1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
夏の桀王 、殷の紂王に始まり、隋の煬帝、宋の徽宗など、暴政で国を滅ぼした数多くの昏君
について語りましょう。
皇帝ではないが毛沢東が最悪じゃないか。
>>1 >暴政で国を滅ぼした
これでは朱元璋陛下の出番がないではないか!
公路様
>>3 事実上、彼の王朝は2代目で滅びてて、その原因を作ったのも彼
(まあ2代目も馬鹿だけど)
建文帝、あれだけで馬鹿と言っちゃうのは可哀想じゃないか。
まだ若かったんだし。
相手も強すぎたしねー。
それにしても爺さんが有能の士を殺し杉田
/;;;;;;;;;;;;;\
/;;:::::::::::::::::::::::\
∈=━/,,;;:::::::::::::::::::::::::.;ヽ━=∋
L::;;,__ ..:::ゝ
//;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;ヽ
/ ;;;;;;;;:::::::::::;;;;;;;;;;;;;::::::::;;;;; ヽ
/j/三三三三三三三三三三ヾ
l::||:::: |l
/ ̄\ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′||
>>1-7 r┤ ト::::: \___/ || よくぞ言った!
/ \_/ ヽ:::. \/ ,ノ 望みどおり貴様にも「凌遅三千刀滅九族」の号令を聞かせてやろう。
| _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__ なに、記録も残らぬように血統も根絶する故、先祖の廟のことなら案ずるでないぞ。
| _)_ノヽ\ ハ // / ヽ
ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ
中国では前王朝の正史はその国を滅ぼして建った王朝が書く。
後の王朝は成り行き上、下克上とか主君を倒す形で建つわけだが
そういった行為は儒教的な道徳に反する。
それを「あまりの暴政に天の命がかわった」と正当化するために
前王朝最後のあたりの皇帝は軒並み暗君、昏君に仕立て上げて書かれると
聞いたことがある。
ゆえに王朝の最後の皇帝あたりは話半分に聞いといた方がいい。
明の万暦帝もかなりひどいよね。
前半は、せっかく優秀な宰相が財政を建て直してくれたのに。
嘉靖帝も。
明はろくでもない皇帝が長生きした。
このスレは太祖洪武帝陛下の御威光により
明の歴代皇帝を語るスレとなりました
明朝の歴代皇帝が最悪ということで。
初代からして、かなり最悪だし、ろくな皇帝がいないw
最初の皇帝の性格って、その王朝の性格を方向づけることが多いからね。
>>13 明の皇帝の中で名君と崇められた者も、何らかの欠点を持った者達が殆んどですものね。
例えば、永楽帝の息子の洪熙帝は、靖難の変にて建文帝側についてた者達を赦免したり、
肥大化しすぎた永楽帝の政策を収束させたり、三公を復活させて皇帝独裁を制御させたりと、
性格の良さも政策能力も歴代では群を抜いてましたが、超が付くほどのピザデブかつ
病弱だった為に、即位後たった一年であぼーんしてしまったのが本当に惜しまれます。
明王朝で名君と呼ばれる皇帝の実像。
洪熙帝=超が付くほどの肥満体の上病弱という欠点。永楽帝にダイエットを厳命されるほど。
宣徳帝=叔父の処刑方に見られる残酷性に加えて祖父譲りの宦官重用(宦官学校を創設)
弘治帝=恐妻家で皇后に頭が上がらず、終生他の妃を持てなかった。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 15:21:40 ID:5EDwP+i+0
次の清朝の歴代皇帝たちと比べると、痛々しいねえ。
清はクオリティ高杉
清朝の歴代皇帝は、少数派満州族による多数派漢族の支配という状況に迫られての、
クオリティの高さだったのだろうね。
前半の段階で、下手に昏君を出したら、すぐさま王朝の存亡に繋がっただろうし。
南朝の皇帝には酷い子が盛り沢山って気がするんですが
>>20 梁の武帝ですら、いろいろとおかしなところがあったからな。
武則天
王者で自身から来たとしても自分自身を尊大に称えすぎ。
物欲の塊のような人間だったのに、弥勒菩薩の化身とか見苦しすぎる。
仏教信奉者なら釈迦を見習いすべての地位を捨て、出家でもすればカッコよかったんだけどね。
有能だったから問題無し
というかそこらへんはなんか秀吉の臭いがするんだよね。
拠って立つ地盤が目に見える実力だけで大義名分が無い権力者が
自分を正当化するための政治手段。
無欲を美徳とする仏教とは矛盾してるな。
欲望の覇者なら、我こそが至上の徳尊とでも思い込んでれば
それなりの格好もついた。
玄宗皇帝が西王母に言われたような醜さも備わってるな。
武則天は一時期、仏教の影響で肉食禁止令出しているよ。
尤も実質はザル法程度の扱いだったけどね。
そりゃまあ、そんなの誰も守らんわな。
朱元璋
宦官の専横を放置して土木工事に専念した天啓帝
>>29 正確には大工仕事なのよね。天啓帝の趣味は。
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 13:39:33 ID:AAJbYTFe0
朱元璋は一番勤勉的な皇帝だよ,毎日10時間以上仕事をやって,年中無休
始皇帝から以来一番勤勉な皇帝だ,しかし彼の相手は歴史規則,勝ち目がない.
朱元璋は勤勉でも、子孫に勤勉なのが少ないねえ。
明の歴代皇帝は短所と長所のバランスが極端すぎるな
隋〜唐時代も同じようなもんでしょ。
この時代は牝鶏がやけに騒がしくもあったが。
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 21:27:41 ID:OB+3q/+n0
晋〜隋の方が殺人大好き皇帝がたくさんいて非道いような。
36 :
雲再世:2007/01/11(木) 01:36:01 ID:jFhSf94y0
劉邦が大嫌い
漢の武帝って、国を滅ぼした昏君だよなぁ。
・無理な外征
・後継問題
・淮南王劉安謀殺
・極端な儒教贔屓
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/11(木) 02:30:53 ID:E83+aoA90
孫権の子供
>>37 衰退のきっかけ作ったって意味ではそういう要素も有るかも知れん。
それだと、玄宗もだな。
武則天に登用されて、初期に主導権とってた官僚が優秀だったのに、
それを自分の力と勘違いして、
あの体たらくだからな。
武則天自体が昏君だったから、いかんとも言いがたいな。
玄宗は武則天時代から続く牝鶏共の政治専横を一掃した功績は褒めるべきじゃないか?
「貞観の治」に続く、改元の治の発現も善政君主としての証。
後半が相当に廃れたが、反乱軍側の言い分を聞き愛妾の楊貴妃もしっかり処断してる。
>武則天自体が昏君
そうでもないよ。
呂后の時代もそうだったがひどい目にあったのは貴族とか上の方だけで
庶民に対してとか国政ではそれほど失策はしてない。
しかも人材登用などでは身分に拘らず、有能な人材も入れてる。
「牝鶏」の例えどおり、男社会の価値観から批判つかいちゃもんが多いだけ。
しかも武則天の場合、男の皇帝なら取り上げもしないような誇張された
性的スキャンダルで過度に貶められてる。
性格的には褒められた人間じゃないけどね、武則天は。
王大后や蕭淑妃の四股を両断し、酒瓶につけて死に追いやり
高笑いして政敵を廃した余韻に浸ったりする点は尋常じゃない。
実母を杖で叩く皇帝とか、皇族を自分で殺しておいて泣く皇帝とか
自分に刃向かった儒者の一族皆殺しを本人の前で延々見せつける皇帝とか
性格的にロクでもない皇帝ならいくらでもいるが
武則天が生理的に受け付けられないのは「女」だからだろうな
みんな女の股から生まれてきた訳で
>性格的には褒められた人間じゃないけどね
結局の所、女性の為政者を貶める場合はそこに行きつくわけね。
男の場合は性格悪い皇帝=昏君とは言われない
息子の嫁とり上げて国傾けるまで溺れまくった玄宗はどうなる?
武則天は何事も中途半端なんだよ。
名君とも言えず、昏君とも言えずといった具合に。
まあ、中国史上唯一の女性皇帝なんで珍しいケースとして
有名になったんだろうな。
前後の有名な皇帝と比較するならば、善政君主としては遥かに李成民には及ばず
悪政君主としては遥かに煬帝に及ばず。
武則天は女じゃなかったら、特徴のない普通の皇帝として史書に対して書かれることもなかったろう。
そうなると女であることが逆に格好の武器となってるな。
女の人で、中国の歴史好きな人がいたら、意見を聞いてみたいな。
>女の人で、中国の歴史好きな人がいたら
なんかこういう事言う人って
>>43みたいな考えもちそう。
藤水名子は中国史を題材に書くけど、視点がモロおっさん
あまりに紋切り型でつまらんよ。
女性マンセーしなくていいが、女性権力者はすべからく残虐とかそういうの
もう止めません?
しかたないよ、呂后、武則天、西太后と女性権力者はほぼ残虐なんだから。
楊家将演義に出てくる遼の蕭大后は英邁な摂政として活躍してたけどね。
史上最悪か
暴君っていわれる人間は反面天才的なとこがあるから何かしらの功績残してることが多いけど
プラス要素がほとんど無くマイナス要素ばかり目立つという意味では
暴君系だと金の海陵庶人
暗君系だと北宋の徽宗
徽宗は芸術点でプラスだけどそれは皇帝じゃなくてもできるし
>>暴君系だと金の海陵庶人
あれはクーデターを起こした世宗が海陵王の悪口を集めさせた結果なので、
話半分に聞いといて。何でも悪く言えば言うほど重く賞せられたとか。
海陵王は隋の煬帝タイプ 功績も有る。
それを差し引いても悪事と功績の差が一番大きいという判断
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 23:55:50 ID:3Bb/3em00
>>49 あの男性優先の封建社会じゃ、残虐にならなければ権力を手に入れることができなかっただろうしね。
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 00:06:17 ID:u35ztlRSQ
まぁ毛沢東だな
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 02:58:16 ID:G8YnJe05O
戦乱や動乱期には、野蛮行為や残虐行為は平然と行われていたのではないかな?
ただ女性がそのような行為をすると、その意外性から残酷さが強調されてしまうのではないだろうか
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 07:57:09 ID:QprEWKKOO
>>46 『煬帝が実際に悪政を行っていたかどうかは疑問である』
ってどっかの本に書いてあったよ
>>46 >9にあるけど、王朝の最後の方の君主は結局暴君か昏君にされちゃうんだよ
宮殿を建てるとか大工事を行うとかは中国では暴君のステイタスだから仕方ない
献帝は暴君でも昏君でもない気が
>>59 献帝の父「霊帝」が昏君だ
理由:宦官(十常寺)を自分の兄弟みたいに扱って政治を怠ったから
>>59 あれは可哀想だわな。
宋の欽宗、明の穀宗ほどではないが。
実は中国の歴代皇帝の大半が暴君なのではなかろうか
いわゆる絶対君主で、しかも皇帝独裁を目指してたりするし。
暴君じゃない方を挙げていった方が早いな、確かに。
……メジャーどころだと光武帝ぐらいしか思い浮かばないが。
晋の文公や後漢の光武帝のような名君、楚の霊公や隋の煬帝のような暴君よりも、
姜斉の景公や蜀漢の劉禅のような凡君の方が圧倒的に多かったりして。
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/07(水) 16:25:23 ID:lI7IEVw40
石虎。
南北朝時期胡人的皇帝大多是敗類。
>>65 そりゃ皇族に生まれた子がみんな出来がいいわけじゃないしね。
若いころは名君でも年を取ったら頑固爺、というのも多いな
それなんて孫権?
70 :
FANS:2007/02/07(水) 21:02:05 ID:c7p7mLke0
殷の紂王
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/08(木) 00:11:06 ID:RilsFYht0
戦国時代 魏の恵王
毛沢東で決まり
幼帝はどうだろう。
中国の暴君の典型は、酒池肉林、巨大土木工事、遠征だな。
>>66 あの時代じゃ、仕方なかったんじゃないか。
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/11(日) 00:02:46 ID:c1RivgvS0
毛沢東しかいないだろ?
あいつが今の卑屈な中共の基礎を作ったんだ。
毛沢東はいろんな文化を破壊したからな。
人類文明への犯罪とも言える。
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/16(金) 11:23:51 ID:rbzsIbLF0
袁世凱
胡亥
関羽
英宗正統帝を推したい。
光武帝
暴君と聞いて、とりあえず一般的にイメージされやすいのが、
隋の煬帝じゃないかな。
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/22(木) 16:40:15 ID:bE7pzgrV0
>>48 >女性マンセーしなくていいが、女性権力者はすべからく残虐とかそういうの
>もう止めません?
誰一人としてそんなこと言ってないだろうにw
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/06(火) 23:57:03 ID:jj31+fY/0
三大暴君
殷の紂王 ・・・・・・ 暴君の象徴
隋の煬帝 ・・・・・・ 一般的に国を滅ぼした暴君として有名
中共の毛沢東 ・・・・・・ 文化大革命
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/09(金) 19:01:25 ID:bSv/d8YA0
南北朝時代の南朝には1ダースくらいいるだろ
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/11(日) 23:56:14 ID:ytTibeqn0
南北朝時代は暴君の宝庫ではあるけど、全国政権ではないから、
代表に選ぶには、ちょっと不足感があるんだよね。
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/12(月) 09:13:18 ID:7xtm2Nl6O
帝辛、煬帝、しこうてい、朱元璋
シコうていと朱重八は名君だろ
後漢の霊帝。
官職売り飛ばすなんてやりすぎだろ
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/13(火) 00:48:38 ID:FGudnycK0
皇帝ではないが宮城谷ワールドや左伝で悪名高い春秋の君主
楚の霊王
斉の荘公
晋の霊公
陳の霊公
なんかもう霊王の一言で片付きそうだな。
諡号だけである程度予測できるからな
武霊王あたりは分からんけど
>>91 それにこいつ等も付け加えてくれ。
楚の穆王
楚の平王
斉の襄公
斉の景公
晋の詞
晋の平公
鄭の文公
鄭の釐公
宋の昭公
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/14(水) 00:16:01 ID:vk6MflDi0
桀宋こと宋王偃
宮城谷「孟嘗君」や塚本「白起」での悪人ぶりお見事
時代は下って呉の孫晧
陳さんによれば始皇帝も暴君?
あの商鞅や韓非の法による古典的全体主義体制の支配は苛烈だった
中国では女の権力者は悪く書くって決まってる
だから残虐行為を鵜呑みにするな
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/14(水) 14:09:01 ID:fhHU3NXB0
むしろ中国三大悪女の呂雉、則天武后、西太后は屈指の施政者だしな。
封建社会がついこの間まで(下手すりゃ今も)続いてきた中国では女が男の上に立つなんて事が我慢ならない。
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/14(水) 15:34:23 ID:Yax9+Bw3O
以上、悪代官でした
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/14(水) 17:16:18 ID:8jzx0Ro/0
西太后は施政者としての評価は高いのか?
愛国者的な人気はあると聞いた
三大悪女なんて言われるが
則天武后>>>>>>>>>(超えられない壁)>>>>>>>>>>呂后>>>西太后
だろ、政治的には
善政にしても悪政にしても中途半端だけどな。
その3羽の牝鶏共は。
102 :
pgf@n99:2007/03/14(水) 20:20:26 ID:voWfmXBZO
劉禅を忘れてやいませんか?
え?唐の最盛期って則天武后の時代でしょ?
アワワ・・・
釣りじゃ、分かりやすい釣りじゃ。
>>97 西大后だけは、政界を泳ぎぬいたその謀略の才は認めても国家の指導者・施政者
としては落第だとしか。
でも西大后はあの激動の時代に40年にもわたって権力を握り続け、
その間に同治中興って安定した時代を気付いてはいるわけだから。
変法運動を潰したのは失策かも知れないけど、政治に失策は付き物だろ?
失策の程度によるだろうな
西大后の場合、致命的なミスが多いんじゃ…
唐 李世民
清 康熙帝
武則天、西大后程度では超えられない巨大すぎる壁。
李世民が落とせなかった高句麗を落とした武則天
>>108 でも武則天、西大后以下の皇帝の方が圧倒的に多いんじゃないか?
始皇帝、劉邦、武帝(漢)曹操、煬帝、李世民、李隆基、成吉思汗、愛新覚羅玄Y
ここらへんは確実に武則天、西大后以上の存在だろ。
煬帝は暴君だが、大運河の建設の功績とスケールはまさに皇帝そのもの。
後半グダグダの玄宗が武則天以下はあり得ない
つか武則天と西太后をセットにしてる時点で無知確定だろ
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/15(木) 20:26:30 ID:NUI05Pp50
馬鹿の1つ覚え
血中
反権力者は馬鹿であれ(馬鹿の正しい使用法)
武則天と朱元璋が結婚したら最高のカップルになっただろう。
武照「貴方?明日は誰を粛清しましょうか?」
朱重八「そうじゃな。そろそろ李善長辺りにするか?」
>>111 帝国が傾き始めたら自分の仕事を放棄し現実逃避した煬帝は君主失格だろ。
農民に減税などしてるし個人的には煬帝は暴君というより、お坊ちゃま皇帝だな。
幾分かの才能があり、やる気もあったが、一度つまずくとどうにもならず、最後には仕事を投げ出してしまう。
玄宗は国を滅ぼしかけた男だぞ。功罪比べるとマイナスのほうが大きいだろ。
それに比べて武則天は朝廷外には混乱を及ぼしてない。
玄宗は武則天時代から続く国害の排除、李成民の貞観の治の再来を思わせる
開元の治と称えられた善政はスルーですか。
武則天は女性皇帝だった。以外になにか特別なことやってたかね〜。
女性皇帝という珍しさのみで目立ってるようなもんじゃないの?
密告箱作ったり、配下の残忍な獄吏が民衆に嬲り殺されたりなど
あんまりプラス要素のあるイメージが沸かないんだが・・・。
北門に寒門の若者集めて資料の編纂や事務を手伝わせ
見込みのあるものを引き上げて政治に使った
玄宗皇帝の前半の政治に活躍した政治家・官吏は殆どが武則天の採用した人材
姚崇、劉知幾、蘇?、張説、宋m……みな武則天が登用した人材である
それが枯渇した玄宗は李林甫や楊国忠、安禄山を信任し、国家を破綻させた
結局のところ玄宗には与えられた人材を上手く使うことは出来ても、育てることが出来なかった
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/16(金) 00:32:56 ID:4Lryoxzw0
呂后と呂布が夫婦だったらとんでもないことになってたな
玄宗は確かに開元の治の善政は評価されるべきだが、
節度使制の導入と人材登用の失敗によって安史の乱を引き起こし、
後々まで大唐帝国を悩ませることを考えると…
でも玄宗は暴君って感じじゃないよな
その点、魏晋南北朝あたりは凄いの揃ってるよ
>配下の残忍な獄吏が民衆に嬲り殺されたり
逆じゃないと暴君とはいえない
武則天の政治時代は実質的に政治に口出ししてた高宗の皇后時代から数えると実に半世紀に渡る
密告箱は庶民の生活を苦しめる貴族・豪族を糾弾するものであるので、庶民は悪徳な搾取から逃れることが出来た
庶民まで対象の明の密告制度とは異なり、官権に的を絞った密告制度なので国民を安らかにした
当時、唐の朝廷を牛耳っていたのは建国の功臣の子孫である関隴貴族集団であったが
無能と功績だけを誇る彼らを排除し、実務家を登用した。その証拠に武則天の治世において農民反乱は一度もない
李勣の孫の徐敬業などはその典型で、武側天に対してお粗末な反乱を起こして始末されてる
逆にその際に檄文を書いた駱賓王の才能を惜しんでるコトからも彼女の能力主義が伺われる
彼女は改称嗜好が強いコトが有名だが、天子を天皇、皇后を天后と同列にしたりするのは男女平等思想の先駆けと言えるのかも知れない
その出自から武則天は庶民生活をよく知り、貴族の無能さを良く見抜いた。その点で漢の宣帝と通じるものがあるだろう
彼女の愛民政治の結果、唐の国力は最盛期を迎え、軍事的にも高句麗を下し、突厥を破った。
文化的には仏教が隆盛し、正に“世界帝国”の唐が生まれたのだった
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/16(金) 17:21:10 ID:qcPLLhxnO
唐は李世民が過大評価
武則天が過小評価
李淵が空気扱い
される傾向にある
李淵は何だか情けないオヤジにされた感じで可哀想。
功績はほとんど息子に取られちゃったし。
一概に比較できないけど、総合的に見たら、
李世民と武則天で互角じゃないかな。
李世民は国を創成し、武則天は国を長期間安定させた。
でも唐の創世って李淵、李建成、李世民の三人で作ったもんじゃんないかな?
親子三人のうち誰か一人欠けても成立出来ないとおもうんだよね
李世民って名君とか優秀な人物とかの話題になると必ずといって出てくるけど、
あまり熱心に語ってる奴いないよな。
なんか嫌われてる印象があるんだけど、中国ではどうなんだろう。
唐で最悪の皇帝って誰だろう?
一通り見てみたが無能な皇帝ならいるが「最悪」って言うような能動的に悪政をした人はいないみたいなんだけど。
能動的に悪政をした皇帝がずっと皇位に付けるはずがないじゃないか?
そんなん唐じゃなくても長期政権においては皆無だ
>>127 長期政権の明ではすばらしい皇帝がたくさんいますよ。
この王朝、政務に励んだ名君は短命で治世が短くて政治にあまり携わらずに
側近に投げているような皇帝の治世は長いのがなんとも。
武宗正徳帝なんて他じゃまずお目にかかれない。
だからそういうのって暗君っていって能動的に悪いのは暴君じゃないか
武則天は調子こきすぎたけどな。
勝手に王朝を創り上げたが短期間で叩き潰され
再び「唐」に時代が戻ったあたり、我侭が過ぎる子供が諭されたようにも思える。
能動的に悪政をした長期政権……漢の武帝
>>131 守成時代の皇帝だからな、武則天は。
新王朝を興す時を全く弁えてなかったあたり
創業の王としては無知無謀極まりない。
民政を安定させ、優秀な人材を発掘、高句麗まで降しておきながら
何故「唐」の存続に素直に尽くせなかったのかも疑問。
所詮は駄々っ子皇帝に過ぎなかったってことかね?
明と実が離れてるのを改めて何がいけないのか、そんなに必死になる方が判らないな
唐周革命が国家の致命的になるなら兎も角、そうじゃないし
嫁が超エリートで旦那がヒモの夫婦が居たら、君は姓は絶対男じゃないと駄目って言うの?
ダイエーホークスがソフトバンクホークスに変わったって、選手やコーチが変わるわけじゃないんだし
それに、「唐」なんてまだたかだか数十年しか経ってない王朝にそこまで義理を尽くす必要なんて無い
唐自体、外従兄弟の隋から奪った政権なんだし
心情的なコトを言えば、自分の子供まで殺して奪った玉座なんだ。拘って何が悪い
兄を殺し父親を監禁した李世民や、姉を殺し父親を監禁した李隆基はその後名君たらんと必死だったね
そこら辺が女と男の違いの様で面白いんだが
武則天にとって自分が「周」で旦那が「唐」だった。それだけだろ
本気で「唐」を潰す人間が皇帝と皇后を対等に置かないし、あんなに李氏と高氏を血縁的に結ばないし
あれだけ鋭い観察力をもった人間が狄仁傑の様な「武則天が死んだら唐に戻るよ」って考えてる奴を
殺さないで使い続けて、最後は高宗の一緒の墓で眠ってる(これはどこまで本人の意思か判らないが)
それを人間的というか無知無謀というか、カラリとしてると言うか駄々っ子と言うかは人それぞれだけど
俺は無知無謀の駄々っ子皇帝はむしろ玄宗にピッタリだと思うけどね
>>134 落ち着け。言ってることが支離滅裂だぞ。
前半で玉座に拘って何が悪いと言いながら、後半では唐を潰す気はなかった、って矛盾してるでしょ。
>嫁が超エリートで旦那がヒモの夫婦が居たら
その認識はおかしいだろ。高宗は大唐帝国の皇帝なんだから。
言うならば大会社を継いだ坊ちゃんとそのやり手の嫁さんってのが正しい認識だろ。
>本気で「唐」を潰す人間が皇帝と皇后を対等に置かない
別に唐のためにやったことじゃないでしょ。
自分の皇后という下の立場を皇帝という上の立場と対等にして、その後簒奪してるんだら。
>ダイエーホークスがソフトバンクホークスに変わったって
大事なことだから則天武后は唐から周に変えたんでしょ。
いくら趣味が改名だからってただ名前を変えたかっただけって訳じゃないだろ。
それならそれで面白いが…
「名」ってのは大事だよ。貴族連中の存在意義のようなもんだもん。
>唐自体、外従兄弟の隋から奪った政権
隋唐の場合と全く状況が違うよ。
まず隋の政治の失敗で天下が乱れて唐が出てきた。
則天武后の時代では別に唐の世の中が乱れてたわけじゃないからね…
まぁ、その状況でも一時的に簒奪を成功させた手腕は見事だけどね。
いや言いたいことは大体わかるけど。
武照さん、平民出だし貴族感覚なんてわかんねーだろうよ
だから軽々と時節を計る事もなく王朝なんて作っちゃたのかもな。
まあ、性根は腐ってるが暗君、暴君ではないな武則天。
名君というほどでもないが。
>>134 区切ればよかったね。こんな風に
>ダイエーホークスがソフトバンクホークスに変わったって、選手やコーチが変わるわけじゃないんだし
>それに、「唐」なんてまだたかだか数十年しか経ってない王朝にそこまで義理を尽くす必要なんて無い
>唐自体、外従兄弟の隋から奪った政権なんだし
>心情的なコトを言えば、自分の子供まで殺して奪った玉座なんだ。拘って何が悪い
>兄を殺し父親を監禁した李世民や、姉を殺し父親を監禁した李隆基はその後名君たらんと必死だったね
>そこら辺が女と男の違いの様で面白いんだが
>武則天にとって自分が「周」で旦那が「唐」だった。それだけだろ
>本気で「唐」を潰す人間が皇帝と皇后を対等に置かないし、あんなに李氏と高氏を血縁的に結ばないし
>あれだけ鋭い観察力をもった人間が狄仁傑の様な「武則天が死んだら唐に戻るよ」って考えてる奴を
>殺さないで使い続けて、最後は高宗の一緒の墓で眠ってる(これはどこまで本人の意思か判らないが)
>それを人間的というか無知無謀というか、カラリとしてると言うか駄々っ子と言うかは人それぞれだけど
>俺は無知無謀の駄々っ子皇帝はむしろ玄宗にピッタリだと思うけどね
一段目は比喩
名前は大事っていうのは所詮貴族の価値観であって、武則天政権時に活躍した政治家はこの傾向を持ってないし
「唐」を大事にしたかったのは関隴貴族集団で、後の連中が名前に括るのは建前だろ
そんなに名前が大事ならそもそも最初の魏晋革命からすんなりいかないことになる
大事なのは自分の利権、あるいは自分が手腕を振るえる場所
だって当時の「唐」にそんなブランドは無いよ?歴史を知ってる俺らからすれば「唐」は世界帝国で長期政権だけど
隋唐末の混乱期を経て成立した「唐」がこれから「漢」のように続く保証はどこにもないんだからね
高宗は大会社を継いだけど、その会社はあくまで独立したての新興の大会社であることを忘れちゃいかん
「隋」っていうでっかい船が沈みそうになったから取り敢えず「唐」という船に乗ってる
溺れなければその船が「周」になったって構わない。これが貴族の考え方だから、
任侠の竇建徳は殺されて、貴族の王世充は生かされた。そういう連中なんだよ、貴族って
これが二段目。当時の目線で書いた
三段目は個人的ないわば小説的な見方
女性の権力者的な執念的な部分と、開き直り方が魅力だと俺は思ってるんで
四段目
「唐」と「周」が対等だってこと
本当に「唐」を消してしまうなら皇后>皇帝にするだろう?そうして初めて唐は周に服属する形になる
別に武則天が「唐」を大事に思ってた訳じゃなくて、自分が「唐」を背負うのが嫌だった
だって自分は「唐」に関係ないし、それなのに自分がやったことが全て「唐」に帰属されてしまうのは結局
皇帝(男・唐・既存勢力)に皇后(女・周・新興勢力)が負ける、奪われるコトなんだから
そんなのプライドがゆるさんだろ。それは権力志向の皇帝なら普遍的に見られる感情で
それを駄々っ子っていうのは、先に武則天が女性皇帝で異端の存在というフィクターをかけてるんだよ
だから別に武則天ってのは極端な女性主義者でも、旦那を踏み台するろくでなし女でもなく
平等な法家主義者。男の高宗より女の自分の方が優れてたからトップにたって周を立てた
それが次の代で男系に戻って「唐」を名乗りたければ名乗ればいいという言う割り切り方を本人はしてたんじゃないかと
その次の代では女の太平公主と男の李隆基皇太子が争ってるだろ?
これは武則天がつくった女性参政権の証のような物だと思わないか?
すまん、もう俺が悪かった。
狂信もそこまでいくと大したもんだ。
判りやすく説明すると長文になってそういう風に言われるだろうとは思ったさ
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/18(日) 21:38:40 ID:cEVMcx2y0
そもそも中国の皇帝で、粛清を行わず民政に力を入れたやつなんているの?
在位1年未満とか傀儡とかを除いて。
宋の太祖は?
>>142 ああ、そういや他スレでそんな話になった時、その名前が挙ってた。
完全に忘れてた。d。
>>141 劉秀ぐらいじゃねえの 有名どころでは
則天武后は名君ベスト5に入る実績はあると思うよ
光武帝・清聖祖・唐太宗・武則天・清世宗
>>141 康熙帝は粛清とかやったっけか?
>>144 始皇帝、項羽、劉邦、漢武帝、曹操よりも武則天は下だろ。
実績だけなら煬帝もランクイン可能だと思う。
まあ、マイナス要素がそれ以上だけどさ。
煬帝が持ち上げられてるが隋なら父親の文帝の方が圧倒的に優秀だろ。
隋がすぐ滅んだせいで目立たないが分裂していた中国の統一し、
内政面でも抜群といっていい功績を挙げてる。
煬帝の大運河も文帝時代に国政を圧迫しない程度に始めてたし、科挙制度を始めたのも文帝。
開皇の治とまで言われたのに、息子がいろんな意味で目立ってるから…
激しく同意する。
文帝は家庭人としてヘタレだがケチである以外は模範的な皇帝だった。
息子が目立って隠れるのは李淵に通じる物が……
ID:nB0fyFDH0のいう実績って、何か残したってコトなのか?
始皇帝→万里の長城
項羽→?
劉邦→?
漢武→匈奴撃破
曹操→魏武註孫子
やっぱワカンね。わかるように説明求めるわ。
ゲームのように戦争強ければいい記号としての“君主”なのかしらね?>項羽
漢武帝なんてこのスレタイにピッタシのタイプの悪徳皇帝なんだがな。
利益の無い対外行動で国家財政破綻、増税、酷使、民衆は耐えかねて反乱、宰相は首切られる
それも対外戦の司令官は寵姫の縁者だからな。衛青は成功したけど李広利なんてとてもとても……
始皇帝、項羽、漢の武帝あたりは間違いなく上だろうな。
このスレのランク付け的には。
>>145 項羽は武将としては優秀だけどどう見ても名君じゃないだろう。
曹操は支配領域が狭いし業績もこの中で一番見劣りする。そもそも皇帝じゃない。
漢武帝も名君とはいえないよ。
項羽も漢武帝も名君より暴君よりだろう。どうみても
武則天の方が善政を行っている。
秦始皇帝は度量衡の統一と文字の統一という偉業があるけど名君なのかといわれると??
漢高祖も偉大な皇帝ではあるけど政治的にあまり何かやったとはいえない。
いつの間にか政治で結果を残す、否の選定になってるな。
天下統一を果たした皇帝とかの評価はどうなってるのかな?
名君と暗君の評価は政治に帰結しないか?名君は国を興隆させ暗君は国を傾ける
暴君は粛清や民を虐げる君主。粛清によって国の改革をして国を発展させたのも何人かいるけど…
戦争に強い弱いは別の尺度では?戦争に弱かった宋でも国は豊かで文化も発展した。
ある程度の治安を保つのも重要だけど名君と暗君の差に戦争の強さはあまり関係しないのでは?
そのへんの評価は名将とか愚将としての評価では
じょあ劉秀や李世民や趙匡胤も暗君か
なんでねん
劉秀は奴隷解放宣言だして新末の混乱で没落した人間を復帰させて生産力を上げてるし
趙匡胤は長年の課題だった節度使問題をほぼ片付けたのに
名将で名君じゃないか
漢武帝
唐玄宗
清乾隆帝
この3人は何かと比べられるけど、自分が名君だという意識も強そう
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/20(火) 01:14:24 ID:MIGNnr5s0
その三人のころは全盛期だけど
実際に名君だったのは前の世代だったりする感じか?
国力のお陰で致命的なボロにはならなかったってトコだな
玄宗のぞいて
曹操は何が優れてたのか今イチ掴めないんだよなぁ……
政治・軍事万遍無く良いんだけど、どれもパンチに欠けると言うか。
政治的には屯田兵の確立が第一かな。
でも匈奴を内地に入れたのも曹操なんだよね。五胡台頭の温床なんだよな。
まあ、直接責任は間違いなく西晋だけど。
政治的には息子の方がしっかり形にしてる。
軍事は官渡で勝って長場越えて外征してるのに
赤壁と漢中で采配ミス。
プラスマイナスでプラスなんだけどさ
劉邦なら采配、劉秀や趙匡胤なら調停、李世民やヌルハチなら軍事、朱元璋なら政治みたいな
歴史の中でも突出したもんが無い。あえて言うなら文人かも知れない。
則天武后、正確は最悪だけどな。
スレタイの表記もアバウトだし、どっちかといえば最悪皇帝扱いでいいんじゃね。
誉を持って称えるほどでもないよ。
どこまでいっても認めたくないらしいw
>夏の桀王 、殷の紂王に始まり、隋の煬帝、宋の徽宗など、暴政で国を滅ぼした数多くの昏君
について語りましょう。
って一応
>>1に書いてあるけどね。昏君は検索かけると馬鹿殿らしい。
蕭宝巻なんかは死後東昏侯なんて贈られてるし…
人格者の皇帝なんて少ないよ。
各統一王朝の初代皇帝で何とか人格者と言えるのは劉秀を趙匡胤ぐらいかな。
>>160 しょうがないな・・・。
2ch世界のみなら名君扱いで妥協しといてやるよ。
視野狭窄ってのは怖いな。
一方的な勝利宣言キタ!
>>161 劉秀は妹?を助けるために官吏を、趙匡胤は料理人殺してたと思う
まああの漢の宣帝ですら最後の方は金飲んでちょっと狂い気味だから
完全なまでに人格者とはいかないんだろう
差し引いても劉秀と趙匡胤の人の良さは際だつし(特に趙匡胤は中国史上もっとも殺伐な五代十国を生きた人間とは思えないね)
>>162 まぁ劉備が善玉、曹操が悪玉程度の一般認識だと則天武后は最悪皇帝でしょうけど
しかし今時分、ウィキにすら評価を得てる側天武后を中英板で最悪皇帝扱いねぇ、ふ〜ん
前漢成帝とか西晋恵帝とかが好きなんだろうなぁ
良二千石のコトなんでどうでもいい皇帝が
しかもこれで
>>145と同一人物だったら笑い転げるわ
始皇帝や項羽が生き埋めにした人数や曹操が殺した徐州の人数と武則天の殺した人数どちらが多いのか
だいたい、その手で一番最初に上げなきゃならないのは永楽帝でしょ
方孝孺の一族800人を本人の目の前で残らず虐殺、使用人や門弟に至るまで殺し
女は北方の軍隊の慰安婦にさせられた。書いてるだけで胸くそ悪いが
>>164 有難う!どうやら、俺には釣り師の才能もいささかばかりあるようだ。
大した餌を与えたとは思ってなかったんだけどね〜。
釣り宣言キタ!
論理的に反論できなくなってからの釣り宣言は
敗北宣言、もしくは「チクショウ、覚えてろよ」と同義とみなします。
なってないな、お前ら。
そういう時はな、昔の長州みたいに
「きれてないっすよ!俺をきらせたら大したモンっすよ!」
みたいな返し方しとけば怒気を満面に張らしていても
俺の簡易な釣り程度、簡単にスルーできるし場も和むだろ。
霊王とか霊帝、哀帝、後主と表記されている連中は暗君ぽいのと傀儡だらけだね。
永楽帝は純軍事的な将才で中国歴代ベスト10確実な名将なんだけどね。
反乱に至った過程も同情できる。方孝孺のエピソードが瑕疵になってるね。
ティムールとの大会戦が実現していたらどうなっていたかな…
則天武后時代からの業績を加味すると武則天は名君ベスト10でも上位に入る最高レベルの名君だよ。
>>168 顔真っ赤にして何言ってんだかwwwww
武則天は損をしてるよな。
知らない人が初めてその業績に触れようとすると
大概の本では残忍な性格がクローズアップされてることも多い。
世にも残酷な物語とか世界悪女列伝など、そういう系統の本には
毎度の如くレギュラー出演を果たしてるのもイメージダウンしてる。
だからといって関帝のような万民の寵愛を受ける大英雄とも言えないが
もうちょいプラスイメージで見られてもいいと思う。
李成民と李隆基の間に挟まれてるのも更に損をしちゃってるんだろうなあ。
この二人には不思議とマイナスイメージも美談となって語られることもあるからな。
即位の際には実兄、実弟を粛清、一部の息子を偏愛して長子をあたら無駄死にさせる。
度重なる高句麗遠征には失敗続きの李成民
息子の嫁を奪って妾にし、胡散臭い外国人を取り立てて、
二人に堂々と浮気?されても放置状態。
政治の乱れを呼んだ挙句、内側から反乱起こされて国内大荒れの李隆基
政治面以外の、それこそ誰かさんが武則天を貶める理由の「性格」も
そんなに立派じゃないよねこの二人。
李隆基はお忍びで町を出歩いたとか面白いエピソードがあったり陽性で憎めない奴という感じ。
それに対して李世民は兄弟殺しや歴史を捏造して父や兄弟の功績を奪ったりと陰湿な面がかなりあるね。
兄を殺したことに引け目を感じて自分が兄以上の名君であるという宣伝をしたくなったのかな?
憎まれない奴で済まされないと思うんだ>玄宗
王衍(西晋)とそんなに変わらない精神構造してるし
皇帝じゃなかったら「君の名声は四海を蓋い、重任にあった。
此処に至って政治には与らなかったなどとどうして言えるのか」
と真正面から言いたかった奴が何人いただろうと
西泰王爺という名で道教神に祭られてるあたり玄宗はそれなりの人気者なんだけどね。
>>158 匈奴を内地に入れたのは曹操だけでなく、それ以前から後漢朝がずっと行ってきたことですよ。
曹操が初めて行ったわけでもなく、曹操が最大だったわけでもない。なのに何故か曹操の責任に
される。
曹操が最大だったよ、アレ
ソレまで内地に入ってた異民族をより多く、より内地に入れたのは曹操だよ
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/27(火) 00:30:10 ID:5vHM4vnZ0
最悪なのは真面目で帝国に幻想をもっている奴。
明の正徳帝や万暦帝は、何もせず遊び呆けてる分害が無い。
ニコライ二世やウィルヘルム二世みたいな、
古き良き帝国を目指して働く奴が一番駄目。
つまり中国で言えば王莽が最悪ってこった。
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/27(火) 21:59:12 ID:7pgPqPGy0
宋の徽宗は描きが上手だ。
皇帝ではないが・・・・。
自らの王朝を打ちたてようとしたフシがあり、その死後には
「文宣王」という称号を与えられて擬似皇帝(or擬似神)に
祭り上げられ、歴代の権力者からもそれを承認されていた孔子は
どうだろう?
彼と、その発明である儒教が世に出なければ中国人の精神性が
ここまでぐちゃぐちゃになる事もなかっただろう・・・。
袁術じゃないかな
漢代以降、儒教の考えに背いたやつは否応無しに悪人として記録されてる印象がある
中国でみるならば儒教が中世西洋のような「閉鎖的かつ沈滞的」な空気が発生するに
あたっての最大の原因の一つになっているのは間違いないと思う。
漢武帝の罪重し
やっぱコイツが最悪の皇帝でいいや
中国を完全に儒教色に染めたのは王蒙と光武帝からだろ
186 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 11:49:22 ID:bsvkTdkV0
劉cは?
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 16:20:33 ID:2ypVhSdH0
どうでもいいことだが、「武則天」という呼び名が一時期流行したが、
「武」(名字)+「則天」(贈名)という組み合わせはイマイチだということで
最近ではまた学者の間では「則天武后」という呼び名に戻ったらしい。
もう、則天皇帝と言ってしまえばいいと思うけどね。
>>187 謚+皇帝は言わないことはないと思うけど、やっぱり一般的じゃないんでないかい?
あれ? よくよく考えたら、謚は則天大聖皇后で皇后扱いだから武則天て廟号なし?
皇后扱いだからじゃなくて後継者が居ないからか?
謚号も随分変遷しているみたいだから、唐王朝も扱いに困りかねてたんだろうなぁ。
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 23:46:23 ID:hHA9crCA0
武則天は存在自体がややこしいからね。
唐を滅ぼした張本人であると同時に、
その唐の皇帝の実の母親でもあるわけだし。
まさにカカア天下な人だったからなあ。
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 13:58:28 ID:7vR9glSL0
武則天退位後も武氏を排除することができないほど、
複雑に結びついていたからね。
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 23:36:52 ID:67T0udbi0
始 皇 帝
諸悪の根源はこいつだろう。
最悪というのがマイナス50点だけの皇帝なのかマイナス100点だけどプラスも100点ある皇帝がで変わってくるよな
>>193 100点満点のプラマイで点付けてみて、和を求めてマイナス点が多い奴とか?
プラス0点・マイナス50点ならマイナス50点
プラス100点・マイナス100点なら0点
いずれにせよマイナス面だけ見てプラス面を評価しないのは公平ではないわな。
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/26(土) 11:51:58 ID:jGRWNJcl0
普通に劉c
後漢太祖
曹操
198 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/26(土) 23:56:28 ID:14tsxI030
始皇帝 vs 毛沢東
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/27(日) 02:34:30 ID:/4yXNTQ30
ラストエンペラー
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/27(日) 08:53:04 ID:00LYXw96O
イエローエンペラー
メグローエンペラー
始皇帝とラストエンペラーははっきりしてるが、
ちょうど真ん中にくるのって誰?
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/27(日) 15:50:34 ID:6MTOZDWRO
スターリン
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 23:12:11 ID:oFXeSC450
>>204 宋代から本格的に近世が始まったという意味で、
宋朝太祖趙匡胤を推したいな。
何だかんだで300年王朝の開祖なわけだし。
他に候補がいるとしたら、漢朝高祖劉邦、唐朝太宗李世民、唐朝玄宗李隆基、
明朝太祖朱元璋とかかな。
先秦
秦漢
魏晋南北朝
隋唐
五代十国
北宋vs遼
南宋vs金
元
明vs北元
清
民国以後
中世の終わり、近世の始まりという意味で個人的には柴栄か耶律阿保機かな。
能力はともかく知名度ではマイナーの域をでないから始皇帝や溥儀と同列にはしずらい
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 22:24:11 ID:kUh6hsY90
やっぱ真ん中に置くなら、知名度もそれなりのものが欲しいね。
柴栄は長生きしていれば、文句なしに真ん中の皇帝になれた可能性高いけど。
知名度もあわせるとやっぱり李世民あたりが妥当
でも唐だと真ん中あたりでもないよな
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 23:55:23 ID:miEE0uhy0
李世民はちょっと前過ぎるかな。
二代目というのも何となく中途半端だし。
213 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 05:57:12 ID:U41mliLuO
真ん中は唐の中期位だった気がする
214 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 10:54:58 ID:wd2qhs3IO
楊貴妃とのロマンスが有名な玄宗に一票
李隆基は、前半がしっかりしていて、後半が堕落してしまうあたりが、
また魅力だね。
明の皇帝って追い込まれるまで何もしないタイプが多いんじゃないか?
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 16:04:14 ID:3pGDD17d0
崇禎はむしろやりすぎで台無しにした感がある
218 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 01:35:48 ID:hfvoLzKZ0
敢えて弁護するけど、後漢霊帝はそれほど暗愚ではないよ。
売官も国費賄うためにやったことだし、政治にも積極的だったし、皇太子選びにも見る目があった。
むしろ暗愚だったのは前代の桓帝の方だろう。
霊帝の霊ってどういう意味でつけられたんだろ
まがりなりにも跡継ぎがいて30年ぐらいは続いてるのに
他に霊帝とか霊王なんておくられた皇帝いる?
うろ覚えだけど、「乱而不滅」を霊と言った気がする。まさに後漢霊帝にぴったりんこ
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 10:41:53 ID:3q2iedC5O
霊「公」はいたよーな気が。皇帝の諡としては後漢が唯一のはず。
確か霊の字の諡は余り善い意味は無かったと思うが。
>>217 あの状況で引き継がされて可哀想だけど、
焦りすぎたんだよね。
もっと落ち着いてやったら、後何年か明朝の寿命は引き延ばせたかも知れない。
丹波哲郎は霊帝の子孫らしいよ
事跡知らずに名前だけでつけたんだろうな
>>223 丹波哲郎の先祖は、平安時代の医者・丹波康頼。
丹波氏は坂上氏の分家。坂上氏は中国系渡来人であり、
『新撰姓氏録』によれば、後漢の霊帝の末裔を称している。
ということで、結果的に「丹波哲郎=霊帝の子孫」となるのであって、
丹波哲郎が自ら勝手に霊帝の子孫を称したわけでは一応ない。
もちろん、各段階における系譜の信憑性はともかくとしても。
しかし光武帝の子孫とか劉邦の子孫と言わずに霊帝と言っちゃうとこが大霊界だよな
いやだから、先祖代々霊帝の子孫を称してるのな。
そもそも皇族の子孫の場合、先祖で最後に帝号を名乗った人物の末孫を名乗るのが普通。
「丹波哲郎だから霊帝の子孫なんだ」なんて小学生レベルのイメージで
歴史認識もせずに適当なこと言ってる
>>223と
>>225はなんなんだ?
霊帝って少帝と献帝以外に子供いたの?
その理論だとどっちの子孫でもないよな
献帝の弟延王の子の石秋王の子阿智王の子孫と伝えられてる。ちなみに献帝の子孫も別にいる。
それと
>>225の主張みたいに高祖の子孫なんて名乗る恥知らずはいない。
劉備も高祖の末や景帝の子孫と名乗っていない。中山靖王劉勝の末を名乗ってるだけ。
渡来系氏族、檜前村主も漢の高祖の子、斉王肥の子孫を名乗るのみ。
他に魏武帝の子、陳思王曹植の子孫なんてのもいる。
全部、眉唾もんだけどなw
献帝の弟かその子ぐらいならともかくさらにその子供まで王位持ってたのかな
魏になってからは山陽公なんだから王位はなさそうだが
馬鹿でもなければ説明するまでも無いことだが当然、漢や魏から与えられた王号じゃないぞ。
というより、そもそも伝説の類でしかない話わけで年代的にもズレがあるような眉唾話。
献帝が魏に禅譲すると、延王は朝鮮半島に逃げて魏に抗ったとも言われる。
その後日本に亡命し、阿智王の代に帰化して、東漢氏が興ったと言われる。
『新撰姓氏録』では「坂上大宿禰 出自後漢霊帝男延王也」と伝えられているが、
東漢氏の支族の系譜では延王を霊帝の曾孫と伝えるものや献帝の子と伝えるものもある。
丹波氏の直系子孫である丹波哲郎氏の家に伝わる丹波氏系譜には、
はっきりと祖は「後漢12代霊帝」と書いてあるらしい。
北斉の後主 高緯もかなりのもんだと思う。
名将斛律光と高長恭殺しちゃって、結局滅亡しちゃってるし。
でも、北斉の皇帝はまともなのいない感じ。
232 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 08:50:04 ID:5YZjLQHH0
五胡十六国から南北朝にかけての皇帝たちは、
この分野においてはレベルの高い面々が多いな。
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 15:35:04 ID:4E5/jtYq0
異民族で荒っぽそうな五胡十六国や北朝はともかく、
南朝も猛者ぞろい。
234 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 16:04:59 ID:vRVeeD8C0
朱元章も劉邦も功臣を粛清したけど、結局王朝は長続きしたから最悪とは言えない。
その理論だと海稜王も最悪とはいえない
236 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 22:59:42 ID:vRVeeD8C0
ウィキで北斉の後主について調べてみたけど、ホントとんでもねえ奴だな。
人材不足なのに優秀な人材をみすみす粛清するなんてソ連の赤軍粛清と同じだよ。
…まあ、ソ連にはジューコフさんが残ってたからまだいいけど。
そら今だから言えることで、流れによっては「権臣に簒奪された暗君」にもなりえるんだよなぁ
斛律光程度を殺したところで
恩幸や反勲貴の官僚連中がそれ以上にやってくれると
信じてたんだよ、無愁天子さまは。
文弱で滅んだのは南朝じゃなくて北斉だよな。
あんなに戦争強い国だったのに。
239 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/22(水) 22:32:02 ID:fCrOtXQR0
昔の中国は、武官と文官の対立が繰り返されて王朝の交代が続いたんじゃないかと思う
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/22(水) 22:59:41 ID:ZGuFMj/F0
中国の皇帝はドキュソ揃い
名君などいない
そういう風土なんだろうな
242 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 01:27:03 ID:o+rUMftD0
高校の頃、世界史の先生が
「中国の最後の皇帝は、アホか、ガキか、スケベのどれか」
と言ったことがいまだに忘れられない。
崇禎帝と子嬰(即位説)はアホというのは酷ではないかと
前の二つはともかく、男だったらまずスケベだわな
献帝は……
人間的にこれはキツイぜという暴君・狂主は
中小規模の国家に出やすいよね。
やはりお山の大将的な環境が悪いのかな。
247 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 00:54:55 ID:8qkSebW70
石虎かな。
誇張が入っているにしても、彼の存在と業績は
なお凄まじいを通り超える物がある。
後は・・やはり、「履癸王」と「帝辛」子受かしらん?
帝権確保のための行動が評価されれば名君、されなければ暴君だからな。
249 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 21:23:21 ID:pnNQEch8O
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。
半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝勝負服ないでたちで。
脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした。
>>243 崇禎帝は明代の半ばぐらいに即位していれば、
なかなかの名君になり得たかもな。
忠臣を誤って殺してしまったとは言え、
それなりにまじめに皇帝業をやっているし。
爺ちゃんと兄貴がめちゃくちゃにしたせいで、
もうどうあがいても滅亡への坂道を転げ落ちて行くばかりの状況だったわけだし。
251 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 11:13:11 ID:5m5SNDVy0
中国の王朝の歴史は次の王朝が書く(客観性を保つためもあるらしいが)
だから前の王朝の最後の王(皇帝)がクソミソ扱いされるのは当たり前
何にしても、どうせ捏造
「どうせ捏造」なんて言ってるようじゃ歴史はできんぞ
人物の存在まで捏造?
>>251みたいな奴は歴史なんか勉強するより理系にいったほうがいいんじゃないか
捏造したらしたでその記録も残ってしまうんだなこれが。
クーデターで即位した皇帝が先帝を貶めようとしたけど、
史官がうんと言わなかったって話もあるけどね。
>>254 2chじゃないけど以前いたな、
「理系の視点から」とかなんとかいって歴史書の記述に反証なく反発し、
自分の感覚を絶対視してわけのわからぬことぬかしたやつ。
正直理系の人達からみても迷惑だろうな。
中華民国時代の疑古派も単なる屁理屈野郎だったわけで。
文系脳の人間が間違って理系畑にはいると、そういう考え方になるんだよな。
つうか、そういう話を聞いたから喜んで言い回ってるだけだろ。
ネガティブキャンペーンに簡単に踊らされる典型だ。
エネルギー量の数値を可視的に確認できないから
物理法則には意味がないと言う奴がいれば、
それにも乗るタイプだ。理系行っても同じ。
259 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 21:25:26 ID:yHf/S0Qa0
王朝最期の君主が必ずしも凡庸だけとは限らない
>>256 高学歴理系には流石に少ないけど(でも皆無ではない)、
低学歴の「形だけ理系」に多いタイプだよな、それって。
高学歴理系がネット黎明期に築いた殺伐主義(詳しくは「モヒカン族」でググれ)を、
後発の馬鹿連中がカッコだけ真似して、肝心の中身はgdgdになってるっていう。
「バイアスが掛かった正史よりも、演義の方が一面では歴史の真実を捉えている!」
ってな感じのトンデモ三国志論を振り回す馬鹿にも、こういうタイプが多い気がする。
王奔様があがってないではないか
王莽はインパクトが無い
王奔は理想的なことをしようとしたのが結果的にハズれちゃったのであまり悪いイメージじゃないな
たとえるなら今の安倍総理
やりたいことはわかるんだけど空回りしてるよみたいな
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 22:29:20 ID:yS/jLuSB0
毛沢東皇帝に決まってるじゃないか
毛沢東の文化大革命にまさる悪行はそうはないだろうしな。
266 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/09(日) 15:34:28 ID:kJq4X3MY0
確かに、いくら「中華の近代化を阻害する弊害」を取り除く為とはいえ
やり過ぎの感は否めないだろう。
ただ、そこまで(良い悪いは置いといて)思い切った処置を断行せねば
米国を始めとする西側陣営や、内ゲバ相手のソ連に対抗出来るほどの
近代化を成し遂げる事はとても出来なかったとも思う。
つまり、ごく簡単に言わせて貰えば「(文化大革命の)実行犯は毛沢東だが
それを実行するよう指令したのは儒教を始めとした諸々の要素で
構成されている「中華の弊害」であったとも言える。
実際は文革自体が「中華の近代化を阻害」したわけなので、やりすぎも何も。
毛沢東は出発点はともかく、文革の頃は再度原始共産制に戻ろうとしてたり、
ちょっと変になってたよ。
というか当時の中国の産業・経済・社会構造に破滅的打撃を与えた
大躍進政策あってのことだしな。
原始共産制指向自体、レーニン・トロツキー路線の頓挫に対する言い訳で。
文革を実行するよう指令したのは「大躍進の失敗」と「権力闘争」の方だよ。
破壊された中華の伝統だか弊害だかは巻き込まれた被害者。
失政の結果の権力闘争じゃないように見せるための、やっぱり言い訳として。
毛沢東を皇帝に比するなら、その功績は
分裂する可能性もあった中国の統一を保持したことかなあ。
分裂して、またずるずる内戦始めてたら、日本の安定も無かったかもしれん。
あの時代、中国が地球上の引きこもりだったことは、世界の秩序に寄与した。
始皇帝とは比較できんが、隋文帝あたりとなら並べても良いかもしれん
秦の始皇帝
漢の武帝
隋の煬帝
始皇帝より2代目の方が酷くねえか?
>>270 2代目の胡亥はただのボンクラ
それを操っていた趙高の方が悪い
霊帝は、竇武と陳蕃という当時の指折りの党人が「最も賢」也ということで即位させた。
少なくとも桓帝よりは政治的には有能であったことは史料からも伺える。
それまでの負の遺産と天候不順等が無ければ或は中興となり得た逸材だと思うのだが。
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 23:25:25 ID:q9Sdwdtw0
名君と昏君は紙一重也
275 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 12:38:09 ID:niwCuLQsO
霊帝の賢さって官職に値段を付けて売り買いすれば大儲けできる!って発想するレベル。
豚肉屋に婿入りしておれば活躍できたかもしれない程度のアイデアマン。
ちなみに彼を推したトウブは外戚、自分の家族が産んだ子を後継ぎに薦めただけで、後の何進、蔡瑁らと何も変わらない。
トウブを主に考えてる時点で愚か。チンバンも同時に動いている。むしろチンバンが主導だったともいえる。
277 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 21:02:02 ID:niwCuLQsO
チンバンもトウブも孝廉で一位二位に挙げられた仲で共に宦官排斥派。
何進が袁昭と謀って宦官皆殺しを目指したのと同じ理由で宦官を誅殺しようとしていた。
宦官の力が強いと外戚が後宮を操れず権勢を思うままにできない。
ただそれだけのこと。
278 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 21:16:07 ID:niwCuLQsO
始皇帝が偉大なのと同じくらい、ラストエンペラーは矮小ではなかろうか。
生まれながらにして中国皇帝という絶大な力を持つ地位を約束されながら
国ばかりか制度としての皇帝のシステムまで失わせてしまった挙げ句、日本の外圧を借りて即位させられ、
東京裁判では余すところ無く亡国の君主のみっともない姿を晒し、裁判記録上に永遠に残されてしまった。
捏造もクソも言い訳できない暗君だな。
あの当時の世界情勢を個々の資質で語ろうとする
>>278の脳みそは恐ろしいほど矮小だな
281 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 22:26:08 ID:niwCuLQsO
>>280 それは全ての皇帝に当てはまる言い訳だぞ。
後世に記録されると約束された公的な発言の場で、あそこまで見苦しい振る舞いができるのは、明らかに個人の資質だろ。
それは始皇帝と対比するような話か?ってこと
皇帝として生まれただけで、ただの人ってだけの話だろ
大抵の凡百な人間はああいう状態になるからこそ、毅然とした態度で事に挑める人が偉人になる。
特別に溥儀が矮小だからああいう態度だったとは言えない。
>>281は同じ立場に立って毅然とした態度で言える自信があるんだろうがな
なにはともあれ、滅びるはずもない国を滅ぼしたのならともかく、
国際情勢的にどうしようもなくなってた国に皇帝として生まれついただけの
溥儀に国を滅ぼした責任を押し付けてる
>>278は馬鹿確定
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 23:06:25 ID:b8jnUgNy0
亡国の皇帝よりも、その一代か二代前の皇帝の方が責任があるんじゃないの?
って場合の方が多いと思うね。
一代だけで国を潰すっていうのは意外と大変かも知れない。
285 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 23:30:48 ID:niwCuLQsO
>>282 少なくとも貴族なら毅然としているべきだが、まあ別に普通の人間なら毅然としてなくてもいいや。
ただ、おろおろと狼狽えてもいいけど、あることないこと捏ち上げて、かつての幕僚に罪をなすりつけるとかは良くない。
それはお上でタダ飯を食らってない一般民衆ですら許されない卑劣な行為だ。
ましてヌルハチ以来の武門のプライドがこれを許すはずが無い。
どう考えても救いがたい皇帝だ。
かつても居たかもしれない。しかし、国際的に公式な文書に醜態を曝して、これからも歴史に残っていく皇帝は彼だけだ。
>>285 国際社会で戦犯として、裁判にかかったのは彼だけだからね。
貴族は毅然としてるべきだってのは同意だが、
世襲皇帝や世襲貴族にその手の資質が欠けるのもざらにあること。
特別に溥儀を暗君扱いするには材料として弱い。
つーか.、こだわってるのって始皇帝とラストエンペラーで対比したいから?
それと溥儀に亡国の責任を押し付けてる
>>278の意見の弁明は?
>>283 ベタに殷紂とか?
その前からやばかったかどうかはよくわからんが。
288 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 00:07:20 ID:niwCuLQsO
昭和天皇がおっしゃられたように、事の子細はどうあれ、帝国が亡国の憂き目に遭えば、その責任は天子にあるだろう。
清が滅びたのは幼いこともあり同情できるが、また満州国を起てるというときにしゃしゃり出てきたときには立派な大人だろう。
だからこそ、東京裁判でも証人としての有効性を認められたんだから、全く無理矢理に自分の意志と関係なく即位したのとは違う。
アイチンギョロ家の皇族も続々出世して、天皇家以上に豪勢な暮らしをして、関東軍は本国から何度も批判されていた。
国家のターニングポイントであった数年を国民と共に汗する訳でもなく、無為に遊んで過ごした罪は重いよ。
殷紂王は商の最盛期を築いたと言える。
高宗武丁王から一旦縮小した勢力も帝乙・帝辛(殷紂王)の活躍で大きく拡がり、
商都から離れた大族九夷までもが来朝し、さらにその頭首を誅殺できるだけの力が
あったのはあの時代にあっては驚きとしか言えない。
周のネガキャンで殷紂王は暴君扱いされているが、
実際は西方から伸びてきた外敵の周・召の勢力に力負けしただけで
殷周革命の思想にあるような事実はないかと・・・
そもそも殷紂は帝号は名乗ってたけど、皇帝じゃないから微妙に違う気も('∀`;)
>>283 唐と前漢は明らかにそうですね。明は崇禎帝が在位もそれなりにあって親政も行って
いるので、無垢とはいえないだろうが。
北宋や南宋も最後の皇帝にはどうしようもなかったし。
逆に、最後の皇帝に亡国の責があると言えるのは、隋や西晋かな。
そもそも溥儀なんて清朝のときも満州国のときも
国の行く末に関与できるような政治的実権なんて持てなかったし
あの状況から実権を取り返すのは不可能だろうしな。
亡国の君主としての態度なり何なりを道義的に批判するのはわからんでも無いけど
国が滅びた責任や原因を溥儀に求めるのは無理がある。
傀儡皇帝は、このスレの主旨とは違うわな…。
操ってた奴の方が最悪なんだし。
隋煬帝は末帝じゃないよ、一応。
南朝にとか五代では、本人の失敗の結果亡国の君主になったのがごろごろいる気がする
>>293 五代の皇帝特徴は、先帝とその重臣が偉大だから、
遠ざけようとしたり、凌ごうとしてムリをする。
その結果、反撃にあって滅びることが多い。
一番あきれるのは、後漢隠帝で、後漢高祖が即位1年で崩御したこともあり
国の発展は隠帝にかかっていた。
しかし先帝以来の文武の重臣を暗殺して、みずからいらぬ内部不和を起こした。
死に様はどこかの民家の納屋みたいなところで服毒死という悲惨なもの。
帝権確立のための行動が裏目に・・・って感じだよね。
なんとまあどいつもこいつも同じことして同じ末路を辿ってるがw
296 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 11:32:37 ID:/OWYmfxH0
五代の中でも、後梁国をのぞいた山西軍閥系の政権では、実は3代を数えたのは後周だけという…
後唐は4代あるようにみえるけど、これは国号が変更されていないだけで、されてもおかしくない状態。
後唐荘宗は名将から暗君に転落した、項羽型の人。実質1代限り。
暗君の要素は、後梁を討伐後、芸能人を側に置き、宦官を復活させ、
彼らの言葉を鵜呑みしたことにある。あと、兵士への俸給出し渋りとか。
そのせいで、前蜀を滅ぼし、建国の大功臣となるはずだった名臣の郭崇韜を、讒言で殺している。
暗君決定。
後唐明宗は、兵士に推戴される形で帝位についたから、ここで別王朝としてもよかった。
荘宗との間には、李克用を介しての擬制血縁しかなかったわけだし。
結局、明宗の人となりのため、別王朝となることはなかったが。
その明宗の王朝も、李従厚が継ぐと、養子だった李従珂が謀叛して帝位に就いた。
李従厚は帝位にあること数ヶ月なので、カウントするのも馬鹿らしい…
しかも李従珂は養子で、しかも謀叛して帝位についたので別王朝とみてもいい。
後晋、後漢はいわずもがな。間違いなく2代目の失策で滅んでいる。
どちらも先帝以来の重臣を遠ざけ、媚を売ってくる新しい与党に実権を与えた結果だった。
後周は太祖と世宗が血縁でないというところで、別王朝と考えてもいいところだけど
上記のようなカオスな皇帝位交替ではなく、普通に継承だったから姓は違えど
世襲とするなら、実に3代続いたのは後周だけ、ということになる。
とはいえ、7歳かそこらの恭帝をカウントするのもどうかという気もする。すぐ禅譲したし。
(後周恭帝は北宋建国後、20歳で死んでいるが、実は北宋の暗殺… なんてことはないのだろうか?)
後唐→後晋の交代って、明宗からすれば養子vs娘婿の争いであって、
結局身内争いって側面もあるよね。
なんかこの頃は養子だとか仮子だとか婿だとか有力将軍だとかが入り乱れてわけがわからんw
南朝は先代が滅茶苦茶して実権喪失→禅譲パターンが多いような
宋・斉なんて名君だけど大量殺戮者なんてケースもあるし
本当に帝権が不安定だな
>>入り乱れてわけがわからん
わけわからん背景が、その養子(仮子)の蔓延というのにあるのでしょう。
唐憲宗が節度使らから絞り上げた上納金で組織した禁軍をもって、一応の節度使抑圧に成功
したあと、禁軍の統帥権が私的に密接な宦官に委ねなければならないかった状態が事の始まり
となったように感じる。
この点について、憲宗や穆宗の罪にするわけにはいかないが、兵権をもった宦官は
自らの与党を広げるのに、養子をとることに邁進した。
結果、皇帝すらもその意思ですげかえることができる、宦官の世が始まったわけだけど…
それを節度使らも真似をしたから、余計に地方が強力となった。
宦官といえども、ましな人物がおり、あの宦官嫌いの司馬光でさえ、楊復光と張承業には賞賛の辞
を送っている。
その楊復光の檄に参じた王建なども、100人くらいの仮子を持つにいたるとか、やりすぎ。
前蜀には王姓が多すぎてわけがわからん。しかもその仮子連中が好き勝手やっているうちに
後唐の郭崇韜に滅ぼされたんだから、なにをやっているのか、と言いたくなる。
なまじちからがありすぎると、足元がお留守になりがちなのかね…
こういうカオスな最悪は、誰かひとりのせいだけで集約はできんわな。
同治帝かな。遊び呆けて腹上死では、晩唐の宦官に殺された皇帝よりも不名誉且つ馬鹿だ。
無能と云われる咸豊帝と、欲にまみれたと云われる西太后の子供だけのことはある。
その皇帝の時代に生きていたとして最もいやなのは
孫晧はまだ晋に亡命すれはいいから、煬帝かな
でも同治帝の時代は比較的安定してたこと考えると、清末なんて
皇帝の資質ではどうしようもないんじゃないか
光緒帝はまじめに国政を考えてたのだろうが、あの結果だ
同治年間はほぼ西太后の時代。
皇帝本人は遊び呆けて死んだ。最悪ですがな。
遊びほうけるも何も、若すぎて何もせんうちに死んだ。
ほぼも何も西太后の息子なんで、幼児期は両皇太后達が垂簾聴政、
やっと自分で親政し始めた頃に死んだ人なんで最悪というには足りない。
自分でやった事はほとんどないから。
同治の中興と言われるのは洋務派の官僚達が改革を進めたお陰。
だから、19歳で遊び呆けて死んだわけだから暗君だと言ってる。
自律した生活が出来ていれば死んでいない。
史上最悪と呼ぶほどじゃないだろ
まあそうだな。スレ違いだったか。
まあ同治帝を最悪呼ばわりするぐらいなら
まず父親の咸豊帝が史上最悪のその又上を行く最最悪ぐらいに
なってしまうがな。
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/20(木) 17:21:38 ID:J85bvZ5i0
ちとスレ違いになるが、史上最悪がいるとすれば、その反対の
「史上最高の名君」はだれになるだろうかな?
厳密に言うと「君主」ではないが、歴代王朝から皇帝として
鄭重に扱われ、今に至るまで東アジアの人々の思想・信条に絶大なる
影響を与えている儒教の創始者・孔子を私は上げてみたく思う。
一片の領土を持たずして、しかも古今のどの名君もなしえなかった
「標なき人々に標を与え、今に至るまで受け継がれる」という業績を
鑑みるに、彼こそは史上最高の名君・億万年に至るまでの師表だと思う。
武帝以前の皇帝はこれっぽっちも孔子を尊重してない
「孔子」と「中国社会」の間には「皇帝」という媒介者が必要なわけで、
どれだけ孔子の考えが優れていようと、その教えの媒介者たる皇帝がバカだと孔子の尊い教えも意味が無いのです。
だから、孔子を「名君」に挙げるのは同考えても無理。
>>309を読むと孔子って西洋史におけるイエス=キリスト
みたいなもんに思えてくる。
あっちも「王の中の王」みたいな尊称がつく場合もあるが
「名君」として数えられる事はないしね。
孔子≒キリスト
という捉え方は参考になった
そう置き換えて読むとよくわかる話が多い
もし西暦に対抗する、東洋一帯で通用する東暦なるものがあるとしたら、
孔子の生まれ年が有力となったりする?
それはない。皇紀以外ありえない。
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/21(金) 00:12:26 ID:h4+ph4Xx0
ブッダ暦は?
孔子もキリストも神としての祭り上げがなければ、なかなかおもしろい
人物だと思う
孔子は学者というか宗教家というか教育者というか、このあたりであって
君主として扱うのは無理でしょう。
中国史上最高の名君は?という質問に答えるなら、清の康熙帝かな。
そうだね
君主だとか王だとか皇帝だとかってのは国を治めるのが仕事であって、
政治にほとんど携わらなかった(携わる能力がなかった?)孔子を
「史上最高の名君」と呼ぶのは、どだい無理な話かと。
後世の連中が勝手に「王様みたいなもんだねー」とか言ってるだけだし。
無論、孔子自身にも出世願望とかそういったもんはあったんだろうけどね。
>>318 康熙帝に同意
ありゃあ国のトップになるために産まれた人間だね
最高の名君には後漢光武帝を推しとく。
漢文、光武
唐太宗
北宋太祖
明洪熙
清康熙
これらで体勢を占めるな。
光武、宋太祖、洪熙は安定志向だが、唐太宗と康煕は自分から不必要な外征起こすタイプ
孔子は思想家にすぎないからな。
実際に国を治めることがあっても王莽と同じかそれ以下の結果になるだろうな。
名相晏嬰が孔子の仕官を拒んだのも当たり前のこと。
仕官を拒まれたことを理由に悪口を言い続けるようなケツの穴の小さい男が名君なわけない。
名君の条件としては政治家であり、思想家であり、篤実家であること。
最悪の皇帝ならばのその逆で理想屋であり、感情家であり、政治屋であることだろうな。
>最悪の皇帝ならばのその逆で理想屋であり、感情家であり、政治屋であることだろうな。
是、王莽也。
>最悪の皇帝
収まっていた世の中をぶち壊したという点で
秦の二世
隋の煬帝
明の正徳帝
あたりはどうでしょう?
明の英宗。捕虜に成った上、自分を除いた従者を皆殺しにされて生き恥を晒した。
暗君っても二通りあってさ、
1:無能力or無気力で部下がやりたい放題、結果国が荒廃する
2:積極的な行動が裏目裏目、結果国が荒廃する
どっちがより暗君なんだろう?
何を以って最悪というかだな。
本人が恥さらすのは構わんのじゃね?
民を苦しめる暴君、暗君の方が問題だろうとは思う。
>>326 送還された後、奪門の変で復位して于謙を処刑したのも恥の上塗りだな。
身代金の支払い拒否されたこと根に持ってたんだろうが、国の事考えたらそれが当然だろうに。
こいつは土木堡で死ぬべきだった。
>>327 1のタイプで最悪の暗君は、西晋の司馬衷だな
八王の乱、永嘉の乱を誘発させてしまい、異民族跋扈の時代を切り開かせてしまったわけだから
2のタイプなら、煬帝かな?
どっちかと言うと、司馬衷の方が被害が大きい気がする
煬帝の大運河は、動機はともあれ後の世にも利用されたしな。
俺は2の代表は漢の武帝だと思う。
・やらんでもいい遠征やって、一時的に勝利を収めるも国庫はガタガタ
・後継問題で、直接ではなくとも間接的に国を滅ぼす
・儒教を国教にしてしまった(事実上の中華文明停滞の始まり)
・武帝よりも人格知識治世に優れた淮南王劉安を、誣告で殺す
こいつが狂わせた国を、失敗したとはいえ理想に燃えて立て直そうとした王莽には
情状酌量の余地あると思う。
332 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 09:07:28 ID:Ore+37hS0
>>327 1に関しては、「皇帝にされた」側面が強い皇帝が陥りやすいと思う。
そうした場合、すでに実権は廷臣に握られているので、直接的に
国の荒廃に寄与しない場合があると思う。
なら2は、皇帝自ら率先して国を荒廃させる場合が多いと思う。
こうして考えると、2のほうがより始末に終えんような気がするのだが…
どうだろうか。
ただ、印象として1は暗君、2は暴君といった仕分けになるかな。
唐僖宗、宋徽宗。
どちらも臣下に実権を握られていて、傀儡にすぎなかった皇帝。
臣下らの定見のなさに振り回され、唐僖宗は四川への数度の逃避行
宋徽宗は戎領に拉致という事態。
むろん国土は荒れに荒れている。
徽宗は臣下に実権握られてる割には花石綱なんてものを発動させてるし。
かなり最悪レベルが高いと思う。
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 09:28:19 ID:/uFp4hQiO
なぜか徽宗は憎めない
>>332 唐僖宗は即位時点でもう皇帝権力はガタガタでどうしようもなかったという点はあると思う。
宋徽宗の場合は、自分で権力を放り出したわけだからなあ。こいつは傀儡にされたというより、
自ら傀儡になったという点でもうどうしようもないと思う。明の正徳帝もそのタイプ。かたや
芸術のため、かたや享楽のために政治を臣下に放り投げた。
>>331 武帝は儒教を国教化したというより、儒嫌いがそろっていた漢室に対して儒教を解禁しただけ
という説が強い。司馬遷の時代にも黄老が六経よりも優先されたというし。儒教が勢力を増し
政治に関与しだすのは元帝の頃から。そして王莽と光武帝によって完全に国教化された。
336 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 10:25:25 ID:/FN+NqDT0
皇帝にかぎらんけど、いい悪いという数直線に並べられるほど、価値観
は単純ではない。一応、中国の正史に貫かれていたある種の哲学(それも
固定的なものではない)によって、善悪をあいまいに判断できるだけだね。
皇帝は世襲だから、名目的にその地位についても、実質的に自分の意思で
何かをする機会がなかった人間がほとんどだろう。そういうのは、実際には
評価の対象からはずさなければ、比較が成立しないという点も注意すべき
だよね。
中国の正史の大体の価値観は、帝国を繁栄(長続き)させたら名君、滅ぼしたら
亡君、滅亡の原因を作ったのが暗君。
滅亡の原因を作るスタイルで、自分の享楽を追求して、亡国に導いたら最悪
ということになるのかな。
とりあえず、能書き言ったけど、明の万暦帝なんかが最悪の候補の一人でしょうか。
儒学第一主義が時代遅れの観を呈するのは明清以降だから、悪いとこだけ取り出して
武帝を批判するのは間違い。宋代までは中国は儒教とともに発展し続けてたわけだし。
>>334 皇帝になんかならなければ、ただの風流王子で済んだのにね・・・。
なってしまった以上、風雅に任せて生きることが許されないのが皇帝のつらいとこ。
唯一無二の絶対権力と引き換えに、お国のための人身御供にならにゃあいかん。
曲がりなりにも国をより良くしようとした煬帝やら王莽やらは最悪ではない。もちろん漢武も。
臣下に政治を丸投げすれば傀儡と言われるが、政治を執行する能力の高い部下に仕事を任せたと擁護すれば、酌量の余地あり。
最悪なのは、お国のことはそっちのけ、ただただテメーのためのみに生きた輩だと思うのです。
そういった意味で、俺は
>>336の万暦帝に1票。
バカ殿ってのはこういう野郎のことを言うんだろう。
340 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 12:52:17 ID:Ore+37hS0
>>339 辛口だねぇ。
たしかに、煬帝などは国をよくしようと動いた結果ではある。
そうなってくると、南朝斉の東昏公のように、自ら奇行に奔った皇帝は弁護の余地なしということで…
>>335 唐僖宗は「かわいそうな」皇帝かもしらんね。
数度の逃避行で心身を害したのか、若死にしてしまったし。
そうなると、唐は宣宗までで、懿宗の代でオワタとみるべきかね…
懿宗は奢侈に奔ったからなぁ。
ところで、唐後半ではクスリで死んだ皇帝が割りに多いよな…
暴君と言えば海陵王完顔亮
>>341も煬帝タイプなんだよね
後を継いだ世宗が臣下に命じて海陵王の悪口を集めさせてるんで、
悪名が残ってはいるけど。世宗は海陵王を思いっきり悪く言った者ほど
沢山褒美を与えたり出世させたりしてるんだよね。
先代の熙宗が最後の方は精神的におかしくなって
宗室の大粛清やったりしてたんで、そこを倒して海陵王が即位した時は
新進気鋭で期待されてたんだがね。
熙宗なんかはむしろコップの中の嵐って感じで、皇族や重臣以外にはあまり
損害は与えていない。その行為も帝権の確立のためという説もあるしね。
ちなみに武帝時代に儒教が国教となったってのは嘘。
あと、中国史停滞論はもう古すぎるだろ。何ぼなんでも。
345 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 23:01:06 ID:4QbreWSK0
>ちなみに武帝時代に儒教が国教となったってのは嘘。
詳しく。
346 :
344:2007/09/25(火) 23:12:35 ID:dvSG/R2M0
武帝時代に儒教が国教となったとされる、董仲舒の建議による五経博士の設置だが。
これは疑義が多く出されている。
一つはこの建議や五経博士の設置の記述が『史記』には存在しておらず、『漢書』にのみ存在している。この記述は儒教一尊の時代の班固により年代を遡らせて書かれているのではないかと疑問が出されている。
もう一つは何をもって国教化とするのか。
国教というからには国の政治方針がその宗教によって定められるような状態を指すはずだが、武帝時代の政策は法家的な色彩が強く、儒教的な政治とは言いがたい。
また儒家官僚の進出も武帝時代を通してごく一部に限られている、更に民間や豪族の間に儒教が浸透しているとは到底言いがたい。などの疑義が出されている。
これらのことから儒教の「国教化」は少なくとも元帝の時に下るというのが現在の「日本の」定説。外国ではどうか知らん。
ああ、そういう類の諸説なら知ってるわ。
王莽だったり光武だったり。
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 00:10:42 ID:nx7+uM99O
漢武帝の対匈奴戦が一時的な勝利と言ってる人がいるがそれは間違いだろう
武帝により決定的な打撃を受けた匈奴はその後弱体化と分裂の一途
曹操に至るまで間違いなくその恩恵を受けているよ
かなりの無理をしたのは確かなんだけど、それに見合うだけの効果はあったと思う
349 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 14:45:28 ID:wIEmy/Qz0
>>341>>342 完顔亮の暴政と言われるものは、金が女真族国家から中原政権へ移行する際の、
守旧層の反発によるものが大きいと思う。
しかし完顔亮自身も大げさといえ結構粗暴な性格だったとは思う
庶人まで落とされた皇帝って完顔亮だけだっけ?滅亡時の皇帝以外で
その前の熙宗も廃されて庶人にされたんじゃなかった?
彼を廃して即位した完顔亮が庶人に落とされたんで、
後に身分が快復されたけど。
実際に、宣帝の時代に「政治にもっと儒教を取り入れるべき」といわれて
「愚か者」と全否定されたわけだからなあ。(かなり意訳)
そもそも武帝の時代には五経という言葉すらなかったとか。
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 23:44:14 ID:nx7+uM99O
漢の宣帝は「王・覇を交える」と言ったわけだけど、ここでいう王道=儒学とすると、宣帝はむしろ儒学を政治方針に取り入れた最初の皇帝と言うべき
実際、儒学をガチで学んだ最初の皇帝は宣帝(母方の実家が魯にあった関係で、魯の儒者から学んだ)
354 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 23:58:27 ID:rDfF/AfI0
最初の頃の金ってかなり内部が無茶苦茶だよね
ある意味、棚ぼたで中原政権になったからなぁ。
356 :
344:2007/09/27(木) 20:53:55 ID:i+I18SUw0
宣帝の時代にはかなり儒の勢力が強くなっていたし、宣帝も儒の路線を取り入れていたことは間違いない。
ただしこれは霍光時代の路線を引き継いでのこと。霍光は政敵の桑弘羊を追い落とすために儒学生の後押しをしていわゆる「塩鉄論」を起こした。
霍光時代を通じて儒家的な政策が推し進められ、宣帝が霍一族を皆殺しにした後もその路線は基本的には変わっていない。
『漢書』「循吏列伝」に宣帝時代の人物が挙げられているのはこのことを示していると言える。ただし同時に酷吏と呼ばれる人たちもまた活躍していた。
やはり宣帝は自らが述べるように「使い分ける」というのがその政治姿勢であったと考えるべきではないかと思う。
357 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/14(水) 07:04:10 ID:eAC6LxXq0
>>355 靖康の変で北宋が滅亡してしまって、一番困ったのが当の金かも知れない
「ちょwwwww宋滅びちゃったよwwwww残った領土俺たちにどうしろっていうんだよwwwww」って
>>357 まぁ、ネタとしてあれだが、んなわきゃないわw
前例として、遼が後晋出帝を拉致ったとき、遼が直接支配に失敗しているので
緩衝材として張邦昌を冊立したってところ。
とはいっても、金は南宋の高宗を南海にまで遁走させているのだから
支配領域の膨張に比して内実が追いつかなかったのは事実だろう。
でなければ、たとえ岳飛といえど、敵領域内にあって連戦連勝はないだろうし。
359 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/29(土) 14:43:40 ID:RRANy7mo0
靖康の変では、とりあえず開封にあった財宝を掻き集めて奪っていっているな。
360 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/01(火) 01:30:27 ID:hZMnNoKq0
靖康の変の時点では、開封以北を完全に制圧していたわけではなく、
金軍は、場合によっては本国への退路を断たれる危険性も考えられるような状態。
最初に楚、次に斉を作って間接統治したのはやっぱ>357もあったと思う
建国して10年、まだ制度も部族制の名残が残ってる時期だし、想定外ではあった
んじゃないかな。
間接統治は、遼の前例があるから、それに倣ったのでしょう。
彼ら漠北の狩猟民族には、河南の気温はいきなり肌にあわないものだし。
>>想定外
というか、予定外。なんじゃないかな。
滅ぼしたのは皇族連中を拉致った金自身なんだから、まったく想定してなかったとは思えない。
ただ、思っていたより首都の陥落が容易だったので、河南統治の時期が早まった、というあたり。
間接統治の構想はあった、と思うな。
予定外に早くなって一番困ったのは間接統治させる奴の人選じゃね?
ちょww誰にやらせるよwww
と
364 :
平和:2008/01/01(火) 12:56:31 ID:YWsMKnRV0
中国のような長い歴史を誇る国が共和制という皮肉。
もし最後の王朝が漢民族の王を戴いていたならば
辛亥革命も起こらなかったと思われ。勿体無いからな。
>>363 そう、そのとおり。
そこは「ちょww誰にやらせるよwww」だと思うし
その任に充てられた張邦昌も「え、マジっすか?」
だったと思うと、ワロス。
366 :
【ぴょん吉】 【875円】 :2008/01/01(火) 13:08:20 ID:P9m6/TTG0
張邦昌はかなり拒否してたしすぐ辞めたもんね。
劉豫は結構やる気満々だったみたいだけど。
367 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/01(火) 13:32:13 ID:rlB7Vm8I0
劉豫は済南の知府だった時に、守備に当たっていた武将を殺してまでして、
金に降っているからな。
ちなみにその時殺された武将の名前が関勝で、多分水滸伝に登場する関勝のモデル。
個人的には、金は宋朝は滅ぼすつもりだけど、中国全土を支配統治するつもりは
なかった、のだと思っている。少なくともこの時点では。
いいかげん背信行為しかしない宋朝を交渉相手には出来なくなって、宋をかえて
別の中国王朝(傀儡?)を樹立させ、その新王朝を交渉相手として約束(三鎮割譲など)
を守らせる、というこころづもり。
金の誤算は二つ。
宋朝が余りに早く脆く潰れたことで準備が不完全のまま強行することになった。
皇族を一人取り逃したことにより江南で政権を樹立されてしまい、「中国王朝」が
分裂してしまった。これにより交渉相手(傀儡政権)が一本化できなくなった。
>>368 まぁそんなとこなんだろうかなぁ。
考えてみると、金の皇帝も政策が安定する間もなく死去していっているので
戦略構想自体あっち行きこっち行きしてたようにも感じる。
宋に対する主戦と和平も、その間で揺れていたし
だとすると、主戦派が一気に河南の直接統治に乗り出し南下を始めて
宋の岳飛らに代表される、反撃を蒙ってしまったのも
時期尚早という点では、かなりの失策といえるのだろうか。
宋の秦檜の筋からの和平で、河南統治の時間をもらえたけど、
結局、それをいかすことはなかったのだけど。
この頃の山東は対金ゲリラの激しい地で、せっかくの山東のうまみを
取られてしまっているのも、イタイところだったろう。
毛沢東、前漢と後漢の間の皇帝(名前失念) あたりは鉄板か
王莽のことじゃね?
373 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/04(金) 23:48:06 ID:aa8vaq5U0
最近目に付くけど、漢代過ぎたらなんでいきなり毛沢東とかまで飛ぶんだろう。
そういうレス多くない?まんなか抜けすぎ。
それ以外知らないんだろ。とりあえず朱陛下くらいシットケと言いたくなるな。
南北朝時代なんて素晴らしい素材であふれかえってるんだがなぁw
北周の宣帝とか。
統一王朝での暴虐っぷりの方が見る分には楽しいからな。
南北朝とか五胡十六国だと所詮地方の井戸蛙だからなぁ。
朱元璋くらいみんな知ってるって。
名君か暗君かで評価が分かれるから意図的に選んでないだけ。俺は嫌いだけどね彼
>>330 司馬衷も暗君ではあるが、父親の司馬炎も暗君じゃない?
魏および父親・叔父そして祖父が作った基盤をたのみにして、
政治を省みずに酒色に耽るという創業者としてはやっちゃいけないことをやっちゃったし。
380 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/21(月) 21:06:54 ID:qRrXZqBk0
漢の元帝なんかも酷いな。儒教に傾倒して財政を滅茶苦茶にしたあげく、
外戚をのさばらせて王莽の簒奪を招いてしまった。
王莽もな……
382 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/28(月) 23:51:37 ID:ukex27c70
朱全忠だろ。王莽同様、一代で滅んだも同然。
>>377 井の中の蛙だからこそ、その夜郎自大っぷりの明暗さが
統一王朝より色濃く出ているとも考えられるとは思えないか?
追記
>>375 同意
俺なんか南朝劉宋の前廃帝・後廃帝のエピなんて、
初めて知った時にゃひっくり返ったよw
あんだけ昔っから前例(ex.殷の紂王とか)
あるのに、どんだけ学習能力無いんだよってwwww
386 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/30(水) 17:36:07 ID:5O5Iuvzu0
>>379 というか西晋ほど碌な皇帝が居なかった王朝はないだろうな
東晋はまだ良かったほうだがやはり先代のつけを払わされ続けたわけだし
387 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/30(水) 23:46:51 ID:DARF88Dz0
>>382 朱温の場合は、皇帝としては滅茶苦茶だけど、
時代を変えるという意味では、大きな実績を残した気がする。
388 :
売国マルハン:2008/02/10(日) 23:37:42 ID:jLDk5rq10
389 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/18(月) 19:27:41 ID:w5zWr1g+0
>>387 朱温はある意味、織田信長的な存在だったと思うな。
旧秩序をひたすら破壊する存在。
皇帝になった直後ぐらいに死んでいれば、評価は少し違ったかも知れない。
それはそれで信長に対する誤解のような。
あんまし名前挙がって無いけど、西晋武帝は相当暗君じゃねーか?
八王の乱は恵帝もかなりダメダメだが、司馬炎の時代に本体の軍隊を削って
各地の王に軍隊持たせるように成った所とか、異民族問題をほったらかしにしてたせいで
西晋は死亡フラグが立った。
春秋戦国の悪名高き国主達
姜氏斉:襄公、懿公、荘公、景公
田氏斉:ビン王
晋:献公、恵公、懐公、霊公、詞、平公
魏:恵王、安釐王
趙:孝成王、幽繆王
魯:恵公、桓公
宋:昭公、康王
鄭:詞(僖公)、文公、釐公
衛:恵公、懿公、荘公、出公
楚:穆王、霊王、平王、懐王
燕:恵王、王喜
396 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/19(火) 21:19:08 ID:76WaPWwd0
春秋戦国時代に悪名高い国主はいたが超ド級のいたっけ?
鶴の人が名高いが多分にネタ性によるしなあ。
てか封国レベルだと良きにしろ悪しきにしろ超ド級という評価は難しいような気も。
398 :
396:2008/02/19(火) 23:41:01 ID:vx1iNEyo0
>>397 統一王朝じゃなくても北斉とか結構ド級だと思ってた俺は甘かったのか。
まあ規模と被害総数のスケールはどうしても落ちるよな。
>>398 ああ、すまん。春秋時代を想定して書いたもので、誤解無きよう。
つまり周代封建制床しき小規模な国々としての封国な。
非統一国家とはいっても、天下の三分の一に拠った上でのあれだから
ド級として申し分ないだろうね>北斉の人
まああんまり相手を低く見ると、俺の好きな武帝の評価が伸び悩みそうで嫌なんだがw
歴史の発展を妨げたという意味での悪君は誰になるだろう。
徽宗の芸術的才能ってどれくらいすごいの?
日本にある作品が国宝になるくらい
中国の書道の歴史で避けては通れないくらい。
絵画だと中国史上5本の指に入るくらい。
乙
すげえ
405 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/20(水) 23:01:56 ID:a9ee9kW+0
画家として生まれていれば幸せに暮らせたのにね。
皇帝だったから画家になれたんじゃないのか
>>405 単なる市井の画家では彼の芸術的才能は発露できないと思う。
芸術がなれば国のひとつくらい潰しても良いじゃないか。
皇帝じゃなくて皇弟ぐらいだったらよかったんだろうね
芸術家気取りの権力者とかは結構居るがガチで天才芸術家な権力者はそうはいないからなぁ
ヒトラー涙目だなw
411 :
キョンシーたん:2008/02/25(月) 16:59:31 ID:Pr8+N5Ag0
始皇帝です。
文官を何で殺したぁ?
皆恨んで起き上がるぞ?
北斉は短いながらも皇帝がキチガイばかりというのが凄いな。
死んだ高澄も含めてみんな鬼畜。兄弟の嫁を奪い合うとか性癖もおかしい。
仮面の人も何となく変態っぽいし。
どこの誰が変態仮面だって?(^ω^#)ビキビキ
414 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 19:55:12 ID:p0Qqxa9n0
>>412 高演は比較的マシだったらしいけど、1年で死んだから何とも言えない
415 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 20:38:19 ID:XfcdQLLe0
>>兄弟の嫁を奪い合うとか
北斉がどこまで漢化してたか知らんけど、
いわゆるレヴィレート婚とかの習慣もあって
嫁は一家の財産的な感覚なんで、取り合いになっても
現代の人間が思うほど性癖がおかしくはなかったんじゃね。
>>402-403 江戸時代の大名はみんな徽宗の絵を欲しがったらしいしねえ。
ほとんど偽物だったそうだけどw
北斉は基地外だらけだが最後のドアホ以外は戦上手いの多かったんだよなぁ
光武帝
419 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 23:53:35 ID:y95WSoeE0
対極の名君サイドにいる唐の李世民なんかも、書道は相当なもの。
欧陽詢とかチョ遂良を登用して後世に与えた影響も無茶苦茶大きい。
ガチで自分の世界にしか興味が無かったのが徽宗の暗君たる所以だろう。
422 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 19:38:55 ID:gs2Lmrpo0
文化芸術の道を探求した者がいれば、
性愛快感の道を探求した者もいるなあw
424 :
黨國精英西門慶:2008/02/28(木) 17:06:14 ID:mk5i5YEM0
晉惠帝:“何不食肉糜?”
『暴政で国を滅ぼした数多くの昏君』
国が滅びることで被害を被る対象によるんじゃないか。
漠然と「国を滅亡させた暗君」を語る場ではない気がしたので、
ちょっと質問。
大多数を占める一般民衆にとって、
税制・教育・医療福祉・兵制・治安
このへんの国民負担が軽くなるor質が向上するなら善政だろうし、
逆なら暴政だろ。
士大夫層や軍人・軍閥にとっては、
税制・教育・医療福祉・兵制・治安がもたらす既得権益・権利の保障などに
よって評価は分かれるような気はする。
民衆にとって最悪なのか、支配層にとって最悪なのか、
皆さんにとって、どんな定義なんだい?
その基準だとフビライが暗君になるかな
それは日本的な「お上」の意識が過ぎるな。
その基準なら毛沢東としか言えないな
>>421 李世民は文化史的には王羲之の書をことごとく自分の墓に持ち込むという
とんでもない悪行やってるぞ。
功績も多いがその一点だけで全部台無し。
どうせ地上にあったら燃えちゃったんだろうし、
墓の中に入れたほうがまだ後世に残る可能性はあったんじゃない?
>>430 結果論でそうなった可能性はもちろんある。
しかし李世民が王羲之の書に対してやったことは、別に文化財保護を目的にしたもんではないからフォローにならない。
墓だって荒らされるというオチが見えてるぜ?
>>431 もちろんそうなんだけどね。
だけど、唐代当時、文化財保護とかそういう観念がない時代の行為に「悪行」って言うのがフェアじゃないな、って話。
前近代においての文化財保護なんてほとんど偶然によるものだしね。
>>433 墓に入れる、というのは死後の世界にまで持っていくということで、言い換えれば現世には残さないということ。
李世民の意図は「王義之の書は全部俺のモノ。自分が死んだらあの世まで持っていく。この世には残さない。」という
ことで、正直褒められるモンじゃない。
もし中国の埋葬方が土葬でなく火葬だったら、王義之の書を自分の遺体と一緒に焼いてくれ、となっただろうな。
それに唐代にだって美術品芸術品の保存の観念はあったよ。現代みたいな文化財の保護とは少し異なるが。
王義之が無くなった所で誰も困らない。まあマニアな人が悔しい思いをしただろうけど。
人間を無理矢理殉死させたわけじゃなし、そんなに目くじら立てて悪人呼ばわり
するまでの事はない。
そんな事言い出したら、他の皇帝だの貴族だののいろんな副葬品だって芸術的・文化的価値はあるよ。
それを墓に持ってって現世に残さないなんて言ってたらキリが無い。
日本で名画を墓まで持ってこうとして大顰蹙買ったのは誰だっけ?芸術作品にそこまで
ほれ込んだことないからなんともいえないなあ。っていうか太宗が王羲之オタクでなかったら
王羲之は書聖って言われなかったのかもしれないよね。六朝の一時期は息子の献之のほうが
人気があったこともあったってどっかで読んだ。
437 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 13:18:13 ID:1XnXWwK40
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 18:31:36 ID:rIIZ5hHKO
亡国の王と言ったら昭和天皇と並んで、フギさんでしょ
>>438 おたくの高宗&閔妃と比べたら、そんなのただの皇帝だわ。
440 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 12:51:57 ID:9ChV+Iov0
いろんな皇帝見てきたけれど
最後に私が言いたいことは
毛沢東は世界最強〜
なんか久しぶりにバスト占い聞きたくなってきたな
昭和天皇は昏君だけど、生命力はすばらしいものがあるよな。
2ちゃんの李世民嫌いと朱元璋好きの多さは異常
李世民は家柄、実力ともにエリートで成功し、なおかつ自慢げだから
下層なにちゃんねらには鼻持ちならない「敵」
しかしハゲさまは、下層から成功した希望の星。
ってところ?
それにまぁ・・・ハゲさまは色々ネタになるしな。
本当に色々。
まあ、書道では徽宗の字を書く人なんて誰も居ないけどな。
頽廃の文化なんてそんなもの。
フォントとしては売られてるんだっけ?>痩金体
449 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 05:41:52 ID:lhKIypqr0
清 康熙帝
雍正帝
乾隆帝
……文字獄
450 :
& ◆3pYLALRVxw :2008/05/18(日) 23:29:11 ID:D6UoY/W90
449 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 05:41:52 ID:lhKIypqr0
清 康熙帝
雍正帝
乾隆帝
……文字獄
---------------------------
清朝的皇帝被辫子戏捧得太高了,他们不配!
南北朝時代にでてくる殺人鬼のような皇帝はマジなのか?
夏殷の末代のように嘘800なんだろ?
誇張されてる部分はあるだろうが大半ガチだから困る
453 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 17:43:17 ID:2u/1hmhx0
一族粛清と快楽殺人者ばっかりだからな。
劉宋の後廃帝と北斉と文宣帝は特に酷い。
煬帝なんてこいつらに比べれば全然マシ。
東昏候の事跡とか見てると
「これが本当に人のやった事か?」
と思えてくるがあらかた史実どうりだからマジで困る
455 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 19:28:53 ID:mw+wPa9w0
個人的には南宋の高宗。
現実主義で金と和平を結んだのはいいとして、秦檜や他の奸臣達の言いなりになって主戦派の粛清を見て見ぬふりをしていたのが気に入らない。
主戦派の粛清ったって、実際に殺したのは軍を手放すことを拒否った岳飛くらいで。
あとは進んで協力した張俊にせよいやいやな韓世忠にせよ、義勇軍から出発した軍閥を
解体して中央政府の下に再編するという王朝必須の作業なんだから、暗君とは言えない。
言いなりになったというか、粛清はむしろ高宗にとっても
願ったりかなったりという所だったのですけどね。
というか、自分の立場に不安を感じた高宗が、権力強化の意味合い強く
自ら進んで秦檜とかに図った結果なんですよ。
南宋の高宗なんか名君もいいトコだよ
北宋の徽宗なんかは正真正銘の暗君だがな
460 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/21(水) 10:39:42 ID:QOTVc54J0
徽宗はどうしようもない暗君だが、文化的な功績があるし、快楽殺人者ではない。
北斉の高緯なんて賞賛されるべき事跡が何一つ無い。
唐の玄宗かな
A基本性能が高いが使い道を間違えた
B基本性能が低いのでろくな事をしなかった
勝者?はAからであって欲しいが
皇帝にフールプルーフの概念はないし…
463 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/25(日) 21:37:58 ID:u8HVlLYp0
>>462 A 始皇帝 煬帝 朱元璋
B 司馬衷 劉宋後廃帝 南斉東昏候 北斉後主
ってとこか
Aの変形かもしれないけど、乱世の英雄治世の暴君ってのもあるよな。
戦は上手くて全土統一できたけどそれを維持できないタイプ。必要とされる
能力が違うから1人で両方やるのは無理に近くて当然かもしれないが。
>>460 日本史だと北条高時とか足利義政あたりに相当するかな。
太平の世だったら凡君くらいで済んだと思うけどな。
金への背信行為だってこの人が言い出したことじゃないだろうし。
あー足利義政はそんな感じだな
>>463 始皇帝や朱元璋はそうは言えないんじゃね?
A 唐の時代に生まれていれば名君になれた
B 唐の時代に生まれても駄目っぽい
…って感じ?
Aは一般的なイメージ上の紂王とか孫呉の末帝とかだろう。
若い頃には有能さを見せていて、即位してみたら典型的な暴君となる。
A基本性能が高いが使い道を間違えた 煬帝
B基本性能が高いが金属疲労 玄宗
C皇帝以外の才能は凄いんだが 徽宗
Dみんなやってることを後世批判された 五胡時代の皇帝たちというかその時点では中国人じゃないし・・・
E王朝の先が短いので…自棄になりました 孫皓?
F性能が低いのでろくな事をしない
Gせっかく貰った親の遺産だしぃ 威武大将軍朱寿
471 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/27(火) 00:42:45 ID:RlDYDdfVO
ひょっとしてアク禁か?
472 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 11:39:28 ID:UjnfqlYY0
劉宋の皇帝はひどい明以上に
西晋五胡十六国南北朝なんて
日本の馬鹿殿では考えられんくらい糞みてーな皇帝のオンパレードだな
北斉の皇帝は基地外揃いだが戦上手い奴多いんだよな
最後のどうしようもないドアホ除いては。
北斉と劉宋はひどいの一言
梁の武帝てこのスレ的どうなの?
晩年は酷いけど
477 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/30(金) 18:55:38 ID:sgf8JZR+0
>>476 玄宗と同じ扱いだろ。前半はいいけど後半は暗君。
>>473 中国歴代皇帝トランプシリーズのこの時代(三国西晋南朝で54枚)の
説明文なんか読んでると、DQNだらけでうんざりする。
>>478 まともなのが10枚もないんじゃないか?
5枚もねえよwww
魏晋南北朝でまっとうな皇帝ないし君主ねえ。
六朝の初代くらいはカウントしていいんじゃないかね。あと三国のそれぞれ初代も。
482 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 20:31:19 ID:Ykljmxpr0
劉備、曹丕、孫権も皇帝としては少し微妙だな
司馬炎、司馬睿は今の日本の政治家と同様、調整政治。とても名君とは思えない
暗君といってもいいかも知れない
劉裕、蕭道成も少しでも逆らったら殺されそうだし。
蕭衍は晩年が糞すぎる。玄宗の方がましだ。
陳覇先はすぐ死んでしまうし、国力的にお先真っ暗だし。
かといって、石勒は石虎がいるからいやだし、苻堅も理想主義でいらいらしそうだ
慕容垂も堅苦しそうだし、すでに時代遅れ感がある
北魏の皇帝たちも独裁ですぐ処刑にするし、
北斉は軍事マニアでもなければ、いやすぎる。北周は武川鎮出身でなければ冷遇されそう
で、誰を上司にするのが一番いいかと思うと・・劉禅かな
>>482 職場をえり好みしすぎる!!
だから働き先が見つからないのだ!!w
>>482 そんな君には後梁(西梁)がオススメ
傀儡ながら大国の庇護の元、絢爛な文化を堪能できます。
東晋〜から南朝の皇帝の中で名君と言えそうなのは
東晋:明帝
宋:武帝、文帝
斉:高帝、武帝
梁:武帝
陳:武帝、文帝、宣帝
こんくらいかな
486 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 23:08:20 ID:oyRNAF2g0
>>485 一番まともなのは斉の武帝か。次点が東晋の明帝。
陳も国力こそ無いが暴君はいない。
能力で言えば一番は宋の武帝かな。
外征に関しては孫呉東晋南朝の皇帝の中では文句無くナンバーワンだし、
内政に関しても土断の実施や減税、貧民救済を実行するなど中々のものだった。
そして彼自身は貧しい時の暮らしを忘れず生涯質素な生活を貫いたことは誉められていいと思う。
ただ宮崎先生も批判してるように東晋の皇族達次々と殺したの無益な殺生だった。
斉は武帝自身は名君なんだけど子孫が暗君だらけなんだよな。
これは明にもいえるけど
489 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 13:44:19 ID:sS2+jVl00
明は太祖が中国屈指の名君だからな。
明は暗君昏君のバーゲンセール
成祖、仁宗、孝宗、神宗+張居正
割とマトモなのもいる
492 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 16:07:03 ID:u4erI1T+0
唐の皇帝も結構ひどい
明は洪煕、宣徳あたりは名君でしょう
萬暦はやっぱり暗君でしょう
洪武、永楽は人としてまともとは思えないが、やっぱり名君なんじゃ
ないのかな
>>492 誰か、と特定しないと話にならないなぁ。
>>495 逆に、東晋あたりは名君が輩出されていた場合の方が悲惨になったと思うぞ
性急な中央集権化を図ったりしちゃいそうな感じがプンプンするぜ
暗君ばかりで、政治権力が貴族間で分散されていたからこそ、結構生きながらえた
のではなかろうか?
497 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 23:30:52 ID:4+nAtP9+0
>>492 太宗、初期の玄宗、憲宗、宣宗以外はショボイ皇帝しかいないな。
武則天は唐じゃないし。
唐の皇帝、金の飲み過ぎで死にすぎ
唐粛宗はまだしも英主だと思うよ。
結局、権臣を抑えきれはしなかったが、その前が耄碌した玄宗だからね。
その負の遺産に、よく立ち向かったもんだと思う。
唐徳宗にしても、節度使跋扈対処に着手した最初の例でもあるし
唐を中興せしめた、かの両税法の施行もこのとき。
節度使の跋扈がすぎるので、惰弱なイメージはあるが、このときから
続く国庫の充実が、やがて憲宗による中興を実現に導くことは
無視してはいけないと思う。
唐昭宗も、僖宗のあとにしてはマシにみえなくもない。
あらゆる勢力を利用して、皇帝権の復活をもくろむところはしょぼくは
ないんだが、結果がしょぼかった…
(朝敵たる李克用にボロ負けしたんだから、逆効果もいいところ)
しょぼいのニュアンスに差はあるが、そういうまだマシな皇帝の間に
あほの子がいるのは確かな事実のようだぜ(敬宗とか懿宗とか僖宗とか)。
明の万暦帝、北斉の皇帝あたりは清歴代皇帝の足でもなめてろといいたい
>>497>>499 宦官を跋扈させる原因を作ったが、負の遺産に立ち向かい、自暴自棄にならなかった
代宗もショボイとはいえないと思う
また、柳宗元などを使い、政治改革にのりだし、宦官に暗殺されたという噂のある順宗
後世の批判は大きいが、腐敗した仏教界の改革にいどみ、土地問題の一部解決を
はかった武宗もむしろ名君かと(むしろ宣宗が改革を後退させている)
失敗したとはいえ、文宗もかなりマシな方だと
なんか良いトコ探しみたいになってきたw
探せばどんな皇帝でも美点は見つけられそうだがねぇ
>>499 玄宗はその粛宗を闇に葬る所だったらしい
粛宗の母が懐妊した時、始めは「イラネ」で始末しろと言ったんだが
周囲が止めたんで気が変わって産ませる事にしたんだとか。
>>495 晋は建国者の司馬炎からしていまいちな気がする
505 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 18:20:45 ID:Z+tLV1IZ0
>>502 劉宋の後廃帝や北斉の皇帝に美点は見つけられない
胡亥、孫皓、劉c、高緯、万歴帝の五人の誰かにほぼ決定だな
司馬炎は祖父、伯父、父が陰険残忍な人物だったことを考えると、
人としては寛容で徳のある皇帝だったかもしれない。
皇帝としての能力は微妙だったけど…
司馬炎はむしろ過小評価なんじゃないかと思わないでもない
司馬炎のいちばんの失敗は司馬衷を後継にしたことだな。
司馬炎や李隆基、万歴帝は俗に言う「前半名君後半暗君」なんで最下位決定戦まではいかないと思うが
511 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 08:33:11 ID:dM5A/nKD0
万歴帝は「前半名君」ではないな。
張居正がいるから大人しくしていただけ。
>>506 胡亥も単なる操り人形だと思うが。唆すのが趙高か黄皓かの違いだけで、中身は阿斗と変わらん気がする。
>>512 劉禅は、姜維排除すら拒否しているぐらいだから、あんな皇族・功臣一家皆殺しに同意しないしょ
胡亥はそのタブー破りを平気で同意しているのが恐ろしい
劉禅は、名君かは微妙だが、二代目皇帝にしては出来のいい方だが思う。
>>511 宰相その他が有能な政治家なら、君主の能力はさして問題に
ならないということだな
ところで遊び呆ける暗君と残虐な暴君とはまた違うな
残虐な君主はしばしば名君である場合がある
海陵王は金だから対象外?
対象内だと思う
517 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 16:32:34 ID:jbA9a2NQ0
海陵王は煬帝タイプの暴君で、世宗の簒奪正当化のために暴虐を誇張されている。
残虐な上に名君としての面の無い劉c、蕭宝巻、高緯とは違う。
518 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 19:12:21 ID:QB7xTdDf0
燕王噲とかは?
まあ暴君と暗君は違うからな。スターリンは暴君だが有能だし(無能ならよかったのにw)
北斉の皇帝は大概残虐だけど戦は強いのに高緯だけはどうしようもないからなぁ
521 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/30(月) 21:29:25 ID:IsEDM9UbO
暴君タイプ、暗君タイプのみに限ると候補はかなりあるけど
暴君であり暗君でもあるという最悪の昏君は
高緯ただ一人でFA?
522 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/30(月) 21:44:52 ID:dQJVLoBU0
後漢隠帝、劉承祐も重臣から、「ただ座っていればいい」と言われる
暗君で、その重臣三人を逆ギレして暗殺した暴君だな。
しかも反乱軍から逃げて、ある村の小屋で服毒死した憐れな皇帝でもある。
523 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/30(月) 23:53:32 ID:KOH8Hsy30
高緯とか赫連勃勃は最悪にもほどがある。
524 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/04(金) 11:32:13 ID:DVmnhUIpO
なんだか、昏君、暗君の候補として、南北朝時代のヤツらと万暦帝、海陵王、煬帝あたりに票が多いな
だが楊広(煬帝)は中国史を知るほどに"暴君だが暗君ではない"ことに気づく
526 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/04(金) 14:20:15 ID:DVmnhUIpO
>>525 そうなんだよな〜・・・
wikiで「暗君」を調べてみたら「政務を放棄し、君主らしい模範がない者」というニュアンスの意味らしく、これによると暗君として万暦帝とか昭宗、幽王の名が挙がってた。因みに暗君と昏君は類義語みたい・・・
527 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/04(金) 15:02:46 ID:MgSOjoDF0
どっちも「くらい」だからそうだろうなぁ。
で、昭宗ってどこの昭宗?
528 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/04(金) 17:30:40 ID:W0f0vmz60
「昏君」ってのは「暴君+暗君」って意味合いがある。
あと昭宗は北元の昭宗じゃないか思う。
唐の昭宗は失敗に終わったとはいえ、唐を必死に立て直そうとしていた。
>>525 始皇帝や前漢武帝と同じタイプだよな。
自分の代で滅んでしまったからイメージ最悪になっちゃってるけど。
暴君は少なくとも政治に関心があったってことだからな
暗君は自分の責任を放棄して放蕩にふけっている君主の事
だからこそ雷帝イヴァンやスターリンが暴君て言われてるわけだし
531 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/04(金) 22:29:17 ID:W0f0vmz60
>>530 政治に関心があっても王莽のように現実性が著しく欠けた政策だったり
前漢の元帝のように良かれと思っての政策が裏目に出て暗君扱いされることもある。
無関心で遊び呆けていても、
政治を預けた宰相が名臣だったら
選んだ本人も間接的に名君になれるw
それなんて万暦帝?
534 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/05(土) 14:47:38 ID:Ri5kRMGu0
呉の孫皓もかなり悪質な暴君だよな
圧制、暴虐、粛清、宮殿増築と悪事のオンパレード
しかも降伏後はちゃっかり悠々自適な生活を送っているという
どうもその原因は自分の肉親を蔑ろにした先代に対する復讐という
説もあるにはあるけど巻き込まれた民衆はたまったもんじゃない
だな。帝族に復讐したいなら呂后のように宮廷抗争で終わらすべきだったんだ。
外にまで混乱を広げる事はなかった
536 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/05(土) 19:01:58 ID:dGdMeO0y0
孫皓は滅亡後も平穏に暮らしてるってのが一番タチ悪いな。
この手の昏君は廃帝として殺されるか、滅亡後に殺されるか、子の代で滅びるものなのに。
名臣がいたのに、讒言とかで遠ざけちゃった奴が最悪の皇帝かもなあ
清の歴代皇帝が評価高いのは、周り(八旗・緑)が堕落しきっていてシステムが機能してないのに
精力的に政務に打ち込んでたところにあるんだろうね。
地味な印象のある道光帝(アヘン戦争のときの皇帝ね)ですら、
老衰と病気に苦しんだ晩年ですら睡眠時間削って仕事してたって言うし。
一方崇禎帝は呉三桂や袁崇煥などの名将を抱えながら何も出来なかった。
541 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/06(日) 09:33:04 ID:MsCKjJYb0
それでも崇禎帝は政務に打ち込んでるだけ明の歴代皇帝ではまだマシな部類。
正統帝以降の明の皇帝で名君と言えるのは弘治帝だけ。
無能な働き者が一番害って諺も
働かなかったら有能にもなれないぞ。
向上心とか自己客観視ができるとか、そういうところが
分かれ目だな。
544 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/06(日) 16:44:28 ID:zhl04lC00
崇禎帝は無為無能の暗君ではなかった。
政務に熱心だったし、民衆を救おうと努力していた。
ただ、政策がことごとく裏目に出てしまい、
人を信頼できずに名臣名将を殺しまくったため、
大事を成功させることが出来なかった。
無為無能の方がまだよかったりして
実際そんな場合もあったのではないか
有名なジョーク
有能な怠け者は? 「司令官に据えろ。」
有能な働き者は? 「参謀だ。」
無能な怠け者は? 「連絡将校くらいできるだろう。」
無能な働き者は? 「そりゃ殺すしかないな。」
有能な怠け者ってピンとこないな。
怠けてて、有能になれるもんなのかね。
頭がいいとか学歴があるってだけでは有能とはいえないような。
イメージとしては劉邦とか趙匡胤とかだな>有能な怠け者
勿論働いてない訳じゃないんだが、ドッシリ後ろで構えてて、自分を信頼してくれていると部下としては安心感があるだろ?
有能な働き者は簫何や張良、趙匡義や趙普に当てはめるとさらにしっくり
思っているイメージはわかったような気がする。
しかし現実に、そんな怠け者のくせに有能なんつうのはついぞ見たことがない。
自分のできるところとできないところの選別がはっきりしていて
できないところや、任せられるところは部下に任せるって態度でしょ。
趙匡胤の場合、司令官時代は率先して難にあたっているし、
皇帝となってからも、部下の手に余った局面には自ら出向いていますよ。
いろいろ要領はよくても、決して怠け者ではないという。
逆に無能な働き者は見たことがあるw
その場合、無能というかどんくさいというか…
それでも、経験あって有能になっていくのだと信じたいですよね。
有能な怠け者
自分でやらなくてもいいところは手を出さない。凡人にはこれが出来ない。
552 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/06(日) 21:11:40 ID:a1AFqD5fO
要領の良さは怠け者の部分だよ
怠け者は自分が働きたくないから必要なとこは他人に任せる
有能だから任せかたに間違いはなく、自分のやるところはさっさとできる
そういう意味のジョーク
>>550 趙匡胤の司令官時代は参謀相当。つまり有能な働き者にあたる
怠け者ってのは=仕事しない人ではない
>>553 怠け者の意味が働くことを厭うことではない、というのはわかった。
実感的にそういうのは、怠け者とは言わないと認識していたもので。
怠け者というのは、自分の責任すらも処理しようとしない、真の意味での
無能者を指すと、これまでの社会で実感してきたことだったから。
まぁ、そちら達の主張していることは理解できました…が。
趙匡胤の見解にはいろいろ誤解があるようだ。
趙匡胤の役割は、独裁的な皇帝であって、通常裁決は彼がするし
戦争も、肝煎りでは自ら赴くし、部下に任せても任せっきりにはせず
よく方針などで指令を出している。神経はずいぶん細かいと思うよ。
宰臣が当然いるんだから、ある程度は任せないと体制的に無理だが
皇帝にしかできないことはやってるわけだから、怠け者というのはどうだろう。
逆に、趙匡胤や劉邦のどのへんが、有能な怠け者であるのか、できれば
具体例で教えてもらえないだろうか。
>>553 ああ、ごめん。
後方で存在感あることが、有能な怠け者というイメージなのかな?
>>555 劉邦は思いきり前線で戦いまくってるわけだが。
>>556 いや、だからいろいろ違和感あったから物申していたわけで…
あくまでイメージだからね。
働いてない訳じゃないって俺はちゃんと言ってるし、趙匡胤が働き者なのは言われなくても知ってる。
しかし一般にイメージされる劉邦や趙匡胤というのは大らかでリーダーの器と言うことさ。
「酒飲んでる内に皇帝になった」「遊んでるよりは緊急ですよと臣下に言われちゃう」
実際はどうこうでも庶民の愛した趙匡胤のイメージはこうであって、だから愛される訳だ。
ジョークもそういう庶民の願望として理想的なリーダーはかくあるべしと言うことなのさ。
あるいは実際は有能な働き者でも、傍目には有能な怠け者に見えるぐらいがよいという意味も含まれてるかも知れない。
>>588 あーたしかに1番下は真理かも
セカセカしてる上司は息苦しいもんな
逆に部下がキビキビしてる分には全然問題ないし
>>558 そんなところなんでしょ。
いい意味での怠け者だ、という表現か。
でもま、個人的にそういうのは、どうであれ怠け者には見えないんだよな…
>>559 簡単に下克上が起きますがな。
一例として趙匡胤の生きた時代は、そういう時代。
上司とかトップが実力を下に見せなければ、簡単に排除されてしまう。
口だけもダメなんだよな。有能な部下に仕事を任せていたら
その部下の部下が、有能な上司を祭り上げてしまう。
とてもトップという地位にあぐらをかいていられない時代だった。
君、空気読めないって言われない?
>>560 そろそろスレタイを声に出して読んでみたらどうか。
現状追認することが空気を読むことなら、全然できてないだろうな。
で、その空気を読めない自分には、何を言いたいのか、はっきり言ってくれないと。
564 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/06(日) 23:56:32 ID:HsgiW3ml0
最近どっかのスレで削除依頼出されたりしてない? ボクちゃん
ひとつの比喩的な表現だということがわからんのかなぁ。
566 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/07(月) 01:22:10 ID:iHNOs8mP0
揶揄することで優越感を得るような輩は死んどけ。
567 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/07(月) 02:10:24 ID:V3vX5/zjO
俺と同じ研究所の中国人は、モウタクトウの頭禿げた河童写真を俺にもってきてカッコイイでしょ!だって。
死んでもああは、なりたくない。
568 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/07(月) 02:11:20 ID:V3vX5/zjO
1/十億←ニアリーイコール0(笑)
>>563 2ch向かないから止めた方が良い
つか日本語向かないから母国に帰った方が良い
てか人とコミュニケーションとれないから引き籠もった方が良い
あ、引き籠もってるから2chしてるのか
570 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/07(月) 08:47:42 ID:7hFt8wCX0
>>569 まてまて。
いったいなにが気に入らん。
趙匡胤のイメージが間違えているとやんわり指摘したのがトリガーか?
美しい愛国日本人なら、せめて道義をもってやさしく説明してくれんか?
なんなら上から口調で結構ですよ?
とりあえず、このスレには
・人の失敗をあげつらう暴君
・顔を真っ赤にして遊ばれる暗君
この2種がいることは理解した。
自分が楽になるようなシステム構築して仕事上手くいかせたがる人と
自分が全部背負い込んで上手く回そうとする人の違い
573 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/07(月) 18:18:41 ID:xsJG0HY60
とりあえず
>>570は
「俺の意見を述べるスレ」でも立ててそこから出てこないほうがいい
そこなら好きなだけ言いたいことが言えるから、篭っててくれればいい。
>>573 つまらん。
スレタイに関係ない話してるのはどっちですかねぇ。
で、有能な怠け者は暗君なのかどうなのか?
575 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/07(月) 20:30:55 ID:0I4XsZ5SO
スターウォーズやガンダムの話をしている時に
「宇宙空間で爆発や音が聞こえる訳ないじゃん、なーんか納得できないんだなー」
こんなことを言う人間は明らかに
空気
↑この文字が読めないのだ
スレの主旨に反する
以下スルーで
胡亥は取りあえず暗君方面のメートル原器。
暗君へのフラグ。
側近政治をして重臣を遠ざけてしまう。
重臣を遠ざける理由に、やたらと意見する者を煙たがることや
先代からの実力者で、頭が上がらないけど、プライドが邪魔
している、などなど。
側近に選別するのは、宦官などの身辺に近しいものが主。
私生活の世話をしてもらっていると、ふとした弱音や悩みを
容易にもらすことができるから、など。
唐末宦官跋扈の背景はこういうのもある。
さて、五代時代の暗君、後漢隠帝はすでに挙げたが、前蜀後主も
なかなかに暗君。
蜀という地勢は、「天府の国」と言われるように、産物に恵まれ
また国防が容易という立地条件から、安住しがちである。
前蜀後主・王衍は、側近に政治を任せ奢侈に耽り、あげく後唐が
討伐軍を起こすと、わずか70日で滅んだ。
579 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/07(月) 21:44:50 ID:iHNOs8mP0
すげえ排他主義。
ID:xsJG0HY60、ID:0I4XsZ5SO、ID:LnWVZrj+O
こいつら片っ端からアク禁にすべきだな。
うぜえ。
クソスレはKYなやつが一人いるだけで簡単にできるということがわかった。
自分の感覚が全て正しい
会話の流れなど関係ない
自分の言うことを周りが認めないと気にくわない&周りはおかしいと思う
これをKYとは言わない
敢えて言うなら厨と呼ぶ
自演までして頑張ってて初々しいことだ
582 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/07(月) 23:24:05 ID:xsJG0HY60
>すげえ排他主義
誰かさん以外の全部の住人に嫌われてるって事じゃんwwww
そういうのは排他主義とは言わない
583 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/08(火) 00:37:25 ID:tMKQDJXJ0
はあ?
横から見ててウザイだけ。
自演乙とかおめでたいな。
排他主義って、
>こいつら片っ端からアク禁にすべきだな。
>うぜえ。
こういうの?
>>584 あれだな、「俺は差別と黒人が大嫌いだ」っていうのと同じ類のジョークを地でいってるんだろうな。
そういうのだな
周りをイエスマンで固めるのは暴政の第一歩
一度終わった話をぶり返す
>>579は帝王の器ではないな
>>579はスケープゴートだから当然
本人ID:7hFt8wCX0は
>>578で「俺はちゃんとスレに沿った話題をしてる」という御旗を手に入れて
ID:iHNOs8mP0で自演し、この話題で自分を間違ってなかった事にしたい
そういう魂胆
まああれだな「甘露の変」のようなお粗末な謀略な訳さ
とりあえず、おまえらがスレに沿った話をしたがらないことだけはわかった
590 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/08(火) 07:50:00 ID:MjBh/juZO
でも、この手の煽り合いの方が、レスがつくよね。
周囲の諫言を聞入れない昏君について、
生きた見本を元に語り合ってるので スレタイにはあってるかと
592 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/08(火) 14:46:18 ID:kq3WmSmtO
的外れた諫言ということも・・・
593 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/08(火) 17:15:55 ID:tMKQDJXJ0
有能な怠け者=action(see→think→plan)
有能な働き者=work(see→think→plan→do)
無能な働き者=labor(do)
実際は無能な怠け者は仕事なんかしないし、やらされても出来ない。
また、無能な働き者の及ぼす悪影響というのはやり過ぎているか
労働力の方向性が間違ってたかの二択。
つまり能力以上の責任を与えたことや、
上司の部下教育の失敗であり管理能力の欠如と捉える方が自然だろう。
概ね賛成なんだが世の中には手順書渡してこの通りにやれと口をすっぱくして言っても
なんとなくこの方がいいと思ったとかで致命的な変更入れる間抜けも居るんだ。
結局ずっと他の奴がチェックしてなきゃ何もまともに出来ないなら銃殺しかない、に同意したくなるわけで。
>>588 よくよくみたら自分、579を犠牲にしているように書かれているじゃないか。
579の名誉のために言うが、それは断じて違う。
あくまでも、強引にスレの話に戻しただけだ。
>>576でスルーするとなっていたからね。
あと蛇足ながら、唐文宗は個人的には評価できると考えている。
策は失敗に終わったけど、積極的に患部を除こうとした姿勢はいい。
朱全忠や李茂貞のように、宦官に掣肘を受けない外力によらないと
一掃できなかったように、すでにして唐後期では宦官に力がありすぎた。
今一歩といったところだったろうけど、宦官が握る唐の最精鋭である
神策軍を呑み込めるだけのちからがないと、最終的にも破綻しただろう。
「漢献帝は強諸侯に制せられたが、朕は家奴に制せられている」
と涙を流したのは、自分の立場がわかっていたからだろう。
596 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/08(火) 18:32:16 ID:U++F72YJ0
スレタイ100回読んでから自分のスレ立ててそこに行け、な。
そこでなら好きなだけお前の言いたい事いえるから。
>>596 え、文宗を暗君と思ってたんじゃないの?
「漢献帝は強諸侯に制せられたが、朕は家奴に制せられている」
このセリフは甘露の変以降ですよ
けっきょく認識力の甘さがお粗末なクーデターの失敗を誘ったわけで
そんな「頑張りましたで賞」なんぞゆとり教育の運動会じゃないんだから無意味
何にでも「評価できるところはある」といって暗君昏君じゃないと言うなら、暗君昏君はいなくなる
ま、色々ケチ着けて優越感に浸りたい年頃なのは分かるけどスレタイを10回口に出してから描き込みな
599 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/08(火) 18:58:01 ID:tMKQDJXJ0
>>595 陰謀論なんかどうでもいいよ。
なにかあるとすぐ自演認定するやつが多すぎ。
>唐文宗
トップに必要なのは意欲ではなく結果。
前より酷くなってるなら何もやらない方がマシだろう。
>>596 >>595自体はスレの趣旨には反してない。過剰な自治は鬱陶しいだけ。
議論する気が無いならスルーすればいいだろ。
600 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/08(火) 19:03:56 ID:WcAC9Ze4O
典型的な無能な働き者だろ>文宗
これを無能じゃないと言える神経なら無能な働き者はいないと言ってしまえるわけだ
>>598 ま、それでも評価してもマイナスになる皇帝については、挙げてるんだけどね。
文宗についてはそう思っただけ。
自分は、議論を戦わせたいけど、しゃべるなと封じ込めたくはない。
スレの内容について、言いたいことがあれば言えばいいんですよ。
>>598のような内容は、自分にとってためになる。
>>セリフは甘露の変以降ですよ
セリフ自体はね。もともと宦官に制せられているのが気に入らないから
起こした政変で、詰めの甘さはあれど無為なのよりはいいかなと。
史上最悪を見るんだったら、より無能・害悪を探す方向だと思っていましたが。
>>599-600 なるほどね…
結果、宦官の立場がより強化されたから、無能の烙印が押されてしまうというわけか。
となると、唐昭宗もかなり無能に分類されてしまうか。
結果的に、王朝末期の皇帝は無能の量産とみなすこともできるわけだ。
603 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/08(火) 19:37:12 ID:tMKQDJXJ0
有能な働き者である創業者を模倣しようとするのが間違いなんじゃないかと。
604 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/08(火) 20:51:41 ID:Qe3SrurP0
孫皓や高緯みたいのが最悪だろう。
自分の享楽のためだけに虐殺を繰り返し、国が滅びようがお構いなし。
有能無能以前の問題。
>>602 結果じゃないだろ
計画の杜撰さが文宗の無能の証左だ。その杜撰さに付いてきたのが結果に過ぎない
頭でっかちの勇み足が致命的だ
「頑張りましたで賞」で順位付けを廃することが無意味なのであって
「1位、2位、3位」で順番をちゃんとつける事は意味がある。
1位に慣れなかったから無意味ではないだろ。2位には2位の評価できるところがあり
しかし1位に及ばなかったから2位なんだ
同じ体格の人間など居ないのだから、結果が同じにならないのは当たり前
同じ政治情勢など存在しないのだから、状況に応じて政策や軍事力を行使するのが当たり前
昭宗、別に有能とは言えないが、少なくとも憲宗〜文宗の間に極まった
負の遺産(宦官に殺されたり拉致監禁されたり、どこまで軽視されてるんだ皇帝)は消滅させて、
崔胤―朱全忠ラインを背景に近衛軍の再構築という結果を残している
李茂貞を刺激して長安を陥落されたという結果も、朱全忠に殺されたという結果もな
「無能」はいいが「かなり無能」はない
>>605 昭宗に関しては、
>>499の自分の見方があって、
しょぼいが暗君ではないと思ってたんだがな。
勇み足は的を得てる気が
牛でも李でも宦官でもなくやれる!とて゛も思ったか
自信過剰まで李世民を真似る必要はなかったろうに
李か牛かに肩入れして、その力を背景に宦官を潰して、その後に肩入れした勢力を徐々に解体するとかさ
甘露なんて脚色されてるが、実際はクーデターの失敗なんて軍を掌握出来なかっただけだろうし
自分から孤立していって泣き言はないよ
100も前のレスを持ち出して知らんがな。ウザ
コテハンでも付けたらどうだ
609 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/08(火) 23:46:30 ID:PP8PZ5rj0
後漢の霊帝もなかなかのものかと
諸葛亮の出師表にも、
「先帝在りし時、臣と此の事を論ずる毎に、未だ嘗て桓・霊に歎息痛恨せずんばあらざりしなり」
とあるから当時の認識はそうだったんだろうな。
皇帝が平均的に優秀な王朝はどれだろう
まあ清だろ。
614 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/21(月) 20:02:53 ID:yOdym7CF0
宋じゃないか?
秦も五割優秀だぞw
>>614 宋はシステムの方がしっかりしていた気がするな。
まあ、システムだけなら明が最強な気もするけど。
前漢もそんなに酷くないか。何故か名君扱いされてるアレが最悪だが。
アレの前後も結構ワルだぜ
いいとこ探し、ふたたび浮上。
宋は皇帝独裁制の確立などというが、皇帝もその「システム」の中に
しっかり組み込まれて、自由なんてないからな
士大夫の「言論の自由」は確立してるから、一見宋は中国史上最も
進歩的な時代にみえたりする
皇帝すら新旧法党派の一員でしかないような
>>620 それだからか、近代的な印象を受ける、ということはある。
宋の三大発明とかもそれを後押ししてもいる。
霊帝の霊が大分あたりに漂っているのが見える
623 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/03(水) 12:51:55 ID:ZRfDysm+O
保守ついでに
筋金入りの阿呆なら、劉宋・後廃帝を推したい。
やっとる事はプチ紂王って感じか?
一応天下を治めていた為何かと応語られることの多い紂王と違って、
引き合いに出される機会の少なさのマイナー加減やら小物っぷりもまたたまらんw
只この時代南北双方に同程度の逸材wがキラ星の様にいくらでも
溢れかえってるからなぁ…
セレクトするのに非常に迷うところだw
624 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/03(水) 13:12:30 ID:Xuzj1Io80
>>617 アレは敵国の匈奴にとっても最悪なやつなので一応おkだろ
衛霍コンビを使わないのも勿体無いし。
625 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/03(水) 15:03:56 ID:bgBO2lal0
江沢民
始皇帝
漢高祖
漢武帝
光武帝
隋煬帝
唐太宗
武則天
北宋太祖
洪武帝
永楽帝
康熙帝
雍正帝
乾隆帝
中国にはマオさんっていう最凶最悪の指導者がいるからね。
彼に比べたら歴代の皇帝の悪行なんて霞んでしまう。
マオたんはエンペラーじゃないお
うん、でも夏の桀王 とか殷の紂王も皇帝じゃないね。
だいたい紂王の悪評は明らかに後世による脚色だしな。
631 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/16(火) 23:56:54 ID:SlxWX4KZ0
徽宗
袁術は入れても大丈夫か?
実力が足りないのに皇帝を名乗ってしまったあほの子ですが
まぁ最悪というだけだと他の有名なやつには全く及ばない小物だが
633 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 20:04:15 ID:yWP6IZ1e0
袁術がありなら斉の初代皇帝の黄巣も入れるべきだな
冉閔の魏よりは長持ちしたけど
634 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/30(金) 10:32:30 ID:0HQ6HQ+n0
朱全忠
635 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/30(金) 11:54:26 ID:3eZpeBU70
>>633 黄巣は全国規模の英雄なのに…
しかもその残党は、後々まで各地でいろいろ活躍してるんだよ。
袁術と比すなら、地域的にも似ている秦宗権だな。
まぁ、洛陽とって一時すさまじい勢いをみせたが…
636 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/31(土) 17:50:22 ID:WJhEa2CRO
ノムション
637 :
桃花仙:2009/01/31(土) 22:42:18 ID:ymcUEfHN0
昌邑王 劉賀
27日の皇帝です
638 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/31(土) 22:44:02 ID:JtHoX3MJ0
朱全忠は英雄だろ
640 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/21(土) 12:30:42 ID:Q2ULUWzW0
後継問題のゴタゴタで息子に殺されている以上、君主としては失格
641 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/22(日) 09:38:59 ID:Pr/X/XAv0
洪憲帝
642 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/23(月) 13:01:06 ID:o5IgsX5g0
北斉後主
>>640 君主としては失格だけど、乱世の英雄だと思う。
644 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/23(月) 19:13:18 ID:vcLfuCUm0
朱全忠は五代時代「では」、まだ見るべきところのある皇帝w
他が悲惨だからかもしれんけどね。
後継問題のゴタゴタも、この当時の社会現象であった仮子制の暗部
みたいなもんで、なにも朱全忠だけの問題ではなかった。
まぁ、つまりだ。
その時代はすべてが狂っていた。
とはいえ、この乱世にあって、文化や経済は昇華の一途を辿るってのは
これはこれで不思議な現象のような気もする。
朱全忠は関係ないけど。
645 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/23(月) 19:17:26 ID:vcLfuCUm0
>>644 追加。
その意味では、日本戦国後期の安土文化に似ていなくもない。
柴栄は信長ほど雅な人間ではなかったけど、唐の混乱のうち
に失われた音律の復活も手がけている。
普通は、江南後主の霓裳羽衣の方が有名だけどね。
五代の皇帝は南北朝の皇帝に比べたら全然ましな方だよ
647 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/24(火) 14:15:11 ID:kOrA6ztR0
南北朝の皇帝の中でも北斉の歴代皇帝は特に救いようがない
南北朝の連中は皇帝と呼びたくないな。今のアラブでオイルマネーに胡座かいてる山賊どもと同じで。
この時代って詳しくないけど、そんな俺でもたしかに酷いと思う
なんというか病的というか、狂気を含んでるというか
悪諡すらもったいないレベルって感じもするし
五胡とか南北朝の皇帝は残虐な奴多いよな
遊牧民の血のせい?
651 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/25(水) 16:27:40 ID:0AjbAZUp0
只のネタだろ
残虐だが戦は鬼のように強い
残虐だが戦は強い
残虐だが戦はそこそこ、名将は使える度量がある
残虐で戦もまるで駄目政治も駄目、名将は全部殺す
北斉は代を追う毎にどんどん悪くなるからなw
戦術級で目を見張るものがある最初の方は
不謹慎ながらも、残虐さはかすんでしまうが
最後の方はアレですねw
>>649 リアル池沼までいるしな。
言葉もろくに発せないような奴を皇帝にするなよと思うわw
655 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/25(水) 21:53:25 ID:XCrum0iW0
>>649 悪諡なんて廃帝か末帝でもない限りそうそう贈られるものではない。
北斉の皇帝は暴君揃いだが文宣帝、武成帝のような美諡が贈られてる。
656 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/26(木) 04:43:34 ID:FOI0u9z2O
ちんこ
657 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/26(木) 23:54:49 ID:hGgoBZUC0
石虎
658 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 19:24:17 ID:sDhDVo4v0
石虎は猛将
659 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/05(木) 16:44:21 ID:NIh23uC90
袁世凱はどうよ?
才能の無駄遣いなら 煬帝?
紂王や海陵王もそっち系だな。
有り余る才能が間違った方向に暴走しちゃった感じ。
663 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/09(月) 10:51:28 ID:G06OnKTP0
才能を正しい方向に使ったのが李世民や朱棣
最初から最後まで名君 さらに悪口なしの条件だと
宋太祖?
逆は・・・
665 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/10(金) 13:11:26 ID:n2lJD0uY0
李世民や永楽帝は名君だけど、
暴君の資質あるよな。
制御できるかできないかだしな
667 :
ざんげちゃん:2009/04/10(金) 14:24:24 ID:mB/x7CXk0
僕の考えは秦の始皇帝と思います
統一けれど 暴力を使って過ぎる
日本語やばくないか?
669 :
ざんげちゃん:2009/04/10(金) 18:46:21 ID:mB/x7CXk0
確かに 始皇帝は日本語できない
徐福までやられた
670 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/10(金) 20:32:04 ID:dFMCKxDZO
毛沢東
そうか?始皇帝って歴代の統一王朝樹立した皇帝と比べると、
戦争では虐殺や大量処刑は少ないし、宮廷では粛清はほとんどなかったし、
統治では刑罰による重労働刑などはあったが死刑はむしろ少なくしたし、
坑儒は後世の過大捏造だしで、かなり穏健な部類なんじゃないかと。
始皇帝の改革の合理性や先進性が当時の社会に受け入れられなかったから
伝統や慣習を無視して訳の分からん事をする暴君みたいな見方をされたんではないかとも思うが
>>662 紂王や海陵王は英傑になる資質も持ってると思う
最近、暴君と名君て紙一重で才能の使い方次第だと思えてきた。
「この世に無能な人間などいない。
あるのは適材適所の失敗例だけだ。」
>>675 それは、結局、その部署にとって無能かそうでないかの区別がなされているから
前節の根拠たりえないのでは?
もともと無能がいないなら、どこに配置しても同じという…
どこにも適さないような人間はおらんということでどこに配置してもいいわけではない
>>675 これは性善説の考え方だな。
言いたいことはわかるし心情では理解できる。
ただ、現実は果たして100%そうかと聞かれると…
似たような適材適所を性善説じゃなくやると無能な働き者は銃殺、だなw
680 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/15(水) 23:14:33 ID:jybEu5nm0
皇帝じゃないけど、
狗肉将軍こと張宗昌
681 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/16(木) 16:09:45 ID:GFfOLLFa0
名君と呼ばれる人で、暴君的性格のないのは、宋太祖と光武帝くらいじゃ?
清の三世もなかなかに冷徹で厳しい。
暴君的性格ってのはどんなだ
>>681 2人とも自ら武器を取って最前線で大暴れするバリバリの武闘派だけどな。
685 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/16(木) 18:59:01 ID:Q9OhHOL1O
687 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/16(木) 22:57:15 ID:XUe/RaM30
スレタイに完全にあってるのは則天武后だろ。
こいつ以上の悪党を俺は知らない。
則天武后は低い身分の有能な人材を抜擢して政治を任せ、
外交面では朝鮮半島に積極的に介入し、
反唐国家を叩き潰して国威を輝かせた。
昏君どころか、中国屈指の名君と言って良い。
やっぱ毛沢東だろ。
皇帝即位はしてないが、実力は皇帝並。
しかも大昔だとわざと悪く書かれてるかもしれんし、
実情はわからんよ。
690 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/17(金) 00:11:25 ID:kVt5HRmt0
>外交面では朝鮮半島に積極的に介入し、
これ、高宗の手柄だろうが。
勝手に則天武后の功績にするなよw
則天武后擁護は聞けば聞くほど胡散くさくなる道理だ。
同じように、叩きを聞けば聞くほど擁護したくなる心理。
革命家と政治家としての素質はまた違うもの・・・・・・
694 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/19(日) 12:12:27 ID:vudnNDny0
強烈なカリスマがあってなおかつ暴君て始末に終えないよ
「本当に恐い者は最初は人気者の顔でやって来る」ってヤツだな
洪武帝もなw
劉邦だって功臣たちにとってはその類だしな
>>697 劉邦に殺されたりしてるのは全体から見れば一握りの人数じゃん
民衆にとばっちりいかなきゃ暴君じゃないよね?
>>698 大半は自業自得だしな。
気の毒なのは盧綰と韓王信くらい。
701 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/27(月) 15:55:20 ID:q1/KuQ+b0
宇宙大将軍以外考えられない
功臣粛清は権力争いの一端って感じで
あまり暴君って気はしないな。
703 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/30(木) 18:57:00 ID:P1gdZrRn0
足利尊氏みたいに中途半端に人がいいとかえってダメになるからな
704 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/02(土) 07:56:15 ID:aHkvkz1+0
ガチで韓信の離反見たかったな
長安取ってしまえば、劉邦なんかに余裕で勝てただろう
腹心と野心家しかついてこないだろ>韓信
706 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/02(土) 14:59:43 ID:fhUf2P5I0
韓信の最後見ると
離反しても最後は意外な所で足元すくわれるかもな
EX:康熙帝
A:光武帝、唐太宗、北宋太祖、雍正帝
B:周武王、晋文公、漢高祖、漢文帝、漢宣帝、漢景帝、魏武帝、後趙明帝、劉宋武帝、武則天、後周世祖、洪武帝、弘治帝
C:殷帝辛、斉桓公、秦始皇帝、漢武帝、王莽、魏明帝、呉大帝、西晋武帝、後趙武帝、前秦宣昭帝、北魏孝文帝、梁武帝、隋煬帝、唐玄宗、李存勗、永楽帝、乾隆帝
D:−
E:−
F:北斉後主、北宋徽宗、正徳帝、万暦帝
708 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/04(月) 22:43:29 ID:Fehc/w8L0
北斉の廃帝殷は気違い父帝の虐待で言語障害があっただけで
知性も教養も慈悲も備えていたぞ。
ただ、常山王(孝昭帝)のクーデターの時に
「これらの処分は叔父上に任せる」と言って
忠臣たちを見棄ててしまったのはひどい。
709 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/04(月) 23:58:44 ID:x2Rk5qBl0
蚩尤
710 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/05(火) 17:11:34 ID:guYjp3cO0
264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 21:18:57 ID:1um7NRQt0
武則天は長安と洛陽の間をかなり往来しているけど、
結局、一番遠い場所だと、どこまで行ったんだろう?
265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 01:12:43 ID:4EgplVq60
>>264 地獄
>>707一部訂正
E:北斉後主、武則天
F:北宋徽宗、正徳帝、万暦帝
禿げ藁w
武則天アンチ面白い
>>712 武則天スレ行ってみな
この後十数回これをコピペされても面白いって思える?
それはさすがに引くなあ
なんでそこまで嫌いなんだろ?
715 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/05(火) 22:48:08 ID:2twOohkZ0
五胡十六国期の石虎も暴君だよな。
その皇太子に至っては完全に変態殺人鬼。
>>715 外征は失敗が多いが、国力は増大の一途
軍事行動や造成事業が多いが、普通の君主と言っても問題ない人物
問題点を挙げるとするならば、恩知らずなところとロリコンなことぐらい
ロリコンが遠因となって国が斃れているから、それはそれで問題なのか
ロリコンってどんな逸話があるの?
>>717 石虎が前趙の根拠地関中を攻略した際に、劉曜の「幼女、年十二、有殊色」を
獲得し寵愛したことが晋書石季龍載記下に記載されている。
当然数え年だから、11歳の幼女を強引に後宮に加えた形となる。
(ガキを孕ませたのは、だいぶ後になるが)
後に皇后に立てられた彼女は、石虎崩御の直前に権力闘争の渦中へと身を投じ
息子の石世を皇太子として擁立することに成功するけど、結局は対立する派閥から
ボロクソに叩かれて、息子ともども殺されちゃうんだよね。
その後の後趙の滅亡劇は、五胡十六国の中でも一、二を争う凄惨な民族浄化
後趙の皇族は石虎死後わずか三年で絶滅となったりして、もう悲惨の一言
ロリコンかどうかはさておき、それを皇后にできる豪腕がすげえなw
721 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/06(水) 20:04:59 ID:m6963JLm0
石虎の皇后劉氏については色々小説的な想像を駆り立てられるな。
最初は亡き父や家族の冥福を只管祈っていた優しい少女だったのが、
石虎の後宮に無理矢理入れられてからは人間の醜悪な面を見過ぎてしまい
自分では決して望んでいない形で石世を産むと愛憎半ばする感情を抱きつつ
「この子を守るためなら私はどんなことでもする」と決意
残酷な権力闘争の渦中に自ら飛び込んで行く・・・。
何その淀君w
( ´∀` )<国士きどりのウヨブタさん、もう涙を拭きなよ
/ , ヽ あんたら心の中では政府高官なんだろ
 ̄_|,..i'"':, ̄ ̄ ̄ ̄
|\`、: i'、
\ \`_',..-i
\.!_,..-┘
724 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/09(土) 16:58:40 ID:3NJK8c4KO
あちこちのスレで男女差別をオウムのように繰り返すやつがいたけど死んだのかな
確かに結婚には早いけど
11歳なら当時的に「幼女」という感覚ではないはず。
というか現代でも
11歳は学齢期だから「少女」であって「幼女」ではない。
726 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/09(土) 19:59:27 ID:zSaH2nWt0
大変残念なことに我が国日本では
この十数年間の産業政策・社会政策の失敗により
国籍しか誇れるものが無い若者を大量に生み出してしまったのです
今気づいたんだが、このスレ宋の皇帝が一人も入ってないよな
これって凄くないか?
一番国民の政府に対する満足度が高いのは宋かもしれないな
728 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/10(日) 23:21:22 ID:HNtm/D510
徽宗は名前上がってないの?
宋は南北通じて暗君はいたが、暴君はいなかった。
だから、このスレでも名前があがらないと思われる。
730 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/10(日) 23:58:55 ID:LoNDgBeIO
確かにキ宗は暗君だか、
スレタイにあるような史上最悪かというと
うなづきかねる優しさをもってる
罪も牢獄つぐなってるしな
731 :
鉄道:2009/05/11(月) 04:54:43 ID:m0Ej7ENr0
732 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/12(火) 09:34:32 ID:qvY4OaNF0
>>727 宋の皇帝は可もなく不可もなくなイメージだな
暴君もいないけど、とびっきりの名君も太祖、太宗以外あんまりいない様な
733 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/12(火) 10:27:34 ID:MC8Cz0z+0
個人的には優れた人物だと思うけど、成し遂げた事跡という意味ではなー。
新法運動も、厳しく言えば失敗に終わった改革だし。
735 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/12(火) 12:32:05 ID:cZ/PieDuO
後漢や唐も、とびきりの名君は初期だけってかんじ
736 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/12(火) 15:52:14 ID:RwlespSLO
後漢の名君て初代だけのような
737 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/12(火) 17:37:09 ID:qvY4OaNF0
初期の3人ぐらいだな
後は早死にしすぎだったり評価しづらい
平均値では清が圧倒的過ぎる
清の暗君って言えば誰だろう?
どーしてもって言われるならあえて言えば咸豊帝あたりかな
実際は弟の恭親王の方が優秀で後継者候補だったけど家庭教師の入れ知恵に父帝があっさり騙され皇太子に
治世がgdgdなのは列強の侵略やら太平天国やらものすごく難しい時期だったから仕方無いけど
女好きで側室がやたら多かったりその割には子女は少ないとか
741 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/12(火) 22:26:33 ID:YOSbf95O0
殺人狂の張献忠。
自称「大西皇帝」。
虐殺しすぎてある夜酔っ払って
「今夜は誰も殺すべき奴はおらんのか」
と叫ぶと己の妻子を惨殺。
翌朝正気に戻ると
「何故止めなかった!?」と側近を惨殺。
清朝による被害者人数の誇張もあるが、虐殺鬼であることは確か。
742 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/12(火) 22:29:00 ID:NLaUJhoB0
>>689 中共の歴史が終わらないと実情は出てこないよなぁ
咸豊帝の父親もヘタレ度がひどすぎる。
アヘン戦争ってそのまま戦っていたら英の補給が続かず清が勝ってた。
それなのに北京に敵艦隊が近づいただけで香港を割譲するなんて
どういうこと?馬鹿なの?死ぬの?
道光帝か。
しかし彼は非常に勤勉で、老衰による病に冒されても精力的に政務をこなしていた
アヘンの一件は単なる失政であって暗愚ではないだろう
745 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/13(水) 08:33:41 ID:1e4/sErC0
乾隆帝は過大評価だと思う
746 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/13(水) 08:43:37 ID:D4N7DO290
パーフェクトではないがグレートであることには
変わりない感じのタイプ
武帝みたいなもんかなあ
グレートでパーフェクトというと光武帝とか康熙帝か?
人間にパーフェクトなんてないが、より近いと言えばそうなるかも
李世民や趙匡胤は自身が意図的に編纂しただとか、色々とケチがつくからね
光武帝も息子が本紀作ってるから、粉飾の類はあるだろうね
750 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/13(水) 22:24:52 ID:D4N7DO290
>>747 それはそうだが、
その二人が永遠に独裁者やるなら独裁マンセーするだろw
朱全忠、今まででてこなかったのが不思議なくらいだ
長安を灰にしたり、宦官皆殺しにしたりする狡猾な謀略家
最後は息子に殺されてザマアw
>>750 ん〜。歴史として見る分にはいいんだけど、今自分が暮らしている世界で
有能な独裁者が出てきてもらうと困るかな。
無能な独裁者は論外として。
永遠の名君など存在しないし、梁武帝や唐玄宗みたいな例もあるから
せめて任期は有限でないといかん。
むろん、その時代に生まれた、というならマンセーするだろう。
すべてを偉いお殿様に任せて、「百姓を安んじる」に間違いなければ…
ま、それ自体がありえんのだがね。
>>752 任期永遠でクオリティ不変という仮定からしてありえないが
理想の独裁と理想の議会制では前者の方が上じゃね?
意思決定のスピードが違いすぎる
現実の比較に関しては仰るとおりだなあ
名君と名臣がそろって出るなんて確率的にほとんどないんだから支配者層も法で縛らなきゃダメ、って韓非子が言ってた。
755 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/14(木) 07:39:13 ID:1VOJVaZt0
>>753 どっちも絶対に腐敗したり崩壊したりしない、というならそうかもしれない。
あと、絶対に恐怖政治に移行しないとか。
君主独裁制は、崩壊も凶暴にも、そうなるときの速度も速いから。
共和制とか議会制は、gdgdがなが〜く続くから、変化がゆるやかで
過ごしやすい。
その意味では、北宋ってへんな体制だったかもね。
強力な独裁君主制のくせに、言論の自由的討論を、ある程度(その時代にしては)
認めていたせいもあって、表面上、議会制みたいなところがあった。
共和制とかの政治の話をしたいのなら政治板にいったほうがいいぞ
というかそろそろ板違いだと気づけよ
流れが読めてないのか?
自治厨さんは
政治も思想も、英雄が行動し立脚しえた重要な背景だから、板違いにはならんわな。
また暗君暴君を語る上でも、帝権の相対的強さや、政治体制は無視できない。
終了w
761 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/17(日) 20:55:59 ID:c/qNb8Dt0
( 'A) 見て…
<ヽ ヽ>
/ \
('A`) 見て!!
</ />
/ω\
762 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/20(水) 17:43:27 ID:4RUdt4wN0
>>729 無能な奴はいても暴君は徽宗(ある意味)ぐらいしかいなかった気がする
763 :
中国人des:2009/05/22(金) 16:52:58 ID:Uv8DTbzt0
俺 中国人des 毛泽东!:朝鲜战争!大跃进!三反五反!地富反坏右屠杀!文化大革命!柬埔寨波尔布特支持!
要約すると「毛主席万歳」ってところか
天安門以後中国人はすっかり金玉抜かれちゃったね
766 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/24(日) 08:03:39 ID:pSJdADix0
元々は宦官の国だからな
767 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/24(日) 08:05:54 ID:DbWTkpeb0
768 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/24(日) 08:25:57 ID:VM8B4v0m0
乱世之奸雄曹操才是当之无愧的英雄
769 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/06(土) 00:25:45 ID:IRc5kT9D0
こういたん
770 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/10(水) 06:40:16 ID:HnZdn1fx0
>>739 溥儀なんか亡国の皇帝なイメージだけど
あれはもう時代の流れだしどうしようもないよね?
あのちゃんと大清皇帝だったあの年令(辛亥革命に伴う遜位以前な)では元から仕方なかったし
それ以降も本人の才覚自体もアレだったが、それを補佐し国を再興し得る臣も全く居なかった。
あれだけ列強諸国の進出に加え、国内軍閥の横行した大陸では例え清が革命によっても倒れなかったとしても
内外を静めるはおろか政権維持すらまず不可能。
若し出来たなら昏君所か中華史屈指の明君になっただろね。
772 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/10(水) 14:45:18 ID:OmnVE/et0
明は宣徳帝までは名君ぞろいだった
×名君ぞろい
○良い暴君ぞろい
775 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/10(水) 19:21:58 ID:xPMfqHCF0
明と清はほとんど同じ政治機構なのに、名君・良君輩出率は雲泥の差
776 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/10(水) 19:39:39 ID:OmnVE/et0
洪武帝や宣徳帝は民衆にとってはありがたい皇帝だっただろ。
明宣徳帝以前の皇帝たちと清嘉慶帝以降の皇帝たちだと
平均的にどっちが優秀だったのかな
778 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/11(木) 04:00:56 ID:UTc+gOHs0
そりゃ宣徳帝以前だろ
明で名君と呼ばれてる宣徳帝と弘治帝だが、
この二人が漢、唐、宋、清の歴代皇帝に混じったらどういう評価がなされるだろうか。
清だと普通の皇帝、と言われる気がする・・
780 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/19(金) 09:14:58 ID:HEzTRvlB0
漢だと文帝、景帝ぐらいの評価
781 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/19(金) 10:14:11 ID:H5H4GjQO0
宣徳帝…景帝
弘治帝…宣帝
という感じだな
清は有能なのが多すぎて比較しづらい
782 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/25(木) 17:52:46 ID:SMRaD7A20
永楽帝のエピソードはまじで怖かった
永楽帝・・・・・漢武帝
内政を蔑ろにして外征を立て続けに実施した
漢武はさらに後継者問題も起こしたしな。
>>784 最盛期を現出した皇帝って、結構な割合で火種をバラまいているんだよな・・・
始皇帝や魏の明帝なんかもそうだし。
火種をばらまいたからこそ、後は下り坂で
そこがピークになったんじゃ・・・。
明は永楽の後の洪熙帝・宣徳帝の時代が最盛期と言われている気がする
名君を多く輩出した王朝として清が挙げられることが多いけど
宋も結構優秀な皇帝多いよね
そうか?
名君もしんだらおしまいですよ
昏君は死んだら皆が喜びそうだけどね
792 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/07(火) 04:58:46 ID:FtzrB7q40
>>783 永楽帝は内政はそれほど見るべきものがないとか
外征に金使いすぎて明の金庫を空っぽにしたとか結構酷評多いね
俺も漢武帝は嫌い。外征なんかくだらん。
しかも司馬遷のチンコ切らせだ。
昭烈帝
即位直後に私憤で無謀な戦を起こし、大敗。
そのまま病に倒れる。
死に際には宰相に簒奪をほのめかす遺言を残し、国を混乱に導く。
この戦の大敗が尾を引き、国は僅か二代で滅亡する事になる。
たしかに劉備が皇帝になってやったことって、無駄な外征だけなんだな
皇帝としてはまるで駄目って評価でもしょうがないかもね
皇帝としてはそんなに実績ないし
2年で死ぬ地方政権の皇帝を史上最悪とか言われてもなあ
同じ地方政権なら、南北朝の連中の方が遥かに格上だからなw
下には下がいるわけか
魏忠賢を放置した天啓帝
国立高と校長狂をぶっ頃した校医はやばい
802 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/02(日) 14:55:52 ID:15uhFkWt0
校医=高緯だな。
有名な話だが、庶兄が任地で暴政を行ったからと逮捕しながら
その兄に
「さそりを何百匹も風呂桶に入れて
その中に囚人を裸にして放り込むと、のた打ち回って泣き叫ぶのが面白いですよ」
と言われると早速実行させて見物、
「何でこんな面白いことを早く知らせてくれなかったんだ!」と言って大笑い、
兄を釈放してやった、と。
803 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/02(日) 15:02:52 ID:15uhFkWt0
国立高=コク律光
校長狂=高長恭(蘭陵王)
蘭陵王の最期の言葉
「天顔何由可見」の訳し方が分からない。
冤罪を着せられた時に、妻から後主に拝謁して
弁明するように勧められた時のもの。
「天顔―天子の御顔―何に由りて見ゆる可きか」
と読むのかね。
「天子に拝謁してもかくなる上は意味がない」
「天子に拝謁する理由がない」
「天子に拝謁する伝手もない」
俺が想像できるのは概ねこんな所。
陳に領土を奪われたけど
「まだ一生遊んで暮らすには十分な領土があるから無問題です」と臣下に言われて、
「それもそうだ」と納得した皇帝もその人だっけ?
805 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/02(日) 17:29:36 ID:15uhFkWt0
>>804 そうだよ。北斉の後主、高緯。
結局何もかも北周に奪われ、陳に亡命途中で皇室一家全員捕虜に。
一旦は助命されながら後日冤罪を着せられて
後主本人はじめ長幼問わず高氏の男子は殆ど皆殺しにされてしまった。
女子は北周の後宮に入れられた人以外は
多くが生活の保障もされずに放置されて売春婦に身を落としてしまったらしい。
一瞬、どこの学園物の誤爆かとオモタ
807 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/02(日) 18:25:28 ID:15uhFkWt0
俺の知っている北斉後主の逸話。
・学識はあり、「修文殿御覧」など百科事典的な
書物の編纂をさせている。後の「太平御覧」等のはしりらしい。
彼の唯一の功績かもしれない。
・仏教、道教を深く信じていたが、その信心の内容は
現世利益を求める祈祷と、民衆から搾取した税でお布施を積んで「徳を修めたぞ」と自己満足にふけることであった。
・父武成帝に倣って大変な贅沢好きで「帝王当に然るべし」と思い
質素倹約とはおよそ縁がなかった。油を一晩で大量に燃やして
「光は宮内に照り」夜を徹して遊興に耽った。やっていたのは↑のためのさそり取り。
・宮中に模擬市を作り、自ら乞食に扮して楽しんだ。
・北周軍が国内深く侵攻した際に出した勅令が
「全国で14歳以上20歳以下の美女を選んで宮中に入れよ。
娘を隠したり、急いで結婚させた者は死刑」という不急不要のもの。
808 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/02(日) 18:34:13 ID:15uhFkWt0
・いよいよ北周軍が進撃してきて危機的状況になったとき
近臣の一人が「御自ら泣いてでも将兵を感奮せしめ激励なさいませ」と奏して
軍中に出たが、いざ演説をしようとすると何故か大笑いし始めて
それを見て絶望した将兵は「解体」した。その近臣も北周軍に投降した。
・どもる癖があり、その時に視線が合うと怒り出す。
廷臣は上奏する際に目をひたすら伏せていた。
うわ、解説ないとわからんかったわw
810 :
801:2009/08/02(日) 19:30:43 ID:t/TldmcpO
解説dクス
しかしすげーなw
南北朝は資料が少なそうなのに
どこで調べてるんだ?
後主マジ基地。
最悪かどうかはわからんが、ワースト3には入りそうだな。
高緯と並び立つと思うのは、劉宋の蒼梧王かな〜
毎日城下を凶器を持って徘徊し、虐殺を繰り返してたというリアル殺人鬼
殺す者がいなかった日は、一日中悶々としていたらしいw
北斉は兄弟相続中は欠点だらけでも優秀な部分もあったのに
後主は全欠点合わせたような人だしなw
いや、流れ的にだな
>>807 うろおぼえだけど
「太平御覧」や「藝文類聚」などのいわゆる“類書”のはしりになったのは曹丕の「皇覧」じゃなかったっけ
あーでもはしりだろうがそうでなかろうが、書物を編纂させたってことに変わりはないん(だよな?)だからどうでもいいか
揚げ足とりみたいなことしてすまん。
亡国の君主でもないのにあそこまで悪く言われる万暦帝も凄まじいが
後世への悪影響という意味では司馬炎以上の存在は居ないと思う
司馬炎ってなにやらかしたの?
「戦乱終わったし軍事力なんて必要ないよ、ね?」と能天気な軍縮
↓
王族同士が私兵で内乱
↓
異民族呼び込んで天下大乱
↓
長江から北が晴れて異民族国家群に
↓
ドキッ?外道だらけの五胡十六国!
ああ。
胡の流入を悪影響と考えるなら、そうなるか。
どう考えても悪影響だろ
ううむ
司馬炎「我が最大の功績は塞外の異民族を中国化したこと」
「秦始皇 漢高祖も不可能だったこの盛事」
胡の侵入で良かった事と言えば後の六朝くらいか?
他に思いつかん
良いかどうかはともかくとして、発展という意味では
胡が流入した華北のほうに著しかったし
仏教の波及もそうかな。
あと、逼塞させられた東晋(南朝)による江南開発も
中国全域で考えれば、すごい恩恵だけどね。
軍縮は必要だし、異民族が内地に入ってるのはずっとだし
一慨に司馬炎だけのせいにはできないだろう
この流れなら前々から気になっていたことを聞ける
異民族の内地侵攻の遠因が曹操にあるってーのをどっかで見たことあるんだけど、誰か詳しいこと知らない?
>>828 曹操が異民族を内地に移住させまくったので、
内地在住の異民族人口が激増し、
異民族による内地侵攻を容易にした。
>>828 烏丸や関中、漢中の平定後にそれぞれの異民族を移住させてる
内地には移住させられて差別待遇を受けて恨み骨髄の異民族がたくさん
辺境は鮮卑のような異民族の侵攻や勢力拡大が盛んになった
>>829>>830 おお、ありがとう。
となると、どれほどの影響があったかはわからんけど、異民族侵攻に関しては一概に司馬炎のせいとは言い切れなさそうなのか
曹操のその措置は結構重要だと思うんだけど、世間ではあんまり取り上げられていることはないっぽい…?
ってスレ違いか、ごめん
曹操を特に批判したい人らは、それをもってくるが
そもそも胡人を中華思想そのまんまの野蛮人かなにかと
決め付けているところが、ちょっとアレだと思う。
司馬炎は異民族問題もだが、無能と分かっていながら恵帝を後継者にしたのが馬鹿過ぎる。
そもそも恵帝がまともなら八王の乱も無かっただろうし。
>>833 司馬炎が完全に失敗したのは、後継者問題だけだよな。(斉王攸の問題も含めて)
内政・外征は十分に及第点、世間で言われるほどボンクラではない。
そこを踏まえても、八王の乱の原因は司馬炎・衷の父子だけに責任を還元できる
ものではないと思う。
● 階層の固定化に反発する、寒門階層の際限なき上昇志向
● 軍縮により発生した、軍屯・民屯の労働力(軍事力)のはけ口
● 三国時代の英雄たちにあこがれた馬鹿どもの大量発生
● 異民族は中原の漢族たちに支持されない(=晋の政権は磐石)という思い込み
異民族が中原に根を下ろせたのは、石勒が名君だったからってのもあると思う。
異民族による安定政権(後趙)が成立しなかったら、後漢の末期の羌族の侵攻
のように、匈奴や羯が中原から撃退されていた可能性は十分にあっただろう。
まあ、司馬炎は昏君ではないわな。
名君でもないけど。
久しぶりに議論百出で盛り上がっているね。面白いです
中国史上最悪の昏君ってなかなか決められないよね
逆に日本史上最悪の昏君なら簡単だけど。裕仁に決まってる
また荒れることを…
荒れていないじゃん。
>>831 いや、異民族を内地に入れて漢化作戦ってのは元々後漢が敷いていた路線で
後漢末の時点で同盟国であった匈奴はかなり漢化している。献帝が董卓残党逃げるときに匈奴を頼ったり、逆に襲われたり
司隷の辺りでそれだけ集団として行動を起こせる程浸透している
だが鮮卑や烏丸あたりの北方に対して華北に勢力を張っていた袁紹は彼らとは距離を置く方向の政策を選んでいて
これを変えたのは確かに曹操でもある
光武帝の頃から既に匈奴の移住はあったよ
しかし曹操にしろ司馬炎にしろ警戒心が薄すぎるな
元々狄なんて呼ばれて蔑まれてきた連中が素直に従う訳無いのに
841 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/21(金) 04:42:52 ID:Exq4izt/0
晉惠帝司馬衷
842 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/21(金) 17:01:26 ID:PRuWkxKs0
南宋の理宗・度宗も北宋の徽宗と同レベルだな。
特に度宗はもう少し長生きしてれば確実に亡国の皇帝になっただろうし。
南宋は相手が悪かったとしか
国を荒らすだけ荒らしておいて
自分はベッドの上で死んで(畳の上でって書けねーしなあ)
後の世代にツケ払わせる奴は最低だと思う。
霊帝とか
司馬炎は売官の利益をポケットに入れてるから霊帝以下だと
臣下に言われてたな
846 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/22(土) 01:54:40 ID:vCWVOmwZ0
霊帝より桓帝の方が酷いだろ
むしろ霊帝はよくやってる方じゃねーの
霊帝は漢朝屈指の昏君
848 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/22(土) 09:58:21 ID:RHD4VDux0
霊帝はまがりなりにも漢朝を立て直そうとしてるだけマシ
最悪なのは万暦帝とか司馬衷
霊帝はあんまり悪くない
悪いのは10ニューハーフ
晋恵帝は後漢末期から司馬炎のまでの莫大なツケを、もろに払わされる結果になっただけ
と言うか払いきれずに破産したけど
>>844 その尻拭いを押し付けられた奴が意外と名君の気質持ってたりして、
でも負債がデカ過ぎて間に合わなかったりするんだよな。
>>850 嫁がアレだったのも災いしたな。
てか昏君の嫁ってひどいのも多いな。
>>844 それでも昏君扱いされてる霊帝はまだいい。漢武帝みたいに無茶苦茶したクセになぜか名君扱いされる方がタチ悪い。
>>852 奸臣は皇后を通して、皇帝を揺さぶったりするから
皇后が愚かだと、皇帝もそれに準じることがある。
>>852 皇后は、性格が残虐で謀略家の気質を兼ね揃えていたが
政治については、有能な人物を登用して西晋で最も安定した治世を
築いたことは、意外と知られていないんだよな。
八王の乱が本格的にヒートアップしてからのグダグダ感のせいで
西晋自体がダメ帝国扱いされているのは、ちょっとかわいそうだな。
黄巾の乱〜漢王朝滅亡36年
三国時代45年
西晋51年、八王の乱、永嘉の乱
東晋103年、桓玄の乱、晋宋革命
黄巣の乱〜唐王朝滅亡32年
五代十国53年
北宋67年、方臘の乱、靖康の変
南宋152年、顎州の役、崖山の戦い
上は古代から中世へと
下は中世から近世へと。
周王朝11代の宣王も、立派な昏君だな。
武力偏重主義で諸蛮族に兵を出して国力をすり減らしたり、
魯の公位継承に介入して更なる混乱を招いて諸侯からの顰蹙を買ったり、
果ては周王朝の権威回復に尽力した杜伯を、讒言を受けて殺したりと碌なもんじゃない。
結局はその死んだ筈の杜伯に射殺されると言う、因果応報な最期を遂げたけど。
859 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/23(日) 18:50:12 ID:ProA0YBj0
>>855 ある意味唐高宗にとっての武則天みたいなものだな。
高宗は優柔不断なだけで暗君とまでは言えないが。
860 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/23(日) 19:02:26 ID:N7siMkQB0
漢 呂雉
漢 ケ綏
晋 賈南風
隋 独孤伽羅
唐 武照
宋
明
清 西太后
861 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/23(日) 19:21:16 ID:N7siMkQB0
独孤伽羅
: l: : : : | :/|: : : :/ \ヽ 丶、: : : : : : : : : : .\: : :|: : : :|
: l: : : : |/ :|: : :/ \、 ` ー- : : : : : . \|: : : :|
:│: : : :′:l: : 厂ヽ ̄ ̄ ̄ ̄`ヽ _/ 厂 ̄ ̄ |: : : :|
:人 : : : : . ヽ人 ノ / ヽノ / : : : |
′ '; : : : : : . ヽ> 、__ / ` ー <l : : : /|
'; : : : : : : . ヽ | : : //|
、 '; : : : : : : : . ヽ ・ ・ |_///l
.:\ '; : . \: : : : : .\ _ ///
: : . >丶: : : .\/ ̄` |ヘ `丶、 /l//
: : : : :厂 : : : : .', ` ー - ′ , |/
: : : : :| ヽ: : : : ',、 /
: : : : :| \: : ',> _ _, イ
862 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/23(日) 19:23:11 ID:N7siMkQB0
賈南風
,. - ── - 、
r'つ)∠─── ヽ
〆⌒  ̄ ̄ ̄ \__r 、 \
,.イ ,イ \ヽ,\rv-,
ヾイ /{ { ヽ、ト、 \Y <ノノ\
{ .ト{\ヽ', メ __\ } ⌒ヽ }へ
ゝ |"ひ) \ イびゞ \ ヽ- 、ノ // >=
ノ ト、"´,. ー ノ ///\/ / \
/. { ゝ / レ// } Y´ \
{ ヽ ヽ⌒> / レ´TTア⌒>、_ \
V{ \ └ ´ / ,.イ/ /ll | /≦__ }
V{ >ー┬|/ ! ,.イノ || | /  ̄ ̄ ̄ /
リヽイ| /:| l _|' '´ || | | _/
/{{ | |===| || | __/
863 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/23(日) 19:26:42 ID:N7siMkQB0
武照
ト--‐=''"::::::::::::::::/ヘ ト----:::::::::lヽ:::::::::::__ヽ、
\::::::::::::::::::::::/:::::::::\::::::::::::::';\:::l;;;;;;';::トゝ;;;;;;;;;;;;;;`ニ=-
, -‐::/二ニニ/:::::::i、::::ヽ::::::::::::';;;\!;;;;;;;';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\
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//レ /::::::::::::::::i:::::i ヽヽ、. ,,イ ,.';::::::::::';;;;;;;;;;;;;;;;;'.;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;、;;ヽ
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才:::::/:::::::::l ';::l /:::/ マ..ジィ´ ';::::::::::ヽ;;;;;;;;;;;;;;':, ヽ 〉;;;;;;;',
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864 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/23(日) 19:28:30 ID:N7siMkQB0
呂雉
_,,-‐‐-< ̄¨''‐-,,_
,r'´ ヽ、
/ ヽ
! / ,r' ヽ
l ! / // ./ / 、!
! l !./ i i ! i i !
l ,' ! __! ! il ! il ,! i ! !
! ,' f¨! l‐,-_V ト ! ! __/!_li !レ
l ,' !`! !ー-' ヽV ! _,/_,レ' レ′
! ; ヽl ! 'i_//7
l ; ! ! 、____ ゝ,,;'/'!
! ; l ! ´ ,,;/ !
l ; rl !_`ーi''_´ ! !
! ; l::i!i :::l¨'i¨'i:l,,_ !____l_
!_,,,,,ri'’:ll l !l:::::l::::l::、ヾ:ヽ:::;;;_¨''ヽ、
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!:::!:::::::!`:、:::!::;'::::!:::::::`:、':::;::iニニニ´--'--l__::::::::::i::::::ヽ::ヽ
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!:::ヽ:::::::!::::::::::!:::::!::::::::::::::ヽ:::::ヽ::::::::::ヽ:::::i:::l::l::'::;::i::::::::!::l
l;:::::ヽ:::::ヽ::::::::!:::::!::::::::::::::::l:::::::;:!:::::::::::i::::::l:::!::!:;::::'::!;:::::!::l
l:::::::ヽ::::ヽ:::::::!::::ヽ::::::::::::::l::::::;::l:::::::::/::::://::::l:::':;::::!:':::l:::!
`、:::'::!:::::ヽ:::::!::::::ヽ:;':::::::::!:::;'::::!::::::::!:::::!::!:::::::!:::::'::l:::::::!::l
865 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/23(日) 19:35:25 ID:N7siMkQB0
葉赫那拉玉藍
/ / ,、 |、|"゙`、 `、
l / / | .|.l| l .::::::::::l
| | l /_,. | .| |ト、 | , .:::::::::|
| | l/l/'´ // / `メノl /l .:::::::|
、ヽ ,ィチ斤、′ iミュ' !.:::l:::|
| \ {b::::::リ P::::::リ / .:::|:::ト、
ト、 `ド-‐' , `‐-'/l.:: |:::| ヽ
|::| ヘ /:::|.::. |::::| `、
|:::| ::::「` 、 ´` イ `|.:::. |:::::| \
|;:イ ::::| l ` ー ' ´ ! |.:: ト、:::|
/';:::| :::|. |‐- 、 , -‐/ !.::. |:::ヽ、
/::::::::';::| :::| ヽ / |.:: |:::::;'::::::ヽ
l::::::::::::';:| :::| __\/__ |.:::. |::::;'::::::::::::l
866 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/23(日) 19:39:13 ID:N7siMkQB0
ケ綏
__,. -─-- 、_
, - ' _,´ --──‐- )
,イ´__-___,. -‐ '__,. - '´
`ー----, - ' ´ ̄ `` 、__
__,ィ ヽ. `ヽ.
, '⌒Y / 、ヽ ヽ ヽ.
/ / i /l/|_ハ li l i li ハ
. // 〃 /l i|j_,.//‐'/ lTト l、l j N i |
{イ l / l li //___ リ_lノ lル' lハ. ソ
i| /レ/l l l v'´ ̄ , ´ ̄`イ !| ll,ハ
ハ| ll∧ハヽ ト、 '''' r==┐ '''' /l jハ| ll ll
〃 ‖ レ'¨´ヽiへ. _ 、__,ノ ,.イ/|/ ノ ll l|
ll ll { ⌒ヽ_/ } ー‐<.__ ′ l| ‖
‖ ‖ ヽ, /、 〈 |:::::::| `ヽ ‖
‖ {. ハ ヽ Y`‐┴、::::v l ‖
‖ |iヽ{ ヽ_ゾノ‐一’::::ヽ. | ‖
‖ |i:::::`¨´-- :::......:...:.:.::.}| ‖
‖ |i::::::ヽ._:::_:::::::::::::::::::_ノ | ‖
‖ |i::::::::::::i___:::::::::::/ |
jj::::::::r┴-- `ー‐ '⌒ |
〃:::::::マ二 _,ノ
//::::::::::::i ー 一 '´ ̄::.
,','::::::::::::::i::::::::::::::::::::::i::::::ヽ
呂后は、朝廷は荒らしたけど天下にまでは悪影響は及ぼさなかった、っていう評価もあるけどな。
堯舜
こいつ等が禅譲という前例を作ったせいで兵卒や農民、果ては盗賊や夷狄ですらも帝になれるという事になってしまい、
皇帝の座を巡り不毛な争いが起き、多くの血が流れる事になってしまった。
また古代需教では神聖化され、中華の発展を大いに妨げる結果となった。
実際には宋代まで発展の一途なんだがな。
で、宋代以後は禅譲形式は影を潜めた。
殷の湯王、周の武王
こいつ等が放伐という前例を作ったせいで(ry
大人はだれも笑いながら、荘子の読みすぎというけど
873 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/24(月) 00:06:35 ID:SkW6W1oP0
>>865 ちょっと待て、奴の写真が実際あるから、AAと見比べてみろよww
AAは実物を3万パーセントくらい美化してるぞwww
>>87 その写真そうとうばあさんになってからのものだからな
10代ぐらいの頃の画像は残ってない
溥儀の側室だった文繍は12歳当時の写真があるが
溥儀が「顔が面白いから選んだ」と言うだけあって…
>860
中華人民共和国 江青
877 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/29(土) 00:07:46 ID:3XI0mdcT0
明 崇禎帝
878 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/29(土) 00:50:32 ID:9N3yf2t+0
崇祯不算差吧
>>875 wikiに若い頃の画像があった
年代は不明
万歴帝
881 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 09:40:56 ID:ieuijJ6w0
北周 宣帝
882 :
nanasi:2009/09/02(水) 10:41:12 ID:m37MEM/l0
元寇のとき朝鮮人に対馬をのっとられ、民間人が
虐殺されたのをご存知でしょうか?
さらに女子供も連れ去られ、高麗の王に献上された。
その対馬が今朝鮮人たちに「対馬は朝鮮のものだ」とか
言われてるんですが、どなたかご意見ください。
とりあえず、公式の声明文書のソースを提示してください。
でなければ、検討のしようがない。
884 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/02(水) 17:15:00 ID:lrF34XYU0
唐懿宗
885 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/06(日) 11:46:15 ID:Ns3XK1PUO
>>882 朝鮮が一時対馬を侵略しただけで
それ以外は対馬は後にも先にも日本の統治下にあったのだから
論ずるまでもなく日本固有の領土
スレ違いも甚だしい
琉球や蝦夷も独立させてやれよな
888 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/06(日) 20:10:52 ID:GMzoeQVL0
高洋
889 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/08(火) 23:02:26 ID:nQDebe0m0
俺
890 :
明:2009/09/08(火) 23:09:55 ID:st7/Sfli0
デミング
891 :
魏ジン:2009/09/08(火) 23:28:38 ID:st7/Sfli0
魏ジン
892 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/09(水) 23:05:06 ID:ysLT6Bz40
劉徹
漢武帝は名君
武帝は暗君。文帝、景帝の遺産を食い潰しただけ。
いや、ああいうのは暴君っていうんだよ。
遺産を食い潰したが、北の脅威を取り払った。
しかし遺産を食い潰しただけあって、国内が傾く。
さて、敵国に膝を屈し、毎年の莫大な貢物をするのと
戦って勝利したが、国内が荒れるのと、どちらがより名君に近いか?
武帝がいなかったら匈奴に領土を大量に侵食されてたかもしれないよ
漢武帝は中国で古代からずっと名君認定を受けている
違うというのは日本人だけだ
>>897 そうでもないよ
ただ、前漢の武帝以降100年ほどは匈奴や西域を圧倒してた時代
武帝が匈奴を徹底的に叩かなかったらそうはいかなかっただろうね
>>897 東晋、南宋時代なら、そういう評価を受けて国内の宣伝にされるだろうけど
「涜武」として、中国では昔から漢孝武帝を批判していたよ。
武帝は人事でも財政でもマイナスがでか過ぎるが、
衛青、霍去病をフルに使ったのは偉大な仕事だよな
というか、その二人がいたから成功したようなものでは
例えば司馬光は資治通鑑で「武帝が外征や何やらで国を疲弊させたのは始皇帝と変わらん、
しかし武帝が直言を容れ、賞罰を明らかにし、誤りを改めたおかげで漢は秦と違ってなお栄えた」といってる
司馬光と同時代人の何去非は「武帝の大規模な外征はどうしても必要だからやったこと、
始皇帝になぞらえて批判すること自体ありえない」といってる
武帝は北宋一代だけでも毀誉褒貶なかばした訳で、外征が批判の対象でしかなかったということはないよ
文景の治は地方の豪族が小農民を兼併するのを抑えない方策
それにより兼併が社会問題、財政問題になりつつあるのを押し留めようとしたのが酷吏の登用
武帝のドラマ「漢武大帝」 レンタル始まった
最初の10話ぐらいは武帝はまだ3歳ぐらいガキなんで父親の景帝と母の王美人が主役っぽい
対匈奴の戦いとかもじっくりやるらしい
今の中国や台湾、香港の中国史の教科書では漢武帝は完全に名君扱いだよ
昏君としての側面は、司馬遷に対するひどい仕打ちくらいしか記述していない
ルイ14世も、何だかんだいって「太陽王」だしな
昏君・暴君って評価はされていない(浪費家・国を傾けたという謗りは合っても)
中国史的に考えると、このとき武帝が匈奴を凌駕してしまったがゆえに
北方の遊牧民族に対しての(過度の)優越意識が、中華民族に植え付けられて
しまったと言えなくもない
こうして他民族に対する研究や分析、軍事制度の検討といった問題が、おざなりに
されたまま辛亥革命まで中国の国家観は停滞したままになったと言えなくもないな
中国の教科書って日本の戦前の教科書と似たようなもんだろ
黄帝が「私たちの先祖」とか書かれてるようだし
908 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/12(土) 21:22:31 ID:nsSQ8egp0
武帝は江充に惑わされて戻太子を殺してしまったのが痛すぎる
>>907 中国だけじゃなく台湾も香港もマカオも同じだったよ。黄帝はもちろん先祖として書かれてる
実際向こうに留学してあちこち旅行していたときに検証済み。
漢民族はまだしも、清の中枢にも黄帝の末裔を名乗る奴が居るしな
この辺はちょっと日本人には理解しがたい
名前こそまだ付けられなかったが、古くから「中華民族」たる意識・概念が存在しているということだ
日本で皇室のご落胤とか吹聴すると基地外扱いされるもんな
>>912 でも〜天皇をその祖とする、ってのは多いでしょ日本も。
天皇だけじゃなくて
なんちゃらのミコトが始祖っていう家系もあるからなあ
ローマにも狼に育てられた双子が始祖て伝説もあるし
別に中国に限った事じゃないよね
日本で神武天皇の末裔を名乗る
「…んな訳ねーだろ。そもそも実在すら怪しい人物じゃねーか。
証拠とかあるの?家系図とか。…ない?なんだ、ただの基地外か。」
中国で黄帝の末裔を名乗る
「あ、俺も俺も。」
>>908 しかも、後で無実だとわかったら捕まえようとして自殺に追い込んだ
奴らを罪に問うという訳の分からなさ
おまえが逮捕しろと命令したんちゃうんかと
大知識人・劉安を謀殺したのもいただけないよな>武帝
>>917 劉安は何度も反乱を計画していたので、
自害に追い込まれたのは自業自得。
だな
劉安はともかく戻太子の件は擁護できない
しかも跡継ぎに選んだ末っ子は武帝の種かどうか怪しい
最終的に戻太子の血統に戻るとはいえ
>>901 その二人を最大限上手く使えた事こそ、
武帝が将に将たる優れた人物だった事の証明じゃないか
>914
全人類発祥の地はアフリカ大陸じゃなくてわが国などと吠えるどっかの半島に比べればマシ
>>921 それを言ったら宣帝も戻太子の孫なのかも怪しいな
適当な孤児を連れてきただけかもしれない
漢武アンチざまあwwwwwwwwwwwwwww
>>924 昭帝については兄がじきじきに血統に異議を唱えてるからな
宣帝とはちょっと訳が違う
漢武は好きじゃないけど凄い
昏君、暴君だけど面白おかしく生きてていいなあ
漢武は漢代屈指の名君
中華圏では常識
こう言っちゃアレだが中華圏の常識って案外ずれてることも多い。
つうか、漢孝武のアンチなぞいたか? ここ最近に。
アンチってのは成果すらも否定してのけるんじゃないのかね
漢武帝を昏君・暴君呼ばわり=アンチ漢武帝
>>928 別に私は武帝批判論者じゃないが、中華の評価がすべてではあるまい
北宋の秦檜は売国奴扱いされて無茶苦茶やられてるが、実績は凄い
>>933 無茶苦茶なのは公人としての実績とは関係ない。
そのへんごっちゃにする人多いから、ややこしい。
秦檜の場合は、公人として冷徹にすぎるから
嫌なやつという印象が過剰に行き過ぎているきらいがある。
まぁ、実績と言っても皇帝のかわりに急進派を始末しただけだが。
935 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/17(木) 06:19:02 ID:8qOS1f1e0
>>936 通報したら確実に逮捕されるぞ。
俺はやらんが二度と言うな。
されねぇよw
939 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/18(金) 20:06:05 ID:P9U9VXyW0
武帝は暴君ではあるが昏君とまではいえない。
晩年の所業はどうしようもないが、玄宗に比べればまだマシ。
刑法第222条(脅迫)
@生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者は、2年以下の懲役又は30万円以下の罰金に処する。
A親族の生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者も、前項と同様とする。
税金と法律を甘く見てると酷い目に遭う
>>940 まぁ落ち着け。
世間知らずの昏君ぶりを、実際にしてみせたと思えばいい。
武帝ならチンチンをちょん切るだけで済ませてくれるかもよ
>>940 問題にしてるのはここ
>確実に逮捕されるぞ
なんならためしに>936を通報してみろよw
おまえの言い分では確実に>936は捕まるんだろw
おかしなテンションでしゃしゃり出てくるキモい人乙
問題にしている箇所がいびつだな。
本来は、軽々しくも「ぶっ殺す」などと発言している
そのお子様思考をこそ問題視しないといけないんじゃないのか?
通報、そして逮捕されなければ、なにを言っても良いと
言論の自由をはきちがえているのではないか。
馬鹿は放って置いてスレタイ通りの話題に戻ろう。
+長期的な在位、四方に領土を広げた
−財政不安、後継者人事による内乱
>>946 四方に領土を広げたあとは、たいてい財政不安を生じ
それを要因のひとつとした内乱というのが発生するのだが。
で、長期在位をなし、領土を拡げた先代のツケを
何代にもわたって、後継者たちが払わされることに……
漢だけでなく、唐も似たようになっとるね。
戻太子の乱は後継者人事によるものとは違う気がするが
少なくとも皇太子を替えようという積極的な意図は無かった
あと武帝死後にこそ前漢が対外的に圧倒的な強さを誇り匈奴さえも降伏するんだから、後継者は武帝のツケよりも成果を受けた割合の方が大きいんじゃないか
人口にしても前漢末に最盛期となったようだし
江充の讒言はかなり効いた
漢武帝なんて賛否両論ありまくりの中途半端皇帝なんだから
このスレで挙げられるような人物じゃないよ
高緯や劉禅みたいなどうしようもない最低皇帝について語るべき
すごい言種だなw
またしかに、このスレで激論交わすような「最悪」ではないわな
劉禅なんか民衆虐殺してないし
酷い重税もしてないし
ムダに豪華な宮殿を造ったなんて話も無いじゃないか。
どこが最低なのかと
劉禅は国の畳み方も悪くなかったし、中の上皇帝。
>>953 亡国にした時点で中の上はないよ
中の下か下の上くらいなら分かるけど
後世の評価は下の下の下の底辺、ここで挙げられてる連中と比べても遜色ないけどな
無能な奴の代名詞の語源になるくらいだし
ただ亡国の君主は粉飾されまくるからあまり信用出来ないけど
しかも蜀には史官がいなかったらしいから晋のやりたい放題かも知れんし
とはいっても、その王朝に属してて哀惜の念を出しまくってる陳寿が書いてるんだから
それほど間違ってはいないだろうと思う。
能力で回避出来る状況なら無能といってもいいだろうが、
あの状況で能力あったら回避出来るか?とは思わんでも無い。
前線では半ば軍閥化したアホが暴走してるし。
おまけにそれまで諸葛亮が好き勝手やって来たせいでそれを許す土壌が先にあるわけだ。
先代の遺言もあって諸葛亮には強く出れなかったし、出ることで戦況をどうにか出来たわけでもない。
むしろ悪化した可能性の方が高いだろう。
どんなに有能でもジリ貧が良いところじゃないか?
史上有数クラスに有能ならある程度は持ち直すかも知れんが、そうでなければ無能というのは納得しがたいな。
___ モシャモシャ
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/ (●) (●) \ なに言ってんだろ こいつら
| 、" ゙)(__人__)" .)| ___________
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 ̄ \__、("二) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l二二l二二 _|_|__|_
その状況になるまでに、ってのが主導者としての力量なんだが。
まぁ、四川という地の軍閥をみると、二代が限度なのかなぁとか思う。
歴代四川政権の中では、続いた方だよ、劉禅は。
繁栄が続く大帝国を無能 無軌道なゆえに滅ぼした。
この条件では意外といない
煬帝は有能だしなあ
諸葛亮とかその後継者を殺してればガチ昏君だけどな。
部下の足を引っ張らないと言う点では程度良い方だと思う。
まあ逆に悪い部下でも処断せずに野放しにしそうだけど。
>>961 そこいくと、やはり唐玄宗じゃないかな。
前半は名君だが、その自分の功績を自分の無責任さで
ぶっ壊したのだから。
さらに言えば、その混乱は北宋成立まで長引いているという……
大帝国はさすがに一代だけで完全崩壊することはないようだね。
>>961 やはり万暦帝だろう。暗君続きでも安定して保たれてきた明が
万暦帝の代で持ち直しようがないほどガタガタになったわけだからな。
>暗君続きでも安定して保たれてきた明が
先代からのツケはあった
名君扱いだけれど後世にツケを残した皇帝は沢山いるなあ
武帝(三名漢 晋 梁)とか唐太宗とか
宦官による腐敗政治の遠因を作った光武帝
武を軽視し、北宋滅亡の遠因を作った宋太祖
>名君扱いだけれど後世にツケを残した皇帝
この逆っている?
>>武を軽視し、北宋滅亡の遠因を作った宋太祖
は?
>>967 >昏君扱いだけれど後世に遺産を残した皇帝
始皇帝、煬帝とかかな。
もちろん再評価されてて今は名君扱いだけど
再評価はされてるだろうけど
名君扱いはねーよ
>>宦官による腐敗政治の遠因を作った光武帝
why?
もうここまでくると、何もかも黄帝が悪いんじゃねえか
>>972 宇宙の存在が悪とかまで発展しそうだね。
>>969 煬帝はたしかに後世に比類ない遺産を残したが、昏君ではなく
暴君だよな。
昏君ってのは、なにも為さない、節穴、灰色、無気力って感じの
意味が強いと思うな。
だから遺産を残しようがない…… と思ったけど、南唐中主・後主の
宮詞の遺産とかどうかね。
中主はともかく、後主は結構な昏君だと思うよ。
もっとも、国がそうとう傾いてからの嗣位だから、彼の資質とは
別のところにその要因があると思うけど。
光武帝は宦官重用してないよな
集権制を強めた結果、側近政治の土壌が出来たのは事実。
あと、死刑を一律宮刑としたせいで、チンコの無い人が増えた。
でも、側近政治となった理由の大部分は皇帝の早逝による幼帝の即位。
と、確か三田村氏の『宦官』には書いてたはず。
でもそれを光武の責任というのは「近代民主制が生まれたせいでナチスが誕生した」とか言うのと同じような。
だから学者である三田村氏も皇帝の早逝という不可抗力をもっとも大きな理由としているわけで。
あと、北宋って軍事費の国家予算に占める割合、それまでの政権より上がってなかったっけ。
そもそも「北宋の武の軽視」という前提がおかしいと言う話を以前よく聞いたような。
劉秀も趙匡胤も最悪とは程遠い皇帝。
創業者で酷い皇帝なら息子達の争いを止めれなかった李淵とかかな。
>>976 下手に止めてボンクラが跡継いでたら最悪組の仲間入りだったかもな>李淵
まあ結果オーライでいいんじゃね?
このスレもいよいよ完走か。明以外の暗君を探すのにも疲れたぜ…
始皇帝はガチで名君
>>977 建成もそんなに悪いとは思えないけどね
付け入る隙が無くてムリにクーデターごり押ししたから太宗の汚点になってる訳で
長男次男が共倒れして脳筋の三男が皇帝になったらヤバかったろうがw
>>980 だから、下手に止めると三男が即位する可能性が。
モンゴル系のように、末子が後継者指名されてしまうとか
まあでもアレはむしろ止める方にも謀略に関わる能力に長けている必要がありそうだが。
>>981 次男の方からふっかけて得に落ち度のない長男と喧嘩両成敗って判定なら、
馬鹿な三男を後継者に選んだから最悪ではなく、もう意味不明の判定したって事で最悪になると思うぜ
長男&次男の持ってる人材が反乱起こしたら目も当てられんし
984 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/25(金) 09:28:01 ID:Cwgdv2nr0
>>983 分裂抗争なお続くw
ま、それよりはマシな結果だったと。
なんというか、次男坊に手柄取らせすぎだったのだろうか。
よく、皇太子は、帝王教育しないといけないし、万が一があってもならないし
北辺に睨みを利かせる必要があったりとか、いろいろ言われるけど
北魏から続く、この拓跋系は、あまりそういう儒教的矜持は薄いのと
違うだろうか。
李氏ということで、老子の末裔を名乗ってはいるけど、それは置くとしても
やはり、武勲至上主義って感じですよね。
関係ないかもだけど、粛宗も玄宗無視して即位したりとか……
986 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/25(金) 14:26:38 ID:oOxc+OoSO
まぬけな周の幽王
987 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/25(金) 14:59:40 ID:hWBbET290
劉禅
988 :
givefor:2009/09/25(金) 15:00:12 ID:hWBbET290
劉禅
989 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/25(金) 15:14:03 ID:Cwgdv2nr0
3年越しの完走か
感慨深いものがあるなあ
990 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/25(金) 16:22:12 ID:BvmZBzCd0
>>980 >長男次男が共倒れ
李世民の時の李承乾と李泰の抗争がそのパターンだな。
李治を後継者にしたせいで武則天の簒奪を招いてしまった。
まあ、李承乾と李泰も出来はいいとは言いがたいが。
李泰は結構出来るんじゃないのかな
まあ他二人がいまいちすぎなんだが
980超えてから24時間レスないと落ちるんだっけ?
私がいる限り落ちねえよ。
994 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/26(土) 12:27:44 ID:EV7N0EHg0
994なら景気回復
995 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/26(土) 12:28:52 ID:EV7N0EHg0
995なら景気回復
996 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/26(土) 12:30:12 ID:EV7N0EHg0
996なら景気回復
997 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/26(土) 12:31:36 ID:EV7N0EHg0
997なら景気回復
998 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/26(土) 12:34:37 ID:EV7N0EHg0
998なら景気回復
999 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/26(土) 12:37:54 ID:EV7N0EHg0
999ならば景気回復
1000 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/26(土) 12:39:51 ID:EV7N0EHg0
1000なら景気回復
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。