【中山】楽毅 【燕】

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1名無しさん@お腹いっぱい。
楽毅について語りましょう。
2奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/11/26(日) 01:05:14 ID:TRtUvO3j0
とりあえず田単を呪ってみましょう。
3名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 02:10:57 ID:Ns4HZytS0
何故だね
田単のおかげで後世に残る手紙が生まれたのだ
亡命してからも生活には苦労しなかっただろうし、呪う必要がない
4名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 03:34:33 ID:voN57IJsO
結局、楽毅って中山人なの?趙人なの?
小説では中山人だったけど、史記では趙人みたいだし、よくわからないよ!
5名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 09:36:06 ID:cYDPAouF0
当時の世界に置いて国籍法なんてないから区分は難しいと思う。
趙で生まれたから趙人になると言うのは現在的感覚ですれば違うと思うし。
6名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 12:22:35 ID:/i/eXUl5O
一般的には諸葛亮が尊敬した人物の一人として有名だね
7名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 19:57:18 ID:JCgXVKV7O
そうだね。
ただ諸葛亮は、兵法よりも恵王に宛てた手紙の文面の方に、より尊敬の念
を置いていたのかも。
8名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 21:31:19 ID:ux17cUk40
>>6
いやいや、宮城谷の小説のタイトルにもなっている
ブックオフ行く人には、100円本の常連のタイトルとして有名
9名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 14:49:23 ID:xRShaxxAO
楽毅論って誰か読んだ人いる?
10名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 17:24:47 ID:dlX+ugJ40
先祖に魏の文候に仕え中山を征服した名将楽羊
親戚に趙に仕え廉頗とともに長平の戦いで敗れた後に攻めてきた燕軍を破った
楽乗など楽毅の一族は優秀な人が多いな
11名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 18:32:00 ID:/KEZbChs0
×:候
○:侯

ですので、いちおう。
12名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 18:44:02 ID:1h5z2pGu0
楽毅の子の楽間もそれなりに頭はいいみたいだな
燕王は2代続けて同じヘマw
13名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 21:27:23 ID:9lDE+jB3O
しかし平は、郭塊みたいな、いい臣に恵まれている。
斉の戦略も狡猾だったのでは?
14名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 22:04:42 ID:1h5z2pGu0
いい臣に恵まれてるけど
いい臣を上手く使ったよな、と思う>平
楽毅と同じ頃に燕に行った面々の濃ゆいこと濃ゆいこと
15名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 23:01:07 ID:xRShaxxAO
郭隗、楽毅、蘇代、スウエン、劇辛、秦開などこの時の燕は名臣ぞろいだな
16名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 23:27:09 ID:9lDE+jB3O
その通りですよ。
騎キョウしか人はいなかったのでしょうか?
17名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 22:19:10 ID:PRZ5XQwNO
中原の戦になれてなかったってのもあるかもね
18名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 03:14:21 ID:aI8p1hphO
確かに。しかし、彼を指名したのは恵王だとか。
個人的には田単よりも、先ずは恵王を呪いたい。
19名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 22:00:31 ID:LhRefOAH0
燕と斉、しかも城攻めで慣れ不慣れということもないような気がするが
やはり兵士の士気が最大の問題ではないのだろうか
田単はかなり粘っていたようだし、格が劣る騎キョウ(ごめんな、騎キョウファンの人)に指揮が変わって情勢がよくなるとは思えないからなぁ
20名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 22:30:44 ID:W9Gq0aSJ0
名臣揃いと言えば、恵文王の趙もそうだ。
あんがい君主運はいいというか、さすが見る目はあるというか。
21名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/04(月) 13:26:32 ID:dC0XunPP0
名臣
22名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/04(月) 19:38:09 ID:CXtHtkOb0
武霊王がやることなすこと派手すぎただけに、恵文王は見劣りして見えるけどな。
でも君主の質としては、天上天下唯我独尊で突っ走った武霊王よりも
良い臣下に恵まれ、上手く使いこなした恵文王の方が上。

楽毅は2度趙に仕えるんだよな。2回目はちょっと違うけど。
23名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 22:11:39 ID:rZrj24N/O
最初に燕に来たときは国賓の申し出を断ったらしいから、趙に戻った
時には家臣というよりも大事なお客様的という感じだったのかもね。
24名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 00:27:01 ID:wT6Gv2/zO
最近伸びていないようだね…。
やはり諸葛亮あっての楽穀なのだろうか…。
25奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/12/09(土) 00:27:36 ID:ALPBN0gS0
穀物かよ。
26名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 00:35:25 ID:wT6Gv2/zO
そういう突っ込みは要らない
だってマジで間違えたんだもんW
27名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 17:51:42 ID:67ZQ/iow0
ぷらっとの悪口でも書くか?
28名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 17:56:48 ID:E/30tr21O
楽毅といえば宮城谷氏の小説「楽毅」は名作だったな
ちょっとフィクション入れすぎな気もするけどww
あれを読んだら楽毅が中華最強の名将と錯覚してしまう
29名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 19:42:39 ID:d3fedFqV0
この時代では最高級の名将じゃないの
指揮能力は斉の完全制圧が出来なかったから多少劣るとしても、
外交能力は歴史上でもそうそう並ぶものはいないんじゃないのか
30名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 22:39:19 ID:ZYPAmlT50
>>29
ちょっと贔屓の引き倒しに感じる描写もあるよ

根回しと段取りが上手くいったから斉を滅亡寸前まで追い詰めたけど、
純粋に強い名将かと問われれば、白起や李牧よりは一段劣る
31名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 00:00:08 ID:E/30tr21O
戦国時代ベスト5には入ると思う
32名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 10:49:14 ID:mf4tQQpg0
>>30
いやいや、誰も純粋に強いなどとは言ってないし

5国連合軍を統率したその名声と手腕が素晴らしいと言っているのさ
もちろんこれには斉王の横暴な振る舞いがあるのも事実だがね
33名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 23:38:52 ID:v1qdtGQGO
あんま君主には恵まれなかった人だったのかも…。
34名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 19:07:42 ID:QUTjsURJ0
おいおい
燕の昭王なんて名君に拾われてそれはないだろw
35名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 23:00:42 ID:KViIa30iO
いや二代目がさ…。
なんか劉禅下における諸葛亮より恵まれていない気がしてね。
36名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 23:40:09 ID:3TnlxDLSO
楽毅は斉攻めと六ヶ国の連合くらいしか語ることないな…。
誰か話題をください。
37名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 14:14:36 ID:sgYFYsJG0
あとは「これ読んで泣かなきゃ忠臣じゃねえ」といわれる恵王宛の書簡か
38奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/12/16(土) 21:11:21 ID:ANOflRf20
六ヶ国の連合という書き込みを見て思いついた。

信陵君と比較してどちらが名将だろう。
39名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 23:27:07 ID:SEoxJ4KYO
失礼。五ヶ国連合と覚え違いをしていました。
しかし当時の斉と秦どちらが軍力があったのかにも拠るが楽毅がちょっと有利かな?
確か韓信と同じ上将軍として軍を指揮しその後追撃までして斉をあわやというところ
まで追い詰めていたと思う。対して信陵君は涵谷関も抜けなかったみたいたらね。
40名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 02:26:04 ID:buPtjSGZ0
涵谷関を抜けなかったんじゃなくて、落とさなかっただけじゃないっけ?

楽毅のほうも連合として斉を追い詰めたわけじゃないんだから。
元の斉の領土に入っても攻め続けたのは燕一国でしょ?
斉の横暴をとめるという連合国としての大義名分が斉の領土に入った時点でなくなったわけだし。

信陵君は魏を救うのが目的であって、秦を滅ぼすのが目的ではないので、
涵谷関を落とすための犠牲を覚悟してまで秦に攻め入る必要がなかっただけじゃないのかな?
連合として他の国がついてきてくれるのも涵谷関までだったろうし。
41名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 22:19:05 ID:6R8D7Ku70
蘇代って何した人なの?いまいちよくわからん。
斉のスパイ?
あと、郭隗って何した人なの?
いや、かいよりはじめよの故事しか知らないから。
42名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 21:45:08 ID:EOWs0irC0
>>41
「かいよりはじめよ」をした。
以上。
43名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 02:21:16 ID:qgIYbl1s0
それって役立たずってことじゃぁ…
44名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 08:18:55 ID:qgH0eDDg0
結果として優秀な人を集めた。
んで、彼らが活躍した。
45名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 12:52:03 ID:qgIYbl1s0
いや、かいよりはじめよっていうのは、
郭隗を優遇することによって、郭隗ごときが優遇されるなら俺ならもっといい待遇を受けれると思って
燕にくるってことでしょ。
ってことは、郭隗は当時の人にはそれほど評判が良くなかったってことだよね?
自分が読んだのは横山光輝の史記だけなので、実際史書ではどうかかれているか知りたい。
46名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 23:22:50 ID:qgH0eDDg0
だから、自分の評判を落としてでも
主君の人材集めに協力したんだろ。
47名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 00:46:03 ID:KfmfiTTE0
それは要するに、郭隗は優れた人物である程度知られていたところを、
自分でダメダメな人物だといううわさを流したということ?
そんでそんなダメダメな人物が優遇されるなら俺も俺もっ!!って人が集まる  ってこと?
48名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 00:59:01 ID:FSWYjzDb0
>>47
どうしてそういう解釈になるのか
>>46の言う事も変だけど、郭隗くらいの才能の人間は当時でも珍しくなく、
その郭隗ですら王から下にも置かない待遇をうけるのであれば、更に
有能であればそれ以上の待遇をうけるだろうと、才能ある人物が燕へ多く
集まるようにということが、「先ず隗より始めよ」ってことでしょ
べつに郭隗がわざわざ評判を落としたとか、そういったものではない
49名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 05:16:29 ID:QyI4gXyF0
孔子だったか誰かに、優れた後継者を推薦した者がいちばん偉いなんて話があったっけ。
楽毅の身を寄せたことが、郭隗のおかげかどうかは知らないが
50名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 11:58:07 ID:hLx+d79G0
管仲を推薦した鮑叔、子産を推薦した子皮か。

昭王の要請に応えてしっかり人材引き寄せて自分もちゃっかり良い身分貰ってるし
それだけでも相当の切れ者だと思うなあ、郭隗。
51名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 14:26:34 ID:Fpyc0T0t0
切れ者っていうか、したたか。
52名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 15:16:55 ID:NIoz9B1r0
そもそも「人材集めるのにどうしたらいい?」って相談受けてるし
信頼されてたんだろな、多分。

って楽毅じゃなくて郭隗のスレになってないか?w
53名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 21:36:01 ID:tTIsw+dN0
当時の燕の状況を知りたかった俺のせいでこんな横道にそれた話題に…
しかし、話す寝たがないからしょうがないです。

んで、楽毅はどうして燕に行ったの?
54名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 18:09:48 ID:ddIUOum2O
まさに戦国時代の代表的名将だな
55名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/18(日) 02:10:56 ID:WoZtQ6gR0
やっぱり昭王がすごいよな。
20数年間耐え続けるなんて普通できないぜ。

日本だって20数年間国力の充実に努めれば
アメリカの大半を占領して、ワシントンを包囲できるかもなw
56名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/18(日) 20:44:16 ID:oeKESJZy0
>>55
米の20年の方が実りが大きい。
57名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/07(水) 16:14:39 ID:pmuyLG0K0
外交的能力の優秀さも名将の要素の一つである。
58名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 23:41:39 ID:xGzfb26L0
田斉って、楽毅の攻撃がなかったとして、
あのまま国力を伸張させ続けることはできたんだろうか?
59名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 12:02:19 ID:pYL4ZH8N0
ビン王が戦争ばっかやってるからそのうち5カ国連合軍とかすごい軍勢が迫ってくれば終わると思ふ
60名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/27(金) 06:13:28 ID:NaTJJYLoO
>>59
単純に、斉が西進しても、同様に東進してきた秦とガチでぶつかって潰されるから無問題。

楽毅は局地の戦闘では白起や韓信に劣るかもしれないけど、政治的なセンスや大局眼は勝ると思う。
白起・韓信のようなタイプはクラッシャーとしては優秀だけどいつまでたってもなんも平定できなさそう…
古代ローマで言うとこの軍団長レベルだと思う。
61名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/27(金) 06:45:19 ID:NaTJJYLoO
連投で追伸して申し訳ないが、楽毅最大の影響(功罪の判断は各人のお好きに)は、
唯一秦に対抗し得るポテンシャルのあった斉を叩く→燕の恵王から逃亡→斉、弱体化して復活
というコンボで秦1強を確立したことだと思う。
楽毅と恵王はある意味最強の連衡タッグ。特に恵王。こいつに秦は足向けて寝られないだろってくらい最強。
62名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/02(水) 13:53:21 ID:FYJwVyQr0
マークの中の人も楽毅に注目している様です
ttp://marc2.exblog.jp/5984348
63名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 09:20:38 ID:aLTo8uEb0
この時代の斉ってどうしてあそこまで国力を伸張させることができたんだろう。
秦や楚は、背後に広大な未開発地があるから分かるけど。
64名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 04:29:56 ID:ybrKRqc1O
斉の都臨シが当時の中国で最も人口が多い都市であったことを考えると領土は秦や楚に劣るが一番人口が多い国だったんじゃないだろうか
余談になるけど斉は遼東のほうにも海を越えた領土をもってたらしい
65名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/23(水) 20:26:25 ID:duo4UoE/0
>>63
孫臏がいたからじゃね?
66名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/24(木) 10:37:55 ID:/g2c3qCr0
>>63
秦の軍事的脅威に直接さらされなかった事と、秦に次ぐ脅威となりうる存在で
国土を接している楚が猫の目外交で弱体化した事、いざ戦争となれば韓・魏を
抱き込んで合従できる素地が魏の衰退以降にできあがっていた事、の三つが
大きいかと。
小説ほどの影響力はないにせよ靖郭君や孟嘗君による巧みな外交戦略が
功を奏してもいたはず。
67名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/24(木) 16:28:52 ID:BZ9GzhYB0
>>66
関係ないことだが、「靖郭君」を郭靖くんだと思ったおれは金迷。
68名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 17:31:45 ID:ejtgAXGmO
ビン王になって孟嘗君を追放してから斉は外交に陰りを見せ始める
しかも燕のスパイである蘇代の言うことをホイホイと聞いてしまうという馬鹿の上塗り
69名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 19:02:53 ID:tbVOZ6XX0
ビン王の失策は宋併合が原因かな?

確か宋滅亡で宋に隣接する諸国が大混乱を起こし
それが遠因で楽毅を上将軍とした五カ国連合が起きたとか起きないとか(うろ覚えで申し訳ない)

>>68
蘇代はしっかり縦横家やってるんだよなー
あの頃の合従家たちは、対斉・対秦を見込んだ合従論を説いていたんだよな

秦は函谷関以西に閉じ込めてたから大丈夫
あとは斉かって感じで、ビン王はある意味で袋叩きにあった可哀想な君主
もうちょっとうまく立ち回れなかったのかっていう批判はあるけどね
70名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 05:59:09 ID:bEgFSduDO
まあビン王は諫臣たちを殺し、自分に媚びる奴しか近づけないような典型的な暴君だから
いずれ破滅してたろうね
71名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 04:37:59 ID:v7uOCaY30
楽毅が書いた有名な手紙の内容を簡単でいいので教えてくれませんか?
ぐぐっても内容がでてこなかったので、、

あと、胡服騎射の胡服と、当時の中国の服装の違いがはっきりわかるイメージとか
文章もあればお願いします!
クレクレですみません
72名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/06(金) 19:43:30 ID:YpF3y/Qq0
楽毅の手紙は史記見れ
全文載ってる

胡服騎射はこんなんかね
ttp://www.gaopu.com/tousyu.html
73名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 21:53:44 ID:MCt9Trgb0
燕って北の辺境って感じが強かったのかな
74名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 22:06:41 ID:h8GLtJFX0
>>73
そうでもないと思う。
古来、中原区(おおよそ太行山脈西部、つまり晋陽から宛あたりの地域)と燕遼区(薊などを中心とする)
ほかには海岱区(山東半島を含む地域)なんていう文化領域があり、そこらを基軸に軍閥が割拠していたので、
中央ではないが(中央は当然中原区)、中央からみれば雄藩的な位置づけと言えるんじゃないかな。
四川や江南のほうがよっぽど辺境だったのじゃなかろうか?
75名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 23:33:19 ID:lOQ+kY8E0
  雁北区、燕遼区
甘青区、中原区、海岱区
巴蜀区、両湖区、江浙区

らしいな。
76名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 21:13:58 ID:wYwPer3T0
楽毅より名将と言える人って史記にいる?
個人的に無忌が同ランクのイメージ
77名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 18:35:41 ID:H5UPkedK0
単純な戦果なら白起がダントツだろうけどなあ
78名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 04:50:24 ID:r1Bhxi5Z0
いや単純な戦果なら冒頓単于だろう
史記という括りなら
79名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 02:24:13 ID:hUDPftvnO
王翦を忘れていないか。
80名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 06:02:01 ID:Xn1IIbWH0
宮城谷氏作品の中では楽毅が最高。
81名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 21:48:10 ID:4ehSWEsS0
単独戦術戦闘なら白起はすごそうだな。終った後の事はなんもやらんけど・・

王翦は人格的には評価できない〜みたいな事が史記かなんかに書いてた気が
するけどどの部分がそうなの? 保身が行き過ぎたこととかかな・・
でも彼が死ぬと子孫の名臣が世に出ないし保身くらいいいじゃん・・


82名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 09:59:58 ID:mQXFp1cK0
つーか王翦の立場だと先人達の末路色々知ってるんだし
保身に気使わなかったら馬鹿だろ。
83名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 21:31:22 ID:daNoa6gE0
まあお約束の判官贔屓というか
悲劇的な末路を好む心情がある訳で
それから見ると保身保身で身を長らえた王翦は
あまり頂けないということではないか。

宮城谷氏なら燕を去った後の楽毅の描写が好きだ。
秋風ぴゅーぴゅー吹きまくってる寂しい感じがタマラン。
84名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 16:35:42 ID:ezMB7GcN0
宮城谷氏作品の中では「沙中の回廊」(士会)が最高
85名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 20:07:01 ID:99HTTATyO
沙中はあんまり好きじゃなかったなあ
86名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 21:34:13 ID:4+bHFGI40
沙中は俺も好き
孟夏の太陽を先に読んだ人は沙中嫌いって人多いね
87名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 16:30:02 ID:z5tQdOpE0
沙中は士会だけじゃなく先軫や郤缺他一族など色々な人物を通して成長
していく過程がいい。俺が俺がみたいじゃなく逆に主人公っぽくない書き方をしてる
とこが余計楽しめる。
88名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 20:05:40 ID:jhBX0KPW0
司馬遷的には項羽最強説じゃあるまいか
89名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 20:43:58 ID:GDmMBonL0
最早楽毅のスレじゃなくなってることには誰もツッコまないのかw

沙中は趙盾の扱いが悪いからなあ
こういう作品・主人公によって扱いが違うのが宮城谷さんの面白いところではある

是非斉側からの視点で楽毅がめちゃくちゃ悪役な小説も書いてもらいたいが
もう中国史ものは書かないのかな・・・
90無名武将@お腹せっぷく:2007/10/13(土) 02:58:54 ID:c3y/g73o0
>89
いやいや、三国志書いてるじゃないか。もっと春秋戦国で書いてほしいけどね。

楽毅の裏側の話という点では、縦横家書をベースにした蘇秦の話を読んでみたいな。
91名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 12:28:54 ID:oQ8JpEFGO
局地的戦闘・大局観・占領行政・他国の将軍との折衝の総合力なら楽毅はかなり上位クラスだとオモ
92名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/21(月) 06:18:57 ID:RCguKa3ZO
趙盾は身内の様に引き立ててもらった韓蕨(草冠いらないっけ?)にとってはかけがえの無い恩人、
外から眺めていた士会にとっては独断専行のきらいがあり、表面的な礼にとらわれる面のある宰相。
恐らくどちらも正しいのでしょう。
君主の葬儀のときに礼のためと言い他家の田土を削ろうとしたにも関わらず、別の機会に自家の
田土や廟に手を付けられそうなときは自らの都合で礼をまげようとした子大叔に肖ていると思う。
子大叔の持っていなかった大国の宰相であるという驕りがあるの分、趙盾の方が劣悪とも言える。
また、上辺の礼にうるさく、献言を許容できないという点では士会の孫の士カイにも肖ている。
三者とも身内に甘く外に厳しいから身内とその他で評価は正反対になる。
大国の相としてはお薦めできない人格と言えるでしょう。
93名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 05:33:20 ID:7Wc7BH5gO
中国史で初めて大国を攻略し、
占領政策までやった将軍はもしかして楽毅が初めてなのか?
94名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 08:22:44 ID:7NcoXzGC0
伍子胥は失敗?
95名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 14:20:08 ID:7Wc7BH5gO
伍員は失敗したし、君主つきだったしね
96名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 14:46:55 ID:UdNKYHAc0
楽毅も厳密には失敗だと思うが…
97名無しんぼ@お腹いっぱい :2008/03/07(金) 16:03:06 ID:ixDtaE0d0
いや、楽毅はちゃんと成功してるぞ。
その成功を全部覆したのが恵王。
98名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 16:32:47 ID:UdNKYHAc0
あれは敵である田単の離間でもあるし、一応2城残ってたし、
それに恵王の所為だとしても中途で失敗したことには違いない
まあ理解のない上司に代わるのは伍子胥にしても楽毅にしても不幸だって事ですかね。
99名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 23:06:54 ID:SbSoIsBY0
>>89>>90
塚本史の「白起」を読もう
趙に行ったが活躍できず、心労で胃潰瘍になった哀れな楽毅がそこに…
100名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 22:40:48 ID:V6PQpBnV0
塚本史は文章が幼稚。多作にして駄作多し価値がない。
101名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 18:44:22 ID:sZGAiRgDO
なんという幼稚なレス…
102名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/05(土) 16:37:47 ID:GdUvfhhB0
>>99
光武帝でがっかりした後、こいつの本は読まないと誓った
103名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/06(日) 13:42:48 ID:DJhN/Dy10
歴史の知識があれば他の小説よんでみ。
104名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 14:16:06 ID:++jsb7sPO
宮城谷氏の楽毅は中山時代の方が面白かったな
燕時代も面白かったけどね
105名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 01:21:14 ID:DFHqQMVY0
塚本史wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
106名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 14:31:37 ID:RbpL/1pE0
塚本史は読みやすいんだが。
始皇帝のアイキャンフライには吹いたw
107名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 17:27:01 ID:OUCqBAIc0
>>106
あれは衝撃のラストシーンだったよなwwwwwww
108名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 10:07:45 ID:VUNia+vEO
この人項羽みたいな猛将だったのかな
109名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/28(日) 10:44:10 ID:IBYbsdbX0
中山国交相が辞任=麻生政権、出だしから苦境

このスレの住人なら“ちゅうざん”と読んでしまうよな?
110名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/28(日) 15:35:28 ID:UXqUOhn6O
ものすごくナチュラルにそう読んだ件
111名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/28(日) 17:42:56 ID:LK0u07UI0
ヤフニュースとかでは、「なかやま」と認識したが、今は「ちゅうざん」だったぜ。
やるな、>>109よ。
112名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/30(火) 10:44:10 ID:k27SVAbpO
>>109
読んだ。中山国の行人かなんかかと一瞬思った
113名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 21:07:31 ID:9GYcDbuQ0
>>109
「中山国」「交相」で区切って頭の中が?だらけになった
114名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/08(月) 16:59:12 ID:z8zzWDdjO
ほす
115名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/08(月) 17:07:38 ID:EkMo2VGP0
今ふたたび読み返しているぜ
116名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/09(火) 07:41:05 ID:HJtLMY1V0
このスレでこんなこと書いていいのかな〜っ話なんだけど。
宮城谷氏の楽毅の文庫版、「がっき」ってふりがなふってあるけどおかしい。
「がっき」じゃなくて「がくき」だよな。
それじゃあ白起が「はっき」なっちゃう。
117名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/09(火) 18:08:15 ID:lmamF3Dd0
「楽器」があるからな…
118名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/11(木) 13:22:47 ID:sUaXinkAO
いくら言いやすいにしても、「がっき」はやりすぎだろ

どうまかり間違っても楽という姓を「がっ」とは読まない
119名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/11(木) 17:22:23 ID:iTxR9EjJ0
姓はむろん「がく」氏だろうし、祖先の楽羊も「がくよう」だ。
しかし、楽毅は「がくき」と発音するより「がっき」のほうが自然となる。
これはカ行が連なるため、日本人の発音のしかたによるものと思われるが、どうだろうか。
日本では、「がっき」と発音・表記しても、問題ないと思うんだがな。
もっとも、こんな発音するのは世界広しといえど、日本だけだが。
120名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/11(木) 23:44:27 ID:sUaXinkAO
問題ねー事はねーだろ
話し言葉と書き言葉は別だ
121名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/12(金) 08:25:33 ID:tjGkjpqP0
国家、国旗、国語、国体
さぁ、どう読みどう表記する?
122名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/12(金) 09:58:21 ID:NMBAfRycO
人名は話がちげーだろ
アホか?
123名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/12(金) 12:27:53 ID:tjGkjpqP0
ならどうする?
正しいのはむろん「がくき」だが、それで?
出版社にでも文句つけたらいいだろうが。そっちこそアホだろ
こんな辺鄙なところでのたまってて何か変わるのか?
柔軟に解釈することもできんようなガキは寝てろ。
124名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/12(金) 17:06:36 ID:vS7aiT4R0
>>121
口語体では「がっき」になってもいいが正しい表記は「がくき」
希臘が「ギリシャ」と口語体で言っても文語体では「ギリシア」なのと一緒で
会話において音便化されてるだけ
音便化されたものを「正しい」と言い切る奴はただのアホ
125名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/12(金) 22:07:29 ID:aFppl4GVO
んじゃ楽進は、ガッシンなの?なんかやだ
126名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/12(金) 22:27:29 ID:NMBAfRycO
>>123
何が柔軟な発想だ
立田(たちた)って奴がいるとして、呼びやすいからという理由で「たった」とか表記されたらそりゃ怒るだろ
また、渋谷という地名を勝手に「しぶたに」と表記するのも問題だわな
こういう風に固有名詞というのは「柔軟な発想」とやらで勝手に読み方変えちゃいけねーんだよ
127名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/13(土) 09:07:30 ID:pFGWfOt4O
すごく…どうでもいい話です…。
128116:2008/12/14(日) 12:36:02 ID:VJYQte0J0
俺のレスから国語の議論になってる…。すみません。
そもそもふりがないらないんだよな。
「がっき」って書かれちゃうと、それを強要してるみたいだし。
新潮社がよけいなことをしたという。
ハードカバー版の、正字で大きく「樂毅」をそのまま持ってくればよかったのに。
129名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/14(日) 16:43:13 ID:84zYjHkWO
韓、魏、趙のことを晋(三晋)といったり、
魏を梁といったり、
韓を鄭といったりするくらいなのに、
楽毅の読みくらいどうでもいいじゃんか。
130名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/14(日) 23:43:14 ID:6wzzFrOO0
>>129
>韓を鄭といったりするくらいなのに、
それは知らんぞ。
131名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/14(日) 23:50:36 ID:84zYjHkWO
>>130
昔どこかで「首都を新鄭にしてから、鄭とも言われた」って見たんだけど、見間違いかなあ?
間違ってたらスマン。
132名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/18(木) 17:36:13 ID:LFp4R0gC0
韓が鄭を滅ぼしたから白起は韓も怨んでる
ってあったな、青雲はるかにだったか
133名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/19(日) 00:03:29 ID:c9BPqyrG0
>>131
そのような記述、見覚えありです
134名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/14(水) 22:17:17 ID:57/2UVqeO
白起と学毅と王センと孫武と韓信を同じ部屋に閉じこめたらどうなるの?
135それはウコンの力で・・・:2009/10/15(木) 10:56:43 ID:YzGQs9+D0
134 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/14(水) 22:17:17 ID:57/2UVqeO
白起と学毅と王センと孫武と韓信を同じ部屋に閉じこめたらどうなるの?

  ↑↑↑↑淳干コンのとりなしで皆仲良くなるでしょう↑↑↑↑
136名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/20(日) 04:39:03 ID:Rcc8Uqfy0
いきなりすみません。分かる方がいたら教えてください。

「へんしつようき」の単語の漢字がどうしても思い出せません。
偏質庸器 はちょっと違う気がしています。
言葉の意味は「資質に偏りがあって、凡庸で」みたいな感じで・・・
多分、楽毅の4巻の前半あたりに記載されていたと思います。困ってます。
137名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/20(日) 09:01:27 ID:Hn0PSoJfO
>>136
確認したところ、「偏失庸器」
偏失とは中正ではないということ
出典は四巻の「一家の春」
太子時代の燕の恵王の資質についてふれた場面だった
138名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/20(日) 19:11:09 ID:Rcc8Uqfy0
>>137さんへ!
136です。ありがとうございます!
とても助かりました。感謝です!
139名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/16(木) 19:49:42.06 ID:MwcxkhU5O
キングダムって漫画に楽毅出て来た
140あああ ◆DXDK8G7iuU :2011/10/04(火) 08:56:02.35 ID:ddAEi/SP0
かっこよすぎ
141名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/23(日) 22:01:42.85 ID:GrjxPLF/O
 みんな燕の昭王をどう思う? 個人的には斉制圧が失敗に終わると分かっていた、と妄想してる。
 燕という国の民度の低さを、誰よりも考え苦悩していたのではないかと。 ゲリラ(?)もやってたくらいだし。
142名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/23(日) 23:32:03.04 ID:28mlAsCc0
楽毅の知識が乏しい俺に教えてくれ
楽毅って一般的に中山の臣か燕の臣どっちなの?
時間的には中山の方が多いの?
あと丹冬とかって実在すり人間?
143名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/24(月) 18:03:38.80 ID:F11G2mO1O
 うーん、岩波文庫だけど楽毅列伝じゃ殆ど記されてない。 不親切なことに文章が「趙の武霊王の時に、また中山は滅ぼされた」の後に「楽氏の子孫に楽毅が出た」となってる。 この書き方だと滅亡後に生まれたみたいだよなあ。
 後のおおよその流れは小説通り。 孟嘗君のもの字も無いけどね。
 あと楽毅周辺の配下も楽間と楽乗以外全然出てきません。 燕世家でも見れば違うのかな?
144名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/30(日) 01:59:46.49 ID:oyK0ORme0
祖先の楽羊が中山を貰ったんだから、候か公だったんじゃないか。
145名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/30(日) 15:17:51.64 ID:7vBfUXbPO
>>144
 それはどうだろう。 王国を号したとはいえ、領土が狭い。 せいぜい「君」止まりでは。
146名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/30(日) 20:59:04.14 ID:5SA/679W0
>>144
いや、たしかに中山を討伐したのは樂羊だけど、与えられたのは首都だった一邑
中山全土を治めたのは魏の太子の撃(武侯)でしょ
でもって樂氏は中山の王族じゃないんで、公・侯号は関係ないと思うけど
147名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/31(月) 02:24:10.56 ID:Svjm6cYMO
宮城谷「楽毅」の楽毅配下で実際の人物は一族の楽乗のみ
楽毅とともに趙に亡命したらしく後に趙で武将として活躍してます
実力としては良将ぐらいのレベルかな
148名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/04(日) 23:08:13.51 ID:VaLtivU8O
名将であり戦略家、外交官、政治家としても優秀でオールマイティーな人だよね
完全に軍事だけの白起とはまた違った名将だな
149名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/06(火) 23:34:45.92 ID:5sxapK8P0
>>147
息子の楽間がいたような。
趙と燕、両方の戦に将軍として出てたりして随分変わった立場だなと思った事がある。
150名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/07(水) 01:34:39.41 ID:rbD6qzMDO
息子の楽間は将軍になったことが無いような
151名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/03(火) 19:08:40.11 ID:IjOZ1mIM0
子孫は栄えたのかな
152名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/03(金) 15:29:26.90 ID:uY301JH50
楽毅が趙と燕を行ったり来たりしている時期と、田単が趙の宰相になった時期ってかぶってる?
もしそうならこの両雄が酒でも酌み交わして、先の闘いについて語り合っていたなんて想像すると、なんか嬉しいな。
153名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/01(土) 11:11:07.82 ID:647EFxxO0
154楽毅:2013/08/16(金) NY:AN:NY.AN ID:2r9zKCbP0
まず、楽毅は中山国宰相(当時かは不明)の父の嫡男として生まれマスタそしてなんやかんやで(趙にはいってないらしい
魏の国にいきました。そこで孟嘗君(戦国の四君)の画策で斉を討つために燕に楽毅を正使、韓?を副使をして
155名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/21(月) 19:46:58.29 ID:GBP9mzViP
台湾海軍には火牛のシンボルマークをつけた軍艦「田単」があるが楽毅は無いな。
台湾でもやはり評価は田単>楽毅なんだろうか。ほかに岳飛や子儀の名も軍艦の名になってるが。
156名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/07(木) 09:23:53.23 ID:PZxT1A5D0
楽毅
157名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/29(金) 22:11:01.46 ID:S8FA31UT0
三国志演義での諸葛亮のおかげ 羅貫中のおかげか
158名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/29(金) 22:11:57.22 ID:S8FA31UT0
宮城谷さんのおかげ
159名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/03(金) 07:41:27.85 ID:YpaEKYUZ0
>>155
2城まで追い込まれて取り返したのを台湾に当てはめてるだけでしょ
あくまで台湾は中華民国だからな
160名無しさん@お腹いっぱい。
そういや小説「楽毅」では郭隗がいつの間にか影も形も無くなったが、どうしたんだろ。
あいつがいれば、楽毅追放も無かったかも と妄想してみる。