□ □大唐英雄列伝□ □

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1名無しさん@お腹いっぱい。
唐朝の建国から滅亡までに、現れては消えていった武将や豪傑など、数々の英雄たちを語りましょう。

隋朝末期の戦乱、高祖李淵、太宗李世民の統一戦争に従事した、李靖、尉遅恭ら建国の二十四功臣。
唐朝中葉期には、西域での戦いで功績を上げた高仙芝、大反乱を起こした安禄山を初め各地に割拠した節度使。
そして唐朝に致命傷となる打撃を与えた黄巣、次の五代への時代の扉を押し開いた朱温、李克用等、
唐代には英雄と呼ぶに相応しい人物がたくさん登場しました。

彼らを大いに語りましょう!
2名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 08:35:28 ID:o3xkLot+0
高仙芝は高麗人、安禄山はソグド人だったようだし、
唐朝は漢民族以外の異民族も積極的に登用していたから、国際色豊かだよね。
華やかさがある。
3名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 14:03:00 ID:w0u6UrQP0
まずは隋末戦乱期の英雄にして、唐朝建国の功臣、

庶民にも親しまれた英雄である尉遅敬徳と秦叔宝を推薦。
4名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 15:09:56 ID:e12cwApx0
いや、推薦じゃなく語るんでしょ。
ここがすごいと思ったことを書くべし!

で、自分は河間王李孝恭がかっこいいと思う。
唐室李氏の縁戚で、隋末唐初の群雄群盗大乱舞期では、主に四川〜荊楚の平定を担当。
部下に古今名将李靖を持ち、中原で鹿を追っている李世民を横目に見ながら華南を転戦。
李靖とのコンビもなかなか良好だったようす。
後年には李世勣も加え、江南の平定を成し遂げた。
自身は豪放磊落な性格で遊び心のある人。しかし傲慢にならず功績を誇ることもなかった奥ゆかしさもあった。
5名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 15:13:29 ID:9d5zg0uzO
誰か詳しい人凌煙閣二十四将全員の名前を教えて下さい
お願いします
6名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 15:27:57 ID:e12cwApx0
テンプレもってる…w

長孫無忌、李孝恭、杜如晦、魏徴、房玄齢、高士廉、尉遅敬徳、李靖、蕭ウ、
段志玄、劉弘基、屈突通、殷開山、柴紹、長孫順徳、張亮、侯君集、張公謹、程知節、
虞世南、劉政会、唐倹、李世勣、秦叔宝
7名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 15:30:29 ID:w0u6UrQP0
凌烟閣
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%87%8C%E7%83%9F%E9%98%81
房玄齢、杜如晦、長孫無忌、魏徴、尉遅敬徳、李孝恭、高士廉、李靖、蕭瑀、段志玄、劉弘基、屈突通、殷開山、柴紹、
長孫順徳、張亮、侯君集、張公謹、程知節、虞世南、劉政會、唐儉、李勣、秦叔宝
8名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 15:31:31 ID:w0u6UrQP0
>>6
一生懸命入力しているうちに、先越されちゃったw
9名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 15:40:29 ID:9d5zg0uzO
>>6-7
おお、早速ありがとうごさいます!
それにしても錚々たるメンバーですね
自分が好きな雲台二十八将の面々と比べるとすごい個性的な人物が多いですね
10名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 16:53:40 ID:e12cwApx0
あれ、ユニコード対応した?
テスト 「鄴都」
11名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 00:44:14 ID:X6f4Dp+60
>>6>>7
柴紹の代わりに平陽公主入れたら?w

>>10
最近、対応したと聞いた。
12名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 04:19:35 ID:rtHb6ndv0
郭子儀を忘れちゃいかんな。
史上屈指の名将だ。
13名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 10:28:02 ID:BavDBui30
薛任貴も有名、物語などで民衆にも親しまれた英雄。
太宗李世民の高句麗討伐で頭角を現した武将。
14名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 22:09:04 ID:qUSTpGHa0
大唐五大英雄

尉遅敬徳
秦叔宝
薛任貴
高仙芝
郭子儀
15名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 22:46:07 ID:2XeDRsvzO
>>12
極西の神人の御先祖様か
16名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 12:57:11 ID:26deI4230
>>14
高仙芝は功績も大きいけど、有名な二つの戦いで負けたし、
敵前逃亡罪という軍人にしちゃ一番恥ずかしい罪名で処刑されちゃったからな。
17名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 13:55:13 ID:rbCDjSZmO
逃亡の罪への罰なら受けよう
金品物資を横領したというのは
冤罪だ!
18名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 14:31:40 ID:qdg2WKcLO
尉遅敬徳の「尉遅」はやはり異民族系の姓なの?
19名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 14:36:30 ID:6MQs6dsM0
鮮卑系の姓だったと思うよ。
漢人化したけど。
他に、慕容とか、長孫とか、宇文とかね。
20名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 23:59:35 ID:eNAY3jyj0
名もなき英雄たち
21名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 14:59:58 ID:A+oh1Jup0
唐代後半期には、反抗する節度使の討伐に功を上げた武将もいるよね。
22名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 16:19:20 ID:NbqxvkQw0
憲宗の節度使討伐がもっとも熱く、有名。
憲宗は父、徳宗期に楊炎の進言から実施された両税法による、国家財政の建て直しおよび藩鎮抑制の効果を基に、そして拡充した禁軍、神策軍をもってまず
西川節度使(使府は成都)の劉闢(りゅうへき)をはじめ、夏州、滄州、潞州、易州、蔡州を鎮定し、朝廷に服属させることに成功。
さらに青州の強大な領土を三分割させ、汴州を下し、いよいよ安史の乱以降、藩鎮の兵乱の患部ともいうべき、反側の地である幽州、恒州、魏州のすなわち、河朔三鎮の仕置きにかかった。

魏博天雄軍の強兵を率いた田氏を伐ち、河朔三鎮にくさびを打ち込んだところで、憲宗は燃え尽きた。
次の穆宗の代になって、恒冀成徳軍、幽州盧龍軍の従属化にこぎつけ、唐へと服属させ平定された。
ただし、表面上。
23名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 23:29:02 ID:wJMM7k/Q0
河北の節度使連中が、一番強力だったらしいね。
安史の反乱軍の直系だったから。
24名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 23:49:06 ID:UWx6QdHU0
>>23 河北のその三藩鎮は五代初期の軍乱にまで影響をもっている。
その中で、魏州はこの頃も強兵を編成していたけど、そのだいぶあとの五代の梁×晋争覇の折、魏州の強兵・銀槍効節都(唐のときとは違うものの、伝統は受け継いでいる)を率いた節度使が晋に付いたことから、戦略的に不利だった晋が、梁に優越するようになった。
それくらい影響力をもった地域だったのだ。
25名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 23:55:23 ID:gKo4z4RJ0
唐朝の最盛期、実は武則天の治世。
26名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 23:53:10 ID:OIBoELB20
だが周朝
27名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 15:28:59 ID:V8MlL4X+0
儒者はなかったことにしたがっているけどね、周朝。

史実じゃないけど、中井貴一が出ていた天地英雄という映画、
舞台が唐代。
28名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 12:21:05 ID:cjGYm44d0
薛任貴だな。
薛家将という物語にもなっている。
何より、絵になる。
29名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 10:08:24 ID:4rmM8K8c0
薛仁貴だ罠。
30名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 20:59:53 ID:wV+NwvUi0
それにしても隋末〜初唐の江南、湖北〜湖南(荊州とも言う)の群雄って激弱だな。
31名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 23:28:18 ID:LjfZyg790

マイナーだが、徳宗時代の藩鎮戦争もけっこう面白い
32名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 23:41:06 ID:x3eLmSkQ0
>>30
元末の群雄なんかとは大違いだね。
33名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 14:04:54 ID:9kkSo2mp0
まだ江南の開発が十分に進んでいなくて、依然として天下の中心は、
中原だったんだね。
34名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 00:04:52 ID:nHU97iey0
単雄信だっけ。好漢グループのアニキだったのになんだかんだで敵対しちゃってカワイソス。
35名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 19:18:47 ID:EMKuJnDi0
>>30
なんだと、貴様!
楚の闞稜や王雄誕の武勇を知らぬのか。
両刃の名刀「拍刀」を持ち、一気に数人を殺したという闞稜。
膂力絶人の「小将軍」王雄誕。
両名の武勇を知らぬぬしなどに、隋末江南を語られたくないわ。
36名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 19:35:25 ID:1kk6Cs2h0
李孝恭が強すぎたんだな。
37名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 19:04:46 ID:w7x6l2Gn0
唐の李孝恭・李靖が強すぎたとか、江南が弱すぎたとかではなく、
最大勢力の蕭銑があまりにも組織として烏合の衆だったせいだとおもう。
38名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 04:11:22 ID:yDH9ZYwd0
南風競わず。
39名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 06:59:09 ID:kL4waV6g0
>>27
ああいう、辺境で散った無名の英雄というものは結構いただろうな。
40名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 10:55:38 ID:VntXaQ270
>>35
その語り口調、客観的に読んで自分で痛いと思いませんか?

まぁどーでも良いですけど。
ちなみに>>30では無いです。
41名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 19:05:22 ID:2ByYoa/k0
>>40
>>30
42名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 03:12:43 ID:SJT4Mu7c0
>>41
オマエって野暮って言われない?w
43名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 06:46:08 ID:1gPObhyA0
>>40
痛き煽り有らば、更に痛き煽りを以て應ず可し。之れ二ちゃんの禮法なり。

有痛煽,可應以更痛煽。之二張禮法也。
44名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 23:46:36 ID:ggiNvxTj0
高仙芝ももっと早く死んでたら、
名将として後世に名を残しただろうな。
45名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 06:11:50 ID:Fq8Q7FQ40
>>44
けっこう問題のある人物だけど最後は哀れだな
それにしても玄宗の後半の落ちぶれっぷりはまるで別人だな
46名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 23:48:57 ID:QGISOO+d0
若い頃なんか、行動力もあって颯爽としていたのにね。
楊貴妃に会う前に死んでいたら、名君として名を残しただろうね。
47名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 03:29:29 ID:9O9djyOd0
治世の長い人物にはよくあるよな
梁の武帝も然り
皇帝職てのは月並みだが大変なんだろうな
48名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 09:36:44 ID:t+TopxF60
そうか、蕭衍も晩年政治を乱して亡国の禍根を残していたんだっけか。
李隆基はひとりで名君と暗君をやってのけたわけだけど、その名君のときに整備された地盤と、彼の後継者に結構有能な皇帝たちが立ったおかげで、のち100年以上も生き延びることができたんだけど
それは王朝にとって幸だったのか不幸だったのか…
49名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 21:22:54 ID:b3yN0n3W0
若い頃の玄宗が有能な皇帝だったことは否定しないけど
「名君のときに整備された地盤」というなら玄宗よりも武則天の功績じゃないかなぁ。
50名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 22:22:56 ID:t+TopxF60
そりゃ武則天の功績を否定はしていないよ。
だけど、なにもかも先人の業績というんじゃ、実際に最盛期を演出させた玄宗とその臣下に失礼だろうと思う。
科挙によって、これまで中央進出など望むべくもなかった地方からの受け口を広くしたのは武則天なので、そういうところで彼女の功績も無論大きいと言える。
しかし、実際に張説や張九齢、あるいは宇文融などを使ったのは玄宗なわけだし。
その点、名君としていいと考えるよ。 で、そのあと李林甫… はまだいいとして、楊国忠、安録山を重用したのもまた玄宗、ということで名君暗君一人二役という結果に。
51名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 02:47:18 ID:JkzELdGc0
>>50
だから、>49は否定していないでしょう。否定しているのは「名君のときに整備された地盤」
の部分。

玄宗って、漢の武帝のように前代の蓄積を背景に事業を行うというタイプの君主だと思う。
逆に言うと、そういった国力の蓄積という地味で重要な仕事はしていない。
52名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 06:04:09 ID:8supwrWF0
確かに漢の武帝、唐の玄宗、清の乾隆帝あたりはそういう点で似たようなタイプかもしれんなぁ
53名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/04(月) 13:06:38 ID:dC0XunPP0
安録山と董卓がちょっとだぶる
54名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 19:18:57 ID:pqBOFSFC0
>>53 意外といいかも。 どっちも百貫デブだし。
しかし、安録山のほうが巨大かな、人物として。また郷里の英雄として。
55名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 23:59:02 ID:LTs5+NOs0
董卓も結構人柄がよかったかもね
56名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 12:04:37 ID:EW81cNXQ0
安禄山の名前はアレクサンドロスですか?それとも安ルーシャンですか?
誰か答えてみんしゃい。
57名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 23:58:16 ID:1crxYZKJ0
安禄山ってソグド人だし、濃いい顔してたんだろか
58名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 07:30:37 ID:nAZZOTwH0
そりゃもちろん。
颯爽としたイケメン























百貫デブだったらしい…
59名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 13:52:04 ID:e5S3BZ4sO
百貫デブなのに胡旋舞踊れたなんてすごいね
60名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 14:43:31 ID:nAZZOTwH0
よく見れば、おれ「百貫デブ」を連発しているな… >>54 >>58
安録山になんか恨みでもあるんだろうか。
61名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 23:41:06 ID:3QpLgdr00
>>59
胡旋舞を見に行こうと誘われて、エキゾチックな胡姫の舞を期待して行って、
安禄山が踊っていたら複雑だな・・・
62名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 22:30:10 ID:OKqabo840
>>61 もしかして玄宗も、それで度肝を抜かれた??
63名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/21(木) 12:51:10 ID:Ph73ZbEd0
玄宗と安禄山の胡旋舞

衣装は肌の露出が多い衣装で
64名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 22:52:26 ID:P0JO1hrE0
>>60
百貫デブはともかく、垂れた腹の肉が地についたって言うしなあ・・・
これは誇張であったにせよ、
まあ、一度見たら忘れられない姿をしていたんだろう。
65名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 23:46:52 ID:4eCPVGmN0
楊貴妃からは気に入られていたみたいだね、安禄山
おっさんを可愛がるってかなり不気味だけど
66名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 02:11:17 ID:vyAVJ6Lp0
そのピザデブ振りが、かなり滑稽で面白いって事で気に入られたらしいですよ。
67名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 15:44:28 ID:kUQs2Tdn0
安禄山は楊貴妃に欲情は感じていたんだろうか。
68奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/01/05(金) 20:42:17 ID:Kx3+SCol0
唐代の美人はふっくらぽっちゃり系なんだってね。

・・・肉弾戦だよなあ・・・
69名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 14:03:52 ID:17GBGVst0
大陸で爆発ヒット中のチャン・イーモウ監督の最新作「黄金甲」は、
唐代の美女を表すために、巨乳女優をたくさん集めたらしい。
70名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 19:47:04 ID:w5/0AhJw0
唐代の踊り子の人形(今で言う美少女フィギュア?)なんかはアラブ系っぽい柳腰だったと思ったが、ムネはどうだったかな・・・
71名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 16:16:06 ID:tu5YB08B0
唐代の美女と言えば、
一つに連想されるのは、楊貴妃を含めた、グラマー系美人、
もう一つは西域からやって来た胡姫
72名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 16:48:47 ID:vBmoMk0C0
梅妃がいるじゃんか。
スレンダーバデーの。
73名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 22:32:46 ID:Y9BiuuoZ0

晩唐から五代十国には、日本の戦国時代に似たイメージを持っているが
日本の畿内のように軍閥以外の宗教勢力、一揆みたいなものは
生まれなかったんだろうか?
74名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 23:00:15 ID:gvAZl7lL0
あんまり聞かんねー

マニ教系とかは、何してたんだろ
75名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 23:42:04 ID:vBmoMk0C0
武宗の廃仏が効いているのかな?
寺社はその当時、荘園貴族真っ青なほど優雅なお暮らしをしてたし、それなりに自衛集団はいたそうだ。
抵抗勢力とまでは行ってないと思うが(そこは詳しくみていないから知らないだけか)、世の弊害の片棒であったことは疑いない。
だからこその後周世宗の仏教整理なんだろうが…
76名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 23:49:48 ID:bfRcKxn80
宗教勢力によって引き起こされる戦乱ってのは中国史上たくさんあるけど、
この時期はあまり目立ったものがないね。
77名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 13:49:38 ID:fTDcgbtt0

日本の室町時代の近畿地方の面白さは、武家権力の狭間に
朝廷、幕府、寺社の権威を結びついた民衆勢力がわり込んでいるところだと思う。
一方、晩唐や五代には、そういうものの存在が目立たないように思う。
晩唐や五代は、むしろ関東や九州の室町時代に近いと考えればいいのかな。
78名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 15:29:32 ID:L4YKjFI80
室町について詳しくないからわからんが、唐末の藩鎮体制は日本の大名に置きかえてみることもできると思う。
本来節度使は、地方の統括を任されたものだったけど、兵乱・民衆反乱に続く黄巣の乱によって、中央の管制を受け付けなくなった。
その節度使は、地元民との結びつきを強め、割拠状態に至る。
三国以来の都督制と違い、民政・徴税の権を有していたので、独立国とみれる。その節度使同士が領地を削りあうわけだから、日本の戦国期に似ている。
また、藩鎮の有力兵士が節度使を武力で打倒し、取って代わる下克上が行われるところも。

唐末五代での特筆は、それまでの貴族支配から、下層民出身者が政治に関わるようになったところ。
そのころの有力者は、山東や関隴系とかの名門ではなく、没落した農民たちを労働者として取り込み、大土地を所有した新興の地主層となった。
また、藩鎮兵士や幕僚には、節度使に人事権が一任されていて、好きな人物を登用できることから、貧民出身者や家内奴隷、盗賊などの類まで、政治に関わるようになった。

全国の唯我独尊的な人物たちに、小なりとはいえ地方割拠のチャンスを与えてしまったこの時代は、統治機構の崩壊もあって、荒れて当然の時代だったのだろう。
79名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 15:43:27 ID:Ov2VhAAJ0
節度使に権限が集中したから、
その藩鎮内では中央集権的な体制を作れたからかな。
80名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 18:32:19 ID:L4YKjFI80
いや、おれは逆かなと思っている。
五代の乱を改めて見るといい。
あれは中央集権とは逆で、地方に有力者が分散し、かつ権限が大きかったからあっさり政権交代し、そうならないまでも内患が絶えなかった。
そして、その藩鎮内でも、牙兵以外の鎮将などに徴税代行などの権限があったから、集権というわけでもなかった。
いわゆる影の内閣(シャドーキャビネット)と言われたのは、藩鎮の構成が、縮小された朝廷と地方の構成に似ていたから。
藩鎮内での要職が、そのまま国家の要職に相当するようになるし、前述の鎮将は国家レベルでいくと節度使に相当するようになる。
つまるところ、節度使もその地位が安泰だったわけでは、決してない。

そういう中で中央集権的、君主独裁的な流れを作ろうとするには、君主自らの固有の武力が、他の節度使を圧すればいいと、そうしたわけ。
で、そういう流れは実は中唐の頃、憲宗率いる北衙神策軍の登場にあったわけだけど、方向性がつけられたのはもっと後、後周の頃となってしまう。
後周世宗が為そうとした禁軍の強化は、地方藩鎮に兵士が集中しないように配慮されたものだった。
その頃は地方藩鎮が強力で、皇帝の権力が低かったから、皇帝権の復活を第一とした改革までしか為されていなかった(途中で病死したから)。
趙匡胤はその流れで禁軍の兵権すらも皇帝に帰すようにし、節度使の権限を次第に縮小させていったわけ。

安録山の乱の前後に発生した中唐の負債を支払いきるのに、それだけの歳月がかかってしまうことになる。
玄宗や楊国忠のなした罪科はかように重いのだったw
81名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 20:04:19 ID:SEqGb/TR0

80氏の解説は正しいと思うが、その価値判断については正史を流れる
「始皇帝の亡霊」の呪縛にとらわれているのではないか。
「中華は一つ」であるべきかどうかっていうのは、現代まで通じる問題で
あるにもかかわらず、中国史の専門家の多くが無条件にそれを
前提としているように思う。特に宋代の専門家は。
確かに宋は中国史上の黄金時代だと思うが、同時に中華世界の限界を示した
時代でもあるし、朱子学なんてものは我が国にまで入り込んできて
今日に至るまで我々は被害を蒙っているわけで…
82名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 22:01:57 ID:Kb8yrJ6o0
>>81 つまり?
自分が言いたいことというのは、分権として成り立つなら、それもいいのだけど、唐末から北宋の成立にかけて、一体なにが害悪であったか、ということ。
それはすなわち、節度使による地方分権的な体制であり、それによってもたらされる兵乱であり流通の阻害であり、荘園の拡大に伴う貧農の増幅であり、さらにそれによって生じる賊徒なわけですよ。
もうひとつ付け加えて言えば、藩鎮勢力あるいは禁衛の将が皇帝すらをもすげかえるだけの力を有していたわけだから、乱が長引くのは想像に容易だと思う。実際五朝期はそういう時代だった。
そういう無秩序な中では、皇帝自身が力をつけるのが、苦難ではあるけど乱を納める近道ではあると考える。

後周〜北宋にあった統一の気運というのは、何も中華思想だけがその根本にあるわけではなかった。
その背景に、商人たちから流通路の確保、国境税の取り払いなど、そういった面からも後押しされた部分もある。
柴栄がもと商人出身だから、そういう道に敏感だった、というのも妄想ながらあるにはあるけど…

とはいえ… その「始皇帝の亡霊」が何世紀も中国という国を形作ったのだから、「皇帝」となった人は、統一を大義名分にするのが一番簡単簡潔に周知させられることだと思うな。
ということは、自分もとらわれているのかもしれないなぁ。 
どういう価値基準を持てばいいのだろうか。
83名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 00:21:05 ID:V2OPRNna0
節度使が支配してる領域の行政組織ってどうなってたの?
84名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 00:43:46 ID:Q6NE2SxT0
「使」っていうのは、三省六部ではない官、つまり「令外官」で、武則天くらいから増えてきだした、新しい官職。
で、もともと節度使っていうのは、府兵制で補い得ない軍団を統制するための、軍組織だったわけ。
だから基本的に国境周辺の辺境にあった。
しかし内政の失敗から朝廷が税の徴収を満足にできなくなったので、節度使に観察使を兼ねさせて、民政権と徴税権を与え、内地に置くようになった。

基本構成は軍組織であり、牙兵というのがその中心にある。
牙兵は節度使のいわば親衛隊であり、もっとも身近な兵団なわけです。
親近者や仲間などがそれを構成しており、その中から、「中門使」(節度管内の軍政責任者)
「押衙」(おうが。 武官高級幕僚。税の管理もおこなった)
「孔目官」(牙兵に対して、牙吏という。文官職だけど、武人が携わったりした。後周の太祖郭威が劉知遠の幕僚だったとき孔目官だった)
「客将」(他藩鎮との外交接客など。文官職ではなく武官職)
「親軍」(馬軍、歩軍など分化されるが、節度使内での軍団の主力)
「都虞候」(管下州の刑獄など)
「節度判官」(幕職官。文官の最高幕僚。軍事にも参画する)
「節度掌書記」(同様に幕職官)
「節度推官」(節度使の補佐)
「鎮将」(管下の要衝を守衛する。また徴税権もあった)

以上は節度使に付随するもの。 観察使としての役職を補佐し民政などに参画するものとしては
「観察判官」「観察支使」「観察推官」などがあった。
この他、「州刺史」や「県令」も従来どおり。

財政を司る職分でも、主に武官が任命されたし、外交や式典の役職も武官がやった。
これは、そのまま中央官制にあてはめることができ、武人政治と呼ばれるゆえん。
85名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 09:40:59 ID:opYUHe/i0
中国といえば崇文軽武のイメージがあったが、節度使や藩鎮が力を持った時代は違うんだね。
86名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 11:14:47 ID:Q6NE2SxT0
節度使って、使職なんだけど、のちには行政区分も兼ねるようになったんだよね。
従来の州県区分では、豊かになりすぎた江南江浙やらの民政統治がままならず、より大きな区画が必要になってきたから。
中唐に起きた軍乱、安史の乱以降は基本淮河より北の地での反乱が多かったけど、唐末になると、湖南や浙東を基軸に次第に北上していく兵乱および民乱が続発していた。
五代十国時代の十国が、華南にあってそれまでの例になく分裂していた背景は、その節度区画と兵・民乱による相互連絡の分断と地域民とのより深い密着という点が大きいと思う。
それまでの歴史は、普通華北側が分裂し、華南は比較的分裂しない、というものだったのに対し、ね。
87名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 23:53:50 ID:pTkQH6jL0
>85

三国時代から宋の建国までは、基本的に軍閥の時代と考えていいと思う。
モンゴル研究者の杉山氏が明を元の出来の悪い後継者と評しているが、
宋の時代に中華帝国の統治原理が確立され、
明や清は基本的にそれを受け継いでいるように思う。
88名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/23(火) 23:25:05 ID:91EZEhOi0
夢の中で龍王を処刑した魏徴だな。
89名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/30(火) 23:59:46 ID:jacbRNNr0
唐って、世界帝国、強大な国家のイメージのわりには、
結構軍事的に弱い場合が多いよね。
90名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/31(水) 23:44:35 ID:9q3s6ijM0
成立当初、太宗の治世の前期でも突厥に押され気味なところがあるし、
安史の乱以降となると、もうぼろぼろだね。

吐蕃なんかは、長安に迫りやすい位置にあるし。
91名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/06(火) 13:19:30 ID:ru5o6rh90
首都が何度も落とされているからなあ。

弱さははっきり言って宋とそんなに変わらん。
92名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/19(月) 23:43:08 ID:+KbJOkWe0
安史の乱以後の唐は、世界帝国とは言えなくなったしね。
下手したら、ウイグルの属国だし。
93名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/20(火) 00:49:12 ID:4WxylHkt0
>>89 府兵制が機能していたときは、軍事的に精強だった。
しかしそういった制度はゆるやか〜に傾きだしていき、やがて周辺国の侵入に対する過度な徴兵によって
民衆は逃亡し兵をまかなうことができなくなってしまった。
節度使を置きだしたのは、それを地方官に押し付けたと言ってもいい状況から。
安録山は節度使の強大な権限を振るったわけなんだが、節度使の機能が十全であれば、実は軍事的にはかなり強力。
ただ、河朔三鎮をはじめとして、その大きな権限を皆自分のものと取り込んでしまったため、唐は終る。
外に向けられていたちからが内に向けられたわけだから…
94名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/20(火) 09:31:43 ID:zVGyjh9r0

唐の中央政府が弱かっただけで、
節度使の軍事力は最後までかなり強力だったと思われる
95名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/23(金) 23:37:56 ID:J7Q2CEDm0
中原の節度使の配下の将兵には、遊牧民がかなり参加していたのかな。
96名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/23(金) 23:55:30 ID:DPdQ5A5i0
>>95 中原? 遊牧民族系の牙兵が多いのは、河北の藩鎮だろうと予想するけど…
ただ、中唐以降の藩鎮による兵乱というのは、実は華南から発祥しており、根本的に唐人による暴動だった。
その時期、河朔三鎮は、まぁ独立国といってもいい状態だったし、兵力の確保から異民族の子供とか奴隷とか養っていたかもしれない。
97名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/25(日) 23:57:06 ID:Y73BN7at0
唐代末期から五代にかけての、もっと南の河南とか、江南とかのあたりになると、
遊牧民は参加する余地はないかな
98名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/06(火) 23:58:40 ID:jj31+fY/0
いろんな藩鎮を渡り歩く傭兵のような武将もいそう
99名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/07(水) 01:28:16 ID:tVYskyAI0

四川だとチベット系やタングートの傭兵がいると思う
100名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/11(日) 23:51:42 ID:ytTibeqn0
梁羽生の武侠小説「大唐游侠傳」がドラマ化されるそうだ。
101名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/13(火) 23:56:47 ID:0a13yIQF0
梁羽生の武侠小説

唐代

『女帝奇英傅』

『大唐游侠傳』〜『龍鳳宝釵縁』〜『慧劍心魔』

宋代

『武林天驕』〜『狂侠天驕魔女』〜『飛鳳潜龍』〜『鳴鏑風雲録』〜『瀚海雄風』〜『風雲雷電』

明代

『還劍奇情録』〜『萍踪侠影録』〜『散花女侠』〜『聯劍風雲録』〜『廣陵劍』〜『武林三絶』

清代    
  
〜『白髪魔女傳』〜『塞外奇侠傳』〜『七劍下天山』〜『江湖三女侠』〜『冰魄寒光劍』〜『冰川天女傳』〜『雲海玉弓縁』〜『冰河洗劍録』
〜『風雲震九州』〜『侠骨丹心』〜『游劍江湖』〜『牧野流星』〜『弾指驚雷』〜『絶塞傳烽録』〜『劍網塵絲』〜『幻劍霊旗』

『武林一劍』

『龍虎鬥京華』〜『草莽龍蛇傅』
102名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/27(火) 18:50:44 ID:NYelv4oH0

唐は安史の乱の前後で、国家の軍事力の構成が全く変わるからなあ
103名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/27(火) 20:54:41 ID:ZtyCdL9v0
安史の乱の前頃から、既存の制度の崩壊が始まっていたんだと思う。
104名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/30(金) 12:10:08 ID:/3O+eK5f0
張巡 許遠
105名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/01(日) 14:14:08 ID:u0s7QLxJ0
李正己(イ・ジョンギ)という歴史人物の名前が本格的に知られるようになったのは、東洋中世
史学者(延世大教授)である著者の果たした役割が大きい。

著者の研究結果によれば、高句麗滅亡以後、中国に連行された高句麗人の末裔(まつえい)・
李正己とその子孫らは、4代55年(765〜819年)にわたり山東地方に斎を打ち立て、15の州を
治めた。斎は新羅よりも広い領土を占め、強大な経済力で唐に対抗し、一時期は洛陽を攻略
して天下に覇を唱えることも狙っていたという。

この本は、その「忘れられた王国」の通史にあたる。

著者は「唐が“凶悪な高句麗の連中”と呼んだことから、逆に斎の支配層が持っていた高句麗
人としてのアイデンティティーを読み取ることができる」と説明した。これまで学界では、李正己
一族を単なる藩鎮勢力(半独立の様相を呈した節度使。唐後期に地方で横行し、中央の権威
を弱体化した)の1つとみなしてきた。しかし、著者は「斎は唐に税金を納めず、官僚の任命も拒
否するなど、長期間にわたり軍事的に対立した自主的な独立国だった」と評価を一変させた。

こうした著者の主張が成立するならば、韓国史だけでなく、中国史の体系全体に変化をおよぼ
す歴史解釈の大転換となる。つまり唐後期は、これまでの解釈のような「弱体化した統一帝国
の時代」ではなく、「数多くの独立国に分裂した時代」になるのだ。そのため、「斎独立国説」が
定説となる上で越えるべき壁は高いと思われる。

http://www.chosunonline.com/app/ArticleView.do?id=20070401000000
106名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/01(日) 22:36:55 ID:QFgwsPrw0

これって平盧軍のこと?
107名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 22:52:46 ID:fWYfI4Xy0
 李正己(733-781年)は唐代の人物。高句麗人とも渤海人とも言われ、営州出身。本名は懐玉。
 最初平盧軍王志玄の下でその属将となる。王志玄の死後は、侯希逸を後継者に擁立し、上元2年(761年)に
山東の青州へ移る。
 永泰元年(765年)に侯希逸を追放し、代わって平盧軍淄青節度観察使となり、正己の名を賜る。
 田承嗣、薛嵩、李宝臣、梁崇義といった他の藩鎮と結び、李霊曜が唐朝に叛旗を翻した時には、その機に乗
じて、曹、濮、徐、兗、鄆の各州を占領し、既に支配していた地域と合わせて、15の州を支配し、藩鎮の中でも
最大の勢力を誇った。
 建中年間の初め、唐朝に叛いたが、ほどなく病死した。
 
 こんな感じかな。
 いずれ韓国がドラマにでもするだろうw
108名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 18:38:14 ID:PbQUu2HtO
唐朝が対外的に軍事的強勢を誇ってたのは、建国の功臣が健在だった時代まで。
具体的に、李勣の高句麗遠征までってことでよかですか?
109名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 23:44:24 ID:PKThkMhj0
どこまでが強盛だったかの時期の判断は人によって分かれるだろうけど、
後半はもう本当にぐだぐだだね。

下手したら、ウイグルの属国扱いされかねない時期もあったし。
110名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 23:54:22 ID:p2NDOgsq0
結構公主を周辺民族に嫁がせたり、吐蕃に何度も長安を脅かされたり、
内乱抜きにしても、世界帝国にしてはかなり脆い感じだね。
111名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/12(木) 01:04:23 ID:eoksfyLB0
でも唐以外の統一王朝もほとんどが建国から数十年くらいが関の山でしょ。
むぢろ漢の武帝あたりが異端なのでは?
112名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/12(木) 08:34:21 ID:esxZhEKU0
前漢はいわば、武帝の代で統一をみた、という感じ。
その前二代の名君もあるが、本来、劉邦が統一した、というのはちょっと大雑把すぎる。
あの人は、諸国連合の盟主・宗主みたいなもので、唐初期とはずいぶん様相が違うと言える。
113名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 15:58:51 ID:e84VeZ/A0
やっぱりあの大陸を統一し続けるのは大変なんだな。
114名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/15(日) 23:59:32 ID:m6ZS4eDy0
唐朝はちょっと版図を広げすぎて維持が大変になったんだと思う。
結果的に後半がグダグダになった。
115名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/02(水) 22:42:49 ID:P4E6hWHY0
行政単位の州を細かく作りすぎた。
だから節度使が必要になった。
116名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 23:56:18 ID:vvskIzLl0
同じ州の刺史でも、中原の長安や洛陽に近い州とか、
江南の豊かな州の刺史と、
辺境の異民族が襲撃して来そうな州の刺史じゃ、
だいぶ格が違うんだろうか。
117名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 13:37:44 ID:/+AtKbW00
>>104
人間の肉を食べることに抵抗感ってなかったんだろうか?
118名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/15(火) 23:58:35 ID:B/sbqid20
人間、極限の飢餓に直面すれば食ってしまうと思うよ。
倫理上問題は大きいわけで、張巡のその行為は後に論議の的になったけど、
一般的に他の文化圏に比べると、中国はまだ抵抗感が少ない方だったんじゃないかな。
119名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/16(水) 00:52:27 ID:OlhWXbOF0
家畜を屠殺(←なぜか変換できない)して食べる習慣があるなら、
身近に暮らす「動物」をばらすのも抵抗少ないんじゃないだろうか。
120名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 11:27:02 ID:VKcLc7fc0
そのへんの問題は、日本になぜ宦官がいなかったかについてで、
よく言われるね。
121名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 20:00:19 ID:HObPaOaD0
>>118
張巡、許遠らが人肉を食らってまで城をまもり抜いたおかげで、
安禄山軍の南下を阻止できたのだからね。

仮に安禄山の軍勢が江南に雪崩れ込んでいれば、経済基盤を失った唐朝は立ち枯れ、
燕朝による天下が実現したかもしれないわけだし。

倫理上大きな問題を孕んだ行為とは言え、唐朝の危機を救ったのだから、
表彰しないわけにはいかないだろう。
122名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 23:04:18 ID:QXYmkP8U0
唐が仮に滅ぼされたとしても、安禄山の燕朝は長持ちしただろうか?
123名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 00:15:22 ID:XZAtPCKfO
>>117
三国志にも、客に食べさせる食事がないからと、身内の人肉を振る舞うシーンが美談として書いてあるし、昔は普通だったんだろね。


124名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 02:27:16 ID:2Jh6KHlx0
普通じゃないから話として残ったんだろう。
125名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 07:14:34 ID:aGVXEPJr0
>>123
いや、少し違う。
自分や身内を犠牲にしても、他人に饗応する、尽くす態度が美談であって、人肉を食するのが美談というのではないと思う。
126名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 15:25:48 ID:ssJZ0g/V0
隋朝末期に割拠した反乱軍の首領の中にも、
人肉漁りをした男がいたな。
127名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 10:04:48 ID:O4UZoLz2O
>>125
それはその通りなんだけど、時代背景として人肉を食べるということが皆無なら、その会話自体が成立しないと思う。


日本ですら大飢饉の時は人肉食って記録があるし。秀吉に兵糧責めにあった鳥取でも、人肉食いがでたと記録が。

戦時中も兵糧をたたれた日本兵が南方や大陸で人肉食ったのは有名。

20世紀に入ってからの中国でも数百万人が餓死した時期があって、やはり多数の人肉食いがでた。

ましてや昔の中国大陸は、人肉饅頭が売られてた時代もあったらしい。

128名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 23:54:51 ID:XZd57zT30
人食いスレの方が詳しいけど、
中国は、他の文化圏に比べると、人肉を食うことへの文化的な抵抗感が、
ちょっと小さかったみたいだね。
もちろん、基本的には人の肉は食べてはいけないものではあったけど。
129名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 15:35:51 ID:h+kNeEkO0
隋唐にも関わった鮮卑系は、人食いの文化はどうなのかな?
130名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 11:51:23 ID:u56t5q2IO
水滸伝の時代の本見たけど普通に人肉屋台繁盛してたとかあってワラタ
131名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 01:44:11 ID:i6QUIxCZ0
人肉饅頭ってのは隠して売ってなかったっけ?
「中国では人肉食が盛んだった」って風説は、戦前の反中プロパガンダのために
政府の御用学者が書いた適当な論文が由来だからなぁ
132名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/29(金) 11:29:09 ID:P3VNapWT0
各地に割拠した節度使は、財政収入を増やすために、
自分の管轄内で、商業の振興政策みたいなことは結構してたんだろうか。
133名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/29(金) 12:43:30 ID:GD2SEWTc0
つ粘土の通貨、柴を茶として売りさばいた→節度使ウマー
なことをやったツワモノはいる。
134名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 04:37:22 ID:LwYBCBTn0
ほいっ、「政府の御用学者」が書いた適当な論文 by隲藏。
ttp://www.aozora.gr.jp/cards/000372/files/4270_14876.html
『水滸伝』のあれはパロディーだから。人肉饅頭の屋台が公然とあったりするわけはない。

「人肉を食うことへの文化的な抵抗感が、 ちょっと小さかった」と思われるとするなら、
飢餓などやむにやまれぬ事情を別にして、
恨みをもつ相手の屍体を残さない(再生を阻む)ために食べてしまうとか、
漢方薬の材料に人体の一部を使うとか、
中国独特の文化が加わっているからだと思う。

しかし、隲藏が「風習」とか「稀有偶然の出來事でない」とか言うほど頻繁にあったわけではないだろう。
魯迅の「狂人日記」だって、「狂人」の妄想という前提があってはじめて食人が語られてるわけだから。
135名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/07(土) 13:39:55 ID:OV+FvtTm0
>>134の桑原隲藏の分類は高島俊夫が『水滸伝の世界』の「人を食った話」で引用しているね
高島も、食人肉自体は昔の中国でもきわめて異常・気味のわるいことだったにちがいなく、
水滸伝はもともと大衆小説・低俗なものだったから、ことさら刺激の強い(悪趣味)な話柄として
人肉茶店がもちだされていると言っている。

しかし上のほうのレスでもあったけど、
日本ではそもそも食人肉を扱うエピソードがほとんどないのに中国ではみられるのを
高島は食習慣の違いから分析していて面白かった。
中国→昔から牛・豚や、ところによっては猿や猫も食ってきた
ヨーロッパ→鶏や動物の頭部を煮たのや脳髄すら食べたり…
日本→獣肉はほとんど食べてこなかった

しかし、ヨーロッパでは神に似せて創られた人と、人間が利用するために動物は厳然と区別する
中国、日本では人間も動物も同じ「生きとし生けるもの」の範疇
……といったところから生活感覚の違いを考察していた
136名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 23:01:03 ID:2Ln8AknK0
【中国】隋、唐の遺跡がゴルフ場に―目立つ乱開発、監察を強化[07/12]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1184230342/

1 :すらいむ一夜干φ ★:2007/07/12(木) 17:52:22 ID:???
隋、唐の遺跡がゴルフ場に=目立つ乱開発、監察を強化

【北京12日時事】中国の国土資源省は12日、過去1年間の違法・規則違反の
土地使用とこれに関連する贈収賄事件の監察結果を発表した。古代の遺跡の
上にゴルフ場を建設したり、農地を競馬場に転用したりと、利益目当ての乱開発が
目立った。

 中国政府は昨年7月、開発ブームに伴う農地の強制収用に反発した農民暴動の
多発などを背景に、国土資源相をトップとする専門の土地監察制度を設立。
地方政府、開発業者の違法行為をチェックしてきた。

時事通信 http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2007071200659
137名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 01:18:24 ID:VXq1E00a0
138名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 01:18:57 ID:VXq1E00a0
139名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 01:19:29 ID:VXq1E00a0
140名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 01:20:01 ID:VXq1E00a0
141名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 01:31:55 ID:+ts3r1vC0
>>137-140
李世民どいつだよ・・・
142名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 09:01:52 ID:+IWNI2740
唐皇帝は日本の天皇だったって本当?
143名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 13:05:07 ID:ixaqxnSQ0
>>142
唐の皇帝を天子とする世界秩序に入ろうとしたのは確か。
国内的にはごまかしているけどね。

ただ、あくまで天子、皇帝であって、天皇ではない(高宗後半は抜かして、ね)
144名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 13:32:06 ID:HLu49SFD0
その天皇の称号が日本に伝わった、とする説なんでしょ。
145名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 22:29:11 ID:+IWNI2740
裏ネタあるよ
(´・ω・)(・ω・`)ネー
146名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 23:28:40 ID:leP3WCmX0
>>141
一番の美形、と言っても絵が少女漫画なので美形だらけだけどw
黒髪の女の子が長孫皇后らしいw
147名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 21:08:22 ID:HrAibBdC0
なんかオタクの巣みたいだね
(´・ω・)(・ω・`)ネー
148名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 23:51:28 ID:3kHxKscs0
149名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 10:27:41 ID:Jipg5bY50
唐代十大人物を選ぶとなると誰になるだろう?
150名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/01(水) 00:46:33 ID:AkqzT+ZLO
李世民、武則天、杜甫に李白。この辺りは個人的に外せない。
陸宇、顔真卿と寒山は入れたいな。
151名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/01(水) 16:14:47 ID:UqOxNWRz0
どうも後半が層が薄くなっちゃうんだよね。
前半に強烈な面々が揃いすぎていて。
152名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 00:14:17 ID:xf8nvFwR0
君主からは太宗・武則天・玄宗
政治家から魏徴・楊炎
武将から李靖・郭子儀
文人から玄奘・李白・杜甫

魏徴は難しいか。
李白と杜甫もどちらかは削って他の人をいれるべきか・・・
153名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 00:30:48 ID:LsnmYUpf0
顔真卿もいれたいよねぇ
154名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 01:11:13 ID:vLxWAZu/0
朱粲・許敬宗・蘇味道・韋皇后・李林甫・楊国忠・安慶緒・程元振・田承嗣・朱
ってとこかな。
155名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 16:35:29 ID:IVEPfF6w0
>>152
高祖李淵が外れちゃうのは何だかなあ。
一応は建国者だし……
156名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 18:50:57 ID:FhCY0qW4O
個人の好みだから入れれば?
157名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/31(金) 21:18:00 ID:+LewJMFX0
実際には高祖はもっと主導的に動いていただろう。
158名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 23:09:43 ID:7piPmTsEO
それがどうした。
としか言いようがない。
159名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 23:23:47 ID:ftn4XoxH0
黄巣の乱以降の人物は五代枠に入れたい。
唐代の実質があるのは安史の乱あたりまでな感じだし。
160名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 14:35:31 ID:pPvWH4Sr0
ところで中唐以降、「朱」姓によく長安が蹂躙されているんだが…
朱泚、朱玫、朱温。
なんか因縁でもあるんかな?
161名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 21:48:46 ID:Pwy1vvHN0
李さん、何か朱さんの恨みでも買ったことがあるんだろうか?w
162名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 21:04:33 ID:FiEQzSs70
人食い朱粲のたたりだよ。(・∀・)
163名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/20(木) 23:33:17 ID:ltJPD4450
>>159
でも、後期の皇帝-朝廷と、節度使との間の争いもかなり見物だと思うんだけどね。

>>162
そこだったのか!w
164名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/21(金) 19:44:08 ID:d7C8NvK90
必死に国を再興させようとする皇帝とその忠臣、
地方に割拠し独立を目指す節度使との綱引きは見物。
165名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 23:16:36 ID:Gp9DIfoL0
166名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 10:16:45 ID:S95eMOZr0
*★* 楊 貴 妃 *★*
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1191805947/
167名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/02(金) 23:48:44 ID:m9BVC6hV0
游侠
168名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/03(木) 13:51:56 ID:WO5n/hca0
唐代伝奇

崑崙奴
聶隠娘
荊十三娘
169名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/21(月) 23:54:21 ID:GcOkv38Y0
【韓国】ナポレオンに勝る業績を残した韓民族開拓精神を象徴する人物”高仙芝”[01/21]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1200900393/

1 :壱軸冠蝶φ ★:2008/01/21(月) 16:26:33 ID:??? ?2BP(222)
ソース:東亜日報(依頼スレ162さんの依頼で記者がハングル記事を意訳)
http://www.donga.com/fbin/output?n=200801190048
参考画像:高句麗出身の唐将軍”高仙芝”
http://www.donga.com/photo/news/200801/200801190048.jpg

 8世紀にシルクロードを支配した高句麗出身である唐の将軍、高仙芝が大韓民国の地で世間の注目を引くようになった
のは1978年1月19日のことである。

 台湾を訪問中だったある国会議員が、古宮博物館で高仙芝将軍がエベレストを越えたと いう記録を見つけたと明らか
にしたからだ。 これにより翌日(20日付)で一部新聞は”エベレ ストの初征服者は高句麗人”と報道したのである。

 この記事によれば博物館にあった”唐書列伝”第54章にある党燎宗の時代に高仙芝将軍がインドと中央アジアを征伐
するための遠征途中で、軍人らが標高の高い聖母山のため進軍を忌避したのを見、直接先発隊を率い聖母山を征服し
たと記録されている。

 この聖母山とはエベレストを指していると、これらの新聞は明らかにした。
 
 しかし高仙芝将軍が通過したのは、エベレストではなくパミール高原というのが学界の定説だ。高仙芝将軍は高句麗
の流民出身で中国大陸を横断した”大陸の星”だった。
170名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/21(月) 23:55:02 ID:GcOkv38Y0
 東アジアの覇者だった高句麗は、668年に新羅と唐連合軍によって滅亡し高句麗人20万人が中国に連れて行かれた。
彼らの子孫だった高仙芝が世界帝国だった唐の将軍となり、シルクロードの支配者にまで上り詰めたのだ。

 風貌りりしく、話術と弓術に長けていた彼は20歳で将軍となり、以前に唐が三回も失敗した西域征伐の任務を引き受け
る。彼は西域征伐(740〜750年)に成功して唐と地中海を引き継ぐシルクロードを完全に掌握するようになる。

 この過程で彼は1万人余の軍人を率い、世界の屋根とも言われるパミール高原を越えて70ヶ国以上を征服する。遠征
の道中で一番高い場所では4600mにもなった。ヨーロッパの史家たちが18世紀ナポレオンのアルプス登頂よりさらに
偉大な戦史と評価する業績だ。

 彼は世界の歴史の中心にあった。751年に7万人の唐軍隊を率いてイスラムのアッバス王朝を主軸にしたサラセン連
合軍30万人と戦い、タラス河畔の戦いでは敗れたものの当時 捕虜となった唐軍人たちが製紙法、火薬製造術、羅針
盤などを西域に伝えるようになる。

 高仙芝は755年の安録山反乱時に長安の守備していたが、讒訴により獄中で処刑される。 彼の死を嘆き悲しむ部下
たちの”口惜しく怨めしい”と言う叫びは天地を震動させた。

 「高仙芝は韓民族の開拓精神を象徴する人物だ。」とは”高仙芝評伝”を書いた延世大史学科チ・ペソ教授の言葉である。
171名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/24(木) 23:25:38 ID:gZD+2GvV0
ツッコミ所が多すぎるwwwwwwwwww
172名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/24(木) 23:37:37 ID:hrzYadfL0
つっこんでみてよ。
173名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/24(木) 23:48:13 ID:zgzTKi090
エベレストとパミール高原ってだいぶ離れているよな。

それに登山じゃなしに、行軍なんだから、
高仙芝も好きで高い場所を選んだわけじゃないだろうw
174名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/25(金) 08:31:00 ID:PV8QEdpZ0
おれはそんなことより、ことさら「西域に伝えるようになる」としているところが
なんかおかしかった。
まるで、高仙芝の手柄のようだ。

あと、「東アジアの覇者だった高句麗」。
この認識はなかったな…
隋唐が生まれるまで、東アジアに覇者と呼べるような勢力があったのだろうか?
たしかに無視できない存在ではあれど、覇者か?
175名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/27(日) 23:49:33 ID:puJfQAFe0
北東アジア(=朝鮮半島)の覇者から“北”を省略したとか?w
176名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/29(火) 15:17:45 ID:gW21nSE20
>>170
何だか、唐が西域に進出して世界帝国となったのは、全て高仙芝のおかげって、
言いたげな書き方だなw
177名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/29(火) 16:56:21 ID:ZI/s/uiW0
しまいにゃ差別と嫉妬により無実の罪を着せられて処刑された悲運の韓民族英雄。
高仙芝健在ならば安録山など敵ではなかった。

とか膨らましそうだな
178名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/29(火) 18:46:32 ID:seGqQ8G50
まあどこの馬の骨とも分からん墓誌の主を稀代の天才留学生だの
皇帝陛下のお気に入りだの墓誌を撰したのは阿倍仲麻呂だの
妄想爆発させた国の隣国だからありえるわなぁw
179名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/29(火) 19:27:12 ID:03/dttCb0
>>177
それくらいは言ってもいいくらいだけどな、高仙芝であれば。
諸葛亮とかを韓国人とかにされるよりは、話としてはありといえるし。
それに、讒言を受けたのはホントとして、そういう悲劇性のある人物は
中国の気風からして、大々的に英雄扱いするのだから。
でも、たまたま高句麗の出身だった、というだけだということを忘れて欲しくないな。
180名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/30(水) 23:48:18 ID:DARF88Dz0
高仙芝当人には、どれぐらい高句麗人としての意識があったのだろうか。
181売国マルハン:2008/02/10(日) 23:38:46 ID:jLDk5rq10
パチンコスレで遠隔、ホルコン、サクラ、マネーロンダリングなどについて書き込むと渋谷マルハン社員やマルハンに依頼された
ネット工作会社がスレ荒らしをしてスレが機能停止します。
↓↓工作員の荒らしのやり方↓↓
2008/01/10(木)ID:iA54n BU50
■■■■マルハン総合スレッド 9■■■■http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/118702←右左くっけて→1165/783-784
【宮崎県都城市】パチ事情そのAhttp://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/11871←右左くっけて→89246/658-659
【山と川】宮崎県児湯付近PART1【自然イパーイ】http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/118←右左くっけて→8235164/471-472
【基地外が大暴れ4】エスパス日拓総合スレ【18発目】http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/11888←右左くっけて→85488/401-410
2008/01/13(日)ID:1HLcWz UK0
【基地外が大暴れ4】エスパス日拓総合スレ【18発目】http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/118←右左くっけて→8885488/461-462
■■■■マルハン総合スレッド 9■■■■http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1187←右左くっけて→021165/809-810
【香川】パーラーグランドのスレ2【徳島】http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1188←右左くっけて→315438/324
【延岡】宮崎県北情報PART3【日向】http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1196←右左くっけて→865970/186

パチンコ産業は荒らすことでレスとレスの間を空けて読む気をなくさせたり
マネーロンダリング、さくら、ホルコン、遠隔、などの風評被害を最小限に抑えようとしてる。

新スレ→○○○マルハンパチンコタワー渋谷パート10○○○
★★★★★このスレの解説★★★★★を読んでみるとよく判る。
http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/1201←右左くっけて→304777/52-54
ネット工作員については→【電通TBS】ピットクルー(株)【プロ工作員】
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/mass/1189187503/65

182名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 16:02:06 ID:IfpujNz40
>>180
高句麗滅んでからかなり経っているし、渤海に行ったわけでもないからね。
183名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 13:14:30 ID:rNeDd5cb0
天宝年間に限っても、高仙芝は活躍はしているが、
他の武将たちと比べて抜きん出ているというほどでもない気がする。
184名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 13:31:25 ID:WL5aSTKP0
哥舒翰や李光弼もいるしね。
方々で活躍する異国の出身者が多い中、郭子儀はいい重鎮。
185名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/03(水) 14:11:40 ID:Y2le+WVq0
>>183
西域の方を担当していたから、世界史的な位置が高まったって感じかな。
186名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 13:58:51 ID:pGlXHXp10
高仙芝はそのうち、韓国がドラマ化しちゃうんだろうなw
187名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/10(水) 03:32:00 ID:b8nDw8ye0
日本が阿倍仲麻呂やら井真成をドラマ化するようなものだろ。
188名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/01(水) 15:21:35 ID:nq8GBmTM0
白衣白馬の青年として、薛仁貴が書かれてますが、どう思います?
参考文献:『長江落日賦』「長安妖月記」田中芳樹著 祥伝社文庫

スミマセン、ゴメンナサイ。薛仁貴そのものをよくは知らないのです。Wikiで調べたほうが良いですか?
189名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/01(水) 23:51:50 ID:khk3YHR00
>>187
阿倍仲麻呂や井真成はいちおう日本人とはっきり言えるからな

高仙芝は高句麗人という説が正しいとしても、
生まれる前に高句麗自体が滅亡しちゃっているし、
それと高句麗の後裔がそのまま韓国に繋がるかどうかという疑問もあるし

それに阿倍仲麻呂は是非とも大河ドラマにして欲しい
現状の大河ドラマじゃ、スケールがしょぼしょぼになりそうだけど

190名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 15:14:45 ID:WOMj9lk0O
そういや高句麗は確か女真族系列と聞いたが。
191名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/20(月) 21:31:13 ID:0+3l6ntZ0
貞観政要に房玄齢が杜如晦を推挙する話がありますよね?
それが中国武将列伝(守屋洋 著)という本に書いていた
「蕭何が韓信を推挙する話」が上記とよく似ている様に見えました。

これはどちらかが本当で、もう一方が後から似た様な話にしたんでしょうか?(時代的には唐が後ですが…)
それとも、どちらも推挙上手でたまたまやり方が似たか、中国では伝統的な説得法だったのか
あるいは房玄齢が蕭何の手法に学んだか…ちょっと気になります。
192tiger:2008/12/04(木) 01:35:14 ID:rQouLy220
李靖功為第一
193名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/26(木) 15:27:12 ID:RI71j0L30
194名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 08:11:56 ID:2evYk49YO
李元覇に宇文成都って、『隋唐演義』でなくて
『説唐演義』をベースにしてるんだな。
コアっぷりに頭が下がる。
195名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/15(日) 11:55:57 ID:cobTRyJX0
李世民を主人公にした面白い小説ない?
196名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/15(日) 19:13:06 ID:bfmh+5FAO
面白いかどうかは別として小前亮の『李世民』がある。
最近文庫になった。
郡雄の方がウェイトあるかな
197名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/26(日) 18:07:00 ID:ErIUHfzF0
>>196
ありがとー
読んだけど 面白くないわけじゃないんだけど
李靖や魏徴の活躍がなくて寂しかった(WIKIで見知っただけだけどwww
198名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/07(木) 21:43:47.98 ID:aGmpH3du0
小前亮のは李建成を殺す所で終わってしまって残念だった
199名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/08(金) 06:02:34.34 ID:3x4JDKgI0
小前亮はエンターテインメントが足りない。
小説屋として二皮くらいむける必要があるな。
200中山康幸crue:2011/06/15(水) 21:39:56.83 ID:LjbQTM600
201名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/14(木) 16:08:29.40 ID:6AUijb/e0
da
202名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/17(木) 05:57:19.28 ID:uutMCujK0
ウルトラジャンプにて
李建成の娘が主人公の
『長歌行』という漫画がやっていると今更になって知った
今回を読んだ限りだと杜如晦が登場していたし
玄武門の変に言及しているが
主人公の永寧姫(たぶん創作だよな)は
李世民を仇と付け狙っているのだろうか?
203名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/27(火) 15:54:28.42 ID:Swq2IzWg0
長歌行、面白くなりそう
204名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/19(金) 14:32:22.31 ID:vvkr762j0
長歌行はなんか思っていたのと違くて期待外れだった
出だしがアレだから
てっきり李世民への復讐劇を繰り広げてくれるものだとばかり・・・

李世民や初唐の功臣達が出てくる漫画って他にない?
205名無しさん@お腹いっぱい。
西遊妖猿伝