1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
三国志最強の軍師で晋朝建国者でもある司馬懿について語ろう
三国志スレ乱立させるな三戦板でやれ
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 15:53:22 ID:BsLgk5Ff0
司馬懿>>>>>>>>>>>>>>>>>諸葛亮
司馬懿
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E6%87%BF 司馬懿司馬懿(179年 - 251年8月5日)は中国三国時代に魏に仕えた武将、軍師、政治家で西晋の礎を築いた人物。
字は仲達(ちゅうたつ)。諡号は高祖・宣帝。
概要
『晋書』「宣帝紀」によると、司馬懿は苛烈な性格であったが感情を隠すのがうまく、内心、激しい怒りを抱いている時も、
表面では穏やかに振る舞ったという。
河内郡温県孝敬里の名門の出で、『史記』の著者司馬遷の遠縁にあたり、楚漢戦争期の十八王の一人である殷王(或
いは晋王)・司馬卬(張耳の武将)の12世孫にあたる。代々、司馬氏は尚書などの高官を輩出した名門の家柄で、司馬懿
自身、幼い頃から厳格な家風の下に育った。博覧強記、才気煥発で知られ、「司馬八達」で最も優れた人物といわれた。
司馬防の次子。司馬家の八人の男子は字に全て「達」が付くことから前述の「司馬八達」と呼ばれた。兄に司馬朗(伯
達)が、弟に司馬孚(叔達)、司馬馗(季達)、司馬恂(顕達)、司馬進(恵達)、司馬通(雅達)、司馬敏(幼達)らがいる。
正妻は張春華で、司馬師、司馬昭らの父親。兄と同様に魏に出仕した。
生涯
司馬懿の才能を聞いた曹操によって度々出仕を命じられる。しかし、司馬懿は曹氏の濁流的な出自や、曹操の気性を
厭い、その度に断ってきた。しかし曹操は、捕らえてでも連れてくるように、と命令したため、最後にはやむを得ず出仕した
(『魏略』という書物によると、曹洪に交際を求められた司馬懿は、訪ねて行くのを恥に思い、仮病を使い杖をついた。恨み
に思った曹洪は曹操に告げ口した。曹操に出仕を求められると、杖を投げ捨て応じたともいう)。
出仕当初は文官として公子たちに仕えたが、徐々に軍略の献策などで認められるようになる。曹操が漢中を制した際、
その勢いで蜀を平定するように進言したが、曹操は「朧を得て蜀を望む(望蜀)」ことはしない、と言って、この意見を退け
たという。
217年、太子中庶子に任じられる。曹操は鋭敏に過ぎる司馬懿を警戒したが、曹丕は司馬懿と親しく、何かと彼を庇っ
ていた。司馬懿の方も、行いを慎んで陰日なたなく曹丕に仕えたため、絶大な信頼を得るにいたった。この時に、疫病で
兄・司馬朗を失う。
219年、蜀の関羽が荊州から北上して樊城を陥れようとした。この時、首都の許昌以南で関羽に呼応する者が相次ぎ、
曹操すら狼狽し遷都の議も上がった。司馬懿は蒋済と共にそれに反対。呉を巻き込んで関羽を倒す事を献策し、見事に
成功を収めた。
220年に曹操が死に、曹丕が立つと大いに重用され、曹丕が死ぬ際には曹真・陳羣と共に皇太子の後を託された。曹
叡は母后が誅殺されたことで長らく宮廷から遠ざけられており、臣下たちとはほとんど面識がなかった。このため、即位し
た曹叡は、父の代からの重臣であった司馬懿や陳羣らを引き続き重用し、政事にあたらせた。
228年、諸葛亮と示し合わせ反乱を起こした孟達を討つ。司馬懿が赴任していた宛から孟達の任地である上庸までは、
通常の行軍で一月はかかった。司馬懿は丁寧な書簡を送って孟達を油断させた上で、昼夜兼行の進軍を強行し、わず
か8日で上庸までたどり着いた。城を包囲された孟達は、同僚や部下に次々と離反され、結局は斬られた。
231年、曹真が死ぬと、その後任として蜀の諸葛亮と対戦する。蜀軍の食糧不足を見抜いていた司馬懿は、徹底的に
防衛に徹し、諸葛亮を撤退させる事に成功した。三国志演義では「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」と言われる。
(「死せる諸葛〜」の言葉は『漢晋春秋』が初出)
238年、遼東に拠っていた公孫淵が反乱を起こし、司馬懿は征討を命じられる。このとき明帝は、公孫淵はどのような
策を取るか司馬懿に尋ね、司馬懿はこう答えている。「城を捨てて逃げるが上策、遼水に拠って我が大軍に抗するは次策、
襄平に籠もるなら生捕りになるだけです。知恵者がいれば、あるいは(公孫淵が)城を捨てることも有るでしょうが、あれは
そんな策を考えつける人物ではありません。」
遼東では長雨が続いたため、遠征がさらに長引くおそれがあった。廷臣たちは遠征の中止を曹叡に訴えたが、曹叡は
「司馬公は機に応じて戦略を立てることのできる人物だ。彼に任せておけば間違いはない」と言い、取り合わなかった。
魏の征討に対し、公孫淵は孫権に援軍を求めた。そのとき、孫権はこんな書簡を送っている。「司馬公は用兵に優れ、自
在に使うこと神の如しという。そんな人物を相手にせねばならないとは、あなたもお気の毒だ」と。公孫淵はこの後、司馬
懿が下策と評した籠城を行って大敗した。人質を差し出して助命を嘆願しに来た公孫淵の使者へ、司馬懿は興味深い発
言を残している。「戦には五つの要点がある。戦意があるときに闘い、戦えなければ守り、守れなければ逃げる。あとは降
るか死ぬかだ。貴様らは降伏しようともしなかったな。ならば残るは死あるのみよ。人質など無用」
こうして司馬懿は公孫淵父子やその高官たちを斬り、遼東の制圧に成功したが、凄まじいのはその後の処置である。中
原の戦乱から避難してきた人々が大量に暮らしていた遼東は、いつまた反魏の温床になるかわからないということで、司
馬懿は15歳以上の成年男子を皆殺しにし、その首で「首観(観は楼閣の意)」を築いたという。「晉書」では「王朝の始祖た
る人物が、徒に大量の血を流したことが、ひいては子々孫々に報いとなって降りかかったのだ」と批判している。
曹叡が死ぬと曹真の長男・曹爽と共に、曹芳の後を託された。『漢晋春秋』によると曹叡は当初、曹宇を大将軍に任じ
後を託そうと考えていたが、劉放・孫資の二人の謀略により、彼を罷免し曹爽・司馬懿の二人に後事を託すことになったと
いう。
権力独占を狙う曹爽の画策により、一時名誉職の太傅にさせられた。この間の241年、呉の朱然らが樊城を包囲すると、
自ら進み出て軽騎兵を率いて急行し、迎撃した。司馬懿は呉軍に勝利し、243年にも呉の諸葛恪を破った。一方、244年、
曹爽の蜀漢出兵は失敗に終わった。
その後、中央では隠忍自重し、247年には病気を理由に引退したかに見えた。さらに、曹爽に対しては、その一派の李
勝の前で、年老いて衰えたように見せ油断させた。(李勝が言っていることをわざと聴き間違える、薬を飲むときにわざと
こぼす、など)249年に曹爽が洛陽を留守にした機会を見計らってクーデターを起こし、郭太后に令を出させて曹爽一派を
逮捕させた。そして、降伏した曹爽一派を殺害。魏における全権を握り、丞相となった。
251年、王淩らの企てた、楚王曹彪を擁立するクーデターを密告により察知した。司馬懿は証拠を握ると、硬軟両面で王
淩を追い込み、降伏させた。王淩は司馬懿が自分を殺すつもりであることを悟り、自殺した。また、曹彪も自殺を命じられた。
この事件の後、魏の皇族をすべて鄴に軟禁し、互いに連絡を取れないようにした。
こうして全権を握ったものの、司馬懿自身は同年に死去し、遺言に従って首陽山に埋葬された。後に孫の司馬炎が魏よ
り禅譲を受けて皇帝となると、「高祖宣帝」と追号された。
魏を簒奪するに到るまでの過程が陰険
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 02:46:21 ID:8x0SVESqO
>>10 曹氏が漢から簒奪するときとそれほど変わらないだろ
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 14:32:01 ID:94Z/H0xdO
曹操はさぁ、自ら挙兵して四方の群雄と鎬を削りながら(政治的利用であるが)漢帝を奉じて、曹丕への禅譲に至るレールを敷くわけで、簒奪者の面よりも四方を平定していった英雄的なの面の方が前面に出てる。
その点、司馬懿は魏の領土拡大に多大な貢献をしたわけでもなく、主に領土防衛や反乱鎮圧で地味だから、かえって簒奪のマイナスイメージが目立つんじゃないの。
曹操は別に王莽みたいに漢朝の領土と統治機構をそっくり奪っていったわけじゃなくて、漢朝の権威を借りただけで殆ど自前で国を創ったりわけだしね。
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 15:17:31 ID:m/sK63wRO
その腹黒さが司馬懿の魅力
黒いのは息子の方だ
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 08:28:26 ID:gnzojdw7O
クーデターも領土拡張も命懸けの博打という意味では一緒だから
一概にソウソウとかと対極とは言い切れんわな
女装趣味
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 15:18:07 ID:4+a9Ykwc0
イメージに関しては、この人は演義でも損させられているからな。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/11(木) 23:35:50 ID:z2Cr7Hb00
諸葛亮が持ち上げられている一方で、その敵役になっているから
19 :
とんがり ◆1VIyQ/Ujq2 :2007/01/12(金) 02:46:17 ID:C07emSepO
コウメイは内政の実績もあるからな
マルチなイメージがある
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/12(金) 03:20:43 ID:Nx/PJJ1j0
帝位簒奪の野心までは無かった気がするけどなぁこの人。
結果的にそのレールを敷いてしまっただけで、息子は真っ黒だけど。
流石にそれはない
ただ曹丕・曹叡の頃は真面目に忠実な家臣やってる
曹丕は恩人だし友人だしな
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 15:53:20 ID:Rl8UKwHp0
息子達のせいでダーティーなんだよなこの人
いやいや、本人も十分ダーティーですって。
曹爽の目を欺くためにボケたふりしたとことか、
王淩を誘き出して自殺に追い込んだとことか。
というか、晋書に書かれた性格評って・・・・・。
・神格化されていた諸葛亮に勝ってしまった。
・西晋の時代に異民族が暴発してしまった。
こんなことで悪く書かれてているのかな?いや、的を射ていると思うが、
フォローはなかったのかね?
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 23:35:11 ID:3Bb/3em00
諸葛亮の敵役だからな・・・・・・
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 11:47:39 ID:Y7oBw00s0
司馬懿はもっともっと有名になり、崇められるべきだと思う。
諸葛亮のせいでそうなれないんだよな。
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/27(土) 20:48:00 ID:5bo59+Ax0
そのうち有名になるだろ
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/27(土) 22:01:58 ID:Iuos4rP8O
失敗らしい失敗がないよな
演義では対孔明で何度か死にかけるんだが
正史ではどうなんだろう
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/28(日) 18:59:09 ID:2BswnX460
静止ではクーデターまでは正義のヒーローだな
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/28(日) 19:53:30 ID:qt7yHxm8O
ヒーロー過ぎて刺すか刺されるかに追い込まれたわけだ
そしたら刺すしかない
仮に仮病で死ぬまで切り抜けられたとしても、
息子達に未来はない
それもこれも頭数ばかりでとんと能力のない曹一族が悪い
しかも、俺達はお前より能力ないけどお前より偉いから俺達の面子の為にお前没落しろってのが目に見えてる
モロ弱肉強食な意見で恐縮だが、クーデターとどっこいだよ
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/28(日) 20:13:16 ID:3rQFp2ZQO
明帝の名の下に司馬懿が輔政に命じられる経緯とか、斉王芳擁立の様子なんかを見ると、すでにかなり黒い感じがするがな
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/28(日) 22:02:25 ID:AuIBmNcmQ
司馬懿が主役の面白い小説なんてありますか?
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/28(日) 22:37:10 ID:qt7yHxm8O
>>31 印象操作の為の後付けのような気もするが
ただ出仕した以上は登り詰めてしまうと自覚して、先を見据えてたのかも知れないな
腹黒いかどうかは別として
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/28(日) 23:20:16 ID:x1RbvUlz0
陽気なイメージがないからなあ。
陽気な司馬懿なんて、元気いっぱいの碇シンジ君と同じくらい想像しづらい。
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/29(月) 18:25:27 ID:CY2wtGFTO
かと言って陰湿というのも違うだろ
ただの聡明なリアリストだよ
>>26 諸葛亮の敵役じゃなかったら、司馬懿なんてもっとマイナーだったろう?
でも、晋朝の事実上の開祖なわけだし、
演義に頼らずとも、それなりの存在感はあったのでは。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 13:40:17 ID:9BkBuL530
>>37 その場合は
司馬懿>>>>>>>>>>>>>楊堅・李淵
になる
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/09(金) 22:51:03 ID:1DR5BHZQ0
シバイの芝居どっかで上映してない?
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/09(金) 23:53:57 ID:ALS7pAzLO
司馬懿の異才を見抜いて重用しなかった曹操は賢いな…
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 22:02:44 ID:0EY1+a/D0
息子達は思い切り腹黒だけど司馬懿は腹黒や悪人と言うより純粋に曲者ってイメージだな。
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/17(土) 22:35:38 ID:YpEjh0ex0
そうだな
いい意味での曲者だよ
それが司馬懿の魅力だよな
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/18(日) 06:59:16 ID:8fcNVVETO
あーあまた頼られた
まあ確かに放置できない問題だから手を抜く訳にはいかないな
断るのも立場が悪くなりそうだし
でもまた出世してしまうな
国民的英雄になってしまう
めんどくさいことになるんだろうなあ
そのときはそのときで仕方ないかあ
以上、いい意味での曲者の苦悩でした
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/18(日) 18:58:55 ID:+rEfum+30
48 :
無名武将@お腹せっぷく :2007/02/18(日) 19:15:01 ID:Y5IoX1bE0
曹丕があと30年長生きしていれば
司馬懿も簒奪しなかったと思われ
>>48 その場合、賈充さんや鐘会さん達はどうなったんだろう。
真面目な宮勤めしていたかな。。。
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/19(月) 03:41:38 ID:B8CU+R0q0
三国演義DVD の司馬懿役の方 変わり杉
第73集 『祁山闘智』諸葛亮、司馬懿、宿命の知謀戦
第74集 『諸葛妝神』諸葛亮、鬼神を演じ司馬懿を惑わす
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/19(月) 03:48:35 ID:/gaz71uR0
司馬ウェンリーvs諸葛ラインハルト
鍾会は母親と父親を引き裂こうとした曹丕を憎んでいるので反乱側になるかもしれん
恐らく、司馬氏の専横にあれだけ協力したのもマザコン故に曹氏を憎んでいたからだろうしな
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/19(月) 13:27:11 ID:MvaNNTH00
魏の天下が続いていたら、賈充の娘は
性癖がアブノーマルな腐女子として歴史に残っただろうな。
くせもの 0 【▽曲者/癖者】
(1)賊・敵などあやしい者。
→魏に対して
(2)一筋縄ではいかない人。ひとくせある人。
(3)油断のならないもの。気の許せないもの。えたいの知れないもの。
(4)なみではない人。
(5)妙手。異能の人。
→そのとおり
(6)ばけもの。怪物。
→首が180度回る
全部当てはまる司馬懿は異常
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/24(土) 12:36:51 ID:HuqcOGnG0
だからこそ周囲から警戒された
だがそれもまた司馬懿の魅力
あの時代、自分から曲者然としてる奴は馬鹿だと思う
隠そうとしても滲み出て目敏い奴にバレたってんじゃないと魅力を感じない
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/27(火) 20:26:46 ID:RsQpaH4L0
>>56 それが司馬懿なんだよな
ほかにそういう人物中国史でいる?
法正とかカクとかも曲者って感じはするが
三国志で誰が一番曲者っぽいかと言われたら司馬懿が一番かな
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/02(金) 08:24:07 ID:nQBKM8uqO
項劉時代の韓信、秦の宦官が頭に浮かんだが違うな
韓信ははっきり劉邦とかけひきの前科を作ってしまったし
あの宦官は曲者かどうか以前に一気に好機を得た
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/09(金) 23:25:25 ID:UII0vft70
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/10(土) 01:58:00 ID:xjSyaOUcO
>>60 陳平は呂后が実権握っちゃったんで、自重してたね。
その辺は唐初期の李勣と武后(則天)に近いかな。
司馬懿のクーデターは幼帝の母后の支持を得てやったわけだけど、母后が司馬懿に政権を任せたのが運命の分かれ道だったのかな。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/22(木) 13:23:04 ID:LSUltjPq0
首を360°回せる男!
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/22(木) 16:27:45 ID:QjTTRo410
曹操みたいに領民を虐殺したり忠臣を粛清したりしなかっただけでも
司馬懿の方が曹操よりは善人なんじゃないの?
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/24(土) 05:02:10 ID:MsGwdguuO
虐殺はしただろ
魏の鎮圧将軍として
遼東征伐ん時の虐殺のこと?
あの程度なら、曹操の徐州虐殺に比べれば児戯みたいなもんでしょ。
俺の携帯、司馬懿が一発変換できる!すげー
ホウトウよりも能力あるんじゃね
ホウトウって史実的にも高評価なのかね
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 23:50:20 ID:xGzfb26L0
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 14:05:35 ID:SardWWMq0
>65 数の多寡はあんまり問題じゃないと思う。 虐殺をやった事が問題なんだから。
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 15:35:56 ID:Yk8osTJ7O
司馬懿たんとちゅっちゅしたいよー
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 18:57:49 ID:In9DBoSpO
戦には五つの道がある。勝つ。それができなければ引き分ける。またそれができなければ降る。それすらもできないようであれば逃げる。
今、貴様らは逃げることすらもできないのだ。これが五つ目の道だ、死ね。
↑これ、演義で司馬懿が公孫淵の降服の使者に言ったセリフね。
>72
それ少し違うぞ。
『戦には五つの要点がある。
戦意があるときに闘い、戦えなければ守り、
守れなければ逃げる。あとは降るか死ぬかだ。貴様らは降伏しようともしなかったな。
ならば残るは死あるのみよ。人質など無用。』
のはずだ。
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 09:36:46 ID:2yEEWwRK0
>>73 カッコイイセリフだ
漏れもそう言ってみたいものだ
ふふふ
わしも大した千両役者よ
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 13:01:24 ID:IjpwnOo+O
孔明の寿命をピタリ読み当てた占い師でもある
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 18:56:26 ID:EioOHs2SO
晩年にできた息子に亮という名を付けたって本当なんですか?
司馬亮「こいつを外しゃ、兵糧供給が止まり、エンペラーの支配から抜け出せるはず、南無三!(ブチッ)」の人。
簒奪の野心がいつごろでてきたかだな
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 01:22:59 ID:/KACKgeeO
野心がなかった可能性もある
そもそも表舞台に出たがらなかったんだし
引きずり出されて頼りにされる度に嫌々出世して
その結果警戒されて仕方なく曹家を潰したとかありうる
曹魏が司馬を登用しなければ晋も建国されなかった
晋がなければ五胡時代も訪れず・・??と考えると司馬氏てすごい
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/14(土) 14:17:06 ID:Sln9cqf/0
>>81 晋どころか蜀に呑み込まれ・・・
なわきゃないか
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/26(木) 21:10:12 ID:pVVe7+0y0
ありうるんじゃない?
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 10:18:37 ID:xTQQMj4O0
蜀オタですか?
蜀が魏を飲み込むなんて、北朝鮮が中国を飲み込むようなものですよ。
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/22(火) 20:42:41 ID:FcXbwAwt0
あげ
そこまでひどくはねえよ
日本がアメリカを飲み込むぐらいの可能性
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/26(土) 17:15:26 ID:z40onWPP0
魏にとって曹丕が短命だったのが痛かったね。
でも司馬懿って曹丕にとっては臣下というよりも親友に近い間柄だったと
聞いてる。
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/27(日) 18:21:33 ID:jFQBjmBy0
age
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/27(日) 18:43:55 ID:bU4O0CGf0
司馬氏の知力、孔明上回
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/02(土) 17:51:36 ID:ZVA/n5ox0
>>90 それは定説
だって最終的には権力掌握に成功したんだから
>>88 誰から聞いたんだ?
曹丕の腹心にでも聞いたような口ぶりだな。
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 16:01:25 ID:BnbWcNKH0
肥から
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 17:14:40 ID:3x999ddI0
四友って実は無茶苦茶仲が悪いんだがな。
特に呉質と陳群が。
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 03:39:05 ID:sLo3ITnK0
>>95 誰も四人皆で仲良しこよしだったなんて思わんだろ普通
>>97 KOEIなんかは真に受けてるから困るんだぜ…
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/13(水) 21:29:37 ID:WhTK3NU30
肥社員ですか?
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/13(水) 22:08:24 ID:+l73hhQ30
陳羣は、面倒見やさんというか誰かしら面倒見るのが好きなイメージがある。
構ってくれた郭嘉が死んで、大好きな義理の父荀イクが死んで、
新たな友達というか構う相手として呉質を見つけたのではないかと推測。
陳羣も司馬懿も大好きだよ。
呉質が一方的に陳群を敵対視し、陳群は華麗にスルーってのが2人の関係だけどな。
NHKの気象予報士は砂糖と加糖は居るが無糖はいないのか
>>88 司馬懿は、ほんとに曹丕が短命なのが痛いと思ったのかな。
もしかしたら司馬懿が秘密裡に暗殺したのかもと思ったりするのだが。
曹叡は袁氏の血筋という話もあるし、アフォぞろいの曹氏を排するには、
これしかなかったとも言えよう。
>>103 曹叡の袁氏説は兎も角として、曹丕以外と司馬懿はそう上手く行っていたわけではないし、
師、昭兄弟と曹氏歴代皇帝は言うまでもなく不仲。
少なくとも曹操と曹叡とは司馬懿を煙たがっていた節がある。
曹操は乱暴な手段で部下にしながら、夢占いから曹丕に警戒するよう述べた言葉がある。
曹叡も曹丕に「司馬懿を父と思い、疑ってはならない」と遺言されながらも、
蒋済、孫礼ら親しい臣が司馬氏、劉放・孫資の権力掌握を懸念する上奏の記録が残る。
また曹叡は、一度は曹芳の後見人を近親者で固めようともしている。
これらを踏まえると、司馬懿にとっては曹丕が主君としてベストだったと思われる。
>>104 理路整然とした解説サンクス。
司馬懿は曹丕の郭皇后とうまく行っていたようだから、曹叡もおもしろくないよね。
そういえば竹林の七賢の山トウの一族が司馬懿の正妻だけど、
学者関係にも人脈あるの?警察庁長官の一族だよね。
それと、司馬亮とかを生んだ側室って、どういうところから選んだの?
孫権は晩年、側室を政治犯の娘から選んだって書いてあったから、
司馬懿もそんな感じ?牢獄から救い出されて権力者の側室になるのは若い娘
にとっても、そう悪い話でもなさそうだよね。
八達の母が全部同じとも思えない。朗懿フしかメジャーじゃないし。
朗と懿は異母兄弟じゃなかった?
孚と懿は一つ違いだから孚の誕生日によっては異母兄弟の可能性がある。
姉妹もいたのかねぇ。司馬防、側室多い予感。
八達の下五人はたぶん妾腹の出だろう。
上三人とは結構歳が離れてるっぽいところとか、
晋建国以前はどうにもパッとしないところとか。
(建国以後も、パッとするのは彼らの子や孫だし。)
司馬一族は曹操のように娼妓からは側室を選ばなさそう。
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 21:02:32 ID:lw90sP540
あげ
>>104 嘘はいかん
いきなり呼び寄せてから司馬懿を太子筆頭候補だった嫡男に付けるのはどう見ても無警戒
次に曹叡も司馬懿は頼れるおじさん扱いしてる
警戒してたら荊北の責任者→西部戦線の責任者→東北討伐の責任者なんて要職を次々と任せない
警戒するよう上奏有っても罷免されてないってことはそんだけ信頼されてたってことだろ
主君としてはリアリストな曹丕がベストなのは間違いないが他の面々とも上手くやっていけるさ
>>111 曹操は曹沖が死ぬと周不疑を「制御できない」という理由で殺してる。
個人的に信頼してるからこそ太子に付けてる、という訳じゃないと思われ。
曹叡については信頼する一方で監視を怠らなかった、という見方も否定できないのでは。
>>112 それって別に仲悪いんじゃなくてフツーの君臣関係じゃん
>>114 そらそうだ
ただ
>>104は「司馬懿は曹丕以外と上手くいっていなかった」って言ってるからさ
上手くいってないってことは普通の君臣関係より悪いってことだろ?
あと気付いたのだが
>>112で周不疑を制御不能だからと殺してると言うが
冥婚まで曹沖の為に執り行ってる曹操なんだし殉死を強制的に行ったのかもしれんよ
まあ一方的な信頼というよりは、信任しつつもちょっと疑ってる部分もあるって方が正しいかもしれんね
でも
>>104のように上手く行ってないってのはどう贔屓目に見ても嘘だろう
>>115 殉死を強制的に、って…王莽かよw
まぁ、上手く行ってなかったら罷免するわな。
曹丕の時よりも上手く行ってたとは思えないけど。
曹丕時代には司馬懿について部下が諫言する上奏の一つも無いしね。
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 19:17:38 ID:8eLzdkj30
保守
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/01(水) 19:53:30 ID:YzAKSGEF0
シバイと似ている奴って中国史では他に誰がいる?
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 14:10:36 ID:EBuZsYca0
うーん・・・
思いつかない
>>118 同時代では荀ユウが似ていると思うことが。
両者、処世術が女性的で似ているなと。
そういえばここで話題の司馬懿の君主との人間関係、
今週読もうとした本のどれかにちらりと書いてありました。
唐時代か、明、清時代の本だと思うのですが、いっぱいあるので
特定できず。特定あいたら、あらすじ書きますが、どうも、後世の
中国人(作者)によると明帝との関係も良好との評価が・・・・・。
特定できたら、のミスでした。
明帝までは概ね良好だと思うよ
ただ曹芳時代になってから野心を剥き出しにした気がする
それが果たして曹操時代から隠してたものが幼帝になって発露したものか
それとも幼帝だから自分が天下を治めるべきと思ったのかは微妙なところ
>>122 高堂隆が明帝に司馬懿を警戒するようにと進言している件について
陳矯伝の注釈に引く世語では、明帝が陳矯に司馬懿が社稷の臣かどうか聞く話が載っているな。
陳矯の方も、「朝廷の望ではありますが、社稷については知りません」とぼかしてるし。
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 22:05:03 ID:81sXk76i0
シバイは朱元璋に似ているような希ガス
足軽田吾作に似てますよ。
虐殺実行したくらいしか共通点が思いつかん。
だいたい中央の名族の出と自分以外一家全員が餓死して
乞食坊主から成り上がった貧民じゃスタートラインが違い杉だな。
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 19:00:20 ID:8iX/AclQ0
age
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 20:38:24 ID:+kMcarDR0
日本人なら中臣鎌足あたりが似てるか?
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 21:12:51 ID:pnNQEch8O
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。
半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝勝負服ないでたちで。
脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした。
朱元璋とはぜんぜん違うだろ。両方戦争は上手いが。
農民には慈愛を注いだ朱元璋、貴族門閥重視の司馬懿。
乞食から戦い強豪を下した朱元璋、国を内部乗っ取りの司馬懿。
詩文や書に才能のある朱元璋、詩文に関しては馬鹿丸出しの司馬懿。
コンプの塊の朱元璋、士大夫としての自負全開の司馬懿。
恐怖政治だが方向逆だし。
司馬懿は王朝の始祖としてはあんま個性あるキャラじゃないな。
師、昭が優秀じゃなかったら西晋成立は司馬懿の生涯単独じゃ
結構厳しかったかも。
というかそもそも重臣としての保身以外には
別に天下取ってやろうなんて思惑は元々無かったっぽくないか?
曹操に召し出されるまでの経緯とか門閥重視して寒門を軽んじるような傾向から察するに
出自の恵まれっぷりからくるプライドの高さゆえにそれが全てに優先してて、
人には出来ない新しいことをやってやろうとか見返してやろうみたいな、
博打を打つ動機になるようなハングリー精神やら理想はそもそも持って無かったっぽい感じだ。
あそこまで行ったら、曹一族を排除して実権を握った方が安全って考えたってのが正解に近いかもね
でも、恩人である曹真の一族皆殺しはひどすぎる。
近いって思うのは南朝斉の始祖・蕭道成かな
でも蕭道成の方が人間味がある。
あとは北周を専横した宇文護か。
人物評価は、蕭道成>司馬懿>宇文護って感じかな?
曹操、諸葛亮とは能力的にはともかく、人物的には比べるべくもないと思う
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/28(火) 12:08:08 ID:m44gNRYK0
まぁ、格好良い文字を並べてみました的な詩ではあるな。
漢詩について詳しくわかる奴なんか今の日本にいるのか?
しかも当時とは感性も字の意味も音も違うんだし
まあそれを引いても単純なイメージではあるが
確か後世の中国人の誰かが曹操の詩を
「下品」と評したが、司馬懿の詩については評価の項すら設けてなかったとか。
評価の対象外だったのかねぇ?
あの当時の詩人の代表格が曹操、曹丕、曹植の親子だしな
司馬懿の詩作自体黒歴史でなかったことに
漢詩のわかる人間なんて今じゃ腐るほどいるぞ。
専攻してる専門家以前に、逆に今は書籍や解釈が進んでるしね。
俺も少しわかるけど、司馬のは当時からすると相当型遅れだね。
俺的な表現だと、メインストリームでギャングスタなHiphop流行ってる
中、演歌や濃いカントリー歌って最新だと思ってるおっさんて感じかな。
当時の文化人なら失笑もんかも。 彼は文化人ってのからは遠いね。
専門は軍属だから彼にとっちゃ不要だけど。
ここら辺の洗練されてないところが情緒さを感じさせない
お前は死ねと言って使者を切る、虐殺を誇る等彼の冷徹な性格を感じるな。
>>140 洗練されたオサレなやつらを笑ったものとして、この詩を作ったのかも。
当時と現代じゃ発音もだいぶ違うよな
三曹や司馬の詩を音で聞いてみたい
143 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 23:58:31 ID:9Zn1yEGVO
>>140 > 俺的な表現だと、メインストリームでギャングスタなHiphop流行ってる
> 中、演歌や濃いカントリー歌って最新だと思ってるおっさんて感じかな。
カントリーなら若い奴でも聞いてるぞ。
ラスカルフラッツとかな。 カントリーは固定地域で人気度が違うけど。
それは知ってるけどいいたかったのはそれほど司馬の詩は当時の感覚で
時代遅れだってことさー。
それでも好き嫌いは個人の感性だけど詩自体上手いとは言えないな。
本人もあんまりそういう事には興味なさそうだけど。
そういう奴が三曹を滅ぼすわけだから歴史の因果を感じる。
>お前は死ねと言って使者を切る
このときのカッコイイセリフから考えても
言葉に対する感覚が低いとは思えない。
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 14:34:53 ID:ZiOYclOL0
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 20:22:58 ID:DJOwuF930
諸葛亮に較べて、後世においての軍事の評価がされてない?
司馬懿が魏の軍師と呼ばれる根拠が分からん
軍師の職に就いた訳でもなし、曹操の参謀らしい仕事で目立った訳でもない
蜀と戦った時はむしろ軍師の辛ピに掣肘されてる
149 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 10:35:37 ID:+pqqJuqNO
軍師以上に軍師すぎて煙たがられたんだね
奇策縦横が使いにくいからじゃね?
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/10(土) 21:48:27 ID:6Vl6HtzO0
芝居はむしろ将軍として評価されてもいいかも
直接のライバルが孔明だったから軍師なイメージなんだろうな
ライバルが将軍タイプだったら将軍って呼ばれてるだろう
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/30(金) 23:12:45 ID:AP+5Z/tk0
あげ
>>148 呉蜀を二虎競食にかけた手柄の一部は司馬懿のものだが?
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 05:03:59 ID:rnjxSnmD0
司馬懿盛り上がらんなあ
この人の詩見たら、ヘタクsもとい素朴すぎてワロタ
り…理系だったんじゃね?w
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 04:10:04 ID:OMN5BZJQO
合理主義でロマンは無さそうだしね。
160 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 16:37:12 ID:eICbic0OO
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 20:49:18 ID:3a8Upo/d0
司馬懿ファンって意外に多いんだな。うれしくなった。
7ヶ月ぶりにレスが付くぐらい大人気だしな
そういうお前も司馬懿スレにレスが付くのを今か今かと待ちかまえてた司馬懿房。
久々に復帰したが何から振っていいのか思いつかん
曹丕と司馬懿
悟空とピッコロ
曹叡と司馬懿
悟飯とピッコロさん
取りあえずageてみる
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/06(火) 16:17:13 ID:U8FGzI2FO
じゃあ、司馬師司馬昭は口から出た卵?
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/09(月) 11:09:11 ID:rZlv3/kmO
とりあえず保守
塚本青史『仲達』角川書店 ってどう?
あらすじをググったら、薬の話が多そうだけど。
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/13(金) 04:43:56 ID:k6SMygGz0
塚本スレで訊くと良いよ
>>170 dクス。のぞいてきただわァ!
こんな語尾の司馬懿なら、5〜6年前三戦板にあった
1の司馬懿が「ヴァカめが」とののしってくれるスレのほうが面白い予感。
馬鹿目
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/20(月) 16:39:23 ID:iDFC+kFl0
と言ってやれ
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/22(水) 01:32:57 ID:YMNU+AnrO
フハハハハハハハ!
この一族、悪知恵が立ちすぎw
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/13(水) 21:43:52 ID:2FfGL/ND0
軍務以外だとどういう政務をしているんですか?
父に劣らぬ知恵者の息子たちを自分側に抱き込んだ張春華が最強w
同じ土地に葬るよう遺言してるところから見ると、曹丕にはやはり思い入れがあったのかね。
忠臣として簒奪の批判をかわすためというのも大きいだろうが。
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/06(月) 21:55:48 ID:DCXWcuYb0
司馬懿age
>>177 子供は普通母親側につくだろー。
郭ワイんとこもそんなんじゃなかったっけ?
>>178 司馬一族が魏の全権を掌握するに至ったのって、曹爽にも多分に原因が
あるだろうし、曹叡の生前にそこまで大それた考えを持っていたとも
思えないな。
>>180 郭淮の妻が王凌の妹だかで、連座しかけた際に息子たちが父親に嘆願し、
結果郭淮が折れて、司馬懿に助命を嘆願して許されたという話だったかな。
「孝」にまつわるエピソードは母親と子どもという話が多いよね。
徐庶しかり、劉曄しかり・・・。
>>177 抱き込むって・・・張春華の件はまだ息子が幼いときじゃ?
くだらん夫婦喧嘩だし、もし息子が賢く自立した大人だったら
自分の身まで犠牲にする真似はしないんじゃないかな
たかだか嫉妬婆のために命投げ売る性格じゃないだろ、特に長男
司馬懿は醤油や陸遜と戦ったことあるっけ?
>>182 当時はマザコンがデフォだから、長じてからでも何ら不思議じゃない
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/05(月) 01:54:32 ID:oYXlNqFF0
シバイは何故か軍師のイメージだね参謀なんかやってないのに。
曹操が警戒したのは自分と似たようなものを感じたのか。
それにしても人気がない・・
三国志演義での孔明のライバルってのがイメージ構築の全てだしな。
周瑜にしてもしかり。司馬懿は周瑜に近いってのが妥当なんかね。
>>184 郭淮の妻のエピソードや、劉曄の母のエピソードなど、基本的にこの頃の
人間の「孝」の考え方としては、父親<<母親という感じなんだよね。
姜維の親を捨てたエピソードというのはかなり異質だし、彼の末路を
考えた時、辛い評価を下したがる人からすれば「さもありなん」
という感じになるんだと思う。
>>185 曹操や劉備はわずかな兵力からスタートし、大勢力に相対して力を
付けていく「国盗り物語」的な面があるけど、司馬懿の場合は、権臣
一族による簒奪劇という面が強いからじゃないか?司馬昭や賈充については、
英雄然とした面よりもエグさばかりが目立っている感じだし。
意外に過疎ってる
ネタだらけじゃないのこの人
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/07(土) 00:19:09 ID:ePKk9BV70
まあ三国志に紀伝があるわけじゃないし
全体像って意外と知られてないからね
じゃあ、司馬懿の「寵将」牛金たんについて語ろうか
司馬懿より諸葛亮のほうが好き
諸葛亮より司馬懿のほうが優秀
実績に反して後世の評価低すぎ
やっぱ性格悪いからか
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/08(日) 04:32:50 ID:dKORdX4VO
司馬氏が創った「晋」が短期王朝だったのもその原因の一つかも
有力な臣下が実権を握って簒奪(あるいは簒奪一歩手前)ってことなら
一代でやってる簒奪者が史上には他に結構いるんだし
実績としても、他の「簒奪者」と比べると地味
んじゃ普通の軍人としての実績も地味だし
基本防衛ばっかだからなあ
字も読めない池沼に名指しで批判されたりしてるし結構悲惨
過去レスに司馬懿は蜀攻めに消極的だったとあるけど
後に劉備が蜀ゲトして戦乱が長引いたことを考えると
難しくても攻めてた方が良かったんじゃないの?
劉備を相手にしていた時(張魯を降した時点)では司馬懿は積極派の一人だった
劉備入蜀前
司馬懿「あんな辺境の地いらねっすよ。今熱いのは荊州っす」
劉備入蜀後
司馬懿「やっべやべやべ。諸葛亮あいつ調子乗りすぎだし。シメるべ」
てこと?
司馬懿、なんか好きだ。
愛 LV6
涼 LV8
絵理 LV11
くらいで
真三国無双6は新勢力に『晋』登場か・・・
司馬昭、司馬師が新キャラクターとして登場するようだが、司馬懿はその分老けるのだろうか。
mjk
>>182 そうだよな。いくらなんでも戦だってあるのに、大人なら
司馬師が自分の健康をわざと損なうような真似すると思えない
やっぱり子供の頃に脅して食べさせなかったんだよ
あんな児童虐待マジキチ女が司馬懿の妻で、最初知った時ガッカリした
最強とか言ってる奴にとっては狂ってることが強さなんだろうな、それは弱さなのに
ぶっちゃけ張春華って司馬懿と全然釣り合ってない
蔡文姫か王異みたいな人と結婚してほしかった
はぁ、司馬懿と言うだけで大抵のものが素敵に見えてくる。
司馬懿のアイコンかっこいいかっこいいかっこいい
ゆとりが司馬懿を恐妻家とか言って貶めてんのがムカつく
司馬懿は恐妻家ではない。ソースはデタラメで有名な晋書だし、
家の中の、家族しか知らない秘密を他人が知ってて
史書に書かれてるのはおかしいから、張春華は殺人も断食もしていないと思う
ばばあ氏ねばいいよ、とかも言ってないだろ
曲筆だろあれ。書くネタが無いから創作しただろ
歴史捏造も甚だしい
晋書のガセネタのせいで司馬懿が誤解されてるのが苛々する
晋書を真実だと思ってロクに考察しないゆとりがうざい
あと司馬懿と張春華が相思相愛と思ってるゆとりがいたら即ツッコミ入れてる
仲良い逸話なんか皆無
晋書の捏造記事すら険悪なものだし、側室はいるし、
墓は別々ですが何か?ってな
しかし大戦カードのせいで増えたゆとりに、いちいち
晋書の信憑性の事から記述の矛盾まで教えてツッコミ入れるの疲れたから
ここに本音書いておくわ
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/11(金) 02:05:38.78 ID:3AYKTLBHO
>>205 目から鱗の気分。
同じ墓〜の話はどっから沸いてきたのか。
一週間以上も前の投稿にレスすんのも何だが。
207 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/06(水) 02:22:49.97 ID:1ZUkUKcYO
司馬懿のこと調べてたら張春華のことも出てきて更に調べたら晋書での春華はデタラメだと言っているブログを見つけてナルホドーと納得してそのブログをもっと調べたらただの司馬懿曹ヒのホモ妄想してる腐でガッカリしたでござる。
すごくガッカリしたでござる。
結局はそういうことかい。
まぁ自分で史書、資料にあたって探らにゃならんつー事ですよ。
司馬懿いてこその魏だったもんな
司馬懿いなかったら孔明に滅ぼされてたかもな
べつに司馬懿じゃなくても別の誰かが守ってても滅ぼされなかったよ
というかむしろ司馬懿が魏の滅亡の一因では?
孔明が北伐してきて司馬懿以外はボコボコにしてなかった?
全然してなかった
もししていても局地的勝利で滅ぶくらいの国力差じゃないよ魏は
大敗が一度や二度あっても揺らがないだろう
石亭や淮南三叛、諸葛恪に敗れたりもしてるけど小揺るぎもしなかったしね
214 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/17(水) 19:45:05.71 ID:2C7mFbIy0
いるー?
いないよー
216 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 17:22:35.28 ID:Mm7Ac3040
いるよ〜
涼州まで蜀に攻め取られて継続的な領土とされたら魏の危機とまでいかなくとも
数十年三国時代が伸びることになったかもしれない。
国力総力では比べ物にならなくても、
西方に振り向けられる兵力が蜀の遠征軍と同程度かそれ以下しかないんだから
これがもし完膚なきまでに殲滅されれば長安が守れなくなり、すなわち司隷が揺らぐよ。
そこから蜀呉の同時攻撃を受けたら、魏は京師固守の賭けに出るか北へ遷都かの選択を強いられる。
234年の段階では魏の兵力は圧倒的なようだったらしく
部下の将校が「何故これだけの大軍がいるのに攻撃しないのか」と詰め寄った話があるが。
孫権が同じ頃合肥で曹叡が援軍に来ると聞いて退却してしまっている。
魏の力はこの頃、呉と蜀の同時攻撃に十分耐えられるように見える。
大軍だなんて書いてないよ。少なくとも諸葛亮伝と晋宣帝紀には。
逆に、231年では洛陽から急行した司馬懿に対し、手勢を分けて隴東に防備を置くように進言した将の意見を退けて、
「それでは諸葛亮に対抗し得ない」と全軍を隴西に振り向け、それでも張コウが慎重策を主張して決戦を避けている。
234年では蜀呉の同時攻撃に朝廷が動揺し、「あの」満寵が寿春への後退を進言する事態。
明帝は司馬懿に出戦を戒めつつ、親政を強調して動揺を収めている。
慎重策をとって時間差を付けつつ、兵力配分と敵の兵糧切れ狙いで各個に撤退を誘わなければ凌げない時代。
司馬懿スレの諸君に聞きたいんだが
しばちゅうさんのスレはどこ?
最近「それからの三国志」上下巻読んだ。
魏による蜀併合が紳士的に行われた ってのがツマランかった。
224 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/24(土) 02:20:24.60 ID:HTUpaSK90
石勒「高皇に会ったら、(その部下となり)韓信や彭越と先陣を競うだろう。
光武に会ったなら、互いに中原の鹿を追い(天下を争い)雌雄を決するだろう。
(しかし)大丈夫(立派な男)たる者、磊磊落落(「磊落」の強調)、
日月が明るく輝くように物事を行うべきであって、曹孟徳や司馬仲達父子のように、
孤児や寡婦を欺き、狐のように媚びて天下を取るような真似は絶対にできない」
石勒曰く、
「朕若逢高皇、當北面而事之、與韓彭競鞭而爭先耳。
脫遇光武、當並驅于中原、未知鹿死誰手。
大丈夫行事當礌礌落落、
如日月皎然、終不能如曹孟コ、司馬仲達父子、
欺他孤兒寡婦、狐媚以取天下也。朕當在二劉之間耳、軒轅豈所擬乎」
「高皇に会ったら、(その部下となり)韓信や彭越と先陣を競うだろう。
光武に会ったなら、互いに中原の鹿を追い(天下を争い)雌雄を決するだろう。
(しかし)大丈夫(立派な男)たる者、磊磊落落(「磊落」の強調)、
日月が明るく輝くように物事を行うべきであって、曹孟徳や司馬仲達父子のように、
孤児や寡婦を欺き、狐のように媚びて天下を取るような真似は絶対にできない」
司馬懿の芝居
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
とてもじゃないが西晋の皇帝たちがあの司馬懿の子孫だなんて思えない・・・