赤壁の戦いの後、荊州の領有権を巡って争うこともなく、劉備と孫権が手を組んだとして、
曹操を倒すことは可能だったか?
仮に可能ならば、どのような戦略が必要だったのか?
劉備と孫権が仲違いしなくても、曹操の勢力は強大。
劉備が蜀を攻め取り、孫権が南方を安定させている間に、曹操も北方を平定して、
強固な地盤を築き上げる。
無理な遠征はせずに、守りを固めておけば揺るぎもしないんじゃないか。
三戦でやれ
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 20:47:39 ID:IdE2Gh1f0
まちBBSでやれ
周瑜って赤壁の後1,2年で死ぬよな確か
周瑜がいないなら無理
、--‐冖'⌒ ̄ ̄`ー-、
/⌒` 三ミヽー-ヘ,_
__,{ ;;,, ミミ i ´Z,
ゝ ''〃//,,, ,,..`ミミ、_ノリ}j; f彡
_) 〃///, ,;彡'rffッ、ィ彡'ノ从iノ彡
>';;,, ノ丿川j !川|; :.`7ラ公 '>了 なに
>>5?周瑜が赤壁の後1,2年で死ぬ?
_く彡川f゙ノ'ノノ ノ_ノノノイシノ| }.: '〈八ミ、、;.)
ヽ.:.:.:.:.:.;=、彡/‐-ニ''_ー<、{_,ノ -一ヾ`~;.;.;)
>>5 それは周瑜の戦功が大きすぎたからだよ
く .:.:.:.:.:!ハ.Yイ ぇ'无テ,`ヽ}}}ィt于 `|ィ"~
):.:.:.:.:|.Y }: :! `二´/' ; |丶ニ ノノ 逆に考えるんだ
) :.: ト、リ: :!ヾ:、 丶 ; | ゙ イ:}
{ .:.: l {: : } ` ,.__(__,} /ノ 呉では突出した武将はなぜか長生きできないと
ヽ ! `'゙! ,.,,.`三'゙、,_ /´
,/´{ ミ l /゙,:-…-〜、 ) | 考えるんだ
,r{ \ ミ \ `' '≡≡' " ノ
__ノ ヽ \ ヽ\ 彡 ,イ_
\ \ ヽ 丶. ノ!|ヽ`ヽ、
\ \ヽ `¨¨¨¨´/ |l ト、 `'ー-、__
\ `'ー-、 // /:.:.} `'ー、_
`、\ /⌒ヽ /!:.:.|
`、 \ /ヽLf___ハ/ {
′ / ! ヽ
劉備&孫権タッグのクロスボンバーでいけるよ。
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 23:39:04 ID:3Bb/3em00
劉備はめでたく蜀を攻め取り、荊州は劉備と孫権で仲良く半分け、
孫権は江東方面から北上するとして、
劉備は荊州を北上するべきか、
それとも漢中を経て関中に進出するべきか。
荊州から北上すると、許都を直接脅かすことができる反面、
抵抗も激しそう。
蜀に、夷陵での戦いでの損失がなく、関羽もいて、そのまま北伐できる状態と考えればいい。
そういや劉備死後も、関羽が残っていたら、諸葛亮との関係はどうなるんだろう。
関羽だったら、諸葛亮の独裁は認めなかったかな?
関羽独立
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 15:55:16 ID:+fbDs3U+0
仮に劉備と孫権が手を組んだとしても、最終目標が違うわけで、
順調に進んで、曹操が亡びる段になったら、決裂してしまうだろう。
劉備と孫権、どちらが皇帝になるかという問題が浮上するし。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 23:18:14 ID:qrysogXy0
>>13 たしか呉と蜀で中国のどの州をどちが領有するか条約があったはず。
どちらも最終的には守る気ないとおもうけど
>>8 荊州陥落と夷陵での消耗が無くても両面から攻めると思うよ。
国力兵力十分で漢中方面のみから攻めて奇跡的に長安奪おうが、
荊州方面から攻めて襄陽を順調に落とし許に迫ろうが同じことで、
中央に近づけばどっちみち負ける。
蜀漢が天下取るには漢中・荊州さらに江東から呉の快進撃が有り、
魏の主軍が江東討伐を優先すると言う奇跡(地理、歴史面両方見ても奇跡が無きゃ無理)
その間に力の差を埋めるなんらかの策や、魏内部に味方を作る等してようやく戦える程度
北伐で長安を狙うってのは魏打倒の初歩中の初歩で、本当に大変なのはその先
やっぱり魏の内部に内応者を作らないといけないか。
大変だな。
しかも早い時期に内応者が出ないといけない。
戦力差が開いた状況ではすぐに鎮圧されてしまう。
ある程度奇跡に期待しないと無理か。
曹操死後の魏でお家騒動でも起こってくれたらいいんだけど。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/27(土) 14:28:30 ID:gbUr/f3P0
北の公孫氏を呼応させて、蜂起させないといかんな。
呉って結局一度も合肥突破できなかったのかな
一番惜しかったのは諸葛恪の新城攻めか
皮肉にも適度な外敵が存在したからこそ魏の内部分裂も遅れた。
いっそ劉備が魏陣営にとどまってたほうが打倒曹家の成功率が高k(略
赤壁の戦いの時に関羽が曹操を殺しておけば良かった。
劉備と孫権の組み合わせをキン肉マンとテリーマンとすると
劉備と周喩の組み合わせはキン肉マンとキン肉マングレート
要するに周喩とのコンビは素晴らしいけどベストじゃない
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/28(日) 23:31:27 ID:x1RbvUlz0
>>22 仮に、赤壁の戦い前後の時期に、曹操が疫病か何かで急死していたら、
その後の曹操勢力はどうなったか興味深いね。
曹丕がどうなるか。
曹操は漢の丞相で息子は漢の官人だったとしても丞相の位が世襲できる代物ではない
当然ながら、漢臣と曹操軍閥の壮絶な主導権争いが始まる
>>25 赤壁前後で曹操が死んだら、若すぎる曹丕が平穏に後を継げるとは思えない
>>25の言うようにまず許の漢帝や大臣が権力奪取に動くだろうし、曹氏がそれに勝ったら今度は曹氏内でも後継者争いが起きるだろう
(董卓死後のように)
勿論関中は背き、青州黄巾も離れる
一気に中原は大混乱に陥るだろうな
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/29(月) 01:48:21 ID:gq2vDPSNQ
てか共同作戦とかやったの?こいつら
呉なんて本気で魏倒すつもりあったのかなぁ
ないわけじゃないが国力の大半を傾けてまでやる気はなかったんじゃないか?
少ない機会は孫権のミスで大抵つぶれてるし
孫権にしたら、三つの勢力が鼎立する状況を維持して、
蜀に北方からの圧力を引き受けさせるのが理想だったかもね。
できることなら漁夫の利を狙いたかっただろうね。
ただ、蜀だけじゃとても魏に対抗できないわけで。
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/01(木) 14:08:06 ID:VRwp1TmI0
蜀の目標は、魏を倒して漢を復興することであり、天下狙い。
呉の目標は、江南に割拠して独立、機会さえあれば天下狙い。
上手くいかんだろ。
同
床
異
夢
33 :
奈々氏@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/02/03(土) 07:23:49 ID:GpiBofRw0
蜀のチョウウンの単騎駆けで突破口を開いておいてから、諸葛亮の妖術を食らわせる。
その後、周瑜やりっくんのスーパー兵法で大ダメージ与えれば、魏といえど滅ぶと思ふ。
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 15:37:28 ID:dGHPXsrtO
>>33 三国志大戦厨はアケ板に帰れ。
あと、日本語覚えてから出直せカス。
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 04:46:40 ID:p8WGMFeuO
つまり、赤壁で曹操を落とし切れなかったのがなんとも痛恨事、と。
徐晃が逃げ上手なのか、関羽が義理堅すぎるのか、周瑜がツメがあまかったのかは知らんガナー。
いや、そもそも赤壁大戦がなかった、といわれりゃそれまでなんだが;
曹操が袁紹を滅ぼした時点でもう手遅れ
な気がしないでもない
劉備と孫権の2人だけじゃ駄目だな。
関中に馬超の勢力が健在かつ、北方の公孫氏とも手を組んで、
四方から包囲しないと。
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/08(木) 23:29:28 ID:O4XqRUOO0
結局、曹操を倒すのはかなり難しい
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/09(金) 00:24:13 ID:FNYONRVOO
南から劉備と孫権が、
西から馬騰と韓遂が、
北から烏丸と鮮卑が、
圧力をかけていればどうだろう?
ホウトウ、ホウセイの早死にと、ケイシュウが奪われなかったら、蜀だけでも天下とれたんじゃね?
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/09(金) 11:45:46 ID:opszf5e80
よりも
日本と中国が力を合わせてアメリカを滅ぼす方法
について語れ!!!!!!!!
中国の代わりに…何処がいいかな?
>>40 その二人が如何に優れてようと国力差が圧倒的すぎて無理だな。
どう策を練ろうが蜀のみで魏を倒そうとすれば、
結局単独進軍すればはるかに大軍である魏の主軍に叩き潰されておしまい。
龐統・法正が死なないことに加えて、
もしも益州方面からの長安奪取が成功し、
関羽が呉の攻撃を受けず、且つ襄陽を奪えたとしたって難しい。
魏の中央を奪ったわけでもなければ国力差が逆転するわけでもないんだから。
実際問題を考えると「天下を狙う野心家君主が2人」「君主に天下取らそうと狙う家臣達」が勢ぞろいしてるから、
そりゃ利害対立も必然的に起こってくるわけで。
最初からありえない仮定として「私心なく曹魏打倒を誓う連合体」というイフなら普通に勝つよ。以下シミュレート。
孫権・劉備「やった!赤壁で勝ったぞ!!」
周瑜「じゃ江陵もついでに取って来ますんで殿は援軍よろしく。劉備殿は南を頼みます」
孫権・劉備「了解!」
孫権・劉備「やった!荊州制圧だ!!」
周瑜「この勢いで早速蜀制圧と行きましょう。殿は防備の備えを、劉備殿には援護を…ウボアー」
孫権・劉備「!」
周瑜「これはもう駄目かもわからんね。俺の部下に龐統っての居るから、蜀制圧はこいつに聞いてね。」
孫権・劉備「シュ、シューユゥゥウウウウ!!!」
孫権・劉備「くっそー、早速共同で蜀を攻めるぞ!!」
龐統「共同で強引に攻めるより、同族の劉備殿が先に行って騙まし討ち、孫権殿が後詰の方がよろしいかと」
劉備「分かった。行ってきまーす」
孫権「気をつけてね!」
劉備「こんばんわ〜^^」
劉璋「おいすー^^」
劉備「甘いな、死ね!」
劉璋「ちょwww」
劉備「てめーが無駄に抵抗するから龐統死んじゃったじゃねーか!どうしてくれんだ!!さっさと降伏しないと酷いよマジで」
孫権『劉備殿お元気ですか?益州に詳しい甘寧たちを送っておきました。張飛君たちも行くそうです。馬超君にも連絡取っておきました』
劉璋「俺ハイスラで降伏するわ。。。」
孫権・劉備「ねんがんの 益州をてにいれたぞ!」
劉備「じゃあ早速荊州返すね」
孫権「まだイイって。しばらく関羽君に預けるよ」
関羽「有り難いんすけど、皆益州行っちゃって人材の層がかなり薄くて…南方にも手が回らないし…なんとかならないっすかね?」
孫権「じゃあ歩隲・呂岱ら南方の専門家と、陸遜・朱然・潘璋ら若くて活きのいい若い奴送っとくから」
関羽「ウホ、良い人材!!」
劉備「言ってる間に漢中取ったどー!!」
劉備「劉封を送って上庸も取ったし、俺TUEEEEEEEEEEEEE!!!!!」
法正「殿落ち着いて。そろそろ攻勢も限界だから一旦休ませないと」
孫権「こっちも合肥攻めてみたけど堅いねアレ。ちょっと手詰まり気味」
関羽「こんな時こそ俺の出番か?朱然!潘璋!!行くぞーー!!!」
関羽「なんか運よく大雨降って大洪水だし、呉の水軍UMEEEEEEEEEEEEEEEEE!!!!これ落ちるんじゃない?」
孫権「よっしゃ、じゃ張遼とかが援軍来れないようにもう一回呂蒙に合肥包囲させるぞ…ってそっち徐晃が来てる!」
関羽「やっべ徐晃強ぇえわ。誰かボスケテ!」
陸遜「そう思って援軍に来ました。あと南方も含めた州を上げての支援体制も整えておきました」
関羽「君天才じゃね?戦とか普通に上手いし敵じゃなくて良かったわ…つーわけで徐晃撃破と」
劉備「こっちも一段落着いたので荊州出身の黄忠・魏延あたりを上庸ルートで援軍に送っておきます」
関羽「曹仁の奴相当粘りやがったけど、ようやく落ちたか。曹操も遷都したしこれは大チャンス?」
陸遜「流石に一旦休息が必要かと」
関羽「そうね、とりあえず全国の反乱分子に檄文と印綬送っといたし。ただ朱然君たちは合肥っておくよ」
呂蒙「襄陽陥落の動揺は大きいね、これそろそろ落ちるよ」
呂蒙「ふう、任務完了。もう、休んでも、いいかな…」
孫権・劉備・関羽「りょ、呂蒙ーーー!!」
孫権「しかし、これで曹操勢力は瓦解寸前!一気に徐・豫の二州制圧し中原制覇に乗り出すぞ!!」
劉備「こっちも全軍を挙げて涼州を掃討、長安落として都を狙うぞ!狙う高祖の再現だ!」
関羽「正直余力こそ少ないがここからが最も近道!陸遜君荊州は任せた!」
〜五年後〜
孫権「あれから勝ったり負けたり紆余曲折があったが、これで奴らも翼・幽の二州を残すのみ。曹操も病死で天下は目前だな!!」
劉備「うーん、そうなんだけど…なんか僕ももう眠くなってきたよ的盧…」
関張「俺も俺も」
孫権「劉備関羽張飛ーーーーーーーー!!!ここまできてそんなーーーー!!!」
諸葛亮「孫権殿、悲しみは乗り越えなければなりません。劉禅殿を守り立てて天下統一事業を共に完遂させましょう」
孫権「…あれ?もしかして孔明君?久しぶりに見たと思ったら…え?なにいきなり君が劉勢力代表みたいな?」
その後曹家は滅び、献帝の後を劉禅が受け継ぎ漢室二度目の再興を果たし、
孫家は長江流域以南を全て含めた呉王に封ぜられ、劉禅の名の下「劉氏の天下の内は永久にこれを保障する」とされ
「北?なんか寒いし南の生活の方が幸せじゃね?」と思った孫権は温暖で豊かな南方の発展に大いに寄与した。
劉皇室と孫王家は婚姻関係を深め、後に北方が異民族に占領されるたびに孫家が復興させるのが恒例となったとさ。チャンチャン。
ちょwww魏カワイソスwww
でも反三国志より面白そう。
>>47 まあ呉蜀がココまで仲良いなら曹操は馬超無視して意地でも入蜀を邪魔しただろうけどねw
実際はほっときゃ必ず喧嘩すると読んでたハズ。
「反三国志の蜀軍はつよすぐる」と専らの評判。
>>44-46 IFモノとして一つの作品にするのなら、呉蜀連合も1度くらい大敗を喫したり
そのせいで裏切り者が出たり、裏切りのせいで誰かがピンチになったり死んでしまったり
そのせいで同盟が解消されそうになったり、それを乗り越えて更に固い絆で結ばれたり
そんな紆余曲折が欲しい所だね。
反三国志は、蜀を持ち上げると同時に他国を貶めてるからイクナイ。
敵には強大なままでいてもらわんと。
つか、関羽の北上を孫呉が徹底的に支援していたら普通に勝ってただろ。
関羽の攻勢と同時に合肥を突けばかなり危うかったはず。
曹操の本軍は長安にいるしな。
戯れ言を言いよって
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/11(日) 09:37:26 ID:V+mrLcPX0
日本と中国が力を合わせてアメリカを滅ぼす方法
について語れ!!!!!!!!
>>52 中国とインドを仲直りさせてヨーロッパを味方に付ければ何とかいける
ただしかの国は国土ごと地図から消してからな
>>50 そういう夢を込めて書いたのが
>>44-46じゃないかw
あんな一体感を持った二つの勢力なんか殆ど有り得ない、有り得ないけど、ロマンはある。
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/12(月) 17:12:02 ID:knXN+w3A0
実際は呉が合肥を攻めても夏侯惇に防がれて
荊州も、関羽は徐晃に負けて後詰に来た曹操に麦城を囲まれて
南郡は于禁の反乱で落ちて魏が統一でおしまいだろ。
>>56 上二行はともかく最後の行はないでしょwなんで呉を動かす前より魏が楽になっちゃってるのよww
申耽、申儀の例があるし南郡は守備兵がいない状態。
魏軍が近づけば戦わずに落ちるよ。
ちなみに関羽は大軍のため一気に南郡には帰れず麦城で死ぬだろうし。
呉を動かしたのは、もし南郡を攻めても横槍を入れられ漁夫の利を取られるから
なら呉蜀を争わせる一石二鳥の策を取っただけ。
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/15(木) 01:54:23 ID:PdzCxpjCO
な・なんだって〜
>>58 申耽、申儀の例って…そいつらは降伏してから将軍に取り立てられて守備負かされてるやんけ。
ただの捕虜に同じことできるとは思えんぞ。
国力比が魏・呉・蜀で4・2・1ぐらいかな
そして国力以上に都督クラスの人材の豊富さで魏が圧倒している。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 14:34:40 ID:X6vs+Uuq0
国力比は、魏・呉・蜀で5・2・1ぐらいだと思う。
国力差はもっとあったはず、ただ兵器・装備関連は蜀がもっとも優れてたけどな。
魏を5としたら
蜀2(うち荊州が1)呉1〜1、5位じゃないか
他に涼州が1、キョウドなどの北方民族が0、5位だと思う
一気に同じ進攻すれば勝てない戦争じゃない。
国力は人口の自乗同士で比較するのが常識。
某所によれば人口は
魏 443万人
呉 230万人
蜀 94万人
だったらしいから、
>>65の通りで行けば国力差はだいたい
魏:呉:蜀=22:6:1になる
蜀よええwww
国力は重要なファクターではあるが決定的なものではない。
袁家を滅ぼした曹操しかり、寡兵で快進撃を起こした孫策しかり。
呉蜀が盤石で、曹操死後に魏の反乱分子や異民族が一斉蜂起するすればあるいは……。
天下を三つに分けたにしては、ずいぶん差があるなw
…って、
>>66の計算間違ってね?
>>67 国力差は他の条件が同じときにだけ大きな意味があるのは当然。
だが国力の比較がまるで無意味なわけでもない。
しかも現実には最大勢力の魏の国内がいちばんまとまってたわけでw
>>68 たしかこの数字は
蜀が益州のみ統治、荊州を失ってからのものだったような気がする。
納税者戸数調査の数値だから蜀建国直後には実施できなかったでしょ。
この数値には青州兵とかはたぶん入ってないし。
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/15(木) 23:58:55 ID:r1u2hUxR0
戸数調査も、魏が押さえている中原の方がずっと進んでいただろうからね。
呉や蜀には、もっと潜在的な国力があったはず。
それでも魏が国力で、他の二国を圧倒していたことに変わりはない。
光栄三国志の涼州は途切れてるのかやたらちっさいけど、
当時の地図で国土だけ見れば涼州も荊・益州に匹敵する大きさなんだよな
寒いし異民族だらけだし、ずっとなんらかの形で戦争してるから荊・益にくらべりゃ期待できないが、
諸葛亮北伐時に馬超が生きてれば涼州連合敗北後に異民族一斉蜂起させて大反乱した時みたいに、
一発やらかして一気に涼州の大部分呼応させて戦力増強してくれそう。
まぁ荊州失陥で失った戦略拠点や夷陵の敗戦で失った人材の補充にはならないし、
確かまだ馬超の邪魔をした涼州豪族が残ってたからそれだけで平定とまではいかないだろうが、
長安を狙う面でそれなりに大きなものになりそうだけどなぁ。
蜀が長安を取れればヘタレの呉も少しは勝つ可能性もあるってもんだ。
>>63 たまに同じ意見を聞くんだが、どの辺が出展なの?
桃園三兄弟は実質呉がトリガーで全滅したようなものだし
呉しか組むとこがない時点で劉備は終わってたとしか言いようがない
やっぱ劉表のとこが最大の転機だったんだよ・・・
曹操は官渡大戦という転機を乗り切ったからこそ大陸を制覇するチャンスに辿り着いたんだしさ
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/19(月) 16:42:35 ID:fAuoEs4lO
劉備陣営としては、魯粛の死が痛いよね。
魯粛があと10〜20年生きててくれてたら、もっとマシな展開を期待出来たかも。
魯粛は孫劉同盟の立役者だし、劉備にとって恩人であり、理解者でもあったから、魯粛−孔明のパイプが維持出来ていれば武力衝突は回避出来たかも。
劉備は良くても、諸葛亮や魏延をはじめとする大多数の蜀の首脳や将兵にとって荊州は住処であり地盤
でも魯粛を含め呉は荊州を併呑しなけれは収まらない
魯粛がいたら双方の被害を最小限にしたかもしれないが軍事衝突自体は避けられそうにない
衝突を避けるには蜀の荊州人に故郷を捨てろと言うしかないからな
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/19(月) 21:56:19 ID:kyQSMtXx0
四方から攻めればいいとか言うけど簡単には行かないだろう。
まず連絡取り合うのが難しいしね。時間かかるし。
やっぱ最初の頃曹操捕まったじゃん?んで陳○が曹操のこと逃がさないで、
そのまま処刑されてればよかったんだよなw
曹操がそこで死んでいたら歴史はどうなっただろうか。
二袁と呂布が中原で覇を競い、孫策が江南を支配し劉備は徐州から天下をうかがう状況かな。
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/20(火) 12:22:07 ID:Fuxb9MXY0
それもまた面白そうじゃないかw
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/20(火) 19:57:44 ID:SIT8EZnT0
袁・劉・孫で三国時代が到来するだけじゃね?w
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/27(火) 23:54:43 ID:ZtyCdL9v0
曹操がいなくなったら、なんだかんだで袁紹が優位なんじゃないかな。
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 23:07:56 ID:lnUSwfvMO
袁紹が頭一つ飛び出る可能性は高いが、袁紹を見限って曹操に付いた連中がそのまま袁紹に仕えたかが微妙だね。
劉表よりはマシと思って袁紹に仕えたかもしれんけど、いまいち曹操配下から軍閥に成りそうな野心と能力のある奴が思い浮かばんのよ。
曹操に仕えなかったら一旗揚げて、軍閥に成りそうな奴っているかな?
袁紹から独立しそうな奴でもいいけど。
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 00:00:01 ID:FNqTWhVKO
李確
>>73 韓遂なら上手くやれるかもしれないが
馬超なんかじゃまとめられずあっさり潰される
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 10:14:22 ID:rHQ+Gqz/O
バトウ誘って、三方面から攻めれば良かったかもな。
ケイ州平定直後くらいなら、なんとかなったかもよ。
>>85 馬超を陰謀で破った楊阜は反馬超親曹操の先鋒にも関わらず、
降伏の際馬超に生かされた男。
対して韓遂は潼関の戦いの後夏侯淵にズタボロに負けて、
最後は自分の部下に殺されたって史実知らないわけでもあるまいに、
何の根拠で韓遂なら馬超より上手くやれると言ってるのだろうか・・・。
馬超が異民族を率いて乱を起こさなければとっくに長安以西は平定されてるし、
韓遂は西平まで逃げてる。
馬超が楊阜に敗れた後、張魯に兵を借りてキ山の包囲してなければ、
韓遂はもっと速く夏侯淵の進撃で敗北してる。
軍才に関しては韓遂は馬超に遠く及ばない。
馬超に欠けていたのは大局を見る戦略眼と時勢を見通せなかったこと。
もう一つ言うと馬超に兵を貸した張魯も涼州の馬超って存在を欲しただけ、
馬超に見限られ曹操の大軍が漢中に入ったとき張魯はもう勝機は無いと考えていたからね。
涼州史に馬超がいなければ曹操にあっさり漢中も涼州も平定されてたと思うよ。
>>74 正史三国志と太平御覧辺りかな
特に後者には蒲元という凄い刀鍛治のエピソードが採録されてて、蜀の武装の凄さを垣間見せる
あとは槍の発案者が諸葛亮だとか三国時代に発明された多くの武器や防具の発明者が蜀関係者だとする伝説がある
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 09:47:22 ID:Ew5bbp8r0
技術力の蜀なのか
>>90 久々に見たらちょうどレスが。
ありがとう、調べてみるよ
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 21:49:50 ID:wvdegweHO
晋の時代の話として、魏の武器は品質が劣悪だという評があったはず
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 23:21:51 ID:vvskIzLl0
1956年、中国江蘇省にある西暦3世紀・西晋時代の将軍・周処(265年〜316年)
の一体のミイラと共に発見された20点の装身具の中に透かし細工の飾りをあしらった凝った
造りの金属製帯留めがあった。
調べてみると、その帯留めはアルミニウム製であった。
一般的にアルミニウムの精錬技術が確立したのは19世紀になってからのことである。
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 16:08:33 ID:HLa/fWdh0
>90 鋳造刀ってそんなに切れ味出せるものなんだろうか
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 23:19:50 ID:oFXeSC450
>>94 何らかの原因で自然に精錬されてしまったアルミをたまたま拾って、
飾りにしたんじゃないだろうか?
その「何らかの原因」を知りたいのだが
ありゃ帯止めのごく一部をけずって分析した結果がたまたまアルミニウムだったけど、
疑問に思って再調査したら何度やっても銀という結果しか出なかったというオチがある。
つまりその時代にどうしてアルミがあったかではなく、発掘調査の段階でどうして試料に
アルミニウムがに混入してしまったかが現時点での課題だな。
有力なのは発掘隊の使ってた弁当箱という説w
>>96 どうも蒲元は刀に焼きいれて水で冷やしてたらしい
そうすると技法としては鋳造じゃなくて鍛造だろうさ
鍛造は一般的に物凄い火力を必要とするのであるが
四川の盆地には大量の森林があり、それが燃料となって鍛造武器を成立させてたんだろう
中原辺りでは前漢代に広まった冶金技術のせいですっかり禿山ばかりになってたので
土壌の保水力が弱まり土は流れ出して透明だった河が黄河になってしまったそうな
三国時代ともなればもう燃料不足で中原ではロクに冶金が出来ない
晋代に入って冀州で盗賊が富豪の葬式を襲って奪った物が棺桶の鉄釘だなんて話しもあるくらいに金属が精製できない
堅くて切れる鍛造武器対質の悪い武器では前者の兵士が強いのも当然の話だな
>>99 発掘物を削ったんじゃなくて、発掘物周辺に散らばってた切片を分析したみたいだよ。
発掘物そのものがほどほどの純度の銀だというのはまあ確定してるんだけどw
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 01:48:36 ID:5YZjLQHH0
いっそ、領土を取り替えっこして、
劉備が呉に、孫権が蜀に拠ってみたらどうなるだろう?
それぞれの地元の人材も入れ替えで。
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/20(月) 21:23:44 ID:bJ1dMnfe0
皆でタイムスリップしたら勝ってるかも!?笑
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 23:47:33 ID:2SjEKNvJ0
蒲元の話はどこまでほんとか微妙な感じ。どこの川の水か%まで
瞬時に見抜いたりw 木牛も発明とか書いてた気がするが。
たぶん蜀の武装というスケールでパワーアップは蜀軍はしてない
だろ〜w
劉備はそもそも人間的に誰かと対等に協力しようというタイプじゃない。
自分が糞のように詰んでる場合以外。
巴蜀四川は、毎日曇りみたいだし孫権なんか江南に育った人間がず〜と
いると鬱病になるぞ。空みてても曇ってるし絶望的な山に囲まれてるし
天下統一する気力も失せそう・・・
土地の出身者は外に出たがらないし外から来た連中は早くこんな土地
抜けたいとがんばるがお互い利権の思惑がずれてるのもあり上手くいかない。
江東政権だけで魏を倒す方法を考えたほうがいいかも。
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 11:58:58 ID:wLAgJofu0
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 21:54:58 ID:K21W8HSh0
>>105 だったら南方の開発を徹底的に進めて、呉が国力を高めないとな。
そのために必要なのは時間。
すなわちどれだけ時間稼ぎできるか。
百年ぐらい時間稼ぎしましょう♪
良スレ
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/17(月) 13:13:27 ID:XaZ9ES1f0
揚
>>105 鍛冶屋の達人は水を肌で感じるそうだよ
蒲元の話って水が重要な鍛造ならよく聞くエピソード
なのだがこの時代の武器って鋳造なんだよなぁ
もしかして一人別次元の天才鍛冶で鍛造でもしてたんかな
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/27(木) 10:03:55 ID:OLqrEA5H0
水より原料の鉄の方が重要な気がするな。
過疎スレ
赤壁の戦いの後、荊州の領有権を巡って争うこともなく、
劉備と孫権が手を組んだとして、
まず荊州を孫権に明け渡す
その後、劉備は蜀を乗っ取り孫権に明け渡す
蜀の北を攻めて孫権に明け渡す
西へ向かって攻めて孫権に明け渡す
南へ向かって孫権に明け渡す
グルグル回ってるうちに統一
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 21:55:14 ID:6AEoTT3f0
ぶっちゃけ北伐である以上不可能に近い
国力で勝ってるなら話は別だが国力は魏の方が圧倒的だし曹操のときは小さな反乱はあったけど政権が大混乱してたわけでもないしね
>>116 後に丞相まで連座して罷免するような反乱があっても政権が大混乱でないと申すか
>>117 曹操の力は安定してたからね
後々の司馬氏のクーデターくらいの混乱じゃないとチャンスはないよ
>>118 曹操が自分の手元に兵力とか権限の全てを集めちゃってるから
反乱が起こりまくって不安定だったんだろ
曹操だけ安定してても意味ねーよ
>>119 それほど不安定だったなら曹ヒに継ぐ過程で互解してただろう
国力や地理的な不利を跳ね返して劉備や孫権に逆転の目がでるほどの混乱じゃない。曹操生きてる間はムリ
>>119 それにお前の言ってる反乱って魏風の反乱だろ?
ショウヨウが罷免されたのは魏風の推挙にかかわってたからで別に重臣が反乱を起こしたわけではないよ
>>120 瓦解寸前だったじゃないか
曹丕が有能だったから事無きを得ただけで、状況は絶望的だった
>>121 それだけじゃないぞ
同時期有象無象の反乱が続発しまくってたじゃないか
第一魏諷の乱には大勢の有力家臣が関わってた一大事だぞ
>>122 あの程度ならどんな政権でも起こりうる。
反乱が起こったのは中央集権だったからじゃなく赤壁の敗戦や関羽の侵攻に便乗して連座してたから。だから数が多いものの規模はそれほど大きくない。事実そのつど対処できてた。曹操が生きてる間にはあらかた片付いてる。
遷都考えてたくらいだし曹操にとって厄介だったのは確かろうがお前が言うように勢力が瓦解するほど絶望的じゃない。事実徐晃を援軍によこす余裕があったんだから。
あくまで一時的なもんで劉備と孫権が逆転できるくらいのモンじゃないんだよ。
魏風の反乱は有力家臣の子供が主な加担者。重臣たちが直接加担したわけじゃない。
お前ちょっとものの見方が極端すぎじゃない?解釈が独自的なのかもしれないけど。少し冷静になれよ。それじゃ意見の押し付けだぜ?
それじゃ失礼。
>>123 >事実徐晃を援軍によこす余裕があったんだから
援軍は曹操と関中の軍の中から送られてるのであって余裕じゃなくて必死だったんだろ
余裕があったら于禁のように中央から軍勢送ってるよ
それで何とか関羽を撃退して何とかなったからそれ程大きな問題にはなってないが
直後にも呉に荊北をばっちり奪われてる
これも即座に取り返せたから大事になってないだけで、中国の歴史を見れば襄樊が南朝側に落ちるってのは一大事
それでもまだ危機じゃなかったとでも言うのか?
>魏風の反乱は有力家臣の子供が主な加担者
有力家臣の後を継いだ奴らもまた有力な家臣
張繍の子、張泉は大きな食邑を所持してただろうが
曹丕が有能だったから魏諷の乱だって未然に防げたんだぞ、わかってるか?
俺は極端じゃなくてお前が無視して断言してることを拾って「そんな馬鹿なことあるか!」って突っ込みいれてるだけだ
>>124 そうかい、ありがとう
解釈が平行線だから衝突するのは仕方ないけどね
他人に対してそんな攻撃的な態度をとる人間とこれ以上話す気は起きん。話し方も断定的だし。
失礼
126 :
125:2008/03/01(土) 22:39:59 ID:vXG4NBjR0
あ、あと曹丕の手腕が見事ってのだけはおれも同意だね。初めて意見があったなw
改めて失礼
>>125 >>118>>120>>121の全て断定的で他人にそういう批判する資格も全くないんじゃね?
少なくとも俺は事実に基づいて考えてるし書き込んでるつもりだから「根拠は?」って問われれば答える用意はある
>>127 俺が断定的というならお前にも同じことが言えるよ。
そして意見が交わらない以上に見ず知らずの他人に
はいはい、ワロスワロスとしか言えないな とか わかってるか?
とかって平気で言えるモラルのない人間とは話したくないんだよ。いくら気に入らなくてもそういうこというもんじゃないよ。エチケットとして。
とりあえずスレが荒れる前に俺はエスケープします。
>>127 俺が断定的というならお前にも同じことが言えるよ。
そして意見が交わらない以上に見ず知らずの他人に
はいはい、ワロスワロスとしか言えないな
とか
わかってるか?
とかって平気で言えるモラルのない人間とは話したくないんだよ。いくら気に入らなくてもそういうこというもんじゃないよ。エチケットとして。
とりあえずスレが荒れる前に俺はエスケープします。
あくまでifスレだからあまりマジにならないほうがいいな。
事実を語らない以上水掛け論になるのは必至。
劉備と孫権が力を合わせて曹操を滅ぼすのは
たぶん不可能
とりあえず127と128だったら
128のほうが人間的には間違いなく優れてるね
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/01(火) 00:28:41 ID:5Yq6TualO
力を合わす事自体が構造的に無理だろ
ほんらい魏と呉の南北戦争だっただけの所を、孔明が三国鼎立という魔法で、蜀の存在を可能にした
この三すくみが崩れたら、最弱の蜀が真っ先に潰れる
だいたい蜀なんて日本でいえば当時の蝦夷か樺太みたいなもんで、中国と呼んでいいかも怪しい場所
実体は僻地に逃げ込んだ地方軍閥に過ぎず、魏の二大敵国は呉と凶奴だろ
>>133 蜀という地方のこと知らないにもほどがある
>>134 いや、おれは結構的を得てると思うぞ
今はともかく当時はろくに開発されてないうえに異民族の影響もある。劉エンが蜀とった時もこいつ等との争いに死力尽くしてたし。
成都以外は山ばっかだしそもそも移動が難儀で大軍で外に出る事すら一苦労。桟道行き来してたんだからしょうがないけどほとんど陸の孤島状態
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/03(木) 01:54:15 ID:tYW2toa4O
あと三国で唯一海なし県な件
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/04(金) 06:01:51 ID:ZDEOkz9tO
>>135 当時の水準ならほとんど開発され尽くしてた土地じゃね?
製鉄所やら治水施設やらもあったし
むしろ揚州の方が未開発地域だろ
まぁ僻地の最弱国ってのは事実なんだけども
つーか蜀は言わずもがな、呉も湿地と異民族の侵攻が多い僻地って事には変わりないんでしょ?
大河や山はさんで抵抗することはできても自分から中原まで出てってどうこうっていうのはムリなんじゃないか?
せめて襄陽を支配下に入れないと話にならない。
関羽=神な扱いで、関羽が曹仁と戦ってるあたりで、孫権が全軍で合肥を攻めてくれて、劉備が二方面から長安攻略でなければ、やっぱ無理でしょ。
襄陽とっても「話にならん」が「もしかしたらいけんじゃねえか?」になる位のレベルだと思うけどな。
やっぱ兵力差はいかんともしがたい。他にも生産力でも差あるし侵攻戦だから土壌とかでも不利だし
もしかしたらは20%くらいと考えてくれ
20%は大きいぞ。
2割もあるのか?
俺的には例えば合格判定2%の絶望状態が、6とか9とかになるくらいの勝率だと思う
>>146 魏は、寄生獣に出てくる後藤と同じようなものと思えばいい
一見まだ優勢に見えても、見えない部分の無理が祟って一気に崩壊する可能性はあるよ
具体的には豪族や隷民の反乱、官僚の反抗、異民族の蜂起
負けが込んできたら連鎖的にこういったことが起こる可能性は十分ある
もちろん可能性でしかないけれど、魏に項羽と戦っていた時の劉邦の地盤のような安定は望めないということ
そんなこと言ったら、襄陽が落ちなくたって、可能性はいくらでも上がる。
五虎レンジャーと巨大ロボで倒せるお
(`・ω・´)
>>148 いやだから襄陽が落ちるということは連鎖の起点になるかもね、ということだ
許まで一直線だし、魏王国内でも陰謀があったし、関内は劉備が狙っている
孫権が荊州を攻めず曹操攻撃を優先すれば、という可能性の低い仮定の上であれば、曹操の政権は極めて危険な状態に陥る
魏王国内での陰謀は既に潰されてるし
劉備は成都に帰ってるんだが…
呉用指令の承認があればいつでも合体可能だお(`・ω・´)
中川清秀はなぜ、天下統一を成し遂げして幕府を開けなかったか教えて。
チャンスはあったと思うお
呉用先生は水滸伝?
ジャイアントロボ?
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 18:18:30 ID:ZywKyag90
巨大政権の中の膿の問題を言い出したら歴史上どんな政権にもつき物だろ
反乱は治まってるしそんな特筆できるリーチ目じゃなくない?
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 18:24:05 ID:ZywKyag90
ていうかそんな不安要素が全部一気に表に出るのなんてそれこそ天文学的確立だろ
大荒らしや大地震の方がまだ確立あるよ。そんなのに期待してどーすんの
156 :
155:2008/04/18(金) 18:29:15 ID:ZywKyag90
失礼、確立じゃなくて確率でしたwwサーセンwww
157 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 18:41:43 ID:ZywKyag90
黄巾の頃の後漢や三国時代末期の混乱や政治腐敗に乗っかってってなら話はまだわかるけどさ
むしろ曹操の政権は無難に安定してたんじゃねえか?
名士連中は抱きこんでるし異民族はちょこちょこ反抗するだけであらかた帰順してるし
なにより曹操っちゅうリーダーが健在だもの
そんな都合よく一気に崩壊するもんか。こじ付けにもほどがあらァ
それは日本が明日すぐにパンピ−までかりだされるヒドイ戦争状態になるようなもんだぜ
ありえなくはないけど現実味はないでしょ?
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 18:42:34 ID:ZywKyag90
以上、連投で失礼しました
>>155 > 大荒らしや大地震〜
大荒らして何?
君のこと?
ど疲れ様(*´Д`)
>>157 > 黄巾の頃の後漢や三国時代末期の混乱や政治腐敗
> 無難に安定して > そんな都合よく一気に崩壊
>明日すぐにパンピ−までかりだされるヒドイ戦争状態になるようなもんだぜ
> ありえなくはないけど現実味はないでしょ?
支離滅裂、日本語で良いからさ。
結局、誰、目線なの?
観点も論点もズレてるし、持論に突っ込んだりされてもねぇ。
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 14:08:31 ID:QBmbKCVJ0
>>160 コイツってひょっとして上の方でやりあった挙句に暴言吐きまくって過疎らせたヤツじゃねーか?
とりあえず言葉使いは考えれば?俺はお前らみたいに詳しくないから三国志的にはどっちが正しいのかはわかんないけど
お前の方がアタマ悪そうだよ。ただ口ゲンカ売ってるだけじゃん。常識ねーと嫌われるぜ。
周瑜が狙ってたみたいな
益州獲って馬超と結ぶってのはだめなの?
劉備の扱いにこまるけど
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 14:51:27 ID:QBmbKCVJ0
中原になかなか出て行けないから難しいんじゃないの?
劉備には魯粛みたいな親派がいるし確かにジャマくさそうだよね
>>162 周瑜がそれを考えた時点でならそれなりに実現性もあったと思うよ
赤壁後の曹操が兵力の面でも気力という点でも弱体化していたのは明らかで、孫権にとっても対外進出の最大のチャンス
これも「実際には劉備が素直に協力してくれない。というか劉備が邪魔をする」という点が問題になってくるけれど
165 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 15:27:42 ID:QBmbKCVJ0
周喩が生きてる時点ではまだコウリョウが落ちてなくて一年くらい戦ってやっと攻め落としたんじゃなかったか?
落したあとだっけ?呉がこの時点でどれくらい余裕があるかによるよね
>>165 シュウユの陣頭指揮あっての話しでしょ?
戦力的に余力があったとしてもシュウユが陣中で没したともあれば壊滅状態に陥る可能性もある訳で…
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 21:45:18 ID:ejrnCaVm0
ていうか周喩が死んだ時点で積極派はいなくなって呉は防衛第一の国になるから
生きてる間で最低でも中原にはでなマズイ
呉の国そのものがそもそも天下統一の意志ないからね。日和見主義の孫権がその気になるくらい懐に入ってないと
ていうか、
深手を負った事を敵方に漏らさぬ様に、隠して戦っていたわけで
指揮官が負傷している事が敵に知れようものなら戦況も変わるだろう。
双方の末端の兵の士気にも、大きく影響を与えるだろうし。付き従っている豪族の動きも怪しくなる。
勢いにのる呉軍が曹仁相手に一年近くを要したのは曹仁の活躍も有るだろうが、周喩が指揮を徹底して執れなかったという事を考察出来る。
追撃戦に及ばなかったのも、周喩の容態があっての事ではないだろうか?
周喩の負傷がなかったor軽傷だったということなら、その後の展開を考えられなくもないが
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 16:46:18 ID:NdCanznQ0
逆に言えば総大将に深傷を負わされるくらい苦戦していたとも考えられる
確証はないが、周喩の負傷は流れ矢という記述があり、不運という類かと思う。
蜀が襄陽とった時点より有利な状況ってのが思いつかないんだが…
あそこでダメだったんだもんなにやってもムリ臭くね?
一時期取ってなかったっけ?
手中手前。ジョウヨウ城は取ってたかな?
襄陽とったのは呉
すぐ取り返された
無理ぽ
そもそもあの時点で劉備と孫権が協力ってのがムリ
だって孫権にしてみたら縁組は断られるわ食料盗られるわ荊州返してくれないわ
その上で曹操と戦う劉備を援護しろって?ふざけんじゃねーよ
って孫権だって思うはずだよ
もし万が一勝っちまったりしたら孫権は劉備の下につくしかなくなるしね。
あの仲違いは起きるべくして起きたもんだよ。協力してくれるわけがないもの
縁組みはさすがに講談の類いでしょ
孫夫人、雌犬?
一時期、劉備が犬の義弟だったってことじゃん(´∀`)♪
つまり自分も犬
の義弟
手放しで協力できる状況じゃなかったことにかわりはない
曹操がいなきゃ劉備だって目の上のタンコブなんだから孫権から見れば
荊州返す云々は孫権には全く正当性は無いわけで…
(ま、劉備も益州〜については国を分捕って酷い話しだと思うが)
兵糧云々も荊州で一悶着あった後なわけで…
関羽も呉に対して備えは、しっかりしていたのを考えると
人選さえ間違わなければ、
呉も手が出せなくて曹繰に向かうしかなかったんじゃない?
人的要因が大きいんじゃね?
それを考えるとホウトウが死んでなければ…と思ったり
孔明かホウトウが荊州にいたと考えると結構良い線いくかも。
まだ足りないとしたら
徐庶もオマケで
どっちにしろ、タラレバだから
演技好きの君にはぴったりだと思う。
連投失礼。
演技好きの君にはぴったりだと思う。とわざわざいってくるあたり
ID:xbeuT7AMOがガキなのはわかったが(ひょっとしてまだ縁組みのこと言ってるの?)
俺的には劉備の外交センスの方に問題がある気がするけどね。荊州で戦うなら孫権との関係が火を見るより明らかなのに特に手を打ってないし
まあキミの意見そのものにはなるほどって思ったしエチケットと礼儀を弁えれば社会にも出れるよ。
はなから呉にはあまり期待していなかった。
邪魔はしないでね-☆
程度の感覚だと思う。
外交云々も荊州で呉に三群奪われたときも一応、かなりの譲歩して修復してるし。
話しを戻すけど劉備の勢いはかなりのものだったんじゃないかな?
漢中にて夏候淵を倒して漢中王を名乗って〜関羽に呼応して反乱も各地で起こってと絶頂だったハズ
呉と同盟結んだ曹繰が上手だった。
面白くない孫権からの申し出という話しもあるが…
劉備寄りで考えれば結局、荊州の防備の人選間違い、人材不足という考えに行き着く、
ホウトウもそうだが法正も惜しまれる。
形勢が傾けば呉も尻馬に乗るしかないのだから…
結果としては曹繰陣営(孫権)の外交力の勝利だったわけだけども
〉せめてビホウでなくてビジクなら、まだましだったかもね。
でもビホウって徐州以来の古参だから人選的には妥当じゃね?
孫権が尻馬に乗るしかないってのは一理あると思うけど
>>万が一勝っちまったりしたら孫権は劉備の下につくしかなくなる
んだからやっぱ素直に協力してくれるとは思えない
そもそも平面の勝負で曹操に勝てるかどうかも結構バクチ的なのに
もちろん可能性はあったと思うけど
破竹の勢いはあった(笑)
孫権も劉備が漢中王を名乗った時点で面白くないのは当然だと思うし、
趨勢が完全に劉備に傾向いてしまえば、劉備の下に付かなけばならない。
天下三分と言い出した張本人が孫権が都合良く付き従ってくれるとは考えていないでしょう。
劉備陣営も、同盟があるとはいえ、スキを見せれば孫権が手を、こまねいている訳がないのは承知の上で
相当の防衛を割いていたわけだけども
人材面がマシなら荊州の防衛自体は可能だったのでは?
易々と手を出せない位のネームバリューのある武将がいたならと思う。
小競り合い程度はあったかも知れないが…
〉陸遜、呂蒙に当てるとなれば、ビホウでは多いに役不足なのは分かってもらえると思う。
寿命で呉の丞相にはなれなかったが陸遜に次ぐ潘濬。
古参で外戚に近い糜芳。
人材が少ないと言うよりも、やはり関羽では使いこなせなかったほうがでかいよ。
>>185 >はなから呉にはあまり期待していなかった。
これは無理があるだろ。揚州の夏候淳を呉に牽制して貰わないと。
むしろ、呉のほうが蜀に期待してないから単独で魏と戦うため荊州を
取ったんだと思うよ。
>>187 確かに関羽一人を孤立させすぎた感はあるね
>>188 孫権、劉備にしたら二十六軍が野放しになってるのは危険すぎるしね
>>188 陸遜に次ぐ潘濬といっても、後々の孫権の劣化を考えると上手く取り入っただけかも知れない。
やたら糜芳を推すけど、投降後の活躍だとかがあるなら、関羽が使いこなせなかったと考えてもおかしくないけど…
両者とも軍事戦術面で呂蒙、陸遜を防ぐに足る人物だったかは疑問。
>揚州の牽制は劉備がどうのという以前の問題で拮抗状態というか、
互いにスキあらばと狙っている状態だと思うし
>>単独で魏と戦うため荊州を取ったとしたら、戦略は大成功なわけで…で、その後の展開は?
孔明→馬謖
関羽→糜芳他
ぐらいの位置にはいると思うが
曹操陣営にしても周喩よりも、遥かに関羽の方が脅威だったのでは?
>>190 潘濬は投降した時から別格の待遇を受けて、荊州の軍事全般に意見
を求められてるのに。なんで、老化とか上手く取り入っただけとかでるんだ?
糜芳は曹操に兄と共に評価されたりしてるよ。決して両者共に関羽が軽く
扱うべき人物ではないよ。
だいたい、蜀の荊州の本拠地の公安を守ってた士仁が兵士がいなくて
泣きながら降伏してるのに、軍事戦術面を挟む余地がないだろう。
>曹操陣営にしても周喩よりも、遥かに関羽の方が脅威だったのでは?
比べ方が違うが周瑜は曹操に「周瑜なら負けたのを恥とも思わない」と
言わせたし、劉備も恐れて信頼関係を崩そうと悪巧みをしてるぐらいだからなあ。
戦術面で言えば荊州での曹操陣営との戦い振りを考えると遥かに
関羽>>周喩
だと思うが?
赤壁直後にも関わらず曹仁を攻めあぐねていた訳だし。
ビホウの人物評の出どころは検討がつかないのだけども…
曹操陣営では関羽以外、人物なしとも言ってるよね。
君がいうには呉にしてみれば大成功の戦果だったわけでしょ?
その後の展開は?
潘濬の寿命で丞相になれなかった…も結構、勝手な話しだと思うよ。
仮に成れたらどう展開したかも疑問だけど…
〉〉曹操・劉備・孫権の間で歴史の局面が大きく変わるとしたら、
呉なら赤壁後、蜀なら荊州〜しかないんじゃないの?
この2つも、かなり設定をいじらなければ結果は変わらないでしょ?
可能性を数%上げるぐらいの話しをしているだけなんだし。
方面軍の最高司令と考えたら周喩に遥かに及ばないと思うが、侵攻軍として一軍の将と考えた場合に関羽は最高クラスの将だと思う。
確かに攻めてる時は強かったからな
だけど管理能力が決定的に無いからな。その関羽に一方面の指揮を委任しなきゃならなかった時点で人材的には厳しいでしょ
だから結果はあんなん。トリガーは孫権だったけど足が止まればあのまま孤立してる限り必ずどっかでムリが出た筈だ。
どっか遊牧民的だよな。やっぱあそこらへんが限界だったんだと思う。
放浪期間が長すぎて、方面司令的な人材に適任者がいなかった。
関羽に、こなして貰うしかないわけで…勢力がその地に定着していなかった悲しさだと思う。
遊牧民的って感じてしまうのも分かる。
関羽の補佐、留守役に相当の人物がいれば、まだ……ね。
>>197 それは同意
ただ漢中、成都とかなり離れているからね…半独立的な形で指揮を執るしかない
個人的にはそれこそ諸葛亮くらいの補佐が必要だったと思う
戦争をする以上ずっと攻められるわけでも勝ち続けられるわけでもない。不安定な状態になった時に本拠地を管理できる人間がいなかったと思う
>>194 潘濬伝を読んで反論してるのか。
悪いけど、ろくに調べもせずに想像でしか語ってるようにしか思えないのだが?
日本語でおk
つまんね。
lH4dYeZ/Oは調べもせず荒らしたいだけか。
関羽が潘濬、糜芳を使いこなせていれば呂蒙、陸遜に対抗しえたというのもかなり強引な話しでしょ?
誰なら使いこなせた?
何度も聞くけど、単独で魏と戦うため荊州を取ったんだというなら、その後どう展開すれば呉の望む形になったわけ?
南郡は固いから徹底抗戦の意志さえあれば守れた可能性はあるでしょ。
魏だって簡単に南郡が落ちるとは思ってなかったからね。
関羽じゃなければ麋芳・士仁も徹底抗戦したかもしれない。
まあ関羽以外を都督にできる状況じゃないからしようがないけど…
潘濬は実際優秀なんだが当時は治中従事じゃなかったっけ?
軍権が無くてはどうしようもないから関羽じゃなくても同じでしょ。
単独で魏と戦う為というよりは防衛できる為といったほうが近いと思う。
荊南が無ければ孫権が皇帝になれたかも疑問。
一応構想としては蜀を攻めるつもりだったようだけど難しいだろうね。
呂蒙が死んで詳細は分からないけど…
だから兵隊がいないのにどうやって、徹底抗戦するんだ?
降伏した于禁軍にでも協力してもらうのかw
治中従事は政治よりの官だが当時の士大夫、豪族は文武両道が当然で
私兵を持っているのに軍権がまったくないというのは無理がある。
だいたい、孫権がいきなり将軍職を与えたり、軍事に意見を求められたのは
記録はされていないが蜀でも将軍位を貰っていたんだろう。
>>204 譜代の家臣を差し置いて、降伏してきたものを丞相に据えたりするとは思えんが?
劉備の様な勢力とは訳が違うんだから
>文武両道が当然とはかなりの憶測で呂蒙、陸遜に匹敵するなら、軍事面でも大活躍だったのでは?丞相に任命されるくらいに信頼されているわけだし
> 私兵で徹底抗戦してほしかったものだ。
将軍位を貰っていたなら私兵の数も文官の比ではないし、
文武に明るいなら関羽云々でなくて漢中辺りで、大活躍だったと思うよ。
出世も望むがままだっただろうし
lH4dYeZ/O=zg9WWcfCOか?
マジで潘濬伝読めよ。そこらへんの疑問は全部載っているんだから。
だからそれほど人物だから劉備は益州に呼ばないで荊州に置いたんだろ。
劉表の頃から若くて一目置かれて、呉では陸遜に並んで中心人物なんだから。
>>206 その辺の呉の記述はアテにならんよ。
孫権も晩年の劉邦くらい劣化してたし、功労者殺したりで、国も腐ってたからなぁ…。
>武功たてられるほどなら、関羽と共に攻めいってなければ情勢的に変だよ。劉備に認められてるなら、関羽もおろそかに出来ないし。
劉備陣営、総動員で戦ってた訳だし。
>そこまでの人材なら、馬良より有名でないのも、おかしい。
関羽が疎かにできない人物たちを驕慢に振舞っているのは呉書でなくて
蜀書に書いてあるんだぞ。
>>209 スレ違いは明らかにおまえだろ。
何度も聞くけど潘濬ビホウ、が加わった呉が曹操をどう倒せる目論見なのさ?頼むから説明してくれない?
関羽の北伐で呉が邪魔しなければ曹操を倒せたとでも思ってるの?
あと質問の意味がよくわからないだか。
もともとが荊州に人材がいないから関羽は負けたんだって話なのに
なんで呉に潘濬や麋芳が加わったらって話になるんだ?
せめて、呉が荊州を得てどうやって魏を打倒するんだって事だろ。
潘濬伝ってそんなに信憑性の高い史述書なわけ?
史学者御用達というんなら話しは別だが
それほどまでの人物なら、通説として、まず敗北の要因に挙げられているんじゃねえか?
勝てる要因の話しをしていないで、呉の太鼓持ちやってるのはお前だろうよ。
>>211 呉が荊州を得てどうやって魏を打倒するんだって事を教えて下さい。
張飛伝に書いてあるだろ。
「驕於士大夫」って陳寿にも敗北の要因に挙げられているし。
呉の戦略事態は正史に載っているんだから議論する必要がないが
関羽の北伐で呉が揚州を攻めればと同じぐらい馬鹿な話なら
劉備が夷陵の戦いなんぞしないで北上すれば、曹丕が継いだばかりで
不安定な魏に襄陽を得た呉が許都や洛陽を攻められた可能性があるな。
逆に蜀呉が魏を打倒できない理由を挙げてみては?
いや常識的に考えればわかるだろうけど二人とも話の趣旨に齟齬がでてるみたいだから念のため
>>214 それは陳寿の考えたストーリーだから
単純に蜀は攻勢限界を超えて攻め込んで、呉はそれを見抜いてたってだけ
3万の捕虜に最低限度の飯を食わして管理してる状況で新たに数万の敵に攻められたらまともな防衛戦なんて出来ない
>>215 呉蜀合わせても国力が上の魏が、呉を滅ぼすのに晋の時代まで
待たなければいけなかったのと同じ理由。
>>214 それは関羽の性格的な問題を言ってるんで
潘濬を使いこなせないで負けた云々の話ではないでしょうが
>>217 魏にとって、名目上、臣下の礼をとってる呉をわざわざ滅ぼす必要なかったからじゃないの?
孫権の劣化が極まって放置しておいても衰退していく始末
最後は誰もがご存知の通り、勢いついでに滅ぼされたわけだけど
>>188 > 寿命で呉の丞相にはなれなかったが陸遜に次ぐ潘濬。
陸遜は丞相になったせいで寿命を縮めて孫の代で断絶してるわけだ(笑)
> 古参で外戚に近い糜芳。
虞翻の態度が呉の将兵の感覚で正しいと思う。
劣化孫権は呂壱などという人物を重要し始めて国を腐敗させたりする始末だしね。
> むしろ、呉のほうが蜀に期待してないから単独で魏と戦うため荊州を取ったんだと思うよ。
結果、盤石の体制で攻め込んだにも関わらず、曹仁にいいようにやられてる訳だが…
呉の土地柄を考えても、投降人物なんぞを丞相に立てようものなら豪族連中の反感を抑えられるハズもない。
呂壱をただの佞臣扱いするのは不見識極まりないな
>>222 ほっとけよ。正史もまともに読んでないの丸わかりレス付けてる
奴に理解なんかできないんだから。
そもそも、潘濬伝てトンでも本じゃん
信長記ぐらいの扱いだろ。御当地伝説の類と言っても問題ないと思うが
それと呂壱の正当性を示す史書でもあるのか!?
また、はぐらかしの時間稼ぎか…
関羽のいうように孫犬は孫犬なんだよww
陸遜もうかばれないよね。
豪族の寄せ集めに期待した劉備もバカだよなぁ
田舎ヤクザの頭のようなヤツがよく言うわw
逆にそんなチンピラ集団まとめてまがりなりにも一国仕立てたほうがすごいけどなwww
まがり国家ww
ウケるww
台湾辺りに奴隷狩りに行くような野蛮国家擁護者は同じく野蛮だね。
コワイコワイ
>>229 いやさすがにそこまで言ってないんだが…
呉書って、初代丞相と言われてる孫邵の記述もないような国だからな。
紛失しただとかいうなら分かるが…理由がアレだぜ。
潘濬伝だっけ?
捏造本だとか言われてもしょうがないだろ。
孫家は長生きしたらろくでもない奴ばっかりだったのかもな?
単純に孫権が歳食ってモーロクして国がガタガタになっただけだろ
半世紀も国を治めた手腕は見事だがやっぱ人間だし70にもなったら当然若い頃と同じってワケにはいかないじゃん?
孫権はうるさい張昭が死んだあたりからおかしくなったような。
∧_∧
( ´・ω・`) ∧_∧
/ \ ( ) 何言ってんだこいつ
.__| | .| |_ / ヽ
||\  ̄ ̄ ̄ ̄ / .| | |
||\..∧_∧ (⌒\|__./ ./
||. ( ) ~\_____ノ| ∧_∧
/ ヽキモイな \| ( ´_ゝ`) 誰か警察呼べよ
| ヽ \/ ヽ.
| |ヽ、二⌒) / .| | |
.| ヽ \∧_∧ (⌒\|__./ /
潘濬伝持ち出した奴が建安文学〜って他スレ荒らしてたみたいだ。
建安文字 だろw
結局あのまま曹操厨とアンチのいがみ合いで300レスくらい続き、最後の方信長が全くでないでスレが落ちたというw
>>236 スレ立ったみたいだよ。
呉書は読むのは楽しいけど、信憑性がなぁ
>235潘濬伝なんか持ち出して説明もせず逃げ出したんだからね最悪だよね。
呂壱擁護なんて絶対アレな人だよカワイソス…。
>>238 皇帝権の弱い後で豪族との軋轢が生まれてるんだから
呂壱をただの佞臣と断じて思考停止するよりは、孫権と豪族の綱引きがあった可能性を模索すべきでは?
勿論孫権の年齢による判断力の低下は配慮に入れるべきだし
米の名産地で皇帝なんぞやってアル中になってたであろう孫権が正気を失いつつあった可能性も大ではあるが
バランス感覚を失ったからこそ、それまで孫権が豪族達にどういった感情を抱いてたかというのも見えてくると俺は考える
典校って将軍やら大臣やらの不正を暴く監察官なんだけど、呉でも魏でもこれの導入がものすごく抵抗されるんだよね
まぁぶっちゃけどこも大臣や将軍なんて不正や汚職の温床だったから、腹のうち探られるのがやだったんだね
ああ、魏では校事だった
で、そういう憎まれ役だった呂壱とかはそりゃあただでさえ悪く言われるし、導入した皇帝を頼るしかないから皇帝を頼れば「皇帝陛下の威光を笠に着る佞臣」とか言われちゃうわけだ
劣化後の孫権に寵愛?を受けている時点で、
佞臣のそしりは受けても致し方ないと思うが…
忠臣が誅殺、謀殺されている訳だしさ
>>242 史書で忠臣扱いされている連中が本当に忠臣であるかはわからない
>>242 劣化後とか忠臣とかいうのは先入観じゃないか?
皇帝に刃向かい校事を止めた(いわゆる抵抗勢力だな)ことが忠臣と呼ばれ、
大臣、将軍(=豪族・名士)の利益を校事を使って侵害しようとしたなんて耄碌したからに違いない、とされる
呂壱擁護はどうでもいいが…
>>224が潘濬伝及び呉書を否定しといて
呂壱は佞臣扱いっていうのが一番面白かった。
何の史料をもとにしてるんだかw
大正義って何ですか?
>>246 ×大正義
○孫正義
つまり三国志はSoftBank(呉)対DoCoMo(魏)対au(蜀)のことだったんだよ!!
おもしろーい
オモロww
251 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 14:14:06 ID:1SWFtTxmO
爆笑
252 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 15:08:00 ID:Cf96xpym0
(^ิ౪^ิ)
おもしろい
面白いo(^^o)(o^^)o面白い
ハライタイ
すげえ面白い。
>>224こいつ本気で言ってるんだろw
>>257邪魔すんな低脳
×大正義
○孫正義
つまり三国志はSoftBank(呉)対DoCoMo(魏)対au(蜀)のことだったんだよ!!
オモロww
eYhF1yq3O=QFgiGKFDOか?
↑おもろいな
>>259 前日まで毎日のようにレスしていて
その後この流れだからなwww
面白い
eYhF1yq3O=QFgiGKFDO=B7lsEUefO
面白い
スレタイオモシロ
おもしろ
268 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/16(金) 23:25:22 ID:Fj81yHw/0
劉備→徳川家康
孫権→織田信長
に交代。
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 05:10:22 ID:jDzr8bSo0
呉蜀同盟が信頼に足る堅固なものなら、多方面からの軍事行動も可能だな。
蜀が漢中制圧後として、長安・樊城・合肥への同時進行作戦はどうか。
とりあえず、最初に動くのは樊城攻撃だろうな。
関羽が戦局を釘付けにして、その間に長安・合肥への侵攻を開始。
実際の樊城攻めは蜀側の軍事行動と呼応していないが、連携出来れば一気に
中原侵攻も出来ると思う。
270 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 09:36:53 ID:oq6kTBnZ0
孔明大好きな俺は、「秋風五丈原」と聞いただけで涙ぐみそうになる・・・。
なんかイメージがすっかり出来上がってるんだよな・・・。
>>272 そんな大所帯で行軍したらあんな支流の多い所じゃ身動き取れないだろ
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/20(火) 17:48:36 ID:PK18F1RO0
>>1 呉が関羽を攻めずに、揚州・徐州を攻めて魏軍を牽制してれば
関羽は襄陽は取れただろうし、220年に曹操が死んでるから
呉と蜀が連携すれば、東晋が洛陽・長安を落としたように
呉蜀同盟が洛陽・長安を落としていただろう。
で、関羽が荊州北部落としたところで呉に旨味は?
ぶっちゃけ荊州北部取ったら蜀は呉と手を切る公算大だし、呉は蜀の攻撃防げなくなるよ
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/22(木) 12:47:04 ID:HTuszSDX0
>>275 だから・・・・力を合わせた場合の話をしてるんだろ・・・・・
荊州を落とした時点で両者は力を合わせる場合というのがかなり無くなるってことね
まあそもそも
食糧強奪するよ、領土は割譲しないよ、でも軍事支援はしてね、援軍もちょうだい、二十六軍にもプレッシャーかけてね
こんな条件で力合わせるとか言うのがそもそも無理だっつうね
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/25(日) 11:04:27 ID:41QMrvuRO
おまいらの言うような呉蜀の同盟を考えるなら関羽や張飛が一人で一万人を討ち取ると考えたほうがいいんじゃないのか
スーパー孔明タイムで突然ソーソーが焼死とかさ
んん?
そういう捻くれた偏屈さは捨ててもっと柔軟に考えてみたいか?
両国の関係が非常に良好で、共に魏を打ち倒した後は漢の臣として
献帝を立てる立場に戻った、とか。
281 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/25(日) 11:38:23 ID:41QMrvuRO
>>280 それってスーパー孔明タイム的なものが発動してませんか?
>>280 献帝が生きてるのに皇帝自称した劉備ととりあえず雰囲気で皇帝になった孫権が漢の臣とは面白いジョークだ
いや、元皇帝は行方不明だからしょうがない
この時点で劉備は皇帝が死んだと思い込んでた
仮に元皇帝を見つけ出して擁護できれば帝位を返すつもりだったんだよ
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/25(日) 18:14:55 ID:41QMrvuRO
>>283 もう単独で戦って天下統一でいいんじゃね?ダメなの?
>>282 ホントに頭硬すぎだなw
もう少しif話として楽しもうよ。
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/25(日) 19:04:49 ID:41QMrvuRO
>>283 まあ平民にでも落とされたんならそうなんだけどさ
劉協は山陽公にまで封じられてるのに生死不明って言い訳はねーべ、と
死亡説が誤報だとわからないはずがない
>>285 まあif話はいいんだけどさ
あんまりにもなんでもあり過ぎるからね、それだと
>>287 どっちにしても「漢」を主体で考えるなら生きていようと死んでいようと社稷を奪われた時点で劉協は責任を果たせていないわけで
死んだとして即位するのはむしろ「漢」に対しては忠実な劉氏のあり方だぞ?
君は皇帝個人への忠誠と帝国への忠誠を勘違いしている
ifに野暮な事を・・・ あんたには残念ながら向いてないよ
勘違いというより、混同だな。
日本史用語で言うと、非主流派でも実力面で有力な支族を祭り上げて家督を継がせ、
御家再興するというと分かりやすいか。
光武帝の時に散々やられた手法でもある。
家柄や血筋で言ったら正統は劉子輿>劉楊>>>越えられない壁>>>劉玄>劉秀だったからな。
その後漢を正統と認め、禅譲を受けた以上、魏だけではなく蜀にも漢を継ぐ権利があると言える。
劉協が居るんだから蜀の即位は不正と言う理論を厳密に用いると、
劉嬰が生きているのに即位した劉玄は不正。
それを止めなかったばかりか劉嬰存命時に即位した可能性も高い劉秀の即位は不正。
仮に存命してなくとも、劉秀は宗族に過ぎず即位権はないし、即位権のある王族は
当時未だに大勢いたため彼の即位は不正。
後漢王朝そのものが不正なので魏の禅譲も不正になる。
魏の禅譲の正当性を確保するためには後漢を認めなければならない。
後漢を認めるには、ほとんど血を引いていると言えない傍系血族でも、
本来の血筋が禅譲した際に、本来の血筋により近い者がいくら生きていようが関係無く、
劉姓と有力であることの二つの根拠を元に、帝位についた光武帝の立場を認めねばならない。
だから両方が正統あるいは不正。
どちらか一方のみ正しいと言う結論には成り得ない。
ちなみに両方を不正とすれば前漢の流れの皇族を擁する有力者である呉ににも正統のチャンスが回ってくる。
>>291 わかってるよ
だから「逆賊」魏を打倒した劉備と孫権が「漢の功臣」なんてのはありえんでしょ?といっとる
どっちかが邪でどっちかが正というのはこの場合あり得ん。どっちも正しいと思ってるんだからね
有り得るよ
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/09(月) 19:01:30 ID:T8OPM9ExO
YES WE CAN!と劉備が言えば万事解決
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 01:01:27 ID:w6bhV70aO
反三国志より破三国志の方がまだいい。
協調路線だと、劉備と呉夫人の子供が跡継ぎになって連合帝国みたくなる可能性はあるかな?
劉家の子供だけど、劉備が先に死ぬ以上、明らかに後見人は孫権になるだろうし
なんか妥協できそうな気がするんだけど、無理か?
298 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/28(土) 01:52:12 ID:adz3lRbR0
曹操打破後の政権がドロドロしそうだな・・・・・
とりあえず、劉備は皇帝に祭り上げられるとして、孫権も丞相くらいの
地位にはなるはずだし。
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/28(土) 19:55:51 ID:1oCic/VD0
その場合
劉協⇒曹ヒ
劉備⇒劉禅⇒孫権
で南北朝なりそうだな
300 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/28(土) 23:21:02 ID:j/QheVK/0
魏は、幽、冀(き)、青、徐、豫(よ)州など9州を
呉は、揚、荊、交州を
蜀は、益州のみをそれぞれ(ほぼ)領有してました。
それらから、計算される国力は魏:呉:蜀=79:15:6程度(概算です)だったのです。
北海道から九州までが魏
四国が呉
沖縄が蜀
こんな感じ?
>>300 ツッコミを入れるとだ、沖縄の人には申し訳ないが、沖縄に6も国力はないだろ。
日本全体を100とすると、都道府県の国力の平均をとれば当然2とちょいだから、
沖縄は都道府県の中でもかなりの国力を持っていることになってしまう。
というか6なんて、県単独なら愛知とか、しくじったら大阪クラスだろう。
呉は昔の九州かな
大宰府もあるけど未開の地も含む感じ
西晋は戸籍人口が1600万。魏、呉、蜀がそれぞれ400万チョイ、230万
100万弱だから倍増していることになる。
これは屯田民などの私民が公民になったりしたから、と言うのが多いでしょう
か。屯田民などは魏傘下が圧倒的に多いでしょうから、そう言う意味では魏が
抱えていた潜在人口はかなり多かった、と言うことでしょうか。
増加分800万の内8割ぐらいを魏、残り2を呉蜀で分けたとすると比率では
魏:呉:蜀=10:3:1ぐらいか。300さんの言う国力比ともおよそあってる
でしょうか。
どっちにしても魏の攻撃を防ぐことはできたとしても魏を攻め滅ぼすと言うの
は至難の技ですね。
>>303 屯田は魏だけがやってたわけじゃないし、そんなに関係ないんじゃないかなぁ
呉蜀は未開の部分が多いから、戸籍に入ってない人々が多かったんだろう。呉だと山越とかね
伸び率は魏より呉蜀のほうが断然高かったと思う
特に、ほぼ未開の地から六朝時代を築くに至った呉の開発は急速だったはず
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/29(日) 12:51:08 ID:1HDsHI81O
全ての可能性を奪いさった司馬懿の離間はすごいわ
あそこしかないってタイミングできめてるもんな
自国のピンチによく頭がまわるわ
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/30(月) 23:48:38 ID:QvSpVrRQ0
確かに人口や領地から算段した勢力比だけ見れば、魏は圧倒的に強大。
だが、それだけで雌雄が決するだろうか。
軍事的観点も含めて見れば、呉蜀同盟が魏に勝つ戦略もあるはず。
事実、関羽の北進だけで魏は大きく揺れた訳だし。
307 :
303:2009/03/31(火) 02:20:15 ID:EuJSbqmg0
>>304 ただ、呉はあくまでも豪族の寄り合いみたいなところがあったので、魏の屯田
程大規模なものは行なわれてはいない。潜在的には北方に帰ることができたら
帰りたいってのもあったでしょうし。何より曹操ほど貪欲に人を移住させたと
言う記述が見当たらない。呉は人狩りをしようとして失敗してる状態。
本格的に人が南方に流入するのは東晋に入ってからでしょうから、この時代は
まだまだ北方の方に人が集まっていたと見ていいのではないかな。
まぁ、魏にしても北方に異民族、東方に公孫淵、高句麗などがある関係から
そちら方面にも兵を回さないといけなかったろうし、合肥方面、荊州方面、
関中方面、と兵を分けていたら、たとえ80万ぐらい動員できても足りない、
となっていたのではないかな。
そういう意味で第一次北伐時、明帝がわざわざおびきよせるまでもなく向こう
からやってきてくれた、と言うのは負け惜しみでもなんでもなく、魏としては
足りない兵を必要なところに集中運用させるためにはもぐらたたきのように、
相手がでてきたとこを叩けばいい、そのため出て来易い様に一時的に空白地帯
を作る、と言う戦略があったのかもですね。
まあ、妄想w
308 :
304:2009/03/31(火) 13:18:07 ID:yEW2FTwQ0
調べてみたら、
魏443万人(263年)、呉230万人(280年)、蜀94万人(263年)
晋1600万人(280年)だった
同じ年でそんなに呉が増えるわけないわなw
つまり
>>303で合ってた。スマソw
だからもう流れとは関係ないんだが、
>>307 呉が豪族の寄り合いだったのは初期の頃の話で
孫権が帝位に就く頃には寄り合いと呼べるような体制ではない
明記されているヒ陵以外にも呉には大規模な屯田地帯があった
勿論だからと言って屯田の規模が魏以上なんて言わないが、
呉の場合書かれていない部分が相当ある
> 潜在的には北方に帰ることができたら帰りたいってのもあったでしょうし。
すまんが、もしそうだったら何だと言うのかよくわからん
呉の人狩りは長い目で見たら成功している
すぐに人口に反映するものではないだろうが
人狩りの成功や人々の南下があった結果、
黄巾の乱の頃に未開の地だった呉の人口が280年には230万人程度まで増えた
ということなのだろう
309 :
303:2009/03/31(火) 21:06:31 ID:pM4FLs9v0
>>308 北方に帰りたい、と言うのは何かきっかけがあればそちらに人が流れる、と
言うことです。名士連中でも曹操に呼ばれたりしたのをきっかけにそのまま
現地に残っている人も多い。
東晋時代になって中原を回復したい、と言うのも一つはそう言う意識の表れ
ではないでしょうか。だからこそ蜀にあれだけ肩入れするような方向になる。
中華の人にとってはどれだけ華南が発展しようとも、中原こそが世界の中心、
と言うことだと思うのです。
>>1 >赤壁の戦いの後、荊州の領有権を巡って争うこともなく、劉備と孫権が手を組んだとして、
>曹操を倒すことは可能だったか?
> 仮に可能ならば、どのような戦略が必要だったのか?
不可能。
呉・蜀が手を結んで魏にあたったとしても、先に曹操の寿命が尽きる。
曹操の寿命が尽きる以前(220)に決着をつけ為には、
1.劉備が劉表を頼ってすぐごろに荊州を乗っ取って、孫呉と同盟を結ぶ
2.劉璋から蜀を奪い、漢中の民(五斗米道の信者)がいるうちに漢中を支配する
3.馬超が乱を起こす前に協力体制を引き、長安を取る
くらいしないと間に合わん。
まぁようは、反三国志を全速力の駆け足で実施するっきゃないってとこだなw
周瑜が益州を獲り馬超と同盟で劉備軍が孫犬の傘下に入れば可能かもよ?
孫堅が死ななければ
赤壁で呉が大損害を被っていれば・・・
蜀陣営が力を蓄える時間があったかもしれん
ねぇよ。曹操が生きてる内にで中華統一される
必死に負けない戦をやって独立保った史実でも十分凄いわけで、
滅ぼすなんてのは夢のまた夢
滅ぼすのは小国であっても難しい。
滅びるのは大国であってもありがちだが。
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/25(水) 11:04:28 ID:OZI1AJJc0
蜀が南蛮から兵員を借りればどうなっただろう
318 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/27(金) 02:32:48 ID:QrVUqDCZO
魏が財政的または軍事的に一時的でも良いので弱体化している事。
奇襲を成功させる事。
作戦前、作戦中は諜略戦により魏内部に裏切りと混乱を誘う事。
西と東から同時に攻める事。
緒戦に局所的大勝を収め魏軍決戦兵力を損耗せしむ事。
319 :
月孔雀:2010/08/27(金) 20:25:31 ID:e9kfJ/0u0
勝った後に、呉VS蜀の決戦をやるんですか?
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/28(土) 15:56:13 ID:brL56Xc+0
やらんと思う?
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/28(土) 16:06:30 ID:AmF0Gq5z0
孫夫人が子供を生めばしないな
赤壁勝利→孫権は周喩と赤壁の対曹操戦の大半を合肥へ派遣、
→関羽か張飛か趙雲が曹操と他の重臣をぶった切る
→劉備がケイ州の大半を手に入れる、孫権が合肥で勝利
→涼州の馬超が赤壁の敗戦の直後、長安を奪取、
→曹操の死により国中大混乱、曹ヒが後継ぐ、多分
→孫権が寿春、汝南、下ヒに侵攻、劉備は北ケイ州に侵攻、
→馬超が洛陽、弘農、孟津に侵攻
後は曹ヒフルボッコ、とりあえず曹操ぶった切って、孫権がケイ州捨てれば
勝てそうです。
赤壁の戦いで曹操と他の参謀がかなりやられるんで、
曹ヒがどこまで頑張れるか、魏の兵の大半は赤壁でやられて戦力は低下
河北は仕方なく曹操の部下になってたものが多いので士気はほぼゼロ
曹操の精鋭は焼けたし、
結論:曹操を切って孫権が魏を攻めて、馬超が長安を奪取、劉備が曹操残党を狩る
演技か正史か知らんがこんな感じや
そもそも赤壁で曹操斬れてれば曹操政権は自壊したんじゃないかね。
それが難しい訳ではあるが。
魏諷の乱や吉本の乱を乗りきれたのはやはり曹操という建国者のカリスマあってこそだと思う。
乱を潰しきる前に継承があると、曹丕の器量や才能の有無そのものとは無関係に空気が変わってしまいそう。
そもそも赤壁で曹操が死んでいれば、
劉備一派が荊州に地歩を築くことはできないんじゃあるまいか。
普通に呉軍がどんどん進撃して各地を占領し、直接統治できるはず。
孫権にとって劉備を対曹操用の盾として使う必要性がないので
劉備一派を太らせることもなく、呉の客分となるか、危険視されて殺されるかも。
>>326 とはいえ,当時の劉備側と孫権側だけ見れば,明らかに孫権側優位なわけで。
その段階で曹操が戦死し,北方の脅威が除かれたとしたら,
孫権側が劉備側に配慮する必要は全くないのでは。
それに,本当に曹操政権が自壊してしまえば,
孫権側が徐州、豫州、荊州北部を抑えてしまうのでは。
北方は既に南征可能なとこまで作られてるから
曹操死んだら呉が優勢というわけではないだろ
ものすごい国力差というのは個人の生き死にとはそこまで関係がない
同様の歴史IFでは「魏延の長安奇襲実行してたら」があるが
その後数多くの難しい戦いを勝ち抜かないといかんという点で
共通の無理がある
赤壁時点で曹操が戦死したら曹氏はまず終わりだな。
曹操の持ってる「国力」ってのは、魏公国でさえなく、まだ漢王朝のものだ。
丞相は普通世襲できない。
当時の曹丕には魏王国嗣子のような巨大なバックアップがないから
丞相位を強引に要求する力が無い。
非曹操派が一斉に行動を開始するし、曹操派も分裂する。
誰が次に漢帝を推戴するかの内紛が続くし、まだ若い曹丕がこの競争に勝ち残るのは平坦な道じゃない。
劉備と孫権は、まず曹操戦死の混乱に乗じて(曹仁クラスが兵力率いて荊州に長居することなんて無理だから)
淮水・漢水の南岸くらいまでは軽く前線を押し上げるだろうし、
その後も華南を固めるかなり長い時間を稼げる。
北方の後継者が誰に決まっても、曹操並の戦争能力はもはや回復できない。
曹丕が奇蹟的な踏ん張りでもしない限りは。
赤壁で曹操が死んでも、八王の乱と十六志時代が速く来るだけで、
南方の孫権・劉備に中原を統一できるようなチャンスのある段階ではまだないよ
だが最有力候補の二雄になるね。
そして、他に二雄の華北進出を阻めそうな軍閥が無い。五胡も含めて。
八王の乱とのもう一つの違いは、朝廷に権力は無くとも権威はまだ生きていること。
統一のチャンスは十分以上にある。
不安要素は勿論、二雄の衝突。
それから特に劉備に統一から安定の時間があるか。
まあさらに無秩序に、さらに国が荒廃する状況になることは請け合い
逆にそこまで乱れるからこそ、他勢力に統一の眼が出るわけだが
曹操の存在が一定の秩序をもたらしていた事は間違いない
そんなの誰の陣営も同じ。
だったら非力な曹操が大人しく袁紹に献帝を差し出して置けよとなる。
そうすれば南進が5年は早まり劉備は味方で孫権は抵抗できなかった。
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/06(金) 21:33:42.30 ID:LKuMjqJS0
どうかなー。そこで曹操破ったとしても
曹操の配下には猛者がたくさんいるからな
個人戦になれば難しいんじゃないかな?
>>333 袁紹はともかく、無茶な事やってた霊帝の治世下や董卓の支配に関してはその理屈は当てはまらんと思うが
当て嵌めた覚えもないよ。
337 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/07(土) 12:01:05.23 ID:7bTTpINi0
董卓は自滅だろー
袁紹はすでにご老体なので
献帝差し出してもすぐに死んで泥沼化
では六十過ぎて戦争やってた曹操と劉備も労害ですね。
おとなしく孫権に全領土譲渡して置けばよかったのに。
>>338 華南で引きこもってただけの奴に一気にそんな領土拡張して、いきなり支配力発揮するのは無理
も一回分裂するだけ
同様の意味で曹操は袁紹に降伏すればよかったのにってのもお門違い。曹操軍は離散するだろうけど、中原は無法地帯に戻るだけだ
まだ赤壁で孫権が曹操に降伏してればよかったのに、っていう話の方が理屈が通るよ。その考え方なら
なんで曹操が降伏してるのに曹操軍が離散するのかわけわからん。
袁紹がエン州豫州と曹操軍中核を従えて献帝を擁すれば、曹操単独より遥かに大きな支配力を中原に確保できる。
そんな義理は曹操に無いけどね。
無論、赤壁前の孫権にも劉備にも。
無理じゃね?
342 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/14(金) 19:57:54.09 ID:JTJs20+Z0
>大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。僕のほかにも、イジメが原因で精神病になったりひきこもりになったりした子が何人もおる。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。イジメに加担する教師すらおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメはなかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな
>島本町って町は、暴力といじめの町なんだな
子供の時に受けた酷いイジメの体験は、一生癒えない後遺症になるなあ
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 04:47:00.19 ID:CCSJT9d30
孫堅が生きてたら、エンショウに次いで曹操に迫れたかもね
344 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
クラッシックプラグマティストアブラカレー
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