同じ土地に葬るよう遺言してるところから見ると、曹丕にはやはり思い入れがあったのかね。
忠臣として簒奪の批判をかわすためというのも大きいだろうが。
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/06(月) 21:55:48 ID:DCXWcuYb0
司馬懿age
>>177 子供は普通母親側につくだろー。
郭ワイんとこもそんなんじゃなかったっけ?
>>178 司馬一族が魏の全権を掌握するに至ったのって、曹爽にも多分に原因が
あるだろうし、曹叡の生前にそこまで大それた考えを持っていたとも
思えないな。
>>180 郭淮の妻が王凌の妹だかで、連座しかけた際に息子たちが父親に嘆願し、
結果郭淮が折れて、司馬懿に助命を嘆願して許されたという話だったかな。
「孝」にまつわるエピソードは母親と子どもという話が多いよね。
徐庶しかり、劉曄しかり・・・。
>>177 抱き込むって・・・張春華の件はまだ息子が幼いときじゃ?
くだらん夫婦喧嘩だし、もし息子が賢く自立した大人だったら
自分の身まで犠牲にする真似はしないんじゃないかな
たかだか嫉妬婆のために命投げ売る性格じゃないだろ、特に長男
司馬懿は醤油や陸遜と戦ったことあるっけ?
>>182 当時はマザコンがデフォだから、長じてからでも何ら不思議じゃない
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/05(月) 01:54:32 ID:oYXlNqFF0
シバイは何故か軍師のイメージだね参謀なんかやってないのに。
曹操が警戒したのは自分と似たようなものを感じたのか。
それにしても人気がない・・
三国志演義での孔明のライバルってのがイメージ構築の全てだしな。
周瑜にしてもしかり。司馬懿は周瑜に近いってのが妥当なんかね。
>>184 郭淮の妻のエピソードや、劉曄の母のエピソードなど、基本的にこの頃の
人間の「孝」の考え方としては、父親<<母親という感じなんだよね。
姜維の親を捨てたエピソードというのはかなり異質だし、彼の末路を
考えた時、辛い評価を下したがる人からすれば「さもありなん」
という感じになるんだと思う。
>>185 曹操や劉備はわずかな兵力からスタートし、大勢力に相対して力を
付けていく「国盗り物語」的な面があるけど、司馬懿の場合は、権臣
一族による簒奪劇という面が強いからじゃないか?司馬昭や賈充については、
英雄然とした面よりもエグさばかりが目立っている感じだし。
意外に過疎ってる
ネタだらけじゃないのこの人
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/07(土) 00:19:09 ID:ePKk9BV70
まあ三国志に紀伝があるわけじゃないし
全体像って意外と知られてないからね
じゃあ、司馬懿の「寵将」牛金たんについて語ろうか
司馬懿より諸葛亮のほうが好き
諸葛亮より司馬懿のほうが優秀
実績に反して後世の評価低すぎ
やっぱ性格悪いからか
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/08(日) 04:32:50 ID:dKORdX4VO
司馬氏が創った「晋」が短期王朝だったのもその原因の一つかも
有力な臣下が実権を握って簒奪(あるいは簒奪一歩手前)ってことなら
一代でやってる簒奪者が史上には他に結構いるんだし
実績としても、他の「簒奪者」と比べると地味
んじゃ普通の軍人としての実績も地味だし
基本防衛ばっかだからなあ
字も読めない池沼に名指しで批判されたりしてるし結構悲惨
過去レスに司馬懿は蜀攻めに消極的だったとあるけど
後に劉備が蜀ゲトして戦乱が長引いたことを考えると
難しくても攻めてた方が良かったんじゃないの?
劉備を相手にしていた時(張魯を降した時点)では司馬懿は積極派の一人だった
劉備入蜀前
司馬懿「あんな辺境の地いらねっすよ。今熱いのは荊州っす」
劉備入蜀後
司馬懿「やっべやべやべ。諸葛亮あいつ調子乗りすぎだし。シメるべ」
てこと?
司馬懿、なんか好きだ。
愛 LV6
涼 LV8
絵理 LV11
くらいで
真三国無双6は新勢力に『晋』登場か・・・
司馬昭、司馬師が新キャラクターとして登場するようだが、司馬懿はその分老けるのだろうか。
mjk
>>182 そうだよな。いくらなんでも戦だってあるのに、大人なら
司馬師が自分の健康をわざと損なうような真似すると思えない
やっぱり子供の頃に脅して食べさせなかったんだよ
あんな児童虐待マジキチ女が司馬懿の妻で、最初知った時ガッカリした
最強とか言ってる奴にとっては狂ってることが強さなんだろうな、それは弱さなのに
ぶっちゃけ張春華って司馬懿と全然釣り合ってない
蔡文姫か王異みたいな人と結婚してほしかった
はぁ、司馬懿と言うだけで大抵のものが素敵に見えてくる。
司馬懿のアイコンかっこいいかっこいいかっこいい
ゆとりが司馬懿を恐妻家とか言って貶めてんのがムカつく
司馬懿は恐妻家ではない。ソースはデタラメで有名な晋書だし、
家の中の、家族しか知らない秘密を他人が知ってて
史書に書かれてるのはおかしいから、張春華は殺人も断食もしていないと思う
ばばあ氏ねばいいよ、とかも言ってないだろ
曲筆だろあれ。書くネタが無いから創作しただろ
歴史捏造も甚だしい
晋書のガセネタのせいで司馬懿が誤解されてるのが苛々する
晋書を真実だと思ってロクに考察しないゆとりがうざい
あと司馬懿と張春華が相思相愛と思ってるゆとりがいたら即ツッコミ入れてる
仲良い逸話なんか皆無
晋書の捏造記事すら険悪なものだし、側室はいるし、
墓は別々ですが何か?ってな
しかし大戦カードのせいで増えたゆとりに、いちいち
晋書の信憑性の事から記述の矛盾まで教えてツッコミ入れるの疲れたから
ここに本音書いておくわ
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/11(金) 02:05:38.78 ID:3AYKTLBHO
>>205 目から鱗の気分。
同じ墓〜の話はどっから沸いてきたのか。
一週間以上も前の投稿にレスすんのも何だが。
207 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/06(水) 02:22:49.97 ID:1ZUkUKcYO
司馬懿のこと調べてたら張春華のことも出てきて更に調べたら晋書での春華はデタラメだと言っているブログを見つけてナルホドーと納得してそのブログをもっと調べたらただの司馬懿曹ヒのホモ妄想してる腐でガッカリしたでござる。
すごくガッカリしたでござる。
結局はそういうことかい。
まぁ自分で史書、資料にあたって探らにゃならんつー事ですよ。
司馬懿いてこその魏だったもんな
司馬懿いなかったら孔明に滅ぼされてたかもな
べつに司馬懿じゃなくても別の誰かが守ってても滅ぼされなかったよ
というかむしろ司馬懿が魏の滅亡の一因では?
孔明が北伐してきて司馬懿以外はボコボコにしてなかった?
全然してなかった
もししていても局地的勝利で滅ぶくらいの国力差じゃないよ魏は
大敗が一度や二度あっても揺らがないだろう
石亭や淮南三叛、諸葛恪に敗れたりもしてるけど小揺るぎもしなかったしね
214 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/17(水) 19:45:05.71 ID:2C7mFbIy0
いるー?
いないよー
216 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 17:22:35.28 ID:Mm7Ac3040
いるよ〜
涼州まで蜀に攻め取られて継続的な領土とされたら魏の危機とまでいかなくとも
数十年三国時代が伸びることになったかもしれない。
国力総力では比べ物にならなくても、
西方に振り向けられる兵力が蜀の遠征軍と同程度かそれ以下しかないんだから
これがもし完膚なきまでに殲滅されれば長安が守れなくなり、すなわち司隷が揺らぐよ。
そこから蜀呉の同時攻撃を受けたら、魏は京師固守の賭けに出るか北へ遷都かの選択を強いられる。
234年の段階では魏の兵力は圧倒的なようだったらしく
部下の将校が「何故これだけの大軍がいるのに攻撃しないのか」と詰め寄った話があるが。
孫権が同じ頃合肥で曹叡が援軍に来ると聞いて退却してしまっている。
魏の力はこの頃、呉と蜀の同時攻撃に十分耐えられるように見える。
大軍だなんて書いてないよ。少なくとも諸葛亮伝と晋宣帝紀には。
逆に、231年では洛陽から急行した司馬懿に対し、手勢を分けて隴東に防備を置くように進言した将の意見を退けて、
「それでは諸葛亮に対抗し得ない」と全軍を隴西に振り向け、それでも張コウが慎重策を主張して決戦を避けている。
234年では蜀呉の同時攻撃に朝廷が動揺し、「あの」満寵が寿春への後退を進言する事態。
明帝は司馬懿に出戦を戒めつつ、親政を強調して動揺を収めている。
慎重策をとって時間差を付けつつ、兵力配分と敵の兵糧切れ狙いで各個に撤退を誘わなければ凌げない時代。
司馬懿スレの諸君に聞きたいんだが
しばちゅうさんのスレはどこ?
最近「それからの三国志」上下巻読んだ。
魏による蜀併合が紳士的に行われた ってのがツマランかった。
224 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/24(土) 02:20:24.60 ID:HTUpaSK90
石勒「高皇に会ったら、(その部下となり)韓信や彭越と先陣を競うだろう。
光武に会ったなら、互いに中原の鹿を追い(天下を争い)雌雄を決するだろう。
(しかし)大丈夫(立派な男)たる者、磊磊落落(「磊落」の強調)、
日月が明るく輝くように物事を行うべきであって、曹孟徳や司馬仲達父子のように、
孤児や寡婦を欺き、狐のように媚びて天下を取るような真似は絶対にできない」
石勒曰く、
「朕若逢高皇、當北面而事之、與韓彭競鞭而爭先耳。
脫遇光武、當並驅于中原、未知鹿死誰手。
大丈夫行事當礌礌落落、
如日月皎然、終不能如曹孟コ、司馬仲達父子、
欺他孤兒寡婦、狐媚以取天下也。朕當在二劉之間耳、軒轅豈所擬乎」
「高皇に会ったら、(その部下となり)韓信や彭越と先陣を競うだろう。
光武に会ったなら、互いに中原の鹿を追い(天下を争い)雌雄を決するだろう。
(しかし)大丈夫(立派な男)たる者、磊磊落落(「磊落」の強調)、
日月が明るく輝くように物事を行うべきであって、曹孟徳や司馬仲達父子のように、
孤児や寡婦を欺き、狐のように媚びて天下を取るような真似は絶対にできない」
司馬懿の芝居
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
とてもじゃないが西晋の皇帝たちがあの司馬懿の子孫だなんて思えない・・・