1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
中国の長い歴史の中で登場した数多くの武将たちの中から、特筆に値するであろう名将百名を選ぼうというスレです。
要は作家の田中某氏の著作「中国武将列伝」と同じ企画ですが、田中某氏の評価に従う必要はなく、各人それぞれの
評価によって、百選に入れるべき武将を推挙して下さい。
・推挙する武将については、その理由を述べること。
・対象となる武将は、近世以前の武将とし、近代以降の軍人は含めない。
・対象となる武将は、特定の時代に偏らないように配慮する。
以上の三点に留意して、中国名将百選を決めましょう。
君は含まれるの?それとも臣だけ?
軍師、謀臣はNG?
それも含めて、まずは話し合ったらいい。
個人的には皇帝もいれるべきだと思う。全ての創業の君主が歴史に名を残すほどの軍才を
示したわけでもないのだから。
あとはどこまでを中国の武将とするかの範囲が必要。
例えば外国人だが中国本土(これも定義が必要か?)で活躍した武将や、逆に漢人だけど
中国の外でのみ活躍した将はどうするのか?
前者だと耶律休カを入れるのだったらアヘン戦争、太平天国戦争で活躍したヨーロッパ人
はどうするのか?後者だったらイル・ハン国の郭侃とか。
田中の百選は電波がきつ過ぎたからな
趙雲入れようとしてたし
範囲は、白蓮教の乱までにしたらどうか。
>>5 いい加減その電波をはねかえせよ。 いつまで引っかかってんだ。
それはともかくとして…
中国というものの範囲だけど、土地的なもので言えば「中華本土」と呼ばれる範囲とするが、中華王朝という枠組みで、漢化政権あるいは中国風の国号を用い、なおかつ中華本土内に領土のある政権、とすればよくはないか?
南詔とか西夏はどうなるんだろ… 詳しい人がいれば入ってもよさそうだけどね。
その規範でいけば、チンギス・ハーンの蒙古は除外するけど、中国風の国号となったフビライ・ハーンの「元」は含む。
また、女真は含まないが、「金」は含む。 あるいはキタイはだめでも「遼」はいい、と。
でないと、北魏はおろか隋や唐まで含まないなんてことになりそうだから。
漢民族だけが中国人ではない!
で、国籍は出身国というより所属国で判断すればよろしいかと。
高仙之や李光弼は「中国の名将」としてランキングされるが、郭侃などは紹介はされてもランキング除外、とか。
そんなところでどうかな?
田中ヨッシが先鞭をつけているだけに、そうそう違う武将が出てくるとも思えないけど、どういう判断で紹介するのか興味深い。
とりあえずみんなで何人かづつランクイン入りすると思われる人物の名前を上げていくか?
いきなり100人づつ上げていくわけんもいかんしw
中原指向を持つかどうかで分けた方がよい
渤海や遼、西夏などは広義における中国文化圏と言えるけど
支那の地に入って中華帝国になろうとしなかったから中国じゃない
金や清は歴とした中華王朝
要は支那兵を率いれば中国の武将扱いでいいだろ
契丹人やモンゴル人を率いた武将が中国武将とはいえん
逆に異民族出身でも漢人を率いてれば中国の武将だ
>>9 でもなぁ、遼は間違いなく中国兵を率いているぞ?
趙延寿や楊袞(名将とは言えにくいが)などは燕雲十六州に鎮した将だし、遼はキタイと漢人とを住み分けしてもいたし。
二十六史にある以上、中国としても問題ないと思うけどなぁ。
>>9 でもさ、中華戦線のモンゴル軍の中には漢人も多いんじゃなかったか?
(モンゴルは現地の兵をよく使うし)
>>10 > 二十六史にある以上、中国としても問題ないと思うけどなぁ。
それも一理あるが、やはり遼や金を中国にいれるのは抵抗あるなあ。
>>12 名前に抵抗あるわなw
耶律とか述律とか完顔とか…
それはわかるが、それだと漢人マンセーな田中ヨッシ風味満載になって、おれは構わないが、アンチが沸きまくると思うけどな…
>>13 ただ抗金というジャンルがあるからね。
他の時代なら異民族の王朝だってほとんど違和感ないんだけど。
先入観かな?
とりあえず境界は曖昧にして名前を上げつつ論じていった方がいいんじゃないか?
中国戦線における元の将はもちろん中国武将ですよ
でも漢人でも西域で西域の兵で戦ったら、その戦績を中国武将としてカウントするのはアウト
郭侃は中国戦線の功績だけ評価
所属国家というか王朝で判定するという手もある。
まず基本二十六史の大部分はそのまま認める。
で、遼とか金とか元とかは部分的に認める。中原進出を果たして以降を認める、
とか(これだと遼は除外だな)。
さすがに南詔とか西夏は外国でしょ。
まずは、細かいことにこだわらずに、自由に名前をあげていってはどうか?
そのうち、自然とまとまっていくだろう。
自治のような流れだなおい
残念ながら切るしかないよな。
これってたしかに自治のような問答になってるな…w
まここは、ズバっと切り裂いてしまおう。
で、それぞれ得意な分野・時代があると思うが…?
だから、まずは、これという名前を挙げていこう。
それで、百選に入れるに相応しいかどうか議論する。
とりあえず、明代より、武将?な于謙はどうか?
墨子を入れたい
ヌルハチを敗死させた明の袁祟煥は、入って当然なので俺的に心配が要らなくて助かる。
鄭成功とか名ばかりのより優先権がある。
関羽のような実績は史実においてはそれほどでもないが、後代の創作や信仰の影響大である将軍はどう扱うの?
>>24 確かにヌルハチは袁祟煥の新型大砲の破片をくらって死亡してるからな。
清朝初代皇帝を殺してる袁祟煥は100人に入れてまったく問題ないと思う。
というか、これほどの功績を立てた武将って他にいるだろうか。
しかし百って多いなw
一人で垂れ流すならまだしもw
ひきこもりの過酷さを思えば、数年単位で籠城を果たした人は
降伏の如何に限らず、文句無しで名将に推してもいいんじゃないかとは思う。
>>28 呂文カンなんかはモンケ・ハーンが四川に攻め入った時、兄の下で働いていたりするのだろうが、
救援に行った時にあっさり退けられているのを見る限りだとあまり強いようにも思えない。
やはり、なるべく長く、広い範囲で戦い、さらに高い勝率を保持している連中を優先するべきでないかと
とりあえず、
>>16の基準だとモンゴルはジェベは駄目で、スブタイはOK、て感じかな?
それじゃあ、元朝のモンゴル将軍を適当に
トゥルイ(チンギスの四男。金朝を倒した際の主力軍司令官で、金主力軍を殲滅した)
スブタイ(モンゴル帝国最強と名高いおっさん。活躍の主な舞台が中央ユーラシアやヨーロッパなのが微妙だが)
ウリャンハタイ(スブタイの息子。ベトナムの陳朝を朝貢させたり、一万かそこらの戦力で南宋を南北に突っ切った)
バヤン(南宋を滅ぼし、中央ユーラシアでフビライのライバル・ハイドゥと渡り合った)
とりあえず、この時代なら他に誰を切っても入りそうな面々を並べてみました。フビライの軍事能力はこの面々と比べるとかなり見劣りするし
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 13:22:10 ID:7VNkZOK80
なんか切り方が不自然だな。。
っていうか金を中国に含めないとかって田中厨の香りがプンプンする。
じゃあどこまで区切るんだ?
吐藩なんかまで加えたらまた問題だろうし
なんだかんだで、田中の中国武将列伝と半分以上は重なるだろうな。
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 15:06:19 ID:vdBHZZuN0
俺的には神話や現代中国(中華民国and中華人民共和国)も含めていいと思うな。
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 15:20:13 ID:vdBHZZuN0
俺の知っている時代の範囲から一通り推挙するよ。
楽毅,呉起,白起,田単,韓信,項羽,謝玄,李克用
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 15:22:56 ID:vdBHZZuN0
三国からは司馬懿,周瑜
じゃ、北宋から范仲淹と狄青を推薦。
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 15:48:36 ID:y2nd5Huh0
さっそく田中を貶める輩が沸いている、言わんこっちゃない。
文句つけるだけでスレにも沿わないのはただのバカということで。
【時代】晩唐
【名前】李存孝
【所属】晋
【理由】晋軍の主砲として、少数精鋭騎兵を率いて潞、邢、シ名、磁などの重要拠点を次々と陥とし、一騎討ちにおいても勝利し続けた。
ただし、逆ギレ八つ当たり略奪や、敵方への寝返りなど、潔癖あるいは完全無欠とはいかない。
【時代】後梁
【名前】李嗣源
【所属】晋
【理由】後梁との争覇戦激化の最中、幽州に侵攻してきた契丹軍に対し、倍道兼行して救援に向かい、契丹後で怒鳴りつけつつこれを蹴散らした。
また、横衝隊と称する部隊を率いたので、李横衝と呼ばれ神出鬼没な用兵とあいまって、晋王軍の切り札とされた。
【時代】後唐
【名前】郭崇韜
【所属】後唐
【理由】晋のころから、軍務に政務にとその才をいかんなく発揮し、後唐建国の功臣第一とされる。
特筆すべきは、前蜀討伐のとき。 総大将はかたち的に魏王である李継岌だったが、実質は郭崇韜が指揮を執っており、進むごとに敵をやぶる快進撃っぷり。
その下で実戦部隊を掌握した康延孝の存在も無視できないが、帷幄にあって謀をめぐらし、わずか70日で四川軍閥を平らげた。
ただし、その直後宦官の嫌疑によって誅殺され、不名誉な死を遂げた。
【時代】後周
【名前】劉仁贍
【所属】南唐
【理由】後周世宗の江北侵攻のとき、要衝・寿州を守り、世宗を苦しめた。
味方の不甲斐なさに憤り、病に倒れるが、死ぬ直前までその精神力で寿州城を守り通した。
劉仁贍の死によって、南唐は絶息の一歩手前まで叩き落されることになる。
韓信は文句無しで百人に入るよな。正直、こいつは凄すぎて褒め言葉に何を言えばいいのかワカラン。
>>39 ,、‐ ''"  ̄ ``'' ‐- 、
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! |ハト〈 ,r''"゛ , リイ)|
`y't ヽ' //
! ぃ、 、;:==ヲ 〃
`'' へ、 ` ‐ '゜ .イ 「韓信は凄いと言えばいいと思うよ」
`i;、 / l
〉 ` ‐ ´ l`ヽ
/ ! レ' ヽ_
_,、‐7 i| i´ l `' ‐ 、_
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/ l i ´ く ';::::::l / / / ',
/ ! l \ ';:::l , ' / i/ ',
とりあえず各時代から十名ずつ選んでみよう。
春秋時代
戦国時代
秦時代
楚漢戦争時代
前漢時代
後漢時代
三国時代
両晋時代
南北朝時代
隋・初唐時代
唐時代
五代十国時代
宋遼金時代
元時代
明時代
清時代
秦や三国志や両晋などから10人って無茶ですぜ、ダンナ
一応参考までにヨッシーの百選を
春秋時代
1孫武 2伍員 3范蠡 4趙無恤
戦国時代
5呉起 6孫濱 7楽毅 8田単 9廉頗 10趙奢 11魏無忌 12李牧
秦〜漢楚争覇時代
13白起 14王翦 15蒙恬 16項籍 17張良 18韓信
前漢時代
19周亜夫 20李広 21衛青 22霍去病 23趙充国 24鄭吉 25陳湯
後漢時代
26トウ禹 27馮異 28岑彭 29馬援 30班超 31曹操 32関羽 33周瑜
三国時代〜両晋時代
34司馬懿 35陸遜 36トウ艾 37杜預 38王濬 39陶侃 40祖逖 41謝玄
南北朝時代
42檀道済 43韋叡 44楊大眼 45斛律光 46高長恭 47蕭摩訶
隋唐時代
48韓擒虎 49劉方 50張須陀 51李靖 52李勣 53秦瓊 54尉遅恭 55蘇烈 56薛礼 57王玄策 58裴行儉 59高仙之 60郭子儀 61李愬 62李克用
五代〜宋遼金時代
63王彦章 64周徳威 65曹彬 66楊業 67耶律休可 68穆桂英 69狄青 70宗沢 71岳飛 72韓世忠 73宗弼 74虞允文 75孟キョウ 76完顔陳和尚 77張世傑
元明時代
78伯顔 79郭侃 80拡廓帖木児 81徐達 82常遇春 83姚広孝 84鄭和 85于謙 86王守仁 87戚継光 88エン崇煥 89秦良玉 90鄭成功
清時代
91多爾袞 92明亮 93楊遇春 94李長庚 95関天培 96僧格林沁 97李秀成 98石達開 99劉永福
100候補
趙雲 沈光 王式 劉キ 呉リン 宗望 李文忠
なんか見にくくてすいません…
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 00:03:35 ID:iuNqv0hS0
知り合いの中国人は断然安禄山って言ってた。あっちじゃ評価高いのか?
春秋戦国時代の戦争とはるか後代の戦争では形態が違う感じなので一概に比較できない気がするなあ。
>46
その比較がそもそもナンセンス。昔の時代で上手くやった奴は今の時代でも適当に上手くやれるさ。
いつ見ても、両晋南北朝期の異民族武将が少ない
石勒、石虎、王猛(あ、こいつは違う)、慕容恪、慕容垂、拓跋珪あたりは
ガイエの大好きな韋叡と比較しても、何ら遜色ないのに……
桓温、劉裕がいないのも違和感ある
もしかして人格も選考項目に入ってたのかな?
上記数名は人格がブラックホールなみに暗黒空間だからそりゃ選考外になるな
>>48 田中の意見は聞いてない。
なぜそこで人物を挙げないんだ?
挙げたら紹介する、これ基本。
冉閔もいれよう
>>43-44 劉秀、劉裕、李世民、柴栄、朱元璋、朱棣あたりが入ってないってことは、皇帝は除外したのか?
まあ親の遺産を受け継いだ皇帝はともかく、己の力で王朝を創始した武将は入れてもいいんじゃないかな。
一応田中芳樹の百選では
皇帝は除く
軍事的業績より政治的業績が大きい人物を除く
清朝滅亡後の近代の人を除く
あとは名将の条件として
異民族の侵略を退けた
現実に天下統一を成し遂げた(それに関わった)
あと例外として
異民族であり制服王朝の樹立に功があった
独創的な軍事行動によって歴史を動かしたり時代を象徴する存在となった
こんなところか。
ぱっと見でも、この条件から外れている人物がいるよなあ。
三国志に置ける候補:
魏:
○曹操:同時代で言えば実績は他に比べ一歩リード。赤壁、その後の漢中戦で勝ちきれなかったため統一を逃す。
○司馬懿:孟達、公孫淵討伐はお見事。が対蜀、対呉は意地悪い言い方をすれば現状維持が精一杯。
○ケ艾:対蜀戦線で姜維を完封。征蜀戦においても姜維をくじき、本隊が足止め食ってる間に成都を陥とすなど功抜群。
△司馬師、司馬昭:それぞれ毋丘倹、諸葛誕を平定。対蜀・対呉戦線を含めての統括者としての能力は高し。
△曹仁:攻めて良し、守って良しの名将。ただ守りに入った時の粘りは特筆ものだが、江陵においても樊城においても独自に打開は出来てない。
△張遼:合肥だけでなくその勇猛さで何度も功を上げる。
×他満寵、徐晃など候補多数。
呉:
○孫策:はじめ寡兵で持って他勢力を討ち、瞬く間に江南の地に孫呉の礎を築く。
○周瑜:赤壁で曹操を挫き、曹仁守る江陵を陥とす。こいつがいなければ三国時代になってない。
△呂蒙:部将時代の勇猛さもさることながら2度に亘る荊州侵攻戦で見せた知略と実行力は一流。
△陸遜:夷陵で劉備を完封。対魏戦線においては可もなく不可もなし。
△陸抗:守成の時期の将軍だが、西陵鎮圧の手腕は名将の名に恥じない。しかし蜀降伏時に永安を抜けなかったのはなあ。
×他孫堅など。
蜀:
△劉備:一流どころに比べると戦績は落ちるが、歴戦の将としては蜀としては随一。
△諸葛亮:北伐は志半ばに終わるも、こと会戦に至った時の強さは特筆物。
△姜維:大勝を上げることがあるも多くは企図を果たせなかった。ただし、その機動力には目を見張るものがある。
△張嶷:馬忠の片腕として南蛮平定に尽力。蛮族相手とは言え知略に武勇に活躍。
×他張飛、王平、魏延など。
その他勢力、後漢、晋は割愛。
○が候補、△×は落選。
呉において周瑜が候補にあって呂蒙・陸遜が落選なのは対魏での功績による。
陸抗の西陵鎮圧については晋の侵攻を防ぎつつの鎮圧であることを考えれば候補に入れても良いかも。
雑なところもあるけど勘弁ね。
ガイエの百選に光武帝陣営からケ禹が入っているのに、呉漢と耿弇が入っていないのが納得いきません。
この二人は光武帝陣営では間違いなくTOP2の名将だと思うのですが。
ケ禹は戦術戦略ではなく、むしろ人事担当の人で、到底百人の中に入る人とは思えません。
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 10:28:14 ID:HuT/SgV/0
>>43-44 春秋戦国以外は知らないが、まるでダメだというのはよくわかる
>>55 鄧禹は事実、大敗してるしねぇ。
名将に入りはしないが、光武帝陣営には欠くべからざる人物であることは間違いない。
そういう選定の仕方であればまだよかったかもしれないが、岑彭にならぶ名将とされると、勉強不足を指摘するしかない。
呉漢は所業においてゆずるとして、なぜに耿弇が…
彼は若くして名将たるの手腕を発揮して、なおかつ第一線から退くという、どうみても田中ヨッシの好みのタイプなはずなのに。
ましてや、上谷太守の御曹司とくれば、美形であったのではなかろうかという妄想だって入る余地が大きい。
それ以外のところでも、唐末五代では周徳威と王彦章だけ? おいおい。
知らないというより、出し惜しみしていると曲解してしまう(自分が短編書いてる最中だから)。
五代に関しては、
>>38だけじゃなくて、もう少し足してみようかと思います。
それで、誰をランキングさせるかは、
>>56あたりの有識者にお任せしよう。
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 12:57:03 ID:XU+WJy990
田中芳樹は、神話の時代で不確定だからと春秋から開始したけど、
ここでは太公望を入れたい。
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 13:05:22 ID:zctZD3M5O
確かにヨッシーの言うとおり呉漢は何度か虐殺略奪を行ってるけど
他にランクインしてる白起、項羽、曹操だって虐殺をやってる
何故その三人はよくて呉漢はダメなんだろうか
基準がよく分からない
不確定ってことだったら、穆桂英もかなり不確定なんだけどなあ。
ヨッシー個人の好みと、中国ではこんなのが人気なんだぜ、お前ら知らんだろ、というのと、やはり中国人にとっての知名度…
そのあたりなんでしょうよ。
>>45さんの言ったように、安録山なんかも入れてもいいのだけどな。
100人に絞ってしまうと、大方が武将列伝にかぶるのはしょうがない。
そこで、名将、名臣、あと帝王あたりでカテゴリーわけするのもいいかも?
>>43 范蠡・趙奢・蒙恬・張良・周亜夫・トウ禹・関羽・蕭摩訶・李愬・姚広孝・鄭和・于謙・王守仁
十四人は確実に開いたな
開いたって?
>>64 こいつらは確実に選外になるって言いたいんでしょ
田中選の99人と殆ど同じになるとか言われてたから
まあ名軍師や名参謀ではなく名将として張良入れるのは納得できないっていうのは同意だが
>>65 そういう意味ですか。。。
張良は、まぁそうだろう。
しかし、蒙恬、周亜夫、李愬もダメか…
できれば、どうしてそう思うのか教えて欲しいところだが。
呉楚七国の乱はほぼ奴らの自壊だし周亜夫が外れんのに異論は無い
王守仁も寧王の一戦だけで百人に選ばれるにはつょっとな
それこそ明には李文忠や藍玉、兪大南犬や胡宗憲いるんだし
63ではないが、私もそのあたりが外れるのは同意。全部じゃないけど。
芳樹の百選は実績よりもその勢力を代表する人物として挙げられているのが多い。
すでに名前が出ているケ禹がそうだし、関羽も実績をみるととても挙げられない。
范蠡、張良、姚広孝は参謀、于謙は名臣列伝の人でしょやっぱ。
蕭摩訶は十分つよいけど、この人は誰かに使われてなんぼだと思う。歴史的に何か
大きな影響を与えたわけでもないしね。呂布みたいなもん。
蒙恬はケ禹と同じで、政権の重要人物であっても具体的な実績がねえ。
周亜夫、李愬は国家を安定させた功績を認めて入れてもいいと思う。
鄭和は…指揮統率力は文句なしだが、これを軍事活動とみるかどうか?
追加
あと抜くべき人物としては
王玄策、穆桂英、虞允文、秦良玉、鄭成功、劉永福
このあたりか。
なるほど。
周亜夫はともかく、李愬あたりをどうするかは、もう少し藩鎮仕置きの経緯を眺めないとなんとも言えませんな。
今現在では、淮西平定の勲功をもってするが…
で、結局、皇帝などは含まないことにするのだろうか?
とすると、やはり唐末五代は選抜が難しくなるし、一段下がる観は否めないなぁ。
皇帝はいれていいと思うけどねえ。唐末五代もそうだが、東晋末十六国の連中が。
>>71 100選だと25史基準なら各時代4人くらいしか上げられない。
乱世の時代の皇帝に成り上がったヤツとか入れるとあっという間に100をオーバーしちゃうからなんらかの制限はやむを得ないんじゃないかな?
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 19:55:30 ID:9PN2UtxG0
各時代4くらいとなるとここの住人がひけらかしたいマイナーな奴はほとんどアウトだな。
>>73 んじゃ、表の100人とマイナーな100人に分けるってのは?w
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 20:05:09 ID:6hQtLBSM0
織田信長
チンギスハーンこと、テムジン。
他に中国の英雄って聞かないな…ってか、中国ってどこにあんの?
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 20:57:28 ID:zctZD3M5O
皇帝に即位した人物を除外ということになると
曹操や宇文泰みたいな事実上の創業者であっても皇帝に即位してない奴は有りなの?
孫子って孫子の著書は高く評価されているけど、
武将として何かした人ではないよね?
だから孫子は外すべき。
>>75 元朝を開いたクビライなら未だしもテムジンはモンゴル人だし、
元朝を開いた訳ですらない。
中国英雄にカウントするのは難しいのではないの?
皇帝は入れた方がいい気がするな。
>>77 でも、その元朝の前身を開いたわけだから、入れてもいいんじゃないの。
皇帝は皇帝で、10〜20選していけばいいんじゃないか?
>>77 名義的にはイェケ・モンゴル・ウルスがダイオン・イェケ・モンゴル・ウルスに変わっただけだぞ
それにクビライだって間違いなくモンゴル人でモンゴル帝国の皇帝だし
この場合モンゴル帝国が中華帝国を取り込んでいるだけだ
取り敢えず、ここら辺は確定だと思うもの
光武帝 李世民 朱元璋 永楽帝 康煕帝 (統一王朝の皇帝でかつ名将)
項羽 石虎 慕容垂 劉裕 蕭道成 宇文ユウ 李克用 柴栄 (分裂時代の強国の皇帝で名将)
韓信 呉漢 李勣 曹彬 徐達 洪承疇 (統一王朝建国の代表的名将)
祖逖 桓温 斛律光 郭子儀 宗沢 孟キョウ 戚継光 袁崇煥 左宗棠 (戦力差をはね除けて国を支えた名将)
宇宙大将軍 (2chで最も愛される名将w)
>>78 テムジンは中国の英雄ではないよ。
この人、中原に王朝を開いた訳でも無いし
モンゴルを中心に活躍した人だからテムジンは中華英雄ではない。
モンゴル帝国=中華帝国ではないし、また違う。
テムジンは外すべき。
あと名君と名将を混合するのは止めるべき。
孫子とテムジンは外すべき。
孫子はあくまで名著作家であって名将とは違う。
テムジンはモンゴルの英雄であって元朝すら開いていないし
中国で活躍した訳でもない。
三国からは周瑜と司馬懿だけでいいと思う。
三国時代の人間ばかり選んでいたら他の時代から人を選出できない。
それと曹操と諸葛亮は武将とは違うと思う。
曹操って名君か名政治家のどちらかであって、
諸葛亮も武将ではなくて名政治家であるのならば選んでいいと思うし。
三国志は
曹操は赤壁と漢中が痛すぎだし
周瑜・孫策はもうちょっと生きてもらわないとだし
陸遜はあれで領土を拡げててくれればだし
陸抗は西陵はスゴイんだけど……だし
司馬懿・ケ艾は基本的に国力で上だし
と、主な候補が殆どケチが付くせいで、絶対に入るとまでは断言できない
>>82-83 ぶっちゃけモンゴルはどこから含めるんだ?
中華地帯を領有したとき?中華地帯に首都が移ったとき?中華文化と同化したとき?
初めなら中華の範囲によるが、チンギスの時代の後半とするかオゴデイの時代からかのどちらか
二番目ならクビライの時代から。三番目ならモンゴルはなしになると思うが
>>86 元朝を開いたクビライ以降だけを含めるべきだと思う。
モンゴルと元朝を同一に扱うべきではないし、
元朝とモンゴルは切り離して考えるべき。
>>87 ようするにモンケの死後にモンゴル帝国が分裂(まだ連邦的だが)したときに
モンゴリアと中華地方に直接的な影響力が限定してしまった大元ウルスは中華帝国にと言っても良いというわけ?
(細かい話を語り出すと絶対に纏まらないから適当な定義作って適応させた方が楽だと思うんだけど)
>>81 康煕帝は世襲皇帝だからなぁ・・・実力で王朝創始or皇位を獲得した他の4人に比べると
かなり見劣りする。
あと、光武二十八将から一人選ぶなら呉漢より耿弇か岑彭にしたいな。
元朝は中華王朝だけどモンゴル帝国は中華王朝とは別個の存在だからね。
中華王朝の創始者であるクビライとクビライ以降は中華英雄に含めるべきで、
モンゴル帝国の創始者でしかないテムジンを中華英雄に入れるべきではない。
>>90 元朝(ダイオン・イェケ・モンゴル・ウルス)だって名目的にも性格的にもモンゴル帝国ですよ
ただ政権交代時の政争で西側に大ハーンの直接的な影響力が及ばなくなり、地盤が中華地帯になったという事で
(だがら異民族の政権では中華帝国の定義付けがややこしくなるから、
>>16みたいなルール作って適応させていった方が早いって)
>>89 ん、まぁソレを言ったら李世民だって世襲は世襲ですよ
有能な父と兄が居たからより活躍したけども
康煕帝はアレだけ外征してるんだから見劣りすることも無いと思うけどな
どこぞの10勝皇帝とは違ってちゃんと勝ってるし
兵力3万の呉軍を率いて兵力20万の楚軍を破り、楚都を陥落させた
名将、孫武に対して武将として何かした人ではないとか名著作家であって名将ではないとかよく言えたものだな。
田中選から外すべきは政治家であって武将ではない伍員(子胥)だろ。
>>84 しかしそれでも、後漢末の動乱を一応治めた人物として、曹操の軍事的功績は
過小評価できるもんでもないでしょう。
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 11:06:21 ID:kfN7ayGBO
曹操は入れてもいいかもしれない
確かに負けは多いけど三国時代を代表する指揮官といえば曹操しか浮かばない
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 12:00:03 ID:xjaWDLbK0
オゴタイの代ですでに金を滅ぼしてるのにその部分まで除外するとかおかしいだろ。
>>97 俺もそう思う
オゴデイの時代で華北支配はなったんだから、その時点で中華の帝国になっていると言っていい
元という国号だってあれはモンゴル帝国が元という名前になったにすぎないんだから
モンゴル帝国は華北支配の成立からそれを失うまでの期間を含めればいいかと
(ただ、大ハーンからある程度分離したウルスは、その分離した時点で分けておくべきだろうが)
百人って結構多いよね。
名将とすると、いろいろややこしい問題が出るんだな。
英雄百選にしたらどうなるだろう?
もっとややこしくなるか・・・
>>100 そうかもしれんね、項籍なんか名将と呼ぶには先見性に乏しく度量が狭いように思えるもんな
范増の助言もことごとく退けていたし
いっそ、各人で百人のリスト作ってみるか?
各人ごとなら10人でいいって。
>>101 項羽は確かに組織のトップとしては難がありすぎるが、将としての能力は(戦術レベルまでは)確かだ
名将が必ずしも軍事以外の分野で活躍できて、英雄になれるとは限らないし
>>102-103 個人が中華通史から100人挙げるのは大変だし、10人だと少なすぎるでしょ
どうせ10人挙げるなら、その人の詳しかったり好きだったりする王朝・時代から10人挙げた方が良くないか?
そうだね、一つの時代に5〜10人くらいづつあげて紹介してもらえると、こんなヤツがいたのか
なんてマイナーな人物も知ることができていいと思う。
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 10:24:49 ID:Wxz1vDO/0
100人に絞るスレだから小粒な奴を挙げてオナニーされても困るわけで。
マイナー≠小粒
>>106 小粒なら小粒であげてみて、どこがいけないか、論評すればいいんじゃないか。
小粒と思っていても、人によって大きく評価する者がいるかも知れないし。
>>106 ていうか100人以上挙げて貰わないと絞りようがない
>>106 ほんと、手より口の動くタイプだよな…
ま、言ってることはわからんでもないが、小粒と判断するのもこのスレの役割ということにしないか?
で、だ。
皇帝などは省くという話を蒸し返しますが、例えば曹操を例にとってみよう。
仮に曹操が皇帝だったとして、その陣営で曹操を差し置いて誰か一人代表者を挙げよ、と言われたら結構迷うと思う。
これは田中ヨッシーも言ってたことだけど…
しかし、10人くらいまでなら挙げることは可能だよね? 小粒かどうかは置いといて。
夏侯淵、夏侯惇、曹洪、曹仁、李典や張遼、あと曹彰あたりも入る余地も出てくる… とか。
なにが言いたいかというと、五代後周世宗の陣営で、代表者を挙げろと言われたら、これと同質の悩みが生じるのだ。
世宗の強烈なリーダーシップで覇業に邁進するわけだけど、その陣営の司令官たちが、時代に冠絶するような名将か? と言われれば自信がない。
じゃあ小粒か? と言われれば、当時では名将の類だ、と言えるそういう連中がいる。
以下、それら。 小粒かどうかの判断は他に委ねる。 自分では贔屓目が働いて、それこそ
>>106の格好のエジキにしかならないから。
【名前】李重進
【所属】後周
【理由】後周太祖の縁者。郭威の頃より作戦に参与し、幾つかの進言をしている。
世宗期には節度使を兼ねつつ、禁軍の大将を努め、第一次寿州攻めのとき南唐の劉彦貞を完膚なきまでに叩きのめす。
江北平定のおりは別働隊を任され、各州を次々と平定する勲功がある。
世宗北伐の折は、淮南節度使となり新領土の鎮撫を任された。
世宗亡き後、趙匡胤のために挙兵に追い込まれ家族もろとも火中に投じた。
【名前】韓通
【所属】後周
【理由】郭威の李守貞討伐に参加し、勇猛をもって鳴る。高平の戦いののち、北面の防備を担い一度ならず契丹軍を退ける。
対後蜀相手の秦・鳳奪還戦のとき向訓の援軍として参加。鳳州を取るなど武勲を立てる。
江北平定のときは開封府の防衛と外城の建設を任され果たす。
燕雲十六州奪回のための北伐のとき、ときの禁軍は趙匡胤と二分され、水軍の趙、陸軍の韓と目されるほどとなる。
世宗が没すると趙匡胤を容認せず、早まった王彦昇のために殺された。
【名前】向訓
【所属】後周
【理由】郭威のとき潞州に配属され、北漢軍との戦いで勲功があり、高平の戦いにも参加した。精騎をもって陣中にあり崩れる味方を支えた。
勇猛さと剛毅さを世宗に買われ、対後蜀戦の大将として隴西に出兵した。
大散関に出て蜀軍と戦い膠着するも、蜀軍の糧道と退路を断って大勝した。
翻って江北平定戦に呼ばれ、淮南節度使として全軍の指揮を委ねられる。不利な状況の敵中にあって寿州城を1年ほど包囲し、再度世宗が親征するまで淮南へのくさびをゆるがせにしなかった。
世宗死後は趙匡胤に従い、李筠の討伐などに従軍し、あと幾つかの節度使を歴任後75歳で倒れる。
【名前】符彦卿
【所属】後周
【理由】父は李克用の仮子、李存審。 五代を通じての重鎮で生粋の武人。 幼い頃から騎射に通じ「符第四」との渾名を持って親しまれる。
契丹南下のとき奮戦するも味方に足を引っ張られるかたちで捕らえられるが、人物の剛毅さによって許され、自鎮に還された。のち後漢、後周と仕えた。
主に契丹との戦いで武名を上げる。後周皇后符氏の父ということから、趙匡胤からも礼遇された。
五代十国って単純に15の国として、1国に1人目立つ武将を挙げると、それだけで15人に…
かといって、一つの時代でみるには、世代交代もあるし…
この辺の判断は難しいか。 これでは五胡十六国時代が思いやられるかもね。
中国名将百選より東アジアの名将百選の方がいいと思うな。
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 19:57:18 ID:Ki586nPRO
>>111 それだと日本史の人物も入ることにならない?
>>112 うん、当然入るよ。何せ東アジア名将百選なんだから。
東アジア全体から選抜すれば選びやすいと思うし。
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 21:19:41 ID:ZrkXNwMm0
適当な時代・勢力で区切って、それで100を等分してその枠内で絞るべき。
清(後金含む)
明
元(モンゴル帝国)
五代十国宋遼金
隋唐
魏晋南北朝
後漢
前漢
春秋戦国
神話〜殷周
10等分して各時代に詳しい香具師が10人挙げて詳しい香具師同士で議論すればいい。
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 21:45:48 ID:HC3rwp8K0
後漢から10人も選べるのか?
神話〜殷周はさすがに外したら?と思う。
ただ、時代区分をもうけてそれぞれごとに議論していくというのは賛成。
で、10人に絞るんじゃなくて、10人枠に入れてもいい候補を挙げていくと。
無秩序でもいいから、そろそろ挙げていこうよ。
なんなの、この平行線。
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 22:40:47 ID:LEtdPQjk0
神話〜春秋戦国
秦・前漢
新・後漢
後漢末〜西晋
南北朝
隋唐
五代十国宋遼金
元(モンゴル帝国)
明
清(後金含む)
10等分にこだわってやや苦しいところもあるけどこんな感じで。
周代より前は、太公望一人でいいかな?
>>119 五胡十六国が消えてる……南北朝に入れろってことか?
【名前】石勒
【所属】羯族小部落−山東地方で家内奴隷−公師藩軍−前趙−後趙
【理由】西晋系軍閥の苟晞(青州)、劉昆(并州)、王浚(幽州)を悉く討ち平らげる
鮮卑段部、祖逖の北伐を撃退して関東に覇を唱えると、前趙のくびきを断ち切り自立
前趙帝劉曜と洛陽を巡り一進一退の攻防を繰り広げ、329年ついに前趙を滅ぼす
生涯に坑殺した兵卒、漢人官吏、匈奴部族、乞活集団は100万を越え、
300万人以上の漢人、胡人を強制移住させるなど、華北において暴虐の限りを尽くす
その一方で仁政家の一面を持ち合わせ、評価が非常に難しい人物
軍人としてなら五胡最強、本人評では劉邦>劉秀=石勒>曹操、司馬懿
君主だが、どうしても名将にいれなきゃ気がすまん
というか
石勒、石虎、石閔で後趙から三名
慕容恪、慕容垂で前燕から二名
十六国もあるのに、二つの国で半分を独占してしまうw
太公望は政治家であって武将ではないと思う。
戦術レベルで軍隊を指揮したか否かで分ければいいんじゃない?
ここの武将百選てのは単純な軍事能力だよな
それなら張良のように主君の幕下で戦略レベルで活躍した人物は外せる
劉淵or劉聡
石勒
謝艾
慕容恪
慕容垂
赫連勃勃
苻堅
王猛
個人的に十六国から挙げてみた
叩き歓迎なんで意見よろ
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 06:46:55 ID:Xuwy/ECtO
韓信はナンバー1でおながいします
永楽帝なんかもいいの?
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 00:11:22 ID:b6r/E8hhO
石勒が一番高く評価した劉邦は百選に入れなくていいんだろうか
とりあえず、どんな条件でも絶対入るってヤツ挙げていかね?
楽毅・白起・韓信・李靖・李勣・宗沢・岳飛・孟珙・…
拙い知識故、偏った例えで申し訳無いが
>>127 将の将としての評価だろうから、単なる名将としては入れなくても良いかと
>>128 袁崇煥・郭侃・郭子儀・陳慶之・班超らへんもほぼ確定じゃね?
韋叔裕・斛律光・王猛は個人的に推薦したい
田中の百撰を叩き台としてそこから外れるべき人物と替りに入れるべき人物を挙げていった方が話になりやすくない?
田中氏の百選で明らかにおかしい人物は誰になるだろう?
とりあえず32.関羽。
関羽は決して無能じゃないけど、劉備軍の中にあって独自に軍を動かして大功を上げたとかないから。
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 08:56:10 ID:b6r/E8hhO
ところで君主はアリになったの?
それと前の方で出てた日本史等からも選ぶという案はどうなったの?
>>124で書いてるみたいなんでよくね?
自身が兵を率いて戦った将軍ってのを条件としたらわかりやすくないかい?
武将としての戦績のみでランクインするなら君主でもおk
例えば「皇帝になった」のを評価するのは評価対象外だが
皇帝になるまでの過程で「〜の戦いで大勝」とかは評価する
そうすれば劉裕やら永楽帝やらもランクインできるかも・・・と思うのだが
そもそもガイエの皇帝になった人物は除外ってのが意味不明な分け方だし
と、意見を出してみるがどうかな?
>>135 > それと前の方で出てた日本史等からも選ぶという案はどうなったの?
どうなったかは知らんが、反応が薄いということはスルーされてるんじゃないの?
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 12:54:31 ID:b6r/E8hhO
>>136-137 ということは君主はアリで地域は中国に限定という事でいいのかな?
だとすると長命王朝を創建した劉秀、李世民、趙匡胤、朱元璋の四人は確定でいいんじゃないかな
>>138 俺
>>136だけど長命王朝の創始者というのは政治的業績だと思うんだ
>>136でもいってるけどそういう政治力は抜きであくまで将軍としての能力でつけないと
名将ではあっても粛清された人物などが不利じゃないかなと・・・
俺一人の意見なんで、名将百選の定義を練る叩き台にでもしてくれたら光栄です
まあ、その四人は将軍としても十分名将だと思うんで異論はないんたがw
>>139 その創業の4人は、軒並み超一流の戦術家でもあるから、名将に分類しても差し支えないよ。
>>140 趙匡胤は呂布に知恵がついておおらかになったような人物。 つまり、万夫不当の猛将でありながら、冷静さも兼ね備えた用兵家でもある。
皇帝になったあとは、劉邦のような人情家になったけど、一介の将軍のときは、それは凄まじい戦いぶりだった。
2千で3万やぶったりとか、一騎討ちしたりとか。
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 00:18:01 ID:lwp9gOS/O
今思い付く限りで統一は果たせなかったが名将と言える君主を挙げてみる
項羽、曹操、石勒、北魏の道武帝・太武帝、宇文泰、宇文ヨウ、
劉裕、蕭道成、陳覇先、後唐の荘宗、後周の世宗…
他には誰がいるかな?
143 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 00:30:46 ID:GL8xgk7S0
>>142 北宋の趙匡胤。意外だが、統一したのは弟の代。
後金のヌルハチも追加。
>>142 曹操は帝位にはついてないぞ。
魏になったのは曹丕から。
項羽も西楚覇王とはいえ王止まりで皇帝にはなってない
>>145 そもそも項羽が皇帝制を良しと思ってたかは微妙だと思うけどね
>>145 あと宇文泰もね
そう言われるだろうと思って「君主」って表現にしたつもりだったんだけどダメかな
金正日大将軍
>>143 どの範囲を制して統一かにもよると思う。
>>147 曹操や宇文泰はその気になれば帝位に就けたのに敢えて臣下の立場を通したから、
君主扱いするのは本人が望まないだろう。
>>142 後唐の李嗣源は忘れないでくれ。名将でもあり名君でもある。
耶律休哥は如何だろう?
中華最強の騎馬軍団だと思う。
>>152 別に100に入れることに反対する訳じゃないが、キタイを「中華」で「最強」かと言われると……
耶律休哥はふうつにランクインするだろう。
中華ではないが… 杉山センセに撲殺されかねん…
>>153 あまりそういう細かいことはこだわらなくていいと思う。
お遊びみたいなものだし。
名将の定義ってそもそも何なんですかね?
自分は「寡兵で以て多兵を制す」
という事が第一条件と思っとるんですが
>>155 俺がモンゴル好きだから変に思っただけだ
他意はない
158 :
152:2006/11/23(木) 00:23:59 ID:8NmFC1hT0
趣旨を理解できてなかった、すまん。
最強とかそういうのは言わない方がいいな。
>>156 それを名将の定義にしたら一体どれだけの将軍が候補から外れるんだ?
確かに寡兵で大軍破るのは評価には大きくプラスされるだろうが
60万の兵がいないと楚に勝てません
って言った秦の王翦は真っ先に失格ですな
「寡兵で以て多兵を制す」のを、そういう状況を自ら作って実行するやつもいれば(後漢・耿弇、晋・周徳威など)、相手の政治的不安や命令系統の不一致などを見越してやるやつもいる(梁・陳慶之など)。
高仙之のように、華麗な勝利を華々しい敗北でチャラにするのも存在するし。
だけど、「少数が大軍に勝った」という一事例だけなら、結構存在すると思う。 ただし、同じ将がそのまま勝ち続けることができているか、は別な話。
寡兵で大軍を破って、華々しい戦果を誇っても次には大敗、とかってよくあるパターン。
とりあえず、勝ち続けることの出来る将軍、ていうのが一番でないかと。
戦場や戦況は多様なんですから、勝利を収め続けることが出来るというだけで偉大です。一回や二回の大敗も、玉に瑕程度だと思います。
それに、拘りすぎると百人いかない、てことになりかねないので、基準はほどほどが一番ですけどね。
それとも、政治的、戦略的にどう見ても勝てそうにない相手を戦場の采配だけで倒してのける、ていうそれこそ世界中探しても百人いきそうにないのでも探します?
敵地で平坦な地形での野戦で寡兵を持って大兵を破ったなら評価しようw
まあ数がすべてというわけではないし
極端な話だが、近代装備をした軍はそんな装備をしていない軍にはまず負けない(イタ公除く)ように
士気、練度、補給、装備、地の利などによっては寡兵でも戦略的優位に立ってる場合もある
状況が許さず仕方なく寡兵で戦うことはあっても
始めから寡兵で大軍に勝とうと思ってるやつは馬鹿
孫子にも「少なければ則ち能く之を逃れ、若かざれば則ち能く之を避く」とある
まぁ野球ではよく言われることだが本当の名手は始めから
打球の方向を予測してよいポジションをとってるから
ファインプレーはしないということだ
兵法でも言う
良い将は平々凡々にやってりゃ勝てる状況を作り出せるので
見た目派手な活躍はあまり無い ってやつだ
騎兵1万で歩兵10万に勝ったというのは中国の歴史でも10回ぐらいはあったような…
騎兵対策をとらずに平地で戦えば騎兵がこの戦力差でも勝つらしい。
>>168 長い歴史から見て10回という数字はかなり少ないと思うが、
まぁ武装が違えばね、武装が同じなら双方の被害はだいたいランチェスターの
あの公式がほぼ正確な数字を出すらしい
しかしまぁ俺の意見なら本当の名将は歴史的にスポットライトを浴びたことがない人物になるなw
君主と実戦の指揮官では立場も違うし、高度な戦術を用いて寡兵で大軍を倒した指揮官なら名将と呼べるのでは
>>163 柏郷の戦いはまさにそれだ。 8万の歩兵相手に1万の騎兵で勝つという、戦史に記された勝利。
百戦奇略で、劉基もとりあげている。
誰の戦いかは自分で調べような。
>>165 まったくそのとおりだ。 軍事ロマンを語るのはいいが、それはあくまで例外。 寡兵で大軍を破るのは、ふつう非常識と考えねばならない。
勝ち続けた将軍なんているのかな? 致命的な敗北を喫さなかった、というあたりならいるが、それは戦略で補っていると考えられよう。
>本当の名将は歴史的にスポットライトを浴びたことがない人物
んなわかなかろう
確実な勝利でも勝利は勝利でちゃんと史書に残される訳だし
それこそ戦国末の秦ってのは国力で他の国を圧倒してた訳で
それでしっかり勝った秦の将の名前はちゃんと残ってるし、ここでも上げられてるじゃん
そんなことよりもっと名前を挙げて、個別に論評していこう。
わたしゃ最初からずっと名前挙げてるのに、誰も追従しないのはなぜ?
>>170 田中はん?もしかして田中はんやおまへんか
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 10:45:38 ID:V7rHQYkj0
張弘範は?
一国を滅ぼした武将はやっぱり名将とすべきだと思う
……っと、実質滅ぼしたのは伯顔で亡宋の三傑が相手でも残敵掃討に過ぎないか?
>>174 いや… 田中なんて武将は知らないぞ?
冗談はおいといて。
沙陀騎兵の馳突は、あらゆる会戦のほとんどが敵より少数での勝利が多い。
李克用にしても、皇軍となって黄巣と戦ったおり、1万7千で15万を丸1日かけて撃砕したとか(五代史記-唐本紀荘宗上など)。
>>175 言っちゃ悪いが、三傑もモンゴルにとってはおまけみたいなものじゃないか?
当時は帝国西側が拙い事になってたし
それにモンゴル帝国が屠って来た国・政権はかなりの量になるしね
>>176 あまり数だけ見るのもよくないけどね
数字が不正確なこともあるし、戦略的優位は別に数だけで決まるものでもないし
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 17:39:15 ID:24eJS0wk0
時代で分けるよりは、1世紀に3人くらいの方が公平じゃないか?
>>178 同じ一世紀でも治世と乱世を一律には扱えんだろ。
>>177 というより、三傑は本当に「名将」なのか?
どうみても勝ち目がない国に殉じた、っていう情念の部分で有名になったけど。
劣勢を挽回したわけでもなく負けるべくして負けたわけで。
皇帝が降伏しちゃったのに戦争を継続して結果死人を増やしただけではないか
>>180 最後の一行は蛇足だと思うが、そのとおりだと思う
名臣ではあっても名将ではないな
なぜかガイエは張世傑を百人にいれていたが
騎兵1万に何も対策もせずに平地でぶつかれば10倍いてもひとたまりも無い。
まして斥候も出さずに行軍しているところを騎兵に襲われたら20倍いても負けるだろう…
少数で多数を破ったとしても対戦相手が無能なら凡将でも大勝利できる。
名将とはお互いに相手を察知して不意打ちではなく正面から戦いその時代の代表的な敵国の将を相手に完膚なきまでに叩きのめすぐらいの戦果がないとだめだろう。
あんまりハードルを挙げすぎると100人集まらないよ
まず文句なく名将を決めて次にかなり名将、やや名将、ちょっとだけ名将と
ハードルを下げていくのもいいかもね
>>182 たとえば誰?
ちなみに、柏郷での戦いは、王景仁率いる梁軍を、大軍のゆえに怯懦せず、その質がさほどではないことを見抜いた周徳威が3千ほどの歩騎で攻撃を仕掛けたけど、王景仁はこのときとばかりに一気に総攻撃をしかけた。
周徳威は8万の梁軍と戦いつつも後退し、やがて広大な平野部に誘い込み、しかも戦い続けていたので、敵兵の腹が減っていることも見越し、待機させてきた残りの騎兵をもって、完膚なきまでに叩きのめしている。
最初から恵まれた地形にあったわけでもないし、統率者である王景仁が無能でもない。こういう戦史に残される鮮やかな勝利を演出した周徳威も、後の胡柳陂の戦いでは、混乱する味方を抑えられず乱戦の中に沈んでしまった。
>>177 数字は誇大表記が基本だしね。
五代史では、趙匡胤率いる部隊2千(うろ覚え)が、南唐李景達の2万と戦ったとき、斬首5千なのに宋書太祖本紀では1万余に水増しされているというワロス記述もある。
>>172-173 単純に今誰が出てるかよくわからないから語りにくいだけだろう
という事で既出人物のリストを作ってみた
・神話〜春秋戦国
呂尚(西周、斉)
孫武(斉、呉)
墨?(墨家)
呉起(魯、魏、楚)
楽毅(燕)
田単(斉)
白起(秦)
・秦・前漢
楚:項籍
前漢:韓信、周亜夫
・新・後漢
後漢:劉秀、耿弇、呉漢、岑彭、班超
・後漢末〜西晋
魏:曹操、ケ艾
呉:孫策、周瑜
司馬懿(魏、晋)
・南北朝
前涼:謝艾
前趙:劉淵、劉聡
東晋:祖逖、桓温、謝玄
後趙:石勒、石虎
前燕・後燕:慕容恪、慕容垂
冉魏:冉閔
前秦:苻堅、王猛
北魏:拓跋珪、拓跋Z
侯景(北魏、東魏、梁)
大夏:赫連勃勃
劉宋:劉裕
南斉:蕭道成
梁:陳慶之
北斉:斛律光
韋叔裕(?)
北周:宇文泰、宇文?
宇文ユウ(北周?)
陳:陳覇先
・隋唐
唐:李世民、李靖、李勣、郭子儀、李愬
・五代十国宋遼金
晋・後唐:李克用、李存孝、李存勗、李嗣源、郭崇韜
南唐:劉仁贍
後周:柴栄、李重進、韓通、向訓、符彦卿
北宋・南宋:趙匡胤、曹彬、范仲淹、狄青、宗沢、岳飛、孟珙
遼:耶律休哥
・元(モンゴル帝国)
トゥルイ、スブタイ、ウリャンハタイ、郭侃、張弘範、バヤン
・明
朱元璋、徐達、李文忠、藍玉、兪大南犬、朱棣、于謙、胡宗憲、袁祟煥
・清(後金含む)
ヌルハチ、康煕帝、左宗棠
洪承疇(明、清)
時代区分は
>>119に従ったが、複数の勢力に在籍した奴や事実上の建国者やその部下なんかは
勢力の分類に困ったんで適当だw
ところで、韋叔裕、宇文ユウ、兪大南犬ってよく知らないんで誰だかわからなかったんだが
>>187 そりゃいくら検索しても見つからないわけだorz
>>100か
>>50毎に確定リストを更新していった方がいいと思う
名前があがってるリストじゃなくて
ほぼ確定だろ?リストが何回かでてるから
それがまずテンプレ
で、次の
>>100か
>>50レスまでに2〜5人ぐらいづつ増やしていこう
190 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 23:29:35 ID:Ie5xHdgTO
宋の李顕忠
秦の王翦
狄青
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 23:49:37 ID:Z+3QIUdNO
>>186 個人的には好きな人物だけど符堅は外してもいいんじゃなかろうか
彼の軍事的成功は王猛の力に依る所が大きいしなによりヒ水の敗戦が痛過ぎる
五胡十六国・南北朝に偏りすぎてるな。
秦の王翦 前漢の衛青 北斉の高長恭 金の宗望、宗弼 明の常遇春
あたりは?
とりあえず、今は候補者をガンガンだしていって数を揃えるべきかと。
んで後になって削っていくでいいんでない?
高長恭は戦績が少なすぎるとオモ
蘭陵王の話で過大補正がかかってるかと
名将には違いないが
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 02:42:03 ID:jsisnWo/0
金の完顔陳和尚も入れてやれよ。
おまいらの好きな寡兵で大兵のモンゴル軍を破った武将だお。
歩兵で10倍の騎兵を破った人とかいない?
いたら名将確定だけど
史上最強の宇宙大将軍は当然当確だよな。
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 16:42:26 ID:WTJAOlZO0
>>192 ヒ水を理由に符堅外すなら
赤壁を理由に曹操外すべき
>>200 いやぁ… 苻堅はまさに淝水のあと転落するように退場したろ。
曹操はその後も最大勢力を保ったじゃないか。
赤壁の戦い自体が胡散臭いのだが
大敗したはずの魏の主だった武将が全然死んでないし
そういう天下分け目の戦いというわけでもなかったろうが、曹操自身その後大軍をもっての南征をしてない以上、南北統一の機会といえば赤壁の河下りということになるのだろう。
武将の仕事はもちろん戦いに勝つことだが、春秋戦国以降の武将の最終目的はやはり天下統一
建国の名将は実績的な面で最大評価をするべき
建国のための戦いで数多く勝利をおさめ、功績の大きい人物は外すべからず
話題が散漫になるから、時代毎に議論していった方がよくないか?
その時代時代に得意な人と苦手な人もいるだろうし。
最初は春秋戦国からで、大体の候補を決めてく感じで
それは自分の詳しい時代に差し掛かるまではROMってろと?
王翦を超える統一貢献度の高い名将などいない
といってみる
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 00:35:19 ID:aYuH8mUGO
王翦の時は秦が他の六国を圧倒してたからなぁ
個人的には長平の戦いを勝利に導き秦の絶対的優位を決定付けた白起の方が凄いと思う
嬴政は除外?
名将の定義に依るかと。
王翦の凄いところは、水陸両面でオールマイティに采配を揮い、
君主の軍事的行動の要求に必ず応え、それでいて自らの生を
全うさせたことだね。
>>213 だよね。
上の方で「自分で軍を率いた」というのを条件としようというレスがあったので、それに従うんなら嬴政は除外されるべきだね。
信陵君が救援に駆けつけた趙、魏、楚連合軍に負けた
(白起はこのへんで処刑されてる)
その後も魏の救援に駆けつけた信陵君率いる連合軍に負け
春申君率いる楚、趙、魏、韓連合軍が秦地に侵入、函谷関まで迫った
趙では李牧に惨敗
(このへんまで六国全て残ってる)
楚では項燕に大敗
確かに秦一国抜きんでたけど予断は許されない状況
白起は確かに名将だが長平の大勝利は現実には趙括が無様な負け方をしただけ
王翦の活躍は国を、一つのまとまった勢力そのものをきちんと倒した
征服戦争をも遂行したという点で注目される
この結果、中国という領域を確立させた秦帝国の登場をみる
そういや、リストに李牧がいないな。さすがにこいつは外せないだろう。
あと個人的には宋のチュウ師道と金の僕散忠義を推す。
白起が処刑されてるとか
長平の戦いを趙括が無様な負け方をしただけとか
物凄くバイアスを感じる
その鬱憤を日本にぶつけられても困るよな
219 :
↑:2006/11/26(日) 05:51:57 ID:PjYcxhT50
すまん。誤爆だ
>>215 後半のまとめはガイエの武将列伝まんまじゃないか・・・
確かに王翦は秦代随一の名将だと思うが・・・
戦国時代で楽起・白起・王翦・魏無忌・李牧あたりはほぼ確定かな?
田単を推す声もあるけど俺的には百人に絞るとランクインは苦しいと思うんだがどう思う?
>>220 いいたいことは判る。
田単こそ、田中芳樹がいう「平均点が出しにくい」武将だと思いますよ。
陸遜を削る理由にあげたような。
田単は楽毅とワンセット扱いでいいんじゃね?
楽毅無しで語れないし、一発屋感強いし
一応ちょっと名前がでてた墨子と孫武は?
あと個人的に管仲はどうなのか聞いてみたい
墨子は、戦術家に徹してたから、戦略面の評価が出来ない
という点で微妙かと。
孫武は、実戦指揮官としても優秀だし名将で良いと思う。
君主が交代しなければ、もっと戦績を残していたはず。
管仲は、将として斉領土内でなら抜けた存在であったけど、
強力な将帥と戦っていない点で評価を下げて良いかも。
孫武が軍を率いて敵を倒した話なんて知らんぞ
愛妾を斬った話と郢を攻めるのを時期尚早と諌めた話しか知らん
>>227 >兵力3万の呉軍を率いて兵力20万の楚軍を破り、楚都を陥落させた
これの出典は何?楚都郢を陥落させた話は簡潔にしか書かれてないんだが
3万、20万の数字はどこから出てきたの?
>>227 俺に言われても困るが、93が電波飛ばしてたって事でいいんだよな
一応93が言ったあとに誰も反論しなかったんで一応ほじくり返してみたんだが
>>229 いや、単に俺が知らないだけでデムパと決め付けるのもあれだと思うが
自らの著書「孫子」通りの戦い方をしたのなら普通に勝つべくして勝つ戦いをして
勝ったわけだから特に記述するようなこともなく簡潔に書かれるわけで
3万で20万と戦うという戦い方は「孫子」に矛盾するし、なにより楚都郢を
攻めたいという呉王闔盧に時期尚早と再三再四慎重論を唱えてきた
それまでの行動と矛盾するのだが
まぁ寡兵で大軍を撃破するような華々しい軍功がなくても孫武は名将に違いないと思うが
>>217 仕方ないやん、事実やん
長平の戦いで趙括がとった行動は三流もいいとこ
>>220 王翦をどうしても残したかったので頑張ってみた
俺が頑張らなくとも残っただろうけどね
逆に四十万もの捕虜を与えた趙括を感心すらするわ
白起のあれを処刑とは言わんでしょ、少なくとも中国感覚では
長平の戦いで白起のとった戦略、戦術がが平凡もいいとこだったら
趙括が無様な負け方をしただけとも言えるかもしれないけど、自分にはそうだとはとても思えないんだ
40万の兵士を40日以上にわたって封じ込め続けるなど、名将ならとるに足らないことなんだろうか
>>233 処刑は言い方が悪かったかもね
長平の戦いは白起だからあれほど鮮やかに勝ったってのは確かにあるかもね
235 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 23:15:09 ID:aYuH8mUGO
白起はもう確定でいいんじゃないかな
春秋戦国時代に白起を超える将軍はそうそういないと思われる
孫武について分かるだけ書いてみる(長文すまん)
呉王闔閭(在位前514〜前496)は春秋五覇の一人に数えられることもあ
る。呉は新興の小国で、楚は中原を狙うことも可能な大国であり、それ
以外にも斉という大国とも隣接していた。
その代、伍子胥・孫武の両将を主力として、紀元前506年には楚の首都・
郢を陥落させた。
伍子胥・孫武は、闔閭の即位後に呉に仕え8年間の間に、これらの大国
と対抗できる軍備を整備し、その大国を滅ぼすだけの軍事的な成功を収
めている。
闔閭の太子・夫差が即位し、伍子胥が誅殺(前484)されるのと前後し
て孫武は呉国から姿を消す。なお、呉国はほどなくして滅亡する。
ここからは推測が混ざります
伍子胥は、郢の陥落後に闔閭の政治的補佐役として宰相を務める。孫武
は、軍事の中枢にあったと思われる。よって、当時の呉国で軍事的に最
も優れていたのたのは、孫武でしょう。
>>236 他の春秋戦国の名将と比べても、際立って強そうじゃないな。
リストから外していいかも。
>>237 楽毅と同じレベルのことはしてると思うんだがな
確かに戦功だけで言うと100人入りは難しそうだな
中国史の中でもかなり古い時代だから資料も史記オンリーだしな
孫子の兵法書を書いたネームバリューのが上だろうな
俺的には外したいところ
後の世の名将たちに与えた影響がでかい、ってことで評価したいなあ
春秋戦国から十人出すんなら入れてもいいんじゃないか
春秋戦国時代は500年を超える期間だから10人は入れてもいいんじゃない
>>119の時代区分なら西周春秋戦国から10人は出せるよ
(他の時代との兼ね合いから削られる可能性もあるけど)
補欠を加えて12人位は出しておいて良いんじゃない?
つーかね、一人名前を挙げてはゴチャゴチャ言ってうやむやになったまま
次の武将の話題に移ってまたゴチャゴチャ言って、って全然前に進んでないな
とりあえず暫定的に100人前後名前を挙げて
そこから武将を足したり引いたりする方法をとらない?
10等分10人枠のなかで調整してった方がいいだろ
白起
呉起
王セン
李牧
楽毅
孫武
田単
墨子
呂尚
管仲
とりあえず神話〜春秋戦国は今までに10人候補あがった。
補欠入りやリスト外しするなら今のうち。
246 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 11:20:58 ID:OE/Lc3tCO
墨子は外してもいいんじゃないだろうか
代わりに伍員を推す
247 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 11:25:20 ID:XWrjbjEY0
GOOD!
しかし…
史料を漢籍に頼らざるを得ない時代でも、ここまで熱く語れるだろうか。
正史全編もってる人いる? あるいは特定の時代でもいいけど。 自分は猫に小判ながらあるにはあるが…
全史に精通した人がいればなぁ
廉頗は?
蘭相如と両名が健在なうちの趙は、秦に侵攻されなかったということでも、
相当な将帥なのでは?
>>245 魏無忌忘れてやるなよ
あと王翦は戦国秦と統一秦のどっちに入れる?
ところで芸術的な戦術を披露してくれた孫ピンは?
管仲は将軍じゃねーよ
孫?は田忌の軍師的なイメージが強いな。
孫?自身は、彼の前歴からして将として実戦の
指揮を執ったことは無いと思われる。
254 :
253:2006/11/27(月) 20:28:32 ID:K9wU4VUH0
文字化けした。
孫?=孫ピンです
>>245から李牧と管仲を抜いて、孫賓と楚の子文を入れたいな。
>>245 孫武と田単を上下逆にして孫武以下は除外してもいいような。
一応、自分で兵を率いて戦ったか?を基準にしてみた。
呉が楚を討ち斉や晋に対して威勢を示したのが、孫武は自分で実際に率いてのものなのか微妙。
実際のところどうなんでしょう?
伍子胥や孫武以上に優秀な実戦指揮官が、当時の呉に居たのなら
それなりに名を残しているはずなんだよね。
>245 春秋と戦国も分けた方がいいんじゃないか?と思いつつ
管仲と墨子を外して、范蠡を挙げてみる
>>257 ああ、そういう考え方もあるか。
でも斉の桓公の時代の将軍って誰になるの?
桓公の親征だっけ?
>>255 管仲を抜くのには賛成。李牧は実績があるので、候補に入れとくべきでは。
春秋組はやっぱり五覇の関係者が候補になるのか?
春秋五覇で、将により軍事的に他国を攻める等で中原に
覇を唱えたのは呉王闔閭と越王句践の関係者だけじゃね。
>>260 夫概ってのは、兄に対して謀反を起こして速攻で鎮圧され
た人間だし、勇将くらいには評価できても、名将として名を
残すに値しないだろ。
夫概ってでも、柏挙で手勢五千だったと聞く。
優秀な前線指揮官だったかもしれないけども、
その程度の兵数しか(勿論五千は大した数ですが)持てなかったのは、
やっぱり前線指揮官どまりじゃね?
>>263 斉の桓公:多くの近隣小国を併合、魯・楚・夷狄を撃破
秦の穆公:晋の恵公を破り捕虜にする。西戎を伐ちそこに覇を唱える
宋の襄公:桓公死後の内乱中の斉には勝てたが、楚相手に馬鹿をしでかし惨敗
晋の文公:秦の援助を受け、兄を破り政権奪取。周の内紛を納め、楚を破る
楚の荘王:陳を併呑、鄭を下し、文公死後の晋に大勝し、宋も下す
襄公を除いて、みんな一通りの軍事的功績は残せてると思うが
まあ「宋襄の仁」はこのスレのテーマとは対極でしょうなあ
士会は?
なんか凄い武将なイメージがあるんだが。
>257
なんたって孫武自身が著作の中で「勝って後に戦う」と述べてるくらいだから
彼と伍子胥が軍事に携わってた頃の呉があれだけ勝ってるにもかかわらず
エピソードに残るような印象的な戦いが少ないのは当然と言えば当然なんだろうな。
趙奢が入っとらんじゃないかああぁあ
孫武・孫ピンは名参謀100選なら文句なしにランクインだろうけど
他に十人適当な候補がいるなら削るでいいと思う
楽毅
魏無忌
白起
李牧
王翦
スレの流れ的にここらへんはほぼ当確枠かな?
個人的には(ガイエもあげてたけど)実質、春秋時代の扉を開いた趙無恤はどうだろうか?
>>266 富国強兵で自領土内を統一し、近隣の小勢力を破ったまでの
軍事功績だと思われるのだが、その中で最大の功績を挙げたは
ずの管仲でさえ、このスレでは候補から外そうという意見が出てい
るのだし、呉王闔閭と越王句践の関係者以外は対象外でしょ。
このスレの住人は戦争が強い奴より戦闘が強い奴の方が好きみたいだからな
>>272 ぶっちゃけあいつ等、他の五覇と比べて軍事的功績そんなに大きいか?
確かに五覇クラスの首都を陥落させたのは闔閭と句践だけだな
他は五覇クラスに勝ってもそこまで攻め込んでいない
>>272 管仲は政治家であって、将軍ではないだろ。
政治家と将軍を混同してる奴は消えろ。
ちなみに管仲の時代の斉の名将は王子成父(王子城父ともいう)。
評価対象にするとしたら、こっちじゃないかなあ。
>>277 伍子胥や呉起なんかは宰相と将の両方で実績を残してるんだ
けど。
五覇になると王か宰相が直接指揮を執ったのか、将が指揮を
執ったのかが不明な場合が多いな。
それで、王子成父はどの程度の戦功を挙げてるの?
評価するならその辺りを書いて欲しいけどな。
280 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 20:51:11 ID:UnZyaTkw0
>>279 伍子胥や呉起は入れてもいいと思うよ。
二人とも、政治家であると同時に将軍だ。
管仲のように政治家であるだけなのに、
候補にあがるのがおかしいってだけ。
王子成父は「軍令を明らかにして、賞罰を正しく行い、王を諸侯の覇者とした」とあるが、
歴史書に記された軍功は、たった一つ。
攻め入ってきた異民族を撃退し、敵将を殺したのみ。
孫武と同じく、具体的な戦功を欠いてる点で、候補とするには弱いな。
>>280 桓公自身は軍に明るい人物というわけではないという評価だし、
そうすると斉国の軍権を握っていたのは、管仲と王子成父のどち
らになるの?
管仲だとすれば純粋な政治家ではないということだし、王子成父
ならば彼を相応の将として評価してもよくないかね。
>>281 管仲は軍を率いたという記録さえない。
王子成父が全軍の軍権を握っていたのか、
一将軍に過ぎなかったのかは不明だが、
当時の斉を代表する名将であったことは確からしい。
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 23:20:01 ID:Rc/klTjX0
日本や欧州での知名度からして孫武をはずすわけにはいかない。
実績?知らんけど
軍を率いて稲刈りに行った
>>283 史記の孫子呉起列伝より
原文
於是闔廬知孫子能用兵,卒以為將。西破彊楚,入郢,北威齊晉,
顯名諸侯,孫子與有力焉
いい加減に訳すと
闔廬は孫武が用兵に優れていることを知り、これにより将に任命した。
西に楚を破り郢の都に入り、北では斉や晋に威勢を示し諸侯の間に呉が
名を現したのは、孫武が有力な将であったから。
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 00:34:22 ID:i+IIY8eG0
1.神話〜春秋・戦国 ← 今ココ
2.秦・前漢
3.新・後漢
4.五胡十六国
5.南北朝・隋
6.唐・五代十国
7.宋・遼・金
8.元(モンゴル帝国)
9.明
10.清(後金含む)
先が長いんだし、そろそろ春秋戦国の10傑決めよう
楽毅
魏無忌
白起
李牧
王翦 この辺当確?
その他名前の挙がった候補者
呉起・孫武・田単・墨子・呂尚・管仲・伍子胥・廉頗・句践・范蠡・闔閭
287 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 00:46:44 ID:AYkOeapjO
晋の先シンなんてどうだろう
文公重耳に仕えて城僕の戦いで大将となり楚を破り晋を覇者にし、
コウ山で秦軍を破り秦の穆公の東進を防ぐなどなかなかの戦績を残してると思う
先越された感があるけどまとめ
西周春秋戦国の初案は
>>245 「…」以後はレスからの要約
入れるかどうか再考中の武将
・墨子…外してもいい?
・王セン…戦国秦の統一秦どっちに入れる?
・管仲…将軍なくて政治家?
・呂尚
・孫武…「勝って後に戦う」だから印象的な戦いが少ないのは当然?
名将ではなく明参謀?
・李牧…実績があるから候補に入れとくべき?
追加を検討中の武将
・伍員(子胥)
・廉頗
・魏無忌(信陵君)(ほぼ確定か?)
・孫ビン…田忌の軍師的イメージが強い?実践の指揮を執ったことは無い?名将ではなく名参謀?
・夫概…伍子胥や孫武より実践では上?前線指揮官どまり?
・士会
・趙奢
・趙無恤
・王子成父…具体的な戦功を欠いている?
・先軫
流れ的に確定っぽい武将は
>>271
趙奢は閼与の戦いで名将らしさを発揮したよ
重耳前後の晋の将軍はあんまり話題に上らないねえ
>>286 この段階で十傑と無理に縛ると決定が延びるから
とりあえず十人前後ぐらいを決めておくのが吉
個人的には初案からまだ2,3日しか経ってないんだから
もうちょっと様子を見てもいいような希ガスるが…
春秋戦国時代の戦闘に関する記述は抽象的なものが多くてなんとも判断がしにくいんだよね
挙がっている候補の中では白起や楽毅といった有名どころは確定でいいと思うよ
>>291 戦国はまだしも春秋は指揮官なんかの細かい情報がな……
で、左氏伝なんかも読んでみたけど楚の荘王(熊侶)はどう?
主な戦いは親征してるし(ヒツの戦いで孫叔敖が突撃命令出してるのが気になるが)
士会ってどうなんだろう。宮城谷小説読む前は名前なんて聞いたことなかったし。
春秋戦国好きの方には割りとメジャーなの?
実績、という点をみるのなら、呂尚はどうしたって外すしかなくなると思うが。
あと推薦としては
秦の昭王の征服戦争を支えたもう一人の名将、蒙ゴウ。
それから蜀征服を行い対魏、対楚戦で戦功を挙げた司馬錯、五カ国連合軍を破って
常勝を誇った樗里疾。
しかしこのあたりは、戦国なのか秦なのか。
ひとつの目安として、その将が居なくなった後に、その国が
どうなったかで判断できるような。
白起→王翦や廉頗→李牧みたいに、後継の主将が非常
に優秀であったり、秦のような人材が豊富であった国では例
外もあるだろうけど。
しかし西周だとあいつしか思いつかないというのが……
白起と李牧はいるいないで戦果が露骨に違ってたな
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 23:15:13 ID:ey5SslPaO
秦は兵も優秀だからなぁ
300 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 02:07:27 ID:GhQBWBFpO
もう春秋戦国を語ってだいたい100レスだ決まってなくてもいいから次の秦〜前漢時代にするぞ!
ここも十人ぐらいか
そう順番にやっていっても三国以降どんどん議論が成立しなくなる気がする(話せる人が少なくて)
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 08:40:44 ID:DjPTCiTM0
それは三戦板の住人だけだろww
とりあえず、衛青どうする?
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 15:48:38 ID:pY4Ltlll0
むしろ早く異民族達を語りたいぜ?
ここって世界史の人も多いと思うし、話せなくなることはないんじゃないの?
自分としては宋末や元末時代を語りたいのでそれまで待機中。
秦〜前漢だと楚漢戦争に偏りそうなのでパス。
307 :
まとめ:2006/11/30(木) 16:57:32 ID:J0+WcsAj0
とりあえず楽毅、魏無忌(信陵君)、白起、李牧、王翦は確定、
以下を候補として統一秦〜前漢に話題を移すか。
「…」以後はレスからの要約
・墨子
・王セン…戦国秦と統一秦どっちに入れる?
・管仲…将軍ではなくて政治家?
・呂尚…実績が無い?
・孫武…「勝って後に戦う」だから印象的な戦いが少ないのは当然?
名将ではなく明参謀?
・伍員(子胥)
・廉頗
・孫ビン…田忌の軍師的イメージが強い?実践の指揮を執ったことは無い?名将ではなく名参謀?
・夫概…伍子胥や孫武より実践では上?前線指揮官どまり?
・士会…メジャーなのか?
・趙奢…閼与の戦いで名将らしさを発揮?
・趙無恤
・王子成父…具体的な戦功を欠いている?
・先軫…戦功はある(
>>287参照)?
・楚の荘王(熊侶)
・蒙ゴウ、司馬錯、樗里疾(
>>295参照)
308 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 17:15:49 ID:SalJAk9+O
確定しているのは5人か
田単はまだ候補に挙がってないの?
次の時代は秦末(始皇帝の死)〜前漢末(王莽の簒奪)くらいまででおk?
まあ、まず外れないだろうというのは
項籍
韓信
霍去病
(衛青)
班超
ここらへんはほぼ確定じゃね?
冒頓はありかな?
匈奴オッケーならランクインは確実だろうね
個人的には霍去病(対匈奴戦争で活躍した人物)入れるなら匈奴側からも入れたいが
310 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 17:23:36 ID:SalJAk9+O
>>309 班超好きとして一言言わせてもらうと
班超は後漢代の人物です
>307
呉起・闔閭・句践・范蠡・田単とか抜けてるな
蒙恬、章邯、英布、彭越辺りは入るのかどうか
彭越は入るかな
>>309 匈奴の冒頓はさすがに外国人扱いじゃないか?
周文を挙げてみたい
戦国時代、誰も抜けなかった函谷関を抜いた事実は大きいのでは…
その後章邯に敗れ、その章邯も項羽に降ったから百人の内に入れるのは厳しいと思うけど
>>310 正直すまんかった
勘違いしてますた
俺も班超好きだぜ
>>314 冒頓はさすがにアウトか
これ以後の時代はは異民族の将軍もランクイン候補が増えるだろうから定義決めてたほうがいいかもな
中国式の王朝名・元号を用いている政権に所属する人物に限定するとかどうかね?
それだと阿骨打や陳和尚・郭侃などは条件に該当するが冒頓・スブタイやチンギスらは除外できる
>>314 この後非漢民族の政権が大量に出てくるし、一概に匈奴だからといって排除は出来ないぞ
(まあさすがにこの時代の匈奴を入れるのは俺も違和感があるんだが)
>>316 ってそうなると大越がアリにならないか?
華北を支配した遊牧民族国家の人物に限定しようや。
五胡や契丹、モンゴルは含めるという事でいいんじゃない?
冒頓及び彼の時代の匈奴はそれに該当しないので却下。
もう全部中華みたいな思想って世界帝国の唐からじゃないかな?
>>319 それだとオゴタイハーンの時代も包括してしまうがありなのか?
非漢民族の政権、武将については
>>7-15あたりも参考にしてね
>>318 うろおぼえですまんが
大越はいわゆる中国本土に領土をもってなかったからアウトじゃない?
>>321 二十四史の一つの元史で扱われていて、金を滅ぼし華北を制圧したのに何か問題が?
>>322 一応あれだけで当てはめようとすると出てくる矛盾点だったので
後、西夏もそうだね
ていうかモンゴルで何回議論になってるのやら
お互いに譲る気無さそうなのが問題か?(俺を含めて)
候補だけなら、匈奴からもだしたらいいじゃないか。
それで誰をランキングすればいいかもあとで議論するし。
ま、匈奴の英雄ってどんなのがいるか、単于以外に知らんけどね。
>>323 確かにモンゴル関係はちゃんと決めとかないと後で荒れそうだな
俺はモンゴルスキーなので大歓迎なんだけど元の時代がモンゴル武将にほとんど占領されないか?
異民族関連については中国本土で兵を率いて戦ったってのを条件にするのはどうだろうか?
>>325 俺もモンゴルスキーだから色々と言ってたりしたが、逆に大元に国号が決まった後(1271〜)に限定されると、
モンゴル十八番の大征服に関わった有名モンゴル人武将がかなり少なくなるという問題が……
(こと軍事力に限定するとクビライ政権発足してからは衰退期に入っちゃってるし
東西で政権自体は分裂した形になったんだから当たり前なんですけどね)
まあ時代の長さ自体はあまり長くないから贅沢言えないんだけどね……
中国本土内で戦ったのを条件とすれば
スブタイ
トゥルイ
フビライ
モンケ
ウリャンハタイ
アジュ
バヤン
郭侃
張弘範
チャガンティムール
ココティムール
元代のモンゴル武将で百選には入らない奴もいるけど武功立てた奴はこんな感じ?
けっこういい加減な記憶力で列挙したから抜けとか多そうだ
リデル・ハートがスブタイをべた褒めしたお蔭で、マンシュタインやグーデリアン、ロンメルまでがスブタイファンにw
張柔って張弘範の親父だっけ?
異民族に関しては、長城を越えて中原に国家を建ててからとか決めてなかったか?
つか、漢代の話しようよ。
で、条件は中華本土で戦ったことのある遊牧民はいれるということで。
つまり攻めて側かな。
ていうか暫定でもいいから春秋戦国時代の十選を決めておいたほうが良くない?
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 23:19:21 ID:hlJGKiGc0
春秋と戦国では戦い方、考え方が全然違うので違う時代として分けた方が
いいのでは?
今皿な発言で申し訳ないんだが、
語れる人(厨含)が多くて喧々諤々になる春秋戦国〜三国時代あたりは、
むしろ後に回した方が良くないか?
語れる人が少ない清代から遡る形式の方が逆に決まりやすい気がするが。
おまいら自分が好きな時代を語りたいのは解るが、ここはじっとガマンしてくれ。
俺も早く南北朝を語りたいが・・・
という訳で、春秋戦国組みは早く10傑決めてくれ。
皆ガマン出来なくなってきてるぞ!
では私の推薦は。
>307でいくと確定5人にプラスして
・廉頗 秦の統一征服戦争に抵抗した武将達の代表格として。
・伍員(子胥) 呉による対楚戦争の代表。
・樗里疾 実際の戦功で。司馬錯は征蜀論など、戦略方面かな。蒙ゴウは白起がいるから譲った。
あとは
・王子成父
・先軫
この二人はそれぞれの主君を覇者に押し上げた軍事功績の代表として。
>>307の確定5人以外の推薦ね
廉頗 和氏の壁の故事の契機となる秦の侵攻を撃退するなどの
軍功があり、李牧の先任の趙国の主将であるから。
伍子胥 呉による対楚戦争は、楽毅の燕による対斉戦争と対等の
評価で良いと思う。
孫武 同上であり、史記の記載では、将とされているため。
呉起 在命時の魏・楚の隆盛と死語の楚の凋落から。
残り1名は、范蠡・樗里疾・趙無恤のいずれか一人ってことで
突然書き込みが無くなったねえ。
十傑を決めるなら、
>>307にプラスして
樗里疾、廉頗、先軫、伍子胥
あと呉起、孫武、田単のどれか一人
ただ、どうせ全時代をピックアップしてから
「この時代は他と比べると10人も名将はいない」
とか「この時代は10人では足りない」とかで
各時代10人となることは無いだろうから、
今から又ゴチャゴチャもめて十傑決めるより、
このあたりで一旦切り上げて次の時代に行ってもいいと思ふよ。
まとめはあるんだから。
趙無恤
これは要らんでそ。
禾中世コウを入れたい
342 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 12:17:12 ID:PMzNdt7zO
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 15:59:19 ID:vgDQhBIa0
呉起は外せんだろう。
七十六戦六十四勝十二引き分け無敗の実績は素晴らしい。
相手がy
うーむ動きがない。ここは>307で一時保留にして、次の時代に移りますか?
では
楽毅、魏無忌(信陵君)、白起、李牧、王翦を確定。
以下、候補者
・墨子
・管仲…将軍ではなくて政治家?
・呂尚…実績が無い?
・孫武…「勝って後に戦う」だから印象的な戦いが少ないのは当然?名将ではなく明参謀?
・呉起
・伍員(子胥)
・廉頗
・孫臏…田忌の軍師的イメージが強い?実践の指揮を執ったことは無い?名将ではなく名参謀?
・夫概…伍子胥や孫武より実践では上?前線指揮官どまり?
・士会…メジャーなのか?
・趙奢…閼与の戦いで名将らしさを発揮?
・趙無恤
・王子成父…具体的な戦功を欠いている?
・先軫…戦功はある?
・楚の荘王(熊侶)
・蒙驁
・司馬錯
・樗里疾
で「統一秦〜前漢」に移行と。
ところで>341の「禾中世コウ」がどんな人物なのか判らん。
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 02:11:12 ID:U8A2p6Bk0
統一秦〜前漢か・・・・
とりあえず、確定っぽい人
項羽・韓信・衛青・霍去病・班超
候補者
・蒙恬 統一秦でいいのか疑問だが
・章邯 囚人軍での戦功という事を考慮すれば、確定でいいかも
・項梁
・彭越 ゲリラ戦のプロ
・英布
・曹参
・田横 英雄と称えられた。項羽相手に善戦
・周亜夫 呉楚七国の乱平定
・李広 不運の将軍。実力はちょい疑問
・李陵 囮の軍五千で匈奴精鋭3万と戦った。まさに獅子奮迅
とりあえず、書いてみた。叩き台にしてくれれば幸いです。
「統一秦〜前漢」
韓信、衛青、霍去病は確実だと思うが
項羽、劉邦、章邯、彭越、周亜夫は微妙かな
あと、冒頓単于は入れるのか?
350 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 03:05:04 ID:YMMrq7tC0
冒頓は当時中華じゃないだろう
351 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 03:50:16 ID:BsW7Tiv4O
>>348 そこに班超を入れてるのは
>>309でミスって班超入れた俺への嫌がらせですか?
そうだね冒頓は入れたいけど中国名将百選としては不都合かな
前漢の名将といえば陳湯はどうだろ?
当時、強盛を誇った匈奴を破ってシツ支単于を討ち取っている
灌嬰
楚の本拠の彭城を降伏させ、亥下で敗れた項羽を追跡して斬っている
他戦功多数
周文
戦国時代、誰も破れなかった函谷関を撃破
直後、戯水で章邯に敗れる
354 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 09:43:46 ID:dOKa2VJO0
田中ヨッシ
355 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 09:52:32 ID:U8A2p6Bk0
>>352 ごめん・・・・・ (/ω\)
班超と張騫を間違えた。
ホラ、何となく西で頑張ったって事で勘弁してくれ
>347
ごめん、まだ春秋戦国の人物選びだったのね。
宋代の人、水滸伝で老〔禾+中〕相公と呼ばれたりした、槍で地面を突き立てたら水を噴出したとかいう伝説を残す
西夏討伐の名将、子も孫も北宋末に活躍した
357 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 16:26:22 ID:BDauPCMb0
趙充国:宣帝期の匈奴戦の英雄。百聞は一見に如かずの故事で知られる。
屯田の創始者。
范明友:霍光専制期の名将。対北方民族戦で活躍
358 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 21:00:23 ID:gyRT6Jdb0
岳飛 金軍を恐れさせた
三国時代は後漢と一緒に語るの?
それとも南北朝と一緒に語るの?
おおよその業績が黄巾討伐までだったら後漢の将。
それ以降も戦歴を重ねていたら三国志の将。
蜀・呉の将は三国志の将。
蜀滅亡以前にあまり業績のない将は晋の将。
蜀滅亡以前にも業績のある晋の将は三国志の将。
こんなんでどう?
>>360 このスレの流れでは一定の時代ごとに区切ってそこから10人ずつ選んでくって方針みたいなんだけど
三国志はどの時代に分けるのかなと思って。
まあどの時代に分けてもそれほど多くはノミネートはしないかもしれないけどね。
>>361 まあねw
お聞きの件に関しては
> おおよその業績が黄巾討伐までだったら後漢の将。
> それ以降も戦歴を重ねていたら三国志の将。
で良くない?
>>362 大筋は大筋としていいけど、脱線は認めないというのは行きすぎじゃない?
364 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 21:58:33 ID:K3j/CdUKO
前漢の名将というと
韓信
劉邦
灌嬰
周亜夫
衛青
霍去病
趙充国
陳湯
こんなとこじゃね
項羽は当然のごとく当確でいいんじゃないかと思うんだが…
>>364 劉邦を入れるのなら(入れていいと思うが)、灌嬰は抜くべきじゃないか?
あとは范明友。李広は…たしかに微妙だよなあ。才能も功績もあるけど、
結局衛青が出るまでは匈奴に強く出られなかったのだし、霍去病ほどの
目覚しい功績を挙げたわけでもなし。
あと項籍は外せないでしょ。欠点も多いが、将としての強さは文句の
つけようがない。
>>366 俺が挙げたのに対して言ってるなら、項羽と章邯は「前漢」から外しただけ
減らせというならまず灌嬰だろうね
横山「項羽と劉邦」と「史記」しか読んだことないけど、灌嬰入るのなら曹参、周勃とか入るんじゃないかな〜と思ったんだけど、だめ?
369 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 23:21:11 ID:K3j/CdUKO
>>368 灌嬰は別格
秦以来の騎兵隊を任され、項羽追撃などの大役を務めた
実力、功績とも随一だろう
>>367 それは失礼しました。
この時代区分で10人だったら自分は
章邯
項籍
韓信
劉邦
周亜夫
衛青
霍去病
趙充国
范明友
陳湯
あえて十人枠に拘らないのなら、章邯、劉邦を抜くかな。
たしか項劉記では統率?の数値が項羽・韓信に次いで高かったような?>灌嬰
項劉記では軍を指揮する能力は用兵で
韓信>張良>范増>章邯>彭越>灌嬰
調べてみたら灌嬰密かに名将だな
匈奴とも戦ってるとは調べるまで知らなかったわ
名前挙げてくれた人に感謝
375 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/04(月) 12:46:22 ID:OOYqVsQ4O
劉邦子飼いの武将の中では灌嬰が最強かもね
灌嬰が配下になったのは劉邦が漢王になってからだから
子飼いとは違うのではないか?
>>376 確認の為にぐぐって見たが灌嬰は漢中王になる以前から臣従してるみたいだけど?
項羽は俺の中では名将ではないな、猛将という言葉の方がしっくりくる
戦が強かったばかりに戦略的思考が欠けていたように思える
戦略での失敗を戦術で覆すのは常識的には不可能だからな
項羽が誰かの配下の一将軍なら名将と言っても差し支えないが
立場によって名将のあり方は変わってくると思う
このスレが戦に強い将を単に名将と呼ぶスレなら名将なんだろうが
配下に信仰に近い感情を抱かせる人が「名将」。
芳樹が「銀英伝」で、司馬遼が「世に棲む日々」で言っている。
と厨臭いことを言ってみるw
>>378 逆に戦略も部下の扱いもアレだったのに、あそこまでやれたというのは名将の証とも言えないか?
>>378 戦略的思考まで考慮に入れると、審査基準がかなり辛くなっちゃうんだよな。
それだと多分100人どころか、50人も選べないと思う。
第一、戦略って言うのも誰が立てたのか立証が難しい場合もあるし。
そもそも、ここで名の上がってるほとんどの将軍が、自分の戦略というよりも、
君主の命令に従ってなんらかの戦略的要地に赴き、作戦を行った人ばかりだろうし、
そういう人に関してはそもそも戦略眼の有無に関する検証からして難しいと思う。
>>378 余計な一言だが、戦略の劣勢を戦術で覆したという例は実は戦史上それなりにある。
もちろん統計をとれば極少数の希少例ではあるが。そしてその奇跡を成し遂げた武将
なら名将としてもよいだろうと思う。
淝水の戦いなんかは、それに該当するかね?
陳慶之なんかも該当するかも。
あと、南宋初期の金軍が怒涛の南征を敢行したとき、その後方で六戦連勝して金軍をビビらせた岳飛も、戦術上の勝利で南宋の命脈を保ったと言えなくもないと思う。
>>383 項羽の彭城の戦いもそれに当たると思う。
諸侯はみんな劉邦に味方し、兵力でも圧倒的に不利だったのに、
一戦して戦略的に追い詰められた状況を打破した。
なにやら劣勢・不利を失敗と混同している人がいる悪寒
387 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/04(月) 22:06:58 ID:xCSmJgdi0
鉅鹿包囲戦で5倍強の秦軍を破ってるし
項籍は名将でいいんでないか?
この時代の名将リストにあがってる人物でも、あの戦いは項籍以外は勝てないんじゃないかな?
多分、ほかのメンバーだったら、5倍強の秦軍に戦いを挑まないww
388 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 01:16:40 ID:XJrlgGUK0
389 :
馬万里:2006/12/05(火) 02:57:08 ID:fJFESHTPO
マジレスだと陳慶之、指揮官としては項籍とは真逆だがあの戦果
390 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 08:27:41 ID:hz0j3vAd0
無謀っていうかイデオロギーじゃねーのかな。
例え3戸と成っても、秦を滅ぼすのは楚なりっていう
ナショナリズムの成せる業
いきなり人減ったね…
唐宋まで続くんかいな。
この際、次ぎ行ったほうがよくないか?
語りようがないってことかなあ?あんまり異論もなさそうだし。
これまでの候補者は
章邯
項籍
韓信
劉邦
灌嬰
田黄
周亜夫
衛青
霍去病
趙充国
范明友
陳湯
十二人か。これで今は十分かな?
393 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 19:27:08 ID:Bq1/q2k10
実績の無い田横は外してもいいんじゃないかなあ。
394 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 19:45:37 ID:hz0j3vAd0
後漢・三国・西晋は同じカテゴリーでいいよね
周亜夫は呉楚七国の乱以外に何か功績があるの?
396 :
馬万里:2006/12/05(火) 20:23:43 ID:fJFESHTPO
田横、召喚も外れんだろ?
上記二人よりか彭越の方がまだ上だろうが、100傑には彭越すら厳しいかと。
俺の生息した宗まではまだ道程が長いなぁ・・
後漢・三国・西晋
曹操
司馬尉
張遼
張コウ
楽進
孔明
関羽
法正
趙雲
周喩
陸遜
孫策
呂蒙
等ガイ
鐘会
羊コ
王シュン
杜預
英雄百選にした方がよかったかもな
>>395 匈奴に備えて駐屯し、
その軍の整備された様子を見た文帝に、
真の将軍と称えられた。
まぁ、なんというか…
>>397よ。
光武の将も入れようや。
401 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 20:50:15 ID:wpuhjUh7O
>>397 後漢末〜三国だけじゃんか
曹操
劉備
周瑜
陸遜
諸葛亮
司馬懿
姜維
トウガイ
このくらいだろ、いいとこ
下二人は微妙だし
402 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 20:53:11 ID:wpuhjUh7O
ああ、後漢末〜三国で選ぶなら、ね
後漢前半
劉秀・呉漢・耿弇・岑彭・馮異・馬援・班超
404 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 21:03:43 ID:hz0j3vAd0
つうかそんな短い期間で10人選んでもしょうがないじゃん。
新〜西晋
呉漢
耿エン
馬援
班超
曹操
司馬懿
周瑜
陸遜
陸坑
杜預
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 21:19:02 ID:wpuhjUh7O
荘尤と劉備も入れてよくね?
407 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 21:23:09 ID:Bq1/q2k10
後漢後期
対異民族船の英雄たち
皇甫規
張奐
段頃
この三人の中では、段頃が頭一つ抜けているか。
反乱鎮圧に活躍した武将
皇甫嵩
朱儁は対黄巾戦以外の戦績が今ひとつなので省いた。
劉備の十傑入りは無理でしょさすがに。
推薦としては>405から陸坑を抜いて皇甫スウ、トウガイを推す。
410 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 21:30:37 ID:hz0j3vAd0
劉コンも入れたい
>>405 馬援がいるなら、どうして岑彭・馮異を外すんだ?
二人とも、馬援より功績大きいぞ。
勝率もたびたび負けてる呉漢よりも高い。
三国時代なら曹操と司馬尉だけで良くないか?
>>411 もちろんその二人も入れたかったけどあまりにも劉秀配下の人物が多くなりすぎるかなと思って…
そんなこと気にしなくていいなら賈復とかゾウ宮や馬武も入れたいんだけどね
>>396 お前はフィクションでの登場人物の上、名将でも何でもないだろw
西晋なら馬隆も入るかと。
三千人で数万の羌族を撃破し、敵の総大将を斬っている。
その後も晋の西境の守りとして重きをなした。
>>415 ああ確かに馬隆も有力な候補だね
昔光栄三国志やってた時馬隆のあまりの低評価に驚いた事あったなw
418 :
まとめ:2006/12/05(火) 22:09:15 ID:fQPDb5EQ0
歴史区分は
>>119 春秋戦国の確定者及び候補者は
>>347 尚、考慮する武将は、
中国式の王朝名・元号を用いて、所謂中国本土に存在した政権に所属する武将とする。
統一秦〜前漢(…以降はレスからの要約)
ほぼ確定
・韓信
・霍去病
・衛青
・灌嬰
候補
・項籍(羽)…名将ではなく猛将?戦術面では申し分ないが戦略的思考が欠けていた?
王ではなく、誰かの配下の一将軍なら名将?
鉅鹿包囲戦は同時代の他の武将では勝てなかった?
・周文…(詳細は
>>315)
・蒙恬…統一秦でいいのか?
・章邯…囚人軍での戦功という事を考慮すれば、確定でいい?
・項梁
・彭越…100傑に選ばれる程でもない?
・英布
・曹参
・田横(以下四名
>>348参照)…実績が無い?彭越の方が上?
・周亜夫
・李広
・李陵
・趙充国(以下二名
>>357参照)
・范明友
・陳湯
・劉邦
というわけで次は新・後漢なんだけど…
>>408 本来まだ先の話だしあまり強く言わんが、むしろ劉備が入らない理由が知りたい
>>419 どう考えてもはいらん
むしろ入る理由を教えてくれ
三国時代で蜀漢陣営から候補といえば、劉備と諸葛亮しかいないと思うが…
そもそも関羽とかはおまえら入れる気さらさらないだろうし。
まぁまぁ、いろいろ言いたいことはあるだろうが話がクロスすると
ややこしいから後にしようぜ
>>420 小規模な戦いから大会戦まで、侵攻から堅守まで
歩、騎両方に通じた万能の将
北東の端から南西の端まで、負けつつも勢力は維持しながら戦い続けた
曹操を長江流域から退けた一方の立役者
この時代なら曹操に次ぐ将は劉備だと思うのだがね
後漢を語り尽したらまた考えてくれ
>負けつつも勢力は維持しながら戦い続けた
逃げ足の早いだけのような気がするなぁ。
その、負けつつってのがすでに問題があると思うが。だいたい勢力を維持できなかったから
流浪の軍だったのだろうに。
>>424 諦めの良さ、逃げ足の速さも名将の条件。
だからといって、劉備の戦績で100人に入れるとは思わないが。
>>423 「名将百選」に入れるには、やっぱりちょっと、負けすぎな感じがするんだよな・・・。
「中華ど根性列伝」なら玄奘三蔵や鄭成功あたりと一緒に並べてもいいんだろうけどね。
関羽は?
後にしようと書いておいてすまんが
劉備はほとんどが戦って負けて逃げているからなぁ
自軍と敵軍の力量を天秤にかけて戦って被害が出る前に逃げるのなら
決断力、判断力という点で一定の評価はできるが
それといりょう(←なぜか変換がめんどい)の戦いが致命的だと思うが
>>426 >諦めの良さ、逃げ足の速さも名将の条件。
たくさんある条件の中の一つではあるかもしれないけど、諦めが良くて
逃げ足が早いだけじゃ、やっぱり名将とは言いづらいなあ
「美男子の条件は眉がキリリと整ってる事」と言いながら、眉がキリリとした
ひょっとこを推薦してるようなもんだよ
>>426が挙げる名将の条件が眉で、劉備はひょっとこね
>諦めの良さ、逃げ足の速さも名将の条件
ということになると劉邦とかも名将ってことにならない?
とはいえ、存立する必然もない蜀漢をたちあげたのは、まさに曹操がいたからであって、その好敵手ということで入れる余地があってもいいと思うが…
陸抗入れるくらいなら、劉備いれたほうがいいかと思う。
>>432 100人には入れないだろうけど、劉邦も名将だと思うぞ。
項羽を河南に釘付けに出来たのは、
劉邦の軍事能力あってこそ。
>>430 まともな状態で戦って負けたのは夷陵くらいで、それ以外はほとんど戦う前に逃げてる。
三六計逃げるに如かずを地で行ってるとは誉めすぎだけど。
劉邦は負けて逃げるからあまり評価できん、てか負けすぎ
彭越みたいなヒットアンドアウェイのゲリラ戦法こそ評価できる
劉邦にせよ劉備にせよ、結局は配下の才能を最大限に使いこなした、ってのが凄いのであって
単独の武将として高く評価するのはやっぱり難しいだろう
劉備は徐庶や法正などの参謀が居てこそ、
戦勝出来てると思うのだがな。
劉邦は、張良の助言と配下を使いこなし
たからこそだな。
三国時代は実際曹操と周瑜位しか厳しいのが現実だろうよ。
劉備のケースは小粒ながらも一時期の配下達(ずば抜けた存在はやはり歴史的に見るといない)の活躍だろう。戦略も劉備が練ったものではないし陣頭指揮を採っての賛美出来る戦もない。
劉邦も同様になるが、統一したって部分が明らかに大きく違うから候補位には上がっても異論はないかなぁ・・まぁ微妙だが。
>>435 そうだっけ?
でも夷陵の用兵のまずさは致命的だと思うが
名将に推す人はあれを弘法も筆の誤まりと取るのだろうか
>>440 曹操を赤壁の失態と漢中でのgdgdで名将から外すようなものだよ
>>438 徐庶が劉備に臣従したのは諸葛亮が臣従する少し前の事で、
劉備が博望坡で夏侯惇を破ったのはさらにその数年前。
少なくとも徐庶が戦争に参加して功を上げた記録はない。
>>441 曹操はそれを差し引いてもかんと(←なぜかry)を始め多くの功績があると思うが
劉備には夷陵を挽回できるほどの功績があったっけ?
>>440 >>441のは言い過ぎw
夷陵の戦役は陸遜が持久戦に持ち込んだため、劉備の行軍が止まり地形的に不利な状態に追い込まれた。
進むに易く戻るに難しの状況に追い込まれたわけで、これを用兵のまずさと見るか戦略の失敗と見るかでちょっと違ってくると思う。
445 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 23:51:23 ID:wpuhjUh7O
劉備は王忠、蔡陽、夏侯惇、夏侯淵といった二戦級の相手ならあまり苦にしてない
二戦級だからだけどな
夏侯淵は一線級だと思うぞ。
魏の西方領土のほとんどを一人で切り取っている。
曹は赤壁やら漢中の敗戦を補ってあまりある結果を幾つも出してるだろ。
劉備にはそこが足りないから外れんだろうに
逆に劉備の采配やら指揮で夷リョウの敗戦及び数多ある敗走を補える華々しい戦果は何があんだ?
候補に挙がる連中は神掛かった勝戦や抗戦をしたり、結果的な大戦果を得ている連中だ。
>>445 劉備は歴戦の将で経験も豊富。
また大軍の統率にも実績を残してる。
とはいえ戦術能力的には二流の上or一流の下といったところで、
このスレで言う名将候補からは残念ながら外れると思う。
>>444 両方だと思う、戦略的見込みが甘く持久戦に持ち込まれた
地形を把握しきれていなかったが故に不利な状態に追い込まれた
これはまずい用兵とは言えないだろうか?
450 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 00:01:40 ID:wpuhjUh7O
>>447 荊州で孤立した状態から巧妙な行軍で自軍を温存、曹操に強行軍を強いながら長江に誘い込んだ
益州を奪い、更に(俺は過大評価だと思うが)一戦級の夏侯淵を破り漢中を占領
自らやってきた曹操を撃退し漢中を確保
夷リョウはアクシデントや天災、上官などのマイナス要素があっての敗北とかじゃなく何人にも諫言され反対もされていたり、戦術眼がある将達数人が危険を察知していた。
それすら退けての進軍故に劉備の用兵はまず過ぎたと思うがなぁー
そのまま死んでいるのもマイナスだし。
>>449 地形を把握してなかったってことはないだろう。
荊州からその道を通って荊州入りしてるんだから。
あと戦術的には高所を占め守りも堅くしたり、別働隊が孫桓を包囲し、さらに黄権が魏への牽制として動いてる。
そういった状況の中で呉側の総大将が陸遜以外で持久戦を選択してなかったら勢いを生かしての進軍が成功した可能性もある。
用兵に戦略を含めればまずかったと評することもできるかもしれないが、そこは高いレベルでの優劣の差だったと思う。
>>451 そのままは死んでないよ。
白帝城まで戻り呉軍に備えつつ、魏が呉に侵攻してくると呉に援軍となってやるよという使者を送ってる。
この抜けぬけとした言動も劉備のたまらない魅力。
結局、病を得て1年と経たないうちに死んでしまったけどね。
連書きすまん
>>450 作戦立案は諸葛亮+ホウ統+法正
現場指揮官は五虎やらの武将達だろ。
曹操や周瑜は作戦立案にも絡むし(無論全ての戦ではないが)策を武将に授ける事もあったようだ。
それに漢中では準備万全の侵攻だし、それ以外は相手三流じゃないの。戦力も同等以下が大半。
ショク結構好きだけど贔屓に見ても厳しいなー
正直五虎とか言われてしまうと何を言っても説得力ない
>>452 じゃあなんで地形的に不利な状態に追い込まれたの?
知っていると把握しているの間には大きな開きがあるよ
>>454 益州入りの具体的な作戦立案には諸葛亮は関わってないと思うよ。
法正も進言は当然してるが主な仕事は案内や使者くらいで、軍事参謀はほぼ龐統一人。
> 現場指揮官は五虎やらの武将達だろ。
これにはなんとレスしていいかわからない……
>>456 陸遜が挑発に乗ってくれなかったため、劉備軍の進軍の勢いが止まってしまった。
そのため劉備軍が持っていた戦術的有利が生かされず、かえって不利な面をあぶりだされてしまった。
戦略レベルでの用兵と戦術レベルでの用兵は違うでしょ?
>>457 作戦立案の話は益州入りだけの話じゃなくて漢中や荊州南部等も含めた話でね。
五虎は素で引かれると反応にこちらも困るが・・・まぁ一人一人名前挙げるの面倒だったから出しただけ。
>>459 荊州南部に関してはただ結果のみの記述があるだけで誰がどのように動いたのかはまったくの不明。
漢中に関しても対夏侯淵ということでは法正の進言も見られるが、対曹操での戦略を打ち出したのは劉備。
五虎云々は置いといても配下の将を使う普通のことでだから何?としか言い様がない。
461 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 00:49:33 ID:cT9EN6LdO
傀儡でない以上、誰が作戦立案だろうがそれは第一には将たる人物の功績でしょ
462 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 02:46:07 ID:hd/bQ7D30
蜀漢ばっかり議論してるが、孫堅は?
史実的な観点で見るとこの人、呂布より強いよ、間違いなく。
まぁ呂布より強いってんなら史実の張遼も負けてないけど。
てかさ、三国時代より先に新〜後漢の候補十人前後決めようぜ
劉秀・班超・耿?は確定だと思うな
後、
>>462よ
三国時代は荒れやすいんだから明らかに百傑に入らない奴の名前をあげるのはやめれ
呂布が史実でどれほど強かったというんだ・・・・
>>450 それ、劉備擁護でよく聞かされるけど、まったく結果論から導かれたひいきのヒキ倒しだから。
赤壁当時の劉備にはまったく計画も見通しもなくいきあたりばったりにとにかく生き延びる事
を考えての行動しかない。
劉備が100傑に入るとか議論するのもアホらしい
入るわけねーだろ
>>464 曹操もただ行き当たりばったりに逃げるだけの劉備を追いながらいたずらに兵を疲弊させ、大敗の原因を招いたように見えてしまうんだよね、それだと。
ついでに言うとその程度の人物を高く評価した曹操をはじめとする当時の人達もみんな間抜けに見えてしまう。
467 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 09:01:39 ID:DVkEWrEmO
班超は確定でもいいと思う
468 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 09:48:48 ID:lf2vRNeC0
とりあえず後漢書ざっと斜め読みして一通り。
劉秀
耿弇
馮異
岑彭
呉漢
賈復または馬援
廉范
班超
張奐
虞詡
このへんが妥当ではないかと。まあ光武がらみが多すぎるが。
三国時代は西晋と一括りでいいと思う。三国から真面目に選んだら
曹操、周瑜、司馬懿(←この人西晋か?)ぐらいしか見当たらんし。
まぁ、元朝末期の名将 拡廓帖木児は間違いなく入るわな。
政治的にはダメダメやったけど、小勢で明の大軍を撃破し、
朱元璋から天下第一の奇子と畏れられ、
死ぬまで枕を高くして眠らせなかった実力は申し分ない。
470 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 11:39:05 ID:FZbiR8r/0
祭遵も候補に入れたいな
>>468 三国志と西晋は前につけるか後につけるかが問題
472 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 18:39:22 ID:DVkEWrEmO
三国時代は後漢と一緒に語った方がいいと思うけどな
473 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 19:38:12 ID:TNQ5NkCj0
本当は魏晋南北朝という1まとまりなんだけどね。
>>473 オレもそういう括りの方がいいと思う。
西晋で一時的に統一をみたが、基本的には動乱の時代でこの時期の江南の発展が後の世に大きな影響を与えたというのがその理由。
変則的に曹丕が即位する以前に華北・中原で活躍した将は後漢に組み込んでもいいかも。
>>466 将として優れているかと、君主(一勢力の頭領)としてどうかは別。
それから赤壁時に曹操の軍が疲弊していたってどうして?また疲弊していたとして、
それは江南の異なる風土環境からくるものでなく、劉備追撃の疲労がその後何ヶ月も
続いたとどうして言える?
後漢に微妙を承知で皇甫嵩を挙げてみゆ
477 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 23:31:11 ID:kVCkWZRI0
>>119の時代区分って、極端に後漢末〜西晋だけ短くないか?
神話〜春秋戦国 紀元前2000年 〜 紀元前221年 1780年間
秦・前漢 紀元前221年 〜 8年 229年間
新・後漢 8年 〜 220年 212年間
後漢末〜西晋 220年 〜 316年 96年間 ←
南北朝 304年 〜 589年 285年間
隋唐 581年 〜 907年 326年間
五代十国宋遼金 907年 〜 1279年 372年間
元(モンゴル帝国) 1206年 〜 1368年 162年間
明 1368年 〜 1644年 276年間
清(後金含む) 1636年 〜 1912年 276年間
478 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 23:33:17 ID:TDgYZ/Yz0
陶 やあ 劉裕どの
また手がらを立てたそうですね
劉 わしのように 家柄のよくない者は 軍人として名をあげるしか 出世の道はないからな
きみだって出世したいだろう? 陶淵明君
陶 わたしは家族を養うために 仕方なく役人をしているんです
できることなら ふるさとの田園でのんびりとくらしたい
>>477 まあ10人というのはあくまで目安だから、はみ出したり削ったりしたりしても良いんじゃないか?
神話〜春秋戦国なんて年数だけだと50〜100人くらい
選んでもいいなw
ではいまさらだが時代区分の案として
後漢末〜西晋を→後漢末(黄巾の乱以降)〜両晋・十六国にして
次の時代を南北朝(北魏と劉宋の成立)〜隋まで
で隋末(第一次高麗遠征以降)〜唐まで
というのはどうだろうか?
482 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 02:01:43 ID:54nHWYu+0
後漢末が220年からですかそうですか
>>482 それ「三国」のほうがよさげね。
でもさ、なんで後漢は末があるのに、唐は晩唐がないわけ? 差別だ、差別ぅ!
484 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 09:11:29 ID:r+7alwgf0
叩かれ覚悟で書き込む。
自分でリスト挙げといてなんだが、
後漢に賈復入れるなら三国・両晋に関羽が入ってもよくなる気がする。両者ともにプライドの高い暴れ者。
それに一応、関羽は「万人の敵」と恐れられたわけだし。
賈復は生死に関わる大怪我の後は劉秀の目の届く範囲でしか戦ってないし、一応荊州を任されてた関羽が下手すると上?
まぁ、だから「あるいは馬援」って予防線張ったわけだが。
袁紹・高順は?
>>481 後漢末は別に無理して一時代として扱わなくてもいいんじゃないかな
曹丕による魏王朝建国までを後漢時代(220年)
以後は魏晋南北朝でまとめた方がいいと思う
>>484 確かに賈復は猛将・豪傑の類の気がする
光武配下の人材は優秀なの多いからどれを入れるかは好みも入ってくるよな
劉秀
耿エン
馮異
岑彭
呉漢
祭遵
班超
曹操
周瑜
司馬懿
上で書いた時代区分で新〜後漢とすると俺ならこんなかんじにするかな
すまん、ほとんど
>>484のあげた人物ばかりだ・・・
連投申し訳ない
俺の提案する時代区分だと司馬懿は西晋に入れたほうがよさそうだorz
10等分にしないなら魏晋南北朝でもいいが。
>>488 十等分にするのに魏晋南北朝だと問題ある?
490 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 09:56:42 ID:54nHWYu+0
491 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 10:23:14 ID:r+7alwgf0
光武配下の武将が5、6人入ってしまう以上、
三国でも曹操麾下で独立行動して活躍している武将も
(第一級からは一段落ちるとして)
張遼、張郃、徐晃、あとはお情けで関羽も三国〜両晋に入れたらどうよ?
と思うのだが、甘いかな? あと両晋の武将としては祖逖を推したい。
これで
曹操(言わずと知れた“超世の傑”)
張遼(800人で呉軍10万を撃退。曹丕から古の召虎なりといわれた)
張郃(曹操曰く韓信の再来。劉備は夏候淵より彼を恐れた)
徐晃(樊城の曹仁を救援、関羽を倒してその功、孫武に勝ると言われた)
司馬懿(ボケたふりで曹爽を油断させ、追い落とした)
関羽(まぁ、両晋・南北朝でも“万人の敵”って表現される人多いし)
周瑜(赤壁の勝者。天下二分の計を構想するも夭折。韓信・英布をしのぐと称えられたイケメン)
祖逖(故地回復を悲願に義勇軍を率いて北上、連戦連勝するも回復した領土を奪われた悲運の将軍)
8人か。10人じゃ絶対収まらんなぁ。それともやっぱ張遼クラスは切り捨て?
492 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 10:42:51 ID:r+7alwgf0
悪い、間違えた。
関羽の項、“万人の敵”じゃなくて“関羽・張飛の再来”多いな、と。
>>490 期間が長すぎるってこと?
とりあえず候補あげてる段階だからいいんじゃないか?
春秋〜秦の統一まででも候補は20人超えてるわけだし
不要なのは最終的な議論のときに削られるだろう
今やってる時代分けはあくまで議論しやすくするためのもんだしさ
494 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 11:58:36 ID:tDnhuGU60
漢末・三国時代は、西晋と同じくくりにした方がいいんじゃないか?
でないと、後漢中期以降の武将がランク入りできなくなる。
>>477を支持する。
495 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 12:07:00 ID:tDnhuGU60
>>491 光武配下の将は独立行動で敵の主力を撃破したり、
広大な地域を切り取ったりしている。
曹操配下でそれほど目覚ましい活躍をした将はいないと思う。
>>484 賈復は前線の猛将であり、名将とは言い難い気がする。
武功も他に名前が挙がっている将ほどではないし。
関羽は名声だけで実績に乏しい。
共に入れる必要を感じない。
496 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 12:08:28 ID:WAbQww+dO
張遼や張コウクラスを入れるとなると到底100人じゃ収まりきれなくなると思う。
王朝創業期にはそれ位の活躍をした武将はゴロゴロいると思うし。
周瑜も正直微妙だとおもうけどな
赤壁の戦い自体疑問視されてるみたいだし
曹操を撃退した将は他にもいるし
三国志(黄巾〜統一)で百選に入るのは、曹操・司馬懿・ケ艾・王濬ぐらいか?
ここでも三戦板でも三国志名将十選なんてスレたてたら
延々と議論してくれそうだw
>>497 司馬懿好きだが百選からは外して良いと思う。
統一に貢献したわけでもないし大領土を切り取ったわけでもない。
彼の持ち味は政治・軍事ともバランスが取れてそつのない所だと思うので。
ついでに言えば、
ケ艾・王濬と張遼・張郃を比べれば後者の方が優れているかもしれないが、
実績では前者の方が上になってしまう
才能と実績は別物、廻り合わせみたいなモノ
勿論、才能が無ければ実績を上げる事は出来ないけど
(才能があっても実績を上げられるとは限らないけどね…)
才能があって実績を残さないと少なくともここでの百傑には入れないんじゃないかな?
それに有利過ぎる戦力、国力での勝利等もこれまた微妙な訳だし。
501 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 15:41:02 ID:dl3IeqrE0
とりあえず後漢〜後漢末のまとめ
劉秀
耿弇
馮異
岑彭
呉漢
賈復または馬援
廉范
班超
張奐
虞詡
で、名将の定義から外れる賈復をはずして馬援を入れるかそれとも祭遵かはたまた皇甫崇か、ってトコか。
まぁ10人にこだわらないなら現時点で12名、あとで削るということで、次は三国〜東西両晋に本腰入れよう。
三国から両晋だと曹丕による魏建国から桓温による楚建国まで?
北も含まれるんだよな?
すまん、桓玄と桓温間違いだ
それとも劉裕が宋を立てるまでのが妥当かな?
>>502 曹丕からなら曹操は後漢末に入れる必要があると思うが。
505 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 16:04:46 ID:dl3IeqrE0
三国の定義間違えた。俺が言いたい三国は黄巾の乱以降、劉裕の登極まで。だから曹操以後の人物もこっちでやろうということ。
北はもちろん積極的に採用するべきだと思う。劉淵とか石勒とか符堅とか有名人がいっぱいいるし。その部下はなぜかスポットライト浴びてないが。
個人的な三国〜東西両晋の名将
賈[言羽]
呂蒙
陸遜
ケ艾
杜預
王導
祖逖
陶侃
桓温
謝安
諸葛亮や曹操といった超メジャーなのは除外しました。
こうして見ると東晋に偏って蜀漢からは一人も出ていないのもアレだが
507 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 16:13:32 ID:dl3IeqrE0
賈詡と謝安は直接実戦指揮したことないんでは? まぁ祖逖入ってるのは嬉しいが。
賈[言羽] は曹操を負かした事と計略・処世術の巧みさで入れました。
謝安は東晋を語るのに不可欠の人名なので。
蜀漢から出さなかったのは関羽・張飛・趙雲はイマイチ
軍団長としての功績が少ないのと
演義での過大評価に反発しての事です。
>>506 とりあえず
賈ク・呂蒙・陸遜・王導・杜預・謝安はいらんと思う
で、見事に華北の諸政権が抜けているんだが・・・
>>505の時代区分に従うと
曹操
ケ艾
陶侃
祖逖
劉淵or劉聡
石勒
王猛
謝艾
慕容恪
慕容垂
なんてどうかな?
桓温は個人的には入れたかったが・・・
俗に言う五胡の人物が多いのは当時の軍事バランス的にこうなってしまった
叩き台にでもしてください
510 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 16:41:45 ID:dl3IeqrE0
とりあえず10人挙げるとしたら・・・
曹操
ケ艾
王濬
陳騫
陶侃
祖逖
謝玄
符堅
王猛
姚萇
って感じか。最初の一回で10人ピタリ、とはなかなかいかんな。あと5人ぐらい枠が欲しい。
>>509 三国〜東西両晋なので五胡は除外してました。
やはり五胡だと石勒・王猛・符堅は外せませんな。
(王猛は漢人なので五胡に入るのかという疑問もあるだろうが)
王猛の功績をどこまで符堅に還元するかで・・・
513 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 17:37:07 ID:WAbQww+dO
後漢時代の選定作業はもう終了?
次は隋唐時代かな。
とは言え唐初の李世民とその配下だけで終わりそうな予感。
周瑜は赤壁だけでなく江東の平定や対曹仁戦の
自勢力の圧倒的不利さを覆して勝利してる点と作戦立案能力の高さを考えるに
入れてもいいような気がするが
石虎と冉閔は画竜点睛を欠いてるから駄目なのかな?
あと慕容恪と慕容垂の兄弟は?
あと劉曜も・・・とかキリが無くなっちゃうんだけどな>魏晋南北朝
国が多すぎるし、メチャクチャ戦争多いし
なんかごちゃごちゃしてきたな
なんか皆勝手に話し始めたな
まずは、この近辺の時代区分をはっきりさせておかない?
520 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 21:49:23 ID:slDBWaKb0
>>510 陳騫ってどんな功績があるの?
西晋から入れるなら、馬隆を入れたほうが良いと思う。
五胡の武将たちには及ばないと思うが。
521 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 22:23:50 ID:wk2tD9hP0
冒頓単于
522 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 22:54:50 ID:am/47zc60
陳騫は西晋初期の将軍。ケ艾と一緒でもとは内政で評価されてたんだけど、蜀漢軍の侵攻への対処、
諸葛瞻らの叛乱(彼等にとっては義起)平定に将軍代行として功績を立て、その後も各地の都督を歴任した。
で、曹魏を廃して司馬炎を擁立、佐命の勲により大司馬に任命された・・・けど西晋成立後は確かにあんまり活躍してないね。外して劉淵入れたほうがいいかも。
あと時代区分だけど、この次は南朝、北朝で別々に十選するのがいいと思う。北朝なんて随の成立まで続くわけだし。
で、その後は隋、隋末唐初、盛唐、晩唐、でいいんじゃないかな?
東晋初期に江南平定で活躍した周訪は?
「中興名将」と謳われたほどの武勲を立てているんだが。
あと、劉宋の檀道済。智勇兼備の名将。
北伐で三十連勝という凄まじい勝ちっぷり。
西晋と五胡を混ぜるのは反対。
五胡十六国時代は中国史で異質なくらい国が分裂して、戦争に明け暮れた時代であるし
永嘉の乱によって、一度漢族主体の歴史が途絶えてる。
極端な言い方をすれば、それ以降は文明が違う。(異民族もだんだんに漢族化しては行くが・・・)
同一で語るべきでは無いと思う。
西晋を古代の、つまり漢民族主体の国家の時代、の終わりと見るか。
魏から、呉による江南の開発を含めて、新たなる混乱の時代の始まりと見るか。
時代区分で言うと三国時代からが中世だよね?
>>523 魏晋南北朝期の江南の名将は、陸遜、祖逖、桓温、劉裕で決まりじゃない?
檀道済や陳慶之には悪いが(檀道済には本当に悪いとは思うが)、さすがにこの4名は
武勲戦功、各種エピソードで他の追随を許さないと思う。
陸抗や陶侃、謝玄も惜しいんだけどね・・・・。
>>524 魏晋南北朝ひとまとめでいいよ、別に。
あの閉塞感やごった煮感がいいんじゃないか。
陸遜はどうかな?
魏の領土を切り取ったとかがあったら陸遜を推すんだけど
陸遜は対魏戦線では今ひとつだったので、
加えなくてもいいように思う。
陸遜が入って陳慶之入らんってネタかよw
>>530 陸遜の功績って思いっきり時代の分水嶺を決していないか?
三国鼎立の趨勢を決した人物が、北魏皇族の露払い如きと比べられるか?
と言うのは冗談だが、
陸遜のときの魏と、陳慶之のときの北魏じゃ国内問題に雲泥の差が
陳慶之と同じ条件だったら、一体どれほどの武将が北伐を成功させられたか……
派手な戦功の割りに領土を保持し切れなかったのは大きな減点対象だよ。
劉裕>檀道済>陳慶之って感じかな。
>>531 もともと領土を保持するだけの兵力持ってなかったし。
533 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 01:26:15 ID:iFfrKRC9O
劉裕もすぐに赫連勃勃に華北の領土を奪われてるけどね。
534 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 22:36:28 ID:jAIpQJnD0
陳慶之って本当に名将かな?
田中芳樹ですら、名将百選の時知らなかった人物なのに
>>534 その時代の梁では屈指の名将。
大敗もしているが、それを補って余りあるほどの武勲を立てている。
田中芳樹の中国史の知識は偏ってるので、
あまり気にしないほうがいい。
>>531 五胡襲来のときに、そういうチャンスはあったろうけど、北伐して功績あげたのって数えるほどでしょ。
陳慶之は戦術上での無謀な戦いを制しているので、その点での名将。
能動的に戦略条件を決定できる劉裕とでは、比べるのは酷じゃないか?
537 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 12:41:39 ID:CRZmokf7O
桓温は劉裕と比べると一歩劣る感じがするんだよね。
やっぱり慕容垂に大敗したのが痛い所。
538 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 19:39:27 ID:UBuf8yZo0
先日曹操の台頭から劉裕の登極までを一時代と区切ったものだがその時代区分での十選。
曹操
周瑜
ケ艾
王濬
祖逖
謝玄
石勒
符堅
王猛
劉曜
あたりで確定していいんじゃない?
陶侃は対外戦してないので泣く泣く外して周瑜に代えた。
あと符堅の用兵は半分方王猛の功績って感じするから外してもいいかも。
そろそろ確定して南北朝に入ろうや。すでに檀道済とか陳慶之とか名前がて出来てることだし。
新・後漢は名将0人ってこと?
540 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 20:02:28 ID:UBuf8yZo0
新・後漢は暫定で10人出したよ? 耿弇やら呉漢やら。
慕容垂は?
>>538 周瑜は戦績不足、符堅の用兵は王猛の功績が半分はあると思う。
戦績の多さで陶侃を入れた方がいいんじゃないだろうか。
>>538 苻堅は君主的側面が強いから、あえて外しても構わないと思う。
代わりに慕容垂をランクインさせた方が良くない?
>>542 戦績不足といっても10年くらいはあるし、三国鼎立がなった一番の立役者。
三国時代から引っ張るなら曹操と周瑜は確定でいいと思う。
あと、西晋からは馬隆を入れてはどうだろうか。
546 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 21:49:13 ID:TMdkxF+G0
符堅を慕容垂に代えるのはOKとして、馬隆入れるとしたら誰かな?
一発屋感の強い謝玄か? でも6万で100万に勝っちゃってるしなぁ。状況に助けられたとはいえ。
でもさ、慕容恪も入ってもいいよね・・・
馬隆あたりが入るんなら、もっと他にふさわしい武将がいるけど
陶侃(江南平定戦における戦歴は文句なし、対後趙戦に参加できなかったのが残念)
慕容恪(寡兵で大軍を破る名将、段遼、麻秋、桓温等常に劣勢の戦をひっくり返した)
謝艾(東晋十六国時代最高の逆境武将、中原を制していた後趙を幾度と無く撃退した)
しかし、このあたりの武将も10傑選ぶとなると間違いなく選外だからなあ
劉曜を落として、桓温入れないか?
謝玄よか実績、実力とも確実に上のはずなんだが
549 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 22:33:24 ID:TMdkxF+G0
当時の慕容氏は名将揃いだから全部入れるわけにもいかんしな、
慕容氏代表・慕容垂に絞っていいと思う。
あと桓温で劉曜落とせるかなぁ。劉曜は当時最強クラスの用兵家だと思うんだが。
慕容氏と同じで劉淵、劉聡から続く劉氏代表だし。
・・・符堅を慕容垂に、謝玄を桓温に代えるってのはどうか?
桓温って慕容垂に負けてなかったか?
551 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 22:51:20 ID:l/nppOi20
この時代は無理に10人に絞らなくても良いんじゃないか?
552 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 22:54:25 ID:TMdkxF+G0
それ言うと謝玄が慕容垂に勝てたかってことでまた議論に・・・。
このスレは伸びるなあ。
554 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 23:02:56 ID:CRZmokf7O
今の日本でもよく使われる「断腸」と「竹馬の友」のエピソードは桓温に関するものなんだよね。
555 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 23:16:18 ID:TMdkxF+G0
確かに桓温は魅力的なエピソードが多いんだよな。「芳を百世に流すことあたわずば、また臭を万年に遺すべし」とか。
王猛には鼻も引っ掛けられなかったが、偏屈者の謝安が腰を上げたぐらいだからそれなりに人間的魅力もあったんだと思う。
とりあえず前述のリストから謝玄→桓温、符堅→慕容垂に代えて、あとは陶侃、謝艾あたりを候補に残す、でどうかな?
>>550 枋頭の戦いは、前秦、前燕、北府軍、桓温等各勢力の思惑が複雑に絡み合った戦だからなあ
慕容垂の軍事手腕が一枚上だったってことだろう
日の出の勢いの北魏拓跋珪ですら、老齢の慕容垂には戦意喪失していたし
(前年、参合陂で壊滅した後燕軍で北魏の平城を抜いている)
桓温の名言と言ったら、「臭を万年に遺すべし」
十分芳名遺してるけどね
557 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 23:29:28 ID:TMdkxF+G0
と、言うわけでこの書き込みから10分間意見が出なかったら有無も言わさず南北朝に移行。諸兄OK?
曹操
ケ艾
祖逖
謝玄
陶侃
石勒
謝艾
王猛
劉曜
慕容垂
こんな感じでどうだろうか?
>>558 自分もそこらへんが妥当な人選だと思う。
560 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 23:42:30 ID:l/nppOi20
石虎
冉閔
も入れたいなあ。
最強にDQNだけど、軍事功績はある。
燕には弱いけど・・・
561 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 23:44:36 ID:TMdkxF+G0
周瑜が落ちるか。まぁ短命だから仕方ない。
では、いよいよ南北朝といこうか。
とりあえず劉裕、檀道済、陳慶之あたりは確実と思うので、個人的に南斉の周盤龍、梁の蘭欽を推す。
陶侃、謝艾、謝玄あたりは保留しといた方がいいかも
周瑜落とすのは反対、魏の天下統一を挫いて三国時代の可能性を開いた
功績は、間違いなく100傑に載るよ
孫策時代に小部隊の指揮官も経験しているし、万対万の大規模会戦の司令官も
やってのけてるし、軍事的才能は文句なしじゃないか?
563 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 23:52:18 ID:TMdkxF+G0
まだ議論が続くか。南北朝突入は控えたほうがいいかな。
俺も周瑜賛成
南朝軍事ルートの走りだと思うし
意外に後漢・三国は淡白だったな。
そこで… よければ陶侃、謝艾がどういう人物か教えてくれまいか?
566 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 00:11:23 ID:8O4+hPsk0
韋叡も入れたらいいんじゃないか?
合肥攻略と鍾離の戦いでの功績は大きい。
ところで王僧弁と陳覇先はどっちが上なんだろうか。
567 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 00:12:02 ID:8O4+hPsk0
あ、まだ終わってなかったのか。失敬。
最後に勝った分、陳覇先?
>>565 謝艾は前涼の主簿であったが、大抜擢を受けて中塁将軍にのぼり
後趙の涼州侵攻を幾度と無く撃退した名将
書生風の格好で戦場指揮を取っていたため、敵将から過分に罵られることもあった
(田中芳樹が好みそうな人物だが、どうやら眼中に入らなかったらしい)
345年 対麻秋(後趙?:謝艾5000)で快勝、5000の首級を挙げる活躍を見せる
346年 対麻秋(後趙80000+20000:謝艾30000)、奇策を用いて撃破、捕虜13000を収める
346年 対石寧(後趙120000:謝艾20000)、戦線膠着
346年 対麻秋(後趙120000+20000:謝艾20000)、後趙軍を壊走させる
石虎を「中原の総力を注いで、謝艾のいる一城を落とせないとはッ!」と歎息させた
570 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 00:20:46 ID:0wcqgl3O0
王僧辦も陳覇先も100傑には届かんだろ。
凡将が運よく宇宙大将軍を倒して、チョーシこいて梁を簒奪、ついでにライバルを殺した、程度。
陳の名将っつったら呉明徹と魯広達ぐらいしか思い浮かばんが、この二人とも当世ベスト10には入らんわな。
陳覇先は有力な候補だと思うんだけど…
これまでの時代も、確定と候補で10人越えていたから、そのあたりもノミネートに
入れておいていいと思うけどね。
>>572 まあ、各時代で10人選んでくっつけて終わりというのはそれはそれで手抜きですので……
ある程度は自由度がないと困ります(まあ確定枠もある程度ないと困るが)
南北朝時代に入ってもそろそろ好いでしょ?
【東魏(北斉)】
高歓
慕容紹宗
宇宙大将軍
斛律光
【西魏(北周)】
宇文泰
趙貴
侯莫陳崇
宇文ヨウ
うーん、南朝勢を入れるとすると、もっと絞られそうだな
まあ、高歓と宇文泰と宇宙大将軍は確定だろう
祖逖を破った石虎は入れてもいいんじゃないか?あと桓温。
候補にはしてもいいと思う
>>574 異論なし
個人的には慕容紹宗・斛律光も確定選手
>>575 だが石虎は劉曜に敗れてる。いや、最終的に劉曜を破ったのも石虎だが
慕容恪にも負けてるんだよねー。この時代、勝って負けてを繰り返しすぎ
間羽は入らないの?
>>574 もうちょっと魏晋十六国煮詰めようぜ
さすがにセッカチすぎるだろ
後、宇宙大将軍は入らないだろう
579 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 14:09:01 ID:x0XvmRVNO
宇宙大将軍は百選に入るかなぁ…
梟雄百選とかだったら入りそうだけど。
宇宙大将軍のテーマ
空を見ろ 星を見ろ 宇宙を見ろ
聞こえるか聞こえるだろおお あの声が
進め 進め 朱忌を倒せ(「ブラインド ラァーイズ!」)
戦え 戦え 目指すは建康(「インペリアル ニルヴァーナ!」)
ああ どこへ行くのか 大将軍 侯景
宇宙大将軍 侯万景
宇宙大将軍は戦績は悪くないぞ
魏晋〜五胡十六国
【確定組】
曹操
ケ艾
石勒
祖逖
王猛
【内定組】
周瑜
劉曜
慕容垂
【論争中】
陶侃 (内乱鎮圧戦がメインで、対外戦の戦歴が少ない)
石虎 (天王に就いてからの戦歴が振るわない)
謝艾 (純粋に知名度が低い)
慕容恪(弟慕容垂と票の喰い合いを演じている、活躍期間が短い)
桓温 (論争中組の中では、内定組昇格が一番近いんじゃなかろうか?)
謝玄 (一発屋感が強すぎる、実際は北府軍の司令官としては優秀な戦績を収めている)
14名、とりあえず論争中ってことで保留にした方が良くないか?
しかし、三国志の時代にもかかわらず、3名しかノミネートしないとは
結構、両晋〜五胡十六国好きって多いんだな
>>569 さ〜んくす!
カコイイねぇ謝艾。 戦乱群雄割拠期には、そういうヤツラが増殖するからおもしろい。
現実にその時代に行けと言われたら躊躇するけど…
でもこのスレは張遼あたりも削る競争率の高さだから、選抜がかなり難しいね。
戦乱初期〜中期って、得てしてドングリの乱立となるから、甲乙つけがたくなるし。
584 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 19:09:54 ID:m7tQMEuP0
ところで、赫連勃勃はこの時代区分?
それとも南北朝?
585 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 19:12:44 ID:x0XvmRVNO
南北朝時代は北魏による華北統一からだと思うから、
赫連勃勃は五胡の人物になるんじゃないかな?
>>584 赫連勃勃は各種エピソードが豊富な匈奴系君主だが、名将とは絶対違うと思うぞ
1 劉義真が居座る長安を奇襲し、東晋から関中奪取
2 長安に遷都すれば、匈奴の精悍さが失われる上、北魏への対応が遅れることから統万城に都を置く
3 統万城建設時の残酷かつ余りにも軍事独裁的エピソード
4 匈奴としての民族的アイデンテティを保持するために、漢人風の劉姓を捨て、赫連姓を名乗る
……うーん、有能な暴君とも言うべき人物だな
587 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 21:48:09 ID:Eu0OEe370
石虎は石勒とセットでいいでしょ。あと冉閔も。
エー……
謝玄て淝水の活躍以外知らない・・・。他に功績あったら教えてくれ
>>589 その後北伐を行ったが中央政界との連携がうまくいかず全然成果あげれないんじゃなかったかな
>>581 確かに有能な将軍ではあるけど慕容紹宗に惨敗してるし最後もあまりよくないな
百選には入らないだろう
おれには
>>574は宇宙大将軍と書きたかっただけじゃないのかと疑ってしまうんだが穿ちすぎかな?
後、慕容垂を慕容氏代表として慕容恪を外すって意見出てたがそりゃないだろ
苻堅の功績の半ばは王猛によるってことで苻堅外すのは納得いくが
慕容垂と慕容恪では活躍した時期も別なんだから別々に評価すべきじゃないか?
純粋に軍事能力重視のこのスレではむしろ両雄ランクインに値すると思うが
>>590 やはり謝玄は他に功績はないのか・・・。まあ淝水だけでも十分たいしたものでは
あるんだが。
同じように中央の支援を得られない状況で石勒を破るなど
ある程度北伐を成功させた祖逖と同格にしてはまずいか?
慕容恪はおれも入れたい。
王猛や桓温すら憚ったというから、相当なもんだと思う
宇宙大将軍は迷将として不動の2ch枠を確保してる
593 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 13:02:36 ID:XL7bbA22O
三国志・楚漢以外で宇宙大将軍ほど人気のある人物も珍しい
>>591 赤壁だけの功績で周瑜が入るんなら、
謝玄が入ってもいいような。
前秦の天下討伐を防ぎ、その勢力を瓦解させ、
国難を救った功績は極めて大きい。
>>594 俺としてはどちらも外していいと思うよ
やっぱ戦歴を重視すべきじゃないか?
それに前秦の南征は内部にかなりの問題を内包していた
功の全てを謝玄に還元するのはどうもなぁ
後、天下討伐はおかしいと思う・・・揚げ足取りスマソ
謝玄って北府軍の都督でしたっけ?
その偉名だけでも十分名将なんだけど、ここでは入れてもらえませんか。
>>596 謝玄が名将ではないとは言わないがここは「百選」するスレ
功績が候補の十人に満たなければ外れる
で北府軍の都督の偉名で名将?
当時の政界の実力者は誰だかわかってるか?
別に才覚だけでその地位を得たものではないよ
ああ、そうか謝安の親戚だっけか。
それにしても選抜が難しいなぁ。 今のうちに候補絞っとくかね…
>>598 甥だね
まあ、北府の兵ってのは中原からの流れもので編成された軍で扱いにくい軍隊だった
その統括者はやはり優れた人物を当てたって背景はあるから優秀であったのは疑いない
でも候補が多すぎるから外すのも止むを得ないかなってのが俺の意見
淝水の戦いは前秦軍が自滅したようなものだから、
謝玄の果たした役割はそれほど大きくなかったと思われ。
ちなみに経過
謝玄が符堅に使者を送って、
「渡河してから決戦したいので後退してくれ」と要請した。
↓
符堅は渡河の途中に攻撃しようと考え、謝玄の要求を受諾。
↓
前秦軍後退
↓
後方にいた秦将朱序が裏切って、
「秦軍の負けだ!退却だ!」と叫んで、
浮き足立った前秦軍総崩れ。
↓
符堅、事態を収拾できず敗北。
いろいろ気持ちよくこの時代の選抜を眺めていたけど
自分は、東晋って謝玄と桓温くらいしか軍事功績のある人って知らなかったもんだから…
教えてくれてありがとう。
ああ、それと
>>601さん、符堅ではなく、苻堅。 頭でわかっていても変換で間違えることはよくあること。
603 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 22:11:29 ID:W9j958WR0
忘れてた人物が何人か。
姚萇(後秦の太祖。知略に富み用兵に優れ、為政者としても優れていた)
李雄(成都を取って独立、成漢を建てる。名将というよりは政治家か?)
皇甫真(石勒の将麻秋を破り、のち苻堅に仕えて王猛にその才覚を認められた)
・・・皇甫真は謝艾にかぶるかな。あと俺、苻堅のことずっと符堅だと思ってた。602さんありがとう。
604 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 01:00:47 ID:0zMD3Oil0
あんまりレスがなくてヒマなんで、
時代すっ飛ばして南北朝10選(趣味的偏りあり)をやってみる。
劉宋
劉裕
檀道済
南斉
周盤龍
梁
韋叡
陳慶之
北魏
拓跋珪
元英
東魏→北斉
高歓
西魏→北周
宇文泰
10人目は微妙。他の時代なら楽々10選入りする名将がごろごろいるから。
劉宋の柳元景、梁の蘭欽、北魏の奚斤に楊大眼、
北斉の斛律光に慕容紹宗、北周の宇文護、韋叔裕、李弼あたりが有力候補か。
しかし田中氏はどうして蕭摩訶なんぞ入れたのだろう? 武芸だけなら確かにすごいが、
所詮は一介の匹夫だぞ。まぁこいつと喧嘩しろって言われたら速攻逃げるが。
>>603 姚萇は優秀な一族・配下に支えられた感が強いんだがどうだろう?
西燕討伐も失敗して逃げてるし、特に苻登には相当押されてる
もし後秦から一人ならむしろ尹緯のほうがこのスレには相応しく思う
とりあえずレスも停滞気味だし
>>582のまとめてくれたのに
>>603を足して候補としておいて次いくか?
>>604が叩き台出してくれてるしな
>>604 意義ありなのは北魏の元英かな
ちょっと敗戦が多いのが気になる
慕容紹宗はぜひランクインさせたいが最後がやや問題か?
斛律光・韋叔裕はランクイン確定じゃないかと思う
浅学にて南斉の周盤龍とはどういう人物か知らなかった
よければ教えて頂けない?
俺もこの時代の候補者候補を少々
段韶 (斛律光とともに北斉の軍事を支えた名将)
高長恭 (名将てか猛将・勇将の類か?)
爾朱栄 (六鎮の乱を平定した立役者。宇文泰・高歓らを配下に持った)
王勇 (気は衆軍を覆い、当たるところ必ず破ったと称えられた名将)
とりあえずこんなとこで
感想として北周はほんと名将・豪傑ぞろいだなw
蘭陵王は名前先行のような気がするなぁ
北斉からは斛律光で充分じゃないかな?
あと宇文ヨウは?
608 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 08:58:40 ID:PyiTXq1P0
周盤龍(415-483)
名将というより猛将タイプだが、一応。
内乱平定にはじまり常に劉宋軍の先鋒をつとめる。
袁粲の乱、沈攸之の乱を平定。
蕭道成が即位すると右将軍に任命された。
建元二年、北魏の軍が寿春を犯すと豫州刺史垣崇之を助け、
淝水を決壊させて魏軍を水攻め、勢いに乗って自ら数万人を殲滅した。
翌年魏軍が今度は淮陽の角城を侵すと水軍を率いて鐘離に急行、
守将成賈とともに奮戦して首級を挙げること無数。
建元〜永明間にまた北魏の軍と戦い、息子奉叔とともに数百の兵を率いて
北魏の陣を陥とし、数万の魏軍を壊走させた。
で、いろいろと官職を歴任し大司馬にまでなって没。安北将軍・兗州刺史を追贈された。
・・・この人の一番の幸運は東昏侯の時代になる前に死んだことだと思う。
北魏の太武帝 華北を統一し、北では柔然を大破して南では宋軍を破って
建康の対岸まで達した
ところで、謝玄は結局外すのか?
一応候補に残しておいてもいいんじゃない?
後日選定するときに、周瑜が外れるなら謝玄も外してもいい。
関羽
612 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 14:19:45 ID:86gaI/hsO
劉宋の沈慶之とかどうかな?
よく陳慶之と間違えそうになるけど…
マイナーな時代に差し掛かるとやはりレスが止まってくるな
614 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 19:08:53 ID:Y6cnPBap0
無理やりメジャー級を外してマイナー級の香具師をランク入りさせる流れもあるしね。
田中叔父貴のを叩き台にすればいいんじゃない
流れ止まってないとおもうが?
617 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 20:59:14 ID:t0ZKyM3l0
619 :
L:2006/12/13(水) 21:48:38 ID:tPaF27TZ0
彭コ懷
[皇帝]康熙帝
[丞相]文天昇
[大将軍]関羽
[武将]郭去病
樂木
劉其
陳慶子
岳飛
趙普
戚継光
李靖
将蚊
郭子儀
さぁ誤爆と言え
622 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 22:42:37 ID:FeAJWbz70
田中氏のヤツだと南北朝からは
檀道済
韋叡
楊大眼
斛律光
蘭陵王
蕭摩訶
の6人。君主・皇帝を含まないからかなり余りが出来るけど、このスレではそうもいかんでしょ。
芳樹は「沈光とか入れたいんですけど彼はドッチかっていうと豪傑ですから」と言いつつ
楊大眼や蕭摩訶みたいな明らかな豪傑型を(殆ど無意識のうちに)入れる辺り
そういうタイプが好きで好きでしょうがないんだろう
後は極度にエピソード重視のきらいがあって、名将っぽい面白エピソードがあるとランクインしやすい
624 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 23:42:25 ID:86gaI/hsO
このスレでは一言も触れられなかったトウ禹を、何故かランクインさせたぐらいだからね
625 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 23:47:15 ID:HcPmIKUo0
楊大眼はまぁわかる。10万人単位の指揮統率をこなしてるから。
でも蕭摩訶はなぁ。どっちかっつーとPRIDEとかK―1とかに出た方がよさそうな。
まぁ猛将タイプの周盤龍をランクインさせた俺が言うのもなんだが。
沈光は兵を統率したことがないから外したと書いてる。
鄧禹は、絶対ミーハー根性でランキングさせている。
20代で大司徒だっけ? それと二十八将の筆頭だからに違いない。
627 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 00:30:33 ID:aF5NXM0W0
周盤龍に代えて陳顕達にしてもいいかも知れん。
しばしば北伐して元英相手に連戦連勝。威名は北魏の将兵の間に轟いた。
ただ、無名の匹夫に殺されて死んだってのがマイナスか。
628 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 00:35:03 ID:aF5NXM0W0
訂正
殺されて死んだ→殺された。
もう十人出てないか?>南北朝
いい加減、南北朝終えて隋唐時代に話題変えないか?
631 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 21:29:26 ID:csIEmg5a0
じゃあ隋唐
隋初
韓擒虎
賀若弼
達奚長儒
隋末
張須陀
李密
竇建徳
唐初
劉文静
李孝恭
李靖
李勣
とりあえずこんなもんで。
後漢からずっとおれが叩き台だしてるわけだが、たまには誰か代わってくれ
632 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 21:35:45 ID:csIEmg5a0
李世民入れるの忘れた。劉文静と入れ替えってことで。
633 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 21:49:01 ID:csIEmg5a0
南北朝については
劉宋
劉裕
檀道済
南斉
周盤龍or陳顕達
梁
韋叡
陳慶之
北魏
拓跋珪
で、元英を削って
北斉
高歓
斛律光
北周
宇文泰
韋叔裕
で確定OK?
うーむ、南北朝時代はもうちょっと吟味した方がいいと思う
何しろ、陳慶之の北伐は、東晋時代の祖逖、桓温、劉裕の北伐と比較すれば
祖逖:河南の諸郡県を東晋側に寝返らせる、乞活集団を自軍団に取り込み強大化
桓温:姚襄を破り洛陽奪回、およそ10年間にわたって河南を東晋の領土として維持した
劉裕:山東半島、河南、関中を攻略、六朝最大の版図を築いた
やはり、北伐としての質が一段下がると思うけどね
寡兵の北伐では祖逖に劣るし(何より祖逖は東晋政権中枢からの掩護がほとんどなかった)
戦果では桓温、劉裕には及ばないわけだから
南朝の武将を削ってでも、北斉、北周の武将は拡充させるべきだと思うけどなあ
慕容紹宗(北斉)と于謹(北周)は是非ランクインさせたい
特に于謹の江陵攻略がその後の南北朝情勢に与えた影響は計り知れないぞ
>>631 いつも乙です。
唐中期
郭子儀
李光弼
顔真卿
張巡
あと、異例ながら
安録山
史思明
憲宗・李純
636 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 23:36:58 ID:csIEmg5a0
南朝の武将を削るとしたらやっぱ、真っ先に周盤龍か?
個人的に大好きなんだけどな、周盤龍。
でものちの隋唐帝国の基礎を築いた名将とは比較できんか。
周盤龍削って于謹入れるとして、慕容紹宗と陳慶之はどうだろう?
陳のほうが武勲多いと思うが。
宇宙大将軍を南に追い立てて南朝を潰滅させたっていうのも
慕容の計算どおりだったら空恐ろしいけどな。
まとめ
神話〜春秋戦国
>>347 秦・前漢
>>418 新〜後漢
>>501 魏晋〜五胡十六国
>>582(候補者に+
>>603)
(ここまでは決定or保留)
南北朝(議論終盤)
隋唐(叩き台は
>>631)
五代十国宋遼金
元
明
清(後金含む)
尚、考慮する武将は、
中国式の王朝名・元号を用いて、所謂中国本土に存在した政権に所属する武将とする。
周亞夫イラネと思うが、取り敢えず一巡してからにしよう
慕容紹宗と陳慶之は取り敢えず両方入れておいたら?
__
/;;;;;;;;;;;;;\
/;;:::::::::::::::::::::::\
∈=━/,,;;:::::::::::::::::::::::::.;ヽ━=∋
L::;;,__ ..:::ゝ
//;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;ヽ
/ ;;;;;;;;:::::::::::;;;;;;;;;;;;;::::::::;;;;; ヽ
/j/三三三三三三三三三三ヾ
l::||:::: |l
/ ̄\ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′||
r┤ ト::::: \___/ ||
/ \_/ ヽ:::. \/ ,ノ
| _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
| _)_ノヽ\ ハ // / ヽ
ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ
朕の活躍した時代から以下の十名を推薦する。
諸君ら、よく議論をするように。
元朝 脱脱
元朝 拡廓帖木児
大宋 毛貴
大明 徐達
大明 常遇春
偽漢 趙普勝
偽漢 張定辺
偽呉 張士徳
偽呉 呂珍
偽夏 戴寿
640 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 02:50:44 ID:2AsaXJ4u0
元末明初か。
だったら朱元璋自身も入るんじゃないかな?
ついでに唐の太宗以降〜五代初期を出してみる。
薛仁貴
劉仁軌
裴行倹
高仙芝
郭子儀
李光弼
顔真卿
張巡
王式
黄巣
朱温
李克用
あと候補として李晟、安録山とか。薛仁貴の息子の薛訥なんかも結構活躍してる。
安録山は結構用兵上手いんだよね、意外にもって感じだが。
黄巣は朝廷にとっては死神だったが民衆からは結構支持されてるから入れた。竇建徳と並ぶ中国二大義賊って感じか。
史思明もいれてくれ。
河朔三鎮の割拠を決定的にした、安陽の大勝利をもたらしたから。
唐軍は郭子儀が率いていたにも関わらず大敗し、権威の失墜と軍団の瓦解とで、息の根止められる寸前だった。
史思明が安録山と同じ末路を辿らなければ、憲宗の中興も本来ありえなかったわけで。
さらに唐末なら、高駢、諸葛爽も候補としよう。 華麗な戦術はないけど、兵士に慕われた楊復光もいけると思う。
47戦全勝、32城を落とし、洛陽を陥落させる
普通にすげーと思うけどな…陳慶之
宇宙大将軍も撃破してるし
643 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 03:10:36 ID:2AsaXJ4u0
じゃあ朱温と李克用を五代にまわして、余った二枠に入る候補をそれぞれ挙げてみるか?
でも五代って結構名将多いんだよなぁ。最後の最後で郭威とか柴栄とか出てくるし。
ところで王彦章は名将だろうか? なんか個人的には猛将然としたイメージが強いんだが。
644 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 03:53:01 ID:2AsaXJ4u0
連投。
隋末唐初ってまさか俺の叩き台で確定?
みんなもっと議論しようぜ。そのためのスレなんだから。
南北朝で太武帝は入らないかのか?華北を統一した実績では曹操や王猛に
匹敵すると思うが。
646 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 05:12:44 ID:2AsaXJ4u0
道武帝は建国者だから別格扱いだろ。
確かに太武帝は北魏の黄金時代を築いたが、おじいちゃんがいなけりゃまず国そのものがまだ出来てないだろうし。
まぁ、慕容紹宗と一緒に候補として入れとくってことでまぁ我慢してくれ。
647 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 07:35:36 ID:vkeQVhwr0
アンカーってどうやってつけんの?
ここまできといていまさら聞くのもなんだが。
>>646 とかやればいいのか?
648 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 07:39:40 ID:vkeQVhwr0
自己解決。
なんだ簡単なことだったんだな。
>>643 朱温、李克用はこの際五代まわしがいいと思う。実際五朝期最初の好敵手なわけだから。
はっきりいって、十人枠で足らないのは五胡も南北朝も五代も一緒ですよ。
どう叩くかが問題ですな。
王彦章は後でも言及するけど、随一の猛将にして戦術にも長けた名将と言えると思う。 呂布が冷静さと遠謀をもった感じ。
>>644 自分は概ねそれでいいと思う。 隋唐初は認知度高い時期だから、議論がないのはそれでいいってことでは。
ま、李世民を破った薛仁杲とかもいいかなと思うけど、どうも人望がなかったようだし。
ああ、李密を滅ぼした王世充がないけど……いらんか(w
李密や竇建徳って百人のなかに入るほどとは思えんが・・・
この二人が入るなら三国の劉備や孫策あたりもってことにならんか?
いつの間には時代が進んでいるな
>>650 同意
項羽が「猛将」というくくりで、「名将」に選ばれない基準って、いったいどんな評価基準だよ?
個人武勇ばかりに目が行ってて、肝心の戦歴、勢力の強大さ等、見落としすぎじゃないか
まあ、あとでじっくり煮詰めればいいだけだろうけど
>>631 隋初に楊素がいないのは納得できん。
あと、李密と竇建徳は外していいのでは?
654 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 19:58:57 ID:1gq8m8gw0
>>650 じゃあ竇建徳に代えて代理人の楊義臣を入れるってのはどう?
李密に代える人材は今んトコわからん。保留。
655 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 20:29:42 ID:r0Tdw8/l0
>>654 劉黒闥はどうだろう?唐軍をさんざん苦戦させた闘将。
656 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 20:53:15 ID:1gq8m8gw0
>>655 「兄貴を殺しやがって」の義憤に燃えて唐の天下統一を三年遅らせたど根性将軍ですな。
しかし兄貴分の竇建徳外すのに劉黒闥はどうだろ?
とりあえずこれまでの流れをまとめると、
隋初
韓擒虎
賀若弼
達奚長儒→楊素(ほぼ確定)
隋末
張須陀
竇建徳→楊義臣(?)
李密→劉黒闥(?)
唐初
劉文静
李孝恭
李靖
李勣
こうか。さすがに唐初は不動かな。
657 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 20:58:52 ID:1gq8m8gw0
李密を下げる必要はないと思うけどな。
自身は八柱国の貴族階級でも、それを背景にせず、無数にある群盗勢力のひとつに身を置き、それこそ曹操を凌ぐ才覚でもって隋朝の動脈を得る位置に割拠し得たわけだから。
当時最強だった張須陀に勝ったという点でもかなり高いレベルの将だったと言えると考える。
ただ、マイナス面があるとすれば、王世充に敗れたこと。
ここは、自身の力量を野心・矜持が上回っていたことが根本にありそうで、ナンバー2として一歩下がっていれば大成もしたかもしれない。
>>656 純軍事的には竇建徳より、
劉黒闥の方が有能なんじゃないか?
竇建徳は用兵より、政策で衆望を集めたイメージがある。
>658
李密は武将というより軍師という気が
配下に徐世勣(李勣)とかいたからその分は差し引いてもいいのでは
戦術では張須陀を討ち取ったりしたけど
戦略では長安取り損ねたり、興洛倉にこだわり過ぎたりして失敗している
もし楊玄感が李密の策を採っていれば別の歴史があったかも
>>660 >>もし楊玄感が李密の策を
一流になり損ねた陳宮みたいなもんか。 それで終わらなかったからすごいわけだけど。
たしかに軍師。 というか、官僚として軍事権を掌握する最高位にいる、という図式がすごく似合う。
李世民のように先陣に身を置くのではなく、帷幄(本陣)にいる感じか…
それにしても、自分はあまり李勣を評価してないので(重要なときに負けている。李密敗退のときも逃げ出したっけ)
その分、李密をヨイショするのかもしれん。
662 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 00:04:26 ID:LNtR5yVA0
>>660 李密は策が多いわりに陣頭指揮を好む武将だったので、
配下に徐世勣が居た分は差し引かなくても良いかと。
徐世勣とは途中から別行動をとっているし。
663 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 11:00:05 ID:kz89ZwRj0
李密は混乱期に良く出る梟雄タイプの人間で、名将って感じでは無いような・・・。
すまん、高句麗(満州地方)は隋唐時代に入るんかね?
入るとしたら、淵蓋蘇文もノミニーしたいなあ
李世民に屈辱を味わわせた数少ないひとりだと思うんだが
>>663 たしかに梟雄だね。
そいつがいたから、次に統一できるヤツが出る。
というのがセオリーというかデフォというかだもんね。
唐時代を前後に分割するのであれば入るだろうし、分割しないのであれば残念だけど外すか。
隋末〜中唐までの枠は15人くらいに広げないと納まらんかもね
世界帝国突厥との覇権争い、高句麗征伐とかなり戦争地域が拡大しているし
まあ、100選だから最終選考で振るえば良いだけのような気もするけど
賀若弼(隋)
楊素(隋)
楊義臣(隋)
李世民(初唐)
李孝恭(初唐)
李靖(隋〜初唐)
李勣(魏〜初唐)
薛仁貴(初唐)
郭子儀(盛唐)
10傑漏れ?
韓擒虎(隋)→匹夫の勇? 戦略面での才覚が不明
張須陀(隋)→敗死がやはりマイナスか 叛乱軍相手には無敵だったが、正規軍相手には?
李密(魏) →器用貧乏 隋末最大勢力を築くも崩壊が早すぎた
竇建徳(夏)→名将と言うよりも、仁政家?
劉黒闥(夏)→突厥と結び山東勢力を結集して、徒手空拳の身で唐への対抗勢力を築いたのには驚嘆に値する
安禄山(盛唐)→弱体化していた平時の唐軍相手の快進撃だから、若干マイナス評価
史思明(盛唐)→同上 ただし、軍事的手腕ではやや上か
李光弼(盛唐)→郭子儀入れると、落とさざるを得んな
他にも、劉仁軌、裴行倹、蘇定方、高仙芝、顔真卿、顔杲卿・・・・こりゃあまとめるの無理じゃないか?
こう並べられると目が覚める思いがするな。
郭子儀の対抗馬という意味合いでも、安録山は入れるとして(こやつは突厥や新興の契丹、高句麗系渤海の前身などなどとさんざん戦いまくっている歴戦の勇者。隋・唐初の府兵兵士ならいざ知らず、単なる募兵によって集った、にわか混成部隊の唐軍など足元にも及ばなかった)
どうしても削るなら史思明の方を…
賀若弼と韓擒虎はセット的な気もするな。 両方はずしで…w
張須陀は隋末期の群盗隆盛乱舞状態を、ある程度篩いにかけた意味合いが大きいので、入れて欲しいところ。
顔真卿もいろいろ見ていると、たしかに硬骨漢でいいんだけど、彼の幕下に無名ながら清河から来た官吏で、李萼というのがいて軍師的な役割を果し、顔真卿の平原と清河のラインで強硬な防衛戦が展開できたそうな。
その後の身の振り方、平原の政策も李萼によるところが大きく、しかも顔真卿が李萼を見出したわけでなく、李萼が顔真卿に目をつけた感じ。
かっこいいコンビだけど、人数制限なら外すしかないかも。
ちなみに、中華政権が対外戦争したとき、それを撃退した外国の武将は入れたほうがよいかと。
さらに、李克用を五代に入れろとかぬかした張本人ですが、よくよく見ると五代期突入して1年目で死んでるんですよね… 唐末に入れてあげてください。
>>667 すまん。 >>外国の武将は入れたほうがよいかと<<
やっぱり訂正。 横文字入られるとNGもいいところと気づいた。
もう少し慎重にならなければ…
張須陀は、国が破綻寸前で戦略面の制約があって、
戦功の割に、物資・人員面での援助が少なかったこと
から考えれば名将に入れても良いのでは?
>>669 敗死と大局を動かせなかったことが減点材料だな。
確定とまではいかない、候補止まりだと思うが。
張須陀は、厳しいことを言うと、その軍事活動によって歴史にほとんど影響を与えていないことだな。
672 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 20:59:04 ID:YE4PqiX80
薛仁貴(唐初)までで一区切りしたほうがよくない?
隋から一気に郭子儀の時代までカバーすると、人数的に相当無理せにゃならんと思うが。
>>671 え〜? それでいくなら、謝玄を外す理由が…
張須陀は、秦末の章邯みたいな感じだよな
李密が入らないなら、張須陀も入れるべきではないと思う
賀若弼と韓擒虎は確かにセットで外したほうが良いかも
平陳の軍事的功績を考慮すると、楊素が代表選手で問題ないだろう
ここら辺は、西晋の平呉の役の功績争いと似ているな
(一番の栄誉は、現場の将軍ではなくて、作戦の企画立案者に与えられるべきだろうしね)
一瞬、このまま行くと李世民が落ちるんじゃないかとビクビクしてた
プロテクトかけるべき武将を確定しといた方がいいな
675 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 21:56:51 ID:7zGSTAs70
賀若弼は戦略的センスもあるし、
平陳の役の最大の功労者。外すには惜しい。
その軍事行動が歴史にほとんど影響を与えていない点においては、
楊義臣も該当するのでは?
>>673 謝玄の場合、その最も華々しい勝利を敵軍の自滅で得たようなものなので、
名将百選に加えるのは苦しいと思う。
676 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 21:58:32 ID:rvZQ9bm9O
ここらへんの時代はあんまり詳しくないけど、
後漢時代の選定が光武帝絡みの人物が多くなるのと一緒で
凌煙閣の二十四功臣とかの太宗関係の人物でほとんど埋まっちゃうんじゃないの?
突厥を破り、林邑を攻略した劉方も候補として挙げてもよいのでは。
678 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 22:02:02 ID:YE4PqiX80
盛唐〜晩唐
>>640 から
裴行倹
高仙芝
郭子儀
李光弼
顔真卿
張巡
王式
黄巣
朱温
李克用
をひっぱってきて、朱温は五代に入っても李存勗相手に暴れてるからそっちに。
郭子儀とかぶる所が多い李光弼も候補に下げて、交代で安録山を入れる、と。都合9名。
10人目の候補として李晟(息子のほうがいいか?)、薛訥。五代に入る前に処刑されてる李存孝も候補でいけるか。
>>641の挙げた高駢、諸葛爽、楊復光も候補に控えてもらおう。
個人的には張須陀、李密は二人とも入って欲しいな。張須陀の戦功は隋の名将たちに劣らんと思うし、李密は三日天下とはいえ一度は天下に手をかけたわけだから
>>678 顔真卿を落として李存孝を一押し。 多少身の振りに問題はあろうが、後梁に対しての脅威ぶりは圧巻だし。
歴史を動かしたと言うほどではないが、潞州、邢州といった要地の確保に絡んでいるし、その死後(刑死後)李克用勢がいきなり落ち目になったのは有名だから。
王式ってどんな人だっけ?
李晟や李愬か… 対節度使戦線だと、憲宗の指導力を一押ししたいのだけどな。 ふたりとも捨てがたすぎる。
で、候補として高駢とかにくらべイマイチな諸葛爽は切り捨て、代わって鄭畋をいれようか。
忘れていたけど、この人の呼びかけで反黄巣包囲を敷いて長安を一回回復している。 いろいろ軋轢があり、最後は宦官に憎まれ殺された。前時代の英雄という感じか。
そのあと、唐は沙陀の李克用を招いた。つまり自力ではどうしようもなかったということ。
>>676 顔真卿と張巡は外してもいいんじゃないかなあ?
二人とも戦歴不足で一発屋感がある。
代わりに史思明と李観を入れたらどうだろう。
李観は吐蕃や藩鎮との戦いで功績のあった名将。
681 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 23:04:01 ID:YE4PqiX80
>>679 王式は裘甫の乱平定の立役者。
860年1月、裘甫は困窮にあえぐ農民や賊徒を集め、剡州に割拠して旗揚げ、翌月には浙東地方の官軍を粉砕して現地を占領、群盗や亡命の徒を取り込んで3万の大兵力を擁するに到る。
山東地方全域を版図に納めて唐朝との対決を明らかにした裘甫撃破のために起用されたのが当時安南都護経略使だった王式。
王式は速戦即決を上奏して裁可を得、官軍の精兵と江淮に住んでいた吐蕃・ウイグル族を用いて騎兵隊を編成、速攻で現地民衆のために官戸を開き、反乱軍中枢と飢餓のためやむなく決起した民衆を隔絶、
(このときは反乱軍の策士・劉暀が唐朝の財源地を押さえる寸前で、王式が出征してなかったら唐朝の命脈はヤバかった)
追い詰められた裘甫は女軍までも繰り出して抵抗したが王式は3日間で83戦して83勝、この叛乱を平定した。
・・・以上はおもにアジア歴史事典「裘甫」の項からの転用。《旧唐書》、《新唐書》に書かれてる王式の項はごくごく短く、裘甫・銀盗の乱を平定した、としか書かれてない。
劉文静の軍暦教えてください。
小説十八史略での謀臣としての活躍しかイメージがないもので
683 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 02:35:41 ID:Yd96qdjE0
劉文静
権門の出身。容貌魁偉で卓越した知略と遠謀を備える。
李淵の太原起義から一貫して唐の臣。大将軍府が置かれると軍司馬に任命される。
屈突通討伐に出征、丸半日をかけて数千人を討ち取る。屈突通が数万の兵力を擁して東都に撤退すると諸将に命じてこれを追撃、
自らは新安から以西の版図を切り取り、平定。功績により大丞相府司馬、魯国公。
薛挙が州を犯すと李淵直々の命でこれを討伐。副将殷開山の策を容れて速戦即決に出るが失敗、大敗して逃げ帰る。
官爵を削られるもまもなく李世民の副将として再び薛挙討伐に出陣、討伐に成功し官爵を復す。
同輩の裴寂にねたまれ讒言により死刑となる。死後詔書左僕射を追贈された。
他にもいろいろ活躍してるし建策もしてるんだけど、目に止まる功績っていうと屈突通討伐と薛挙討伐の二つ。
巴蜀の三十余州を降しさらに岒南49州を招撫、輔公柘を討伐して揚州大都督に任命された李孝恭に比べると劣るか。
・・・まぁ、謀臣としては申し分のない人物ではある。他にもこんな功績あるよーって人、補完よろしく。
684 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 02:44:13 ID:Yd96qdjE0
>>683 変換ミス。詔書左僕射→尚書左僕射です。すんません
安禄山が入っているのは北方での活躍によってなのか?
686 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 09:31:19 ID:2yc7CQf6O
名将百選は、マイナー武将を推挙する場所ではござらん
隋から、楊素、賀若弼、張須陀
唐初から、李世民、李孝恭、李靖、徐勣
以降から、薛礼、裴行倹、郭子儀
候補で
隋から、劉方、韓擒虎、張須陀、楊義臣
群雄から、李密、竇建徳、劉黒闥
初唐以降で、蘇烈、劉仁軌、高仙芝、李光弼、顔真卿、張巡、安禄山、史思明、李愬、王式
唐末で、黄巣、李克用、李存孝
マイナー削っても、ここまで残るとは
(でも王式レベルで候補に上げられると、晋の劉弘も候補に挙がってしまうような)
>>687 名将にマイナーもメジャーも関係ないだろ。馬鹿?
周亜夫を外せとか李密入れろとか言われると何か勘違いしてるなとは思うw
内乱を鎮圧した将と、混乱期に割拠した将を同列に見るのもおかしいと思うが。
それにマイナーって何を指してマイナーと?
691 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 18:09:17 ID:hzfcjqZe0
知名度が高くない香具師ってそれなりの理由があるんだよね
自分の得意な時代で候補を大量に挙げてから名将10人に絞り込んでいってみ?
理由がわかるだろう。
経冪は?
>>691 誰、それ?
人名を挙げる時は、戦績を教えてくれるとありがたいな。
戦績と歴史的意義(戦略に果した役割とか)、勢力における重要度とか、そういったことは、出揃ってからでもいいような気がする。
今はマイナー(これがよくわからんが)でも戦功のあるヤツなどを挙げていけばいいんじゃないか?
>>691 後漢魏晋南北朝まで広げても知名度で選ぶと三国志演義補正で10人埋まりかねんがそれもあり?
日本での知名度=戦績・功績だという前提に無理があるだろ。
講談補正を除けばだいたい功績と知名度は相関関係にあるんじゃね?
例えば、李牧なんかは、田中某氏が取り上げたのが知名度が上がる
契機になってるけど、それ以前と功績に違いでも出たのか?
699 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 12:49:24 ID:xkzEVeN40
>>695 ただ単に知名度で選ぶなんて、誰も言ってないだろ?
一番大切なのは名将かどうかって事
関羽だけはいれてくれ
>>695 伝があればマイナーではないよね?
一応、確認しておくが。
マイナーな奴を外していくと、
認知度の低い時代の武将がいなくなってしまう。
武勲が大きければ、どんどんノミネートしてもいいと思うんだが。
どうして初唐に尉遅恭がいないんだろう?
単なる猛将扱いなんだろうか…。
>>703 個人的な武勇も、騎兵を指揮する将としても、歴代最高クラスだと思うよ。
>>703 単独で軍を指揮したことが無い将を入れると、
「じゃああいつも入れろ、こいつも入れろ」と
収拾がつかなくなるからじゃないかなあ。
>>705 尉遅恭は一隊の指揮官じゃなかったっけ?
でも、その功績は李世民であらわすこととしているのだと、自己完結していた。
数が多いからね。
それにしても、軍制度の転換期である中唐〜末期になると、ほうぼうに軍功のある「武将」が登場しまくるけど
魏晋南北朝のような、一方面を確実に安定的に任せられた将が極めて少ない。
よって、軍功の蓄積という面で劣り、実に選抜しにくく、また数が多くなってくるのはどうしたもんか。
制度的に、局地戦で有能な将が、継続して辣腕を発揮できなくなっているのだ。
一発屋と上でも言っているが、制度がそうさせている。
707 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 21:12:54 ID:j7QksZf7O
指揮官としてはやっぱり尉遅敬徳よりかは李靖や李セキの方が上だと思うけど
個人的武勇より方面軍司令官としての功績で言えば
>>707の言うとおりだな。
李靖は突厥の騎馬民族相手に勝っているし
李勣は高宗期に高句麗を占領している。
後、処世術で言えば太宗の左遷命令の意味を逸早く察知して難を逃れて
武則天立后に消極的賛成して天寿を全うできた李勣が一番だと思う。
尤も、孫の代で水の泡と化したが。
>>702 認知度が低い時代でも、この時代ならこいつって奴がいる
だけど頭おかしい人はわざわざそういう奴を外して武勲の伴わない奴を入れたがる。
711 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/19(火) 08:46:37 ID:LH1xMiZn0
>>710 確かに。知名度低い時代でも「こいつは間違いない」って人物は何処に行ってもいる。
でも
>>702の言う
武勲があればどんどんノミネートしてもいいと思う、ってスタンスも間違ってないと思う。
「100傑入りは無理だろうけど存在を無視するのは惜しい」って人物はそれこそ腐るようにいるし。
それに、隠れた名将を見つけたらそれは自分の胸のうちに仕舞って置くよりみんなに公表して宣伝したほうがいいと思うんだ。
つーわけで。26史に伝がなくてもいいよね。
今俺は『十国春秋』って26史外の資料漁ってるわけだが、ここで名将を見つけたらどんどん紹介していきたいのでよろしく。
>>709 どういたしまして。
>>711 先輩とよばせていただきます。
十国は呉〜南唐にしか、今んとこ興味なく、あんまり読んでない(読めない)から
米志誠や周本以外のかっこいいの期待してます。
どうでもいいけど、韓擒虎ってどう考えても本名じゃないだろ。
この時代はよう知らんけど、こいつの名って明らかにされてんの?
>>713 隋書韓擒虎伝には「名は擒。字は子通」とあるが、
注では「本名は韓擒虎」だが、 唐の人は諱を避け、『虎』の字を省いた」とある。
715 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/19(火) 20:24:16 ID:ir9idvLR0
>>712 先輩は面映いので同輩で。
俺も漢文自在に読めるわけじゃなし、読書スピードそんなに速くない。正確な訳とも無縁だし。
しかし周本の名が先に出るとは。一応隠し玉にとっとくつもりだったんだが。
716 :
713:2006/12/19(火) 21:33:48 ID:oXMArno70
>>714 すげぇ名前・・・
てっきり虎を捕えた逸話から
そんな異名がついたのかと思った。
生まれる直前に父親が虎を捕まえたとか、
生まれる直前に嬰児が虎を捕える夢を母親が見たとか、
そんな裏話が命名の裏にはありそうな気がする。
717 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/19(火) 21:36:51 ID:6cX9+mS4O
凄い名前といえば、王猛の孫に王鎮悪という劉宋に仕えた名将がいますな
王猛が鎮悪っていう名前つけたらしいけど
718 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/19(火) 22:13:25 ID:ir9idvLR0
スレの流れが変わってきてる?
今はとりあえず隋唐ですよ、みなさん。
叩き台係としては隋唐の議論が終わるまでに十国からそれぞれ1人、2人は目星をつけときたいところ。
まぁ、
【後梁】
朱温
王彦章
【晋→後唐】
李存勗
周徳威
郭崇韜
【後晋】
該当者なし
【後漢】
郭威
【後周】
柴栄
趙匡胤
あたりは不動だと思う(民衆の反感を買いまくった李存勗は外してもいいかも)。残り二枠に誰を入れるか、だな。
現時点での有力候補
呉の周本・・・10万の楚軍を七千の精兵で大破した。のち閩・呉越・楚の三国連合二万を数百人で撃破。無学だったが儒者を尊敬し、士卒や民衆を愛し、人々からも愛された。
後蜀の趙廷隠・・・後梁から唐に降り、さらに翻って後蜀につく。蜀土平定戦で活躍した上、契丹をバックボーンに持つ石敬瑭を撃破した。
他にもいろいろいるんだが・・・まず先に隋唐を煮詰めるってコトで。
719 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/19(火) 22:23:08 ID:htMtA+Ae0
>>718 実績等で判断した場合、後周の将軍として、
趙匡胤入れるのはありだね。
>>715 同輩ですか。 よろしく頼みます。
周本の説明に、「周瑜の子孫」を入れると、さらに箔がつくかと(関係ないか)
隋唐は、まず前半のを削って、後半のを入れるようにしないと。
隋初
韓擒虎 →候補へ
賀若弼 →候補へ
楊素
隋末
張須陀
竇建徳→楊義臣(?)
李密→劉黒闥(?)
唐初
李世民
李孝恭
李靖
李勣
盛唐
裴行倹
高仙芝→この際外すか…?
郭子儀
李光弼→郭子儀と合体(候補)
顔真卿→候補へ
張巡→候補へ
唐末
王式→? かわりに李存孝あるいは高駢。
黄巣
李克用
結果、隋唐期で
楊素、張須陀、李世民、李孝恭 、李靖 、李勣、裴行倹、郭子儀、黄巣、李克用、(李存孝or高駢)
>>687とはちょっと違うけどこんな感じ?
黄巣は名将に入れるにはかなり抵抗が
722 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/19(火) 23:34:18 ID:ir9idvLR0
>>720 薛仁貴が、俺的名将ベスト10に入る薛仁貴がいませんよ!?
ここは裴行倹か黄巣に譲ってもらわにゃ。
723 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/19(火) 23:36:09 ID:6cX9+mS4O
劉方はやっぱ無理かな…
>>687がマイナー論議の発端になってるけど
荒れるような人選ではないよな
>>687から張須陀外して、李克用だな
李存孝もこの際、功績は李克用に帰すとして、高駢は個人的には欲しいところ。
晩年はアレだけど、華南での文鎮っぷりは無視できないし。
で、黄巣削って薛仁貴(忘れてた… なんで無いかな)
現在
楊素、李世民、李孝恭 、李靖 、李勣、薛仁貴、裴行倹、郭子儀、李克用、高駢
…10人枠だと、こざっぱりするね…
726 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 01:26:00 ID:aNCmPep50
五代十国・参考までにこんな人物も。
十国春秋【後蜀編】
趙李良・・・孟知祥の軍師。蜀土統一のために西川節度使董璋を徹底的にこき使い、ポイ捨て。キレて牙をむいた董璋を鮮やかに討伐した。
王環・・・世宗(柴栄)の派遣した後周軍を撃退、本腰を入れて親政してきた世宗の軍を百日に渡って拒むがついに落城、直々に誘降されて後周の臣に。
こんなもんで。まだ後から南漢ぐらいまでしか訳せてないんです、すんません。ちなみに閩と北漢には名将不在。
727 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 01:28:00 ID:aNCmPep50
>>726 後って何処の国だ、俺。呉の変換ミスです。なにとぞ寛大な心でね、テキトーに笑ってやってください。
>北漢には名将不在。
つ楊業
729 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 02:04:33 ID:aNCmPep50
>>728 楊業は北宋の名将扱いらしいよ。
十国春秋には楊業の名前は欠片も載ってなかったし、楊業の本格的な軍事活動は北漢降伏後でしょ。
契丹に後援されてた立場と契丹相手に奮戦する立場ではまったく逆だし。楊業は北漢朝廷に飽き飽きしてたっぽいし。
宋の名将にはまちがいなく絶対入れるから許して。
高仙芝は百人に入るほどの名将ではないかもしれんが、
自分としては欄外か番外で入れておきたいところだな
(多分)一番遠くで戦った将軍でもあることだし
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 08:34:01 ID:rtTkMZGj0
732 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 08:37:10 ID:rtTkMZGj0
随唐で一つにまとめるの?
随末唐初と、中唐以降は分けてもいいと思うんだが。
733 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 10:02:46 ID:PWEFyPx10
>>732 賛成。実際唐初までと盛唐で2つ叩き台出したし。
隋から唐末までを一括りにするとランキング漏れの武将が多すぎる。
特に隋末動乱期からのエントリーがないのはどうしたものかと思うし。
どうせあとで100選するときに篩い分ければいいんだし、現時点では2期に分割、でいいんじゃない?
あ、仕事遅刻するわ。そんじゃまた夜に。
「分割しようぜ・後で絞れば良いんだから」は大抵は言いっぱなしで絞れずにグダグダになる。
100選なんだから選考基準や枠は厳しくて当たり前。
このスレで結論出すなら厳しくしないといけないけど
この後次スレとか立てるんなら選考基準や枠はなるべく緩くしといて
なるべく沢山の候補を挙げることが出来るようにしといた方がいいと思うけど。
>>736に賛成。
その方が、知的好奇心が満たされやすい。
>>735が、そのグダグダにならないよう、最後に締め上げればいいのと違う?
と、いうわけで古代(あるいは中世)最大の王朝、隋唐から以下をランキング。
隋初
韓擒虎
賀若弼
楊素
隋末
張須陀
竇建徳→楊義臣(?)
李密→劉黒闥(?)
唐初
李世民
李孝恭
李靖
李勣
薛仁貴
盛唐
裴行倹
高仙芝
郭子儀
顔真卿
張巡
唐末
王式
高駢
黄巣
李克用
李存孝
>>723 劉方ってどんな人だっけな? 黄巣を外していれてもいいよ。
で、安録山もいれたいのだけど…
さぁ昼飯。 後は夜に…
1スレで暫定的にでも決めておくつもりじゃないと、いつまでもまとまらなそうだ。
大量に挙げるのはいいが、きっちりまとめておいてくれ。
>>734 いや、郭侃はモンゴル帝国の武将だと思ったから・・・
「中華王朝の武将の中で」が抜けてた
>>737 どうして盛唐の候補に劉仁軌と李光弼と安禄山と史思明が入ってないんだ?
関羽は?
>>726 ふと気づいたけど、後蜀のその人「趙季良」ですよね?
王環は、粘り腰のある将ですよね〜。 李廷珪なんかもその点… どうなんだろうか(よく知らんし)
でも、秦・鳳の奪回戦は、柴栄の意(般若のイメージw)を受けた趙匡胤にはっぱをかけられて、涙目で相手の糧道を断って勝利した、王景のほうをこそ誉めるべきなんでしょうね。
>>738 隋唐を二分割するんでしょ? だったら20人ほどの一応のランキングだし、まとまってないこともないと思うけど。
もっとうまくまとめられるのなら、お任せしますよ。
>>740 入れたいのはやまやまだけど、そこは人数の壁というものがあって…
いきなり100人は多すぎ。
名将とは言い難い良将程度のやつらがランクインしている。
特定の時代に偏らせるなって1に書いてるから隋唐で20人枠は反対。
最初に決めたことは守ろうや。
745 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 21:31:33 ID:xQdnTEt70
自分の好きな時代は、あいつもこいつもいれたくなる。
五胡と南北朝だって、めちゃめちゃ良い武将いっぱいいるのに
泣く泣く削ったんだ。
10人枠は守ってくれ。
おいおい、二分割する言ったから
>>737にしたんじゃないか。
10人枠というなら、
>>725でよかったんじゃないのか?
どっちもおれが書いたんだけど。
どっちにするのか決めてくれ。
>>746 安禄山、史思明が入らないのに高駢を入れる理由が解らん
楊素、張須陀、李世民、李孝恭 、李靖 、李勣、薛仁貴、裴行倹、郭子儀、李克用
唐朝開闢の名将4人が固定状態だから、その下の連中で荒れるんだよな
上の4人は、百選で順位つけても上位に来そうだから、思いっきり割を食ってるな、この時代
748 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 23:40:04 ID:/MzsbUtC0
>>742 そのとおり、趙「季」良です。指摘されても10秒ぐらいwhy?状態だった。誤字多いな、最近。ボケてんのか、俺。
今はまだ10人に削らなくてもいいんじゃないの?これ以上候補者が出ないのだったら、
次の時代に移ろうか?
750 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/21(木) 00:35:43 ID:PHuxV8+X0
懲りずに十国春秋から【南漢編】
蘇章・・・兵法に通暁した南漢随一の名将。楚軍に戦艦100艘で囲まれたとき、強弩隊を率いて敵中突破、囲みを解いて悠々と撤退した。
潘崇徹・・・兵書を好む知略の人。宋の南侵に対し大将の潘美を破って救国の英雄と称えられるも、南漢に見切りをつけて宋朝に降った。
あとこの国は二代目の高祖・劉龑がかなりすごい。自ら江東の塞70余を破って版図を拡大した、ってぐらいだからかなりの猛者。
751 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/21(木) 00:46:05 ID:PHuxV8+X0
追記
田中氏の100選では唐朝から12人出てたよ。隋からはたったの3人だが都合15人。
やっぱり隋唐は2分割がいいんじゃない? 隋〜唐初、太宗以降〜唐末、で。
田中百選は正直当てにならんけどね
特に古代期のやる気の無さは異常。
よく見たら神話は入れてないんだね
754 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/21(木) 01:33:17 ID:PHuxV8+X0
王玄策には異常に気合注いでるんだけどね。
あれは自分が小説書くからその前に紹介しときたかっただけなんだろうか。
隋唐厨ってしつこいなw
もう次行きましょ。 五代十国時代。
後梁
康壊貞 岐王・李茂貞を撃破し黙らせてますね。
楊師厚 この時代最重要な魏博の精鋭、銀槍効節都の創始者として、晋軍を破ってる人。
賀懐 ……一応、胡柳陂の戦いで、勢いのある晋軍を相手取り、周徳威を討ち取るなど活躍し、痛み分けに持ち込んだ。 その直前に有力将帥である謝彦章をささいな恨みから殺しているので、その辺個人的には好きではない。
王彦章 鉄の槍を扱った猛将。 胡柳陂の戦いの後、劣勢だった後梁が打開のため攻撃目標としたある砦を、落とすのにどれだけかかるか皇帝に諮問され、「3日」と答え実行し、晋軍を震え上がらせた。後梁最後の将帥というところ。
晋〜後唐
李存勗 後唐の荘宗。 異様なほどの軍事的才能をもった若造。戦術の天才といわれている。 ただし政治的手腕が皆無なうえ、項羽を入れない辛口評価なこのスレでは、候補にも入らんか?
李嗣源 のちの後唐明宗。 晋軍の一部隊、横衝隊を率い自在に戦場を駆けた。 李存勗をして「奇才」と言わしめた。
李存審 もと符存審。 李存勗の羽翼を担っているので目立たないが、単独でも契丹騎兵相手に野戦陣を構築して撃退している。
周徳威 晋の主砲。 柏郷での鮮やかな勝利は、戦史に特筆されている。 他に、燕の猛将・単廷珪を、一合も交えることなく虜にしたりと、一騎討ちでも大活躍。
郭崇韜 軍政官。郭子儀の子孫ということになっている。官僚。 鎮州成徳の節度使として、晋の支配領域の中段を治めた。 建国の勲功第一として賞賛され、前蜀討伐の事実上の総大将を任されて遠征し、わずか70日で成都を陥とした。
康延孝 後梁の降将。 名を変えて李紹琛といった。郭崇韜とコンビを組んで、前蜀討伐に従軍する。 実戦指揮官として前蜀軍と戦い連破した。郭崇韜とかぶるが、実際に快進撃を続けられたのは、康延孝の功績によるところが大きい。
任圜 明宗期の硬骨漢として知られるが、潞州の属官だったころから、軍事、とりわけ統率に優れた才をみせていた。胡柳陂の戦いが終わって、その指揮ぶりから李存勗に「儒者とは思えない見事な戦いぶりだった。仁者の勇というべきか」と絶賛されている。
前蜀討伐戦に従軍しており、康延孝が現地で謀反した際、董璋らと計って撃破し、なんなく捕らえたという鮮やかさ。
夏魯奇 ……燕を攻めたおり、猛将・単廷珪と元行欽二人を相手に一騎討ちし、その凄まじさは周りの兵士が戦うのをやめて見入ったほどだという。 と、これしか知らないw これじゃ単なる猛将だな。 補足よろしく。
後漢
郭威 三鎮の反乱を一瞬で鎮圧した。
後周
柴栄 言う必要もない
趙匡胤 同上
後周からは追加候補として、目立たないけど李筠も。
潞州の防衛として、北漢や契丹の侵入を常に防いでいた。
彼が北で重鎮としていたからこそ、柴栄は淮南に三度も親征することができたと言える。
実際の活躍期間が短いのは、後周の寿命の短さに対応している。 彼はとりあえず郭威の子飼いということで、忠義に篤かった。
あと、鳳翔節度使の王景だけど、隴右攻略の実戦指揮官。 長期化しそうな戦線を、敵の裏をかき勝利した。
同輩に、勇猛な向訓や韓通がいたことから、功績は分割されるのであくまで候補として。
十国の方は、南唐からはとりあえず、劉仁贍を出しておこう。
ずいぶん上のほうでも書いたけど、単独で後周世宗と戦って、撃退しているのはこの人くらい。
南唐朝廷の協力が得られなかったので、というか、その暇すら与えない柴栄の速攻の前に、孤立を余儀なくされるも、2度目の親征までの1年半あまり守り通している。
負けたのは、味方の不甲斐なさを嘆いて、病に倒れたから。
758 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/21(木) 02:22:26 ID:PHuxV8+X0
趙季良や周本も忘れないであげてください。
あと、後梁の智将・郭言も。
>>757 ここは戦闘指揮能力だけが問題だから李存勗は問題無くはいるだろ
項羽もそれほど反対はなかったと思うが・・・
政治的手腕まで考慮していたらほとんどが外れてしまう
後梁の劉鄩・・・李存勗から「一歩百計」と言われた名将 しかし自分で
挙げといてなんだがどうも負けが多いような気がする
>>758 十国の方は任せますよ。 さすがに南唐あたりしか知らんのじゃ、ちから不足もいいところだから。
郭言……は、聞いたことしかなかったです。 朱晃に従って「略地千里」とかって、なんかすごいかっこいいこと書かれてますね。
詳細はよろしくおねがいします。
>>759 劉鄩は迷ったんですよ。 後梁の最有力将帥ですし、李存勗をして「どんな計を弄するかわからないから」と自重させたほど。 あの突撃しか知らんような李存勗を。
結果的にこの人、李存勗の引き立て役になってしまっています。 アホ皇帝からはせっつかれ、同僚の協力は得られず、兵士は敵を目の前にして血気にはやり、あげく天候にまで見放された、たぶん五代十国中最凶の人。
761 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/21(木) 16:55:12 ID:D+9zxHsQ0
劉仁贍なんてエントリーしといて力不足なんてご謙遜を。
俺も十国に詳しいわけじゃないんだけどね。ただ手元に十国春秋があってぺらぺら読んでただけで。本当に得意なのは宋、特に南宋だったりする。孟珙万歳!!
さておき。今日は休日(その分クリスマスに仕事だが)。三時過ぎまで寝てた分を取り戻さにゃ。
郭言・・・一応王彦章と並伝に入ってるんだけども。後梁随一の智将。でも若い頃は貧乏で力仕事をやってた人。財産は常に部下に分配し、家財はほとんどなかったそうな。
寡をもって衆を破る戦いが得意で朱温から「お前こそ我が虎候だ」と賞賛された。朱温が蔡州に入って略奪を許すと自分ひとり人民救済に奔走、
汴、潼関でも同じことをやった心根の清い人でもある。通称は「略地千里(攻めれば千里を取る)」。・・・ってほどには領土拡大できてないわけだが、
敵に当たれば向かうところ敵なし。大いに東方の軍を挫いて朱温から「排陣斬听(斬りまくって陣を陥とす)」の称号を授かる。官は宿州刺史、検校右僕射。
時溥が大挙して宿州を侵すと勇躍善戦、精兵を率いて大いに敵を破るものの、流れ矢に当たって落命。謚がないのはどーゆうことだ!!
これだけだとあんまり智将ってイメージないけど、寡兵で勝ち続けたのはやはり知略に優れたから。虚報を巧みに使って自分の有利な戦況を事前に作り上げて
から戦う、後漢の耿弇タイプの名将だった、と思う。
あと、朱温は10傑入り確定だよね。実質五代初期をリードした名将・・・つーか姦雄だから。後半生は李存勗の引き立て役でアレだが。
と、なると。
【後梁】
朱温
王彦章
【晋→後唐】
李存勗
周徳威
郭崇韜
【後晋】
該当者なし
【後漢】
郭威
【後周】
柴栄
趙匡胤
【候補(枠2名)】
【後梁】
郭言
楊師厚
劉鄩
【晋→後漢】
康延孝
符存審
任圜
とりあえず五代からはこんなもんかと。次は十国いきます。でも枠二つだから、あんまり大勢出してもなって思うけど。
762 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/21(木) 19:05:26 ID:D+9zxHsQ0
【呉】
李神福・・・呉軍初期の元老格。はじめ高駢麾下の都統。その後官軍を抜けて無頼漢・楊行密のもとへ。地形を利用しての戦いが得意で群盗に恐れられた。累功により
都指揮使。大順年間、蔡・淮の兵をかき集めた孫儒を夜襲で撃破、その後も康雎を降し安景思を敗走させた。景福初年、劉威とともに孫儒と再戦、呉軍に
十倍する孫儒軍の糧道を断って大勝利。その後、後梁の後ろ盾を得た杜洪が荊南の馬殷・雷彦威とともに攻め寄せると動きの鈍い大船団に少数精鋭で対応、
火攻めをもって君山で勝利した。太祖相手に田頵は必ず叛くから殺しなさいと勧めたが容れられず、結果田頵は叛いた。民衆は李公の預言が当たったとそ
の洞察力を称えた。その平定に参加、田頵の水軍大将、王壇・汪建を逆撃して倒した(のは台濛)。王壇らが敗れたと知るや田頵は水軍を率いて逃げよう
としたが、李神福が遣わした台濛によって敗死に追い込まれる。累功により寧国軍節度使。顎州攻めにも参加、現地で陣没。
台濛・・・字は頂雲。太祖の廬州挙兵に従い、広陵攻略に活躍。驍勇善戦、順調に出世して泗州防御使となる。龍紀初年(唐の昭宗期)、董昌の乱が起きるや朝廷は鎮海
節度使・銭鏐を派遣、これに対して呉軍は反政府側勢力として董昌を後援、台濛が派遣された。銭鏐を牽制して帰国すると漣水節度使に昇進、田頵が蜂起する
と李神福麾下の将として反乱鎮圧に参与、別隊の指揮官となる。田頵は台濛いたる、の報に将軍郭行悰および王壇、汪建に水軍二万を授けて蕪湖で迎撃させた
が、わずか二千の台濛軍に打ち破られる。台濛は逃走する田頵軍を伏兵で縦横に切り裂き、黄池の戦いで大敗せしめた。宣州に軍を還すと田頵は宣州城を囲み、
台濛に戦いを挑んだが台濛は余力のないふりをして田頵を奢らせ、油断したところを一撃で粉砕した。台濛の用兵の真骨頂は自らを弱兵と見せかけて驕慢にな
った敵を撃つところにあり、その手で幾多の猛者を屠って敗北を知らなかった。天佑元年、卒。
周本・・・周瑜の末裔。家は貧しいが膂力があり、素手で虎を殺せた。勇力をもって宣州節度使趙鍠に仕える。「勇は軍中に冠たり」と称される。趙鍠が楊行密と戦って
敗れると呉に降り、許されて牙将となる。「戦ごとに奮躍し常に士卒に先んじて堅城を上り、矢石の険を犯して矛を振り回して完膚なきまで」敵を打ち破った。
天佑六年、楚の撫州刺史危全諷が諸州の兵十万人を率いて洪州に来寇、象牙潭に駐屯して高安を囲むとこれを討伐に向かう。が、大敗、しかしまもなく七千の
精兵を率いて再び出征、知略をもって楚軍を破り、象牙潭まで退いた楚軍を追撃してさらに大破、全諷を擒らえる。功により信州刺史。数年後、閩・呉越・楚
の同盟軍二万が信州を侵すと数百の手勢だけで逆撃、空城の計+伏兵(弓兵隊)で敵軍を撃滅した。唐の荘宗が入洛すると高祖はそれを祝って司農卿・廬蘋を
遣わし、廬蘋は「後唐の名将に比肩する呉の名将」として周本の名前を挙げた。その栄誉により雄武軍統軍、徳勝軍節度使、さらに安西大将軍、大尉、中書令、
西平王を授かる。周本は書を知らず学問がなく、しかしそれゆえに儒士を尊重し、かれらを幕僚に招いた。朴訥な彼は士卒・民衆を愛して善政を敷き、人々も
彼を敬愛した。のち臨川王に改封。没年は不明、享年77歳。謚は恭烈。
・・・高祖時代の人ばっか。周本は一応紹介済みだしね。それでも読み直すのにえらい時間かかった。
南唐は
>>757に任せていいんかな? いいよね。いいということにしよう。そんじゃ次は前蜀やります。
う〜む。 まともに読めないのに、南唐を任されてしまった。
まずピックアップ。
孟堅 もと閩の裨将。閩国内で後継争いから乱があり、南唐がそれに介入してきた。
孟堅は南唐の将・査文徽に降った。 査文徽は降将の孟堅に兵を与え、閩国の平定に使った。
孟堅は自在に兵を操り敵を連破し、出撃すれば必ず功績をたてたという。
閩国の平定間際で、呉越王・銭弘佐の軍が近づいていることを知った孟堅は、司令官に戦略を進言するも、聞き入れられず呉越軍と戦い戦死した。それは結局、銭弘佐に名を成さしめる結果となった。
張彦卿 江北楚州の防御使。 後周世宗の南征が、皇帝自ら先頭に立って連戦するという快進撃ぶりだったので、各地の刺史クラスのものは降伏するか逃げ出すかだった。
劉仁贍も病のため死んでしまい、抵抗する南唐の将帥はもはやいなかった。 しかし張彦卿は楚州に迫る後周軍本隊に対し、わずか千人で防衛戦を展開した。
士気上がる後周最精鋭を相手に、40日間足止めした。 しかし南唐では、その足止めさえも効果的に戦略に組み込むこともできないほど、ぼろぼろにされていた。
窮鼠の例で、名将というほどではないだろうけど、団練使あるいは節度使クラスにこの男がいたら、どうなっていたかと想像させる。
陸孟俊 惜しいことに伝はない。 後周の南征のとき、後周と連動した呉越の銭弘俶を1万で撃破し、そのまま長江を縦断して揚州に攻めた。
揚州には後周の騎将・韓令坤が詰めていたが、これを圧倒した。 しかし、合撃態勢をとって六合に攻めた斉王・李景達が趙匡胤のために殲滅されると、韓令坤部隊は勢いを盛り返したので、陸孟俊は結局敗北した。
このとき、趙匡胤の有名な逸話で、「揚州の味方がこの六合を通ろうとしたら、その足を折れ!」と厳命し、前門の狼・後門の虎状態になった韓令坤は、狼のほうがマシということで、前面の敵を破ったという。
結果、功績として劉仁贍以外は、候補に留めおくくらいの武将しかいない。
というのも、歴史は統一に向かっているし、一人の将が長く兵権を持つことができないような時代となっていく過程だから。
764 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/21(木) 20:57:52 ID:D+9zxHsQ0
【前蜀】
張武・・・身長七尺(当時の一尺って30センチだっけ?)、紫がかった黒い顔という異相の巨漢。勇敢であり用兵を善くし、荊南の軍を夔州で大敗させ
た。武勲により鎮江節度使、のち峽路応援招討使。荊南の武信王は常に三峽を欲していたが、張武の威名をおそれ敢えて近付くことがなかった。
唐の兵が宼(地名?)に入ると武信王は混乱に乗じ、水軍をもって峡州の施州に入った。張武はあらかじめ河中に鉄杭を突き立て、江中に柵を
立てて「鎖峡上がるべからず」と豪語した。武信王は勇士を募り河中の鉄杭を斬らせようとしたが、たまたま台風が吹いたために荊南軍の舟は
進退窮まった。そこに張武が矢を射掛けたので荊南の兵はたまらず逃げ帰った。八十余歳になるまで前蜀の軍を統帥した元老。
こんくらい。前蜀は文化人は多いけど名将って言ったらこの人ぐらい。この人ですら「名将」のレベルではないけどね。論に「古の名将の風あり」と書かれ
てはいるけども。あとは漆黒の衣装を着た「鬼兵」を率いた徐瑤ぐらいだけど、この人は格闘の達人、って他には占領した土地で略奪暴行を働いた、という
不名誉な記述しかない。この国一番の武将はやっぱ国主・太祖王建だな。
後蜀は
>>726、
南漢は
>>750に一行ずつだけど紹介しただろ、で、閩と北漢(楊業は北宋)には名将不在、南唐は
>>763に出してもらったから・・・あと何処があるっけ?
呉越を忘れてるかな。
銭弘佐 呉越王。 わずか14歳で王位を継ぎ、奸臣を粛清して綱紀を改めたのち、閩の遺臣の嘆願を受け
南唐と福州を巡って抗争。 南唐軍を大破し、南唐将・楊業および蔡遇を擒え、軍事不振に陥ちいらせた。 ほどなく病死していまう。
顧全武 董昌、楊行密との戦いで一進一退を繰り広げた。台濛、周本を破り蘇州を落としたりと、向かうところ敵なしとか書かれている。
北漢
張元徽 後周太祖の死に乗じて、後周への侵攻作戦の先鋒を務める。 伏兵をもって後周軍を撃破し、澤州にまで侵入を果す。
柴栄が親征してくると、北漢軍の左翼主力を率い、後周軍の右翼軍を撃破し中軍に迫る猛撃ぶりを見せた。 この時点で、後周軍は必敗と思われた。
しかし柴栄の陣頭指揮によって、盛り返した後周軍と乱戦に陥り、落馬したところを討たれた。 相手が悪かったと言うべきか。
どうも、みなさん柴栄の引き立て役みたいで申し訳ないところねw
楚や湖南ってどうだろ? ピンとこないな。
荊南にいたっては、孫光憲あたりがいるけど、宰相だし… ここは真田昌幸ばりの高従誨を出すか?
766 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/21(木) 23:02:14 ID:D+9zxHsQ0
【楚】
李瓊・・・「驍勇にして胆略あり、一代に冠絶す」といわれた名将。光化元年、姚彦章の推荐で大将となり、衝州の楊師遠を斬って功があった。同年、
永州を囲む唐世旻を敗死させる。明くる年、郴州の守将陳彦謙を殺し、さらに進行して連州の魯景仁を自殺に追い込み、一年にして連・邵・
郴・衡・永の六州を平定、馬殷を大いに喜ばせる。劉士政が桂州に逃げ込むと陳可潘・王建武らが武装して楚軍に抵抗、李瓊は秦彦暉とと
もに七千人を率いてこれを攻めた。可潘らは交戦にあたって民から兵糧や牛を略奪、これに怒った民衆は李瓊に秦城にいたる西南の小道を
教示した。李瓊は騎・歩三百を率いて秦城に夜襲をかけ、王建武を擒え可潘を斬った。泰州に逃げ込んだ劉士政はここまで追撃されて降伏、
桂・宜・巖・柳・象の五州平定。馬殷はこの活躍を嘉し、李瓊を桂州刺史・静江軍節度使・同平章事に任じた。天佑二年、没。
お茶の国にも建国期にはこんなんがいた。これくらいで、五代十国の武将は出揃ったかな。あとはこれをどう詰めるか、だが。
これはひどい自演ですね
いや、マジで
768 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/21(木) 23:30:32 ID:D+9zxHsQ0
北漢にもいたね、そんな人。すっかり見落とし。小前氏の「飛竜伝」で柴栄ピンチ!!のくだり最近読んだばっかなのに・・・。やっぱボケてるようだ、俺のブレインは。
なんか『十国春秋』って、「驍勇にして胆略あり」に類した表現多いですよね。
それだけ、武人・軍事マンセーな時代だったのだろうけど…
大筋は
>>761で行くとして、たぶん確定は
【後梁】
朱温
王彦章
【晋→後唐】
李存勗
周徳威
郭崇韜
【後晋】
該当者なし
【後漢】
郭威
【後周】
柴栄
趙匡胤
以上。 10名枠だと、あと二人入る余地があるのか…
以下候補。
【後梁】
郭言
楊師厚
劉鄩
【晋→後唐】
康延孝
符存審
任圜
【呉】
李神福
台濛
周本
【南唐】
孟堅
張彦卿
陸孟俊
劉仁贍
【前蜀】
張武
【後蜀】
>>726 王環
趙季良
【南漢】
>>750 蘇章
潘崇徹
【呉越】
銭弘佐
顧全武
【北漢】
張元徽
【楚】
李瓊
…なんか自演扱いされましたねぇ。
それだけ知名度のない時代だからしょうがないか。
実際には、ここまで書けるとは思ってませんでしたよ。
後漢初期のように、一瞬で通り過ぎるくらいを覚悟してましたから。
もしかして、ネットで知っている人だったりして。
771 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/21(木) 23:42:41 ID:D+9zxHsQ0
今日は諸兄の集まりが悪いなぁ。やっぱ十国であまりにも文量割いたから呆れられたのだろうか。
そろそろ戻ってきて欲しいな。あいつを入れろ、いやこいつだ、ってのが醍醐味の一つだし。
空気読めないおっさんがいるからでしょ
773 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 00:07:17 ID:Ub1cuTzO0
>>772 空気読めないオッサン・・・ってやっぱ俺だよなぁ。
悪い、すまんかった。だからみんな帰ってきて〜(切実)。
というか、ここは皇帝もOKなんだから
王建や楊行密でいいんじゃね?
775 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 00:59:53 ID:Ub1cuTzO0
>>774 別に国王・皇帝でもOK。ただ、二十六史外の名将を紹介したかっただけだし。
それにしてもありがとう、ここんとこのレスは二人でパスしあってるだけだったから、
戻ってきてくれただけですごく嬉しいよ。皆から見捨てられたかも、とか思ったし。
776 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 01:33:27 ID:Ub1cuTzO0
確定八人、残り二枠については保留、ってことで(20人以上、国主含めると更に多い中から二人に絞るのもちゃっちゃとは行かんだろうし)宋代行く? 叩き台はすでに出来てるんだが。
【宋金遼時代】
曹彬
楊業
耶律休哥
狄青
岳飛
アクダ
ウジュ
完顔陳和尚
孟珙
バヤン
入れ替え候補として北宋では呼延賛、范仲淹、張叔夜あたり、南宋では宗沢(抗金の名将は岳飛が象徴的存在だから、宗沢を外したのはつらいが妥当だと思う)
と虞允文くらい?中国国内で活躍したモンゴル武将としてはトゥルイ、スブタイのどっちかがバヤンに代わって入るかも(バヤンは元の武将だし)。あとは
どいつもこいつも小粒な感があるな、岳飛や孟珙の存在が大きすぎるから。抗金の名将で岳飛以上の活躍をした武将はいないし、モンゴルの南進を一人で阻ん
だ孟珙に比べると同時代の武将たちは影が薄くなる。魅力的な武将は多いんだけどなぁ。あ、ちなみに「魅力的な武将」に張世傑は含まれないのであしからず。
後漢、魏晋十六国、南北朝、隋唐、五代に続いて叩き台六連発。できれば今んトコ十国を討論して欲しいが。
俺はこの時代知らんから口出しは出来ないが、
「考慮する武将は、中国式の王朝名・元号を用いて、
所謂中国本土に存在した政権に所属する武将とする。」
これだけは守ってくれよ。
あとID:Ub1cuTzO0、せめてもっと見やすく改行してくれ
778 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 01:53:36 ID:Ub1cuTzO0
>>777 OK、トゥルイ、スブタイは没ね。
で、俺のPCではちょうどいい塩梅なんだが、
どのくらいで改行すれば見やすいんだ?
こうやって句読点ごとに区切るとか?
岳飛と宗沢が一緒に入れられないなら宗沢じゃない?
岳飛の時代の対金戦線は韓世忠や張俊も居るわけで
むしろこいつら相手にやりあった完顔宗弼テラツヨスって感じなんだが
780 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 02:07:58 ID:Ub1cuTzO0
じゃあ、バヤンを元代に下げて宗沢を岳飛の前に置くか。
あと、完顔宗弼はアジュ(女真名)のことだから入れてるよ。
できればオリブも入れたかったけど。
781 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 02:16:08 ID:Ub1cuTzO0
>>780 間違えた。アジュじゃなくてウジュね。
ちなみにオリブの漢名は完顔宗望。まぁ、どーでもいいか。
知ってるがな>完顔宗弼はアジュ
俺は完願姓のほうが好きなんだよ
つーか“中国”名将なんだから漢字名で後ろにその民族での名前にしたほうが見栄えはよかろう
これから先、漢民族以外の武将も結構出るだろうし
完顔宗弼(兀朮)
伯顔(バヤン)
みたいにね
784 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 02:23:31 ID:Ub1cuTzO0
>>782 すまん、余計な差し出口だったな。
しかし、宋代に入ったら結構なレス来るなぁ。
十国から必死で名将探してた時とは大違いだよ。
オナニー激しいし、勝手に枠を組替えてるしグダグダだな。
>>782 ウジュじゃなかったか?
音写してるだけだからアジュと読めたりするのかな
どうもアジュとくるとウリヤンハタイの息子を想像してしまうな
なにげにスレのレベルあがってるなぁ
五代十国は詳しくないから参考になるわ
はや。 もう南宋いってるし。
まぁ、北宋には「名将」なんてものは皇帝以外に存在してはいけない王朝だから、妥当だろうが。
名臣なら、コレまでの王朝以上にわんさかいるけど。
五代十国が終わってしまったので、出番も終わったな。
オナニーやグダグダにならないよう、
>>785がきっちりと手綱を握れることを、ROMりながら見ているよ。
>>753 神話的人物もいるけど、単純に神話と一括りにしては誤解があるから、上古とか古代の方が良いだろうね。
>>786 知名度が無いから、知識のある奴が語ってるだけじゃね。
質問なんですが
岳飛の戦術的能力って実際より割り増しな状態で認知されているって本当ですか?
自分は普通に凄いと思うのですが・・・
>>790 自分もそう思う。
割り増しの話は初耳だけど、神格化されているのは確かな事実でしょうね。
列伝自体は、読むとその戦勝ぶりに圧倒されます。
某SF作家がヨイショしまくっているので、その反動で過少に見たがる輩がいただけでは?
>>791 岳飛は確かにすごいけど、金史とかも読んで比較したほうがいいと思う
もっとも自分も漢文をちゃんと読めるわけじゃないのであまり偉そうな
ことは言えないが
金の完顔宗翰(粘没喝) 左副元帥として右副元帥の宗望とともに北宋を滅ぼす
初期の南宋侵攻の総司令官
本当は宗望のほうが良かったかもしれないが、遼・北宋・南宋と
戦った当時の金軍の代表ということで
>>777 つまり1271年以降(で1368年迄)のモンゴル帝国本国のみだな
ってこの時代、100年も無いぞ
早速のレス感謝、感謝です。
神格化されてるのは考慮して意見を述べたのですが
割り増しな状態で認知されているって言うか、
虚名が実力の何倍かに膨れてるって言われたもので・・・
本当に得意なのは宋、特に南宋だったりするって御仁の意見もぜひ拝聴したいです。
もし即出ならご勘弁を・・・
南宋の武将って岳飛ぐらいしか思い浮かばないヘタレな自分・・・
中国本土を版図に持ってればそれでいいと思うが。
>>778 こちらの環境では、IDの最後辺りで改行入れると見やすいと思います。
かんせいちゅうは?
>776
阿骨打は外してもいいんじゃね?
遼を滅ぼす前に死んでるし
阿骨打没1123年
遼滅亡1125年
北宋滅亡1127年
とりあえず金は僕散忠義を推薦。
ところで、五代で一時代枠なんだっけ?
あと遼は>777の定義に入るのか?個人的にはかなり微妙な存在だと思うが。
金から入れるなら、生涯不敗の宗望の方がいいんじゃね?
801 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 23:38:54 ID:UP8ffTFO0
>>794 確かに南宋得意って書いたわ、俺。
岳飛は神格化されてる部分もあるけど、実際の武勲と虚構の武勲がそれほどに
違うってことはないと思う。
『岳飛伝』も岳飛の死まではあらかた正史の『宋史』に書かれてるとおり。
(虚構も確かに入り込んでるけど、岳飛の武勲は水増ししなくても十分に物語になるし)
ただ、宮崎市定教授によると郾城での大勝利は嘘だとか虚報だとか。
そのへん確かめる術を持たんわけだが。
あと、岳飛は酒の席で酔っ払って部下を殴り殺したことがある。
結構短気だったっぽいってのもあわせて、『岳飛伝』の清廉なイメージは少し修正して
読んだほうがいいかも。
802 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 23:43:53 ID:UP8ffTFO0
連投。
>>798 しかし阿骨打の強大な統率力なしでは金そのものが成立してないだろ。
阿骨打を抜くのはヌルハチなしでドルゴン語るようなもんだと思うが。
>>802 金国を語るわけじゃなく、中国名将を語るから、そこは考慮にいれてもらいたい。
804 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 00:03:14 ID:wmBoXmV30
>>803 ふむぅ。んじゃ、仮に阿骨打を外すとしたら
入れ替えで菩薩太子・宗望(オリブ)かな。生涯不敗ながら短命なんだが。
>>799 入ると思うよ。本土の本で『宋金遼三国演義』って出てるし。
中華王朝の一つとして現地の人に認知されてたってことじゃない?
805 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 00:50:47 ID:wmBoXmV30
またも連投。
>>799 僕散忠義よか徒単合喜のほうがよくないか? 宋弼すら倒した呉璘を破った男。
まぁ僕散忠義には南宋から講和を引き出した功績があるけど、なんかぱっとしないイメージが。
>>804 いや、現地の人の認識でなくて、我々がこのスレで定めた「中国武将の定義」に当てはまるのか?ということです。
当時の人間の認識を問題にしたら、五胡の連中のほとんどが「あんな禽獣ども、俺たちと同じ中国人なわけないだろ!」
とかなってしまうんでないかい?
逆に言えば、>777の定義だとトゥルイやスブタイは入ることになるだろうけど、この二人は当時も今も中国人は「中国
の武将」なんて認識は無いのでは?
遼は領土が微妙じゃね
まあ燕が領土内ならギリギリOKだと思うが
まああと「契丹」は中華的な国号なのか気になる
駄目なら遼の範囲は947〜983、1066〜1125ということになるな
>>806 777の定義を「中華地域の領土を持ち、その歴史を通して中華風の元号と国号を使った歴史がある政権に所属している」と読むか、
「中華地域の領土を持ち、中華風の元号と国号を使っている政権に所属している」と読むかで話は変わる
前者ならスブタイは有り、後者なら無しだ
808 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 01:12:23 ID:wmBoXmV30
>>806 個人的には「中国本土に領土があって中国国内で活躍した武将」
が=「中国の武将」でいいと思うけど、どーだろね?
我々としては当時活躍した武将を楽しく選出できればいいと思うんだけど。
当時の人々の思惑はさておいて。
トゥルイやスブタイは入るかなぁ?
>>777の定義だとそれは違う気もするが、
入れていいならスブタイを入れたい。明らかに「俺は蒙古の将だ」って思ってたにしても。
ところで耶律休哥以外に遼の名将っている?
一度楊業にやられかけたとはいえ、あれほどの人傑はそういないと思うが。
809 :
807:2006/12/23(土) 01:19:15 ID:0tvJC2KbO
我ながら言葉使いが変だな
その政権の歴史の中で中華風の元号と国号を使った事例がある
に変更
まあ777は後者のつもりで言ってると思うが
810 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 01:39:34 ID:wmBoXmV30
>>794 韓世忠・・黄天蕩の英雄だが部下の呼延通が拝礼しなかったことに怒り、シカト。案外心が狭い。
張俊・・・所詮は夜盗あがり。岳飛忙殺の一翼を担った外道。
呉玠・・・宗弼を和尚原で破ったのが黄金時代。その後はただの酔っ払い。
呉璘・・・兄貴の副将で補佐役。岳飛死後四川に引き篭もり。
劉リ・・・戦略的撤退を敵前逃亡と看做されて激怒、そのまま病死。
虞允文・・久しぶりの一発屋。でも権力の中枢にいたから長生きすればもっと活躍したかも。
李顕忠&楊存中・・数千から一万での局地戦では修羅の強さだが、名将と呼ぶには不足か。
・・・以上、遅くなったけど南宋初期の名将ピックアップ。
他にも王彦とか魏勝とか李宝とかいるけどとりとめがなくなるんでこんくらいで。
811 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 01:49:43 ID:wmBoXmV30
>>810は
>>801の続きね。
宗沢入れ忘れたけどまぁ、この人は「黄河を渡れ!!」の名台詞で説明終了。
>>808 耶律休哥以外の遼の名将というと耶律斜軫ぐらいしか知らないが・・・
高梁河で休哥と共に宋太宗の親征軍を破り、
宋が再び大軍を北上させたときは山西方面の指揮をとって宋軍を撃破し
楊業を捕らえた
耶律休哥って、髪が白髪になる人か。
でも楊業に及ばぬ自分を感じていたっていう格下の武将だし、
これは外してOKでしょ。
惜しかったね努力賞ってイメージが救えねぇw
まぁ、楊業は五代末〜北宋期最強の名将だから仕方ないとも言えるけど。
814 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 20:18:51 ID:perZ8+ssO
ここらへんの時代はあんまり詳しくないけど楊業って実際そんなに凄いの?
北方小説で過大評価されてるような気がするんだけど
北方小説で過小評価されてるきらいはある>耶律休哥の方
どう考えても北宋初期最高の名将なのに、楊業の引き立て役かぁ…。
内政担当の耶律隆運と並んで聖宗期の両輪を為した人が…。
耶律休哥と耶律斜軫は普通に名将だろうよ
てーか曹彬が入るなら休哥は入るだろう
>>801 南宋が得意な御仁よりの回答、痛み入ります。
やっぱり詳しいですな。
凄いですよ、その知識!!
>>816 耶律休哥を外すという主張は、名将かどうか、曹彬と比べてどうかという話ではなくて、
遼という王朝の扱いの問題でしょう。
>>818 そうだけど、厳然たる中国内地での戦いで、宋太宗を身一つで遁走させるほどの勝利をもたらした男を、名将でないとするか?
燕雲十六州は中国の土地という認識があり、そこを取り戻すのが初期と後期の国是となったわけで、遼全体ではなく、北宋の侵攻軍と戦い勝利したなら入れても問題ないでしょう。
ま、その辺にとどめ置くべきでしょうね。
新興の女真とか、遡るがウイグルや渤海と戦って勝利した将軍などは考慮しないということで。
>>819 話、わかってる?
耶律休哥が名将でない、なんて誰も言ってませんよ。耶律休哥は「中国の武将」扱いができるかどうか、
と言っているのです。>818に対する、何の反論にもなっていません。
>燕雲十六州は中国の土地という認識があり、そこを取り戻すのが初期と後期の国是となったわけで
この理屈で言うのなら、例えば20世紀に中国の一部を支配していた日本の軍人は「中国の武将」とみなせる
のですか?
燕雲十六州は確かに関内の土地だが、当時の中国からすれば北辺の彊土。それくらいを占領しただけで
中国政権になるのなら、南詔や西夏だって中国政権になります。台湾を支配した日本も。
>>808,813
耶律休哥が楊業に負けたのっていつの戦い?
822 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 08:33:09 ID:iPZXmf/E0
>>767 俺はいいとして770の名誉のために言っておくと、自演ではないよ。
まぁ、確かに二人だけで時間とスペース割いたのは悪かったけど。
なんつーか、田中某氏の「五代十国には名将が少ない」ってのを覆したかったんだよ。
とりあえず、自己満足でみんなを白けさせたことについては謝っとく。すまんかった。
ちなみに空気読めないオッサン=南宋が得意な叩き台係の俺だったりする。
誰か気付いてたかも知れんが、言っとかないと居心地悪いんで告白しとくわ。
>>796 遅くなったけど、改行のタイミング教えてくれてありがとう。助かる。
>>820 耶律休哥残すべきか他の遼の名将に交代か、の火口を切ったのは俺なわけだが、
それが遼は中華王朝たりえるか、の議論に発展するとは・・・。
個人的な意見としては中原志向を持っていたかどうかで変わると思う。
明らかに中原を狙って南侵してきた金は間違いなく中華王朝として、遼は微妙だな。
燕雲十六州だけで満足してたとしたら中華王朝ではないことになるし、どーだろ。
出来る限り耶律休哥は残す方針でいきたいんだが。
>>821 808だけど、耶律休哥は生涯負けなしのはず。楊業には追い詰められたけど虎口を脱してるし。
いつのどこの戦いってよく憶えてないなぁ。続資治通鑑読めば出てくるはずだけど、めんどい。
>>820 春秋戦国時代にはすでに中華世界に入っていた燕が駄目なら何処ならいいのよ
>>820 日本史が中国の正史として認められるなら、中国として扱われるかもしれんね。
遼史は二十六史のうちのひとつで、過去に中原志向があり、晋あるいは後唐、後晋さらには北宋と、従属国家ならしめたのだが、それを考慮していただきたい。
南詔とか吐蕃、西夏とはわけが違うんですよね。
だが、その中で中国武将として扱うのは、あくまで中国本土で戦った事例のみとしたい。
>>822 自演に見えるほど、話が合ったってことでしょう。 それはすごく楽しい時間でしたよ。
五代十国の知名度のないところを埋めようとしたのだから、場の空気を問題にださなくてもいいと思うのだけどなぁ。
たしかに、「白けた」というのは悪いと思うから、そこは謝っておきましょう。
遼までアウトってやりすぎだろ
近代以降の軍人は含めず
中原志向があり
中国本土を領土+主戦場とした事があり
漢化された文化を持っていた王朝
・・・とするなら遼は十分入るのでは。
二十六史にも入ってる事だし、アウトは違和感がある
モンゴル帝国みたいに扱いに困るエリアの武将がぼろぼろ入る訳でもないだろうし
最大でも3人位だろう
【宋遼金時代】
今のところは
確定・・・曹彬
楊業
狄青
宗沢
岳飛
宗弼(ウジュ)
完顔陳和尚
孟珙
候補・・・耶律休哥(遼を入れるのかどうか)
阿骨打(中国の武将なのか?)
宗望(オリブ)
その他・・韓世忠・張俊・呉玠・呉璘・劉リ・虞允文・李顕忠
楊存中・僕散忠義・徒単合喜・宗翰(ネメガ)・耶律斜軫
こんなもんか?
>>827 完顔陳和尚は一発屋で、他の戦いでは敗北を喫したりもしているので、
できれば外して欲しい。
こんなの入れるぐらいなら、耶律休哥を入れて欲しい。
あと、宗弼は負けが多すぎるので、名将百選に加えるには微妙な気がする。
創業期の金を代表する武将としては、宗望の方がふさわしい。
完顔陳和尚はたしかに一発屋なんだが、その一発が他ではまずお目にかかれないような
大金星というのが扱いに困る。この百選は一発屋よりは総合的な功績が重視される傾向
があるので、やはり落ちるか?
宗弼が微妙というのには賛成。変わりに入れるなら総合的にいって宗翰を推す。
あと宋のチュウ師道がいないのは何故だ。
830 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 23:08:04 ID:xqkOF2ld0
>>827 その他、のところでいいから衰宋期のパワフルおじいちゃん、杜杲と
ビッグマウスな釣魚城城主、余玠を推薦。孟珙という巨星に隠れて地味な扱いだが、
両者それなりに頑張ってる。あと張順、王堅なんかもいるけど、
このふたりはもと孟珙の部下だから入れんでいいか。
>>829 叩き台の段階でチュウ師道を外した理由。チュウの字が漢字変換できなかったから。そんだけ。
>>830 釣魚城を造らせたのは余玠だけど、モンケ侵攻の時の城主は王堅でしょ。
釣魚城城主というのには違和感があるなあ。
832 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 23:45:10 ID:xqkOF2ld0
モンケって結局病死なんだっけ?
どっかで王堅が放った投石器の岩に潰されて死んだって読んだ気がするんだけど記憶違いか。
>>832 死因については諸説あるが病死というのが一般的。
後継いだフビライがモンケの遺命に背いて釣魚城の軍民全ての生命と財産を保証してるから。
直接殺したら流石にそこまで寛大になれないだろう。
投石器の岩に当たって死んだのは武将の汪徳臣のはず。
降伏勧告中にやられた。
834 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 00:10:57 ID:R8+iyRtD0
>>833 サンキューありがとう。
モンケじゃなくて汪徳臣か。完全に勘違いしてたわ。
さて、明日はいつもより速いし、そろそろ寝るか。
宋金遼には思い入れ深いんで明日帰ってきたらすでに元時代になってるなんてことがないように祈るよ。
耶律休哥の問題もあるしね。
835 :
827:2006/12/26(火) 03:10:34 ID:DSE9B05z0
>>828 叩き台に上がっていて今まで議論になっていない人物は
異論なしとみなして確定にいれたけど、自分も完顔陳和尚
は外していいと思う
>>830 「その他」は単に一度名前のあがった人物をまとめて書いておいた
だけで、特に意味はなかった。紛らわしくてすまん
>>829 大金星なのは確かだけど、規模が小さいような……
常勝ではないにせよ、末期の金で孤軍奮闘した勇将とは言えるだろうけどね。
名将百選に入るほどか、と言われれば・・・
金を代表させるなら勃興期の名将・宗望や、南征の勇将・宗弼を入れたいね。
838 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 19:10:08 ID:V3+XH6Ij0
宗弼は敗戦が多いから外したほうが、についてだが、
実際そんなに負けてるかってーとそうでもない。和尚原では一度負けてるが翌年獲り返してるし、
岳飛と韓世忠の合同軍を破ったりもしてる。
黄天蕩での敗戦はまぁ言い訳できない負け方だが、ウジュの敗戦は
・相手も超一流の用兵家であって
・得意の騎兵戦に持ち込むことの出来ない状況に持ち込まれた
ためにやむなく敗れた、というのが真相であってだらしなく負けてばっかではない。郾城の大会戦が実際あったなら金史に記載されないはずはないし、
(黄天蕩や和尚原での敗戦はしっかり書き留められてるんだから、郾城の場合だけカットされてるってのは明らかにおかしい)
記述がないということは郾城の戦いは実際にはなかったという率が高い。
つまり野戦で騎兵の機動力を存分に使える状況では負けてないことになる。
しかも南宋政府に講和を認めさせ朝貢国たることを認めさせた功績は敗戦のマイナスを補って余りある。
ということで、ウジュは残したほうがいいと思うのだが、どうか。
完顔陳和尚はどーかなぁ。個人的には足を折られても腕を折られても変節しなかった
硬骨漢って感じで好きなんだが、モンゴル軍相手に三連勝とはいえ、どれも局地戦だし百傑入りは難しいか。
代わりに誰入れるかってーと、順当なところで韓世忠かオリブのどっちかだろうな。
自分で推しといてなんだが余玠じゃ明らかに役者が不足してるし。
余玠+王堅+張カクの釣魚城城主トリオをまとめて一人扱いってんならなんとか他の英雄たちに匹敵できるかもしれんが、駄目だよな?
>>838 >自分で推しといてなんだが余玠じゃ明らかに役者が不足してるし。
>余玠+王堅+張カクの釣魚城城主トリオをまとめて一人扱いってんなら
>なんとか他の英雄たちに匹敵できるかもしれんが、駄目だよな?
孟珙がいればそれでいいと思う。
840 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 20:44:01 ID:V3+XH6Ij0
>>839 同感。実のところ誰かが「孟珙いらないよね」とか言わないかビクビクしてた。
まぁその心配はないとして(実際武功なら岳飛より孟珙のほうが上、ってぐらいだしな)
一応10人枠あるから、穴埋めの人材と、あと耶律休哥の問題があるんだった。どーしよ?
841 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 21:14:01 ID:V3+XH6Ij0
現時点での確定組と候補、連投させていただく。
【確定組】
曹彬
楊業
狄青
宗沢
岳飛
孟珙
以上、確定6名
【候補】
完顔宗弼(俺の中では確定)
完顔阿骨打(中原では戦ってないし、外すか)
耶律休哥(遼は中華国家でいいよな?)
韓世忠(完顔陳和尚の後釜候補)
完顔宗望(韓世忠に同じく)
杜杲(孟珙と活躍時期がかぶったのが不幸。単独で10傑入りは無理があるか?)
余玠その他(・・・頑張ってください)
五代十国宋遼金で10枠ね。
>>841 宗弼は微妙だな。マイナスも大きいがプラスも大きい
宗望は確定でいいと思う
あと、完顔陳和尚の後釜には韓世忠の他に完顔宗翰と耶律斜軫を推したい
ただし、こいつら3人とも同時代のより優秀な奴とかぶってるんだよな・・・。
844 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 04:36:16 ID:62ylHK9k0
>>842 うぇ!?
五代十国宋金遼で10人っていくらなんでも無理ですぜ、旦那。
現時点で五代の確定、8名。
そして宋金遼から現時点で6人。宋金遼は当然のようにまだ増えるし。
それをあわせて10人ってどんな奇術使っても無理。
叩き台の段階で五代十国と宋金遼は別々にしてるわけだし、別々でいいだろ、どう考えても。
まぁ清まで終わった段階で100人超すから、各時代の代表をさらに7,8人に絞る必要があるとはいえ、
五代十国と宋金遼を一緒には無理です。隋唐を一緒にするのとはワケが違う。どー考えても無理なんで勘弁してください。
なら別に無理に10名出さなくてもいいんじゃないかと。
どうせ後で削るんだから。
異論が多い人物は外してもいいと思う。
>>844 最終的に各時代で均衡が取れるように絞る予定ならいいよ別に。
ただ五代十国なんて50年程度しかないことをお忘れなく。
あと、過去ログに目を通してから参加したほうがいいよw
>>846 年数以上に、歴史的転換期であり、政権がめまぐるしく変わったことを忘れずに。
五胡と南北朝をくっつけないのと同じこと。
なんなら、魏晋南北朝とひとくくりにする?
848 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 11:32:35 ID:GWIUbemB0
>>846 過去ログっつーか、後漢からずっと見てるよ、俺。
でも宋金遼時代は名将多いから削れないだろ。
宗弼、宗望、耶律休哥。この3人入れただけで9人になる。
五代十国の8人もこれ以上は削れない、って人物で固まってるし。
849 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 12:04:03 ID:XaYK9d7o0
1.春秋戦国
2.前漢
3.後漢
4.魏晋十六国
5.南北朝
6.隋唐
7.五代十国
8.北宋・南宋
9.元朝
10.明朝
11.清朝
全部でこの11王朝だから、一朝毎に7.8人まで削る必要ないな。
一朝から9人で99人になる。あえて五代と宋をひっつける必要はないだろ。
最後の一人はどっかの時代で確定ではない候補の人物を入れるってことで。
850 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 12:33:27 ID:+BkRsUoPO
五代だけやけに短くない?
>>850 同意
たかだか五十年の五代に一枠を与える事は過分以外の何物でもない。
人間の能力って特定の時代に偏ることはないと思うんだよね。
有力候補がなかった周の東遷以前を省いて辛亥革命までの2681年を百等分したって
五代で2人、ちょっと調整して割増しても3人くらいの枠にしか相当しない。
853 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 13:05:55 ID:Y6NaSUK20
そんじゃあ
【五代】
李存勗
郭威
柴栄
趙匡胤
【宋朝】
曹彬
耶律休哥
狄青
宗沢
完顔宗弼
孟珙
以上10名って感じか? 両朝ともやけに人材層薄くなるが。
854 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 13:24:08 ID:Y6NaSUK20
↑よっか五代から3〜5名出して両宋からは一枠10名(9名でもよし)
にしたほうがいい気がする。なんといっても宋は300年王朝だし、
時間ごとにまんべんなく名将が出てくるならそんだけで名将輩出率が高い。
異民族の名将も差別なく入れたいしな。
改めて新しい枠の規定を提案したいんだが…
春秋戦国(秦含む)
前漢(楚漢戦争含む)
後漢(新や魏・蜀・呉以外の後漢末群雄含む)
南北朝(晋統一〜隋統一)
隋唐(隋末群雄も勿論含む)
宋(五代から元の統一まで)
元(元成立後の明成立までに活躍した元末群雄含む)
明(例によって明末群雄も含む)
清(まんま、清代に活躍した人々)
異民族枠(漢化されたとおぼしき異民族は含まれない、
純粋な異民族と思われる、
ある程度中国史に影響を与えた人物のみここに含まれる)
856 :
855:2006/12/27(水) 13:28:42 ID:X4iTQwFd0
元の解説の冒頭部分(元成立後の)は無視してくれ。
857 :
855:2006/12/27(水) 13:40:46 ID:X4iTQwFd0
すまん、後漢と南北朝の所で大きく矛盾していたことに気付いた。
これでは、魏・蜀・呉は何処にも含まれない事になる。
で、改めて後漢枠を(新成立〜晋統一まで[魏・蜀・呉も含む])に変更したい
五代・北宋・遼と金・元・南宋に分けるのがいいんじゃね?
宋は全部で300年あるから、それとくっつけられるとどうしても不利になる
というわけで
【五代・北宋・遼】
朱温
李存勗
郭威
柴栄
趙匡胤
曹彬
楊業
狄青
耶律休哥 以上9名
【金・元・南宋】
完顔宗望
完顔宗弼
アジュ
バヤン
ココ・テムル
宗沢
岳飛
孟珙 以上8名
これでどうか?
個々の人物が適当かは改めて議論するとして
859 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 13:44:03 ID:Y6NaSUK20
>>852 >人間の能力って特定の時代に偏ることはないと思う、についてだが、
動乱期には平時とは比較にならないぐらい将才・知略に長けた人物が湧き出るもんだと思う。
(平時には将才があっても確かめる術がないから)
>>855 異民族枠にはモンゴル初期の将帥(トゥルイ、スブタイなど)も入るの?
スブタイは完顔陳和尚を倒して金を絶望のどん底に叩き込んだから、そこそこ歴史に影響してると思うが。
860 :
855:2006/12/27(水) 13:48:02 ID:X4iTQwFd0
>>859 俺の主観では、モンゴル帝国関係は、
元成立以前の蒙古人なら全て異民族枠に入る。
後金のヌルハチやホンタイジもまた然り。
861 :
855:2006/12/27(水) 13:54:22 ID:X4iTQwFd0
>>859 すまん、質問の意図を少し履き違えていた。
トゥルイとスブタイに関してだが・・・
ぶっちゃけ元は元末動乱期ぐらいしか詳しくないので、何とも答えられん。
しかし、先述したヌルハチやホンタイジぐらいの影響力があれば充分この枠に入る。
862 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 14:02:25 ID:Y6NaSUK20
>>858 概ね同意だが元の将は元時代で別にしていいんじゃなかろうか。
一緒にするとなんとなく分かりづらいというか、元は独立させて
史天沢
忽必烈(フビライ)
兀良合台(ウリャンハタイ)
阿朮(アジュ)
伯顔(バヤン)
劉整
李庭芝
張弘範
脱脱(トクト)
拡廓帖木児(ココテムル)
ぐらいがよくないか? ちなみに李庭芝は南宋最後の砦ってことで入れた。呂文煥でもいいけど。
>>858 隋唐は300年以上、しかも世界帝国として対外的に膨張していた時代にもかかわらず
きっちり10人枠で収めたんだから、とりあえず今は我慢しようや
五代〜宋は文化的には飛躍していた時代であっても、軍事的には常に劣勢であったことを
考えれば、10人枠内に入るヤツラは、自然と決まってくると思うんだが
ちょっと過大評価しすぎでないかい?
>>855 新〜晋統一までか、一番枠組みが変わるところだな
南北朝時代だけだと、非常に狭い意味合いしかない言葉になるので「両晋南北朝」と
呼称したほうが分かりやすいと思う
>>859 確かめる術がないだけであって能力自体が跳ね上がるわけじゃないだろ?
各時代でバランスがとれた配分にまとめることがこのスレの住人の腕の見せ所なわけだ。
865 :
855:2006/12/27(水) 14:24:30 ID:X4iTQwFd0
>>863 うん、確かに。
それじゃ、南北朝は両晋南北朝に変更という事で。
866 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 14:49:32 ID:Y6NaSUK20
両晋〜南北朝だと
祖逖
桓温
慕容垂
劉曜
石勒
劉祐
韋叡
拓跋珪
斛律光
于謹
楊素
こんなもんか? すげぇキツキツだが。
867 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 14:51:22 ID:Y6NaSUK20
いかん、11人挙げてるわ。とりあえず劉曜を抜くってことで。
868 :
858:2006/12/27(水) 14:57:26 ID:7T6YDn+60
>>863 統一秦〜前漢 約230年
新・後漢 約210年
魏晋〜五胡十六国 約220年
南北朝 約200年
隋唐 約330年
どちらかというと、隋唐が例外的に長いと思う
もし五代・宋・遼・金にすると他の時代の倍近い約370年になってしまう
俺としては時代を短めに区分して沢山名前があがったほうが面白くていいんだが
五代十国の混乱は中原に限っては半世紀あまりで終わったが、
北宋は統一王朝でも覇権国家でも何でもないと思う。
中原の大半を支配してるだけの史上最も栄えた南朝。
その比類ない文化と思想的、言論的、制度的先進性が過大評価を生んでるだけ。
実際の東アジアの本流の覇権は遼と金が握っていた。
1:春秋戦国時代(前770〜前221)
2:秦漢時代(前221〜220)
3:魏晋南北朝時代(184〜589)
4:隋唐時代(581〜907)
5:五代十国二宋遼金時代(907〜1279)
6:元代(1271〜1368)
7:明代(1368〜1644)
8:清代(1636〜1912)
言うのも野暮かと思っていたが、魏晋南北朝期の門閥主義と、最下層の農民でさえ手柄を立てれば栄達できるチャンスが多かった唐末五代とでは、「人」の層が断然に違うということ。
玉石混交ではあっても、能力のある人間が世に出る機会が多いのであって、その厚みは他の時代とはずいぶん違う。
それだけ優秀な人材が出るということにもなる。
それでも、その武人主導の期間が短かったのは、中国王朝では異常事態だったから。
>>871 中国史上、唯一の奴隷出身者の皇帝がいる時代が、門閥主義最盛期の魏晋南北朝期なわけだが
すごい奴が出るのに、身分の壁なんて実際は何の縛りにもなっていないのが中国史の醍醐味でしょ?
それを実際世に示したのが、他ならぬ市民階級出身の高祖劉邦なんだし
南北朝期の皇帝も軍人出身者ばかりだしね
>>872 >>身分の壁なんて実際は何の縛りにもなっていないのが
だからその壁がなくなるのが乱の時代であって、壁を作るのが治の時代なわけですよ。
五胡や五代などの戦乱期は、あるいは戦国時代もそうだけど、こういう時代は特に名将といった類の人間が立身しやすいので、多く出る。
つまり、方々に同じような実力を持ったものが出て、平均化して見えてしまうわけですよ。小粒に見えるのはその辺が影響しているんじゃないですか?
>>873 軍人でも門閥主義からは、そう遠くないですよ。
と、言ってみたものの、時代区分は
>>858がそれなりの出していた。 すまない、よく見てなかった。
宋は、北と南で随分違うから、分けるのは妥当。
その王朝の性格も、
>>869の認識で大筋当たっているわけで、王朝の支配領域が大きい=優秀というわけではない。
しばしば指摘されているけど、この時代はユーラシア規模での活性期に入っているから、そこも考慮してほしい。
それだけ、中華王朝が、以前のようにデカイ顔できない状況だった。
中華王朝が圧迫されてたのは五代に限った話でもない。
春秋戦国(紀元前771年〜紀元前221年 550年間)
統一秦〜前漢(紀元前221年〜紀元前8年 213年間)
新・後漢(紀元前8年〜紀元220年 228年間)
三国〜両晋(220年〜439年 219年間)
南北朝(439年〜589年 150年間)
隋・唐(589年〜907年 318年間)
五代〜北宋・遼(907年〜1127年 220年間)
南宋・金〜元(1127年〜1368年 241年間)
明(1368年〜1644年 276年間)
清(1636年〜1912年 276年間)
今の流れだと、こういう枠組みか?
まあ、もともと元代100年ちょっとに10人枠設けていたのが、無理があったのかな
乱の時代に英雄が現れ易いというのは、皆さん納得してくれる事と思う。
やはり、ここは乱の時代に別枠を設ける事が妥当な線ではないだろうか?
そこで、
春秋
戦国
楚漢戦争
新〜後漢統一
後漢末〜晋統一
西晋崩壊〜隋統一
隋末〜唐統一
五代
元末〜明統一
明末〜清統一
の十大戦乱期を特別枠とし、それぞれの時代から6名づつ人物を選出し、
その他の治の時代は
前漢
後漢
唐
北宋・遼
南宋・金
元
明
清
に区分し、それぞれ5名づつ名将を選出するというのは如何だろうか。
ああ、さっきと同じでまた時代区分に矛盾が出た。
後漢末〜晋統一
西晋崩壊〜隋統一
は
後漢末〜西晋
西晋崩壊〜隋統一
に変更します、すんません。
隋末〜唐統一も、
隋〜唐統一に変更ね。
西晋も隋も、短すぎて忘れちゃうんだよ。
≪大乱枠≫
1春秋戦国
2魏晋南北朝
3五代十国
≪乱世枠≫
1秦末漢初
2新末後漢初
3隋末唐初
4宋末元初
5元末明初
6明末清初
7清末
≪治世枠≫
1漢
2唐
3宋
4元
5明
6清
概ね
>>878に賛成だが、
春秋戦国、魏晋南北朝、五代十国を重点的に評価したい。
治世の中国は国力次第で何でも出来るのだから。
個人的に、隋は南北朝に入れていいんじゃないかと思う。
隋末の戦乱期までは入れられないというか唐枠だろうけど。
春秋と戦国は分けてほしいかな
>>883 春秋と戦国を分けると、五人に一人が春秋戦国の人ということになるが、
それではあまりに偏り過ぎないか?
同じだからバランスが取れるということもあるさ。
>>878>>881 見かけ上治世でも全く争いがなかったわけじゃないしなぁ
自分が気持ちよくオナニー垂れ流しできないからって振り出しに戻すのもいかがなものか。
三戦とかで、この手のスレがオナニー垂れ長しのためにダメになってるの見てきてるんで落ち着いてほしい。
っていうかお前ら自演だろ?
>>861 トゥルイは金滅亡の最大の功労者
スブタイは……世界史に与えた影響は大きいだろうが、中国史としては微妙かな
>>862 元の成立が1271年だから、厳密に元の武将の活躍としてカウント出来るのは、その後の南宋戦辺りからになる
そう観ると、世代が一つ前の史天沢やウリャンハタイは「元」の「名将」とは見なしにくいのでは?
調整するなら
>>877の枠がいいかな
今更複雑に設定するわけにもいかないだろう。
隋と南北朝をくっつけると結構バランスがとれてそう。
戦争が激しかった時代を足して平時と比べてみたけど4:6〜半々くらい
結局一定の年数で機械的に枠を振っていっても問題無さそうだ。
>>886 X4iTQwFd0ですけど、自演ではないですよ。
スレが荒れるのを危惧する気持ちは分かるけど、
何でもかんでも自演と決め付ける姿勢は改めてもらいたい。
今更枠組みでウダウダ言うなんて荒らしと変わらん
もう一回春秋戦国からやり直せというのか?アホ
お前がこのスレ出てけば丸く収まるわい
>>888 同意。隋唐は長いから隋末、あるいは唐初あたりまでを南北朝にくっつけて
あとは
>>877の枠組みでいい
俺のIDが凄いな。
SADでDQNかよw
>>890 まぁ、確かに
>>844、
>>842辺りのレスみて
五代で一枠?アホかと思い、
こりゃ正さなあかんなと思って書き込んだのが始まりで、
そこそこ反応あったからつい調子に乗ってしまったのも事実だ。
分かりましたよ、そこまでいうなら俺は自粛する。
だが、これだけは言わしてくれ、
今まで議論されてきた
神話〜春秋戦国
秦・前漢
新〜後漢
魏晋〜五胡十六国
南北朝
隋唐
五代十国宋遼金
元
明
清
の枠組みで話し合うにしても、
王朝末期に活躍した群雄は前王朝に含まれるのか、
新王朝に含まれるのか、この定義だけでもハッキリしてくれ。
何か、曖昧になってこれまで議論されていた気がする。
正直、隋辺りに俺の語りたい時代だから枠をたくさんよこせってのが出てきてからぶち壊しになってるよ。
平時からも隠れた名将を発掘し、決められた枠内に絞り込んでいく過程が面白かったのに。
897 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 04:25:38 ID:A41Cy64XO
隋を南北朝とくっつけると今度は南北朝時代の枠がキツくなりそうな気がするんだけど。
タダでさえ南北朝時代は候補が多いのに…
898 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 06:23:52 ID:ecDWMsPY0
>>877に賛成。南北朝を三国〜五胡にくっつけるとあまりに自由度低くなるし、
五代〜宋朝は侵略王朝の武将がいろいろいるから南北に分けて考えたほうが望ましい。
隋唐は10人枠で収まる事が実証されてることだし、これでいいと思う。
899 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 09:42:30 ID:n8Nr0VPf0
五代宋金遼を10人枠で収めるなら
李存勗
趙匡胤
曹彬
楊業
耶律休哥
狄青
宗沢
岳飛
完顔宗望
孟珙
でなんとか収まらんことはないな。
両宋を分けて元まで入れるなら
【五代・北宋】
朱温
李存勗
柴栄
趙匡胤
曹彬
楊業
耶律休哥
范仲淹
狄青
チュウ師道
【南宋・金・元】
宗沢
岳飛
完顔宗望(オリブ)
完顔宗弼(ウジュ)
孟珙
李庭芝
忽必烈(フビライ)
伯顔(バヤン)
阿朮(アジュ)
張弘範
あたりが妥当だと思う。「賽存孝」劉整が入らんのが残念だが。
曹彬なんかがどっちにも入って、柴栄入らん理由はなんなんだろうか。
901 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 09:59:27 ID:n8Nr0VPf0
曹彬は十国討伐の最大功労者。対するに柴栄は英雄的君主ながら危険な目にもあってるし、
即位後たった四年で病死。結果趙匡胤に衣鉢を託すことになった。
・・・ってのが評価基準だったんだが、お気に障ったか?
>>899 フビライは直接軍の指揮をとったのはモンケの死の直後とナヤアの反乱の時
だけだからここには入らないと思うが
曹彬と柴栄、どちらか一方を選ぶなら柴栄じゃね?曹彬は二度も遼に大敗しているし
903 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 11:11:47 ID:n8Nr0VPf0
>>902 フビライはモンケ時代にモンケとは別ルートで蜀入りしたんじゃなかったっけ?
実際戦う前にモンケが死んだわけだが、軍を統率する器量はあったんじゃないか?
まぁフビライの代わりに劉整入れられたら嬉しいがな。
曹彬は遼に負けながらも上手い具合に退却してるから「決定的敗北」はしてないだろ。
太宗を守って整然と退却する統率力と人望は並々ならぬものがあったと思うんだが。
まぁ統率力と人望なら柴栄のほうが上か。・・・悪い、そんじゃ柴栄と曹彬入れ替えで頼むわ。
904 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 11:16:28 ID:n8Nr0VPf0
>>903 戦う前に→釣魚城にかかる前に、に訂正。
905 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 14:22:01 ID:D5luvRkF0
もいっちょ連投。とりあえずこのスレで清朝まで行っときたいんで叩き台。
【明朝】
朱元璋
陳友諒
張士誠
徐達
常遇春
朱棣
王守仁
戚継光
袁崇煥
鄭成功
落とす候補は真っ先に陳友諒と張士誠。隋末唐初の群雄ほどの強烈な個性がないから
擁護したい気にならん。
かわりに入れるとしたら個人的には馬芳、兪大猷あたり。
あと鄭成功は李自成か呉三桂に代えてもいいかもしれん。
【清朝(後金含む)】
奴児哈赤(ヌルハチ)
阿巴泰(アハタイ)
多爾袞(ドルゴン)
費英東(フィヤントン)
康熙帝・玄Y
岳鐘h
策稜(ツェリン)
僧格林沁(サンゴリンチン)
宋景詩
関天培
個人的にはこれで確定なんだが、費英東と関天培は外す候補になるかも。
特に関天培入れたのは完全に個人的な趣味だからな。
費英東は「佐命第一」の元勲だが実際どこでどう戦ったって記述が少ないんで外してもいい。
入れ替え候補としては郷勇代表・羅思挙とか。
田中某氏の推す楊遇春は内乱鎮圧専門だから入れる必要なかろう。
内乱が起こること自体民衆が国政に不満を持ってる証拠みたいなもんだし。
実のところ康熙帝以後の名将ってよく分からんので詳しい人よろしく。
>>905 明だったらまず鄭成功を外す。軍事功績という点ではたいしたことしてない。
盛庸は、功績は十分だがやはり他の候補に比べると格が落ちるか。あと推薦は
張輔と鄭和。鄭和は指揮官としての実績は文句なしだと思う。ただこれを将と
しての功績とみなせるかどうかで議論は分れるかな?他には明末の祖大寿とか
洪ショウチュウ(字が判らん)、呉三桂は清にはいるのかな?李成梁は、候補
には入れてもいいか?兪大猷はむしろ確定でいいんじゃないかと。
清は…「内乱が起こること自体民衆が国政に不満を持ってる証拠」その通りだが、
それと名将かどうかになんの関係がある?その基準でいくと、前漢の周亜夫や
隋の張須陀は外すか?楊遇春は確定だと思う。
書き忘れた。
明の王守仁も外征で活躍したなんて記録あったか?
908 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 16:25:07 ID:4JDH215a0
>>906 確かに。内乱が起きるのは朝廷の責任であって、将帥の才覚とは関係ないよな。
すまん。どーも名将=民衆の味方って色眼鏡で見てたが、職業軍人なんだから叛乱が起こったら討伐に赴くのは当然だったな。
>>905 明代の名臣于謙が抜けてるね
おそらく、一発屋ということで外したかもしれないが、50万の大軍を破ったエセンをして撃退せしめ
更に明側が有利な講和、軍制改革を一挙にやり遂げた手腕は、十分に名将に値すると思うよ
ということで、明代の個人的十傑+α
【確定組】
拡廓帖木児(元に入っていなかったから)
朱元璋
徐達
常遇春
朱棣
戚継光
袁崇煥
【候補】
陳友諒 (元末群雄として一時期最大勢力を築いた、劉基がいなければ朱元璋も滅亡していたかも)
方国珍(経済力と元にはない海軍力とにより、徹底的に元を翻弄した手腕は尊敬する)
湯和(ココティムール、方国珍、陳友定を破り、また明朝の倭寇対策の基礎を築いた)
李文忠(徐達、常遇春と並び称される名将、北伐、征蜀に活躍した)
藍玉(西蕃、北元攻略に活躍、驕慢な振る舞いから後に大疑獄の元凶となる)
于謙(上述)
兪大猷(一生を倭寇鎮圧に捧げる、彼の時期に有力な後期倭寇の多くが討伐されている)
王守仁(他の王朝の反乱鎮圧した地方官と比べて、押しなべて功績が高いとは言えないと思う)
呉三桂(ダメ軍人の鑑、でもこいつが山海関守っている限りは、絶対に清は侵入できなかっただろうな)
李自成(明朝を滅ぼした大順皇帝、人生のキャリアハイから転落までが急転直下過ぎる)
鄭成功(正直、真っ先に候補から落ちそう、他時代の群雄は軒並み落選しているからね)
やっぱ呉三桂はダメすぎる、しかしそれを補って余りあるくらい将軍としては優秀だなあ
10傑に入るとしたら、彼かも
910 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 16:59:52 ID:4JDH215a0
>>909 于謙、あなどってたかもしれん。南宋の虞允文レベルの一発屋かと。
新帝即位、新朝廷での軍制改革。いろいろやってんだよなぁ。
はっきり言って所詮は文人と思って嘗めてた。そーいや南宋の宗沢だって本来なら文人だもんな。
拡廓帖木児は完全な入れ忘れ。
徐達&常遇春最強のライバルを忘れるとは度し難いな、俺は。
911 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 17:08:46 ID:wa6RT03RO
(及時雨・呼保義)宋江が最強、最高!!
于謙といい袁崇煥といい、忠臣には徹底して冷たいのが明朝の特徴だな。
功績をあげて天寿を全うできた戚継光や李成梁や湯和は素直に褒められても良いと思う。
>>907 兵部尚書として寧王の反乱や農民反乱を鎮圧しているが
外征に関してはベトナム進軍に反対している。
913 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 17:28:39 ID:6yn+hwPD0
陳友諒、張士誠、鄭成功は外していいだろう。方国珍も。
于謙に関しては、講和とか軍制の改革は名将としての評価には
ならないんじゃないかな。そういった政治家としての功績を
除くとやっぱり一発屋。
明初は馮勝を入れてもいいかもしれん。
徐達がココテムルに負けたときも彼一人だけ敵を破ったし
功績も藍玉に劣るもんじゃないだろう。
戦利品着服とかしてよく朱元璋に怒られてるけど。
>>912 戚継光ってうしろだての張居正が死んだらクビにされて
そのあと病死だから天寿をまっとうと言っていいのか悩むな。
処刑されなかっただけマシなのか。
張輔も候補に入れてくれ。
靖難の変で活躍し、ベトナムを征服した名将だ。
永楽帝の下で働いた武将の中では割合メジャーな方だけど
英宗時に土木の変を止められなかったのがマイナスだな>張輔
自身もそれで戦死しているし。
>>913 戚継光と李成梁は晩年、中央の支援者が死んだので罷免・引退。
湯和は倭寇対策を任されるも、中風で半病人状態だった。
まあそのお陰で朱元璋の粛清を免れたという面もあるが。
(ちなみに湯和の叔父は土地私有で不正して朱元璋に殺されてる)
916 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 19:49:23 ID:d8dT/wTh0
これまでの流れで行くと・・・
拡廓帖木児
朱元璋
徐達
常遇春
馮勝
朱棣
王守仁
戚継光
兪大猷
・・・これで残り枠一名か。
于謙には涙を呑んで諦めてもらうとして。
馬芳入れたいんだけどな。戚継光、兪大猷の時代の陸戦での無敵将軍。
兵法に通じ大小百余戦を経て負けなしの名将なんだが、残念なことに歴史の動きにはほとんど寄与してない。
歴史の動きに大きく寄与してる、って点では呉三桂のほうが絶対的に上だな。こいつが寝返らなかったら女真族が中原に現れることすらなかった。
さぁどっちだ?(諸兄に任せた)
917 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 19:52:53 ID:d8dT/wTh0
袁崇煥忘れた!!
そんじゃ兪大猷を落として、改めて馬芳vs呉三桂で。
個人的に張士誠の弟である張士徳は候補に入れてもらいたい。
張士誠の起兵当初から付き従った名将軍だ。
比較的初期に朱元璋に倒されたので、
あまり印象に残らない方もいるとは思うが、
『国初群雄事略』の張士誠伝を見れば、
彼の活躍が張士誠政権の基盤を作る為に
どれほど大きな意味を持っていたかが手に取るように分かる。
常熱、常州、湖州、杭州などの江浙の要所を陥落させ、
蘇昌齢や陳基など、多くの有能の士人を見出して自己の参謀としている点も評価していいだろう。
常州での朱元璋軍との最後の決戦では、
徐達、常遇春、湯和、廖永安、胡大海、趙徳勝等名だたる名将を相手に、
鄭という名の朱元璋軍の将を離反させるなどして善戦を続けた。
この際徐達は
「張士徳は智勇に優れた人物で、まともに当たるべきではない」
と述べているし、
張士徳を捕えたことを知った朱元璋は大いに喜んで
「張士徳は智勇に優れた人物で、張士誠の謀主である」
とその人物を評している。
善戦の末破れ、朱元璋に捕えられた張士徳は朱元璋の再三の降伏要請を跳ね除け、
兄の張士誠に密書を送り元朝と結ばせ、獄死した。
その見事な最期も名将と呼ぶに相応しいと俺は思う。
なんか一気に明までいってしまったな
宋は二つに分けるってことでいいのか?
以前の議論をもとにまとめると
【五代・北宋・遼】
確定 朱温
李存勗
郭威
柴栄
趙匡胤
曹彬
楊業
狄青
候補 耶律休哥・・・遼は中華王朝?
【南宋・金・元】
確定 宗沢
岳飛
完顔宗望
孟珙
ココ・テムル
候補 完顔宗弼・・・賛否両論なので候補にとどめる
バヤン・・・・ほとんど議論されていないので
アジュ・・・・同上
>>899とたいして変わらないんだが、李庭芝や張弘範をここに上がっている
連中と同列に並べるのは無理があると思ったので外した
范仲淹とチュウ師道についてはよく知らないので詳しい人よろしく
既に明に入っているのに邪魔して悪いが、確認ってことで
920 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 20:01:32 ID:nxvCkIQ60
>>917 兪大猷落とさないで、そのままでいいんじゃね?
>>916 個人的に、朱元璋は名将と呼ぶ部類の人間ではないと思う。
君主としては、間違いなく中国史上でベスト10には入るだろうけど。
朱元璋を候補に挙げている方は、その根拠を述べて欲しい。
>>916 ココテムルは元に移動させて、明の枠を確保したほうがいいかも
朱元璋
徐達
常遇春
馮勝or李文忠
朱棣
王守仁
戚継光
兪大猷
袁崇煥
馬芳or呉三桂
こんな感じで
>>915 土木の変を張輔に責を負わせるのは無茶じゃないか?
この時の彼には指揮統率権もなかったのだから。
例えば、宋代だと曹彬や楊業は太宗の遼遠征を止められず、結果は大敗北。
だから曹彬や楊業をマイナスにしろと?
924 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 20:15:42 ID:d8dT/wTh0
両宋は本来まだ議論してていいんだよ。一枠か二枠かも含めて。
とりあえずこのスレ中に一応清朝まで顔出ししとかないとまずいかなーってことで叩き台出して、
とりあえずこいつは確定、こいつは候補、ってとりあえずの10傑を選別してる段階に過ぎないわけだし。
>>918 確かにそのあたり凄そうだが、明初には徐達、常遇春、馮勝がいるからなぁ。
徐達(こいつに「まともに当たるべきではない」って言わせたのは確かに凄いが)と常遇春は外れないとして、
残る一名枠は馮勝。確実に馮勝より上、って+α的なものがあればいいんだけど、馮勝は天下の「常勝将軍」だしな。
925 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 20:19:50 ID:d8dT/wTh0
なんか俺のコメント「とりあえず」多いな。ちょっと文章的にヘンかも。
926 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 20:25:41 ID:d8dT/wTh0
>>921 韓信も言ってただろ、高祖には「将に将たる才覚がある」って。朱元璋はまさにそれだよ。
まぁ、将軍達をさんざコキ使った挙句疑心暗鬼が昂じて人材大粛清を行ったのは人としてあまりにむごいけどな。
>>926 このスレで議論しているのは「兵に将たる」人物のことであって、
「将に将たる」人物のことではないと思う。
928 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 20:38:14 ID:d8dT/wTh0
>>927 若かりし頃の朱元璋は郭子興の下で将軍として活躍してる。
呉王になって以後の戦は徐達・常遇春コンビに任せることが多くなったとはいえ、
将才が衰えたってわけでもないだろう。その軍事的才能を色濃く受け継いだのが燕王朱棣であって、
朱元璋を落とすなら朱棣も同レベルとして落としてしまえるのでは?
>>909 陳友諒は既に候補から外れているので、
まぁこんなことは言わなくてもいいとは思うけど・・・
元末群雄として一時期最大勢力を築いた、
劉基がいなければ朱元璋も滅亡していたかも
とか、陳友諒を偉く高く評価しているけど、
陳友諒の大漢政権内部って成立当初からがたがたで、
同じ倪文俊配下で戦友であった筈の明玉珍は独立を宣言するし、
裏切りを恐れて趙普勝は殺すし、
応天攻撃の失敗後、欧普祥や祝宗・胡廷瑞には見限られるし、
配下であるはずの熊天瑞は全然命令聞かないし、
そんな感じで酷い状態だったことは知っている?
全然一大勢力を築いていないんだよ、陳友諒は。
それどころか、天完の大勢力を縮小弱体化させただけ。
930 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 20:41:52 ID:6yn+hwPD0
>朱元璋を落とすなら朱棣も同レベルとして落としてしまえるのでは?
これはちょっと意味がわからないな
血がつながってるから同レベルなの?
それぞれの実績を別々に見てみれば、朱元璋を落として朱棣を残すという
選択肢があっても別におかしくないと思うが。
>>921 朱元璋は江南の平定までは自ら軍を率いていたんじゃなかったかな
だから入れてもいいと思うが
932 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 20:56:24 ID:d8dT/wTh0
>>930 「軍事的才能を色濃く受け継いだのが朱棣」ってちゃんと読んだ?
血が繋がってるから同レベル、というのは朱元璋>朱棣という意味。
だから朱棣より上の朱元璋を落とすなら、それ以下で同列扱いの朱棣も、ってこと。
俺としては朱棣より朱元璋のほうが将才があると思ってるんだよ。
そんくらいの才能がなきゃ乞食から皇帝まで登れるか?
>>931 いや、長江を渡る頃にはすでに徐達・常遇春らが揃っている。
郭子興の勢力自体がそれほどのものではなく、朱元璋が郭子興勢力を伸張させる
なにか大きな功績を樹てたこともないし、そもそも朱元璋は郭子興からそれほど
重んじられていたわけでもない。郭子興が死んで分離行動を取ってから大きく
なったが、その頃にはもう軍の指揮は部下に任せるようになっている。
>>932 それだと、同じく貧農出身の劉邦にはどれほどの軍才があったと?
まったくないとは言わないが、彼が皇帝になれたのは彼個人の将才が凄かったからだ、
なんて主張する人はいないだろう。
935 :
921:2006/12/28(木) 21:01:45 ID:KPx3WXvZ0
>>930 将才というより、君主としての才だろう。
実際劉邦には、将才があったとはとても言えないし。
まぁ、郭子興集団で台頭する為には多少の将才は必要だが、
郭子興配下時代の朱元璋の同僚の将軍には、
弓矢を射られて驚き、十歩も進まずに敵前逃亡した奴がいる位だから、
正直、大した才能がなくても将として取り立てられそうじゃない?
936 :
921:2006/12/28(木) 21:02:50 ID:KPx3WXvZ0
937 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 21:05:02 ID:6yn+hwPD0
>>932 >そんくらいの才能がなきゃ乞食から皇帝まで登れるか?
「出世する才能」じゃなくて「軍事的な才能」が問題なんだから
軍事の実績にしぼって話をするべきだと思うんだけどどうかな。
たとえば朱元璋の戦績と朱棣の戦績を比べるべきで、
「徐達や常遇春に任せることが多かったけど才能は朱棣以上」とか
検証不能な失われた可能性は考慮に入れないほうがいいと思う。
で、軍事的な実績に限れば朱棣>朱元璋じゃないかと思うんだが。
少し遅れたが、フビライについて一言。
フビライはモンケが生きてた時からウリャンハタイと一緒に雲南遠征を成功させてるし、死後の帝位継承争いでも自分で軍を率いてアリクブカを倒したりしているから、候補くらいには入れておいて欲しい
939 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 21:24:29 ID:d8dT/wTh0
>>937 そうだな。妙に熱くなってた。
確かに俺の提言は仮説的な発現が多くて実際的じゃなかった。
すまん、
>>921。どうも俺のほうに非があったようだ。
ま、朱元璋落ちたら明からもう一人枠が増えるしな。悪いことばかりじゃないと自分を慰めよう。
940 :
921:2006/12/28(木) 21:35:32 ID:KPx3WXvZ0
>>939 結構、誰が明代十傑に挙がっても名将たちも結構挙がっているしね。
慈愛に溢れる朱元璋陛下がその仁徳によって席次を一つ空けてくれたと思いましょう。
941 :
921:2006/12/28(木) 21:36:55 ID:KPx3WXvZ0
何か意味不明の文章になってしまった。
結構、誰が明代十傑に挙がっても名将たちも結構挙がっているしね
は
誰が明代十傑に挙がってもおかしくない名将たちも結構挙がっているしね。
に変更します。
942 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 21:46:41 ID:d8dT/wTh0
ちょっと告白するけどね。
「将に将たる」を否定されたトコで半キレモード突入、なんとか論破してやろう、
って馬鹿みたいにムキになったわけさ。改めて20レスほど遡ると恥ずかしいな、俺。
この場は「将に将たる」人材を探す場所ではない、と言われてそこでああ、そうだなって引き下がればいいものを、阿呆か俺は。
と、いうわけで
>>921にも諸兄にもいろいろ迷惑かけたよな。すまんかった。
ところで、ハ陽湖の戦いの勝利って朱元璋の戦歴には入らないのかな?
あれが入れば、十傑入りも可能なんだが
>>943 個人的な意見だが対元北伐までが朱元璋の戦歴に入ると思う。
>>943 確かに、鄱陽湖の戦いは確かに朱元璋が指揮したもの(ということになっている)だが、
鄱陽湖で陳友諒と決戦に挑まざるを得なくなったのは朱元璋の失策によるもの。
朱元璋が張士誠の攻撃を受け、救援を求める韓林児のために、
劉基が止めたのにも関わらず、自ら兵を指揮して救援に向かった為、
陳友諒に対して大きな隙を与え、この隙を衝いて陳友諒が大兵を動かした。
ちなみに、ここで二つのIFが生じると、
朱元璋は自身の失策により陳友諒によって
壊滅的な打撃をこうむることになった。
一つ目のIFは、陳友諒が大艦主義に走らず、
倪文俊から奪い取った快速船を主体とする高速水軍を用いていれば、
鄱陽湖の戦いの結果は変わっていたという点。
二つ目のIFは、陳友諒が洪都を無視し、
一気に応天を衝いていれば、
間違いなく朱元璋に帰る場所が無くなったという点。
そもそも、朱元璋が名将と呼べる人物であったなら、
このように戦略的にどう考えてもおかしい軍事行動は行わず、
おとなしく劉基の意見に従っていたと思うよ。
実際、韓林児を自ら助けに言ったのは完全に失策だったと
朱元璋は後から劉基に謝罪している。
>>938 少し前にフビライ外せって言った者だが、言われてみればフビライの戦歴は
雲南平定
アリク・ブカを破る
ナヤアの反乱を鎮圧
と、これだけあるので十分ここに入る資格があると思う
呉三桂とほぼ同じ時期には洪承疇・祖大寿がいる
持久戦でホンタイジの攻撃を食い止めたが、朝廷からの命令でやむなく攻撃に
出て敗北した
明に関しては、
徐達
常遇春
朱棣
戚継光
袁崇煥
の五人は確定でいいだろう。残りは
朱元璋
湯和
李文忠
馮勝
張輔
鄭和
王守仁
馬芳
兪大猷
呉三桂
から五人といったところか
>>947 張士徳も入れてけれ。
皆、元や明以外の元末群雄を下に見すぎ。
個人的には戴寿、毛貴、張定辺、呂珍…と、
他にも推薦したい奴はいっぱいいるんだけど、
グッとこらえて、
明以外の元末群雄代表でこいつを選出したのに無視しないでくれよ。
>>947 その中だと、兪大猷、呉三桂は確定で良くない?
逆に、朱元璋を候補に落とす方向で流れているのを考えると、鄭和も候補止まりだろう
李文忠
馮勝
王守仁
兪大猷
呉三桂
の5人が十傑入りでいいと思うよ
>>948 ごめんよ
やっぱ最終的に負けると印象悪くなっちゃうよな
王守仁は一発屋
それも外敵からの一大決戦じゃなくて内乱
いや神がかってるのは判るが外れるならまずこいつだろう
王守仁は思想家としてのイメージの方が強いからなぁ。
王守仁の戦歴と言うと
寧王の乱鎮圧
思恩・田州の叛乱鎮圧→帰途で死去
ぐらいか?
確か、タタール対策の上奏もあったはず
于謙も外れてるし、ここは落としたほうが良いのか?
でも、一発屋、一発屋って言われても、結構萎えるよ
このスレ、周亜父とか周瑜も外されかけてるし
朱元璋が外れる理由が分からなくなってきたな
ほぼ断続的に江南で戦い続けてるし、数々の危地を配下の献策と持ち前の強運で切り抜いてきている
運のよさは名将の条件じゃないのかねえ?
>>953 名将と呼ぶには運の良さだけじゃダメだろ。
戦略眼や指揮能力+運の良さでなけりゃ。
戦略の失敗を運でフォローした奴は名将とは呼べないと思う。
>>954 戦略上のミスと言っても、このスレで名前の挙がった歴代群雄の連中見ても結構ポカは多いぜ
項羽・曹操は言わずもがな、李世民も竇建徳を処刑して河北での反発を招き、統一を遅らせている
朱元璋の場合は、上記の人間達と比較しても専門的な軍事教育を受けていないにもかかわらず
軍の指揮能力や掌握術は、この時代で群を抜いて優秀であることや
早い段階での集慶攻略や地盤固め、多くの幕僚の招聘を見ても将軍としてかなりの部類だよ
仁政家、謀略家、独裁者としての面ばかり見てると確かに軍事面は物足りないかもしれないが
相対的に将軍としての評価が下がるとは思えんのだがね
あと、運の良さは朱元璋に限って言うならば、中国史最凶だろう
956 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 09:57:39 ID:xXDa2IYVO
そうだそうだ!!
武将としての朱元璋を過小評価するのは納得いかぬ。
>>955 じゃあ、劉邦も名将の部類に入れるのか?
対秦戦、配下の献策を受け入れたこと、戦歴、危機を強運で切り抜けたこと、
地盤固めや多くの幕僚の招聘なんかは劉邦にも言えることだが。
>>957 当然候補には確実に入るだろうよ、秦漢を代表する不屈の将軍だぞ
冒頓単于、韓信、項羽、彭越、潅嬰あたりには劣るけどな
朱元璋は劉邦よりも軍事的失敗、敗戦が少ないからこそ名将に推しているんだよ
人の下でもよく働くし、人の上に立ってもよく将兵を使いこなせる
突き抜けてはいないけど、オールラウンダーな名将ってのが朱元璋だと思うんだが
入れる理由が弱いかもしれないが、外す理由の方がはるかに少ないでしょ
戦略うんぬん言い出すと、北伐の敢行(及び華南が華北を制圧した唯一の成功例)や
諸王の北辺配置によるモンゴル対策とか、結構時宜を得た優秀な戦略もあるよ
軍事政策は名将の条件に入らないと言うのであれば、別に評価しないでもいいけど
>>943 一度おかしな行動をとったからといって名将ではないと断言するのもどうかと思うが
誰にだってミスはあるわけで、自分のミスを補いつつ最終的に勝利を収めることができれば
十分名将というに値するだろ
>>954 敵の失敗は幸運だとしても、それを上手く利用して戦局を挽回するのは
平凡な将ではできないと思うが
もし朱元璋が全ての危機を相手のへまだけで乗り切ったのなら
それはそれで最凶ではあるなw
名将とはいえんだろうが
敵のへまに
実際に兵を率いての評価だよね? 戦略眼を評価に含めると
張良とか劉基入れないとだめになるから、あくまでも戦略の良し悪しは
補助的な項目だと思うけどな
だから前線に出てもいない北伐を朱元璋の実績に含める
意見には同意できないが、
ハ陽湖の戦いを朱元璋の実績に含めるならば十人に入れてもいいと思う
今でも外すわけじゃなく候補には挙がってるわけだし、
他のメンツと比べてどうかという点だけだな
>>958 不屈の将軍や将に将たるってのは名将じゃないってのがこのスレでの話だと思ったが。
それに言っておくが朱元璋の10選入りに反対してるわけじゃない。
>ほぼ断続的に江南で戦い続けてるし、数々の危地を配下の献策と持ち前の強運で切り抜いてきている
>運のよさは名将の条件じゃないのかねえ?
この考え方がおかしいんじゃないかと言ってるだけだ。
>>961 確かに評価の論点がズレてるな、すまない
集慶攻略や応天府での逆撃、番陽湖の戦い(さらにそれ以前からの郭子興軍での戦いぶり)
これらの戦績があっても、スレの上の方で十傑入りから外す意見が出てたんで
「じゃあ、運の良さや人材活用、壮大な戦略の持ち主といった+αで掩護しよう」と思ってしまった
しかし、劉秀、曹操、趙匡胤あたりの人間に劣るかねえ >>朱元璋
劣らんと思うよ。
趙匡胤にしても、皇帝になってからは陣頭指揮なんかしてないし。
劉秀もそうだったんじゃなかったけな…
劉秀は統一するまでは自分で軍を指揮してるよ。
そろそろ、次スレに備えて、
今まで決めた分について、まとめないとね。
朱元璋は戦術のみに絞った場合、劉秀はともかく曹操や趙教員には劣るんじゃない
このスレでは久しぶりにネタを見たなw
たまにはいい…
これまでのまとめ
時代区分は
>>877の案を採用しました。
春秋戦国
>>347 【確定組】
楽毅、魏無忌(信陵君)、白起、李牧、王翦
【候補】
墨子、管仲、呂尚、孫武、伍員(子胥) 、廉頗、孫ビン、夫概、趙奢、士会、
趙奢、趙無恤、王子成父、先軫、楚の荘王(熊侶)、蒙ゴウ、司馬錯、樗里疾
統一秦〜前漢
>>418 【確定組】
韓信、霍去病、衛青、灌嬰
【候補】
項籍(羽)、周文、蒙恬、章邯、項梁、彭越、英布、田横、
周亜夫 、李広、李陵、趙充国、范明友、陳湯、劉邦
新・後漢
>>501 劉秀、耿エン、馮異、岑彭、呉漢、廉范、班超、張奐、虞[言羽]、賈復または馬援
三国〜両晋
>>582 【確定組】
曹操、ケ艾、石勒、祖逖、王猛
【内定組】
周瑜、劉曜、慕容垂
【論争中】
陶侃、石虎、謝艾、慕容恪、桓温、謝玄、姚萇、李雄、皇甫真
劉淵、劉聡、冉閔
南北朝
>>604,605,633
【確定組】
劉裕、檀道済、韋叡、陳慶之、
拓跋珪、高歓、宇文泰
【候補】
柳元景、蘭欽、奚斤、楊大眼、元英、周盤龍、
斛律光、慕容紹宗、宇文護、韋叔裕、李弼
段韶、高長恭、爾朱栄、王勇、沈慶之、陳顕達
赫連勃勃、拓跋Z、侯景(宇宙代将軍)
蕭道成、斛律光、陳覇先
隋・唐
>>687,720,737
【確定組】
楊素、李世民、李孝恭 、李靖 、李勣、裴行倹、郭子儀、李克用
【候補】
韓擒虎、賀若弼、張須陀、竇建徳、楊義臣、李密、劉黒闥、徐勣
李孝恭、薛仁貴、高仙芝、顔真卿、張巡、王式、黄巣、高駢
李存孝、安録山、薛礼、劉方、蘇烈、劉仁軌、李光弼、史思明、李愬00
970 :
まとめ2:2006/12/30(土) 00:28:09 ID:i2+ksOwN0
まとめつづき
五代〜北宋・遼
>>769,858,899
【確定組】
朱温、李存勗、郭威、柴栄、趙匡胤、曹彬、楊業、狄青
【候補】
周徳威、郭崇韜、王彦章、郭言、楊師厚、劉?、康延孝、符存審、
任圜、李神福、台濛、周本、孟堅、張彦卿、陸孟俊、劉仁贍、張武、
王環、趙季良、蘇章、潘崇徹、銭弘佐、顧全武、張元徽、李瓊
【論争中】
耶律休哥
南宋・金〜元
>>827,899,919,862
【確定組】
宗沢、岳飛、完顔宗望(オリブ) 、孟[王共]、ココ・テムル
【候補】
李庭芝、忽必烈(フビライ) 、完顔宗弼(ウジュ) 、伯顔(バヤン) 、
阿朮(アジュ) 、韓世忠、杜杲、張弘範、范仲淹、チュウ師道
張俊、呉?、呉リン、劉リ、虞允文、李顕忠、楊存中、僕散忠義
徒単合喜、宗翰(ネメガ)、耶律斜軫、史天沢、兀良合台(ウリャンハタイ)
劉整、張弘範、脱脱(トクト)、拡廓帖木児(ココテムル)、呂文煥
明
>>905,916,947
【確定組】
徐達、常遇春、朱棣、戚継光、袁崇煥
【候補】
朱元璋、陳友諒、方国珍、湯和、李文忠、藍玉、于謙、兪大猷、王守仁
呉三桂、李自成、鄭成功、馮勝、張輔、張士徳、馬芳
清
>>44,905
奴児哈赤(ヌルハチ) 、阿巴泰(アハタイ) 、多爾袞(ドルゴン) 、費英東(フィヤントン)
康熙帝・玄Y、岳鐘h、策稜(ツェリン) 、僧格林沁(サンゴリンチン) 、宋景詩 、関天培、
明亮、楊遇春、李長庚、関天培、李秀成、石達開、劉永福
>>970 元末群雄が明の枠に入ってんだから、
李自成は清代の名将候補に挙げるべきじゃね?
呉三桂も私的には、清代の名将という印象のほうが強い。
>>970 呉三桂は清の攻撃を食い止めたことを評価されて入ってるんだから明代でいいんじゃないか
元末の群雄は「朱元璋とその他の勢力」と見なされているから明に入っても違和感ないが
李自成を清代に入れるのはおかしいような気がするが・・・。
973 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 21:04:19 ID:awsYTO710
>>919 范仲淹とチュウ師道ね、遅れてすまん。
まず范仲淹ね。
仁宗時代の官僚。進士でありながら硬骨で上に阿らず、地方官を歴任させられた。
対西夏戦において韓gとともに活躍、厳明ながら士卒を愛す范仲淹軍は士気も高く、
西夏軍はあえて国境を侵すことがなかった。
西夏の李元昊が和議を求めるとその功績で枢密副使となり中央に返り咲き。
主に俗官を除き民を思いやる政策をかかげたが政敵の反発にあい、わずか三年でまた中央を逐われた。
人物鑑識にも長け、狄青の将才を見込んで抜擢したのもこの人。
で、チュウ師道。
対西夏、対金戦線において顕著な戦功を挙げた人。
基本的に慎重論者だが戦となればやたら強かった。
童貫らが新興の金と組んで遼を滅ぼそうとしたとき、「信義にもとる」と反論したが朝廷の意向には逆らえず従軍。
北伐は失敗したがチュウ師道のみは大敗を免れた。
金軍南侵に際しては第一線に立ってこれに抵御。数回にわたって金軍を敗走させているある意味最初の抗金名将。
しかし病にかかり、金軍再度の侵攻を前に病没(戦死説あり)した。
974 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 02:19:43 ID:U/gHRU/H0
年末予定なくて973書き込んでからあっちゃこっちゃのサイトを除いてきた訳だが。
人がいない。これが年末進行ってやつかい?
5時間の間まったくレスなし。みんな年の瀬で忙しいのか・・・。俺はすげぇヒマだというのに。
愚痴だけで投下するってのもなんだからちょっとこのスレらしいコメントするか〜。
南宋の李庭芝(with姜才)と張弘範に代わる名将っている?
地味ながら最後まで元軍に抵抗した闘将と南宋を滅ぼした功労者なのに。
まぁ岳飛やら孟珙に比べると確かに、同列ではないか。
さておき、完顔宗弼(ウジュ)は確定に繰り上げていいよな、いろいろ議論されてるが騎兵戦無敵、
岳飛・韓世忠の南宋最強コンビをも破った実績があるってことで。
忽必烈は将器より大政治家としての功績が大きいから微妙。武勲的に十分だとは思うけど。
と、なると多爾袞も十傑より候補扱いかな。
武勲がないわけじゃないけど、実のところ軍を率いるってより呉三桂を徹底的に利用して明を滅ぼした人だから。
あと清朝の初期には海戦無敵の施琅なんかいたよな。すっかりわすれてたけど。
あ〜、レス欲しい。孤独だぁ。
975 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 04:57:52 ID:acbD+iobO
怒られる覚悟でレスしますが、ただ清代にもの凄く詳しい人がいないのでは?
明末清初までなら任せろって御仁なら居そうですが。
年末だろうが自分みたいな寡人もいるし・・・
王徳禄、會国藩 を一応挙げときますよ。
>>974 宗弼は確定でいいとだろうが、誰もいないんじゃ決められないな・・・
ただ、騎兵戦無敵といっても、相手の南宋軍は歩兵が主力だったようだから
その辺割り引く必要はあるが
金・元・南宋の確定は今のところ5人しかいないから、仮に宗弼・フビライ
バヤン・アジュを入れても1人余るんだが、誰がいいだろう?決定的な人間
がいないんだよな。ウリャンハタイを入れていいなら確実に入ると思うけど
>>977 元末群雄の張士徳を入れたらどうや?
よくよく考えてみたら張士誠の勢力は一時的に元朝に属していたし、
元朝に帰属しろと張士誠に献策したのはこの張士徳だからな。
朱元璋、陳友諒と並んで江南の三大勢力といわれた、
大勢力の基盤をほぼ彼一人で造り上げた人物といわれているから
候補に入る資格は充分だと思う。
>>978 仕切り屋気取ってる奴によると元末群雄は個性がないからアウトらしいお。
そろそろ次スレ、頼みますよ。
981 :
978:2006/12/31(日) 19:07:53 ID:rSji0iDK0
>>979 >>905のことか、
正直、元末群雄の何処に個性が無いのか説明して欲しいね。
朱元璋や徐達、劉基等の業績が後世称えられているのも、
陳友諒や張士誠等、個性的なライバル群雄があってのことだと俺は思うけどね。
982 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 19:15:35 ID:Rt/n1s/90
>>979 おそらく仕切り屋気取ってる奴=俺のことだと思うが。
別に元末群雄全員アウトなんて言ってないぞ。
陳友諒と張士誠の二人を出したところで、隋末唐初のアクの強い連中と比べて印象薄いから擁護する気にならん、って言っただけ。
元末だろうが明末だろうが良将・名将が輩出されてれば関係ないだろう。
まぁ、俺の態度が仕切り屋臭くて鼻についたなら謝る。すまん。
あと、誰か詳しい人、スレ立て頼む。俺は立て方知らんし。
じゃあ朝鮮してくる
乙
次スレは清からになるのか?
なあ、随唐に詳しくないから聞きたいんだが、
李勣と徐勣って別人なのか?
隋・唐
【確定組】
楊素、李世民、李孝恭 、李靖 、李勣、裴行倹、郭子儀、李克用
【候補】
韓擒虎、賀若弼、張須陀、竇建徳、楊義臣、李密、劉黒闥、徐勣
竇建徳、李密、劉黒闥、徐世勣
いいんじゃないだろか。なんとなく。
>>986 随唐に詳しくない私が答えよう。
同一人物ですな。
ココテムルも二人いるしな
まあそのへんはしょうがないんじゃないか? まとめただけみたいだし
つか「勣」が表示できるのを初めて知った。
992 :
969:2006/12/31(日) 23:11:27 ID:tVZGpy6W0
ごめんよ。
いくつかミスりました。
スレも残りわずかだが
>>969の南北朝時代
はたしてこれが確定で良いんだろうか?
宇文泰は政治家、組織の長としての能力は高いけど
軍事的には常に劣勢だったわけだし(まあ、もともとの兵力自体貧弱だったわけだが)
最近の群雄低評価の流れを受けると、高歓、宇文泰あたりは敗戦も結構あるので
再度吟味する必要があると思われ
群雄の評価は確かに難しいな、純軍事的行動のみで軍閥に成り上がったヤツは少数派だろ
大抵、政治的能力で勢力築いているわけだし
李密や張士誠あたりは、このスレでは不遇なのも仕方ないと言えば仕方ないな