>>945 だからこそ范雎のエピソードが光るんだろうな
>>946 秦王政が統一してなければそのまま分裂した居心地の良い状態が後数百年続いてたかもね
>>947 范レイだろ。范雎なんて私怨のために秦を利用して掻き回した挙句
領土失って逃げたクズだろうに。
>>948 范蠡は全て捨てて斉に逃げてるからなぁ
そこでも成功しちゃうんだけど
文種「ちょっ、おまw」って感じで可哀想に
>>945 引退しても恨みを買ってる限り、過去の罪蒸し返されたり無実の罪着せられて結局殺されるだろう。
范雎は引退して一年で死亡したので昭襄王がまだ健在だったから罪に問われる事はなかった。
立場が危うくなった時に身を守るにはやっぱり亡命するのが一番だったんだろう。
亡命といっても范レイみたいに一から人生やり直すのは極端な話で、
実績名声才覚があれば他国で高位に就ける。
張儀は敵国魏の宰相におさまったし、孟嘗君も魏の宰相に、楽毅は趙で封ぜられた。その他にも亡命して他国で用いられた人物は多い。
商鞅は自らの政策のせいで亡命すら出来なかったが、呉起は亡命しようとすれば出来たんじゃないだろうか。
でも王の死体を傷付けた罪で自らを殺した相手に復讐するのは才覚に溢れた呉起の面目躍如だし、
しかもその法は伍子胥がやらかしたから作られたとか大いにロマンを感じるので
個人的にはよくぞ死んでくれたって感じだけど。
子産は改革者ではあるが、やっぱり鄭公の孫という門閥の出というのが大きいかもね。
あと子皮という頼りになることこの上ない後援者がいたことも。
それでも改革初期には国民の評判が余りにも悪くて、批判を封じましょうと進言した側近に
「民の口をふさぐのは水をふさぐよりも危うい」みたいな返答をして度量を示したことがあったと思う。
>>946 その中で功臣を誅したことが亡国に結び付いたのは李牧くらいだろう。
李斯は自業自得な面もあるし、処刑された時点でもう秦の命数は尽きていた。
呉起が死んでから楚が滅びるまでには百何十年も経ってるし、
商鞅、白起を殺した秦はむしろそれ以降どんどん興隆に向かってる。
呉起は貴族の既得権益を甘く見てたんじゃないかねぇ
兵も準備せずに王の亡骸を利用することで窮地を脱しようとして失敗したわけだし
春申君並に警戒心が足りなかったんじゃないかと
954 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/07(土) 03:01:59.11 ID:3LRz3sDs0
>>948 范雎は私怨で行動したり白起を解任したりと問題を起こしてるけど
外戚を取り除いて王の権力を強めたり、遠交近攻で秦に確固たる戦略を立てたり
長平で趙括を大将にするよう働き掛けたりと秦に有用な策を何度も立ててる
秦にとっては少しのミスに目をつぶってもいいぐらいに多くの利益を生んだ人物だと思う
955 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/07(土) 11:51:55.23 ID:n9hxHBb80
>>946 一番先に思い浮かびそうな伍子胥がなぜいない
>>954 遠交近攻って、白起の代から散々やってて范雎が取り立てて何かしたかって
特にないと思うんだが。魏斉の首取ったくらい?
秦の命数も相手が項籍じゃなければもうちょい上手くやれた筈
趙高いるけど章邯がいる
>>956 夫差も反省してるからOK
滅亡直前に反省して何がOKなのかとw
反省だけなら猿でもできる
夫差を猿と同レベルと言ってるような猿程度の頭しかない奴に言われたくないわw
おまえ批判だけしたくて書き込んだバカだろw
章邯は趙高がアホすぎたせいで、途中で降伏しちゃったのが勿体無い
962 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/08(日) 17:41:19.81 ID:PGNijMXqO
夫差は途中までは良かったのになあ
呉の絶頂期と滅亡両方を経験する君主ってのも珍しい
・・・と思ったけどよく考えたらそういう暴君って結構いるな
越国の名臣で共に戦うことはできても共に治めることはできない
みたいなこと言って去ってったのなんて人だっけ?
964 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/08(日) 18:16:04.13 ID:cSSDph0b0
>>963 ハンレイかな?
戦国名臣列伝によると「患難をともにすることはできても、楽しみをともにすることはできない」だけど。
>>953 確かに呉起は超が付くほどの自信家だし、
何も出来ない貴族なんてと完全になめきっていても不思議じゃないね。
そういうのも含めてもう少しやりようがあったのは間違いない。
966 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/10(火) 23:44:55.82 ID:sWLX+7fk0
孫武のドラマやっているのに興味ないんだ?
正直ドラマの類には興味ないな
去年までは録画してたけど、今年は忙しくて録画し忘れてたわ。
血涙流した時は腹かかえて笑ったわ。
970 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/12(木) 07:35:29.69 ID:2w9aHkQHO
子玉の言うとおり重耳を殺しておけば天下は楚のものだったのに
成王も惜しいことしたな
971 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/13(金) 17:05:02.45 ID:twEcYEGEO
春秋時代で最高の名君を挙げるとなると文公か荘王あたり?
桓公は晩年がアレだし穆公は所詮地方覇者だし
名君を考えるなら他国への影響の度合いは大きく考えない方が良いんじゃない?
自国を平安に治められたんならやっぱり名君だと思うよ。
973 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/14(土) 07:21:15.73 ID:GP/NwdoQ0
史記を読み始めたが、「書」難しい。orz
974 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/15(日) 00:37:26.57 ID:Rx/OO5M90
サンクス
マジ見に行く
976 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/15(日) 14:11:05.81 ID:oTl75e0tO
趙氏孤児の主役といってもいい趙武って表舞台に立つまでは話題になるのに
政治家としてはあまり語られないよね
左氏伝読め。凄い活躍ぶりだぞ。
978 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/16(月) 09:59:02.26 ID:JRWL4ehI0
苗賁皇の渋カッコ良さは異常
鄢陵の戦いぐらいしか戦場に出てないのが逆に印象に残るなあ
宮城谷の小説でも脇役のくせにやたらカッコ良かった
979 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/17(火) 14:28:16.28 ID:nSRdScEP0
>>976-977 正卿が趙武だった期間って確か10年も無いんだっけな(Wiki情報の付け焼刃で申し訳ない)。子産とかと
宴席?にいるシーンでの感想が、一々細かく書き残されてるのを読んだときは何故かニヤニヤ笑いを
抑えきれずに苦労したわw(場所が図書館だったもんだから..)
981 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/17(火) 22:47:53.94 ID:RtmL+wIV0
国語の全訳ってあるんだっけ?
孫武ドラマと書いてあったから調べて
昨日今日と見たが意外と面白いのでは
時代背景もポイントは抑えてある
日本でいうところの何だろう北条の話ってことかな?
tes
985 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/18(水) 15:38:09.77 ID:ROt1tHDc0
986 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/18(水) 20:27:22.39 ID:NhcPAmKOO
夏姫は悪女かそれとも悲劇の女性なのか
例え悪女だったとしても女装してはしゃぐおっさん達に
比べれば可愛いもんだ。
最初読んだとき、「こんな国滅んじまえw」と思った。
988 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/01/18(水) 23:27:19.39 ID:7h2gfO9D0
夏徴舒は「鄭甥」と呼ばれる資格があるんだな。
>>988 ◆O.K.H.I.T. スレ主?
数年間ロムっていたが詳しい人も増えた
次スレに【五覇】【七雄】を付け加えて貰えれば分かりやすい
991 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/01/20(金) 01:06:28.01 ID:460fuHUi0
>>991 スレタイで釣ってるのか? だとしても面白いとは思えないから、改良してくれよ。
993 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/21(土) 00:54:13.45 ID:oPQhQx3p0
五覇かああ?
斉の桓公←は間違いないと思う、晋の文公
楚の荘王←晋を破る、呉の闔閭←楚を破る、越の勾践←呉を破る
994 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/01/21(土) 01:20:36.37 ID:qt33obRF0
ああ、覇者を突き詰めると攘夷の先駆だったな。
斉桓晋文宋襄の次が難しいな。呉や虞は藩屏と言えない家系を掲げていたのだから。
995 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/21(土) 01:57:00.68 ID:oPQhQx3p0
斉桓晋文宋襄
うわあ懐かしい
このように憶えたなw
儒教が夏殷の竜山文化の尭舜崇拝をまんま継承してるから、
攘夷というより王権返せって主張だったのかも