1 :
奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :
まずはここから。
2ゲット♪(*^ヮ^*)キャハ
3 :
奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/10/24(火) 00:32:40 ID:K4Si42Sa0
人物名で挙げろよ。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 15:44:52 ID:nWESiWks0
白起!白起!
伍子しょ最高
完壁
矛盾
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 18:08:13 ID:3CtrnYMK0
宮城谷先生
管仲
完璧な放置プレイかと。
これからは墨子の時代だよ
「墨攻」の映画も作成中
それマジか!?
詳細頼む
晏子。
弱。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 13:21:12 ID:5ZA7Fjqp0
宮城谷しか読んだ事ないのだけど
なんか他にいい作家の人いる?
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 16:53:18 ID:0CnKDMPQ0
わりとこの時代の歴史小説書いている作家多いよ。
要は、史記の範囲だから。
陳舜臣とか?
燕の昭王が好きだな。黄金台の人。
あと楚の荘王とか。
荘王は成王を追い詰めた、暗き影の英雄。
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 10:46:41 ID:26deI4230
呉越戦争
宮城谷昌光はともかく、史記の範囲で書くことが多いね。
訳が一番流通してるからな
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 21:17:22 ID:PjJ7nhhA0
智伯
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 21:19:22 ID:PjJ7nhhA0
間違った知伯だ
どっちでもいいよ。
宮城谷氏の書くものって、なぜか読むのしんどいのだが。
短編は読めるけど、長編を読もうという気にならん。
だったら普通に史記を読む。
>>28 俺は逆だ、長編はいいけど短編は苦手
ただ長編はラスト近くになると補足説明垂れ流し状態で
グダグダに終わるから読後感かなり悪いが
でも途中はすげえ好きなんだよ
最初に買った重耳は面白かった。晏子と楽毅はつまらんかった。
なんかどれも同じ作品を読んでた感じで。
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 22:34:49 ID:6pRvE9TE0
子産と沙中の回廊は面白いよ。
重耳→沙中の回廊→子産→晏子の順で読めばなお良しだ。
>>23 宮城谷昌光氏に限ったことではない。
史記が一番普及しているから。
奇貨舎くべしはどう? ラストとかどう処理してるんだ?
呂不韋の晩年は結構gdgdだった気が…。
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 06:12:35 ID:3h7fYp5k0
ヽ\ /::::::::::::::::::::::::::\
\ \ \ /:::::::::/|/|::::::::::::::::ヽ
\ \ \ /::::::/、 \春/|:::/l::::l ,,,
\ \ \ i::::::* ー‐ '、―|/ .l:::i /3
\ ヽ,, ソ:::/ / \ ー ' ノハノ / /
\ ソゝ、 〉 *'/ (;;;; ;;)
ヽ⌒ヽ \_/__/::i :ヽヾ/・ <マジ馬鹿だろ!
\ i. \ \ヽ/ ; )) ;
\ \ ヽ ヽ ( ;
`ヽ\ \ ノ i ・ ソ
\ \ _.ノ ∫
ヽ ヽ( ; ・・
\ \ ・: バシュッ!!
入 ヽ ;
/ 'ヽ i ・ ,.. - −−−─ヽ,.-─-ヽ
/ "\,,, / ∴∵// / /~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
./ i "''丶,, ノ / i i | ∴ヽ ∀ )
/ `\..,,_,,,..-'' / i (9 皿 (` ´) )
/ ヽノ / ヽ ミ |彡ヽ -□-□-| ←ぷらっと
/ / / ∵ i i ( Y ̄ ̄ ̄ ̄)
/ / / ,,,,..ノ ∵ .i \____/
/ / / / ヽ i i i
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 07:15:31 ID:3h7fYp5k0
張春華様∩(´∀`∩)万歳
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 09:46:57 ID:qcYHtY3f0
いま宮城谷の「管仲」読んでるんだけどおもしれ〜
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 10:29:41 ID:0Ky2fcDF0
もう三国志はおなかいっぱいなんで、宮城谷三国志だけは手付けたくない。
秦風無衣
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 18:12:49 ID:fdLcFvFl0
私も三国志おなかいっぱい。
でもそろそろ春秋戦国もおなかいっぱいになってきた・・・
宮城谷センセー、三国志以降の小説いっぱい書いてほしぃな
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 19:40:34 ID:09ejC/Un0
宮城谷先生は春秋時代を書かせると輝く人ですから。
_r-、 | )´ しばらく美しい映像をご堪能下さい。
}ヽ y' / ヽr‐、_r 、 巛彡彡ミミミミミ彡彡
/ { | } {` 巛巛巛巛巛巛巛彡彡
ヽ-ュ‐`ハ`ー-く、_,r' ノ`ー-、 |::::::: i
j⌒´ ノo。゚o} ヽ 〈 ̄`ヽ /⌒ |:::::::: /' '\ |
ノ / ∞ { ヽ丿 ノ-ヽ }ノ_ノ }|::::: -・=- , (-・=-
`ー} ____ノ i `ー<ノ )`ー > /ハ -‐ァ`| (6 ⌒ ) ・ ・)( ^ヽ
`ー、__ト、ノ| | ト、_r'`ー-< o゚8, o' | | ┃ノヨョヨコョョi.┃ |
_______ | | ヽソ / ヽ゚。、 ヽ | | ┃.ト-r--、| ┃ |
/ ----- ヽ // \ー- ' ___/ }_/' | ヽ ┃ヽニニニソ┃ ノ
´ ̄ ̄ ̄ ̄`// _c‐-、_,-‐ー-、__ ヽ. ┗━━┛ / _,-‐ー-、_,-‐っ_
/ゝ、 _,.--‐ 、ニヽ E≡ ~´⌒\::::. ーーーーイ ゞ ≡∃
`}  ̄r´ ̄//| \ヽl ̄`' ̄~`‐-、__,_ ィ , ヽ , ) _,、__,-‐'~ ̄`' ̄
フ>' / / ! ! ~`;; ^ ー '` ー ' ヽ`~
o( { __,ノ ノ | | l ヽ
。゚く( _ノハ /__,,. | | | ⌒ !
゚o´ //`ー-‐'´ | | ,-――、_ l ,,,@,,, ノ _,――-、
ヾ | | ( ⌒ ヾ、.::;;;;;;::.ノ ⌒ )
\ ヽ ノ /
\ ヽ、 ヽ ;ミシミッ ノ ,ノ. /
\ l`ー‐--―イミ.i i.ミー'`ー‐--―' /
〉 イ `ー∪' 〉 |
/ ::| (_ヽ \、
(。mnノ `ヽ、_nm
斉の両卿
晋の六卿
魯の三桓氏
鄭の七穆
逃げの重耳
糞
なんだ、相手して欲しいのか?
介子推読んでみたけどイマイチだった。
宮城谷昌光ってどうっすか?4〜黄河編
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/books/1160667178/ 156 名前:集計役 [sage] 投稿日:2006/11/07(火) 01:02:25
【1】好きな作品ベスト3
テンプレの
>>2-7を参考に好きな宮城谷作品を3つ挙げてください。
単行本内の作品や現在連載中の作品でもかまいません。
(例)
1.楽毅
2.買われた宰相
3.三国志 (1位3P、2位2P、3位1Pで集計します)
【2】最初に読んだ作品
あなたが最初に読んだ宮城谷作品を挙げてください。
【3】最も好きな登場人物
宮城谷作品に登場する人物の中で最も好きな人物を1人挙げてください。
名前のある人物であれば史実、架空は問いません。
また、その人物の登場する作品(複数の作品に登場する場合は
その中で好きな作品)を併記してください。
諡号はどこのだれであるか識別できるように書いてください。
(例)
斉の桓公(『管仲』)
※集計期間は2週間の予定ですが丸2日投票がない場合は集計を打ち切ります。
投票は1人1回が原則です。
明らかに同一人物によるとみられる連投がされた場合
それら投票をすべて無効とすることがあります。
宮城谷読者は投票よろ
宮城谷以外で、誰か春秋戦国を舞台にして小説書いてないのか?
酒見賢一くらいしか知らね。
安能務
>>47 まともに通して読んだのは「重耳」だけ。ゆえに回答はここで。
うんこ
史記頼みの作家はみんな書いているんじゃないのか
戦国策とかのエピソードを交えながら。
ちんこ
宮城谷作品は刺激が少ない。
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 23:36:33 ID:YBw/bV9U0
管仲浣腸
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 18:24:21 ID:nfHXnykb0
よし、
>>56を簀巻きにして、便所に放置プレーしようぜ。
応侯范雎
宮城谷さん好きだけど、どの作品も主人公が同じパターンなので
連続して読むと食傷気味になる
三国志はパラパラ立ち読みしたけど正史に沿って書いてる感が良かった
演義はもういい
某漫画では女体化とか・・・もう頭おかしい?ってレベルだったし
春秋の安能努さんの解釈は面白かった
特に美女についての講釈とか
確かに春秋時代は人間味溢れる時代だよなあ
いま宮城谷先生が執筆してるのは三国志だけなんでしょうか?
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 13:56:31 ID:OAFq0vorO
この時代の戦争が一番好き。
三軍とか開戦の使者とか旒とか、雰囲気が最高。
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 06:19:28 ID:9Pblq+TIO
春秋で一番の名将は晋の先シン
戦国で一番の名将は白起
先軫は最期何やってんだかって感じだなw
自爆するぐらいなら最初から唾なんか吐くなよと・・
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 15:09:45 ID:9Pblq+TIO
そんなところが先シンらしい
陽処父は本当に捕まえる気で後を追ってただろうか。
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 03:34:23 ID:ET1koveF0
キングダム
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 07:50:47 ID:qBgy6AVvO
春秋左氏伝の士会 名宰相
史記の士会 たった数行しか書かれてない
商君のオチは出来すぎ。
あの部分は創作じゃね?
/⌒\ /⌒\
(( ; 三 ,,))
ヽ ( / ミ マラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラ・・・・・・・・・・
キ .メ ./
乂____ノ -‐、
/ ̄.| | | `‐-------´ /
(──┘ |__| ____ ヽ
`ー─┬┬─ ´ 丶-‐´
.━━┷┷━━
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 15:27:19 ID:Cf3bxMb7O
斉には荘公が二人いたみたいなんだけど、謚号って被ってもいいの?
秦もかぶってる
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 03:46:19 ID:uOjRcuD10
アッー!
三国時代が世間的には人気があるけど俺はこの時代が好きだな。
諸子百家の出現や始皇帝の出現など、面白すぎる。
やっぱり乱世は面白すぎる。漢の時代はつまらない。
確かに。
2大勢力よりは、まさしく群雄割拠してほうが、外交や同盟関係にも
見るところが多いね。主役級の国も多い。
戦国はともかく、春秋並にごちゃごちゃしてるとワケワカランって人も多いぞ
かといって楚漢のような2カ国の対立だとシンプルすぎて面白くない
国3つってのがちょうど良いらしい
実際俺も春秋なんかは何がなんだか_| ̄|○
国が現代日本の市みたいなもんだから。
春秋はでもいいよ、他の時代と違って他国が必ずしも滅ぼす対象じゃないから
諸侯が会盟したりするエピソードはいいもんだ
秦の統一王朝が当初は例外だったのかもね
春秋の大国晋とか斉は秦と違ってある意味ぬるいよね
晋の献公は他国を滅ぼしてる。ある意味先駆者かも。
春秋時代に他国を滅ぼした例は他にもあるし
献公が特異なのはこの時代には珍しく同姓の国を滅ぼしまくってること
なんじゃないかと
言葉足らずすまん。
覇者は分けるべきかな。
統一より、覇者になることが目標だった諸侯だからこそ、外交や同盟に複雑な
面白味があるな。
とはいっても斉の桓公と晋の文公以外は覇者候補だらけで
楚の荘王は認めてほしいなあ。
秦の穆公も認めてもらいたいですね。
穆公は僭主とかフィクサーとか。
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 23:11:24 ID:xRShaxxAO
穆公は地方覇者って感じがするな
楚漢の対立ってつまらないのか?俺は好きだけどな。
春秋のような列国の競い合いも、戦国のようなトーナメント戦も、三国も面白い。
宋の襄公のことも忘れないであげて下さい
といっても他の覇者候補と比べると
こいつが覇者?と言われると微妙すぎる
俺は、楚漢の対立はどちらにも正義がなく小悪党みたいな人物がほとんど、というのが嫌いな理由。
それはどんな時代でも同じでは?
ただ、群雄の中に紛れているのと、2カ国で戦うのでは注目度が違って、悪いこ
とも、凄く目についちゃう。
人殺しやって、国を大きくするのに悪党はご法度だと思うよ。
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 01:00:24 ID:PRZ5XQwNO
俺個人としては鄭の荘公、楚の成王、晋の悼公も覇者候補だな
>>95 なかなか玄人受けする意見だけど五覇って
一般的には斉の桓公、晋の文公、
+楚の荘王,呉王闔閭,越王句践、宋の襄公、秦の穆公、呉王夫差
この中の誰かな?
「孟子」と「荀子」の二通りの五覇が一般的でしょ。
覇者の条件として、尊王攘夷と会盟の主催は必須じゃない?
そのせいで呉王・夫差が第二候補としては最有力だね
ただ宋の襄公も推してあげたい
諸侯会同は催しているし、桓公歿後の斉の扮装も収めてるし、
なにより宋襄の仁を春秋公羊伝では絶賛されてるところも認めてあげたい
非常に人間のできた人でもあるし
建前でオレが択ぶならこうなるかな。
斉桓・晋文・楚荘・宋襄・秦穆
五覇じゃなくて三覇でいいんじゃね?w
三覇五鎮とでも言えばいい感じではあるね。
>>101 それもいいけど春秋に関しては呉楚や秦は域外扱いでも個人的にはいい感じがするなあ。
うん。地方の覇者を「鎮」という字にあてはめたつもり。
>>103 ああ、そう意味かあ。納得。
最初に五覇を設定したのは孔子だっけ?
罪なことするなあw
五行に当てはめるのに無理があるのは春秋の筆法。
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 23:06:58 ID:Rc/klTjX0
実は春秋時代は日本に中世に一番似ている。
春秋五覇は日本の戦国三雄に匹敵する・・・・か?
実は覇者では越が好きだったりする。
夫差の話題は終わってしまったか…、乗り遅れてしまった残念。
また機会つくってね。
荀子=斉の桓公、晋の文公、楚の荘王、呉王闔閭、越王句践
孟子=斉の桓公、晋の文公、楚の荘王、宋の襄公、秦の穆公
夫差をはじめてあげた人は誰なのかな?
『漢書』には夫差が入ってるみたい
「夫差」が全部脳内でミ゚Д゚ミに変換されるんですが
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 19:53:38 ID:IxPg1CroO
夫差は伍子ショを自殺に追い込んだ憎き男なんだが、なぜか憎みきれないやつなんだよな最後に反省してるからだろうか?
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 21:22:18 ID:O60LP9W4O
夫差は勾践に情けをかけるわけだけど、政治的に失策であっても、悪人には思われないからじゃないかな。
しかし、家族を殺され復讐に燃え、且つ呉の忠臣であり国を作った中心であった
伍員の生きざまと、献策には、あまり非の打ち所が少ないからね。
夫差に、勾践を殺しておかねば必ず痛い目に遇うと、何度も言い続けたが、逆に
それが仇になり、伍員は夫差に殺され、一方、夫差を殺した勾践は、夫差の悲願
でもあった覇者になるわけでしょ。伍員ファンは多そうだし、嫌うかも…。
なんか項籍と劉邦の縮図に重なるんだよね。范増ファンは少ないけどね。
以前に学校の世界史で斉の桓公、晋の文公以外の春秋の五覇を二人挙げよという問題が出たんだが
5人が人や資料によってまちまちなのにどう答えれば良かったんだろうか?
どう答えても誤字がなければ正解にする気だったのだろうか、激しく気になる。
ちなみに俺は夫差と勾践と答えようとして「勾践」と漢字で書けず×だったがなw。
>>115 現在の学生であれば世界史は必修じゃなかったのにねw
あと数年遅く生まれていれば…
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 22:57:23 ID:O60LP9W4O
>>115 手元の『新 世界史B』(数研出版)だと斉桓公・晋文公・楚荘王・呉王夫差・越王勾践になってる。
大辞泉を引くと孟子と荀子の2パターンが載ってるので、どれが一般的か微妙だね。
まぁ、参考書の人選だと春秋時代のトピックを、順を追いながら説明しやすいかな。
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 23:00:05 ID:QsoZ9UCu0
? ?.
?? ??
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?????????????????
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?????????????????
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これを見ると今年の受験に落ちます。
これを今から1時間以内に3回他スレにコピペすれば100%、受かります。
貼らないと
落 ち ま す
キリがないのでアレなんだが、覇者の条件ってのがあると思うんだ。
>>119 単なるイメージだが、信長は覇者だが信玄や謙信は違う。
こんな感じ?
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 23:35:42 ID:QM+P3AR00
1.斉の羌→田
2.晋の滅亡
3.越の滅亡
4.周の滅亡
このあたりを描いた小説ってない?
1,2は実質的に変わった頃の小説はあるけど、完全に変わった時のがなくて
>>119 ちょっと自信が無いけど、周の近くに領土があり、同盟国を守れるだけの軍事力
を保有する国とか読んだ記憶がある…、でも別の称号だったかも…
尊王が根底になければならない、と言ったのは陳舜臣だったかな。
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 00:25:49 ID:sNaTsyfRO
五覇という言葉にこだわらずに覇者を挙げてみると、斉桓公、晋文公の二人で終わってしまう
無理に五人挙げようとするから半端者を候補にしなきゃならなくなる
せいぜい番外的に中原から遠い西の覇者として秦穆公、南の覇者として楚荘王を認めるくらい
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 23:34:18 ID:lBBoNMbNO
へぇー、俺さ春秋戦国って白根けど、なんか孫文に似てるよね
お返しage(お礼込み)
越や呉の王様はなぜ名前表記なんですか?
文公や荘王ような諡号?をつける風習がなかったんですかね
>>126 呉王闔閭は自分で名乗った王号だったはず。本名は光だし。
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 01:16:07 ID:J+mHfZh1O
>>126 呉と越の歴代の名前をみたけど、諡法に則った諡号は見当たらんかった。
夷狄扱いされてた秦や楚はちゃんとあるのにね。
呉や越では祭祀儀礼を扱う制度が未整備のまま滅びちゃったのかな。
おいらごときには手に余る謎ですね。
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 03:14:45 ID:YMMrq7tC0
呉越の復習合戦は、理解を超えるな
人間がゴミのようだ
まぁ、蛮夷だからって「王」を名乗ってる時点で楚は尊王に反するし、おまけに「鼎の軽重を問う」てるから完全にアウトだね。
中国は周が神話の時代から登場していれば
天皇みたいに廃されず残り続けたのだろうか
神話の時代にあった夏は滅ぼされたし、周が夏の時代にあった
としても同じだろうよ。
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/04(月) 00:38:19 ID:fz3TrSHOO
禅譲神話があると、遅かれ早かれ王莽や曹操・曹丕親子のような実質的簒奪が行われたんじゃない。
まぁ、前提として禅譲を理想とする思想が生まれ広く定着する必要があるだろうけどね。
歴史的に儒教がその役割を担ったわけだね。
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 22:33:27 ID:wH26d80gO
西周末東周初ってあまり語られることってないね
やっぱ資料が少ないからかな
ローマ建国より昔だものね…
記録があっても読めないかもね。
/⌒\ /⌒\
(( ; 三 ,,))
ヽ ( / ミ マラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラ・・・・・・・・・・
キ .メ ./
乂____ノ -‐、
/ ̄.| | | `‐-------´ /
(──┘ |__| ____ ヽ
`ー─┬┬─ ´ 丶-‐´
.━━┷┷━━
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 22:38:00 ID:rZrj24N/O
しかし春秋戦国時代のように各地に独立国をつくる国家経営と、始皇帝のように
一国のみで国家を経営するやり方はどちらのほうが平和なんでしょうね?
広すぎる土地と都市国家の時代だからねえ。
オレは後者だと思う。昔も今も。
民主主義はまだその時代はないと思いますが考慮しました?
民主主義なんてのは頭になかったね。
原始共和主義に支配者が乗っかってるだけのイメージで。
そこなんですよ私が考えてしまうのも。
尭、瞬のようなトッブならば問題ないでしょうがエイ政のようなファシストであれば最悪かと。
或いは地方分権的な国家態勢であるほうが民意は反映するのではないでしょうか?
民意の反映ってのが必要かどうか分からんけどね。
周代の中原全体を平和に治めたいのなら、郡県制並みの行政区分で充分だと思う。
そうですね、私は結果を知っているから言えるんですよね。
いや秦は一国に権力を集中したため反乱の鎮圧が遅れて滅んだのでそのことばかり考えていたが、
確かに史上初の農民の革命軍ができるのはまだまだ先ですからね。
周は楚を異民族として除外すれば、擬似親藩と譜代で構成されてるから。
戦国期は単位が大きくなって士大夫が官僚化していっただけ。
庶民の勢力と支配者が分離するほど成熟してないか、
それほど人口・社会が発達してないかのどちらかなんだろうね。
まあ周自体が最初は西方の異民族でしょ。
つまりは後進地帯から来た征服者ゆえに、そんなに集権的な統治は無理。
一門・功臣を各地へ封建する以外の有効なやり方ってなかなかないよ。
周の場合、一族功臣を各地に封じて中央に権力が集中してないからね。
鄭の成立なんかがその際たる例。
なんかいまいちピントがずれた話をしてる感じ。
周の時代はそれほど版図が広いわけでもなく統治技術もまだあまり発展していなかった。
だが時代が下るにつれ版図も広がり、統治技術も発展してきた。
その結果として秦の統一があった。
それだけの事じゃない?
統治技術という言葉があるなら、それはまだ始まったばかりだったんだろね。
>>150 商を倒した時点でも、統一という概念はなかったんじゃないかな?
あっこの土地が余ってるからお前は向こうへ行けや。ただし、オレのことは兄貴分として立てるのは忘れるなよ。
ってな感じ。
しかし季斯が献策できていたということは研究はかなり進んでいたのでは?
>>151 うん。だから擬似一族という言葉を使った。
召公をはじめ文王の庶子として記される諸侯は、たぶんほとんど異民族。
>>152 それはある程度官僚制が成熟した時期の話だし。
>>153 そりゃそうだね。殷周の話をしてるレスを見てなかった…。
>>153 だろうね。
結局、周は天下の主という事実も自覚もなく、精々盟主であるという程度の概念しかなくそれ以上の事は想定の埒外だったのだろうね。
しかしこの時代は各国の太子や公子がやけに優秀な時代だよね…。
後継ぎの教育にかけては後年よりもスパルタだったのだろうか?
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 22:31:13 ID:YrC1ZOPZO
しかし優秀な公子にかぎって君主になることは少ない気がしないでもない
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 22:33:38 ID:BIdG0ngN0
講談ネタとは?
ごめん。講談ネタというのの意味を知っていたら教えてもらえまいか?
いや、意味解りかねてるのオレも。
やはり…
ところで孟嘗君(字が違うかも…)の話は水滸伝と関係はないのかな?
なんか宋江っぽくないですか?
本人が無芸なところとか?
上に立つものは徳さえあればいいのは中原ならではの上司像かも。
人徳もあるけど食客の面々もね。
通行証偽造の達人とか盗みの達人とかああいう無頼漢でも一芸あれば雇うし、
援軍に行く際に彼らは率先してついてきたらしいから聡明な人だけでなく、そ
ういう荒くれ者からも尊敬され愛されてる点。
捏造ということでは?>講談ネタ
なるほど。捏造ねW
えっ捏造なの?
梁山泊は職能集団と国家機能が同居してるからなあ。
それゆえのファンタジーだし、エピソードを練りこんだつーことで。
捏造と言うといいすぎかもしれないが、歴史的事実ではなく伝説とかそういう類のものということではないか?
言われてみれば、たしかに鶏鳴はまだしも狗盗については徳のある人
ということを踏まえれば少し矛盾があるな…。
まさに梁上の君子。
信陵君のお手紙は本当だよね?
晩年はちょっとがっかりだけど4公子の中では実は一番好きな公子なんだ。
ん、ごっちゃになってるな。
春申君か…。そういや4公子スレないな立てたら需要はあるだろうか?
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 23:38:31 ID:YrC1ZOPZO
孟嘗君は決して無芸ではないよ
戦国策を読むとわかるが外交官として優秀だ
将軍としても秦軍を破ってるしね
もちろん。他国の宰相だったりもするから無能ではない。
ただ孟嘗君は侠の要素が強くて、そこに求められるイメージを背負わされてる感じで。
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 23:47:59 ID:BIdG0ngN0
ヘロドトスも講談師だったという説も有力
小説家としては司馬遷より上のような気がする。
「殿!いけませんぞ、女というものは衣服とともに恥を脱ぎ捨てるものです」
というジジイの台詞が好きだ。
>>174 四公子は好きだが需要は正直微妙だなw
春申君は手紙のエピソードも素晴らしいが
楚を復興させた政治手腕が一番の持ち味だと思う
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 00:04:18 ID:wT6Gv2/zO
この頃の公子の知名度は、本人の名声と王の子という
名声ではどちらによる知名度が高かったんだろうか?
春申君の例もあるから、王子だからというだけではないだろうね。
逆に言えばそういう特殊な人だから春申君が好きでもある。他だれかいる?
戦国策の安陵君は結構お気に入り。
名前くらいしか知らない。どこの子?
/⌒\ /⌒\
(( ; 三 ,,))
ヽ ( / ミ マラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラ・・・・・・・・・・
キ .メ ./
乂____ノ -‐、
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(──┘ |__| ____ ヽ
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あばばばばばば うほほほほ
∩___∩
∩___∩ | ノ ○─○ヽ_∩__∩ あばばっあびゃばびゃばば
| ノ ヽ/⌒) / /3 3 | ヽ
/⌒) (゚) (゚) | .| | ( _●_) |o⌒ ⌒o|
/ / ( _●_) ミ/∩―−、 |∪| /⌒(_●_)⌒ ミ
.( ヽ |∪| / / (゚) 、_ `ヽ ヽノ | |∪| /
\ ヽノ / / ( ● (゚) |つ ∩. ヽノ∩
/ / | /(入__ノ ミ | ノ⌒ ⌒ヽ
| _つ / 、 (_/ ノ / (。)(゚)|
| /UJ\ \ \___ ノ゙ ─ー| (⌒_●⌒)ミ
| / ) ) \ _彡、/ |U UU_/
∪ ( \ \ \ | | ||
\_) あびゃばばばだーん . .| |nn _nn|| ぐへへへへへへ
\___)
186 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 03:09:51 ID:nIebNJY1O
戦国後期には〇〇君ってのがあちこちで見られるようになるね。
だいたい王子とか功臣がなってるみたい。
廉頗もちゃっかり信平君になってるし。
こうゆう場合の君号ってどうゆう意味なんだろ。
平原君は四公子の器じゃないね
まだ平陽君の方がマシ
竜○君・・・
>>187 でもなんだか憎めないタイプだよな
失敗したらすぐ反省するし
逆恨みしないのは意外に難しい
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 19:16:28 ID:E/30tr21O
楽毅が望諸君
田単が安平君
白起が武安君
商君、というのはそのへんと意味的には違うの?
商鞅は商の地に実際封じられてるけど、もっと後の時代だと封地とは関係無く、功績を讃える称号っぽくなってる感じがするね。
薛の孟嘗君は諡号みたいだし。
194 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 00:02:26 ID:azvjKTOkO
今日の世界ふしぎ発見で呉越の話が少し出てたね
勾践好きの俺にとっちゃ結構嬉しかったな。
酒垂れ流しの絵の資料は見たことなかったから。
うわ〜見逃したあ〜
NHK見てたよ・・・
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 23:44:27 ID:v1qdtGQGO
勾践と夫差の故事、臥薪嘗胆は本当なんだろうか。
薪の上で寝たり馬(?)の胆舐めてる王からは臣は離れていくと思う…。
この頃できた故事って結構怪しいの多くない?
嘗胆は史記にもあるが、臥薪はそうじゃない(別の史書にはあるけど)
苦痛をいとわない主に優秀な人が集まるのは普通だと思うが、何かおかしいか?
ほす
薪の痛み、胆の苦味で、あの屈辱は忘れない・・・って意味じゃないの?
胆はクマの胆と聞いたが。
史記には門を通るたびに門番に「お前は会稽の恥を忘れたか」と罵らせたとあるけどさ
門番の方もドキドキもんだよな
なんか殊更キゲンが悪いときとかに言ったら平気で斬首とかにされそう
挨拶の枕詞があれば門番でも言える。
奴隷を担当にしたなら毎日斬り放題。
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 16:07:57 ID:B7aaxmcoO
そういえば勾銭死後の越っていつのまに覇権を失ったんだ?
204 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 16:34:08 ID:7Mif8eT/O
斉の桓公ってひょっとしてあんまりお利口じゃない?
なんか菅仲死んだ後は不様で惨めで愚かにしか見えないんだけど
何かすばらしい逸話無い?
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 17:13:32 ID:09cmozbWO
>>203 勾践のあとは名君も名臣もなく、鳴かず飛ばずで楚に滅ぼされたみたい。
>>203 斉の桓公は、管仲が生きてる間は国政を任せきったのが最大の功績なんじゃない。
管仲を登用したのも鮑叔牙の強い推挙があってのことで、あまり人を見る目は無かったんでしょう。
斉桓公=劉禅説浮上!
クマの肝ってw
復讐果たす前に虫に当たって死にそうだな。
>>203>>205 いくら素晴らしい臣下がいても君主がアフォならジ・エンド。
管仲・鮑叔と同時に他にも色々有能なのがいたらしいし
そいつらを使いこなして覇者になった桓公はやっぱり
ただ者じゃないと思うぞ。
管仲死んで天狗になったのが運の尽きだったがな。
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 23:08:21 ID:KViIa30iO
故事に関してはそんな行動を果たして家臣が許すだろうかということね。
奇妙な行動や間違った方針を正そうとしない家臣は如何に有能であってもやはり
ダメな家臣だと思う。君主に好かれて自らの立身出世を謀る侫臣ではないだろうか…。
桓公でいうなら正卿だった国氏・高氏は佞臣になってしまうのだろうか。
私の中では…。
あれ引いちゃったかな…。私も桓公、菅仲好きなんだけどね。
桓公や菅仲目線でなく公平に、公子争いという場に内応という手を使いあまつさ
えその後重用されたという目線から見た判断からね黒いものを少し感じるのです。
いや別に引かないよ。両卿は周王室に認められて卿になっているんだから。
斉の国を守れるなら、君主は誰でも良かったのかもね。
つーか「菅」仲ってw
管直人みたいなもんだ。2ちゃんで誤字を気にしなさんな。
いや反省して今後は夷吾と書くようにします…。
それでは晋の恵公になってしまう。
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 23:35:38 ID:VtmQQZUoO
では鮑叔のマブで…。
そういえばまだ相如や廉パの話題が出ていないな。人気ないのだろうか…。
世に問うてみましょう。
ロッキード事件あげ
おっぱい
頸を刎ねい
あまり盛り上がっていない
れんぱってMなんですか?
自分を鞭で叩いてって言うし。
上半身裸だったらしい
そして二人は契り、交わるんですね。
この流れは・・・
管仲に子孫はいなかったの?
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 01:02:10 ID:iaRkPrUe0
しこーしってだれだっけ?
しゅんしんくん、もうしょうくん、あとふたり
へいげんくんとしんりょうくんだろ
さんくす。
おれがすきなのはしんりょうくんだった。
おれがよんだのは横山光輝の史記だけなんだけど、あれってなんか基にしてる活字媒体の本はあるの?
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 02:33:20 ID:s6076A60O
司馬遷の史記
おっぱい いっぱい
/⌒\ /⌒\
(( ; 三 ,,))
ヽ ( / ミ マラリラ
キ .メ ./
乂 ノ
マラリラ ( ・∀・ノ <どけいどけい!チンボーソーゾクのお通りでい!
⊂/\__〕 ヽ
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/ //7ゝ〇 ノ\
(_///⌒ )ノ/___)
/// ///ノ
|/ /// マラマラマラマラマラマラマラマラ・・・・・・・・・・・・・・・
/ //
ヽ_ノ
桓公がボンクラ?
名臣の意見を聞き続け、亡国の憂き目にあった国を助け、覇権を確かなものにし、流浪の公子だった重耳を礼遇した、あの桓公が?
管仲死後だけでボンクラ扱いは可哀相すぎないか?
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 22:08:13 ID:s6076A60O
斉の威王はなんかあまり語られること少ないよな
孫ピンや多くの学者たちを抱え
わたしの宝は家臣たちだとまで言い切ったエピソードの多い名君なのに
234 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 23:51:34 ID:3TnlxDLSO
逆に家臣が個性豊かすぎてツマ程度にしか語られていないのでは?
桓公は確かに名君だと思うけど、アホなところもあったのは確かじゃない?
後宮で被髪して車乗り回したりとかしてなかった?
236 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 13:32:54 ID:2QpHTabUO
桓公は封禅の儀式を行おうとして管仲に止められた暴走野郎です
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 13:33:42 ID:2QpHTabUO
桓公は封禅の儀式を行おうとして管仲に止められた暴走野郎です
頭はいいけどアホってやつだなw
名君だけど、決して優等生ではない
そういうところが俺は好きだ
だから王者ではなく、覇者なんでしょ
人の意見を素直に聞くというのは難しいことなのかも知れないね。
ましてや地位が上だとね…。学問や鍛練ではなかなか養えない。
その辺の人格はやはり抜群の才と言ってもいいのかもね。
そうですね。
周の壤王(字が違うかも)からは臣家の礼を無用とされたこともあったとか…。
力でそれをもぎ取った曹操を考えるとまさしく立派な人格だったことが伺える。
ただ私的には晋の文王、重耳のほうが人格的に優れていたのではと思う。
覇者って日本の征夷大将軍みたいなもんだと思ってたんだけど…。
周王室の権威があってこそ初めて、みたいな。
弟が死んだ後の秀吉みたいなもんか。>管仲死後の桓公
/⌒\ /⌒\
(( ; 三 ,,))
ヽ ( / ミ マラリラ
キ .メ ./
乂 ノ
マラリラ ( ・∀・ノ <どけいどけい!チンボーソーゾクのお通りでい!
⊂/\__〕 ヽ
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斉は周王朝の権威を利用せず、周の代役という覇権を確立
晋は周王朝の権威を利用し、また楚から諸侯を救うという覇権を確立
楚は周王朝と対立し、力で持って諸侯を取りまとめるという覇権を確立
覇者といっても、いろいろありますねぇ〜。
鄭の姫友はどうよ?
手相の文字っていい加減なもんだよねえ。
いや、命名のことじゃなくて、覇者としてもいいんジャマイカ?ということ
鄭の桓公を覇者というのは無理がありすぎるでしょ。王弟なだけだもん。
犬戎やっつけたり、王朝の運営を支えたという意味ではおkだと思う。
だけど、会盟してないからやっぱ苦しいかね。
ただ会盟するくらいなら、簒奪するか
王家を護ったから半覇者ではあるわけだ。
簒奪はその気があればできただろうね。
253 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 22:37:49 ID:+QOhmVIoO
鄭の桓公はなんか諸侯っつうより周の臣下って感じがするな
カクや劉みたいなものかな。
255 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/19(火) 23:24:54 ID:T7MilRZFO
士会は晋最高の宰相と評されたのって何の資料だっけ?
しゅんじゅーさしでんだとおもいます
移転
移転といえば鄭の大引越し
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 22:32:25 ID:cfGYQhh8O
南燕っていつ滅んだんだ
259 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 23:43:39 ID:eP1VTfQG0
鄭の引越しはいろいろと意味が深いですね。
鄭壮公は小覇とよばれて、春秋時代の覇権というものの先駆けとなっていますし。
それにしてもおもしろいのは鄭壮公の祖父が周王朝を救った英雄で、父は周を支えつづけてきた忠臣であること。
春秋に食傷気味の方には北方謙三の楊家将などオススメですが。
食傷気味とか意味不明だし、ここで北方を薦める意味もわからない
__( ・´ー・`)
,. ' ´ ̄ \
/ r-r‐、 ヽ
/ (ヽ \ `y(\ ` ヽ、 ,`ー―- 、 あわびちゃんまいっちんぐー!
| f\\\ヽ ヽ:::::::..... \ ヽ、
| \ 'ー( }(ー;;)、:::. ヽ ::::`....-、
| |\ ' ノ::::`´::::::: ', ::::::r'
| | / ´ |::::::::::: | ` :::::!
| ,. -―‐' | 人 Y
| / i / ヽ、 /
| / ,'__,. '" `ト-'"
', / |
ヽ / ,'
\ / /
>――'´ fト、 {
南燕は気がついたころには滅んでいた
というのは冗談で、なんとなく穆王の頃な気がする
根拠もソースもないが。
ちなみにいつっていうのは春秋、史記とかに記載されていないんジャマイカ?
竹書記年はどうなんでせうかね。あれになら書いてあるかもな。
竹書紀年ですた
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 02:54:44 ID:Ge3RmHKb0
晋の名宰相といえば先シン、先処居、趙盾、ゲキ欠、士会、韓蕨、趙武
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 03:53:27 ID:vvnxj8r9O
楚の名宰相は子文、孫叔ゴウ、子西、呉起、春申君ぐらいか
このころ宰相なんていないでそ
>>264 ちょっと小説に毒されてる
先且居や郤ケツが挙がっていながら韓起や魏舒が外れている
士会は宰相であった期間も事績も乏しすぎるし、趙武は左氏伝などをみると
そこまで名宰相といえるか疑問な点も多い
趙武は立派な人でしょ。
周りの意見をきいて正しい政治を導く。これが宰相の職務だし。
楚との和平は宋の功績でもあるけど、順番を争わなかったのは立派な功績
屈原(この字?)ってどうよ
趙武は政治だの能力などは二の次。
血統は最高なのに生まれてから世に出るまでがドラマありすぎで。
まあ名宰相!って訳でもないけど悪くもない
いい為政者ではあったわな
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 01:30:45 ID:UONp6+/NO
趙武はミスが少しあるが平公を補佐し大過なく晋を治めた名宰相だと思う
むしろ課題評価されてるのは叔向だろう
平公は浪費が多かったり礼儀をとらなかったりと覇者にふさわしくない行動をちょくちょくとっていたが趙武と叔向二人でうまく抑えてた
しかし趙武が死ぬと完全に平公は暴走し叔向一人じゃ制御できなくなってしまった
卿に数えられない叔向には重すぎる期待かと
274 :
名無しさん@お腹いっぱい :2006/12/25(月) 23:46:25 ID:/WEL7hch0
趙武亡き後は、彼と仲が良かった後任の韓起が叔向と共に、平公をどうにか制御してたのでは?
275 :
仕事中:2006/12/26(火) 12:27:14 ID:Jo/Q3NdFO
韓起は庶子を公族大夫にしたり封地を固めたりと、結構なやり手でもある。
小型にした趙盾といったところ
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 14:47:46 ID:aPmw4YumO
ちょっと聞きたいんだけど、この時代の「氏」と「姓」の違いって何?
うまく説明できん。
【始皇帝】
姓―? 氏―秦 名―政
【平原君】
姓―? 氏―趙 名―勝
・上記から2人の先祖は同じということがわかる
【商鞅】
姓―姫 氏―公孫 名―鞅
・上記から元々は姫姓の国の君主の孫がある時分家独立したかもしれないことがわかる。
あとはエロい人が教えてくれる。
エイの表示が上手くいかんかった。
姓は血、氏は土地or出自?っていうことになるのかならんのか、さてはてふむー
桓公については、班固が漢書で「中人」に分類してるね。
いい人間が補佐すれば名君となるが、悪い人間が補佐すると暗君になる、
という意味で「中人」としたらしいけど。
しかし宋の襄公、左氏伝とか読むと単純な善人ではないんだね。
騙し討ちとかやってるし(これで襄公に同情できなくなった)。
なんで「宋襄の仁」なんてやらかしたんだろう。
281 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 22:53:09 ID:rPzlQA5S0
鄭壮公との名コンビ、祭足が好きだよ。
安能務の春秋戦国氏は宮城谷昌光と比べて読みにくいが、
祭足のエピソードは大好きだよ。
逆に宮城谷作品は管仲が大好きだ。
春秋戦国時代の歴史ゲー出ないかなぁ・・・。
シミュは無理だよな・・・
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 03:15:32 ID:cp/W/EgeO
RPGでなんかなかったっけ?
『魔法の無い世界』、と謳って置きながら、
『気功』の名目で魔法攻撃してましたね。
天地人パズルとかあるやつ
なんすかそれ
>281
昔、TGLっていう会社が出してたような
史記英雄伝
288 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 21:53:48 ID:soNVOABb0
なぜか学校の世界史で、秦が天下統一を決定付けた「長平の戦い」の話をしていて、
「捕虜になった40万人が故郷に返したり、収容所に入れてもまた襲ってくるから
ほぼ全員を”こうさつ”したんです。」言って、40万人の首を吊っるのって残酷ですね。
と女子生徒が言うと先生は「それは”絞殺”じゃなくて”坑殺”です。つまり穴に
入れて生き埋めにしたんです。」と言ったとたん教室の空気が凍った。
そういえば湾岸戦争でもアメリカの機甲師団がドーザー付きの戦車で
イラク軍の塹壕を埋めて前進したらしいし・・・
実際は何人埋められたんだろうな。
安能氏によると「戦功の水増し請求」の結果と思われる
ことになっている...そのときの趙兵の全数が
40万人とされているので、多くともその半分、実際は
趙兵の全数40万人も疑わしいので1〜2万人くらいじゃない?
晋の時代でも三軍で3〜5万人いたみたいだし、戦国後期の趙なら長平に10万くらいは兵がいたんじゃないかな?
歴史を語る上で兵数ほど誇張されるものはないよ
村や里の戸籍を把握できない時代に万単位の軍を編成できるわけがない。
春秋斉は80余りの城を治めていたというが、これも村落を城と言い換えているだけ。
すべてに城郭や城壁があったわけではない。
80村落の平均人口が500人くらいとして人口4万人。
これを男女比9:11として男が18000人。什伍の制でもって動員兵力は3600人。
妄想部分が多いのは申し訳ないが、春秋第四の大国でこの程度。
六軍を擁する晋や楚でも斉に倍する動員力はないはず。6000人くらいだろう。
趙の時代には春秋期より国土を掌握しているだろう。
しかし何故40万人なのか。4にする必然性は何だろうか。
以上から長平の坑埋めは4000人くらいが妥当ではないだろうか。
規模の大きな数字をみると疑ってかかるのはわかるが、
>>292はあまりにも酷い
俺も酷いとは思う。
しかし誇張した数字を鵜呑みにするのはもっと愚かだろう。
なんで自分の意見に自分で批判してんだこいつは
斉が3600か。
晋6000、楚6000、秦4800、魯2400、鄭1600、燕2000
これくらいならバランス取れそうやの。
様々な史料との整合性や、史料からだけでは伺えない微細な社会背景や制度、
後世に出土したモノなどから得られる情報、こういったモノから極めて妥当と
いえる考察をしていかんといけないわけだが、それらを全く顧慮せず安易に
「中国の史料は眉唾だから数字は一桁削ればおk」
といった感覚で戦国時代の兵力や人口を否定している奴も存在する
こういった奴の中にはまともに史料すら読んでもいなければ、ただ賢しらぶって
斜に構えたモノの見方しかしてない奴も多い
「疑ってみてかかる俺ってカッコイイだろ?」的な奴も存在するくらいだしね
まあまあ。そう言わないで疑ってかかってみようよ。
せっかく初めての疑問と話題なんだから。
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 23:13:27 ID:mkNFizER0
長平の戦いは趙軍が30万+上党郡から逃げてきた軍民(女子供も入っている?)
15万の計45万。
秦が統一したころの中国の総人口は2000万くらいで、王翦とのやりとりで
秦軍は総兵力が60万+α、15歳以上を全員長平に送ったという話があるので
大体成人男性の1/3前後は動員しているので、秦の総人口は300〜400万程度
それから考えると、趙軍45万(実質30万)はありえない数字でもない・・・
中国の大学とかが長平の古戦場を掘ってみればいいのに。
骨がざくざく出てくるかもね。
総人口300万として
>>292フィルターに掛けてみる。
3000000×0.45÷5=270000
とりあえず27万までは減らしてみた。
>>299 マジで出てきたらしいって話を聞いたぞ
想像したらこええ
棺桶に入ってたならわかるが2200年もよく原型を保ってたな
一度焼かれたのだろうか
むしろ誇張であって欲しいようなそうでないような。
4000でも相当なのに、40万も人骨が出てこりゃトラウマになるわ。
>>304 中国の戸籍人口の記録については、前漢末、平帝時代(元始2年=A.D.2)のが最古の記録で、
「人口59,594,978人、戸数12,233,062戸」という数字だそうだ。
この数字がどこまで信憑性があるのか、業界の人間じゃないのでよく知らないが、
これを前提とするなら、戦国時代の秦・楚で各100万強、
それに次ぐ斉・超でも各100万弱の動員兵力があったとしても、
それほど誇張とはいえないと思うんだよねぇ。
ちなみに戦国当時、概ね一戸=5人のうち、2人が「卒」ということなので、
逆算していくと、秦・楚・斉・超で戸籍人口計1000万、
残りの三国(韓・魏・燕)とその他の小国併せても、
全部で2000万に届くか?ってぐらいの数字に納まる。
老若男女が考慮されてないかと。
307 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 23:27:55 ID:84hwU/Wz0
ところで坑殺というけれども、栄養失調の趙兵に掘らせるのは無理っぽいし、
いくら秦兵でも40万人分のでかい穴掘るのもくたびれそう。そのうち噂が噂を
呼んで、「俺達埋められる・・」反乱とかおきそうだけれどもどうやって
40万人分の穴を掘ったんだろうか?穴を掘ったにしろ埋めるのも一苦労。
帰国がゆるされた趙の少年兵240名はその後過酷な運命が待ち受けていたと想像。
湾岸戦争でイラク兵(趙軍)も戦車にドーザーの刃をつけたエイブラムズ戦車(秦軍)
で「降伏する!」という間もなく数万人が塹壕の中で埋められたそうだからな、
アメリカ軍は白起将軍の最期の言葉を知っているのかな・・・
308 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 23:38:18 ID:/isgMIpn0
確かに春秋期から戦国期にかけての、
戦争における兵力の急増は凄いというか、違和感があるな。
春秋の頃なら天下の帰趨を決する大会戦でも数万同士、諸国連合軍でもせいぜい10万。
それが戦国になると一国で数十万だからね。
「戦国策」あたりをみると、斉などは、
「臨シの中に七萬戸あり。下戸にも三男あり、三(×)七(=)二十一萬、
遠縣より發するを待たずして、臨シの卒、固より已に二十一萬なり。」
とあって、首都だけで20万の兵力を動員できるだろうといわれてる。
文中の「下戸」は貧しい民のことで、下戸ですら一家に三人は男子が
いるだろうという見積もり。
一家に男子一人を徹底させた秦とは異なり、六国では一家に男子が
三人くらいは普通に存在していたのだろうとも推測できる。
また田単と趙奢の問答をみてみると、田単は自身は三万も兵力があれば
十分であり、数十万もの兵力を率いる趙奢に疑問を呈すと、趙奢から
時勢も弁えぬこと甚だしいと一蹴されている。
昔は数百の国が存在し、三百丈を超える城はなく、人口も三千戸を超える
国はなかったが、いまではそれらが淘汰され僅か七国にすぎない。
僅か三万の兵力で何ができようか、ということなのだろう。
いろいろ資料をみると、戦国時代は製鉄技術が向上してそれに比例して
生産力や人口も飛躍的に増加したというし、疑ってかかるのもいいけど
単純に一桁や二桁も削ってよしって人はその辺はどう考えてるのかな。
310 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 00:16:54 ID:kaHEctogO
春秋時代あたりまでは「士」=貴族階級が主戦力だったが、次第に徴兵される「民」=平民が主戦力になっていったからな
>>308 それは、単に戦い方の違いってのもあるだろう。
春秋時代の軍は職業軍人=卿・大夫・士の一族郎党による戦車部隊だったのが、
戦国時代の軍は国民皆兵に近い歩兵軍だからな。
「孫子」の記述もそれを踏まえて、
プロじゃない兵たちをいかに統率して戦わせるかに腐心している。
>>302のwikipediaの項には僅かしか書かれていないけど、現在までの
一部の発掘結果では、明らかに人工的に掘られた坑から発掘されていて、
鏃の刺さったもの、頭を切られたり陥没させられたもの、縛られたままの
格好のものなど、死因が多岐にわたっており全てが抗殺ではないことは
ほぼ確実らしい。
ただ殆どの骨に共通するのは頭蓋骨が欠損しているということで、整然と
抗殺したというよりも、とにかく坑を掘らせて手早く殺すか行動不能にして
坑に放り込んでいったのだろうということ。
史料では趙軍は包囲された後に46日間も食料が途絶えた状況で投降
しており、動ける兵士はまだしもまともに抵抗できる兵士は殆どいなかった
だろうとは思う。
そいや秦も項羽に兵士20万人を抗殺されてるんだよね
因果応報と言うやつか
315 :
朱元章:2007/01/01(月) 00:23:23 ID:YiAiAMl80
ってば 君ら この俺の名前って知ってる? 明朝の初めの皇帝だよ、
英雄だよ〜〜〜〜 はい 調べとけ。。。。。最初は乞食だった俺が、
元朝の圧制に我慢できず、抵抗して何十年もかけて皇帝になったんだよ!
良いお年を
おめでとう。帰れ。
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 22:56:37 ID:MeIkgQZU0
明けましておめでとうございます。
新年最初にお聞きしたいことがあるのですが連城の値言われた「和氏の璧」は
結局どうなったのでしょう?秦の宝物庫にはなかったんですよね?
>>318 趙が滅亡した時に、公子嘉が持ち出した。
嘉が秦軍に敗れてからは不明。
⊂⌒ヽ (⌒⊃
\ \ / ⌒ ヽ / /
⊂二二二( ・´ー・`)ニニ二⊃
\ \__/ / 「あわびーむっ!」
( ξ(<|>・:∴:・゚・。。・:∴。・゚・・。・。。・゚・'
ヽ_*_ノ
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 13:26:42 ID:i/7UCiq6O
韓って、元々は晋だったくせに、戦国時代では魏や趙に比べて極端に弱いよね?
322 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 13:43:16 ID:xRXu+s160
晋が三国に分裂した中で一番領土・国力が小さい国だからだろ
元は晋といっても、戦国韓の国土は春秋時代の鄭に近いからね
もともとは韓原だけど、州、平陽と移転を繰り返して、一般に云われる戦国韓の
国都の新鄭に落ち着いた時には春秋時代の晋の領土の殆どは魏と趙が
持っていってるし
史料から覗える韓の国土って、たとえば成皐なんかは要害だけど石だらけで
生産力には結びつかない土地のようだし、張儀の言葉を借りれば、
「地、険悪にして山居せり」、「五穀の生ずるところは麥に非ずんば豆なり」、
「地は方、九百里に満たず」、「卒を料るに、之を悉すも三十万に過ぎず」とか、
どれも燕を除けば中原諸国でも最弱なのは間違いないもの
趙は北方の未開の地も含めれば多くの人口を手に入れたし、魏は黄河流域の
経済の発達した地域を手に入れて潤ったけど、韓は旨味が少なかったんだろうね
324 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 14:35:06 ID:HMJCZHH40
韓魏連合軍25万が討ち死に
韓からは名将らしき人物が出てないしな
せいぜい垂沙の役で活躍した暴鳶くらい
もっとも合従軍の一翼を担った戦いでは勝っても、韓軍のみを率いて秦軍と
戦った時には見事に完敗してるが
327 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 10:11:55 ID:eSyNTNuFO
本当「韓」ってつく国はダメダメだなw
勝手に韓の字を使われた被害者だろ
329 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 15:57:13 ID:3dJd3pOoO
韓で有名な人物というと韓蕨、申不害、韓非ぐらいかな
>>329 韓蕨は晋なのでは、それが有りなら張良も韓ってことに
いつも忘れられる陳筮
暴鳶…。塚本史の「白起」だと、ただのバカみたいに描かれてたなぁ。
最期の言葉が
「上党の墨者ァァァァァ…」
で首チョンパだったのが泣ける。
ボクシャァァァァァ!!!!
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 02:26:55 ID:bxG5tTbGO
>>332の『白起』って、宮城谷信者の俺が読んでも面白い本?
>>334 さわやかな風は吹いておらんよ
もともと推理小説を書いてたらしく、歴史小説らしからぬ込み入った
プロットが組まれてて、文章はやや硬め
韓だけは戦国時代で主役になった時期もないしなぁ
土木工作員を送り込んだり、上党の離脱したりくらいしか出てこないし
漢以降は韓の名を使った国、王って出てこないよね、半島は別にして
337 :
白起:2007/01/08(月) 23:44:16 ID:vOTcZRwt0
私が王から自決を命じられるようなことをした覚えはない、
甚だ心外だ。
だが、今まで秦の為とはいえむごたらしく幾万の人を殺してきた。
そのことを思い出すと夜も魘されるときがある。
剣に生きる者、戦場で斃れるべきものだが、ここで斃れるのも天の思し召しか、
きっと天が王の体を借りて、この剣で贖罪せよと言う事なのか・・・・
アアアゥツーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
40万本の罰をください。
あなたにあなたにあなたにあげる。
340 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 13:50:59 ID:lKY8JJmcO
周=巨人
かつての盟主。現在は強国に挟まれ苦悩の日々。
晋=中日
セ界の覇者。国としては最強だが、選手の年俸争いが激化し内憂有り。
楚=阪神
セ界の覇者。国としては優良だが、兵であるファンの質が悪い。
斉がヤクルトで秦が広島?
秦はヤクルトにいたがな
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 20:39:58 ID:aMIiEeDXO
どの球団が商鞅を得て秦となりうるか
いきなり戦国に突入してしまうのか。中日ファンのオレには辛いな・・・
工藤は百里奚になれるかな?
年齢がなあ・・・
せいぜい孟明視じゃないだろうか。
347 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/11(木) 01:10:30 ID:GUOX/7VtO
つまり最初のうちは負け続けると
戦国限定なら球界に喩えやすいような(セ界には統一してないが)
周=巨人 趙=中日
楚=阪神 秦=ソフトバンク
魏=西武 斉=ロッテ
燕=日ハム 韓=ヤクルト
宋=オリックス 魯=横浜
中山=広島 衛=楽天
春秋なら(燕がないけど、春秋時代は露出が少ないので…)
周=巨人 晋=中日
楚=阪神 秦=ソフトバンク
斉=ロッテ 宋=西武
呉=日ハム 越=ヤクルト
魯=広島 鄭=横浜
衛=オリックス 陳=楽天
ぐらいかなぁ。
別に野球にたとえんでいい
どうも春秋戦国の話になるとこの例えをやりたがる人が出てくるな
どうせなら日本の企業群にでも例えたら
そのままご当地企業にスライドするだけだろ
_,.. ---- .._
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| ::::::::/ \ 、_, _.,.,_ ノ::: ! 早く
>>346が
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.. `´ /\\ `i;┬:////゙l゙l ヾ/ 氏にますように。
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354 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/12(金) 13:29:00 ID:yt4xUjCmO
謀殺が多いな・・・・・・・・・
355 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/12(金) 17:21:14 ID:XTuFaWB+0
中華激震!! 九鼎差出を無視し続けてきた中華最高の宗室「周」
(東周)の王、赧王(30)の全財産が仮差し押さえされることが12日、
分かった。秦が天下に申し立てたもので、対象となるのは周王朝の民、
戦車、祭器、さらに民の住所にあたる中国の邑「36邑」
にまで及ぶ見込み。執行されれば宗室の機能が全停止するのは必至だ。
12日午前、仮差し押さえを申し立てたのは、周王室に対して盟約を
持つ秦国の王の男性(35)。
男性は盟約に反して自身や家族の実名、住所を晒され、「人間の屑」「虎狼」
などと誹謗中傷されたため、昨年8月、周王の赧王を相手取り、天下に讒言者
の情報開示を求める申し立てをした。
赧王が出廷してこないまま同9月に開示を命じる仮処分が出たが、何ら対応が得られ
ないため、間接強制で1日5人ずつ制裁奴隷を科すこととなった。それでも赧王の朝廷
無視は続き、決定から100日を経て債権は九鼎まで膨れあがった。
縦横家の情報通り、赧王は一切の賠償命令を意識的に無視し続けている。昨年11月
の合縦では「秦の商於の踏み倒しと同じ。賠償を払わせる方法はこれ以上ない。
イヤなら六国に勝てばいい」と強弁した。
強気の背景には、何ら差し押さえられるはずがないという自信があるとされる。周には
天恵があり、その天恵の流れも不明なので、一般的な制圧は無理。連横家が周の重臣を
探り当てるなどしてきたが、赧王も国外に九鼎を移すと言うなど対抗策を講じてしまい、どの王
も手をこまねいているのが現状だ。
関係者によれば「(周王室は)天恵がなくなるまで逃げ切るつもり」だという。
(続く)
ソース:華華
http://www.華華.co.jp/top/2007_01/t2007011201.html
ワラタ
>>355 つーか、「赧王の朝廷無視」って、周が朝廷なんじゃないのか?www
358 :
355@携帯:2007/01/12(金) 23:42:10 ID:XZmeuipHO
「(秦の)朝廷無視」、つまり秦の朝廷で決めたことを周が無視してる、ってことを言いたかったんだ。言葉足らずでスマソ。
あわびは巨乳
360 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/14(日) 21:35:49 ID:w373jIV80
横山光輝の史記にて、
A「自分と貴公と功績が多いのはどちらですか」
B「貴公(A)です」
B「では、幼い君主を盛り立てて行くのに、宰相にふさわしのはどちらですか」
A(天に日が二つあってはならんと言う事か・・・)
こんなやりとりがあったの思うのですが、どなたか知りませんか?
呉起の話じゃまいか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89%E8%B5%B7 文侯が死に、子の武侯が即位すると田文(孟嘗君とは別人)と宰相の座を争うが、これに敗れる。
これを不服として、本人に抗議し、軍略、政治力、諸侯への威信、
それぞれどちらが優れているかを問い質した。
すると、田文は三つとも呉起の方が優れていると述べた上で、
「だが、今の主君は幼くして民からの信望も薄い。このような状況においては、
私と貴殿とどちらが大役を任されるだろうか?」と尋ね返した。
ここにおいて呉起は己が田文に如かざることを認めたという。
363 :
360:2007/01/14(日) 23:24:28 ID:w373jIV80
ありがとうございます。
あわびは巨乳
365 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 22:40:11 ID:2dmnVTXq0
中国って近世のヨーロッパみたいに平野に数万の兵力を
集めて朝から夕方くらいまで1日かけて雌雄を決する
「会戦」というのはやっていたのですか?
366 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 23:16:32 ID:ODpPC8aB0
春秋マニアは悩んでる。
楽毅論
燕昭王への要求
・8年43刀銭の契約
・専属家宰
・年金
・小走りする“誠意”
・人質との交換での大国入り容認
・家族に衛兵をつける
・子供の推挙の面倒を見る
・家族のために奴婢をつける
・いつでも気分転換できるように常時音楽ができる礼器が欲しい
・勇士をつける
・両親の家を建てる
燕恵王への要求
・愛着のもてない斉と合併した燕に戻りたくない
・昌国君のままでメジャーに行きたい(※昌国君は燕国の権利)
・斉王がダメなら趙に行かせて欲しい
・功労金が欲しい(消滅する燕斉合併国に複数年契約の残り分10億刀銭払え)
趙恵文王への要求
・銭金の問題ではなく“封邑”が欲しい
・恵文王に付き添わせて欲しい
・ケガをしても安心して仕事ができる邑が欲しい(複数邑契約)
・ブランド料が欲しい
・趙の史記か竹帛に名を残して欲しい
>>368 なかなか興味深いな
高い評価が残る一方で、やっぱり春秋・戦国時代らしい人間って感じ
ノリ的表現か?
371 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/27(土) 22:36:41 ID:Q3WpGbIQO
しかも色っぽい
大人物なんだな。
373 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 07:41:18 ID:HqJO3p120
秦王って猜疑心の塊、欲深くて、田舎ものの劣等感丸出しの人が多い・・
司馬遷のフィルターは法家と強者に厳しいからな。
悪く書かれるのは仕方ない
>>281 Civみたいに進歩する戦略シムがいいな
>>375 Civプレイしてりゃいいだろ…常識的に考えて…
377 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/06(火) 12:22:41 ID:sv6alj64O
春秋戦国好きは、映画『墨攻』を見るのが辛くない?
俺は見てると粗ばかり気になってしまって全く面白いと思えなかった。
小説『墨攻』は好きなんだけど…。
378 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/06(火) 14:42:17 ID:OJ8ck1XAO
例えてみよう
斉ドイツ
楚ロシア
秦アメリカ
趙フランス
魏オーストリア
韓オランダ
倭イギリス
燕スウェーデン 西欧列強のキーパーソンたる英国に対応する国が思い当たらなかったので地理的に日本に
にしても春秋戦国とヨーロッパの社会って似てるな
群雄割拠の世界って圧倒的に面白い
どうしてその例えがまるで面白くないといまだに気づけない子がいるんだろうか
晋がアメリカ
楚が旧ソ連、もしくは将来の中国
鄭(か斉)が日本
のような感じがする
倭の定義は時代でかなり変わるよ。
始皇帝暗殺は?
始皇帝役の俳優が小物臭すぎたイメージがある>始皇帝暗殺
あれが燕丹だったら納得なんだが…。
そういえば、塚本史の「白起」だと、楽毅は往年の輝きを取り戻せず、
趙で胃潰瘍にかかってたなぁw
>>383 そりゃ、燕の昭王と共に長い間必死に努力して斉を攻略したのに、
それを馬鹿息子の恵王が、楽毅嫌いと言うだけで全部無にしたんだから、
いかに楽毅でもやる気無くして胃潰瘍になるのも無理ないわな。
実際、趙燕の調整役くらいの働きしかしなかったみたいだし
386 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 21:07:56 ID:GGl5xUWYO
恵文王も戦で楽毅を使ってみる気はなかったんだろうか?
>>386 恵文王は、楽毅の軍人生命は昭王の死で終わった事を知ってるだろうから、
無理に戦で使う気は無かったのでは?
むしろ、斉の占領統治で見せた、行政能力を生かした仕事に就かせて、
趙国内の内政を任せてたかも。
388 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/15(木) 15:08:03 ID:yoRHGaDp0
漢民族が、増えすぎた人口を中原の外に移民させるようになって、既に380年が過ぎていた。
中原の周囲の巨大な人工都市「城邑」は人類の第2の故郷となり、 人々はそこで子を産み、育て、そして死んでいった……
紀元前740、中原から最も遠い城邑国家・荊蛮は楚王国を名乗り、周王朝に独立戦争を挑んできた。
この1ヶ月あまりの戦いで、楚王国と周王朝は全軍の半分を死に至らしめた。
人々は、自らの行為に恐怖した…。
戦いは膠着状態に入り、127年が過ぎた…。
『楚王戦史 荘王』
そのとき歴史が動いた みたいな導入だな。
とりあえず波平の声が聞こえてきた。
「城邑落とし」なんてできるのか?
荘王「見せてもらおうか、晋国の三軍の性能とやらを!」
荀林父「荘王だ…黒い彗星の旅だ…。逃げろ…!」
おもろい
田嬰 「八割?冗談じゃありません。現状で孫臏の才能は十割出せます」
田忌 「足が付いていない」
田嬰 「あんなの飾りです。偉い人にはそれがわからんのですよ」
田忌 「使い方はさっきの説明でわかるが、軍師な、私に使えるか?」
田嬰 「将軍の軍事の能力は未知数です、保証できる訳ありません」
田忌 「はっきり言う。気にいらんな」
田嬰 「どうも」
「気休めかもしれませんが、将軍ならうまくやれますよ」
田忌 「ありがとう。信じよう」
394 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/20(火) 21:10:21 ID:VHw5ZRJuO
趙王「なぜ上党を戦いに巻き込んだ!上党は戦いをする郡ではなかった!」
秦王「チィィー!」
395 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/21(水) 21:43:40 ID:4N6ba04mO
迫撃!トリプル・晋
たのしそうだな
スレにまったく書き込まれていないので、少しでも協力しようとネタを書いてました。
ウザかったらごめん。
>>397 どうせ過疎板のスレなんだしじゃんじゃんやってくれ
ネタもないし
大したネタじゃないけど、スルーされてるから書く。
ここの人達は、李牧嫌い?俺は好きなんだけどね。
400 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/22(木) 14:36:53 ID:UhfWVfqzO
李牧が好きです、でも楽毅のほうがもっと好きです
401 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/22(木) 19:14:41 ID:TwERlKY5O
李牧が好きです、でも藺相如の方がもっと好きです。
なんか昔李牧が主人公の漫画を見たような…
403 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/22(木) 21:19:29 ID:VlMG8Sgi0
平原君「あきらめたらゲームセットですよ」
>>402 「始皇」っていう始皇帝が主人公の漫画だったような
シーファン
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/06(火) 23:52:35 ID:jj31+fY/0
香港のドラマで「尋秦記」と言うドラマのDVDが出ているんだけど、
現代の主人公が戦国時代末期、始皇帝の時代にタイムスリップするという内容で、
内容はもうハチャメチャで、史実なんはそっちのけだけど、
その時代のいろんな人物や逸話が出てきて面白いよ。
主人公、戦国時代の邯鄲で、「香港特別行政区」なんて口走っているけどw
中国だと現代人の言葉が通じるのはいつごろの時代の人まで?
408 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/07(水) 23:19:23 ID:wNYFhy9/O
明まで
香港は変形した広東語だから、現代でも通じないばあいがある。
それに中国は地方によって言葉が違うし、現代は和製漢字も多いし、
満州語も混ざったりしてるから、下手したら清朝期でも通じないかもしれない。
それを踏まえると、春秋戦国期の燕人や楚人なんか、ほとんど話が通じなかったのでは?
そうなると、全国を遊説した蘇秦や張儀は、弁舌だけでなく、言語にもかなり通じてたのかも。
共通語の都言葉と言うのが、殷の時代からあるけど。
どうだろうね。
日本でも戦国時代、明智が諸国回れたのは、
都言葉使えたからと言われてるけどな。
412 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/23(金) 01:56:52 ID:O6jn2TJQO
漢字は周が独占していたが西周が滅びると各国に伝搬したらしい
漢字は文字。
言語ではない。
李牧って、「奇貨おくべし」だと信陵君と並んで主人公の邪魔をする
時代の徒花みたいに書かれてた人だよね?
史書だとどんな書かれ方をしてるんですか?
廉頗ふたたび、って感じだな。
讒言に惑わされて名将を追い出す戦国末期クォリティ。
417 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 18:27:44 ID:kd5HoRi0O
というより秦の謀略がうますぎるんだよ
李牧がいたらもっと趙は残ってたね。
そしたら残り五国で連合組む時間稼げたかもしれないのにね。
大局は変わらんだろうが。
419 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 22:38:36 ID:QXSuCwX10
メリケン並みの強さ
北チョン並の迷惑さの秦
420 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/30(金) 06:14:24 ID:8h1n9FpcO
それは最悪だw
421 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 22:44:18 ID:moh5aJncO
君主の器は、始皇帝>>>>>>>>>>>>>>>>ブッシュ・金正日だけどね。
422 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 04:14:18 ID:oJF+RNaRO
つうか秦の君主って戦国時代は名君が多いね
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/04(水) 07:11:43 ID:92b7dYYlO
春秋戦国を通して秦の暗君って目立たないよな?
死に様が極めつけにマヌケだった人ならいるな
力自慢の人か
脳味噌まで筋肉だったのか
427 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 13:06:07 ID:h5b83UWSO
統一した途端に一番の暗君が立つって皮肉だよな
428 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 21:30:32 ID:3/Nn+SX3O
趙高が実権を握っていたせいで、胡亥が暗君かどうか分からない。
趙高をのさばらせたのは確かにマイナスだけど、まだ若かったし…。
てか始皇帝は持ち上げられすぎじゃないかい?
後世から見ればやるべきことをやった、てことになるんだろうけれど
本人が、秦帝国をつぶしてでも統一中華の礎に、なんて殊勝なことを考えていたわけもないし
秦を滅ぼし首都を焼いた項羽は中国でも結構人気があると聞いたが。
始皇帝が焚書坑儒や万里の長城で民を過酷な労働に従事させたからが
理由だと書いてあった。
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 17:51:31 ID:wOswZrhm0
横山光輝の史記読んで興味がわいたんだけど
史記を一通り読める小説ってある?陳舜臣の十八史略みたいな。
>>430 もっとも、焚書坑儒も長城建設も、後世の儒者による批難の捏造(とまではいかなくても、
拡大・針小棒大による記録)とされる。
しかし、そんな歴史学上のことなど庶民レベルではなかなか浸透せず、それまでの通説が
まかり通ることになる。
これは別に中国だけでなく、日本でも同じだけどな。2ちゃんの歴史板で語られるごく
初歩的な知識・学問上の近年の成果もほとんど一般には知られていない。
戦国四君の人気投票をしたら
信陵君>>>孟嘗君>>>>>>>平原君>>春申君
くらいになるだろうか。
436 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 00:16:39 ID:qjtZ34j1O
俺は、
信陵君>>>平原君≧孟嘗君>春申君
フツーに孟嘗君でしょ
孟嘗君は基地外だしなぁ
俺は信陵君≧春申君>>平原君>孟嘗君かなあ
春申君は侮れない
孟嘗君の基地外っぷりは異常
もし孟嘗君のファンがいたら、どんなところを魅力的に思うのか教えて欲しいな。
ファンって芸能人見たいなノリだなw
孟嘗君と平原君以外は晩年しょぼいからな
孟嘗君のいいと思うところ。
こんな自分でも食客としてくれそうだと思えるところ。
他の三人には間違いなく断られると思う。
>>443 > こんな自分でも食客としてくれそうだと思えるところ。
そんなこと言ってるようじゃ孟嘗君のところでも間違いなく無理。
そうですね^^
446 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 11:49:46 ID:PUJBkvJ00
みんな見栄っ張り
そうだな。見栄っ張りだな
食客を私兵だと思えば、芸がなくても雇ってもらえるだろうさ。
他所者を3千人も囲ってる相手とは、確かに敵対したくないなあ
450 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 03:55:20 ID:tuXsk1oOO
戦国策と史記じゃ孟嘗君の性格がだいぶ違う
司馬遷は本当に薛でヒドイめにあっているのだらうか?
452 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 12:23:38 ID:loqzbh6HO
>>451 あれは孔子のパクリ
酔っ払いに絡まれたとか財布を無くしたとかの事件をもったいぶって書いただけだろ
司馬遷みえっぱりだから
なぜ見栄っぱりと断言できるのか?
司馬遷の功績は人物単位の歴史に時間軸の大枠を線引きしたこと。
諸国を見聞して編纂したとはいえ個人の印象が色濃く投影されているため
歴史書として鵜呑みにするのは危険な部分がある。
・・・・みたいな書評を昔読んだ。
その書評を鵜呑みにするのは危険な部分があるな。
456 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/31(木) 03:10:57 ID:ROMixXGFO
春秋戦国時代の記述に関してはいい加減なとこが多いな
史記内の同じ記述にもかかわらず年代が違ってたりするし(参考にした資料を尊重するためそのままにしたのかもしれないが)
458 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/01(金) 00:09:22 ID:CVwGq9Tn0
司馬遼太郎は歴史書を書いたわけではない
>>456 元々は始皇帝が同姓の趙以外の歴史書を焼却処分にした上に、
当の秦の歴史書も日月を記さない杜撰な作りだったのも一因だからな。
あの時点では竹書紀年も世に出てなかったし、限られた資料の中から
史記を編纂記述する上で、司馬遷が年代のズレに目を瞑らざるを
得なくなったのも無理は無い。
460 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 03:05:18 ID:9vmgwgNsO
史記の内容の真偽がどうであれ、司馬遷が一人で調査し書き上げたのはすごいと思う。
461 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 03:48:11 ID:0RdObD5rO
親父の功績も忘れないで
すっかり忘れてた。
申し訳ない。
463 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 21:45:10 ID:Awdv7sPq0
戦国策や竹書紀年などのテキストもお忘れなく
【戦国】燕国・楽毅「私はやっぱり何かを持っている。一生こういう人生。」
―不敗神話が続くが?
「中山にいた頃は、運を使い切るころかなと思っていたけど、
やっぱり何か持ってますね。運は使い切らないもの。
一生、こういう人生なんじゃないかなと思ってます」
―昌国君に選ばれた。
「本当にビックリしました。征伐して2城は残ったけど、正直、他国出身の
自分が選ばれるなんて思ってなかったから、うれしい」
―今後の課題。
「一番の課題は嗣王。立場を見つめ直して行動したい。
とりあえず平定して、あとは城邑2勝です」
―いきなりの大活躍でハードルは高い。
「自分にかかるプレッシャーは大きいと思うけど、まだ、これから
。中山から付き従ってくれた方々と一緒に成長していきたい
元ネタ(スポーツ報知07年6月18日
http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/ama/news/20070618-OHT1T00075.htm)
465 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 05:51:46 ID:bEgFSduDO
中山からついてきたものたちとか宮城谷信者すぎる・・・
いや、宮城谷信者としては嬉しかったですよ
466 :
@ ◆Gay/Ho..tI :2007/06/29(金) 16:14:34 ID:TGXUzfEL0
過疎ってイルな。
戦国春秋ならイッパイ語ることありさうだが
スレ住人が分散してるからしゃーない。
468 :
@ ◆Gay/Ho..tI :2007/06/29(金) 16:34:29 ID:TGXUzfEL0
ところで孔子が東西南北な人であるわけがない、
って京都のおっちゃんが言っていた
469 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/29(金) 23:30:51 ID:Udok9FYe0
孔子といえば、孔子とその弟子達をドラマ化したらおもしろそう
顔回のキャスティングに難アリ
NHKでやってたぞ、孔子のドラマを
子路はキャラ立ちしてるだけだろ。序列でいえば4番以降じゃないか?
顔回って子貢や子路と違って、ヘタするとただのひ弱な優等生に
なりかねないかもね
キャラ立ちというか、顔回はただの貧相なおっさんだっただけだしな
とにかく、漏れは子路の印象が強かった。
ドラマはどうでもいいけど、儒教の理想の「子」顔回は現代人にわかりにくいのかもね
ドラマがどうでもいいとか
そんな悲しいこと
二度と言うな!!!!!!!!!!!!!!1
そうか。しょうがないな。
頼むから、死んでくれ・・・
ぷりーず
誰が立てたスレで妄言吐いとんじゃ。
漏れ
だいたいそんな誰が立てたスレとか中二みたいなこと言ってるんじゃねーよ。
とにかく口臭きついんだよ。
死んで悔い改めよ
虚勢張ってないで三戦に帰れよ。あちこち顔利かすにゃ力不足だって。
虚勢とか漏れの何に対して言っているのかがわからない。
顔を利かすというのは漏れの何に対して言っているのかがわからない。
力が不足?2chで力とは一般的に何を指しているのがわからない。
そもそも漏れをスルーすれば済む話だろうが。
死んでくださいね
だが断る。
このおっさん、どうしてスルーできないのかね。
それが情だと思っているので。
宋と魯は何かヘタレに見えて仕方が無い
宋は殷の末で、少々見下されてたし、魯は文弱ってところか?
490 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 10:09:24 ID:aKYmMr4eO
それでもしょっちゅう二股外交をしていた鄭よりましじゃないかな
春秋初期のころは鄭も強国だったんだけどね・・・・
491 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 10:52:36 ID:9TiMXWWn0
二股外交もそれで国が保てればいいのさ
493 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 16:47:44 ID:kIfwUkTb0
一:宋公
二:晋侯、斉侯、魯侯、衛侯、陳侯、蔡侯
三:秦伯、燕伯、鄭伯、曹伯
四:楚子
なにこの不自然な序列
不自然に思えるのは、春秋期に入ってからの勢力で考えるからだろ、池沼。
爵位を与えられた時の事情を考えろ、大馬鹿!
495 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 17:41:08 ID:kIfwUkTb0
お、俺何ひどいこと言ったか?
すげえリアクションなんですけど、サーセン
ひどいことと言うより、頭が悪すぎる。
春秋戦国というよりも歴史の楽しみ方をまったく理解していない人間の発言。
ぉぃぉぃ、歴史の楽しみ方とやらを教えてもらいたいものだ。
>>497 黙れ、荒らし
巣の三戦に消えろ
歴史の楽しみ方なんて資料をただ眺めて暗記することじゃなくて、
なんでそうなったんだろって、調べたり考えたりすることだろうが。
そういう過程が一切なく、データを並べてるだけなのが
>>51。
>>51になんのデータが並べられているのか俺には見えません
楽しみ方なんて人それぞれだろ。
衛って影が薄い割には
秦が中華統一するまでしぶとく生き残ってたんだな
なんでだろう
魯や周もそうだけど
戦国の七雄以外の小国は何してたんだ?
衛といえば商鞅の故国だったりね。
戦国の七雄というから、戦国時代は七国のことしか考えなくなりがちだか
魯とか周とか秦の統一の30年くらい前までちゃんと残ってたんだよね
呉起も衛の出身だな。
秦は商鞅の法を守り続け、天下を統一し、
楚は呉起の法を捨て去り、国を滅ばした。
さらに言うと、呂不韋も戦国策に依れば、衛の濮陽のコ人と伝えられている。
衛は君主こそ周王の流れを汲むが、その民は殷の遺民。
周を滅ぼし、姫姓の国に仇なしたと見れなくもないかな。
>>503 衛君は二世皇帝の代まで続いたからね。
ただ単に外交というか世渡りがうまかったのか、なにか別に理由があったのか・・・
>>493 宋が公爵なのは、殷人達へのアメ。
ムチは殷の滅亡。
楚が子爵なのは、南蛮だから。
他は血族とか功臣とか、そんな順位。
508 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 03:56:11 ID:LDW+EcprO
楚は王と名乗ってたが春秋なんかには差別するため楚子と書かれる
蛮族より下位に置かれる許(男)カワイソス
>>506 衛が二世皇帝の時代に滅ぼされたというのには否定論もあったが。
512 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 17:01:44 ID:LDW+EcprO
平勢説はどうにも信用できないな
左氏伝は韓が作ったっていう説は信用できるのか?
戦国中期ごろの韓と宋って、どっちが強いんだろうか?
どっちが強い強くないってw中学生じゃあるまいし、ゲームでもやってろ
>>514 史記世家は岩波文庫にあるからそれ読んで、検討してみるとか?
477 :荘王@ ◆Nan/Ba..n :606/06/29(金) 23:42:53 ID:syunjyu58
南蛮がどうでもいいとか
そんな悲しいこと
二度と言うな!!!!!!!!!!!!!!1
478 :定王onらくゆう ◆O.U.3.M.A. :606/06/29(金) 23:44:19 ID:tenshi3ma
そうか。しょうがないな。
479 :荘王@ ◆Nan/Ba..n :606/06/29(金) 23:45:27 ID:syunjyu58
頼むから、九鼎をくれ・・・
ぷりーず
480 :定王onらくゆう ◆O.U.3.M.A. :606/06/29(金) 23:46:59 ID:tenshi3ma
誰が覇者の中原で妄言吐いとんじゃ。
481 :荘王@ ◆Nan/Ba..n :606/06/29(金) 23:47:12 ID:syunjyu58
漏れ
482 :荘王@ ◆Nan/Ba..n :606/06/29(金) 23:48:04 ID:syunjyu58
だいたいそんな誰が覇者とか諸侯みたいなこと言ってるんじゃねーよ。
とにかく存続きついんだよ。
九鼎くれよ
483 :定王onらくゆう ◆O.U.3.M.A. :606/06/29(金) 23:48:49 ID:tenshi3ma
虚勢張ってないで南方に帰れよ。あちこち覇を唱えるにゃ天命不足だって。
484 :荘王@ ◆Nan/Ba..n :606/06/29(金) 23:51:42 ID:syunjyu58
虚勢とか漏れの何に対して言っているのかがわからない。
覇を唱えるというのは漏れの何に対して言っているのかがわからない。
天命が不足?南方で天命とは一般的に何を指しているのがわからない。
そもそも九鼎を渡せば済む話だろうが。
滅んでくださいね
485 :定王onらくゆう ◆O.U.3.M.A. :606/06/29(金) 23:52:25 ID:tenshi3ma
だが断る。
486 :荘王@ ◆Nan/Ba..n :606/06/29(金) 23:56:04 ID:syunjyu58
このおっさん、どうして渡さないのかね。
487 :定王onらくゆう ◆O.U.3.M.A. :606/06/29(金) 23:58:10 ID:tenshi3ma
それが天命だと思っているので。
518 :
@ ◆Gay/Ho..tI :2007/07/03(火) 08:57:03 ID:PsOSgZnn0
GJだな
韓と宋なら、国土の広さはそう大差ないにせよ、韓の方が全然人口多いでしょ。
宋は滅亡直前の活躍があるからな。
韓はパッとしないまま戦国時代の終焉を迎えた感じ。
521 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 20:22:18 ID:beZNVKeVO
韓は申不害と韓非子しか印象に残ってないな
522 :
鄭国:2007/07/04(水) 02:36:13 ID:Zfov/WeC0
あとは俺くらいだな
韓非子と張良を出しただけでおつりが来る
韓の宰相の家柄を謳うのは勝手だが、韓の宰相に張氏なんていたっけ?
具体的な事跡は不明だが
張開地
張平
宰相じゃないけど他に張翠
晋の時代にも張氏はいるがつながりは不明。
斉国いいとこ一度はおいで
527 :
楽毅:2007/07/05(木) 01:49:03 ID:Hm1EMT9ZO
>>526 近いうちに、五国の軍を率いて向かいます(^^)
528 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 07:56:50 ID:J1rifsAJ0
戦乱続く割に戦国時代の人口多そうだよね
軍の数なんて、話3割に聞いておけ
530 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 10:30:18 ID:J1rifsAJ0
実数はそうだとしても、戦国って、名に似合わない結構明るく
華やかなイメージもある
臨シとか邯鄲の情景とか
春秋は人名が少なそうだけど
戦国時代から楚漢までをゲームにしてくれれば最高だけどな
>>531 なんで少なそうとかイメージで語るの?馬鹿だから?
533 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 21:37:38 ID:rtIYKeCH0
人名が少ない?
534 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 23:22:03 ID:J1rifsAJ0
ゲームとして成り立たせるには、一般の知名度が高い人が
少ないってことかな
時代が長くて著名人の活躍期がバラバラだからじゃないの?
三国志より信長の野望の方が武将多かったりするんだよね
戦国史のシナリオで春秋ものがあったけど、
国や時期によって、登場する人物の数に偏りがありまくりだったな。
戦国時代も初期の燕なんて全然情報がないし、
人物主体でゲームを作るのは難しいだろうな。
ひとつのシナリオなら全員同時に出せばええやん。
じゃあ俺斉プレイする
上級者は韓プレイだな。
政治は申不害と韓非がいるからいいとして、将軍の人材が・・・
公仲と公叔で内部ガタガタだよなあ・・・
542 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/06(金) 01:34:13 ID:m8+7l2MtO
キャラ作成ができたら宮城谷オリジナルキャラ出すやついるだろうな・・・・・
張良でなんとか
韓はまともな将軍が暴鳶くらいしかいないってのがなんとも。
公族連中は内輪もめするし戦争やれば負けるし。
知伯で晋を簒奪する!
>>539 陳から公子が亡命してきました
受け入れますか?
はい(Y)/いいえ(N)
547 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/06(金) 13:58:02 ID:HK5srojE0
思想家同士の弟子獲得、仕官、影響力拡大ゲームもおもしろいのでは
三国志ではできないところ
それって、ヤクザの抗争をゲームにするのと対して変わらな(
>>547 思想の中身がゲーム性に全く影響されない維新の嵐を思い出した。
ひたすら他人を説得→同じ思想の人物を増やす→有力な藩への影響を拡大→思想で日本を統一
という流れ。
550 :
国重高暁:2007/07/07(土) 13:15:52 ID:AP1fikRO0
ほかの歴史シムと同様、要人の
引き抜きがポイントとなりそうですね。
燕が斉を滅ぼしかけたのも、要人を
周辺諸国からわんさと集めたからですし。
複数の国に仕えたり出身と所属が違う人物は
すべて在野にしてみるとか
嫌韓厨→とにかく韓が嫌いな人物のこと。
ex.あれほど韓を痛め付けるなんて、今の秦王は嫌韓厨だな。
秦と韓はなんだかんだでべったりだぜ
韓と燕を外して五行説に準えることもできたはずだろうけどな。
晋が3つに割れた以上、韓だけ除外はできないのでは?
で、6つでは座りがわるいので燕もと
魯はホント時代に取り残された感じがしてよい
>>553 それも何度となく痛めつけられていながらだから、韓はMっ気が強いのかもしれん。
そのうち七雄やらが擬人化されそうな勢いですね
性格はそのままでいけそうだな。
秦なら、高慢なお嬢様とか。
秦は田舎モンと呼ばれるのが嫌で努力してる生真面目な子って感じだな
魯は没落した貴族の娘で無駄にプライドが高そうだ
斉は商魂逞しくしぶとい性格のコテコテ関西娘キボン
コテコテの関西娘はたぶん名家の育ちだったのに家を飛び出して
ご主人様を追い出して店を乗っ取ったんだろうな。
周は過去のアイドルってかんじか
563 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 04:06:02 ID:T++BfADfO
燕は地味っ子
楽毅という白馬の王子様によって輝きます
傲慢なお嬢様はどっちかっつうと楚だろうね
趙は活発な運動神経抜群の女の子かな
564 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 10:11:46 ID:QCv+BM/90
>秦子
一度テストでトップをとったら調子付いてスーパー風紀委員と化したかんじ。
魏はインテリめがねっ娘
戦国時代って言っても、どの辺りを基準にするかで性格はかなり変わってくるなあ。
567 :
国重高暁:2007/07/13(金) 12:53:03 ID:vT0+j1H60
楚は清楚の楚ですから、どうみても
大和撫子タイプ(文化は未熟ですが)。
逆に、秦は天下を狙う国ですから、
正にタカビーお嬢様という印象ですね。
それにしても、この国はこんなイメージていうのはほぼ一致してるんだな
机の国とかもう杞憂のイメージしかないしな
宋も荘子よか宋襄の仁のイメージで
守株も宋襄の仁も根はおんなじ
571 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 11:56:21 ID:0o7+KFs10
しかし守株や宋襄の仁のイメージと、殷人が商業を生業としたって
ことがしっくりこないな
融通がきかないというのが、現実よりは差別からでてきたイメージ
だからかな
電池交換くらいなら淀でもおkなんじゃねーのと思いつつ
ラジオデパートの表にGshock
>>571 商人はなによりも仁義や信頼を大事にするから
人を騙して金を搾取するのと、商業で大事をなすのは同じことではない。
「臨機応変に働く知恵なく、決断する勇なく、物を取与る仁徳ないものに商業は無理だ」
相手が弱っていることをいいことにそれに付け込むのは臨機応変の策ではなく、
ただの短慮な策に過ぎない。またその様なことは仁徳ある者のすべきことではない。
孫子や呉子の戦争の天才と呼ばれるものは古代の戦争にあった儀礼的な部分を排除し、
合理的に相手に付け込み、殺戮の力で相手を押さえ込むことを行った。
仁や礼よりも戦いに勝つことの方が大事であり、卑怯という言葉はそこにはない。
そういった合理性が重んじられる時代ならともかく、春秋の頃に戦争儀礼を排除した
奇襲戦を自称覇者が行うわけには行かない事情ぐらい考慮しろ。
「宋襄の仁」を合理主義者である韓非子の批評を元に愚かな余計な行いとただ断ずるのは愚かなことだ。
実際、司馬遷は襄公の礼を褒めているしな。物事の見方はひとつじゃないってことだ。
商人は世間に物が余分な時にこれを買い集め、世間に物が不足な時にこれを売り払い、利を得る。
これは庶民から金を搾取するのが目的でなく、通貨社会を安定させる為に必要なこと。
商人がいなければ、不作の年に穀物は民衆に行き渡らず、民は餓死を待つしかない。
商人=悪徳で怜悧という印象はやめにしないか?
576 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 23:50:13 ID:0o7+KFs10
商人を悪徳だといってるレスってどれ?
>>576 DuPbK76n0が脳内で勝手に変換しただけじゃない?
>>574 宋襄=機を見て動けないヘタレだと思ってた俺の目から
鱗がゴロゴロ落ちました、ありがとう。
確かに韓非の超合理主義から見たら戦争儀礼なんて無駄以外の何でもないわな
とはいえそもそも宋が覇者を名乗ること自体が・・・
あと、春秋の時代でも、礼なんてうわべを飾るしろものと合理主義を貫いた連中はいるんだよね。
ぶっちゃけ、覇者として成功した連中はみんなそう。君主は礼儀を表向きは重視しているように
周囲には見せ付けたが、実際に統治に関わった補佐役の連中はみんな超合理主義者。
名前忘れたんだけど、宋襄の兄もそうだった。現実的に宋の国力では覇者になるの無理。それでも
覇者を目指すのなら礼儀になんて拘わってないで戦争にまず勝てと策を進言するも全て却下。
多分宋襄って、礼を重んじている君主を見てその傍の側近の働きには気付かなかったんじゃないかね。
子魚ですか
戦争からまず宗教が、次に礼儀が無くなるにつれ、一度の戦争で死ぬ人間の数が増えていった。
宗教や礼儀を無視すれば、大勝できる。誰かがそれをやれば他もそれをやる。
曖昧年代 そりゃ史記ってコトかい? ちょっ!
秦王朝が征服…だぁぁ不可ってこたない ぷ
がんばっちゃ殺っちゃっちゃ
そんときゃ遠交&近攻 魏ョッ
長(Fuu!)平(Fuu!)の谷間に 趙王 趙王 F R E E Z E!!
なんかダるー 法がデるー
あいしテるー あの太子が違法ってるんるー
王族もー 士大夫もー
商人もー いーかげんにシナサイ!
薨じた武王の火照るカラダって
所謂ふつーの力自慢
驚いたあたしだけ? 脛骨大鼎落としただだだ!
韓非 「んーとね、アタシね!えーとね、あっ!それでね! それとね、あのね」
長信侯「でも最近はいろんなとこで同じ作品やってるんだ」
白起 「もー!アッタマにきて総攻撃したわ!シュッシュッ、シュッシュッ!隙アリー!」
呂不韋「奇貨、奇貨、奇貨は誰ですか?あれがいないとぉ...あ、イタ☆」
BON-BON 王太子
Let's get! 魏・韓邑
RAN-RAN 加冠儀
Look up! せんせーくんしゅ
周! 存在感・・小領土
ぶつかって散りましたぼーぜん
大いに歌って凱歌ー
もっていけ!
最後に笑っちゃうのは朕のはず
始皇帝だからです←結論
統一なのに!
治安悪いのどうするよ?
郡県がいいのです←こ? れ! イイv
遺言発表 するのってちょうこうだ やん☆
がんばって はりきって 秦 二世 皇帝 P L E A S E!!
訂正
長信侯「でも最近はいろんなとこで同じ作品やってるんだ」
↓
長信侯「でも最近はいろんなとこで同じ反乱やってるんだ」
くやしいっ…でも…吹いちゃうッ…! _| ̄|○ノシ
労作age
587 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 02:04:20 ID:kVjHRAunO
どうして戦国時代の各国は、秦の侵攻に対して真剣に対応しなかったの?
対秦政策をせずに、他の周辺国と邑の取り合いをしてるうちに秦に攻められるってバカじゃないか?
588 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 02:48:46 ID:NoxqH63KO
秦も各国が団結できないように工作していたからだよ
589 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 07:47:24 ID:h3QwMG7+0
張儀は、えげつないがすごい
>>587 そりゃ、秦の脅威を感じてはいても、
現実には思い通りにいかないことがたくさんあったんだろう。
物事は理想通りにはいかないもの。
斉はもののみごとにやられたよね
秦と斉では地の利にだいぶ差があるだろう
秦って他国者が結構活躍するよね
でも、逆に有力公子が活躍するってことがないよね
虎狼の国と言われている割には、血胤にとらわれない先進的な国だと思う
血胤にこだわらないから虎狼の国なんだろ。
樗里疾くらいしか思いつかない・・・>秦の有力公子
今の中韓朝の奴らのやり方は張儀並みにえげつない
それは張儀に失礼。
597 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 00:41:51 ID:xgJadrSMO
俺の中でのイメージ
現代中国=春秋楚
共産党(王族・公族)の力が強く、国民が粗野
現代韓国=春秋蔡
周(日本)に国家として立たせてもらったのに、恩を仇で返す。
現代北朝鮮=戦国晩期宋
自国の力を省みず、武力によって覇を唱えることしか思い浮かばない。
そしてアメリカが晋で日本が鄭
晋派(政府)と楚派(民主党やマスコミ)
その話題は突き詰めないほうがいいな
>>592 斉だって背後が海というのはかなり地の利がいいだろうに
桓公の時にもっと周辺小国をぶっ潰してれば違った展開もあっただろうに
601 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 00:58:52 ID:B4W/heTSO
覇者ってのは一応弱小国を守るってのも仕事の一つだからねぇ
話は変わるけど覇者が生まれる過程って暴君が周辺の国を滅ぼす→その後お家騒動などで国が乱れる→名君が登場!
ってパターンが多い気がする
602 :
国重高暁:2007/07/26(木) 12:17:59 ID:J7mPcbsx0
>>600 でも、斉には蛮族がいたからな……
威王の時も大ピンチに見舞われたし(T_T)
燕って何だか情報少ないね
604 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 19:11:26 ID:B4W/heTSO
中原と離れすぎてるからね
しかも北燕と南燕があってややこしいし、史記なんかじゃ年表がごっちゃになってるらしい
燕で有名な君主って初代の召公セキと昭王ぐらいか
605 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 21:12:06 ID:DrUPom2L0
宮城谷氏の小説を読んで「范雎の復讐劇」と「鶏鳴狗盗」と「介子推の密かな活躍」がとてもよかった。
>>602 東夷と斉(羌族)に民族的な優劣はあるだろうか。
燕って北方で直接戎とかの異民族と接していたわけだし、
記録に残されていないけど、国家存亡の危機なんてのが、
ちょくちょくあったのかもね。
斉の桓公に救援してもらったこともあるんだし。
608 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 11:22:18 ID:ZB2YQ9az0
この時代の華北って大森林が広がっていたんだよな。
今と風景もかなり違っていたんだろう。
>>607 斉の桓公が援けたのは南燕っていう説が……
ところで、商周革命の武王と太公望やらの話を見てると
周と斉は仲が良かったように思ってたけれど
ちょっと専門的な奴(題名は忘れた)を読むと
太公望→武王の軍師ではなく、斉の近辺で周に帰属した羌族の一首長
魯の建国→周本家を斉・東夷から防衛する目的
とかいうので実際はもっと緊張関係にあったように書かれていて
えらく違和感を感じたなー
610 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 19:08:20 ID:U9mD9i8P0
それか、太公望と斉の姜氏が縁もゆかりもないとかね
最近春秋戦国期に興味持ち始めたんですけど、初心者向けのオススメ解説本とかないでしょうか?
>>611 講談社学術文庫「古代中国」
歴史群像シリーズ78「春秋戦国」
このへんは手に入りやすく読みやすいと思う。
明治書院の新釈漢文大系
614 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 23:24:42 ID:U9mD9i8P0
岩波文庫の史記列伝と史記世家を読んでみるのもいいとオモ
615 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 01:29:29 ID:pBVGj9K7O
陳舜臣「小説十八史略」の1、2巻
616 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 06:57:54 ID:ITkc7u+dO
漫画なら横山光輝の「史記」もなかなか
617 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 10:55:20 ID:0CU7iYBK0
陳舜臣「中国の歴史」1,2巻
618 :
611:2007/07/28(土) 13:10:41 ID:i44/WbdT0
>>611 勧められた本を読んでもイマイチピンとこなければ、宮城谷小説を読んでみるのもあり。
場面が想像しやすいし、歴史の流れを小説として読むので覚えやすい。
ただ、宮城谷世界観を信じすぎないようにしないといけない。
宮城谷なら春秋名臣列伝が良いかもね
安能務「春秋戦国志」全3巻 良いね
>>621 俺にはたまたま合ってたけど、あの人の文章は癖が強すぎて推薦しづらいw
623 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 19:55:01 ID:0CU7iYBK0
今まで春秋戦国以外の時代の中国史にどの程度興味があって
知識があるかでも違うよね
漢文を和訳した文章のリズムとか雰囲気に慣れていれば、直接
史記や十八史略の和訳などもスラスラと読みやすい
この前、大きな書店で買った
「春秋時代の戦乱」宇都木 章 という本は、
大まかな流れを辿りつつ、年表や地図や家系図の資料も見せてくれるから
分かりやすくて面白かった。
一応、歴史書なのに、呉越興亡の辺りが、
海音寺潮五郎の「中国英傑伝」(絶版)や孫子参照で省略されてたのには笑ったが。
…密林で買ったよ。中国英傑伝の上下巻。
>>624 系図に関しては微妙に怪しい宇都木氏のその本は持ってる。
懐疑史家っぽくて結構お気に入りだったりする。
>>621 中華帝国志(上)の冒頭が、春秋戦国志のエピローグになってるのも渋いね。
中華〜から読み始めた人は説明抜きに尉繚子が出てきてワケがわからなかっただろうけど。
627 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 03:18:44 ID:Hp/+XNHiO
春秋戦国新聞ってのがあるらしいんだけど面白い?
628 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 09:39:22 ID:1Vq6dBgxO
>>627 図書館で借りて読んだんだけど、なかなかよかった。
史記の列伝みたいなエピソードはある程度知ってたけど、あまり時系列でエピソードが結び付いてなかったから、歴史の流れの中にいろんなエピソードを位置付けるのに役だったよ。
買って手元に置いといても悪くない本だと思うよ。
629 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 17:47:01 ID:Hp/+XNHiO
>>628ありがとう。
今度見つけたら読んでみるよ
春秋戦国新聞で使われていた写真って、
やっぱり中国のドラマのものを使っていたのかな?
うわ。買っとけばよかった。
たまーにAmazonのマーケットプレイスとかで見かける
頑張ってゲットしる
ブコフではだめですか。
春秋戦国新聞は三国志新聞や戦国時代新聞よりおもしろくない。
なぜなら4コマがはなくまゆうさくではないからだ。
あとは大して変わらない
さっき本棚探したら、まだ読んでない本の中に春秋戦国新聞あった!!(゚∀゚)
…いつ何処で買ったのかは記憶にない…
初版が廃刊になって復刊で再販してたのに、そんなレアになってるのか。
初版のやつもってるけど、春秋戦国に興味持ち始めた人は面白いかもしれないが、
知識のある人がよんだら詰まらんと思うよ。。
案能春秋戦国がおもしろいと思える人なら楽しめると思うけど。
春秋戦国を通してきねんたいでまとめてあるのはあまりないから
春秋戦国の概略を通してつかみたい
ということには耐えうると思う。
あの本読んだときに司馬穰苴って架空の人物だったのかと思ってた時期がありました。
639 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/10(金) 19:32:31 ID:mhAFanOCO
左氏伝は図書館にあるのに穀梁伝は読んだことないです
売ってるのかな?
公羊伝を忘れてくれるな。
紀年体って初めて聞いた気がするのだけど、存在するの?
643 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 15:18:30 ID:BkxEB1zb0
それって、ある程度枠を絞った上での編年ってこと?
史記の世家みたいな?
「本紀」と「列伝」の下の文字を取ったものだそうで、
岩本憲司氏による『穀梁伝』と范寧注との翻訳書『春秋穀梁伝范 集解』(汲古書院,1988年)
が出版されてるみたい。
ははは、こやつめ
今の世界情勢はまさに春秋時代
世界には百余の国家がはべこり
中ロ米みたいな国がさながら春秋の覇者のごとき存在になろうとしてる
春秋時代とは簡単に比較できるほど単純じゃないけどな。
アメリカが目指してる先は春秋の覇者なんて生易しいものじゃない。
明治のときも、陸奥宗光などは当時の国際社会を指して春秋のようだと例えたそうな
米 晋
斉 露
楚 中国
宋 日本
晋 米
斉 露
楚 中国
宋 日本
周 イギリス
魯 フランス
燕 ドイツ
曹衛鄭 イラクイランイスラエル
蔡 朝鮮
虞 ハワイ
秦 インド
651 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/22(水) 22:29:03 ID:khELF5VLO
晋←顔
楚←体
こっちを向きながら左に走っていく人に見える。
653 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/22(水) 23:31:07 ID:Ke3rl4OW0
現代の国際社会に例えるのはくだらん
無茶あるよね。
前提が違うしなあ。
656 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 19:03:36 ID:IVEPfF6w0
つーかこのスレタイ
「春秋戦国」じゃなくてなんで「戦国春秋」なんだろう
有名なアホコテが立てたスレだからなぁ…仕方ない…
コテの話題は他でやってくれ
660 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 14:35:28 ID:xDafCs4Y0
>>656 東周列伝は三国演義よりよく出来ていたと思う。
ドラマとして。
「東周列国」な。あれは良かった。
三国演義はその名の通り演義に忠実だったけど
東周列国シリーズは一話が短いオムニバスだから史実にないドラマがあって
それはそれで面白かった。
663 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/09(日) 01:24:44 ID:BzBVoSdSO
鄭の穆公はホントに鄭の公室の子だろうか
>>661 古くて分かっていないことが多い分、
積極的に創作の幅を広げるのはいいことだと思う。
ドラマのような娯楽作品では。
665 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 23:53:26 ID:RLhptOrN0
この時代の下層庶民は竪穴式住居が主流?
日本だと鎌倉時代までそうだったらしいね
667 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 10:25:49 ID:lPkFlgD5O
ほしゅ
668 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 12:39:17 ID:+WJMRejc0
669 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 00:32:54 ID:5tVOtGX40
春秋時代の墳墓群の発掘終わる、人の大脳や精緻な絹織物など貴重な発見―江西省
http://www.recordchina.co.jp/group/g11821.html 2007年10月6日、江西省宜春市靖安で発見された春秋時代(紀元前770〜403年)の墳墓群の発掘が
終了した。過去発見された木棺の古墳群としては最古のものと見られ、47基の木製の棺から被葬者10体
が見つかった。うち9体には大脳組織も残っており、酸性土壌の南部地域で東周代の人体が完全な形で
長期保存されていたのは初めてのこと。
副葬品は、絹織物、漆器、竹や木の器だけでなく玉(ぎょく)や金でできた器など600点以上が出土した。
特に絹織物は1cmに240本もの絹糸が織り込まれ、現代でも再現が難しいほど高い技術だという。おそらく
絹織物では最古と思われる。
また、人体の鎖骨やひざ、頭蓋骨、歯根に黒い結晶体が見つかったことも注目されている。リンや鉄など
の元素からなり、鉄リン酸塩類ではないかと見られ、新たな発見として今後研究が続けられる。
脳組織なんか真っ先に腐ってしまいそうなものだけど
671 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 23:39:24 ID:ODsL07ig0
>>669 考えたら、棺桶っていつの時代から使われ始めたんだろう?
3:無名縦横家@お腹せっぷく
三晋趙の武霊王が趙王を辞任する意向を固めたことが4日、分かった。武霊王は
同日夕、首邑の邯鄲で会見する。
武霊王は10月30日と今月2日の2回にわたって太子何と会談。2日の会談では、
武霊王から連立政権に向けた協議の打診をした。
武霊王は祖先の霊廟に諮ったが、「政権交代が目的であり、実権を握ることが目的では
ない」などと考えて、群臣の反対を拒否。
673 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 00:14:05 ID:y6mFXRZzO
プロ戦国、三晋趙の楽毅将軍(壮年)が8日、邯鄲邑内の自邸で会見し、
今季取得した自由移籍(隗始)権の行使を表明した。
同日、朝廷に隗始宣言書を提出した。「趙の胡服をもう着られないのが
さびしい」と他国へ移籍する考えを示した。千里の馬を補強のポイントに
挙げている燕への入閣が決定的とみられる。
会見の席に座ったときから目は潤み、心境を聞かれると「つらいです。趙が
好きだから…」と声を詰まらせ、悩みぬいた末の苦渋の決断であることをうかがわせた。
宣言の理由を「自分を厳しい環境に置き、そこでどう変わっていくか、挑戦する
気持ちが出てきた」と領土争いができない恵文王の現状にあると説明。
民に対しては「気持ちを裏切るかたちになり、申し訳ない。喜んで出ていくわけ
ではない」と涙ながらに話した。
674 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 01:08:01 ID:B4HVqf420
改造車に乗った田単君が喜んでるよ。
675 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/15(木) 21:39:42 ID:z6PJlEerO
韓を国の中に抱くと――やがて腕にぶらさがられ――そのうち背負うことになる(魏王)
秦人たちは私には虎と同じように思える。頼るのには好きだが臣下に欲しいとは思わない(韓王)
私は中原の君主でなくて幸せだ。もし中原の君主だったら、秦と戦争しなければならないだろうから(秦王)
充実した斉国の唯一の楽しみは、他国の戦争に立ち会うことである……悪魔的な楽しみだ(斉王)
三週間胡服を研究し、三ヶ月間で発展させ、三年間騎射を特訓をし、三十年間猛威を振るう。そして他国が同じことをまた始める(趙王)
覇権は王を盲目にするが、郢陥落は視力を戻してくれる(楚王)
禅譲思想はこの世で最も危険な思想である(燕王)
春秋戦国時代の大型墳墓を発見!盗掘の跡も―江蘇省南京市
2007年11月12日、江蘇省南京市の獅子山一帯で、先ごろ発見された春秋戦国時代(紀元前770〜紀元前221年)
の大型墳墓の発掘作業が行われた。
南京市博物館考古部のスタッフが多数の労働者を伴ない発掘に当たっており、作業はすでに半月ほど行われてい
る。同博物館の考古学専門家によると、墳墓は高さ7.2m、幅54m。春秋戦国時代の貴族の墓だと見られている。
05年にも同省鎮江市などでもいくつか墳墓が発見されているが、ここまで大きい墳墓を発掘するのは南京では初め
てだという。
墳墓には3か所で穴が見つかっており、一番大きいもので直径2.6mもある。専門家の分析によると、これらの穴は
別々の時期に盗掘に遭った跡だという。
ttp://www.recordchina.co.jp/group/g12845.html
677 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/17(土) 22:24:42 ID:LvVypVKM0
この時代って、言葉だけじゃなく、字体もそれぞれ違ったんだよね
始皇帝が文字の統一するまでは違っていた
今は中国っていう一つの国があるからひとくくりに考えがちだけどね
感覚的にはヨーロッパに近いけど、盟主となる国のあるかないかが違うかな
そんな分裂状態が今も続いていれば面白かったんだろうけど
ヨーロッパと違って、一つの国となった素地はなんだろうか
679 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/18(日) 07:34:44 ID:6u+aRo3R0
ことばも違えば字も違うのに、よく渡り歩いて仕えるやつが
あんなにいたもんだね
今のフランス人がドイツに行くようなもんだと俺は考えてたがどうだろ。
ちょっと勉強すれば問題なかったんじゃまいか。
681 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/07(月) 14:21:30 ID:BNi9nb9oO
過疎ってるな
話題を振ってくれる人がみんな去ってしまったからな
白帝社から出ている「戦国秦漢時代の都市と国家」という本を読んだことが
ある人はいる?
だいぶ前に買ってあったのを最近になって読み始めたんだけど、けっこう面白いかも
684 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/11(金) 13:30:27 ID:2M5GR5c90
中国の城郭都市しか持ってねー
685 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/16(水) 18:37:22 ID:PMzIldQB0
戦国春秋って順番だと調べる人少ないし
686 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 08:18:41 ID:vxKuvAZgO
この時代のことを解説してる書物としては講談社学術文庫の『古代中国』がお勧め
原始の時代から戦国時代までわりかしわかりやすく解説してると思う
687 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 23:53:43 ID:KgGVOBcq0
>>678 逆に考えれば、ヨーロッパも一つになる素地はあったんだな。
それがEUか。
688 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/18(金) 04:26:03 ID:EuO4CnUzO
ずっと分裂状態の中国ってのも気になるな
その方が文化や科学が進歩したかもね
今も分裂してたら、親日の国も生まれてたかもな〜。
690 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/18(金) 13:27:54 ID:MR8uVwhH0
欧州の国で親英の国ってあるか?
691 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/25(金) 19:09:58 ID:T5b4n8JhO
モンハンではブロンズホオビーを愛用しております。
692 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/25(金) 21:51:42 ID:CmZAaUQW0
693 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/07(木) 02:05:51 ID:R0lUKCnt0
694 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/16(土) 15:23:22 ID:I3qDq8ipO
斉が海を隔てて遼東半島も領土にしていたと聞いたが本当だろうか?
図書館で借りた『春秋戦国人物事典』の嫪アイのページに
ものすごい開き癖がついており、
本を開けようとするとかならず最初に
車輪をはめた例の持ち芸のさし絵が出てきて閉口
幸い後ろ姿なんだけど
696 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 17:42:46 ID:6ZYlvrAAO
春秋戦国時代で一番の宰相を決めようと思ったら管仲だろうか。
697 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 18:13:20 ID:0OH9dAOg0
最終勝者秦の土台を形成した商鞅じゃないか?
698 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 18:14:51 ID:kXPxDQEx0
最終勝者秦の謀略を支えた応侯じゃないか?
最終勝者秦の宰相だった李斯じゃないか?
700 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 22:02:34 ID:0OH9dAOg0
>>698 謀略?
遠交近攻策の国家戦略ではなく?
701 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 22:12:44 ID:0OH9dAOg0
>>699 李斯無くしても秦による統一はありえた
しかし商鞅の変法なくして一強の秦がありえない
国の命運云々でいくと子産は駄目宰相になってしまうんだよな……
子産の死後、即座に鄭は滅亡
子産が滅亡を引き伸ばしてたが、死んだので即滅亡
ではいかんのか?
704 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 04:10:30 ID:XbC4N1nKO
鄭が滅亡するのは子産が死んでから100年以上経ってからだ
少なくとも、子大叔が生きてた頃までは、鄭は国の体裁を保ってたのは間違いないな。
706 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 18:24:08 ID:HLiJpgV40
>>702 ここ10レスで挙がってるのは、子産も含めみな名宰相だろう
一番の論拠に国の命運が出てるだけだ
呉起も凄いんだが、楚は呉起の方針を継承していけなかったからな
>>702の論でいくと伍子胥なんかもそうなる…とか?
708 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/28(木) 08:15:02 ID:oqTcMjKy0
なるかもしれんな
だが、宰相としての伍子胥はどうなんだろう?
名将であり、睨みのきく臣の第一人者だが
富国強兵軍略に孫武、行政に太宰ヒがいたからな
秦繆公に引き抜かれて対戎策担当になり
後に宰相になった戎の由余と似たような感じかなあ
由余について詳しく知りたいんだけど
何の本がいい?
711 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/28(木) 18:47:37 ID:KWSPDNdMO
韓非子に穆公の政治について語っている箇所があり
その中に由余についても言及しているはず。
712 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/28(木) 21:09:30 ID:oqTcMjKy0
韓非子ね
サンキュ!
韓非子の由余の部分は史記に丸写しされてなかったっけ?
714 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 00:35:00 ID:mpSljQE8O
故伴野朗氏の呉起の小説を読んだ
やっぱり、同じ春秋戦国ものでも宮城谷と比べると格が落ちるな
所々のアイデアとかは良かったんだけど王になってない君主を大王と呼んだり、
呉子の記述を丸写しにしたりとか気になる部分が多かった
俺の場合は、格が落ちるというか読んでて辛かった
宮城谷の楽毅のつまらなさに泣けた
717 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 15:49:18 ID:mpSljQE8O
何言ってんだ
宮城谷の楽毅の面白さは異常だろ
俺も宮城谷作品のなかでは太公望にの次に楽毅はすきになれなかったな。
宮城谷作品の主人公って潔癖すぎるんだよな
それ以外の登場人物でも欲望をむき出しで脂ぎったタイプがいない
作品全体の雰囲気もあっさりしてるよな
宮城谷小説で一番面白かったのは重耳で
武公祥の本家争いまでが面白かった
重耳や晏子とかはまだその辺をカバーできてる感じがするんだが
楽毅とかは出てくる人間がご都合主義的な英雄的資質がありすぎ。
だから周辺の人間が魅力が全くなくなってしまうのが残念
ふむ。
宮城谷は1回小説書いて
主人公の部分を削除すると面白い小説になると思うな
正統派や王道を逸脱したり奇を衒っている様な展開や主人公が
いいとも限らんと思うけどな
この著者の場合はそういうスタイルってのもあるし、著者自身が世間で
評価されるまで長く苦労を重ねてきたあたりも影響してるってのはあるだろう
だいいち樂毅の場合、有名な恵王への書翰なんかから覗える人物像を
崩してまでひと癖ふた癖あるキャラにされて楽しいもんなの?
みんな人事を尽くして天命を待つって感じでサッパリしてるから
物足りなさを感じるところがあるな
>>724 そういうキャラばっかり描くから皆飽きてるんだろ
なら読むなってだけの話だわな。
なんでスレ違いのネタを引っ張りたがるんだろうか。
www
楽毅はアク強い感じはそんなにないからそういうキャラに描かれてもあんまり違和感感じなかったけど
呂不韋はかなりなw
730 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/21(金) 22:15:05 ID:MyH58vwIO
千里のウッーウッーウマウマ(゚∀゚)
東周列国をちょっと見てみたんだけど、突っ込み所満載だな…。
732 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/28(金) 11:55:48 ID:ihPN+8fs0
つっこんで!
733 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/31(月) 01:32:37 ID:Xx+vF/1OO
封邑をプレゼントfor you
734 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/04(金) 00:04:45 ID:Q7T2ljbm0
>>678 宗教じゃね?
欧州はキリスト教だけでももめるわイスラムとぶつかるわって
キリスト教誕生〜普及までは古代ローマが秦くらい統一してたし
735 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 20:49:28 ID:oTynK1380
今の中華人民共和国の西側は侵略・占領中の他国の土地
>>724 >正統派や王道を逸脱したり奇を衒っている様な展開や主人公
それをやってるのが塚本史なんだろうね。
個人的に、宮城谷氏への不満は仕方のない部分があると思うよ。
日本史の歴史小説が、「巨人」と呼べる作家を同時代に複数輩出したのに
比べると、中国史の方は宮城谷氏に続く存在がおらんし。
だからどうしても、宮城谷氏一人が批判を背負う形になってしまう。
個性的で面白い作家が三人出ると、そのジャンルは流行するっていうけど…。
ところで、趙の郭開について詳しい本ってあります?
いや、ここまでわかりやすい佞臣っていうのも珍しいというか…。
誰も止められなかったんだろうか。
史記と戦国策くらいだろうかね
738 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 22:56:30 ID:h9+ccPgY0
郭開ぐらいの佞臣なら他にもたくさんいそうだから、
彼のことを特記する学者や歴史家は少なさそうだね
それに戦国末期は滅ぼされる側の六国はあまり語られず
始皇帝ばかりが話題になるのも郭開がマイナーな理由の一つじゃないだろうか
始皇帝一代で六国征服できるほど圧倒的戦力差だったのかな
でも、大臣同士が肥えるためにナアナアな軍事外交をしていた時は
天下統一なんてことは誰も考えなかったかもね
それを秦王の政が強権を発して腐った大臣たちを律したのはすごいと思う
それとも韓非子の教えが素晴らしかったのか
単純に土地面積だけで、中国の西半分を支配していた。
>739
秦は始皇帝一代でいきなり強大になったわけじゃないよ。
それ以前から巴蜀の開発や法整備等を行って国力をつけ
さらには外交も駆使して他の六国をどんどん引き離してた。
昭王の治世の長さが一番の決め手だな。
後、内乱がほとんどない。
商オウの改革が、ほとんど抵抗もなしに進められたというのが凄い。
で、その死後もそのまま残されたというのがさらに凄い。
恵文王自身は商鞅嫌いで、彼を粛清はしたけれど、
その改革の有効性を認めたのが大きいな。
同じ衛出身の呉起が楚で全く同じ事をして、その横死後に
改革が葬られたのとは正反対の結果になってる所がまた。
746 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 23:16:26 ID:Y+bYPysN0
なんのスレ?
747 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 04:46:41 ID:puOnm2WFO
ほしゅ
748 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 09:55:28 ID:0L623UGXO
四川省大地震があって、改めて百里奚の偉大さがわかった。
国は嫌いだけど、国民が困っていたら救いの手を差し延べるのが王道とはまさにこのことだ。
天災とはどの国でもかわるがわる起こるもの
とは本当によくいったもんだわな
750 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 15:40:51 ID:8Etod0SoO
最近になって春秋戦国に興味を持ちました
晋の文公の覇権の礎を築いたのは献公だった、という認識なんですが間違いでしょうか?
人事的な意味合いでは大混乱をもたらしていますが、
軍事面での献公の活躍が無ければ、文公の長くはない治世で覇権を築くのは無理だったように思えます
751 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 21:44:51 ID:s04CKHwTO
中国史は、好きですか?
私はとってもとっても好きです。
でも、なにもかも…変わらずにはいられないです。
禅譲とか、革命とか、ぜんぶ。
ぜんぶ、かわらずにはいられないです。
それでも、中国史が好きでいられますか?
>>742の昭王が亡くなったあと、曾孫の始皇帝が王位を継ぐまでの年数は特筆もの。
斉=翠星石
楚=水銀燈
秦=雪華綺晶
燕=雛苺
韓=金糸雀
魏=真紅
趙=蒼星石
ってイメージ
754 :
馬服君:2008/08/01(金) 13:24:56 ID:9OEWUmqP0
長平の戦い廉頗を廃して趙活を用いた趙王は歴史上最もダメな王だよな。
そのせいで40万もの兵が死んだわけだろ。
仕舞いには最後の名将の李牧を讒言を信じて斬るなんて暴挙に出た結果趙は滅んだんだろ・・・
>>754 おまけに始皇帝となる政の国外逃亡を許したw
趙括にも責任はあるが、一番のアホは王だな・・・・
長平はよく平原君が戦犯みたいに言われるけど
最大の戦犯は王だよな・・・
長平で廉頗を更迭した孝成王
繁陽で廉頗を更迭した孝成王の子の悼襄王
李牧を誅殺した悼襄王の子の幽穆王
趙のラスト三代は同じ事をよくもまあと呆れる様に繰り返すといふ…
趙に40万も兵がいるなら匈奴でも狩ってろと思う。
759 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/02(土) 00:33:12 ID:xLgvMVn0O
恵文王は人材という観点から見ると趙で一番優れた君主だな
胡とでも言えばいいかな。
李牧なんかは確か「匈奴」と戦って名を上げたんじゃなかったっけ
>>759 揃ってる人材をちゃんと活用できたわけだしな
いくら信任の厚かった繆賢の推挙といえ舎人に過ぎなかった藺相如を秦への
正使に起用して果てには上卿に据えたり、平原君の推挙で趙奢を引き上げて
上卿としたりしてるから、そろいも揃って初めから国事に携わる地位にいたわけ
でもない面子を引き上げたあたりは揃ってるというよりも自身の判断に負う部分も
大きいだろうね
その悉くがいい結果を生むんだから俺もすばらしい君主だったと思うわ
というか戦国時代じゃいちばん好きな君主だ
765 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/05(火) 17:19:34 ID:b5uf6xIR0
○殺人 日本の73倍 ○強姦 日本の100倍
○盗み 日本の300〜500倍 ○自殺 日本の25倍
○拷問 日本なし 中国たくさん ○誘拐 日本の50〜100倍
○格差 日本の100倍以上 ○環境汚染 日本の300倍は軽く超える
○信号 日本は守る 中国は守らない ○交通事故 日本の100倍
○人権 中国なし 脱北者を北に送り返し拷問部屋に送る 悪魔の行為
○報道の自由 中国なし ○宗教の自由 中国なし
○言論の自由 中国なし ○ヤクザ マフィア 日本の40〜50倍
○臓器 生きた人間を拷問にかけ殺し臓器を取り出している
○食事 中国ではしょちゅう中毒で死んでる
○奇形児 日本の100倍以上
○(激しい殺し合いの)デモ暴動 日本の3000倍は軽く超える
○チベット東トルキスタンを大虐殺(現在進行形)
○50回以上にも及ぶ核実験により放射能影響で東トルキスタンの人々が100万人以上死亡
中国は嫌いだが、この煽り文句は逆工作員の臭いがするな。
重耳が城濮の戦いの時に見た、脳髄を吸われる夢ってどんな感じだろう
蚊みたいな口で脳髄を吸い出す、昆虫人間な楚王を連想するんだけど
もしかしたら、本当は組み敷かれた後に掘られたとかだったりして
国が君主の姿を取って征服する・されるという内容であれば、
そっちの方が自然に思えるんだよね
でも、正直に言ったら部下に叛かれかねないので脳髄を〜という
奇っ怪な夢に言い換えたとか
ほす
楚の懐王こそ最強
771 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/11(土) 15:54:59 ID:nFlrBGOiO
春秋時代は個人の武勇が活躍する余地があるが、戦国時代だと組織された軍隊をいかに活用するかが主眼におかれ個人の武勇が史書に記述されることはほとんどなくなった
>>767 個人的には、カニみそ食う時みたいなのを思い浮かべてた。
ネットで戦国春秋時代の小説書き出したんだけど
どうも当時の風俗に無知なせいか難航してます…
服飾に関する現地の本を買ったんだけど
「これは貴人の衣装らしいが、一般人の服装はどうなってるんだ?」
食事のシーンを書こうにも
「待てよ、この料理って当時あったのかな?」
みたいな疑問が次々出てくる。
当時の風俗に関する資料で良いのってないですかね?
公子糾と管仲が斉から殺害と引渡しを指示された話で、
実は糾を匿っていたけど斉の刺客から殺されたって話を読んだ記憶があるけど誰か知らない?
陳だったような気もするけど
戦国策だったと思うんですが「人が贈り物をしたときに感謝されるされないは
その額面じゃなくタイミングで決まる」って話は誰についてでしたでしょうか?
宴会の席で一人の客にだけスープに羊肉を入れなかったらそれを恨まれ攻め込ま
れて国を追われ、道中日一椀の食料を恵んだ相手に助けられたとかそういう話。
中山君と司馬子期だな
777 :
775:2009/06/16(火) 20:51:11 ID:rjyi576G0
>>776 即レス、ありがとうございました。助かりました。
戦国策だったかな。
孟嘗君か誰かの食客になろうとして、
「●△□!」(大・海・魚!みたいな感じで。)
と3文字を叫んで立ち去ろうとして
「待て待て君! 詳しく!」
みたいな感じで食客に取り上げてもらった人の話。
戦国策だったか孟嘗君列伝だったか覚えてないんですが、ご存知の方おられますか?
眠いので、テキトーに教えてやろう
戦国策だよ
しかし、言われたのは、孟ショー君の父親だ
言われたのは、そのまま大・海・魚!だったよーな
781 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/28(月) 07:18:01 ID:Mh6RPte8O
俺も食客になって養ってもらいたい
芸がないといかんがな
783 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/29(火) 19:41:01 ID:qkPFMU1ZO
戦国時代で自身で将となり兵を率いた王って武霊王ぐらいしかいないんだな
他の王は臣下に兵を授け玉座で待つだけなのと比べるとさすが胡服騎射の王だ
燕の昭王はどうよ?
燕の昭王は公子時代は子之の乱の際、兵を率いて戦ったみたいだが王となってからは兵を率いた記述がないな
他に魏の武侯も太子時代に父文侯の命を受けて戦った記述がある
昭王は王となってからは直接軍を率いてないかもしらんが
内乱時期はケッコウな期間戦っていたはずだな。
楚の威王や斉の襄王も自身で戦陣に臨んでいた様な
>>787そういえばそうだな、襄王は燕に攻められたとき莒で防衛戦をしているね
確か楚は威王のときが最大領域なんだっけ
楚はたしかに威王の時代の版図が最大だろう
越を滅ぼして呉越の地を収め、徐州では斉を大破して斉を窮地に陥らせた
次代を思うと在位期間が短かったのが不幸
そういえば魏は趙の邯鄲を陥落させた際の戦いには恵王も出陣してるはず
790 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/16(金) 06:36:55 ID:PHlFuGg0O
魏の恵王といえば文侯、武侯という魏の最盛期を生んだ名君たちの後を継いだ君主のわりに
商鞅、孫ピンをみすみす手放し秦と斉に人材とともに覇権まで奪われるという間の悪い君主だ
魏の恵王は富国・強国の三代目にありがちな傲慢で自尊心の強い君主ではあるが
それでも公叔座が秦に敗れて病むまでは、その驕りを諌める魯の共公の言葉を
素直に受け入れたり、凱旋した公叔座の言葉に遵って報償に公平さをみせたり、
呉起の子孫を探して田地を授けたり、斉に惨敗の後は復讐のために
(恵施の言葉を採って)敢えて斉に入朝する姿勢をとって楚を怒らせて斉を
攻めさせたりと、まるっきり二流の君主というほどでもない様にも思う
多少は肩入れ気味の意見かもしれんが
それに陪臣の公孫鞅や無名の孫濱を去らせたのも、大臣・貴権を君主の
血族が占める社会で無位無官の縦横家が活躍して一足飛びに大臣に昇る風潮が
まだ醸成されきってない事を思うと、幾分かは仕方ないんじゃないかなと
むしろ秦の孝公や斉の威王が偉大ではあれある意味で特殊なのであって
斉の威王、宣王の後を継いだ湣王に比べたら魏の恵王はだいぶましだな
楚の懐王や燕の恵王はより酷いけども
保守
795 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/21(火) 19:48:12 ID:xdVRW9yjO
>>736 やる夫が李斯のようですでは素晴らしい人物となっていました。
当時の秦以外の文官で名前が残っているのは彼とかしかいないらしいです。
本当
>797
どういう根拠で?
自分で調べたら。
ただ、漏れの回答もいい加減だったので申し訳ない。
介之推も介子推も介推も間違いではない。
でFA
800 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/03(木) 16:31:04 ID:F4c4o+Ie0
>>773 とりあえず漢服だったとは思うけどね。
ただ庶民の服は色がついてなかったかもしれない。
戦争で破った敵兵の死体でモニュメントを作る、京観っていうものが
古代中国にはあったみたいだけど、それは春秋戦国時代の話なの?
通史は十八史略と貝塚の新書見たけど、なかったような・・・
ウィキ「京観」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E8%A6%B3 中国史じゃないし映画だけど、ペルシア戦争でスパルタ軍が全滅した
テルモピュライの戦いを描いた300ってので、倒したペルシャ軍兵士
を山と積みあげて城壁を作った場面があるけど、あれは何ともインパ
クトある場面だったなぁ。
>>801 楚の荘王が「?」(ヒツ)の戦いで晋に勝利したとき部下から京観を作る事を勧められたが
断ったエピソードがある。わざわざ「作らなかった」話が取り上げられてる所を見ると、春秋時代じゃ
作って当然のものだったんじゃないかな。
司馬慰は遼東を攻めたときに京観作って、後の歴史家から総叩き食らってるね
804 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 20:32:31.46 ID:aios6iIn0
805 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/26(金) 13:58:45.56 ID:tfA072CH0
てす
806 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2011/08/26(金) 23:59:53.26 ID:cOiCYcMa0
ども。
807 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/27(土) 23:37:27.31 ID:QoZNNdIQ0
宮城谷さんの作品での趙盾について
「孟夏の太陽」と「砂中の回廊」でだいぶ印象が違うのですが、
史実としてはどちらがより近いのでしょう?
また彼は名宰相と呼べるのでしょうか?
その根拠となる業績もあれば…
808 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2011/08/27(土) 23:51:12.73 ID:xp1ebG8C0
史実としては全権大臣だし。
809 :
807:2011/08/28(日) 18:35:29.09 ID:zFeRsOeP0
以前に上のほうで、晋の名宰相として挙がっていたので、
気になっただけです
>>808は宰相ではなく大臣だろってことですよね?
それにしても、人いませんね…
沙中の回廊は主人公が士会だから、その政敵である
趙盾を悪役にする必要があったんじゃないのかな
(特に士会が母国晋の敵国である秦に亡命して対晋戦争で活躍するあたりの理由づけとして)
811 :
807:2011/08/28(日) 20:24:46.37 ID:zFeRsOeP0
沙中〜だと、演義の周ユみたいな扱いということですかね
評価されているのは、君をチュウ殺したあとの史官との対話くらいで…
華元とかもそうだけど
作家の書き方によって善人にも悪人にも仕立てられるって事なのかね
個人的には沙中の趙盾も好きだけど
話違うけど賈佗と胥臣って同一人物なの?
813 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2011/08/31(水) 01:26:33.26 ID:EM9EqpWV0
賈佗は狐射姑だと勝手に理解している。
814 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/11(日) 18:44:29.36 ID:t8sx5YRo0
815 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/13(火) 01:24:34.02 ID:Zx4a59iHO
趙盾は功罪共にありって感じ
次の宰相ゲキ欠は趙盾に比べて傷が少なく優秀だな
816 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2011/09/13(火) 01:28:55.97 ID:Dgd5lGYs0
郤缺って何か実績あったっけ。
>>816 狄との和睦を成立させ、戦になる事態を未然に防いだ・・・かな?
818 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/17(土) 17:05:10.62 ID:JMGbEBLt0
819 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/19(月) 16:56:58.43 ID:h4ak2FLl0
>>811 亀だけど、豆知識カンタンに書いとくね
誅殺(チュウサツ):罪を責めて
悪人を殺害すること(主君が臣を殺す場合、一般的にこの表現になる)
弑逆(シイギャクというのが慣用読み、本来はシギャク):目下の者が、主君や親といった
目上の存在を殺害すること つまり、極悪非道の行為
趙盾の場合、実行犯は他に居たから 弑逆の直接的・物的証拠って無かった(はず)。
しかし、犯人を唆した疑いをかけられても、それを払拭しきれない立場にあった。
821 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/03(月) 19:22:43.46 ID:AvB7iyJ20
塩
木
容
疑
者
test
823 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2011/10/03(月) 23:40:25.08 ID:8bet78p80
趙穿の趙氏での立ち位置がよく分からんだけに。
>>823 何かの史料で見かけた記述を書き残しておいたんだが、趙穿は趙夙の孫だね
系譜としては「趙盾従父昆弟之子」となってるらしい
825 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2011/10/04(火) 22:54:50.46 ID:vwu8cwg40
826 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/31(月) 02:43:33.59 ID:+K7Da/rM0
>>816 狄との戦において狄の君主を捕える、策を用いて秦から士会を取り戻す、
荘王率いる楚軍を鄭軍とともに破る、狄と和睦など
郤缺こそ文武両道の名臣
しかも反逆者の息子なのに宰相にまで上り詰めたのが凄い
827 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/08(火) 00:17:42.15 ID:xSViGgGcO
晋で一番の名宰相って誰になるかな?
趙盾はちょっとミスが多いし士会は期間が短いし
斉の管仲・晏嬰、鄭の子産みたいな絶対的な名宰相がいないな
逆に言えばそれだけ名臣がたくさんいたってことになるけど
晋の賢相といえば叔向が一番に浮かぶけど卿になってないんだよなぁ
あえて候補を挙げるなら韓厥趙武あたり?趙盾や士会に比べてえらく地味だがw
1.狐偃
2.先軫(〜BC627)
3.先且居(BC627〜BC622)
4.狐射姑(BC622)
5.趙盾(BC621〜BC601)
6.郤缺(BC601〜BC597)
7.荀林父(BC597〜BC593)
8.士会(BC593〜BC591)
9.郤克(BC591〜BC587)
10.欒書(BC587〜BC573)
11.韓厥(BC573〜BC566)
12.智オウ(BC566〜BC560)
13.中行偃(BC560〜BC554)
14.士カイ(BC554〜BC548)
15.趙武(BC548〜BC541)
16.韓起(BC541〜BC514)
17.魏舒(BC514〜BC509)
18.士鞅(BC509〜BC497)
19.智レキ(BC497〜BC493)
20.趙鞅(BC493〜BC463)
先且居が宰相なのが少し怪しいし、趙鞅以降は力尽きちゃった
魏舒から六卿が力を持ち過ぎてるので名宰相候補から外しても良いと思う
個人的には趙武が一番じゃないかと思います
>>829補足
一応、趙盾以降が正卿ということで挙げています
831 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2011/11/08(火) 21:59:40.77 ID:LgpWE91K0
乙に御座候。
狐偃が正卿の座についていたらほぼ確定なんだけどなあ
833 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/09(水) 10:23:47.61 ID:BrtH258o0
個人的には韓蕨が好きだ
趙盾以降が中軍の将=正卿ってかんじでしょうか?
それ以前は政治と軍事で状況に応じて使い分けてるような
中軍の将に就いた人間で最初に正卿って呼ばれるようになったのが趙盾だったと思うから
趙盾以降が中軍の将=正卿でいいと思う
うろ覚えだから間違ってるかもしれないけど
836 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/12(土) 07:29:09.24 ID:pg6N1uTDO
名君なら一位文公、二位悼公かな晋は
斉の桓公って名君じゃないよね?
管仲いなければ何も出来ないし
管仲を信任して重用し続けたその一点だけで十分お釣りがくるだろ
夫差と伍子胥なんて酷いもんだ
呉起商鞅楽毅あたりを見れば長生きしたのもプラス材料
>>838 逆に桓公が早世してたら管仲だってどうなったか分からないよな
名臣を登用して強国にのし上げた君主はその名臣より先に死んだほうがいいね
どーせ次の君主がその名臣を殺すか追放して評判落ちるから相対的に名君主でいられる
841 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2011/11/13(日) 00:53:50.54 ID:HYekC6980
無虧は立ち切れば周の大物身内だったろうね。
>>840 斉景公「呼んだ?」
鄭簡公「呼んだ?」
晋平公「呼んだ?」
桓公は軍事の指揮官として韓信みたいな名将もいなかったことから結構優秀だったんじゃないかなって思う
宋の襄公スレで五覇が儒家の批判の対象になったっていう話題があったけど、
ということは誰を五覇にするかという儒家の議論は批判の対象探しということになる?
>>843 王子城父って何者なんだろうってずっと疑問
王子比干みたいなもんじゃないの
847 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/14(月) 04:38:09.01 ID:M+VYcO/2O
>>844 王道が至上なのは間違いないが、覇道だって次善の行いでしょう
世の中には覇者にも劣る君主がいくらでもいるし、当然評価して選んでいると思うよ
ただ覇道はあくまで覇道でしかないって事で批判の対象になる
自分で覇王とか言っちゃった項羽って・・・
>>848 よく考えたら覇王の初出は誰なんだろ
覇道なら覇者であり、王道なら王者。両方の境界がなくなって覇王という語になったそうだが
秦統一以前では、覇王はどういう風に捉えられていたんだろ?
君は考えすぎなんだよ
范増って張良、陳平とかと比べると二流だよな
項羽が諫言に耳を貸さなかっただけかもしれないけど
今思えば周王に取って代わる気まんまんの荘王が五覇に数えられるのって変な話だよな
853 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2011/11/15(火) 22:40:21.14 ID:j5m6BN9Z0
代わる気あっても周を征せられないから覇でいいんじゃないの。
周を滅ぼすなら簡単だけど、他国を屈服させる力が無いから
遠まわしに覇者なんて名乗って周に禅譲を迫ってたんだと思うが。
周王朝が日本の天皇制のように生き残る術はなかったんだろうか?
堯舜の神話時代から夏→殷→周と禅譲や武力による政権交代が行われてたけど
それは日本の天皇制も継体で一度変わってるとも言われてるし
周王朝は斉の桓公から戦国の末期まで良い感じで権威付けられてたように見えるのだが
856 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/16(水) 04:42:40.64 ID:UN216cpUO
思想的にもっとも権威を大切にするであろう儒家が、尭舜禹文王武王褒めまくりで革命を肯定してるし無理だろうね
他の思想は言わずもがな
周に実力があればよかったねとしか言えない
異民族の侵略がなかったから残ったとも言える<天皇制
アメリカに占領されて一度は消えかけてるし
もうないけど、エチオピア王家は天皇家より長かったらしいね
戦国時代初期に各諸侯が王を自称した時点で
周王の権威はほとんど失ってしまったんだろうね
859 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/17(木) 18:43:23.22 ID:2j/fYWt1O
>>851 策士っていくら素晴らしい策を述べてもそれを実行してもらえなければいる意味がない
つまり范増、そしてカイ通も、張良陳平に比べて当然劣っていると言わざるを得ないよね
自ら項羽の下を去って無念で死んだ范増は、行蔵の美という点では評価できるけど、
かつての従横家達が自説を受け入れさせるために奮闘していたのを考えると、それはただの怠慢でしかないと思う
>>845王子城父ってほんと謎の人物だよな
蜀書諸葛亮伝に「蕭何は韓信を推薦し、管仲は王子城父を推薦しましたが…」
ってあるからさぞかし凄い名将かと思えばほとんど目に見えた功績って無いもんな
あっても異民族を討伐したという記述が一回だけあった程度か
しかし史記にも左伝にも王子城父の評価の高さがうかがえる記述が無いのに、
陳寿は何を元に王子城父を名将と評価したんだろうね
管子に何か記述でもあるんだろうか
861 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2011/11/17(木) 22:38:41.80 ID:5ayXHw2N0
桓公の軍事業績が全て王子城父によるものだったら名将という評価に納得しなくもない
だが実際は桓公の治績の中で全く名前が出てこないもんな
863 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/18(金) 00:18:48.05 ID:BKvdV3Vx0
陳寿が諸葛亮を管仲・蕭何の亜匹と言ったから
その流れで管仲・蕭何の頃の武将を挙げる必要があっただけちゃうかと思わんでもない
864 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2011/11/18(金) 22:55:18.60 ID:IrvFV1Ft0
だからといって斉の一将軍をその国の開祖に準えるというのはあまりにも不自然だなあ。
>>860-861 「史記」の「書」なんかだと、呉の孫武、晋の狐偃と同列に評価されてたりもする
「管子」や「呂氏春秋」なんかにも少し記されてるけど、桓公に対して管仲が
各分野(軍事、農産、礼容・外交、法)で自分は及ばないので用いるべきと推挙した
五人の人物のひとりなんだけど、なんで名ばかりが残ったのか…
斉の名将といえば司馬穰苴も謎の人物だよな
史記に列伝があるのに何故か左伝には全く出てこない
867 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2011/11/20(日) 00:40:57.52 ID:4+XYJB2X0
>狄の族長の弟
の正体が晋公のけい斉だったりして
キングダムまじおもろい
870 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/21(月) 14:44:30.18 ID:4N7QcXVf0
孫ピンの漫画は展開がだらだらしすぎ。「龐涓死于此樹之下」まであと10年はかかりそうw
871 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/21(月) 15:16:29.75 ID:NFBdfYxCO
mixiのキングダムコミュからやたらメールが来て鬱陶しい
ここの住人か?
873 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2011/11/21(月) 22:44:05.97 ID:hgUH7spL0
ああ、来てた来てた。
漫画あまり読まないから知らなかった。
874 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/21(月) 23:58:54.09 ID:wf9YK8dLO
晋の文公と悼公って劉邦と劉秀みたいな関係だな
性格的にも文公が劉邦のような臣下に任せるタイプの君主で悼公は秀才って感じで
875 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/29(火) 03:02:52.54 ID:rSe5de84O
春秋時代の魯って名君が少ないな
隠公ぐらいしか思い浮かばない
いやいやいや
市井から曹沫を登用した荘公がおられますがな
むしろ荘公の時代から、魯の斉に対する苦難が始まった気が。
臧孫達を重用した桓公がいるじゃないか
名君が少ないと言われてるけど陳や蔡とかに比べたら魯は全然まし
中堅国の中では衛が一番ダメだな
しかし始皇帝の時代過ぎても一応続いていたんだな
衛でも名君いないこともないよね。
韓非子で良い例に挙げられてる奴いなかったっけ?
882 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2011/11/30(水) 20:56:54.98 ID:A6Ln7NTR0
晋のおかげでワリ食ってるが、衛の文公は名君だと思っている。
衛は切磋琢磨の武公がいるな
884 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/01(木) 03:17:03.09 ID:im9WFZlxO
西周時代も入れていいなら初代君主衛康叔も名君だな
885 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2011/12/03(土) 22:47:01.66 ID:vLCbe0ZY0
康叔封は名君というより名臣の印象が。
886 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/06(火) 04:11:59.72 ID:WzhfNsS8O
楽毅と白起、どちらが優れた名将か
887 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2011/12/06(火) 23:33:38.33 ID:RozUx+DH0
末路から楽毅に1票。
888 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/07(水) 02:11:55.89 ID:PePdiQF50
軍を扱うことだけにかけては白起の方が上
ただ軍を動かす前の戦略、外交などの準備や後の占領政策なんかは楽毅が上
白起は秦の軍だけ使えばよかったからそういう風に見えるかもしれないけどさ
実際のそのあたりの政治力は未知数でしょ
楽毅が奪った領地もアッサリ奪い返されてるし、世辞にも占領政策が優れてたとは思えんが。
白起の戦略がどうのってのも、後ろ盾無くした上で范雎に睨まれたら、何かできる奴なんておらんよ
楽毅にしたって外交に関しては実は燕の昭王に仕えていた蘇秦が担当していたわけで
その辺りは史記ベースのイメージでは浮かんでこない所だろうね
893 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/08(木) 01:58:31.73 ID:S2tkK79+O
蘇秦じゃなくて弟の蘇代じゃね?
>>890占領地で反乱が起きてないことが楽毅の占領政策が上手くいっていたことの証拠だろ
後、占領地があっさり奪い返されたのは後任の騎劫の責任であって楽毅のせいにするのは酷だと思う
>>891蘇代が全部燕の外交を仕切っていたわけじゃない
楽毅も昭王に趙・魏・楚と連合して斉と戦うべきと説き、趙まで行って盟約を結んでいる
つ 戦国縦横家書
896 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/09(金) 21:01:19.60 ID:I6t3pXmO0
そもそも白起の後ろ盾であったろう魏ゼンが范雎によって除外されたなんて信じられん。
クーデターすら起こさんかったのか?絶対成功しただろ。
と言うか魏ゼンって昭襄王の叔父さんで、王位継承争いのとき唯一昭襄王の味方して、
昭襄王が困る度に助けて、豊かになる度首にされて、最後は財を失うことなく天寿を全うした。
甥っ子思いのすげー良い人だと思うんだが。
898 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/10(土) 02:38:34.37 ID:MqP5mRBBO
魏冉がいい人かどうかはともかく、むしろ昭襄王の范雎に対する信頼が異常すぎるだと思うんだが
范雎の功績を考えれば当然な気もする
功績に比例して疑心暗鬼になるのがデフォの時代だろ、
功績出した後ならわかるけど、魏ゼン追い出したときって
范雎は提案を出したに過ぎないんだし実績も何もない。
実際に実権を握ってた魏ゼンから、昭襄王に権力が移るまで何らかの
争いが起こってもおかしくないのに、特に史書に記述もなく昭襄王に権力が移った。
何が起きたか知りたいところ。
魏ゼンが宰相辞めるの范雎の時で三度目だし。
権力闘争じゃなくて、甥っ子の我侭に付き合う叔父さんをイメージしたらいいんじゃね
903 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2011/12/10(土) 21:14:30.90 ID:UBZsR8ef0
で、狙う先が趙という。煽動家ではあるね。
904 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/11(日) 00:01:08.38 ID:LjG6RWy10
白起も大人しく死んだしなー、
昭襄王にはなんか分からんがそういう不利益な要求を飲ませる超常現象的な能力でもあるんじゃないか?
他国の文官に口先で丸め込まれるエピソードが沢山あるし、
昭襄王て流されやすい人なんじゃね?
魏冄以外にも、魏冄の弟の華陽君や、昭襄王の弟の高陵君・陽君までも追放されてるもんな
大物が四人も追放されてさざ波立たないはずがない
史実に書かれていない暗闘があっても不思議じゃないと思う
その頃の兵権を実際に誰が握ってたかだろうな
范雎の補佐で実績を上げていた当時の昭襄王は実際には兵権掌握してたんじゃないの?
908 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/15(木) 20:07:33.46 ID:89eDK3pc0
三戦板より抜粋
406 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/08(木) 20:20:26.82
斉・桓公の戦績 27勝3敗
(※この戦績の中には桓公が兵を率いたか不明な戦も含まれる)
ついでに
鄭・荘公の戦績 17勝3敗
晋・文公の戦績 10勝2敗
楚・荘王の戦績 16勝4敗
(※攻めた後で盟約を結んだり和議を結んだりした戦は、盟下に入ったということで勝ち扱いとする
城を囲んで、何も盟約を結ばず退却した場合は、目標未達成として負けとする)
抜けがあるかもしれないけどそん時はすんまそん
春秋時代だと、追放されても他国の力で復帰して国君に返り咲くことが良くあるけど
戦国末期だと秦が強すぎるのと他国に攻め込みすぎたことが理由で、力借りられないんじゃ?
あの武霊王の時代に昭襄王を即位させたくらいじゃないか?
白起のときも、兵権は昭襄王が掌握してるだろうし、
戦歴から、隣国の楚、趙、魏、韓に出奔するなんて不可能だろう。
大夫の直轄領や私兵まで掌握できる春秋戦国時代とかどこのSF
911 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/16(金) 16:52:31.15 ID:leU9wCadO
>>909 即位に協力したんだからウチの国は攻めないでね作戦がある
呂不偉が趙から荘襄王を連れてくるときの趙の対応は積極的ではないけどそういう意図があるよね
協力というか恨みをかいたくないって感じだけど
>>910 秦法がそれじゃないの
商鞅だって商於の地の領主だったわけだし
>>912 商鞅は最後に自分の封地で私兵動因して秦と戦ってるんだが。
どの辺が掌握できてんの
兵を挙げても失敗するという前例ではあるな
915 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/20(火) 20:15:45.10 ID:VPf/dKfu0
漢王劉邦とか西魏王魏豹なんかは分かりやすいが、
他の○王も全部地名なの?
だいたいそうなんじゃないの?
違う例が思い浮かばない
でも戦国時代の○○君は地名もあれば称号的なものもある気がする
平原君や楽毅の昌国君は地名
白起の武安君は他国にも同名のものがいるから称号だと考えられるし、楽毅の望諸君もその実績を踏まえた称号と考えられる
封地がなくても○○君と号していたって話もあるから、地名でない○○君は単に封地を持たない人だったのかもしれない
史記とか三国志とかでも、付属の地図に載ってない地名がたくさん出てくるのが困る。
武安に封じられたから武安君だっつの。
白起が大暴れしてた頃は趙の北、代や光狼まで奪っててその中には
蘇秦の封地だった武安邑まであって、そこを秦が武安県にして武安君を号したの。
その後魏無忌に奪い返されてすったもんだの末、李牧が秦の領土を奪ったときに
褒美として武安を李牧に与えて武安君を号した。こっちは要するに白起や秦に対する挑発。
思うとか考えるとか、史観述べる前に下調べくらいしろよ
919 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/21(水) 22:04:10.56 ID:wmm3aCTAO
馬鹿の隔離板でマジレスされても
衛世家で候から君に格下げされたとかあるし、そうでなくても戦国末期で封地賜るときは
候か君くらいしか記述無いんだから、爵位に近い使われ方してたんだろうなぁ。
>>916 調べろってのは
>>918に同意だが目の付け所はいいと思う。
楽毅の望諸君が封ぜられたのは観津。
観津は燕・趙・斉の三国の国境だから望諸という号を使ったんだろうけど、
まんま地名が使われているわけではない。
922 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/23(金) 01:56:17.77 ID:oB6mjq4cO
次スレは春秋戦国に変えた方がいいな
923 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/24(土) 17:43:33.05 ID:r7PxyjRkO
昭王が死なず楽毅が斉を全部併合できたら燕はどうなっていたんだろ
案外、トウ歯と同じ結果になってたんじゃないかと思うよ。
925 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/25(日) 05:22:39.95 ID:YVYYUGq4O
燕が斉を併呑して大国になっても他の大国が黙っていないだろうな
昭王がいかに人材を次世代に残すかが大事だな
まあ後を継ぐのがあの暗君なら無に帰す確率の方が高いだろうけど
926 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/30(金) 03:48:44.32 ID:CHH1JU1VO
晋の悼公はもっと評価されるべき
14歳か15歳そこらで即位して晋の覇権を復活させた手腕はなかなか凄い
春秋戦国時代って中国史の中で一番安定した時代のような気がする
中国は今でこそパクリ大国だが
一番オリジナリティ溢れる時代と言われてるからな<春秋戦国時代
故事成語とかめっちゃクール
930 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2011/12/31(土) 00:33:49.38 ID:3mv8Eh6K0
戦国 春秋(あれこれ)
931 :
六朝書生:2011/12/31(土) 01:08:43.34 ID:nNgob6Th0
春秋戰國 禮崩樂壞之時也
932 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/31(土) 04:58:52.32 ID:e0haMJnP0
秦が六国の歴史書を焼かなければ、もっと春秋戦国時代が詳細にわかったのになあと思う
>>932 そーだわなー、無茶苦茶もったいない。
六国のそれぞれが度量衡や字体の異なる文化(言葉すら多分今の大陸の普通話とそれ以外並に違ってたろうし)
を有する国だったから、そのまんま文化が現代まで続いてたらさぞかしバラエティ溢れてる事だろう。
チョンも大陸からの圧迫を受けにくくなって、今みたいな性根の捻くれた民族になってないかもしれん。
ただそのかわり、大陸がヨーロッパ状態になってるのも避けられんが。
934 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/31(土) 10:50:04.42 ID:6y60pirWO
7国が残ってたら遊牧民族に征服されたかもしれん
六国の歴史書が残っていれば春秋戦国どころか周王朝のことまでわかったかもと思えば本当に惜しい
935 :
六朝書生:2011/12/31(土) 14:16:34.69 ID:85hOJrBX0
(春秋)(戰國策)(國語) 秦始皇焚書坑儒 徐福東渡日本
936 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/02(月) 08:26:34.98 ID:2uakgkqn0
法家の流れは
管仲→子産→李悝→呉起→商鞅→韓非子→李斯
でいいのかな
有名な法家の人物を時代ごとに辿ってるんなら
それに申不害入れればオッケー
純粋な法家は商鞅で完成してて、韓非が申不害の術や慎到の勢を混ぜて改変して、
李斯が具体的な運用に落とし込んだ感じ
939 :
936:2012/01/05(木) 05:28:10.08 ID:mqfqEXE90
法改革しようとした奴等が非業の死を迎えてるの多いのがなんとも悲惨
941 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/05(木) 06:56:47.46 ID:msUhubYPO
改革者ってのは恨まれるものなんだな
そう考えると国民から愛されて死んだ子産は凄いな
橋下見てれば分かるわな
今の時代だから暗殺じゃなくてネガキャンで済んでるけど
昔は殺してしまえば罪状なんてなんとでもなるって時代だし
943 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/06(金) 02:31:50.67 ID:LjxSlAIoO
子産は商鞅や呉起みたいに貴族の既得権益に手を出してない。
二卿の上に立たなかった管仲もそうだが、上下を侵してないから政敵を作ることは少ない。
成文法を作ったのも下の大夫、士を抑える為と言われてるしな。
韓非は寵臣争いで殺されただけだし、李斯は始皇帝死後の権力争いで敗れただけだから、
法改革のせいで死んだと言えるのは商鞅と呉起だけ。
大体、余所者が王の寵愛を傘に貴族とガチでやり合えば、
その王の死後仕返しされるのは当然すぎる結末。
要するに権力奪うなら徹底的に放逐するか殺さないと仕返しされると
>>944 寵を受けてるだけの余所者が貴族を根絶やしにするなんてできるわけないだろー
逃げ切れる保証はないけど代替わりする前に上手く引退するくらいしか身を全うする道は無いよ
功績あげた奴を殺したら国が潰れた。それが中国クオリティ
例:文官の場合 商鞅、呉起 李斯etc
武官の場合 李牧、白起etc
日本もそうかもしれんが国を強くするという気ゼロだな
>>945 だからこそ范雎のエピソードが光るんだろうな
>>946 秦王政が統一してなければそのまま分裂した居心地の良い状態が後数百年続いてたかもね
>>947 范レイだろ。范雎なんて私怨のために秦を利用して掻き回した挙句
領土失って逃げたクズだろうに。
>>948 范蠡は全て捨てて斉に逃げてるからなぁ
そこでも成功しちゃうんだけど
文種「ちょっ、おまw」って感じで可哀想に
>>945 引退しても恨みを買ってる限り、過去の罪蒸し返されたり無実の罪着せられて結局殺されるだろう。
范雎は引退して一年で死亡したので昭襄王がまだ健在だったから罪に問われる事はなかった。
立場が危うくなった時に身を守るにはやっぱり亡命するのが一番だったんだろう。
亡命といっても范レイみたいに一から人生やり直すのは極端な話で、
実績名声才覚があれば他国で高位に就ける。
張儀は敵国魏の宰相におさまったし、孟嘗君も魏の宰相に、楽毅は趙で封ぜられた。その他にも亡命して他国で用いられた人物は多い。
商鞅は自らの政策のせいで亡命すら出来なかったが、呉起は亡命しようとすれば出来たんじゃないだろうか。
でも王の死体を傷付けた罪で自らを殺した相手に復讐するのは才覚に溢れた呉起の面目躍如だし、
しかもその法は伍子胥がやらかしたから作られたとか大いにロマンを感じるので
個人的にはよくぞ死んでくれたって感じだけど。
子産は改革者ではあるが、やっぱり鄭公の孫という門閥の出というのが大きいかもね。
あと子皮という頼りになることこの上ない後援者がいたことも。
それでも改革初期には国民の評判が余りにも悪くて、批判を封じましょうと進言した側近に
「民の口をふさぐのは水をふさぐよりも危うい」みたいな返答をして度量を示したことがあったと思う。
>>946 その中で功臣を誅したことが亡国に結び付いたのは李牧くらいだろう。
李斯は自業自得な面もあるし、処刑された時点でもう秦の命数は尽きていた。
呉起が死んでから楚が滅びるまでには百何十年も経ってるし、
商鞅、白起を殺した秦はむしろそれ以降どんどん興隆に向かってる。
呉起は貴族の既得権益を甘く見てたんじゃないかねぇ
兵も準備せずに王の亡骸を利用することで窮地を脱しようとして失敗したわけだし
春申君並に警戒心が足りなかったんじゃないかと
954 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/07(土) 03:01:59.11 ID:3LRz3sDs0
>>948 范雎は私怨で行動したり白起を解任したりと問題を起こしてるけど
外戚を取り除いて王の権力を強めたり、遠交近攻で秦に確固たる戦略を立てたり
長平で趙括を大将にするよう働き掛けたりと秦に有用な策を何度も立ててる
秦にとっては少しのミスに目をつぶってもいいぐらいに多くの利益を生んだ人物だと思う
955 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/07(土) 11:51:55.23 ID:n9hxHBb80
>>946 一番先に思い浮かびそうな伍子胥がなぜいない
>>954 遠交近攻って、白起の代から散々やってて范雎が取り立てて何かしたかって
特にないと思うんだが。魏斉の首取ったくらい?
秦の命数も相手が項籍じゃなければもうちょい上手くやれた筈
趙高いるけど章邯がいる
>>956 夫差も反省してるからOK
滅亡直前に反省して何がOKなのかとw
反省だけなら猿でもできる
夫差を猿と同レベルと言ってるような猿程度の頭しかない奴に言われたくないわw
おまえ批判だけしたくて書き込んだバカだろw
章邯は趙高がアホすぎたせいで、途中で降伏しちゃったのが勿体無い
962 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/08(日) 17:41:19.81 ID:PGNijMXqO
夫差は途中までは良かったのになあ
呉の絶頂期と滅亡両方を経験する君主ってのも珍しい
・・・と思ったけどよく考えたらそういう暴君って結構いるな
越国の名臣で共に戦うことはできても共に治めることはできない
みたいなこと言って去ってったのなんて人だっけ?
964 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/08(日) 18:16:04.13 ID:cSSDph0b0
>>963 ハンレイかな?
戦国名臣列伝によると「患難をともにすることはできても、楽しみをともにすることはできない」だけど。
>>953 確かに呉起は超が付くほどの自信家だし、
何も出来ない貴族なんてと完全になめきっていても不思議じゃないね。
そういうのも含めてもう少しやりようがあったのは間違いない。
966 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/10(火) 23:44:55.82 ID:sWLX+7fk0
孫武のドラマやっているのに興味ないんだ?
正直ドラマの類には興味ないな
去年までは録画してたけど、今年は忙しくて録画し忘れてたわ。
血涙流した時は腹かかえて笑ったわ。
970 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/12(木) 07:35:29.69 ID:2w9aHkQHO
子玉の言うとおり重耳を殺しておけば天下は楚のものだったのに
成王も惜しいことしたな
971 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/13(金) 17:05:02.45 ID:twEcYEGEO
春秋時代で最高の名君を挙げるとなると文公か荘王あたり?
桓公は晩年がアレだし穆公は所詮地方覇者だし
名君を考えるなら他国への影響の度合いは大きく考えない方が良いんじゃない?
自国を平安に治められたんならやっぱり名君だと思うよ。
973 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/14(土) 07:21:15.73 ID:GP/NwdoQ0
史記を読み始めたが、「書」難しい。orz
974 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/15(日) 00:37:26.57 ID:Rx/OO5M90
サンクス
マジ見に行く
976 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/15(日) 14:11:05.81 ID:oTl75e0tO
趙氏孤児の主役といってもいい趙武って表舞台に立つまでは話題になるのに
政治家としてはあまり語られないよね
左氏伝読め。凄い活躍ぶりだぞ。
978 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/16(月) 09:59:02.26 ID:JRWL4ehI0
苗賁皇の渋カッコ良さは異常
鄢陵の戦いぐらいしか戦場に出てないのが逆に印象に残るなあ
宮城谷の小説でも脇役のくせにやたらカッコ良かった
979 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/17(火) 14:28:16.28 ID:nSRdScEP0
>>976-977 正卿が趙武だった期間って確か10年も無いんだっけな(Wiki情報の付け焼刃で申し訳ない)。子産とかと
宴席?にいるシーンでの感想が、一々細かく書き残されてるのを読んだときは何故かニヤニヤ笑いを
抑えきれずに苦労したわw(場所が図書館だったもんだから..)
981 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/17(火) 22:47:53.94 ID:RtmL+wIV0
国語の全訳ってあるんだっけ?
孫武ドラマと書いてあったから調べて
昨日今日と見たが意外と面白いのでは
時代背景もポイントは抑えてある
日本でいうところの何だろう北条の話ってことかな?
tes
985 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/18(水) 15:38:09.77 ID:ROt1tHDc0
986 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/18(水) 20:27:22.39 ID:NhcPAmKOO
夏姫は悪女かそれとも悲劇の女性なのか
例え悪女だったとしても女装してはしゃぐおっさん達に
比べれば可愛いもんだ。
最初読んだとき、「こんな国滅んじまえw」と思った。
988 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/01/18(水) 23:27:19.39 ID:7h2gfO9D0
夏徴舒は「鄭甥」と呼ばれる資格があるんだな。
>>988 ◆O.K.H.I.T. スレ主?
数年間ロムっていたが詳しい人も増えた
次スレに【五覇】【七雄】を付け加えて貰えれば分かりやすい
991 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/01/20(金) 01:06:28.01 ID:460fuHUi0
>>991 スレタイで釣ってるのか? だとしても面白いとは思えないから、改良してくれよ。
993 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/21(土) 00:54:13.45 ID:oPQhQx3p0
五覇かああ?
斉の桓公←は間違いないと思う、晋の文公
楚の荘王←晋を破る、呉の闔閭←楚を破る、越の勾践←呉を破る
994 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/01/21(土) 01:20:36.37 ID:qt33obRF0
ああ、覇者を突き詰めると攘夷の先駆だったな。
斉桓晋文宋襄の次が難しいな。呉や虞は藩屏と言えない家系を掲げていたのだから。
995 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/21(土) 01:57:00.68 ID:oPQhQx3p0
斉桓晋文宋襄
うわあ懐かしい
このように憶えたなw
儒教が夏殷の竜山文化の尭舜崇拝をまんま継承してるから、
攘夷というより王権返せって主張だったのかも