軍、封亭侯。
(楊戯伝収録「季漢輔臣賛」より)
他には李厳伝に名前だけ出てくるくらい。
(章武)四年、(李厳)轉為前將軍。以諸葛亮欲出軍漢中、嚴當知後事、移屯江州、留護軍陳到駐永安、皆統屬嚴。
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/30(火) 22:28:39 ID:S5S/81FF0
>>26 さんくす〜
これみるとまじ、魅力的!
汝南というと 劉辟 きょう都の仲間なん?
妄想しちゃう〜
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/30(火) 22:34:17 ID:S5S/81FF0
尚寵なんかも実はすごい能力あったぽいね〜?
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/30(火) 22:37:05 ID:S5S/81FF0
>>自豫州隨先主
ここがオイラには解読できませぬ。
劉備の配下に入ったのがかなり古い?
予州の牧だった頃なん?
>>28 なんでこのスレで趙雲以外のヤツばっかり振るんだ?
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/30(火) 22:39:26 ID:S5S/81FF0
なるほど。
後年は 重慶方面での実際の軍の指揮官をやってたのか〜 ふむふむ。
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/30(火) 22:41:41 ID:S5S/81FF0
>>30 いえ。
あんたという博識が今降臨してるので、気になる武将のことをみんな教えてもらっとこうと思ってるのだ〜
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/30(火) 22:44:20 ID:S5S/81FF0
あかん?
>>33 三戦板の蜀将スレなら答えられる限りは答えるのにやぶさかではない。
正史に書いてあること程度だけど。
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/30(火) 22:56:23 ID:S5S/81FF0
あんがと〜
じゃあ、そっちにいきまつ。
今日は趙雲スレ伸びているな。
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/01(木) 23:11:04 ID:NrS5hIlC0
趙雲は名前にインパクトがあるからな。
何となく好きになっちゃうキャラだな。
スラムダンクの三井寿みたいなもんだな
全身キモ
全身キモッ!
「雲」と「龍」があるから、なんか無条件で雄大なイメージだよな。
さらに「子供の龍」で若々しい感じ。
>容姿や顔立ちが際立って立派だった
の「立派」は、イケメンて意味ではないと思われるが。
>39
名前に「雲」があるって事はアウトロー出身かもな。
髭が雲のようにフンワカしてから付けられていたかもw
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 16:13:29 ID:61CcjlPk0
「趙雲子龍」は名前負け。どう観ても主役クラスのネーミングだ
名前、立派だよね、この人。
恵まれない名前の人と交換してやるべき。
文醜とか?
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 23:35:43 ID:CHJwzLBs0
顔良も名前負け?関羽にも負け
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 23:42:00 ID:gqTJRJO10
超子龍 とはいっても 超雲子龍 とはいわないんだってね。
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 00:26:42 ID:uqKg4DGE0
常山国じゃなかったっけ?
そらまー「超」雲子龍とは言わんだろうなぁ。
それはそうと、「子龍」は昔は「しりょう」と読んでたのに、
最近は「しりゅう」と読ませることが多いな。
「天地を喰らう」の頃までは「しりょう」だったと思うけど。
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 10:10:28 ID:U1jG1DR10
「しりょう」⇒「スーロン」
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 10:28:09 ID:Y/Q9C4/U0
>>47 枝葉末節にとらわれて話の本筋をみちがえるない!
中国で曹孟徳、劉玄徳、張翼徳、諸葛公明なんだよね、という話をしてんじゃないか!
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 11:17:26 ID:Y/Q9C4/U0
まじめに話につきあえ〜
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 12:14:54 ID:Y/Q9C4/U0
おおうういぃっつ! 47よ! 戻りて我と勝負せぬかあ〜!
諸葛「公」明とは言わない
公明は徐晃だな
54 :
47:2007/02/04(日) 13:21:22 ID:jr3gxGNw0
そらま、君の言うように、杜甫子美とも李白太白とも白居易楽天とも郭子儀子儀とも王守仁伯安とも言わんが何か?
創価公明
呼称として姓+名+字を使うことはないが、それ以外ではたまにあるってな感じかな?
ある条件下では姓+名+字を使うことは間違いだということは出来るが、何も条件を設定せずに姓+名+字を使うことは間違いだというのは間違い。
それ以上でもそれ以下でもない。
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/23(金) 08:29:50 ID:S7DIZK/K0
ついに三国志板に残っていたスレッドも沈んだのでage
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/24(土) 19:17:05 ID:CvrATSmo0
age
演義の話でしょ
北方趙雲は好きだなぁ
宿将としてよくやってる 別に変な活躍いれんでも十分目立ってるし
寥化と被るがこっちのほうが歴長い
忠義の塊か、或いは戦争マシーンか。
どちらにせよ私的な関係では付き合いにくい人物であったって事は有り得ないのだろうか?
性格的に何か欠点がある場合は大抵併せて明記されているものでもあるのだが。
欠点がないのが欠点って感じだな。
だから人間臭さが感じられなくて、戦闘マシーンか忠義一徹な人間の極端なイメージがわくんだよな。
でも、そんな趙雲が大好きだ。
誰か趙雲の似顔絵描いてくれんかな
コーエーの顔ばっかり想像してしまってなんかむなしい
横山光輝の趙雲が君を待ってるよ
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/05(月) 02:34:05 ID:BDjOtD+Q0
戦争マシーンって印象なら横山光輝ので合っていると思う。
それでも劉備の死とかで涙をこぼしてるし
満身が胆&忠義なら蒼天あたりで。
>>62-63 ミーハー腐女子の妄想じゃあるまいし。
読んでて恥ずかしくなってくる
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/07(水) 02:35:43 ID:d9myQeFk0
無根拠にミーハーさを否定するのも軽薄だぞ。
「人との会話を好んだ」とか「友人が多かった」と表記されているわけじゃないし、
かと言って否定的な表現も少ない。 いらない恨みを買うような言動は多いようにも思えるが
廬山昇龍覇
>>68 >いらない恨みを買うような言動は多いようにも思えるが
例えば?
>>67 記述が少なすぎてそう考えてしまうのは仕方なくないか?
というよりどこらへんで腐女子と感じたのかw
婦女子と腐女子を一緒にしたらあかん。
>>71 別に特筆して少ないわけでも無いだろ。
正史三国志の記述は大抵そっけないし、
趙雲程度のポジションの人物の記述は、大抵あんなもんだ。
そういった他人物の記述の量や立場を考慮せず、趙雲だけ特別視したり、
「戦闘マシーン」とかアニメ的なキャラ設定のような妄想するあたりが
腐女子クオリティ。
趙雲と並び賞された陳到なんか2行程度の記述しかないしな
「名位常亞趙雲、倶以忠勇稱」
共に忠勇を以って称されたが、名声と官位は常に趙雲に次いだ(下位にあった)
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/13(火) 15:03:21 ID:PHFMuFMZ0
70過ぎても馬にのって槍を振り回してる連中は、どこかおかしいんだとしか思えないし。
定年とかないからさ、本人がやる気なら良いんじゃね?
殿様か嫁さんくらいしか「オマエいい加減に引退すれや」って言える人いないし。
言った所で聞くとも限らないし。
劉禅には、趙雲を引退させる力はなかっただろうな。
もし劉備が長生きしてて「おれも引退するから、オマエも一線退いていっしょにのんびりしようぜ」
って言ったらどうだったか知らんが。
でも年取って頑固になって人の話聞けなくて視野が狭い将軍は嫌だなあ。
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/22(木) 04:21:31 ID:YKj/qN280
三国志演義大事典では158年?生まれで 後出師の表を採用して228年没の70歳にしていた。
158年ってのはどこから出た説なんだろうか
228年没の70歳からじゃないのかね。
>>76>>77 武田信玄の父親の武田信虎は、息子が死んだ後の、
80歳になっても元気に刀を振り回していたらしいよ。
劉備が159年生まれでそれより年上って根拠じゃね?
戦えるのはせいぜい70だろうというのも加味されてそう
劉備よか年上ってのはどこに書かれてるん?
中国では黄忠とかと並んで老将の代名詞だって話はよく聞くな
日本じゃすっかり若者のイメージだけどな。
横光じゃ劉備よりも年上に見えるし、蒼天趙雲も順当に年取ってる。
趙雲=青年のイメージはやっぱりゲームのせいか?
>>82 はっきりそう書かれてるんじゃなく逆算するとそうなる
まあ演義の話だが
>>84 森田健作テイストが加わったのは、光栄のゲームのせいというのもあるけど
吉川英治の三国志の辺りからかとおもわれ
あまりヒゲを蓄えたヴィジュアルが定着してないからかな。
三国志孔明伝のグラはチョビヒゲがダンディなおじさんっぽくてかっこよかった
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 14:13:43 ID:SardWWMq0
>88
「チャップリン?」
「ああそれだ。貴公は尻尾だな。 そいつの」
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 19:47:59 ID:Bf/oj/4n0
魏、呉で趙雲と比較するなら誰だろう。
個人的には朱霊と被るが
キョチョなイメージだな。
>>92 イメージっつーか、それは護衛隊長だからだろう
呉だと周泰かな?
周泰は敵軍の包囲下で身命を賭して主君を守り脱出させている。
周泰がいなければ孫権は戦死してただろう。
あとは大史慈か。
大史慈は武勇に優れ信義に篤く使者として使っても恥ずかしくない気品の持ち主。
周泰って徐盛、朱然を従えた事があるから 護衛専門ってわけじゃないはずなんだよな。
趙雲は太守の経験あるし
谷利
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/21(土) 11:16:35 ID:F+5TZKrT0
話の腰ぶった切るようで悪いんだけど、趙雲って結婚してたの?
確かに子とされてる名前とかあるんだけど、未婚だったって話もあって・・・
結局はどっちなんかな・・・
>98
嫡子はいるよ。奥さんの名前は正史には記載されていなかったと思うが。
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/21(土) 20:25:11 ID:ppWLRS5HO
あれか。単為生殖。
父や兄の名前さえ不明だからな。
余程位の高い女性じゃなけりゃ、当時はいちいち嫁の名前なんか残さないだろう。
途中で送ってしまった。
君主の嫁で君主の妹である孫夫人だってせいぜい「孫夫人」だし、大した情報は残ってないしな。
趙雲の嫁が、例えば関羽や張飛の娘だったりしたら記載されてただろうけど
何も残っていないと言うことは、ごく普通の武将か文官の娘だったんじゃないかね?
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/21(土) 23:43:00 ID:F+5TZKrT0
>>99−102
そっか、皆さんありがとう。
そもそも三国志自体も古いから曖昧なのは仕方ないもんね。
でも、教えてもらえたおかげで何か少しスッキリしたかも・・・
ホント、ありがとね♪
吉川三国志に、性が同じ「趙」の人を娶る、娶らないで騒ぎがあった、
とか言うエピソードがあったけど、結局娶らなかったんだったかな…?
演義でいう趙範の兄嫁の梵氏のことだな、確かに娶ってない
ぶっちゃけ趙雲は恋愛より仕事をとる仕事一筋にしか思えん
反三国志とかいう小説ではあんまり堅物過ぎてもどうかということか馬超の妹を嫁にもらったが
あの時代の人物で妻を娶らないわけは無いだろう。儒の教えにも反してんじゃない?
まあ子が生まれなかったために養子を取るという事は有り得るだろうが
結局妄想の域は出ないな。 四川省の石碑にも妻の名前は書かれてないね
>98 そんな感じでいかがでっしゃろ?
>105 仕事より女を優先させる人物のが珍しいだろw
子供はずっと墓守してたんだっけ
長男の趙統は虎賁中郎・督行領軍にまで昇ってる。
官名からだけ判断すれば近衛系統の武官として朝廷に仕えていたと思われる。
弟の趙広は牙門将として姜維に従軍で沓中で戦死。
後漢の制度だと虎賁中郎は七品(比600石)。
督行領軍と記載されているので実際に部隊を指揮していたのだろう。
おそらく趙統は近衛軍の一部隊の隊長だろうな。
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 17:26:20 ID:xuMFLoQ00
>>98と
>>105です。
私の些細な質問に丁寧に答えてくれて、ありがとう♪
参考になりました。
色んな人の書いた三国志が脳内でごっちゃになってしまって・・・
やっと理解できました。
某趙雲が女性で呂布の子供を産んでしまってその子が関羽の養子で名を平と言って
諸葛亮と幼友達の劇画の話なんだが、
趙雲が張燕と公孫サンと仲良くしているんだよな。
これって実際には有り得たんだろうか? 張燕と趙雲って故郷が近かったようだけど
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 20:46:53 ID:EsbwCguP0
>>111 上ニ行で何でもありな作品なのに、
なんで最後の部分だけ史実との整合を期待するんだw
男だと思われていた武将が実際は女なんてことはありうるのかな……
頭さえよければ女でも使うメリットはあるような気もするが
花木蘭?
趙雲より最近では主君の劉備のほうが女だったというトンデモなものまであるな
スーパーな歌舞伎とか
オスカル・フランソワ・ド・劉備
>>111 覇LOADだな
泣き虫弱虫諸葛亮の趙雲も結構好き
女劉備と言えばランペイジのおっぱい!おっぱい!
>111
張燕は盗賊団の頭領で要するにアウトロー。
劉備と親睦があったという設定ならそれほど無理は無いが・・・
そもそも仕官以前の趙雲の身分は士大夫であったのか庶人であったのかという謎
>118 LORDだよ。 何だかんだで覇LORDほど張燕が目立っている作品って無いよな。
>121 別伝が有りならそんな低い身分でも無かったんじゃないか?
常山出身だとすると漢の長沙王の趙佗の出身も常山郡真定県だから同族の可能性もある
また長沙付近の太守だった趙範も趙佗が長沙に移った後の一族という説がある
これは趙範と趙雲が義兄弟になったことからも信憑性が高い
という本当っぽいようなトンデモ説なようなものを見たことがある
>>116 アナタそれをトンデモいうなら日本はトンデモ西遊記王国ですがな。
演義モノの無能系主人公は女性イメージだからあながち間違いでもない。
台湾とかでは女性劉備ってのも結構メジャーらしいぞ。
定番はイケメンの趙雲とのカップリングだそうで。
戦も下手で、武にも大して秀でていない劉備にあれほどの猛将たちが従ったのは
劉備が女だったから…って言う設定は確かにちょっと美味しい。
ランペイジみたいに妙な力を持っているよりも、ごく普通の女性のほうが面白そうだ。
そういう普通のおなごの劉備というイメージでは一騎当千の劉備に近いのかもな
あれも一応トンデモ能力付きだが
武官はともかく、孔明や徐庶が女性だった、ってくらいならあってもいい気がする
孔明女性説はあってもおかしくないけど、そういえば聞いたことないな。
女禍-joker-
鬼畜趙雲にレイプされる女孔明の話の類とかも見たような気もする
趙雲www
珍しいな、鬼畜趙雲て
>126 劉備は戦上手、結構勝っているだろう。 むしろ曹操のが負けの印象が強い。
劉備は戦術、曹操は戦略で強いような。
ランペイジもあれはあれで好きだよ、曹操が呂布を欲しがるが劉備が殺せと言うのに納得出来そうだった。
まあ話をむりやり趙雲にすると、ランペイジの趙雲は美形だが劉備が義の人でないなら
殺す事もいとわないというキャラクターだった。
>129-130 あれは本物の諸葛亮が殺された事を認めたがらない婚約者が
ムリヤリ生き返らせようとして自分が孔明になってしまうという話で
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 01:35:05 ID:Hn/v7oVR0
四川省だけじゃなく、彼の生まれ故郷あたりにも石碑とかあるのかな?
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 23:25:59 ID:vvskIzLl0
趙雲の生まれ故郷と言うと河北の方だっけ?
>>123に書いてるけど常山郡真定県
今の地名は自分で調べてくれ
石家庄市あたりだろ?
河北要衝のひとつといってもいいか。
故郷で兄の喪に服していた頃の逸話って無いのか?
蒼天航路では、喪に服した相手が何故か母になっていたな。
しかも、目と耳と口を閉じてたんだよな。
周りの人間が大変だよ。
ニート以上だぞ。
目も耳も口も、ってよく考えると意味不明だな。
服喪に則って、自宅に蟄居してたって事なのかな?
そうすれば何とか暮らせてけるかも知れん
趙雲というと李志清版の晩年の姿しか思い浮かばない。
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/16(水) 19:09:11 ID:qHYUUS0V0
征南将軍って具体的には何やってたの? 征呉にはあんまり参加してないよな
>>140 そうやって小宇宙を高めてたからこそ後々の活躍があった
あんまさん乙
>>39 趙「雲」子「龍」
雲に乗って天駆ける感じ?
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 10:29:25 ID:1AZpvvTM0
>145 改めて言われると恥ずかしいネーミングだ。
まあ子供の頃から優秀だったんだろうなとは思える。
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/26(土) 16:36:43 ID:14tsxI030
フランスで開催中のカンヌ国際映画祭で20日に発表された劉徳華(アンディ・ラウ、=写真)主演映画『三国志之見龍卸甲』
(李仁港監督)のポスターのデザインをめぐって、中国国内の一部ネットユーザーの間で議論が起きている。
「ポスターに描かれたアンディ演じる趙子龍(趙雲)の鎧(よろい)姿がまるで日本の武士のようで、『三国志』に描かれたイメ
ージがぶち壊されている」というのだ。
ネットユーザーの中には「映画が面白ければそれでいい」との意見もあるようだが、果たして仕上がりは如何に?
同作品は07年4月に中国・甘粛省でクランクインしており、08年に公開の予定。アンディの他に洪金宝(サモ・ハン)、Maggie.Q、
F4の呉建豪(ヴァネス・ウー)などが出演する。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070526-00000001-scn-ent
149 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/26(土) 16:43:00 ID:/RmSR4so0
そのポスター見た。
確かに鎧はサムライっぽいけど、
あの帽子みたいな兜はないんじゃない?
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/26(土) 17:26:47 ID:8Dh+dChR0
劉備、関羽、張飛が死んだ後の趙雲の物語とか?
若武者時代じゃないのね・・・・。
「赤壁」とは違うんだよね。そんな作ってたとは知らなんだ。
主演がアンディラウだから、内容は推してしるべし、だな。
墨攻も中途半端な『感動のヒューマンストーリー』になっちゃってたし。
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/27(日) 02:23:32 ID:/4yXNTQ30
趙雲の人気は先祖代々言い伝えられてきた武勇伝と人間の信頼性からくるもので
決して演義のおかげではない
演義や別伝での内容は極めて信憑性が高い
趙雲・呉の周喩・魏延・劉備・関羽は間違いなく英雄
↑は明らかに釣りだが、
たまに正史の記述云々とか言い出して蜀勢力を貶める奴っているわな。
普通に読んでも大した将卒だと認識できると思うが。
そういうのに限って、後出師が偽作だと主張する論証の一つに
趙雲の没年が間違っている事を挙げたりするんだよ
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/28(月) 08:24:46 ID:XCvlMhTn0
趙雲の人気は先祖代々言い伝えられてきた武勇伝と人間の信頼性からくるもので
決して演義のおかげではない
ある意味卞喜とかのが(ry
157 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 16:02:25 ID:w2Ap+hs4O
龍って中国では神だろ。
それを字にするなんて余程神童だったのかね
兄の字が気になるよ。
他に字に龍や名に雲が使われてる人っている?
雲の名を持っているのは、有名どころでは岳飛の子、岳雲があるな。
陸雲は?
160 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 22:31:06 ID:+++IF79p0
独身王
関羽もか
元の字は長生だけど
袁紹のところで再会した劉備と趙雲がその夜同じ床で寝て・・・(ここまで実話)
劉備は元から関張らとよく同じ寝床という前科持ちだな
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 07:23:38 ID:Jn/0KBYiO
そりゃ当たり前だと思うが
曹操は起こさないと斬られるし、孫権はいびきがうるさそうだから一緒に寝たくは無いな。
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/31(木) 09:24:42 ID:eTykPB9i0
>>162 :(;´゚ω ゚):. アッ――――――――――――――――!
架空の人物らしいで
正史の内容自体が怪しいらしい。
演技は完全な架空。
なんで龍のほうを重視するんだ。趙雲の名は雲だぞ
龍は雲を得て天に昇ると言って、要は「英雄を助ける存在」って意味の名前だ
よく似合う名だと思うけどな
年齢なんだけど、長坂の石像は若武者で成都の武候祠では白髭の品のあるジジイだよね
京劇でもほとんど若武者なのに、街亭の辺りで急にジジイになる(と言っても若者が白髭つけた感じ)
長坂では「若いのにすごい」、街亭では「結構年なのにすごい」ってことから年齢は誇張されていったんだろう
実年齢は長坂ではそこそこ若く、街亭ではそこそこジジイ、158生まれってことはないと推測する
そもそも長坂時点での年齢がよくわからん
>>167 親切なお兄さんが教えてあげよう。
正史の記述は確かにすくないが、
陳寿がそれを補うために蜀の身内評価である季漢輔臣賛を付け足してるし実在の可能性は他の人物と同等。
季漢輔臣賛では簡素な記述ではあるけど『重厚な性質であるが、勇猛でたびたび勲功をたてた』とある。
信憑性が低いと言われてるのは正史の注で引かれる趙雲別伝のこと。
長坂での甘夫人保護や祁山の戦いでの別働陽動はちゃんと正史本文に記述あるぞ。
漢水の戦いに関しては別伝のみ。
演義の見せ場の一つである長坂は正史でも劉備の娘が二人捕らわれた戦場なのでかなり危険なトコ
別伝込みにするならほとんど演義の趙雲にかなり近く書かれてるよ。
もーひとつ、演義は全人物どころか話そのものが架空だよ。
映画の赤壁は長坂エピも入れてくれるらしい。
性癖が最低で
レイプ魔だったんだよな。
趙雲て
姜維と対決したってのは演義だが
それに元となった逸話とかはあったのかな?
>>173 末期に姜維が趙雲への贈諡を上奏してる件が元になっているのかも。
姜維は趙雲が好きだったのかな
最後数年は同じ軍にいたことになるんだよな
まぁ、武勇もあるし孔明や劉禅の信頼も厚かったから尊敬はしていたんじゃない?
姜維と趙雲の息子が仲良いとは聞くけどね
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 23:31:29 ID:HMSJywTI0
ああ、趙広か?
わざわざ息子でなくても姜維と趙雲は二人とも孔明派だから仲良くてもおかしくはないだろ
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 23:25:41 ID:D2nyaRqoO
ここの事じゃあないけど
趙雲に幻想抱いてる人って意外にいるんだな。
いや好きだし名将だと思うけどさ
聞いた話では中国でも趙雲のイメージは好青年の若武者らしい
いつの頃からこのような傾向なのかは不明だが
やはり日本のゲームや漫画・アニメの影響なのだろうか???
三国志Onlineの趙雲かっこいいな
確かに自分は趙雲に幻想を抱いてる。自分が趙雲で特に好きなのは、↓のへん
1.劉備が成都の建物と農地を諸将に分けようとしたのを諫めた台詞
2.公孫さんに言った強気の台詞
3.劉備の征呉を諫めたこと(でもその後劉備の救出に向かうこと)
2が思慮深い顔で言ってそうな事とか、戦闘マシーンのようでいて
1の「天下が平定された後、各々故郷に戻って畑を耕すのが一番良いのです」とか
平和主義っぽいことを言っちゃうギャップとかがイカス
幻想っつうか、別伝読んだらなんか演義の活躍もまんざらじゃないんじゃとかいう風に思えてきて…
でも、無双の好青年はねーよなぁ。
周喩や陸遜みたいな記述あるヤツはともかく、黄巾時代からいる人物なんだからそれなりのオッサンにして欲しかった。もしくは、もっと筋骨隆々で歴戦の勇的な。
生姜と趙雲並べてもどっちが年上なのかよーわからんとか…ねぇ?
でも他の三国志作品でも若武者だし、中国でも好青年のイメージだとか。
無双でも格好良い若武者として描かれてもなんら不自然ないと思うが?
そこで初登場から最後までごついオッサンだった横山趙子龍の出番ですよ
>>183 実際劉備が成都に入場した際大規模な略奪が発生していたらしくそれも趙雲の発言に関係しているかもな
劉備より年上だったんじゃなかったっけ?
蒼天趙雲が一番好きだ。
ちゃんと老けてたしな。
後期の趙雲はちょっと顎がごつすぎた気がするけど。
馬鹿野郎!
横山趙雲だって後半ちゃんと老けてたぞ!
顔の線が増えてたな
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 02:04:03 ID:LwIfStsA0
>186 成都の石碑には155年生まれとはっきり記されているし、
場所によって老将時代の趙雲の像もある。だが
京劇では美形が演じ、TVドラマでもヒゲの無い役者が演じる等といった事実もあるのだが。
外見や年齢はまずおいておくとして、内面もどうだったのかだよ。
例えば陳到は官位や能力も並び評されたが「趙雲は重厚、陳到は忠誠」をもって知られたとの事。
こうしてみると、むしろ陳叔至の方が誠実な人柄だったのかも知れない。
趙雲が重厚というが、重厚な人柄って具体的にはどういうのだろう? 「軽薄」の反対?
発言に重みを感じさせて存在感が有ったとか、そういう事なのだろうか?
重みのある人柄ってことじゃないのかな?
当時の中国語で重厚が何を意味するのか微妙に違うかもしれないけど
風林火山みたいな感じ
劉備に嫁いできてやりたい放題してた孫夫人に対する牽制として奥に趙雲を配置したというから
来ただけで逃げ出すくらい怖い顔の人かも
168年生まれじゃないんだ?
生年は不明
長坂でのあれは50前後のオッサンがやるにはキツいと思うからあの時点では30半ばぐらいかなとか思ってる俺
>>196 年齢の話ってことは正史だよね?
長坂のあれって実質的には「混戦中の非戦闘員の保護」だから
保護した後は普通に敵を避けて合流するように務める形じゃないかな。
子供抱えて交戦地帯走ったりしたら頭悪過ぎだし、
演義の大立ち回りと一緒に考えるのは無理があると思う
>>196 後年曹操が趙雲と遭遇した時に「長坂の老人がまだ生きてたか」と言った
となんかで読んだ覚えがあるんだが・・・
これが本当ならやっぱあの時50ぐらいだったんじゃね?まあこの話の信憑性も判らないけど。
>197 嫡子と正妻らを連れて来たって話だが、
隠密行動を取ったのだとしたら馬は使わずに徒歩だったのかな。
生母を担いできた廖化のように、二人をおぶって現れたならやはり評価は高くなりそうだな。
馬に乗せて敵陣を走り去るのも大したものだが、周囲に追手が迫り来る状況で
女子供を連れながら無事に辿り着くというのもやはり離れ業だ
>>199 別に評価の話題してるわけじゃないんだけどなぁ。
つか、199の中で評価高くなるのはいいけど
それ別のスレで声高に主張するのはやめようね。恥ずかしいから
「重厚」は、厳格で頑固なイメージ
劉備に諫言したり下賜を受け取らなかったりしたし、
忠誠を貫くというより、自分の信じるものは譲らない感じがする
三国志との出会いが天地を喰らうだった自分は無双もあまり違和感なかった
あまり表情がなくて真面目そうだし、派手さはないから若い頃の顔立ちとしてならイメージ通りかな
連投スマソ
趙雲は公孫さんに「仁政を行わなかったら去る」という意味のことを言って実際に兄の喪を言い訳に去ってる
純粋な「忠誠」の人ではないと思う
劉備のことは(おそらく仁君と判断して)自分で選んで配下になったわけだから、忠誠を貫いたけど
劉備より年上で、体がでかくて見た目が立派で武に優れて
浮いた噂も無く酒に溺れる事も無く重厚で諫言することも厭わず
自分の正義を貫く全身肝の男か…
それが親衛隊長ってのも大変だな、劉備。
趙雲てなんか無言で威圧してきそうだもんな。
さらにプライド高くてちょっとややこしい髭とか
酒癖悪くて部下の扱いも悪い暴れん坊の虎髭とか
ヤクザ者とか農民とか「うちの国乗っ取っちゃってよ」って文官とか
世の中を斜に構えて見てるぶっさいくな天才軍師とかラフレシアとか西涼の暴れん坊王子様とか
そんな奴らを心酔させちゃうんだから大したもんだよな、劉備。
そう考えると趙雲は盲目的に従う忠臣キャラというより
己の正義に忠実=結構上にとって都合のよくない奴か
煙たがる奴もいるだろうな
昇進がスムーズじゃないのはそのせいだったりしてw
実は本当に浸透したのかちょっと疑問なとこもある
魏は漢を潰しながら制度的には漢を引き継いでいたから反漢勢力が劉備のところに集まったのかもしれない
国号は漢にしながら実は漢風を打破しようという国だった・・・ら面白いな
>>208 突っ込んでくれてありがとうw
>>207 「浸透」は「心酔」って書きたかったのかな?
自分で「心酔」って言葉を使っておきながらなんだけど、
心酔してたのはごく一部の人間だけで(糜竺とか)、
特に関羽なんかは「こいつ上手い事使って、自分の理想の国を作ってやろう」と思ってた気がする。
趙雲はどうだろうなあ。
以前同行してたことがあるんだから勝手な理想を抱いていたわけでもないのに
わざわざ兵を集めて自ら配下に入ったくらいだから
「心酔」まで行くかはともかく、「他よりはマシ」位は思ってたんだろうな。
>>197 いや、演義にしろ正史にしろ、敵陣の中に取り残された人を助けるために敵陣に少数で突っ込んで行くってのはじいさんにはちょっとキツくないか?
いやまぁ、そりゃ戦闘を極力避けて目立たないように行動したんだろうけどさ。 それにしたって激戦中に安全なルートはどこ〜?なんて考える暇もそんなないだろうし。
でもあの時代のじいさんはみんな化け物だからとか言われたらもう何も言い返せないけどw
これが俺の趙雲に対する幻想かなぁ…
馬超もあまり劉備に心酔してない気がす
劉備に全幅の信頼を寄せられたとはいえ、劉関張の関係に及ばないのは自覚しており、
彼らと肩を並べる野心は持たず、あくまで一歩譲る姿勢を崩さなかったって。
あと、関張馬黄より一つ下の位に任命されても、趙雲は不満を示す事はなかったという。
それなりにデキるけどマイペースな仕事人間
>212 簡雍カワイソス
>>212 劉関張の関係に及ばないのは当たり前で本人の自覚云々の問題じゃないだろう
趙雲の昇進のペースを見てみろ。劉備の時代には護衛隊長に毛の生えたようなもの
孔明の時代になってから急に昇進してる。もちろん人手不足もあるだろうけど、
劉備の死後に仕切るのが孔明じゃなければあんなに昇進せず、蜀書の伝の順ももっと後ろだったかもしれない
「護衛隊長に毛が生えた」って認識が誤ってると思う
自分の代理になりうる優秀な人材として、趙雲の立場を考えたら精一杯優遇してると思うんだ
劉備は彼の能力を手元に置いて使いたかった
諸葛亮は外に出して使いたかった
諸葛亮は趙雲を高く買っていた
>>215 いやいや、趙雲はあくまで一歩譲る姿勢を崩さなかったって言いたかっただけですよ。
あと、趙雲は剛胆な反面、繊細な一面を持っていて、他人と人間関係でもめることはなかったと、「三國志]武将ファイル」に書かれてた。
待て待て待て。携帯厨の、正史すらまともに読んだことのない俺だが。
ゲームの資料はナシだろう…
でも「正史」等を参考に書かれているよ
どっちかというと正史「等」
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 09:26:08 ID:mSb4BjUQ0
KOEIの武将列伝は
けっこう史実から逸れてる事も多い
223 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 12:59:49 ID:poX/QyveO
無双の武将辞典なんかは演技のだしな
>自分の代理になりうる優秀な人材
今更だが代理とは誰の事を言ってるのか気になる
趙雲の地位の低さに関して
ここまでロマンに溢れ過ぎた妄想語られると
いくらなんでも引く。
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 09:44:21 ID:7/GY3HqO0
趙雲スレッドは考察というよりファンスレッドになってしまうのが昔からだな。
>>225 反論もできない椰子が言っても何とも思わん
でも劉備が本気で趙雲を冷遇したとは考えにくいのでつ。
冷遇とか普通にしてないと思うけど…
なんかそう思えるような記述あったっけ
>>229 黄忠たちが四方将軍なのに趙雲は翊軍将軍で格下だから…というのを拡大解釈した
趙雲が関羽、張飛、馬超、黄忠と比べて格下な理由を考えるにあたって、
彼等と比較して、趙雲の名声と実績が不足してたって点は、考慮に入らないのかなーと疑問。
この部分すっとばしちゃー
「冷遇された」と考えるのも、
「特別な思い入れがあったから昇進が遅かった」と考えるのも
「与えられるはずであった地位に対して趙雲が自分から一歩引いた」と考えるのも
突飛過ぎるし、趙雲という人物の一部を否定しての美化みたいで心地悪い。
普通に翊軍将軍な部分も含めての「趙雲」じゃないのか?
「他の人物と違う特別な理由」が無いと駄目なのか?
232 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 02:09:32 ID:UKESG9lLO
そもそも翊軍将軍だと他の将より格下だと断言していいのか、そこから考え直すべきだ
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 02:12:09 ID:tcv7Ir090
そりゃ普通は将軍位が上の方が上官だろ。
近代では一度除隊してから再入隊した時に下っ端からやり直す事もあったが
そういう人物は配慮されたりしているからな
蜀の征南将軍や鎮東将軍ってどういう任務なの?
>>231 俺的には黄忠がその地位なのが納得出来ない。別にそこに趙雲いれろや!とかじゃなくて、確かに夏侯淵を討ったのはすごいことだけどそれまでそんなに目立つ将ではなのにそこから待遇ががわりと変わったのに疑問。
旗揚げ当時から付き添ってちょくちょく手柄立てた将とかを用いなかったのは何故なのかなと。
>名声と実績が不足
演技でかなりか活躍してるから正史でもそれなりの人物と思うジャン?
>>231 >「与えられるはずであった地位に対して趙雲が自分から一歩引いた」
そんな事は言って無い
>>235 黄忠にその地位を与えた理由は、「新参者でも頑張ればちゃんと報いるよ」というアピールと思われ。
連投スマソ
比較してみりゃいいんじゃね?
趙雲
208年:
長坂の功績により牙門将軍に昇進
同年、荊州平定の功により偏将軍、桂陽太守に昇進
213年:
蜀の平定の功績により翊軍将軍に昇進
223年
中護軍・征南将軍に昇進
黄忠
213年:
蜀の平定の功績により討虜将軍に任じられた
219年
漢中攻略戦にて夏侯淵軍を壊滅させ漢中を制覇。
この功績で黄忠は征西将軍に昇進した
劉備が漢中王即した時の御祝辞昇進によって
黄忠は後将軍に昇進した。
前・後・左・右将軍>>征○将軍>>討虜将軍=翊軍将軍>>偏将軍>牙門将軍
だと思った。
黄忠は劉表時代は部隊長クラスだったのと
入蜀時は最初から劉備直属下の武将として兵を指揮していたことから
少なくとも蜀平定戦中は牙門将軍クラスの階級で趙雲と同格かやや下と推察。
蜀平定戦の功績は緒戦から活躍していた黄忠がやや勝るか?
そう考えると蜀平定戦後の地位が黄忠と趙雲が同格とされるのは妥当だろう。
その後昇進に差がつくがこれは黄忠は漢中攻略戦の立役者なので
黄忠の征西将軍昇進は至極当然。
強いて言うなら漢中王即位時の御祝儀昇進である後将軍が過剰と言うべきか。
この後将軍昇進については過剰であるという意見は当時から出ている。
ただし劉備の漢中王即位は政治的に非常に大きな転換点であり
その漢中を制した勲功で黄忠が後将軍に昇進するのは許容範囲と言える。
と言う訳で黄忠と趙雲の地位の差と言うのは戦功のインパクトの差と言って良いんじゃないかね?
領地を広げた武将の戦功はそうでない武将よりインパクトが大きい。
どちらかと言えば俺としては趙雲と魏延の比較の方が興味がある。
牙門将軍って、将軍と名のつく地位のうち一番低い(名前は将軍とついても厳密には将軍職じゃない?)
とどこかで読んだような読んでないような
別伝の記述を信じるなら統率力がないとはいえないけど、少人数の部隊が多くて派手さに欠ける。
後主の代まで長く仕えて最終的に地位もあがったから関張馬黄趙の並びになったのであって、
劉備の時代には前の4人とは並んでなかったと思う。五虎将って呼び名もなんだかな。
五虎将はフィクション
魏延
213年
蜀制圧戦で、緒戦より劉備に随行。
戦功により牙門将軍に昇進した。
219年、
劉備が漢中王に即位。劉備が漢中から成都に帰還する際に漢中の抑えとして魏延を抜擢。
督漢中・鎮遠将軍に昇進、漢中太守を兼務。
221年、
劉備の皇帝即位の御祝儀昇進によって鎮北将軍。
227年、
第一次北伐の際に魏延は督前部・丞相司馬・涼州刺史を兼務
230年
羌中で魏軍撃破の戦功により、前軍師・征西大将軍・仮節に昇進、南鄭侯となる。
楊儀との対立を見ると魏延はどうやら士大夫出身では無い様だ。
魏延が劉備傘下になったのは比較的浅くスタート時点での地位は趙雲よりも格段に下だったが
漢中王即位の時の昇進で同等クラス、実権を加味すると魏延の方が上になった。
劉備が帝位に就くと更に差が開き、魏延の方が格上になってしまった。
趙雲が魏延とほぼ同格になったのは223年、劉備死後?である。
(とは言っても実権等を考慮すると席次は魏延の方がやや上のようではあるが)
俺としては黄忠よりも魏延の贔屓ぶりが気になる。
魏延は確かに名将ではあるが、それまでの貢献度、名声ともに趙雲の方が格段に上であり
なぜ劉備がこれほど魏延を贔屓したか?全く不思議だ。
出自が高くない奴を引き立てる事で能力を引き出したんだろ。
全く不思議じゃないんだが
魏延と趙雲の地位が開いた時期を見ると
一つ目は漢中王即位
二つ目は皇帝即位である。
つまり趙雲は御祝儀昇進が無かったが魏延はあった。
ここにヒントが隠されているかも知れない。
趙雲は劉備の王位ならびに帝位就任に否定的で
それ故に劉備から疎まれていたという可能性が考えられる。
劉備の死後、劉禅が帝位に就くと
劉禅を救ったという経歴を持つ趙雲は必然的に皇帝からの覚えがよろしく
停止状態だった昇進が始まる。
残された軍事面の実力者を眺めると、叩き上げの魏延、外戚の呉壱がいて
政治的なバランスを取る上でも宿将の趙雲を昇進させたという観方もあるが。
演義だと劉備に諫言して怒りを買い江州に左遷させられた頃か
>>243 それくらいは知ってる
小説とは言え、同時代に並んでたわけじゃないのに五虎将って名付けるのは無理があるって話
逆に言うと演義の作者の趙雲贔屓だと思う
>>247 面白い!
>>247 諸葛亮も漢中王即位の時には昇進してないけどね。
趙雲の事績を見てると、例えば劉備の主騎であるとか長坂では劉備の妻子を保護したとか。
これは別伝だが劉備の入蜀時には当初は留営司馬として公安の政庁に残り、その上奥向きの取り締まりをまかされていたとか。
もうこれは関羽らと元々の立ち位置が違っていたとしか考えるべきであり、将軍位でもって比較するのは妥当ではないと思う。
野戦将軍でなく基本近衛武官。これが趙雲の立ち位置、
これは劉禅時代、または趙雲の後を継いだ趙統の官位などをみても明らかであると思う、
>>250 関羽・張飛を夏侯惇・曹仁とするなら、趙雲は史渙ってところかも。
自分は「護衛隊長に毛の生えたようなもの」発言をした215だが、
>>250を読んで言い方で違うもんだなと思った
>>251 せめて典韋あたりにならないか?
253 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 02:11:56 ID:26Ekoc8dO
>>252 史渙なめてる?
敢えて言うなら典韋・許チョと韓浩・史渙を合わせたのが趙雲かもしれん
>>249 いちいちそんな事でマジになるなよ・・・
255 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 09:10:02 ID:RCY5SGy10
しらけ野郎が何故趣味カテにいるのか?
>253 個人的には張コウや朱霊だと思ってた
>>249 贔屓っつうか偶々じゃね?
五虎将って魏の五大将に対抗して作られたっぽいし。
って言ってみるテスト
何で?
260 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 14:59:33 ID:TDFDnaZeO
何でって…
与えられた役目が違いすぎる
naruhodo
趙雲のファンってだけで腐女子呼ばわりされた。
263 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 17:20:20 ID:D3mP+05G0
そういうのを防ぐために自分は四川省の趙雲の石碑を壁紙にしている
>>262 そんな事を言う人は腐女子以下だと思う。
今日のドラマ三国志の趙雲と張飛テラカッコヨス
千葉TVは土曜なんだよね。今週は官渡後編だから趙雲の出番はなさげだけど。
あれ、千葉は官渡なんだ
うち(近畿)は今日長坂だったよ
子龍〜子龍(スーロン)〜♪って曲が頭から離れないw
いっそのこと劉備の親衛隊長辞めて阿斗の教育係やってれば、劉禅も少しはマシになってた鴨・・・
厳格すぎる親父は不良息子を作ることが多いぞと
冗談はともかく趙雲子供できたの大分後だし子供の教育の仕方とか理解できてそうかというと…
>>267 うは、楽しみw
とくに「スーロンマーチ」(今俺が命名)早く聞きてぇぇぇ!!!
官渡前は関羽千里行で関羽お腹一杯状態だったが、長坂では趙雲お腹一杯になりたいぜ。
271 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 10:59:00 ID:NrHngCRi0
>268 趙雲の影響で馬に乗って戦場を駆け巡る荒々しい国主になってしまい
しまいに孫堅、孫策みたいな死に様を迎える
か・・・考えすぎでしょう
273 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 19:23:45 ID:RzaakgU70
趙雲が推挙した夏侯蘭ってどうだったんだろうか
行跡が全く伝わっていないので胡散臭い限りだ
それ討ち取った魏の武将じゃね
正史の話だ
博望の頃の話だったか
>273
あー、シバいてとっ捕まえたら以外に使える奴だったんで、推挙したんだよな。
でもその後、趙雲からは積極的にコンタクトとらなかった、とかいうアレ?
意外に使える奴だったんじゃなくて、幼馴染捕まえちゃったんじゃね?
先是、與夏侯惇戰於博望、生獲夏侯蘭。蘭是雲郷里人、少小相知、雲白先主活之、薦蘭明於法律、以為軍正。
雲不用自近、其慎慮類如此。(趙雲別伝)
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 23:42:55 ID:ac1pA01T0
太守やってたり人材推挙したり色々やってんな。
その割には地味っていうか器用貧乏っていうか。出世も遅いし
欠点が無いのが長所って所かね
縁の下の力持ちとかもっと良い言い方できないのかねえ
長坂以外派手な活躍がない分目立つことも少なかったんじゃね?
漢水とか北伐の撤退戦の殿とか、あるっちゃあるんだけどな。
なんてーか、過大評価とかよりも単にすげぇ強くて格好良くて尚且つ冷静な武将っていうわけわからんイメージが一人歩きしているというか…
ダメだな。俺の日本語もわけわからん。
趙雲は戦士や軍人というより勇者という領分だな、良くも悪くも
秘本三国志での趙雲の使い方はびびったw
なにこの007はみたいな感じで。
285 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 10:59:58 ID:G6Ag5xaK0
虎威将軍って将軍位ですか? それとも単なる愛称?
大雑把に序列いでえば、
四方将軍>>>○○将軍>偏将軍
で、↑の中央の雑号将軍のひとつってあたり
愛称とも違うけど、偏将軍の箔をつける意味で独特の名称を冠する様な感じ
1:丞相
2: 大将軍、大司馬
3:三公 驃騎将軍、車騎将軍、衛将軍
4:九卿 四方将軍
5:二十七大夫 雑号将軍、偏将軍、校尉
6:八十一元士 司馬
くらいの感覚。
ん?陣中では虎威将軍と呼んだ、だから愛称じゃないのか
別伝の記述だし
>陣中では虎威将軍と呼んだ
そうか
なら愛称ってことでいいやね
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 00:47:49 ID:Jp/TlktW0
曹操が奮武将軍を自称したみたいに
趙雲も虎威将軍を称したのかと思った
実際に虎威将軍を号された人物もいるし紛らわしい。
?で劉備と再会したってんなら やっぱりかなり長く仕えているんだな。
袁紹早く負けちゃえーとか思ってたんだろうか
逆に、劉備に目通りする直前は袁紹側だった可能性があるんじゃ?
単に常山郡を当時支配していたのが袁紹だっただけかもしれんが
293 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 00:56:15 ID:rwHZwOwg0
袁紹は勧誘力はあっても求心力は無さそうだな
でも公孫サンよりはマシにも思えるが。
公孫サンの本格的な暴走が始まる前に服喪を理由に退職したのかな。
その期間に他にも色々な群雄を見て回ればよかったのに
見て回ったとしたら色んな面白い出来事があったろうなー
あちこち転々としてる劉備の居場所にすぐ対応したことから、
袁紹サイドにいて情報が入りやすかったと考えたほうが無難だけど、見て回ってたら面白い
もしもう少し早く劉備に合流していたら、
劉備の楊奉殺害なんかにも加担していたのかな?
保守
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/01(水) 23:38:59 ID:JR298fb30
趙雲=ケツあごのイメージがあるのは何故…
趙雲は生年不明だから若いイケメン設定できて得だよな
本当は関張と年かわらんかもしれんのに
むしろ他の誰よりも年上かもしれんのにな
なぜか老人趙雲という類の話は劉備死後の時代以外はほぼ皆無
関羽とか張飛みたいに容姿の特に髭についてかかれていないからいわゆるゴツいオッサンのイメージから離れたキャラになったのかな
その代わりのイメージにけつあごがでてくるんだけどね、俺はww
白馬に乗って颯爽と現れる好漢ってイメージだからかもな
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 10:42:02 ID:wV2D1v1v0
白馬義従に所属していたわけじゃないんだよな。
白波賊の吸収兵は従えていたかも知れないが
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/07(火) 15:38:27 ID:lza3r1NdO
初めて趙雲の存在を知ったのが「天地を喰らう」のアーケードゲームだったので、趙雲というとどうしてもイケメンを想像してしまうなぁ
正史でも何より背が高くて見栄えがしたって書いてあったと記憶してるから、
イケメン想像していいと思うよ。優男でなくケツアゴマッチョの可能性あるが。
長坂のエピソードや劉備親征への諌言では真面目で堅実な一面が出てたり、
関張みたく強烈な個性もなく地味なんだけどさりとて醜聞もなくって感じで、
ガツガツした功名心なんかとも無縁な爽やかな印象を受ける。
そんでそういう爽やかな印象が現今のキャラクターを形作るのに一役買ってるんじゃないかな。
北伐に従軍した翌年に死んでるが、若く見積もってもその時は六十近く、
老体に鞭打ってツラかったろうな。
黄忠じゃないけど、死ぬなら戦場で!!ってタイプだったんじゃないか?
趙雲が体型的にも恵まれてたってのは知ってるけど
あんまり「でかい!」って印象は無いな。
でかいといったら関羽がまず出てくるからかな。
当時の武人として「見栄えが良い」ってのは、やっぱり骨太で筋肉もがっちりで
見るからに強そうなやつなんじゃないかねえ。
現在だって、「見栄えの良い格闘家」と考えるとやっぱり優男じゃいまいちだし。
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 13:36:05 ID:P9N1cun3O
そう考えると、やっぱゲームや漫画の趙雲は男臭さっちゅーかワイルドさが足りないな
と言いながら俺の趙雲のイメージってNHK人形劇の趙雲なんだけどw
俺はルパンでの石川五右衛門にイメージが近い
寡黙でやることはしっかりやるような
>>305 自分は陣中とはいえ畳の上で死んだことも個性だと思う
正史+別伝に出てる趙雲のセリフが猛将というにはかなり穏やかだと思うんだよ
おくりなの順平侯ってのが本人のイメージを一番伝えてるんじゃないかと思うんだけどね
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 19:04:51 ID:6Pakktpc0
従順平穏な侯
蜀将スレッドで四征と四鎮のどちらが上位かという話しになってる。
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 21:57:22 ID:nU1grOod0
七十以上の高齢で死んだのに特にボケたとかの話を聞かないね。
孫権や曹操(カクが言うには耄碌してたらしい)とは偉い違いだ。
まあ、程武のクソッタレ野郎の策にかかった程度だな。
演義だと、南征までは、初登場時からイメージ変わらず、
バリバリ現役で戦ってるのに、
北伐編になった途端に急に老け込むあたり、
死亡フラグってやつなんだろうか?
関羽も樊城攻めあたりで、いきなりそろそろ歳だし、みたいな話になって
ちょっと驚いた覚えがある。
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 12:35:04 ID:82Q062ZAO
長い事リュウ備に仕えてたにも関わらず関羽や張飛、孔明なんかと違って謎が多い分、色々想像しちゃうっていうのはあるなぁ〜。
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 13:16:35 ID:4i29QEqk0
分からない部分が多いということは、
それだけいじりやすいキャラとも言える。
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 04:44:47 ID:TibLXhk4O
某ゲームでのおかげで爽やかイケメンのイメージが定着したと思ったら、某劇画じゃ女にされて呂布の子供を産む羽目になるし、深夜にやってる某アニメじゃ変態っぽい悪者キャラにされてるし、趙雲もまさか自分が後世でこんなにイジられるとは思わなかっただろうなぁ〜
>>某劇画じゃ女にされて呂布の子供を産む羽目になるし
詳細教えてくれ、許せん話だ。
横槍だが池上の覇ROADかと
しょっぱなから日本人が劉備を殺して入れ替わった、を皮切りに変な方向にぶっとんだ漫画。
>>319 レスありがとう。
>>しょっぱなから「日本人が」劉備を殺して入れ替わった
中国人に読まれたら、クレームが来そうだな・・・俺でもこれはちょっと。
その日本人は悪党?まあ、劉備も実際は善人などでは無いだろうけど。
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 13:28:44 ID:TibLXhk4O
>>320 殺された方のリュウ備が極悪非道な奴って設定で、入れ代わった主人公の日本人は一応善人
俺も実はあんまよく知らないんだけど
趙雲とは関係ないけどあの漫画、関羽も張飛もダメダメ過ぎて笑えるw
ま、しょせん池上だしな・・・
一騎当千だと日本刀使いの仕事人って感じの美少女になってるな。
趙雲の生涯を荒木飛呂彦に漫画化して欲しい。
と言ったら怒りますか?このスレ的に
>>325 いや、中々良いと思う。
ジョジョテイストな三国志は見てみたいな。
ランペイジやら池上のやら鋼鉄三国志やら、ああいうぶっとんだの見ると、趙雲主役の三国志作品が出てもいいような気はするな
>322 覇LORDは面白いよ 絵も凄いし 何故かパチンコにもなってる。
趙雲が主人公なら火鳳燎原があるね。
>>324 鋼鉄三国志のよりは遥かにマシ。
鋼鉄作った奴は許せない
>>328 ちょw、左の青龍円月刀を持ってる女性はまさか・・・関・・・いや、なんでもない
>>328 確かにこれで趙雲ですと言われてもな。
カッコよさも貫禄もまるでないわw
まだ隣の女性の方が貫禄あるね。
>>330 わかるよ。
鋼鉄三国志の趙雲なんて、ビジュアル系の兄ちゃんって感じだし、やってる事単なる悪党だもんな。
いくら呉が主役とはいえ、アレはないわ。
話変わるけど、今更ながら吉川三国志読み始めたんだが、まぁ趙雲の初登場時の爽やかさといったらないな。
闘い振りを誉められてはにかんだり、リュウビとのわかに涙したり。
出会いの場面なんてまるで女が一目惚れしたかのような感じだもんな。
>>333、間違えた。
リュウビとのわかに→リュウビとの別れに
演義趙雲は呉相手に負けなしの無敵将軍だし恨まれても仕方ない一面はある
かといって呉サイドから魅力的に描くとこれまた一騎当千みたいに主役が呉のはずがいつのまにか蜀が主役を乗っ取っていたという罠にはまる
どっちにしろ趙雲は強いことは強いが薄い分描写がえらく極端にブレる素材ということだろか
336 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/22(水) 03:05:32 ID:c/QQ/hDdO
鋼鉄三国志ってキャラ設定も時代考証も無茶苦茶なくせに、「桃園の誓い」とか有名なエピソードだけはちゃっかり使いやがるんだよな・・・
>>323 テメーは俺を怒らせた
たまたま鋼鉄の趙雲見たけどキモいとしか言いようがない
(他の奴にも言える事だが)
悪役な趙雲も珍しいんだが…なんかなあ…
338 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/22(水) 14:36:55 ID:Q0yQ7b3d0
つーか、鋼鉄は呉中心なはずなのにいつのまにか蜀の話ばっかやってるし。
諸葛亮だけ孔明呼ばせてるし。趙雲がパシりな上に雑魚なくせに魯粛殺してるし。
もう無茶苦茶。おまけに出演者は三国志を知らない事をネタにしてるときてる。
蒼天の趙雲は、良いんだけど強すぎるきらいがあるんだよな。
作中で唯一といっていいほど土が付いてない。
孫夫人との関係は蒼天がオフィシャルだと勝手に思ってるけどな。
あの趙雲とヨウさんなら阿斗を取り合ったりはしないだろう。
>>326 仲達がディオみたいになりそう。<ジョジョテイストな三国志
340 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/22(水) 18:55:45 ID:c/QQ/hDdO
つーか鋼鉄の趙雲は孔明とつるんでなんか企んでそうな匂いがするんだよな。
どっちにしろろくなキャラじゃないが。
あのアニメ、三国志っていうだけでつい見てしまうな。
主役達にはなんの魅力もないけど。
ジョジョテイストなら玄徳=ジョナサン、ソウ操=ディオなイメージだな。
袁紹=ジョナサン
曹操=DIO
じゃねーの?
劉備はどっちかというとジョセフだろ。
なんちゅう話題になっとるんか。
人形劇三国志の趙雲が一番イメージにぴったりだろ。
関羽も張飛もそうだが。
344 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/22(水) 20:49:56 ID:c/QQ/hDdO
>>341 それ、ひょっとして蒼天からのイメージ?
・・・あの漫画はあまり好きじゃないんだがな〜。
趙雲はかっこいいけど。
345 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/22(水) 20:59:39 ID:c/QQ/hDdO
>>343 同意。
俺も趙雲のイメージはNHK人形劇が一番しっくりくるわ。
変にイロモノ化された趙雲はイメージにないなぁ。
関係ないが、蒼天の孔明はひどかったな〜。
蒼天は孔明のキャラづけ作者も苦労したんだろうなとは思う
従来の真面目堅物孔明だと曹操と拮抗しうる強敵としてはあまり面白くないだろうし
孔明主体の話なら個性が薄くてもいいのだろうけど
そもそも曹操が主役であれば孔明はほとんど絡まないんだから変にキャラ立てする必要は……
やっぱ趙雲は人形劇か横山だな。
ドラマ三国志の趙雲も好き
鋼鉄三国志でうわあああってなったけど
最近は呂布が天使になって張角と戦う漫画もあるんだなあ
349 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 12:20:01 ID:hfz3od4nO
三国志はある意味キャラの宝庫だからな
ある程度名前が知れてて活躍した武将や軍師なら、無理矢理主役にしようと思えばできない事はないかもしれない
無双みたいなゲームも出てるし、呉が主役のアニメができるのも無理ないわ
呂布みたいにキャラの立ってる奴なんか主役には持ってこいかもな
仲達主役の漫画もあるくらいだし
完全なフィクションになるだろうけど
吉川三国志の呂布はなんだか憎めないキャラで印象強かったな
火鳳燎原はもう一人の主役の趙雲が劉備たちと初めて出会う所が良かったな。
燃え盛る城の方向を指差して、名乗り代わりにする趙雲を見て
「趙火って名前って事か?」 「俺にはもっと上の方を指差しているように見えるな」
「ならば趙天?」 「或いは 趙雲と呼ぶべきか」と劉備が応える。
志水アキの短編で、老将の気概を示す黄忠に憧れを抱き戦い続ける趙雲も良かった。
>>やっぱ趙雲は人形劇か横山だな。
横山の趙雲は知ってるけど、人形劇の方は分からない・・・
人形劇の趙雲はどんな感じの人だった?
本屋に川本の人形の写真集がならんでたな
三國志も主要キャラクターはほとんど紹介があった
コーエーのイケメン趙雲はどうも川本の趙雲が原型っぽい気がする
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 00:52:02 ID:v3y8XvpbO
確か人形劇の方は、絵に書いたような爽やかな感じだったと思うけど。
あんまりでしゃばりもせず、やる事はやるみたいな。
まぁ関羽や張飛や孔明の影に隠れてたともいえるけど。
横山三国志はよく知らないんだが、小説の吉川三国志に近い感じだと思う。
354 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 07:54:19 ID:CIxieB/A0
「三国演義」はなければ、皆こんな人を知らないはずだ
355 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 07:55:30 ID:CIxieB/A0
ただの<三国志>はつまらなくてあるから
356 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 14:20:58 ID:JmwghI1xO
趙雲子龍って名前からしてなんかかっこいいよなぁ
一騎当千ならともかく、この板の住人に趙雲子龍とはいってもらいたくないなあ
358 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 03:24:52 ID:2H83sFAYO
細かい人だな〜
>>357 まあ、それふまえた上で俺は趙雲子龍って呼んでる。
だってそっちの方がカッコイイじゃん。
ださいよ。一騎当千や鋼鉄三国志のオタとしか思えない。
超「うんこ」流じゃん
つまんねーよカス
確かにつまらなかったこと自覚しお詫びするが、
カスとまで言われるほどだったが。
>>361 ば、馬鹿野郎!もう 趙 雲子(うんこ)龍 としか読めなくなったじゃねーかw
カスはカスを呼ぶ
夏厨って奴か・・・
とっとと消えてくれねーかな
某ネトゲプレイヤーだけど趙雲子龍って厨がいていつも超ウンコ流って呼ばれてたからもうなれてるぜ
368 :
361:2007/08/26(日) 23:22:02 ID:YMFub8ymO
369 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 09:51:13 ID:3FSpt1y00
趙雲が四方将軍や大将軍にまで出世するにはどうしていたら良かったのかな?
最後は四鎮将軍まで上っているけど
370 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 11:59:30 ID:qSgRlqMAO
鋼鉄の趙雲最悪だな
関羽は化け物にされるし、リュウ備はキモいキャラにされるし、馬鹿にしてるのかと言いたくなる
作者が自分の性格を反映してるとか?
>>370 演義での周瑜、魯粛、呂蒙らの描かれ方を考えればお互い様と言えない事もない。
演技のそいつらは情けないだけでキモかったり化け物だったりはしないぞ
ガリクソンなんかかっちょいいし
374 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/28(火) 00:54:41 ID:wJhEFYjlO
まぁ鋼鉄三国志は三国志の名前を借りただけの糞アニメだから
鋼鉄三国志
恋姫無双
一騎当千
マシな順に並べ替えてくれ
呂蒙はよく人質作戦で関羽を殺した卑劣漢にされることが多く不遇な扱いを受けやすい人ではある
彼に比べれば魯粛周喩などはるかに恵まれてる
吉川・横山三国志では呉だって原典よりはマシな描写になってる
379 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/28(火) 10:40:08 ID:bfDYn5j20
>377 それ人形劇じゃねえの?
演義でも朱然を突き殺したりしてるが、実際の夷陵でも
趙雲と朱然の(お互いの軍勢の)対決とかはあったのかね。
>374 でもアレと一騎当千のおかげで、三国志に興味持ったって子とかいるんだよね実際に・・・
趙雲が魯粛を殺すとかはマジ有り得ないと思うんだが。魯粛だって撃剣使いだろ?
380 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/28(火) 10:50:02 ID:8T3PfqpW0
鋼鉄を糞だと思うなら視聴しないでくれ。
あんな作品の視聴率に貢献する事はないだろうに・・・
382 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/29(水) 09:30:47 ID:clXI8NcqO
あれ見て「三国志ってこんな話なんだ」とか思われたら、確かにいやだな・・・
>>360 ダサイかどうかは置いといて、「名は趙雲、字は子龍」と書くよりは趙雲子龍
の方が少ない字数で名も字も言い表してるから場合によっては有効なのかもしれない。
というか案外データベース系のサイトだとその表記を割と見かけるような気がする。
>>383 「名は趙雲」じゃねーよ。根本的にお前はわかってないな。
>>384 一歩先に行くと、もう名前や字は書いたりしないんだよな。
通というわけでなく、実は普通は、趙〜(官職名)とか、親しかったら趙哥哥とかとするな。
>385
川本喜八郎 人形美術館 でぐぐれば、一方向写真だけど載ってる。
>>389 つか、384がいいたいのは「名は趙雲って言ってるけど本当は姓が趙、名が雲、字が字は子龍」ということだと思うんだが
>>389 ついでに言わせて貰えば、一歩先とか通とか普通とか実はとかじゃなくて、
敬称で呼ぶ場合イミナはNGであるだけだ。
さらに敬う場合は軽々しく名を呼ぶことすら失礼なだけだ。
営業先で趙雲に会った時は気をつけろよ。失礼のないようにな。
392 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 01:46:42 ID:jKiEH2h4O
うるせえよキチガイ
まぁまぁ落ち着いて
394 :
389:2007/08/30(木) 07:18:52 ID:ZIF6b4Ot0
>>390 なんか誤解があるみたいだ。
それを踏まえたうえで、通常、官にあるものは官職名で呼んだり、仲がいい場合は
哥哥や賢弟などと呼んだりする、と言いたかったわけだが…
>>391 はぁ、ご高説痛みいります。
魏呉蜀書は完全に読みきれてないし(そんな簡単に漢文読めたら、五代史もとっくに終ってる)
三国志演義も井波の訳本だから、どっか勘違いしているのかもしれん。
なんだこの流れ。と思ったけど、
> 営業先で趙雲に会った時は気をつけろよ。失礼のないようにな。
にワロタw
396 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/31(金) 12:13:44 ID:DEf5wgqQO
なにがそんなに面白いんだ?
>>394 >仲がいい場合は哥哥や賢弟などと呼んだりする
そんなことしてるのヤクザものしかいないよ
そういや演義で趙雲が諸葛亮のパシりなのは何でだろう?
赤壁の頃は諸葛亮もまだぺーぺーだよな
399 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/31(金) 16:54:13 ID:RaKBDV1q0
>>398 そうだよなwwww
さて、ちょっと思いついてみたんだが。
演義の完成は元末期なわけだけど、その頃の中国は唐宋変革を経て、それまでの中国社会の
ありようとは随分違った社会となった。
その過渡期の社会現象に仮子制度と節度使の辟召の制度があったから、
中央政界とは違う私的軍閥の場合、規則にのっとった人事は省略される場合が多い。
そこで、諸葛亮は私的軍閥団の棟梁たる劉備が、わざわざ3度も出迎えているので
官や役職とは別に、諸葛亮と劉備との間に、私的な結びつきが発生した。
なおかつ、劉備が諸葛亮に教えを請う、師とする、あるいは右腕とする(左腕に例えていた気もするが)
となり、そうなると、公私混同の多い私的集団にあっては、ぺーぺーではない立場となってしまう。
関羽や張飛といった、古参にしてもっとも私的関係の強い二人には、諸葛亮の存在と扱われ方に
多大な不満を宿したかもしれないが、演義上、公私混同しない趙雲は命令には忠実だった。
諸葛亮が命令できるのは、ひとえに劉備の信任あってのもの…
なんてな。
400 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/31(金) 16:57:38 ID:RaKBDV1q0
>>397 そうか。 侠=やくざもの と思えば、武侠モノもその類となるわな。
失礼しましたよ、と。
文官>武官だから。
ex.)張飛と劉巴。
403 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 02:01:24 ID:RFZoU6GmO
でも、確かにいろんな三国志関連の小説とか読むと、趙雲って孔明のお気に入りっぽいイメージあるような
まぁ関羽や張飛よりは言う事聞くだろうし、きちんと仕事こなすから使いやすいんだろうな
単に、関羽や張飛に次いで長く仕えている武官が他にいなかったって事も大きいんだろうな。
徐州、荊州で仕えた人物には該当者いないし
趙雲が孔明のお気に入りに見えるのは、趙雲が中央軍(ちょっと的確な言葉ではないかもしれんが)を率いていたからだと思うよ。
劉備の征蜀時、孔明は公安の政庁をあずかり、趙雲は留営司馬。
つまり政庁の長官と警備隊長?Wのコンビなわけでその縁が強いんじゃないかな?
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 13:34:31 ID:xYaELe910
「哥哥」といういいかたあの当時してたんだろうか?
明以降の表現のような気がするけど
407 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 19:57:35 ID:r4KyBZFK0
趙雲は出自が大した家柄でなく、関羽・張飛・馬超みたく中原の名士に武勇の評判が
高かくなかったので損をした面があるのでは?
馬超なんて完全に名声のみで得た地位だし、関羽は荊州を失陥した失策を考えるとマイナス評価。
張飛は正確には問題あるけど功績だけなら1位だろう。本当に軍功で出世したのは黄忠、魏延、趙雲
王平じゃないかな。趙雲が諡号が追贈されたのは軍功が際立っていたからだろう。謀反にされた魏延
は別にして、季漢輔臣賛で趙雲と並べられた陳到は諡号はないし、活躍した王平もない。素晴らしい
軍功があったのは確かだと思うよ。それと大将軍になった姜維も生前の趙雲におそらく会っているの
だと思う。趙雲の軍功・人格に感銘したからこそ順平候という諡号を提案したと思われる。
408 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 20:07:13 ID:r4KyBZFK0
それと、趙雲の年齢は正史には全く記述がない。
70歳過ぎで活躍したとかは演義の作り話。黄忠が老将というのも定かではない。
正史で関羽が黄忠を老兵と言ったから。年齢が関羽より上かもわからない。没年が
229年だから第一次北伐の二年後まで生きていたことになる。
409 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 06:37:16 ID:ft9mz8QPO
今更ながら吉川三国志読んでるんだけど、これだけ読んでると趙雲ってえらく凄む武将に思えるな〜
負け戦っていうのがほとんどないし、孔明が来てからはやたらと重用されてるし、性格は武人の鏡って感じだし、非の打ち所がない
関羽は義を重んじる武人って言われてるけど
この言葉は趙雲にこそ相応しいよ
関羽なんてプライドの塊じゃん
関羽って義の人である前に情の人だし
他武将を落とすのイクナイ!
順平候じゃなく、順平侯だな。
蒼天の趙雲と張コウの一騎打ちカコイイ
元々は袁紹陣営にいた同士、二人に面識はあったんだろうか。
張コウは武功は多いが、最期がちょっと可哀想だ。諸葛亮がやったんだけど
アレは仲達のが悪いと思う
418 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 02:17:20 ID:rDJdWhFMO
趙雲って自分から名乗る時も、人から紹介される時もよく「常山の」と付けられてるイメージがあるな。
例えおかしいけど
『浪花の』モーツァルト
みたいな感じだろうか
そういや三国志の人は出身地を先に名乗ることが多いね
故郷のアピールって大事だったのかな
張飛とかは具体的な出身地はいわず燕人と名乗っていたけど
421 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 14:38:16 ID:pPvWH4Sr0
常山なんだから趙人といってもいいのだろうけど、それだと姓とかぶるしな。
422 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 15:07:47 ID:y5LaC7/g0
「俺は趙人・趙子龍!
この野郎! 何故俺の名前を知らん!!」
「この野郎! 何故お前ほどの男が無名なんだ!!」
何かの本で、前漢を簒奪したオウモウの「二字の禁」のせいで同じ名前が多くなり、
その区別をつけるために「〜の***」という言い方をするようになった、と見たことがある
>>423 室町時代までの日本の武士も本姓は源や平がほとんどで、普段名乗ってるのは
所有してた土地の地名だもんな。
>>423 二字の禁じゃなくて、二名の禁だよ。
なんで簒奪者王莽の復古政策を後漢から魏にかけて
律儀に守ってたんかしらんけど・・・
>>426 簒奪者の政策というより、当時の風潮を簒奪者が取り入れたんだよ
だから別にみんな抵抗がなかった
>>424 しかし現代日本の親はこの世にひとつしかない個性的な名前をつけようと
キテレツな名前つけるのが多いのも問題あるけどな・・・
珍名つけると将来なんかで名前が表にでたら一発で個人特定されるのに・・・・
名前といえば、みんな子龍はしりゅう派?しりょう派?
リョウは漢音で、リュウは呉音
仏教語など特別な場合をのぞいては
漢音で発音するのが通例だから、
シリョウと読むのがより正統性の高い読み方だろうな
画竜点睛をガリュウテンセイなんて読まれると非常に違和感を覚える
孔明のこともガリョウといってほしい
まぁ、日本語の読みなんだからどっちでもいいけどな
中国の人もすきに呼んでほしいアルてゆってるしね。
三国志で呼び方がいちばん分かれるのは、
曹植をソウショクと呼ぶか、ソウチと呼ぶかだな。
ソウチというほうがなんとなく玄人っぽい
>>430 何となくシリョウだと格式高くてシリュウだと親しみやすい感じがするかなと思ってたけどそういうことだったのか
ちなみに自分はシリュウ派
関係ないけどソンケンは多いから、孫乾はソンカンと呼んでる
>>434 あれ?僕のお兄ちゃんが書き込んでる・・・
436 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 01:22:06 ID:U9s94x2WO
シリュウといわれたら聖闘士星矢が思い浮かんでしまう
zi long ズーロンでいいよ。
天地を喰らうでは「シリョウ」とルビ振ってたな
シリョウだと死霊にしか思えない
ソウチと呼ぶくらいならシャオチーでいいんじゃないかw
441 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 17:02:58 ID:BIdnJNO50
そういえば、実際には近衛隊長みたいなモンだったって事は、
個人としての武力は持ち合わせてたって事?
442 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 17:06:07 ID:0t4NgajLO
がんばれ!趙雲ちゃん!
ラヴリーメンマ好きの秘密
十兵衛ちゃんですか。
趙雲ちゃんの声は小西か堀江かそれが問題だ
十兵衛じゃないが、火鳳燎原の趙雲って眼帯付けてんだよな。隻眼ではないが
447 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/09(日) 10:07:47 ID:lZQDzErc0
448 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 17:49:31 ID:WWjhABCc0
江州の督って具体的には何をやってたんだろ?
>>448 江州県の軍の指揮権を任されたって事かと。
規模で言えば、多分数千人。
450 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 13:46:21 ID:EVrfDCu90
匈奴みたいな異民族とは関った事あるのかな?
公孫サンの下にいた時か?
公孫さんのところには一瞬しかいないだろう
成都郊外に趙雲が羌族を監視してたっていわれてる砦だったらあるよ
452 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 10:33:33 ID:vw63h2kv0
羌族って成都近郊にも出現してたのか?
453 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 22:44:40 ID:lzQp1JYI0
活動範囲広いから、たまには出没していたんじゃない。
プロレスラーに趙雲子龍ってのがいるんだが…。
○趙雲子龍 VS 河童小僧 ●
ってのをどこかでみてマジ吹いた。
またウンコやろうか
趙雲子龍 VS 柴田勝頼
>>375 一騎当千は三国時代そのものじゃないからおけ。
つか三国時代の○○はここで死んじゃう歴史だった火ら俺も死んじゃうのかーいやだー
みたいに色々絡めて頑張ってる
孫策ばっちり生きてるしな、おまけに楽蹴などというマイナーな人まで頑張ってる
459 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/15(月) 12:11:05 ID:tQV0t9Hg0
更迭は論外だろ。趙雲が魯粛を殺害するなんて冒涜は見た事も聞いた事も
頭をよぎった事もねえよ。 魯粛が撃剣で趙雲と戦った末に、とかそんな見所のある展開じゃないし。
恋姫はそのうちアニメ化するんだろうな。エロパソゲーだと三国志は難しそうだから
その方が良い気がする
論外とかいいつつ、しっかり内容チェックしている459
悪食だな
いやいや、文句たれながらも好き嫌いしない良い子なんですよ、
>>459は
ツンデレなんだよ
463 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 22:29:47 ID:LnfYZlKi0
アレ?趙雲スレなのに劉禅の名前あまり出てこないな・・・
464 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 19:24:11 ID:SBg7piTg0
趙雲が阿斗を孫夫人から取り戻したってのは嘘だろ?
趙雲伝にある話だろ。ただし張飛と共同で
趙雲の実家ってどうなったの?
467 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/19(金) 14:22:53 ID:cKBF4g8I0
>465 蒼天イメージがどちらも強すぎて、孫夫人と趙雲や張飛らの不和が想像できん。
他の趙雲ファンは孫夫人ににらみを利かせていた事を美談だと思うのだろうか。
趙雲伝ではなく漢晋春秋にある記述だね
確かに信憑性は薄いと言われてるな
正史の孫夫人の立場や劉禅との関係を考えると連れ去ろうとするのは不自然らしい
不自然な真実なんて世の中にいくらもころがっているからな
合理主義で史料を批判すると歴史はずたぼろになる
別に史料批判自体は悪い事でもなかろう
書いてある事をそのまま全部信じたとしてもどっちみち矛盾でずたぼろ
尽く書を信ずれば則ち書なきに如かず、と孟子もいっとるからな
ただ、歴史学ってのは文献と考古学的発見によって構築されているから、
史料を批判するとしても他の文献や考古学的発見をもってせねばならない
実事求是ってやつだな
劉備が精鋭騎兵傭兵隊だったという説があったと思ったが、
白馬義従が有名な公孫瓚の下で共に戦った趙雲と彼の連れてきた軍勢や
精強で知られた白波賊の楊奉を殺害して軍勢を吸収した(と思われる)
事などはそれを証唆するものとなるかな?
>>472 劉備が烏丸雑胡騎を率いていたこと、騎将文醜と一緒に兵を率いていること、長坂の戦いでは虎豹騎から逃げおおせていることとかもね。
474 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/06(火) 08:13:46 ID:tKoLvzII0
>>191-202 今更だけど、「厚」は温厚とか篤実って意味も含むから
「重厚」とは重ねてそういう人柄である事を表しているんじゃないかね。
475 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/06(火) 08:29:37 ID:NQDKQVhk0
老いぼれ劉備では孫夫人の貪欲な性欲を処理しきれず、
連れ子の劉禅と密通してたとか
正史の劉備ってそんなに性欲強い印象無い…
>>475 劉禅は223年17歳で即位。
劉備の蜀入りは212〜214年。
あとは……わかるな?
479 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/06(火) 10:40:40 ID:PVVEqEM90
なんかのエロパロのネタだろ。
趙雲は特に優遇されてる訳でもないのに奥向きの仕事を任せられたり、
まるで高力士のような甲斐甲斐しい印象を覚える。
もしかしたら関張ともども素で劉備と出来てたんじゃあないのか?
戦国時代なんかがアッーなのは周知のとおりだけど三国時代はどうだったんだろ
まあ戦争が起きるところは処理上どこでも少なからずあるだろうけど高貴な人の場合もあったかな
いわゆるお稚児さん、美少年を寵愛する例はかなり古くからある
たとえば、衛の霊公の弥子瑕とか、
前漢哀帝の董賢とか・・・
ただ、同年代で身分もあまり違わない者同士のホモ関係ってのは聞いたことないね
484 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/09(金) 08:03:54 ID:helRuMIV0
曹操や孫権に比べて劉備の子供の少なさはどうよ?
義務的に作ってるだけで女色に興味が無いっぽい感じなんだけど。
漢の武帝や苻堅が野郎同士で交わった話があるな
486 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/09(金) 12:09:11 ID:7XbnRXUWO
漢は高祖、恵帝、景帝、武帝、宣帝、成帝、哀帝にそういう話が残ってるよ
>>484 来訪した客人のために女房を殺して肉スープにしちゃったからだろう
>484 単に、各地を転々としている間に夭折したか捕らわれただけだ。
>>489 新野時代に劉禅より上の子が生まれていても不思議ではないと思うけどね。
曹操の荊州侵攻の際に生き残ったのは正室でない甘夫人とその子の阿斗だけだったのかなあ?
秀吉だって子供ひとりしかできなかったし、単に精子の数が少なかっただけじゃね
492 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/10(土) 00:52:31 ID:V2d1Ay770
子龍〜、子龍〜、天下無双!
劉備自身も子種がないか出来ないって思い込んで劉封を養子にしたんじゃないかの?
結局、種のほうには問題なかったポイが。
494 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/10(土) 05:26:44 ID:rXgxCibW0
そもそもむすめなら何人かいたようだし。
曹操が張魯降伏時に馬超の息子を斬らせてることから、
やっぱ殺されたのかな?
馬秋の事なら、曹操は張魯の元に送り届けていて、
その後で張魯が処刑した。 まあ、曹操の無言の圧力があったと考える事も出来るが
しっかし馬超のこのあたりの話はつくづく血なまぐさいな。
趙雲も遅く出来た子ばかりでないなら或いは殺されたのが多かったのかもな。
劉備の元に馳せ参じた200年ごろにはすでに家族と縁を切っていたか、
天涯孤独になっていたのかな?
>>495 劉備が袁紹の下にいた頃、袁紹の勢力下にある常山から手勢連れて再仕官してるんだから、
家族と縁を切ったりしてたって事は無いんじゃないかな。
その後に汝南に飛ばされ、更に荊州に逃げるなんて事まで予想してなかったろうし。
497 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/12(月) 01:38:16 ID:stT40BVvO
官渡前後はそれとして、赤壁では何を、というかどこで軍務に就いていたんだろう
498 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/13(火) 13:39:36 ID:edJmqGoK0
周喩・孫権と手を組んで悪党曹操をぶっとばすのじゃ。
502 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/22(木) 16:56:44 ID:MnhbWCBr0
顔だけでなく、声までも美化されるのか趙雲はw
まあ張りがある声だったのだろうなとは思う。馬の上から響き渡らないといけないだろうから
そういや今週の週刊朝日の繪本三国志夜話は趙雲の軍勢の見開きイラストと、
涿州にある趙雲廟の写真だった。
まあ、関羽や張飛がイケメン風でもイメージ的に何か違和感があるので
野郎ばかりの世界でとかく不足しがちな強くて美男というポジの人が欲しいてのはあるだろうな
イケメンは美周郎だけで充分ですよ
>>500 おいらは周喩・孔明のキャスティングのほうが違和感あるよw
506 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/22(木) 22:15:40 ID:Zlbb8mJM0
>>503 ヒゲありのイケメンはむずかしいよな
横光の周ユはなんかホモっぽかったw
507 :
蒋幹:2007/11/23(金) 10:22:33 ID:leIQL2LjO
アッー!
508 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 14:14:58 ID:FQiTeyPf0
>>509 あちらには、セクシーマッチョが少ないのかな?
個人的には、呂布と馬超はどっちもセクシー系
511 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 13:54:58 ID:Xwce8iwc0
512 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/26(月) 13:43:40 ID:kOfbtoOh0
>511 見えん
513 :
510:2007/11/26(月) 18:21:29 ID:syopwpiF0
えっ? あ"−スマソ
趙雲廟にあるBS「三国演義」の張山趙雲の垂幕なんだが・・
しかしあの趙子龍、英雄豪傑というより全然、身近なアンちゃんッぽかったな〜
「美人計」 孫夫人にデレデレの劉備にすげなくされボ〜ッと歩いていたら
露店のオヤジにみらげものをつかまされて、代金を払おうと袖に手を入れた時
ハタと、江東を発つ時、孔明が袖に手を入れたのを思い出して、「錦の袋!」とか。
ハン氏との縁談を断った時など、孔明に
「なんで断ったりしたんでしょう〜」
ってゲラゲラ笑われてたし。 ものすごく人間的w
赤壁辺りまでは劉備も寡兵で、軍を分けるような規模じゃない(分けるとしたら関羽)
から、張飛らと共に直属の部将だったんだろうね。
南荊平定・入蜀辺りで黄忠と同格っぽい扱いで書かれる。
その後夏侯淵を討った黄忠、劉備に余程将才を見込まれた魏延に抜かれるけれど、
そもそもそんなに古参の将じゃないことを考えれば十分な出世。
関張黄魏趙で真の五将に推しておきたい。
馬超は群臣筆頭に扱われる位だから政治的には別格
516 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/02(日) 23:07:51 ID:v9/5ISAQO
節こそ与えられてはいないが太守や州督、人材推挙などもやってるしね
個人的には王平あたりの評価をもっと高くしても良いと思うけど
517 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/04(火) 22:26:47 ID:QwE1lvvQ0
よく劉備より年上の設定にされたりするが、実際は長坂の時で30代後半くらいだったのかな?
曹操が漢中だかで戦ったとき長坂の英雄は健在だったかって言うぐらいだからその時点で結構なおっさんだったんじゃないか?
演義設定だと長坂の時点で50歳前後だね
正史では趙雲が義兵をひきいて公孫サンについたのを21歳くらいとしても
38歳くらいか…、まあこっちは根拠無いけど
>>514 リアルで39歳だからちょうどいい趙雲。
公孫?の元に付いたのが191年(界橋の戦い)以前
劉備のいる?に馳せ参じるのが200年以前
長阪披 208年
漢水 219年以前
この時、張翼を下に付けられているので彼よりは年上かなと思われます。
>>517 若くても40代後半じゃないかな
郡に推挙されて代表として郡兵を率いて公孫サンに参じているわけだから、
若造のはずはない。191年で30歳としても208年で47歳になる
長生きして老いても戦った将軍なら他にも多くいるからな。
趙雲が最晩年においても馬上で殿の陣を率いていたなら驚異的なんだけど
生涯現役を地でいくからな。
俺がこの武将に惹かれるのはその辺だな
>>522 太史慈の例もあるから、若造のはずがないと断言もできないと思う。
許チョも若くして代表みたいな立場になってなかったか?
526 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/07(金) 00:26:26 ID:FQOY4EvD0
70歳前後で別働隊を率いるのは無理じゃないかな?
やはり、60歳前後で死んだのが妥当だと思う、ホントに推測だが・・・。
527 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/07(金) 01:08:11 ID:hO4Zwe+LO
>>522 確かに若すぎると軽く見られるが、若くても「コレは一角の人物」って思われる、
大物感たっぷりの逸材なら、20代はありえる。
ただ、それがないから演義では、相応しい年齢設定したんだろうが、あえて無視してみる。
528 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/07(金) 19:01:05 ID:7dZOzYl30
でも後期の蜀将なんてジジイばっかだぞ
太史慈も孫策に重用されたのは30歳前後じゃないか?
許チョの年齢はよく解らないが、許チョはおそらく県の(或いはその一部の
砦の)指揮官、趙雲は郡の代表というのが差だな。
20代で引き立てられる、なら、伝を立てられる人物の半分くらいが該当しちゃうじゃないかw
初めての記述から趙雲が結構すごいことは、袁紹と公孫サンの争いの狭間で
公孫サンを選ぶ、郡規模の代表になってること。郡内では余程名声(と武勇)が高かったんだろう
532 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/09(日) 19:04:05 ID:GofEEMl9O
漢水で曹操の軍を伏兵の大弓にて撃退したとの事だが、
強弓兵の扱いはどこでおぼえたのだろうな?
界橋の戦いで白馬義従が麹義らにしてやられた事が念頭にあったなら面白いんだが
533 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/11(火) 23:23:32 ID:+yyGFyLS0
本場の中国でも関羽、孔明の次くらいに人気あるのかな?
534 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/12(水) 19:00:03 ID:kDwdT3ea0
本国では諸葛亮・関羽・張飛なんか人気あるが
趙雲も彼らに次ぐぐらい人気ある。
作家の金庸も好きなんだそうだ。 京劇の中でも一番の美形で、
戦闘においては勇敢で信頼のおける完璧な性格だからだって。
さて年齢についての話だが
228年、趙雲はケ芝を下に付けられて囮となった。
箕谷では自ら殿をつとめよく守ったとの事だが
ケ芝は張裕の予言が正しいとすると、243年に車騎将軍となっていて
この時点で70歳を超えているなら173年より以前の生まれとなる。
228年では56歳で、趙雲はこれより年上である可能性は高いと思われる。
537 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 19:14:54 ID:WmWkPWN20
劉備が皇帝になった時に昇進しなかったのは、関羽の弔い合戦を諌めたことも原因の1つかな?
蜀の武官って、名門の生まれじゃないといくら軍才があっても武功を立てても
四征&四鎮大将軍どまりって気がする。
いや姜維がいきなり反証になってるんですが
張翼トウ芝辺りは有名どころっぽいけど、
蒋エンとかが名家の出だったかどうかってよくわからんのではないの?
540 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 10:28:38 ID:2JsptojE0
外弟の劉敏がまあまあ名門みたいだから
蒋エンもそうなんでないの
>>537 諸葛亮と一緒で劉備直轄の人材という扱いのためという気がする。
>>541 諸葛亮の死の直前まで丞相府の司馬とか長史が実権を握ってたようなもんか。
543 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/20(木) 10:34:00 ID:k47E40zj0
劉備にべったりだったからここまで評価されてるのかな。
実より名が上がっているとは思わないけど
たしかに白馬の騎士のポジションだからってのも手伝って人気も高いんだろう
実際趙雲といえばなぜか白と銀の鎧姿で描かれる事が多い
白馬で統一してた白馬将軍の下にいたことも関係あるのかもしれんけど
関羽とか張飛との色彩的な問題も有るんじゃね?
547 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/20(木) 23:59:37 ID:YSR4kZp4O
劉備は、漢王朝の後裔を自称しているわけだから青?
関羽は赤で、張飛は黒あたりか
長阪披でも目立つ装いしてたんじゃなかろうな?
趙雲のように地位は低いのにおくりな貰ったり別伝作られた武将とかってどの位いるの?
>>550 別に地位は低くない。
ただし、諡号を受けた組の中では劉備が帝位に就くはるか以前に死んだ龐統を除けばおそらく一番低いし、
趙雲より地位は高くても諡号貰えなかった人もいるのは事実だけどね。
ちなみに諡号を受けたのは
劉備時代=
法正:尚書令
劉禅時代=
諸葛亮:丞相、蔣琬:大司馬、費禕大将軍・録尚書事
陳祗:侍中守尚書令、夏侯覇:車騎将軍
関羽:前将軍・董督荊州事、張飛:車騎将軍・司隷校尉、黄忠:後将軍、馬超:驃騎将軍・涼州牧、龐統:軍師中郎将
趙雲:中護軍・征南将軍
いつ受けたかについては明記されてるのは関張馬黄龐が景耀3年(260)の秋九月で趙雲が翌年の春三月。
他は亡くなって間もなくではないかな?
554 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 19:35:32 ID:DxKbOdDhO
>553 高位の武官が目立つ中でホウ統や陳祗が異彩を放つな。
尚書令は実権かなり強いが
やはり劉禅に信愛されていた事も大きいか。 趙雲もそうだし
陳祇は肥三国志に名が出てないのがマイナーだが
実際にはヒイの後任で黄皓の台頭を招くことになった蜀の歴史の中で重要な奴
>549-551 まあ囮になるにはピッタリだねw
557 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/24(月) 17:24:44 ID:qxuJlHTn0
この人は出世欲がなかったのかな?
人並みにあったんじゃない?
あってもなくても趙雲子竜
出世欲は有っても物欲は薄そう。
劉備の元に馳せ参じた時に集めた人員たちをどうやって説得したんだろう?
同郷の部曲とかだろうか
561 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 02:26:47 ID:SR+fbpJ90
横山趙雲は、気は優しくて力持ち。
趙雲って、親衛隊の隊長って感じなのかな?
563 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 17:17:13 ID:YlWORLKEO
>561
ジャイアントロボやポセイドンみたいな感じか
>562
それは劉備の主騎になったという記述からか。
565 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 10:48:28 ID:xJ2U6IFJ0
がんばれ、がんばれ超雲
がんばれ、がんばれ超雲
字は子龍
>>562 入蜀の時点でちゃんと部隊を率いてるが、
孫夫人と劉備の揉め事はおそらく荊州時代だろうから
劉備が荊州を離れるまでは劉備中軍の直属の人間だったんだろう。
この辺までの劉備は完全に軍政一致で、公私の別もあいまいだったろうし。
567 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 22:39:53 ID:PtpfvIQ0O
益州攻めの時の趙雲は多分諸葛亮の配下だよな
劉備の名代諸葛亮の指示に従う、という感じなのかもシレン
>>562 実際はそんな感じかも
李典と同じようなタイプの気がする
趙雲はV2ガンダム
李典とはまた違うような…、性格は似てそうだけど
武将っつーか武人て感じ。
将としては微妙だけど一人の武人としては無敵みたいな
572 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/06(日) 00:34:20 ID:bDJJmWAcO
替えの利く人材では無いな
573 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/07(月) 01:04:49 ID:xOYpeejt0
魏延がああいう最期でなかったら、
関張馬黄魏みたいな伝になってた
かもしれないし、趙雲はキョチョ、
典イ、周泰みたいな伝の
扱いになってたかも
蜀は人材が少ない気がする。
その意味でも夷陵の敗北は痛かったな…。
黄権などは北伐において
諸葛亮の軍師になってもおかしくなかったのでは、と思う。
魏延に較べれば諸葛亮個人への忠誠は強かったと思うから対立も考えがたいし。
まあ一個人がいたからといって歴史がそう大幅にかわるかといわれたら、そうではないんだろうが
黄権は蜀に必要な人材だったろう。
>>573 周泰は呉志では程普や甘寧や丁奉らと並んで伝が立っているけどな。
車騎将軍の廖化ですら個別の伝が無いぐらいだから、まああまり気にする事も無い。
国力=人口=人材と解釈して問題ない時代だし
常に至弱に味方し続けた趙雲を賛うべきだろうな
576 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/07(月) 20:15:46 ID:xOYpeejt0
呉は程黄韓蒋周陳董甘徐潘丁伝となってて
魏の張楽于張徐伝や蜀の関張馬黄趙伝
に比べ数が多いな。
蜀書第六の定数は五と決まってるわけじゃないんだぜ。
当時の武官のすごい順に並んでるわけでもない。
5人の特徴は、主に劉備存命中に活躍した武人で、諡号を貰ったということだ。
関張は旗揚げから付き従った大功、
馬超は群臣から抜きん出た格、
黄忠は漢中攻略の戦功、
趙雲は劉禅を二度救った功績から
諡号を与えられたと思われる。
魏延は年齢と実績を無視すれば関羽に次ぐ
くらいの将器を劉備に見込まれていたと思うが、
主な活躍の時期は劉禅の時代だし、関羽らの諡号さえ蜀漢末期にばたばたと
贈られたものなので、魏延にまで手が回ったか解らない。
もし蜀がもっと長く続いていれば第二世代の武官として
第十一辺りに列伝が立てられたんじゃないかな。
579 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/07(月) 22:35:47 ID:xOYpeejt0
程黄韓蒋周陳董甘凌徐潘丁伝だった
すまん
>>577 なんだかんだ言っても魏延は「謀反人」扱いなんじゃないか?
魏の史書では、叛逆者だとはされていないってのが何とも
584 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/08(火) 23:24:42 ID:Bs8iXitF0
天地を喰らうの趙雲は一番イケメンで格好良い!
横山三国志の趙雲は一番渋くて男らしい!
一騎当千の趙雲は一番エロくて抜ける!
585 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/09(水) 03:14:02 ID:E6Yw7GGzO
586 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/09(水) 23:54:55 ID:GhuPR6U50
天地を喰らうでは剣、一騎当千では日本刀が武器。
天地を喰らうでも結構男前だったな
588 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/10(木) 20:17:42 ID:O+KOFaE+0
589 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/11(金) 00:47:37 ID:JRh76UO10
ここでもイケメンだな。少しは横山三国志のドカベンタイプの趙雲を見習ってほしい。
蒼天航路の趙雲を好きな所は、ちゃんと史伝の記述を踏まえて濃い容姿でありながら
求婚されても固辞しそうなほどに美形な事だな。
皆は火鳳燎原の趙雲はどう感じる?
ピアスしまくりシルバーアクセな指輪を眼帯にするようなやんちゃ小僧だが
火鳳燎原がなんなのかすら分からない…
>>590 はっちゃけ過ぎてるなぁという感じであんまり個人的に好かない。
無駄な装飾はいらんから実用性を追求する。みたいな像が俺の中であるからかな。
あとあんなに軽口叩くキャラじゃないやい!みたいな。
無双よかは好きだけど。
柳生十兵衛みたいなのが、趙雲…?
595 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/12(土) 00:17:13 ID:0p3J3X6/0
ドカベンみたいのが趙雲です。
596 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/12(土) 00:40:42 ID:Jp9gOCSXO
実際は分からんが、年齢が年齢だからねぇ
>>595 信じるところだったぞw
演義、享年通りなら劉備より年上だけど、
界橋で初登場のとき若武者って明記されちゃってるんだよね。
これどっちかが記述ミスなんじゃないかなあ
598 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/12(土) 05:38:57 ID:Jp9gOCSXO
でもさ、横山三国志の超雲は木訥で、職務に忠実な感じじゃね?
純粋に、誠実に物事に対処し、間違ったことには、ちゃんとダメって言ってくれそうじゃん。
そんなところが、大人の男って感じなんだよね。
紅顔の美少年だと、チャラくね?
関張より年上ながらも、その下に甘んじ、陰日向に支えてきた縁の下の力持ちってイメージ。
頑固一徹、曲がったことが嫌いな職人気質。職務に忠実なプロフェッショナル。
そんな感じがするから好きなんだが。
みんな違うのか!?
…orz
横山三国志の趙雲自体は嫌いじゃないが、他の三国志はダメであれだけとか言う奴はウザい。
横山光輝って歴史漫画より他の漫画のが面白いと思うし
だいたい俺はドカベン(水島新司)も好きじゃないんだ!!
趙雲は光栄のゲームでは知力や政治力がやたら高い。
趙雲の政治力は劉禅の10倍くらいの値になっている。
私見では劉禅の政治力は趙雲より上だと思う。
趙雲の政治力って判断材料がない、よな?
桂陽平定の時に砦か何かを築いて城で戦闘を行わないように配慮したとか聞いたことがあるから、
民衆に嫌われるようなことはしなさそうだけど、手腕とは別の話だし
大体、趙雲の統率力からして数値にしにくいんじゃないかと思う
見事な撤退戦とかやってるけど、少人数の戦闘が多いよね
少人数で負けなかったんだからすごい、と思った人は高い数値に設定するけど、
大軍を動かすのは得意ではなかったのかもしれないし
最終官職が四鎮ですし、数千人規模の軍を率いて
戦にあたる事が多かったんじゃないですかね。
四鎮・四征以上になると四方・四鎮征大将軍なので
万人を率い節も仮される事が多いですし。
この時代の将軍位って、システム的な必要というよりも当人の位格で上昇する感じだから、
名簿上の位置では地位の高さはよくわからないんじゃないかな。
趙雲と魏延が四鎮だった時期に、彼らと諸葛亮・李厳の間に入る将軍が
そんなにいたとも思えない(名誉職的にポストは埋められていたかもしれないけど)
呉壱は十分に在りうるけど左将軍になったのは趙雲死後だしよくわからない。
で、趙雲の「統率力」だけど、
当時の蜀漢の軍の規模と諸葛亮の一極集中からして、
別軍に何万も割けるものではない。
趙雲と同格に近い人物も多くいたし、
数千規模の活躍になってしまうのは仕方がないと思う。
605 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/14(月) 19:45:22 ID:sxNI483oO
桂陽太守や江州の督って結構重要なポジションでない?
どちらも数年で辞めてるんだろうけど
支配固めの時期は有力な武官に太守を任せるのはよくあったことみたいだからね。
荊州時代は武官第三位、入蜀後でも黄忠と同格くらいだから
元々重要な人物だったと思うよ。
ぶっちゃけ負けまくりのキョウイの方が軍人としてチョウウンより
まだ格上(単純な階級って意味でなく)だったかもしれない。
でもチョウウンの浮ついたところの無い武人っぷりの方が
やっぱ頼もしいよね。
そりゃまあ姜維は統率者だからなあ
どっちも相手の代役はできないよ
609 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/16(水) 02:02:21 ID:eiuOPRBZO
姜維ってよく大将軍にまで登り詰めたな。
何の後ろ盾もないはずなのに
姜維の時代だと廖化がかなり活躍しているが
張翼は比較すると地味だな
姜維も任用せざるを得なかったほどに名将らしいが
廖化って実在したの?
611 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 02:17:31 ID:1Of6UhIvO
俺はNHK人形劇の趙雲が一番しっくりくるな
イケメンすぎず、ドカベンすぎず、って感じで
人形劇は誰のもしっくり来るよ。
孫呉以外!
>>612 孫呉の人達がしっくりくる作品てなんだろうね。
小説でもなんでもいいけど。
614 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 21:39:34 ID:ehjQYY+PO
蒼天は格好良いけど、
ビジュアル系過ぎるな
呂蒙や甘寧、趙雲もさり気なくアクセとか付けてるからな
年齢が若いからしようがないのか
江南行あたりが一番まともかな。
董襲や呂範や呉範
山越族とかも出て来るし
甘寧と賀斉はビジュアル系でおk
甘寧は派手だからビジュアル系かもしれんが歳くってんぞ
江南行の陸遜は何度見ても笑える
617 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/18(金) 17:33:24 ID:mf2XaG0j0
江南行の趙雲は普通だった。
ドカベンでも小柄でもなく、
普通の地味なオッサン。
618 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/20(日) 19:24:01 ID:A2CZJTj4O
晩年の趙雲って どんな容貌だったんだろ。
関・張がヒゲ自慢で劉備は逆に薄かったんだよな、
個人的には白髪を肩の下まで伸ばした
近寄りがたい古兵という印象だ。
619 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/21(月) 01:52:25 ID:50jx3bp2O
ゲームや漫画のイメージが強いせいか、白髪で髭生やしたジジイの趙雲っていうのがいまいち想像できんのだよな〜
620 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/22(火) 01:15:13 ID:HRVwkOftO
日本人の役者で趙雲やらせたら誰が似合うかな?
621 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/22(火) 02:00:54 ID:XahswkQu0
金城武か?
>>621 へ へ|\ へ √ ̄| へ
( レ⌒) |\ ( |\)| |/~| ノ ,__√ /7 ∠、 \ . 丶\ _ __
|\_/ /へ_ \) | | | |∠ | |__ | / ! | | |_〜、 レ' レ'
\_./| |/ \ .| |( ̄ _) | ) | | i | へ_,/ ノ ,へ
/ / ̄~ヽ ヽ. | | フ ヽ、 ノ √| | ! レノ | !. \_ ー ̄_,ー~' )
/ /| | | | | |( ノ| |`、) i ノ | | \_ノ ノ / フ ! (~~_,,,,/ノ/
| | | | / / | | . し' ノ ノ | | / / | |  ̄
\\ノ | / / | |___∠-". | | ノ / ノ | /(
\_ノ_/ / (____) し' ノ/ / / | 〜-,,,__
∠-''~ ノ/ (_ノ 〜ー、、__)
>>619 三国志11だと、58歳ぐらいで白髪&白髭の老将姿になる。
>>621 金城武は、今度の映画で諸葛亮をやっているけどな。
626 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/22(火) 23:27:28 ID:XahswkQu0
ガクト?
627 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/23(水) 00:04:43 ID:Qi15icE6O
真田広之とか
なかやまきんに君
スマートなら市川海老蔵、ドカベン趙雲は該当者がおらんなぁ
藤本弘、
これ譲れない。
631 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/23(水) 12:11:48 ID:Qi15icE6O
藤岡弘、とは違う人?
味皇かよ
北京京劇院の失街亭あたりを観た時は白髭の趙雲が本物に見えたなぁ
気品があるというか神秘的な雰囲気だった
>>631 あるぇー?
頭の中では岡と打ってたんだ、ほんとだよ
635 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/24(木) 02:49:06 ID:+jAuTQU/O
636 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/25(金) 09:06:07 ID:GIlcrTIi0
>>588 第一話の前編と後編が終わった。
何か演義の趙雲の過去って感じで特にクセも無いな。
やはり何らかの挫折や苦悩を味わせないと深みが出て来ないと思うが
これからの展開はどうなるのだろうか?
趙雲って公孫サンに付いた時点で常山郡の官民義勇兵を任せられるって
結構な立場で、のちに袁紹に付いたのもその絡みなんだろうけど、
袁紹から独立したがってる劉備にくっついて兵を集めてやったり
汝南行に同行して荊州に出奔しちゃうんだよね。
劉備に惚れ込んだのが運の尽き、みたいなところはドラマになると思う。
だからこそ長坂での「子竜は俺を裏切ったりしない」も深みが出るわけだ。
そのお陰で2000年も名前が残ることになるんだから、
趙雲にとっては当たった選択だったんだろうなあ。
最初に公孫さんの元で劉備に会ったときに劉備を選んでないってのが興味深い
常山郡>劉備 だったのが200年頃 常山郡<劉備に変わったわけだよね
正史に残ってない何かがあったんだろうな、と思う
640 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/28(月) 21:28:47 ID:d0uR4Mf40
641 :
↑:2008/02/01(金) 01:33:45 ID:3PUa/KYJO
やめてくれよ・・・
あんな不細工な女・・・
趙雲に演技力はいらないw
大和武士の子竜が懐かすい
643 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/03(日) 02:02:16 ID:DE11b6fF0
趙雲子龍は槍の使い手で一騎打ちでは殆ど負けたことが無いと言われる。
644 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/04(月) 22:15:40 ID:+BwXlNVp0
>>641 美人でむっちりしてて性格も頭も良い一騎当千の趙雲みたいな女優が思い浮かばん。
645 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/05(火) 01:22:55 ID:odhnxG44O
無理して思い浮かべなくていいんじゃねw
知的っぽい顔の人なら使いやすそうだな
647 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/05(火) 14:31:23 ID:wjY6Nz6RO
648 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/05(火) 22:22:50 ID:08L20pW20
>>643 三国志11の戦闘力で趙雲が96、馬超が97と僅かだが負けてるのが納得できない。
個人的戦闘はどうか知らんが、馬超は曹操を破ってるからな。
趙雲は老いていたとはいえ、姜維に分の悪い一騎打ちをしたし。
・・・演義での話だが。
KOEIは演義ベースなのでこの話題には問題無し。
ていうか演義ベースにしつつ世間の動向考えて微調整、
かなり上手いんだと最近気付いた。
殆どのシリーズで馬超のほうが高いと思う。
馬超は呂布に似ると言われて張飛と延々互角の一騎打ちをしたし
趙雲はスーパーサブ的な役割が多いからそんな感じかな。知力高いし。
651 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/05(火) 23:53:35 ID:32ckkUdK0
それより政治知力ともに関羽よりも高いのが納得いかないんだけど。
知力はともかく、政治手腕なんか発揮する場面あったっけ?
大丈夫だ、関羽にも無いw
演義では武官の知略や行政手腕は似たり寄ったりというか、
その場の都合次第って感じだよね。
だから「一般に普及しているイメージの表現」の範疇なんだろう。
実際(演義)は五虎で一番計略を使った勝利が多いのは張飛だし。
653 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/06(水) 00:03:39 ID:9QuwAW5C0
でも関羽は曲がりなりにも一国治めてるのに・・・ギエンもね。
関羽は孫家との縁談を暴言を吐いて断ったり、
政治的センスでマイナスなイメージがあるのに対し、
趙雲は蜀を獲った後、劉備が財宝を山分けしようとするのを制止したり、
呉へ侵攻するのを諫言したり、政治センスをうかがわせるエピソードが
あるから、関羽よりあってもおかしくはない気がするがな。
魏延に関してはせめて人並みの政治力は与えてほしい気がする。
655 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/06(水) 00:44:38 ID:9QuwAW5C0
>>654 それはわかるんだけどね。でもそういうのは知力じゃないのかなあ?
普通に太守やらせられてしまうのがなー。
魏延はどうなんかね。士卒に人気があって世渡り失敗ってのは
高魅力・低政治だと…これは史書の魏延か。
張飛もだけど、演義魏延の人物像の面白さは能力パラでは
ちょっと表現が難しいよなー
657 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/06(水) 01:21:06 ID:9iUnTxpWO
初心者にも使いやすい趙雲さん
>>655 荊州は極端な話、潘濬さえいればどうとでもなると証明されてるからな
>>658 > 潘濬さえいればどうとでもなる
ならねえよ。荊州陥ちちゃったじゃん。
660 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/06(水) 22:34:57 ID:tgUaS+WU0
この人は根っからの武人みたいだから、政治力は30くらいでも良いと思うな。
根っからの武人では郡の義勇軍代表には…これも史書の趙雲か
662 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/07(木) 00:00:13 ID:NSVRQC8WO
荊州と言えば、趙雲も荊州には明るかったのかな?
劉備と共にいた頃には何をしてたんだろ
趙雲は一応太守にもなってたしなあ。
悪政の話もなく、常識的な諫言などのエピソードがいくつかあり、
イメージ的には中ぐらいはありそうだから、政治は60〜65ぐらいが妥当な感じ。
でも関羽も統治自体には問題ないんだよな。
政治力より、何か性格的な問題だと思うし、
孫権の娘との縁談は、孫権側が関羽が蹴るように工作もしてたはずだから、
それはそんなに減点にはならないと思う。
やっぱり65ぐらいはあっていいのではないかなあ。
その程度で趙雲が65なら、倉慈や劉馥やらは軽く100を超えそう
桂陽攻めの時に町に被害を出さないように砦を築いて戦ったとかいう民間伝承があったよね
そんであの辺の人には今でも人気があるとかどっかで聞いたような…
あっと驚くような政治センスはなくていいけど、民衆が困らないように真面目にやりそうだから
中の上くらいのイメージだな
60を合格点とすればやっぱ65〜70ちょいくらいあってもいい希ガス
学問をやる暇はあったのかな?
郡から推挙されて身を起こしたぐらいだし、
学もそれなりにあったのでは。
諫言などに見る政治的な見識も、無学では身に付かないものだろうし。
668 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/07(木) 21:02:08 ID:8EhGAoxa0
許緒や周泰は学が無さそうだけど、この人はありそうだね。
「前漢の霍去病は…」って台詞はそれなりに学のある発言だろ
670 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/08(金) 21:52:14 ID:aXAHEtcH0
知らんがな。そういや、女に興味がなく髭がないイメージの趙雲には宦官説があったな。
いつの時代に付いたイメージだよw
1990年代日本か?
>>663 >孫権側が関羽が蹴るように工作もしてたはずだから
事実かどうかは不明だが、本当だとしたら、工作にひっかっかたという点で知力にはマイナスじゃないかね
673 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/08(金) 22:03:06 ID:aXAHEtcH0
>>671 イエス、爆笑三国志が流行っていたころ。
爆笑ではロボ説まで出していたな
675 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/08(金) 22:19:31 ID:aXAHEtcH0
人気投票で一位だったよね。そこから、正史オタからのバッシングが増えたような気がするな・・・。
>668 キョチョはともかく、周泰は寒門とは言え学問をやっていたと思うがな。
孫権は武弁一辺倒じゃいかんって奴だし。
>669 史書に書いてあるからと言って、
本当に本人が発言したとは限らないのが怖ろしい所なんだが・・・
その発言は、後々の匈奴の権勢を見誤っているとも取れないか?
その時点では辺境に追いやられていたとしても
>670 趙雲は子がいるし、髭が無いって言うと劉備の方なんだけどな
劉備姐さんか……
趙雲の子って、実子なの?養子なの?
養子とは書いてないから実子だろう。
劉禅をはじめ、関張趙らの子供は新野に落ち着いた時期の子が多いんじゃないかな
その前の五年間が敗北続きだったから、妻子はぼろぼろ脱落していっただろう。
関平も官位に付いた記録がないから、死んだとき16、7歳だったかもしれない。
みんな年代の記録がないから推測のしようが無いんだけど。
ただ、おそらくはトウ艾の侵攻を迎撃して戦死した趙統はもっと若くて、
益州に入ってからの子供かなあ。
680 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 15:00:28 ID:1DkUJeaW0
益州時代なら、馬超の妹の子供の可能性が高いね。
馬超って妹がいたんだ
反三国志w
馬雲緑(リョクは本当は馬偏)だな
民間伝承にあるんじゃなかったっけ?意外と真実かもしれんよ
そりゃ、馬超にも妹くらいいただろうけど。
民間伝承ってやつは、願望の反映が色濃いからなぁ。
そりゃあ、娘の名前は記録に残らないことが多いから、
男3、4人産めば一人くらい女が生まれるだろう。
>>676 周泰って、孫権に学問をしろと
呂蒙と一緒に諭されてなかった?
あー、それは蒋欽かな…。
馬超は、母親が韓遂に殺された時に弟や妹も殺されてるよね。
その後も親兄弟、妻子まで殺されて蜀に入ってるし、
後に董氏の弟が年始の挨拶に訪れた時に
「一族百人が殺されて正月など祝えるか!」って言ってるし、
最後の上疏でも「一族二百人が曹操に滅ぼされ、
従兄弟の馬岱が残るだけです。」って言ってるから
馬超の妹が生き残ってて一緒に入蜀出来たとはちょっと考えにくいかな。
そこら辺の気の毒な身の上に対する同情もあって、
趙雲とくっ付く妹とかが民間伝承で生まれたのかもな。
とんでもない歳の差カップルだな。
劉備といい勝負だw
>>687 そういう考えでいくと、反三国志の馬雲ロクがどんな艱難辛苦背負って生き延びたのか
俄然興味が湧いたわけだが。
…期待しない方がいいんだろうな。蜀漢ハッピー劉備サイコーな話だそうだから。
涼州関係の伝を読んでると、騎兵なんてなかっただろうな。食っちまってるに違いない、
こう思えるくらい悲惨。
>>689 そもそも超の親兄弟殺害事件からしてすでに違い
放浪時代に起きた馬一族皆殺し事件も無ければ西涼も魏の制圧下におかれてもいない
馬兄妹は漢中が魏領になる前に成都に到達して劉備と合流
おまけに馬超軍には世代が違いはずの姜維が参謀についてるというかなり酷い話だ
693 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 15:31:14 ID:UryUrwB60
>>688 趙雲42歳、妹17歳の25歳差カップル。
雲リョクが普通のお嬢さんだったら馬超の妻子と共に殺されているだろうけど、
馬超や馬岱と共に行動する女将軍だったから無問題w
馬超一族を殺した王異らとウンリョクとのキャットファイト対決も場合によっては可能だったのかな
>>693 趙雲は今なら未成年者略取容疑で捕まりそうな犯罪者w
696 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/12(火) 20:57:58 ID:7aPrg27I0
>>695 ドカベン並みのイケメンだから許されます。
697 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/12(火) 23:45:09 ID:GuJOFjJe0
ウンリョクはサチコ並で
馬超はイワキだな
張飛だってかなり年下の夏侯氏を妻にしたし、
張承なんて諸葛瑾の娘を後妻に迎え入れているからな。
こちらは史実だし
バイオレンス張飛の場合は拉致のおまけつき
700 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 12:25:48 ID:oyLvJOyNO
張飛はおにゃのこ
張承と諸葛瑾四つしか違わないのか……
と書いたそばから、頭の中で張承と張休ごっちゃにしてたのに気付いた
張休武神破斬
704 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 22:09:51 ID:FUs2m8fZ0
BSでやっている関羽のドラマに趙雲出てくるかな?
日曜日の朝の奴か?
官渡が終わって劉備の元に馳せ参じる前後だったな。
周倉とか出て来た。
706 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/14(木) 20:28:16 ID:WeBJi0Po0
>>705 そう、その奴。
銀の鎧に白馬の若武者が出てきたので趙雲かなと思ったら、関平だった・・・。
708 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 16:09:37 ID:c7uQUHh70
趙雲、今日はチョイ役で出てた。
709 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 17:23:44 ID:mC4iyEZwO
見られなかったのが残念だな
劉備は もう荊州に招かれてる頃かい?
710 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 19:08:21 ID:c7uQUHh70
招かれ始めた頃です。来週は三顧の礼。
711 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/20(水) 20:32:41 ID:iLVhDUpA0
横山アニメではかなり優遇されてた。
712 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 01:05:57 ID:9w1MKg2k0
官渡の間とか、何をやっていたのか気になる。
集めた部曲の練成とかかな?
713 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 05:20:12 ID:ZCrCz+yTO
>>588の漫画が新作載ってるよ
初めての大規模な戦闘で個人の武による限界を悟る趙雲が興味深いし
公孫サンが中々の人物に描かれているのが嬉しい
厳網まで登場してるぞ!
714 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 16:59:54 ID:F+BEPc7Y0
>>713 誠実な若者が主人公の漫画じゃ、つまらんな。もう1つのハッチャけた性格の趙雲漫画の方が意外性があり、面白い。
715 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 17:24:43 ID:UMtsSWDI0
趙雲の年齢は劉備と孔明の間くらいが丁度良い。
趙雲を描いた映画、タイトルは「三国志 龍の復活」になりそうだ。
劉徳華の時代劇?墨攻でがっかりした(見た目はかっこよかったけど)。
718 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/28(木) 22:11:19 ID:3rbaaVVn0
次は趙雲のドラマをやって欲しい、主演は元南海の香川で。
719 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 11:08:44 ID:Xr7AVjPu0
ドラマの関羽、新野での夏侯惇撃退から劉表没後
赤壁まで一気に駆け抜けたな。 誰が趙雲なのかが未だに解らない・・・
720 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 19:13:16 ID:oVz2nliO0
孔明がえらく老けてるな。他の人気者の孔明、趙雲を目立たせないようにしてるのかな?
721 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 12:35:40 ID:vKKdP7OY0
三国志マガジン、趙雲VS文醜&顔良とVS張飛をやっているな
722 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 16:52:01 ID:2JWF2fKw0
趙雲の知名度って、どんなもんなの?
中国では一番人気らしいぞ
日本でもランキングによってはたまに一位になるけど
劉備関羽張飛諸葛亮のすぐ下くらいじゃないの
725 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 21:14:08 ID:p8g7Qwd80
三国志に興味が無い人でも孔明、劉備、関羽、張飛、曹操、孫権、呂布ぐらいは名前を知ってると思うが、趙雲は微妙だな・・・。
映画がヒットすれば一気に知名度が上がるんだが・・・。
726 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/19(水) 19:34:32 ID:99ziy1Sg0
漫画更新!
趙雲が劉備と出会い感銘を受ける話だ
727 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/20(木) 10:53:43 ID:6bcRjpsV0
>皆様始めまして。谷津珠葉と申します。趙雲といえば、私もやはり長坂の戦いにおいて、阿斗を抱えつつ曹軍百万の中を駆け抜けるという超人的な逸話が、
>すぐに思い浮かびます。…ですがここでちょっと疑問。百万の大軍の中を突破する事は本当に困難なのでしょうか?
>それはあくまで曹軍百万が全員、自分(趙雲)の人相風体を知っていればの話であって、まして劉備についてきた民たちも逃げ惑っている混乱の極みのような状況の中、
>例えていえば山梨県民全員(約百万人)を一箇所に集めた所から、赤ちゃん抱えたおっさんが自分を知ってる人間に気付かれずに突破するのは、実はそんな難しい事ではないのではないかと…
>この場合、阿斗を抱えて無事に劉備の元へ逃げ延びる事が最優先目的なので、わざわざ敵中をこれ見よがしに駆け抜ける必要はまったくない訳で、自分であれば百万の中を突破するより、
>なまじ私の顔を知っている百人の中を突破する方が、絶対難しいと思うのですが如何でしょう?08.2.13
ワロタ
あの時期すでに劉備軍の中では関羽、張飛に続く将のはずなので
立派な鎧兜を纏っていたと思うので敵軍の方から近寄ってくると思うのだが、
そうなったら人目を付かないところから気付かれずに突破するするなど出来ない。
というかまず自ら曹軍の中に突入していったんじゃなかったけ?
>>728の文章(728氏本人ではないです)を書いた人は、趙雲が単なる平民の服を着てるおっさん
とでも思っているのだろうか。
と、マジレスしてみる。
どのサイトか知らんけど、ちゃんと本人に論駁してやれよ。
本人も後で恥かくだろうしな
gooだかどっかの質問でも「趙雲程度の人物は曹操の下には大勢いるのです」とか
正史聞きかじった馬鹿の回答が残されてる。
嘘では無いが、正解とは遠いだろうが。
阿斗だけでなく甘夫人も保護している。最初から警護の任に就いていたわけではなく、劉備の娘まで
捕らわれたような戦況の中で助け出した。たぶん曹操軍の主力が劉備を追撃している際に取り残された夫人の一団に合流したのだろう。
敵の主力は手薄になっても、趙雲の手勢も数十騎であり
敵陣を突破するには寡兵で隠密に動くには多い数だ。
どちらの手段を選ぶにせよ優れた指揮と統率力
そして胆力が必要な事が明白だと分かる。
どれも誰でも知ってるような事だと思っていたな。
趙雲のアンチって頭が悪い
趙雲に限らずアンチというのは頭が悪い。
基本的に考えて。
>>41 名前負けしてないくらい演義では活躍してるじゃん。
734 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 21:08:34 ID:zcv+GxpRO
演義までいかずとも、別伝や民間伝承の時点で。
伝承って大抵は演義成立後、つまり明朝以後に生まれたものが多いのかね。
そもそも伝承なんて信用性に欠けるが
>>734 まぁ長坂に麋夫人が身投げした井戸とか残ってるしな…
桂陽攻めで趙雲が土城?を築いて城市を破壊しないようにして戦ったとかいうのは
地味なせいか何となくリアルに感じたりするが…
あと、成都に家を構えたとき、屋敷には金をかけなかったけど泉だけは大事にしていて
愛馬に良い水を飲ませたとか何とかいうのも、何となくありそうな気がする
そういう井戸だとかって、
後世になってから作られた物がほとんどだそうだよ。
737 :
735:2008/03/27(木) 00:43:01 ID:fqyiPCIK0
>>736 そりゃ、身投げが演義のネタだもん。それくらい信憑性が薄いって意味だよ
英雄かどうかはともかく、
実務能力の高い、極めて優秀な軍人ではあったと思う。
まあでも、演義や別伝の影響が高いとは言え、
後世でこうして名を上げたのだから、ある意味英雄と言っても過言ではないか。
史上に輝く英雄ではないけれど。
739 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/27(木) 05:01:04 ID:w+p0KlER0
世界ふしぎ発見の次にやってる中国紀行の番組で
1700年前からそのままだとうそぶく町並みが出ていた。
維持できてる所もあるんかな〜
ウィキペディア見たら趙雲子龍っていうプロレスラーが載ってて吹いたw
得意技の一つが「泣いて馬謖を斬る」…だったら諸葛亮にしとけよw
741 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/29(土) 14:32:48 ID:+WDtZd3T0
恋姫無双の人気投票で見事一位を獲得
さすが変態仮面にも変身するだけのことはある
キモオタたちにも大人気なようです
俺は趙雲なら
横山版のドカベンだろうが天地を喰らう版だろうが
無双の様なイケメンだろうが日本刀持った女子高生だろうが
メンマ大好き娘だろうがV2ガンダムだろうが
俺は愛せますね。
鋼鉄?ごめん、アレは無理w
743 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/29(土) 18:40:31 ID:ezaAKz7nO
馬謖伝にある
「魏延や呉壱(懿)が従軍していたので人々は先鋒は彼らだと思っていた
が、馬謖が任命されたので人々は驚いた」
の一文から、当時は蜀の人々の眼中にすら無かったということがわかる
だろ。
趙雲だけ配置が発表されていたというのは変だ。
つまり魏延、呉懿より格下に思われていたんだよ。
で、だから何?
何でageてんの??
>>743 魏延と呉懿と比べると下、という評価は漠然としすぎるよ。
呉懿の妹は劉備の妻、皇后だから当然重んじられていただろうし、
魏延は北伐の頃は丞相司馬だ。
たとえるなら魏で「曹仁より下」と言われてるのと同じくらいだぜ。
>>743の評価(笑)で「蜀の人々から眼中にない」と結び付けるのは無理があるという事でしょうか?
ふぅん、趙雲って大したことないんだな。
って、言えばいいのか?
>>745 曹操は宗族しか重用しなかったけど、劉備は魏延のように宗族以外でも
重用している。
魏延伝でも漢中太守候補として名前が出てこなかったし、少なくとも新参
の魏延との出世競争に負けた時点で劉備は趙雲を魏延以上には評価してい
なかったことがわかる。
魏延と較べて下というのは間違いないよ。
>>746 言いたいのはそう言う事っす。
>>748 魏延が破格なのは張飛を差し置いて漢中太守になった事で分かる。
その魏延より上または同等ならば、それは凄い評価されていたと言う事になるが、
趙雲はそうではないので、比較対象に魏延を持ってくるのは趙雲への評価を探る上で
妥当ではないんじゃないかと言いたかったんだよ。
>>749 古参で太守になったというとビ芳がいるけど、ビ芳より功績があるという
だけで名将だ英雄だというのはおかしいよ。
というより君の言う比較方法では趙雲より格上の人間を持ってこれない。
世間一般の認識では前後左右の四将軍のすぐ下にいる「名将」なんだから
検証というと上位の武将と比較するのが普通では?
>>750 上位の武将と比較するなら、趙雲の地位が不当だったことを語らなければならんのじゃないの?
趙雲の評価が順当ならば比較をする必要はないと思うな。
俺も趙雲がどのような評価をされるかは興味があってこのスレ見てたんだけど、
魏延、呉懿よりも下だったからと言って、
いきなり"当時は蜀の人々の眼中にすら無かった"というレベルまで下げるのはどうなのよ?って
言いたいだけなのよ。
〜より下だったというならば、じゃあ誰より上だったかってのが知りたいんだよね。
その辺は俺は詳しくないので、教えて欲しい。
>>751 魏延にしたって記述に残っている限りはたいした活躍をしていない。
趙雲の地位が不当だったというなら、それを示す実績がないといけないの
に、それがないんだからこれ以上の高評価は仕様がないよ。新しい資料が
見つからない限り。
馬超のように活躍が他人(曹操、夏侯淵)の列伝(本紀)に出てくる人も
いるが、趙雲はそうじゃない。
誰より上だったというのなら何の功績もないビ芳、馬岱あたりよりは上
だろう。
(おそらくは)劉備の古参の腹心と、(おそらくは)荊州豪族の出身で自前の兵士を連れていた奴とを地位で単純比較は出来ない
魏延の厚遇は荊州へのアピールもあったかもしれない
趙雲は信頼できるが故に敢えて官位は低いまま劉備が身近に置いていたのかもしれない
>>752 なんか勘違いしてるのか知らないがが、俺は別に趙雲信者って訳ではないので。
結局、あんたは何も意見がないわけね?
>>753 なるほど。
趙雲は中央軍の武官。魏延は方面軍の武官。
比較の仕方が間違ってる。
おいおい、ここまでやられて気付かないとでも思っているのか?
757 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/30(日) 11:06:37 ID:CuQ6EDThO
758 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/30(日) 14:41:45 ID:V68lHcRzO
みんな妄想乙
みんなというか一人の腐じゃないのか?
魏延が部曲を率いていた豪族だってどこから出てきた妄想なんだよ。
魏延は部曲を率いた豪族だったんだな。
こりゃ失礼。
ID:CuQ6EDThO、
お前の連投ぶりに引く
ID変えればいいってもんでもあるまい。
頭悪
764 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/31(月) 13:58:53 ID:g4OQ6QYb0
太守なら任地の重要性はともかくとして趙雲も経験があるが
魏延の場合は後に涼州刺史になったのが大したものだな。
他人の推察を妄想って切って捨てるとは中学生レベルだな
766 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/31(月) 20:35:46 ID:X3Ho/v2fi
え、何が?
盛り上がりつつあるし論議を重ねても良い話題だと思うが
767 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/01(火) 11:30:10 ID:Lvkl3+nDi
趙雲は劉禅のおヒキで出世したと見るのが普通だろう。
なんという釣り針
769 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/03(木) 00:44:53 ID:dtFWuvTS0
『雲漢遥かに』更新しました!
界橋の戦いが始まったが麹義を趙雲が討ち取るのだろうか?
>>743 そりゃ趙雲は陽動隊を率いて別方面に先発していた分わざわざ呼び戻して先鋒に使うのも変じゃね?
771 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/03(木) 23:57:05 ID:XInfQs07O
>>770 人々が噂していた時期がいつかわからないではないか。
結局街亭の件は趙雲の能力や評判を類推する手掛かりにはならないということだな
773 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/04(金) 08:13:41 ID:h9+JKYyDO
またくだらぬ妄想を…
本隊と相手を誤認させるだけの勇名があり、
中央で尚書まで経験し丞相府に入っては中監軍・揚武将軍に任じられたケ芝を副将にし、
諸葛亮以外で敗戦の責を負い降格したと明確な記述がある趙雲。
やはり蜀の柱石といっていい立場であったのであろう。
ま、北伐時にケ芝が本当に趙雲の副将であったのかは微妙だし、街亭組は王平以外処罰されてるので敗戦の責を負ったのは諸葛亮と趙雲だけではないはずだけどねw
張翼とかケ芝を下につけているらしいな。
その時点では彼らより官位が上だったのか。
人を育てるのが上手かったとか?
776 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/05(土) 23:10:25 ID:fDFahxEuO
他人の考察すらも妄想と切って捨てるのもあからさますぎて痛いな
つーか何でいちいちスレをageるの?
ケータイだからだろ。
>>730の
>「趙雲程度の人物は曹操の下には大勢いるのです」
関羽、張飛、馬超クラス(関羽はアヤシイが…)の武将だって魏には
いくらでもいるよ。
この言い方は魏に失礼だ。
>>779 いや、いないよ
いるならテイイクの発言や曹操の関羽の厚遇はない
関羽のドラマに趙雲が援軍の名前として挙げられていたよ。
>>780 馬超はともかく、関羽や張飛(特に関羽)は実績が少なすぎる。
これだけの実績で徐晃や夏侯淵の上に配置するのは無理。
関羽は初期にあざやかな手並みで顔良切ったときの印象が強烈だったんだろうな
その後は長雨にやられて死にかけてた于禁、ホートクを捕らえたぐらいしか実績ないし・・・
陳寿の評価も高いとはいえない
まあ確かに、魏延や王平に廖化や張巍といった知勇兼備の猛将に較べられれば
夏侯淵のごとき猪武者や徐晃みたいな寝業師では辛いな。
それに陳珪・陳登親子や陳羣は劉備の下にいたし
田豫なんて旗上げ初期から付き従っていたしな。
趙雲、実は異民族の血が入ってて差別されてた
と妄想してみる
>>785 趙雲別伝がいかに趙雲を持ち上げてると言っても、
異民族の血が入ってるのに「容姿が優れ」とは書かないだろ
公孫サンの下にいた頃からずっと騎兵隊?
788 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/11(金) 14:56:14 ID:+Uc3A0+NO
街亭の件だが、囮に使われる時点でたいしたことのない器だったことが
よくわかる話だよな。
>>788が囮に使われる場合は、「捨て駒」
しかし趙雲の場合は違う。
曹真の伝にはどう書いてあるんだ?
>>788 あなたの頭の中のの脳みそがよくわかるレスでつね^^
ふと思ったが
どの場合は事実上の捨て駒でどの場合が責任重大な陽動役なのだろう
228年、諸葛亮は斜谷街道を通ると宣伝し、魏の曹真はこれを真に受けて大軍でおしよせた。
趙雲はケ芝とともにその相手をする囮となり、諸葛亮は祁山を攻めた。趙雲とケ芝は箕谷で敗北したものの、
軍兵をとりまとめてよく守り、大敗には至らなかった。(Wikipediaより抜粋)
これだけ見ても捨て駒で無いということは察しがつくと思うが?
死なせても惜しくないヤツ→敵の大軍をひきつけ、全滅することが前提→捨て駒
そのケースだとエサが趙雲だから釣れたわけで
捨て駒というよりか汗かき役という感じ
頭の良い王平的な
普通に捨て駒でしょ。
>>793はあのいかがわしい趙雲別伝からの引用じゃない。
ケ芝も捨てゴマですかw
798 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 19:53:50 ID:sxaCEfNsO
趙雲別伝によると負け戦ではそれなりの働きをしてるから、捨て駒として
はうってつけな武将だったのかもね。
つまり負け上手。趙雲をつければトウ芝も身を全うできるだろう、というこ
とで。
まあ百戦百敗の疫病神に先鋒を任せることはできないよね。
799 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 20:11:33 ID:zn0V6Jj1O
段々無理やりになってきてるな
そういうのは捨て駒とは言わない。
ID:sxaCEfNsOは頭の悪い子
別伝がいかがわしいとか意味不明。
ここのスレの一部の人間は、他人の考察を「キモい妄想」と切って捨てる事が多いが、
真にキモい妄想は
>>798のレスである事を気づいて欲しい。
>百戦百敗の疫病神
寝言は寝て言えよクズ
俺が諸葛亮だったら曹真の大軍相手にどうでもいい捨て駒をぶつけたりはしないな。
803 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 22:31:40 ID:jtpAKSDMO
つか、撤退戦での殿や囮は一番きつい役割だろ
804 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 22:56:09 ID:sxaCEfNsO
兵は勝を以て功となす
805 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/13(日) 01:30:10 ID:2rRphToRO
功でなくとも、被害最小限なんだから
戦下手じゃないだろ
806 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/13(日) 02:00:13 ID:rv9DpA4YO
旧全日でいうと、関張馬黄が四天王なら趙は秋山ぐらい?
まあポジション的に腐人気出そうな感じだよな
ストライカーじゃなくボランチとかSBという印象がある
格が違うというよりポジションが違うって感じ
関張はセンターフォワード
黄馬はウィンガータイプのサイドハーフ
趙雲はセントラルミッドフィルダーで2.5列目あたり。
陳到は3列目のディフェンシブハーフ
魏延と王平はサイドバック
尚籠をゴールキーパー
さてセンターバックは誰にしよう。羅憲と張翼だろうかと
監督;諸葛亮は考えるのであった。
>>808 そして馬謖が監督の指示を無視して自殺点だな。
>>808 板違いだがそれフォーメーションがよくわからん
一応442なのか?
ダイヤモンドなら趙雲トップ下1.5列目じゃね?
ボックスなら2ボラのひとりってことでは?
昔サッカー三国志スレあったっけなぁ
>810
すまん。一応ボックスの4-4-2のつもり。
趙雲はボランチだが攻撃の起点としても活躍するセントラルミッドフィルダー。
このポジションは3〜2.5列目に位置してピッチの真ん中が定位置。
ドイツ代表のバラックみたいなもんだと思ってくれ。
趙雲の評価って難しいよな。
知勇兼備で忠義一徹と武人として理想というイメージがあるしそう思っているが。
関張のように後世で猛勇のパラメーターみたいな扱いもされていないし。
いや、そこは別に不思議とは思わないな…
どんだけ趙雲を高評価してるか知らないけど部将クラスであれだけ名声がある二人が異常なだけかと
814 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 21:56:19 ID:AF1BEHIP0
日本の武将だと本多忠勝のイメージがあるんだよね、個人的には。
趙雲は師匠
816 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 22:07:49 ID:IFz0HP++O
>>814 後世の情報操作のおかげで実力も功績もないのに人気が出た武将という意味?
817 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 00:25:24 ID:+u6nEkXWO
俺は丹羽長秀だな
勝家、光秀、秀吉、より地味なんだけど
信頼は厚いというあたり
あと、ゲームのせいで真田幸村w
>>814 しかしホンダムは日本の張飛と呼ばれるという皮肉
>816 功績はともかく実力の有る無しは判断し辛い事だがな。
820 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 20:51:53 ID:SuzNDt9R0
どう考えても実力も功績もあったと思うんだが・・・。
821 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 22:30:54 ID:9kcao7Hr0
街亭での囮役を趙雲以外に上手くこなせた武将って、他にいたのかな?
少なくとも諸葛亮は「他の奴じゃこう上手くいかなかった」と思ったから
物資を下賜しようとしたんだろう
823 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/16(水) 19:15:55 ID:WzeCDW3pO
勝ち戦を評価してみないか?
漢水とか
824 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 15:25:24 ID:AQZwOViTO
趙雲の漢中での活躍は『別伝』しか書かれてないから判断しづらいな
何故、陳寿の趙雲伝には書かれず『別伝』だけ書かれたのかは気になるけど
本人の伝にしか記載が無い活躍って他の人物でも例はあるのかね?
張翼やケ芝の伝には何も無いしな
>>824 趙雲の活躍って趙雲別伝にだけ載ってて別の史書には載ってないネタが結構あるよね。
趙雲別伝は子孫が書き残したって言われてるだけに、評価が難しいね。
陳寿の頃にはまだ書かれてなかったのか、
あるいは三国時代を知ってる陳寿の目からは、信用するに足らないと思われて
採録を見送られたのかな。
827 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 23:07:31 ID:h9+ccPgY0
趙雲別伝は他の三国志の記述に対して特に矛盾したところもあまりないから
裴松之が特に言及することなく注に載せているのだろう
趙雲別伝を疑問視する人がけっこういるのは、やっぱり陳寿の本文の
趙雲が地味で記述も少ないのに対して、別伝の趙雲がそれなりに分量もあって派手だからだろうね
>>826 > 陳寿の頃にはまだ書かれてなかったのか、
書かれてません
だから「別伝」
別に趙雲に限らず、蜀書は採用数も少ないし内容も薄い
伝すら立っていない人物はいくらでもいるじゃん
そもそも、諸葛亮が史官制度をちゃんとしていなかったという不備もあるのだろう
>>828 > 書かれてません
> だから「別伝」
断定できる類のもんじゃないだろうに……
「趙雲別伝」って名前から、正史の列伝に対する補伝のようなものだと勘違いされることもあるらしい
いつの時代に誰が書いたかもよく分からない「趙雲別伝」って名前の書ってだけだからな
趙雲の辛いところは、自ら「真偽にこだわらず収録した」って言ってる裴松之の注釈の方が陳寿の本文よりかなり多いのもさることながら、
その注釈に書かれてる趙雲の活躍の出典のほとんどが「趙雲別伝」ってとこだな
もうちょっと出典がいろいろあって分散して書かれてたら良かったのに
しっかし、旗揚げ当時から付き合ってて後から来た他の奴らが先に出世するのに焦りとか憤りとか感じなかったのかね。
関張コンビとまでとはいかずとも一緒に寝たりした仲だったのに。
第一次北伐の後の話だが、降格と褒美を併用するって変な話じゃないのか?
普通なら功に免じて降格取り消しとかじゃないの?
諸葛亮ともあろう人が事の調査もせずに賞罰を明らかにするだろうか?
>>832 多分ね、趙雲は諸葛亮の単なる部下や配下ではなく同僚だから、責任も一緒に負わなければいけない立場
諸葛亮の一存で賞罰をうんぬんできないし、首脳陣の一人として趙雲も責任を取ることとなったのだろう
褒美については、よく読むとあまった物資を趙雲の配下に下賜しようとしたようだから、こっちは諸葛亮の一存でも出来るし、あくまでも力戦した兵士への恩賞であって趙雲への褒美ではない
諸葛亮としては事の次第を知り、賞罰を明らかにしようとしたからこその行動だったことになる
資治通鑑でも別伝の内容を採用してんだよね。
835 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 21:46:06 ID:PrjefTDyO
明日はBSの関羽の最終回だよ。
あんまり出番はなかったけど
代わりに来週の水曜日からtvkにて三国志のドラマが放送する!
836 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 13:15:51 ID:k4I8mXqHO
いちよう目的は達成されたからかの恩賞でもあるじゃないか?
837 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 23:40:55 ID:7YWYxjIIO
賞罰の意味合いの違いでそ?
ある作戦の成果に対する首脳陣への罰と、その中の戦いに対する恩賞。
その作戦が失敗に終わったのであるならば、責任のある地位にある人物は、
処罰されざるを得ない。
逆にある戦いにおいて、十分な成果をあげた人物には、
敗戦といえども、充分な恩賞を与えるべきだ。
何が問題なのか、さっぱ分からない。
降格処分と褒美を同時に受けるのって
「何が問題なのか、さっぱ分からない。」って言われるほど
三国時代や孔明の下ではざらにあった事なの?
このくだりに関しては、中国でも昔から疑問の声があるって聞いたけど。
839 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 22:14:15 ID:s7pVt2zSO
死刑に問われたら殺してから家族に褒美を与えたりしないでしょ。
841 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 23:14:03 ID:+ZOcik+c0
一騎当千の趙雲がサイコー!
842 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 01:27:22 ID:PnsRqmn4O
性格については演義も正史も同じな感じだね
回りや後から来た人が早く出世してても関心なさそう
843 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 21:12:26 ID:fnrvNojc0
横山三国志では顔も性格もドカベンと被ってるな。
844 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 14:10:15 ID:mAz1F2BCO
いぶし銀のかっこよさだよ。
主役じゃない。
845 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 23:46:57 ID:WmyKHHLQ0
太陽の黙示録の雲井もかっこいい
846 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 01:35:33 ID:kuobW+E+0
一番イケメンなのは、天地を喰らうの趙雲だと思う。
847 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 23:07:02 ID:lU1Wtg7C0
一番抜けるのは、一騎当千の趙雲。
趙雲は槍の達人というイメージがお馴染みだが
趙雲が槍を扱った可能性はかなり低い
後漢末期や三国時代の長柄の武器は矛や戟や戈
そもそもこの時代の槍は長柄の武器じゃないから
850 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 21:29:07 ID:ivCgjwBI0
まあ、個人的武勇にも秀でてたんだろうな。
チョウウンには流星槌がよく似合う
852 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/14(水) 22:41:26 ID:OfkX9oey0
演義でのキョウイとの一騎打ちは引き分けでなく負けなの?
853 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 21:45:22 ID:xsmEjflxO
やはり年をとっても男子たるもの、きょういには なかなか勝てないよね。
854 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 19:45:04 ID:J9m/VD5D0
一騎打ちでは負けなしだっけ?
姜維には負けてないと思うが…
その非凡さに驚いて戦略的撤退しただけだから戦い続けていればどうなったかはわからない。
856 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/19(月) 22:56:34 ID:QZ9kO3Pw0
戦い続けたら、高齢のため心臓発作の可能性が・・・。
強いんだが、勝ってるのは演義の創作武将が多いんだよな。
関羽、張飛、馬超、黄忠、許チョ、ホウ徳みたいに名勝負をやってないのが
気になる。
858 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 13:36:43 ID:XcjiRPvhO
銅像が地震で倒壊www
民に踏んづけられててワロタwww
>>857 活躍するのはそいつらが居なくなってからだろ
南征北伐の時に名前あって強いキャラが趙雲オンリーだから
事前に強さを演出するためにある程度創作系人物斬らせておいて
最後に一花咲かせて散り、名将を失う諸葛亮の苦悩を導き出す為の前振りになる
860 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/21(水) 18:15:08 ID:nG4HEF8m0
大物との一騎打ちは文醜、キョチョくらいか。
>>860 でも関羽は文醜余裕で倒したのに趙雲は引き分けたじゃないか
そりゃ関羽に斬られる為に文醜には生き残ってもらわなきゃならんからな。
863 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/21(水) 20:08:17 ID:ttqHrIKT0
>>857 創作武将じゃないよ、朱然とか麹義とか本当はすごい名将なんだよ
なのに一騎打ちで趙雲ごときに殺されるとか勝手にでっちあげられて可哀想過ぎる・・
>864 お前、ならそいつらが何やったか言ってみろよ
趙雲得意の寡兵による霍乱や囮みたいな蛮勇は奮ってないんだしよ
趙雲の場合はあまり蛮勇という気はしないのだが
866 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/21(水) 22:31:16 ID:t+EMop3H0
アンチのおでましか。
>>865 ちょっと調べりゃ出てくるから自分で調べてみなよ
眉唾な業績が多い趙雲よりよっぽどまともに活躍してるよ
いや煽りとかじゃなくマジで
活躍時期と陣営があれで創作物に出番がなさすぎるから
普通の三国志ファンなら知らなくても当然だとは思うがね
顔良、文醜は孔融がホメてるだけ、一方麹義は界橋の戦いの英雄。
朱然は呂蒙が後任の都督に推薦したほどの呉軍の重鎮。
たしかに損してるよな。演義だけ読むと韓徳の方が強そうな感すらある
もんな。
演義なんてそんなもんだよ。三国志だけに限らない。
>868
うんうん、正史を齧ったばかりの頃はみんなそういう事を言うよね。
今度はもっと先の段階を目指そうか?
>>871 どうした、最後の一行で煽られたと思ってプッツン来たか?
普通のファンレベル止まりでいいじゃないか別に
三国志オタなんて呼ばれて得なことはなにもないぞ
874 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/23(金) 19:24:32 ID:sxJ0lEncO
演義や蜀アンチになるのはみっともないよ
875 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/23(金) 22:24:08 ID:LFH3nCKq0
趙雲か。人気あるよね。演義の影響は大きいけど、正史でも嫌われる要素って無いね。
欠点らしい欠点ないじゃん。
確かに別伝を省くと大分世間一般(?)の趙雲像とはまた別な感じになるけど。
あと最初意外に思ったのは関張馬黄とは位が常に一線もニ線もひいていることくらいかな。
まぁしょうがないって感じだけど。
関羽張飛は顔良を斬ったり長坂で仁王立ちしたりが普通に史実なクォリティだからな
やっぱ格が違う
また適当な事を言ってるな。
しっかし実際、関羽と張飛は万人之敵とまで評されるなら
もっと業績を上げているんだろうから史書にちゃんと記しといてくれよ
趙雲もそうだけど、負け戦ばっかりじゃねえか
878 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/25(日) 10:09:22 ID:Wz4YBVVU0
誰か演義での趙雲の一騎打ちの戦績をまとめてくれ
趙雲って許チョや張コウと戦ってたんね
文醜と姜維を除けば二線級キラーとばかり思ってた
881 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/25(日) 13:30:52 ID:uCYm9+pk0
キョウイに負けたことになってるな・・・。
上のバカに雷同するわけじゃないが
朱然は張コウにも劣らない人物だろう。
確かに地味だけどな
北方謙三では劉備を追撃しようとして 趙雲に片腕を落とされた。
蒼天なら朱然の代わりに張繍を串刺しにしたな。
張繍も名将だよ
沈着冷静かつ豪胆!
884 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/26(月) 22:59:15 ID:LhjISETC0
885 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/26(月) 22:59:48 ID:LhjISETC0
886 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/26(月) 23:00:31 ID:LhjISETC0
887 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/26(月) 23:02:05 ID:LhjISETC0
888 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/27(火) 01:39:55 ID:AlfuauUm0
某戦国漫画のように負け戦で殿を
務めるのが好きだったかもしれない
889 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/27(火) 01:59:07 ID:ZYV52gRdO
「負け戦のジリつく心地が好きです。
でも、それをひっくり返すのはもっと好きです」
しかし小便鉄砲したり一物を出せいと鼓舞する趙雲もなんだかイメージが崩れるな
趙雲のイメージも全部後の時代からの後付けなんだけどさ
891 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/27(火) 15:26:39 ID:GBcuDoc3O
趙雲を漫画のキャラクターに例えるならケンシロウだろ
892 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/27(火) 19:36:30 ID:AlfuauUm0
天寿を全うしたトキじゃないの?
陳寿ももっと書きたいこととかやっぱあったんかな
895 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 04:44:46 ID:ZGsCTL/jO
末期の人物はそこそこ詳しく書かれている
つまり初期の人物は古すぎてよくわかんねーよってこと
魏の人物ですらテキトーな記述の伝とかあるしな
黄忠より記述が少ないの?
本文だけなら似たようなもんじゃないかな。
チンジュ蜀の人なのになぁ
演義厨のスクツ
そういや、趙雲が主役の映画は地震の影響で延期か中止になりそう?
梁興會太行忠義及兩河豪傑趙雲、李進、董榮、牛顯、張峪等破金人于垣曲
趙雲の活躍
903 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/29(木) 23:47:09 ID:LUhfdklv0
趙雲はキャラクターの性格から見て主役よりも脇役だけどおいしいところを
かっさらうのが似合うけどな
>902 それ宋史w
>>902 牛皐の列伝ですわ、ソレ。趙雲違いですぅ。
時代を超えて活躍する趙雲凄い
907 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 00:07:44 ID:srX9OmGUO
演義って日本人の感覚じゃ眉をひそめる場面が結構あるよね
北伐で趙雲が敵の親子5人を次々と一騎打ちで殺す場面とか
ちょっと酷すぎるだろって思った
そんなこと言ったら赤壁とかどうすんだ
青天の赤壁
時空を超越した男、趙雲の大冒険
不老不死の勇者趙雲を諸葛亮は長い眠りにつかせた
「いつの日か、この国にまた趙雲の力が必要となる時がくる。その日まで・・・」
そして時は流れ、宋の時代。中原は金の侵攻を受け阿鼻叫喚の地獄絵図であった。
そこに現れた男。それは―-
912 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 15:14:09 ID:nBggFBiY0
その設定でSS書いてくれ
913 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 18:19:16 ID:Iu7ES+/U0
宋でも地味なところを押さえている趙雲。
岳飛は諸葛亮信奉者だから、ちょうどいいか。
914 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 19:38:28 ID:NlWZ6e7Q0
宋史の趙雲はどういう生涯送ったの?
字は?
秦檜が進めた和議をやぶって金が攻めてきたときに
岳飛が迎撃に当たり、牛皐、王貴、楊再興以下をもって
河南を次々と奪回していったのだけど、そのとき河東に梁興を遣わして
在野の義勇の士と合力することを企図した。
梁興は太行忠義および両河豪傑の士、趙雲、李進、董栄らと会い
その地の金軍をやぶったそうな。
というわけで、あざなはわかりません。生涯もわかりません。
鎮東将軍になった時に、追い抜かれた魏延と同格になったのか?
魏延は涼州刺史とか丞相司馬とか色々やってるから、実質はやはり魏延の
方が格上だったんだろうね。
軍事の要だから。
大谷刑部と同じで、主君が手元に置き過ぎたため手柄を立てる機会が少なかったんだな。
やっぱ純粋に軍人としてはギエンとかキョウイの方が上なのか?
キョウイなんか、人材が枯渇してこいつしかいなかった感も強いいけど??
921 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 00:28:03 ID:Dg78wDwp0
何で魏延や姜維の話題を?
大将軍と一々比較される雑号将軍って凄いなw
実際、輔国将軍とかは単なる雑号将軍とは一線を画している
雑号将軍を十把ひとからげに扱うのは危険
923 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 13:30:11 ID:C+odg6qvO
トウ方と費観の史料が残ってたら、趙雲より上の扱いで列伝立てられてたのに。
お陰で演義から無視orチョイ役にされた。
>>919 あまりの人材不足のため、親衛隊長を使い回したんじゃないかと思っている。
926 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 23:55:59 ID:071N0GnR0
趙雲と諸葛亮の気宇を継ぐのが姜維だろ
郭淮を殺害までしてるしな
演義抜きにしても魏延は軍を率いて強いだけでく、長安の事情にまで
ある程度通じているほど情報にも長けていたようだけど
それで実際に長安を陥としてそれを維持できると考えたなら無茶だからな。
趙雲にそこまでの能力は無いが、それだけ無理押しもしないし。
927 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 01:07:09 ID:3iIu6mey0
>>926 郭淮は、普通に逝去してますがな。
姜維に殺されたというのは、単なる『演義』の創作。
流れ的に演義の話じゃないの
別伝の存在が評価を難しくしてるな
今日は活躍したな。
931 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/02(水) 21:51:55 ID:mUlvMmx10
ドラマの話か
932 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/06(日) 22:20:03 ID:y5VzGSAt0
一騎当千の話
933 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/07(月) 19:59:00 ID:bZOoD4FEO
アニメの話か
934 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/13(日) 17:53:45 ID:5J0tt/Gx0
五虎大将全員の名前の中国語読みを誰か教えてくれ!
936 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/13(日) 18:29:12 ID:5J0tt/Gx0
見れん…
じゃあ、
>>935のサイトからコピペ
関羽 Guan Yu グァン ユゥ
張飛 Zhang Fei ヂャン フェイ
趙雲 Zhao Yun ヂャオ ユン
馬超 Ma Chao マァ チャオ
黄忠 Huang Zhong フアン ヂョン
ドラマの三国志の趙雲の歌はスローンと言ってたな
趙雲はメンマだいすき
941 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/18(金) 20:30:18 ID:5yR1zHqM0
八月末に雲漢遥かにの単行本出るよ
着てる制服がピチピチだな
943 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/24(木) 00:53:53 ID:I2ujxN2x0
よく映像では白馬に乗って白銀色の鎧を着ているけど
これって実際に使用に堪える材質で制作したら何になるんだろう?
白馬の材料は白馬じゃね。
普通の鎧に銀メッキでええやん
恋姫の趙雲は青がイメージカラー
京劇では白(銀を表現したいのかも)と青だな
948 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/26(土) 22:37:20 ID:z7jhhmuI0
廬山昇龍覇
趙雲の場合は、恒山かな。
常山昇蛇覇
常山なら双頭蛇だよ
話が見えん
常山、金屏山、静恵山なら知ってるが
「常山の蛇」じゃろ。
出身地では有名人?
特命係長 趙雲子龍
字も含め名前が反則だ、カッコイイじゃんか
957 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/01(金) 02:35:46 ID:wtV08lNz0
岳飛って趙雲好きだったのかな
趙雲別伝は作り話なの?
「レッドクリフ」は長坂の場面がマジかっこいい。
>958
他の人物の伝で名前が挙がらないので信憑性は疑われているという事。
空城の計は本当
962 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/11(月) 05:16:49 ID:fRorwSYa0
それも諸葛亮の詭計みたいに思われてるな。
まあ季漢輔臣賛とかは実在だよ。
963 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/11(月) 19:52:20 ID:wxdtugsEO
孫夫人から劉禅を取り戻す記述は他のと被ったりしてるから信憑性はある方じゃないかな
呉を攻めるのを反対して、出世が遅れたん?
>>964 前後左右、つまり関張馬黄の四将軍がいて、更にその下に魏延がいた。
これが定められたのが関羽が殺される前。
つまり趙雲は始めから出世コースから外れていた。
むしろ劉備没後に官位が上がっているんだが
4将軍の死後も李厳とか劉エンよりも下位だったしな。
李厳が前将軍で劉エンが後将軍だっけ、左右が空席っぽかったが
趙雲では4方将軍の後釜にもなれなかった…
前後左右より、4征、4鎮将軍の方が下だっけ?
969 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/13(水) 07:23:23 ID:hAnyzq/EO
でも五人まとめて編纂されてるから何かあったんだろね
李厳も劉エンも劉備や諸葛亮のお気に入りでおそらく名家の出身。
比較対象として間違ってるぞ。
>968
確定的では無いが後漢の官位では四方将軍は雑号将軍より上で
かなり高位。 劉備は後漢の左将軍って事をかなり後まで掲げていただろ。
蜀は漢の正統的な後継を称していて官位もそれに倣っていたならそういう事になる。
ちなみに四征よりも四鎮の方が上でもある。 魏や呉とは違ってな
>>970 趙雲が征南将軍から鎮東将軍に遷ったのって数年前は降格か誤植か?って言われてたけど、
いつのまにか四征よりも四鎮の方が上って確定したのか?
趙雲以外に征→鎮って遷った奴他にいるなら教えてほしい
基本的にエリートコースは4方将軍から車騎、驃騎将軍へ登り詰める感じだが
専業軍人は何たら大将軍が限界って感じがする。
蜀の末期は車騎、驃騎を左右に分け、何たら大将軍も濫発してたので
参考にしてない。
>971
とりあえず張翼や姜維
魏では鐘会が鎮西将軍の時にケ艾が征西将軍だったな
これは単に軍事司令官がケ艾だっただけだろうが
ただし季漢輔臣賛では趙雲は征南と呼ばれている。鎮東でもなく、鎮軍でもなく、ね。
蜀内部においても時代によってぶれがあったんだろうと思う。
>>973 おお、ありがd
>>974 そうだったね
ググったら征南より鎮軍は上だって出てきた
もっとものすごい降格だと思ってたよ
龍狼伝では、やや噛ませ
龍狼伝でまともな史実の将軍いるか?
曹操とかも変なギャグやらされてるし
龍狼伝より、恋姫無双のほうが三国志らしい
979 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/20(水) 19:45:33 ID:3yCu6GxK0
はいはい
980 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/20(水) 23:29:34 ID:z2u7mjUs0
横山先生のおかげだろが
981 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/21(木) 19:45:13 ID:Vz8O8iRWO
そろそろ次スレだな。
速やかに立てて、しかるに埋め立てしないと沈むぞ
983 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/22(金) 18:42:11 ID:Ug7dd8gk0
984 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/22(金) 18:48:06 ID:bAZ6CWPu0
985 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/23(土) 21:17:30 ID:tmO45vpOO
雲漢遥かに、面白かった
殆どの話が創作なんだけどな 中々に説得力ある
986 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/24(日) 17:07:16 ID:9hGt+QEfO
早く次スレ立てて
メンマ姫
「雲漢遥かに」なかなか良いね。
名士嫌いな公孫サンが趙雲を庶民の出だというので気に入ったり
関羽が髭の生え揃わない趙雲を馬鹿にしたり
性格付けも良くできている。
夏侯蘭が出てるのも、ポイント高い。
博望で趙雲と再会するのが楽しみだ。
989 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/25(月) 14:42:00 ID:3MilnZ1lO
次スレを立てる上で
何かテンプレで追加する事は無いか?
百万軍中趙子竜
991 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/25(月) 23:33:00 ID:jBqCnpnx0
曹操があいつ欲しいから矢を使うなって言った演義の話は
何か他の時代ものに流用されてるようだな
992 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/26(火) 19:46:27 ID:gJgmS+PX0
そういやtvkで放送中の三国志で趙雲一騎駆けの回を見事に見逃したな・・・・
歌まで付いてて格好良かったよ
994 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/27(水) 19:56:17 ID:EhBIoQTH0
今なら声優のキャラクターソングだな。
995 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
>>992 まだそれはやってないと思う(9月までない)
でも、gyaoで見れるよ