1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
孫家大集合
三戦でやれ
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 23:09:23 ID:mJ0BZJ5g0
ソンケンを語るスレなのか
孫家を語るスレなのか明確にしてくれ。
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 23:33:17 ID:FjYpMJc/O
何故に孫乾が入ってるのかと
呉の孫氏全般を語るスレってことでいいんだよね?
ここは。
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 00:00:24 ID:XKEALVkJ0
孫乾・・・
孫正義・・・
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 09:37:06 ID:h+XeEMeu0
孫ピン
孫武
孫山中(孫文)
孫定(水滸伝のちょい役)
孫(蒼天の拳に登場する情報屋)
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 11:15:17 ID:ov8fAme5O
孫中山だろ
孫家の女たち
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 23:46:17 ID:hVCkxMKuO
孫乾はなぁ〜孫乾はなぁ〜…………
孫乾って孫家なの?
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 08:32:33 ID:YrlQASzq0
孫仲
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 10:36:42 ID:s8Vp5G3fO
孫乾は旧斉の北海郡出身で孫武の末裔。
孫堅は江南の商人の孫鍾の子。
全くの赤の他人。よって孫乾は削除。
ソンソンソーン♪
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 17:59:02 ID:aFoe9IfI0
>>18 正史によると同郷の鄭玄を師事し、孔融と交流があったと聞く。
劉備に仕えたのも孔融と陶謙の推挙があったからこそだと聞く。
>>19 すまん、即レス感謝なんだがそれと孫乾が孫武の末裔ってことと関係が読めない
当時一流の名士だったってことかな?
>>20 こちらこそ言葉が足りなかった。
>当時一流の名士だったってことかな?
そういうことになる。
孫乾は鄭玄の下で学問を学んだから、多分家柄はいいはず。
孔融も孫乾を評価したと言うから・・・
>>21 サンクス
でも孫武の後裔が孫乾ていう確たる証拠があるわけじゃないんだね
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 22:16:16 ID:gBUjz7K60
むずかしいな・・・・
でもまあ、孫臏の例もあるし・・・
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 01:26:33 ID:LlaFp+0bO
スレ主に釈明の余地を……
すくなくとも孫正義泰蔵兄弟が孫氏の子孫ということよりは信じられる
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 09:45:29 ID:SjE/50sv0
なんだそれwww
孫堅は父親すら定かじゃないんだね
南宋の文献によると江南の商人の孫鍾・・・
呉書にも裴松之の註にも記述ないんでしょ>父の名
宋書か
信憑性はどうなんだろう?
「異苑」(南宋末頃の文献書)と「瓜売りの商人の孫鍾」をクグればいいかと・・・
つまり信憑性は?ってことでしょ?
そういわれると生憎、信憑性は保障できない。
孫鍾が孫堅の祖父説もあるし・・・
後、『異苑』以外に『幽明録』、『宋書』の符瑞志などで孫鍾の名があり、
また晋の裴啓が著作した『裴子語林』にもその名があるらしい。
繰り返すが信憑性は別として・・・
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 09:32:32 ID:xwLxbRj00
曹操の父は定かじゃないの?
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 21:54:12 ID:vgDQhBIa0
劉表の父は定かでは無いな
劉表って漢王室の一族ちゃうの?
>>37 うん。劉焉と近縁の親族。
つまり魯の恭王の劉余(景帝4子)の末裔。
ただ、不思議なことに劉表の父の名が定かではないね。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 09:37:07 ID:y3rdXNT40
劉備が漢王室系だというのは信憑性あるの?
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 11:55:09 ID:oMBYzaF/O
ガセだけど、そう名乗ることが重要だということ
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 09:35:11 ID:1ny6XECH0
漢の時代、皇族である劉姓を一般人が名乗るのは禁止されていたはず。
劉備が堂々と劉姓を名乗っていたのはなぜ?
逆に考えよう
一般人は名乗らないから、名乗る人間は本物なんだと
まあ、劉備は涿郡の土豪の御曹司だからね。
祖父は東郡范県の令まで昇り、親父も州郡の官吏だったし。
どちらも孝廉に推挙され郎中となったし・・・
ただ叔父の子敬(名は不明)の経歴はわからないね。
また学問費を捻出した従父(父の従兄)の元起も経歴不明だね。
少なくとも商人出の孫堅の生家よりは恵まれていたはず。
だからその恩顧で盧植の門下となれ、公孫瓚と出会ったし。
それだけじゃない、鄭玄・孔融の交友で孫乾を得て、徐州刺史となれた。
まあ、祖父の遺産だとは言えるかな?
劉備の元には簡雍(旧姓は耿)・関羽・張飛・田豫・徳然(劉備の従弟)ら
が集まった。趙雲の場合はわからんけど・・・
そういう意味では劉備は漢の宗族とはいえる。
ただ、曹操・孫堅のように近縁の親族が非常に少ないのが致命的かな・・・
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 09:36:10 ID:fqJZ63dK0
( ^ω^)なるほど・・・・
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 22:22:20 ID:ynCxtn/1O
孫はどうした孫は
孫資、孫礼。
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 21:00:37 ID:g9okncXS0
孫家は孫亮以降の迷走っぷりが・・・・
孫権の時代からすでに迷走してる
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 17:23:20 ID:AcuAgVuf0
王礼とかね
孫亮>孫休>>>>>>>>>>>>>孫コウ
孫権の兄貴が死んでいなかったら、どうなっていただろう。
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 23:28:05 ID:zyvFRBkf0
孫作は無茶するからどのみち戦で早死に
日本でソフトバンクの孫が
バブル崩壊で株主を破産させてる
孫権の寿命を孫登に30年ぐらい分けてやれよと言いたくなる
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/01(木) 09:43:41 ID:jPaA75Wx0
晩年の孫権ってただの邪魔者だしな
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/09(金) 22:00:04 ID:cRpNuWVI0
それに比べて曹操は死ぬまで優秀だったな
>>58 そうでもないだろ
漢中関係の判断とか、曹植を後継にしたがるとか、けっこう頭が弱ってた感じだぞ
劉備も晩年は……
曹丕:秀康
曹植:秀忠
秀康DQNじゃん
そうはイカンザキ
層化こぇぇぇぇっぇぇっぇ!
(^ิิ౪^ิ) 国立と間違う私立大学一覧
沖縄大学、福岡大学、四国大学、奈良大学、近畿大学、兵庫大学、愛知大学、
長野大学、北陸大学、神奈川大学、青森大学
家光はボンクラ
劉封は名将
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/02(金) 23:28:25 ID:eNXqlyvr0
孫権ママの実家の呉氏は江東の豪族らしいが、
結構な勢力があったんだろうか?
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/18(日) 10:54:09 ID:162yLwmk0
>>68 そこそこの勢力はあっていて、少なくとも孫家よりは上の立場だった。
だから呉氏の一族で2人の結婚に反対する者もいたらしい。
ただ、四大豪族には入っていない。
見あげて呉蘭
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 10:54:22 ID:boNeICeb0
t7つまんね
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 09:18:25 ID:+BfwA/qI0
>>71 四大豪族って何ですか?
今、「四大豪族 三国志」で検索してみたけど、でてこない
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 21:11:12 ID:m0q1fbO80
俺もkwsk
呉の四姓のこと。
陸氏:陸遜、陸抗など
顧氏:顧雍など
朱氏:朱治、朱然、朱桓など
張氏:張温など
二張(張昭、張紘)の二人は徐州出身なので違う。
呉の四姓には二通りの説があるんだよ
有力なのは呉郡の4姓の方で、呉郡にいる4大豪族を意味する
>>78から
>>79の言ってるように朱治、朱然などを除いたものがそれ。
もう1つの説では、朱桓の代わりに朱治と朱然の家系が入り、
張温の代わりに二張の家系が入るんだけど、
こっちの説は漢文を見れば間違いだと分かる
ちなみに呉郡の四姓は呉郡の中の呉県の豪族だったから
正確には呉郡呉県の四姓だったと思われる
追伸
呉氏は呉県の出身
だから呉群呉県の中でも、上の四氏より下だったのかもしれないね
もっともこの呉の四姓ってのは、元から持っている影響力ではなく、
孫一族のもとでの活躍によって選ばれてたみたいだけど
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 09:33:42 ID:mkDCKYi+0
選任制か
83 :
www.sakutv.com:2007/04/06(金) 13:40:01 ID:A1UYoDgV0
荒らし広告ktkr
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 09:17:00 ID:qgiHXICO0
孫乾って孫呉の一門なの?
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 12:42:16 ID:yi7AxPFXO
違うよ。全然違うよ。
マルチ商法www
江南方面はなぜか後漢の三公や要職の一族が多かったんだっけか
赤壁の戦いの際の魯粛の「我らは官位をもらえるがあなたは平民に落ちる」ってのは呉の豪族と孫氏の家柄の差をあらわしてるらしいな
もっとも魯粛自身はたいした家柄じゃないらしいけど
でも六兆時代以前は江南って未開の荒地だったんだよな
>>88 未開の荒野は言い過ぎっしょ
開拓の余地がかなりあったのは確かだろけど
孫氏は孫子の末裔でもなんでもない平民なのか?
孫堅の親の名前は伝わってないな
商人の子説が有力だったような
孫堅「俺が呉の孫武の末裔であるはずがないだろう」
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 01:19:15 ID:JycOKfVL0
生まれが良かったら王叡も馬鹿にしなかったんだろうかね。
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 02:11:41 ID:ePS2YBFH0
沖縄県の方へ(命に関わる注意事項です)
沖縄県での選挙ですが、どうか民主党だけは避けてください。県民の生命に関わる可能性があります。
民主党の最大の公約は一国二制度(※)ですが、一度「一国二制度 沖縄 三千万」で検索をお願いします。
この際、民主党のHPで調べても良いです。以下の注釈↓と矛盾することは書いてないはずですから…
※一国二制度
簡単に言えば沖縄を中国と日本の共有物にし、そこに3000万人の中国人を入植させます。
(つまり沖縄人口の 96% を中国人にして、実質、沖縄を中国人の居住地とします。)
さらに「自主」の名の下、沖縄で有事が起きても自衛隊は干渉できません。
3000万人の中国人が、少数派となった130万人の日本人に何をしても、です。
そして反日教育を受けた中国人の反日感情の強さは、ほとんどの日本人の理解を超えるものです。
今回の選挙で民主党が勝った場合、「自主」「発展」を連呼しつつ段階的に進めていくことになります。
自主と言っても、自主を認めるのが「住人の96%が中国人となった」後だということに気をつけてください。
発展と言っても、新沖縄の少数派となった「少数民族日本人」の発展ではないことに気をつけてください。
家柄で皇帝決めよう
家柄で皇帝決めようとすると江南の貴族が揉めるからあえて卑賤の孫氏を立てて貴族たちが平等に協力しあうという絶妙なバランスで呉は成り立っていた気がする
そう考えると孫権の晩年や孫晧の暴君ぶりは単純なものじゃなく独裁体制を作りたい孫氏と既得権益を守りたい貴族との熾烈な争いだったのかも
ってかそれでFAだろ>熾烈な争い
孫権は、単純に豪族を疎んじていたのではなくて愛憎半ばというか
情と利益の板ばさみになって苦しんでいたんじゃなかろうかと考える方が好みだけどな。
陸抗への扱いとか
>>88 魯粛の有名な発言だけど、
これって
「曹操に降参しても、『汝を封じて呉王となす』とか言ってもらえて、下に周瑜やオレ
呉の豪族がいたまんまの半独立の状態だとおもっとったら大間違いだぞコラ!
豪族もオレもみんな中央エリートコースか、各郡の太守にしてもらって
オマエなんかのこと、あっという間に忘れてまうぞ」
という意味でもあるよね。
>99 赤壁で気張っておいた方が
降伏するにせよ条件が良くなるからやっとくのを薦めるよ、とも取れるな
ちょっとここらで閑話休題。
個人的に格好良いと思った、孫権のエピソードを
徐盛の偽城に騙された曹丕が撤退した後の話。
占師・趙達「今、曹丕には打ち勝てました。しかし、いずれ呉は滅びましょう」
呉主・孫権「それは何時の事だ」
占師・趙達「五十八年後になります」
呉主・孫権「余は自ら成すべき事だけを考えている。手が届かぬ先の事は、子等が考えれば良い」
それから五十七年後、孫皓の御世に呉は滅んだ。
占い師ハズレてんじゃん
ウソツキだな
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 08:44:57 ID:aLTo8uEb0
孫権は酒乱の気があったと聞きますね。
赤壁の戦いの前、孔明が説得に行って参戦を決断した際「これより異を唱える者は
かくのごとく斬って捨てるぞ!」と剣で机を叩き切ったあたりは気性の激しさを
垣間見せてる。
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 10:37:15 ID:1AZpvvTM0
どの主君も気性の激しさはあると思う。
酒に溺れたのは他に較べてストレスがたまっていたんだろう。
それでも曹操や劉備よりも長生きしたし
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 17:50:05 ID:wpgDuemV0
孫権は、呉を守ることだけ考えていたわけで。
こいつが積極的に軍事行動をしてれば孔明も天下統一近かったのに。
>>103 巻き添えでアク禁食らってたぜ…
呉書・趙達伝に載ってる。
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 08:42:03 ID:PZzKFoWM0
でも何十年かで滅びるだろうというのは占いというより予想だ
>>106 ヒント:山越
孫策の代から手を焼いていて、孫権自身も異民族がいなければ天下を伺えたのにと嘆いているから、外征したい意志はあった
ただ周瑜、魯粛達重鎮の急死や、発言力の強い地元豪族も上手くコントロールしないといけなかったりと、足場を固めるのに非常に難儀してる為に、なかなか軍を動かせなかったんじゃ
その上、たまに合肥攻めに行ったら負けるし。
むしろ異民族討伐や防衛戦にばっかり強い武将しかいなかったのが問題なんじゃねえの。
騎兵隊を用いるのに長けた奴とかいなかったんかね
>110
呉には軍馬の生産地は無い。
呉軍の騎馬はすべて輸入でそれゆえに騎兵は少数しかなかった。
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 12:47:40 ID:xOb+fWBfO
虎や象にでも乗って進軍すれば良かったのに
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 19:33:27 ID:JJxV70KE0
>101 何で魏や蜀が滅びる年を予言しなかったんだ趙達や呉範は。
他にも江南にはやたら占い師がいる癖に
>>114 孫権相手だと、阿諛追従と取られると首が飛ぶ。
孫皓相手だと、出世の道具になったようだが。
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 22:20:39 ID:XcMInDbq0
孫権からしたら魏や蜀なんかよりも地元の異民族とか味方連中の方が
よっぽど始末が悪い存在だったからな。
例えば、張昭だったり、張昭だったり、張昭だったり。
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 17:35:44 ID:GYuSTvCF0
大嫌いだった張昭、2chスレッドのおかげで 彼こそ真の忠臣の一人だと思うようになったな。
考えている事と行動と発言が一致している人間は貴重だ。
忠臣かな?
まずは自分らの権益守ろうとする江南の貴族の典型だと思うんだが
赤壁の降伏論とかもろに
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 08:56:27 ID:tIT/Ms/+0
いずれにしろ奴がいざというとき保身に走る人間だったのは明らかだろうが
南朝の貴族達も元は江北出身者(或いは本貫が江北)が多いけどね
122 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 23:47:46 ID:kQ+2Gy470
張昭は大抵の創作物でも忠臣として苦言を呈しているって人物像ばかりだから
敢えて二心を持った怪人物だとして考察を進めてみるのも面白いかもな。
まあそうだとしたら段取りというか要領悪過ぎるけど
孫権から孫策の遺証を盾に権力を振るい国難とときにあまつさえ自分らだけ生き残ろうとする降伏論をかあkげた奴は許しがたいだろうな
息子が処刑されたのも当然といえる
なんで張昭がこんなに叩かれるんだか
叩かれる時は叩かれる。たれながすな天下人
あの時点で降伏していても張魯とかの例をみても孫権がそれなりに優遇されてた筈
だから保身だけで言ってたわけでもなかろう。
勝つための具体的な方策もってたの周喩くらいだろ。
当時の孫権を張魯と比べるのは無理がありすぎる
張魯は降伏時に巨大宗教勢力の主で人望もあったが当時の孫権は兄が拡大した勢力をなんとか守ってるという感じだし
でも金持ちやら名士やらが何故かわらわらとくっ付いていたね。
何故かって孫策らが尽力していた結果だけど
曹操からしたら あんな若造がどっさりお宝かかえてるぜ ちょろっと嚇かしてやっか
みたいにでも考えてたんだろうかな
孫権さえ降伏すれば曹操は天下統一出来てたわけだから張魯よりもその影響力は大きい
実際に降伏していたら、現地に留めておくとその影響力が高すぎるから
馬謄みたいに呼び寄せるかな。 んで最終的には誅戮されるか、
上手くやれていたら簒奪を図るかも。 司馬氏ほどには戦上手って印象は無いからムリか?
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 15:02:19 ID:D3mP+05G0
呉書読んでみると張昭いっつも言い負かされててカワイソス
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 19:00:40 ID:RzaakgU70
>>111 孫権は馬に乗っての狩りが好きだったのでは?
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/07(火) 15:26:53 ID:71g19m4c0
>>131 多分心労が絶えない立場だったんだろう。
孫策が生きてたら豪族と対立しまくって終わりかな
あまり儒教を重要視しなかったりと現実主義者な反面
占い師や仙人を重宝した孫権様
孫権は、行と草書に優れていた。孫晧も詩文や書を
文学人から評価されていた。 意外に文もあったんだな。権。
張昭は呉では周昭、歩シツを超える最強の名声を誇る人間。ただの
保身てわけではないと思う。
孫権もその後はヤバくなるとあっさり魏に"ごめんなさい臣従します"
してるしな。 状況から一旦臣下の礼をとるってのも選択肢。
あの地点で孫権の官位は低いし一旦臣従しても曹操にはまだ敵が残ってる
から高い官位もらってから名分を得るってのも戦略としては有り得る。
降伏論者皆、北出身名士ばかりだし今はそこら辺の意識もあるのかも。
期待した息子や娘、信頼した部下が自分より先にどんどん死んでいく
状況だと精神的ダメージを考えるとしかたないのかもしれないなぁ。
>>136 孫登・・・周循・・・孫亮・・・惜しい哉
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 00:06:35 ID:AtX0y4YA0
孫堅の頃の江東って、山越も跋扈していたようだし、
基本的には都市の連合体のような感じの地域だったのかな?
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 13:04:56 ID:PxxlynvS0
開拓時代って雰囲気が色濃く残っていたと思うよ、この時期の江南は
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 19:18:09 ID:9XPov0AW0
原住民も侵攻してくるしな
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 12:38:42 ID:hlfAe/gw0
山越って、春秋時代の越の国の末裔なんじゃないの?
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 15:20:57 ID:xI4wYt8d0
日本の北陸地方も春秋時代の越の国の末裔
普通に趙佗一派の流れじゃないの。春秋とか言い出すとほとんどがその
地域の末裔とかに該当するぞ。
このスレで言うのもなんだけど孫伯符てすげぇみたいなトコあるけどどう
なんでしょ。 俺は彼のそこまでの評価がよくわからない・・
後々の時代彼の名前が出る時だって”孫策の輩(所詮一発屋野郎)”みたいな
侮蔑ぽい引用されてるしさ。
若くしてって所はすごいと思うけど、0状態から勢力築いたのは三国時代
だけでも袁紹ら多く居るし。
対戦面でも、兵隊不足とはいえ下したは劉ヨウ、王郎等軍事面ではさほどと
いう面々。
格上の劉表を同じ勢いで下すことはできず、黄祖にもガチで勝利が実質でき
なかった。 陳登戦はよくわからん。
そこまですごい武将なのかなぁ。無論すぐれた人物だとは思うけど。
殺戮を好む性質もあったみたいだし、"かなり"小型の霍去病つーか
格上と戦うと勝てない And 敗死、滅亡て匂いがする。
呂蒙らみたいなのは別として仮にケイ州とか新規領土獲得してもそこの
士大夫を取り込めるタイプじゃないと思うし。
彼ってそこまでの武将かな・・
結果が全てを示しているでしょ、孫家三代は。
だから主役にしても結局は三義兄弟に取られちゃうんだよね
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 13:43:54 ID:EVrfDCu90
>143 立ちはだかる相手は力ずくでも排除する、って感じだね。
父と同じく。 仲間や人々からは慕われていたけど、潜在的な敵も作ってしまう人物。
確かに父・文台と比べるとどうしても軍事的には小物である印象が否めないな
小覇王なんて呼ばれているが、
歴史上の敗北者である項羽をそのままスケールダウンしたような奴って意味だし。
軍事上の実績も、その後の孫権の大幅な版図拡大と領土維持の功績に比べたらなぁ。
149 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 06:15:01 ID:vEJgx6cH0
孫家三代で見るからこそ、存在感が大きくなる。
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 22:46:48 ID:lzQp1JYI0
>>148 水滸伝の小覇王、周通よりずっとスケールは大きい。
あまり慰めにならんかw
周通が小覇王を名乗っているのって、孫策に対する嫌がらせとしか思えんw
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/15(月) 23:26:23 ID:52h7Hj4l0
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 12:02:33 ID:NAnsm8c30
>143 陳珪・陳登には大敗を喫していたから
生魚で暗殺したんだろう
>>153 陳登に敗れたのは孫策が直接率いる部隊じゃないよ。
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 18:36:32 ID:vB5F8LDX0
正史の記述ミスとされてる
陳登対孫策を未だに
平然と主張する奴がいるとはなあ
東晋の虞溥の江表伝の話じゃなかったっけ?
陳登攻めの途中で許貢の食客たちに暗殺された、とか
許とは90度くらい方向が違うけど…
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/26(月) 18:51:59 ID:96TqHD910
孫権や孫策の書状で読めるものってありませんか?
>>158 ありません。棋譜なら残っているんですけどねえ。
孫堅 張宝 張遼
孫権 張苞 張梁
孫乾
うん、ただこれだけやりたかったんだ。すまない
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 00:50:54 ID:ZlB4cn200
>>158 中国の書状は、宋代のものでも大変に貴重とされているから、
三国時代のものだとなおさら。
紙だって、まだ本格的な普及途上だったんだし。
162 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 16:35:24 ID:pIG/Uz2ZO
呂布から策へ張紘クレヨの手紙の返事
たぶん文章家の張紘自身が書いているんだよね。
袁カンの可能性もアリ?
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 03:38:22 ID:ehjQYY+PO
孫堅孫策孫権以外の孫氏で
誰が一番優秀だったかとか考えませんか?
165 :
-:2008/01/17(木) 09:32:05 ID:9rXFGLtnO
孫桓に一票
孫武。
孫文
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/18(金) 17:36:38 ID:mf2XaG0j0
孫翊・孫瑜・孫皎・孫奐
みんな若死にだ。
孫権があんな長生きしたのがおかしいんだってこの一族。
孫堅孫策孫権孫翊ついでに孫夫人。みんなそっくりじゃないかw
孫権の異常に長すぎる寿命を孫登に分けてやれよと運命の神に言いたい
孫権が孫登死後もまともな君主だったならまだしも、
孫登急逝の影響で後継者問題がgdgdになったからねぇ。
後継者の死は存命中の主の権威も揺るがすからなぁ
孫権は二人居たのでは? 演技でいうところのリョウカの様に
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/20(日) 19:20:18 ID:A2CZJTj4O
じゃあ後半の孫権は大根役者だな。
演義の廖化二人説ってなんなんだろなー
200年の時点で黄巾残党の若者(20歳前後)なら、
263年まで生き残っても不思議じゃないんだが。
>>175 1.廖化は黄巾の乱勃発時に既に青年だったに違いない(演義)
2.廖化は元の名が淳(正史)
3.廖化は呉から逃げるときに自分が死んだと偽った(正史)
4.廖化は蜀が滅ぶまで生きていた
演義設定を誤解(黄巾残党だからって乱の最初からいたとは限らない)した上、正史での名前が二つあって死んだと偽ったという話を膨らませたんだろう
>>176 その通りだと思う。
演義読めば普通にそう思えるのに、二人説がなぜ出て来るのか解らない
いやどこかの小説でそういう筋を作ったっていうのなら文句はないんだけど。
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/21(月) 11:43:07 ID:F5hTmu6U0
孫権の死因は、肺炎をこじらせたって事なのかな?
孫休だろ
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/23(水) 09:29:18 ID:OOvKOFud0
孫休が孫権を殺したの?
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/24(木) 14:06:14 ID:BfEtrd+c0
>>128 逆だバーカ
孫策がズタズタにした豪族との外交関係を孫権が8年かけて修復したんだわ
だから荊州侵攻が遅れに遅れて赤壁前になっても勢力伸張がほとんどできなかった
182 :
179:2008/02/02(土) 16:20:50 ID:SDsq0e8U0
孫権って戦下手だよね?
俺の勝手なイメージだけど
陣立ては曹操に褒められた。
個人の武勇は張遼の目に留まった。
頭ももちろん悪くない。
問題は前線での粘り強さがないってことだなぁ。
>>184 損害出そうになったら即座に帰るという問題点が
博打はそれじゃあ勝てないよな、負けもしないけど
186 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/19(水) 01:06:28 ID:VFSQR1lQO
戦下手の自覚があったんだろうか
お使い孫乾
赤頭堅ちゃん。
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 10:16:19 ID:x6XiY9c7O
孫なの関係ねぇ
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/30(木) 20:27:16 ID:hVQPwhER0
孫権が中毒になるほど当時の酒って旨かったんだろうか
アル中で死ぬよりも先に糖尿病になると思う
孫堅は松平清康と似てる気がする
高校生ぐらいの年から抜きん出た存在で、身一つで武勇伝を馳せ、若者を
従えて地域に跋扈する賊と戦い、黄巾討伐の旗揚げ時も確たる領土も持た
ず、ただ漢室の救出を目指して大陸を走破し、最強の軍勢を擁する暴君を
退けながらも、灰燼と化した首都で恩賞を得て将兵を労う事もできず、勝
ち戦で自ら戦死してでも、それでもなお精強な部下達を心服させ、孫家二
代三代に命脈を保たせしめた孫堅は物凄いエネルギーを持っていたんだろ
うな。無から生まれいで、私利私欲で動かず、本拠を持たず各地を転戦し
ていたはずの孫堅の威徳が長らく江南の地に行き渡り、孫家の地盤となっ
たのはカリスマのなせる業だろう。
孫堅は高潔な野人、
孫策は貴公子、
孫権は政策政治家、のイメージ。
>>193 孫堅はまぁそれでもいいが、孫策はないわwww
孫策と呉の四姓の関係についていえば、間違いなく陸績は
孫策生存中に出仕してるわけで、着実に和解は進んでいた
(孫家の力を有力豪族も認めざるを得なくなっていた)のでは。
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/14(日) 15:30:42 ID:LVc0AAbd0
曹操との面識はあるの?
孫乾はできる人で値千金のファインプレーも多いが特徴は影が薄いってことくらいしかない
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/06(水) 08:56:59.43 ID:HytScrc/O
孫乾は「ソンカン」と読んだ方がいいと思う。
さすがに三人も同じ発音は紛らわしいし。
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/10(水) 23:47:41.92 ID:U0OuBIQS0
呉と越と倭人の関係は?
201 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/30(水) 07:07:19.42 ID:qlaAb3Cj0
BSの番組結構面白い。
会ったことない
美容整形板のタカ ◆PLAYBOYiBYが二重瞼手術に成功した!
孫乾は地味だが、色々と活躍してる人物
忘れられる孫観